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1969-07-10 第61回国会 衆議院 文教委員会 第33号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十四年七月十日(木曜日)     午前十時十二分開議  出席委員    委員長 大坪 保雄君    理事 久保田円次君 理事 河野 洋平君    理事 高見 三郎君 理事 谷川 和穗君    理事 西岡 武夫君 理事 唐橋  東君    理事 長谷川正三君 理事 鈴木  一君       稻葉  修君    臼井 莊一君       坂本三十次君    櫻内 義雄君       周東 英雄君    塚田  徹君       内藤  隆君    増田甲子七君       松澤 雄藏君    八木 徹雄君       井上 普方君    加藤 勘十君       川崎 寛治君    川村 継義君       小林 信一君    斉藤 正男君       帆足  計君    山中 吾郎君       岡沢 完治君    有島 重武君       石田幸四郎君  出席国務大臣         文 部 大 臣 坂田 道太君         国 務 大 臣         (国家公安委員         会委員長)   荒木萬壽夫君  出席政府委員         警察庁警備局長 川島 広守君         文部政務次官  久保田藤麿君         文部大臣官房長 安嶋  彌君         文部大臣官房会         計課長     安養寺重夫君         文部省初等中等         教育局長    宮地  茂君         文部省大学学術         局長      村山 松雄君  委員外出席者         専  門  員 田中  彰君     ————————————— 七月十日  委員中村庸一郎君、広川シズエ君及び川崎寛治  君辞任につき、その補欠として内藤隆君、塚田  徹君及び井上普方君が議長指名委員選任  された。 同日  委員塚田徹君、内藤隆君及び井上普方辞任に  つき、その補欠として広川シズエ君、中村庸一  郎君及び川崎寛治君が議長指名委員選任  された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  参考人出頭要求に関する件  大学運営に関する臨時措置法案内閣提出第  一一一号)  文教行政基本施策に関する件      ————◇—————
  2. 大坪保雄

    大坪委員長 これより会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件について発言を求められておりますので、これを許します。長谷川正三君。
  3. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 特にきょう冒頭緊急質問をお許しいただいたことを感謝いたします。  そこで私の緊急質問は、本日公務員共闘中心に、当然その中に含まれておる日教組あるいは日高教等の組織も含めて大幅賃上げ中心とする要求についての統一行動が行なわれておりますので、その件に関して緊急に質問をお許しいただいているわけですが、質問に入る前に一つだけさらに緊急なことについて資料要求をいたしたいと思いますので、それを申し上げます。  それは、御承知のように九州方面中心にして非常な水害が出ておるわけですが、これについて学校関係の被害も非常に続出していると思いますので、緊急にその実情を調査されまして、資料並びに対策をお示しいただきますよう、これをひとつ冒頭にお願いいたしたいと思います。よろしゅうございますか。
  4. 坂田道太

    坂田国務大臣 できるだけただいまわれわれのところでわかり得る範囲のものにつきましては至急取りまとめまして御提出を申し上げたいと思います。
  5. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 それでは、冒頭申し上げました本日の公務員共闘統一行動につきまして、文部省初中局長名通達が六月二十五日付で各都道府県並びに指定都市教育委員会教育委員長あてに出されていると思いますが、この件に関しまして質問を申し上げたいと思うわけです。  今回の公務員要求人事院勧告等の出る時期に合わせまして、従来いつも要求がいれられていないし、人事院勧告すらも完全実施されていないという実情に立って、団体行動をもってこの要求政府当局にぶつけるという意味ストライキだと思いますが、これに関しまして初中局長通達はどういう内容、どういう目的で出されたのか、それをお伺いいたします。
  6. 宮地茂

    宮地政府委員 お尋ねの件でございますが、六月二十五日に初中局長名通達をいたしました。「教職員ストライキについて」という通達でございますが、御承知のように日教組が第三十六回定期大会を先般開きました際に、当面の闘争方針として七月十日に全国統一行動として市町村単位における抗議、要求貫徹集会の形で勤務時間に食い込む三十分以内のストライキをするということを私ども仄聞いたしました。その後、いろいろ新聞なり資料等を見ますと、ほぼそのようなことが出されております。  そこで七月十日に、このような要求をされること自身はひとまずおくといたしましても、これに対抗するのにストライキをもって臨むということにつきましては、次代国民教育に当たるこういう方たがこういう行動に出られることは教育上非常に嘆かわしいと申しますか、国として、教育を受ける側の国民利益を守るためにもこのストライキをやめてもらいたいということで、あらかじめ予防的な意味通達を出しました。  なおこの件は、従来は毎年十月あたりにやっておりますものは、一斉休暇闘争というようなことでございましたが、今回は堂々とストライキを行なう。これがあるいは適法であるかのごとき一部に誤解があるのではなかろうかといったような考えもございましたので、先般都教組事件についての最高裁判決も出ましたことでありますし、それをめぐっていろいろ誤解等に基づいて不慮のことが起こったのではなおさら文部省としてはこれはよろしくない、こう考えまして、あらかじめ予防的な意味通達をいたした次第でございます。
  7. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 文部大臣にお尋ねしますが、今日憲法以下の法律解釈、運用の問題につきまして、文部大臣最高裁判断というものについてこれを尊重する御意思があるかどうか、お伺いします。
  8. 坂田道太

    坂田国務大臣 もちろんこれを尊重しなければならぬと思っております。
  9. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 私も教育世界ができるだけ静穏のうちに憲法教育基本法の差し示す理想に向かってほんとうに専心できるような状態でありたいということを切に願っておる者の一人でありまして、今日教育の問題が大学紛争をはじめいろいろございますけれども教育世界は一刻も早く平静に帰するということ、そして何の心配もなく教職員子供教育に邁進できるような、そういう状態をつくり出すということが非常に大切だと思っております。したがって、今回のようなストライキに訴えて行動を起こさなければならないというようなことはたいへん残念なことだと思います。しかし、憲法の前文にもありますように、憲法精神民主主義の定着ということのためにはわれわれはあらゆる努力を積み重ねなければならない。不断努力が必要だとうたっております。私は、今回のこういう問題も不断努力一つあらわれである。なぜならば、憲法保障している基本的人権思想、なかんずく憲法二十五条が生存権保障し、あるいは二十八条がそのために勤労者にとりまして最も重要な権利として団結権団体交渉権あるいは争議権、こういうものを与えておる。これは非常に基本的な権利であると思います。こういうものが確立されておるということは非常に大事なことで、やはり一つ努力あらわれでもあると思うわけであります。  御承知のように、教職員の待遇に関しましても、人事院勧告自体にもいろいろ教職員自身には不満がありますけれども、その最低の勧告すらも使用者側政府が守っていないというこの現実は、これは私は許さるべきではないと思いますが、文部大臣はこれについてどうお考えですか。
  10. 坂田道太

    坂田国務大臣 憲法あるいは法律というものを守らなければならぬことは、私は当然だと思いますし、また、人事院勧告ということも尊重しなければならないというふうに考えております。政府といたしましても、そのような考え方をもちまして人事院勧告というものを尊重する方向でおることは、しばしば申し上げておるとおりでございます。
  11. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 政府には勧告を完全に実施する責任があると考えますが、文部大臣はどう思いますか。
  12. 坂田道太

    坂田国務大臣 われわれとしては、できるだけこの勧告に従うべきものであるというふうに考えております。
  13. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 しかし、いままで一度も完全にこれが実施されていない。このことは灘尾文部大臣の時代からも、非常にそれは遺憾なことであるとして、閣議の中でも極力努力しているというお話がありましたが、この姿勢大臣お持ちですか。
  14. 坂田道太

    坂田国務大臣 私も灘尾大臣と同様に考えて、前向きに主張を続けておるところでございます。
  15. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 根本原則について、たいへん明快な御答弁があったので、私はこの点はたいへん了といたします。  そこで、その立場から今回の初中局長通達を見ますと、実は私が直接関係をいたしました都教組事件の本年四月二日の最高裁判決に触れて、あの通牒が出されておる。そこで、最高裁判決内容をどう把握されているかということをここでただしたいわけです。これを正しく受けとめておれば、このような通牒の文面にはならないのではないか。従来と異なって、逆の配慮をしなければならない意味通達がむしろ出るのが私は当然ではないかとすら思うわけであります。それはどういう点かといいますと、私が関係いたしておりましたいわゆる勤評問題で一日ストライキを行なった。平たいことばでいえばストライキを行なった。これについて十一年間法廷で争われてきて、去る四月二日に最高裁の明快な判断が出たわけでございます。これに基づきますと、私はこれは非常に大事なことですから繰り返して申し上げたいのですけれども、これはさきに、昭和四十一年十月二十六日の全逓中郵事件判決趣旨をまず踏まえまして、それからさらに発展をさしておるわけであります。このことは大事ですから、私はここで確認したいと思うのです。その全逓中郵事件のときの判決内容を、今回の四月二日判決におきましても冒頭に引用しておるわけであります。つまり憲法二八条は、いわゆる労働基本権、すなわち、勤労者の団結する権利および団体交渉その他の団体行動をする権利保障している。この労働基本権保障の狙いは、憲法二五条に定めるいわゆる生存権保障基本理念とし、勤労者に対して人間に値する生存保障すべきものとする見地に立ち、一方で、憲法二七条の定めるところによって、勤労権利および勤労条件保障するとともに、他方で、憲法二八条の定めるところによって、経済上劣位に立つ勤労者に対して実質的な自由と平等とを確保するための手段として、その団結権団体交渉権争議権等保障しようとするものである。このように、憲法自体労働基本権保障している趣旨にそくして考えれば、実定法規によって労働基本権制限を定めている場合にも、労働基本権保障根本精神にそくしてその制限意味を考察すべきであり、ことに生存権保障基本理念とし、財産権保障と並んで勤労者労働権団結権団体交渉権争議権保障をしている法体制のもとでは、これら両者の間の調和と均衡が保たれるように、実定法規の適切妥当な法解釈をしなければならない。」、こう述べまして、特にそのあとを私は重要視するのです。「右に述べた労働基本権は、たんに私企業の労働者だけについて保障されるのではなく、公共企業体の職員はもとよりのこと、国家公務員地方公務員も、憲法二八条にいう勤労者にほかならない以上、原則的には、その保障を受けるべきものと解される。」、これがこの判決の一番根本姿勢であります。そうして、ずっと判決はいろいろ言っておりますけれども、おそらく大臣文部省考えは、地公法の三十七条一項の規定あるいは六十一条四号の規定等を頭に置いて通達を出されておると思いますが、その点についても、この地公法の三十七条一項あるいは六十一条四号ですね、これらにつきまして、こう書いてあります。「これらの規定が、文字どおりに、すべての地方公務員の一切の争議行為禁止し、これらの争議行為の遂行を共謀し、そそのかし、あおる等の行為をすべて処罰する趣旨と解すべきものとすれば、それは、前叙の公務員労働基本権保障した憲法趣旨に反し、必要やむを得ない限度をこえて争議行為禁止し、かつ、必要最小限度にとどめなければならないとの要請を無視し、その限度をこえて刑罰対象としているものとして、これらの規定は、いずれも、違憲の疑を免れないであろう。」こういうふうに述べておるのであります。  したがいまして、特に人事院勧告が一度も守られないというような状況の中で、憲法保障する、公務員といえども当然勤労者として憲法基本的人権保障の中でも最も大切なこれは権利として保障しておる、これに対して制限を加える場合は、よほど最小限度にしなければならない。私どもの場合は、一日ストライキをやったわけでありますが、結局これは、それは尽大な影響を与えるという解釈あるいはそそのかすということにならないという解釈で、無罪となったわけであります。今回はおそらく日教組その他はたしか三十分程度のストライキであると思うのです。これは団体行動でありますから、それは全然迷惑がかからないということはありませんが、民間その他でもストライキをやればそれば何らかの形で国民生活には影響することは当然であります。公務員でありますから特にその点についてはさらに制限があるということも考えられますけれども、しかし、これは先ほどの判決の示すとおり、一方に失われているものとの両方見なければならないし、それから争議行為を全部、法文にあるからといって文字どおり解釈して、一切の争議行為禁止するあるいは制限するというふうに解釈すれば、三十七条にしましても、六十一条にしましても、これは違憲のおそれがあるということを明快に言っているわけです。それを踏まえれば、ストライキがないように願うのはよろしいと思うのですけれども、何か一切が違法だから厳正に次の処罪を暗示するような指示をしているということは、これは誤りではありませんか。むしろ、憲法基本権を侵すような態度をしないようにという指導をすべきじゃないのですか。
  16. 宮地茂

    宮地政府委員 先生がただいま読み上げられたのは、これは最高裁判決理由書をそのとおり前段のほうはお読みになられたわけでございまして、いまお読みになられるときに、私同じく理由を見ておりましたから、そのとおりでございます。ただ、まことに遺憾でございますのは、先生が途中を省略されておられますので申し上げたいのですが、労働基本権というものが、いまお読みになられましたように、「公務員も、憲法二八条にいう勤労者にほかならない以上、原則的には、その保障を受けるべきものと解される。」ということは、そのとおりと思います。しかし、それから多少先生が省略されましたその次の辺に、「ただ、公務員職務には、多かれ少なかれ、直接または間接に、公共性が認められるとすれば、その見地から、公務員労働基本権についても、その職務公共性に対応する何らかの制約を当然の内在的制約として内包しているものと解釈しなければならない。」、で、先生が最後に言われました文字どおり読んでおると違憲の疑いがある。しかしながら、だからといって、文字どおり読んで「直ちにこれを違憲無効の規定であるとする所論主張は採用することができない。」ということも言っておるわけでございます。それで、私の名前で出しました通達は、一般論として、この最高裁のいま言いましたそういう趣旨を言っておるわけではございません。その趣旨を頭に置いて、今回日教組定期大会で決定して各地でやろうとしておる七月十日のストライキ違法性が強いと思われる、だからしないでほしいということを申しておるわけでございます。
  17. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 私が故意に省略したかのような言い方ですが、それは私はあとことばで補っているはずです。ですから、公務員に一通り何かの制約があるということ、一般民間よりも制約があるということを全部否定したようなことは私は申し上げてないのです。それは申し上げてないのです。全文読むのは長いから、大事なところを申し上げただけです。それで正しい。これは、もしそう言わなければ、地公法の三十七条自体そのものストレート違憲であると、こういうことにまで最高裁ははっきり言わなかったというだけのことなんです。ですから、そういう場合もあるから、この法律自身を直ちに違憲ということはできないということを言っているだけなんです。そうですよ。私どものやった行為については、これはむしろ労働基本権立場に立って考えるほうが正しいと言っているのです、結論は。そこをお間違いのないようにしていただきたい。つまり訴訟の中で、われわれのほうの主張違憲である、この法律自体地公法自体違憲であるという主張に対して、そこまでは言い切れなかったために、こういう規定そのものストレート違憲とは言いがたいということを言っているだけで、しかし、それは最小限度考えて、何でも争議行為禁止だから、五分間ストライキをやっても、それは争議行為であるから処罰と、こういうことはいけないということを逆に言っているわけです。なぜかというと、それはあとにこう言っております。「ひとしく争議行為といっても、種々の態様のものがあり、きわめて短時間の同盟罷業または怠業のような単純な不作為のごときは、直ちに国民全体の利益を害し、国民生活に重大な支障をもたらすおそれがあるとは必ずしもいえない。地方公務員の具体的な行為禁止対象たる争議行為に該当するかどうかは、争議行為禁止することによって保護しようとする法益と、」ここが大事です。「保護しようとする法益と、労働基本権を尊重し保障することによって実現しようとする法益との比較較量により、両者要請を適切に調整する見地から判断することが必要である。」そういうふうに判断して、私の場合は、確かに重大な侵害を受けるという心配でやったことと、それから一日ストライキをやったことと比べれば、それは無罪と、こういうことなんですね。でありますから、この判決が出ますと、この前参議院で大臣が御答弁なさって、従来、その前の判決に基づいて、争議行為という形がちょっとでもとられれば全部処罰対象になるような感覚でやってきたことは事実、それについて、この判決が出た以上は十分考えなければならない。刑事罰のほうにつきましては、すでに検察庁のほうが一斉に相当数案件を取り下げているという事実も明らかでございますが、これは民事罰行政罰の問題についても当然この精神は尊重されなければならないことは明らかであります。刑事罰だけのことを言っておるわけじゃありません。これは全逓中郵の問題にいたしましても、今回の判決にいたしましても、やはり労働基本権は尊重しなければならない。特に大臣もおっしゃっているように、政府人事院勧告完全実施を一度もしてない。こういう、一方で失われているのに対して、その行動があるからといって直ちに処罰するというような感覚でやってはいけないという、労働基本権を尊重する配慮もあわせてしなければいけないというふうにむしろ指導されるべきじゃないのですか、大臣
  18. 坂田道太

    坂田国務大臣 この最高裁判決は、争議をそそのかしたことは刑罰対象となり得ないということの判決だと私は了承するわけであります。そうして、その際におきましても、「本件の一せい休暇闘争は、」つまりその当時の委員長指令をされました「休暇闘争は、同盟罷業または怠業にあたり、」というようなことも述べておられる。それから「その職務の停廃が次代国民教育上に障害をもたらすものとして、その違法性を否定することができないとしても、」ということまでも書いてある。この趣旨は、憲法は守らなければならない、従わなければならない。法律は守らなければならない、従わなければならない。しかし、いやしくも教育者たる者は、法律以上の道徳的規制普通一般市民より以上に持たねばならぬという要請もまたあるのではないか。そしてまた、一斉休暇というようなことを、少なくとも最高裁判決同盟罷業といわれているようなことが、子供たちの目にどういう影響を与えるかということについて、一方において労働権も守らなければならないけれども、よくよく注意をして、違法性のあるような争議行為については十分御注意を願いたい、指令をされた人は刑事罰にはならなかったかもしれないけれども、その履歴においていろいろの汚点を残すおそれもある。だからこそ、われわれ文部省としては、そういう違法性のある場合においては十分注意をしていただきたい、ならないようにしていただきたい。そして、何ら影響はないというふうに言われますけれども、やはり三十分だろうと二十分だろうと、授業時間に食い込むようた授業放棄状況というものは、子供たちに有形、無形の影響を与えると私は思うのでございます。その意味におきまして、私は最高裁判決というものを文字どおり読むべきである、自分たち都合のいいように読むべきじゃない、文部省だけが都合のいいようにも、また日教組自身都合のいいようにだけ読むべきじゃない、やはり文字どおりにこれを読むべきであるというふうに私は考えるわけでございます。そういうふうに私は考えておるわけでございます。
  19. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 いまのおことばは、私はそっくりお返しをしたいのです。それこそ文部省は、この判決精神全文を読んでその中から、つまりさっき申し上げたように地公法規定自体違憲だという主張に対して、そこまで言うのはいまの最高裁判断としては、これは違憲とは言えないと言っているところの部分だけを強調しまして、これに流れている労働基本権尊重精神というものが全然とられていないので、一国の文部大臣として、それこそ御都合のいい読み方をしていただきたくはない、こういうふうに申し上げておきます。  それで、いまのことばにはしなくもあらわれたのですが、この憲法保障する生存権というものは、一般勤労者にとっては、これを保障する唯一の一番大事な力としてこの労働基本権が二十八条で保障されておるというこの思想を全然わかっていないで、何か戦前に一般に横行していたようなストライキというもの、労働者が団結して戦うというものが罪悪であるかのごとき、罪悪感のようなものが、道徳的にというようなことを言って罪悪視している思想が流れている。こういう感覚だからいろいろな問題が——私が冒頭申し上げた教育世界が何とか静ひつのうちに憲法教育基本法の示す理想に向かって真一文字に進めるような、そういう教育界にしてほしいという私の願いが絶えずかき乱されるのはあなたのそういう思想から出ると私は思う。  時間がありませんからもう答弁は求めませんが、ただ一つだけ、この判決が出たことによって従来と全く態度は変えない、やはりここで検討すべきものありと認めていらっしゃるのか、これは全然再考の余地がないのだ、四・二判決というものは何らこれを顧みて従来の文部省方針について検討をする必要がないのだとお考えなのか、やはりこの中からくむべきものは十分くみ取らなければならないとお考えなのか、その点だけ伺って私の質問を終わります。
  20. 坂田道太

    坂田国務大臣 私といたしましては、やはり十分にケース・バイ・ケースで慎重に取り扱わなければいけない問題である、文字どおり解釈してはならないというふうに思っております。
  21. 長谷川正三

    長谷川(正)委員 質問を終わります。      ————◇—————
  22. 大坪保雄

    大坪委員長 大学運営に関する臨時措置法案を議題とし、審査を進めます。  質疑の通告がありますので、これを許しますが、昨日の委員会山中吾郎君の質疑が十分に終了いたしていないようでございました。しかし、山中君の質問の残りの部分は、各党理事の話し合いの結果、次の質問順位者である岡沢完治君及び石田幸四郎君の次にしていただきたい、かように考えますので、山中君の御了承を賜りたいと存じます。山中君。
  23. 山中吾郎

    山中(吾)委員 この運営については理事が責任があるので、それに一々私は差し出がましいことは言いませんが、一般の常識といたしましては、議員が質疑が終わるまでその議員がやるべきでありまして、途中本人の承諾なしに他の議員が質問をし、またしり切れトンボでやらすというようなことは一般論として正しくない。そういう場合には、やはり議員の発言途中のことでありますから、本人に承諾を得るという手続をとるべきだと私は思いますので、こういう悪例をつくってはならないので、私は理事の話し合いは大体尊重いたしますけれども、そういう議事運営というものが常識化しては相ならないということでありますから、これは前例にならないように、私から特に委員長に申し上げ、それから各党の理事にそういう非常識なことはやらないように、委員長からもそういう意味において注意をしてもらいたいと思います。  これだけ申し上げておきますが、どうも昨日から私のことについてけちがついて非常に愉快でないのでありますが、それは委員会全体の立場考えて私は忍びざるを忍んでおりますが、そういうことのないように特に委員長注意を促しておきたいと思います。
  24. 大坪保雄

