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森勝治君 あなたがおっしゃったのは番組基準の第九項を引用されているのだと私は思うんですね。私が言いたいのは、あなたいま言われましたが、犯罪等の社会的な指弾を受ける者は
NHKが登用するにふさわしくない人物だからこれは排除する、これは当然でありましょう。これは
NHKならずとも、かくあるべき姿でありましょう。
私がさらにお伺いしたい点は、それを具体化した場合に、番組基準というものがあるならば、そこに登場させる、劇とか出しもののときに登場させる人物にはやはり
NHKの
放送にふさわしい人物、あるいはまた人物というと、特定の人をさすからと誤解されては困りますから、役柄と言いましょう。役者を登用する場合ですね、その場合に番組基準があり、これが根底になって企画方針が打ち立てられるならば、企画方針によって具体的な劇とか、その他の出しものをする場合に、そこに登場する人物はおのずから
NHKの理想に合致する者、
NHKの求める人物、こういうものが選び出されてくると思うわけであります。したがってそうなれば、当然
NHKのブラウン管に登場する者、これは
NHKが採用するといったほうが、より具体的でよかろうと思いますが、そういう方方の
一つの、何と申しましょうかな、出演の倫理とでも申しましょうか、そういうのが当然そこに生まれてくるだろうと思うわけであります。だから、それならば、出演の倫理とかあるいは
NHKの採用する芸能人の規範とか
——規範、規則なんと言っちゃおかしいですがね、たとえば心得なんというといかめしくなるけれ
ども、
一つのおきてがあるわけですね。
NHKのブラウン管に登場されて、あなたがいみじくも
指摘をされた番組基準の第九項に犯罪を起こさない者とかありますね。だから当然私は、これは私が少しまた逆に狭い考えかもしれませんが、当然役柄等をきめる場合に、それがこじきという役で出てくる場合もありましょう、殿様で出てくる場合もありましょう。青年で出てくる場合もあるでしょう、歌よみで出てくる場合もあるでしょう。その役柄役柄は時と場所によって、あるいは時間帯によって違うでありましょうけれ
ども、その根底に流れる思想というものは
NHKが求める人物、こういうもの、おのずから
NHKの
——さっきカラーといったらあまり喜ばないのですがね、このごろは
どもカラー
テレビがはやっておるのに、
局長は
NHKが独善的というふうに批判されたのじゃなかろうかという顔をされていましたが、そういうわけじゃないのですよ。当然
NHKのブラウン管に登場する、それにふさわしい人物をさがし出す、それぞれの配役で。そうなれば、いま言ったような出演の倫理とか、何とかいうものが従来は不文律的な傾きがおありだったらしいのでありますが、当然具体的に成文化されてしかるべきだと素朴に考えるわけです。別にそれらの役者を金縛りするとか、そうじゃなくて、
NHKの創立の
趣旨にのっとったそういう行動をブラウン管の中で、それぞれ役柄に従ってやってもらうわけですから、当然そういうのが成文化されていいように私は素朴に考えるわけでありますが、ところが実際に行なわれている
NHKのそういうものは必ずしもない。それならば、その
一体基準というものは何かというと、いまおっしゃったように企画方針できめる。その淵源は何ぞと問えばこれだという。じゃ、これを具体的にあらわすのは何か、こうなると、いま具体的に
NHKはないわけでしょう。だから、私はそれならば、
NHKは高く社会に奉仕するという命題を高くも掲げておるけれ
ども、もっと高い、この六百何十メーターの鉄塔ということで、
日本テレビと争って盛んに天に上ぼる心地でおるという、これはちょっと雑言でありますけれ
ども、そういうざれ言はさておいて、そういう高い理想をかかえて掲げておりながら、個々の役柄一人々々の、
NHKのブラウン管に登場させる人々を選定するにあたっては成文化されたものが何もない。ならば、これは精神
規定にすぎないのではないかと私は思うのであります。当然これは精神
規定でなくして、具体的な規範があってしかるべきだ、誇り高き
NHKなら当然私はそれがあると思うのでありますが、この点はどうですか。