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1970-04-07 第63回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第10号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十五年四月七日(火曜日)     午前十時三十四分開議  出席委員    委員長 池田 清志君    理事 宇田 國榮君 理事 大村 襄治君    理事 鯨岡 兵輔君 理事 床次 徳二君    理事 箕輪  登君 理事 川崎 寛治君    理事 中川 嘉美君       本名  武君    山田 久就君       豊  永光君    中谷 鉄也君       美濃 政市君    大久保直彦君       小平  忠君  出席国務大臣         国 務 大 臣         (総理府総務長         官)      山中 貞則君  出席政府委員         総理府特別地域         連絡局長    山野 幸吉君         総理府特別地域         連絡局参事官  加藤 泰守君  委員外出席者         沖繩及び北方問         題に関する特別         委員会調査室長 綿貫 敏行君     ————————————— 本日の会議に付した案件  沖繩北方対策庁設置法案内閣提出第六四  号)      ————◇—————
  2. 池田清志

    池田委員長 これより会議を開きます。  沖繩北方対策庁設置法案について審査を進めます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。川崎寛治君。
  3. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 三月末に総務長官たいへん努力していただいて、沖繩軍労働者退職金の問題について適切な処置をしていただくことに対して、その努力に敬意を払いたいと思います。ちょうど私は当時池田委員長を団長とします現地調査団の一員として参っておりましたので、現地の表情につきましては、直接はだに触れて見てまいりました。それだけに今後の問題のあり方というものについてもいろいろと考えさせられましたわけです。なお、あの発表の二、三日前でしたかランパート高等弁務官とも会いまして、直接いろいろの問題について彼に質問もいたしました。そういう点をまず沖繩北方対策庁法案に入ります前に二、三お尋ねしておきたい、こういうふうに思います。  そこで、まず第一に明らかにしておきたいと思いますが、三月三十一日までの分について今回は処置をする、こういうことになるわけです。アメリカ会計年度の六月までの間にどういう事態になるか、それはいまのところわからぬわけですけれども、そのことを一つと、それから新しいアメリカ会計年度以降の問題、この退職金本土との差額の問題についてどういう考え方で対処していこうとしておられるのか、伺いたいと思います。
  4. 山中貞則

    山中国務大臣 先般とりました全軍労既解雇者の問題につきましての本土並み差額の一億九千六百万円につきまして、党派を越えた激励をいただきましてありがとうございます。少しでも本土政府努力の積み重ねが現地側本土政府の誠意のあらわれとして受け取っていただければ、私は望外の喜びでございますが、そこでただいま御質問の現会計年度、すなわち本土会計年度との食い違いの残り三カ月の期間における措置はどうするのか。これは記者会見の要旨にもその件は触れたのでありますけれども、大体予定されております数字が二百十三名ということに表に出ておりますので、これらの人々にはこちらの四十五新会計年度になりましても同じ措置をとるということをほぼ財政当局とも打ち合わせ、政府姿勢としてその用意のある旨発表いたしております。またその措置をとるつもりでございますが、その措置といたしましては年度予算のすべり出した当初でございますので、一般会計の千百億の予備費からわずかな金をというわけにもまいりますまい。そこでやはり財源としては現在の調整費の十億というものの積算基礎は一応あるわけですけれども、新しい要素が発生しましたので、これをさしあたり財源として使うほかはなかろう。これはいま私の判断で、財政当局とそこまで詰めてはおりませんが、予算の運用の姿勢として年度当初から一般会計予備費にわずかな金額で手をつけることも無理であろうから調整費で先に食っていきたい、そういうふうに考えておるのでございます。  それから第二点の一九七一会計年度雇用者たる米軍側との話し合いというものの結果をどうするか、どう見るかでありますけれども、これは現在精力的に全軍労雇用者側との話し合いが行なわれておるようでありまして、しかもたいへんありがたいことにいろいろと内容条件について話し合いがムードは別として具体的に進みつつある。したがってこの折衝が順調に進みまして、私どもの願いますのは、本土政府がこのような無理をして、支出義務を負っていない立場にありながら支出をしたわけですから、やはり大国アメリカ——最近経済的に苦しいといえども沖繩の特殊な事情はよく了解してくれていると思いますので、その団交の結果として生まれてくるものに一九七一会計年度解雇予告期間本土並み、これも予算を伴いますし、退職金本土との差額分等々のものが円満に解決されることを希望し、期待をいたしますし、また雇用形態等につきましても、現地準備委員会並びに日米協議委員会の正式の会合もしくはそれに付随するルートを通じましての交渉を相伴って促進することにより、その団交等の中で雇用形態等にも前進が見られる可能性があるかもしれないという、これは期待でありますが、このことは本土政府が一義的には努力してあげなければ、とても雇用者間では解決できない問題でありますけれども、そういう話し合いもできるような雰囲気が生まれつつあることを情報の一端からうかがい知ることができますので、相なるべくは、先ほど申しました希望と期待に沿った米軍の正当なる処理をまず期待いたします。  しかしそれが不可能であるあるいはまた部分的にある程度条件前進をしたけれども、なお本土に足らないというような場合等における措置は、あらためて別個のケースとして、まず米側軍労側とでどのような話し合い妥結点が見出せるか、そこらのところを見守ってから具体的な検討に入りたいといまのところは思っております。
  5. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 四月から六月のアメリカ会計年度とのギャップの問題ですね。いまそういうふうに答弁になられたわけですが、これは過ぐる本院予算委員会において大蔵大臣等ともいささか触れた基本的な点が関係するのだろうと思うのですが、つまり大蔵大臣は、要するに新しい雇用制度ができなければ見れないというのが財政当局責任者としての答弁だったわけです。  そうしますと、いま調整費だということになると、十億の調整費のほうで見よう。ところがあの調整費については予算編成過程あるいは決定の過程ではそういうものには使わないのだ、ちょっとそこらが少しいろいろなものをふさぎ過ぎていると思うのです。いま米軍撤退作戦をとっている、といって一方では基地の機能は確保していこう、いま沖繩はこういう相矛盾した姿勢にあるわけです。それはランパート氏と会ったときにもいろいろ痛感しました。そうしますと何が出てくるかわからぬ、いろいろな要件があるのです。要件というか予測し得ない変化がある、そういう中で、あの予算編成過程の中においてもこれはだめなんだというふうなふさぎ方をした政府側姿勢というものは、いまから振り返っていささか適切ではなかった、私はこう思います。  だから、それは退職金の問題にしても間接雇用制度の問題にしても、軍労働者の問題は日本政府側の関与すべき問題ではないのだ、当初十二月は出したわけです、それはまだあなたが長官として十分な体制に入る前のことですから、いまは責められないと思います。しかし政府全体としてそういう姿勢であったということ、このことはひとつ反省をしていただいて、適切な措置でありましたけれども、それだけにやはり問題が出てから追われ追われて処置をしていくというのではなくして、私は極端な言い方をすると、七〇年、七一年というのは、現在の総務長官はたいへん熱心に全精力を傾けて取り組もうとしておる。しかし、かわるのかかわらないのか先のことは知りませんけれども、いずれにしても七〇年、七一年についての本土政府姿勢というものは、総務長官がかわろうがかわるまいが本土政府として明確であるというかっちりした姿勢がほしいわけです。そういう点からいくと、あの調整費問題等についても、これはいまからとやかく言いませんが、これからの問題としてひとつぜひ明確にしていただきたい、かっちりとしておいていただきたい。そうして不安が起きないように、無責任の谷間に落とし込まれないようにするようなことをひとつお願いしておきたいと思います。  そこで、次に雇用制度の切りかえの問題ですが、いまも長官は少し触れられました。ランパート氏と会いましたときに、二月十三日の日米協議委員会でこの新しい制度検討をするということを話し合ったというわけですね。当方としては、つまりアメリカ側としては検討しておる、資金の面、制度の面、法的な面、やっておる。しかし問題は、日本政府側提案をしたら——提案がないということは話の間でわかる、提案をしたらということで検討する、こういうことになっておるわけです。そこでこれは、前々からこの委員会でもいろいろと質疑をいたしてまいっておりますから、作業は、関係連絡会議の間で、地位協定適用部会ですかで事務当局としては検討しておると承知をしておるわけでありますけれども、この間接雇用制度というのが、つまりいまの筋からいえば七二年というのが普通の筋ですね、それを七二年以前に、つまり提案があれば検討する、こうアメリカ側も言っておるのですが、七二年以前に間接雇用制度移行が可能というか、移行をさせるという姿勢検討しておるのかどうか、まずそのことをひとつ伺っておきたい。
  6. 山中貞則