    大坪委員長 了承いたしました。  岡沢完治君。
  25. 岡沢完治

    ○岡沢委員 私は、この月曜日七日以来の文教委員会の姿を見まして、大学の紛争を解決するための方策を国権の最高機関において模索をしておる委員会が、逆に紛争状態とまではいかないにいたしましても、あるいは大学紛争と似たような形の姿があらわれんとしたことにつきましてははなはだ遺憾でありますし、また、この委員会における混乱が、ある意味では大学における紛争と相通ずるものがあるということを直観的に感ぜざるを得ないわけでございまして、大学紛争の背景につきましては本委員会においてもあらゆる角度から検討されましたし、政治的に社会的に深く広い原因があるということは従来も指摘されたとおりでございますけれども、いまさらながらその根の深さを感じまして、国会における与野党、あるいは政府と野党との国の基本に関する根本的な対立、これが日本のあらゆる政治面で最も大きな課題であるということを痛感せざるを得なかったわけでございまして、何とか外交、防衛あるいは本委員会で取り上げております教育というような問題は、党利党略を離れ、国家百年の大計の見通しのもとに、民族の将来の発展と繁栄のためにお互いに謙虚な気持ちで、そしてわれわれに付託された国民の期待にこたえられるような鋭い、幅広い、そしてまた相手の立場も十分理解し、これに対する寛容な心を持った討議を通じて英知の結集された、国民の満足するような成案を得るために努力をすべきではないかと感ずるわけでございます。  ある人が、政治家が腐敗しても国は何とかやっていけるけれども教育と裁判が乱れるときは間もなく国の滅亡に通ずるということを話されたことがあります。大学問題は、まさに東京地裁における学生裁判の姿を見ましても、教育と裁判が挑戦を受けておるわけでございまして、わが国の前途は、国民総生産が自由世界で第二位になったということで喜びにひたっておれるようななまやさしいものではないということを私自身も感じざるを得ないし、また国政に携わる一人としてもその責任を感じますと同時に、あわせてせっかく経済的に先進国の仲間入りをした日本が、精神的にも諸外国から畏敬されるような存在になるように、憲法精神があらためて確認されるべき日本であるようにお互いに努力をされたいと思うわけであります。  そういう意味から、ただいま議題となっております法案につきましても、党利党略、イデオロギーを越えて審議を尽くすべきだと思うわけでありますが、けさの新聞を見ましても、昨日の与党の常任委員長会議におきまして、田中幹事長が、ただいま問題になっております大学運営に関する臨時措置法案が東京都議選以前に結果が出なかったことについて、いささか不満なような御発言があったようでございます。この問題に取り組む与党幹部の姿勢としてはどうかと考えるわけでございますけれども、新聞報道でございますので、私自身確認するすべはありませんけれども、万が一にも、きのうも山中委員も御指摘になりましたように、目先の都議選、あるいは自民党の党利党略あるいは党内事情等によって大学紛争に対するあるべき法律の姿が変えられる、あるいはその採決の時期が左右されるということは本末転倒ではないかと思うわけでございますけれども文部大臣の所見を聞きます。
  26. 坂田道太

    坂田国務大臣 今日大学問題というものは非常に大きい問題であると私も思っております。いま御指摘になりましたように、教育と裁判というものが乱れるときに国は滅ぶというようなお話もございましたけれども、私自身もそのような気持ちで、何とかして、私の所管いたしておりまするこの大学紛争というものを一日も早く解決しなければならぬ。いま暴力学生によって占拠されあるいは封鎖をされ、そのために学問の自由が侵され、大学の自治が危殆に瀕しておる。大多数の学生、教官が、勉強しようにも勉強することができない、研究しようにも研究することができないということは、まことに憂うべき事態であると私は思うのでございます。しかも、国公私立合わせますと、十数万人の者がなお授業ができないでおる。あるいはまた数万の人が、入学したけれども授業を受けられないでおる。こういう事態はまことにゆゆしい事態でございまして、大学の自主解決だけにまかせて、はたしていいものかどうか。おそらく国民大多数の気持ちといたしまして、政府は何をしておる、文部省は何をしておる、文部大臣は何をしておるという気持ちだと思うのでございます。私といたしましても、十二月就任いたしまして以来、日夜苦心をいたし、何とか解決の曙光を見出すべく努力をいたしておりまするけれども、なおその曙光を見出すことができないことは、まことに申しわけなく思っております。しかるに、中央教育審議会の当面の紛争終結に関する御答申もいただきました。それに基づきまして、立法として最小限度のものをつくり、そして御提案、御審議をわずらわしておるところでございます。私は、この法案が通りまするならば、その解決への糸口、道を開くことができるというふうに思うのでございます。しかし、この法律だけですべて大学問題がぴたりと解決をするというふうななまやさしいものでないという認識も持っておるわけでございまして、やはり私といたしましては、時間をかけ、ねばり強く一つずつ解決していかなければならないのではないかと思うのでございます。かねがね民社党から御発表になっておりまするような大学の管理運営のあり方等について貴重な見識ある御意見を発表されておられるわけでございます。たとえば現在の大学は閉ざされた大学である、やはり納税者たる第三者のチェックというものが大学には必要だというようなこと、あるいは国公私立のかきねを撤廃すべきではないか、あるいは国費の投資というものも、国と私立とではあまりにも開きがあり過ぎはしないか、こういうような点についてもう少し格差を是正すべきである等々のいろいろの御提案もあるわけでございます。私どもといたしましても、いずれそのような方向であるべき大学の姿というものを模索しあるいは創造し、そうして、そのもとにおける管理運営のあり方等についての、われわれが皆さま方に自信をもって提示できるようなものを早急に出さなければならないというふうには思っておるわけでございますけれども、ただいま、まだ中教審におきましてもこの審議が続けられております。また、私ども自身といたしましても、これにつきましても検討を重ねておる段階でございます。でございまするから、そういう一つの新しい大学の姿、その機能あるいは管理運営の姿ということを頭に置きながら、当面の課題は当面の課題として解決いたしていくというのが私の考え方でございます。
  27. 岡沢完治

    ○岡沢委員 大臣の御丁寧な答弁はありがたいので、また御熱意のほどだと思いますけれども、時間の関係もありますし、私もこれから具体的に質問をしてまいりますから、質問に対して端的にお答えいただいたらありがたいと思います。  いまの大臣の御答弁によりましても、従来の当委員会における答弁を通じましても、この法案が通っても完全な解決はむずかしいけれども、解決の糸口にはなるというふうな御答弁であります。しかし、少なくとも現象面を見ました限り、この法案の立法化が話題になり、現実に政府が国会に提出されて以来、従来まで紛争のなかった大学にまで、大学立法反対ということをスローガンにした新たな紛争が起きていることは、これは客観的な事実であります。昨日の御答弁でも、火事を消すための法案だとおっしゃいましたが、実際は火事を消すのではなしに、火事のなかったところにまで火をつけて回ったという、少なくとも客観的に見れば現実の姿が露呈されたわけであります。一方で政府の公式見解として大学問題をテーマにされました党首会談におきましても、佐藤総理は、大学における暴力は現行法で対処できるということを言明なさりましたし、また田中幹事長、大臣も、暴力に対しては現行法で十分取り締まり得るということを御説明なさっております。ところで、大学紛争の実態、これはきわめて複雑多岐できわめにくいものではありますけれども、直接的な大学の静寂を阻害しておる要素であることはこれは明らかであります。この法案がもし、いわば火事を消す、紛争の原因が暴力である、学内占拠あるいは封鎖あるいは傷害、暴力行為等、いわゆる暴力が端的な大学紛争、その出血をとめるというのであれば、その暴力を排除するということがまず第一に要請されるべきでありますし、それがすべてであっていいわけなんで、大学の基本的なあり方等につきましては、ただいまの御答弁にもありましたし、従来からの政府方針として、中教審の答申も待ち、あらゆる角度から慎重に国家百年の大計としてきめていきたい。昨日も大臣は、教育制度のあり方は民族の運命を決するという角度から慎重に対処したい。私はそれもわからないわけではありませんけれども、それなら、そういう根本的な解決策についてあとに残すなら、いま政府がなさるべきことは、教育基本法十条にいう教育行政の責任者として、大学の正常化ではないか、その正常化を阻害しているのは暴力だということであれば、暴力を排除することにすべてが集中されるべきだと思うのです。ところが、この立法は暴力排除とは関係ない、暴力排除は現行法でできるという御主張なんです。そこに私は矛盾を感ずるわけでございます。したがって、先ほど申しましたように、この法案はむしろ火をつけて回っておる、暴力のなかったところに暴力を起こそうとしているという現象面から見ましても、こんな法案をいまお出しになるよりも、なぜ現行法をもっと厳正に施行する態度政府としておとりにならないのかということをお尋ねいたします。
  28. 坂田道太

    坂田国務大臣 そのとおりだと私は考えておるわけでございまして、現行法でやるべきこの暴力排除ということはどしどしやってまいりたいというふうに思うわけでございまして、この法律を出すからそちらのほうは考えていないというのじゃなくて、これもやり、そしてまた暴力排除についての行政措置は、私に与えられた範囲内におきましてどしどしやりたい、かように考えておるわけでございます。  けさも、まだ正式の通知をもらっておりませんけれども、東京工業大学におきまして、学長の要請によって機動隊が入り、そして封鎖を排除したということも聞いておるわけでございまして、東京におきましては、漸次警察官アレルギーというものがなくなって、あまりにも無謀なこういう暴力行為が学内において行なわれる場合は、学校当局も直ちに警察官の導入を要請をしておるというこの事実をお考えいただきますならば、昨年とことしとでは非常に違ってきておるということは御理解いただけるだろうと思うのでございまして、われわれの非常に足りませんでした指導、助言もようやく軌道に乗ってきたというふうな気持ちでおるわけでございます。
  29. 岡沢完治

    ○岡沢委員 大臣の御答弁でございますけれども、現行法で暴力は排除できるとおっしゃりながら、現実の大学の姿、学生の姿というのは、むしろ学内において暴力は常識化しておる、常態化しておる。残念ながらバリケード封鎖あるいは監禁、リンチ、傷害事件、これは毎日の新聞をにぎわさない日はないと申し上げてもいいくらいかと思います。現実に排除できるとおっしゃりながら、実際は残念ながら大学の構内は無法状態一般の市民社会の常識では考えられない異常な事態、それが大学の常識であるということになっているわけであります。  いま大臣から東京工業大学のお話がございました。昨日の新聞では新楽和夫教授がやはり大学紛争を苦にされて自殺をされたという記事がありました。一昨日の新聞は京都大学の鎌倉昇教授の急逝を報じておりました。私事にわたって恐縮でございますけれども、私は鎌倉教授とは同じ大阪の出身でございまして、大学も同窓であり、昭和三十六年にニューヨークで、国連で一緒に何回か食事した経験もありますし、この衆議院の食堂でもともに語り合い、つい一カ月ほど前も新幹線の中で、大学立法について三時間ぶつ通しで話してきた記憶があるだけに、非常なショックを受けたわけであります。鎌倉教授の場合は、必ずしも大学紛争がすべての原因だと思いません、狭心症でございますから。しかし、学生問題にからむ過労が一つの原因であることは想像にかたくないわけであります。新楽和夫教授の場合は、まさに大学紛争の板ばさみ、犠牲者だと申し上げても私は過言ではないと思います。  大臣がいま御指摘になりましたように、東京工業大学の場合、きょう初めて機動隊が入るようでありますけれども、従来までは、機動隊が入らないことを誇り、また入らないで解決することに異常な努力をされた大学であります。大臣答弁でもしばしば出てまいりましたように、大学自身の改革についても積極的、建設的な意見を出しておられるのは東京工業大学で、われわれもかねがね敬意を表していたわけでございますけれども、その中で新楽和夫教授のような犠牲者を出した。これは表面にあらわれただけでありますけれども、それ以外に、全国七十五国立大学のうち、二十二大学において学長が選べない。退陣された学長の中に、やはり学生運動による過労、疲労のために病気を訴えておる方が数少なくないわけであります。こういうことを考えました場合に、暴力を排除できると称しながら、現実に毎日のように大学のどこかで暴力行為が現存しておる。この姿をやはり突きとめて、これを排除するための努力を真剣に——私は大臣だけとは申しません、当事者である学校側も、われわれ政治の一翼をになう者も、真剣に考えるべきではないか。現行法で排除できると、抽象的にはおっしゃりながら、なぜ現実には暴力が現に大学を支配しておるのか。大臣もおっしゃるように、大学の自治を破壊しておるのは国家権力ではなくして、まさに少数暴力だと思うのでありますが、そうなるならば、その少数暴力に対してはもっと勇気をもって、もっと適切な使命観をもってお互い対処すべきだと思うわけでありますが、抽象的には排除できるべきである暴力が、なぜ現実にはなお各地の大学で現存しておるのか、その溢路はどこか、その理由はどこかということを大臣として御答弁いただきたいと思います。
  30. 坂田道太

    坂田国務大臣 私は、先ほどから比較の問題を申し上げたわけで、昨年の暮れころは、実に警察アレルギーというものが非常に濃厚であった。しかし、東大が一月の十八日、十九日に機動隊を入れまして以来、警察アレルギーというものが漸次なくなりつつある。しかし、それには相当時間のかかるということを私は承知をいたしておるわけでございまして、暴力排除ができると申しましても、短時間にできるとは私は考えておりません。しかもまた、暴力排除にあたりまして、警察を導入いたすにしましても、大学当局の協力ということがなければ実ははっきり実効があがらないわけでございまして、この点につきまして、まだまだ根深く大学教官の間に警察に対するアレルギーは残っておるというふうに思います。そのアレルギーというものを不断のわれわれの努力の積み重ねによって次第に解消していく、あるいは全教官が一致して暴力を排除するということに対してき然たる態度を示すということ、あるいはまた暴力を肯定するような教官に対して、教官それ自体が批判をするというような空気が醸成されるというようなことが重なりませんと、一がいに観念的には、その大学要請があれば、警察力が出動して排除ができるといたしましても、実際上効力は少ないのではないかというふうに思いますし、単にそれだけでなしに、今日の大学紛争の原因は、岡沢委員が御指摘になりましたように、そのもろもろの複雑多岐な原因も重なっておるわけでございますから、その原因の除去というものを前提としながら、直ちに暴力の排除というものもたちどころにできないということは、おわかりいただけると思うのでございます。
  31. 岡沢完治

    ○岡沢委員 警察庁の川島警備局長がお見えでございますが、警察から見られた、現行法で暴力が排除できるといわれながら、現実には暴力が横行しておる理由について、またその溢路について。私は、警察官の場合、すでに日大闘争にからみまして西条警部が殉職され、あるいは岡山大学の紛争に関連いたしまして有本警部補がなくなられました。学生諸君とあまりかわらない年齢の警察官が、ある意味では政治的貧困のために、あるいはは行政の責任において犠牲者を出したという点からいたしまして、警察もまた大きな犠牲者だと思いますけれども、しかし、一方では国民の生命、身体、財産を守るべき警察がありながら、大学の暴力が学内外において当然のごとく行なわれておることについては警察の怠慢ではないか、責任を果たしていないのではないかという非難も私は一部からは起こってもやむを得ない。その原因はどこにあるか。私は必ずしも警察を責めるという意味ではありませんけれども、警察の立場から率直な意見の披露を。なぜ警察が暴力を排除できないのか、死傷者数万、裁判を受ける学生が数千人という悲しい現実をどうお考えになるか、警察の立場からの御見解を聞きたいと思います。
  32. 川島広守

    ○川島(広)政府委員 ただいまお尋ねございました当面の学内の暴力の問題でございますが、お尋ねもございましたように、かねて警察といたしましては、現在の大学当局それ自体がき然として暴力を排除するという強い決意を持ち、またそのような決意に基づいた確固たる態度で適正なる管理装置をおとりなっていただけるのであるならば、われわれといたしましては、現行法を十全に活用いたしまして、所定の責務を果たしてまいりたい、こういうような基本的な考え方で今日まで経過してまいっておるわけでございます。いまお尋ねございましたように、依然として暴力があとを断たない、その理由はどうであるかというお尋ねでございますが、先ほど文部大臣からもお答えがございましたように、私たちもそのように考えます。ただ、現実問題といたしましては、文部大臣答弁にもございましたように、本年に入りましてから次第に大学当局の側において積極的にいわば警察官の出動を要請してくる、あるいはまた具体的な学内の事実関係につきましても、従来と比べますれば積極的な通報等もございまして、学内の暴力の処置につきましては、次第に効果があがっておるというふうに考えておるわけでございます。  具体的に申しますならば、本年一月から現在まで警察官が学内に出動いたしました回数は百六十二回ございまして、そのうち要請がございましたのが九十七回、要請がございませんでしたけれども、人命その他の危険の発生を予期いたしまして六十五回出動いたしております。この間検挙しました学生の数が二千七十八名というふうに相なっておるわけでございまして、このような傾向がさらに助長されてまいりますならば、時間はかかろうかとは存じますけれども、お尋ねにございましたような意味合いにおける期待にこたえ得るもの、そのように考えておる次第でございます。
  33. 岡沢完治

    ○岡沢委員 川島警備局長に重ねてちょっとお尋ねいたしたいのですが、いまの御答弁によりますと、いわゆる大学の警察アレルギーというのが徐徐にではあるが緩和されてきておるということが数字をもってでも示されておるようであります。これはたとえば一月十八日、十九日の安田講堂の攻防戦がきっかけになったのか、あるいは四・二一、新しい次官通達の効果のあらわれと見るべきか、あるいは大学人にも、いわゆる大学は治外法権でない、警察は大学の敵ではないということについての自覚が生まれてきたためなのか、あるいは世論の圧力なのか、警備当局としてはどういうふうにお考えになっておるか。特に次官通達の効果について。表面的には次官通達に反対だと表明された大学が非常に多いわけでありますけれども、それと実態との関係について、まず警備局長から重ねてお答えを求めます。
  34. 川島広守

    ○川島(広)政府委員 ただいまお尋ねにございましたように、漸次暴力排除のための大学の措置なりあるいはまた学内におけるさまざまな説得活動なり、いろんなものが行なわれておる傾向は御指摘のとおりだと思います。その理由といたしましては、いまのお話にもございましたように、私は一つ一つ理由それぞれが相互に作用し合っているものというふうに見るべきではなかろうか、かように考えます。特に次官通達につきましても、従来、かつての次官通達につきましては、御承知のとおりにいろんな意味合いにおける誤解等もあったやに考えられまするし、その意味合いでは在来のものと別に新しい内容を持ったものではないというふうに理解いたしておりますけれども、そのような次官通達の効果も、私は大いにあずかって力があったもの、かように考えておる次第でございます。
  35. 岡沢完治

    ○岡沢委員 私は、これは私よりも教育行政については見識の高い文部大臣に申し上げるまでもないことでありますけれども大学は何よりも理性、知性、良識の府であるべきだ、暴力とは無縁であるべきだ、また力に対して無力であるのがむしろ大学のあるべき姿だと考えております。そういう意味合いからいたしまして、大学の警察アレルギーというものがどうしても理解できない。少数暴力があった場合に、みずから無力である大学が、治安あるいは生命、身体、財産を守る責任と機能を持っておられる警察のお世話になるということは当然だと思いますが、いわゆる大学の警察アレルギーについて、あるいは大学と警察との関係について文部大臣はいかがお考えでございますか。
  36. 坂田道太

    坂田国務大臣 これはもう岡沢委員のおっしゃるとおりに私は考えておるわけでございまして、暴力を排除する力を持たない大学といたしまして、暴力が横行し、あるいは研究あるいは教育というものが阻害されておる場合においては、直ちに要請して、一般のまじめな学生、まじめな先生方の大多数を守るために出動をお願いするのが当然だというふうに考えておるわけでございます。
  37. 岡沢完治

    ○岡沢委員 ここで私は何回か読み上げた条文でありますけれども、あらためて私自身にも言い聞かすつもりで教育基本法の十条をかみしめてみたいと思います。「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸條件の整備確立を目標として行われなければならない。」これが全く現実には空文に化しておる。そのために十万をこえる学生諸君がなお授業を受けられない、二万をこえる新入生がなお自宅待機をさせられておる、国有財産がむざんに破壊をされておる、学内において学生、職員、教官に死傷者を出しておるという悲しい姿を見ました場合に、私は、教育行政の責任者としては、何としてもこの少数暴力、これを排除するということについては、先ほども申し上げましたように、強力な指導力あるいは勇気を持っていただくべきだと思います。文部大臣が新しい次官通達をお出しになったこと、あるいはその後おりに触れて暴力排除に熱意を示しておられることはわかりますけれども、その効果があがってないことは先ほど来指摘したとおりであります。  それからまた、先ほどの川島警備局長答弁によりましても、現行法で排除はできるけれども、その溢路は大学側の協力が得られないからだということであります。この問題も何回か指摘された問題でありますけれども、刑事訴訟法二百三十九条の二項によりまして、官吏は犯罪に対する告発の義務を持っておるわけであります。ところが、私たちは、ほとんど大学においてこの告発の義務を果たしたという報告を聞きません。報道を知りません。一方で、大学内においては違法状態、無法状態、暴力状態が常態のごとく行なわれておることは先ほど来指摘したとおりであります。東京大学だけを見ましても、四億五千万に及ぶ国有財産の破壊、被害があったわけでありますけれども、これに対する管理者としての責任等が問われたことも聞いておりません。私は、大学紛争だけには限りませんけれども、お互いにこの日本の国をよくするためには、それぞれがそれぞれの持ち分において責任を果たすということが第一だろうと思います。教授が教育をする意欲と責任を感じない、学生が簡単にすぐ決議をすればみずから授業を放棄している教授会もございます。管理者は管理者としての責任を果たさない。勉強しない学生。こういう姿は日本の将来をになうべきあるいは国の運命を決すべき教育の正しい姿だろうかということをお互いに考え直すべきだと思うのです。そういう意味から言いますと、先ほど申しました官吏の告発義務はもとよりでありますけれども、犯罪の予防について、あるいは犯罪の立証について協力することは教職員としては当然だと思いますけれども、告発義務を履行しない教職員に対して文部行政の最高責任者としてどうして指導、助言をなさらないのか。先ほど暴力を謳歌するようなあるいは教唆するような教職員があるということをお認めになりました。それについては教授会等の自己批判を待ちたいということでありましたけれども文部大臣として、どうしてその教職員に対する身分上の許された範囲内の指導、助言をなさらないのか。教特法という特別法があるということは重々承知いたしておりますけれども、しかし、指導、助言は文部大臣に与えられた権限であります。この指導、助言をもう少し有効に適切に適時になさるべきではなかったか。そういう点についていささか疑問を感じますので、大臣のこの点についての御所見を聞きます。
  38. 坂田道太

