○梶原茂嘉君 第一点の原因が、二百万トンの
買い入れの増加は異常な数字であって予測することが困難であるというようなお話であります。これはいろいろな
考えようがあろうと思います。一昨年の秋から昨年の春、ちょうど
予算編成時分に、大体次の作柄はどの程度になるかということは異常なる関心を持たれた問題であります。三十二年に続いて、あるいはそれ以上、作が上回るのではなかろうかということも、十分予測の中には入っておった重大な問題だ。しかし、御承知のように、従来の
計算方針でいけば、生産高は平
年度をベースとする。それはこれまでずっとやってきたことであります。平
年度をベースにすれば
数量に食い違いが起こってくるのは当然の話で、平年作ぴったりいくということはあり得ないわけであります。最近は、しかし、非常に生産が伸びてきておるということは、これはもちろんはっきりした事実である。
総合予算方式をとる以上、そういうことに対する相当の用意がなくちゃなるまいと思われるわけであります。まあ、
買い入れ数量に伴う資金の問題につきましては、
予算総則の弾力条項がある。それはそれで解決つく。問題ない、反面、余備金が千五百億ですか計上された。まあ、千五百億の私は積算の基礎は知りませんけれども、かりにあれを、相当作が上回ることもあるべしという予想で、
総合予算方式で
補正を組まないという
方針に即応して、かりに四百億ふやしておけば、この問題はなかったのじゃないか、こう
考えるわけであります。私は、あの二百万トンがどうこうということには、そう実は大きなインタレストを持っていないわけであります。むしろ、
食管制度なり
食管特別会計のあり方自体、それと
総合予算方針ですね、それとの間にやや性格的な相違があるというところに問題があるのじゃないかと、実は私は見ておるわけであります。この問題はあとでも触れると思います。
それから、これは当時、同時にいろいろ論議された点でありまして、
財政硬直化というけれども相手があるのだ。相手はしょっちゅう毎年
補正予算で年末苦労をかけるのだ——
一般会計から言えばですよ。そのAグループは
食管特別会計にある。あるいは
人事院の給与改訂の制度のあり方とか、地方
財政との関連の問題とか、医療保険制度とか、こういう制度自体が、硬直化と言わないけれども、必ずしも正しい姿ではないのじゃないか。これを直していかなければならない。それを直す一つの役割りを
総合予算方針は買って出ておるのだというふうなこともしばしば言われたのであって、それはあながち見当はずれとも思わなかったわけであります。だから、たとえば当時の経企長官の宮澤さんは、これは彼の私見であったけれども、米に限って言えば、生産者米価、
消費者米価は今度は据え置こうじゃないか、据え置いて、そうしてその間そういう基本的な問題を冷静に再検討しようじゃないかという提案を出されて論議を呼んだことは御承知のとおりであります。そういう構想を私はいい悪いを言うわけじゃない。それと関連しながら、あのときの
総合予算方針を採用する
考え方と
考えあわせますと、一応の
意味合いというものをそれなりに見出すことができるわけであります。ただ、その
数量がどうこうとか、だから
補正を組むのだとかどうこうというふうに原因を見ることはいささか見方が狭いのじゃないかと私は思います。それはお答えを求める気持ちはありません。
それから、評価の問題でありますけれども、これはいろいろあろうと思います。今度の
補正が
総合予算方針の破綻を示すものかどうか、そういうことは別といたしまして、評価の点になりますると、必ずしも私はプラスだけではない。どこにプラスがあったか。たとえば昨年の生産者米価、
消費者米価のあの問題をめぐって
総合予算方針というものが若干の役割りをしたかもわかりません。どういう役割りをあのとき果たしたか、それを探求しろと言っておるわけではありません。ある見方によれば、あれはプラスであったという見方もありましょうし、見方によれば、ああいう制約をこういう
方針によってつくるということは、これはよろしくないという見方も、ある
意味であり得るであろうと思います。ただしかし、現実の経過をずっと見ますと、若干マイナスがあった点はいろいろあると思います。たとえば、あとで申し上げますけれども、三月になりますると、古米の処理の上で、春になってくると、相当その実態にあったひとつ
措置をしなければいけない。価格も現実に下げなければいけない。扱い量といいますか、そういうものも減らさなければならない。それは当然の私は
考え方だと思います。しかし、新米、古米の価格の差をつけることになってくると、いや、
総合予算方針というもので押えられておるので動きがつかないであろうというようなことがしばしば昨年からいわれてきたわけであります。これは大蔵省から見れば、それはプラスだと当然言われるかもわからないけれども、冷静に実態的に見れば、私は必ずしもプラスとは思われないのであります。相当すなおな姿、実態がやや窮屈にゆがめられるというふうな事柄が現象的には少なくなかったように思うわけであります。しかし、これは筋の合ったことで、とやかく言いません。ただ、そういう原因なり実態をはっきりしていくということは、来
年度の
予算に関連して、
大蔵大臣も総理も、
総合予算方針というものを断固続けていくと、こういうことをはっきりされておるわけであります。われわれは、まあ
財政硬直が中心にあった昨年のあの時分の
予算をめぐる内外の
情勢と現在とでは、相当大きく変わってきているんで、
財政硬直と言ってみても、一般
国民はすなおにそのとおりに受け取るわけでもあるまい。まあ、いろいろ
考えてみると、新しくそういう
方針を打ち出すことはむしろ適当とは言い得ないであろうというような
考え方を実は持ってきたわけであります。ところで、
食管特別会計の来
年度の
予算の立て方あるいは需給計画等を見ますというと、これは、実にたんたんとした普通の従来の
考え方がしんになっているわけであります。無風状態のもとでこう数字を並べたような感じがいたします。ところが、御承知のように、新しい
年度における
食管制度、
食管特別会計の内外をめぐる
情勢というものは非常に大きな変化が予想される。的確な予想をつけることは非常にむずかしい。第一、生産の調整が行なわれる。こういうものですね。その結果がどういうふうに出てくるか、なかなかこれ大きな問題でしょう。それから、新しく自主流通の路線が廃止される。これも、いまだかつて経験したことのない問題であって、それがどういうふうに動くか、これも
食管制度自体の知らぬことであります。さらに問題は、巨大なる過剰の米をかかえておるわけであります。これは、もう申すまでもなく、生きものですから、その毎日毎日、一日が変わっていくわけであります。かつてない巨大な古米を含んでの過剰米をかかえているわけであります。しかも、配給制度の上でも公定価格制度を改廃しようとか、従来の流通の仕組みをひとつ大きく改革しようというようなことも
考えられておるわけであります。異常な一つの変化が予想される来
年度の
食管制度を対象にしまして、そして片や
総合予算方式、こうなっておるわけですね。そういう変化に対する何らかの用意が来
年度の
食管特別会計の中に用意されていれば、これまた話は別だけれども、どうも、見渡しても、そういう用意の片りんを見出すことがちょっとむずかしいようであります。はたしてこれで
総合予算方式ということで円滑に的確に処理が進んでいくことであろうかとなると、私には不安が出るわけであります。そういう点を、一体
大蔵大臣は、
総合予算方式、
方針を堅持される上においてどう
考えておるのだろうか。一般の
財政の観点で、
総合予算方針というのはそのままでけっこうだと思うのですよ。しかし、具体的な需要量の対象と照らし合わせてみると、なかなか四十三
年度におけるこの
方針と四十四
年度における
方針は、相当私は違ってくるのじゃないか。一体、新しい
総合予算方針というものの
考え方なりねらいなりは那辺にあるのかということをひとつお示しを願いたい。