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1969-02-20 第61回国会 衆議院 予算委員会 第15号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十四年二月二十日(木曜日)     午前十時六分開議  出席委員    委員長 荒舩清十郎君    理事 櫻内 義雄君 理事 田中 龍夫君    理事 塚原 俊郎君 理事 中野 四郎君    理事 八木 徹雄君 理事 大原  亨君    理事 中澤 茂一君 理事 小平  忠君    理事 広沢 直樹君       足立 篤郎君    相川 勝六君       赤澤 正道君    植木庚子郎君       臼井 莊一君    桂木 鉄夫君       上林榮吉君    仮谷 忠男君       川崎 秀二君    倉成  正君       小坂善太郎君    菅波  茂君       重政 誠之君    田中伊三次君       竹内 黎一君    灘尾 弘吉君       野田 卯一君    野原 正勝君       橋本龍太郎君    福家 俊一君       福田  一君    船田  中君       松浦周太郎君    松野 頼三君       湊  徹郎君    角屋堅次郎君       川崎 寛治君    北山 愛郎君       久保 三郎君    阪上安太郎君       田中 武夫君    高田 富之君       楯 兼次郎君    楢崎弥之助君       畑   和君    山内  広君       山中 吾郎君    麻生 良方君       鈴木  一君    中野  明君       樋上 新一君    林  百郎君  出席国務大臣         内閣総理大臣  佐藤 榮作君         法 務 大 臣 西郷吉之助君         外 務 大 臣 愛知 揆一君         大 蔵 大 臣 福田 赳夫君         文 部 大 臣 坂田 道太君         厚 生 大 臣 斎藤  昇君         農 林 大 臣 長谷川四郎君         通商産業大臣  大平 正芳君         運 輸 大 臣 原田  憲君         郵 政 大 臣 河本 敏夫君         労 働 大 臣 原 健三郎君         建 設 大 臣 坪川 信三君         自 治 大 臣         北海道開発庁長         官       野田 武夫君         国 務 大 臣         (内閣官房長         官)      保利  茂君         国 務 大 臣         (総理府総務長         官)      床次 徳二君         国 務 大 臣         (国家公安委員         会委員長)         (行政管理庁長         官)      荒木萬壽夫君         国 務 大 臣         (防衛庁長官) 有田 喜一君         国 務 大 臣         (経済企画庁長         官)      菅野和太郎君         国 務 大 臣         (科学技術庁長         官)      木内 四郎君  出席政府委員         内閣法制局長官 高辻 正巳君         内閣法制局第一         部長      真田 秀夫君         警察庁長官官房         長       浅沼清太郎君         警察庁警備局長 川島 広守君         経済企画庁国民         生活局長    八塚 陽介君         外務省条約局長 佐藤 正二君         大蔵省主計局長 鳩山威一郎君         文部省初等中等         教育局長    宮地  茂君         文部省大学学術         局長      村山 松雄君         文部省管理局長 岩間英太郎君         農林大臣官房長 大和田啓気君         農林省農林経済         局長      亀長 友義君         農林省農政局長 池田 俊也君         農林省農地局長 中野 和仁君         農林省蚕糸園芸         局長      小暮 光美君         食糧庁長官   桧垣徳太郎君         水産庁長官   森本  修君         通商産業省鉱山         石炭局長    中川理一郎君         自治省行政局長 長野 士郎君  委員外出席者         食糧庁総務部長 松元 威雄君         専  門  員 大沢  実君     ————————————— 二月二十日  委員上林榮吉君、小坂善太郎君及び沖本泰幸  君辞任につき、その補欠として菅波茂君、桂木  鉄夫君及び樋上新一君が議長の指名委員に選  任された。 同日  委員桂木鉄夫君及び菅波茂辞任につき、その  補欠として小坂善太郎君及び上林榮吉君が議  長の指名委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  分科会に関する件  昭和四十三年度一般会計補正予算(第1号)  昭和四十三年度特別会計補正予算(特第1号)      ————◇—————
  2. 荒舩清十郎

    荒舩委員長 これより会議を開きます。  昭和四十三年度一般会計補正予算(第1号)、昭和四十三年度特別会計補正予算(特第1号)の両案を一括して議題とし、質疑を行ないます。鈴木一君。
  3. 鈴木一

    鈴木(一)委員 主として教育に関する問題を中心にお伺いしたいと思います。  昨今、わが国学生運動は激化の一途をたどっておるわけでございますが、しかも学園の封鎖、街頭の占拠など、一そう暴力化傾向を強めておるわけでございます。その原因もまちまちだと思うわけでございますが、たとえば羽田事件とか佐世保事件のような純粋な政治的な形からくる運動、あるいはまた日本大学の例に見られますような学内の経理の問題とか、あるいはまた教育大学の移転の問題とか、あるいはまた早稲田の学長の選挙とか、そうした学内の問題が発端になって起こっておる争議もあると思うわけでございます。それからまた東大の医学部の紛争や、学費の値上げ反対のような、政府あるいは大学当局の施策に対する不満、そういうところに起因して起こっておる紛争もあると思うわけでございますが、しかもこれがお互いにからみ合って一そう複雑なものにしておると思うわけでございます。これを単なる……   〔私語する者多し〕
  4. 荒舩清十郎

    荒舩委員長 少し御静粛に願います。
  5. 鈴木一

    鈴木(一)委員 単なる治安問題というふうな側から取り上げてみても、一時は紛争解決するように見えましても、根本的な解決にはなってないと思うわけでございます。この際もう少し観点を変え、あるいはまた視点を広げて、合理的な、科学的な対策とか、そういうふうなものが必要でないかと思うわけでございます。アメリカあたりでもこういう問題に対して頭を悩ましておると聞いておるわけでございますが、かつて労働運動が勃興したころ、これを法体系の中にはめて、そしてこれをおさめていったような故知にならいまして、各大学あるいはまた大学相互の間で、この学生運動全体をどういうふうにおさめるかというふうな科学的な研究もされておると思うわけでございますが、第二次大戦後からすると、わが国の場合は、いまから九年前の安保騒動に見られますように、世界に名をとどろかした全学連というふうなことで、いわば学生運動の大先輩といっていい実績を持っておるわけでございますが、それにもかかわらず、対策というものが何にも立たない。もちろん、これは大学自治というふうな古い慣行もあるから、政府がみだりに介入できないという一つの問題もあろうかと思うわけでございますが、何となくこれに対する総合的な対策というものがないというふうに感じますが、総理としてこれをどういうふうにお考えになりますか、お伺いしたいと思います。
  6. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 鈴木君にお答えいたします。  いま、大学でいろいろ学生運動が行なわれておる。この学生運動の起きたそれぞれの学校において、それぞれの特異性はある。しかし、今日、いまの学生運動そのものをどういうように見るか、これが一つの問題だと思います。本来、学園内の問題でありますから、教育問題が主であるべきものだと思う。ところが、いまやっておるのは、どうも教育問題ではなくて、むしろ政治問題が主になっておる。それが治安の問題として、暴力行動として取り締まりの対象になる、こういうような方向へ行っておる。そこで、いま鈴木君が言われるように、もっと原因も十分探求しなきゃなりませんが、さらにもっと広い視野から、また広い観点からこの問題と取り組んでいかないと、実態をつかみ得ないのじゃないか。私は、それをおそれるのです。  ただいま言われますごとく、政府がたびたび言っておるように、学問の自由、学園自治、これは尊重すると、かように申しておりますが、自治が尊重された場合に、その責任は一体だれがとるのか。政府自身は、政治最高責任者として、もちろん責任がないとは申しません。しかし、自治を許され、そうして自治が主体になる限りにおいては、学校当局者というものが、まずその問題と取り組まなきゃならない。その関係でただいまの問題を見ますと、これは管理者にはたしていまのような大きくなった大学管理する能力ありやいなや。また、学問の自由、その形において教官がそれぞれの立場で検討を続けておりますが、そのことは許されておるが、管理の面にまでその教官一人一人の学問研究の自由が働いていく、そういういわゆる管理責任がどこにあるかわからないようになっておる。多くの場合は、いまの学生運動、これを見た場合に、学生が悪いとか、あるいは政治が無力だとか、こう言っておりますが、私は、どうしても教官責任というものをこの中に入れなきゃならない。一番の責任のあるものは教官じゃないだろうか、かように思うのです。その教官に対する批判が、どうも出ておらない。この点は、まことに私は遺憾に思う。私どもは、学問の自由を認めるがゆえに、学園自治を当然の結果として認めておるのだ。その場合に、学問の自由が満たされ、認められておる。しかし、学園自治を果たすことができないような状態では、これはたいへんなことじゃないだろうかと思うわけです。ことに私は、学生自身最初から——本来、純真で、将来次の時代をになう人たちでありますが、こういう学生諸君青年諸君先生の感化というものが非常に大きく影響を与えておると思うのであります。これをどうしても管理という面からその問題を果たしていく。もちろん政府は、学問研究の自由や学園自治を認めておりますから、その意味において、直接この大学の問題に介入することは避けるべきだと思う。適切なる助言はするとか、また、そういう意味においては相談相手にはいつでもなり得る、かように思います。だから、いわゆる暴力行為が行なわれない限り、いまのような形でまかされた自治権者、いわゆる管理能力を持つ教官諸君、これがまず第一にその責任を負うべきじゃないかと思う。政府は、それらの方が責任を持ち得るように、そういう環境をつくることが政府責任でもあると思います。そうして一たん暴力行為が発生したら、法秩序を守るという民主主義基本的ルールに立って、学内といわず、学外といわず、これには国家権力が介入せざるを得ないんだと思うんですね。私は、東大あり方京都大学あり方、また京都における学生運動など見て、区別してみまして、何だか自治はやる、自分たちにまかしてくれ、自分たち必ずおさめてみるというが、そこで数百名の負傷者を出して、こういうことが許されてはならないんじゃないだろうかと思う。やっぱりいかに大学警官をきらっても、いわゆる警察権アレルギーというようなものがあるにしろ、やっぱり警官がこれに介入せざるを得ないんじゃないか。治安を乱った状況、そうしてそこに人命に対しての危険がある、こういうような場合には、積極的ならざるを得ないんじゃないかと思う。こういう点について、国民各位の御理解を私はどうしても求めたいのであります。これは最も大事なことだと思いますね。  それから、いま、私たいへん長くなって恐縮ですが、大学が大きくなった。そこに管理が非常にしにくくなった、こういうことはあると思います。しかし、大きくなったことには時代の要請があり、そのもとにおいて今日の経済繁栄があったんですから、大きくなったことについての変化、それを十分に考えて、それに対する対策、対処していく、こういうことでなきゃならぬだろうと思います。いま痛感することは、やはり法の秩序は守らなきゃならない。どこであろうと、この法の秩序を守るということ、これを徹底することが必要だし、そうして学問の自由、学園自治、これが尊重される。そうすればりっぱな大学になるんじゃないか、かように思います。
  7. 鈴木一

    鈴木(一)委員 総理にお願いしておきますが、時間の関係もありますので、そう懇切丁寧でなくてもいいですから、要点だけをひとつお答え願いたいと思います。  従来の学生運動というものを見た場合、これは世界的にそうだと思いますけれども、後進国において学生運動が非常に激しく起こった。それが植民地に対する排除の問題とか、あるいはまた不当な外国干渉に対する排除という形で学生運動が従来は起こっておったと思うわけでございます。そういう意味では、六〇年の全学連動きも、この人たちなりに、植民地支配あるいはまた外国干渉を受けるということに対する反発という意味で、この運動が激しくなったと思うわけでありますが、しかし、現代の学生運動を見てみますと、俗に言う先進国というところでかえって激しく起こっておるわけでありますね。これはドイツでもフランスでも、英国でもアメリカでも、そういうふうな傾向になっておる。ですから、これは従来の学生運動とは趣を異にしておると思うわけでございます。日本の場合も、これは後進国だとはだれも言わないんですが、さりとて先進国だということもまたいろいろそこに問題があると思いますが、中進国というか、先進国に向かっておる中進国、そういうふうな見方ができると思います。いずれにしても、日本でもこのとおり学生運動が激しく行なわれておるわけでありますが、これはただ大学問題だけではなくて、問題の発端は確かに大学問題でございますが、しかし、ヨーロッパの例を見ましても、学生がいろんな形で要求し、その要求が通っておるわけです。学校管理運営に参加するという形はまちまちですけれども、何らかの成果をあげながら進んでおる。それでも依然として学生運動が終わらないでエスカレートしていくというふうな現状を見た場合、ただ大学管理がうまくいったから学生運動が起こらないのだということではなくて、何かそこに他の、大学管理運営以外の問題がここにひそんではいないか。そういうものをお互いが謙虚な気持ちで見抜き、研究し、その対策を考えないと、いま総理が言うように、大学の規模が大きくなった、先生もっとしっかりして大学管理を十分りっぱにやれと言うだけでは、この問題は私は解決しないのではないかというような感じがするわけでございますが、総理でもいいし、文部大臣、何かものを言いたそうですから、文部大臣からでもお伺いしたいと思います。
  8. 坂田道太

    坂田国務大臣 今度の大学紛争にはいろいろの原因があると思いますが、その中の一つに、ただいま総理からお話しになりましたように、大学自体管理運営能力欠除ということも御指摘のとおりであると思います。また一方学生自体学生意識と申しますか、終戦後の六・三・三・四、あるいは入学試験制度、そういうような問題にもかかわる問題でございますけれども、とにかく自律的人間形成ができない、アンバランスな人間ができてきたということはいなめないのじゃないかというふうに思いますし、また、これは先進国における共通の問題といたしましては、機械文明におけるところのいわば人間疎外の問題がある。これにもまたいろいろ原因があるかと思いますが、最近の、京都大学宮田尚之という保健管理センターの所長の研究結果によりますと、追跡調査によりますと、大体東京、京都大学——東京大学でも行なっておるわけでございますけれども、入ってまいりまする学生の十二%か十三%ぐらいは精神障害を受けておる。躁うつ症あるいはノイローゼ、中には分裂症、いろいろそういう近代社会におけるところの文明病といいますか、そういうものを持った人たちが出てきておる。しかもそれは単に日本だけの問題じゃなくて、アメリカでもバークレーだとかあるいはハーバードとか、あるいはまたケンブリッジだとかいうような一流校にそういうような傾向が出ておるということは、注目すべきことではないだろうかというふうに思われるわけでございます。したがいまして、文部省といたしましても、各大学にこういった保健管理センターというものを従来十二ばかりつくってまついたわけでございますが、さらに本年度の予算といたしまして九つだけお願いをしておるわけでございまして、こういう学生意識変化というものも、やはり今日の大学紛争の深層にひそむ一つ原因ではなかろうかというふうに私は考えておる次第であります。
  9. 鈴木一

    鈴木(一)委員 最初総理も言われましたように、学生運動大学の問題から政治の問題に移っておる、こういうふうな御答弁があったと思うわけでございますが、やはり私もそういうふうに思います。やはり大学管理運営に対する不満から、それを解決するために結局政治のほうに目を向けていく。そうして政治に対する不平、不満、絶望とか、こういうものを乗り越えようとしてああした激しい学生運動が展開されると思うわけでございますが、そういう点では、政府与党はもちろんのこと、われわれにもやはり広義の道義的な意味責任はあると私は思っております。  たとえば、この前の解散の場合も、黒い霧の解散だ、政治姿勢を正す、特に政治資金についてはこれを抜本的に改めるのだということが旗じるしになって選挙が行なわれたと思うわけでございますが、しかし、その後これに対する政府の、あるいはまた与党の答えというものは、必ずしも十分じゃなかった——十分というか、私はなっていないと思うのです。せっかく審議会が答申しましても、俗に言う骨抜きもいいところ、そういうふうなものしか国会に出してこない。それからまた、手近かな話ですが、この間の国会にしましても、どんな事情があろうとも——これは私、どの政党がいいとか悪いとか、そんなことは責める気は一つもありません、われわれの責任だと思っておりますが、夜中から施政方針に対する質問をやるなんて、これも実際考えてみれば、われわれ中におるから、こういう事情があって、ああいう事情があったからやむを得ないのだということになるかもしれません。しかし、一般世間からすれば、何かここに戦争か平和かというふうな重大な岐路に立っていた、そのために深夜国会を召集したというならば、これは皆さん国民も納得すると思うのでありますけれども、ただいろんな院内のかけ引きというか、そういうことでよる夜中から眠い目をこすりながら国会をやった。あんなテレビなんかは、どろぼう以外には私は見てないと思うのですよ。そういうふうなばかげたことをお互いがやっておるわけですね。また、それから明治百年だ。それは先人の偉業をたたえる、そうしてまた新しくわれわれが出発するという点では、非常な意味のあることだと私は思います。しかし、明治百年で何をやったかというと、結局選挙違反ででたらめやった連中をかんべんしてやったと……。   〔私語する者あり〕
  10. 荒舩清十郎

    荒舩委員長 御静粛に願います。
  11. 鈴木一

    鈴木(一)委員 ただこういうことしかやってない。そうすれば、確かに制度としては日本の場合は議会制民主主義は確立し、人権も尊重され、どんなことをしても、どんなことをやっても、ずいぶんこれは寛大に扱われておるとは私思いますけれども、実際その政治がこういうふうな形で硬直化し、大衆の、国民の輿望というものに対して無反応であるというふうなことであれば、やっぱりこの際静かに抗議をしたってどうにもならない、むしろこれに対して激しく抗議し、ぶちこわす以外にないのだというふうな気持ち学生がなっていくのも、私は学生だけを責められない。おまえは暴力をやっているのだ、けしからぬといって責めてみたところで、私は問題は解決しないと思うのですね。  この大学の問題でも、前々からこのような過密大学と申しますか、すし詰め大学をたくさんつくって、これでいいのかという気持ちは、お互い持っておりました。しかし、こういうふうに学生ゲバ棒を持って問題を提起したからこそ、お互いが取り上げ、国会で大きな問題になり、また報道機関でもこの間大学問題にさいた労力、努力というものは、私はたいしたものだと思うのですね。問題を出された、その提起のしかたが、ゲバ棒持ってしなければ問題が解決しなかった、そういうふうな現状というものを、総理は何と見ておられるのか。たしかこれは福田さんだと思いましたが、昭和元禄ということばをあなたがお使いになっておる。これはなかなか意味深長なことばだと思うのですけれども、しかし、福田さんはどういうお気持ちで言われたかわかりませんが、私は私なりに解釈すれば、経済は確かにいろんな矛盾を含みながらも繁栄しておる。その間一つ秩序といいますか、門閥、閨閥、派閥というものを含めて、がっちり経済繁栄の上に乗って一つ社会秩序ができてしまっておる。いろんなそこの中に矛盾があり、その矛盾を取り除かなければ次の進歩が得られないというふうな状態になっておっても、あまりにもがっちり固まり過ぎておるから動きがとれない。この現状を打破するには、ただ普通のいまの制度で認められた抗議とか意見の具申とか、そういうふうな形ではどうにもならなくなった。だからこそ、やはりそれをぶち破るためにああいう過激な態度をとらざるを得ない。私は決して暴力を肯定するものじゃありません。肯定しません。しかし、そういう問題を出させるような政治姿勢そのものに、私は問題があるのじゃないかというふうに考えるわけでありますが、総理の御意見を伺いたいと思います。
  12. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 私は、政治家ももちろん責任があると思います。政治家はただいま言われるような意味で反省することは、たいへんけっこうだと思います。政治家も反省する。学校教官学生も同じように反省しなければ、だめじゃないですか。何だかいまのように、政治家だけが悪い、これが反省すればよくなるのだ、そうしてゲバ棒もやむを得ないのだ、こう言われると、それを肯定したことになりますよ。(「そんなこと言ってないよ」と呼ぶ者あり)幾らしないと言っても、それはだめなんです。これはやはり学生自身も反省が要すると思うのです。先に政治家がみずから反省するとおっしゃることは、たいへん私けっこうなことだと思います。同時に、学園自治が許されておる、そういうところだ。なおさらそこの責任というものを考えなければならない。いまの一番悪いことは、自分の権利は主張するが、義務は果たさない、連帯観念は考えない、個人主義的な考え方でものごとを行動する、そうして自己の行動についてもすべてこれを合理化する、そういうところに問題があると思います。
  13. 鈴木一

