○受田委員 たいへんいいことを言ってくださいましたが、私は、この国事事項の問題で、憲法第四条後段の規定で、天皇陛下が海外に御旅行される自由が失われておる。国事事項を委任しなければ天皇は海外旅行ができないということで、終始これを発言し、それが三十八年の国会で池田総理に発言したら、池田総理が直ちに私の発言を取り上げて、その当時の徳安
総務長官は、受田発言に対して池田総理自身から直ちに立案に着手せよと指示が出た、こういうふうに言われました、非常にすなおに。つまり陛下の海外旅行が御自由であるように、憲法第四条後段の規定の、天皇の国事事項委任法をつくれと私が提案した。これは具体的な提案です。池田内閣は、その末期ではあるが、すなおにこれを取り上げてくれました。にもかかわらず、陛下の海外旅行が御自由になる国事事項は委任ができても、陛下はよわい七十歳を数えられるに至りましたけれども、今日一向海外御旅行の道が開かれておらぬ。老齢に達せられる陛下御自身、わけて海外旅行の御経験のない皇后陛下のお立場などを考えると、両陛下おそろいで親善海外旅行、国際親善にお出ましになるべきです。その道をいま
政府自身がふさいでおる。御退位になる前の問題として私が具体的に提示した。そこで法律ができた。法律ができても実行をしないというようなだらしない
政府を
——われわれは、両陛下のお年をおとりになる姿、国会においでになられて、あの開会式のときにおことばをいただくときのお姿などを見るとき、陛下があのまじめなお人柄で、全然私心のない、私は、個人としてもりっぱである、いい天皇が
日本においでるということをしみじみ感じておる。その陛下御自身が、奥さまに当たられる皇后さまと一緒に海外旅行の自由さえ認められないというこのきびしい現実を、長官どうお考えになるか。個々の具体的問題は、きょう時間がありません。私は三十分でやめてくれという注文です。大臣、あなたは非常に熱心な意欲を持っておられるから、次の機会に、具体的な、国葬令の内容、それから大葬の規定、元号についても、私は一つの私案を持っております。これは、シナの四書五経、特に易、従以易というあの易は、吉凶の占いから発祥している。明治、大正、
昭和、みんな元号は易から発祥している。詩経、易経、書経、礼記、春秋という五経の中の易という、易から何を選ぶか、吉凶禍福を前提として文字をいろいろとさがし出しているという、これが、大化の改新のときから始まって、元号のもとですよ。こういうことを思うときに、ほんに学者の思いつきが、それがいままでその陛下御一代の元号となっておるのです。こういうようなことを考えるときに、元号の扱い方、これは非常に慎重な扱い方をしなければならぬ。次の機会に私の私案を提供したい。具体的なものを全部指摘するから、長官は非常に誠実なお気持ちがあると思うので、一々これを取り上げようとされる。私の提案することを個々具体的にいまから指摘します。
いま私、一つの問題として、天皇の海外旅行の御自由が認められて、せっかく法律ができた、にもかかわらずこれが戦後二十五年実行をされていない。陛下はお年を召されておる。皇后さまは海外旅行を一回もやっておられない。どこの国が陛下を迎えるかで外交上の問題があるということであるならば、ここで、
山中長官、閣議において、どこでもいいじゃないですか、親善の橋渡しになる国から始められればいい。何をちゅうちょ逡巡されるか、私はわからぬ。宮内庁長官が謹厳にものごとを処理されることはわかるけれども、外務省、内閣、宮内庁が相談されて、
——三年前のハワイの移住百年などは最もいいチャンスであったと、私もずいぶんあのとき言ったけれども、言を左右にして実行されなかった。
どうですか、
山中長官、私は、あなたに、この国事事項委任法ができた機会に、あなたが在任中に、両陛下に海外旅行の実践を、実現待望のお二人に、長期にわたる戦時中の御苦労、戦後の御苦労、よく耐え抜いてこられた両陛下に、御慰労をかねて海外旅行の実践を、長官、あなたやってくれませんか。願いたい。