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鯨岡委員 きょうは、あまりにも時間がございませんので、これからいろいろの問題について、特にいま
参考人からお聞きいたしました
二つの重要な問題についても詰めて、いろいろわれわれの
考えを申し述べたいと思いますが、その時間がありませんので、あらかじめこのような
機会をきわめて最近のうちにもう一回ひとつ
大臣御
出席のもとに開かれるよう
お願いをいたして、質問に入りたいと思いますが、その前に、この
沖繩問題に対する現在そしてまたいままでの私の
考えをちょっと
大臣に聞いていただきたい、こう思いますので、その
基本の態度を踏まえて、幾つかの問題を簡単にお聞きしたいと思います。
何度もいわれたことですけれども、
沖繩百万の
県民は、戦後二十五年の
間まことにお気の毒な
立場にありました。これを何とかしなければならないと
県民の
諸君は最大の
努力をいたしたのであります。われわれもまた、党派の
立場を越えて、アジアの情勢や
アメリカの
立場もあってなかなか思うようにはいかなかったけれども、それでも今日まで
努力を重ねてまいったのであります。
アメリカ側もこれに対して理解と協力を示してくれたことをわれわれは忘れてはならないと思います。
私自身のことを申し上げてはまことに恐縮ですが、先輩の
あとを受け、御指導を願い、一つには一日も早い
本土復帰と、
二つには豊かな
沖繩県づくりのために微力を尽くしてまいったわけであります。その間、常に私が心がけてまいりましたことは、対
米関係については、民族的問題だけに、ともすれば
感情に走りやすくなることではあるけれども、そしてそれは十分に理解できるけれども、ここは一番決して
感情に走ってはならぬということでありました。そして、そのことは、いよいよ
明後年じゅうと
復帰の
タイムリミットについて
日米の合意がなされた今日、ことのほか心がけなければならないことであると私は確信をいたしておるのであります。
ところが、逆に
民衆の気持ちとしては、その
タイムリミットがきまったということで、かえって、気のゆるみというか、抑圧からの解放というか、前よりも
民族的感情が高ぶるということは心理的にも十分
考えられるところであると思うのです。そして、それは
アメリカ側にも言えることであると思うのであります。
感情を先に走らせるということは、この
沖繩問題に対しては百害あって一利ない。われわれ
政治家は、間違っても
民衆の
感情を刺激してはならない。
民衆の
理性に訴えたければならない。
感情に走れば、そこには混乱があるだけ。得るものは何もない。
理性に訴えて処理するところにのみ
解決の道がある。これが
沖繩における対米諸問題に対する私の今日までとってきた道であり、今後もそれは十分に守らなければならない道であると
考えるのであります。これが
アメリカに対する交渉というか、それに対する
基本の
考え方なのですが、この点についてひとつ
大臣からお
考えをお聞きいたしたいと思います。
さらに二番目の、豊かな
沖繩県づくりについて
考えなければならないことは、
戦争末期における筆舌に尽くせない
沖繩県民の犠牲と、その後二十五年間の
本土との隔絶した忍従の生活とを思い、この際、できるだけの
援助をしなければならぬということは、これは言うまでもなく当然のことでありますけれども、忘れてならないことは、
自分のことは
自分でするということであります。まことに冷たいことを言うようですけれども、天はみずから助ける者を助ける、
自力更生、これは金言であります。豊かな
沖繩県づくりは、百万の
沖繩県民がするのであって、他の何ものでもない。主役は
沖繩県民であって、われわれではない。失礼なことを申すようですが、もしこの点に
考え違いがあったら
援助はついに
援助になるまいと私は思います。この点について
大臣はどんなふうにお
考えになられるか、これをお聞かせ願いたいと思うのであります。
時間がありませんからずっと申し上げますが、そういう