    鈴木(一)委員 総理が間違ってもらっちゃ困るのは、私は何も学生がいいとか、ゲバ棒がいいとか、そういうことを言っているわけじゃございません。しかし、この問題を解決するには、ただゲバ棒が悪いから、暴力だからこれを押えるというだけでは、世界的な傾向として解決してない。ですから、もっと視野を広げて、冒頭申し上げましたように、広範な立場からこの問題を一つ一つお互いが取り上げて、そうして問題の解決に向かわなければ、ますますエスカレートする。私は一番心配することは、来年は安保の年といわれております。しかし、いまみたいに学生ゲバ棒を持って、覆面をして、叡山の僧兵のようなかっこうをして、しかも機動隊が導入されても、警官には実際守られていると思うのですね。警官に対しては石を投げたり、火炎びんを投げておりますけれども、警官のほうは別にこれを殺すわけでもないし、なるべくけがをしないようにこれを排除する。いわばそういうふうに守られておる中で暴力をふるっている。しかし、それが今度は安保の際エスカレートしていって、アメリカの基地なら基地になだれ込んでいく。そうすると、問題は私は別になってくると思うのです。もし米軍のほうでこれに対して発砲するとか、死傷者が出たとか、そういうふうなことになると、とんでもない別の問題になり、お互い日本の安全保障をどうするかということで最も冷静に問題を処理しなければならないときに、異常なそういうふうな雰囲気の中に巻き込まれるということは、日本の将来にとって私は非常に憂慮すべきことになると思う。  ですから、そういうふうなことを考えた場合、もう少し、ただゲバ棒がいけないのだという観点だけじゃなしに、お互いが考えられるいろんな問題がありはしないかというふうなことで私は申し上げておるわけでありまして、決していま言われるように、暴力を肯定した、あるいはまた大学先生責任一つも追及しないとか、そういうふうな立場ではないわけでございますから、その点はひとつ誤解のないようにしてもらいたいと思います。  確かに、いま総理が言われましたように、お互いの連帯感もない、責任観念もない、権利だけは主張する、こういうふうな風潮は確かにございます。   〔私語する者あり〕
  14. 荒舩清十郎

    荒舩委員長 静粛に願います。
  15. 鈴木一

    鈴木(一)委員 しかし、これは一体何でこうなったかということも考えてみなければならないと思うわけでございますが、戦後の教育を見た場合、確かに戦前の教育と比べた場合、いいところは私たくさんあると思います。戦前の場合は、個人というものが国家とか民族というふうなものの中に埋没してしまって、人権とかそういうふうなものが認められなかった。憲法を見ましても、権利を認めるというのではなしに、義務だけが次から次へと規定されておったというふうな戦前の状態からすれば、戦後の憲法あるいはまた教育には、私はいいところがたくさんあると思うのです。しかし同時に、あまりにも個人の権利とかそういうふうなものだけが強調されて、国家としての連帯感とか、民族としての連帯感とか団結とかというふうなものがおろそかにされておったと思うわけでございますが、そういうことが今度の大学紛争一つの契機に私はなっておると思います。  しかし、同時に、いまの教育制度全体を見た場合、小学校も中学校も高等学校も、人間形成、これは非常にむずかしいことばですが、そういう余地がほとんどない。もう大学の入学のための予備校的なコースになってしまって、もう朝から晩までとにかく試験が行なわれている。こういうふうな教育現状も、私はいまのような学生運動を起こす大きな原因になっていはしないか、こういうふうに考えるわけでございます。  この間、東京の都立学校のある教師が、自分の担当しておる生徒に対してアンケートをとって、世論調査をしたわけでございますが、学校生活上の不満、どういうところに学校生活上の不満があるかと聞いたところが、一番多いのが、高校はもう完全に予備校化しておるというのが三六・四%ございます。それから、教師がつまらない、先生がばからしい、こういうのが二三・五%、あとはたいしたことはございません。それからまた教師に対してのアンケートは、信頼しておるというのが一〇%しかございません。一部の教師は信頼、敬愛しておるというのが四八%、敬愛はおろか、全く信頼していないというのが三七%ある。これは私、先生が悪いのか、あるいは現在の教育制度全体が悪いのか、あるいは両方に原因があるのか、これはさまざまだと思いますが、とにかく予備校化しておるということは、これは事実だと思うのです。ですから、こうした予備校化し、人間形成というふうなもののいとまがないところに、私はいまの教育の大きな欠陥があると思うわけでありますが、こういうことに対して、文部大臣はどういうふうにお考えになっておるのか。  なお、私ここに一つの資料を持ってきたわけでありますが、これは小学校の一年、二年、三年、四年生のテストを、親が非常に教育に熱心なものですから、こういうふうなものを全部まとめてとっておいたわけです。これが三年生のテストの、いままでの全部です。これが二年生です。これが一年生。しかも私はこのテストの内容を見てみますと、教師自身が考えたテストが非常に少なくて、こういうふうな一般の教材会社がつくったテストが非常に多いわけです。しかも、それをこなすためには「母と子の共学書」こういうふうなものまであって、おかあさんと子供が一緒にならなければ、そのテストがこなせない。これはしかも全部父兄負担といいますか、父兄負担でこれが行なわれている。一週間に一回は何らかのテストがある。はなはだしい場合は、この問題を二十分でやれ、先生はストップウォッチを持って時間をはかる。ですから、もう子供は小学校、中学校、高校を含めて、とにかくもうテストテストで追われる、こういうふうな状態になっておるわけですね。  ですから、先生に対する不信感というものも、このとおりたくさん出ていますけれども、やはり教育あり方全体がゆがみがあるというか、ひずみがあるというか、そういうところを直さない限り、日本教育を正常化するということはできないのじゃないかというふうに考えます。教師に対する不信感というふうなものが、高校でさえこのとおり潜在しておるわけでありますから、あのテレビなんかを見ましても、大学紛争先生に、この「ばかやろう」「てめえ」とかいうようなことを言っておりますが、これはただ大学に入ってからそうなったのではなくて、もうすでにテストでいじめられ、いじめられして大学まで行く。それでせっかく入ってみても、最初から意義のある、期待したような専門課程には入らずに、高校と同じような教養課程というものをまた繰り返す。そこで、やはり潜在的にいままできた不満意識というものが、大きくこれは爆発するんじゃないかというふうにも考える。したがって、ただ暴力行為そのものだけを強く否定してみても、問題は私は解決しないんじゃないか。要するに、戦後教育の全部がここに総決算としてあらわれているんじゃないかというふうな気がするわけでありますが、文部大臣は特にこうした問題の解決のために大いに嘱望されてなったわけでありますし、私たち長い間文教委員会でおつき合いをしておりましたし、非常に積極的ないい意見を持っておられる方でありますから、あまりこう言ったらばどうだとかというふうな遠慮なしに、あなたの考えていることを率直に、こうした問題についての考え方を披瀝願いたいと思います。
  16. 坂田道太

    坂田国務大臣 先ほどから現在の学生紛争原因についてのいろいろの御指摘、私も同感するところが多いわけでございますが、元来、人間というものは社会変化に対して対応する力を持っておるものであると思います。しかし、戦後の二十年のこの急激な変化というものに対して、これはなかなか対応できなくなってきておる。しかも先進国といわれておる国々というものは、一応のその何といいますか、制度というものが確立しておりますから、それに対してかつて五百年か六百年かの間に自然と適応してきたものが、この二十年かの激変に対して、なかなか人間変化し得ない状況になってきておるのではなかろうか。しかも若い青少年というものは、その適応性が、むしろ年齢の上の人たち、そういう制度の中に育った人たちよりも敏感にはだで感じて、そして反応するということが一つの象徴的な形としてあらわれてきたということが、まず言えるかと思います。  それからまた、戦後の二十年間の民主主義教育というものを考えた場合におきましても、制度とかあるいはまた法律とかいろいろなものはできましたけれども、はたしてその制度が持つところの精神あるいは合理主義というものを、ほんとうに運用するところの人々が各界各層において身につけておるかどうかというところも、疑問なしとしない、こういうことも言えるかと思います。  それから、御指摘の学生自体に対する人間形成というものが、自律的なものが欠けておるということ、このことの一つ原因として、たとえば入学試験の問題、テストの問題をおあげになったわけでございますが、まず第一に、私は、大学側の入学試験をする方法にも相当に大きな原因があるのじゃないかというふうに思います。たとえば能研テストやその他のいろいろの資料から申しますると、高等学校先生、校長先生方の三年間の成績評価というものと、あるいは能研でやっておりますところの適性の試験、そうして大学の行なうところの試験、この三つを総合したものが一番高い、何といいますか、適性を持って、大学の上の段階、専門教育課程に入った場合には、それが如実に——入学試験だけでやった場合と三つを総合してやった場合と比較いたしますると、むしろ三つを総合してやられた人たちのほうが、適性に応じた採用がなされておるということが、一面的に科学的にいわれておる。  それから、いまお示しになりましたようなテストのやり方等につきましては、私は学校の教師それ自体がもう少しくふうあるいは創意をなすべき問題ではなかろうか。われわれが育ちました小学校、中学校のときには、人数も少なかったから、あるいはそれだからできたのかもしれませんけれども、しかし、そのときの小学校先生、中学校先生たちは、みずからガリ版を刷って、そしてそれをやられた。ところが、今日はワークブックとかなんとかいうようなものの売り込みも非常に多うございます。安易にこれを取り上げる。教育的なことじゃなくて、むしろ安易にこれを取り上げるというところに実は問題があるのであって、むしろ先生それ自体にも問題があるのじゃないだろうかと思います。とにかくマル・バツ式といわれておるようなテストというものについては、今後われわれとしては検討を要する問題であって、この点についても、私たちは制度の改革について中教審でもやっておるわけでございますが、確かにこれは一つ原因じゃないだろうか。たとえばマルかバツか。イエスかノーか。イエスの中にもいろいろのイエスがある。ノーの中にもいろいろのノーのやり方がある。あるいはイエスとノーの間にいろいろの論理の展開がある。反対の意思を表明するについても、いろいろの反対の意思の表明のしかたがある。それこそが自由社会におけるやり方であるにかかわらず、イエスかノーか、ゲバ棒かどうか、七項目をのむかのまぬか、こういうやり方は、非常に単細胞的な発想ではなかろうかと私は思うわけでございまして、こういうような点については、単に小中高の制度そのものにあるのか、六・三・三・四制度にあるのか、入学試験制度にあるのか、それともあるいは母親の教育、父親の教育にも原因があるのか、あるいは二十年間の民主主義社会の弱さにもあるのか、そういういろいろの原因があるのではないかというふうに私は思っております。
  17. 鈴木一

    鈴木(一)委員 もう一般論をやっておりますと時間ばかり食ってしまいますので、少し進めたいと思いますが、要するに、総理文部大臣も、いまの教育あり方については相当の問題があるということは、異存はないと私は思うんですね。いつでもこういうことが論議されていながら、なかなか手がつかない。これは惰性というものもあるかもしれませんが、と同時に、私、文教政策のようなものは、やはり特定の責任者が長期にわたって責任をもって担当するような状態でないと、なかなか対策はむずかしいと思うのです。私が文教委員を長くやっておりますけれども、もう五人か六人文部大臣がかわっておるんですね。有田さんなんかは、質問も何もしないうちに、さっとまたかわってしまった。こういうふうなことでは、ほんとうに長期的な展望に立って百年の計といわれるこの教育問題を処理するということは、私むずかしいと思うんですね。確かに問題点はそれぞれ皆さんが指摘されますけれども、しかし、その解決は何も具体策も立てないうち、何か審議会の答申を待ってというふうなことを言っておる間にどんどんかわってしまう。で、結局その不幸はだれが負うかというと、日本国全部がお互いこういう形で負わなければならぬと思いますので、こういう点についても、文教の行政のあり方というものに対して、いまの最高裁判所とかあるいはまた会計検査院とか、そういうふうな制度と同じような形で、総理大臣がかわっても文部大臣がかわらないのだ、少なくとも六年間ぐらいはみっちり全責任をもってやるというふうな体制をつくらなければ、この教育問題の根本的な解決の方向には私はなかなか進み得ないと思うわけでありますが、私の意見として申し述べて、これはまた答弁を聞くと長くなりますから、やめます。  それで、学校管理の具体的な問題についてお伺いしたいと思います。何しろいろいろな考え方を持った、しかもエネルギーにあふれたものが、何万人というものが一つ学園に集まってくるということ自体、いかに管理能力がある教授でも、これをうまくコントロールするということは、なかなか私はむずかしいと思うんですね。良識のある人だということで集まってきたこの国会でも、小さければ小さいなり、大きければ大きいなりにそれぞれグループもあって、これをコントロールすることはなかなかむずかしい。ましてや何ということなく、大学に入れば何とかなるのだということで集まってきた多くの人たち、しかもまた感覚は案外シャープなものを持っているというふうな者がたくさんおって、これを一人や二人でコントロールするということは、私はなかなかむずかしいと思うのですね。ですから、もう少し学校の適正規模というものを考える必要がありはしないか。  そういうふうな観点からするならば、無原則にふくれ上がっていく総合大学というふうなものではなくて、今後は専門専門に分かれた適正規模の単科大学というふうな形に日本大学を再編成することも、私は一つの行き方ではないか。そういう段階を経て大きくなっても、お互いが教授も学生もそれぞれの分野に応じて責任を持ち、学校管理運営ができるというふうな段階になったら、あらためてまたこれを総合することも必要だと思いますけれども、   〔委員長退席、中野(四)委員長代理着席〕 むしろ将来の方向としては、いますぐできないとしても、小規模に分散していくということも、私は一つの考え方ではないかと思います。これは将来にわたる一つの理想だといえばそれまでですけれども、というのは、この数年前にできました工業高専の場合、大体千二、三百人の規模だと思います。五年間みっちりここで勉強できる。しかも高校時代大学でダブるような教養課程もない。おそらく学力の点については、大学出た者とちっとも私は変わりないと思うのです。しかも非常に学校管理運営もよくいって、そして教育の成果もあげていると思うわけでありますが、そうしたわれわれのそばにある例を見ましても、将来は小規模の単科大学という方向に分散するのが、一つ大学管理運営のいい方向ではないかと思いますが、文部大臣いかがですか、簡単でいいですよ。
  18. 坂田道太

    坂田国務大臣 御意見はほんとうに一つの見識だと私は思うわけでございますが、終戦直後、御承知のとおりに東京大学京都大学に右へならえして、だあっとユニバーシティということになってしまった。そこにやはり問題があるわけなんで、そういうカレッジが幾つか集まってユニバーシティというような、そういう考え方のほうが、管理の面からいったらいいんじゃないか。たとえば一橋大学なんかは、あれは単科大学と思っておりましたが、そうではなくて、あれでも四つの学部が集まった大学でございますけれども、非常に運営等においてはうまくいっているように思っております。三十八年の答申におきまして、やはり研究中心の大学、あるいはまた一般の高等職業人養成の大学、それからまた教員養成の大学というように、目的と性格とはっきりさせて、そうしてこれを区別、種類分けをすべきじゃないかという答申もあるわけでございまして、やはりこういうような考え方が、一つの方向かと私は思っております。
  19. 鈴木一

    鈴木(一)委員 それから学生問題、大学紛争の起こる一つ原因としては、いまの私立大学があまりにも大きくなり過ぎたということも、私は一つ原因じゃないかと思うわけでありますが、戦前の私立大学から比べれば、確かに内容その他については、新しい法律に基づいてりっぱになってきていると思います。そして国立の大学と内容の面ではそう変わらない方向にきておると思います。しかし、そういう点で変わっても、基本的には私は変わっていない点が一つあると思います。それは財政が非常に窮屈である。国庫の援助というものがほとんどない。したがって、学生からの納付金と、あとは借り入れ金にたよっているというところにも大きな問題があると思います。  いま私学の財務状況を文部省の資料を通じて見てみますと、大体平均して借り入れ金が三〇%です。この大部分は市中銀行から借りておる。それからまた学生の納付金が四〇%。平均いたしまして七〇%を借り入れ金と納付金に依存しているわけですね。ところが、英国、これは大学の設立過程が違うかもしれませんけれども、借り入れ金が英国の場合は八%、納付金が八%、一六%です。日本が七〇%に対して一六%。あとは何でまかなっているかというと、国庫からの補助金でまかなっているわけですね。ですから、私立大学とはいうものの、国立に近いような形で運営されていると思うわけであります。米国の場合は、ちょっと事情が違いますが、借り入れ金がほとんどなくて、納付金が三〇%、こういうふうになっている。また、補助金が二八%。これは州なり国からの補助金だと思うわけでありますが、日本の場合は、国からの補助金は平均いたしまして二、三%ぐらいしかないと思いますね。ここに大学生の急増対策政府自身が直接やらずに、私学のほうにおっかぶせてしまった、こういうふうにいわれても、私は政府側としては抗弁の余地がないじゃないかと思うのですよ。数字をあげてみますと、昭和十八年より四十二年にかけて、国立大学学生数は大体二倍になっていると思います。ところが、私学のほうは四倍になっている。いわばこれは大学急増対策において国がほとんど金を出さずに、私学の責任においてやらしたというところに、この大きな問題を残したのではないかと思うわけであります。こういう点について、総理大臣、文部大臣、どういうふうにお考えになっておりますか。
  20. 坂田道太

    坂田国務大臣 確かに御指摘のように、百五十万の学生のうち百十万が私学、そして三十万が国立大学、その他が公立大学というようなわけでございます。しかも国立大学学生一人当たりに対しては七十六万円。ところが、百十万の私学の学生一人当たりに対しては国は一万円以下というような補助金、財投を含めまして三万円程度だということになっておりまして、世界の傾向からいって、高等教育というものがその国の経済発展に非常に役立っているという意味から言うならば、日本のこの私学の果たしている役割りというものは私は非常に大きいと思うわけでございまして、これからやはり私学と国立、公立というものとをあわせた大学対策あるいは財政援助の道を考えていかなければならぬかと思います。しかし、私学は私学の、やはり創立者のお考えもございますし、国立は国立の行き方もあるわけでございまして、そういうような点をどういうふうに考えていくかということは、今後の大きな問題かと思うわけでございます。
  21. 鈴木一

    鈴木(一)委員 私学のほうとしては、いろいろその学校の内容についてとやかく、たとえば教授の任免とか研究の内容とか、いわば大学の俗にいう自治に関することに対する国の干渉はほしくはないけれども、援助はするけれども干渉しないという形の補助金ならば、私は幾らでも受けると思うのですね。ですから、もう少しこういった問題について積極的な考え方をされてもいいんじゃないか。もちろん、金がないからできないんだ、何もかもそう国で負担できないといってしまえば、これは身もふたもないわけでございますけれども、もう少し国が私学に対して——これだけの高等教育の面で責任を負わしているわけでありますから、国自身がもっともっと援助するというふうな体制が望ましいのではないかと思うわけであります。  で、大蔵大臣にお伺いしますが、私学では、財源難のおりから寄付金に対して免税をしろということをしきりと言ってきておるわけであります。これは賢明な大蔵大臣ですから、どういう内容のものを言われてきているかぐらいのことは十分御承知と思いますが、時間がありませんから詳しくはお尋ねしませんが、私立大学振興救済委員会というふうなものでも、いろいろと項目を具体的にあげて要求が出ておりますし、大蔵大臣のところにも届いておると思いますけれども、あまりこの私学の寄付について脱税とか何とかいろいろの角度から規制をせずに、もっとすなおに、しかも手続も簡便にして、受け入れられるような方途を講ずる必要があるのじゃないかと思いますが、その点いかがですか。
  22. 福田赳夫

    福田国務大臣 私学という問題は、文部省の施策の中の重点項目の一つとして私どもとしても重要視をいたしておるわけであります。戦前と戦後は違いまして、戦前は何と申しましても官学中心で、私学は補完的な役割りをしておった、こういうふうに見られたものですが、戦後急増対策に伴いまして私学の地位が非常に上がってきている。この上がってきているという事実を率直に見なければいかぬ、こういうふうに考えるわけでありまして、財政上においてもあるいは財政投融資の面においても、あるいはただいま御指摘の税制の面におきましても、格別の援助体制をしいておるのです。  ただ、私ども考えまして、私学はやはり私企業的な色彩というものもあるわけなんで、そこを、教育を担当する社会的任務というものとどういうふうに調整していくか、これがなかなかむずかしいところで、苦慮しておるところでございまするけれども、文部省、また私学振興会もあります、そういう私学の協力団体もあるわけでございまするから、そういうところにもお願いいたしまして私学の任務というものを大いに活用してもらう、と同時に国の援助も拡大していく、そういう方針で今後とも臨んでいきたい、かように考えます。
  23. 鈴木一