    山中国務大臣 初めに大蔵大臣衆議院予算委員会における答弁は、あなたの言われるように、確かに雇用制度変化がありました場合には考えましょうという答弁だったことは間違いありません。  そこで、日米協議委員会においていままで予算だけを形式上議論しておりました性格を変えて、この種の問題も議論し合おう、検討し合おうということで前進を見たことは御報告しました。先般の一億九千六百万円を支払う際の新聞発表は、日米双方同文発表いたしましたから、その文章形式、対外的に責任をもって発表した中に、雇用制度について具体的検討に入ることになった、合意したという文章がついておりますから、非常に大きな前進でありますので、私どもは、雇用制度が新しいものになったとはいえないけれども、この文章として、日米双方発表することを前進と受け取ってくれということで、そこのところはたいへん財政当局大蔵大臣と何日間にもわたる苦労をいたしました。総理がたいへん好意的に助言をしてくれ、そうして大蔵大臣も最後は、その日米双方同文のものを発表するということにおいて雇用制度前進を見たということにも同意しようということで、理解をしてもらったわけです。しかも、一般会計残り少ない、義務支出を引きますと残りがこの沖繩支出しましたために九百万円しか残らない、ぎりぎりの金額を出せというわけでありますから、財政当局も、そのような意味において受け取って支出をしてくれたということです。したがって、四十四年度予算においてはもちろんのこと、四十五年度予算を編成いたします際の調整費性格についても、全然違った前進姿勢政府がとることになったわけですから、予算編成の際の調整費というものは、軍労関係では、予定した人員をオーバーした場合に、本土並みの一時金と就職促進手当を二千名までは調整費の中で措置できるだろうという一応の積算の根拠がありまして、差額の流用については用意がないわけですけれども、しかし一方において、解雇人員が不幸にして大量になった場合の対応措置もやはり予備費で、調整費で準備しておかなければいけませんし、かといって、四十四年度にとった姿勢というものが、不幸にして話し合いがそこまで前進しないで本土政府が何かしなければならぬという結果が出ました場合には、これはいま申しました情勢の変化があるわけですから、そこでさしあたり調整費からする以外にはなかろうという観測を申し上げておるわけであります。その点で、予算編成当時と先般の一般会計予備費支出いたしました時点で本土政府姿勢は明らかに変わった。その点は私も認めます。またそれは好ましきほうに変わったわけですから、それは御了解を賜わりたいと思います。  ランパート高等弁務官皆さま方御一行との会談の席における間接雇用制度日本側からの提示があれば検討する用意があるということは、いまだ提示してないではないかという裏返しの表現になるわけでして、ある意味では正しく、ある意味では正しくないということになります。ということは、もうすでに先ほどの御発言でおわかりのように、話し合いがつくまで詰めて、提案をいたしましたならば同時にそれをアメリカ側は了承をしたという瞬間の日米協議委員会を持つことにおそらくなるでありましょうけれども、そういう形式をいえば、なるほど提示いたしておりませんが、しかし施政権下あるいは裁判管轄権、直接には布令第百十六号等々の問題をどのように踏まえて雇用形態というものがつくられるのか、新しい雇用形態が出発できるのか。あるいはたびたび申しておりますようなその雇用する機関の態様ですね、機能、そういうものをどのようにして米側と合意できるものができるか。そこらのところをいま詰めておるわけでございまして、その意味では、米側姿勢もこの問題は日米双方政府の問題ではないといった姿勢から前進したことは先般申し上げましたが、日本側としても軍労ストライキとかそういうものへの介入はもちろんいたしませんが、その背景というものの重み、九十八万に対する五万五千名という軍雇用者現地における重みですね。あるいはそれに関連する先般の五日間のストに対する現地における不幸な事態等々の好ましからざることも憂えまして、私たちはこのことを単に一機関ストライキであるというふうにだけとっていないということでこの措置をしておるわけでありまして、逆に言うと、これまた裏返しで言うと、ストライキをやらせるとかやらせないとかやってはならないとか収拾するとかという形のことは本土政府のあるいはタッチできない分野があるので、そこまでは考えておりません。しかし、そのような事態を永続させることについてははなはだ好ましくないということで、私はアメリカ側に直接あと残りの二年間を、日米友好基礎を固める二年間を持とうとするのか、それとも日米友好の亀裂を沖繩から起こそうという二年間にしてもかまわぬという姿勢をとるかということまでものを言っておりまして、私がアメリカだったら、日本政府にたいへん申しわけないけれども雇用制度についてはそちらでひとつめんどうを見てくれないかということをアメリカから頼むのが本筋じゃないかと思うのだけれども、というような話までしておるわけです。最近はそのようなことで非常に雰囲気がよろしくなってまいりましたので、いま精力的に検討いたしておりますから、提案という形ができるまでしばらく努力をいたしまして、提案したら直ちに了承できるということへの努力であるというふうに御了解願えれば幸いだと思うのです。
  7. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 そうしますと、もっと詰めますと、いま長官答弁から機関の問題が出たわけですけれども現地把握をする、管理をする、そういう機関がいずれにしてもないわけですね。そうすると、それは予算を伴うもので、つまり本土からそうした管理専門家を渡して実態を把握をする、そういう体制をつくる、時間がかかる問題である、予算を伴う問題である、こうなりますね。端的にお尋ねをしますけれども、つまり新しい制度に移るにしても、日本側の四十五年度予算範囲においては考えられないと見ざるを得ないのか。そうなると予算やそういうものとの関連からいけば、七二年というものを置いてぎりぎり早いのは七一年ということなのかどうか、あるいは話が煮詰まるならば四十五年度中にも可能性があるのかどうか、その点をひとつ明らかにしていただきたいと思います。
  8. 山中貞則

    山中国務大臣 それはもちろん四十五年度中のことで、先ほど復帰まではだめなのかと言われた点ですけれども、少し落としたかもしれませんが、もちろん復帰前に雇用制度の改善をやるわけでして、本土においても占領中に雇用制度は先行したわけですから、特殊な施政権下という中であっても、これだけの大きな波紋を投げかけておる問題について復帰までにできないということはあり得ない。しかも四十五年度予算ではそういうことを見てないじゃないかということは御指摘のとおりですけれども、これは新しく人間を雇ったりなどいたしますとそうですけれども施設庁の仕事もそうそういまの事務量で人を少しさいてもらってもやっていけないというほどいま忙しいものではありませんでしょうし、これは防衛庁のことですからわかりませんが、協力の用意ありと言っておりますから、そういう技術の専門的な諸君の出向並びにこちら側の総理府の現在の特連局、新しくできます沖繩北方対策庁職員等現地常駐、あるいは事務的なものは琉球政府職員の方々にもお手伝いを願えれば可能な範囲があると思いますから、そういうものでそうそう予算を食わないと思うのです。ただ米側のほうに予算を食う要素が実はあります。試算ですけれども米側のほうでは、それを日本側間接雇用形態でやってくれると、向こう側給料支払いに要する経費で一人当たり四十六ドルくらいかかるだろう。それはこちらの駐留軍労務者に対してアメリカ側が持っておりますから、そういうようなことから割り出した計算だと思いますが、それだけむだな金が支出されなければならないことになるということもいっておるようです。そこらのことは、雇用形態が直接雇用でなくなれば、こちらも少しがめつく言わせてもらいますと、そういう給料支払い事務はそっちでやってくれてもけっこうじゃないか、だからむだな支出はやめて、支払い事務はそっちでやってくださいよ、雇用事務だけこちらでやって、それに関するトラブルその他は雇用者としての立場であなたたちと話をする機関をつくろうじゃないかということも、まだそこまで提案しておりませんけれども経費節約経費節約というならば、いまやっておる給料支払いと同じことをアメリカ側がやってくれるだけでございますから、それくらいのことは日米双方話し合いができる範囲ではなかろうかと考えますと、合意に達するのはそんなに長くかからないと思いますから、四十五年度予算既定経費であっても雇用形態の新しい前進は十分措置できると私は判断して、自信を持っていま進めているところです。
  9. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 それは予算委員会において大蔵大臣も新しい制度だといえば言っておるのですから当然可能だろうと思いますし、ぜひその点で四十五年度中にひとつ新制度移行させるということに全力をあげていただきたい、こういうふうに思います。  そこで本上では、本土雇用者のために施設庁の千百人が管理事務についておるわけです。そうすると沖繩の場合には大体どれくらいあればそれができるというふうにはじいて検討しておられるのですか、明らかにしていただきたいと思います。
  10. 山中貞則

    山中国務大臣 そこらのところが、本土のように間接雇用形態そのものということになればいいのですけれども本土政府直接、琉球政府直接という形態がちょっとむずかしいものですから、どういう形態になったらどれくらい要るかということも含めていま検討中ですから、もう少しお待ち願えれば幸いだと思います。
  11. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 それともう一つ労働条件中身の問題ですね。これは今度退職金差額本土側に見てもらったわけですけれども、当然これは制度と同時に中身の問題も並べて考えなければいかぬと思うのです。こっちのほうはどうですか。
  12. 山中貞則

