○
説明員(
遊佐志治磨君)
北海道開発局長でございます。
ただいまの御
質問に
経過を御
説明いたします前に、一分ほど
お礼を述べさしていただきます。
北海道開発局は、御
承知のごとく、
昭和二十六年の七月一日から発足いたしまして、ことしの七月で満十八年になります。この間、
開発局長は私で六代目でございますが、この
国会の
委員会で
発言を許される機会がいままでございませんでした。満十八年
経過しまして初めてのことでございますが、
開発局発足以来、
国会の諸
先生にはたいへん御
指導を賜わりまして、おかげさまで
現場のほうは約一万二千近い
職員がおりますが、
地域の各種の
開発事業を
実施させていただいております。この点、厚く
お礼を申し上げますとともに、引き続き
北海道の
開発の
事業推進にあたりまして御
指導を賜わりたいと考えておる次第であります。
一言御礼を申し上げます。
ただいまの御
質問の、
開発局では、十カ月以上の
長期雇用の、十カ月以上一年以内でございますが、こういう
長期の
非常勤職員を使っておる、約二千名おるということで、それの
経過を御
説明申し上げる次第でございますが、
昭和二十六年におきましては五千百七十九名の
定員で発足しております。当時の総
予算は八十億でございました。現在は、
予算におきましては、ただいま
昭和四十四年度の
予算を御審議賜わっておるわけでございますが、総額において千五百二十三億というようなことに
予定されておりまして、これは約十九倍でございます。一方、
人間のほうは、
常勤職員三百二十名を含めまして、一万一千七百四十六名の
予定でございまして、これは約二・二倍でございます。したがいまして、二・二倍の
人間で約二十倍の
仕事をやってまいる
予定でございます。
この間、五千百名から発足いたしましてただいまの一万一千七百名になりますのにいろいろ
経過がございまして、これを簡単に申し上げますと、御
承知のように、
昭和三十年ころから、非常に
開発事業、まあ国全体の
予算の
伸びもございますが、
北海道開発事業も毎年
相当事業量の増加が連続したわけでございます。この間におきまして、
定員職員以外にもやはり
非常勤職員を何名かずつ使ってまいりまして、それが
長期化した事実がございます。これを
昭和三十三年から
昭和三十七年にかけまして
非常勤職員の
定員化ということが行なわれまして、四千二百三十五名というものがこの間に
定員化されております。したがいまして、それから以後につきましては、
昭和三十六年の二月二十八日の
閣議決定に基づきまして、
非常勤職員の
長期化、これをやっちゃいけないというふうな
閣議決定がございまして、私
どもその御方針に沿って
現場でも努力してまいったわけでございます。
ところが、現在、
昭和三十八年からの第二期
北海道総合開発計画というものを、これは八カ年
計画でございますが、
昭和四十五年までの八カ年
計画でございますので、四十四年は第七年目でございます。特に第二期
計画に入りましてから非常に
事業量の
伸びがございまして、また前にありましたような
状態、これがだんだんと出てまいったわけでございます。
これはどういう都合によるかということを申し上げるわけでございますが、この
開発局は、
札幌に
本局の
開発局長がおりまして、全
道——これは、全道と申しましても、
地域の広さが東北六県に新潟県を加えたくらいの広いところでございますので、
現場に直接の
出先機関といたしまして十一の
開発建設部を置いております。それからさらにその
出先に
現場の
事業所といたしまして、四十三年では二百五十五カ所の
出張所、
事業所、たとえば
道路の
出張所、あるいは
冬期間になりますと
除雪センター、
河川でありますと
河川事業所、それから
ダムの
建設事務所、
ダム管理所、あるいはこれらの
建設機械のための
機械工場、
港湾事業は
港湾事務所、あるいは漁港の
事業所というようなものをそれぞれの港に置いておりまして、それから農業もやっておりまして、これは
かん排事業をやります
かん排事務所、
開拓事業所、あるいは
草地造成事業所、その他
土堰堤をつくります
土堰堤の
建設事務所というようなもの、非常にたくさんの種類の
仕事を二百五十五カ所という
現場の
事務所でやっております。これは、
札幌、函館、小樽、旭川というような人口の多いところばかりではございませんで、非常にへんぴなところも含めて、全道にこれだけの
事業所を置いて
事業の遂行に当たっておるわけでございます。こういうところでは、
北海道は御
承知のように
事業の
適期というのが、年中同じような
仕事ができませんで、残念ながら五月から十一月というのが
工事適期と考えられるわけでございます。したがいまして、この時期に
仕事が集中いたしますので、いわゆる十カ月以内の
短期雇用の
非常勤職員をここ数年は毎年五千名前後
採用いたしまして、そうして
先ほど申し上げました約一万二千名弱の
定員職員と合わせまして、一万七千名前後の
人間でこの
事業を全道二百五十五カ所の
事業所で
実施をしておる。こういうような
状態でございます。その五千名前後の
非常勤職員のうち、年々
長期化して十カ月以上の
長期雇用という姿が出てまいりましたのが、
前回の
委員会でもございましたように約二千名、現在そういう事態に立ち至っておるわけでございます。この現在おります約二千名の
内訳は、三十八年以降毎年四百名くらいずつ、まあ昨年あたりは非常に少のうございまして百数十名でございますが、それくらいの
人間が逐次
長期化されてきて現在のような
状態になっておると、こういうような
経過でございます。