    鈴木(一)委員 たとえば、いまの援助体制では十分じゃないことはもう御承知のとおりでありますが、もっと積極的に援助の道をあらゆる面で開くということについては御異存ないのですね。
  24. 福田赳夫

    福田国務大臣 異存はございませんです。
  25. 鈴木一

    鈴木(一)委員 それではその次に進みたいと思いますが、この際、厚生大臣もおられますのでちょっと……。  東京大学のこの争議の発端が医学部から起こっておるわけでありますが、このことについては触れませんが、ただ国立、公立と私立の医学部の学生の負担が、これまた非常に差があるわけですね。一般的なものでは、学生一人当たりの納付金が私立は二十二万六千円、国立が一万六千円となっておりますが、これが大体十倍です。医学部になるとこれは四十倍になっておるのですね、国立が依然として一万六千円、私大のほうは六十七万円。このほか裏でいろんなまた表に出ない寄付とか、そういうものもあるやに聞いておりますが、一応裏のものは除いて表向き出ているものだけでも、これは文部省の資料でありますが、六十七万と、約四十倍になっておるのですね。ですから医者の場合は特に金がかかる。しかし、われわれこの世の中に生きておって一番こわいのはお互い病気だと思うのですが、人間尊重といってもまずそういう面から尊重されなければならぬと思いますが、日本の医者の数は十分なのかどうか。これはその国の地形とかさまざまな条件によって、一がいには医者が十分であるか十分じゃないかということは言うことができないと私思うわけでありますが、これも厚生省からの統計でありますが、人口十万に対する医者の比率は、オーストリアが一番多くて百八十人、それからアメリカが百四十三人、西ドイツが百五十九人となっていますが、日本の場合は百十一人と、非常に少ないのじゃないかと私は思うのです。これはやはりいま申し上げたような、人間を特に大事に尊重するという面で、日本の場合もう少し医者の養成をやってもいいのじゃないか。これもまたいま言ったように私学に依存するのじゃなくて、国自身がもう少し積極的にやってもいいのじゃないかというふうな感じを持ちますが、何か医者の数をふやすことについて、財政問題以外にほかにふやし得ないような、ふやしにくい何か原因があるのかどうか、厚生大臣にお伺いしたいと思います。
  26. 斎藤昇

    ○斎藤国務大臣 ただいまおっしゃいますように、日本では医者の数が非常に足りないということを、私も就任いたしまして以来痛感をいたしております。統計にあげられましたとおりでございます。ことに一般治療に当たられる医者ももちろんでありますが、そのほか治療に当たられないで、国民の公衆衛生、保健その他に従事していただく医者の数も非常に少ないのでありまして、私は文部大臣と御相談を申し上げて、もう少し医者の数をふやす教育あり方について御相談をしてみたい、こう思っておるところでございます。費用負担の多いことも御指摘のとおりであります。しかし医者になる学校への希望者は必ずしも少なくない。相当多いわけでありますから、したがいまして、適切な施策を講ずれば医者の数をふやすことができるのじゃないかと考えています。文部大臣と特に御相談申し上げたいと思っているわけであります。   〔中野(四)委員長代理退席、塚原委員長代理着席〕
  27. 鈴木一

    鈴木(一)委員 厚生大臣の御答弁を聞いて安心したわけでございますが、いまもそっちのほうから声がありましたが、医師会が押えていやしないか、こういう声もあるわけでございます。私は東北の農村県の出身ですから、よく山間部に入りますと、医者がいなくて困る、診療所なんかできましても、町村長はどうして医者を確保するかということにほんとうに四苦八苦しておるわけであります。私自身の経験からいたしましても、私と一緒に宿に泊まっておった私の友だちが、朝三時ごろ私を起こすので、どうしたのかと聞いたら、心臓のどうきがひどい、すぐ医者を呼びにやったのでありますけれども、とても村には医者がいないので、隣の町まで迎えに行っておる間に、私に抱かれて医者の来ないうちに死んでしまった。こうした昭和元禄なんという時代に、まだ医者に脈をとってもらうこともできずに死ななければならぬような人も山間僻地に行けばざらにおるわけですね。しかも、世界的な統計から見ても医者の数は少ない。こういうふうな状態ですから、もう少し医者を積極的にふやす。少なくとも人口十万に対して百五十人ぐらいまでは医者をふやすというふうなことは、これはもはや私学に依存するのじゃなくて、国の責任において取り上げてもいい問題じゃないか。と同時に、毎年、毎年出てくる各県ごとの所得の番付を見てみましても、医者が非常に高額の所得者の中に入っておる。もちろんこれは過労もあり、たいへんだと思います。それだけにまた収入も多いのかもしれませんが、しかし、一面また医者が足りないから一人の医者にウエートがかかり過ぎやしないか。これは医者自身の人権の問題にもなると私は思いますが、ただ足りないから何とかするというふうなことではなしに、昭和何年までには医者をこれこれにするのだ。十万人に対して百三十人にするとか、あるいはさらに五年後には百五十人にするとかいうふうな、一つのはっきりとした年次計画というふうなものを立てて、この問題の解決をはかられたらいいんじゃないかと思いますが、総理はいかがですか。
  28. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 具体的な御意見でございますが、いま山間僻地あるいは島等に無医村がずいぶんできております。こういうことを考えて、もっと医者をふやさなければならない。どうもお医者さんが都会に集まる。いまの健康保険、国民保険から見ても、お医者さんとしてはどうも都会にいることのほうが望ましい。そういうことで、いま言われるように、診療所を設けても医者の獲得ができない。これはまあ数も数ですが、実際の問題として、どういうようにしたら無医村あるいは医者のいない島、こういうようなものがなくなるか、こういうことも別に考えなければならないと思っております。政府もそういう意味で、やっぱり数もふやしていくが、地方によって非常な幸、不幸がある。そういうことのないようにしたい。最近のいわゆる情報産業などもそういう意味ではうんと発展する余地があるんだということをいわれておりますが、この対策はもっと真剣に考えなければならない、かように私は考えております。
  29. 鈴木一

    鈴木(一)委員 都会に医者が集中するということは、これまたやむを得ない面も私はあると思いますが、やはり数が少ないからそういう集中現象も特に顕著になってくると思います。ですから、やっぱりある程度の数をふやすということが医者の分散にも私は大いに役立つと思いますので、このことについては、考慮するというふうなことだけじゃなしに、もう少し厚生、文部、両方の大臣の間で、あまりいろいろな勢力にわずらわされることなく、き然たる態度でひとつ医者をふやす、これは歯科医も同様でございますが、そういうことの対策を至急講じて具体策を示していただきたいというように考えます。これは要望でございますから答弁要りません。  そこで、具体的な一つの問題についてお伺いしたいと思いますが、もう一回大学の問題に戻ります。  確かにいまの大学にはいろいろ問題がございます。しかし、もうそろそろこういうふうな大学をつくらなければならないというふうなビジョンというふうなものが方々から出てきても私はいいと思うのですね。中教審の答申待ちだと言ってしまえばそれまでで、やはり紛争中の大学でもそうでないところでも、あるいは政府でも与党でも野党でも、あらゆる方面からいろいろそういうビジョンというものが出てきてもいいと思うわけでありますが、そういう意味で、私たちとしては一つの、いまの大学をどういうふうに規定するか、見るかというようなものをまとめておりますので、それについてひとつ御意見を伺いたいと思います。  学校教育法第五十二条によりますりと、「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。」こういうふうに出ております。これは旧大学令における学問のうんのう云々から比べればはるかに新制大学にふさわしく、また実情に接近しておると思うわけでございますが、なおしかし、いまの大学の実情とは相当の距離があると思うわけでございます。今後大学の進学率が大幅に増加して、一そう大学は大衆化していくと私は考えるものでありますが、この現在の実情に適するとともに将来にも適合するというふうな立場から考えた場合、大学の目的はもっといま変わってもいいんじゃないかというふうに考えるわけであります。そこで私は、「大学は専門課程、一般課程及び体育を通じ広く高等教育を授け、進んで社会に奉仕し、充実した生活を営む国民を形成することを目的とする。」こういうふうにはっきりしたほうがいいんじゃないかと思うわけであります。この際、「深く専門の学芸を教授研究」を省略したのは、いまの大学の実情には合わないというので、特にこれを省いたわけでございます。これは私たちも巷間いわれるような大学大学、こういうふうなものを別に想定しておりますので、むしろこうした専門の学芸の教授研究というのは、そちらのほうに持っていったらどうかというのでこれは省いたのでございます。「社会に奉仕し」を入れたのは、前の学校教育法五十二条では、教育の最終目標というものがはっきりしていないのですね。何のために教育するのかさっぱりわからない。そこで社会に奉仕するということを入れたわけでございます。なお、国民という名前を特にここに使ったのは、何かいまの教育は、抽象的な個人というものだけが強くうたわれ過ぎてはいないか、コスモポリタンというか、国籍不明の人間を形成するというふうな感じも受けますので、特に国民という名を入れていると同時に、大学が一部エリートの独占物ではなくて、広く国民大衆に開かれ、国民大衆とともに歩むべき趣旨を明らかにしたわけでございます。いまの大学問題をとらえる基本的な姿勢として、大学の目的を私はこういうふうに見たわけでございますが、文部大臣いかがですか。
  30. 坂田道太

    坂田国務大臣 お答えいたします。  非常に貴重な御意見だと思うわけでございますが、これから先、国民のための大学という場合には、先ほどもお答えを申し上げましたように、やはり目的、性格をはっきりさせて、それに応じた大学の態様というものが考えられるべきじゃないか。その中で中心になりますのは、高等職業人、あるいは教養を身につけた国民の一人となり得る人を出すということがやはり中心になって、その点お説のとおりだと思いますし、またしかしながら一面におきまして、大学というものは学問の世界的水準というものを維持、発展させる、その基礎研究と申しますか、研究ということの本質を持っておりますから、その研究中心の大学、それはつまり大学院を中心としたたとえばアメリカのような大学というふうに考えていくのか、あるいはプロパーの大学大学にするのか、これは議論の分かれるところでございますけれども、とにかく学問中心の大学というものが少数エリート、たとえばコナント博士によりますと大体当該年齢人口の五%ぐらいじゃないかというようなことを考えますと、それ以外の九五%というものはいま仰せられたような内容の大学の大部分、そしてまた教員養成の大学というものもやはり使命感を持った教師になるというような考え方も一つ出てくるんじゃないかというふうに思うわけでございます。
  31. 鈴木一

    鈴木(一)委員 文部大臣はいま私が申し上げたようなことに対して、基本的には賛成ですね。賛成ですね。——わかりました。  それから教科課程でございますが、一般教養課程というものと専門課程は、これは並行的に行なうべきだ。何かいままでは教養課程というのは専門課程の準備で、その下についているというふうな感じがいなめないと思うのですね。ですから、一般教養課程というものは専門課程の上に立ち、これを批判しながらそれにところを与える、そうして最後には専門課程を総合していくんだ、こういうふうに私たちは考えておるわけでございます。  と同時に、これに対する御意見と、もう一つお伺いしたいことは、先ほどもちょっと触れましたが、高校の一般教養課程というものと、大学に入ってからの二年間の教養課程というものが同じようなことを繰り返している。そこに、一そう深めていく、そういう高校時代のものを基礎にしてさらに一そう深めていくとか、そういったような脈絡というか系統立ったものがないと思うのですね。ですから、せっかく苦労して受験地獄を通り抜けて、あるいはすっと入る人もあるでしょうが、あるいは全く人間疎外と言ってもいいような予備校の生活をして、やっと狭き門に入ったと思うと、ある者は、まことにつまらない、高校時代の蒸し返しだ、なら週刊誌でも読んだほうがまだましだ、こういうことになるわけですね。ですから、むしろこの際、高校で一切教養課程は終わってしまう。場合によったら高校三年を四年にしてもいいと思うのです。もう少しゆとりを持たせて勉強させる、そして大学はもうすぐ専門課程と教養課程を並行的に進める。三年でもいいというふうにも考えますが、その点どうですか。
  32. 坂田道太

    坂田国務大臣 ただいま第二十四特別委員会において、まさにそのことを第一に考えまして検討いたしておるところでございますが、御承知のとおりに、たとえば一橋大学においては、現にそれを実行いたしております。そうして、最初から専門課程に入りまして、四年間を通じて一般教育というものをやる。そのためには全学出動という形で、学長あるいは学部長それから研究所の教授、助教授までも出向きまして、そのカリキュラムに基づいてやって成績をあげておるという例もございますし、それからまたお茶の水大学におきましても、多少違いますけれども、総合コースというものを設けましてこれをやっておるということであります。やはり戦後新制大学のできましたときに、二年間は一般教育、それから先は専門教育というふうにやったわけでございますけれども、どうもそれは日本現状には定着しにくい面があるように思われるわけでございます。これらのことを含めまして、ただいま第二十四特別委員会で検討いたしておるところでございまして、十分そういうような各大学の長所を生かして答申がなされるものだとわれわれは期待をいたしておる次第であります。
  33. 鈴木一

    鈴木(一)委員 まだたくさん聞くことがありますが、時間がありませんから、今度はもっと簡潔でけっこうです。おまえの言うことは大体賛成なら賛成と言ってください。  それから、特に私たちが先ほどの目的の中に体育というものを重視したのは、いままでは体育というのはつけ足しだというふうな形で行なわれておったわけですね。しかし、最近の教育心理学の発達によると、体育と知育というものを別個のものとして考えるということは誤りである。やっぱり頭脳はからだの一部分であり、頭ばっかり使っておると身体の他の部分の訓練ができなくなって、そうして最後には頭の機能もおかしくなってくる。先ほども文部大臣が言いました大学生の十何%は文明病にかかっているということだと思うのです。これは体育を軽視したためだと私は思います。同時に頭ばっかりの訓練をやっていると、ほかのからだのほうの機能が弱ってくる。そうすればまたそこに障害が起きるということです。ですから、やはり昔からよくいわれているように、健全な肉体に健全な精神が宿っておるというふうなことで、体育というものを正課として、専門課程、教養課程、体育と、この三本の柱で大学の教科課程をきめるということが一番望ましいと思いますが……。簡単でいいです。
  34. 坂田道太

    坂田国務大臣 まことに私も同感でございます。ことにオックスフォードその他におきましては、むしろ人間形成の意味から、もう昼から先は体育というように割り切っているようであります。そこまでいけるかどうかわかりませんけれども、現在の四単位ということをやはり充実し、あるいはこれから先どういうふうにやっていくか、とにかく体育をもう少し充実させていくということに賛成であります。
  35. 鈴木一

    鈴木(一)委員 もう大体私の申した大学の目的、内容については御賛成を得たものと思って先に進みます。  それから、こうした目的を持った大学管理運営をどうするかということになると思うわけでありますが、最初に承っておきたいことは、中教審の答申をまって文部省としては大学管理法というふうなものをつくられる考えなのか、あるいは多少時間がかかっても、基準というものを示しながらあくまでも学生あるいはまたその教授、あるいはまた世間の人たちの協力を得て、自主的に管理運営の体制をその特色を生かしつつやらせようとするのか、その点をお伺いしたいと思います。
  36. 坂田道太

    坂田国務大臣 第一義的には、やはり大学がそれぞれの責任におきましてその管理体制というもの、それからその大学のあるべき姿というものを考えられるということが必要だと思いますが、こういうふうに非常に大学紛争があちこちに起こってまいりますと、はたしてそれだけでいいかどうかというようなこともございますし、この点につきましてはただいま中教審にも諮問をいたしておるわけでございますから、この答申をまって考えたい、かように思っております。
  37. 鈴木一

    鈴木(一)委員 まだ日本大学人は、学生を含めて、国家権力というものは悪であるといったような考え方をしておる人が非常に多いと私は思うんですね。これはやはり昔からの惰性でもあり、あるいはまた同時に何らかの学説によってそういうふうに考える向きもあろうと思うわけでありますが、私たちは、戦前の大学自治を侵そうとした当時の国家権力といまの国家権力は、形式上からいいましても憲法上からいいましても、全く別種のものだと思っておりますが、しかし必ずしもそういうふうに思わない人もかなりおるわけですね。ですから、そうした受け入れ体制が十分でないところへ大学だけにまかしておけない、手ぬるい、また国民も、政府は何をしておるんだというふうな声も強いわけでございますから、政府のほうで一つ管理基準をつくろうというふうな考え方になるのも無理もないと私は思いますが、しかし、いまの大学紛争の収拾過程と申しますか、収拾には至ってないかもしれませんが、この解決の過程を見ますと、やはり自主的にやったほうが案外問題が起こらない。やむを得ず機動隊を入れた、それでおさまればいいんですけれども、案外また尾を引いて別の問題に発展するところもあるわけでございますから、あまりせっかちに、積年の弊だと思いますが、それを一気にすぱっとここで解決するというふうな考え方ではなしに、もっと時間をかけて、できれば基準を示しながら大学の自主的な解決をはからせる、そうしてその大学それぞれがさまざまな形式の管理方法が考えられて、そうしてお互いがまた切磋琢磨しながらさらにいい方向に向かっていくというふうにしたほうが得策ではないか、こういうふうに私は考えておるわけであります。これは私の要望でございます。  そこで、新しい大学管理をどういうふうにわれわれ考えておるかというと、あくまでも国民に開かれた大学というふうな観点から、いままでのような教授会を中心とした封鎖された大学であってはならない。そこで管理運営も、いま申し上げたように社会とともに歩む、そのためには大学管理運営には学外者も入れた管理委員会と申しますか、理事会というふうなものを考える。この種の考え方は、私の記憶が間違っておるかもしれませんが、たしか昭和二十三年の文部省発表の大学法試案要綱というものがあったと思いますが、これは米国から来た使節団の勧告によって出たものだそうでございますが、その中に、いま言ったような第三者も入れた管理方式が考えられておったと思いますが、こうした管理方式はいまの大学管理するには非常に妥当なものだ、教授会中心ではちょっと無理だ、こういうふうに私は考えるわけでありますが、この点いかがですか。
  38. 坂田道太

    坂田国務大臣 新制大学ができましたときのアメリカのいわば新制大学という理念は、まさにそういう国民の意思を反映させるためにそういう機構を設けることにあったと思うわけでございますが、それがどうもやはり日本の帝国大学というものがドイツ流の大学であったがために、それを排除してしまったというところにやはり今日の問題があるんで、やはり国民のための大学というからには、やはり国民の意思を反映した大学自治ということがこれから考えられなければならないんじゃないかというふうに思います。
  39. 鈴木一

    鈴木(一)委員 この理事会の構成でございますが、教授の代表、それから職員の代表、それから校友の代表、あるいはまた社会一般の代表——この社会の場合は、言論界とか経済界とか労働界とか芸能界とか、そういったところの代表を入れて、この四者によって大学管理運営をしていく。学長は当然この理事会の構成員として入って、理事会は広範な権限を学長に委任して、学長をしてその大学運営教育の全面的な責任を持たして進んでいくというふうな形がいまの新制大学管理するには非常に私はいい行き方じゃないかというふうに考えておるわけであります。ひとつこれを文部省としては、政府としては十分こういう——前にも文部省自身もこういうことを考えた時代もあったわけでありますから、十分ひとつ考慮していただきたいと思います。  それから教授会のあり方でありますが、教授の任命、教育課程の決定、学生の処分等は従来も同様権限を持っておるけれども、やはり最終的には学長の承認を必要とする、教授会と学長の意見が一致しないときは学長の意思が優先する。もちろんその際は学長は理事会にはかり、事を決する、そういう手続もしなければならぬと思いますけれども、こういうふうな形で教授会のあり方を考えたらどうかというふうに思うわけであります。  それからまた、学長の選挙でございますが、理事会、教授会、職員組織の代表、それからまた学生の代表もこの学長の選挙には参加させるのも一つの方法ではないか。また学長は単なる学内だけでなくても、一般からも任命できるというふうな形をとるべきじゃないかと思っております。  それから学生参加の問題ですが、これが非常に大きな問題だと思います。先ほど文部大臣が言いましたように、日本大学はドイツの大学に範をとっておる。確かにドイツの大学は昔のままであり、権威主義と申しますか、日本よりももっとひどい古いやり方だと思いますが、それもやはり学生運動の結果かなり変貌を遂げてきている。学生の参加も真剣に取り上げておるわけでございます。私はこの学生の参加については、ある程度問題によって認めたほうがいいのではないか、こういうふうな考え方をしているわけでありますが、まずそういう点で、基本的に学生は全然この大学管理運営にはいかなる形であれ参加すべきじゃないというふうなものなのか、あるいは何らかの形で、問題により、あるいはその権限を規制するならして参加さしたほうがいいのか、その点文部大臣どう思っておられますか。
  40. 坂田道太