    山中国務大臣 中身と言われるのは予告期間本土並み……。
  13. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 ちょっと待ってください。そうじゃなくて、現地沖繩米軍労働者本土米軍労働者の間においては、賃金その他労働条件にたいへんな格差がありますね。それを引き上げさせるということ。これは当然にアメリカ側支出をよけいさせるという、いま非常にけちっておるわけですけれども、あるいは制度よりもっと大きい問題になるかもわからぬ。その労働条件のほうを本土並みに引き上げさせるということについては、当然この制度と相関連をして話を進めていかなければならぬ。その点はいかがですか。
  14. 山中貞則

    山中国務大臣 私一応退職金計算のしかたと受け取って答弁をいたしますと、今回の一億九千六百万は、本土の全駐労の退職金計算と全く同じ計算に置きかえてみて現地の現在行なわれている計算方式との差額をそのまま出したということであります。
  15. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 退職金の問題じゃなくて、現在雇用されておる軍雇用労働者賃金その他の、つまり計算の方法も違うわけですから差があるわけですね。だからそういう現在の賃金並びにその他の労働条件本土並みに引き上げていく、つまり制度間接雇用制度に変えていくと同時に、今度は現在の賃金なり労働条件を引き上げていく、そういう問題が当然あるわけです。その点はいま日米両国間で話に入っているのかどうか、また可能なのかどうかですね。
  16. 山中貞則

    山中国務大臣 これは現在の春闘あるいはまた第三波含みということの交渉の中でもそのような条件等については話し合っているようでありますし、こちら側としても一九七二年になって返ってきたら当然そういう計算方式米側支払い義務として生ずるわけですから、それらのこともこれから将来の検討内容には当然含まれていくわけです。
  17. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 それじゃ次に社会保険関係で、これはちょっといまあるいは議論が無理かもわからぬのですけれども、新しい制度ということにもし移行すれば当然出てくる問題ですけれども、現在本土の全駐労の労働者諸君組合管掌組合として社会保険については駐留軍要員健康保険組合というものをつくっておるわけです。だから沖繩間接雇用制度本土並みのほうに制度を変えていくということになった場合に、その本土でできておる駐留軍要員健康保険組合沖繩軍労働者をつないでもらうということになると、沖繩における医療制度というのがいま本土と違うわけですが、とりあえず軍労働者についてはそうしたものを本土のものにならしていくということも可能なんですね。それはできると思うのです。その点はいかがですか。
  18. 山中貞則

    山中国務大臣 復帰までに本土並み体制に持ち込んでから復帰しなければならぬものに教育と社会保障諸政策があると思うのです、代表的な例としては。その中の一環としては当然考えていきますけれども、現在の本土の全駐労の制度現地の全軍労制度とをつなぐ、たとえば資金面等でプールもできるようなことがあるかもしらぬと思いますが、ちょっとそこまではいまの段階では考えておりませんし、非常に困難であろうと思います。
  19. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 米軍労働者の問題、これで一応打ち切ります。  次に法案の審議の中身に入っていきたいと思いますけれども沖繩事務局準備委員会、これは今度も行ってみて、諮問委員会ですか、見ておると癒着しておるのですね。これはやむを得ないと思うのですけれども、今度はいろいろ経理というか給与というか、その他の面でもはっきりするそうですけれども、しなければならぬわけだけれども沖繩事務局復帰準備委員会というものとの関係復帰準備委員会日本政府代表——事務局事務局長になるわけですか、いまの所長ですね——との関係そこらを明らかにしてもらいたいと思います。
  20. 山中貞則

    山中国務大臣 先般閣議決定いたしました「沖繩復帰対策基本方針」というものでその点を明確にいたしました。米側現地において折衝する必要のある分野は外務省の出先で設置される機関とし、内政のいままでやっておりました問題等についての問題は沖繩当方出先機関において処理するということで、対米折衝という場合には外務省でやるということではっきり分けております。ただ、アメリカ側が資産の買い取りあるいは円切りかえ等の、これは純事務的な問題ですけれども、これらの担当を財務省ということにきめましたので、日本側としても窓口は一応私ども並びに外務省がやりますけれども、事務は大蔵省がやるということになっておりますが、その点は「基本方針」では別段大蔵省がこれをやるとかなんとか書いてありません。ただ現地においては、明確に対米折衝を要するものは外務省の出先機関、そのほかの内政の問題は当方出先機関と、はっきり明示して分けました。
  21. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 そうすると、いまの所長は公使の称号を持っているわけだけれども、その公使の称号はもうなくなるわけですか。
  22. 山中貞則

    山中国務大臣 いま話はしておるようですが、まだはっきりと……。こういう機構になったら公使なんという称号なんか要らぬのじゃないかと私は思うのですが、これはこれから検討します。
  23. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 それは渡航事務や何かまだ民政府との間のあれがあるわけでしょう。あまりすぽっとした場合に、それではたして沖繩事務局機能が果たせるのかどうか、そこらは少し慎重でないといかぬと思うのですよ。
  24. 山中貞則

    山中国務大臣 外務省は公使のままでいいと言っているそうです。言っているそうですが、そういうものが必要かどうか、私のほうでもう少し判断をしてみたいと思います。
  25. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 それではこまかに尋ねます。  対策庁には総務部と調整部とがあるわけですね。その総務部と調整部にはどんな課ができるのですか。
  26. 加藤泰守

    ○加藤(泰)政府委員 お答えいたします。  いま考えておりますのは、総務部に総務課と振興課それから北方関係を担当します北方課、この三課のつもりでおります。  それから調整部のほうは課制をとりませんで、参事官制にしたいと思っております。現在定員が百名とれておりますので、それを中心に調整部長の下に参事官を六名あるいは兼務者を考えることも検討しなければいかぬと思いますが、それも含めまして、参事官を中心に運営していきたい、こういうことであります。
  27. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 北方課は何人ですか。
  28. 加藤泰守

    ○加藤(泰)政府委員 定員の関係は七名でございます。
  29. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 これは北方課七名がついて沖繩北方対策庁ということで北方がたいへん、同列に並んだわけだけれども、これは私はやはり異質だと思うのですよ、正直言って。しかし、まあいろいろ経過はありますよ。いままでのいろいろの経過も十分知っておりますけれども、異質だと思うのです。だから、なぜこれをひっつけなければいけないのか。北方のほうが、北方領土問題というのは解決していない日本の領土の問題として取り組まなければならないし、サンフランシスコの平和条約における処理のしかたその他等からあるたくさんの問題があるわけだし、解決をしていかなければならない民族の課題だと思うのです。しかしやはりこの七人の北方課に、しかも任務は北方協会がやるような任務だけですよ、正直言って。それをわざわざこれにひっつけるということにはたいへん政治的な意図のほうが前面に出ている。われわれとしてはやはりすなおに受け取りにくいのです、そこの点については。北方対策をないがしろにしていいということではないのですよ。ないのだけれども、この沖繩北方対策庁という形で設置法にするしかた、機構のつくり方についてはたいへん私は釈然としないものがあります。その点北方問題に処するためにはたしてこれが適当なのかどうか、この点長官の考えをひとつ聞かしていただきたいと思います。
  30. 山中貞則

    山中国務大臣 政治的な姿勢が前面に出過ぎるということは、そのとおりです。逆に日本の政府姿勢として、政治的という表現もありましょうが、日本政府姿勢として北方領土というものに対して大きなウエートを持ったものであることをはっきりさせるために今回は沖繩北方対策庁にしたわけです。ですから、裏話になりますが、予算編成過程ではいま言われたような議論が党内からもあるいは予算関連するいろんな議論のやりとりでもございました。私はそのことも正しいと思います。しかし、たとえば沖繩と北方とを分離して、北方は課にして沖繩のほうは庁にしてもよろしいとか、あるいは沖繩対策庁と北方対策庁と二つつくれとか、あるいは沖繩のほうは復帰までという議論もありましたから、であるならば臨時対策庁でもいいじゃないかとか、いろんな意見が出まして、私の判断では、まあ総理の意向もありますが、政府姿勢としては、やはりいまだ返らざる領土という意味で、その重みにおいて同じ比重を持つという感触のもとに沖繩北方対策庁というものを設置するという結論に達したわけです。したがって、その機構の内容も天地の開きがありますし、実際上の行政実務というものはあまりありませんが、異質のものであることも認めます。しかし、これ以外に方法をとるとなると、これまた分かれることによるいろんな意見が出ましたので、私としては国の姿勢を、同じ比重で対米、対ソというものに持っておる日本の姿というものが望ましいと考えて沖繩北方対策庁というものの設置に踏み切ったいきさつがございます。
  31. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 率直に認めておられるわけですけれども、これは先般、前回の委員会で、私途中退席しておったものですから、美濃委員が漁業の安全操業の問題等でいろいろ質問された中で当然出ておったんじゃないかと思いますが、北方領土問題についての任務というものを分析すれば、外交交渉の推進というのは、これは外務省の問題ですね。それから国民に対する啓蒙宣伝活動の推進というのは、これはこの間できておる北方領土問題対策協会の問題ですね。それから漁業の安全操業は、これはもう総理府ではどうにもならぬ、水産庁の問題あるいは運輸省の問題です。それからあと北方地域旧漁業権者に対する援護であるとかいう問題、これは協会の問題。総理府はほんとうはないのですよ。だから外に対する意義というのと、国内に対する少しの見え透いた意図——見え透いたという表現は悪いかもしれぬけれども、見え透いた意図というものがあまりにもひっつき過ぎておるというのがわれわれの——沖繩というのと北方というのをひっつけた、そこにたいへん感じざるを得ないものがある。しかし率直に認められましたのでその点はそれにしておいておきたいと思います。  次に県民の参加ですね。沖繩北方対策庁が仕事をしていく。しかし沖繩県民は七〇年、七一年そして七二年とこういう経過の中で、結局復興開発ということについて直接参加をしないわけですね。国政参加ですると言われるかもしれませんが、それは直接経済の復興なり開発なり制度変化なりというものへの参加ではないわけであります。国政全般の問題であります。次元の高いところにおるわけですね。そうすると七〇年、七一年と処理していって七二年につながっていくというその際に県民がどういう形で直接この復興開発、復帰、そういうものに参加していくか、そのあり方を伺いたいと思います。
  32. 山中貞則