    坂田国務大臣 先ほどの御質問にもちょっと触れたいと思うのでございますが、戦前におきまして確かに研究の自由というものを侵した事例がございます。国家権力が介入した事例がございます。それでそもそも国家権力に対するアレルギーというものを大学人が持ったのだと思うのでございますけれども、現実の姿として、国家権力が学問の自由を奪うということは現在もう考えられない。また事実そういうものはない。しかるに、学問の自由を叫ばれる大学人それ自身が、学問の自由の根幹であるところが侵されつつあるのに、なぜそのことに対して勇気をもって立ち上がらないのか、あるいはそのことに対して正義を貫かれないのか、私といたしましては理解に苦しむわけでございます。しかし、それほどに最近のスチューデントパワーのゲバルトというものはひどいものである。学内を出ればほっとする。それからいろいろの公の会議すらも学内においてはできない。こういうような状況が実態なのでございまして、やはり私といたしましては、まずもって暴力の排除ということに対して全教官が一致してこれに当たるという態度、き然たる態度、たとえ学生から批判をされようとも、そのことについては大学教官はき然たる態度であってほしいと思いまして、学長会議あるいはいろいろの機会を通じまして、そのことについては指導、助言をいたしておるわけでございます。  まず、そういうふうな前提がなければ、先生のおっしゃるような告発というようなところまでも当然やらなければならぬことでございますけれども、事実上なかなか行ないがたい。また、ああいうような集団暴力でございますから、実際問題としまして、だれがどういう暴行をしたという立証というものが私はなかなかむずかしいと思うのです。そのことはわれわれといたしましても同情をしなければならないのであって、学外であっても警察官の方々が非常にお骨折りをされて、あるいはテレビ車などでいろいろされて、なおかつ裁判に臨んでその立証というものがむずかしいということも現実でございます。また、そういうことになれないところの教官がそういうような立証を——またその立証が間違った場合には逆に今度は教官が批判をされる。そのことがまた学生運動をさらにエスカレートさせていくということも大学問題を考える場合に考えていかなければならない問題であると思うのでございまして、証拠が確実な場合においては、いまの法的根拠に基づいて告発されるべきことは当然なことであると思いますし、われわれといたしましてもその点についてあるいは欠くるところはあったかもしれませんけれども、今後そういう的確な証拠がある場合、立証ができるというような場合にはどんどん告発をしてもらうというような指導、助言をいたしたいと考えておる次第でございます。
  39. 岡沢完治

    ○岡沢委員 たしか西岡委員質問にもあったと思いますけれども、暴力は小さい芽のうちにつまなければ防ぐことはできないという趣旨の御指摘がありました。いま大臣答弁を聞きましても、立証がむずかしいというような御見解でございました。先ほど申しましたように、大学は知性、理性の府であるべきであります。大学と暴力は無縁であるとともに、ゲバ棒もヘルメットも覆面も無縁だと思うのです。ゲバ棒やヘルメットを当然のごとく認めておくということ自体に、やはり教育環境の場としては不適切な要素がある。ゲバ棒がなくてヘルメットがなくて、あるいは火炎びんがなくて石がなければ暴力もそう起こらない。素手の暴力となりますと限界があります。覆面というのは私は最もひきょうな態度だと思いますが、覆面の心理と申しますか、背景というものはいろいろ考えられると思います。立証を困難にする、あるいは心理的な自分に対する変身のような要素、あるいは機動隊のガスその他に対する防御、いろいろ考えられますけれども、少なくとも正しい主張をするのであれば、覆面をするのは間違いであるということは、教育的な立場から当然大臣としてもあるいは当該大学教職員としても指導の範囲の中に含まれると思うのです。どうしてゲバ棒とかヘルメットあるいは覆面の排除について指導、助言をなさらないのか、すでになさったけれども大学が応じないのか、その辺の事情をお尋ねいたします。
  40. 坂田道太

    坂田国務大臣 岡沢さんのおっしゃることはそのとおりなんでございますけれども大学当局自身が、そういうことだけではとうてい現実のゲバルト学生を排除することはできないというふうに考えておるだろうと思うのでございます。しかしながら、そういうことはほんとうに理性と良識の府とは無緑なものでございまして、そういうものがなくなるとき、あるいは学長がとやかく言わなくともそういうものが学内から消えていくというような状況を、時間をかけてねばり強く指導、助言をやりながら求めてまいりたいというふうに思うわけでございます。非常になまぬるい話だというふうにお思いかと思いますけれども、私は現実といたしましてはそうだと思うのでございます。かというて、ゲバルトのそういうようなこと、あるいは覆面とかヘルメットとか、あるいはまた凶器だとかいうものは容認すべきでないということは、かねがね私は申しておるわけでございますけれども、現実の問題としてはなかなかそれが姿を消さないというところに、また大学の学生問題のむずかしさがあるというふうに私は考えております。
  41. 岡沢完治

    ○岡沢委員 いまの答弁坂田文部大臣のいいところかもしれませんが、われわれのもの足りないところなんです。というのは、あたりまえのことが行なわれない。これが私は大学の異常事態の実態だと思うのです。私の言うことに対してもっともだとおっしゃる。ところが、もっともなことが実行できない。当然なすべきことをなさない。なすべからざることをなした者を放任しておくというところに少なくとも大学紛争がエスカレートした理由がある。その背景についてはこれから聞きますけれども、やはり小さいことから当然なすべきだ。市民社会であたりまえの常識では考えられないことが、どうして最も知性、理性の支配すべき大学で行なわれるかということをあらためて問い返すべきではないか。私自身は心情シンパという立場の人を最も憎いといいますか、きらいなわけでありますけれども、東京工業大学の桶谷教授自身が、大学教授というのはひきょうで憶病で無責任だということを指摘なさいました。もちろん私は、すべての大学教授がそうだとは思いません。東京大学の林健太郎教授のような方もおられます。阪大の滝川教授のような方もおられます。しかし、やはりひきょう、憶病あるいは無責任ということが端的に現在の大学紛争のエスカレートの一因であることは私は肯定せざるを得ないと思うのです。同じことを文部大臣の姿にも残念ながら見出すわけであります。もっとき然と勇気ある、自由の敵に対する排除の決意が行動になってあらわされるべきではないか。先頭に立って学生と話されるのも一つの方法でしょうし、あるいはもちろんああいう暴力学生でございますから、テレビを通じ、ラジオを通じ、おりに触れその努力をなさるべきではないか。国立大学会議あるいは教育委員長会議その他で大臣がそれなりの努力をなさっていることには敬意を表しますけれども、やはりほんとうにき然とした態度、勇気ある態度はまだ足りないのではないかと感ずるわけでございますけれども、御意見があれば承りたいと思います。
  42. 坂田道太

    坂田国務大臣 私はやはり、この大学問題に処する文部大臣としての態度というものは非常に大事でありますから、勇気を出すべきときには勇気を出す、忍ぶべきときは忍ぶ、寛容であるべきときは寛容で臨みたいと思っております。私は、私なりの一つの政治家としての行き方、行動行為をもって、あとからひとつ評価をしていただきたい。現在のところは、もちろん岡沢委員は岡沢委員なりの御批評をもっておられることも承知いたしておりますけれども、私は私の道を行きたいと考えております。
  43. 岡沢完治

    ○岡沢委員 私の尊敬する政治家の一人である坂田文部大臣にこれ以上……(発言する者あり)いま鈴木理事からもう少しやれという激励のことばがありましたけれども、おりに触れてもちろんやらしていただきます。ただし、私の質問事項がたくさんございますので、最後にどうしても大臣に聞きたいことがあるのですが、一応私は私の用意しました質問事項でまず触れてみたいと思います。  ここで文部大臣が、現在の大学紛争の背景の最も重要な要素として、現在の大学が新しい時代に対応できないというところにあるという御指摘でございましたので、戦前、戦後、現在に至るまでの大学の量的、質的な変化について、きわめて簡単でけっこうでございますから、局長からでも大臣からでもお答えをいただきたいと思います。
  44. 村山松雄

    ○村山(松)政府委員 まず、量的な問題でございますが、戦前の時点といたしまして昭和十八年の時点をとりますと、純然たる大学は国、公、私立合わせまして四十九校でございます。国立十九、公立二、私立二十八、計四十九でございます。それから教員数が六千九百六人、それから学生の数が十万四千六百九十九という、旧制の大学制度はかなり少数のエリートという形になっておったかと思います。ただ、戦前は学校制度がいわゆる複線型でございますので、高等教育機関といたしましては、大学のほかに専門学校、高等学校、師範学校といったものがあったわけでございます。これらの高等機関の総数でとらえますと、同じ昭和十八年で国、公、私立合わせまして三百八十三校、その内訳は国立が百八十八、公立二十九私立百六十六ということになっております。教員数といたしましては二万三千三百六十二人、学生数が三十九万一千九百といった形になっております。これが戦後すべて新制大学ということに再編成され、それから続けて短期大学というものができまして、現時点では、大学、短期大学合わせまして学校数にいたしまして約八百五十、教員数が約七万、学生数が百五十万。したがいまして、規模といたしまして、戦前に比べますと、学校数が約二倍強、それから教員数が約三倍弱、学生数が四倍弱という量的な拡大を遂げております。  それから質的な面で申し上げますと、これは、質的な指標はなかなかとらえにくいわけでありますが、戦前の大学、旧制大学につきましては、制度といたしましては、目的と修業年限が規定されているのみでありまして、大学教育内容につきましては、別段基準、規定といったものがなくて、それぞれ設置された大学の見識に従って教育が行なわれておったわけであります。それから大学以外の学校につきましては、専門学校、師範学校、高等学校、いずれも国の規定がございまして、教育内容が、現在の大学設置基準よりははるかに詳細に規定されておりました。特に官立の高度学校、専門学校などにつきましては、いわゆる教授要目というような形で教育すべき科目、それの学年別配当概要といったようなことまできめられておったわけでございます。私学につきましても大体これにならって教育が行なわれておりました。  これに対しまして新制度では、発足の当初には、学校教育法で大学の目的、修業年限が与えられて、それから教育内容といたしましては、民間団体のつくりました大学設置基準、これを大学設置につきましての文部大臣の諮問機関でありました大学設置審議会が設置認可の基準として採択いたしまして、これを基礎として教育が編成され行なわれておったのでございます。この大学設置基準は、昭和三十一年には文部省令となって国の基準となり、引き続き文部大臣の諮問機関である大学設置審議会が、大学の設置の認可を申請する場合には、この基準に照らして内容を確認して可とせられたものにつきまして文部大臣の認可が行なわれる。国立大学につきましては法的には認可ということはないわけでありますが、国立大学の設置につきましても、同じように基準に合わせ、設置審議会の意見を聞いて、可と認められるものにつきまして設置されてまいってきているわけであります。  大学設置基準の内容につきましては、御案内だと思いますけれども、修業年限四カ年の中で一般教育、専門教育、それぞれの分野別の単位の大まかな目標、それから卒業のための要件、それから履修の方法といったようなものを定め、その範囲で大学は学校教育法の大学の目的ということを教授目標として、それぞれ独自の見識を持ちまして教育課程を編成実施しているわけであります。  これに対して、量の増大とそれから設置基準のやや画一的なところから質の低下が起こっているのではなかろうか。何と申しますか、俗に申しまして、新しい大学制度による学生については、数がふえたこととも相まちまして質に非常な幅ができている。いい者はなかなかすぐれた者もいるけれども、底辺のほうになりますと、指標として適当かどうかわかりませんが、知能指数でいきましても一〇〇以下の者が相当程度大学に入っている。そもそも素質の問題がある上に、大学の設置基準あるいは教員組織、それから大学の施設設備、指導方法についてもいろいろ検討くふうはされておりますものの、なお複雑多岐な社会的要請に照らしますと、十分ならざる点があって、なかなか所期の目的が達成されておらないというので、最近に至りましていろいろな改善意見が出てまいっておる。これをいかに統一的な意思にまでまとめ上げて実施に移すかというのが、現在の大学の制度における課題でありまして、この点につきましては、国の機関といたしましては、中央教育審議会で審議がなされておる。文部省としは、この答申並びに各界各層の意見を慎重に伺いまして、制度の改善をはかりたいと考えておるのが現状でございます。
  45. 岡沢完治

    ○岡沢委員 ここで私は、大学紛争の本質に触れた質問をしたいと思うのでありますけれども、先ほどの暴力学生というのは欠陥学生と見ていいと思うのですが、欠陥学生が生まれた背景ということを考えました場合、彼らの年齢を考え、家庭を考えますと、その彼らが大学の前に学んだ小学校、中学校、高等学校、十二年間の教育、そこにおける欠陥教授、欠陥教育ということをやはり考えざるを得ないと思う。欠陥学生とその以前の小中高における教育との関係、特に暴力学生に見られます共通の性格は、教授が病気になっても、あるいは物がこわされても何とも思わない。岡山大学の警官死亡事件については、犬の死とたとえた落書きがあったことも報じられております。いわゆるヒューマニズムの欠除、人間性の欠除ということが指摘されざるを得ないと思うのです。戦後の価値基準の変化、ことに道徳教育、歴史教育との関係について、暴力学生の存在をどういうふうにお考えになるか。文部大臣としてのきわめて高い見識、ある御答弁を期待いたします。
  46. 坂田道太

    坂田国務大臣 やはり今日の学生を考えました場合に、一つには、ちょうど大学院の二年、一年という院生は、昭和二十年、二十一年に生まれた子供たちでございます。それから、戦争から帰ってきて生まれた、いわゆるベビー・ブームの名の子供たちが学部学生かと思います。  あの昭和二十年の敗戦の状況をお互いに振り返ってみましたときに、食うか食われるか、日本が一体どうなるかということ、それから戦前の価値体系というものが一切無に帰したというような錯覚を持ったことも、これは多くの国民はそうだったと思うのでございます。そういうようなことで、非常なショックを受けておった。両親が家庭にいまして、子供を育てる場合におきましても、そういう自信のなさと申しますか、当然親としてしつけなければならないことに対して、多少戸惑いを感じたということも、見のがすことのできないことではないだろうか。  さらに、だんだん十年たちいたしますと、生活程度もよくなってきた。しかしながら、それに伴いまして、生活水準がよくなるにつれて、かえって過保護、あるいは手とり足とり何でもかんでもああかわいそうということで、自立できる人間形成を求めながら、実は過保護状況に育ててしまった。肉体はおとな並みに成長したけれども精神は非常にアンバランス。しかも、かてて加えて、戦後の教育は、御承知のとおりのマル・バツ式、これにつきましては、文部省としましても、たいへんその責任の一端をになわなければならぬと思いますけれども、そのマル・バツ式の教育ということも、思考能力、ものを考える、思索をするということを忘れさせるようなことであったんじゃないか。それからもう一つは、ベビー・ブームの波が、小学校から中学校、中学校から高等学校へ行きますときに、常にすし詰め教室というような状況、そして激甚な試験競争をしていった。友だちとしての友情をあたためるといういとまもなくて、入試入試という形で入ってきた多くの人たちが、いま大学の学生であるということを考えますると、一つの十字架をしょった子供たちであるということを頭に置くべきである、われわれおとなは。そうも考えます。  同時にまた、ちょうど昭和二十七年だったと記憶いたしますけれども、新潟大会におきまして日教組の倫理綱領が出まして、その後文部省日教組との間に対決の時代が続いたということは、このよしあしは別といたしましても、とにかくそういう十年ばかりの間に、ちょうどいま大学に行っておりまする子供たちというものは、小学校あるいは中学校あるいは高等学校、そして目で見、耳で聞き、はだで感じておるわけです。倫理綱領ができましたときに、あの考え方というものは、合法か非合法かは力関係であるというような気持ちでもって戦かわれておる。そういうようなことを現場で見た子供たち、これは私は相当に影響があるのではないだろうかというふうな気がいたすのでございます。そういう二つの十字架をしょった子供たちであるということを考えなければならない。  また、京都大学の宮田尚之という精神医学の方が、毎年入学する学生の精神医学上の統計をとっておられますが、大体毎年精神障害を受けておる者が一二%から一三%、東京大学においてもほんんど同様。単にこれは日本だけの現象でなくて、たとえばバークレーの大学だとか、あるいはコロンビア、あるいはまたゲンブリッジというような一流の大学精神障害を受けておる学生が多いということも、やはり戦後二十年の社会の変化があまりにも激しい、科学技術があまりにも激しいスピードで発展をした。それに対して人間というものがなかなか対応できない。いわゆる人間疎外というものが精神にもあらわれてきておる。こういうとこがいえるのではなかろうかというふうに思うのでございまして、やはり大学問題を考える場合におきましては、そういうような学生たちであるということも、われわれおとなといたしまして、あるいは文部当局といたしましての最高責任者である文部大臣としては、考えていかなければならないことだ。その点がやはり根の深いものである。私が絶えず申し上げておることはその一つなのでございます。
  47. 岡沢完治

    ○岡沢委員 文部大臣のいまの答弁の中に、いわゆる道徳教育、歴史教育との関係についてお触れにならなかったのですが、その辺のことをひとつお伺いします。
  48. 坂田道太

    坂田国務大臣 昭和二十六年一月に、中央教育審議会が、全教科における道徳教育の徹底について答申をいたしております。戦後、道徳教育というものは全教科において行なうべきだという方針はきめられておったわけでございますけれども、どうもそれがあまり行なわれておらないというようなことからいたしまして、中央教育審議会が、二十六年一月に答申をしたようでございます。それから二十六年の四月に文部省が道徳教育のための手引書要綱を通達いたしております。それから二十六年の十一月に、当時の文部大臣でございました天野文相が、国民道徳実践要領というものを発表され、これは個人的なものとして発表されたようでございます。それから二十七年の八月、教育課程審議会が、社会科の改定の答申の中で、道徳の育成をうたったわけでございますが、三十年四月に社会科指導要領を改定し、社会科における道徳教育の観点を明示をいたしました。三十二年の十一月に教育課程審議会が、道徳の時間を特設する基本方針を発表いたしました。三十三年四月、初めて道徳の時間を特設いたすことになりまして、今日に至っておる。言うならば、道徳の時間というのを設けましたのは三十三年四月以降だというふうにお考えいただければいいと思います。四十一年の十一月には、期待される人間像というものが発表されて、今日に至っております。  実は、この日曜でございましたけれども、国立青年の家の淡路島の開設に、私参りました。そして、地方から研修に来ております青年諸君と約一時間座談会をいたしました。そのときに、ここに来て非常によかった。非常に、規律といいますか、何か社会的な、団体的な規律というものを身につけること、あなたはそれを強制されているような感じを持っておりませんかと言ったら、そうじゃございません、むしろ自分たちに欠けておるもの、あるいは家庭でも学校でも、いままでこういうことはちっとも教わらなかったということを申しておりました。それで、家庭ではそうであっても、学校ではどうだったんですかと言ったら、学校において自分たちが育ったときには、道徳の時間の特設科の先生は一生懸命おやりになるんですけれども、ほかの先生があんまり協力をなさらない、こういうようなことを申しておったのでございまして、やはり実態といたしましては、そういうようなことが行なわれてきておるのじゃなかろうか。全教科と申しながら、なかなかその道徳という問題について先生方が取り上げない、先生方それ自体が取り上げないという問題が、やはり今日の人間形成の上に大きい影響を及ぼしておるのじゃないだろうかというふうに私は思います。  やはり教育は、知的教育だけが教育じゃなくて、道徳教育あるいは体育、徳性ということは、非常に大事なことだと私は考えておるわけでございます。その点、戦後の教育というものは知的教育に偏重した。あるいはマル・バツ式の入学試験というようなものの弊害というものを私は痛感をいたしておるわけでございまして、こういうようなことは漸次改善をし、そして道徳教育あるいは徳性をみがく、そういうようなことに小中高の教育つまり全人的教育というものを目ざさなければならない、かように考えておる次第でございます。  歴史の問題については、今日われわれ民族があるというのは、かつての日本の歴史の先人のおかげであるとわれわれは考えるわけでございまして、そういう意味合いから、先人がどういうようなことをしてきたかということ、これがわかる歴史教育というものを教えるということは当然だと私は思うのでございます。いかにも戦前と戦後というものは断絶してしまって、戦前はもうやみの世界、戦後だけが光の世界、こういうようなものの考え方というものは、民族の歴史の発展、生々発展過程というものについての学問的な根拠を失った考え方だと私は思うのでございまして、あくまでもこの時間的な社会の変化、民族の発展というようなことについて、正しい事実に基づいた、立証に基づいた歴史教育というものを教えるということは、これは当然の教育の使命でなければならないというふうに考える次第でございます。
  49. 岡沢完治

    ○岡沢委員 私自身、近代国家というのは力にかわる法の支配、法秩序を守るということは、民主主義国における国民の最小限の義務だと思うわけでありますけれども、現在の風潮を考えました場合には、反体制でなければ進歩的でない、秩序を守るというのはいかにも保守反動だという風潮、これはやっぱりおそろしい結果を招く可能性がある、おそれがある。いま質問いたしました歴史教育、正しい意味の愛国心、客観的な真実を教え、正しい日本の伝統を教えるということは、不可欠なこれからの国民教育の中での課題だと思うわけでございますが、この問題は、いずれあるべき教育の姿ということで論ぜられる問題でありますので、この辺で終わりまして、この際、あらためて大学紛争エスカレートの原因についてお尋ねをいたしたいと思うのであります。  私は、冒頭に指摘を申し上げましたように、この七日以来の文教委員会運営を見まして、たった三十名の委員からなっておりますこの文教委員会、昨日の山中委員の発言についてのトラブルもございました。九名で構成される理事会ですら、なかなか管理運営というのはいかにむずかしいかということをまのあたり見たわけでありますけれども、東京大学の場合、万をこえる教職員の管理運営というものがいかにむずかしいかということは、わからないわけではありませんが、しかし、東大だけを見ましても、六百五十億をこえる国有財産を持ち、年間二百三十億をこえる予算を消化し、九州大学の場合も百億に近い年間予算を消化する大学、一万に近い職員を持った大学——ここで私は忘れることができないことばがありますが、佐藤総理が一月十八日、十九日の安田講堂の攻防戦のあとの東大を見られまして、いまの東京大学には一人の責任者もいないということを御指摘になりました。これはまあ事実をすなおにお述べになったものではありましょうけれども、六百五十億をこえる国有財産の所在する国の営造物の中で、そして一万人をこえる教職員のおる中で、責任体制が全く確立されていない。いまの大学教授会、大学教職員を称して、集団無責任体制という批評がなされておりますけれども、この姿でいいのか。私は、ここにもやはり大学紛争の大きな一因を見るわけでございまして、先ほどの川島警備局長のお話によりましても、犯罪があっても協力体制がとれない、違法不当な行為をする学生に対しても適時適切な処分がなされない。京都大学井上清教授の言動、あるいは九州大学井上正治教授の言動についても、調査されても答えも出てこない。全く管理者としての、あるいは国立大学の場合、設置者としての職責が果たし得るのかどうか。やはり大学紛争解決の一つの不可欠の要素として、管理運営機構の整備、これは私は、何も大学の自治とか学問の自由とは無関係に当然の国民に対する処置として、あるいは大学の機能を果たすべき前提として確立されなければならない課題であろうと思いますが、この管理運営機構の不備、半身不随といわれる大学の実態について、文部大臣としては、その改革の要否も含めて、いかにお考えになるか、お尋ねいたしたいと思います。
  50. 坂田道太

