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1970-05-07 第63回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第14号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十五年五月七日(木曜日)     午前十時三十分開議  出席委員    委員長 池田 清志君    理事 鯨岡 兵輔君 理事 床次 徳二君    理事 箕輪  登君 理事 川崎 寛治君    理事 中川 嘉美君 理事 永末 英一君       田中 龍夫君    中村 弘海君       中山 正暉君    長谷川 峻君       山田 久就君    豊  永光君       岡田 利春君    美濃 政市君       林  百郎君  出席政府委員         沖繩北方対策         庁長官     山野 幸吉君         沖繩北方対策         庁総務部長   加藤 泰守君  委員外出席者         外務省欧亜局東         欧第一課長   宮沢  泰君         参  考  人         (北方領土復帰         期成同盟会長) 松本 俊一君         参  考  人         (根室市長)  横田 俊夫君         参  考  人         (千島歯舞諸         島居住者連盟常         務理事)    梅原  衛君         参  考  人         (北海道漁業協         同組合連合会会         長)      川端 元治君     ――――――――――――― 委員の異動 五月七日  辞任         補欠選任   小坂善太郎君     長谷川 峻君   中村 寅太君     中山 正暉君   本名  武君     中村 弘海君   山本弥之助君     岡田 利春君   不破 哲三君     林  百郎君 同日  辞任         補欠選任   中村 弘海君     本名  武君   中山 正暉君     中村 寅太君   長谷川 峻君     小坂善太郎君   岡田 利春君     山本弥之助君   林  百郎君     不破 哲三君     ――――――――――――― 五月四日  沖繩返還問題等に関する陳情書  (  第三三〇号)  沖繩のB52爆撃機即時撤去等に関する陳情書  (第三三一号) は本委員会参考送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  北方問題に関する件      ――――◇―――――
  2. 池田清志

    池田委員長 これより会議を開きます。  この際、沖繩北方対策庁長官山野幸吉君及び同総務部長加藤泰守君から発言を求められております。順次これを許します。沖繩北方対策庁長官山野幸吉君。
  3. 山野幸吉

    山野政府委員 一言ごあいさつを申し上げたいと存じます。  かねて当委員会皆さま方に御高配をいただいていました沖繩北方対策庁設置法が五月一日に施行になりまして、私その長官を拝命いたしたわけでございます。  今後、二年後の沖繩復帰に備えまして、沖繩復帰準備対策という、きわめて国政全般にわたる複雑、広範な事務を円滑に進めることが目下の最大の課題でございます。また、これとあわせまして、北方領土返還をめぐる国民世論啓発等中心とする北方領土問題の懸案事項につきましても、新設の対策庁といたしましては、全力をあげてその推進のために努力しなければならないところであります。  不肖私、御案内のとおりの浅学非才の者でございまして、その責任の非常に重大なことを痛感するわけでございますが、どうぞひとつ従来にも増して当委員会先生方各位に格別の御高配、御指導をお願いいたす次第でございます。どうぞよろしくお願いいたします。  簡単でありますが、就任のごあいさつを申し上げる次第でございます。(拍手
  4. 池田清志

  5. 加藤泰守

    加藤(泰)政府委員 私、沖繩北方対策庁総務部長に任命されました加藤でございます。  総務部調整部というこの二つございまして、調整部のほうは田辺さんが部長をされますが、私、総務部のほうの仕事は、従来の援助業務及び北方関係中心でございまして、復帰対策事務は、主として調整部でやる、こういうことになっております。  私、そういう意味で、援助費その他、また北方問題につきましての仕事を担当するにつきまして、今後先生方の御指導をお願いいたしたいと思いますが、私の能力で十分やっていけるかどうか、非常に私自身としては危惧を持っておりますけれども、先生方の御指導のもとで、十分責任を果たしてまいりたいと思います。よろしくお願いいたします。(拍手)      ————◇—————
  6. 池田清志

    池田委員長 沖繩及び北方問題に関する件について調査を進めます。  本日は、特に北方問題に関する件について、参考人から意見を聴取することにいたします。  本日御出席参考人は、千島歯舞諸島居住者連盟常務理事梅原衛君、北海道漁業協同組合連合会会長川端元治君、北方領土復帰期成同盟会長松本俊一君、根室市長横田俊夫君でございます。  参考人方々には、御多用中にもかかわりませず、本委員会に御出席くださいまして、まことにありがとうございます。  ただいま本委員会におきましては、北方問題に関する件について調査をいたしておりますが、本件について参考人方々の忌憚のない御意見をお聞かせいただきたいと存じます。  なお、はなはだ恐縮でございますが、参考人各位からの御意見の開陳は、お一人おおむね二十分程度にお願いすることといたし、そのあとで各委員からの質疑がある場合においてはこれにお答えをいただきたいと存じます。  まず松本参考人にお願いをいたします。松本俊一君。
  7. 松本俊一

    松本参考人 当委員会におきまして、われわれ北方領土復帰運動をいたしております者を、参考人として、調査の御参考にしたいという御趣旨で、きょうお呼び出しになりましたことと存ずるのでございますが、私は、北方領土復帰期成同盟会長を、いまから大体三年になりますが、その三年間の経過を振り返ってみますると、ちょうどあたかも沖繩返還交渉政府においてアメリカと行なわれた期間でありまして、昨年の十一月には佐藤総理がみずからニクソン大統領沖繩返還交渉にめどをつけられたわけでございますが、それと並行いたしまして、沖繩の次は北方領土と、実は次はということはわれわれ考えていなかったのでありまして、むしろ北方領土返還のほうが先になるべきだぐらい考えておったのでございますが、しかし沖繩返還が実現を見ましたこの時点におきましては、北方領土返還ということはますます緊急を要する事態になったということで、幸い、いま当委員会に御出席田中龍夫先生並びに床次先生が、相次いで総務長官に御就任になりまして、きわめて熱心にこの問題にお取り組み願いました。現地にも行かれて、われわれを激励、またいろいろな施策を講じられた。その結果、実はいままでたしか沖繩問題等ですかの特別委員会を、この沖繩及び北方問題に関する特別委員会と、名前衆参両院で改めたというようなことになったし、また昨年の議会では、北方領土問題対策協議会という新しい法人も法律によって生まれましたし、本年は、さらに、ただいまごあいさつになりました山野長官のもとに、新しい政府機関も生まれたようなわけでありまして、そこでこの日本内部の陣容は非常に整ってまいりました。  また、国民の関心も、私が就任いたしました三年前に比べますと、非常に高まりを見せておるのでございますが、しかしながら肝心のソ連は、私が十六年前に鳩山内閣当時全権としてロンドン日ソ交渉を始めました当時から、歯舞色丹については平和条約ができればこれを返還するということをいっておりますけれども、日本の、当時から要望しておりました国後択捉につきましては、その後も態度を変えてきておりません。一昨年でございましたか、三木外務大臣モスクワに行かれたときに、ソ連側コスイギン首相みずから、平和条約日ソ間にないのは非常に遺憾であるから中間的のものを考えようというようなことを申したのでありますけれども、それも実はうやむやのうちに終わりました。さらに、昨年は愛知外務大臣が七月でございましたか、モスクワへ行かれまして、そうしてこの問題について交渉をされました。しかしながらソ連側態度は一向に変わっていないのでありまして、ただ従来、私が十六年前から交渉をいたしておりました時代から、ソ連はもっぱら国際条約、いろいろな国際条約、またヤルタ協定も含めていろいろなものを引きまして、主として法律上の議論をしておりましたけれども、昨年はコスイギン首相愛知外務大臣に、実はソ連は今度の第二次大戦の結果きまった領土については手をつけたくない、したがってこの日本との間のいわゆる北方領土問題についても交渉をすることは賛成できない、ただ北方領土方面安全操業についてはできるだけのことをやってみようということを申しております。その安全操業の話は先般ソ連から、名前を忘れましたが、ある副総理イシコフ漁業相と一緒に参りまして、安全操業の問題を協議しようということになりまして、結局来週ぐらいだと思いますが、モスクワにおります中川大使ソ連側との交渉が始まるということでございます。そこでこの安全操業の問題は安全操業の問題で、北方における漁民としては死活問題でありまして、これは何とか円滑に解決したいものと私も思っておりますけれども、しかしながら何と申しましても、安全操業ほんとう安全操業になるためにはどうしても北方領土の問題を解決しなければならないことは皆さんもよく御承知のとおりでございまして、その北方領土問題の本体はあくまで見失うことはできないと私は深く信じておるのでございます。  そこで、この北方領土問題の経緯につきましては皆さんもよく御承知のとおりでございまして、私からこの際くだくだしく申し上げるまでもございませんし、また私の書きましたパンフレットも資料として皆さんのお手元に差し上げたと思いますので、それらによって御承知願いたいのでございますが、ただ、昨年コスイギン首相が、第二次大戦後きめられた領土は変更できないということを申しておりました。その後ソ連は繰り返しそういうことを申しております。それからもう一点非常に注意すべきことは、北方領土返還要求運動日本の一部の運動だというふうにソ連——そういうふうにほんとうは思っておるかどうか知りませんが、そういうふうに申しまして、これは一部の者の策動にすぎない、しかもそれは日ソ友好関係を阻害するというようなことを、ソ連側日本の人がモスクワへ行った場合に申しておるようでありますし、また、東京でもそういうふうに言っておるようでございます。このソ連が第二次大戦できまった国境というものを動かせない、それを動かすような運動日本でやるのは一部の策動だ、こう申しておるこの二点は私自身としてはどうしてもがまんがならないのであります。これを何としても日本としては打ち砕く必要があると思っておるのであります。  初めの点、すなわち第二次大戦できまった国境問題、これを変えることができないということ、ソ連は初めからそういうことはいろいろ主張しておりますが、私は根本においてそのソ連側主張ヤルタ会談のときの秘密協定に依存しておると思うのであります。いろいろな議論はいたしますけれども、結局終戦の年の二月にヤルタルーズベルトスターリン、チャーチル、この三巨頭の間で結ばれたヤルタ協定というものをソ連はたてにとりまして、いわゆる北方領土はその戦利品だというような考えを持っておるのであります。その点につきましては私の議論もいろいろなものに書いておりますが、この点は日本内部におきましても、また国際的にも、実はだんだん忘れられかけておることでございまして、実は先般私はこの北方領土復帰期成同盟会長といたしまして、北海道青年会代表者二人とともに、国連の本部の所在地のニューヨーク並びワシントンへ参りました。その他ロサンゼルス、サンフランシスコ等でも新聞記者と会見その他のことをやりましたが、アメリカ政府——ジョンソン次官にも親しく私は会ってまいりましたが、アメリカ政府はこの点については非常にはっきりした認識を持っております。ヤルタルーズベルトスターリンに引き渡した千島列島の中には日本固有領土である国後択捉は含まれていないんだということを、これは十六年前に私がロンドン交渉中にアメリカ側は文書で日本にそういうことを伝えてきたのでありましたが、今日もその点は非常によく認識しておるのであります。それからまた、私はワシントンでいまソ連通として有名なチャールス・ボーレン氏に会いました。チャールズ・ボーレンという人は、皆さんも御承知かと思いますが、ちょうど私が日ソ交渉のためにモスクワへ行きましたときに、あそこの大使をしておりました。その後フランスの大使をして引退して、ジョンソン大統領時代は国務省の顧問としてソ連問題を取り扱っておりました。聞くところによりますと、アメリカではソ連問題の専門家としてはいま最も権威のある人といわれておるそうであります。そのボーレン氏が最近本を書いておりまして、その本は「アメリカ外交政策の変化」といいますか、「ザ・トランスフォーメーション・オブ・アメリカン・フォーリン・ポリシー」という本を書いておる。大使館の人が私にくれたその抜き書きを読みますと、皆さんも御承知のとおり、ボーレン氏は非常なロシア語専門家でありまして、ヤルタ会談のときはルーズベルト大統領スターリン首相との間の通訳をした人であります。したがって、ヤルタ会談については非常な真相を知っておる少なくもいま生きておるただ一人かもわかりません。このボーレン氏の本の中に書いてあることを見ますと、ルーズベルト大統領日本終戦にあたって考えておったことは、ドイツも——あの終戦の年の二月でありますから、間もなく降服するであろうけれども、その後日本を降服させるのには一年半の歳月を要するであろう、その間アメリカ軍を多数失うであろう、またヨーロッパから二、三十万の軍隊を極東へ輸送しなければならぬ大問題がある、そこでどうしてもかねて懸案であったソ連の参戦を求めなければならないということで、軍部意見を聞いたところが、軍部は、当時、日本を最終的に降服させるためにはどうしてもソ連を参戦させる必要があるという結論になりまして、そこで、ただソ連はそれに対して非常な条件をつけておる、その条件をのむか、のまないかということが問題になりました。結局ルーズベルト大統領スターリンの提示した条件をのんだわけであります。それが有名なヤルタ秘密協定、その中で南樺太をまずソ連に返す、それから千島列島を引き渡す、クーリール・アイランズ、それからあとは中国の主として旅順、大連、もとの満州の権益についてソ連に満足を与えるというようなのがいわゆるヤルタ密約でありました。私が今度ボーレン氏の著書について特に興味を感じますのは、この密約の中で千島列島——クーリール・アイランズと単純に不正確に言ったことは間違いだった、国後択捉日本固有領土であった、これは間違えて渡したというふうに書いております。この点は日本政府態度、またわれわれ同盟の従来の主張と全く合致するものでありまして、私は非常に意を強うしたのでありますが、私、ボーレン氏にワシントンで会いましたが、それで私の書きました英文のパンフレットも渡しておきました。その拍子に、国後択捉歯舞色丹という四つの島を日本は要求するのだと言いましたら、その点は自分も全く同感だということを言っておりました。そこでわれわれはニューヨークで英国の代表、その他の代表、また新聞記者等にもいろいろこの問題について——アメリカ国連代表にも会いました。この問題をいろいろ討議してみますると、みんな口をそろえて、この問題は、まことに日本主張はもっともである、しかしあまり古いことになったし、その後の国際情勢の変転の中で、いまや忘れられようとしておる、だからひとつ日本としてはでき得る限りこれを世界に知らせる必要があるということを皆さん注意してくれました。私もそう考えて、実はニューヨークワシントンへ来たのだということを申したのでありました。そういう点をひとつこの委員会においても念頭に置かれて、御審議を進めていただけば幸いだと思います。  それからもう一つの、ソ連側主張である、この問題は日本の一部のものの策動である、したがって、こういうことをやっておると、日ソ友好関係をそこなうぞということを最近は盛んに申しております。この点も私はソ連の人には、そうではない、私自身、十六年前にやった交渉のときに、国後択捉日本に渡すことをソ連が最後まで拒否したから、平和条約ができないのだ、平和条約ができなければ、何といっても日本ソ連とのほんとう友好関係ほんとう経済協力というものはできませんよということを、私はモスクワでも昨年申しましたし、またここの大使にもせんだって申したばかりであります。私は決してこの問題を日ソ友好関係を阻害する趣旨でやっておるのではない、私は日ソ友好関係の増進についてはもう十五、六年来熱心にやっておる一人である、ただ、いまの日本国民的確信からいって、国後択捉ソ連日本に返さなければ、平和条約ができないという事態は、これはもう動かすべからざる事態になっておるのだからして、ソ連としても、それをよく理解して、日ソ友好関係の一そうの飛躍のために、国後択捉日本に引き渡してもらいたいのだというふうに私も申しております。  時間の関係もありますし、長い経過を申し上げる必要も皆さん方にないと思いますので、私が最近感じましたことを特に申し上げまして、御参考にしたいと思う次第でございます。  どうも御清聴ありがとうございました。
  8. 池田清志

