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野上元君 とにかくすみやかに慎重に対処するような方向で検討してもらいたいと思います。私の希望を申し上げておきます。
それから、これは少し私の論理が発展していくかもしれませんが、いまの
テレビのあり方について、私は私なりに実は
考えておるわけですが、ある学者に言わせると、
未来学者に言わせると、将来——将来といってももうあと十年ぐらい先に、たとえばフランスに一九八五年
委員会というのがありまして、これが未来の青写真をいまつくりつつあるのです。その中間発表によりますと、フランス人は大体七十万時間生きるであろう、その中の働く時間は大体四万時間ぐらいだろう、こう言っておりますね。私は、フランス人が二十から六十まで働くとしてちょっと計算してみたのですが、私なりに、そうすると、一日どのくらい働くかとみたら、大体二・二、三時間ないし五時間ぐらい働けばよいということで、あとの二十何時間というのは寝てもよし、何でもよろしいという
状態になるだろう、こういうのです。したがって、フランスにおいてさえ一九八五年にはそういう
状態がくるということになれば、
アメリカはもっと五年か七年先にそういう
状態がくるだろう。したがって、レジャーというものの
考え方というのは、観念というのは全然変わってくる。そのときには、たとえば一日二時間働いてあとはもうフリータイム、これはレジャーじゃないのです、フリータイム。したがって、むしろレジャーと労働が逆転するだろう。労働のほうがストレス解消になるのじゃないか、そのほうがレジャーみたいになるのじゃないか、そしてフリータイムのほうが、もう非常な退屈でどうにもならぬ
状態になるのじゃないだろうかというふうに言われているわけです。その場合、いまのような
テレビで朝から晩まで同じような毎週同じようなことをやっておって、二十時間も見せられてそれこそストレスの
原因になりはしないか。
テレビがストレスの
原因になりはしないか。だから
テレビも早くそういう事態をキャッチしてこれに対処していかなければならぬ。でなければ、
テレビのためにストレス患者が一ぱいふえてくるというような
状態になるだろう、こういうわけです。それが
一つと、もう
一つはレジャー、いまのレジャー、いろいろあるというのですね。大別して二つある。感覚的レジャーというものがあるというのですね。たとえば音だとか、色だとか、そういうものによって自分の情緒を変えていく、感情を変えていくというような
一つのレジャーがある。しかし、それはもう非常にレジャーという貴重な時間——レジャーも貴重な時間であるわけです。ところが、もうレジャーがレジャーでなくて、退屈でしょうがないような時代になると、そんな覚感的なレジャーというものはレジャーにならぬ。ストレス解消にはならぬ。むしろ知的レジャーというものがふえてくるだろう。要するに知りたいということですね。情報社会になるのですから、知りたいということが、非常に大きな欲望になってくるだろう。知らないということは非常な不安だ。したがって、知らないことは不安だからストレスになる。したがって、これを知らせなければならぬということは、それが教育になるかどうかは別ですよ。とにかく、知らしめる
一つのレジャーというもの、知的レジャーというものがここに生まれてくるはずだと、こう言うのですね。それにもうすでに
テレビは対処していかなければならぬ。この
テレビが対処していくためには、どうしたらいいかというと、いまの商業通信ではそれがなかなかできない。どうしてもできない。視聴率というのですか、聴取率というのですか、ああいうほうにばかり気をとられてできないのですね。そこで
アメリカでもやはり国家が金を投じて、金は出すが口は出さないという
テレビ会社をつくろう、そうして、いつまでもコマーシャルばかりやっておるものは困るのだと、したがって、ここに何というのですか、知的レジャーを提供しようじゃないかというふうな動きがすでに出つつあるといっておるわけですね。それを
日本に当てはめてみると、
日本は幸い
NHKがあるのですね。私は将来、
日本の
NHKの
放送番組は知的
放送番組に編成がえをしていかなければならぬというように
考えるわけです。と同時に教育の面に力を入れてもらわなければならぬ。というのは大学が今日紛争しておりますね。これは優秀なプロフェッサーが非常に少ないということですね。そうして、学生はもう百五十万になった。あと十年もすると、三百万くらいになるというようなことになってくると、ますます優秀なプロフェッサーが少なくなってくる。これを補うものは何かというと、コンピューターであり、
テレビジョンである。したがって、この教育をやっていかなければならぬというのは、重大な
影響を
テレビジョンとしては持ってくるだろう、また、それを果たさなければならぬ。そうしていわゆる国全体のストレスを解消していかなければならぬ、こういう
一つ言い方の人がいるわけですね。そういうことを
考えてみますと、今後、教育
テレビというものについて非常に重大な関心を払っていかないと、
テレビ自体は自滅するのじゃないかというふうに実は
考えておるわけです。いまでさえ一億総白痴だとか、何とかということをいわれておる。私自身も白痴になりつつある一人なんですが、だからそういうことを
考えるというと、
テレビというものは非常に重要であり、教育方面に力を入れなければならぬと思うのですが、
電波監理局長はどういうふうに将来を理解しておりますか。