    坂田国務大臣 現在各国立大学におきます管理運営というものが、大学の使命を果たすのに機能しておるかどうかというと、率直に申し上げまして、御指摘のとおりに十分機能しておるというふうに思いません。これに対しまして、たとえば現在ございますところの教授会あるいは評議会、その権限をどうするか、あるいは学長の権限はどこまで考えたらいいかということをもう少し明確にすべきであるというふうに思います。また同時に、この学生の意思をどういうふうにしてくみ取っていくか、あるいは大学当局の意思というものをどういうぐあいにして学生たちに伝達をしていくかという学内のコミュニケーションの問題、それから今日は、大学大学だけできめられないわけでございまして、むしろ納税者たる国民の意思を反映した大学自治というものが行なわれるべきは当然だと私は考えるわけでございます。その意味合いにおきまして、やはりこの第三者のチェックする機関というようなものが求められなければならないのじゃないか。ことに戦前の少数エリートの教育のための象牙の塔式の旧帝国大学の姿であれば、あれはあれなりで機能したかもしれませんが、数がこれほど多くなって、学生も職員も教官もこれだけ多くなって、そうして大学の学部、学科が非常にたくさんになっている今日、あるいは研究所がたくさんある。こういうような状況でございますると、やはりこういうような管理機能というものがもう少し近代化されなければいけないということは言うまでもないことで、昭和二十六年の我妻委員会大学管理の法案を提出いたそうとしましたときの内容には、国民のための大学つまり社会に開かれた大学としては第三者機関、つまりチェックする機関として評議会というものを設けておったようでございますけれども、こういうようなことが欠除したままで新制大学が発足をして今日に至っておるというようなところにも、国民の意思をくまない大学自治、ひとりよがりの大学自治、独善的な教授会の運営、したがって全学的意思の決定がすみやかに行なわれないような古さと申しますか、体制というものができ上がってしまったんだと思うわけでございまして、この点について学生から大学当局が問われておるし、また国民から何をしておるんだというふうに問われておる。こういうふうに思うわけでございまして、今後管理運営の問題、あるいはまた学生の意思をどういうふうにくみ上げていくかという問題等につきましては、十分検討いたし、そしてそれぞれの大学においても具体的な御提案もあって、それらのものを見きわめながら新しい国民のための大学、個性ある大学というものをつくっていきたいというふうに考えておる次第でございます。
  51. 岡沢完治

    ○岡沢委員 あるべき大学像、あるべき管理体制という理想論については、私は慎重であっていいと思うのです。しかし現実に、先ほど来繰り返しておりますような暴力教員に対する適時適切な対応の体制がとれない集団無責任体制といわれる教授会の姿というものを見ました場合に、あるいは先ほども触れました東京工業大学の教授の自殺等が、結局管理体制の不備で学生と教授会の板ばさみというようなことを考えました場合、あるいはまた、国民の血税からなっておる税金の行くえということを考えました場合、国立大学の管理体制の不備ということについては、もう一日もゆるがせにできないのではないか、その段階にきておるのではないか。だからいま政府のお出しになりました法案につきましては、与党であります西岡委員みずからも、ことばは悪いがと言いながら、首つりを助ける法案にすぎないじゃないか。そうではなしに、やはり大学教授が無責任体制といわれないだけの責任ある態度をとれる法的な整備ということをしてやるのが行政の責任ではないか、あるいは犯罪が起こったときにすぐ大学がその学生に対して処分ができる、あるいはまた警察に対して協力体制がとれる、そういう実態を備える機能を果たす管理体制を一日も早く国立大学等に確立することがそれこそ焦眉の急であり、それが暴力を排除する一つの方法ではないだろうか。先ほど来教職員の自覚の問題、精神的な問題もありますけれども、やはり機構上の不備も大きな大学紛争エスカレートの一因をなしておるということを考えました場合、火事を消すという大臣の目的からいたしましても、何をおいても大学における管理運営体制の整備を、これはもうイデオロギーでも大学の自治の侵犯でもないわけでございますから、もっと真剣に、あるいはまた時期的にタイムリーにおきめになるべき課題ではないかと考えるわけでございますけれども、重ねてこれについての大臣答弁を。そして、私は先ほど来繰り返したことばでありますけれども、学生が暴力を行使し、人を傷つけ、物を破壊しても処分もされず、身分も奪われない、刑事上の訴追も受けない。それに対してまた民事上の損害賠償の請求も受けない。ここに、なすべからざることをなした者に対して放置する、それによってとにかく彼らがやっておることが正当化される。どろぼうした場合に、それに対する処分がなかった場合、やはり私はどろぼうを防ぐということはむずかしくなるだろうと思うのです。道徳的な性善説で割り切るわけにいかないのが悲しい人間の現実である場合に、違法学生に対して、不当学生に対して何らの制裁もない。むしろ、一方でこれを鼓舞激励する世論なり教職員がおるという場合に、大学紛争がエスカレートしないほうがむしろおかしいと思う。やはり管理者はなすべきことを管理する、管理責任を果たし、学生がなすべからざることをした場合には、これに対し適時適切な制裁がある。そうでなければ、無理が通って道理が引っ込んでおるという現実の大学の姿を私は除去することはできないと思いますけれども、管理機構、管理体制についての大学のあり方について、特に時期的な必要性について大臣の所見を聞きます。
  52. 坂田道太

    坂田国務大臣 大学というところは非常にむずかしい集団でありまして、単に権力的に上から法律だけでこれを当てはめようといたしましても、結局、その法律やあるいは制度というものを運用する人たちが協力し、その気になって運用しなければ、制度や法律の、あるいは管理運営の目的というものが実は達成されない、そういう社会であるというふうに思います。そういう意味におきまして、岡沢さんのおっしゃることも、西岡さんのおっしゃることも実は私はわからぬわけではございません。いずれはそういうような形を大学人みずからが求めて、そして定着させるという時期が来ると思うのでございますが、いま直ちにそういう時期であるかどうかということを考えますと、私どものほうにつきましても、管理運営の方策につきまして、まだこれというふうに確信をもって国民の前に提出するだけのものの用意を実は持ち合わせておりません。いましばらく時間をかしていただきたい。中央教育審議会におきましても、明治以来の日本の教育制度の総ざらい、総点検をやりまして、その中において来たるべき二十一世紀に向かう日本の教育制度はどうなければならないか、その中において大学というものはどういう位置づけを持つのかというようなことにつきましての大綱というものを、年内を目標といたしましていませっかく努力しておるところでございます。それらのものを見きわめた上で、やはりその中から御答申があると思いますが、それに基づいて世論にも聞き、あるいはこの点については立法措置が必要であると考えるなら立法措置もする。あるいはそうでなくて、この点は大学自身にまかせたほうがいいというならば大学自体にまかせる。また、その間においても各大学から新しい国民のための大学というものはどういうものでなければならぬかというものが、単に東京大学とか、あるいは東京工業大学、あるいは東京教育大学とかいうだけでなくて、七十五の大学がそれぞれ具体的な提案をなすというようなこともあって、それらをやはり参考としながら十分慎重審議した結果、客観的に見てこれならばぜひとも定着させてよろしいものであるという自信が私にできましたならば、それを提示をいたしたい。またその際は皆さま方に御協力をお願いいたしたい、かように考えておるわけでございまして、民社党さんのお出しになっておるような、これは私は見識ある一つの方向だと思うのでございますが、それを直ちにいまやれとおっしゃるわけでございますけれども、私自身としてはまだその時期にあらずとちゅうちょしておる次第でございます。
  53. 大坪保雄

    大坪委員長 関連して、鈴木一君。
  54. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 坂田さんの話を聞いているというと、何でも中教審に逃げ込むのですけれども、ただ、さようなものはまだ持ち合わせていないということを言われたことは正直だ。それだけは了とします。ただ、管理運営の方式については各大学ごとに真剣にやっておると思いますが、それを促進さして各大学ごとにいろんな管理方式を出してくれ、それを実行さしてみて、その間またいろいろの事態が起こってくればお互いに取捨選択しながら新しいものを積み上げていく。何か文部省のほうからこうしろというふうな画一的なものを出さないほうが、この問題の解決は私は一そういい方向に持っていけるのじゃないかというふうな感じもするわけですね。そういう点についてどうですか。
  55. 坂田道太

    坂田国務大臣 ですから、私は鈴木さんと同じような気持ちにおるわけで、その点はむしろ鈴木さん御了承いただいたわけですか。
  56. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 そういうふうにしたほうがいいと思うとあなたおっしゃれば私は何にも聞かないのだよ。ただしかし、まだ持ち合わせてない、中教審だと言うから、おそらく中教審から何か答申が出れば、それに対して法文化して画一的なものでこうしろというふうにするのじゃないかというふうな感じがするから聞いているわけですよ。
  57. 坂田道太

    坂田国務大臣 それではその点は私のことば足らず、あるいはことばが多過ぎてかえってわからなくなったかもしれませんが、結局私は、法律にするかというようなことはその時点で考えたいというふうに思っております。画一的にやることがいいかどうかということにつきましては、私の心情からいうと、あまり画一的でないほうがいいのじゃないかというふうに思っておるわけでございます。基本的な方向というものは示す、しかしながら、できるならば大学みずからがそういうような基本的方向を示すことにおいてそういう線に沿って改革をやっていただくならば一番ありがたい、かように考えております。
  58. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 重ねてお伺いしますけれども、画一的にはやらぬほうがいいと思う、できるならば大学のほうからそういうものが出てくることが望ましいことだと、こういうふうに理解していいですか。
  59. 坂田道太

    坂田国務大臣 私はそのように思います。しかしながら、それにいたしましても管理運営の原則等につきまして必要最小限度の立法ということが、むしろ大学側からこの程度のことをやってくれたほうがわれわれは都合がいいのだ、やらしたいのだと、こういうような空気がもし出てくるとするならば、そのほうがいいのではないかと思っております。
  60. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 おそらく私、大学のほうからこのくらいのことをやってくれということは出てこないと思うのですね。というのは、大学の自治を主張しているわけですから。しかし、自治を主張するならそれだけの責任は大学にあると私は思うのですよ。ですから、大学側としては、その責任を果たす意味でもむしろ積極的に、時間もあまり三年も四年もたったのじゃ困るのですけれども、ここ半年以内でそういうものを出すことが私一番望ましいと思う。そうすると、こういう法律案なんか出さなくても現行法で全部解決し得るものはするわけですから、あなたもそう苦労しなくていいと思うんだ。もう一回。何かあいまいなことだ、あなたの言うことは。
  61. 坂田道太

    坂田国務大臣 少し鈴木さんと私の違うことは、この法案はこの法案として通していただいて、その上でやはり管理運営についてもう一ぺん考えたいということであります。
  62. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 また私のときにお伺いしますが、もう一つお尋ねしたいことは、アメリカの教育調査団が終戦後、たしか二十四、五年ごろだと思いますが、日本に来て、これからの大学というものはやはり社会に開かれた、窓を開いた、いわば大衆大学でなければならぬというふうなことから、管理運営方式についてはアメリカ方式と申しますか、学部自治とか、いまのような日本の大学じゃなくて、もっと広範な形の、たとえば卒業生とか社会の代表とか地域代表とか含めたそういう理事会方式ですね、そういうものを提示したそうでありますけれども、そういういいことはさっぱり取り上げられないで、あの当時の日本の財政にはたいへんな負担になる六・三制のようなものを受け入れて、そして地方自治体はそのためにえらい苦労をしてきたわけですね。私は六・三制そのものは悪いとは言いません。けれども、その当時の日本の財政からすればたいへんなことだったと思うのですよ。そういうことは食らいつき、一番大事なそうした大学の管理運営をどうするかということは何ら取り上げることなくきた。そういうふうなその間のいきさつについて、もしお聞かせ願えるならばお伺いしたいと思います。
  63. 坂田道太

    坂田国務大臣 詳しいことは局長からお答え申し上げますが、確かに先ほど私もお答えをいたしましたとおりに、二十六年の改革案を出そうといたしましたときに、いまおっしゃいますところのボード・オブ・トラスティーズの考え方、第三者機関を設けるべきであった。それこそ国民に開かれた大学として大学が機能をするということであったと思うのです。ところが、それが実現できなかったというところに今日の悲劇があるのじゃないかというふうに思います。その点について、民社党さんの御指摘というものは、私は一つの見識だと先ほどから申し上げておるわけでございます。
  64. 村山松雄

    ○村山(松)政府委員 補足して御説明申し上げますが、米国の教育使節団の来日は昭和二十一年でございます。二回にわたって参りましたが、第一次は昭和二十一年で、三月末日で報告書が出まして、この報告を基礎として戦後の教育制度の改革が行なわれたわけでありますが、日本側がこれをこなすにあたりましては、教育刷新審議会という、当時南原繁先生あたりを会長とした審議会ができまして、ここで日本側の案としてこなして、一連の教育制度の改革が行なわれました。学校教育につきましては学校教育法がこれに基づきましてできたわけであります。  そこで大学制度につきましても骨格ができたわけでありますが、骨格ができて、現実の作業といたしましては、大学教育内容を審議するために、先ほど御説明申し上げましたように大学基準の設定のための民間の協議会ができて、そこで大学基準ができまして、それに基づきまして、政府といたしましては在来の大学、高等専門学校、つまり高等教育機関を新しい制度の大学に再編成する作業を昭和二十三年から二十四年にかけて行ないました。そこで公私立大学につきましては審議会に諮問して認可したわけでございますし、国立大学につきましては文部省と当該学校並びに地元が協力して、一県に所在する旧制の高等専門学校は一大学に編成をする、特別の地域を除いては一県に一大学以上はつくらないというような諸原則を定めまして、これが設置のためには国立学校設置法を昭和二十四年に立案、制定をいたしましてこれによったわけであります。  それから、その人事関係につきましては、それより先に教育公務員特例法ができまして、それより前に国家公務員法ができて、国家公務員の人事の原則がきまったわけでありますが、国立学校の教員につきましては国家公務員法の原則のみによってやることは適当でない面がある。たとえば選考の問題でありますとかあるいは身分保障の問題につきましては、国家公務員一般原則とは違った手厚い措置をとる必要があるということで教育公務員特例法ができたわけであります。  それから大学の管理体制につきましては、別途司令部のほうの示唆もございまして、昭和二十三年に試案を発表いたしました。この試案の中に御指摘の理事会組織があったわけであります。この試案に対しましては、当時大学関係のみならず、各界各層、学術会議あるいは国立大学の学長会議あるいは大学基準協会その他諸団体のほうで、日本の実情に合わないということで反対がございました。反対がございましたので、文部省といたしましては、さらに司令部の指令のみでなくて、各界各層の意見を結集するために、意見を出されました諸団体から代表のお集まりを願って、その委員長には東京大学の教授であられた我妻栄先生がなられた。そこで大体各界各層の意見の公約数的なところで大学管理法の案ができまして、これを昭和二十六年の国会に提案いたしましたが、これまた、これでは大学の自治が阻害されるという一方の意見と、この程度では国立大学運営に対する政府の責任を果たすのに不十分だという一方の意見との対立が調整されないままに成立を見ないで、その後若干の試みがありましたけれども大学の管理機構につきましてはきわめて不十分な、教育公務員特例法が制定されたのみで、法的には不十分な状態のままで今日に至っておるというのが大体の経過でございます。
  65. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 さすが文部省の稗田阿礼といわれただけあって、記憶のいいことには驚いたわけですが、時間もありませんし、関連ですからこれでやめますけれども、結局、アメリカ式の大衆大学に形はしながら、実際の管理運営はドイツ方式のエリート大学方式であったというところに私はポイントがあると思うのです。ですから、まさにこれは文部省の失敗ですよ。今日の事態を起こしたのは政治の失敗ですよ。それだけははっきりさしておきたいと思います。
  66. 岡沢完治

    ○岡沢委員 いまの鈴木先輩から御指摘がありましたとおりでございます。私としましては、文部大臣はかすに時間をもってしてくれという御答弁でありましたけれども大臣自身が御承知のとおりでありますが、七月八日現在で新入生の授業開始状況を見ますと、せっかく大学に入りながら教育を受けておらない学生が一万九千七百人、十二校であります。新入生全体の六%、百人に六人はいまだに教育を受けるに至ってない。授業状況を見ますと、全学または一部の学部で授業を実施してない大学が五十三校、授業を受けてない学生の数は二十三万六百人、全在学生と比較しまして一九%、百人に十九人は授業を受けておらない。これは、学生の教育を受ける権利が阻害されておるということについては、たびたび大臣自身もお認めになっているとおりでありますが、このほかに昨日の新楽教授の自殺その他有形無形の無限の被害が現に続発しているときであります。その一つの原因が、いま鈴木理事が指摘されましたように管理機構の不備、大学の管理運営についての行政上の欠除にあるということは私はいなめないと思うのです。そういう意味からいいましても管理運営の機構の整備こそ、私はそう時間をかしてくれというゆうちょうな問題ではないと思うわけでありまして、ぜひこの点についての御配慮をお願いするとともに、法的な準備ができない場合、指導、助言の許される範囲内での最大限の努力をなさるのが文部行政の責任者としての大臣の責務ではないかというように感じます。  ここでもう一つ繰り返しておくのでありますけれども大学紛争一つの大きな原因が暴力学生にあり、その暴力学生に対する適時適切な処分がなされない、身分的な責任あるいは刑事上の責任あるいは民事上の責任が全く等閑に付されておるということが大きな一因であると思われますときに、暴力学生の処分についての適切な処置ということはこれまたきわめて必要だと思うのです。私は、あとでお聞きいたしますように、大学紛争の功罪につきましてある意味では暴力学生も犠牲者だという考え方は捨て切れないものがありますけれども、しかし、行為に対する責任はやはりとってもらうのが本人のためであり社会的な課題だろうと思う。この暴力学生の処分について、新聞の報ずるところによりますと、与党においても修正の御意向がおありのようでありますし、すでに案文等も明示されておりますけれども、昨日も野党委員から質問がございましたが、この修正案をお出しになる用意があるかどうか。新聞に報ぜられた中身、「大学の学長、その他学生の懲戒に関し権限を有する機関は、前条に規定する正常でない行為にあたる暴力行為その他大学の秩序を乱す行為で政令で定めるものをした学生について、適切な懲戒を行なうようにしなければならない。」訓示規定かもしれませんけれども、こういう規定をいま政府のお出しになっている第三条の四項に入れるというお考えがあるかどうか、またこれで効果が期待できるのかどうか。またもしこれをお出しになる場合に、学校教育法との関係で、すでに現行の法でも当然に懲戒処分ができるわけでありますが、今度「しなければならない」という改正だと思いますが、だとすると学校教育法の改正のほうが適切ではないか。その学校教育法とただいま政府のお出しになっておる法案との関係について、大臣及び局長から今度は簡単に御答弁いただきたいと思います。
  67. 坂田道太

    坂田国務大臣 これは党のほうでそういうような修正のお考えがあることは私承知をいたしております。まだその点について最終的に御相談をいただいておりません。その時点で考えたいと思いますが、文部省といたしましては、現在皆さま方に御審議をわずらわしておる法案でお願いをしたいと考えておるわけでございます。
  68. 岡沢完治

    ○岡沢委員 時間の関係で次に進みますが、中教審の答申におきましては、大学方針に不協力な教授の一時的排除の示唆がございましたが、それが今度の法案では省かれておりますけれども、その理由等についてお尋ねいたします。
  69. 坂田道太

    坂田国務大臣 中教審の答申は確かに非協力教官というものを遠ざけるということを考けたらどうかということでございましたが、非協力教員を拾い上げて遠ざけるという実際上の問題となると、これは非常にむずかしいわけでございまして、そういうことがもしやれるとするならば、大学紛争も当然こういうふうにエスカレートしてないと思いますし、また、そのことによってまたエスカレートするということもありますので、今度はその措置をとらなかったわけでございます。
  70. 岡沢完治

    ○岡沢委員 ここで私は、やはり大学紛争一つの大きな焦点であります大学教授の問題、教授の身分の問題も含めましてお尋ねしたいと思います。  最初に京都大学井上清教授の、これも新聞に報ぜられました文章がございます。これはまた単行本としても教授自身がお出しになっておりますが、井上清教授は本年一月初旬に東大全学共闘あてに次のような激励文を送っております。「諸君の闘争は日本に於ける最初の徹底的な大学革命であり、偉大な文化革命の端緒である。」「諸君を余りにも破壊的だと言うものがある。しかし、破壊しなければ建設できないのだ。「話し合いで解決せよ」と言うものがある。しかし話し合いの革命などはあり得ないのだ。「広範な大衆の統一と団結を妨げる」と諸君を罵倒するものがある。それは最も遅れた部分に追随して、全闘争を失敗させるものである。」中略しまして、「最後の勝利をかちとるための統一と団結は、只、先進部隊の英雄的な闘争によってのみ推進せられるのだ。われわれも又、諸君との堅き連帯のもとに」中略「闘いぬくであろう。日大、東大、全共闘の勝利、万才」。これはもちろん国立大学の教官の身分を有する井上清教授の、これは御自分で書かれた本にも出ておりましたから、間違いのない意見だと私は思うのです。これについて文部大臣として、こういう国立大学の教官の言動というものは、いかがなものであると御判断になりますか。
  71. 坂田道太

    坂田国務大臣 井上清教授が、東大の共闘会議の暴力を肯定するかのごとき言動をなしておるということにつきましては、私も承知をいたしておりますし、まことに遺憾なことであるというふうに思っております。したがいまして、たびたび奥田総長に対しまして、こういうような公の場所に転転としてプロパガンダをしていくということは好ましいことではないということについて、照会もいたしておるわけでございます。しかし、その後まだ奥田総長のほうで、これに対して懲戒云々をしたというような報告は受けておりません。  こういう問題が一体教特法で守られるべきものであるかどうかということでございますが、これは最終的には法の判定にゆだねなければならない問題であると思いますけれども、しかし、いやしくも大学教授、教官、そして子供たち教育し、導くという立場にある者、あるいは国家公務員として全体の奉仕者であるべき者の言動といたしまして、不謹慎であるということはいえると思うのでございます。大体大学というところは、普通の市民社会よりも、より以上の良識と理性が行なわれてしかるべきところである。それゆえにこそ国民が、身分についても普通一般公務員よりも手厚い保護をいたしておる。ところが、そういう国民の期待を忘れて、むしろそれを利用して、自分の、何といいますか、考え方を言いふらして歩くというようなことは、まことに遺憾なことであるというふうに私は思うわけでございます。  しかしながら、こういうような教官というものに対して、どうやってこれを排除するかというような問題につきましては、やはり私は、国民あげての徹底的な批判というようなことによって、いても立ってもおられない、もうその職にはおり得ないというような、そういう国民的な背景というようなものによってのみ追放される。それが自由社会のおきてだと私は考えておるわけでございます。もちろん、法に触れるという場合におきましては、断固として法の処分をすべきものであると考えておる次第でございます。
  72. 岡沢完治

    ○岡沢委員 文部大臣は、教特法を前提にされて、国民の批判に待つべきだという御意見でありますが、もちろん国立大学の教授は国家公務員であります。憲法十五条には、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」という規定がございます。さきに当委員会でも私も指摘いたしましたように、身分の保障の高さをきわめて要求される裁判官に対しましても、弾劾手続がございます。人事官に対しても、国会による弾劾手続がございます。国家公務員であり、教育公務員である大学教授の身分と、憲法十五条の国民の罷免権との関係について、単に世論の喚起によって辞職を期待するという程度で、国民のこの十五条の権利が遂行されるとお思いになるのか、教特法の規定には限界がある、あるいは改正の必要があるとお認めにならないのか、この辺についての大臣の忌憚のない、勇気ある御所見を私はお聞きしたいと思います。
  73. 坂田道太

