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1969-08-05 第61回国会 衆議院 本会議 第74号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十四年八月五日(火曜日)     —————————————  議事日程 第六十三号   昭和四十四年八月五日    午後二時開議  第一 電気工事業業務適正化に関する法律   案(海部俊樹君外八名提出)  第二 交通安全対策基本法案内閣提出)     …………………………………     請願日程  (外務委員会)    一 世界連邦建設に関する請願外四件(福      田篤泰君紹介)(第一二一一〇号)  (災害対策特別委員会)    一 岩手県の林野火災対策に関する請願(      野原正勝紹介)(第七二九〇号)    二 自然災害防止のため気象業務整備拡      充に関する請願小沢辰男紹介)(      第一一一二七号)  (産業公害対策特別委員会)    一 諏訪湖の浄化促進に関する請願(井出      一太郎君紹介)(第九五五号)    二 同(小川平二紹介)(第九五六号)    三 同(小沢貞孝紹介)(第九五七号)    四 同(吉川久衛紹介)(第九五八号)    五 同(倉石忠雄紹介)(第九五九号)    六 同(小坂善太郎紹介)(第九六〇      号)    七 同(下平正一紹介)(第九六一号)    八 同(中澤茂一紹介)(第九六二号)    九 同(羽田武嗣郎紹介)(第九六三      号)   一〇 同(原茂紹介)(第九六四号)   一一 同(平等文成紹介)(第九六五号)   一二 同(林百郎君紹介)(第一二九〇号)   一三 木曽川水域水質保全に関する請願(      江崎真澄紹介)(第一二五七二号)   一四 神奈川県海老名町大谷地区地盤沈下      対策に関する請願加藤万吉紹介)      (第一二七六八号)  (沖繩及び北方問題に関する特別委員会)    一 沖繩早期復帰実現に関する請願(大      村襄治紹介)(第四四三五号)    二 北方領土の返還促進に関する請願(亀      岡高夫紹介)(第一一三二二号)     ————————————— ○本日の会議に付した案件  堂森芳夫君の故議員坂田英一君に対する追悼演   説  請願日程 世界連邦建設に関する請願外十八請   願  元満鉄職員であった公務員等恩給等通算に関   する請願外三千四百九十四請願  十六常任委員会懲罰委員会を除く内閣委員会   外十四常任委員会並びに災害対策特別委員会   外七特別委員会において、各委員会から申出   のあつた案件について閉会審査するの件   (議長発議)    午後五時四分開議
  2. 松田竹千代

    議長松田竹千代君) これより会議を開きます。      ————◇—————
  3. 松田竹千代

    議長松田竹千代君) 御報告いたすことがあります。  議員坂田英一君は、去る七月二十二日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。  同君に対する弔詞は、議長において去る七月二十六日贈呈いたしました。これを朗読いたします。   〔総員起立〕  衆議院は多年憲政のために尽力しさきに農林委員長農林水産委員長要職につきまた国務大臣の重任にあたられた議員正三位勲一等坂田英一君の長逝を哀悼しつつしんで弔詞をささげます      ————◇—————  故議員坂田英一君に対する追悼演説
  4. 松田竹千代