二つの前提に立ってずっとこう見てまいりますと、まことに失礼ながら、
沖繩政府はちょっと何をしているのかわからないという
考えを私はどうしてもぬぐい切れない。
大臣並びに
対策庁長官、この点どう
考えておられるか、ひとつ御
意見を承りたいと思うのですが、
屋良主席は去る八日
立法院で一九七一年の
施政方針演説の中で、
軍事基地には絶対
反対、すぐにどこかへ持っていってもらいたい、こういうふうに言ったり、
日米安全保障条約に
反対をするということを明確に言っている。
日米安全保障条約、
日本の
本土と結んでいる
条約と全く同じにするのだということを言っているのに、その
日米安全保障条約に
反対ということをいま言っている。それもお
考えですからいいのです。いいのですが、そう言いながら、
米軍雇用労働者を
間接雇用制度にしていくのだということを言ったり、当然なことながら、
屋良さんが
責任者になって
沖繩の
長期経済開発計画をつくっている、その中では、今後十年間は
米軍の
基地が
沖繩にあるということを想定して
年次計画を立てている。これは何かはなはだしい矛盾ではないだろうか、何かこうまとまりがつかない、何を
考えているのだかちょっとわからない。そういうようなことでは、一体重要な
県政移行の
準備はどの程度に進んでいるのだろうか、
一体化政策のための財政
援助の消化というようなものも一体どういうふうに進んでいるのだろうか、こういうことについて
基本的にどうも何かこう心配でならない、そういう感じがいたすのであります。
何せ与えられた時間が十五分ですから、こう聞いてこう聞いてとこうやりたいのですが、それができない、まことに残念ですけれども、
あとの先生方に御迷惑をかけてはなりませんから、私は
大臣に質問したいことをずっと続けます。
私は、先ほど
感情を刺激するところに混乱があるだけ、そこには何もない、ことさら今日はわれわれ
政治家は
感情を刺激してはならない、ともすればこうおこりがちになる
感情を押えることに
努力することが大事だということを申し上げましたが、今月の二十日——二十日というとまだですが、きのうも何テレビですか、テレビにも出ていましたけれども、
沖繩の小中学校では安全保障
条約反対の
特別授業というようなことを何か教育
委員会か何かが指図して、全部に
特別授業で、安保
条約に
反対、
アメリカの
軍事基地はどこかへ行っちゃったほうがいいのだというようなことを含めた、そういうややもすれば
県民感情を刺激するようなそういう教育が子供たちにさえも行なわれるというようなことが出ているのです。こういうことは、
日本本土との教育の一体化という——
本土でも偏向教育ということが非常にやかましくいわれているときに、そういう面から見たって問題なのに、その上に
県民感情をいたずらに刺激する——いたずらと思っていないでしょうけれども、いたずらに刺激するようなことになりかねない、そういうことは慎まなければいかぬことだと思うのですが、
大臣どんなふうにお
考えになってどんなふうにこれに対してアドバイスをなさるつもりですか、お伺いいたしたいのであります。
毒ガスの問題についてですが、先般私
沖繩へ参りまして、ランパートさんに会ったときに、間接雇用問題についていろいろお話をしたら、ランパートさん、こんなふうに言っておりました。間接雇用の問題については
日本政府からその話があれば十分に話に乗ってもいいですよ、こう言ったのです。そのことは
日本政府からいまだ話がないということなんです。どうしてそういう話をしないのかなと実はそのときそう思ったのですが、
毒ガス問題も、一体外務省はどういうような要求を
アメリカ側にしているのでしょうか。いまもお話がありましたけれども、
アメリカ側でさえもどこでもいやだ、こう言っている。
アメリカのいやなものはやっぱり
沖繩だって置かれちゃ困ります。やっぱりこれは外交ルートで十分に交渉をすべきことだ。これは