    池田委員長 ありがとうございました。     —————————————
  9. 池田清志

    池田委員長 なお、松本参考人は、お忙しい御用事のために、早く退席したいとのお申し出がありますから、松本参考人に対する質疑があれば、先にお願いいたしたいと存じます。岡田利春君。
  10. 岡田利春

    岡田委員 松本さんにちょっとお伺いいたしたいのでございますけれども、サンフランシスコ平和条約を締結する講和会議での第二回総会で、当時アメリカ合衆国の代表であったダレス演説をいたしておるわけですが、この議事録内容をずっと拝見いたしますと、当時のアメリカのいわば北方領土に対する認識というものがうかがい知れるのではないか、こう思うわけです。この議事録内容を調べてまいりますと、南千島、北千島あるいは中部千島といわれておる千島について、演説内容としては、当時のビルマその他の諸国から、あまり日本四つの島に押し込めてしまうということは、人口が過密な日本として非常に多くの問題を残す、こういう点についてはむしろ寛大な措置をとるべきではないかというような意見に対して、次のように実は述べておるわけです。「台湾は五十五年間に合計約三十五万の日本人人口を吸収しました。一九〇五年以来日本統治下にあった朝鮮は、合計約六十五万人の日本人を吸収しました。南樺太には三十五万の日本人千島には約一万一千人の日本人がおりました。」こういう数字をあげて、この在住しておる日本人日本本土に引き揚げても、決してそれは人口が過密で非常に多くの社会問題が起きるというような状態ではない。したがって、「かかる状況の下では日本の現在の領土的状態は、何等驚くにあたりません。」という演説を行なっておるのが実は議事録に見られるわけです。さらにまたその前段では、「第二条(C)に記載された千島列島という地理的名称歯舞諸島を含むかどうかについて若干の質問がありました。歯舞を含まないというのが合衆国の見解であります。」このようにまた述べられておるわけです。そういたしますと、当時この第二回総会ダレス長官演説をした内容から見ますと、アメリカとしては、サンフランシスコ条約の第二条(C)項は、結局歯舞色丹については明確であるけれども、いま引用いたしました二つ演説からすれば、明らかに千島列島というものは放棄をしておる。いわゆる南、中部、北いずれの区別なく放棄をしておる、このように認識しておったということがこの議事録演説内容からうかがい知れると思うのですが、そういう当時の認識については誤りはございませんか。この点についてもし御見解がありましたらお伺いしたいと思うのです。
  11. 松本俊一

    松本参考人 当時、サンフラスシスコ会議のときにダレス・アメリカ全権がそう申したことは私もよく知っております。いろいろないきさつがあったことも存じております。
  12. 岡田利春

    岡田委員 もう一つ、当時わが国吉田全権最終日に述べられているわけですが、ここで特に主張しておるのは、北方領土として歯舞色丹はもちろんのこと、千島全島について日本考え方を述べておるわけです。歯舞色丹北海道付属島嶼であり、国後択捉はこれはもう日本固有領土である。また得撫以北占守に至る十八鳥についても、これはもう千島樺太交換条約で平和的に取得したものです。ですから当時の吉田全権主張からいえば、単に歯舞色丹国後択捉ではなくして、千島全島そのもの日本が平和的に取得したものであって固有領土なんだ、こういう演説が述べられておるわけです。当時の吉田全権北方領土に対する認識というものは、歴史性は違いますけれども、固有領土としての考え方千島全島をさしておる、こう私は理解できるのではないかと思うのですが、この道の専門である松本さんのこのときの御見解、どう思われているか、お伺いしたいと思います。
  13. 松本俊一

    松本参考人 その点はここであまり詳しく申し上げる時間もございませんので何ですが、実は私の書きましたこの本の中に詳しく書いてありますが、アメリカは確かに考えが変わったのであります。というのは、先ほども私はボーレン大使意見を引きましたように、何と申しましても、ルーズベルト大統領ヤルタで無条件千島列島を渡しておりますから、それをソ連も列席しておったサンフランシスコ会議でとやかく言うことはダレスも控えたと思いますが、しかしその後になりまして、私が先ほど申し上げましたように、アメリカ政府は一九五五年、すなわち私がロンドン会議をしておりましたときの十月に、「サン・フランシスコ平和条約起草に主な役割を演じた米国政府は、当時同条約第二条C項にいう「クリール諸島」(千島列島)とは、国後択捉両島を含まないものと了解していたかどうか。」この二点の質問に対して、米国政府からは次のような回答がもたらされたのであります。「ヤルタ会談では、千島列島地理的定義が下されたことはなく、また千島歴史についても討議はなかった。ヤルタ協定領土権の譲渡を目的としたものでもないし、効力をもつものでもない。ヤルタ協定当事国が以前ロシア領でなかったいかなる領土ソ連に領有させる意図をもったという記録は全くない。」つまり「ヤルタ協定当事国が以前ロシア領でなかったいかなる領土」というのは、国後択捉のことでありますから、それを「ソ連に領有させる意図をもったという記録は全くない。」こういうことを申してきておるのでありまして、これでアメリカ意図は、国後択捉日本固有領土であるということをはっきり認めておるわけであります。そのアメリカ政府の了解が、この間私がワシントンへ行きましても変わっていないことがよくわかったわけであります。
  14. 岡田利春

    岡田委員 いま松本さんから述べられたのは、一九五六年九月七日に覚え書きとして当時のダレス長官から出されておるわけで、その中に、言われたようにヤルタ協定の問題、さらに国後択捉両島についての見解が出されておるわけです。しかしヤルタ秘密協定、さらにまたサンフランシスコ平和条約会議で主役を演じたのは、これまたアメリカであるわけです。そして五六年にこの覚え書きが出されておるわけですが、そういう意味からいえば、わが国アメリカの両国の関係からいって、そういうアメリカ見解というものが、その後出された覚え書きの線に従って、国際的な注意の喚起とかあるいはサンフランシスコ平和条約の解釈とか、こういう努力を積極的になされておることはわれわれは実はあまり承知をしていないわけです。それと同時に、ヤルタ秘密協定についての場合もアメリカが主役を演じておるわけですから、協定及び条約についてアメリカが主体的な役割りを演じた、そういう責任といいますか、そういうものがあるのだと私は理解していいのではないかと思うのです。しかしながらその後長い年月を経過しております。今日の国際情勢の変化もあるでしょうが、協定、条約の特に主体的な役割りを演じたアメリカ自身として、日本友好関係にある国として、北方領土の問題について国際的に積極的に日本の立場を支持し、具体的な働きかけをするという点については私どもは承知してないのですけれども、この点何か特別の動きがあるか、お伺いできれば幸いだと思います。
  15. 松本俊一

    松本参考人 政府もその点については努力をしておられることと私は思っておりますが、私自身としても、先月ワシントンへ参りましたのも、そういうお話しのような考えに基づいてこの際国後択捉日本固有領土だというアメリカ態度を、記憶を新たにしてさらにその点についてアメリカ政府にも努力してもらいたいということを印象づけるために、北海道の青年代表も連れてまいったようなわけでありまして、私自身としては及ばずながら努力をいたしておりますし、そのことは政府もよく存じておるのでありまして、今後もそういう方向に政府が努力していただくことと思っております。
  16. 岡田利春

    岡田委員 どうもありがとうございました。
  17. 池田清志

    池田委員長 ほかに御質疑がなければ、松本参考人に対する関係はこれで終了さしていただきます。  松本参考人には、お忙しいところをおいでいただきまして、貴重な御意見を拝聴させていただいて、まことにありがとうございました。厚く御礼申し上げます。
  18. 池田清志