    山中国務大臣 全般的には琉球政府の意見を絶えず聞きながら進めるわけですが、そのようなことの以外に沖繩北方対策庁の設置が国会で可決決定いたしましたならば、その人事配置等においても相当首脳部のクラスまで沖繩県民の登用と申しますか、協力ということを私は考えておりまして、その人材を目下スカウト中と申しますか、直接機構の中にも県民の人たちに参加してほしい。その能力のある人がおりますから、当然おられるはずでありますから、琉球政府の御協力も得て両者こん然一体となって進めていきたいものだと思っておりますが、たぶん実現可能であると思っております。
  33. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 それはお役所的な役人的な感覚になるわけですね、上からということ。戦後の審議会というものの設置、そして審議会の今日の役割りと、これはいろいろ議論のある問題でありますけれども、県民の各階層の代表者が、たとえばいろいろな審議会がありますけれども、北海道の開発庁の場合には審議会がある、あるいは奄美大島の場合も審議会があったわけです。そこで審議会をつくって、それに、沖繩のもろもろの矛盾がある、問題がある、そういうところの大まかな代表者を幾つかの部門から出して、そうしてその審議会に参加をして、本土の国民と沖繩県民と一体になって復帰への道というものに直接意見が反映させられる。役所を通して琉球政府を通してということでなくて、県民代表の参加のもとにできるということが必要だと思うのです。国政参加ができるのですから、そういう経済問題だとか労働問題だとかその他のいろいろな社会問題等現地の代表者が参加できぬということは、これは施政権の変質過程である今日においては問題外だと思う。だから私は、審議会を設置して県民の参加というものを当然求めるべきだ、こう思います。その点いかがでありますか。
  34. 山中貞則

    山中国務大臣 私の言ったのは、行政機構もこっちからの一方的な祖国の押しつけであってはならないので、その中にも、相当な高い責任者の地位にも現在県民の立場の人たちを抜てきしていきたい、そうして一体となってやりたいということを申し上げたので、その審議会設置はやはり復帰いたしましたときに国会に、どういう名前の法律になりますか、いずれにしても特別措置を提出いたしますから、予算上あるいは税制上その他のもろもろの特別措置をきめますときに、審議会設置を当然その法律の中でうたって、広く現地の方方の各方面の識者の意見を反映しながら、復興何カ年計画とかいうようなものを進めていかなければならぬだろうと思いますが、いまの沖繩北方対策庁という機構をつくって、そして形は四十五年度予算、四十六年度予算という形で進めていきまする場合に、審議会がはたして必要なのかどうか。いまおっしゃったような感触でいけば、当然日本政府復帰を予定しておる間の作業というものはもう復帰した後につながるその道のりなんだから、それに対して県民の意思を反映させろということでありましょうけれども、いまのところは予算編成というものにそれを反映させるという形しかとれませんので、審議会なり委員会、調査会というようなもの等については、まあ研究はしてみます。復帰したならばそれはつくらなければならぬだろうとは思いますが、御意見は承って研究します。
  35. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 法案の四条三項に、「沖繩復帰に関し、その準備のための施策を策定し、並びに沖繩の経済及び社会の開発及び発展を図るための基本的な施策を策定すること。」ということが四条三項の権限で明記されておるわけですね。  そこでこれを具体的に進めるという場合に、上から本土政府琉球政府を通してということではいけないのじゃないか、私はこう思うのです。だから、国政参加というのが一方であるわけですから、従来本土側でいろんな審議会の設置法なりあるいはいろんな規約に従って審議会を設置するという議論の詰め方もあるでしょうけれども、この四条三項の基本的なものを進めていくということについて県民の参加ということを求めるのが、私は第三の琉球処分だ何だということにならない道だと思うのです。私はこの点はひとつこの法案が終結に至るまでの間各党の皆さんにも御相談したいと思いますけれども政府側としてもそれは付属機関として沖繩問題審議会あるいは開発審議会というものを設置してしかるべきだ、こう思います。私はこれは、この法案審議の終局までの過程でこの問題についてはひとつ総務長官としても検討していただきたいと思います。いかがですか。
  36. 山中貞則

    山中国務大臣 この沖繩北方対策庁という現時点においては、私のほうは審議会設置ということは考えておりません。
  37. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 そこにこの対策庁というものとそれからわれわれが主張してきておる開発庁というものとの考え方の違いも出てくるわけですね。それから総理府の外局は、防衛庁にしても経済企画庁にしても、国務大臣を長にしておる外局はたくさんある。だからこの対策庁を一般職の長官ということではなくて、ほんとうに佐藤内閣が大きな問題として考え、取り組むならば、なぜ国務大臣を長にするものにできないのかという点、これは前にも議論はあったと思いますけれども、そういう点を考えますし、また、いまのこの審議会との関連においても、私はこの機関のあり方というものについて問題を感ずるわけです。なぜ大臣を長とする機関にできないのか、明らかにしてもらいたいと思います。
  38. 山中貞則

    山中国務大臣 これは復帰いたしました後もおそらく議論の分かれるところだろうと思います。現に北海道開発庁で専任大臣がおるわけでありますから、私は復帰後はそのような沖繩開発担当大臣みたいなものがおってもいいと思います。これはこれからいろいろと議論の分かれるところだろうと思いますが、しかし現在は行政機構としての外局の長を次官クラスということで、復帰までの間はいくほうがむしろよろしいと思う。それを外局といっても私が指揮監督、連絡調整、そういうことは可能でありますし、そうすべきことでありますから、そういう立場におってやったほうが、別な大臣をいま設けるというのは、ちょっとそこまでは、鶏をさくに牛刀を用いるの感なきにしもあらずという気もしないではありませんので、機構の問題じゃなくて、やはり基本はもうほんとうに真剣にやるかどうかの問題だろうと思いますから、私が一生懸命やります。したがって次官クラスの対策庁の長官で私は当分の間はよろしいのであると思っております。
  39. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 いや、あなたの手からはずしてほかの大臣にというのは私もしのびがたい点がありますよ。ありますけれども、しかしこれは山中個人の問題じゃなくて機関の問題ですから。だからそれはまあこれからもあとまで続く議論ですけれども、その点は対沖繩の問題に対する本土側姿勢の問題として、絶えず議論しなければならない問題だろうと思います。  次にお尋ねしますけれども、この機関は期限がないのですね。臨時対策庁にしようかどうかという議論もあったという点もありますけれども、この対策庁に期限がないということになると、復帰後もずっと続く機関として考えておるというふうに見てよろしいですね。
  40. 山中貞則

    山中国務大臣 復帰の時点において現在のこのような機構、論議していただいております機構でいくべきか、それとも先ほどの御発言にありましたような全く独立の庁を置いて専任大臣を置くという形でいくべきものか、それらは復帰の時点までに煮詰めなければならぬ問題だろうと思うのです。現在のところは担当大臣を置くということは少し大げさ過ぎるという気がします。
  41. 川崎寛治

    川崎(寛)委員 それならやはり七〇年、七一年にというか、とにかく復帰までのそこに全力をあげる機関だ、これでいけば、法律としてはこのままでもいけるのですね。そうなるとつまり自治体としての沖繩の自治をどう見るかという点が当然出てくるのです。しかしこの法律は期限のない恒久法である性格を持っておりますね。そうしますとそのことは、いまあなたは復帰の時点でどういうふうにすべきかを検討しなければならぬと思う、こう言っておっても、法律というのは制定の過程でどうあろうとも、制定してしまうと一人歩きするわけです。一人歩きするこの法律というのが——沖繩は特に二十数年間も本土から引き離されて痛めつけられ、苦しんできておるわけです。それに対して本土側が厚い手当てをしなければならぬのは当然です。といって自治体としての自治を踏みにじっていいというわけではない。よもやあなたにそれがあるということは言いません。言いませんけれども、しかし法律としては、このままでいくならばなりかねない。だからこれは当然に期限を切ったものであるのが、すなおな、その時点で再検討ということになるわけです。このことを法律の上にも明確にすべきだ、こういうふうに思います。いかがですか。
  42. 山中貞則

