○根本龍太郎君 私は、自由民主党を代表いたしまして、
佐藤総理並びに
関係閣僚に対しまして、
内外の重要な諸問題について御
質問申し上げます。
佐藤内閣が成立して以来、すでに四年有余を経過しております。この間、対外的には日韓国交の正常化、小笠原の
祖国復帰、
沖繩施政権返還の促進等、
歴史的な成果をあげ、また対内的には、深刻な不況を克服し、未曾有の経済の繁栄をもたらしているのであります。すなわち、
昭和三十九年度には二十八兆六千億円でありました
国民総生産は、四十三年度にはその二倍に近い五十兆六千億に達するものと見られ、いまや自由諸国では
アメリカに次ぐ第二の生産国に迫りつつあるのであります。この繁栄の恩恵を受けまして、勤労者の収入も年々増加し、
物価の
上昇を差し引いた実質収入指数は、三十九年度の九七・五から四十二年度は一一〇・六と、一一%以上も
上昇しているのであります。
このような内政
外交にわたる治績をあげた
佐藤総理は、先般の総裁公選によって、さらに二年間の政権担当が約束されたのであります。引き続き六年間も政権を担当した内閣
総理大臣は、明治以来吉田茂元
総理のほかはないのであります。ときあたかも一九七〇年を目前に控え、
内外の
情勢がきわめて流動的である現在、
佐藤総理の
責任はきわめて重大であり、
国民の期待もまたはなはだ大きいものがあるのであります。
わが国現下の
最大の問題は、奇跡的な経済的繁栄にもかかわらず、
国民の心の豊かさが失われ、むしろ荒廃の一途をたどりつつあるかに見える現状であります。すなわち、神聖なるべき学問の府は暴力学生によって占拠され、また、交通
戦争や
公害によって
国民は
生命と健康の恐怖にさらされ、あるいは自己の欲求充足のためには、他人の権利と所有物を侵害しててんとして恥じざる風潮が流行し、
利益追求のために風俗を紊乱する映画や刊行物が、表現の自由の名において横行しているありさまであります。古来礼節の民といわれた
日本民族のよき習慣は、古い封建制度のなごりとして排撃され、
人間の本能的欲求をそのまま追求することこそ現代人の
生活態度であると主張するものが、
文化人と称せられておる今日であります。こうした風潮の中に、
国民は
日本人としての共通の連帯感を失いつつあるのであります。このことは、
政治の上にも、社会の上にもゆがみを生ぜしめているのであります。いまにしてこの禍根を除かなければ、
日本は、経済的繁栄の中に
人間の魂を失った利己的な
人間集団に堕落するおそれがあるのであります。(
拍手)
国家は
国民から絶大な権力を与えられております。
国民は租税を納め、法律を順守する
義務を負うそのかわりに、
国家は、
国民の
生命、
財産を侵害し自由を奪うものに対しては、
国民を保護する
責任を負っているのであります。
国家がその権力を行使するにあたって、市民
生活の平和と秩序を守ることに欠けることがあるとき、そのときこそ、人心の荒廃が生まれるのであります。われわれは民主
政治のワクの中では相互に寛容であっても、このワクを破る暴力に対しては絶対に寛容であってはならないのであります。(
拍手)人類の自由は、
人間の尊厳と自由を奪う暴力と圧迫に対する勇敢な戦いによって守られてきたのであります。私は、
政府は
政治以前の問題として、すべての暴力と脅迫を排除し、公共の秩序を維持する責務を負うものと信ずるものでありまするが、
総理の所信を伺いたいのであります。(
拍手)
次に、
外交及び防衛問題についてお尋ねいたします。
わが国は、
政治思想や社会制度を異にし、また、強大な
軍事力を持つ
国家と隣接し、しかも狭く、資源の少ない国土に膨大な人口を擁しておる
国家であります。したがって、
わが国の平和と安全を確保し、
国民の自由と経済的繁栄を守ることこそ、
わが国外交、防衛の根本課題であります。すなわち、
わが国は、相互に内政干渉しない条件のもとで、
政治体制を異にする国といえども、ひとしく友好親善の
外交を深めてまいったのであります。
わが国と
立場を同じくする自由主義諸国はもとより、ソ連、東欧諸国とも数多く国交を結んでおるゆえんであります。しかし、古い時代から密接な
関係にある
中国大陸については、終戦以来いまだに国交が結ばれておりません。
中国の国内事情も最近ようやく安定したかに見え、これに伴って、
外交路線も従来に比して柔軟になりつつあるように見えます。また、
中国大陸をめぐる
国際情勢も大きく流動しておる今日、積極的に
中国大陸との
関係改善をはかるべき時期が迫っているものと思われまするが、