    池田委員長 次は根室市長横田俊夫さんにお願いいたします。横田参考人
  19. 横田俊夫

    横田参考人 ただいま御指名をいただきました根室市長横田俊夫でございます。  本日、衆議院の沖繩及び北方問題に関する特別委員会出席することができまして、意見を申し述べる機会を得ましたことを、心から感謝を申し上げたいと思います。私のこれから申し上げますことは、根室五万市民の総意によって、私が市民の代表として申し上げるというふうにお聞き取りをいただきたいと思うわけでございます。  この北方問題につきまして根室市民がいま考えておりますことは、まず第一は領土復帰の問題であり、第二は安全操業の問題であり、第三はこうした問題未解決のためにいろいろ行き悩んでおります国内における行政措置の推進、この三つに実はしぼられるわけでございます。  そこで第一の北方領土の復帰の問題でありますが、このことにつきましては、松本先生からいま詳しくお話もございましたし、さらにまたあと参考人からもお話があろうと思いますし、安全操業の問題につきましてはそのほうの専門家である北海道漁業協同組合連合会の川端さんも見えておりますので、私はこれらの二点についてはごく簡単に申し上げたいと思うわけでございます。  まず根室市の領土返還に対する過去二十五年間の運動歴史を申し上げてみたいと思いますが、御承知のように昭和二十年の八月に終戦になりましたときに、ソ連は、占守島から千島を占領すると称して順次南下してまいりました。一応得撫島で占領を終わったといって北上したことは、すでに先生方承知のことと思います。そこで択捉国後歯舞色丹、これらの島にあらためてソ連がまた占領に参りましたのが八月の三十一日、九月一日、九月二日、これはあらためて占領に参ったわけでございます。そのときにアメリカの兵隊はいないかということを島民に聞きながら上がってきておる。そこで当時の根室市民は、ソ連の占領は間違いだ、根室市民も、当時ヤルタ協定のことも秘密協定のこともうすうす知っておりまして、ソ連千島を占領するということはうすうすわかっておったわけであります。しかし択捉以南の島々については、どのように考えても、これはクーリール・アイランズには入らない、だからこれは間違いであるというところから、当時の安藤石英という町長を中心にいたしまして、当時はまだ返還ということばは使っておりません、ソ連が占領したのは誤りであるから、アメリカ軍が占領すべきである、こういうことで、実はマッカーサー司令部へ昭和二十年の十二月に陳情したわけでございます。当時は、御承知のとおり、戦争の終わったばかりのごたごたでもありますし、ソ連アメリカとは連合国でございますから、あまり聞き入れていただかないでいるうちにサンフランシスコの平和条約ができた。そのサンフランシスコの平和条約の中にも、日本が主権を放棄したという地域は、いわゆるクーリール・アイランズである。千島ではないのだ。クーリール・アイランズすなわち千島というような解釈をするから国後択捉も入ってしまう。それじゃクーリール・アイランズというのはどこかということになりますと、御承知のようにこれは一八五五年の日魯通好条約、さらにまた一八七五年の千島樺太交換条約、特にこの千島樺太交換条約等は、御承知のように、クーリール諸島すなわちこれこれの島だといって、十八島がちゃんと書いてあるのです。ですからクーリール諸島というのは得撫から北の十八の島なんだ、すなわちということですから、もうこれはクーリール諸島はすなわちこの十八の島だというふうに、根室の市民は実はその当時から解釈をしておるわけであります。ですから、この平和条約ができて以後は、私どもはこれらの島々に対しては早く返してほしい。その前は北海道付属島嶼復帰期成同盟というものをつくりましてやっておったわけでありますが、その後もこれらの島々についてはすみやかに日本に返してほしいということで、実は運動を続けてまいったわけでございます。もちろんああしたいなかでございすし、法律的の知識ももちろん先生方から見ればまことに幼稚なものとは思いますけれども、この主張は根室の市民の先祖代々のはだで感じた、これらの島々は絶対われわれの故郷なんだ、絶対にまだ外国に占領されたこともないし、ソ連に引き渡す理由がないんだというようなことから、実はこうした主張が今日でも続いているわけでございます。その後、実はこの辺に誤りがあってはいけませんので、毎年のように根室市の住民大会、あるいは根室支庁管内各市町村の住民大会を開いて、この運動方針に誤りがあるかないかということで、誤りがないということを毎年のように確認を得ながらやっているわけでございます。ですから、これは根室地方の住民の総意というふうにお考えをいただいてけっこうだと思うわけでございます。  次に、安全操業の問題でございますが、これについては、先ほど申し上げました専門家川端さんが来ておりますので、川端さんからお話があると思いますので省略をさせていただきますが、ただこの中で、私は非常に残念に思いますことは、いまでも毎日のように拿捕をされておる。いままでに戦後一千隻をこえる漁船が拿捕をされ、一万人をこえる漁船員が拿捕をされているわけでございます。もちろん皆さま方のたいへんなお骨折りによりまして、つい最近全員が釈放されて、拿捕ゼロ、抑留漁船員ゼロということになりましたが、すでにその二、三日あとにはまたさらにつかまる。  そしてこのつかまった人間がどういう目にあっているかということを申し上げますと、これはソ連のほうでもそれほど非人道的な扱いはしていないようでございますけれども、しかし中には、強制労働中あやまって転落をして半身不随になって帰ってきたというようなこともございます。さらにまた、抑留中、どのような理由か知りませんが、自殺をしてしまった、こういう人もいるわけであります。さらに、拿捕をされますときに、向こうの船にぶつけられて沈んで死んでしまったというような人間も、御承知のとおり十数人おるわけであります。そういうような悲劇が毎年のように繰り返されておる。しかも抑留された家族は、働き手、男手を失って、船は没収をされて生活にも困っておる、こういうような状況でございますから、私が実は根室市の行政の責任者として、ほんとうにこれは見るに忍びないし、何とかこの点は先生方のお力によってこうした拿捕事件がなくなるように、格段のお取り計らいをいただきたいと思うわけでございます。  第三は、これらの問題ともちろん関係がございますが、内政措置の問題でございます。先ほども申し上げました領土復帰の問題と、さらにまたこの安全操業の問題につきましては、ソ連を相手に事を進めなければならないわけでありますから、これはなかなかむずかしい問題であり、時間のかかる問題であり、私どももそう簡単にできるとは実は考えていないわけでありますけれども、第三の国内の行政措置については、これは政府がやってくださるつもりならばいますぐにもできるわけであります。ですからこの点については、実はこの特別委員会ができ、さらにこの問題を総理府で扱っていただくようになりましてからずいぶん進んだわけでありまして、現地の人間は心から感謝を申し上げておりますけれども、これから申し上げるような点についてはまだ解決がついておりませんので、これらのことについて特段の御配慮をいただきたいと思うわけでございます。  まず第一は拿捕防止の対策でございます。これはいまソ連のほうでも、愛知外務大臣の提案についてさらに具体的な資料を出せ、要求を出せというようなことでまいっているようでありますから、ある程度は進むと思いますけれども、私は、これで拿捕が全部なくなるというふうには考えておらないわけであります。これは御承知のように、根室地方の漁民ばかりではなくて、本州方面からもどんどん入ってきているわけでありますから、こういう三海里ということでかりに実現をいたしましてもなかなかこれはむずかしい。  そこでこの際ぜひお願いを申し上げたいことは、こういうあぶない海面に出かけなくても魚がとれるような措置を、これはずいぶん手間はかかるかもしれませんが、何とかそういう方法を講じていただきたい。これは水産庁等でいろいろと沿岸漁業振興対策として沿岸に魚族を繁殖させるというようなことをやってくださっているようでありますけれども、水産庁のワクだけでは、これは全国にばらまくわけでございますからあまり大きな予算をもらえないので、拿捕防止対策として特別にこうしたことを実施していただきたい。幸いにも、ことし水産庁は根室の近海でカニのふ化から養殖まで全部ひとつ行なってみよう、これは成功するかどうかわからぬけれども、やってみようというようなことをやってくださっております。さらにまた小樽の近海で樺太マスの養殖をするというようなことも聞いております。ですが、これは小樽の近海ばかりではなくて、根室の近海もサケ、マスの生育にはまことに適しておるところでありますから、こうした施策をどんどん進めていただければ、こういう危険な海面にも出かけなくてもいいのじゃないか。もちろんこれらについては技術的にはたして可能なものかどうか、どの程度できるかどうかわかりませんけれども、こうしたことについてひとつ格段の御援助をいただきたいと思うわけでございます。  それから先ほど申し上げましたように、いろいろの問題で解決をいただいておりますけれども、いま残っておりますのは戸籍の問題でございます。これは実は、戸籍をいまの占領されておる北方領土へ戻しても何にもプラスにならぬでないかということで、お取り上げをいただいていないそうでありますが、プラスにもならぬかもしれませんが、マイナスにもならぬと思うわけであります。自分の国であるという以上、戸籍の扱いぐらいはしておきませんと、将来これは国際間でもし帰属問題等が論ぜられるようなときに、日本は戸籍も扱っていないじゃないか、もう放棄したのじゃないかということになっても不利だと思いますし、さらにまた、これらの島々に本籍を残したいというのは引き揚げ者の皆さんの熱烈な願いでございますから、現在根室市役所に三十通ほどの実は戸籍を移してほしいという転籍願いですか、そうしたものが出ております。ですけれども、これはお役所のほうの御指示でそのままとめおいておりますけれども、こうした問題についてぜひ御解決をしていただきたい。ただしかし、こうした問題、いろいろ法律的には問題になると思いますので、私は、こうした問題を一挙に解決するのは、やはりこの北方領土、この島々を日本の国の自治行政としてどこが扱うかということをきめていただくのが、これが実は先決問題だと思うわけでございます。これらの北方領土の中でも歯舞諸島についての戸籍は根室市が扱っております。と申しますのは、この歯舞諸島はもとの歯舞村でございますから、歯舞村は根室市に合併したということで根室市は扱っております。あとの三つの島々について、これらもぜひ根室市の行政区域に編入するような方法を講じていただきたい。そうしますと、いまの戸籍の問題も解決をいたしますし、これからお願いを申し上げようと思いますところの、根室市のこうした問題にばく大な支出をしておりますこの経費のことにつきましても、地方交付税で見ていただけるわけでありますから、この点をぜひお取り運びをいただきたいと思うわけでございます。日本領土となり、北海道の行政区域に入り、そして市町村、自治体の区域のどこにも属さないということはやはり適当でないと思いますので、こうした問題について特にお取り計らいをお願い申し上げたいと思うわけでございます。  最後に、こうした問題のために、実は根室市がいままで二十五年間ばく大な市費を投じていろいろ領土復帰の運動をやり、あるいは抑留漁船員の援護の取り計らいをしたりしてまいりました。実は私も議会で、貴重な市費を使ってこういうことをやるのはけしからぬというようなお話を言われたこともございます。市民の中にはそういうことを考えておる方も少しはおるわけでありまして、私は当然これはやはり国の施策としてお願いを申し上げたい。ですから、根室市に対してひとつ財政援助をお願い申し上げたいと思うわけでございます。  以上、たいへんざっぱくでございますけれども、市民にかわりまして根室市の希望している諸問題、それから今日までの歴史的の経過について御説明を申し上げましたので、何ぶんよろしくお願いを申し上げたいと思います。  (拍手
  20. 池田清志