    山中国務大臣 これは関係行政各省が、期限がない法律だから復帰後も直接建設省、農林省とかそういうところが沖繩については仕事ができないんじゃないか、総理府のほうでまた引き続きやるつもりじゃないかという、そういう意味の逆な議論等もありました。しかし、かといって復帰までであるということにした場合には、私どものほうが姿勢として沖繩の自治をじゅうりんするということでは決してないので、手厚くしてあげるために特別にそういう機構を設ける、機構を持っているということのほうが——特別扱いをしてあげなければいけないのだと私も思うので、その意味では普通の県並みのそういうものが、何ら特別の開発対策所管というものがないということでは、自治省所管ではまずかろうと私は思うんで、これをこの形でずっと復帰後もやっていくかどうかについてはまだきめておりませんけれども、何らかの特別の行政機構も沖繩には必要である。そのことは決して自治のじゅうりんではなくて、沖繩の特殊な環境の尊重であるというふうに私は考えております。
  43. 池田清志

  44. 大久保直彦

    ○大久保(直)委員 対策庁の設置の法案内容につきましては、かなり審議も進んでおりますので、私は、その対策庁がこれから具体的な作業に入りますその基本的な沖繩復帰に対する姿勢といいますか、今後の具体的なビジョンの問題について、二、三お伺いいたしたいと思います。  初めに、いままでも再三議論ございまして、ただいまも川崎委員のほうから御質問ございましたのですが、このたびの沖繩復帰という大きなテーマが、戦後日本の政治課題として最も大きく評価されていいんではないかと思いますし、また復帰内容については非常に多種、多岐にわたって分かれており、複雑である。いままで長官からもいろいろ伺っておるわけでありますけれども、私たち沖繩復帰のしかたにつきましてはいろいろな議論もあるわけですが、一たん七二年本土復帰ときまった以上は、与野党総力をあげてこの問題に取り組まなければならない。それが一億国民の願いでもありますし、また沖繩県民百万の願望でもあるので、そういったわれわれが総力をあげて取り組まなければならないこの問題、その具体的推進の機関としての対策庁の設置、こういった大事な仕事に携わることにつきまして、非常に不可解であると思うのは、いままでの長官沖繩問題に対するいろいろな発言やまた熱意、いままでの御経験から推測いたしまして、なぜ長官自身その陣頭に立ってこの問題を処理されようとなさらないのか。この問題について私たちも非常に理解に苦しみます。また、過日も沖繩の方と二、三お目にかかって談合いたしまして、そのときも、長官沖繩に来られまして、沖繩に対する建設的な意見を吐かれたにもかかわらず、具体的な対策庁の長官としての場所を、観念的にいろいろな問題は積極的に前向きに発言があっても、具体的にこの任務を遂行するについての長官が対策庁の長につかないということは、どうもふに落ちない。むしろ先ほどお話があった本土側の政治の問題といいますか、取り組み方の熱意の問題ではないか、こういった意見も沖繩県内にはあるわけでございますけれども、なぜ長官御自身がこの対策庁の長として陣頭指揮でいろいろな問題を解決しようとなさらないのか。くどいようでありますけれども、もう一回明確に万人が納得できるような御答弁をお願いしたいと思うのです。
  45. 山中貞則

    山中国務大臣 専任の大臣を置く置かない問題は、先ほど議論しましたので省略しますが、外局ができまして、私の手から飛び去って無縁のものになるわけじゃございませんで、機構として外局とし、独立の事務次官クラスの長を置くということでありますから、それを私が同じように、陣頭に立ってという表現がどうか知りませんが、私の責任において運用していくことにおいては変わりはないわけです。むしろ機構を高い権威のものにしたという点で非常に大きな前進だと思うので、沖繩側にもし誤解があるとするならば、私の手から離れて対策庁が、役人だけのものが別に一人歩きするようにとっておられると、それは事実と違うというふうに考えます。
  46. 大久保直彦

    ○大久保(直)委員 そういうお考えであれば私は率直に申し上げて対策庁なんかつくる必要はないと思う。現体制と何ら変わらない。特連局という名前が対策庁に新たに変わっただけであって、長官はどういう具体的な利点を、対策庁に昇格することによって考えておられるのか。伺いますと、予算も一億一千二百万ですか、正確には一億一千百九十七万余円、月に割りますと約一千万弱、これはどんなことをやるのか、あとで伺いたいと思うのですけれども、非常にわずかな予算、月額一千万弱のわずかな予算で、人員もさほど大幅な増加ではない、そういった点からしますと、なぜこの特連局を対策庁というふうに格上げをしたかということについては、一部世間では行政官庁の打開策の一環じゃないかなどという非難もあるくらいですけれども、こういった問題について、大臣から伺っている沖繩問題解決に対する積極的な御発言とはどうも何かしっくりしない。いままでの機構と同じような体制のままでは、特連局が対策庁と名前が変わっただけのような、そういったニュアンスでこの問題が進められていることは私も非常にまずいと思いますし、長官の意図するところとはまるで別な問題じゃないかと思うのです。戻りますが、特連局から対策庁に昇格することに対するメリットをどのように考えておられるのか。
  47. 山中貞則

    山中国務大臣 念のため申し上げますと、特連局にしても対策庁にしても、事業はやらないわけなんですね。だから、事業予算は硫球政府に対する援助額の増額によって七二年まではまかなっていかなくちゃなりません。ですから、そのような仕事はこれからもしないわけですから、そうそうむやみと人間が必要なわけじゃありませんが、いまの特連局の一局の機構の中では、先ほど川崎委員から機構の一部に触れられましたけれども、そのような参事官クラスを五名も構成した、部長が上に一人いてというような、一例をあげますと、そういう機構になかなかなり得ません。ことにこれから復帰の具体的な各分野、農林、経済、建設その他たくさんありますが、それらの分野についてそれぞれの省の専門職の職員に対策庁に来ていただいて、自分の仕事として積極的にやっていただくということがどうしても必要になってきました。そこで、各省からそういう人々をえり抜いて集めて、それを統轄するためには、庁への昇格がどうしても必要であるということなんです。いまのままの局では、他省からそんなに参事官クラスという人々を集めるのは機構上非常に困難でございます。
  48. 大久保直彦

    ○大久保(直)委員 いまの御答弁、ひねくれて伺いますと、特連局をいろいろ増加するにあたって、参事官クラスをスカウトしてきてそういう体制を組むについては、他局とのバランスの問題で非常に困難である、ですから、対策庁に昇格させてその事務を今後やっていくんだ、こんなふうに受け取れますけれども、そういうことでございますか。
  49. 山中貞則

    山中国務大臣 それはちっとも意地悪くないので、そのとおりなのです。行政事務能力というものを、現地の人々の意向を尊重することを前提として進めますから、専門職の職員現地の事情を専門的に知り、現地専門家と打ち合わせながら進めていくということになりますと、現在の特連局の人材では、それぞれのベテランがおりましても、行政各官庁の専門家というものに人手を欠きますので、そういう意味においては決してひねくれた解釈ではなくて、そういうものを円滑にするために庁に昇格させるということであります。
  50. 大久保直彦

    ○大久保(直)委員 いま出た問題で、ついでに伺いますけれども、一億一千百九十七万の予算がついたのだと思うのですけれども、この具体的な用途についてお願いします。
  51. 加藤泰守

    ○加藤(泰)政府委員 お答えいたします。  一億一千万云々という数字は、昨年の予算と比較しましての増でございまして、全体といたしましては沖繩復帰対策のための機構改革に必要な経費、これは従来のものを含めますが、三億三千三百万円でございます。機構としてはそういうことでございます。  それから、具体的にどういう仕事をやるかでございますが、沖繩復帰対策の推進に必要な経費、これは琉球政府との連絡あるいは協議、それから各省との協議その他の費用が入っております。また現地調査のために相当費用を組んでおります。それから、これは沖繩復帰対策の推進のために必要な経費でございますが、それ以外に北方領土の問題につきましては四千七百五十一万八千円、これは、北方領土問題解決促進のための費用とそれから北方領土問題対策協会補助の費用、この両方が入っております。それから尖閣列島の資源調査のために必要な経費といたしまして三千百四十七万、そういう経費が入っておりますが、これ以外に、先ほど申し上げました三億三千三百十万という中には、食糧管理特別会計に繰り入れる経費、これは去年の暮れに可決していただきました、沖繩における産業の振興開発等に資するための琉球政府に対する米穀の売渡しについての特別措置に関する法律、この法律に基づきまして本土産米を琉球政府に売り渡しますので、その売り渡し額とこちらの価格の差額が食管の特別会計の損失になりますので、その損失を補てんするために必要な経費、こういうことでございます。合計いたしまして三億三千三百万、これ以外に、長官がお話しになりましたように、援助費、これは琉球政府に対する援助費でございますが、琉球政府の財政援助の充実のための必要な経費といたしまして二百三十九億一千二十八万二千円、これは会計年度のズレの関係がございまして、ことし、といいますか、この一月に決定しました沖繩援助費約三百三十億のうちの、本年度すなわち四十五年度に計上されたものと、それから昨年合意いたしました二百二十七億のうちの一部、それの一部を加えましたものが二百三十九億一千二十八万、こういう数字になります。これが本土政府の四十五年度琉球政府に対する援助費でございます。  以上でございます。
  52. 大久保直彦