    坂田国務大臣 学生参加というものが非常に言われておるわけですが、参加の概念が実を言うとはっきりいたしておりません。それがいよいよ問題になっておるわけでございますが、たとえばフランスのフォール改革案におきましてもあれだけの参加を許しておりますけれども、同時にあの国は中央集権的な国であって、文部大臣が発意をし、そして閣議で了解をし、大統領がその学長を任命するというようなことである。あるいは政治運動は許していない。情報の交換だけを許しておる。しかもそれを許しておるところは、研究の場、あるいは教育の場、あるいは病院周辺においては許しておらないというような、非常にきびしい制限のもとにおいて許しておる。しかも学生参加といいましても、登録学生の六〇%以上の投票、第一年次の試験に合格した者——落第した者はたしか入れていないというような、いろいろな制限があるわけです。  そういうわけでございますが、しかし日本の今日までの大学運営を考えた場合に、やはり学生の意思を反映した大学自治というものについてあまり大学当局が考えてなかったのじゃないか。希望表明の権利と申しますか、そういう意味合いの参加ということであるならば、これはこれからは考えていくべきではないかというふうに思いますし、やはり学生教官とでは、その持っておりまする質が違うわけで、同質同等の権利がともに認められなければならないということについてはわれわれは反対でございますけれども、しかしながら、ある学生会館はどうだとか、学寮がどうだとかいうような問題については、考えられてもしかるべきではないかというふうに思いますが、この点についてもまさに中教審において検討をなされつつあるわけでございます。
  41. 鈴木一

    鈴木(一)委員 従来は、学生は教えられるものだということで、教育の主体ではなくて教育の客体だ、こういうふうに規定されている。これはしかし過去においても現在においても、将来もやはり変わらないと思うのです。けれども、教育の客体であるがゆえに大学管理運営、あるいはまた教育内容についてとにかく全然発言権は持てないのだというふうな考え方は、別にこれは基本的な根拠があるわけでもないし、ただ従来の惰性にすぎないと私は思います。ですから、学生は確かにそれはいろいろな点で未完成であり、未熟であるかもしれませんけれども、一応の判断力を持つ年齢になっておるわけでありますから、適度の権利と義務と責任を持たせてこれに参加させるのが望ましいと思うわけでありますが、学生の参加すべき分野としては、教官の人事については、これはもう学生の参加は認めない。それから学長の選挙については、間接選挙という形で、民主的に運営されておる自治会の代表がこれに参加するということとか、あるいは一橋大学なんか認めておりますような拒否権を考えるとかいうふうなことも、私は考えてもいいのじゃないかと思うのです。学生に何がわかるか、こういう意見もありますが、われわれの過去の学生生活を振り返ってみても、やはり学生にあまり人気のない先生というのはたいしたことはないのですよ。ですから、学問の深い内容ということもさることながら、やはり学生学生なりにシャープな感覚で、はだで本物かにせものかくらいは見分けていると思うのです。ですから、学長の選挙には何らかの形で参加さしてもいいのじゃないかというふうに私は考えております。それから理事会、あるいは学長、あるいは教授会に対しても広範にわたる意見具申の機会を持たせるということも私は必要だと思うわけであります。  そこで問題になるのは、参加のしかたでございますが、学生参加の方式は、直接民主主義といわれておる団交というふうなことは、これは私は慎むべきものだと思います。団交、いかにも団体交渉というふうなかっこうで、ことばから見ればそう悪くはないかもしれませんが、実情はつるし上げなんですね。こういうふうな、数を頼んで一方的にやっつけるというふうな、しかも自己批判を要求するというふうなやり方は、私はこれは望ましくないので、あくまでも民主的に運営された自治会を通じて行なう、自治会の意思表示が学生の大多数の意思を代表するという前提のもとに学生の参加を認めるべきではないか。このようなことは大学自治の原則により、大学において自主的に決定すべきことであるが、これまでの紛争の事例にかんがみましても、当分の間、自治会の民主的組織並びに運営の基本原則を大学設置基準の一つとして、むしろ参加を認めるならば、一応法的に大学設置基準の一つとして自治会のあり方を規定する。そのくらいのことは私は法的に規制してもいいのではないかというふうに考えますが、いかがですか。
  42. 坂田道太

    坂田国務大臣 非常に貴重な御意見でございますけれども、一応承っておきたいと思います。  加藤執行部のあの提案によりましても、人事とか、あるいはまた予算というものについては参加を認めないということを申しておるようでございますし、やはりおのおの学生大学における地位あるいは教授の持っておる研究の自由というものをどの程度に考えるかということが、まさにいま議論がなされておるわけでございますし、東大においても、この点については加藤執行部が諮問いたしまして、研究をいたしておるところでございます。中教審でも研究をいたしております。おたくの党でも、また社会党さんでも、それからまた共産党さんでも、公明党さんでも、御検討になっておるわけでございます。各地の大学においても検討されておるわけでございまして、この点についてはやはりもう少し時間をかけて慎重にやって、最後の結論をまちたい、かように考えておりますし、私といたしましては、まず中教審——中教審のほうも、たとえば若手の助教授等も含めました公聴会を開いて、そしてそれらの意見を取り入れながら中教審の案もまとめたいという、そういう柔軟な姿勢をとっておるわけでございますから、お互いでこれはもう少し検討すべき問題ではなかろうか。しかし、貴重な御意見であるということだけは、私はっきり申し上げられると思います。
  43. 鈴木一

    鈴木(一)委員 中教審の意見にすぐ戻っていかれるわけでありますけれども、中教審も大事ですけれども、これほどの大きな問題ですからね。むしろ文部省が各大学に指示をして、大学自身から積極的な意見を出さしたらどうか。それでまたその学校学校によっていろんなことを実施するかもしれません。しても、これは高い立場から見ていて、悪いところはこれを直させるとか、いろいろ忠告をしながら、いろんな形が出てきてもいいから、あわてずに、画一的にこの問題を、これだけはだめだ、これはいい——ある学校によってはここまで、予算の問題まで入ってもいいという学校もあるかもしれません。しかし、それはだめなんだという規定をせずに、いろんな形の学生参加の形のものをここへ出さして、そして実行さして、そうして弊害を除去しながら前へ進んでいくというふうに取り計らってもらいたいと思います。  それから、われわれの考えておる点は、大学管理運営教育課程、その他あらゆる問題について、学生は、民主的に運営されておる自治会を通じて意見は述べるが、大学側はこれを大いに尊重するけれども、決定権は学生は持ってない。ただし、学生寮とか学生会館の管理とか、学生の福利厚生に関する諸問題については学生にも議決権を持たせる。こういうふうな形にわれわれは考えておるわけでありますが、しかしわれわれとしても、これにこだわるものじゃなくて、その大学の実情によって、学生の自覚が非常に高いというところならば、もっともっとこの範囲を越えた参加を認めてもいいのではないかというふうに考えておるわけでございます。  それから、いま学生の権利の面だけを申し上げたわけでありますが、やはり権利と同時に義務も責任も私は負わせなければならぬと思います。たとえば授業放棄なんかの問題については、学生自治会の議決により授業を放棄する権利はある。けれども、これは労働法に基づく罷業権とは違うわけでございます。したがって、授業を希望する他の学生に対して授業放棄を強制するようなことは、これは私はできないと思います。ましてや暴力ピケとか、大学の封鎖とか、器物破損、不法監禁のような暴力行為、これはとうてい許されるものではない。学生大学の規律に服する義務が当然生じてくると私は思う。また、義務を履行しない場合は、大学の処分はもちろん、暴力行為など一切の違法行為に関し法の適用は免れない。これに対して、学生大学自治学問の自由というふうなことでこれに抗議することは私はとうてい許されないものだと思いますが、この点についてどうお考えですか。
  44. 坂田道太

    坂田国務大臣 御意見十分拝聴いたしまして、聞くべきところは聞かなきゃならぬというふうに考えております。しかしながら、今日の大学紛争を見ておりますと、大学当局暴力の横行に対して、き然たる態度をとるということだけはいたさなければならないことじゃないか。学生と相談してきめるというような問題でなくて、やはり暴には暴というようなことを許すというような考え方は私は間違いであるというふうに思いますし、そういうようなことと同時に、学生が参加を要求するなら、同時にその責任というものを明確にしなければならないのであって、あるいはまた学生自治会というものが一部の者によって壟断をされておる、あるいは経理も明らかにされておらない、組織運営というものもはっきりしておらない、そういう無原則な状況が実を申しますと今日の学生紛争をエスカレートしておるものだと思うわけでございまして、やはりこの際、大学当局として当然守るべき一線というものは守っていただきたいというのが私の切なる願いでございますし、また鈴木さんも御同感であろうと私は思う次第であります。
  45. 鈴木一

    鈴木(一)委員 学生問題、運動、また大学の問題については一応これで終わりたいと思いますが、くれぐれも要望しておきたいことは、単に大学管理運営に対する不満から問題が起こっているわけではなくて、それも一つのきっかけにはなっておりますが、いろいろなほかの政治的な要因も含まれておると思うわけでございます。ですから、もう少し取り締まればいいというだけではなくて、そこに伏在しておる多くの問題に対する対処のしかたも十分検討されながら、この若いエネルギーというものを、暴力にいかないような形で、これが積極的に国家の興隆に役立つような形で、大きな心をもって処理せられることをくれぐれも希望いたしまして、大学問題については一応これで終わりたいと思います。  それから農林大臣に、お待たせして恐縮でしたが、お伺いしたいと思います。  最近、米が余ったというふうなことで、ずいぶん問題を投げかけておるわけでございますが、いままでの食糧管理というものは、米がなかったときの管理を主にしておったと思います。ですから玄米で出さして、そうしてそれを配給しておった。一時米のなかったころは、われわれのような主産県では早刈りして出せ、少しくらい乾燥が不十分でもかまわないというふうな形で米の供出を督励された時代もあったわけでございます。今回、たまたま去年、おととしの大豊作、そういうふうなことで米が余ったということになったわけでございますが、千四万四、五十万トンの米が、ことしも来年も、今後引き続きそういう増産が予想されるというふうに農林大臣はお考えになっておるのか、その点をお伺いしたいと思います。
  46. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 長期見通しという点については、昭和五十二年までの大体の見通しを発表いたしたのでございますけれども、大体五十二年には三百十七万ヘクタールくらいになりましょう。そうすると、現状維持からいきますと千四百二十万トンの計算が出ていくだろう、こういうような見通しでありまして、したがって、それでは需要はどのくらいになるかというと、需要はやはり千二百四十万トンくらいが需要見込みだ、こういうような程度が見込まれておるのでございます。したがって、でありますからこの際、いろいろな稲作の転換対策等も推進しなければならないだろう、こういう点について一応の施策を講じたわけでございます。
  47. 鈴木一

    鈴木(一)委員 そうすると、引き続き千四百万トン台の米はとれる、こういうふうな見通しですね。いままでは大体千二百万トン前後に推移してきておって、それで一時は足りなくて早刈りをして出さしたり、あるいは外米を入れたりなんかして操作をしてきた。しかし、いまここで千四百万トンにおととし、去年からなったわけでありますが、これが引き続き続くのかどうか。私は去年、おととしは、何といっても非常に天候に恵まれたと思います。本土を半分くらいかすめていく大きな台風でも来れば、一台風百万トン減産するというふうにさえいわれておるのに、今後これはずっと続くのだというふうな見通しは、私は非常に甘いのではないかという感じがするわけでございます。その点いかがですか。
  48. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 現在の反別でまいりますと、大体来年度は千三百六十万トン、こういう見込みでございまして、ずっとその稚移がそのままでいくというようなことは考えられないと思うのであります。でありまするから……(鈴木(一)委員「減りますか」と呼ぶ)もちろんいろいろの転換施策を講じておりますので、そのほうの御協力も願う面もできておりまするから、大体幾ぶんかずつは減少する見込みでございますけれども、申し上げたような長期の見通しでまいりますと、その上に立っても千四百二十万トンというものが見込まれる、こういう意味でございます。
  49. 鈴木一

    鈴木(一)委員 これは、自然相手のことをいまここで議論しても始まらないからあれですが、私は、食糧というものは、どこの国でも主食として自給したいという念願に燃えてここまできておるわけですね。ですから、多少余ったというふうなことで、いかにもとにかく農民が国家のためにならぬようなことをしておるというふうな空気というものは、私は非常におもしろくない現象だと思います。むしろ待望久しい食糧の自給が、明治百年初めて自給体制ができたといって、選挙違反の恩赦なんかよりは、こういうことについて感謝をしなければならぬ、明治百年の記念として感謝しなければならぬというふうに私は思っております。  ただ問題は、貯蔵に対して何にも考えていなかったからこういう問題が起こった。古々米とか古米とかいいますけれども、昔からもみで貯蔵することは、われわれの先人の知恵として十分やられてきたことです。たしか戦前だと思いますが、端境期の操作をしやすくするために、米の供出に余裕を持っておる、販売に余裕を持っておる自作農には、もみ貯蔵の奨励金まで出してもみ貯蔵をさした経過もあるわけです。ですから、この際、米の品質を落とさないための貯蔵ということをもしいままで真剣に考えておるとすれば、いまここで三百万トンぐらい余ったからといって大騒ぎする必要はごうもなかったのじゃないかというふうに私は考えます。  と同時に、今回やみ米として流れておるものを一応自主流通米という形で正式なルートに乗せるということでございますが、それだけ政府の負担も減るということにもなり、いろいろここに私は含みがあろうと思います。ただ、私これを善意にとれば、農業協同組合がこの自主流通米の大半を自主的にコントロールできる、統制できるというふうなことであれば、私は農民のためにも非常にいいと思うわけでございますが、何かやはりこの自主流通米をきっかけに完全な米の自由体制に持っていく、そして二兆円近い商品としての米を、別のものがこれにとってかわるというふうな動きも感じられるわけでございます。これはへたすればとんでもないことになると思いますが、この自主流通米の扱いについて、農林大臣としては農民のためになるのだという一つの根拠があっておやりになったのか、その点をお伺いしたいと思います。これは私の考えでございますが、農業協同組合というのは、本来まず第一義的にやらなければならぬことは、農民が個々に零細につくっておる生産物を一手にこれをまとめて、そして市場に対してこれを売っていく。要するに生産の段階から販売の段階、価格の段階まで自主的な農民の力でこれをコントロールしていくのだというところに、農業協同組合の本来の使命があると私は思うのであります。ですから、ヨーロッパの農業協同組合、デンマークでもスウェーデンでもみな販売事業においては九〇%以上の統制力を持っているわけでありますが、日本の農業協同組合は、遺憾ながら他の部門は強くても、一番大事なこういう部門が弱いと思うのであります。ですから、本来ならば、ここまできたならば米の統制はもうやめて、農業協同組合が一手にこれを扱う。ただしかし、米が余るというふうな場合は値段も下がるでしょうから、その際は最低価格としての支持価格制度を設けて、下がった際は政府が買い取ってその価格の暴落を阻止するというふうな形で運営できれば、私は一番いい姿ではないかと思います。そうすれば、食管の赤字だとかなんとかいろいろ問題もなく、農民も一生懸命米をつくって、あげくの果てには国のためにならぬようなことをやっているという非難も受けなくて済むことだと私は思う。また、毎年毎年米価騒動もなくて済むと思います。皆さんも楽だと思いますが、遺憾ながらいまの日本の農業協同組合は、それだけの体制は、精神的な面でも、それからまた施設その他の点についても、まだ私は不十分だと思うのです。ですから、そういうふうないまの農業協同組合に対して、ある一定の期間を置いてその集荷、販売の体制を整備さして、その上で自主流通米というふうなものもやらせるならば、私はこれはさして問題もないかと思いますが、いまそんな準備もないところにこういうふうなものを穴をあけるということは、将来取り返しのつかないような方向にいきやしないかということを心配し、自主流通米そのものが農民のためになるのだという考えでやっておるのか、あるいは他に目的があってやっておられるのか、その点大臣からお伺いしたいと思います。
  50. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 食管法そのもの自体が、消費者の要求を満たすため、したがって供給を確保するためにつくられた根本問題から顧みて——まずその問題はあとにしましても、最近に至って米の貯蔵という点がいろいろな点から考えられておるわけであります。したがって、これらの問題に対しましては、政府が四十三年度、四十四年度合わせまして、大体四十三年度に百二十億、四十四年度に七十億かけまして、長期保管というものは当然必要でございますので、そのような方向に向かっていま低金利で融資をいたしまして収容力の増大をはかっておる、こういうようなことをやっております。そのほかに、さらにあとはコーティングを考えてみたらどうだとか、さらに水中保管というものも考えてみたらどうかというような点、もろもろの点についていろいろの試験を現在行なっておるところでございまして、これらは近いうちに、明らかにこの方法ならば必ずいけるという方途を発表する段階に至るだろう、このように米の保管の点については確信を持って申し上げられると私は思うのであります。   〔塚原委員長代理退席、委員長着席〕  したがって、自主流通米の点でございますけれども、自主流通米というのは、現在の需給関係の上に立って——もう一つは、申し上げたような配給制度そのもの自体というものが消費者のためにつくられたのでございますけれども、このごろはこれに対しての理解が薄らいできておるようでございます。こういう点から考えましても、自主流通米というものをつくる反面、需要者というものが要求する、一口に言えばうまい米と申しましょうか、そういうような面に、いままでのただ増産しろ、増産しろ、まずくても増産すればいいのだ、量でいくのだ、こういうような点から一歩踏み出なければならない。それには自主流通米というようなものは、大いにそういう点についての農民の考え方というものを一転するのに役立つことであろう、こういうように考えておる面もあるわけでございます。したがって、農協の問題に触れたようでございますけれども、農協は、あくまでも農協というものを中心とした日本の農業の指導というものが行なわれなければならぬ。われわれは、農林省が指導するのでなくて、農林省と農協というものが一体となって農民の指導に当たることが当然なる義務であって、しなければならないのだ、このように考えておりますから、今後農協というものを大いに重要視し、もって、いろいろのお話しもございましたような点についても、これらが行なわれるような方法が最もいい方法だとは考えておりますけれども、ただいまそれを農協に移管する、まかしていくというようなわけにはいかないだろうと考えますが、お説は十分参考にしていきたいと考えております。
  51. 鈴木一

    鈴木(一)委員 よくわかりましたが、設備とかあるいは輸送の免許とか、そういうふうなものを十分農協に与えて、そうして農民の自主的な力によって米が統制できる、コントロールできるというふうな体制の方向にぜひ私は持っていってもらいたい。そうすることによって、ほかの農産物、畜産物でも、あるいは果樹でも、蔬菜でも、米がそういうふうな形で運営できるならば、そちらに対する力も十分私は出てくると思うし、それだけ国の財政の負担もなくて済む。  と同時に、一番問題なのは何かというと、農民は一生懸命やっておるはずにもかかわらず、日本の米が生産費が非常に高いということが私は問題だと思う。これは何のためかというと、結局生産規模が非常に小さいというところに私は問題があると思うので、農業の近代化というのは、結局せんじ詰めれば生産基盤の拡大、そして近代的な農業技術を採用するというところにあると思う。ですから、いままで食管の赤字その他の補てんに使っておった、そういうどっちかというと生産に入らない金、国の支出というものを、そういうふうな面に積極的に使うというふうな農政に転換しなければならないと思う。そのために農地法や何かの改正も本国会に出ておるのだろうと思いますけれども、しかし私は、法律を改正するばかりが能ではなくて、現在の法律に基づいても、指導、奨励のいかんによっては、十分その実をあげられると思うのですね。構造改善する場合でも、いまのところは大体半分が国の補助だと思いますけれども、できれば全額、あるいは八割くらいは国が持つ。そして零細農家も含めた生産法人のようなものをつくり、零細農家は直接営農をしなくても、その法人の中に自分の持ち分だけは持っておる。直接は営農はしない。そうして、かかった経費はもちろん払うし、また収量は保障してもらう。さらに手数料的なものを法人に払っていくというふうな形で、専業農家を中心とした現在の法律のもとにおいても、規模の拡大ということはやる気であれば私はできると思う。それを促進するには、やはり国の補助を大幅にふやしていくということしかないと私は思うわけでありますが、そういう点の近代化について、農林大臣はどういうふうなお考えでおるのか。
  52. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 現在の米の生産費の内訳で、一番ウエートを持っているのがやっぱり労働力でございます。労働賃金というものが、何といっても、現在少なくなってきたようでございますけれども、でも四八%を持っておる。こういうような観点から考えまして、お話しのような、現在のような一人一人の耕作反別というものがあまりにも過小であって、したがってこれを協業化していきたいというような案も持って、いろいろの指導はしてみましたけれども、なかなかその執着というものは離れておらない。こういう上に立って、今度は御指摘のあった農地法というものも御審議をお願いをするのでございますが、これらは生産コストをいかに引き下げて、そして農業者の所得の向上をはかろうかという点にあるわけでございますので、今後に対しましては、機械化の推進をさらに行なうとか、集団栽培を行なうとか、こういうような点に重点を置きまして、その指導に当たってまいる考え方でございます。
  53. 鈴木一

