○
和田(春)小
委員 あなたの言っていることは矛盾しているのですよ。いまの
ルールが最上のものなんだ、それで、その点についてはあまり問題がない。それなら、なぜ
運輸省の指導で補強をやらしたか。念には念を入れたと言った。ではなぜ
調査の
段階で、
ルールそのものについて念には念を入れて検討しようとしないのですか。それが科学的な態度だと思うのですよ。盛んに科学的、科学的という
ことばが出てきているけれ
ども、一つも科学的じゃないじゃないですか。船は海の上を走っているわけですから、
海象、
気象等の問題を考えるにしても、
運航を考えるにしても、
運航のマニュアルをつくるにしても、その
船体はどの程度のしけにどういう
状況において耐えるものであるのか、どこまでいけば限界になるのかということがつかめなかったら、どうにもならぬじゃないですか。
気象庁が
資料を調べてどんどん流してくれても、自分がいまあおうとしているしけの
状況が、自分の乗っている船にとって限度を越えるものなのか、越えないものなのか、それは波や風の問題じゃないのですよ。船の
強度の問題との
関連で、
運航性能との
関連で出てくる問題なのです。それがわからなければどうしようもないじゃないですか。あるいは
運航マニュアルをつくるといっても、どの程度の波になったら逃げてこい、避けて通れ、減速しろとか、どの程度の
波浪に対してどういう操縦をしろ、この程度以上になったらこの船はもたないとか、その限界がわからなければできないじゃないですか。従来の船乗りは——私も商船学校で教育を受けて、約十年海上生活をやっております。ここに
報告されておるくらいのしけに何度もあっております。しかし、これは従来の伝統的な
経験で、この程度のしけに対してはだいじょうぶなんだ、それが一つの自信になっておって、
運航ないしは操船の基礎になっておったから、伝統的に申し継がれ、教育されたことで間に合ってきた。しかし、いままでこういう大きな船はなかったでしょう。何十年の
経験を持っていない。僅々この数年じゃないですか。そうとすれば、科学的という以上は、一体どういう
海象、
気象のもとにおいて限界以上になるのか、あるいはどういうことを
前提にしてつくられているのか、そういう点をはっきり追及するということが、
遭難の
原因を
究明し、死んだ
船員に対しても
責任を明らかにするゆえんではないのですか。これは何も行政的
責任をとれと言っているのじゃない。そういう
感じがあって初めて
事故原因の
究明ができるのですよ。なぜそこを逃げるのですか。