総理の所信を伺いたいのであります。
次に、日米
安全保障体制についてお伺いいたします。
そもそも、日米
安全保障条約は、
日本区域における平和と安全の維持のため、国際連合の措置が十分となるまで効力を有することになっておりますが、発効後十年を経た後は、一方の通告によってその後一年で終了する定めになっております。このため、一九七〇年は、一般に日米
安全保障条約の再
検討期といわれているのであります。しかし、この種の
条約でこういう定めのあるのは通例であり、このことは
条約の廃止とか改定とかを求めているのではないのであります。ところが、社共両党は、この機会に日米
安全保障体制を破棄しようと運動しておるのであります。
わが国の防衛費負担は、日米
安全保障条約によって、
世界の先進国の中で最も少ないのであります。来年度
予算に占める防衛費の比率は七・一%であります。イタリアとイギリス、フランス、西独はそれぞれ一四%から二〇%であります。また、
国民総生産に占める比率、これは「ミリタリー・バランス」一九六七年−六八年度版によりますれば、
アメリカは九・二%、ソ連は八・九%、中共は一〇%、イギリスは六・四%、フランスは四・四%、イタリアは三・三%、ポーランドは五・三%、これに対して
日本はわずかに〇・八四%であることを忘れてはなりません。(
拍手)
また、
昭和三十五年の
安保改定によりまして、
日本は、この種の相互防衛
条約にはその類例を見ない有利な取りきめをいたしているのであります。すなわち、
アメリカは、
日本が他国に
侵略された場合は、
日本を防衛する
義務を持っているのでありまするが、
日本は、
日本国憲法のたてまえからいって、
米国が他国と
戦争状態に入った場合でも、
自衛隊の海外派遣は
義務づけられていないのであります。これは
ベトナム戦争について見ても明らかであります。日米
安全保障条約を締結して以来、
わが国の周辺で
ベトナム戦争、中印紛争、マレーシア・インドネシア紛争などが発生いたしましたが、この間
日本は、何ら
戦争にも紛争にも巻き込まれておらず、平和のうちに経済の発展を続けることができたのであります。しかるに、
安保反対勢力は、日米
安全保障条約がある限り、
日本は常に
戦争に巻き込まれるおそれがあると、事実に反する宣伝をしているのであります。また、これらの勢力は、
日本に
米軍基地が存在することは
米国に従属することであると唱えておりますが、現在
世界の国々の多くが、互いに二国あるいは多数国間の集団
安全保障体制をとっていることは周知の事実であります。
昨年十二月に朝日新聞が行なった日米安全体制に関する
世論調査の結果が、日米
安全保障条約に対する
国民の
考えを知る一つの目安となるのであります。その第一は、一般
国民大衆は、防衛と
安全保障という高度の
政治問題に対しまして判断に迷っている傾向が見られることでございます。具体的にいえば、戦後の
わが国の経済発展は日米
安全保障体制のおかげであると認める者が実に五五%を占めておる、すなわち、過半数を占めているのであります。かと思いますると、自衛
中立に賛成する者が六四%という高い比率を示しているのであります。
第二は、このような素朴な
国民感情の中にも、
国民が日米
安全保障体制に対し現実的な評価と判断を下しているということであります。一九七〇年に日米
安全保障条約を破棄せよと主張する者はわずかに一二%にすぎません。段階的解消論から十年間延長に至る
安保存続論者は七四%という圧倒的多数を示しているのであります。特にわれわれが力強く思うことは、
安保即時破棄を唱える社会党支持者の中で、それに賛成する者がわずかに一八%にすぎないということであります。(
拍手)
毎日新聞社の昨年十二月の
世論調査の結果を見ましても、一九七〇年に
安保を解消せよという意見は一四%にすぎないのであります。
安保条約破棄や、非
武装中立の宣伝攻勢にもかかわらず、
国民の多くが、これら観念論よりは、健全で現実的な判断を持っていることがここに明確に示されているのであります。(
拍手)
政府は、
国民の理解と支持のもとに、
わが国の安全を守る
姿勢を貫き、今後も日米
安全保障条約の堅持の
方針について、一そう率直に訴える必要があると思うものであります。
次に、日米
安全保障体制の維持について、
国民的な合意を得るために必要なことは、その運用を現実に即して改善することであります。この
条約を改定した九年前と現在とでは、
内外の諸
情勢も多く変化しています。このため、私は、特に