    鈴木(一)委員 時間を催促されてますからあと一言聞きますが、北海道では大体百万トン程度の米が最近生産されていますが、これは適地適産だと思われますか。
  54. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 どうも私が適地適産だとも申し上げられないと思いますけれども、現在の日本のいろいろな農政というものは、このままでいいかどうかという点については、いろいろな施策をいま講じておりまして、適地適産主義をというような考え方もその中にとっていったならば、そして思い切った政府の施策をこの中に打ち込んでいったならば、日本の農業体制というものは少しく推進できるのではないかというように考えておりますが、いま御質問のその一点については、私の意見を申し上げるわけにはまいりません。
  55. 鈴木一

    鈴木(一)委員 農民に聞くと、農林省や県庁がやれといったときにやめればいいのだ、そのとおりにやるととんでもないことになる、こういうことなんですね。豚をやれといったときはやめればいい。そしてみながやめたころにやればちょうどいいのだ。これほどやはり国の指導というものが机上の指導であって、実際にそぐわない。これは価格政策を伴わないからだと思う。価格政策については、何もかも国がやるということはむずかしいと思いますから、これはやはり農民の団体、農業協同組合が第一義的にその責任を負うのだ。そして何ともならぬところは、国がこれに対して援助の手を差し伸べるというふうな形にしなければならぬと思います。と同時に、そういうふうな形で、もう少し国は自信を持って積極的な指導をしていただかなければならない、また予算もつけてもらわなければならない、こういうふうに考えます。まあこれ以上はやめます。  それから、あとは、私は大平さんにちょっとお伺いします。  最近硫黄鉱山が非常な経営の苦境に立っておるわけであります。かつては日本一流の鉱山といわれた松尾鉱山も、現在会社更生法の援助を受けなければならぬような状態になり、しかも将来の見通しも全然つかない。これは一つは脱硫装置からくる硫黄の生産がだんだん多くなったということにも大きな影響があると思うわけでありますが、こうした状態において、どうして現在の硫黄鉱山の経営を助け、またそこに働く人たちの生活を守るかということも、小さい問題ではありますけれども、また大事な問題だと思います。石炭についてはあれほどの積極的な対策をやったわけでありますし、もし対策を立てるとしても、金額にすればわずかなものだと思います。  それで、私はこういうふうなことを提案したいわけであります。原則として品位の適する回収硫黄はすべてこれを輸出のほうに向けまして、国内需要は日本の国内の鉱山から産出されたものをこれに充てる。それからまた硫黄鉱山の近代化、合理化を進めるために、政府は設備資金の低利融資、減免税の措置、それから新しい技術の開発、それからまた鉱脈の調査とか、あるいはボーリング等の探鉱補助費をもっともっと出してしかるべきものではないかというふうに考えます。この間の暫定措置として、輸出価格と国内価格との価格差補給金制度を新しくつくってはどうか。これもたいした金はなくとも私はできることだと思います。それから、国際的に不足する硫黄を輸出商品として育成指導するために、政府政府資金によって輸出基地の建設をはかる。こういうふうな振興対策を考えることによって、当面の硫黄鉱山の危機を乗り切るようなことができないものかどうか、この点最後にお伺いいたしたいと思います。
  56. 大平正芳

    ○大平国務大臣 仰せのように、硫黄が四十二年以来若干過剰ぎみになりまして、回収硫黄が多くなるに従いましてその傾向が顕著になってきておりますことは、御指摘のとおりでございます。ただしかし、仰せのように硫黄という国内資源、自給がきく豊富な資源でございまするし、いままで育成してきた大事な資源でございますので、国産を維持していくということに対しましては、私は賛成でございます。それとほぼ国内の需要が見合うのでございまして、あなたが言われたように、回収硫黄はあげて輸出に回したらどうかということ、数量的には、仰せのような方式で問題が片づけばたいへんすっきりした解決ができると思うのでございます。そこで、去年の十月以来関係業者、つまり鉱山とそれから石油精製会社、消費者と四十六社が集まりまして輸出カルテルをつくりまして、輸出価格、輸出数量、そういった相談をいたしておるのでございます。それから政府側はことしの予算で一応国内の鉱山に対しまする助成の措置を乏しいながらも講じております。それから、あなたが仰せの輸出基地の施設あるいは輸出在庫の金融ですね、それはそれぞれ開銀、商工中金等で金融ができるようにお話し合いはいたしておるわけでございます。しかし、同時に海外のマーケットを確保せなければなりませんので、十分市場調査もやりますし、また現地からの有力な需要者を呼びまして日本のマーケットに知識を深めるというようなことも、一応予算的措置を講じておりますので、鋭意やってまいりまして、御指摘のような方向で解決に資したいと考えております。
  57. 鈴木一

    鈴木(一)委員 こんなこまかいことは大物であるあなたはあまり知らないと思って聞いたわけでありますが、ずいぶん詳しく知っておられますので安心いたしました。どうかひとつ適切な措置をすみやかに講じていただくことを希望いたしまして、質問を終わります。
  58. 荒舩清十郎

    荒舩委員長 これにて鈴木君の質疑は終了いたしました。  午後の会議は午後一時より再開し、中野明君の質疑を行ないます。  この際、暫時休憩いたします。    午後零時十一分休憩      ————◇—————    午後一時十分開議
  59. 荒舩清十郎

    荒舩委員長 休憩前に引き続き、会議を開きます。  質疑を続行いたします。中野明君。
  60. 中野明

    中野(明)委員 私は公明党を代表しまして、総理並びに関係大臣に質問をいたします。  私どもは、四十三年の予算の審議のおりから、しばしば米の増収その他の見通しを考えまして、補正予算の必要を訴えてまいりました。しかし、そのつど総合予算主義であるというたてまえで、大蔵大臣は組みかえ補正はあっても追加補正は必要ない、このように強弁をしてこられました。しかるに、ここで突然、異常事態、こういうふうな名目で追加の補正を組んでこられたということについて、私どもは非常に遺徳に思います。異常事態ということよりも、私ども当初予算の内容を見まして、当初からの計画的な補正予算ということをいわざるを得ないわけであります。この点について、大蔵大臣から一言お願いしたいと思います。
  61. 福田赳夫

    福田国務大臣 四十二年度の予算を編成する際には、これでもう年間増ワク補正はいたすまい、また、いたさぬで済む、こういう見通しをかたく持っておったわけなんです。ところが、米の政府買い入れが非常な額ふえる、こういうことに相なりまして、二百万トンもふえるというのに対しまして、とても既定経費では措置ができない、かようなことになりまして、それに対しましても大体六百億近く金が要るのです。要るのですが、米価改定によりまして二百億ばかりを消す、こういうことになる。なお、その残る四百億に対しまして、既定経費を節約して充当したのですが、とてもやり切れないというので、どうしても二百五十億方のネットの不足が出る。全くやむを得ないのですが、万策尽きた、こういうことで補正予算を編成するということにいたしたわけであります。  ただ、申し上げたいのは、これで総合予算主義を放棄したわけではないのでありまして、総合予算主義は、財政運営の上から非常な前進した措置である、こう考えておりますので、今後もこれを堅持してまいりたい、かように考えております。
  62. 中野明

    中野(明)委員 いま万策尽きたというようなお話でございますが、私は当初の予算の見積もり、特にその中で米の売り渡し、これについて大きな考え違いがあるんじゃないか、このように思うわけであります。  これは農林大臣にお尋ねをいたしますけれども、ここ二、三年の米の売り渡し数量、これが当初予算にどの程度計上されておるかということと、国民一人当たりの米の消費量、これの関係を説明していただきたいのです。
  63. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 数字はただいま長官から申し上げますけれども、食糧事情が緩和した実情の中には、経済の発展に伴って米を食う量が非常に少なくなってきたという、食糧構造の改善に基因する面も多分にあることだと考えられます。  数字につきましては、いま長官から申し上げます。
  64. 松元威雄

    ○松元説明員 お答え申し上げます。  最近の買い入れ数量は、四十二年の異常な年を除きまして、四十一年が最高でございまして、これが八百六万トンでございました。
  65. 中野明

    中野(明)委員 売り渡し数量だよ。
  66. 松元威雄

    ○松元説明員 失礼いたしました。お答え申し上げます。  売り渡し数量は、四十三米穀年度におきまして、精米トンでございますが、内地米が六百七十五万トン、輸入米を加えまして七百万トンでございます。
  67. 中野明

    中野(明)委員 いまの数字はちょっとおかしいんじゃないかと思うのですが、私の調べたところによりますと、四十一年、当初予算に計上されている売り渡し数量が六百九十八万トン、四十二年が七百四十一万トン、そして四十三年は、ただいま問題になっております七百九十六万八千トン、こうなっております。そうしますと、常識的に、いま農林大臣も答えられましたように、米の消費が食生活の改善によって、ずっと減ってきている、こういう実情から考えて、ごく常識的に考えても、売り渡し数量は大体七百四十万トンから七百五十万トンというのが最高じゃないか、私どもはこのように考えるわけであります。  ところが、一挙に八百万トン近くを売り渡す、こういう当初予算を組んだ、ここら辺に、すでにもうわれわれとしては考えられない数字の増加が見られております。これは、当初予算につじつまを合わせるためにわざと売り渡し数量をふやしたのではないか、こういうふうに私どもはとれるわけでありますが、この点、農林大臣どう思われますか。
  68. 松元威雄

    ○松元説明員 ただいまの政府売り渡しの数量でございますが、私、先ほど米穀年度の数字を申し上げたのであります。そこで、四十三米穀年度と申し上げまして、売り渡し数量は内地米、外米込みで七百万トンと申し上げたのでございます。それ以前の四十二米穀年度ではこれが七百二十三万トン、それ以前の四十一米穀年度では同じく七百万トン、こうなっておるわけでございますから、この売り渡し数量が実績でございます。
  69. 中野明

    中野(明)委員 ですから、いまの答弁にもありますように、大体国民の米の消費がずっと減ってきている。そういう現状から考えて、四十三年度において大幅に——八百万トン少し切れます、七百九十六万八千トン、こういうふうな大幅な増額、ここに私は疑問を持っているわけであります。ほんとうに現状を把握したときに、日に日に国民の米を食べる量が減ってきている、これは数次の統計でも出ております。食糧庁の調べによりますと、大体一カ月の消費量が、四十二年度の六・四キロが四十三年には六・一キロ、このように毎年毎年、三十八年以来ずっと減ってきております。こういう下降線をたどっておる現状から考えて、なぜ当初予算に売り渡し数量を七百九十六万八千トンも組まれたかということでございますが、その点、大蔵大臣は、売り渡す自信を持ってお組みになったのかどうか。
  70. 松元威雄

    ○松元説明員 ただいま私が御説明申し上げましたのは、米穀年度の売り渡し数量で、精米トンでございます。したがいまして、玄米トンに換算いたしますれば約一割アップでございますから、ただいまの数字になると存じます。   〔委員長退席、中野(四)委員長代理着席〕
  71. 中野明

    中野(明)委員 私の聞いていることに返事をしてくれていないように思うのですが、四十三年度に七百九十六万八千トンと当初予算に見込んだ数字、これは過大ではないか、売れる自信があったのか、こう言っているわけであります。年々国民の消費量が減ってきている。それにもかかわらないで、七百四十一万トンが大体山ではないかと考えられる。年々国民の消費量が減ってきているというこの情勢と考え合わせたときに、一挙に七百九十六万八千トンに増額をしたその理由は、何か売り渡すめどでもあって組まれたのかどうか、このことを聞いているわけであります。
  72. 松元威雄

    ○松元説明員 お答え申し上げます。  御指摘のように米の一人当たりの消費は減少いたしております。ただし、政府の売り渡し数量につきましては、人口増加特に配給対象人口の増加もございますから、それを考慮いたしまして、当初におきましては、当時における一人当たりの消費量と当時におきまする配給人口を考慮しましてその数量を見込んだわけでございます。
  73. 中野明

    中野(明)委員 総理、いまお聞きになっておりまして、予算編成の当初において考え方が少し甘いのじゃないか、ずっと年々消費量が減ってきている現状から考えましたときに、やはりこれは見込みが違いますと大きな食管の赤字の原因にもなります、残るのですから。そういうことを考えていきますと、どうしても堅実な予算を組む、それが総合予算のたてまえでもございます。そういう点で、私はこういうところ辺にもすでに当初の予算に問題がひそんでいる、このことを指摘しているわけでございますが、総理のお考えとして、この点、いまの話を聞いておられてどうお感じになりますか。
  74. 福田赳夫

    福田国務大臣 先ほど見積もりにつきましてお尋ねがありましたが、これは農林省を中心にし、大蔵省も加わりまして、精査にい精査たしまして、これが一番見込み得る適正な量であろう、こういうことできめたわけでありまして、何か操作かくふうをこらしたというような疑いでもあるようなお話ですが、さようなことは全然ありません。
  75. 中野明

    中野(明)委員 それではこれは完全な見込み違い、こういうことになるわけでありますけれども、そこら辺をもう少し慎重にやらないと、食管会計そのものが私ども非常にずさんであるような気がするわけであります。いま売り渡しの数量でありますけれども、買い入れ数量を見ましても、これはしばしば議論されているとおり、もう八百五万トンというような当初予算の計上のしかたというのは、何かしら平年作を下回るような、大凶作でも予想しておったような数字であります。そういうことを考えますと、どうしてもこの予算そのものについて、当初から補正というものをある程度心に含んで総合予算主義をとってきたのじゃないかというふうに私どもは疑問をぬぐい切れないわけであります。その点で後ほどまたいろいろ触れてまいりたいと思いますが、きょうは時間の関係もありますので、次に参りたいと思います。  最近非常に大きな問題になっております、漁民にも大きな損害を与えましたソ連の漁船が日本近海にまで出漁に進出してきた、こういう事実が、ことしの一月銚子沖から伊豆沖にかけて起こったわけであります。これはわが国のサバの漁場を大きく荒らす結果となって、問題も非常に深刻になっております。この実態について少し御説明をお願いしたい、こう思います。
  76. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 昨年はサンマの漁期に至りまして、ずっと東北から銚子沖までソ連船がサンマ漁のほうへ参りました。本年に至りまして、銚子沖から今度は伊豆沖に参ったわけでございまして、御承知のように伊豆沖はサバの一本釣りをやっておるところでございます。一本釣りというのはやはり何といっても資源保護というものが重点的に行なわれなければならない、そして産卵地区でもございますので、そういうような上に立って、まず第一に資源保護、それには一本釣りでということで一本釣りを許可しておったのでございましたけれども、突然ソ連船が参りまして、その船団が漁獲に加わりまして、そうして日本の漁民に非常な衝動を与えたというようなことは事実でございます。さっそくわがほうといたしましては、外務省を通じましてソ連大使館にこのようなことのないようにといいましょうか、考慮を願いたい、それはソ連でもよく口に唱える資源保護。こういう点に御協力を願いたい、こういうような申し入れをしたわけでございますが、以下こまかい点については長官からまた御説明を申し上げたいと思います。
  77. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 ただいまお尋ねの点でございますが、去る二月十日、外務省といたしましては、在京ソ連大使館に対しまして、ただいま農林大臣からお答えのありましたように、公海の漁業資源保護の立場から、ソ連側の善処を強く要請をいたした次第でございます。
  78. 中野明

    中野(明)委員 それでは水産庁長官のほうから、もう少し詳しくその状況を報告していただきたい。
  79. 森本修

    ○森本政府委員 本年に入ってからの状況を申し上げますと、本年初頭以来、ソ連の漁船が千葉県の銚子沖あるいは伊豆諸島の近海で操業を行なっております。操業の規模は、各種の情報を総合いたしますと、母船が一隻、これは約一万トン級でございます。それからトロール船が二隻、これが約千トン級、それからまき網船が七ないし八隻、約三百ないし五百トン級というような規模で、主として漁業といたしましてはサバのまき網漁業を行なっているということでございます。それから、ごく最近は、二月五日以降は伊豆諸島の近海からは、しけの関係もございまして、理由はよくわかりませんけれども姿を消しておるというのが最近の状況でございます。
  80. 中野明

    中野(明)委員 外務大臣もソ連に申し入れをしたとおっしゃっておりますけれども、非常にこの影響は大きなものがあります。それで私はここで外務大臣にお尋ねをしたいのでございますが、領海、この問題は非常に世界各国いろいろ問題がございます。この領海について世界の各国の状況、大体どれぐらいの国がどういうきめ方をしているのか。すなわち、三海里説をとっている国もあります、十二海里説をとっている国もございます。そういう点について、領海についての世界各国の大体の状況を話してもらいたいと思います。
  81. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 ただいまの問題と関連して領海の幅員の問題の話でございますが、第一に、わが国といたしましては、一般的に国際法上の領海の幅員として多数の国々で承認されておりますのが三海里説でございます。これは一応確立した定則とでも申しましょうか、そういうことになっておりますので、全体的にこれを改めない限り、ただいまのところ三海里以外の幅員を主張することはできないという立場を現在までとってきておるわけでございます。  それから、領海幅員を制限いたしますと、それだけ公海の自由を制限することでもありますし、実際上の問題といたしましても、わが国漁業問題全般、それから船舶航行問題等への波及の問題もございますので、国の全般的な立場から諸外国の動向をも勘案しながら慎重に検討しなければならない問題である、かように現在わが国としては態度をとっておるわけでございます。  御指摘がございました十二海里説その他の説をとり、またそれを一方的にと申しますか、実行しておる国々も相当ございます。どういう国が、どういう数になるかということにつきましては、政府委員からお答えをいたしたいと思います。
  82. 中野四郎

    中野(四)委員長代理 だれかいますか。——外務省どうした。
  83. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 それではたいへん恐縮でございますが、いま国の数等につきましては、ちょっと資料がきておりませんので、後刻御説明を申し上げたいと思います。
  84. 中野四郎