    池田委員長 次は梅原参考人にお願いをいたします。
  21. 梅原衛

    梅原参考人 ただいま御指定をいただきました、私は北方地域ただ一つの島民団体でございます千島歯舞諸島居住者連盟の常務理事で、終戦当時の色丹の村長でございました梅原衛でございます。私の在任中に失った島でございますので、あのような状態になっておることにつきましては深く自責の念にかられておるわけでございます。  本日、国政のきわめて御多端なおりから、貴重な時間を御割愛いただきまして、北方地域の引き揚げ島民の実情についてお聞き取りいただきますことは、私のまことに光栄とするところでありますとともに、二万の島民とともに深く感謝を申し上げる次第でございます。  私は、北方地域の引き揚げ島民の実情をかいつまんで申し上げますとともに、私ども懸案考えております二、三の事柄について御要望申し上げたいと存じます。  戦後すでに四分の一世紀を経過いたしまして、もはや戦後ではないというのが世上一般の常識であろうかと存じます。また、敗戦で受けた打撃はひとり北方地域のみの問題ではございませんこともよく承知いたしておるわけでございます。私どもは国家利益に沿うことを根本として、究極的には失われた民族の遺産である島の回復、日本復帰のことを目標といたしておるものであります。したがって、われわれ島民は自主更生をモットーとして努力してまいる決意のものでありまして、いたずらに引き揚げ者というような好ましくないレッテルをかざして他力に依存するような考えはないわけでございます。  しかしながら、北方問題はまことに低調である、かように申されますごとく、また内政の面におきましても国民的にあるいは同じような環境にある同胞に比べまして取り残されておる面がありはしないかということが考えられるわけでございます。もしそうでありましたならば、われわれも国民並みの処遇をちょうだいいたしたいというのが島民の念願でございます。一がいに戦争地域からの引き揚げ者と申しましても四百万も数えられる、その中の状況はさまざまなものがあろうかと存じます。  私ども北方地域は次のような特殊の事情があるように考えておるわけでございます。  その第一は、四百年来長期にわたって父祖が開いた固有の領域であり、われわれの先人がまだ交通の開けなかった北辺の地を墳墓の地と定め、開発にあたって築いた郷土でございます。昭和年代になって渡島した者が約二九%でございますが、その他の者も明治、大正にかけて長い間かの国に住みついて、だれ一人としてここは外地であるというふうに考えた者はなかったわけでございます。すぐ根室から目と鼻の先にある島々からの引き揚げは、どなたがお考えになっても安易なふうにお考えになることは当然のことと思われますが、しかし私は北方地域の引き揚げの特徴というものを二、三述べてみたいと存じます。  その一つは、島が今日の状況にあることを全く予知しなかった不意打ちの引き揚げを余儀なくされたわけであります。なお、当時は島の帰属に迷っておったわれわれが、政府の出先機関であります支庁当局から現地に踏みとどまって生業にいそしめ、このような指示もございましたので、大部分の者は、かの地にソ連が参りましても、一るの望みをかけて残留をいたしたわけでございます。  その第二番目は、ソ連だけが行ないました仕打ちによって労働力搾取のために抑留をされたわけでございます。あの一刻を争う経済混乱の最も激しい時期に、三年あるいは四年立ちおくれて追放されたわけでございます。したがいまして、その立ちおくれで生活戦線に非常なハンディがついたことであります。たとえばバスに乗りましても先客に占められ、着席ができない。立ってさえ容易でないというような状況に戻ったことが大きく尾を引いておることでございます。働こうとしても働き口がなく、また開拓農業に入りましても人の食い荒らした条件の悪いところでございます。本来の生業であります漁業をやりますにいたしましても、もう海がふさがっておる、余地がない、かような状況で立ちおくれて本土に転入したということが、生活に大きな影響をしておるわけでございます。  三番目には、抑留された者につきましては、日本貨幣はもちろんのこと、預金、貯金の通帳も取り上げられ、まる裸の姿で、いわゆる無一物の状況で帰ってきたことが抑留引き揚げ者の特徴でございます。しかもあの七キロ先の水晶島の果てまでも、全部が樺太経由で一カ月ないし二カ月を要して帰ってまいった、こういうことでございます。  なお、これらの抑留者は、島を放棄して退散することが将来彼らに領土問題に対する口実を与えることになりはせぬかと、このような純情な気持ちで残ったわけでございます。このようなケースの者が全体の五二%、その他の者はソ連が上陸してまいりました以後、翌年の三月ごろまでに自船あるいは他の船に便乗いたしまして、わずかながらも荷物を持ち込んで帰った者が約四八%でございます。俗にこれを脱走引き揚げと私どもは申しております。これらの人方は早くに定着地を求めまして、多少の持ち帰った物資のおかげで生活再建には大きくプラスになったわけであります。  第四には、北方地域の生活は漁業でございます。ほとんど全島民は漁業で生きておった。つまり魚をとる以外生活のすべてを知らなかった者でございます。これが本土に参りまして、割合で申しますと、島におった当時は約七六%が漁業でございましたが、本土に転入してまいりましてはその本来の漁業に携わることができなくて、転業を余儀なくされた。しかも勤労階級に転落した者が七八%もあるようなわけでございます。彼らの生来の漁業に復帰できた者は三十三年の調査では二一%となっておりますが、三十八年の調査ではわずかに一四%に満たない者だけが漁業に復帰できたと、かようなことでございます。お手元に差し上げました資料の中にそのことが書いてございます。  この調査は実は相当時点が古いので、私どもとしては最近の実情を握りたいということで数年以前から道あるいは国のほうにこの調査の実施をお願い申し上げておるわけでございますが、幸いにいたしまして、四十五年度の政府予算で政府がおやりになるようになったことは、私どもまことに喜びといたしております。だがこの調査費は、前回の調査費に対して残念ながら三分の一程度の予算しかついていないようであります。このようなことではたして期待できる調査がまとまるかどうかということを私どもは懸念しておるわけでございます。資料の中に書いてございますが、職業別で当時の調査で収入の状況を比較してみますると、漁業はやはり何としても島民のお手のものでございまして最高の収入をあげておりますが、漁家収入を一〇〇と仮定いたしますと、農業が一〇〇に対して三六、その他の営業が五六、勤労者では事務系統、技術系統、あるいは学校の先生等を含めましたものが一〇〇に対する三四でございます。農漁業雇用者が二七、職業工作員等が一〇〇に対して二〇、かような割合にあらわれたわけでございます。さらに漁業につきましては地域別に格差がございます。何と申しましても北方海域に近い根室地域は、同じ漁業者の中でも最高の収入を示しておるわけであります。  本来の漁業に復帰できなかったということは、何としても北方地域引き揚げ者の致命傷でございます。このようないろいろの事情が折り重なって、いわゆる脱走引き揚げ者とそれから抑留をされて引き揚げさせられた者を比較いたしますと、非常なハンディができております。三十三年の調査では、自由に引き揚げた——自由と申しますと語弊がありますが、いわゆる脱走して引き揚げた者を一〇〇といたしますと、抑留して一年早く引き揚げた者が七一、さらに一年おくれて二十三年に引き揚げた者が一〇〇に対する五二でございます。さらに三十八年の調査にいたしますと、一〇〇に対して一年早く引き揚げた者が九三、最後に引き揚げた者が七八というふうに、やはりこの間の開きは依然としてあるわけであります。  この事情を生活援護の状況にとってみますると、全国の平均が当時で千人に対して一七・六四でございます。北海道が平均して千人に対して一七・九三、それから北方地域の脱走引き揚げ者が千人に対して一八・二一と、ほとんど全国平均あるいは北海道平均と大差がないわけでございますが、抑留して引き揚げた者は千人に対して三二・〇八、さらにこれを地域別に見た場合には最高は千人に対して六〇・七三、このような大きな開きがあるわけであります。  このように引き揚げの状況によって大きな断層ができて、この関係はさらに長期にわたって後遺症として残るものと考えます。島では目抜きの地所を一人で六十筆以上も持っておった者もあるわけでありますが、したがって島では島の王者あるいは海の勇者というふうにあがめられておった者が、本土に引き揚げては、あたかも羽をなくした鳥、ひれを切られた魚のようなものでございます。もうすでに七十を越した老人がある工場の夜警番をしてかろうじて糊口をしのいでおるというふうな状況あるわけであります。この人などは、いわゆる村の開拓功労者として、その父親は開拓碑を刻んでもらっておるわけであります。親子ともに万年村会議員で過ごしてきたというプライドもありまして、公費にたよるようなこともなく、はなはだ気の毒ではございますが、先祖のりっぱな大事な位はいをミカン箱に納めて朝な夕な昔の島の生活をしのんでおる、このような状況でございます。  私事に触れましてまことに恐縮ではございますが、たとえば私の場合でも、私は七人の子供を持っております、その七人のうち二人はかろうじて義務教育中学を終えさした、このようなことでありますので、親といたしましてはやはり責任を感じておるようなわけでございますが、このようなことは千島島民の通常のことだ、かように考えるわけでございます。  以上で島民の概況を簡単に申し上げましたが、私の意見というよりは、元居住者側を代表して次の事柄を御要請申し上げたいと存じます。  その第一点は、領土復帰の推進のことであります。このことにつきましては、先ほど両参考人から述べられましたわけでございますが、千島連盟は以前は千島列島居住者連盟として昭和三十年に始まったわけでございます。ちょうど日ソ交渉のさなかでございますので、いわゆる領土問題の島民としての発言権を持とう、かようなことがいきさつになっておるわけでございます。したがいまして、私どもは現在主張しております択捉以南の四島の返還を提言いたしまして、終始一貫今日でもそのような運動を進めてまいっておるわけでございます。島に帰ることが最大の望みでございますので、この点につきましても先生方の格別なる御尽力をお願い申し上げたいと存じます。  第二点は、北方問題に対する啓発費を国が相当増額していただきたいということでございます。昨年の十月、関係方向の熱烈なる要請がかなえられまして、北方領土問題対策協議会という特殊法人が発足したわけでございますが、私ども島民はこの発足に対して大きな期待を持っておるわけでございます。しかしながら、この原動力ともなります事業費の予算額は、かように申し上げては失礼でございますが、一北海道地方の領土対策事業費に対する二〇%程度しかないということでは、この領土問題を全国的な国民運動に発展させることは、とうていおぼつかないことではなかろうか。この設立の目的と全国民の切なる要請に対して、大幅な増額をお願い申し上げたいというのが、島民の全体の希望でございます。  第三点は、千島連盟に政府の財政援助の道を講じていただきたいということでございます。北方領土問題の低調である原因の一つは、沖繩には百万人近いわれわれの同胞が現住しておるけれども、北方には日本人の居住が許されておらないわけであります。なおまた、島の生産に逆比例して、かの地には、一万七千程度のきわめて少数なものでございます。このような劣勢の立場を緩和するものは、やはり島民団体の活動でなければならない。島民は、少ない数の島民でございますけれども、領土復帰運動中心に飛び込んで、そして国民の皆さまの協力を得て、声を大にする以外にはないと存ずるわけでございますが、しかし、昨年の北方団体の制度の変革によりまして、従来、南方同胞援護会と千島連盟との関連におきまして運営してまいりました連盟財政にとりましては、年間予算の三〇%程度の財源を失ったということで、現在、悩んでおる次第でございます。これらの点につきまして、政府の財政援助の道を講じていただきたいと御要望申し上げるわけでございます。  次は、ただいま横田参考人から申し述べられました、北方地域の戸籍事務所の開設の問題でございます。だいぶ以前からいろいろと政府当局にも要請申し上げてありますが、いまだに実現をしておらないわけであります。現在、北方地域の六カ村には、戸籍事務を取り扱う機関がないわけで、したがいまして、次のような問題があるわけでございます。  まず第一に、戸籍法には、日本国じゅう、どこにも戸籍が置けるようになっておるわけでございます。そのようなことから、先ほど横田参考人から申されましたごとく、根室市にすでに三十件も転籍を希望して申し出をしておるということであります。  過去の調査によりますと、島が返ったならば直ちに帰島するという希望が八〇%以上出ておるわけでございます。このような人方が、自分の帰島を希望する土地に在籍を認めてもらうということは、郷土を愛し、国を愛し、さらにひいては、これが北方領土問題を盛り上げる動機になると信ずるわけでございます。  このような基本的な施政権までも行使しないということは、領土復帰に対するわが国の姿勢が疑われ、また、国際上、第三国に対するいわゆる時効中断の口実を与えるおそれもありますので、この問題は、私どもぜひ実現していただきたい、やっていただかなければならぬ、欠くべからざる国内問題の整備、このように存ずるものでございます。  それから、転籍あるいは就籍。時期によって転籍を認められた時代があるわけであります。昭和二十六年、つまり平和条約発効前までは、普通町村と同じように転籍を認められましたが、なおそのあとは、いわゆる就籍によらなければならなかった。このような関係で、終戦後転籍あるいは就籍以前になくなった者は戸籍から抹消されていないのであります。したがって、戸籍を扱う機関がないわけでありますから、これらの人方の除籍簿の謄本の交付を受けることはできないのであります。したがいまして、現在行なわれております引揚者に対する特別交付金の請求も遺族給付金の請求には、そんなことがはっきりしなければならぬわけでございます。また、政府の御配慮によって今月一日から北方地域に対するいわゆる残置財産の相続登記にかわる扱い方法が認められたわけでありますので、この点は島民も心から喜んでおるわけでありますが、この相続登記の手続にも、除籍謄本が伴うわけでありますが、これらのいわゆる死亡の除籍謄本を得られないということは、これは該当者にとってはたいへんな物質的な被害を受けておるということも言えるわけであります。  なお、かつて政府指導されたいわゆる昭和二十六年以後の就籍による戸籍については、不完全なものがあるわけであります。身分事項の記載されていないものがあるわけでありますので、これらを集中的に指導するために、法務局根室支局等に戸籍取り扱い事務所、町村にかわって扱う事務所を設けていただきたいということであります。  次は、旧漁業権の買い上げの問題でございます。時間が迫っておりますので簡単に申し上げますが、政府は新漁業法を施行するにあたり、旧漁業権の買い上げ措置が行なわれたことは御高承のとおりでありますが、あの地域は施政権が及ばないということで、当時、買い上げが行なわれていなかったのであります。ところが、実際には、色丹漁業会の例を見ましても、距岸三万メートルの専用漁業権の海域を持っておりますが、ちょうどあの三角地域と称される公海の部分はまるまんま色丹の専用漁業権海域に入るわけであります。なお、政府は、目下、対ソ交渉安全操業海域の拡大を要請されておるのでありますので、この北方地域の旧漁業権はこの辺でひとつ解決をしていただきたい。そうでなければ、旧漁業権は他の漁業者によって使用されておるということに相なるわけであります。この点につきまして特に先生方の御尽力をお願い申し上げたいと存じます。  次は、昭和三十六年に、北方地域旧漁業権者等に対する特別措置に関する法律というのが出まして、その法律に基づきまして、十億の政府国債があと一年後、四十六年の十二月には実施されるということで、関係対象者は首を長くしてそのことを期待しておるわけでございます。なお、特にこの北方地域の引き揚げ者は事業資金等が必要なわけでありますけれども、無財産の者が多く、事業資金の借り入れには抵当権、抵当物資を提供しなければ借り得られないのであります。したがいまして、この十億の、事業拡大に伴いましてこれらの無資産、いわゆる無抵当者に対して借り得るような措置のために、保証協会制度の採用等を特にお考えをいただきたいというのが、旧居住者の一般の希望でございますので、何とぞこの点も御配慮をちょうだいいたしたいと存じます。  以上、北方地域引き揚げ者の意見代表いたしまして申し上げたわけでございますが、特にこの漁業権の補償あるいは旧漁業権者等に対する法律に基づいて行なわれますところの国債の償還等は、さっき申し上げました北方地域引き揚げ者の特殊性に対処するきわめて緊急な問題であると、かように考えますので、よろしく御配慮ちょうだいいたしたいと存じます。  たいへんざっぱくで御説明にもならなかったわけでございますが、以上、島民の概況を申し上げますとともに、要望事項を申し上げまして、私の意見にかえさせていただきたいと存じます。  たいへん長い間御清聴ありがとうございました。感謝申し上げます。(拍手
  22. 池田清志