基地問題の処理について強調したいのであります。
かつて二千八百余件もありました駐留軍の陸上施設は、昨年末には百四十五件に激減しております。土地面積も十三億五千万平方メートルから、わずかに三億六千万平方メートルに減っておるのであります。しかしながら、なお
基地をめぐるトラブルは少なくなく、これが
基地周辺の住民の
安保体制に対する反感の
原因となっていることも否定できません。必要性の乏しい
基地は、日米当局者が積極的に協議してこれを整理し、市街地から他の地域へ移転可能な施設は移し、
基地周辺の
生活環境を徹底的に改善するなど、適切な措置を強く推進することは、日米
安全保障体制の基礎を固める条件と思うのであります。
総理の所信を伺いたいところであります。
次に、
沖繩問題についてお尋ねいたします。
佐藤総理は、就任以来、
沖繩の
祖国復帰にその
政治生命をかけ、みずから渡米し、ジョンソン前大統領との会談によって、両三年のうちに復帰の時期のめどをつけるところまでこぎつけたのであります。
沖繩の
返還は、
沖繩県民をはじめ全
国民の念願であります。今後、ニクソン大統領との
交渉によって、
沖繩返還を具体的な日程にのぼせることは、
佐藤総理の使命であり、
責任であります。
およそ、
外交交渉は相手のあることでありまして、双方の主張が互いに理解され、かつ、相互に信頼される状況においてのみ、初めて妥結を見ることができるのであります。みずからの国の
利益や主張を一方的に強調するだけでは、成果をあげることはできません。この意味から、即時無条件
返還を
わが国が一方的に強く
要求すれば、そのままこれが実現し得るかのような錯覚を
国民に与えることは、百害あって一利なきことであります。もしそのような主張をする政党ありとするならば、その政党はどのようにして対
米交渉でこれを実現するか、具体策を
国民に示す
政治責任があるはずであります。(
拍手)
沖繩が、終戦後対日平和
条約が締結されるにあたって、何ゆえに
米国の施政下に置かれるに至ったか、その
原因が現在どのように変わったか、また、
日本はいかなる
根拠に基づいて
沖繩返還を
要求するか、
政府はこうした点を具体的に
国民に示して、
国民の理解と合意を求めるべきであります。これをなくしては、
沖繩返還に対する
国民の中正な判断を求めることは困難であります。
沖繩の
祖国復帰は、
沖繩県民の民族的な権利を
回復し、また、同胞一体化の願望を達成するためのものであります。したがって、
施政権の
返還が
沖繩問題の最重要課題であることは、もちろんであります。同時に、
沖繩の持つ防衛的役割りをも、これは忘れることはできません。すなわち、
施政権の
返還と
基地の役割りをどう調和させるかが
沖繩問題の核心であります。このことは、日米双方にとって
見解の相違のあることはやむを得ないことと思いまするが、日米両首脳が胸襟を開いて真剣に
交渉すれば解決し得るものと思います。
総理の所信を伺いたいところであります。
なお、
沖繩では、二月四日に、
B52の
即時撤去などを目的とした異例のゼネストが行なわれようとしております。しかし、このような問題は、
政治的な力を直接に行使することなく、日米間の相互信頼に立つ話し合いによって解決されることを期待するものであります。
また、
沖繩では、米
国民政府が一月十一日公布した総合
労働布令が問題になっております。幸いにして、同布令の施行は、とりあえず三月以降に持ち越されましたが、このような
事態を生じたことは、日米双方の間に十分な意思疎通を欠いたものといわざるを得ません。
本土と
沖繩の
一体化政策を進めておるおりから、
沖繩県民の福祉に関する重要な事項については、日米双方があらかじめ十分に連絡をとり、
県民の意見を反映した施策を進めるべきだと思うのであります。所管大臣の意見を求める次第であります。
次に、大学紛争と大学の再建についてお尋ねいたします。
一部の暴力学生集団による社会秩序の破壊と大学の混乱は、現在の
わが国の重大な社会問題であります。一昨年秋における羽田事件以来、暴力学生集団の
行動は量、質ともにエスカレートしつつあります。すなわち、学園の外にあっては、ついに騒乱罪の適用を受けた新宿事件にまで発展し、学園内においては、九十年の伝統を持つ東京大学の一部は廃墟と化し、ついに入試中止という非常
事態にまで立ち至ったのであります。いまなお紛争中の大学は全国で四十五校に達し、そのうち二十一校は無法な学生集団によって校舎の一部が封鎖されておる実情であります。学生運動の激化は
