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卜部委員 お話しをしている間に、一軒一軒歩いていた
過疎の地帯、そうした人々との語らいをいま思い浮かべて、若干興奮ぎみでお話を申し上、げたために、若干その点に舌足らずの面があったかと思いますが、私の主張したいのは、
窓口とはいいますけれ
ども、
過疎の県の中でいまの
基準に合う、たとえば五・五キロの人家百戸ですか、そういうところの住民というものも、よくごらんになってみたらわかるように、むしろ
郵便局のほうに行くほうが便利であって、百戸数の中に一つの
個人の
窓口を設けたという場合であっても、やはり山を越えていかなければならぬところさえあるのですよ。むしろバスの路線を伝ってずっと行けば、
郵便局のほうに近いというところも現実にあるのですよ。ですから、そういうところに設けてしまえば、それは、皆さん方全部に
窓口ができましたからサービスを行ないますよということだけで、親切ということには相ならぬのじゃないか。
と同時に、いま申し上げたように、そういうところにはできても行かれない人々ですよ、おらないのですからね。奥さんが出かせぎに行くのですから、当然出ていく、帰ってくる、そして夜手紙を出したいというときには、
郵便局に電話して、ひとつここに来たときにはうちのところに寄ってくれという
要望を出していくような人ですよ。そしてまた残っているのは老人なんですから、何ぼ
窓口ができたってそんなところまで行けやしませんよ。実際にはみんなそういう
郵便局の人がやっているのではないかということなんです。そしてまた無集配の
郵便局の人々にも電話がかかってきて、実はこれこれだ、ちょっと来てくれないか。これは
郵政事業としてはおかしい話かもしれぬが、現実にはそういうふうにつながっているのですよ。電話がかかってきたら、やはりあそこの人のおばあさんが病気だ、行ってやらなければいかぬというときに、だれが来てくれるかというと、これは無集配の
郵便局の人ですよ。
そういう面においては、やはり
窓口という問題もそれは必要なことではあるけれ
ども、現実にそういう必要性があるとするならば、そこには農協もあるのだし、そしてまた
簡易郵便局の方式ということもあるのですけれ
ども、そういうふうな農協だとかさらには
町村役場の支所なんかがあるのですから、そういうふうなところのなるべく交通機関の便利なところにも設けていくような措置が必要であって、
個人のところへ設けていくなんということにはならぬのじゃないか。これはちょっとおかしくなりましたけれ
ども、そういうことなのであります。その点はわかりましたでしょうか。——ちょっと最後のほうかわかりにくかったと思います。
ですから、それはひとつ切り離しまして、まず前段のように人もおらない、出かせぎに行かざるを得ない、奥さんは日雇いに出ていかざるを得ない、晩帰ってくる、そういうような現状で、そこに残って日常おる者が老人だということになりますと、何ぼ
窓口があったって行けるような状態にない、このことだけははっきりしていきたいと思います。そうすれば、当然
特定局の人員の増というものによって、そういう
過疎地帯の人々に常日ごろ接触を深めていくようなサービス機関のほうが、むしろ私は直接的に
過疎の住民に与える
郵政事業のサービスという面においての効果があるのではないか、私はこういうことを言っておるわけです。