    議長松田竹千代君) この際、弔意を表するため、堂森芳夫君から発言を求められております。これを許します。堂森芳夫君。   〔堂森芳夫君登壇〕
  5. 堂森芳夫

    堂森芳夫君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員坂田英一君は、去る七月二十二日逝去されました。まことに哀悼にたえません。(拍手)  私たち郷里は、坂田君が石川、私が福井と分かれてはおりますが、互いに県境に近く、隣接しておりまして、また坂田君は、旧制第四高等学校における私の先輩という関係もありまして、私が初めて本院に議席を得ました昭和二十一年に、当時農林省在職中の君とお会いして以来、公私にわたり、党派を越えて親交を重ねてまいりました。その坂田君が、昨年十一月、突然病を得られて御静養中と承り、御回復の一日も早からんことを心からお祈りしていたのでありますが、不幸にも御本復を見るに至らなかったのでありまして、いまここに諸君の御同意を得、議員一同を代表して追悼ことばを述べますことは、私にとりましてまことに感慨無量であり、痛恨の念にたえないのであります。(拍手)  坂田君は、明治三十年三月、石川県加賀市にお生まれになり、生家は豪農として近在に聞こえておりました。父君は豪放らいらく、きわめて義侠心に富んだ方で、生活困窮者災害に苦しめられました農民に対して惜しみなく私財を投じられましたので、坂田君九歳のおり、一家はついに郷里を捨てて転居を余儀なくされました。  君は、このような家庭環境にはぐくまれ、長じて第四高等学校を経、東京帝国大学農学部に進まれました。大正九年卒業後、父君は帰郷をすすめましたが、学生時代から石黒忠篤氏に心酔していた君は、氏を慕って農商務省に勤務されたのであります。  時あたかも小作争議はいよいよ激しさを増し、大きな社会問題となっており、小作制度の改革は当面最大の課題でありました。このときにあたり、小作官として小作問題を担当した君は、小作立法をはじめとする農地政策に真剣に取り組むとともに、争議の現場にもおもむき、その解決のために献身されました。零細農民を救おうとする君の旺盛な熱意は、立場を異にする農民運動家の心にも通じ、互いに助け合い、励まし合ったのでありまして、この小作官時代は、後年の坂田君を築く上にまことに意義深い時期であったと申せましょう。(拍手)  昭和十三年から昭和二十一年の終戦直後に至るまで特産課長でありました君は、当初、食糧として重きを置かれなかったサツマイモやジャガイモ緊急食糧としての効用に着目し、その大増産計画を樹立し、これを国民運動にまで盛り上げました。そして、みずからもイモづくりに魂を打ち込み、ときには冷害から守るためにイモ苗を抱いて寝られたとのことでありまして、いつしかイモの神さま、イモ博士の異名を奉られたのも、君の熱意のいかに盛んであったかを雄弁に物語っているのであります。(拍手食糧事情がどん底におちいった戦中戦後のあの大窮乏時に、貴重な食糧源を確保する上に大きな原動力となられた君の業績は、高く評価されなければなりません。(拍手)  その後も、農林省食品局長経済安定本部生活物資局長食料品配給公団総裁要職を歴任され、終戦直後の疲弊と混乱の中で、衣食住の生活物資全般にわたる配給調整に当たり、民生の安定につとめられました。  昭和二十四年、君は、年来の抱負と高邁な識見とを政治に具現させるべく、第二十四回衆議院議員総選挙に石川県第一区から勇躍立候補し、みごと当選の栄をになわれたのであります。(拍手)  本院に議席を得るや、間もなく物価政務次官に就任し、米価審議会の設置、公定価格の撤廃など、物価行政に尽力し、その後は、予算外務、商工その他の各委員会に幅広く活躍されたのであります。  しかしながら、君の本領はあくまでも農政にあり、有数の農政通としてその手腕力量自他ともに許すところでありました。農村は国づくりの基礎であり、明るく楽しい村づくりこそ農政の目標だよ、坂田君はこう言って農業重要性を強調するとともに、農業近代化を推進する上で、経済合理性の追求のみでは解決できぬわが国農業複雑性特異性を指摘してこられました。そして、農政の根本は農民愛情をもって接することだと断言し、国が農民に対して、より積極的にあたたかい手を差し伸べるべきであると主張し続けられました。そこには、農民の苦しみと悩みをはだで感じ取っておられた坂田君の農民に対する愛情がはっきりとうかがわれるのであり、この愛情農政論こそ、坂田君の農政に対するゆるぎない信条であったのであります。(拍手)  君は、農林水産委員会において終始熱心に審議に当たってまいりましたが、ことに、昭和二十七年には農林委員長、三十五年には農林水産委員長の重職に選ばれ、わが国農政の一時期を画すべき段階において、よくその職責を全うされたのであります。  そして、昭和四十年六月には、嘱望されて第一次佐藤内閣農林大臣に就任されました。時に、北海道、東北地方は、天明以来といわれる冷害に悩まされていたのでありますが、君は直ちに技術陣を総動員して適切果断な対策を進め、ついに平年作にこぎつけるまでに至りました。世上、お天気に技術が勝ったと言わしめたのも、農業に精通した坂田君あったればこそと断定しても決して過言ではありません。(拍手)  また、農林大臣に御在任中、日韓国会における専管水域問題をはじめ、幾多の重要問題に直面されましたが、この間、君は、終始真摯にして率直な態度と巧まざるユーモアをもってこれに当たられたのでありまして、問題の所在は別にして、与野党から好感をもって迎えられたことは、いまなお記憶に新たなところであります。(拍手)  君は、自由民主党におきましても、総務あるいは政務調査会農産物価格対策特別委員長総合農政調査会会長について活躍されるとともに、また、内閣積雪寒冷単作地帯振興対策審議会会長をはじめ、米価審議会などの委員として長年のうんちくを傾けられ、終始一貫、農業振興発展農民福祉向上に寄与されたのであります。ことに、米価問題に取り組んだときの君からは、農民を限りなく思う至情があふれ、周囲の人たちすべてに頭の下がる思いを抱かせたのであります。(拍手)かくて、坂田君は、本院議員に当選すること前後七回、在職十七年三カ月に及び、この間、国政に残された功績はまことに偉大なものがあります。  思うに、坂田君は、文字どおり天衣無縫と申すべく、素朴にして少しも辺幅を飾らず、てんたんとして一点の曇りもなかったのであります。また、みずからの信ずるところに向かっては、何ものをも顧みずばく進してやまない、まさにイノシシ武者のごとき気概がありました。学生時代には武道に励み、柔道着を着れば、根性の柔道として黒帯仲間にその名をとどろかせ、竹刀をとれば、坂田剛剣としておそれられたとのことでありますが、その精神力と人一倍の研さん努力によって築き上げられました透徹した理論こそ、政治家坂田英一君の真骨頂でありました。坂田君が一たび沈黙を破って議論を始めるや、白髪を振り乱し、口角あわを飛ばしてとどまるところを知らず、その圧するがごとき激しい理論の展開は、聞く者に強い共感を与えずにはおかなかったのであります。  君は、好んで「春風人に接す」と揮毫されました。その風貌は一見望洋たるものがありましたが、余暇には尺八を奏し、墨絵の筆をとられるという豊かな趣味の持ち主であり、その人間性はあくまでも純粋で、しかも、あたたかい愛情にあふれていたのであります。君は、かねて、政治は深い愛が情熱となって発するものであると、愛の政治を標榜していたのでありまして、君の真情に触れた者は、ひとり農民のみならず、すべての人が慈父のごとく敬慕してやまなかったのも、けだし当然のことでありましょう。(拍手)  坂田君、七十二歳。官界、政界を通じ、その生涯をただ一筋に農政にささげ、わが国農業の歩みの上に不滅の足跡を印して、ついに生命の灯を閉じてゆかれたのであります。  いまや、わが国農業は重大な段階に直面し、体質の強化と農業人口の確保など、幾多の困難な問題が山積しております。これらの問題を解決し、農業発展農民生活安定向上をはかるためには、坂田君のごとき豊かな経験と透徹した理論を有する政治家に期待するところがはなはだ多いのであります。このときにあたり、君のごとき練達たんのう指導者を失いましたことは、国家国民にとってまことに大きな損失であり、惜しみても余りあることと申さねばなりません。(拍手)  ここに、坂田君の生前の御功績をたたえ、その人となりをしのび、心から御冥福をお祈りしまして、追悼ことばといたします。(拍手)      ————◇—————  請願日程 世界連邦建設に関する請願外十八請願  元満鉄職員であった公務員等恩給等通算に関する請願外三千四百九十四請願
  6. 西岡武夫