世界的な傾向といわれております。しかし、ヘルメットをかぶり、手に手に角材や鉄棒を持ち、加えて劇薬や火炎びんまで使用し、市街戦さながらの破壊活動を行なうのは、ひとり
わが国においてのみこれを見られるのであります。貴重な
国民の税金によってつくられた国立大学の建物が、数カ月の長きにわたって暴力学生によって不法占拠され、公の研究資料及び物品が破壊され、かつ、盗まれ、また、研究室や教室の施設が見る影もなく破壊される状態がそのまま放置されるということは、
国民の常識をもってしてはとうてい理解できないところであります。かくのごときは大学そのものの崩壊につながるものといわなければなりません。
事、ここに至らしめた
原因はいろいろあるでありましょう。しかし、私は、まず第一に、大学当局者が、大学自治の名のもとに、話し合いによる解決にとらわれ過ぎたことにあると
考えます。すなわち、みずからの力で暴力学生を排除し得ないにもかかわらず、暴力排除のための警察力を学内に導入することさえ大学自治の侵害になるものと
考え、長期間これを要請しないことによって、結果的には、大学構内を暴力学生集団にとって最も安全なとりでとしたのであります。
およそ、暴力は、学問の自由、大学の自治だけではなく、平和な市民
生活、ひいては民主
政治そのものの存在を否定するものであります。
政府は、理由のいかんを問わず、大学と市民社会を暴力から守るべき重大な
責任を持っておるものと思うのであります。
次に、東大をはじめ、大学の再建についてお尋ねいたします。
東大の再建について私が重視せざるを得ないのは、七学部集会における確認書の問題であります。この確認書は、現在まだ東大の最高機関である評議会において正式に決定されておりません。その
内容もまた、厳密に検討した場合、あながち違法とはいえないまでも、その解釈においては、はなはだしく疑問の点があるということは、東大法学部の教授会においてすらこれが指摘されておるといわれるのであります。法解釈において最も権威ありとされる東大法学部ですら、このような
立場であるとするならば、一般
国民がすなおにこの確認書を読んだ場合、不当と受け取られる筋のものが多いことは当然といわなければなりません。当面する大学再建の目的は、学問の自由と大学の自治を暴力から守り、大学と学問の権威を高めることであります。同時にそれは、まじめな学生諸君が静かに学ぶことができ、学者が安心して教育と研究に専念できる
環境をつくり出すことであります。また、教授と学生間の信頼の
回復にあるのであります。大学は次の世代の
わが国をになう人材を養成する場所であります。大学の再建は、いまや単に東大だけの問題ではなく、将来における
わが国の科学や
文化全般にかかわる根本的な問題であります。大学再建に関する
基本方針について、
総理の所信を承りたいのであります。(
拍手)
次に、
物価問題についてお尋ねいたします。
物価問題こそは、
国民がひとしく
関心を寄せておる重要問題であります。本年度の経済成長率は名目で一七・三%、国際収支は十二億ドルの黒字という空前の大型景気の進行が見込まれておりまするが、この中にあって、ただ一つ暗影を投じているのが
消費者物価の
上昇であります。
消費者物価の
上昇を抑制するにあたって、公共料金の抑制が叫ばれることは常でありまするが、私は、それだけで
物価の
上昇が押えられるものとは
考えません。
わが国における
消費者物価の年々の
上昇には、特別な
原因があるのであります。すなわち、技術革新や経営の合理化によって増収増益の続いておる
企業においては、
わが国の特異現象である毎年のいわゆる春闘に際し、労使間のトラブルを回避するために、容易に高い春闘相場を出して妥結する傾向があるのであります。労働力が不足しておる現在、特定の
企業でこのような高い賃上げが行なわれますと、技術革新や経営の合理化がそれほど進んでおらない
企業も、春闘相場に追従して賃上げをする場合が多いのであります。これは、そのようにしなければ労働力確保ができなくなり、労務倒産に追い込まれるおそれが生ずるからであります。この傾向は、中小
企業、零細
企業において特に著しいのであります。そしてこれらの
企業における高賃金は、そのまま
物価及びサービス料金に直接はね返りまするので、必然的に
消費者物価の
上昇を招くものであります。
このように見てまいりますと、増収増益のある
企業においては、その
利益を労使双方だけで分配するのではなく、さらに一歩を進めて、その