    池田委員長 まことにありがとうございました。  次に、川端元治参考人にお願いをいたします。川端参考人
  23. 川端元治

    川端参考人 私は、北海道漁業協同組合連合会の川端でございます。  本日は、国会開会中のきわめて政務御多端なおりからにもかかわりませず、北方近海におきますところの漁業問題について、つぶさに現地事情の陳述を申し上げる貴重な機会をお与えくださいましたことに対しまして、私はもとより、関係者一同衷心より厚くお礼を申し上げる次第でございます。  私は、このたび第十四回の日ソ漁業交渉政府顧問といたしまして訪ソしてまいりました。五月の三日に帰国させていただいた次第でございます。訪ソ中、幸いイシコフ漁業相が訪日をされまして、再び北方近海安全操業の問題が解決への前進を示されたとの報道を受けまして、非常に心うれしく思って実は帰国いたしてまいったのでありますが、さらに本日、本委員会参考人として招聘を賜わりまして、非常にありがたく、かつ感激にたえない次第でございます。  私は、日ソ漁業条約締結以来、漁業交渉のつど、今日まで引き続いて政府顧問を拝命をいたしまして、訪ソいたしてまいりました。また、かつての貝殻島周辺におけるコンブの漁業協定の交渉にも毎回モスクワにお使いをいたしまして、何回となくソ連との交渉に参画をさせていただいておりまして、いかに対ソ外交のむずかしいものであるかということを、身をもって体験をいたしておる者の一人でございます。終戦直後の昭和二十年の十二月、先ほど根室市長から申し上げましたように、当時の根室町長でございました安藤石典氏らとともどもに北海道付属島嶼復帰懇請委員会というものを組織いたしまして、島よ返れの声をマッカーサー司令部に直訴もいたしました。さらに人道上の問題といたしまして、北方近海安全操業問題の確立のための運動を今日まで展開してまいりました私のいささかの見解を申し述べまして、本委員会の御調査参考とされますならば、非常に幸いだと思っておる次第でございまして、当委員会のますますの御審議によりまして、一日も早くこの不幸な北方近海での漁業問題が解決をしていただきますように、この機会に切にお願いを申し上げる次第であります。  すでに御案内のとおり、本問題は昭和二十年八月九日に、終戦のちょうど一週間前でありますソ連の対日参戦とともに、南樺太千島列島にまでソ連の軍隊が進攻してまいりまして、何らの交戦のないままに終戦と相なりまして、直ちにソ連単独の占領下に支配をされるに至りましたことに、今日の悲劇が始まっておるわけでございます。  日本は降伏によって、すべてその国政は連合国の占領下に置かれたのでございますが、漁業もまた連合国軍総司令部の管理を受けるように相なったわけでございます。そして昭和二十年の九月に連合国の司令官一般命令第一号第四項によって、漁船を含む一切の船舶の移動が禁止をされました。一時はすべての漁労活動は停止をされました。以後漸次これが解除をされながら、昭和二十七年二月の対日平和条約の発効とともに、いわゆるマッカーサーラインの完全撤廃によりまして、漁業の活動が戦後八年にして復活をされたのであります。  しかしながら、ソ連官憲による日本漁船の拿捕事件は、この連合国総司令部の措置のいかんにかかわりませず、すでに終戦の翌年たる昭和二十一年から発生をしており、依然として今日なお絶えることなく続けられ、その数におきましては延べ千三百十五隻、その漁船の乗り組み員数におきましては一万一千百三十六人に及ぶという状態でございます。これはまことに膨大なものでございます。ちなみに、かつてのいわゆる李ラインの設定によりまして、韓国官憲に拿捕されました漁船数は、御案内のとおり、延べ三百二十六隻かと聞いております。その乗り組み員数におきましては三千九百四人、これを比べてみますと、漁船においては四倍、人においては二・八倍の多きに達しておるのであります。また、この海域での漁船はいずれも小型のものでございまして、朝鮮海域でのそれとはすこぶる異なる特徴を持っておるという実情でございます。  さらに、この拿捕件数を海域別に見てまいりますと、北部、中部千島及びカムチャツカ海域、その海域におきまするものが百七隻であります。樺太沿海州海域が二百五十六隻と相なっております。その総数のうち、実に七二%に及ぶ九百五十二隻の小漁船は、すべていまだに未解決のままに放置されておりますわが国固有領土たる四島周辺海域において起こっているのであります。しかも今日までソ連にいまなお拿捕抑留をされている漁船数は四百八十四隻に及んでおります。先般の全員釈放後、先ほど根室市長から申し上げましたように、その後さらに拿捕抑留をされた乗り組み員は九人でございます。また、異国の地で病死をいたしました者が十人に及ぶという実情にありますことは、これまた悲惨なことと言わねばなりません。また、直接拿捕されなかったとはいいながら、ソ連監視船に追跡され船体を激突せられて沈没し、乗り組み員全員がそれによって死亡をいたしたという、昨年八月九日に発生をいたしました第十三福寿丸事件、ああいうような不祥事も今日まで三件に及んでいる次第であります。  なお、これまた直接の拿捕ではございませんけれども、本年の三月十七日に南千島沖合いで、いわゆる単冠沖合いでございますが、低気圧によるしけを避けて緊急避難をいたしました北海道東部の底びき漁船が、流氷のために一挙に八隻も遭難をいたしまして、三十人のとうとい犠牲者を出しましたことも、これまた北方領土問題の未解決に伴います犠牲者としてあげても差しつかえないのじゃないかと存ずる次第であります。  しからば、何ゆえに戦後すでに二十五年もたった今日、この平和な日本社会において、まことに悲惨な拿捕抑留事件が絶えることなく、しかもこの北辺の地域のみにおいて続けられておるのであろうかを考えねばならないと思うわけでございますが、率直に申し上げますと、このことはいまもってわが国北方領土問題が未解決のままにあるからという一語に尽きると思うのであります。ここに国をあげて領土復帰への国民世論が台頭をしてまいり、一日も早くこれが解決への血の叫びとして政府、国会への要路に訴えるゆえんのものであろうと思うのでございます。  しかし、いま一つこの点について言及いたしますならば、この北方領土問題が未解決のままに現実問題として起こるこの拿捕抑留の危険な、しかも悲惨な事実に直面しながらも、あえてこの海域への出漁を余儀なくせしめているものは、一にかかって漁民自身の日々の生活問題から発生してきているものといわざるを得ないのであります。ここに私どもが戦後この方一貫して領土の復帰を要請し、さらにこの領土問題の解決を見るまでの間、暫定的な措置として北方近海におきまする安全操業協定を締結していただき、漁民の不安の解除とその生活の安定を期せられたいということを政府に要請し続けてきたゆえんでございます。  御案内のように、昭和三十八年に故高碕達之助先生の御努力によりまして、大日本水産会とソ連政府との間に貝殻島周辺における日本漁民によるコンブ採取の協定が成立をされ、これによって歯舞地区におきまする零細なコンブ採取漁民の拿捕の危険がなくなったことは、何はともあれ一つの幸いであったわけであります。しかしながら、依然としてこの北方領土の周辺海域は、このコンブ採取漁民を含め、かっての漁業協同組合を中心とする専用漁業権による漁民の共有漁場であったごとくに、動力船による出漁を必要としておるのであります。それはタラ、あるいはカニ、ホタテ等の小規模の漁業を対象といたしまするいわば庭先漁業でございます。いまなおこの地先漁業を営み生計を維持していく以外の生業を持っていないところでございまして、特に当該地域におきましては、御案内のように寒冷と濃霧のために農耕には適さないのでございまして、ひとり漁業にのみ依存していかなければならないという特殊な事情下にあるばかりではなく、冬の期間は荒天結氷と、さらに流氷という悪条件のために、まさに冬眠状態となるような実情でございます。そのためにいわゆる短期間の操業によってほとんど年間の生計を立てていかなければならぬという、きわめて特異な地理的悪条件下に関係漁民の漁家が形成をされているという事情でございます。このような事情下にございまして一たび拿捕という悲惨な事故にあいますると、たちまちにして一家の支柱を失うばかりでなく、漁船、漁具を喪失し、根底からその生計を失ってしまう実情にあるわけでございます。  今日、九〇%の国の再保険制度によります拿捕保険によって、船体並びに乗り組み員の給与補償がとられてはおりますものの、他に生計の手段を持たない留守家族にとりましては、露命をつなぐ道すらこと欠くというような状態に相なっておるわけでございます。また、日本政府から予備費の支出によります月額一人一万円の見舞い金も、今日の経済事情下にございましては、生計のかてとすることも、これによって満たされるものはきわめて少ない、こういう実情にもあるわけでございます。  加えて、今日の経済事情下にございましては、ことごとに漁船の調達は借り入れ金によってまかなわれておるのが実情でございます。この返済金と金利負担をかかえながら、かろうじて操業を維持している現状を考えまするならば、まことにこの問題は悲惨きわまりないものといわざるを得ない実情にあるわけでございます。  この悲惨な現状は、一にかかって領土問題の解決にあるわけでございますけれども、私は、この領土問題は、日ソ共同宣言に基づきます平和条約の締結は、日ソ間の合意がすでに成り立っておるわけでございますので、今日日ソ間にその主張の相違はございまするけれども、解決は時間の問題として残っておるものであろうかと、かように理解をしておるものであります。したがいまして、私どもはかつてこの安全操業が行なわれないことによりまして起きる損害の二百六十億円を算出いたしまして、国に補償要求の運動を行なってまいった次第でございますが、このことはとりもなおさずわが国固有領土たる領水内において依然としてその安全が保て得ない今日、その関係漁民の生活は政府が援護していただく筋ではなかろうかという発想に基づいてお願いをしたのでございますが、それが昭和三十六年の十二月の特別立法によりまして、北方地域内の漁業権者及びその他の引き掲げ者に対しますその生業資金として、低利な資金の融通を行なうために北方協会の設立と、これに対する年利六分の国債十億円の交付を見たのであります。その後におきましても、私どもは領土返還運動はもちろんのこと、この種の運動を間断なく続けてまいってきておりますけれども、幸い昨年末におきまして、政府におきましてはこの北方協会を発展的に解消して、国家予算を裏づけとした北方領土問題対策協会を設立をされまして、積極的な問題解決への姿勢を示していただきましたこと、また、本年に至りまして、拿捕漁船及び抑留漁船員に対する救済措置への調査費を計上していただいて、本格的な援護対策に乗り出す方向をつけていただき、加えて、過般の愛知外務大臣の訪ソ並びにイシコフ漁業相の来日の機会を見て、政府あげて北方近海安全操業問題解決への手段が講じられてきましたことは、関係者として非常に喜んでおるところであり、その動向に多大の期待を寄せている次第であります。  わけても、ひとり政府機関のみならず、国会に本問題に関する特別委員会が設置をされ、国政の重要問題として単独に審議並びに調査をしていただくことになり、その促進に大きな力を加えていただいたことにつきましては、関係者はもとよりのこと、国民として喜びにたえない次第でございます。  考えまするならば、日本は敗戦後すでに二十五年の期間を経過しておりまして、世界に類のない経済の発展を生み、そしてまれに見る平和国家の建設が達成されております。そして、昭和二十六年の対日平和条約ソ連の不参加のまま調印々されたとはいえ、昭和三十一年には日ソ共同宣言によって対ソ間の国交は回復をされ、この十四年の間に日ソ友好善隣の関係は日ごとに増大をしておるわけでございます。  特に昨今におきましては、文化協定あるいは航空協定の拡大はもとより、貿易経済の提携は目ざましく相なっておることは御案内のとおりでございまして、わが国の輸出額一億七千九百万ドルに対する輸入額四億六千三百万ドルと、その経済に尽くすわが国の役割りはきわめて大きくなっており、また、シベリア開発に対するわが国の協力援助はソビエト経済の発展に大きく貢献をし、将来もまたその方向に大きく進展していくものと信じておるわけでございます。  また一方、漁業におきましても、ソ連の第二期五カ年計画によります総漁獲量八百五十万トンもすでに達成の域に達しておりまして、その三分の一は極東漁業の開発によって確立をされようとしております。この極東漁業の発展はまさに日本漁業界の技術の提供と援助によって一大進展を遂げておるのであります。それが御承知のとおりの近年における日本近海での大船団によるサンマ並びにサバ漁業に見られる姿でございます。  このように日本は、文化、貿易、経済並びに技術等すべての面においてソビエトとの友好関係を増大をしながら、彼らへの協力を惜しみなく提供しておるにもかかわりませず、わが国の漁業のみきわめて不穏なしかも悲惨な状態に置いて、その関係漁民の生活をかくも脅かされなければならないということは、私は断じてあり得ないものではなかろうか、かように思うのであります。  私は、ここに、この日ソの友好と善隣の中から関係漁民が昔からその生活の場として、本来みずからの領土として考えてきたところの地先の海面漁業の安全操業は、真に漁業の持つ実態に照らし、かつ人道上の見地からも一日も早く解決をせられなければならないものと思っておるのでございます。関係漁民もまたみずからの漁場として資源を愛護し、真に平和な北方海域漁業を実現していかなければならぬというふうに思っておるわけでございますから、どうか平和条約締結までの間の操業の安全化をはかっていただきまするように、漁業の暫定協定を一日も早く締結をしていただいて、この問題の解決に格別の御高配を傾けていただきますようにお願いを申し上げる次第でございます。  非常に時間もありませんので、また御視察等の機会につぶさに現地について実情をお話し申し上げ、お願いを申し上げたいと思いますけれども、本日のお呼び出しにあずかりました機会に一言お願いを申し上げて、私の意見を終わりといたします。(拍手
  24. 池田清志