    ○大久保(直)委員 その約一億一千二百万、月に割ると約一千万弱の、たいした金額ではありませんけれども、対策庁が新設されることについてこういった予算がつけられたということは、対策庁になってから何かやはり画期的なそういったプランがあるやに理解いたしておりましたけれども、いま伺いますと、従来特連局で行なっておった業務が自然膨張といいますか、その経費の自然増加に充てられるんだ、この増加分についてはですね。そういうふうな理解をしてよろしいのでしょうか。
  53. 加藤泰守

    ○加藤(泰)政府委員 一億一千五百万という数字は、本庁に十一名、現地に十四名の増員をいたしまして、その関係で出てまいります対策庁の拡張に伴います経費でございます。それを従来のものと合計しますと三億三千三百十万ということになります。一億一千万というのは、人件費の増でございます。
  54. 大久保直彦

    ○大久保(直)委員 新しい追加分というのは人件費の増加の分だけなんですね。——それで、ここでもう一つ伺ってから初めの問題に戻りたいのですけれども、対策庁の守備範囲の問題でございますが、沖繩県内のいろいろな行政機構の改革、またその行政事務の本土との一体化、また社会的水準の本土との一体化、こういった問題だけに取り組むためにこの対策庁が設けられるのか、それとも日本という総合的な立場から沖繩をどういうようにするかというような見地から、この対策庁でいろいろな問題が討議され、それが各省庁に答申のような形で出されるのか。その対策庁自体のあり方の問題なんですけれども、あくまで沖繩県内の社会的水準、経済的水準、さらには行政事務の本土との一体化、そういった面のみを対象にこの対策庁は今後作業を進めていくのか、それとも、むしろ日本という大きな前提を踏んまえた上で、その中で沖繩という問題に取り組むためにこの対策庁でいろいろな問題が討議されるのか。私、実はあとでいろいろなことを伺おうと思ったのですけれども、この対策庁の内部機構の一覧表を拝見しました。この内容によりますと、残念ではありますけれども、前者の沖繩県内の問題を本土と一体化する、そういった作業が行なわれるためにこういう各部が設けられるというような認識をいたすわけなんですが、その点についてひとつ……。
  55. 山中貞則

    山中国務大臣 それのみではありませんが、それに重点を置きませんと、二十数年も、法律制度のもとから始まって、一切違った居住環境に置かれているわけですから、そのための琉球政府との共同作業みたいなものを進めていくためには、どうしても、尖閣列島の調査とか、そういう特殊なものを除いては、これはやはり人間が最低必要なだけの確保をされて、相談が順調に進まなければならぬと思うのです。  そこで、いまのお話は、別な観点から、琉球のこれからの未来をどうとらえるかということだと思うのですが、新しい全国総合開発計画の中で、沖繩と北方についてわずか数行触れております。これは、その時点においてはやむを得なかった環境にありましたので、復帰の後ということになっておりますけれども復帰がもう確定いたしましたから、それに伴って、新全総計画の上で位置する沖繩というものを十分に考えて、しかも新全総に引っぱられる沖繩ではなくて、沖繩が新しい日本の版図に戻ってくる、それを地球儀的な見方といいますか、マクロ的にとらえて沖繩の価値というものを再認識し、その再認識の上に立って新しい未来を設計し、開発していくということがこれからの方向であります。ですから、機構の問題と、今後の沖繩を進ませる道あるいは沖繩のたどる道筋というものを大きな視野に立って描くということとは、直接には関係ありませんが、そういう作業は当然、琉球政府自体も、十カ年計画とか、いろいろなものをつくっておられますから、これも琉球の立法院において議論がされておりますし、十年後には基地が全くなくなるというようなこと等もありますから、そういう琉球側の理想あるいは願望もある程度入って計画されておりまするものをいかに現実化していくか、しかもその方向をすなおに私どもが受け取れるような計画が樹立できるかということで苦心していかなければならぬと考えておりますが、その意味では沖繩というものを戦前の沖繩的なもので見るわけではなくて、ほんとうに新しい立場から再登場する沖繩、それが沖繩県民の人々の今後の発展、福祉につながる道であると考えております。
  56. 大久保直彦

    ○大久保(直)委員 ただいまの長官答弁は、私も非常に感激しておりますけれども、ただし、そういうお話は、今回の対策庁の管轄内ではないということでございますか。
  57. 山中貞則

    山中国務大臣 そうではございません。対策庁の中でそのような構想を練り上げていくわけです。そのために各省のベテラン等が参加をする機構になるわけでありまして、これには当然新全総の責任官庁である経企庁等ともその新全総の沖繩復帰後に予想される格づけ、位置づけ等も密接な連絡をとりながら、展望の大きな柱として進まなければならぬと思います。
  58. 大久保直彦

    ○大久保(直)委員 ただいま伺った、長官の大きな視野に立った上での沖繩復帰という問題を考えれば考えるほど、初めの問題に移るわけですけれども、なぜ長官みずからこの問題に取り組まないのか、そういう疑問がますます大きくなるわけです。ただ単に行政事務の一体化ということだけでなくて、日本という、またアジアという大きな観点から沖繩問題をとらえていかなければならない。そういったベースに立って沖繩問題というものを検討しなければならないはずなのに、この新しくできる対策庁が単なる行政事務の一体化ということだけで終わってはならない。長官もただいまお話があって、そういう御意図であると思いますけれども、では、なおさら長官責任をとられて、ただいまと兼任の立場でもこういった問題に取り組んでいくことがやはり大きな、よりスムーズな運営の一途ではないかと私は考えるのです。そうした中で、いままで特連局でやってこられた山野さんがサブ的な立場で具体的な問題を取り上げればいいと思うのですけれども沖繩復帰については各省庁とのいろんな連携、こういったものはたいへん複雑になってくると思うのですが、その対策庁の長官長官がおられるかおられないかでは今後の運営にいろんな支障があるのではないか、こういうことを重ねて申し上げるわけですけれども、だからといって変わった御答弁はいただけないと思いますので御答弁は要りませんが、私どもはそういう気持ちでおりますことをぜひ御認識いただきたいと思うわけです。  具体的な問題に入る前にもう一点伺っておきたいのですけれども、実際七二年復帰と、あと二年足らず、非常に短い期間でございますが、過日、話題になっておった沖繩の国政参加問題です。ただいま立ち消えになっておりますけれども沖繩復帰の円滑ということを考えれば考えるほど、一日も早く国政参加を推進して、その合同協議の上でも、また沖繩県民の人たちの具体的、直接的な意見をいろいろ反映させながらこの復帰という問題が考えられていかなければならない。この国政参加の問題は、いま事務当局で問題にいたしておりますけれども、非常に一歩後退した感がいなめない。こうした国政参加早期実現という問題について、長官の私見でもけっこうでございます、お聞かせいただきたいと思います。
  59. 山中貞則

    山中国務大臣 私見でなく公見として申し上げます。これは実は国会にお願いしてございますので、なるべくすみやかに国会で立法していただきたい。議運ではすでに各党で話し合いがほぼついておられるようであります。そこで、ここらから先は私見が少し入るかもしれませんが、といっても党人としての立場になるわけですけれども、わが党の中で憲法論議というものがございます。違憲になる分野があるのではないかというような、不逮捕特権あるいは免責条項、いろいろございますが、こういうような問題、あるいは全国民を代表するものであるという定め等に対して、全国民代表といえるかどうかというようないろんな問題がありますけれども、これはなるほど議論はしておかなければならないものだと思います。議論があることがけしからんとは言いません。立法する以上は、当然違憲であるかないかの議論は立法する側においては十分に考えなければならないことでありますし、また与党でございますから、責任のある立場も一方にございますので、その議論が行なわれたこと、このことは私は異論はございませんが、しかし内閣法制局も衆参両院の法制局も、大体においてこの法律が伝えられる原案どおり国会で成立をしても、違憲には直ちにならないという見解を最終的に統一いたしましたので、わが党の議論もおおむね峠を越しまして、あとは手続を残すのみということになっておるようでありますから、その点は自民党の一員として、せっかく同意していただいた各党の合議したものが、わが党の、正しい立場で確かめるということではあっても、時間的に少しおくれたということについては、私もおわびを申し上げたいと思いますが、たいへん順調に進むところまできたようでございますので、あとは国会の方々にすみやかなる成立をお願いするということでございます。
  60. 大久保直彦