利益の一部を
国民、すなわち
消費者に還元することを
考えるべきであります。このような行政指導をこれから行なわなければならないものと
考えます。
労働組合の諸君が、
企業の合理化には反対しながら、賃金の大幅引き上げを
要求し、他方では
物価の引き下げを叫ぶことは、組合エゴイズム以外の
何ものでもないと思うものであります。(
拍手)また、このような矛盾に満ちた組合の
要求を支持し、その実現につとめる政党は、
国民全体の
利益を代表するものとは、遺憾ながら言い得ないと思うものであります。(
拍手)
次に、賃金と
物価との
関係について特に一言いたします。
それは公務員給与の引き上げについてであります。民間の賃金は、
原則として、その
企業の生産性の向上に見合って行なわれるものであります。しかし、公務員については、その行政能率の向上改善とは
関係なく、民間賃金の
上昇に見合って機械的にベースアップの勧告がなされております。こうした現在の人事院の勧告制度につきましては、再検討さるべきものと信ずるものであります。
およそ、
物価問題を論ずるにあたりましては、
国民の所得が大幅に
上昇しておる場合、その
上昇の幅と
消費者物価の
上昇とを比較して
論議しなければなりません。すなわち、
国民生活が向上したか、それとも低下したかは、実質所得、実質家計の
動向によって判断すべきものであります。
わが国における勤労者世帯の実質収入指数は、
昭和四十年度を一〇〇とした場合、四十一年度は一〇四・二、四十二年度は一一〇・六と着実に
上昇し、さらに四十三年度において大幅に伸長することは確実であります。しかし、私は、そうだからといって、年率五%という
消費者物価の
上昇をこのまま放置してよいと言うのではありません。
国民生活をあずかる
政府としては、あらゆる手段を尽くし、
消費者物価の
上昇を押えなければならないことは、けだし当然であります。
そこで私は、二、三の点について、
政府の所信をただしたいのであります。
その第一は、公共料金の抑制であります。国鉄運賃の引き上げは、急激な都市集中に伴う通勤ラッシュを緩和するため、都市周辺の国電を増設、増発するためであります。また、地域開発を促進する新線建設のためでもあります。これは真にやむを得ないものと思うものであります。これと同時に、国鉄全体はその合理化を一そうきびしく実行すべきであります。しかし、国鉄運賃の引き上げに便乗した私鉄運賃の引き上げは、これを認めることをせず、また、国鉄以外の公共料金は極力抑制すべきであります。
第二は、流通機構の改善であります。
物価安定の根本は、農業、中小
企業及び零細
企業など、生産性の低い各部門の生産性を向上させることにあることは言うまでもありません。しかし、これにはなお相当の年月を要するのであります。さしあたって効果の早い施策といえば、前近代的な流通機構を改善することであります。これによって中間経費が削減され、それによって
消費者物価を引き下げることが可能となります。流通業務団地、各種市場の整備などを積極的に推進すべきであります。
第三に、地価の安定であります。市街地における地価の異常な値上がりは、家賃の値上がり、住宅建築費の
上昇の
最大の要因となっております。そしてまた、地価の
上昇があらゆる公共投資の効果を減殺していることは周知の事実であります。地価の抑制こそ
物価対策の重要なポイントと見るべきであり、このため、土地の流動化、地価の公示制度、税制上の措置を強く実行すべきであります。
第四は、技術革新と経営の合理化によって高収益を得ている
企業から、その
利益の一部を
消費者に還元させること、すなわち、
物価の値下げを民間
企業になさせることであります。
これらの諸点につき、所管大臣の御所信を伺いたいのであります。
次に、総合農政についてお尋ねいたします。
近年、
わが国経済が高度工業社会に発展するに伴い、膨大な労働力を必要とするようになり、労働賃金もまた急速に
上昇してまいりました。このため、
わが国の農業も
企業農家として再編成されなければならない状況に立ち至っておるのであります。すなわち、現在の都市化及び産業構造の急速な高度化の中で、農村の労働力は、高賃金を支払う第二次産業、第三次産業に急速かつ大量に吸収されつつあります。このため農村の労働力は急激に減少し、従来の労働集約的な営農型農業は崩壊し始め、いわゆる省力農業、機械農業が急ピッチで発達してきました。いまや農業は、まず