    池田委員長 まことにありがとうございました。  以上で参考人の御意見の開陳は一応終わりました。     —————————————
  25. 池田清志

    池田委員長 参考人各位に対しまして質疑の申し出がありますから、順次これを許します。箕輪登君。
  26. 箕輪登

    ○箕輪委員 私は、去る三月二十八日、こちらにいらっしゃいます長谷川峻先生と御一緒でございましたけれども、モスクワに行ってまいりました。空港で川端さんともお目にかかったわけでありますが、ただいま各参考人方々がおっしゃったように、私どもも領土の問題、安全操業の問題、当時大きな問題として起きておった日本周辺における爆撃演習の中止の問題、この三点でお話をいたしましたが、参考人各位がおっしゃっておったように、対ソ交渉は非常にむずかしいということをしみじみと感じてまいったのであります。  そこで、ただいま川端参考人からもお話がございましたが、最後に、安全操業の問題は領土問題解決の以前にでも早く解決をしてほしい、こういうお話でございます。この安全操業の問題については、私は領土と一体だと思います。領土を譲って安全操業だけ認めるわけにはいかない。一体の考えで進まなければならないという考え方であります。したがってソ連側とクレムリンで話をした際に、長谷川峻先生からも私からもその趣旨交渉に臨んだわけであります。ソ連側はシャリポフソ連最高会議副議長、デムチェンコ最高会議議員、ソ日友好議員連盟議長、ヴィソーチンソ連最高会議外交部長、この三人が中心でありまして、六、七人の方々とお話をしたのであります。  その際、安全操業の問題については、日本の外務大臣愛知さんから提案があったはずなんだが、いまあなた方のほうで研究中だということだけでまだ御返事をいただいておらない、せっかくポドコルヌイさんが万博を機会に来日をされるのだから、それまでに御返事をいただきたい、特にこの問題はガバメント・ツー・ガバメントの問題だから、われわれにその内容を示さなくともけっこうだから、日本政府に対して回答していただきたいというようなことを申し上げたのについて、ソ連側代表してシャリポフ副議長が明快に、きわめて近い将来に回答できると思う、こういう発言をされたのであります。あとで外務省に聞いてみましたら、このような発言をソ連側がしたのはこれが初めてであるというようなことで、私どもも少なくとも、ポドゴルヌイが来られなかったのでノビコフが来たわけですけれども、それまでに彼らが案を持ってくるものだと考えておったわけでありますが、御承知のとおり、日本側から案を出せ、その案については前向きで検討する用意があるんだというような趣旨のことを述べて、イシコフ並びにノビコフは日本から離れたわけであります。  ところが私が残念に思いますことは、日本側が提案しておったんだけれども、日本側のほうで向こうから案を持ってくると考えていたんだろうと思いますが、みずからの案というものを持っていなかった、だからこういう結果に終わったんだろうと思いますが、私は、すみやかに日本側が案をつくって、これはむずかしいと思いますけれども、ソ連側に示し、検討に入ってもらうということを進めていただきたいと思います。私は、ただいま参考人各位のお話を聞いておって、ますます深刻な問題としてこれが解決をはかってやりたいなという気持ちで一ぱいなんです。  そこで、きょうは参考人各位に御質問をするよりも、外務省から宮沢さんがお見えでございますから——あなたのほうはおそらく、水産庁ともあるいは道庁等とも御相談をして案の作成にかかかっていることと私思います。むずかしい外交問題ですから、その案の内容をここでしゃべれということは申しません。いまここでそういう内容が中間報告的なものであなたからお聞きしたならば、むずかしい外交折衝にさらにむずかしさを増すことと思いますので、私どもはそういうことを尋ねたいと思いませんけれども、いつごろの時点までに日本側の案をまとめるのか、あなた方の考え方をひとつ聞きたいと思うわけです。宮沢さんにひとつ御答弁をいただきたいと思います。
  27. 宮沢泰

    ○宮沢説明員 お答え申し上げます。  ただいまおっしゃいましたように、先般ノビコフ副首相が参りましたときに佐藤総理大臣に会われまして、ソ連側はこのたび日本側の提案に応じて安全操業の問題を討議する用意がある、担当者としてはこのイシコフ漁業相を当たらしめるつもりであるということを佐藤総理大臣に申しまして、その後愛知外務大臣にも同様のことを申しました。その後倉石農林大臣にイシコフ大臣が会われまして、さらにその点を話したようでございます。政府といたしましては、昨年愛知外務大臣が訪ソされましたときに、すでに一応の輪郭とも申すべき案をソ連側に提示してその検討を求めておったわけでございますが、ただいまおっしゃいましたように、ソ連側の今回の反応は、日本側がさらにその提案を具体的に示して交渉してほしいい、こういうことでございました。  私どもといたしましては、このようにお話ししております間にも、先ほど根室市長もおっしゃいましたように、漁夫がまたつかまっておるというような事態にかんがみてたいへんに急いでおります。ことにソ連側がせっかくそのように交渉に応じるという積極的姿勢を見せましたそのときには、むしろ非常に急いでそれに応ずるという態勢を示すことが必要と考えまして、ただいま鋭意事務当局の間で案を練っております。大体五月一ぱいを目途としまして草案をこしらえるつもりでおりますが、やっております間に幾つかのまた別な派生的にきわめなければならない問題も出てまいりますし、それから地元の方の御意向もさらに十分に承知いたす必要もございますので、大体五月一ぱいに固めまして六月中にはソ連側交渉に入れるかと、ただいまこのような目標で進んでおります。
  28. 箕輪登

    ○箕輪委員 それは非常にけっこうであります。どうか急いで案をつくっていただきたいと思います。  ただ一言だけ、老娑心ながら私の考えを述べさせていただくならば、ただいま根室で漁民の方々がやっておりますコンブ方式、入漁料を払っておるわけであります。これは宮沢さん御承知のとおり。今度安全操業日本側から提案する案の中に、領土と密接な関係のある、これはおれたちのもんだと言いながら、入漁料払いますからこういう安全操業の方法でいかがでしょうかというような案は、まさかおつくりにならないと私は思いますけれども、この点だけ一つ確認しておきたいのです。
  29. 宮沢泰

    ○宮沢説明員 私ども外務省といたしまして、これは他の日本政府官庁も同じでございますが、一番重視しておりますことは、安全操業の問題の解決をあせるのあまり、領土問題に悪影響を及ぼすないしは領土問題に対する日本の基本的な立場を害すというようなことは、これは何とかして避けたいと考えておりまして、この点は幸いにして地元の直接の漁民の方々も深くそのようにお考えのようでございます。  ただいまの点、入漁料というようなものは、自分の領土だと称しているところに金を払ってとらしてもらうというようなことはおかしいではないかとおっしゃいましたその御警告は、私どもたいへんありがたく拝聴いたします。私どもといたしましても、入漁料というものを払うというような形では解決をいたさないつもりでございます。  それから領土問題につきましては、何らかの取りきめに至りましてもこれは平和条約に至るまでの暫定的な措置であって、日本政府のこの問題に対する立場は害さないという、そういうたてまえをはっきりさしたものとして何らかの取りきめをいたしたい、こういう点を十分に注意して進みたいと考えております。
  30. 箕輪登

    ○箕輪委員 どうかいまの点は十分と注意をされて案をおつくりいただきたいと考えますが、いま一つだけお尋ねいたしたいと思います。  先ほども松本俊一参考人が御報告されたようでありますが、ああした民間使節団が国連を舞台にして国際的世論の喚起のために動いておりますことは、私はそれなりに大きな意義があると考えるわけであります。しかし、先般当委員会において私が外務省のアメリカ局長に、これから民間使節団が行くのだけれども、外務省はこれをバックアップしてほしいという話をしたときに、あまり積極的に賛成の御答弁がなされなかったのです。これはきわめて残念だと思います。あらためて外務大臣が御出席になった当委員会でそのことを外務大臣に申し上げたところが、外務大臣は、できるだけ外務省としても御協力する、非常に前向きな答弁を得られました。同じ外務省の中でアメリカ局とあなたのほうの局が対立するようなことではいけないと思う。どうかひとつそういう意味で、アメリカ局としてはやりづらいところがたくさんあるだろうと思うが、行ってみたら案外よかったじゃありませんか。ひとつ今後あなたのほうで東郷さんに負けないで、われわれもバックアップするのですから、ひとつ前向きで、こうした問題も毎年やるだろうと思いますから、御協力をしていただきたい、かように考えます。これは御要望申し上げて、御答弁はけっこうでありますから、どうかよろしくお願いしたいと思います。  時間だそうでございますから、私の質問はこれで終わります。ありがとうございました。
  31. 川端元治

    川端参考人 箕輪先生にちょっとお答えさせていただきます。  いま箕輪先生から入漁料の問題がお話が出ましたので、当時から私、貝殻周辺の日本漁民によるコンブ協定に参画してまいりました者の一員として申し上げたいと思いますが、当時は入漁料という押しつけ方もあったわけでございますが、私ども日本の大水という民間団体でありましても、向こうの政府との協定でございますから、日本領土問題に関連をするようなことがあってはこれはたいへんだ。したがって入漁料というものは払うわけにはいかない。あとの管理をするのにそれぞれ経費もかかることであるから、経費の一部負担ということで一隻一万二千円というものを協定してまいりましたので、入漁料ということはその当時話は出ましたけれども、私どもは受け付けない。経費の一部負担という形で協定をしてまいったのであります。
  32. 箕輪登

    ○箕輪委員 それじゃちょっと一言。  私はそれは知っているのだよ。知っているけれども、形は何だか理屈はつくけれども、そういう理屈でも外目から見るといわゆる入漁料と何も変わりないじゃないかという感じになるので、外務省が対案をつくる場合には、ソ連側もその件は知っているのですから、入漁料を日本が認めなかったことを知っているわけだから、そういう形のものでなくて、何かやはり反対給付のようなものをソ連が求めると思うから、それに対してはそういう形のもので反対給付するのじゃなくて、別な対策案を考えてくださいよと、こういうことを言いたかったのですよ。どうかその点御理解いただきたいと思います。
  33. 池田清志

  34. 岡田利春

    岡田委員 最近テレビで、いま根室市に在住しております別所さんの問題がずいぶん報道されておるわけです。報道によりますと、占守島に永住されておったということで報道されておるわけですが、その点は間違いがないのでしょうか。市長からちょっとお聞きしたいと思います。
  35. 横田俊夫

    横田参考人 間違いございません。
  36. 岡田利春

    岡田委員 きょう長官がおいでですからお聞きしたいと思うのですけれども、昭和三十六年に法案を審議しましたときには、いわば得撫から占守に至る北方関係については居住者はいないんだということで法案が審議をされ、あの法律が成立をいたしておるわけであります。最近NHKの報道によりますと、占守島に、いま市長からもお話がありましたように永住者別所氏がおった。そういたしますと、この法律のたてまえからいって、別所さんの取り扱いはこれはどうなっているのか。国会審議の場合と最近の報道では非常に大きな食い違いがあるので、この点総務部長からでも、御承知でしたらどういう扱いをしておるのか、この機会に承っておきたい思うのですが、もし政府のほうでわからなければ市長のほうで、別所さんはどういう取り扱いをされておるのか、お伺いしたいと思います。
  37. 横田俊夫

