○広沢賢一君 私は、
日本社会党を代表して、
政府提出、
国税通則法の一部を改正する
法律案、並びに社会党
提出、
国税審判法案について、基本的な
質問を行なうものであります。(
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税に対する
国民の恨みは充満しております。それは、単に税金が生活費に食い込むという重税感ばかりでなくて、いまの税制がはなはだしく不公平、不合理だからであります。たとえば、
政府が宣伝する今回のサラリーマン減税は、その実、年収百万円、月収約七万円の五人家族にとっては、物価上昇の今日、定期昇給を含め一〇%、七千円の賃上げがあった場合、減税どころか二千二百円の増税のうき目にあい、反対に、悪名高い利子配当、つまり、不労所得の優遇
措置で、五人家族年収二百三十六万円まで無税が二百八十二万円に、一挙に五十万円も免税額がはね上がる、全く資産階級と社長、重役のための減税なのであります。(
拍手)
また、
昭和元祿といわれ、独占企業は連続六期大きな利益をあげており、反対に、
政府は財政硬直化を宣伝しているのに、法人税の実効税率は
世界一安くなっております。こんなばかげたことが行なわれている一例をもってしても、新聞世論
調査にあらわれた
国民の政治不信、この原因がどこにあるか明らかであります。昔から、善政をあらわすに、乏しきを憂えず、ひとしからざるを憂うという名文句がありますが、佐藤
内閣の税制は、まさしく正反対、つまり、悪政なのであります。
来年は利子配当優遇
措置の期限切れであり、これに関連して法人税の性格の明確化が迫られております。この際、所得税の税率の変更を含めて、税制そのものの根本的な見直しを行ない、一大改革を断行すべきであります。総理の決意を伺いたいのであります。
もう一つの
国民の恨みは、税金の取り立て方にあります。零細企業者は、私は警察より税務署がこわいと申しております。戦後、警察は一度自治体警察に民主化されましたが、税務署のほうは、戦前以来一度も民主化の波をくぐっていないのであります。たとえば税務
大学校の教官からして、大内兵衛教授の本を読むと出世できないとおどかす
教育であります。そこから生まれた税務署職員は、理屈抜きで、
国民からできるだけ多く税を取り立てた者ほど点数が上がり、出世できると徴税にかり立てられているのであります。警察官は、裁判所の令状がなければ商店や銀行の金庫をかってにこじあけることができませんが、税務署は、不意打ちでかってにそれができるのであります。奥さんのたんすまでさがして、へそくりをさがし出す。しかも、大蔵省ほど
法律を自分なりに解釈して膨大かつ難解な通達の乱発で、これに基づいて税金を取り立てている省はほかにないのであります。歴史的に民主主義の生まれた根本の
原則、租税法定主義が、実際には平気でじゅうりんされているのであります。したがって、これから生まれる税金の紛争は、
昭和四十一年で何と三万七千件にのぼっているのでありますが、このように
異議申し立てや
審査請求をやる人は、勇気のある人々であります。多くの
国民は、あとがこわいというので、泣き寝入りが実情なのであります。
総理大臣、こうしたことが民主国家の今日、あってよいと思いますか。
国税通則法、国税犯則取締法及びそれに伴う政令、通達等を根本的にさらに再検討すべきであると思いますが、いかがでありますか。
今回の
国税通則法の一部改正案は、こうした納税者の
権利救済
制度の改善のために、いままでの協議団方式を国税不服審判所
設置に改めるのだというのでありますが、中身をよく検討すると、それはまっかな偽り、羊頭狗肉そのものなのであります。
第一に、いままでの公平な審判を行なうべき協議団が、税金を取り立てる国税局のもとに置かれていて、その人事、任用、昇進、成績判定から
審査手続に至るまで、すべてが国税局に従属していたのでは、これでは国税審判の役をなさないのであります。いわゆる
制度そのものが同じ穴のムジナであると批判されてきたことは、税制
調査会の答申にも認められているところなのでありますが、今回の改正案では、それが同じ税金を取り立てる大元締めの国税庁長官の任命になったにすぎないのでありまして、身分関係の実体は何ら変わらないのであります。そればかりか、本来、協議団という名の示すとおり、裁判官には、上下の別なく協議または合議が民主的
原則であるにもかかわらず、今回の改正では、審判官に首席を置き、副を置き、副は審判官の仕事を代行するという