    坂田国務大臣 ただいまのところ私は、教特法はそのままにいたしたいと思うのでございますが、やはり現在の大学当局の適当な措置を期待するわけでございます。
  74. 岡沢完治

    ○岡沢委員 これは私事にわたって恐縮でございますけれども、私は昭和二十年の八月の十五日に、昔の士官学校を卒業しまして青年将校でございました。九州の久留米で幹部候補生の教官をいたしておりました。戦争をやめるということについて、どうしても納得できない。国民の大多数の意思は戦争継続、一億玉砕してもアメリカに勝つことではないかと信じておりました。そのために私は戦争を継続すべきだという考え方で、天皇を九州にお迎えしてでも戦争を継続しよう、九州の久留米でそういう決意をいたしました。私一人ではございませんが、そして実際にそれを実行に移そうと思いました。そのために私はあとで京都大学時代に逮捕、勾留をされました。殺人予備罪、銃砲等所持禁止令違反で、懲役二年、執行猶予三年の判決を受けた事実がございます。そのときの私の感じは、国民の総意が戦争継続であるならば、自分はかりに生命を捨ててでも、国民のために、日本の悠久の大義に生きようという考え方から計画をしたわけでございますけれども、私の上官でありました横山勇という中将に、私が士官学校の後輩ということでお会いして、いろいろ所論を聞いたときに、私は、天皇陛下は戦争継続だ、ところが、周囲の好臣の方々が命が惜しくなって、戦争を収拾するように動いたというふうに錯覚をいたしまして、そういう事実ではないかということを横山中将に聞きましたところ、横山中自身が、終戦の前の八月十三日に東京に呼ばれて、陛下じきじきから、戦争をやめるようというおことばがあったということが直接の動機になり、ことに私はその後、私のいなかの大阪に帰りまして、私の家族も、父親、母親等が、やはり戦争が終わったことを喜んでおるということで、ようやく自分の考え方が偏見であり、独善であり、間違いだということを知りまして、その計画を中止したわけであります。そのために殺人予備罪で終わったわけでありますけれども、それにいたしましても、やはり自分のやっておることについて、主観的に正しいということについては命を捨ててもやろうという青年の気持ちというものは、私はわからないわけではありませんけれども、しかし、その場合に、それがもし間違いだということを知りましたら、私は、いさぎよくまた転身するのが学生の心理であろうと思う。ところが井上教授のように、扇動し、激励をし、また君らこそ歴史の先駆者だというような、ヒロイズム的なあおりを受けました場合に、純真な学生が結局行動に及ぶ。うしろで扇動する教授は、表現の自由の範囲内、あるいは犯罪の構成要件には該当しないということで、何らの罪にはならない。おどらされた学生は犯罪者として起訴され、十年の公判闘争で苦しむ。一生を誤るということが現に起こっておるわけであります。こういう場合に、私は井上教授は犯罪者だと言うわけではもちろんありません。また、井上教授にも思想、信条の自由があることも当然であります。表現の自由のあることも当然であります。しかし、公共の福祉という限界がある。また、国家公務員教育公務員としての限界があることもまた憲法上の制約であろうと思う。こういう制約を越えて、無制限な表現の自由の行使ということについては、やはり私は自由に対する挑戦、憲法精神に対する挑戦として、われわれはき然として間違いを指摘するだけの勇気と義務があるだろうと思う。そういう場合に大臣は、単に京都大学の教授会の管理機関としての善処をまつ、あるいは井上教授の自覚にまつ、あるいは世論の批判をまつ、これでは行政責任を果たせない。そのために間違った示唆を受けて、暴力行為に走って一生を誤る学生、あるいはそれによって被害を受ける他の一般学生、一般市民の被害、それによってまた刑事的な死傷事件等も考えられるわけであります。それだけにこの際思い切った、もちろん憲法の範囲内において、また憲法十五条の国民固有の権利という点からいたしましても、何らかの適切な措置を考えるべき時期ではないか。日本の場合、あまりに自由が多過ぎると申しますか、自由の恣意的な解釈、責任の伴わない自由ということによりまして、結局、与えられたせっかくの基本的人権が、あるいは民主主義が崩壊に瀕するという事態も考えられるわけでありまして、この辺で文部大臣としての、特に識見のある坂田文部大臣としての御所見を重ねて承りたいと思います。
  75. 坂田道太

    坂田国務大臣 今日あまりにも自由というものが無制限であって、そうして責任が全然伴っておらないということについては、先生の御指摘のとおりだと私は思うわけでございます。どうやってそのことを、真の意味における責任の伴う自由というものを一般学生たちが体得するようにするかということが、私に課せられた責務であるかと思うのでございますが、それは単に一つ法律だけでは私はできないと思うのでございます。ふだんのわれわれの努力の積み重ね、国民全体の努力の積み重ねによってやるべきことであるというふうに思います。もちろん、法律に違反した者に対して、これを処罰をする、その行為を憎むというようなことも同時に必要であるというふうに考えておるわけでございます。
  76. 岡沢完治

    ○岡沢委員 せっかく国家公安委員長がお見えでございますので、この問題の私の見解につきまして文部大臣とだいぶ違うわけでありますが、一言私は、先ほど大学紛争の背景に道徳問題を取り上げさせていただきました。戦後の、権利主張するけれども義務を忘れた教育あるいは社会風潮、同じように自由には責任が伴うという当然の前堤が忘れられた放縦の自由ということが特に大学において常識化しておるということが、きわめて大事な核心だと思うわけでございますけれども、この点については文部大臣と見解が違うようであります。国家公安委員長は十分というお約束でございますので、国家公安委員長に対する質問にかえます。  公安委員長がお見えになる前に、私は大学紛争と警察権の行使の問題について川島警備局長にお尋ねしてまいったわけでありますけれども、荒木国務大臣も十分御承知のとおり、佐藤総理をはじめ政府の見解は、現行法で暴力は排除できるという解釈であります。ところが、現実には暴力行為が全国の大学に起きまして、現に授業放棄または占拠、封鎖中の大学が七十五校ございます。大学の総数は三百七十九でありますから比率は二〇%、全国の大学の二割が異常な状態、違法な状態にあるわけであります。毎日の新聞等を見ましても、内ゲバあるいは教授に対する暴行、われわれ法律家の常識から見まして違法に当たる不法占拠、家屋侵入あるいは暴力行為あるいは死傷事件等が現存しておることは、客観的な事実として否定されないと思います。現行法で暴力は排除できるという政府の統一解釈でありながら、なぜ現に暴力が大学の内外を支配しているのか、一般市民社会では考えられない、国民の自由、生命、身体、財産が危殆に瀕しておるのか、この溢路につきまして、その原因について国家公安委員長としてはどうお考えになるかということをお尋ねいたします。
  77. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 お答え申し上げます。  何回か同様の趣旨の御質問に対しまして数回考え方を申し上げているところであります。毎度申し上げておりますように、大学といえども社会の一部分であることは間違いない。法秩序を乱る者があれば断じて例外扱いすべきじゃない。そういう意味におきまして、暴力をはじめとする不法行為が不幸にして大学という最高学府といわれるところに起こっておるわけでありますが、それに対しては、いま申し上げました前提に立って、現行法で十二分に秩序の維持、取り締まりというものはできると存じております。しかし、実際は数十校ないしはちょっとした紛争自体を計算に入れれば百校以上の大学が紛争事態にあるといわれる。それは一体どうしたことかという意味の御質問でありますが、これまた何回か申し上げましたように、理論的にはいま申し上げたとおりでありますが、現実にはなかなか片っ端からきれいにするということが困難な事態が残っておる状況が、紛争校がいまだにあるということと私は理解するのであります。  それはなぜそうなるかといえば、第一に、大学当局自体が、被害者であるにかかわらず、管理運営の責任の立場からも当然違法状態を排除しなければならぬ職責を持っておるにかかわらず、協力の体制にない。とかく警察アレルギー症がなおらない結果といたしまして、いまだに、たとえばさる大学では令状をもって執行しようとしましても立ち会いに応じない。まさにこれは刑事訴訟法にいうところの公務員の責任義務を果たさないという非協力態度といえるかと思いますが、そういうこともございまして、実際の問題といたしますと証拠の収集も困難である。証人の尋問という場合になりましても証人に立とうとしないというふうな状況のもとでは、公訴の維持が困難である。つかまえてもつかまえても無罪放免となるということの結果的な弊害と申しますか、それも考えざるを得ない。そういうことからいたしまして、大学当局の非協力のゆえに、なかなか仰せのとおりのきれいさっぱりとする結果に持ち来たすことが困難だという事態が残っておることは事実であります。  繰り返し申し上げます。たてまえは、現行法で十分に取り締まりあるいは秩序の維持はできると存じております。
  78. 岡沢完治

    ○岡沢委員 いまの国家公安委員長の率直な御答弁をすなおに解釈いたしますと、現行法でできる、それができないのは、警察の怠慢というよりは、大学当局の非協力であると限定してよろしゅうございますか。
  79. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 概括的に申せば、そのとおりに私は考えております。
  80. 岡沢完治

    ○岡沢委員 そうすると、私は文部大臣の所管になってくると思うのですが、先ほど来も繰り返しましたが、やはり管理体制の不備、あるいは大学当局者の姿勢の問題、特にいま国家公安委員長も御指摘になりましたが、刑事訴訟法上の公務者の立ち会い義務あるいは犯罪に対する告発義務すら行なわない。もちろん善良の管理者としての職責を果たしておらない。私は教育処分とか、教育が誤って解釈されて、犯罪者をかばうことがあたかも教育者であるような錯覚が警察アレルギーをもたらしておるし、それがやはり暴力を横行さしておる大きな原因だ、大体国家公安委員長と同じ見解に立ちます。それだけに、やはり教育行政の責任者として、また国務大臣として、私は、この大学の犯罪に対する非協力の姿勢については、すでに四・二一次官通達はありましたけれども、実行はされていないということを含めまして、文部大臣としての責任をこの際お感じいただき、それに対してとっていただくべき処置があろうと思うのです。先ほど来繰り返しておりますように、暴力が横行し授業が行なわれない、あるいは犯罪による犠牲者が続発しておるという事態は、時間をかしてほしいといって、そう待てる状態ではないような感じがするので、荒木国家公安委員長が御指摘のように、私も何回か同じ問題を質問いたしましたけれども、すでに解決しておればこんな質問をする必要がないわけであります。何回繰り返しても、同じような違法事態が現存するということで重ねて御質問をするわけであります。
  81. 坂田道太

    坂田国務大臣 確かに御指摘のとおりに、今日の大学紛争の直接の原因でございます暴力学生排除ということに対しまして、大学当局みずからが、不法状況、不当状況がある場合に、これに対してき然たる態度をとり得ない、とり得なかった。その意味におきまして、私は文教行政をあずかる者として責任を痛感するものであります。しかしながら、私といたしましては、精一ばいの努力を続けていきたい。そうしていやしくも理性の府、良識の府である大学において暴力行為がほしいままにされるということは断じて許すべきではないという信念のもとに、指導、助言を積み重ねて大学当局の奮起を促し、また、犯罪等が行なわれました場合に対しては、警察と協力するように指導、助言を続けてまいりたい、かように考える次第でございます。
  82. 岡沢完治

    ○岡沢委員 国家公安委員長にいささか質問しにくいことでありますけれども、あえて申し上げますと、警察は国民から愛され、信頼されてこそ、その機能が発揮できる。私自身は、この次に問題にいたします井上正治教授のように、警察は国民の敵だというような考え方はもちろん持っておりません。ただし、大学紛争に関連いたしまして、東京大学の全学共闘会議議長山本義隆氏がいまだに逮捕されないということについては、国民の警察への信頼を裏切るという立場からも、あるいはまた共産党の方々が常に指摘されますように、ことさらに三派系を政府が泳がしておるというような批判にこたえるためにも、私はどうしても納得がいかない。しかも、新聞等で報じられるところを見ましても、当然逮捕できる機会が何回かあったはずであります。この点につきまして、逮捕状がいつ出され、逮捕できるような機会が何回あったか、どういう状況だったか。警視庁の目の前の日比谷公園における集会等においてすら逮捕できない。しかも、新聞記者の方あるいは雑誌の方等は何回もインタビューしたり、寄稿したりしておられる。どう考えても国民立場からして納得できないわけでありまして、その理由について明快な御答弁をお頭いいたします。
  83. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 お答え申し上げます。  結論から先に申し上げれば、逮捕状が出ておりながら、山本何がしをまだ逮捕できていないということは、国民に対して恐縮に存じます。共産党は、警察がこれを泳がしておるんだと、とかく本会議でも言われますが、そんなことは絶対にございませんことをこの際申し上げます。  ただ、弁解じみますけれども、せんだっても日比谷の音楽堂に、テレビにも出るような状態で山本それがしが出てきて、短時間ではありましたが演説をした。それをどうしてつかまえられないんだという疑問を私自身も持って、警察庁当局にも質問をしたことがあります。テレビを見ている人々から、逮捕状が出ておるのに、どうしてあんなにつかまらぬだろうという御指摘のような素朴な疑問があることはよくわかります。ただ現実には、あの場合におきましても、御承知のように数千名のゲバ棒連中によって護衛されておる。その中の出現であったのであります。これをもし持凶器強盗でもつかまえる、体当たりでその一人を、どんなことが起ころうとも断じてつかまえるという覚悟であるならば、私は不可能ではないんじゃないかとさえ疑問を持ちました。聞けば、警察比例の原則ということが厳然と守られながら運営されておると承知をいたします。あのときあの際、いま申し上げるような考え方で、それに随伴するどんな事態が起こりましょうとも、たとえば山本何がしを逮捕しますために、その一点に集中して相当の警察力をもって臨んだとしまして、そこに居合わせておる、しかも山本何がしを護衛するような意識をもって集まっておる千名以上の集団を相手に、これを排除しながら逮捕するという事態が想像されるわけでありまして、その場合には必然的にたいへんな修羅場が演出されるであろう。数百名あるいは千名以上の公務執行妨害罪人を同時に検束しながら、山本何がしを逮捕するという事態になろうかと思うのであります。  そのことは、理屈の上では、やろうと思えば可能なはずだとはいえますけれども、実際の問題といたしますれば、重軽傷者が続出するという一大犠牲を双方に出しながら山本というものをあのときあの際つかまえるということが、はたして警察比例の原則といわれる冷静な判断のもとに適切な唯一の機会であったかどうかということは、警察当局としても十分考えざるを得なかった事態かと私は理解いたします。さりとて、これをいつまでも放任しておく考えは毛頭ございません。同時に、  この山本何がしをはじめといたしまして、ああいうふうな立場に立った者は計画的に姿をくらます戦術が非常に巧みであります。人遁の術などとも新聞紙上いわれますが、逮捕状が出ておることを知って、なおかつ通常の家庭にかくまわれておったために発見が困難であった事例も以前にあった  ようでありますが、そういうふうなやり方で、想像外に逮捕困難な事情があることを御理解をいただきたい。なるべくすみやかな機会に断じてこれを令状執行をいたしまして逮捕してお目にかけるということが、警察にかけられたこの問題についての責任だと存じております。
  84. 岡沢完治

    ○岡沢委員 私は、これ以上お尋ねすることは避けたいと思いますが、ただ本日の文教委員会の論議とも関連いたしまして、教師が尊敬されない社会、あるいは警察が信頼されない社会、感謝されない社会、同じような意味国民と自衛隊が背馳する社会、これは私は不幸な社会といわざるを得ないし、国民にとっても残念なことだと思います。そういう意味からも、大臣はお帰りになりましたけれども国民の信頼を裏切らないような措置を、警察に対してもあるいはまた文部当局に対してもお願いいたしたいと思います。  重ねて教特法と憲法十五条との関係につきまして、大臣は、教特法の改正の意図なしという明快な御答弁がございました。わが党の春日前書記長の名著によりますと、この間もちょっと触れましたけれども、いまの教特法からいけば、大学の職員特に大学の教授等を処分するのは・裁判官がどろぼうを裁判するについて、どろぼう仲間の意見を聞かなければ有罪の判決ができないと同じでは一ないかという指摘をなさっております。教特法の一解釈からすればまさにそのとおりだと思います。これでは憲法十五条の国民固有の権利としての公務員を罷免する道が全く閉ざされておる。教授会の自覚があれば別でございますけれども、どろぼう仲間がどろぼうの有罪を結論づけるということはきわめてむずかしいことで、教授の方々を、教授会をどろぼう仲間にたとえることについては、  いささか私も適切なことばとは思いませんけれども、そういう比喩も考えられる程度の現在の教授会の実態であります。そういうことを考えました場合に、やはり教特法の改正ということは真剣にお考えになっていいのではないか。私たちも、憲法の学問の自由、大学の自治を否定する立場からではございませんけれども国民固有の権利としての憲法十五条の精神は、国民全体の奉仕者としての立場を誤るような教授たちを罷免することも許されないということから見ますと、どうしても憲法精神に背馳すると考えるので、あえて、大臣としては、教特法の改正は全く考えないという先ほどの御答弁はお変えになる意思はないのかどうか。  さらに申し上げますと、最近の新聞の報ずるところによりましても、他の教授の労作をそのまま自分の労作のごとくして発表された教授、あるいは早稲田大学と慶応大学をかけ持ちされる教授が、同じ時間帯に両方の大学の講義を受け持っておられる。全く社会通念としては、市民社会では通用しない道徳が支配しているような社会、これは全部の教授たちがそうだという意味では決してございません。識見も人格もりっぱな先生方がたくさんおられることは確かでございますけれども、どう考えても欠陥教授、異常教授がおられることも、残念ながら事実であります。そういう教授に対しても一切国民立場からして批判ができないのか。あるいは国立大学の教授で入学試験の事務を拒否された教授、拒否することを他の教授に扇動される教授、こういう教授に対しても何らの、納税者としてのあるいは主権者としての国民に罷免の道がないのか、異議を申し立てる道はないのか、私は疑問に感ずるわけでございますけれども、重ねて大臣の見解を聞きます。
  85. 坂田道太

    坂田国務大臣 私は、ただいまそういう気持ちはないということを申し上げたわけでございますが、やはり大学の管理運営あるいはあるべき姿の大学というものを基本的に考え直すその事態におきましては、そういう問題を含めて検討しなければならない課題であるとは考えておるわけでございます。また同時に、いろいろ指摘をされておりまするように、教官の任用あるいは再審査機関の必要があるのではないか、あるいは東京工業大学においてもみずからそういうような改革案を発表いたしておりまするが、そのような形においてもう少し、国立大学と私立大学あるいは民間の研究所との間に人事交流の道が開けるというようなことも期待できるわけでございまして、任用してから十年間くらいを一つの期間とし、その際もう一ぺん再審査の機関を設けてやる、あるいはいま御指摘のいろいろの問題が起こった場合においては、その審査機関がこれをチェックするという道を開くということは、十分考えられるべき課題であるというふうに考えております。
  86. 岡沢完治

    ○岡沢委員 いま東京工業大学の改革案の御提示がございましたし、この委員会においても何回か大臣自身高く評価されました。私は東京工業大学が、先ほど申し上げましたような新楽教授の不幸な事態がございましたけれども大学自体として大学の諸改革を企画するにあたって、まず第一になすべきことは教官自身の自己規制である、こういう改正こそわれわれが最も待望する正しいあり方ではないか、そういう意味からも高く評価すべきだし、大臣としてもそういう方向で諸大学が立ち上がるように指導、助言をしていただきたいということを付言いたします。  次に、九州大学井上正治教授の国に対する提訴の問題と関連して、大学の自治について、学問の自由についての大臣の所見を聞きたいと思います。  去る七日に、御承知のとおり井上教授は、国を相手どって文部大臣に対し、学長事務取り扱いを発令されなかったことについて、名誉回復の訴えをなさいました。大臣として、井上教授に対して名誉を棄損したというようなお考えがあるのかどうか、あるいはこの井上教授の提訴について、大臣としての所見を伺います。
  87. 坂田道太

    坂田国務大臣 このことにつきましては、昨日も私ここで申し上げましたわけでございますが、むしろ、一般的に、最近テレビとかラジオとかあるいは週刊雑誌とかというようなものが非常にたくさん出ております。そういう形において、そういう週刊誌やあるいはテレビの片言隻句を取り上げて、そうしてそれによってその人の考え方あるいは言動というものを批判するということは、少なくとも私の直属のいわば任命権者でありまする教授たる者がそういう場合にあった場合においては慎むべきである。むしろ教特法におけるところの手厚い身分保障がされておる、こういう意味合いのものは、むしろその人の名誉を重んじ、また、その人の身分上手厚く保護されておるということを考えて、私はあえて真意を聞きたい。いろいろ週刊雑誌には真意を述べておる、新聞にはいろいろ真意を述べておるとはおっしゃいますけれども、私自身井上さんから何らその真意を聞いておらない。そういうようなことでもって九州大学の事務取り扱いというような大事な仕事というものの最終的な決定を評議会がきめたからといって、直ちにめくら判を押すわけにはいかぬというのが私の考え方でありますし、むしろ真意を聞くのは当然なことである。それは国民に対する私の責任である。なぜならば、国会において民社党の方々からも自民党の方々からも社会党の方々からも、この問題について非常に鋭い御質問がございました。つまり、ああいうような人を一体そういう大事な学長代理をやらなければならないような、管理運営の衝に当たらなければならない人に任命していいのかどうなのかという批判があるわけであります。国民の側においてそういうような不安があり、憂慮があり、心配があるということそれ自体に対して、私は何らかの答えをする責任があると思ったわけでございます。したがいまして、本人かあるいは本人が機関を通じて、その任命権者である私に対して、実はこうこう、かくかくかようでありましたということを申されるということは当然なことであるし、国家公務員としても、教授としても、国会で問題となっているのですから、むしろ言わないのがどうかしておるというのでございまして、そういう真意を求めておるということ。井上教授自身の学説あるいは思想あるいは宗教、そういうようなものをわれわれがあばき立てようとかなんとかということは毛頭考えておらないわけでございまして、したがいまして、井上正治教授のいわば憲法保障しておりまする学問の自由というものは、私はむしろ守ろうという気持ちからそういう発言をいたしておるわけでございます。むしろ、井上教授の名誉を守るためにこそ私はその照会をいたしたわけでございます。
  88. 岡沢完治