    横田参考人 先ほど申し上げましたように得撫以北に住んでおりました、定住しておりました家族というのは別所さんただ一軒でございます。そこでただ一軒のために町村役場をつくるわけにいきませんので、戦前は根室市長が一切の行政を扱っておったのです。ですから正確に言えば一家族だけはあそこにおったわけですが、このことは世間にあまり知られておりませんのであるいは東京方面で誤解があったかもしれませんけれども、この点は間違いございません。
  38. 岡田利春

    岡田委員 扱いはどうですか。
  39. 横田俊夫

    横田参考人 扱いと申しますとどういう扱いでございますか。
  40. 岡田利春

    岡田委員 国後択捉、それから歯舞色丹の居住者と同じ、たとえば北方協会のこういう法律の恩恵とかそういうものを受けておるのですか、受けてないのですか。
  41. 横田俊夫

    横田参考人 その点は千島方面居住者連盟の梅原さんのほうが詳しいと思いますから、梅原さんから……。
  42. 梅原衛

    梅原参考人 北方地域というものは政令で択捉以南四つが規定されているわけでございます。したがいましていわゆる旧北方協会の法対象者から除いておるわけであります。
  43. 岡田利春

    岡田委員 そういたしますと別所さんは樺太引き揚げ者と同じように引き揚げ給付などそういう扱いで処理されているということになり、政府の国会における法律審議に対する説明は間違っていたということになるのではないかと私は思うのですが、まあ事実、占守に永住者がおったわけですから、しかも大々的にNHKのテレビで——私も現地の出身でありますけれども私自身知らなかったわけです。最近報道されて発見をしたわけです。そうするとこの法律をつくる場合に政府の資料及び説明というものは、たった一軒とはいえ非常に間違っておった、訂正されなければならぬことだと思うのですが、これはいかがですか。
  44. 加藤泰守

    加藤(泰)政府委員 お答えいたします。  実は私も初めて伺ったような状態でございまして、その点まことに申しわけないと思いますけれども、ただ、法律のたてまえといたしましては少なくとも日本領土として主張できる範囲というたてまえでございますので、われわれとしてはやはり国後択捉歯舞色丹、この四島が対象というふうに考えざるを得ないと思います。
  45. 岡田利春

    岡田委員 この問題、いまそれ以上質問してもどうかと思いますが、私はやはり国権の最高機関において政府一つ法律をつくるのに、得撫、占守に至るこの十八島には居住者は皆無なんだということを提案理由に説明をし、そういう資料を出し、そしてその法律が通って、その後報道されたところによると、おってですね、この人がいわば樺太引き揚げ者あるいは外地引き揚げ者と同じような扱いで、こういう点については適用されてないということになりますと、やはり国権の最高機関のあり方としては非常に重大な問題だと思うわけです。したがっていずれまたこの問題はあらためてお聞きいたしたいと思います。きょう部長からお話を聞いても無理かと思いますから……。特にそういう事実がいま大々的に報道されておるという現実を十分とらまえられて、政府自体としても調査をされ、訂正するものは訂正されなければいかぬ、こう思いますので、特にその点の調査等について政府の処置をこの機会に強く要望いたしておきたいと思います。  次に川端さんにお伺いしたいのですけれども、実は私も、今年の予算分科会で、安全操業の問題についていろいろ愛知外務大臣質問をいたしたのです。そのときに私は、安全操業の問題は人道問題であり、政府自体が、日本側自体がやはりこういう形で安全操業をしたい、たとえば赤城私案のような、ですね、それも国後択捉海域を含むというのが日本側の態度ですから。そうであればそういう範囲において日本としてはこういう形で安全操業をしたいという積極的な提案があり、二十五年間放置された、しかも千隻以上も拿捕されている安全操業の問題をすみやかに解決すべきである。これに対して外務大臣は、その点十分水産庁とも協議をして日本側の案をつくって、向こうから話がなくとも積極的にこの話は取り上げて、できれば早期に解決をしたい、また私のソビエト訪問のときの印象からいっても解決できるものと期待をしている、という答弁が実はあったわけですが、残念ながら案ができてないで、先ほど外務省の課長さんの答弁になっていることを私は非常に遺憾だと思うわけです。ただしかし、安全操業の問題はやはり双方の交渉事項でありますから、私の気持ちからすれば、そう極端なことは困りますけれども、あまりこだわらないで人道問題という立場で、とにかく拿捕が起きないような安全操業の体制をつくるべきである、しかもその安全操業の協定には日本側も責任をもって順守するようにすべきであるというのが私の主張であるわけです。そういう点について、特にそれぞれの漁民の方々と会ってみますと、やはり領土問題はすぐはむずかしいだろうが、安全操業をまず確立してもらいたいという希望が非常に強いと思うのです。そういう点について特に要望は北海道漁業機関からも出されておりますけれども、国益を基本的にそこなわない限りは弾力的な態度安全操業の問題は解決してほしい、こういうことに尽きるのではないかと思うのですが、特にこの問題に対して御意見を承りたいのと、それから川端さんは今回の日ソ漁業交渉にも行かれておりますが、いま日ソ間の漁業条約は自動延長下四回目の漁業交渉が今回行なわれたわけです。四年間自動延長になっておるというのは決して自然ではないわけです。  私は、最近の交渉内容から見ますと、北洋漁業の安定のためには、やはり基本的に漁業条約を結び、長期取りきめができる体制が望ましいのではないか、こう実は判断をいたしておるわけです。ソビエト側としては、もちろんソビエト側の主張点はございますけれども、漁業条約の改定については日本がその意思があるならば一緒に改定の交渉をしてもよろしい、前に三木外務大臣が訪ソした場合にもそういう意見が出ておるわけですが、そういう点で、やはり漁業条約を本格的に交渉をし改定をして、自動延長の不自然さをなくし、長期安定的な漁獲量の取りきめをすべきだ、こう私は思うのですが、この点についてどういう見解を持たれておるか、この機会に承っておきたいと思うのです。
  46. 川端元治

    川端参考人 いま岡田先生からの御質問にございますが、この漁業協定等につきましては、日本側としては、政府もそのような見解をお持ちであろうと私は想像をいたしますが、業界といたしましても、これは単年度でその年その年できめていくということでなく、やはり漁獲量にいたしましてもすべての問題は長期安定でやっていきたいというのが業界の希望でもございます。これを日本委員会といたしましても十分主張をいたしておりまするけれども、現実の交渉になりますと長期安定型というものは向こうは承知しないわけで今日になっておるわけでございますが、これは業界としましても、おそらく政府としてもその希望を捨てていないと思いますので、将来やはり長期に決定をしていただき、安定した漁業操業に資していきたいというのが、業界としての希望でございます。それには、先生の御意見には私ども全く同感でございまするし、またそういう方向で交渉は幾たびか進められたはずでございます。
  47. 岡田利春

    岡田委員 梅原さんが先ほどいろいろ述べられた中で、昭和四十六年度に十億の交付公債が償還されるわけですが、しばしば当委員会あるいは国会でも問題になり、今度の領土問題対策を協会に移行する場合についても同様問題になっておるわけです。いま言われた趣旨は、この交付公債をとにかく償還期限がきたならばそれぞれの漁業者あるいは島民に還付してくれということか、それとも北海道で、たとえば漁業会からは漁業補償について意見が出されているわけですが、当時十億というのは、七億五千万が昭和二十五年当時の北海道の漁業権補償から割り出した額であり、二億五千万というのは資産その他を一応めどとして十億にしたというのが政府の説明でありますから、これを今に直しますと去年あたりで漁業権だけで百六十億程度、こういわれておるわけです。そうなるとそれに伴って当然資産補償等の問題についても変わってまいるわけですが、その時点で交付公債を一応それぞれの関係者個人に交付をしてほしいという意味か、それとも漁業権及び島民の資産について、二十五年も経過をしているわけですから、現時点で補償してほしいという意味か、この点はどういう趣旨でございましょうか。
  48. 梅原衛

    梅原参考人 私が申し上げましたのは、先ほど申し述べましたように千島の引き揚げ者が引き揚げによって状態が非常に変わっておるということで、これが島民対策費や引き揚げ者対策でなく、前回の漁業権の買い上げは内地漁民に対する制度であったと思いますので、それと同様、元島民いわゆる団体の権利でございますけれども団体に交付されたものは団体でそれぞれ精算をする、かようなふうにお願い申し上げたいと存じます。
  49. 岡田利春

    岡田委員 これで終わりますが、一つ要望いたしておきたいと思うのです。  これは参考人に対する質問じゃなくして、いままでの北方海域における漁業関係の対ソ交渉のあり方を見ますと、漁業協定についても、民間の方々の努力によって今日では二年間の協定になり、さらに三十隻の増はいも認められておる。あるいは昨年、今年にかけてのカニ漁業を見ましても、三角水域における特に沿岸漁民の漁場である地域は、従来の実績を多少資源上問題があってもソ連側は認める、こういう態度に出ておるということは、経過的に見て特にこの沿岸中小漁民に対する配慮というものはソビエト側でも十分考慮しておるように私は思うわけです。そういう意味で今度案をつくられる場合、そういう従来の経過からかんがみて基盤をやはり明確にするということが最も有効な交渉態度ではなかろうか、人道的問題というのはそういうところから出発しているのだ、こういうぐあいに実は理解をいたしているわけです。  それと同時に、昭和二十五年漁業法が改正になって漁業補償が行なわれて、先ほど御意見もありましたように現在のその漁場で漁業をしておる者と、当時漁業をしていた者、もちろん共同漁業権については若干問題がありましたけれども、この設定は日本政府、水産庁は認めていないわけですが、この面についての問題点というものは必ず出てくるのだ、これはもちろん自後の問題になると思いますけれども、いずれにしても、とにかく領土問題とは切り離して人道問題で解決するという場合は、そういう経緯から見てわが国の漁民の生活安定という点が案として強く主張されてきた、こう考えますので、特にその点について政府側の配慮をこの際要望いたしまして、質問を終わりたいと思います。
  50. 池田清志

    池田委員長 美濃政市君。
  51. 美濃政市

    ○美濃委員 実は先に市長さんにお尋ねしたいのですが、拿捕の防止対策ということであります。これはやはり拿捕が起きる、しかし北方の漁民の方々は非常に心理的に大きな矛盾を感じておることは私もわかっているわけです。この心理というものを——やはり心理だけで解決するのではないが、手段としては安全操業なりいろいろな手段が講ぜられなければならないのですけれども、実際拿捕される、あるいは拿捕されることをある程度予期しながらも入っていくという心理は、どうですか、大体私の予想しているような心理かどうかちょっとお聞きしておきたいのですが。
  52. 横田俊夫

    横田参考人 これも私より川端さんのほうが適当かと思いますが、私も存じておりますが、大体漁民の人たちは、あの海はわれわれの海だと思っているんです。ソ連の海と思っていないわけです。ですから何回つかまっても行くという心理状態の中には、悪いことをしていると思っていない。自分たちが自由に行っていいんだ、つかまえるほうが無理なんだと、こういう考えがあると思います。
  53. 美濃政市

    ○美濃委員 私もそう思うんですね。その心理を悪い心理だと、こういう——領土主張しておるわけですからね、その心理はわれわれもやっぱり支持しなければならぬし、真理なんですね、一面。これはなかなか個々に起きる現象、それから領土復帰を主張しておる心理というものと起きる現象の心理ですね、悪いことをしておるという心理であれば、これはわりかた対策はやりやすいんですけれども、その心理を私どもからも、それを悪い心理だといって非難するわけにはいかない。まあいま正当心理だといって肩怒らしてみても、なかなか現実は御存じのような状態ですから。しかしそれは悪い心理だというわけにはいかないわけですね。そうするとそこに一つのこの問題の非常にむずかしさがあり、先ほど言われたように根本的には領土問題が解決しなければなかなか安全操業といっても、ある程度の緩和措置はとれるだろうけれども、心理が満足するだけの安全操業策はいま締結できるという予測はちょっとつかないわけですね。ある程度条件緩和の措置は期待できるかもしれませんけれども。  そこでこの漁業権買い上げ問題、これが解消できると、ある程度一応損失補償が行なわれたということで、入っていく心理のいわゆる防止対策につながるかどうか、これをひとつ承っておきたい。
  54. 川端元治