    西岡武夫君 この際、請願審議に入ることとし、請願日程十九件とともに、本日委員会審査を終了した元満鉄職員であった公務員等恩給等通算に関する請願外三千四百九十四請願を追加して一括議題となし、その審議を進められんことを望みます。
  7. 松田竹千代

    議長松田竹千代君) 西岡武夫君の動議に御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  8. 松田竹千代

    議長松田竹千代君) 御異議なしと認めます。よって、動議のごとく決しました。  世界連邦建設に関する請願外三千五百十三請願を一括して議題といたします。     —————————————   〔報告書会議録追録に掲載〕     —————————————
  9. 松田竹千代

    議長松田竹千代君) 各請願委員長報告を省略して採択するに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  10. 松田竹千代

    議長松田竹千代君) 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。      ————◇—————  委員会閉会審査に関する件
  11. 松田竹千代

    議長松田竹千代君) おはかりいたします。  十六常任委員会懲罰委員会を除く内閣委員会外十四常任委員会並びに災害対策特別委員会外特別委員会から、閉会審査いたしたいとの申し出があります。
  12. 松田竹千代

    議長松田竹千代君) 各委員会において申し出のとおり閉会審査するに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  13. 松田竹千代

    議長松田竹千代君) 御異議なしと認めます。よって、さよう決定いたしました。      ————◇—————
  14. 松田竹千代

    議長松田竹千代君) 諸君、第六十一回国会は、本日をもって終了いたします。  今国会は、昨年十二月二十七日に召集されて以来、実に二百二十二日の長い期間にわたりました。この間、本年度総予算をはじめ、幾多の議案の審議に当たられた諸君の御労苦はなみなみならぬものがありました。ここに、会期を終了するにあたり、深く敬意を表する次第であります。  諸君におかれましては、御自愛の上、国家のためますます御活躍あらんことを切望してやみません。(拍手)      ————◇—————
  15. 松田竹千代

    議長松田竹千代君) この際、暫時休憩いたします。    午後五時二十四分休憩      ————◇—————   〔休憩後は会議を開くに至らなかった〕      ————◇—————