    中野(四)委員長代理 ちょっと政府側の説明員、ちゃんと来るようにしておきなさい。一々そのたびたびに振り向いておるようなことじゃだめだから。
  85. 中野明

    中野(明)委員 いま外務大臣は三海里説を述べておられるのですが、私ども感じる範囲では、世界の大体の趨勢というのは十二海里説、この方向に流れてきているように思います。そして、アメリカにおいても昨年末十二海里説を採用しております。こういうふうな状況の中で現在三海里説をおっしゃっているわけでありますが、このようなソ連船がわが国の近海まで来て、そしてせっかく日本で魚族を保護するため、資源を保護するために禁じておる漁法を無視してまで漁場を荒らす、こういうことについては、もう沿岸漁民にとっては、大脅威であり、大問題でございます。この点について、領海三海里を主張するがゆえに私どもはソ連のほうへ強く言えない、こういう問題が起こってきているわけであります。それで、特に私が問題と考えますのは、ソ連という国は十二海里説を主張しております。そして、いままでもこの十二海里説を守って日本近海も十二海里以内には近づきませんでした。ところが、今回のこの問題は、いままでずっと日本の近くに来ても十二海里の自国の主張する領海、区域は守っておったソ連船が、今回特に奥深く浸入してきて、結局日本の領海三海里の近くまできて操業しだしたという事実、これはもちろんソ連国内の食糧事情ということもいわれておりますし、御承知のとおりサケ・マス、この北洋漁業の締め出しから始まって、現在も交渉中でありますが、カニの問題あるいはニシン、それからサンマ、そして今度のようにサバ、このようにソ連船の動きを見ておりましても、だんだんと南下をしております。このままでいくと、伊豆沖が今度は紀州沖になり、四国沖、九州沖、こういうふうにくる心配がもう十分あるわけであります。こういう点について、今回の特徴というものを私ども重視しているわけでありまして、いままでは十二海里より中へは来なかったのが、今回来だした。しかもソ連は十二海里説を主張しているけれども、わが国は三海里説だ。そうすると何にも言えない。こういうふうな大きな問題があるわけであります。このことについて、外務大臣は、ソ連大使館に交渉されたその結果というのですか、これはどういうお感じを持っておられるのですか。
  86. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 まず領海の十二海里説の問題でございまして、これは先ほど申しましたように、従来そういう態度で三海里説をとっておったわけでございますけれども、世界のいろいろの状況、また、いまもおあげになっておりますような問題なども十分考慮に入れまして、慎重にいま検討しておるところでございます。しかし、同時に、日本の漁業も申すまでもなく世界的に進出しておりまして、こちらが向こうへ出漁するときの得失などをも考慮に入れなければなりませんし、また、一方におきましては、現在大陸だなという問題について、条約上国際的にどういうふうにこれを取り上げていくかというような大きな問題もございます。これらが相互に関連し合っておりますので、いま申しましたように、それらの諸般の情勢にかんがみまして、将来のわがほうの考え方というものを固めてまいりたいと思っております。  それから、今回の問題についての反響でございますが、これはソ連側としてもいろいろの言い分はあるのかもしれませんし、反応がどういうふうに出てくるかということは予測の限りではございませんけれども、わがほうといたしましては、こちらの立場から見ますれば、とにかくこれはけしからぬことである、こういうふうに考えますので、先ほど申しましたように、強く先方の善処を要請しておるところでございます。まだ返事はきておりませんが、今後の状況によりましては、また何らかの措置をとる必要があろうと考えております。
  87. 中野明

    中野(明)委員 領海の問題でございますけれども、領海を現在日本は三海里に固執しているわけでございますが、いま外務大臣も申しましたように、外国日本から出漁している、そういうことも確かに言えるわけでありますが、外国そのものが十二海里というものを主張しておれば、これは非常に受け身で同じことじゃないか、そういうふうな感じを私たちは持つわけでございます。特に最近インドネシアとか、あるいはソ連のコンブ漁、その他オーストラリアとは政府間の交渉になっておりますが、そういうことについてどんどんこちらがいままで出漁しておったところへでも、入漁料ということじゃないと思いますが、補償というのですか、そのお金を払ってとりに行っているというような現状ですし、いままで条約を結んでいるところも、趨勢としては今後ますます自国の領海説を主張して締め出してくるという見通しはもう明らかであります。そういう点についていま種種検討中だとおっしゃっておるのですが、領海三海里を主張した場合に、一体日本はどれだけの損があり、そしてまたどのような利点があるか、こういうことについてどこまで御理解いただいているか、もう一度お願いしたいと思います。
  88. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 この点は先ほど申しましたところでございますけれども、いま現にやっております漁業交渉、あるいはやらんとしておる漁業交渉というようなこととも関連いたしますし、相手方に対しましてのわがほうの、一口に言えば国益という点からいって、どういう方向をとったらいいかということを、一言にして言えば検討しておる次第でございます。  先ほど三海里説を固執しているのではないかというお尋ねがございましたが、現在までのところは三海里説をとることが日本の国益の観点から望ましかった、こういう立場でございますが、その後いまも御指摘がございましたようないろいろな問題がございますから、これらを十分頭に入れまして善処いたしたい、こういうわけでございます。
  89. 中野明

    中野(明)委員 では、農林大臣にお尋ねしますが、外国人の漁業規制に関する法律というものがございますね。今回ソ連船が日本近海に進出してきたということについて、この法律というものは、たしか四十二年でしたかね、制定されたと思うのですが、どんな働きをしたと思われますか。
  90. 森本修

    ○森本政府委員 外国人漁業の規制に関する法律は、御承知のように、外国人がわが国の領海内で漁業をすること、それから領海内で漁獲物を転載などをすること、それから外国の漁船がわが国の漁港に寄港いたしまして、漁業の基地としてこれを利用するというふうなことについて規制をいたしておるわけでございます。最近やってまいっておりますところのソ連の漁船は、大体母船を伴っておりまして、そういった日本の法律下におきましても補給等ができるというふうな形で操業をいたしております。そういう関係から、わが国の法律が外国の漁船の操業に対してかなりの影響を及ぼしておるということは言えるかと思います。  なお、先ほど申し上げましたような条文がございますので、わが国の港に寄港する、あるいは漁獲物を領海内で転載をするというふうな場合におきましては、これを厳重に規制をいたしてまいりたいと考えております。
  91. 中野四郎

    中野(四)委員長代理 中野君にちょっと申し上げますが、領海の問題で外務大臣から……。愛知外務大臣。
  92. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 先ほど資料を持っておりませんで失礼いたしましたが、各国の状況を申し上げますと、わが国のほかに、米国、英国、フランス、カナダ、オーストラリア等二十二カ国が三海里説をとっております。それからイタリア、スペイン、ブラジル等十カ国が六海里、ソ連、インド、アラブ連合、イラン、イラク、モーリタニア、タイ等三十一カ国が十二海里説をとっております。アルゼンチン、エクアドル、エルサルバドル及びパナマの四カ国は二百海里を主張しておる。以上のほか四海里がフィンランド、スウェーデン及びノルウェー、五海里がカンボジア、九海里がメキシコ、十海里がアルバニア、ユーゴスラビア、十八海里カメルーン、百三十海里ギニア等の状況でございます。
  93. 中野明

    中野(明)委員 アメリカは、最近、昨年の末に十二海里説になったんじゃないですか。そこのところちょっと……。
  94. 佐藤正二

    佐藤(正二)政府委員 領海につきましては、アメリカは依然として三海里説をとっておりますが、漁業専管水域を十二海里についせんだっていたしたのでございます。
  95. 中野明

    中野(明)委員 じゃ、いまの外国人漁業の規制の問題ですけれども、この法律によりますと、結局規制できないような事態が発生しているというのが今回のソ連船の出漁であります。結局一万トン級の母船を連れてきて、一切水とかあるいは食糧その他の補給の必要がない。それから母船からどんどん小さな船が行き通いをして操業をして、近海の魚族を全部持って帰る、そういうふうな形になっているわけでありまして、この法律についても、せっかくつくってあった法律も何の役にも立たぬというようなことになっておるわけであります。  こういうことは、いままで申しましたように、日本の国が領海の三海里説をとっているがゆえに起こっておる一つの隘路でないか、私はこのように解釈しております。このソ連船によって、この地域の漁民というのは今後ますます影響が大きくなってくるように私たち心配しておりますが、せっかく漁法を守って、そして操業しておった人たちは、その禁じられたまき網というような、大量に漁獲する方法で魚族資源を枯渇さしてしまう、こういう影響に日夜きょうきょうとしているわけであります。これはわが国が三海里説をとっておったために起こってきた一つの犠牲ともいえるわけでありますが、この沿岸漁民の保護あるいは補償、こういう点について農林大臣としてはどのようなお考えを持っておられますか。
  96. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 領海の幅員あるいはまた漁業水域、こういう点についての国際的な趨勢によりまして、これはまた考慮しなければならぬ問題だと考えますけれども、日本という国が海外に飛躍している立場というものも反面考えなければならぬと考えております。したがって、沿岸漁民につきましては、先ほども今後はそういうことのなるべく行なわれないような方法をもって、外務省からいろいろなお願いをしているわけでございますけれども、その他につきましての御質問に対しましては、十分検討を加える必要があると考えておりますので、今後検討を加えてまいりたい、こう考えます。
  97. 中野明

    中野(明)委員 今回、ソ連船が一月から二月にかけて日本近海を荒らした、こういうことになるわけなんですが、この損害というものの推定は、どれぐらいに見ておられるのですか。
  98. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 被害は、昨年来から見ると相当あると考えられます。数字等においてはまだはっきりしておりませんけれども、概略に対しては長官のほうからお知らせ申し上げます。
  99. 森本修

    ○森本政府委員 ソ連の操業は、公海の中におきまして各国が共同に利用すべき資源をとっておる、そういうことでございますから、別段被害といったような表現でもってあらわすべきことではないというふうに私どもは思います。  問題は、そういったサバの共同の資源に対しまして、現在やっておりますところのソ連の操業が、どういう影響を持つかということでございます。私どもがソ連側に申し入れをいたしましたのは、当該伊豆沖の漁場はサバの産卵場でございますから、資源の保護のためには一定の漁法、つまり日本側におきましてはまき網の漁法を禁止しておる、そういうことでございますので、ソ連側においても、資源保護上、日本側が禁止しておるようなまき網操業といったようなものは遠慮をしてもらいたい、そういうことで言っておるわけであります。どの程度ソ連側が魚をとっており、また将来の資源保護のためにどの程度の影響があるかということは、いまちょっと直ちに数字的には持ち合わしておりません。
  100. 中野明

    中野(明)委員 先ほど農林大臣もおっしゃったように、わが沿岸漁民にとっては被害のあることは事実であります。いま話が出ておりますように、産卵場付近から徹底的に漁獲して持っていかれるわけですから、この影響というのは今後も長期にわたって私は出てくると思います。ですから、そういう補償あるいはその他の沿岸漁業の保護、こういう点については十分考えていただいて、そしてそれとともに、あわせていまお話しのように、外交交渉においても、現在日ソの経済交渉もスムーズに運んでいるような現況でありますので、ぜひとも強力に話し合いを進めていただいて、資源の確保というたてまえから考えても適切な処置をとっていただくことを私は強く要望したいわけであります。この点、総理意見を……。
  101. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 先ほど各大臣から説明をいたしましたのでおわかりはいただいたと思いますが、わが国のように三海里領海説をとっておるといろいろな問題がございます。したがいまして、この点でひとつよく研究してみてくれないか。わが国の本土並びにその島等について、いまも三海里領海説をとっているために、いまのソ連船のような被害もございますが、同時に日本の漁業はもう国際的な漁業でございますから、あらゆるところへ出ていっている。そうして既得権は既得権として一応尊重されておる。そういう場合に、いまのように領海説を拡大するとか、あるいはまた専管水域を設ける、こういうことは、今後のあり方といたしまして慎重にやらなければならないことだ。先ほど外務大臣が申しましたような点で、この点と取り組んでいる最中でございます。ひとつよく検討するということで取り組んでおります。いまの状態におきまして、その領海がどういうようになるかということは今後の問題でありますが、いま御指摘になりましたように、特別な資源確保といいますか、資源を保護するというそれは各国共通の問題でありますので、こういう点では、ソ連といえどもわがほうの申し出に対して必ず協力しなければならない国際的な義務があると私は思っております。さような意味で、このソ連の漁業について今後また引き続いてさようなことが行なわれるかどうか十分注意し、ただいまここで質疑応答されたような線に沿って私ども最善を尽くしていきたいと思います。ことに沿岸漁業の諸君に不安を与えるというようなことのないように、この上とも注意してまいりたいと思います。
  102. 中野明

    中野(明)委員 では、次に移りたいと思います。  食管制度の問題でございますが、四十四年度の予算が目下審議されているわけです。過日来、再三総理も両米価は据え置く方針、このことをずっとおっしゃってこられましたが、昨日はこの席で、消費者米価は上げない、このようにはっきり言明はいたされましたが、生産者米価のことについては何ともそこのところはあいまいなような気がいたします。消費者米価は上げない、このようにおっしゃったこと、そして初めの両米価据え置きの方針ということをずっと貫いてこられたわけでございます。一つだけはさまったわけですが、生産者米価のことについて、これも方針どおりに上げない、こういうふうな言明がなかったということは、私どもは生産者米価はやはり上げる気持ちもあるんだ、そういうふうに受け取ってよろしいか、こういうことなんでございます。
  103. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 昨日、生産者米価についてのお尋ねがなかったので私はお答えをいたさなかったのです。本会議の席上におきまして、施政方針演説ではっきり政府の基本方針を申しております。これは私が申し上げるまでもなく生産者米価、これをきめるのにはきめ方がちゃんと法律で制定されております。したがいまして、政府の方針は方針、また、そのきめる際にはどういうようにその機関に納得していただいて政府の方針に協力願えるか、そこらの問題が一つありますので、この点は十分考えていかなければならない、かように思っております。別に基本方針が変わったわけではありません。これからの問題であります。
  104. 中野明

    中野(明)委員 私が心配しておりますのは、この米価の最終決定をされるのはやはり農林大臣であると思います。この決定者であるところの農林大臣、あるいは行政の最高責任者である総理が、米価の据え置きという強い方針で予算を組んだ、このようにずっと主張をし通されておるわけであります。それで、いまお話しのように、近く米価審議会委員を委嘱されて米価についての諮問、こういうことになるわけであると思いますが、こういうときに、結局最終の決定権を持っているそういう人たちが、先に自分の意思を発表しておいて、そして米価審議会に米価のことについてはかる、こういうことについてはどうも私、心配なのでございます。それが米審に対する無言の圧力になっているということはいなめないと思うのですが、この点総理はどうお考えになっているでしょうか。
  105. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 米価審議会でいつもどういうような方法で生産者米価を決定するか、それについてはずいぶん議論がございます。また採用するデータも、それぞれの立場においてそれぞれが違っておるのであります。したがいまして、これらの問題が具体化する場合にどういうようにみんなが納得できるか、こういうことだろうと思います。政府といたしましては、米価審議会にもかけないうちに何らか方針を決定した、けしからぬ、こういうおしかりを受けるようでありますが、いま私が考えておりますのは、何といいましても物価の問題と取り組んでいく、そういう場合に、政府の方針なしに出たとこ勝負でそれぞれのものをきめたら、物価と取り組む姿勢がぼやけてきます。それよりもむしろ積極的に政府の態度も明確にする、同時にまた米価審議会においては十分審議を尽くしていただきたい。そうしてその場合に国民の納得のいくような結論を出してもらいたい、これが私どもの考え方であります。ただいま確かに生産者米価を決定するのは、最後は米価審議会の議を経て、そして政府がきめる、かようになっております。それをまだやらないうちから方針を打ち出すのは早い、かように言われますが、私は必ずしも早くはないと思います。消費者物価と取り組んでいる政府姿勢がむしろこれで明確になった、国民は必ず賛成してくださる、かように私は思っております。
  106. 中野明

    中野(明)委員 いまの総理のお話によりますと、米審の権威というものはどこまでも守る、そうして米審の意見はどこまでも尊重していく、このように一応受け取ったわけでありますが、そういたしますならば、米審の答申の結果が、この答申の出方次第では生産者米価の値上げもあり得る、このように理解してよろしいですか。
  107. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 これはこれから先の問題でございますから、政府国民にもお約束をした基本的方針、これを必ず変えないといいますか、そういうことでいろいろ説得するつもりでございます。
  108. 中野明

    中野(明)委員 説得されることはわかりますけれども、現実の問題として、諸物価がやはり値上がりをしてきております。それに伴って一般の労働賃金も毎年のように値が上がってきているわけであります。そうしますと、生産者米価の算定方式からいっても値上げをしなければ不公平じゃないかという議論は当然出てまいります。それについていま総理がおっしゃっているように、最終的に生産者米価の値上がりというものができなかった場合、このときには私は食管法のたてまえから考えて問題があるのではないかというような気がするのですが、その点食管法との関係はどうお考えになっておりますか。
  109. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 いま、生産者米価の決定のしかたについて、これは米価審議会の議を経て、意見を尊重して、ということを申しましたが、これにはいろいろのたてまえがある、こういうことを申しまして、議論のあることを前提としております。いま生産者農民の方々が一番心配なのは、食管法が維持されるのかどうか、こういうことじゃないかと思っております。これは毎回政府が食糧管理法の根幹は維持すると、こういうことを申して、今回の予算を組みました場合も、自主流通米を考えても、この基本的な態度はくずしておらないのでございます。したがいまして、今回の処置をとることも、そういう意味では十分生産者の方々の気持ちに沿った処置だと私どもは考えておるのです。  いまも、これはもうわかったことだと思いますが、片一方で私どもは財政の健全もはからなければならない。同時にまた諸物価の高騰はあらゆる機会にこれを押えるような指導をしていかなければならない。そうしてまた、生産者の方々にはぜひとも安心して米づくりをやってもらいたい、これも農民の方に対する私どもの願いであります。そういう意味から申すと、食糧管理法の食管会計、そういうものの基本はどうしても維持していかなければならぬ、かように私、思っております。大体いまのところはそういう方向でこの問題と取り組んでおる、かように御理解いただきたいと思います。
  110. 中野明

    中野(明)委員 参考までにお尋ねするのですが、経企庁長官にお尋ねしたいのですが、米価の算定でございますが、従来どおりの計算で試算したら、大体生産者米価というのはことしどの程度に推定できるものかということなんですが……。
  111. 菅野和太郎

    ○菅野国務大臣 お答えします。  いまの段階では、まだ生産者米価の試算はいたしておりません。
  112. 中野明

    中野(明)委員 経企庁としては種々そういうことを計算なさって、物価に及ぼす諸般の影響というものをいろいろお考えになっているんじゃないかと私ども思っているわけでございますが、大体の従前の計算で試算して、もし何でしたら、あとででも出していただけますかどうか……。
  113. 菅野和太郎

    ○菅野国務大臣 いままで生産者米価の試算については、もちろん経済企画庁もあずかって相談しておるのでありますが、ただいまのお話の件については、まだそこまでやっておりません。
  114. 中野明

    中野(明)委員 じゃ、食糧庁のほうからいまの件について……。
  115. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 米価の決定は、系統的に全部調査をいたしまして、その上の統計から出てくるのでありまして、ぜひ今年度は早目にその米価の決定を見たい、審議会にかけたい、こういう気持ちでおるのでございますけれども、まだそれが今日まで出ておりませんので、早急に資料を出すように、集めるようにということを命令をしてあります。なぜと申しますのは、先ほども総理からもこまかにお話がありましたが、まず第一に米価の方針というものを政府が決定いたしまして——けれども、これは米審の議にはからなければこの決定を見るわけにはまいりません。必ずわれわれは米価審議会の決定は尊重しなければならない立場にあります。そういう上に立って、農民にまず安定を与えるということが第一の条件でなければならない。それには、本年度は米はこのくらいでございますぞということの一応の価格の指示というか、政府の方針を与えることが農民に対しての親切なやり方ではないだろうか、少なくとも種をまく前に、ぜひともその苗間の前にその方針を明らかにしていきたい、こういうような考え方でいま作業をやっておるところでございます。
  116. 中野明

    中野(明)委員 それじゃ、ここで一点だけ総理に念を押しておきたいのですが、先ほどから大蔵大臣も総合予算主義は貫く、このことを重ねておっしゃっておりますので。  昨日、総理は消費者米価は上げない、このようにおっしゃいました、生産者米価は、もしもことし米審の答申のその後において、いろいろ検討された結果として総理の最終的判断で上がったとした場合、きのう約束されたこの消費者米価、それに総合予算主義だからといってスライドされる、そういうことはございませんでしょうね。
  117. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 私は昨日お答えをいたしたのでございます。それは速記にも残っておりますが、政府だけでやれることははっきりこの際にお約束をいたします。それは消費者米価は上げない、こういうことであります。また、ただいまの生産者米価、これは幾らになるかという、これからの問題であります。しかし、政府は最善を尽くして皆さんの協力を得るというただいまの方針でありますし、その決意でありますから、お尋ねになりましたこと、これが補正を組むか組まないか、あるいはまた高くなったら消費者米価は上げるのではないか、そういう立場からのお尋ねでありますけれども、そういうことはいま政府は考えておりません。政府の考えておることは、ただいまのように、消費者米価はどうあろうと上げない、そうして生産者米価については米価審議会の協力を得るようにあらゆる努力をいたします、かような状況でございます。
  118. 中野明