    川端参考人 いま美濃先生から、漁民がつかまってもつかまっても海域に出漁して拿捕されておる、これはいま市長から申し上げましたように、漁民の心理としてはわが国固有領土だ、したがって領水はわがほうのものですという考え方から、やはり悪いことをしているという気は一切起こしておりません。そのために、やはりそういう拿捕も数多く起こしてまいることは当然起きてくるわけでございますが、そこで、漁業権がまだ補償されていないんだから国に買い上げをしてしまってもらったならば、これは一つの補償措置がとられたのだから自分の漁業権ではないんだ、したがってその漁場で操業する場合には別な感覚が起きるんじゃないかというふうな考え方も起きるからその点はどうじゃという御質問のようにうかがえられるわけでございますけれども、漁業権は買い上げをされて、当然マッカーサーラインから以南の海域については日本の漁業権は全部国で買い上げをされた、百六十数億で買い上げをされたという事実はございます。しかしながら漁業そのものはやはり漁業者がやらしてもらわなければならないんだし、また当然やっていっていいんだというこの考え方は、やはり漁業者が漁業者なりに考えていると思います。したがって、補償をされたからその権益はもう全くなくなったのだから、漁業者としての権利を行使するということはもう全然なくなるかというと、そういうものではなかろうと思います。やはり漁業者は漁業に生きるのだという、こういう考え方になりまするために、買い上げをされたといいながらも、今日、とられた補償措置が、買い上げがされても、漁業者が漁業者としてやはり漁業を操業していくという、いけるんだという、いっているというこの事実からまいりましても、買い上げされたにしましても、もうそこにはいけないんだという考え方が起きるとは私は考えられません。
  55. 美濃政市

    ○美濃委員 じゃ幾らか考え方が変わるか、私も全部変わるとは思いませんが、幾らか変わるか、一つも変わらないか、これをちょっとお尋ねいたします。変わらぬなら変わらぬでいいですよ。
  56. 川端元治

    川端参考人 私は変わらないと思うのは、漁業者はやはり漁業以外に生業の道がないんだ、自分は漁業に生きていくんだという信念の上に立てば、買い上げてもらってもその漁場に行けないんだ、行かないという考えにはならないと思いますす。
  57. 美濃政市

    ○美濃委員 次に島の所有権の問題ですが、これはいま小笠原島あたりはやっておりますけれども、時代がずっと変わってきますと、もとの所有権を完全に認めた中で開発をはかるというと、非常にいろいろの障害が起きる。またこの領土解決はなかなか長期的な時限を要すると思うんですが、これは、これに対してたとえば相続もしないで放置をしておくと、所有権であっても、これはあまりな長年月になりますと時効という問題が出てまいりますから、いまはまあ相続措置を認める、しかし相続措置が認められても財産としての活用はできないわけですね、現実は。したがって、そういういわゆる法律上の行為によって時効を中断して推移するという考え一つあるわけですね。いまそれでやってもよろしいということに大体なってきたわけですから、それがいいのか。これは補償で一応買い入れれば国有財産に変えるという補償体制がいいのか。ここに私は両方の方法があると思うのですが、これに対するお考えはどうですか。やっぱり時効中断の措置で十分とお考えになるか、どうでしょう。横田さん、それから梅原さんからもお考えをちょっとお聞きしたい。
  58. 横田俊夫

    横田参考人 これは土地を持っている人の、人によって違うと思うんですよ。どうせ使われないんならもう買ってもらったほうがいいという人もあるいはあるかもしれません。しかし私の考えでは、大部分の人がいまの時点にくればやはり残しておきたい、子孫に伝えたいという考えのほうが多いような気がします。
  59. 梅原衛

    梅原参考人 島が復帰した場合の新規入植、あるいはもとの姿で入植するという方法があると思いますが、私どもの団体として機関決定はしておりませんけれども、いままでの考え方としては、やはり現在の土地を持っておって、帰島することが最大の目的だ、こういうふうに考えておりますので、したがって根こそぎの補償というようなことはいま希望いたしておりません。  それから、法務省が今度扱うことになりました相続登記の申し出は、これは法律行為でなく登記が完全にできるようになった場合の補助的行為でございますので、したがって二十年の終戦当時から時効がいわゆる進行しない、こういうようなふうに理解しておるわけであります。
  60. 美濃政市

    ○美濃委員 次に財政援助の問題ですが、これは市長さんにお尋ねしておきますが、具体的に、特にこの表にありますように根室市を主体とする関係町村は普通の市町村以上にこの関係に経費が使われておる事実はよくわかっておりますが、これは具体的に要請されておりますか。今度また新たに北方庁もできたわけですから、具体的に要請をしていただきたいと思う。私どもはそこから正式に資料をもらいますから。資料をもらって対策をやりたいと思うのですが、いままでやられておるかどうか。
  61. 横田俊夫

    横田参考人 このことについてはいままで何回もお願いを申し上げて、実現をしたものもございます。ですけれどもまだ不十分でございますので、いま御指摘のございましたように、新しくできましたお役所を通じましてお願いを申し上げますので、ひとつよろしくお願いしたいと思います。
  62. 美濃政市

    ○美濃委員 最後に、いただきましたこの島民の生活資料ですが、これは二十三年で、できれば最近の資料が、所得格差がどうか、あるいは先ほど来お話のありました、経済も膨張しまして金の価値も変わっておりますので、十億だけでよろしいのか。これは増額して、やはりそういう他の補償措置その他とあわせて、補償措置が不十分であれば、資金措置等についても対策をやらなければならぬと思うわけですが、そういう点については、二十三年の資料はありますけれども、できれば最近の資料がほしいわけです。できておるかできておらぬか、できれば近いものがほしいわけです。
  63. 梅原衛

    梅原参考人 先ほども申し上げましたように、実は政府調査は三十三年の調査でございます。それからお手元に差し上げております概況に載っております数字は、主として三十八年の調査によったものでありまして、最近の状況を調べたい、かように考えておりますが、先ほども申し上げましたように、四十五年度で政府調査が行なわれる段階でございます。それ以上の新しいものはいま持ち合わせございません。  それからちょっとこの際に申し上げておきますが、先ほど私が申し上げました旧北方協会に対する十億円は、これはいわゆる融資事業でありまして、借り得る者だけが恩典に浴するので、補償とは性格が違う。ことにあの対象者は旧漁業権者、それから元居住者並びに沿岸漁業者に対する特別の施策だ、かように考えておりますので、あの問題といわゆる漁業権補償とは私ども別個に考えておりますので、御了承願います。
  64. 美濃政市

    ○美濃委員 私もそういうふうに理解しておるわけです。権利補償と北方協会の融資措置と混同しては考えておりません。しかし所得対策をやるということになると、やはり将来補償の出ぐあいと、それから融資と両方あわせてその所得対策をやっていかなければならぬですから、そういう面ではぶつかるけれども、直接に混同はしておりません。  終わります。
  65. 池田清志

    池田委員長 中川嘉美君。
  66. 中川嘉美

    中川(嘉)委員 先ほど内政措置についてお話がありまして、これは川端会長のほうに伺いたいと思います。  拿捕防止の対策について先ほどから若干御説明がありましたけれども、いままでも拿捕防止についていろいろな努力が払われてきたと思います。こういった船員並びにその家族の方々の不幸が今後も繰り返されるということは、これは重大な問題だと思うわけでありますが、ここでお聞きしたいのは、いままで実際に現地におきましてどのような対策が行なわれてきたか、また、さらに将来に向かってどのような点に対策の強化をはかるべきと思われるか、現状を踏まえた上でひとつ御説明をいただきたいと思います。
  67. 川端元治

    川端参考人 拿捕防止対策につきましては、これまで官庁等も、われわれ協同組合等におきましても、現実に拿捕されますと、損害は直ちにその人に起きてまいりますし、また留守家族の悲惨な状態も当然そこで起きてくるわけですから、船体におきまするとか、あるいは乗り組み員の金融関係におきましては国の保険制度もございますけれども、それだけでは先ほど説明申し上げましたようにあとの生計がやっていけないという現状でございますから、実際に困窮するのはその者が困窮するわけですから、なるべく拿捕を避けてほしいという指導はしてまいりました。しかし観念的には自分の領水領域であるという考え方がありますために、やはり漁業でございますから魚につれて、しかも小さい船等は計器等もあまり積んでおりませんから、濃霧の非常に多い海域においては自然にといいますか意識しないで入るという部面が多うございます。そしてああいう不慮な形ができるわけでございますけれども、指導としては、拿捕されたらみんな困るのだから、これは拿捕されないように最善の注意を払ってほしいということは日常そういう指導をしておるわけでございますけれども、それがあまり完全に指導が徹底していないといいますか、そういう面もあるので非常に遺憾に思っております。指導としては、拿捕されれば本人自体が困るのだ、それから家族も非常に困る事態になるのだから、拿捕をされないように拿捕をされないようにということは、日常官庁もよく指導をしておるところでございますけれども、遺憾ながらそうさせないというのが現状でございます。ただ放任をしておいてあるというのではございません。また今後の安全操業の協定ができました場合におきましても、今度は海域が広まりまするだけに期待をしておるところは、なるべく接岸までして操業させてほしいと言っておりまするけれども、聞くところによりますと三海里そこそこのところまでは期待が持てるのではないかという現状下の判断においてはそれだけ海域が広うございますから、拿捕の回数もそれだけ当然少なくなってまいる。またそういう国際協定ができました場合にはそれを守っていくということにしていきませんと、せっかくの国際協定ができましてもかえってそこに迷惑が起きるわけでございますから、極力それはやはり守るというこの一線でひとつ指導してまいりたい、かように考えております。
  68. 中川嘉美

    中川(嘉)委員 時間がありませんので、あと簡単に二問だけ。  これは横田市長にお願いしたいと思いますが、先ほど戸籍の問題についてお話がありました。日本の行政措置としてどこが扱うか、こういったお話がありましたけれども、それに関連して根室市の行政区域に編入するように決定してほしい、こういった御要望ですが、こういうことについて今日まで政府に対して具体的にどのような手を打ってこられたか、また、政府としてそれに対して現在どのような態度を表明しておるか、この点、簡単でけっこうですからちょっと……。
  69. 横田俊夫

    横田参考人 実はいまの法律でやろうと思えば方法が一つあるわけです。それは所属未定地を根室市に編入をするという手続、ただし、これは所属未定地といえるかどうか、そこに問題がございますけれども、とにかくどこの行政にも属さないのだから私どものほうから所属未定地を根室のほうに編入をいたしますよと私のほうの議会で議決をすれば、あと政府のほうで告示をしていただけばいいわけでありますから、そういうことで関係官庁にお願いをしておりますけれども、もうちょっと待ってくれということで、いまのところ足踏み状態でございます。
  70. 中川嘉美

    中川(嘉)委員 領土復帰のため、あるいは抑留船員の方々の保護のために二十五年間市費として根室市が投じた、こういったお話がありましたけれども、金額はどのくらいですか。
  71. 横田俊夫

    横田参考人 これは二、三年前に調べました時点においては三千万です。したがって、三千万が二十五年間ということになるとこれはたいへんな金ですけれども、昔は物価もそんなに高くございませんでしたから、まあどの程度になりますか、正確に計算いたしません。
  72. 中川嘉美

    中川(嘉)委員 こういったことについて、今日までどのような財政援助に対する折衝を行なってこられたか、あるいはまた政府は何らかの意思表示をしておられるか、この辺はどうでしょう。
  73. 横田俊夫

    横田参考人 これは政府のほうは特別交付税で見る以外は方法はない、まあ補助は別ですけれども、そういうことで、現在は特別交付税の中に幾らか見ていただいているようです。御承知のように特別交付税はこの分として幾らとはっきり出ませんものですから、私どもも最近は一千万ぐらい出しておるのじゃないかなという気もいたしますが、この点は判然としません。
  74. 中川嘉美

    中川(嘉)委員 これで終わりますが、北方問題に関する外交レベルの交渉はむろんでありますけれども、きょうお話のありました内政措置についても一日も早く解決していくように私たちも努力するとともに、政府にこういったことを要望いたしまして、簡単でありますけれども質問を終わります。
  75. 池田清志

    池田委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人方々には、御多用中にかかわりませず、長時間にわたり貴重な御意見を拝聴させていただきまして、まことにありがとうございました。委員会代表して厚く御礼を申し上げます。  次回は公報をもってお知らせすることとし、本日はこれにて散会いたします。    午後一時二十一分散会