企業として採算がとれなければ存在し得なくなったのであります。そしてこれらの事実は、高度工業社会における農業がたどるべき当然の趨勢であるといわなければなりません。
これまでの
わが国の農業は、
国民の嗜好と気候風土の
関係から、米作本位の農政が行なわれてきたのであります。ことに敗戦の結果、多くの海外
領土を失い、しかも、数百万に及ぶ同胞が海外から引き揚げてきた終戦直後におきましては、
国民を一人でも飢え死にさせないために、何よりもまず米の増産が叫ばれ、農政の根幹となったのは当然であります。(
拍手)農民も
政府も、困難な状況の中で、この至上命令を達成するために精魂を傾けて努力しました。すなわち、米の品種改良、土地改良、稲作技術の向上、農薬の開発及び価格
政策の推進などを積極的に進めてきたのであります。その結果、近年に至って稲作は著しく向上し、
昭和四十二年度に至って、有史以来初めてお米の過剰を見るに至りました。次いで四十三年度も引き続き豊作に恵まれ、二年続いて多量の過剰米を保有するに至ったのであります。しかも、こうした米の過剰は、
国民の米食率が年々低下する事実とも相まって、恒常的な現象としてあらわれることが明らかになってまいりました。したがって、これまでのような米作本位の農政のあり方に改善を加え、
国民の食
生活の変化に対応し、しかも
企業的に有利な農業経営に転換するために、総合的な施策を実行すべき段階を迎えたのであります。
すなわち、稲作が
企業的な農業として最も適当な地域におきましては、これまでにも増して稲作の振興策がとらるべきでありますが、稲作よりもほかの農業部門、たとえば果樹、野菜あるいは畜産または特用作物が
企業農業として有利な地域におきましては、それらを中心とした農業に転換させるため、基盤整備や転換のための営農
資金の手当てなど、各般にわたるきめのこまかい
政策的な配慮が必要であります。このような総合農政を展開するために、
政府はいかなる
対策をもってこれに臨まれようとするか、その具体策を伺いたいのであります。(
拍手)
次に、今回、自主流通米を認めることによりまして、
消費者に対し、その好むところの米を自由に
選択できる便宜を与えたことは、米の流通の実情に見合った措置と思われます。(
拍手)しかしその反面、自主流通米制度が悪用されて、米を投機の対象にしたり、あるいは生産農民が出来秋に買いたたかれたりすることはないか、また、端境期になって
消費者が不当に高い値で米を買わなければならない状態に陥ることはないか、一まつの不安なきを得ません。これらに対し、
政府はどのような措置を講ずるか、その方策を伺いたいのであります。(
拍手)
最後に、私は、
日本民族の精神の
回復についてお伺いいたします。
現代は、人類の
歴史上かつてない大きな変革の時期に遭遇しているといわれます。
科学技術の発達は、人類を地球から宇宙へ旅行させることを可能にしました。また、
生命の神秘のとびらが開かれて、生体の本質である原形質を人工的に生産することも、臓器の人工移植も可能になりました。物質的な繁栄は、未来の天国を約束するかに見えます。にもかかわらず、人類が今日ほど滅亡の恐怖と不安にさいなまれているときはありません。
米国は、
世界最大の
軍事力と経済力を所有しています。にもかかわらず、ベトナム問題を、その力のみをもってしては解決できないのであります。ソ連は、膨大な
軍事力と思想的強圧をもってしても、チェコ
国民の自由に対する強い要望を制圧することはできないのであります。人類は、物質面における支配力については無限の
可能性を見出しました。しかし、
人間みずからの心をコントロールし、心の安らぎを得る道を見失ったのであります。
人間は、いまやみずからの心のよりどころを
回復しなければなりません。
日本民族は、古い昔から、幽遠にして健康な情操と情緒を有し、この上に民族の道統をはぐくんでまいりました。さらに、古代インド、
中国の深遠な宗教哲学を受け入れ、近世以来は西洋の科学や思想を余すところなく吸収しております。いま、人類は、物質文明の中で、心の再建の道を求めております。その素材はことごとく
日本に集積されておるのであります。物質的繁栄の無限の
可能性に耐え得る雄渾にして創造的な精神——この困難な課題を解決することができるのであります。
総理は、みずから民族の使命感に徹し、
国民の先頭に立ち、現実に足を踏み締め、遠く未来を目ざして邁進することを切望するものであります。(
拍手)
重ねて
総理の所信をお伺いいたしまして、私の
質問を終わります。(
拍手)
〔内閣
総理大臣
佐藤榮作君登壇〕