    中野(明)委員 私は、先のことですからそれは総理としては方針を貫くとおっしゃることはわかるわけですが、しかしながら、いままでしばしばそういうことで変わったこともあります。ですからこの際に、消費者米価にそれがはね返ってきては何にもならない、そういうことで申し上げているわけでありますが、いまの御説明で、たとえ生産者米価が上がっても消費者米価はきのう約束したとおりに上げない、このように理解いたします。  次は、自主流通米のことについて二、三聞いてみたいと思います。  自主流通米に踏み切られた、この目的、いろいろいわれているのですが、もう一ぺん農林大臣からお答えしていただきたいのです。
  119. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 良質米に対する消費者の好みといいましょうか、かなり根強いものがございまして、自主流通米は、市場条件に恵まれた米がこれに回るとも、保管期間が短いこと等によりまして流通経費が政府管理米よりも少なくて済むという面もございますので、あわせて価格面から見て自主流通米の構想は実現可能であろう、この際需給の緩和を考え、またいろいろな物価の面から考えてもそう影響がないのではないだろうか、こういうような考えから自主流通米というものを考えたわけでございます。
  120. 中野明

    中野(明)委員 大臣はそう言われますけれども、現実にことしの予算を見ておりますと、食管の買い入れは七百五十万トンに制限した、こういうことは予算編成を見てわかるわけでありますが、この自主流通米が、考えておられるように成功した場合は、当然食管の赤字というのはそれだけ少なくなる、こういうことであります。そうすると、政府気持ちとしては自主流通米というものを成功させて、これをどんどんふやしていって食管制度をくずしていくという一つの考えがあるのではないか、このように心配をする向きは間々あります。ですからこの点、食管制度に対する考え方をもう一度はっきりしておいてもらいたいと思います。
  121. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 実は逆でございまして、食管制度というものを堅持していかなければならないという立場の上に立ってわれわれは考えたと思うのでございます。なぜならば、先ほどもこの委員会で数回にわたって議論がかわされたように、生産が高まっていく、消費がだんだん少なくなっていく、古米ができ、古々米ができ、さらにその上の米が残っていくというような実情の中に立って、しかも、そのお米が逆にえさに回るというような事態が起こるようなことがあったとするならば、世論はこれを許すであろうか、そのときに、食管制度を守れ、堅持しろと言えるであろうか、こういうようないろいろな観点から考えまして、食管制度はぜひ堅持しなければならない、こういう上に立っての施策でございますので、私は、決して食管制度が崩壊するものでない、このように自信を持って申し上げられると思うのでございます。
  122. 中野明

    中野(明)委員 では、自主流通米の実施にあたって、一応推定はなさっていると思いますが、価格が大体現在の政府管理米の配給価格よりどれぐらい上がると計算なさっていますか。
  123. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 予想でございますが、政府配給米よりは高くなることだけはいなめないところだと思いますけれども、いろいろなその間の経費等が省かれてまいりますから、私は、そう世論でいわれるような幅があるとは考えられないと思うのでございます。金額がどのくらいだろうということは、まだその点についての額を申し上げられないと私は思います。
  124. 中野明

    中野(明)委員 現在の政府のこれにかけている費用その他、それから流通コスト、この差額だけは自主流通米に加味されてくることは、もう当然の常識であります。そうしますと、最低限度大体現在の配給米よりも二七%くらい上がるというのが一応の常識になっておりますが、この点、もう一度農林大臣のほうから……。
  125. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 そういうことも考えられるのでございますけれども、保管期間が短くなるということとか、あるいは流通経費が少なくなるとか、こういうような点もあるわけでございます。配給米とこういう経費を見ますと、なるほどおっしゃるようなことにもなると思いますけれども、こういうような経費が省かれる点も反面あるのでございますから、私たちはそうまでもいかないんじゃないだろうかというような考えを持っておるわけでございます。
  126. 中野明

    中野(明)委員 経企庁長官にお尋ねいたしますが、この点について、経企庁としてはどのように見ておられますか。
  127. 菅野和太郎

    ○菅野国務大臣 自主流通米の価格自体についての御質問については、いま農林大臣からお答えしたとおりだと思います。  ただ、お尋ねの件は、一般物価に影響するかどうかという件かと思いますが、大体自主流通米の価格は、配給米とそれほど相違ないといういま農林大臣のお話もありますし、また、自主流通米の量も、全体から見ればそう多くもないように思いますので、したがいまして、一般物価にはそれほど影響はないという見通しをいたしております。
  128. 中野明

    中野(明)委員 これはおそらく初めてのケースですから、いろいろ予想の上で考え方の違いはありましょうけれども、農林大臣からも自主流通米の話があって、政府の方針としても百万トンは流したい、こういうことですから、量からいってわずかとおっしゃいますけれども、百万トンといえば約一割であります。しかも、それが流通のコストの関係とか、それから管理関係その他で、相当値上がりが予想される。物価のことについては、経企庁長官は非常に責任ある立場として真剣にお考えになっているのですが、いまのお話を聞いていると、頭からもうこの自主流通米というものが成功しないと、そういうふうな考え方でおられるのではないか、そういうふうに受け取られるわけであります。もしこれ百万トンでも自主流通米が流通するということになりますと、全体の一割、これがたとえば現在の米の価格よりも二十数%上がる、こうなれば、相当米価は上がったことになります。そのことを私は心配して言っているわけでありまして、経企庁長官のいまのお話では、農林大臣がわからぬと言うんだから、わしもわからぬ、それだから物価にあまり影響ないだろうというような、このような考え方でおられたとしたら私は、無責任だと思うのです。その点、もうちょっと物価担当大臣として、物価に影響があると私どもは心配しているわけですから、あなたがそれをたいしたことないというような、そういう考え方でおられたら、私はたいへんだと思うのです。
  129. 菅野和太郎

    ○菅野国務大臣 問題は、配給米の価格さえ堅持すれば、自主流通米のほうにもあるいは多少の相違があるかもしれませんが、私は、一般消費者物価に対してはそれほど影響ない、こう考えております。
  130. 中野明

    中野(明)委員 現在やみの米が流通しているということが、昨日もこの席でも議論がありました。それが大体二千円くらいというのが普通の相場のようであります。そうしますと、当然流通米もその近所をいくんじゃないか。これはもうだれが考えても常識なんです。そういうことを頭から伏せて、そして物価に影響がないと頭からきめてかかっておられるところに、私は問題があると思うのです、全体の一割ですから。全体の一割の米が約二十数%もし上がったとしたら、米全体が上がったと同じことになります。そうすると、相当これは物価に影響することは間違いありません。それをいまのあなたのお話では、全然そんなものは考慮に入れてない。ものの数じゃないというようなお考えのようですし、それならば、私が最初に言うたように、あなたはもう自主流通米というような、こんなものは全然流通しないんだ、ゼロなんだと頭から考えてのお答えのような気がして、重ねて尋ねているわけでございます。その点、もう少し物価の問題について本気で考えていただきたい。過日の本会議の答弁でも、消費者米価の値上がりというのが一番物価にこたえる、こうあなた自身もおっしゃっているのです。その方がいまの答弁じゃ私は納得できません。もう少し物価に対する責任ある答弁をお願いしたいと思います。
  131. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 中野さん、消費者価格十キロ千五百二十円で配給しているわけなんですが、中野さんおっしゃるのは二十何%というのですけれども、そうではなくて、二七%でなくて、大体二百七十円政府が負担をしている、こういうんだと思うのです。二七%ではないのであって……。
  132. 中野明

    中野(明)委員 政府の負担している額、それからやはり商売をやりましたら口銭が要ります。ただでは商売できません。ですから、そういう口銭、そういうことを一切含めて、いまのやみで流通しているお米と大体似たような線が出てくるのじゃないかというのが、だれしも想像するところであります。
  133. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 ですから、その価格は、十キロでちょうど二百七十円あるということなのです。
  134. 菅野和太郎

    ○菅野国務大臣 やみ米であるがゆえに高いのです。自主流通米であれば、これは公然と売買されるのでありますからして、したがって、私はそれほど高くはないと考えております。やみ米だから、それだけ高くみなが買うわけですからして、したがって、私はそれほど消費者物価には影響はほとんどないという見積もりをしております。もしそれ自主流通米が非常に高い値段で販売されるということであれば、私のほうではこれを看過するわけにはいかない、こう考えております。
  135. 中野明

    中野(明)委員 それじゃ、いまの経企庁長官の答弁によりますと、自主流通米が結果として二千円もするようなことになったとしたら、あなたはどうしますか。反対するのですか。これはみんなが大体一致して、その程度になる、やみ米と近いものになるということは、いま一般の常識論になっております。それに対してあなたはそんなことじゃ承知できないと言われるのでしたら、自主流通米に反対ですか。
  136. 菅野和太郎

    ○菅野国務大臣 自主流通米は、政府が公認として認めた流通方法でありますからして、したがって、私は適当な価格で販売されると考えておりますが、やみ米というものは、これは御承知のとおりやみであるがゆえに高くなるのであります。政府管理しておる米を売買するのであれば、普通の配給米の価格で売買されるのでありますが、やみで売買される場合にはそれは高くなるのでありますからして、したがって、私はやみ米と自主流通米とは違うと思っておるのです。やみ米が二千円も高いから自主流通米が二千円も高いということにはならぬと私は考えております。
  137. 中野明

    中野(明)委員 いまそうおっしゃっていますけれども、現にやみ米がそれで流通しておるわけです。よろしいですか。現在やみ米がそれで大体流通しているというのが、もうこれは公然の秘密といっていいくらいなんです。しかも、現在はもう一般国民としてはそういう考え方を持っておりません。そこへ今度のような自主流通米をつくられるわけでしょう。そうしますと、当然その方向にいまのやみが幾らかそれに流れるでしょう。けれども、私は、結果から見たら、やみ米と自主流通米と政府管理米と三本立てになるような気がしてならぬのです。ですから、もう当然、値段の点につきましては、一つ経済的なルートができているわけですから、どうしてもそこで自主流通米というものは政府管理米よりも相当値が上がる、これは常識なんです。それを経企庁長官は、そんな影響はない、頭からそうおっしゃるのですが、それじゃもし自主流通米が高くなった場合、あなたどうなんですかね。
  138. 菅野和太郎

    ○菅野国務大臣 やみ米であるがゆえに、したがって物の値段というものは高くなるのでありまして、やみ米でなくして、公然と自主流通米としてやはり食管のほうで売り出すのでありますからして、したがって高い値段で売るはずはないと私は考えております。そこで、やみ米であれば、これは昔から物が不足したときにやみ米というのが起こるのであって、いまは米が余っておるときですからして、したがってそれほど高い値段で自主流通米が販売されるということは想像ができぬ、こういうことを言うておるのです。
  139. 中野明

    中野(明)委員 じゃ経企庁長官は……。   〔発言する者多し〕
  140. 中野四郎

    中野(四)委員長代理 静粛に願います。
  141. 中野明

    中野(明)委員 いまおっしゃっているように、上がらないという見通しでおられるわけですけれども、過日来議論されているように、物価統制令もはずされている。そうすると、これはもう上がるときまっている、このように私どもは見ているわけです。そのとき、もし自主流通米が上がったときには、経企庁としてはどのような対策を考えられるのですか。
  142. 桧垣徳太郎

    ○桧垣政府委員 経企長官のお答えの前に、一応私から事務的に御説明を申し上げます。  自主流通米は、先日来御説明をしておりますように、消費者の嗜好に応じて米の選択購買を認めるという道を開こうとするものでございまして、したがいまして、政府の経費負担というものを伴わない。したがって政府の配給米よりは高くなるのは避けがたい、これは先日来御説明しておるとおりであります。  現在の政府が米を管理いたしております経費、それを基礎にいたしまして、そうして自主流通米の販売期間が短縮されておる、また政府のような余剰米の管理の経費というものも必要ないというようなことを前提に置いて計算をいたしますと、昨日申し上げましたように、十キロ当たりコストとしては二百六十円ないし二百七十円程度上がるようである。ただし、その中にも、事務費のごときは政府所属の職員の人件費すべてをかぶっておるのでございますが、そういう問題にはなお弾力性がある。昨日も、その計算の中にもなお変動要因がございますということを申し添えたのでございまして、確然たることを申し上げるわけにはまいりませんが、大体そういうことが一つの目安にはなるであろうということを申し上げたのでございます。  なお、自主流通米の末端価格が異常に高騰することがあり得ないということは、総理からのお話もございましたように、政府管理米の配給価格については据え置きをするというようなことで、これについて十分な量的操作というものを行ないますれば、流通米の一五%程度の百万トンの自主流通米の価格の規制ということは、事実上私は可能であるというふうに思っております。
  143. 中野明

    中野(明)委員 時間がありませんので、自主流通米は実際にやってみなければわからぬということになるから、水かけ論のようなことになりますが、先ほどの経企庁長官のような考え方で物価を監督しておられたら、これは上がるのがあたりまえだ、私はそのような心配をしております。いずれ自主流通米が施行されたら、その時点で大いに議論になってくるところだろうと思いますので、それは後日に譲ります。  いま一点私のほうからお尋ねをしたいことは、農業基本法というものが施行されて、その実効をあげ得ない、そのままに今日に及んだわけであります。   〔中野(四)委員長代理退席、委員長着席〕 そこで、昨年来、政府は総合農政ということを強く打ち出してこられましたが、この総合農政というものについて、簡単に一口で言えば、総合農政というのはどういうことかということ。これは時間がありませんので、大臣に確認をしたいのですが、総合農政というのは、米の需給の状況が緩和してきたので、果樹とか畜産方面に力を入れる、このように考えてよろしいですか。
  144. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 御指摘のように、総合農政という点は、ずっといままでのたとえば農業基本法におきましても、総合的な考え方の上に立っておりましたけれども、ウエートが米の生産というところに一番強かった、こういう点から、現在のような需給のバランスがくずれてきた点があります。したがいまして、この需給が緩和された以上は、さらに他の方面に向けて総合的に樹立していきたい。御指摘のように、畜産とかあるいは果樹園芸というような点にも重点が置かれていかなければならない、このように考えられるのであります。
  145. 中野明

    中野(明)委員 それで、総合農政の一環として、これは農業基本法の精神でもございますが、ここ数年来、政府の方針として、果樹振興基本計画、こういうことに基づいて果樹の振興が推進されてまいりました。  特に私はきょう問題にしたいのは、この基本計画、長期計画に基づいて大々的に奨励されたミカンでありますが、これが西日本、特に九州、四国方面で、ミカンの新興地、この方面はとてもたくさんの作付を行なったわけでありますが、現在それが大暴落をしました。その点について、四十三年度の作付面積と収穫量、このことをまずお聞きしたいのです。
  146. 小暮光美

    ○小暮政府委員 四十三年度のミカンの栽培面積は十五万九百ヘクタールでございます。それから実収高につきましては、まだ確定いたしておりません。統計調査部のほうで予想ということで申しておりますのが二百二十九万トンでございます。
  147. 中野明

    中野(明)委員 農林大臣、すでにミカンが二百万トンの大台に乗ったわけでありますが、価格は昨年大暴落をしてしまいまして、ここでも農家はお米と同じような心配を始めたわけであります。米をつくれつくれというからつくってきた。ところが、でき過ぎたから今度は作付転換、総合農政と、こう言い出して、ミカンあるいはその他の果樹をつくれつくれといってきたところが、もう過剰ぎみになってきておる。こういうふうな傾向を私ども感じるわけでありますが、特にこれには国から補助金と、そうして融資が多大に出されております。農家としては、農林省の方針どおりやる以外に農家の計画は立ちません。ですから、相当これは大幅に伸びたわけでありますが、ことしのように値段が暴落しますと、新規ミカン園は、ちょうど借入金の返済時期になって、コストダウンのために返済不能、こういう実情を迎えたわけでありますが、この点について大臣はどうお考えになっておるのか。総合農政そのものが私は心配になってきておるわけです。日ごろから総合農政、総合農政と、こう言われるわけですけれども、総合農政というものは一体何をするのかという疑問すら起こってくるわけでして、米をつくれというから米をつくっておったら、米がだめだ、今度はミカンをつくれというからミカンをつくったら、まただめだ。それでは、農家はだれの言うことを聞いてやったらいいか、まあこういうふうなことになるわけであります。一切が農林省の果樹振興基本方針に基づいて行なわれているわけであります。この点、大臣として、こういう事態をどう把握して、そうしてどう対処されようとしておるのか、御返事をお願いしたいと思います。
  148. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 本年度のミカンの収穫は、まあ異例というほどの大豊作でございまして、したがって、本年度この過程につきまして、夏季においての天候、またいよいよ市販になってからの気候というもののいろいろの変化がありまして、豊作ではあったけれども、消費者の嗜好に全く合うというものばかりが生産されておらなかったというところにも欠点、欠陥があったと考えられます。したがって、農業基本法で、果樹基本法でもありますると、五十一年までにはさらに三百六十万トンくらいまでも消費ができるだろうという想定の上に立って、いま振興法によった作付をしておるわけでございまして、本年は御承知のように、まさにおっしゃるように二百三十万トンの大収穫になった。思い合わせまして、これらに対する今後の指導方針といたしましては、お米と同じようでございますけれども、もっと良質なといいましょうか、なるべくそういう嗜好に合うような良質なものをつくってもらうようにもしなければなりませんし、これらに関するところの良質のものに変えていくように、指導の点にも大いに力を入れなければなりませんし、したがって、豊作になった結果、これらのためにただいまいろいろ金融を受けている方々に対しましての考え方でございますが、これらは何とか私たちのほうでこれらに向かっての指導方針をさらに考慮する必要があるだろう、こういうことを最近命じておるのでございます。
  149. 中野明

    中野(明)委員 私は、ミカンの最近の伸び状況は確かに異常な伸びをしておりますけれども、長期の見通しの上から考えて、少し生産過剰ぎみではないかと心配をしております。いま大臣がおっしゃったように、最初からいろいろその他を考慮して親切な指導があればいいんですが、行き詰まってみてから、こうすればよかった、ああすればよかったということではほんとうに困るのでありまして、こういう点、政府から構造改善あるいはパイロット事業の資金も出ておりますし、また公庫の融資も受けております。こういう人たちが非常に不安と動揺を持っておりますので、この点の善処をお願いしたい、私はこう思っているわけであります。
  150. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 その点につきましては、十分善処を考えております。
  151. 中野明

    中野(明)委員 最後にお尋ねをしたいことは、土地改良の長期計画でございます。この土地改良の長期計画は現在ございますけれども、このような農政の大転換になりまして、当然この長期計画を変更しなければならぬ、私はこのように考えるわけであります。ことしの予算を組む直前において、この長期計画の内容を変更して、作付転換を含めた新規開田のストップ、そういうようなことをやっておられるわけですけれども、私はこの手続の上において非常に疑義を持つわけです。当然総合農政を打ち出されたときに、この長期計画は変更しなければならない性質のものです。それを一切そういう長期計画の変更もなされないままに、予算編成時において方向をきめていく、こういうことは順序が逆じゃないか、このように思います。特にこの土地改良計画は農政の基本でございますから、これは影響が非常に大きゅうございます。この点について、農林大臣は長期計画を変更する必要を感じておられるのかどうか。
  152. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 土地改良の長期計画につきましては、その前提になっておる農産物の需給の見通しが昨年の十一月に改定をされまして、米の需給の動向から見て、稲の作付転換や新規開田の抑制を行なう必要がある。したがって、今後の生産を伸ばすべき畜産、園芸と土地基盤整備を強化しなければならないこともまた明らかでございます。こういう事情でありますので、その改定を十分検討をする方針でございます。
  153. 中野明

    中野(明)委員 ことしの予算で、すでに長期計画の構想というものを大幅に変更した予算を組んでおられるはずであります。ですから、私が言っているのは、この長期計画というものを先に変更しなければならぬのじゃないかということを言っているわけなんですが、その点どうですか。
  154. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 その調査をする費用を四千万円本年度組んで、その調査に当たるつもりでございます。
  155. 中野明