    ○大久保(直)委員 この問題につきましては、総務長官からも重ねて強いプッシュをしていただくことをお願いしまして、次の問題に移りたいと思います。  対策庁ができましてから七二年まで、先ほど申しましたように非常に短い期間でございまして、そこからいろんな問題、プランニングが始まるとは思っていないわけなんです。すでにきちっとした基本的な対策なり青写真なりが着々と進められておると思いますが、私は、そういった見地から沖繩というものを日本の南の玄関口にするのだ、いままでそういうような御発言があったかに伺っておりますけれども、ありませんですか。そういう南の玄関口にするべきか、それとも、沖繩というものはただ九州ブロックの一つである、そういった見方をするのか、その辺はいかがでございましょうか。
  61. 山中貞則

    山中国務大臣 私は玄関口という表現を使っていないと申し上げたわけでございまして、考え方としては先ほどお答えいたしましたように、この狭くなりました第二次大戦敗戦後の日本の領土に本来の沖繩県が戻ってまいりますから、ここに新しい視野から、大きな視野から、その立地条件の有利性というものを十分に引き出した計画を立てていかなくてはならぬ。その意味では、ある意味において、日本から見た場合、東南アジア、中近東に対しては当然沖繩を玄関口というふうに表現してもよろしいかと思います。  御質問もあるのでありましょうけれども沖繩の立地条件が占める有利さは、そこに海、空の交通の要衝としての性格を与えていくことも大きな視野から当然今後片づけていかなければならない、あるいは取り組まなければならない課題であると思うわけでありまして、御指摘は私も同感でございます。
  62. 大久保直彦

    ○大久保(直)委員 最近国内を旅行しまして非常に目をみはることは、国内の道路交通、その他国鉄その他の運輸機関の完備といいますか、まことに著しいものがあると思います。現在すでに取りかかっております北海道と本州を結ぶ青函トンネルですとか、また話題の四国の連絡橋でございますとか、かなりの、青函トンネルは約一千億、それから四国の連絡橋は二、三千億の予算をかけて、大体近年実現の運びになっております。  私、ここでお伺いしたいのは、沖繩県内の交通の整備、道路の拡張、そういったことは当然行なわれ、また石垣、宮古島に対するいろいろな対策も当然とられるのだと思うのですけれども一つ問題なのは、いまの本土沖繩との間のいわゆる交通機関と申しますか、ただいまはまさかトンネルや橋をつくるわけにまいりませんので、海と空を利用することになると思うのですけれども、いま非常にこの交通の便が不便といいますか、船でも鹿児島までは約一日半ぐらい、東京港までは約二日半ぐらいかかるわけでございますけれども、飛行機代も非常に高い。こういった面からして、やはり沖繩本土との一体化という問題を解決するためには、この辺の運輸機関の充実、また促進をはかっていくこと以外に、お互いに連帯意識といいますか、一体化的な感覚を強める道はないのではないか、こういう気がいたしておるわけですけれども、この点について何か長官の腹案がございましたら、この際お伺いしておきたいと思います。
  63. 山中貞則

    山中国務大臣 確かに、復帰いたしますと入域許可も何も要らない全くの国内になるわけでありますから、往来がひんぱんになることは当然のことであります。しかもそのひんぱんに往来するであろう人々の量は、現在はみな空の時代だと思っておりますから見落としがちでありますけれども、実際に、ただいまおっしゃいましたように、航空機にそうみなが乗って用事があるからといって直ちに本土に来られるわけではございませんから、時代が相当変わっていけば別でありますけれども、やはり八割見当の人々は船を利用するであろうということを考えますと、一番近いのは鹿児島港であります。現在でも往来は一番鹿児島港との間がひんぱんでありますし、そこらのところに就航する船舶の、新鋭船、快速船、そういうものの建造に対する国の融資あるいは航路補助あるいは沖繩本島並びに先島同士の間の利用の航路補助の制度をどうしても考えていかなければなりません。また空の問題も、南西航空という特殊な条件で許可された航空会社がございますが、これは本土に返りました後に、全日空あるいは日本航空それから日本国内航空等のローカル社を含むそれらの会社とどういうふうにするか。現在の南西航空をただ既得権で本土まで乗り入れる形をとるのかどうか。そういうことや採算の問題もありましょうし、機体整備の能力等の問題もありましょうから、そういうことを十分念頭に置きながら、空と海という問題に悔いのないように計画を立てていかなければならぬと思っております。
  64. 大久保直彦

    ○大久保(直)委員 国内におきまして、新幹線としましても、昭和六十年、一九八五、六年までに約九千キロ、約十一兆の予算をつけてとりかかろうとしておるわけでありますけれども、いまいろいろ前向きの御答弁があった中で、特に空路というのは非常に高価でもありますし、できれば海上の輸送の改善促進ということになるのではないかと思いますが、さっき長官高速船とおっしゃったのは、フェリーボートのことですか。
  65. 山中貞則

    山中国務大臣 フェリーあるいはカーフェリーのことでしょうが、カーフェリーというものも考えなければいけませんでしょうし、まずその前に旅客船というものも、やはり新鋭船を、収容能力においても、巡航速度においても、なるべくすみやかに大ぜいの人が行き来できるように整備してあげる必要があるであろう、しなければならぬであろうと思います。  それから新幹線の問題は、先般大阪で第五回目琉経済懇談会が開かれましたが、今回は七二年復帰の決定後初めての日琉経済懇談会でございまして、国会のお許しがあれば、私も行ってじかに討論を本土の産業人、現地の産業人の方といたしたかったのですけれども、残念ながら行けませんでしたが、当然でありましょうが、たいへんいままでになかった現実的な問題を踏まえての真剣な議論がされました。くみ取るべき多くの提言を私の手元に届けていただきました。その一つに琉球側から、本土復帰の際は、われわれは船で鹿児島に直行する——大多数の県民ですね。そうすると、現在のところ計画では、新幹線が鹿児島まで最初の一次の計画では、どうやら入っているような入っていないようなあいまいな状態にあることは遺憾である。だからわれわれが沖繩から鹿児島に直行して、直ちに新幹線で東京まで快適な旅ができるように本土のほうの新幹線網整備について、十分沖繩復帰という新しい事態が起こったことを念頭に置いてくれという決議を、これはもちろん本土の財界側も一致して決議をなされ、そのうち日本商工会議所自体の会議におきましても沖繩の要望を取り入れて同じ内容の、日商としての決議をされて、各方面に要請されたようでございます。  こういう沖繩側の願望ということに沿って、国鉄あるいは政府全体の姿勢が、足の便宜を沖繩の人々に確保するという意味において計画の前進することを私も促進し、期待しております。
  66. 大久保直彦

    ○大久保(直)委員 いままでずっと日本の国としてありました北海道に対する青函連絡の投下資本が約一千億といわれておりますけれども、また四国連絡橋も二千五百億ですが、これもまことに機械的に考えますと、北海道五百万、四国四百万の国民としますと、その五分の一か四分の一の分は沖繩百万のために使われてしかるべきではないか。しかもそういう機械的な上に、二十数年間別々に暮らしておったというプラスアルファをつけても、沖繩本土周の交通問題についてはより積極的な姿勢を要望しまして、この問題は終わりたいと思います。  次に、あまり時間もございませんけれども、文化問題についてちょっとお伺いをしたいと思います。  いままでの論議はかなり事務的な冷たい——冷たいというと、ちょっと何でございますけれども、かなり表面的な沖繩復帰の論議が多くて、沖繩県民がいままで抱いておりました沖繩民族固有の文化またはその他の工芸品等に対する沖繩県民独得のプライドといいますか、そういった精神的なささえ、誇りがあると思うのです。あまりこういった問題についていままで論議されておりませんので伺うわけですけれども沖繩の伝統的な民族芸能、これはかなり海外でも高く評価されているわけでございますが、また民芸品、文化財等についての特に長官の御認識の度合いを伺いたいのですが、顕著なものでどんなものがあるか、われわれ本土の国民として認識しておりますが、長官御自身の沖繩の民族舞踊、芸能、または工芸といったものに対する御意見を一部でけっこうでありますからお伺いしたいと思います。
  67. 山中貞則