感情を刺激するのでも何でもない。当然の要求を当然のようにやる、あたりまえのことなんですが、これはどうしてやってないんだろうか。やってないということが間違いだとすれば、どんなふうにやってるんだろうか、そんなことをひとつお聞かせいただきたいと思います。
米軍の心ない兵隊さんによる暴力
事件がこのごろ伸びてきた。なぜ伸びてきたんだろうか、まずそれがふしぎでかなわない。
沖繩全体にそういう暴力事犯が多くなってきているのだろうか。調べてみたらば、
沖繩県民による
事件もありますよ。ありますけれども、比率はそれほど伸びてないのに、
米軍によるそういう暴力
事件だけが伸びているとすれば、なぜ伸びてきたのだろうか。これは山野長官、あなたのほうでは十分にもう御
調査済みだろうと思います。これらについて、一体どんなふうにお
考えになり、どういうような抗議といいますか、注意といいますか、政府間でしているかということについてお聞かせを願いたいのであります。
質問だけで、もう与えられた時間が終わりそうですが、しかたありません、十五分しかないのですから。
最後に一点、通産省、来ていますか。通産省の方に私は何回も言うのですがね、
沖繩のこれからの経済はどうやっていくか、これは重要な問題だ。一番重要な問題だと私は受け取っているくらい重要な問題なんです。
沖繩にこれからどういう産業を育てたらいいのか、これも重要です。だが、政府が
考えたって、もうからない仕事は持っていかないです、企業ですから。
沖繩に二十五年間せっかく育ってきたその仕事を何とかして温存させてやりたいと思っているのですが、一九七二年施政権の返還になりまして、一体化いたしますと、
本土に育った力の強い企業がわっと行くのです。そうすると、一ぺんでつぶれちゃうのです。これは目に見えている。そこで何とかしてそれまでの間、このいませっかく育ってきたものを力づけてやらなければならぬというのが、われわれがやらなければならない最大のことだと思う。何回も言うていることです。ところが、たとえばセメントに例をとってみれば、
沖繩のセメントは南西物資として指定されてない、全くの外国扱い。まだそのほかにもありますよ。それを、なかなか、外国扱いにして、そいつを
特別の地域として見てくれない。ところが
本土のものは
沖繩へ行くときには、外国として行くんです。だから
本土で売っているよりもずっと値段が安い。それにまた景品つけて売るの。だからみんなまいっちゃう。たとえば、おしょうゆなんかそうですよ。おしょうゆなんかは、われわれが買う値段よりも、われわれが買うのはお酒屋さんから買うのですが、お酒屋さんの値段は卸売り値段でしょ。その卸売り値段よりももっともっと安い外国へ売る値段で出すのです。それに向こうの手間や何かがついてやってもまだ安い。それで向こうと同じ値段くらいになる。そこへもってきて何か景品みたいなものをたくさんくっつけてやりますから、ここ二年くらいの間に
沖繩に育ってきたおしょうゆだの、おみその企業は三分の二くらいつぶれちゃった。そういうようなことを平気でやっていて、それで
沖繩のことを心配しているんだとはいえない。こういう点については、これはあなたに返答を求めてもしかたがありませんが、何回言うても、このことについてもう少しきちんとした態度といいますか、
沖繩の企業を育ててあげようという態度、総理府は幾ら
考えたってだめですよ。通産省あたりでそういうことですから。これに対して幾らか理解を持って、南西物資に指定すればいいがというようなことを言った税関の官吏は左遷されたようなことを聞いている。この前もそのことを言うた。いまだに反論がないところを見ると、それはほんとうかもしれない。もしほんとうだとすれば、まことに私はゆゆしき問題だと思うのです。通産省、ひとつもう一ぺんそういう点について
大臣に言うてくだすって、真剣に
考えていただきたい。
日本から向こうへ持っていく品物については、もう少し行儀のいいやり方をして、
沖繩は外国じゃないのですから、そのつもりでひとつやっていただきたい、こう思うわけであります。
何か質問ということじゃないかもしれませんが、
大臣、ひとつそれについてお答えをいただきたいと思います。