    中野(明)委員 これは総理にもお話をしたいのですが、これは基本的なものはもうできているわけですから、長期計画の変更ということは、過去四十一年に閣議決定をされるときにもう基本的な調査は終わっているわけです。ですから、もう土台はあるわけなんです。ですから、少なくともこの総合農政を打ち出した時点において、すでにもう長期計画を変更して、そしてそれから予算編成をする、これは私はたてまえであり、筋だと思います。ところが、いま大臣が言うのには、ことしの予算で四千万円組んで、これからぼちぼちやります、こういうふうなことでは、こういう緊急な農政の大転換をしなきゃならぬときに、閣議決定までした重大な計画、これをおろそかに考えたのでは、私は閣議決定の権威にかかわると思うのです。土地改良というのはこの決定に基づいてずっとやっているわけですから、その点、総理はこういうやり方がいいとお思いになるのかどうかということなんです。  それからあわせて、もう時間がございませんので、最後に、先ほど私、農林大臣にも言いましたが、果樹振興の方向は今後総合農政として当然とっていかなければなりません。その農政を大きく転換していく上において、果樹振興の上でいま私が一つの例としてミカンを言ったわけですが、非常な打撃を受けておるわけであります。この点についての総理の今後の考え方、そういうことと、二点ですね、最後に御答弁をお願いして終わりたいと思うのです。
  156. 長谷川四郎

    ○長谷川国務大臣 四十五年度には、申し上げたような点についてはっきりといたしたいと考えております。
  157. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 総合農政を強力に推進していく場合におきましては、いろいろの問題が起こると思います。ひとり果樹ばかりではないと思います。そういうものにつきましても、そういう仕事に携わっておられる方に不安を与えないように、この上とも気をつけてまいります。
  158. 中野明

    中野(明)委員 いまの土地改良の長期計画、この手続のあり方ですが、それでよろしいですか。
  159. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 特にお答えしなかったのは、農林大臣が答えたので私のほうを省略させてもらったのですが、確かに御指摘のように本末前後しているようにお感じになると思います。しかし、このことも利用計画が閣議決定のとおりにどんどん行なわれておると御指摘になったとおりでございますが、幸いであったというか、わずかに手をかけたばかりだというような状況でありますので、総合農政を展開していく上においていますぐ支障がある、かようには考えませんので、ただいまのように調査費をもってこれからその点でも万遺憾なきを期す、こういうような態度であります。
  160. 中野明

    中野(明)委員 今後、これは農業問題ですから、天候その他に左右されることは、これは私どもも認めますけれども、こういう長期の計画ということは、特に土地改良、こういうものは農政の基本で、農民としてはそれを基準にして計画を立てているわけです。これがここで大きく方向転換されるということは、もうとても大きなショックであり、影響は大きいですが、これらの方向転換によって打撃を受ける人たち、そういう人たちにも十分の配慮もしていただかなければなりませんし、そしていまのあらゆる新しい方向に切りかえていったときに起こるべきいろいろの見通しの誤りとか、そういうことについても、今後現在の農家の考え方が、極端な言い方をすれば、農林省の言ったとおりしておったら何かばか見るようだ、そういうふうな空気もある今日ですから、よほどしっかりして方針をきめていただいて、そうして農家に理解を持って協力してもらうような、そういう農政のあり方、これを心からお願いをしたいわけであります。
  161. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 いまこまかな点にまでついて、いろいろお話がございました。たいへん適切な御意見だと思いますので、私拝聴しただけではいけませんが、農林大臣もよく聞いておりますので、必ず善処する、かように思います。
  162. 中野明

    中野(明)委員 以上で終わりたいと思います。
  163. 荒舩清十郎

    荒舩委員長 これにて中野明君の質疑は終了いたしました。  以上をもちまして、昭和四十三年度補正予算両案に対する質疑は、全部終局いたしました。     —————————————
  164. 荒舩清十郎

    荒舩委員長 これより昭和四十三年度補正予算両案を一括して討論に付します。  討論の通告があります。順序によりまして、山中吾郎君。
  165. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 私は、日本社会党を代表して、昭和四十三年度補正予算案に対し、反対の態度を明らかにするものであります。  まず第一に、私は今回の補正の主要な原因をなしている食糧管理特別会計の補正予算が提出されていないことに、北山委員の質疑によって明らかになったとおり、重大な疑義があることを指摘いたします。一般会計の歳出の中から食管会計への繰り入れ三百七十億円の増額を行なうことは、言うまでもなく、食管会計自体の中にそれだけの赤字を生む事情が生じたものであり、一般会計への繰り入れを増額するならば、これを受け入れる食管特別会計側の歳入歳出の補正が不可欠であることは理の当然であり、食管会計の予備費、弾力条項の運営によって処理できるからという理由により食管会計の補正をしないことは、明らかに誤りであり、はなはだしく国会軽視であるといわなければなりません。事実昭和三十五年から四十二年まで一貫して、食管会計への繰り入れをふやすときは必ず食管会計自体の補正予算をあわせ提出してきたのにかかわらず、本年突如としてこれを取りやめたことは、まことに奇異の感を与えるものであり、深い疑念を持たざるを得ないのであります。このような財政法の公開の原則、すなわち国の財政運営がガラス張りで国民に公開する原則を無視し、国会の審議を極力回避して、政府各省の内部で適当に運用するという官僚的な風潮は、まさしく民主的な議会政治の敵であり、最近ともすれば政治国民から遊離する傾向を助長するものとして、政府国会ともに戒心、反省しなければならないと思います。私は、政府、特に大蔵省の反省を求め、憲法及び財政法の原則に立ち返り、これを改めることを要求するものであります。  第二は、今回の補正によって政府のいわゆる総合予算主義が事実上破綻したということであります。いわゆる補正なし総合予算主義なるものは、それ自体非合理、非現実的なものであり、必要の場合には補正予算を組むことのほうが、財政法のいわゆる正しい総合予算主義なのであります。まして今日のように経済変動が激しく、物価上昇の時期に、政府経済見通しすら大幅に狂う状況のもとにおいて、国の財政を当初予算でくぎづけしようとすることは、ナンセンスというほかありません。むしろ政府の主観的総合予算主義の無理押しの真のねらいは、一方において生産者米価、公務員給与を押え、医療費、運賃の値上がりを許し、国民の負担にしわ寄せをして、他方、自衛隊、機動隊の増強、海外経済協力の名による米国のアジア援助の肩がわりのための財源を確保する点にあったことは、事実によって明らかになりました。私は、今回の補正により、不合理な総合予算主義の破綻を指摘し、正しい財政法の原則に立ち返ることを要求するものであります。  第三に、この補正によって大衆の重税の実態が一そうはっきりしたことであります。二千四百億円以上の税の自然増によって、四十三年度当初の六千五百七十六億円に合わせて約九千億円の自然増があったのであり、これに対して実質減税ゼロの佐藤内閣の租税政策がいかに不法、不当であるが、一そう明瞭になったことであります。佐藤内閣は、昭和四十二年の自然増収に対して、わずか八百億円の減税、四十三年は九千億円に対して実質減税ゼロ、四十四年度は一兆一千九百五億円の自然増の見込みに対して千五百億円しか減税を計画しておりません。このような重税政策と物価高のため、いわゆるいざなぎ景気にもかかわらず、一般大衆の生活は楽にならず、むしろ苦しくなってきていることは、世論調査がこれを示し、またきのう堀委員指摘のとおり、国民総支出の中の個人消費支出の割合は、佐藤内閣になってから五五・九%から五一%まで低下しているのであり、労働者は三百七十万人も人員がふえたにもかかわらず、雇用者所得が四十年の五六・六%から五五%に下降していることにも示されており、佐藤内閣の重税と物価高による勤労者生活圧迫を実証していると思うのであります。  第四に、今回の補正で国債発行を千六百二十三億円を減額されたのでありますが、税収のいかんによって適宜に発行額を伸縮することは、政府の国債発行が、特定の公共事業を対象とした建設国債ではなくして、単なる赤字国債にすぎなかったことを示すものであります。佐藤内閣の手によって発行された既発行債は約二兆円、そのうち日銀買い入れは八千六百億円、結果としては日銀引き受けの通貨増発につながり、インフレ物価高の一役を大いになっているのであります。  第五に、以上の見地からすれば、二千四百億円の税の自然増収は、当初予算の欠陥とひずみを是正するため、これを大衆に還元すべきであります。このように十分の財源がある以上、五月にさかのぼって人事院勧告を完全に実施し、そのための二百億円の予算を計上すべきであり、また生活保護費、失対賃金について物価値上がりと格差是正のための予算の計上、国民健康保険事務費の完全補償、累積赤字の精算分及び公害対策、石炭対策など、国民の緊急課題の対策予算を増額すべきであると考えます。また、沖繩の財政窮迫が伝えられておりますので、その援助のための財政措置を追加するよう配慮すべきであろうと思うのであります。  以上、補正予算に対するわが党の見解を申し述べましたが、政府予算案は、全くわれわれの要求とかけ離れたものであり、大衆負担のしわ寄せによる国民生活軽視の本質を明らかにして、反対するものであります。(拍手)
  166. 荒舩清十郎

    荒舩委員長 次に、橋本龍太郎君。
  167. 橋本龍太郎

    ○橋本(龍)委員 私は、自由民主党を代表して、ただいま議題となっております昭和四十三年度一般会計補正予算第一号及び特別会計補正予算特第一号について賛成の討論を行なわんとするものであります。  政府の説明によりましても明らかなとおり、この補正予算は、昭和四十三年度当初予算作成後に生じた事由に基づき、特に緊要となった経費の支出を行なうためのものであります。すなわち、一般会計予算の歳出の追加は、食糧管理特別会計への繰り入れ三百七十億円、国民健康保険助成費の不足を補うため必要な経費百七十四億円、所得税収入等の追加計上に伴う地方交付税交付金の増加七百三十五億円等でありますが、他方既定経費を約二百九十三億円節減いたしておりますので、この補正による歳出総額の増加は九百八十七億円であります。  歳入の面では、租税の増収二千四百五億円、税外収入の増約二百五億円を見込んでおりますが、他方公債を千六百二十三億円減額いたしますので、差し引き九百八十七億円の歳入増であります。  また、特別会計の補正は、交付税及び譲与税配付金特別会計に関するものであります。  この補正予算を提出いたしたことに対し、総合予算主義が破綻を来たしたかのごとき議論もあるようでありますが、私はこれには同意いたしかねるものであります。もちろん、総合予算主義というものに対する理解はいろいろあるかもしれませんが、およそ年産の初めに予算を編成するにあたり、あらゆる歳出要因を織り込んで経費の配分にバランスをとるという方針は、予算編成の筋道として当然のことであります。その点、毎年恒例のごとく大きな補正予算を組んでまいった従来の方向に比べて、四十三年度の予算編成は確かに進歩したものといってよいのでありまして、私は、この方針は四十四年度以降も堅持していくべきものと考えるものであります。  しかし、同時にこの総合予算主義は、大蔵大臣も言明をされたように、補正予算を絶対に提出いたさないということではないのでありまして、当初の見通しより事態が大きく変化し、経費を支出することが国の義務であり、また国民生活に有益でもあるというような場合には、当然補正予算を組むべきものと私は考えております。したがって、今回補正予算を提出いたしたことは、特に総合予算主義と矛盾するものではなく、その補正の内容も緊要なものと私は認めるものであります。  以上の理由により、私は、この補正予算案に賛成をいたすものであります。(拍手)
  168. 荒舩清十郎

    荒舩委員長 次に、麻生良方君。
  169. 麻生良方

    ○麻生委員 私は、民主社会党を代表いたしまして、政府より提案された昭和四十三年度一般会計並びに特別会計補正予算案に対し、反対の討論を行なうものであります。  私が反対をいたします第一の理由は、重要な国家の財政に対する政府の一貫性欠如と無計画性にあります。このことは、最近数年間における政府の財政に対する姿勢が明白に示しているのであります。すなわち、昭和四十一年度の予算編成にあたって、当時の福田大蔵大臣は、財政主導型の経済成長ということばを用いて本格的な公債政策を取り入れ、総花的な膨張予算を強行してその場を糊塗してきたのでありますが、昭和四十三年度の予算編成に際しましては、これが一転して、財政硬直化の打開という事務官僚的な発想、表現を用いてこれに当たりました。しかもその硬直化は、さきに正当化してきたところの公債の累積が最大の原因であるにもかかわらず、これを社会保障、公共事業等の民生的支出の抑制に利用して、総合予算主義を主張してきたのであります。しかるに、政府の財政運営に関する態度は、一年を経ずしてまたもやくずれ去り、当初はあれほど補正なし予算を強調されたのにもかかわらず、ここに突如として補正予算案を提出するがごときは、まさに一貫性なき姿勢そのものといわざるを得ないのであります。  このように財政政策が年ごとに変更されるというのも、政府に長期的な財政計画がないところに原因するのであります。近代国家の財政としては、政府が長期の財政計画を樹立し、広く国民に明示して、その理解を求めるべきであります。したがって、単年度予算は、長期財政計画の一環として運営されるべきであります。われわれは、このことについて過去何回となく政府に要求し、反省を求めてきたところでありますが、いまだ反省の徴候すらないのは、はなはだ遺憾であります。  反対の第二点は、補正予算の内容そのものについてであります。  まず、補正予算案の歳入で中心をなすものは、当初予算に比較して二千四百五億円の租税及び印紙税収入が増収になっていることでありまして、その内訳においても、所得税は千五百五十六億円と、大幅な自然増収を見せております。これは、当初予算の編成において意図的に過小見積もりを行ない、これによって国民の切実な減税要求を押えてきたと見るべきであります。ところが、現実に迫られた補正予算でやむなくこれを明らかにするといった態度では、国民は承服し得ないのであります。しかもこの千五百五十六億円は、すでに国民から取り上げたものでありまして、悪く言うならば、事後に議会の承認を得ようという性格のものであります。これこそ重税に苦しむ国民に減税分として返すべきものでありまして、政府の無計画な財政運営の犠牲に供すべきではございません。  また歳出においては、地方交付税交付金七百二十五億円を計上しておりますが、そのうち六百九十億円はすでに政府が借り入れを行なうよう決定し、地方にはわずか四十億円程度しか回らないのであります。政府はこれの根拠として、地方財政の好転をあげておりますが、これは地域住民の福祉向上を度外視した中央集権主義のあらわれであり、産業公害や地域的経済格差の是正、教育施設の充実、あるいは割り高な住民税の引き下げ対策等、多くの財政需要に苦慮している地方自治体の正常な活動を抑制するものといわざるを得ないのであります。  本案に賛成できない根本のものは、実にこれら二点に存在するのであります。  最後に私は、本補正予算案の提出が、このように押し詰まった段階で突然として、しかも議案書の配付が本会議提案の寸前に行なわれているということの醜態に言及いたしたいと思います。ここに提案されております補正予算案の内容からすれば、少なくとも昨年十二月の臨時国会において提案すべきものであったと思うのであります。政府は当時、補正予算を口にすることも回避しておりましたが、今回突如として提案し、十分な審議の時間的余裕も与えないというやり方は、全くの国会軽視であり、国会に対する政府の事務的、形式的な態度のあらわれとしか受け取りようがないではありませんか。政府のこのような態度は、例年の当初予算案提出を見ても一貫して示されているのであります。財政法第二十七条の定めるところによれば「毎会計年度の予算を、前年度の十二月中に、国会に提出するのを常例とする。」となっていることからすれば、政府国会軽視の態度は、ついに財政法にも反するといわねばなりません。また、提示された本補正予算案の取り扱いにおいても、昨日来問題にされているごとく、特別会計の扱い等は、まことに不誠実であり、きわめて遺憾とするところであります。  重要な国家予算案を、いま申したような態度で取り扱われんとする政府に対し、きびしく反省を求めつつ、本補正予算に対する反対の討論を終わるものであります。以上です。(拍手)
  170. 荒舩清十郎

    荒舩委員長 次に、樋上新一君。
  171. 樋上新一

    樋上委員 私は、公明党を代表いたしまして、ただいま議題となりました昭和四十三年度補正予算二案について、反対の態度を表明するものであります。  政府は、四十三年度より総合予算主義を貫き、補正なし予算に徹すると言明し、人事院勧告、公務員給与改定も完全実施せず、かつまた食管法を無視して、生産者米価五・八%の値上がり分を消費者米価にスライドしたばかりでなく、さらに二・二%も上乗せをして、消費者米価八%の大幅値上げを行なったのであります。このために諸物価の値上がりを誘発し、国民生活を極度に圧迫したのであります。われわれの主張してきたごとく、税の増収二千億円余は当初より予測されたところであり、公務員給与の完全実施と、食管法の精神を尊重し、消費者米価の据え置きを実施するための大幅な増額補正をすべきであります。このように一国の財政運営として、国民不在の政治姿勢の無責任さは、きびしく糾弾されねばなりません。  さらに、以下数点にわたり、具体的にその問題を指摘しつつ、反対の理由を申し述べます。  第一に、四十三年度においては、財政硬直化打開をスローガンに、所得税減税とすりかえ、酒、たばこなどの増税をはかり、実質増税となっております。ところが、この一年間の税収は、見通しを大幅に上回り、さらに二千四百億円もの自然増収が見込まれることになったのでありますが、これは明らかに政府の見込み違いであり、この分は納税者に還元するたてまえからも、大幅な所得税減税に向けるべきであります。  第二に、国債については、当初予算において六千四百億円という膨大な国債を発行し、年度途中より大幅に減額するという操作を行なっている。もちろん国債の減額についてはわれわれの主張するところであるが、当初から消化不能の額を計上し、わずか一年の間に一千六百億円にのぼる減額をするというやり方は、全く無定見な財政運用であるといわねばなりません。  第三に、補正要因の一つである地方交付税交付金についても、総合予算主義のたてまえからいえば、当初予算に組み込むべきであり、単なる予算見積もりの狂いで済まされる問題ではありません。しかも、交付税の増加分を年度末にあわてて補正を組んだことは、四十四年度予算編成と関連して国の景気政策に組み込もうとしておりますが、これは地方自治を侵害するものであり、全く納得できないのであります。  次に、今回の補正予算の最大の要因となった食管特別会計の繰り入れについて、一般会計から三百七十億円の繰り入れが行なわれたにもかかわらず、食管特別会計の補正予算書が提出されていないことは、一応特例が認められているとはいえ、三百七十億円の繰り入れの妥当性が国会で十分審議できない。大蔵大臣は、今回の補正予算の扱いは先例としないと言明したが、予算審議を十分尽くす意味から、補正予算を容認することはできないのであります。  以上述べてまいりましたように、今回の補正予算は、政府の強調した総合予算主義をみずから破ったばかりではなく、今回の補正予算の提出を故意におくらせ、公務員給与改定の人事院勧告無視、並びに食管法の精神に反して食管会計の赤字を国民に転嫁したことは、国民不在の政治といわざるを得ないのであります。  以上の理由から、本補正予算二案について反対するものであります。(拍手)
  172. 荒舩清十郎

    荒舩委員長 これにて討論は終局いたしました。  これより昭和四十三年度一般会計補正予算(第1号)、昭和四十三年度特別会計補正予算(特第1号)の両案を一括して採決いたします。  これに賛成の諸君の起立を求めます。   〔賛成者起立〕
  173. 荒舩清十郎

    荒舩委員長 起立多数。よって、昭和四十三年度補正予算両案は、いずれも原案のとおり可決いたしました。  委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任を願いたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  174. 荒舩清十郎

    荒舩委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決定いたしました。     —————————————   〔報告書は附録に掲載〕      ————◇—————
  175. 荒舩清十郎

    荒舩委員長 この際、分科会の件についておはかりいたします。  理事会の協議によりまして、昭和四十四年度総予算審査のため、五個の分科会を設置することとし、分科会の区分は、第一分科会は、皇室費、国会、裁判所、内閣、防衛庁・経済企画庁を除く総理府、法務省及び文部省所管並びに他の分科会の所管以外の事項。第二分科会は、会計検査院、防衛庁、外務省及び大蔵省所管。第三分科会は、厚生省、労働省及び自治省所管。第四分科会は、経済企画庁、農林省及び通商産業省所管。第五分科会は、運輸省、郵政省及び建設省所管。以上のとおりといたしたいと思いますが、これに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  176. 荒舩清十郎

    荒舩委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決定いたしました。  次に、分科会の分科員の配置及び主査の選任、また、委員の異動に伴う分科員の補欠選任並びに主査の辞任及び補欠選任につきましては、委員長に御一任願いたいと思いますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  177. 荒舩清十郎

    荒舩委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決定いたしました。  なお、分科会は、理事会の協議により、来たる二十四日より二十八日まで五日間開会することといたします。  明二十一日は、午前十時より公聴会を開会いたします。  本日は、これにて散会いたします。     午後三時十一分散会