    ○岡沢委員 いまの大臣の御答弁、それなりの見解として聞いておきますけれども、私はかっても当委員会で取り上げましたが、学問の自由、大学の自治と、混同してまた並列的に語られておりますけれども大学の自治があるのは学問の自由のためだ、学者にとって学問D自由は、それこそ憲法上の保障として最大限の保護を受けるのは当然でありますけれども、しかし、国立大学の場合は、管理者として、国家公務員としての職責、地位があることも明らかであります。ことに九州大学の場合は、国有財産二百二十一億八千三百万円、昭和四十二年度で予算額は九十三億九千七百四十五万円、九州大学教職員の数は四千六百八十三人、学生の数が院生も合わせますと九千六百八十七名と、これだけの人、物を管理する立場に立つ学長事務取り扱いという場合には、学問の自由あるいは研究の自由とは別に、管理者としての適格性というものは当然私は学長を任命する任命権者として、文部大臣としては御検討になってしかるべきではないかという感じがするわけです。一般論として私はお尋ねするわけですけれども大臣がお答えになりましたように、イデオロギーによって左右すべきではないと思いますけれども、管理者の適格性、不適格性によって学長に対する任免についていわゆる拒否権は行使していいとお考えになりますか。行使すべきでないというお考えか、いわゆる大学の学長の任免権について、文部大臣の拒否権の限界等に対する大臣の率直な御見解を聞きます。
  89. 坂田道太

    坂田国務大臣 私、衆議院、参議院のたびたびの委員会におきましても、予算委員会におきましても繰り返し述べておりまするように、はなはだ不適当であるということが客観的に明瞭に認められた場合に限りましては、任命しないこともあり得るという見解を、この十年来われわれ政府はとってきておるわけでございまして、やはり国家公務員としての管理者でありますと同時に教授であるということにかんがみまして、そういうような手厚い身分保障がなされておると思うわけでございます。
  90. 岡沢完治

    ○岡沢委員 私は、教授の学問、研究の自由と、管理者の適格性とは区別して解釈すべきではないかという点をお尋ねしておるわけでありますが、それに対するお答えをいただきたい。
  91. 坂田道太

    坂田国務大臣 理屈の上では二つに分けて考えられると思いますが、実際の運用から考えるならば、やはり一緒に考えざるを得ないというふうに思います。
  92. 岡沢完治

    ○岡沢委員 昨日官房長は、学長事務取り扱いと学長の場合に、教特法の適用について差異があるという御答弁がございました。私は必ずしもそれは間違いだとは思っておりません。ただし、学長事務取り扱いというのが、現実に国立大学の場合七十五校中二十二校現に学長事務取り扱いなり学長の代行をしておられるという姿を見た場合に、また、学長事務取り扱いの仕事の中身を考えました場合に、やはりそういう教特法の適用については、法文上の解釈だけではなしに、扱いとしては学長の任免と同じような配慮大臣としてはなさるべきだと思うわけでございますけれども、これについて大臣の御見解を聞きます。局長でもけっこうです。
  93. 村山松雄

    ○村山(松)政府委員 学長事務取り扱いの発令に関する教育公務員特例法の適用関係でございますが、形式的に申しますと、学長事務取り扱いというのは職ではない。職務命令である。教育公務員特例法は学長、部局長等の教員の人事に関して規定がなされておりますから、職でないところの学長事務取り扱いの任用行為につきましてはこれが適用がない。しかし、実際の扱いは大学の申し出に基づいてやっておるのが例でございまして、そういう意味合いにおきましては、教育公務員特例法第十条で大学の申し出に基づいて任用するということと実質的にはやや似た扱いをしておったということを前回御説明したわけでありまして、その点につきましては現在でも変わっておりません。
  94. 岡沢完治

    ○岡沢委員 時間の関係で次に進ましていただきまして、私は、ここで文部省あるいは文部大臣大学との関係につきまして、私の所見も述べて御批判というか御意見を聞きたいと思います。  今度のいわゆる大学運営に関する臨時措置法律案につきましても、東京大学をはじめ国立大学の多数が反対、あるいは当委員会におきましてもたびたび指摘されましたように学術会議も法案撤回の申し入れをされる。わが国の最も尊敬される立場におられる湯川博士、朝永博士のようなノーベル賞学者がこぞって反対声明を発表される。私は非常に不幸なあるいは残念な事態だと思うのです。学園紛争の一つの原因が学生と教授たちとの断絶、不信関係にあるということが指摘されると思いますけれども、同じように、文部当局であります文部大臣あるいは文部省と国立大学との断絶、不信感、これではせっかく法案が通りましてもその実効性は期待できない。私は、法案自体がはたして大学紛争の解決にどれだけの効果を持つかは疑問とするものでありますけれども、かりに大臣のおっしゃるように解決の第一歩であるといたしましても、それを実行するのはやはり大学当局であります。その大学当局がほとんどこぞって反対の姿勢を示しておるということでは、さらにその効果の期待はきわめて薄くなるというふうに感ずるわけであります。ことにまた、この大学立法関係だけではなしに、次官通達が出ればこぞって国立大学は反対の声明をされる。中教審の答申が出れば反対。私は、どうも文部省教育の当事者、あるいは学術会議については昨日も批判的な御意見がございましたけれども、一応日本の学界を代表する人々の集まりである学術会議文部省が常に対立関係にある。きわめて不幸な事態であるし、これでは逆に考えますと大学紛争が起こってあたりまえだという見方もできるわけであります。こういう点について大臣としてどういうふうにお考えになりますか。「週刊朝日」の四月十一日号を読みますと、大臣は、政府大学の学長、文部大臣大学の学長は親子関係だ、敵対関係ではないという御趣旨の御発言がございます。そういう意味も含めて大臣の忌憚のない御意見を承りたいと思います。
  95. 坂田道太

    坂田国務大臣 私は、率直に申し上げまして、文部省大学というものは信頼のきずなによって結ばれて、そして大学の行政に当たらなければならない。あるいは特に今日の大学紛争に当たらなければならない。また、文部当局と大学側とが一緒になってでなければ、今日のこの根の深い大学の改革も、そしてまた紛争解決もできないというふうな信念を持っておるわけでございます。たとえお互い意見の相違はあっても、その意見については堂々と主張しようじゃないか。しかし、お互いの信頼関係というもののきずなは断ち切ることはやめようじゃないか。それをやったならば、もはやわれわれは学生に向かってその信頼関係を——学生と教官との間の信頼関係あるいは文部省と学生との信頼関係というものを回復する呼びかけすら私はできないと思う。私はそういう信念をいま持っておるわけでございます。東大の入学中止というようなこの不幸な事態に立ち至りましたときにも、加藤学長と常に言いかわしましたことは、そのことであったわけでございます。お互い大学を代表される方、また文部省として国民に対して責任を持っております私といたしまして、言うべきことは言う。しかし、お互いのその信頼関係だけは、人間的な信頼関係だけは、きずなは続けようじゃないかという気持ちで東大の紛争解決に当たってきたのでございます。また、今後もそういう気持ちで臨みたいと思っております。また、国立大学の七十五の大学の方々とも数回、学長会議でお会いをいたしました。あるいはまた、この幹部の方々とも数回お会いいたしまして、常に私はそういうことを申しておりますし、学長さう方もそういうことに対しましては私たちと同じような気持ちを持っておるわけでございます。  その意味合いにおきまして、確かに大学の当事者とされまして反対をされておるということは事実でございます。承知をいたしております。しかしながら、たとえば中教審の問題にいたしましても、このNHKのアンケートによりますると八三%の学長が賛成をしておられる。もちろん、紛争校と非紛争校とでは若干違うようでございます。紛争校の場合におきましては少し支持率が低いようでございますけれども、そういうようなこと。それからまたこれは朝日新聞の六月の二十日だったと思いますけれども大学立法是か非かということに対しまして、反対というのは四二・四%、賛成またはやむを得ずというものの合計は四〇%にものぼっておるわけでございまして、この声明というようなものだけでもってはなかなか判断ができないんじゃないか。むしろ、これくらいのことはやらなければいけないんだということを考えておられる学長もあるやに聞いております。この前開きました国立大学の学長会議の際におきましても、そういうことを述べられた方があったということを聞いておるわけでございまして、私は、今日のこの紛争の状況というものを黙って見ておるというわけにはまいりませんし、また同時に、これに対して大学もそれぞれ何らかの対策はお持ちと思いますけれども、それでは何ら必要最小限度の立法をしないままで、大学の自主解決にまかせておってこの紛争がどうなるか考えてみた場合には、すなおにこの半年の間に授業が全部再開をされ、秩序が回復をされ、あるいは来年の入学試験がぴしっと行なわれるという保証は私はどうしても考えられないのでございまして、むしろエスカレートしていくんじゃなかろうかというふうに思うのでございます。その際、半年後になっていざ何か手だてはないかといったときに、何にもなかったならばさらにさらにエスカレートしていく、さらにさらに授業ができない学生、入学試験ができない学生というものがたくさん出てきはしないかということを私は心配をいたしておるわけでございまして、必要最小限度のこのくらいの立法ということを御承認をいただくことによって、もう血みどろになって七条以下のいわゆる大学当局の自主的解決の努力をわれわれは助けたい。そうすることによってこの解決への道を開きたいということを念願をいたしておる次第でございます。
  96. 岡沢完治

    ○岡沢委員 私も、大学が自分の責任を果たさない、ことに管理能力、自治能力等において欠けるところがあったと言わざるを得ないという状態で、ただ学問の自由、大学の自治を守るために立法反対というだけの姿勢については納得できない一人ではありますけれども、しかし湯川博士、朝永博士をはじめとして、日本の碩学といわれる方、最も国民影響力の大きい学者の方々をはじめとして、国立大学がほとんどこぞって反対に回るということにつきましては、国民から見て、文部大臣文部省政府は、大学の自治への干渉でもない、学問の自由を侵すものでないと言いながら、反対者の方々は、学問の自由、大学の自治を守るために、いまの立法はそれを侵犯するんだというPRをしておられるわけであります。そういう点から、何としても政府考え方が正しければ、反対される湯川博士、朝永博士の考え方が間違いだということになるわけでございまして、そういう点についての国民の混乱を来たさないためにも、もう少し政府のこの立法についてのPRの必要性と申しますか、理解に対する努力というものが欠けるのではないか。どんな法案ができましても、それを動かすのは人であります。あるいは国民の世論的なバックがなければ不可能かと思います。そういう意味からも政府のPRについての努力不足ということを痛感するわけでございますけれども、これについての所見を簡単に述べていただきまして、次に進みたいと思います。
  97. 坂田道太

    坂田国務大臣 政府といたしまして本国会に提出いたしましたのはまだ日が浅うございまして、その後、私といたしましては相当馬力をかけてPRをいたしておるつもりでございます。また、この国会の審議を通じまして国民の理解を求めたい、かように考えておる次第でございます。  特に学者の先生が、その専門領域について、物理学その他おのおのの専門領域について世界的な学者である、世界にもないような学者であるということは私も承知をいたしておりますし、尊敬をいたしております。しかしながら、それだからといって大学の管理運営とかというような問題について非常に造詣が深いかどうかということは、また別な問題でございまして、むしろ主権在民の今日におきましては、あらゆるえらいと思われる人たちが素朴な国民の批判を受ける、またそのチェックということに耳を傾けるということが大事かと思うのでございます。いま国民に問われておるものは大学というところである。学生であり、教官である。この人たちに対してきびしい批判をしておると私は思うのでございまして、この素朴な国民の声というものは非常な正当性を持っておる。ただその渦中にあるところの大学先生たちが反対だからといって、その正当性というものを直ちに即断はできない、かように考えるわけでございます。
  98. 岡沢完治

    ○岡沢委員 時間がございませんので次に進みます。  自衛官の入学を大学が拒否した問題につきましては、すでに何回か話題にもなり、論議の対象にもなりました。ただ私は、本年四月十八日に東京法務局が正式に東京都立大学の自衛官入学拒否は憲法違反であるという勧告を出したわけであります。このはっきりした責任ある官庁の公式見解があったにかかわらず、その後なお都立大学の自衛官入学拒否の態度は改められたという報に接しておりません。地方教育行政の組織及び運営に関する法律によりますと、違法な地方教育機関の行為に対しては文部大臣は措置命令がなし得るわけであります。憲法を守るということは国務大臣にも国会議員にも課せられた憲法上の義務でもあるわけでございます。どうしてこの措置命令の規定を活用されないのか。私は、本日もたびたび申し上げましたように、お互いそれぞれの持ち分においてなすべきことをなすということが大学紛争の解決と結びつくわけなんで、文部大臣として、違憲であるということをはっきり法務局において言明されたこの事態を黙視される心境が私はわからない。やはり正すべきものを勇気をもって正していただくということがきわめて大臣に必要ないまの姿勢ではないか。大臣は、行動をもって学生に示すべきだということをおっしゃいました。行動をもって大臣憲法を守るのだということをはっきり示していただくということも、一自衛官の入学拒否問題以上の大きな価値があろうかと思うわけであります。  ここで私自身が思い出しますことは、故ケネディ大統領が、アラバマ州立大学の黒人学生の入学拒否に関連して、大統領としての職務命令を出して、知事の反対あるいは州兵の反対を越えて、一黒人学生を守るために連邦軍を出動させた。これはやはり勇気ある、また適時適切な行動というものであって、アメリカの民主主義憲法を守る姿勢であると思うのです。そういうことで、やはり具体的に行動をもってぜひ大臣としては示されるべき時期ではないか。われわれは、きょうは主として大学教授の方々の姿勢を批判いたしましたけれども、お互いが自分の職責をまず尽くすということが第一歩だと思うのであります。その自衛官の問題と関連いたしまして、その後の措置、大臣としてはこれを放任される気持ちなのか。これは都立大学だけの問題ではないだけに、私は、全自衛官に対して、あるいは国民に対して、憲法を守る立場からの姿勢をお伺いしたいと思います。
  99. 坂田道太

    坂田国務大臣 そのことにつきましては、直ちに私、通達を出しまして、憲法違反が今後絶対に起こらないように指導いたした次第でございます。
  100. 岡沢完治

    ○岡沢委員 時間がございませんので、昼食抜きでございますので、きょうヒューマニズムを問題にしながら、皆さんに人権侵害的なおしかりを受けることは、これは態度をもって示さないことになりますので、非常に心残りでございますが、ただここで締めくくり的に、大学紛争の功罪について、メリット、デメリット——私は必ずしも大学紛争がマイナス面ばかりとは思いません。大臣の所見を簡単に述べていただきたいと思います。
  101. 坂田道太

    坂田国務大臣 暴力学生の行動というものは断じて許すべきことではございませんし、また、大学の中からこういう不法なあるいは不当な状況というものを一日も早く排除しなければならないことは申すまでもないことだと思います。しかしながら、同時に、この若者たちのエネルギーというものは私どもは大切にしていくべきものである。昨日も申し上げましたように、ロケットは、そのエネルギーは非常に大きい、月を回ってくる力を持っておる。しかしながら、これにはちゃんと自動制御装置というものができておる。若者たちもこの制御装置、つまり自己コントロール、つまり理性の働き、意思の働き、そういうものを備えた学生になってほしいということを念願するものでございます。しかし、この紛争を通じまして、お互いわれわれも考えさせられることが非常に多かったのでございます。ただ、今度の大学紛争というものが、学生たちの暴力だけではなく、大学教官の受けとめ方にも問題があった、あるいは大一学の管理運営にも問題があった、あるいは研究、教育の組織にも問題があったというようなところ、あるいはわれわれおとなにもその責任の一端がやはりある。家庭にも、そしてまた小中高の先生方にも。あるいは高等学校の全人的教育というものが見失われておる、入学試験にきゅうきゅうとするというようなこと、文部省にもそういうような指導、助言を十分果たし得なかったというような責任もございます。そういうようなことにつきまして、やはり私は、このとうとい、こういう不幸な事態というものを、災いというものを福となす力というものをお互い見出さなければならないのではないかと思うのでございまして、文部大臣といたしましては、先ほど御指摘のとおりに、各大学の学長、当面する七十五の国立大学の学長とともに、ひたすらこの秩序回復と、そしてまた教育の正常化、そして正しい意味における国民のための新しい大学を創造していかなければならない、かように決意をいたしておる次第でございます。
  102. 岡沢完治

    ○岡沢委員 大臣の御答弁が間違いとは思いません。しかし、実際考えてみますと、この学生紛争の被害というのは、勉強できない学生とか、研究が阻害されている教授というだけではなしに、納税者としての国民、あるいは警察官、あるいは父兄、一般市民、あるいは先ほど申し上げました裁判所、あるいは自衛隊、国鉄、地方公共団体と、物的あるいは精神的に、被害はほんとうにはかり知れないほど大きいと思います。しかし一方で、彼らが投げかけた問題というものがきっかけになって、大学改革、教育制度というものが真剣に考えられたという功績も大きいと思います。大臣がお答えになりましたように、災い転じて幸いにするというのがわれわれ政治家の責務でもあろうと思います。そういう意味から、ある意味では、大臣もお答えになりましたように、暴力学生こそ一つの制度的な犠牲者だという見方もできるわけでございまして、彼らの犠牲を無にしないように、われわれとしては建設的な論議を積み重ねて、国家百年の大計である教育制度を誤らずに打ち立てるという責務があろうかと思うわけであります。  私は、最後に、何回か申し上げましたことばではありますけれども、カリフォルニア大学のアーサー・ターナー教授が申された、教授があるのは教えるため、管理者があるのは管理のため、学生があるのは学ぶため、ということばを思い出し、そして私自身が国会議員に選ばれたのは審議を尽くすためだということを肝に銘じながら、与野党党派を越えて、よりよい大学問題の解決を目ざしてともにつとめたいということを披瀝いたしまして、質問を終わります。(拍手)
  103. 大坪保雄

    大坪委員長 午後二時四十分より再開することとし、暫時休憩いたします。    午後一時三十七分休憩      ————◇—————    午後四時十三分開議
  104. 大坪保雄

    大坪委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  この際、おはかりいたします。  先刻の理事の協議に基づき、大学運営に関する臨時措置法案について、明十一日午前十時より東京大学医学部教授中井準之助君を参考人として出席を求め、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  105. 大坪保雄

    大坪委員長 御異議なしと認め、さよう決しました。      ————◇—————
  106. 大坪保雄

    大坪委員長 大学運営に関する臨時措置法案について質疑を続行いたします。石田幸四郎君。
  107. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 質疑に入る前に、特に委員長にお願いをしたいのでございますが、昨日社会党の山中委員の発言によりまして、本法案に対し自民党から修正案の提出が予定されておるようだ、これに対して各党十分な発言を求めるという意味のお話がございましたけれども、私も公明党を代表いたしまして、もしこの修正案が本委員会提出されるのであれば公明党にも十二分の質疑の時間を与えていただきたいことをまず委員長にお願いをするわけでございますが、委員長のお答えを求めたいと思います。
  108. 大坪保雄

    大坪委員長 了承いたしました。
  109. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 それではこの大学問題に入るわけでございますが、まず最初に、文部大臣にいろいろ基本的な問題についてお伺いしたいと思います。  今日大学紛争が大きな社会問題に発展をいたしておりますが、この大学問題が今日の社会問題となったその一つの原因は、学生暴力によるいろいろな紛争である、こういうふうに認識をされている面もございます。さらにまた、こういった面がけではなくて、大学紛争それ自体がさまざまな今日の矛盾点を指摘している、こういうふうにいわれておる面もあるわけでございます。暴力問題はあとでまた十分大臣の所見等も承りたいと思いますが、私は、この大学紛争がやはり今日の社会の前進のためにいろいろな問題指摘をしていると、このように一面受け取っているわけでございます。それは大学教育制度それ自体のさまざまな矛盾点、こういう指摘でございますが、しかもその陰には、いわゆる今日の大学紛争が目ざしているところは、今日の社会全般に対する痛切ないろいろな批判をしている、このように受けとめていくべきではないか、こう思うわけでございます。  一つの例をあげますれば、今日の社会は、いわゆる産業社会に従属する人間、こういうような一面も追及されていると思うわけでございます。産業公害を例にとってみますれば、人間の健康を犠牲にしてまでも産業に奉仕しなければならない、こういうような公害基本法の態度、いわゆる人間回復の悲痛な叫びが、私はこの大学紛争の陰に明確に存在をする、このように思うわけでございます。こういう問題を取り上げてみますれば、あるいはほかに政治資金規正法の問題点、政治家が社会道徳を破っててんとして恥じない姿、こういうような社会道徳それ自体に対する一つの批判というものもあるのではなかろうか、いわゆる社会全体に人間性が没却されつつある、こういうものに対する一つの反抗である。こういう点も考えなければならないと私は思うわけであります。  さらにまた、大学それ自体にもさまざまな問題点がございます。私立大学の場合には、年々高騰を続けている授業料あるいは入学金の問題、あるいはまた五百人以上をこえる授業形態の問題、こういうような問題もはたして人間性を形成すべき大学の使命を十二分に果たしているかどうか、こういう問題に対する問題指摘もあると思うわけでございます。  あまり話が長くなってしまってはいけませんので、今日の大学紛争が暴力を伴っている点はまことにけしからない、こう私たちも思っておりますけれども、この大学紛争が今日の社会道徳、特に社会の指導層に対して痛切な批判を放っている、あるいはまた大学の現在の制度に対しての矛盾点も指摘している、こういうような問題を一体大臣はお認めになるのかどうか、こういった点からまずお話を伺ってみたいと思うわけです。
  110. 坂田道太

    坂田国務大臣 今日の大学紛争の大きい一つの原因が学生の暴力にあるということは、御指摘のとおりだと思います。しかし、そのよって来たるところの原因というものは複雑多岐である。私がかねがね申し上げますように、文明史的な意味における原因も考えられる。たとえば戦後二十五年後の科学技術の異常な発展、それに伴う産業構造の異常な変化、社会の変化、そういうものに対して大学というものが対応できなかったというところにも原因があるかと思います。また、その二十五年後の産業構造の異常な変化に対応いたしまして、学生の意識というものも非常に変わってきたということもその一つかと思います。あるいはまた、この学生自身が育ちました終戦後の環境の非常に悪いとき、あるいはその親が敗戦のショックを受けて、すべての価値体系がくずれてしまったような錯覚を持った。したがって自信を失った。それがしつけるべきこともしつけなかった。そういうようなことも反省さるべきことではないか。そうして生活水準の向上とともにかえって過保護になった。そして手とり足とりというようなことになった。自立的人間形成のできた者が大体大学に入る、大学先生方というものは、おとなになった学生というものを相手にして教育をし、研究をする場であると考えておった。ところが、現在あらわれておる学生というものは、からだは、その欲望はおとな並みになっているけれども、その精神というものは非常にアンバランスである。それにはまた、高等学校の教育が全人的教育を忘れて、入学試験のための教育になっておる。そういうようなことについては、やはり文部省にも責任があるというふうに思います。そういうふうに非常に複雑な要因というものが大学紛争あらわれておる、かように考えるわけでございます。
  111. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 そういたしますと、現在の大学紛争並びに学生諸君が指摘をしている今日のモラルの低下、そういうものについては明確にお認めになるわけでございますか。
  112. 坂田道太