    山中国務大臣 琉球文化は日本本土の文化と少し発祥経過等を異にいたしまして、中間においては、ある時期においては朝鮮の影響もありましたし、あるいは中国等の大きな影響がございました。これは沖繩の長い苦しい歴史の中で文化的遺産として伝承されてきたものに見られる影響でございます。なお、琉球本来の持つ、そういう伝統文化というものももちろんございます。大体形に残すようなものは、あの大戦末期の戦火によって本島はほとんど失いました。守礼の門をはじめとして、たいへん遺憾なことでありますけれども、しかし琉球焼きにいたしましても、あるいは紅型にいたしましても、それを守ろうとする人と技術というものが生き残りました分野は、たとえば紅型等につきましては、長い間だれからも評価されない製品を黙々として紅型の伝統の保持につとめてきた陰の功労者もおられます。いまは非常に盛んになりまして、これが一種の生産工程に入って商品的価値も生まれてきつつあるわけですけれども、現在沖繩では文化財保護法を本土に準じておおむねやっておりますし、文化財の個々の修理、修築等につきましては予算措置等もいたしまして、本土と同じような、そういう文化財が失われる、あるいは滅びることを阻止しよう、あるいは復元しようという努力をいたしております。今後とも独特の貴重な文化的風土の継承されたものを尊重していくことにおいては全く同感でございます。
  68. 大久保直彦

    ○大久保(直)委員 長官御自身の気持ちよくわかるのですけれども、対策庁の各部の分科会ですね、いま御発言のような問題は、どの部のどの分科会が担当されるのでしょうか。
  69. 山中貞則

    山中国務大臣 教育文化部会の分科会だと思います。
  70. 大久保直彦

    ○大久保(直)委員 そこで検討されるということを大前提にお伺いするわけですけれども、きょうは文部省の方お願いしておりませんので、私のほうから申し上げますが、文化財保護法の第二条に「(文化財の定義)」というのがあるわけです。これは一項から四項までありまして、第一項は「建造物、絵画、彫刻、工芸品、書跡、」等々。第二項は「演劇、音楽、工芸技術」、歴史的または芸術的価値の高いもの。第三項は「衣食住、……等に関する風俗慣習及びこれに用いられる衣服、器具、」等。第四項「貝づか、古墳、都城跡、城跡、旧宅」等歴史上、学術上価値の高いもの。その中に庭園、それから海岸、山岳その他名勝地があげられておりまして、それから動物、植物、地質鉱物で学術上価値の高いもの。第四項はかなり幅広いわけなんですけれども、現在沖繩の文化財として見られているものは、ほとんどこの四項に限られているような感じがいたすわけであります。特にこの文化財保護法の第二条にうたってあります一項から三項までの建造物、絵画、彫刻、先ほど長官の御答弁にありましたように、これはほとんどいま失なわれております。また演劇、音楽、そういったものに対する検討があまりなされておらないが、むしろ今後沖繩の文化というものをクローズアップして対策を考える上において、こういった面にもぜひ目を向けていただきたい。これが、沖繩県民の方々が最も誇りにしている問題だと思いますので、その点は前向きに検討を進めていただきたい、このように思うわけであります。こまかい問題になりますが、先ほどお話がありました紅型ですとかまたは織物、漆器等についても、沖繩の人たちの、もし本土復帰になった場合に、これはどういうふうに取り扱われるのかという危惧の声を二、三私は聞いているわけですけれども、先ほど長官答弁しましたような伝統的な民俗芸能、琉球舞踊等を、今後どういうふうに扱っておいきになるか、もう一度……。
  71. 山中貞則

    山中国務大臣 沖繩の持つ特殊な文化的風土と申しました中には、当然民謡それから舞踊、そういったものが入っているわけです。それに沖繩だけではありませんが、沖繩が独特のものとして保存している空手等もございます。これらのものを無形文化財、さらに国家として、尊重すべき独特のそういうものを伝承している貴重な人については、人間国宝等の指定もあり得ると思いますが、そういうような方面でもちろん保護し、保存し、そうして育成し、援助していかなければならぬ、こう思っております。
  72. 大久保直彦

    ○大久保(直)委員 いますぐ即答は無理かと思いますけれども、この文化財保護法の適用に該当するものも、いままで見られない面で相当あるわけですが、この教育文化部会等におきまして、そういった問題を積極的に取り上げていただきたい、かように要望を申し上げておきます。  それからもう一つ、先日の新聞報道によりますと、西表島で世界で非常に珍しい自然林が乱伐されておる、こういったニュースが載っておったのですけれども、西表島のみならず、沖繩には国立公園に指定されてもいいようなところが多々あるように私は認識をいたしておりますが、こうした沖繩の自然保護、それから国立公園等の指定について、もし何か腹案がございましたら……。
  73. 山中貞則

    山中国務大臣 西表島は、戦前はマラリアの巣くつでありまして、あまり人が立ち入らなかったために、国有林が大部分でございますけれども、貴重な亜熱帯樹林というものが茂っている島であります。したがって現在は、マラリアが退治されたということで——これは米軍の善政の一つでしょうが、二千人余り人間も住んでおりますので、財政当局等には難色がありましたが、西表島には循環道路をやはりつけていくべきだということで、その予算も御審議願っております。ただ、それと同時に、自然の姿を破壊しないという——たとえば西表島ヤマネコ等の世界的に貴重な存在等も確認されておるわけでありますし、その他まだ未発見のものもあるような節もございますので、そういったことは、やはり国立公園等の特別保護地等の措置が当然今後検討されていくであろうし、また独特のサンゴリーフによる美しい海洋ということで、現地では海洋博等の沖繩における開催を要望する声等もあるくらいでありますが、厚生省あたりと相談しながら、国立海洋公園みたいなものを当然考えていかなければならない。開発し、そして沖繩の人々に開発のための生活の向上というものを積極的にやる反面、日本の本土においてすら失われつつある、そういうような天然というもの、美しい風土というものを、いたずらに無計画にスプロールしていかないという配慮は、当然国策としてしていかなければならない、そう考えます。
  74. 大久保直彦

    ○大久保(直)委員 あと二問くらいで終わりたいと思いますけれども、現在いわゆる南部の戦争のあとが、だんだん観光地化しつつあるわけですが、私見は別としましても、沖繩の県民の方々は、南部の戦跡を非常に高く評価して前面に出してきているわけですが、こういった問題に対する長官の何か腹案なり構想がありましたら……。
  75. 山中貞則

    山中国務大臣 確かに現状では、各県がそれぞれかってな形の碑を建てたりしまして、全体的なバランスがくずれまして、せっかく沖繩の人々の悲痛な思い出の地であるところが、今後、観光というのは語弊もありますけれども、旅する人が必ず立ち寄って、かつての悲劇に思いをはせて、未来への平和を願うという場所であることには変わりがないと思います。そこで復帰記念事業といたしまして、それらのものをきれいに公園化するために、戦跡記念公園というものを、予算化いたしまして、復帰までにこれをきれいな——いかにも日本の悲劇があった場所であるけれども、それが美しい姿で保存されている、たとえばアメリカのアーリントン基地ですか、ああいうふうに墓石は並びませんけれども、やはり南国の風土にふさわしい、復帰記念事業としての戦跡記念公園の完成を急ぎたいと思っております。
  76. 大久保直彦

    ○大久保(直)委員 七二年の沖繩復帰が決定いたしましてから今日まで、行政事務の統一化その他の問題がいろいろ論じられておりますけれども、私は、だれが言ったのか忘れましたけれども、人はパンのみによって生きる者にあらずということばがございますけれども沖繩県民の精神的な面があまり重要視されていないのではないか。無視というと語弊がございますが、そういった面について、沖繩の歴史、また伝統や風俗習慣といったものも、われわれは、より十分考慮した上で、文化的な財産といったものもやはり配慮していかなくては、ほんとうの意味での復帰ということは実現できないのではないか。単なる貨幣の切りかえをやるとか右側交通を左側交通に直したからといって、沖繩県民が喜んで本土復帰ができるかというと、そうではないと思いますので、こういった点について、より一そう慎重に教育文化部会等でも論議されて、沖繩の方々が喜んで本土復帰ができるような対策を講じられますことをお願いいたしまして、私のきょうの質問を終わりたいと思います。
  77. 山中貞則

    山中国務大臣 私も文化的な遺産と申しますか、そういうものにたいへん興味を持っている人間の一人でもございます。でありますから、これまで沖繩に参りましたときも、町の一市井の篤志家で曲玉その他から、古い散逸しかかっているものをたくさん集めておられる人がありまして、そのお宅をたずねまして拝見したこともございますが、それに対しては、だれも援助も何もしていないで私費でやっておられるようでございます。こういうものは、もう得がたいものでございます九ら、やはりそういう人々の持っておられるもの等を、御協力いただくなりあるいは御援助申し上げるなり、あるいはそういうような民族の伝承しました古いものを集めて歴史美術館をつくるなり、いろいろなこともこれから考えられていくと思います。そういうことで、私といたしましては、争ういう美しい伝承された心というものを大切にしていくことが今後の一番肝要なことであろうと考えますので、御意見を十分念頭に体してまいりたいと思います。
  78. 池田清志

    池田委員長 次回は公報をもってお知らせすることとし、本日はこれにて散会いたします。    午後零時十九分散会