行政執行の立場からの身分的な職階制を導入したのでは、これは改正でなくて、改悪であると思うのであります。(
拍手)
さらにまた、審判所は、国税庁長官の出した通達と異なった解釈で裁決するときは国税
審査会の議を経なければならないことになっておりますが、この
審査会の
委員が、また国税庁長官が任命するというのであります。これでは、同じ税務
行政の古手が学識経験者としてかってに長官から任命されて、もちろん
国会の承認を必要としないというのですから、これまた同じ穴のムジナと古ダヌキで、事態は何ら改善されないことは明らかであります。(
拍手)
これらに対して、社会党が
提出した
国税審判法案では、特にこれらの点に留意して、審判庁は税金を取り立てる国税庁とは完全に切り離して、
内閣総理大臣のもと、総理府の
所管とし、その機能の独立性を
法律によって保障しているのであります。それは、
アメリカ合衆国租税裁判所が大統領任命官職であり、西ドイツが独立した租税裁判所を持っているという
外国の事例、さらにまた、
わが国においても、社会保険
審査会
委員が両議院の同意を得て
内閣総理大臣の任命によるものであること、
労働者災害補償保険
審査官ですら労働
大臣任命、保険
審査会
委員は両議院の同意事項であること、公正取引
委員会の
委員も、
国会の同意により、その審判官のうちで特に事件に関与したことのある者は担当審判官に指定できないこと、海難審判
制度では、独立した権能が法十一条で保障され、
特許審判官では、合議体過半数と明記していること等から見て、最も大切な税金の公平処理が独立した機能を持つことは当然であり、法制上何ら不都合でなく、これを怠った今回の改正案は、以上のような法制上の基本的な民主主義的
原則をじゅうりんした羊頭狗肉のしろものなのであります。(
拍手)
これは、最近、
国民の税金徴収に対する不満が高まり、裁判所における提訴では納税者の勝訴が次々と多くなり、社会党の審判庁の
法案の
提出など追及がきびしく、たまらなくなった国税庁が、むしろこの羊頭狗肉を材料として、
国民の税金に対する正当な
権利を封殺してしまおうとして出してきたものであると思うのであります。というのは、この改正
法案第八十七条において、まず
審査請求人が、この税金が不当であると思う主張一切を明らかにすることを求めております。そもそも、債権を主張する者がその債権の存在を立証しなければならないのが争訟
制度の大
原則であります。改正
法案では、このことを回避して、事実上その責任を
審査請求人、つまり
国民に求め、しかも、原処分庁の
答弁書
提出の義務では、九十三条「
提出させるものとする。」と、あいまいな表現を使い、原処分庁の物件閲覧においては、九十六条「日時及び場所を指定することができる。」、だから指定しないこともあり得るというような表現を用い、あまつさえ、九十七条、
審査のための
質問検査においては、この場合、身分上は税務官吏同様の審判官、副審判官に広範な検査権を与え、その上で、たとえば
質問に
答弁しない、検査に協力しなかったら、事件関係人に対して三万円の罰金を科するという罰則規定が挿入されたのであります。さらにその上、この点がおかしいと不服を述べると、それではこの点ばかりではなくて、あらためて総収入、総支出金部を洗い直すという、いわゆる争点主義に対する総額主義の問題は、いまだ明快な結論がありませんから、たとえば日通のような大企業には、その点だけという争点主義の
調査にとどめ、町の八百屋さんは洗いざらい総所得、総支出を調べ直すというように、
調査、検査のしかたそのものが階層的に、階級的に不公平なものになっているのであります。
大蔵大臣、これでもなお、庶民が
権利救済を信頼し、
審査請求をしてもらいたいという気持ちになれますか。
以上の諸点について、
大臣の
答弁を求めます。また、社会党の国税審判法提案者、社会党の
大蔵大臣横山利秋君の明快なる御
所見を伺いたいのであります。
最後に、今日ほど税金の不公平に対する怒りと恨み、ひいては政治不信の声がこのように大きく盛り上がっている今日、表だけの
昭和元祿を自画自賛する前に、総理、
大蔵大臣みずから、乏しきを憂えず、ひとしからざるを憂うという昔から政治家にとって最も大切な心がまえ、要諦を
国民の前にはっきりと具体的な提案として示す以外に、今日の政治不信の解消の道はないと思いますが、いかがでしょうか。総理、
大蔵大臣の深い反省を求めて、私の
質問を終わります。(
拍手)
〔
内閣総理大臣佐藤榮作君
登壇〕