    坂田国務大臣 少なくともある改革というものをやる場合に、暴力をもってするということは断じて許すべきことではない。人類の歴史というものを考える場合において、暴力というものを使わないで良識と良心によって新しい改革をやっていくということがわれわれの民主主義社会における鉄則であるとわれわれは考えるわけでございまして、少なくとも新憲法のもとに新しい発展を遂げておりまする日本の行き方としては、それに反することは断じて許すべきことではない、かように考えるわけでございます。
  113. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 私も、いま文部大臣が言われたことを否定する気持ちは全くないわけでございますが、しかし、学生諸君が大学紛争の中から要求している問題は、いわゆる産業社会の中に没却された人間性を追求するんだ、こういう一面もある。なぜかならば、これはいろいろな公害を見てもわかりますけれども、あの四日市の公害にいたしましても、産業の——まあ文部大臣ことばを借りますれば、現在の行政が産業社会に対してはかえって過保護になっている。しかし、人間の健康あるいは生命尊重、そういうような立場においては多分に犠牲をしいられておる、私はこういうような問題指摘があると思うわけです。あるいはまた、今日の大学におきましても、これはあとでまた問題になりますが、私大のあのような五百人以上の授業が行なわれている姿を見ましても、そこに人間形成をはかるべき大学の使命というものはなくなっている。そこにもやはり人間性の没却がある。そういう問題指摘を今日の学生運動あるいは大学紛争というものはしていると思うのです。あるいはまた、今日の政界に対する不信というものは、一般的にもいわれておりますけれども、特に純真な学生諸君のその心理の中には、今日の政界指導者に対する大きな不信感というものも私は明確に存在をしていると思うのでございますが、こういった問題指摘を大臣はお認めになるのかどうか、これを私は伺っておるわけでございます。
  114. 坂田道太

    坂田国務大臣 今日一番大きい問題になっておりまする公害の問題あるいは都市集中、そういうことによる人間疎外、これは何も学生だけに限らず、一般おとなについてもいえることだというふうに考えるわけでございます。そういうことを含めまして、先ほど私が申し上げましたように、戦後二十余年のこの産業構造あるいは社会の変革、革新というものは、人類がこれまで経験いたしました中において最も短時間における急激な変化である。人間は元来変化に対して対応する力、対応力を持っております。しかし、それは二百年あるいは五百年の歳月を経て順応していくものであると思います。しかるに、この二十余年の発達というものはなかなか人間がついていけないような変わり方をしてきている。そういうことは確かにいえることでございまして、午前中の質問にも答えましたように、たとえば京都大学においても、年年入ってまいります入学者のうちで、大体一二%から一三%が何らかの精神障害を受けておるというデータが出ておるわけであります。これは単に京都大学だけじゃない、東大もしかり、あるいは世界の、コロンビア大学とか、ハーバード大学とかあるいはカルフォルニアのバークレー大学とか、そういうようなところにもあらわれておる現象でございまして、こういう点については、むしろ文明病ともいわれるべき問題ではないかというふうに私は考えるわけでございます。そういう多感な若い青年たちが特に精神障害を受けるということは、これは私はやはりある程度事実であるし、そういう可能性がある。そういうような人間疎外というものをどういう形において人間性を取り戻し、人間を回復していくかというようなことから考えまして、御指摘のとおりに大学の環境等についても十分な教育条件の整備をはかっていくということが当然なことだと考えておるわけでございまして、この点について国公私立、特に私立大学等についてはマスプロ教育が行なわれて、教官と学生との接触の度合いというものが非常に少ないような状況になっておる。ところが、教育条件がむしろ私立よりもいい国立大学七十五校のうちで、四〇%に及ぶ三十校が紛争を続けておる。私立大学教育条件が国立よりももう少し悪いところで、二百七十のうちで九校というものが紛争を続けておる。これは一体原因が那辺にあるのかということも考えなければならないというふうに思います。多感な青年たちが常に既成秩序あるいは既成の価値に対して批判を持つということは、何もいま始まったことではございません。人類始まって以来のことでございまして、どこの国でも、いかなる時代でもあることだというふうに思います。しかし、今日日本で行なわれておるようなこういう激しい形であらわれたということは、世界に類例のないことじゃないだろうかと私は考えるわけでございます。
  115. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 今日の学生紛争のよってきたるところは社会環境にある、このような仰せでございますが、議論がかみ合いませんので多くは申し上げませんけれども、しかし、そういう社会をつくってしまったのは、これはわれわれおとなの責任である。なかんずく政治家の責任であろうか、私はこのように思っているわけであります。いずれにいたしましても、これからの発展する科学、いわゆる科学技術の進展によって、社会それ自体も大きな変革を遂げていかなければならない、そういう時代に入っていると思うわけでございます。いわゆる宇宙開発の問題、あるいは原子力の問題、あるいはまた海洋開発等の問題にいたしましても、私はいわゆるビッグサイエンスの時代に入って、そういった環境に人間が振り回されてはならぬのだ、このように思います。したがって、私はそういう社会の中において、今後その社会と人間性の関係、いわゆる人間がリーダーシップをとっていかなければならない、そういう時代を形成していかなければならない、少なくとも私たちはそういう方向に向かって努力しなければならない、このように考えているわけでございます。そういう意味におきまして、この大学というのは、いままでの社会文明に対して大きな貢献を果たしてまいりました。文明即大学と言っても過言でないくらいの重要な役割りを果たしてきたわけでございますから、今後この大学教育におきまして、いわゆる人間性を追求する、この発展していく社会に人間はいかに生きていくべきか、こういう問題を大いに探求していかなければならない、このように考えているわけでございます。そういう意味におきまして、この歴史的な転換期の文部行政、こういった高等教育行政を指導する文部大臣としていかなる信念をお持ちになってこれに対処なさるか、特に大学教育の基本においては、最重要点におきましては何を追求すべき問題点としてやっていくべきか、どのようなお考えがあるかお伺いをしておきたいわけであります。
  116. 坂田道太

    坂田国務大臣 いま石田さんが御指摘になりましたことは、まことに重大なことであると私は思うのです。今日物質文明があまりにも豊かになり過ぎて、その結果として、ともいたしますと精神文明がないがしろにされてきておる。ここに問題点があると思うのでございまして、私はやはり機械文明の中における人間性の回復ということが小学校から大学までにおける教育の主眼でなければならないと思います。人間性の回復ということを目標にいたしたいと考えておるわけでございます。  終戦直後、廃墟の中に立ちました日本が、とにかく食うか食われるかという状況で惨たんたる生活を営んだわけでございますけれども、しかしながら、とにかくそのときは生活を向上するということに集中をいたしました。また、生産をあげるということに一生懸命でございました。しかし、その結果は、ともいたしまするとマテリアリズムというようなものが唯一の人生の価値あるものであるというような考え方を普及させてしまった。その責任をお問いになるならば、私は、その責任の一端はやはりわれわれ政治家が負うべきであるというふうに率直に思います。しかしながら、ここまで参りますと、物質文明だけでは人間は幸福になれない。私はむしろ、単に外部的な豊かさということだけでなくて、心の、精神の豊かさ、あたたかさ、内面性の充実ということに目を向ける時代が訪れておるというふうに思うのでございまして、そういう意味合いにおいて、私は石田さんのいまの御指摘こそ、われわれが今後期待する全教育機関における目標としなければならない事柄ではないかと考える次第でございます。
  117. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 それでは具体的な問題に入りたいと思いますので、先ほど来大臣もおっしゃっておりました学生の暴力問題について話を進めてまいりたいと思います。  最初に、警察庁の川島局長にお伺いするわけでありますが、総理大臣はしばしば現在の学生暴力、いわゆる暴力は現行法で十分対処し得る、このようなことをおっしゃっておりますが、警察庁当局におきましては、こういった総理大臣あるいは国家公安委員長のお考えと同じ立場に立たれていると思うのでありますが、念のためにお伺いしておきます。
  118. 川島広守

    ○川島(広)政府委員 お答え申し上げます。  午前中大臣からもお答えいたしたわけでございますけれども、現在警察の基本的な考え方といたしましては、少なくとも学園内におきます暴力事案のようなものにつきましては、大学当局自身が学園の正常なる秩序を守るという確固たる決意と態度でお臨みになるということでありますれば、われわれ警察といたしましては現行法で十全なる責務の遂行に当たりたい、また当たり得ると確信いたしておる次第でございます。
  119. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 それでは、具体的な問題をお伺いします。  きょうの新聞報道によりますれば、昨日北海道大学におきまして、いわゆる評議会が開催されて学生紛争のいろいろな問題点に対する対策を協議しておった。これは午後三時から札幌のホテル神宮閣で極秘に会議が開かれておったということであります。この秘密評議会を知った北大の反戦闘争委員会、いわゆる革マル派の学生約二十人が会議場になだれ込み、堀内学長に、なぜこんなところで秘密評議会を開いているのか、学長は団交に応じろ、こういうようなことを要求して、七時近くにこのホテルの会議室から堀内学長を無理やりに連れ出し、タクシーに押し込め、そうして団交の会場に拉致した、このようなことが報道されております。そしてラジオの報道によりますれば、この軟禁中に学生の許可によって記者会見が行なわれたそうであります。その記者会見のときに、学長は、こういう状態では団交に応じられない、このように答弁をしておるのでありますが、いずれにしてもこの北大の堀内学長は、拉致されることにはかなり抵抗しておるわけであります。たとえばタクシーの前に水野教授らが寝ころぶなどして制止しようとした。こういうような事件が起こっております。そしてラジオの報道によりますれば、数時間後に釈放したといっています。学生が釈放したなんというのはまことに穏やかならざることばであると思いますが、総理大臣の言によれば、おそらくこれは暴力行為に相当するはずであります。こういう問題は現行法によって厳重に対処する、またできるということでございますけれども、この点、警察はこういう問題に対して全然関与しなかったのかどうか、その点についてお伺いしたいと思う。もし関与しないとすれば、総理大臣の言うことはうそですよ。明確な御答弁を願いたい。
  120. 川島広守

    ○川島(広)政府委員 お答えいたします。  ただいまお尋ねございました昨日の北大堀内学長の事件でございますが、いまお尋ねの中にもございましたように、おおむねの筋道はお話しのとおりでございます。これにつきまして現地で目下捜査をいたしておりますが、あらましについてお答えを申し上げたいと存じます。  現在北大では、六月の二十八日教養部、それから七月の四日に大学の本部がバリケード封鎖をされておるわけでございまして、そのために、いまお話にもございましたように、学長はじめ評議会といたしましては、学外において極秘裏に今日までたびたび評議会を開催されてきたような経緯のようでございます。昨日の評議会につきましても、事前に問題の起こることもおもんばかりまして、学校当局からも一応の連絡は受けております。ただし、事柄がきわめて極秘裏に進めたいという学校側の御意向でもございますので、警察といたしましては、警備その他の措置が外面的にわかるというような状態では好ましくないという御要請もあり、したがって、当のホテル神宮閣につきましては、当日私服員二名をもって一応の情報収集ないしは警戒の措置をとっておったわけでございますが、午後の四時過ぎに学生ら三十名が一たんホテルに参ったのでございますけれども、支配人の側で、そのような会議は開かれておらないということを学生に告げましたところ、学生らは一たん退去いたしたわけでございますが、その後付近に学生が張り込んでおったらしくございまして、大学の評議員の一人の方が中に入るのを確認した。それにつれて中に入ってまいったようでございます。結局、お話しのとおりに、大学当局側は、特に学長は、ホテルという場所柄、ここで大衆団交のようなものを開くことはたいへんホテル側に迷惑に相なりますので、場所を移そうというお話もあったようでございます。いずれにいたしましても、当ホテルの裏口から、お話にもございましたように、学長は一応学生の言い分をいれられて、タクシーに乗って、北大内の中講堂に場所を移されたというような経緯のようでございます。  そこでわれわれといたしましては、昨夜、特に午後の六時過ぎに一応制服部隊約六百名程度を付近まで前進待機させたのでございますが、学長が一応学生の包囲から解かれて自宅に帰られました直後、学長の御意向で署長みずからおたずねをしたのでございますが、昨夜はたいへんお疲れで、興奮の状態でございまして、きょうの午後にお会いするという御返事をいただきました。  先ほど所轄の札幌署長が学長にお会いいたしまして、きのうの模様等について詳細様子を聞いてまいりました。その結果、いま報告を受けたのでございますが、それによりますと、学長は、このようなことは本年の五月にも一回あったわけでございますけれども、いま直ちに警察側に必要なる捜査その他の所要の措置をとっていただくつもりは全くないという御意見でございます。しかしながら、お話ございましたように、事柄は不法監禁罪であり、あるいはまた暴力行為処罪に関する法律違反の容疑のようでございますので、引き続いて捜査をしてまいりたい、こういうような方針でございます。
  121. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 引き続きこの問題について捜査をするというお話でございますけれども、私が申し上げているのは、明らかにこれは現行犯じゃないですか。この事件を見ますれば、少なくともそこに私服の方がお見えになっておるわけでございますから、問題が起きたのは午後三時でございましょう、そして釈放されたのは九時四十分です。約六時間四十分にわたってこの問題は起こっているわけです。そういう状態にあって、当然私服の刑事の人から、これこれこういう事件が起こっているということは本署にも連絡があったでありましょうし、そういうような人を拉致するような事件が現場で起こっておっても、警察は何らの手出しができないわけですか。お答え願いたい。
  122. 川島広守

    ○川島(広)政府委員 御案内のとおりに、犯罪の罪名といたしましては不法監禁罪という容疑が最も濃かろうと存じます。この場合には、御承知のとおりに御本人が不法に自由を拘束されておるという、そういうような事態の意思表示がございませんことには犯罪にならないわけでございます。したがって、昨日も電話ではございますけれども、事務局長を通じまして一応監禁されておると思われる学長の御意向を尋ねたのでございますけれども、七時三十分現在では、そのような考えはないという御返事でございました。なお、いまお尋ねのございましたように、タクシーに乗せられるときに、いわゆる暴力行為処罰に関する法律違反の容疑があるではないかということでございます。確かにその当時の模様等については現場で警察官が詳しく現認いたしておりません。おりませんので、先ほど申しましたように、今後関係者からよくその当時の事情を聞きまして、そのような意味合いで捜査を続けてまいりたい、かように考えておる次第でございます。
  123. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 なかなか議論がかみ合いませんけれども、しかし私は、警察というものは起こった事件を捜査するだけが警察の役目ではないと思うのです。たとえば交通事故にしたって、起こった現場をつかまえて処理しておるじゃないですか。少なくともタクシーに乗せられて何十人かに学長が拉致されるなんという事件は、それは不法監禁——不法監禁というのは大学に監禁された状態の中をいうのでしょう。こういう問題については全然対処する法律はないわけですか。もしないとするならば、現行法では対処できないということになるじゃないですか。この点はどうなんですか。
  124. 川島広守

    ○川島(広)政府委員 先ほどもお答えいたしましたように、この事件の経過を振り返ってみますと、いまお話にもございましたように、タクシーに無理やりに本人の意に反して乗せたというような事案、これにつきましては、いま申しましたように暴力行為処罰に関する法律違反容疑が私はあると存じます。現場にそれ相当の警察官を配置しておきましたならば、お尋ねのように現行犯で逮捕したものと考えます。  さらにまた不法監禁の問題でございますが、これは先ほどお答えいたしましたように、その監禁されておる御本人が不法に自由を侵されたという意思表示がございませんことには犯罪が成立しないわけでございます。しかしながら、先ほどから繰り返し申し上げておりますように、事案が事案でございますだけに、今後警察としましてはできるだけ多数の関係者の御意見を聴取し、事情をお聞かせ願った上で捜査をやってまいりたい、かように考えるわけでございます。  さらに一般的な問題としてお尋ねもあったようでございますが、あくまでもいま申しましたように、警察の責務といたしましては犯罪の予防、犯罪が起こってしまった後ではなくして起こらないことが望ましいわけでございます。そのような意味合いで、場所柄あるいは時間帯、その他周囲の環境、そういうことを考えまして、あとう限りいまお話がございましたような事前の防犯措置ということに十全なる力を注いでまいりたい、かように考えておる次第でございます。
  125. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 この問題ばかりやっているわけにいきませんので、なお不満もありますけれども先に進めてまいります。  本会議において文部大臣は、紛争大学においては暴力によって授業、研究が行なわれていない。むしろ、暴力によって学問の自由が侵害されているのだ、だから立法措置が必要なんだ。このように言われておるわけでございます。これについてさらに本委員会の西岡さんの質問に対しまして、文部大臣は、大学が暴力を安易に許したところに大学紛争の問題点がある。暴力に対して大学はき然たる態度をとってもらいたい、学生処分をびしびしやってもらいたい。現行法でも処分できるが、やれば紛争となる。これが大学をためらわしている。断固たる処分をやれるようにしてやることが大切なので、このためにこの立法で学長の権限を集中できるようにしてあるのだ、こういう御答弁があったわけでございますが、しかし私は、学長の権限を強化してみても学生処分が適確に行なわれるかどうかというのは非常にむずかしいと思うのです。いま言ったような事件にいたしましても、一体だれが三十人の名前を一々——当事者が覚えていればいいですけれども、こういう問題については非常にむずかしいわけですよ。ほんとうに学長に権限を集中すればこういった学生処分がびしびしできるとお考えになっているのかどうか、これについては大臣いかがお考えでございますか。
  126. 坂田道太

    坂田国務大臣 私が申し上げましたのは比較的な問題であって、権限を集中してリーダーシップをとれるような状況は、処分というようなことも考えることができるような状況になっていく一つのプロセスであるというふうに考えるわけでございます。全然学長がリーダーシップがあるのやらないのやら、どうしていいのやらわからないような状況では、収拾しようと思っても収拾の方向が全然ないわけでございますから、これはどうにもしようがないということでございます。ここまで紛争がエスカレートいたしますならば、全学的意思をどうやって形成するかというようなことについて、評議会あるいは教授会というものがございましょうけれども、その場合は学長を中心として若干の人たちに臨時執行部というようなものをつくっていただいて、権限の一部を委譲するというようなことが、教官の多くの方から発意が出てきて、少数精鋭の人たちにおまかせをして、そのとられた措置に対しては、多少自分たちに異論があってもついていく、こういうような態勢なくしてはとうてい大学の紛争を解決することはできないのじゃないかというふうに思われるわけでございます。そういうような方法をおとりになったらいかがかというのが六条以下の各条項において示されておるわけであります。現に東京大学においては、加藤代行が代行を引き受ける前提といたしまして、そういう権限の集中を私に与えていただくかどうか、もし与えていただかなければ私は代行にはなりませんと言って、いや、それならばひとつ引き受けてください、そのかわり権限の一部は委譲するという一つの約束のもとに代行を引き受けられたと聞いております。しかし、加藤代行が現にいろいろの改革を進めていかれた場合においては、形式的ではあったけれども、現にあるところの評議会や教授会に一応かけて、そうしてそういう協力の態勢のもとに解決の具体策を示され、また引っぱっていかれた。したがいまして、現在文学部ですらも何とか授業再開というほのかな希望が見出されているような状況になり、もう九学部は授業を再開しておるというような状況にまで立ち至った。しかも一方におきましては、新しい東大像に対する幾つかの提案と申しますか、これはまだ準備委員会でございますけれども、たたき台として発表しておるわけでございまして、一方にはビジョンをかかえつつ、一方には具体的権限集中に基づくところの処置を迅速果敢にやってこられたというところに紛争解決への気持ちが動いてきたというふうに思うわけでございまして、この法案におきましてはそういうようなことを考えているわけでございます。そういう場合、さらに進んでいくならば、こういうような大学再建ということに一生懸命やっておる、にもかかわらずなおかつ暴力というものをあえてするという場合については、断固として処分するというようなことを全教官が一致してこれを支持するというようなことでございましたならば、私は処分を、しかも学校できめられたところの規則に基づいてやり得るものだというふうに考えておるわけでございます。その意味合いにおいて一歩前進、総体的には懲戒処分ができるような状況を生み出すものである、こう申し上げた次第であります。
  127. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 いろいろな問題点がその御答弁の中にも出てきているわけでございますが、いまは学生の暴力あるいは処分の問題について論議をしているわけでございますから、これに焦点をしぼります。  それでは、学生が一般司法上の刑罰を受けた場合大学も処分をしなければならない、こういうような修正案の内容のような気もするのですけれども、こういうような一般刑法上の問題点と大学処分というものが一致しなければならないという議論について、大臣はこれをどうお考えになるか、いいとお考えになるか、あるいは悪いとお考えになるか、その点を明らかにしていただきたいと思います。
  128. 坂田道太

    坂田国務大臣 これは各大学において判断すると思います。
  129. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 私も当然そうあろうかと思うのでございますが、念のために少し刑法上の問題点を申し上げてみたいと思うわけでございます。  いわゆる刑罰の目的に対する論議というものは非常に盛んにいわれております。その中心は言うまでもなく応報刑論あるいは目的刑論というものがありまして、どちらに比重をかけるかは非常に議論の多いところでございます。私はここに現在法政大学の吉川教授の「刑法総論」を持ってきているわけでございますが、いずれにしましても「国家が応報としての刑罰を科することによって達成しようとする窮極の目的は、国民全般ならびに犯人に犯罪の反価値性を認識させることによって、犯罪を予防し、支配的な社会秩序を維持する点に存する。刑罰をその目的との関連において考察すると、それはおおむねつぎのような機能を営んでいる」、こういっているわけでございます。一つは社会「一般に対する機能」、これはいわゆる刑罰一般的な予防的機能をさしているわけでございますが、二番目にあげられている「犯人に対する機能」でございますけれども、「これは、犯人の再犯を防止する特別予防的機能である。」、さらにこの機能は二つに分かれておって、一つは「刑の宣告によって犯人の規範意識を覚醒させて、これを反省に導くとともに、ことに自由刑の執行を通じて、犯人にたいし組織的な改善・教育を施し、これに市民的労働の習慣および技能をあたえることによって、犯人をふたたび正常な社会人として復帰させることである。この刑の執行による犯人の改善・教育という機能をとくに重視し、これを刑罰の本質と解するのが、いわゆる教育刑論の立場である。」このように一般刑罰においても教育機能というものが存在するんだ、こういうふうに吉川先生主張していらっしゃるわけでございます。私もこれはもっともなことだと思うのですが、そういう立場でいけば、あえてその大学一般の刑法に重複して処分をしなければならないという議論は、法律論の本質からもどうもこれは間違いだ、このように思うわけでございます。また、一般大学の中におきましても、退学やあるいはまた停学の処分もございます。この処分にいたしましても、やはり一つ教育刑論、教育上の処分という問題が基礎になって考えられていると思うのです。大学一つの社会と見た場合に、一般学生に対してさまざまな悪影響を与えた場合、これを排除する、こういうような問題、さらにまた停学等の場合は、本人のいわゆる反省を求めるという教育的な目的、こういうものが存在すると思うのです。  こういった考えから、いま文部大臣が述べられたように、大学というものはこういった学生処分に対してはいわゆる教育上の——大学というのは教育の場でありますから、あくまでも教育上の立場からフリーハンドを持つべきが原則論でなければならない、私はこういうふうに思うわけでございます。  一般的な現象面の問題については、これらの論議は当然あるかと思います。しかしながら、原則論は当然そういうような方向でなければならないと思うのでございますけれども、これに対する大臣の御見解をもう一度お伺いいたします。
  130. 坂田道太