また、この二千名の
中身を、大ざっぱに、こまかい数じゃなしに触れたいと思うわけでございますが、これはおおむね
四つに分けることできます。約二千名を
四つの
グループに分けて御
説明したいと思います。
まず、第一は、
デスク系といいますか、
事務職員、
技術職員、いわゆる
行政職の(一)の
俸給表を適用するような、
定員職員と似たような
仕事をいたします
事務職員、
技術職員。それからもう
一つ数が多いのでは、
図面のトレースをする
人間でございます。
写図工と私
ども言っておりますが、これが約三分の一の七百名ちょっとこすくらいの
人間が、二百五十五の
事業所それから十一の
開発建設部、それから
本局にも若干ございますが、こういうところにだんだん固定化されてきた。
札幌のように人がたくさんおるところでございますと、
労働力の
供給ということについては、私
どももわりあいに円滑に
人集めもできるのでございますが、
現場の何百人かあるいは何千人かおるような部落で
事業所をつくっておりますと、なかなかそういうものも自由自在というわけには相まいらぬというようなこともございまして、特にまた、なれた者を使ったほうが
図面なんかもきれいに書ける、トーレスできるというようなこともございましてこんなような
状態になっておりまして、そういう
デスク系が約三分の一の七百名ちょっとでございます。
それからその次に
グループとして大きいのは、第二は
自動車の
運転手でございます。これが約五百名強おりまして、これは
現地は各
事業所の
所管区域も非常に広うございますので、いわゆる
連絡車、それから全道に十一カ所に配置しております
開発建設部と二百五十五の
事業所との間の
連絡のための
連絡車、これがおもなるものでございますが、そのほか、もちろん
事業用の
トラック、
砂利運搬のダンプ
トラックとか、そういうものも含めまして
自動車の
運転手として約五百名ばかりおります。これももちろん
運転免許をとりましてから何年間か経験ある者というようなことで私
どもは集めておるわけでございますが、これもこの辺は
事業の増に伴っていまのような
道路維持の
砂利の
トラックであるとか、あるいは
冬期間の
除雪も私
どもは
トラックに三角形の
除雪バネなどをつけて
国道の
除雪をやっておりますが、これは
夏場は
砂利運搬をして冬は
除雪をする、こういうような
自動車の使い方をしておりまするので、したがいまして、この
運転手なんかも、なれた
運転手ということになりますと、どうしても十カ月以上になるというようなことで、わりあいに数が多いような
状態でございます。
次の
グループは
労務系の
グループでございますが、これも約六百名おりまして、これは
中身は、
労務系と申し上げましたけれ
ども、
単純労働の中でも重
作業あるいは軽
作業、こういうもので、いわゆる
普通土工といっていますが、そういうものを含めまして約四百名でございます。
北海道におきましては、
もとの一級
国道、
もとの二級
国道、両方とも直轄で
維持管理をしております。これは、
道路工手というものが行(二)の
関係でおるわけですが、二、三キロから五、六キロにわたりまして
国道の延長を一人で担当して、そして、
砂利道でありますれば、
砂利の補修とか、かきならしとか、そういう
作業をいたします。冬はもちろん
除雪の手伝いをいたしますし、
構造物——橋とかそういうものは人力で
除雪をいたしますので、そういう
人間を使っております。それから舗装が済みますと、草刈りだとか、あるいは、これはちょっと表面に見えませんけれ
ども、
道路の横断をしておりますいろいろな
下水溝、こういうものが詰まりますとたいへんな事故を起こしますので、そういう
排水溝を掘って詰まらないようにするというふうなことを年中やっているわけですが、こういう
人間のいわゆる
最盛期における
補充要員でございますね、こういうものに
非常勤労務者を使っておりまして、これはもう非常に大きな数になりますが、大
部分は十カ月以内の
雇用でございますけれ
ども、そのうちの四百名ばかりが十カ月以上、こういうような
長期の形になってまいっております。そのほか、
測量調査、
管理人、これはまかないを含みます。それから小使い、雑役を含みますが、それらのものを含めまして六百数十名、これが第三の
グループでございます。
それからもう
一つ第四の
グループで、これは数はわりあいに少のうございますが、百五十名ぐらいになりますか、電話の
交換手とかあるいは車両の整備やなんかする
技工でございます。その他、
船員、それから少ない数ですが
潜水夫というようなもの、この
技工とか
船員などにつきましては、本人がこの
技術の
見習いからいたしまして逐次
免許などをとって新しい職場で活躍したいというような者もございまして、私
どものほうで持っております
専門家のいわゆる
見習い助手というような形で入って逐次
長期化しているものが百数十名おります。
大まかに申しましてこの
四つの
グループに分けられると思いますが、このような
経過で約二千名のいわゆる
長期雇用の
非常勤職員が発生してまいりました。三十七年までに一時
定員化によって整理していただきまして、私
ども現場の
仕事をやるのに非常に好都合であったわけでございますが、また
事業量の増とそれからいま申し上げましたようないわゆる
見習いから逐次
長期化する
労働力の
供給需要の
関係など、いろいろな問題がかみ合わされましてこんなような
状態になって現在に至っております。
ざっぱくな
説明でございましたけれ
ども、
経過を補足したわけでございます。以上でございます。