    坂田国務大臣 この刑法の考え方につきましては、いろいろな学説があると思うのです。教育的な観点からながめるというような考え方もあると思います。私はそういうことにつきましてはしろうとでございますが、とにかくやはり大学というところにおきましては、普通一般の市民社会より以上の良識と理性というものが期待をされておる。それゆえにこそ大学自治というようなことも、学問の自由ということを守る手段として与えられておるわけでございます。そういう意味からいうならば、大学先生はもとより、学生諸君といえども市民社会以上のモラルというものを持つべきが当然であるというふうに思います。そういう学生が暴力行為あるいはその他の罪を犯した場合は、やはり法の前に責任をとるべきであるし、法の前にさばかるべきであるというふうに思います。また同時に、大学といたしましては、自分の大学においてはどういうような処分をするかというようなことについての明確な定めというものをきめ、そしてそれを実行すべきものであるというふうに思うわけでございまして、もしそれが機能しなければ、もはや大学というものは良識の府でもなければあるいは理性の府でもない。こう言わざるを得ないと私は思うのでございます。
  131. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 先ほどの答弁では、明確に分離すべきであるというような受け取りを私はしたわけでございますけれども、やはり大学における処分というのは、いま大臣の言われた主張もあると思いますけれども、やはり教育の場としての立場を常に主眼点にして考えていかなければならない、こういうふうに思うわけでございます。さらにこの一般刑法において処分された後において、なおかつ学生がこの処分を受けてもその思想をくつがえさずに、自分自身がなお主張を貫いて暴力行為に走るというような問題点については、これはやはり今度は刑法上の問題ではなくて、あくまでも教育上の問題、いわゆる社会全体のモラルを高めていかなければ片づかない問題ではないか。むしろ、こういった学生を善導するための論議というものが大学内において大いに起こってこなければならない問題ではなかろうか。とても刑法上の問題だけでは片づかない現在の暴力の姿ではなかろうか、こう思っておるのでございますが、大臣はいかがお考えでございますか。
  132. 坂田道太

    坂田国務大臣 私はそうは思わないので、暴力というものは一切いけないというような態度大学教官及び学長というものが考えて、そしてやはり厳正に処罰すべきものは処罰しなければいかぬというふうに思う次第でございます。
  133. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 大臣、そうおっしゃいますけれども、しかし、大学がかりに退学処分をしても、私はそういった学生諸君はまた大学に集まってくると思う。いまだって全国から、たとえば東大紛争が起これば全然関係のないところの学生が集まってきておるわけですから、そういうような学生に対して対処する方法というものは、社会全体のモラルを高める以外にない。特に政治家が政治姿勢をどんどん改めて、そしてき然たる態度国民に臨んでいく、そういうような問題とか、あるいは先ほども大臣はちょっと触れられておりますけれども大学全般の改革の姿勢、そういうものを示すだけでも一つの善導の役割りを果たすこともあり得る、私はこういうふうに考えているわけでございます。この点については非常に論議がまたやっかいになりますので、先へ進みます。  この大学立法の中で触れようと思ったのでございますけれどもストライキの問題です。ストライキは、人によっては当然学生の一つ権利であるというふうに解釈をする人もいるわけでございますが、この点について大臣はどのようなお考えをお持ちでしょうか。これも学生処分の対象となり得るかどうかということですね。特に最近はいわゆる紛争は解決したけれども大学立法反対のためにストライキが行なわれている、そういう大学もあります。この大学ストライキがはたして学生処分の対象とすべき問題であるかどうか、この点について大臣の見解を承りたいと思います。
  134. 坂田道太

    坂田国務大臣 私は、やはり大学の場というものは、そういうストライキというような力関係で物事を決するというようなことがあってはならないところであるというふうに思います。
  135. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 私も、そういったストライキ等において、対決ムードで大学が改革されるとはなかなか思わないわけでございます。その点については文部大臣と意見がやや似ておるわけでございますが、しかし、こういった問題が学生処分の対象になるかならないかということになりますと、これは非常にまた社会に大きな議論を巻き起こしていくと私は思うのです。しかし、大学立法を見ますれば、こういったストライキも処分の対象になるように、いわゆる大学紛争と認定する場合の条件になるように私には読み取れるわけなんです。そこで、この学生処分の対象になると考えるかどうか、この点について伺っているわけでございます。
  136. 坂田道太

    坂田国務大臣 ここでストライキの問題が出てまいりますのは、学長が紛争校としての認定をするという場合の要件の一つというふうに御理解をいただきたいと思います。
  137. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 処分の対象でないのかどうか。そこらは大臣はどうお考えになるのか。これは大学立法の趣旨からいきましても、非常に文部省当局、いわゆる大臣の権限が強化されておるわけでございますから、簡単にこの論点を引っ込めるわけにはいかないわけであります。大臣は、一体ストライキに対して、学生処分の対象にすべきかあるいはいなか、どちらのお考えを持っていらっしゃるのか、明確な御答弁をいただきたいわけです。
  138. 村山松雄

    ○村山(松)政府委員 現行の法規関係で申し上げますと、学生の懲戒に関しましては、学校教育法に規定がございまして、これを受けまして、退学処分の場合の要件が学校教育法の施行規則に書いてございます。この場合、学業成績の問題は別といたしまして、「性行不良で改善の見込がないと認められる者」それから「学校の秩序を乱し、その他学生又は生徒としての本分に反した者」という条項がございます。この学校教育法並びに施行規則の規定を受けまして、多くの大学では学則におきまして処分の要件をきめております。学則において大体似たような趣旨の処分の規定がございます。これに照らしますと、ストライキを行なうということは学校の秩序を乱すことであり、また他人の教育を受ける自由を束縛する問題でございますので、これは最終的には大学判断でありますが、処分の要件に該当し得るものと考えます。
  139. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 大臣に御答弁をいただきたかったのでございますが、たいへんぐあいが悪いらしいので、これはまた法案の中においてお伺いすることにいたします。  次に、大臣がしばしば指摘しておられますのは、今日の大学紛争が起こってきた一つの要因は、大学の教官があまりにもだらしがない、簡単に言ってしまえばそういうような議論であると思うのでございます。きのうの大臣の御答弁を見ましても、日本学術会議に対する御批判の中に、大学改革に対する具体的な提案なくして批判をするばかりでは真の学者とはいえない、こういうふうに明確に御批判をしていらっしゃるわけでございます。しかし、私は、そういうような大学教官をつくってしまったのも、一つは文部行政の欠陥ではないか、このように思うわけでございます。と申しますのは、大学設置基準の中に、教授の資格というものが明確に示されております。明確に示されているけれども、はたしてこの教授の認定資格というものが真剣になされているのかどうか、こういう問題について私たちは考えていかなければならないと思うわけでございます。それでその教授となることのできる者は「博士の学位を有する者」「研究上の業績が前号の者に準ずると認められる者」非常に教育というよりは研究を重視しているように私は思うわけであります。そのあとにおきまして、四号には「大学において助教授の経歴があり、教育研究上の業績があると認められる者」、こういうふうに教育研究上の業績というふうに、研究と教育が示されてはおりますけれども、今日までの教授認定あるいは助教授あるいは講師の認定をする場合の教育上の問題点ですね、教育上にいかなる業績があったときに教授となり得るのか、こういった点については、この資格の中では明確でない。いままで一体どのような形で教授の認定あるいは助教授の認定が行なわれてきたのか、この問題について御答弁をお願いします。
  140. 村山松雄

    ○村山(松)政府委員 大学設置基準に示しております教授の要件というのは、最低の基礎資格要件でございます。現実にはこの最低基礎資格の上に判断を加えまして認定をしておるわけでございます。そのやり方は、大学がすでに設置されておる場合には、当該学部の教授会におきまして、大学設置基準の中に示されておる最低基準を踏まえまして、それ以上その大学教育、研究目的に照らして適正な研究業績があるか、教育の能力があるか等々のことを判断いたしまして決定するわけでございます。これは国立大学につきましては教育公務員特例法に規定がございますし、私立大学におきましても大体そのようにやっております。  それから大学が設置されておらない、新たに設置される場合は教授会というものが存在しないわけでございますので、設置者たる——これは大学の設置認可の場合は、設置者たる都道府県あるいは学校法人において大学設置の計画を立てる場合に、教員組織を、大学設置基準をにらみまして、大学であれば学長予定者を中心として選考いたします。そして文部大臣に設置の認可を申請いたしますと、大学設置審議会に文部大臣が諮問いたしまして、大学設置審議会におきましては、教員資格といたしまして、やはり大学設置基準に示しておりますところの最低要件を踏まえまして判定をいたすわけでございます。
  141. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 きょうは時間の制約があるはずでございますけれども、ひとつ論点に対して明確に答えていただかなければ質問は簡単には終わらないわけですから、明確にしてもらいたい。  例をあげますけれども、たとえば明治大学の教授を辞職した藤原弘達氏は、教職は学問研究の経済的条件だから、経済的要因が満たされれば教職にいたくない。学生の質は落ちているし、教師は保母か幼稚園の先生のように学生のめんどうを見なければいかぬ。保母のような教師はぼくはごめんこうむる、こういうようなことを言っておるわけです。これは大学教授の認定をする場合に、研究条件を満たすいわゆる経済的条件、そういうものがありさえすればいいのだという考え方が教授の中に多いのじゃないですか。今日の大学紛争の大きな問題点は、大学はいわゆる人間を教育してくれない。青年がその人間性の向上を求めるのに対して一つもその欲望を満たしてくれない、そういう不満が起こっているわけです。だから私は、教授のいわゆる教育上の実績というものがこの教授の資格認定の基準になっておるから、それは一体どうなっているんだ、このことを伺っておるわけなんです。だから一体教育上の業績というのはどうなんです。どういうものなのか、そこをひとつ明確に答えてもらいたいわけです。
  142. 坂田道太

    坂田国務大臣 詳しいことは局長から申し上げますが、きのうの山中委員の御質問にもお答えをいたしましたとおり、終戦直後、新制大学が発足いたしましたときに、沿革的に申しますと、旧師範学校、それから専門学校、それから高等学校、それから旧制の大学校というものが一緒になって、言うならば高等学校、師範学校、それから専門学校が昇格をした。先生方も昇格をしてしまったというところに、先生自身のいわゆる資格要件というものが、昔の旧帝国大学のスタッフと比べると、その質が多少低下をしてきているということは、これは事実でございます。それから、御指摘の大学設置基準等におけるやり方等にも、やはり私は問題があったかと思うのでございまして、新制大学というものは、旧帝国大学は学問研究のうんのうをきわめるというようなエリート教育の場であったわけでございますけれども、今日の開かれた大学という理念から考えるならば、入ってくる人たちも、そういう一流のエリートだけを求めない。多少才能は落ちても、そういう者に高等教育を授けようという意味があるわけでございまして、また、それを受けとめるところの先生方においても、そういう考え方で受けとめてもらいたかったわけでございますけれども、その考えと現実とが食い違ってしまったというところに、やはり今日の問題が起きておる、あるいは悲劇が起きておるといわれるのではないかと思うのでございまして、そういう結果として、むしろ、先ほどお話がありましたように、高等教育機関であるところの大学においても教育ということにも非常に力を入れなければ、一面において文明社会のひずみというものが出てきておるこの状況においては、なおさら教育というものを重視した大学教育がなければならない。あるいはそういうようなカリキュラムが組まれなければならない。また、それに値するところの教師というものが得られなければならないということがいえるかと思うのでございますが、それが御指摘のとおりに十分にまかなわれておらない。想理どおりいっておらない。そこのところにやはり悲劇が起きておるというふうに私は考えるわけでございまして、こういうようなことも踏まえて、今後の新しい大学国民のための大学をつくります場合には、十分人間性の回復と申しますか、自立的人間性と申しますか、そういう教育にも熱心な先生を集めるべきであるという石田さんの御指摘に対しては私も同感なのでございます。  一方、しかし、そのような国民のための大学、大多数の人たちに対して高等教育ができるようにする、あるいは生涯教育も施すというような一つの機能というものが大学に求められると同時に、やはり一方においては世界的水準の学問というものを振興し、発展さしていくという使命、基礎研究というものをやるという使命が大学にはあるわけでございまして、その点について相当重点的にその人材を集め、そしてそれに学ぶ意欲のある学生、大学院生を集め、そしてそれに対して相当の教育条件を整備をする、あるいは国の投資を増額するということは、私は方向としてなければならないというふうに考えております。
  143. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 この問題はまたあとにいたします。一応大臣のお考えを承りまして、さらに私は、この大学設置基準の中の教員の資格問題については、もう少し教育上のそういった業績というものを明確にこれは改正をすべきである、このような主張だけは申し上げておきます。  さらに教員問題について伺いたいのでございますが、今国会において総定員法が成立をいたしました。この成立にあたりましては、総理大臣が、総定員法は首切りにはつながらない、不当な配置転換はしないということを本会議においてもあるいはまた委員会においても言明をされておるわけでございます。ところが、すでにもう国立大学におきましは、東京大学並びに名古屋大学をはじめ各国立大学に助手削減の命令が出ているわけでございます。これは文部省におきましては、七月十日までにその報告を各国立大学に求めているということでございますが、この明確な数字をあげていただきたいと思います。
  144. 村山松雄

    ○村山(松)政府委員 行政機関の職員の定員の法律と、それから各省庁の国家公務員の定員の関係でございますが、すでは昭和三十九年に閣議決定によりまして欠員不補充の措置がとられております。それによりまして国立学校につきまして三百六十四人の欠員不補充の措置がとられております。それからさらに今回の法律制定等の関連におきまして、国家公務員の定員の合理的な運営をはかるために昭和四十二年十二月十五日閣議決定によりまして、今後の定員縮減について決定されております。これは国家公務員の定員の五%を目途として定員の削減計画を実施することということになっております。これによって、国立学校も国家行政組織の一環でございますので、この方針で定員削減の措置がとられたわけでありますが、教官につきましては、その職務の特殊性から削減率をきわめて少ないものにしていただくということで折衝をいたしました結果、今後三年間に四百二十九人の削減をするということがきまりまして、これを従来の教官の定員の比例によりまして、職種におきましては助手というところ、組織といたしまして国立学校、研究所、病院という組織別になっておりますが、病院につきましては医師の不足という問題がございますので、これを除外例といたしまして、学校並びに研究所の組織について三年間に四百二十九名の削減をすることといたしまして、これを各大学に割り当てた次第でございます。
  145. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 各大学の人数を明確に言ってください。
  146. 村山松雄

    ○村山(松)政府委員 東京大学につきましては、欠員不補充分並びに今後三年間の計画を含めまして八十七名でございます。それから名古屋大学につきましては、同じような方法によりまして三十六名でございます。
  147. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 国立学校の各大学の人数を私はいま要求しておるわけです。東大、名古屋大をはじめ、各国立大学全部あげてください。
  148. 村山松雄

    ○村山(松)政府委員 北海道大学四十名、北海道教育大学七名、室蘭工業大学三名、小樽商科大学一名、帯広畜産大学一名、北見工業大学一名、弘前大学九名、岩手大学七名、東北大学五十二名、宮城教育大学一名、秋田大学三名、山形大学八名、福島大学三名、茨城大学五名、宇都宮大学四名、群馬大学八名、埼玉大学三名、千葉大学十五名、東京大学八十七名、東京医科歯科大学十二名、東京外国語大学一名、東京学芸大学七名、東京農工大学五名、東京芸術大学二名、東京教育大学十六名、東京工業大学二十五名、東京商船大学一名、東京水産大学二名、お茶の水女子大学二名、電気通信大学二名、一橋大学五名、横浜国立大学九名、新潟大学十五名、富山大学七名、金沢大学十五名、福井大学三名、山梨大学五名、信州大学十四名、岐阜大学十一名、静岡大学十一名、名古屋大学三十六名、愛知教育大学五名、名古屋工業大学六名、三重大学四名、滋賀大学三名、京都大学五十七名、京都教育大学二名、京都工芸繊維大学三名、大阪大学四十名、大阪外国語大学一名、大阪教育大学四名、神戸大学十八名、神戸商船大学一名、奈良教育大学一名、奈良女子大学一名、和歌山大学三名、鳥取大学七名、島根大学三名、岡山大学十一名、広島大学二十四名、山口大学十名、徳島大学十一名、香川大学六名、愛媛大学八名、高知大学四名、福岡教育大学二名、九州大学四十三名、九州芸術工科大学ゼロ、九州工業大学三名、佐賀大学二名、長崎大学九名、熊本大学十四名、大分大学三名、宮崎大学六名、鹿児島大学十四名、以上でございます。
  149. 大坪保雄

    大坪委員長 関連して、井上普方君。
  150. 井上普方

    井上(普)委員 そこで、私貴重な時間をお許しいただきまして大臣質問申し上げたいのでございますが、私はこの四月下旬に、大学における研究費並びに研究員がいかに不足であるかということを数字をあげて質問したことがございました。特に国公立の大学において、教授の数よりも工学部のごときにおいては助手の数が少ないという実態を、昭和四十一年の文部省が出された統計資料によって私は質問したことがありました。そしてその際に、かかっております総定員法との関係においてこれをいかにあなたは御処置なさるのか。あなたも助手並びに教官の人数が少ないということをお認めになって、これの増加に努力しますとあなたはおっしゃった。そこで私は、当時国会にかかっておりました総定員法との関係において、教官の人数を増す必要があると認めたときはあなたはどういう努力をされるんだと聞いたところが、文部大臣は、総定員法のワクにとらわれず、必要ならばどんどんとこれを拡充強化して人数は大いに増します、こういうお話であったはずです。いま聞きますというと、昭和三十九年の閣議了解事項によって教官の数を減らす、さらにまた総定員法によってこれまた減らすといいますと、四月末にあなたが言明されたことと全く違うじゃございませんか。この点どうなんでございますか。
  151. 坂田道太

    坂田国務大臣 私が申し上げましたのは、将来のことを申し上げておるわけで、現在のことではございません。御指摘になりましたように研究体制というものは相当人数が必要である、また同時に教官も必要であるけれども、むしろその強化策としては助手の定員というものを認めていったほうがいいんじゃないか、あるいは助教授というものをたくさん認めるというような方向へいったならばいいんじゃないか、こういうような御指摘でございましたから、一般論として私もそういうふうに考えます。むしろ若い中に人材が埋もれておるというものもある。そしてそれが教授会自治のためにその才能が生かされないでいるということもわれわれは聞いておる。それから同時に、東大の場合であると十学部もある、十四の研究所がある。その十四の研究所におる所員の中にも相当すぐれた人がある。そういう方々にむしろ講義を持たせるというような仕組みはできないかというようなこともちょっと申し上げました。そういう意味合いにおいて、将来新しい大学というものがどういう位置づけになるか、あるいは教授というものをどうするか、助教授というものをどうするか、あるいは助手というものをどうするか、たとえばある大学の改革案の中には、もう教授と準教授とそれから講師、この三つ以外には教官はない、こういうやり方でいくべきじゃないかという改革案も示されておるわけであります。そういう全体の将来のあるべき姿から必要な教官、それが助手であれ助教授であれ教官であれ私は増すべきである、それは総定員法にかかわりなくやるべきである、こういうふうな気持ちで申し上げたつもりでございます。  その際私が申し上げたかどうかわかりませんけれども、私の記憶に間違いがなければ、たとえば東大一万五、六千、いま新しい学生が入っておりませんし、卒業しましたから一万人ぐらいだろうと思いますけれども、それに対し助手を含めて三千数百人、それから事務職員は五千人、合わせて八千数百名の者がおる。八千数百の者で一万の教育、研究とそれから管理運営をやっておる。これは自由社会のあらゆる団体を通じましても、教育、研究というものがいかに特色のある集団であるとはいいながらいかがか、もう少しやりようはあるものだ、こういうようなこともつけ加えて申し上げたと思うのでございます。そういうようなくふうというものが、管理運営のやり方次第では変えられるのではないかというような気持ちを腹に持って申し上げたつもりでございます。しかし、これは速記録を見ませんといけませんので、もし私の答弁が間違いでございましたならば、訂正すべきところがあれば訂正しますが、私の記憶はそういうような記憶だと思います。
  152. 井上普方

    井上(普)委員 それであったならば、あなたの御答弁はまことにその場のがれの御答弁だったと思う。私はあのとき国公私立大学の教官の数字を全部洗い上げて、しかも文部省の統計によって現在はこのとおりだ、しかも助手あるいはまた講師というようなものはかくのごとく少ないんだ、どうするんだといって私はあなたに聞いた。あなたはその際に、これは少ないと思いますとおっしゃったじゃないですか。そして総定員法との関係はあっても増加さすところは増加させますとあなたは言明されたじゃないですか。いまになって何です、それは。いまになっておっしゃるとはどういうことなんです。速記録を調べてもう一度御答弁を願いたいと思います。
  153. 村山松雄

    ○村山(松)政府委員 この学校の教官につきましては、定員の削減計画の一環として文部省としては例外措置を希望したのでありますけれども、最終的には率は最低限度でございますが、削減計画の中に入って、先ほど御説明しましたような削減がなされたわけでありますが、一方において大学等の充実のための増員ということは、これまた機構、定員の増加の抑制という一般方針のもとでは、例外的に大幅に認められておりまして、昭和四十四年度の国立学校の教職員につきましては、これは短大、高専を含めましての数字でございますが、増員が千四百八十一名教官についてございます。四十四年度分の先ほど申し上げました削減計画の数は百四十三名でございますから、教官につきまして千三百三十八名の増員措置がとられております。それから、その他の職員につきましても、削減を除きまして四百六名の増員を見ておりますので、合計いたしまして国立学校全体で四十四年度分、千七百四十四名の増員がはかられておりまして、拡充、充実すべき点についての定員上の配慮はあわせて講ぜられておるわけでございます。
  154. 井上普方

    井上(普)委員 それではやめさせる必要もさらさらないのです。一体局長はそういうような数字をおっしゃいますが、私が卒業した大学の例を申し上げますならば、昨年に百五十名近く予算要求をいたしましたところが、これをあなたのほうは増員をお認めになったのは九名であった。ところがきょう出てきた数字によりますと、十一名削減しろというお話じゃございませんか。結局二名削減ですよ。  一方において、東京大学の医学部はどうです。四十四年には千六百名に及ぶ増員を要求しておるのですよ。医学部で千六百名増員しなければ無給医局員の解消にならない。無給医局員が依然としてこのまま残る。少なくとも入院患者と外来患者と、これをやるためには千五百名必要だといって要求したところが、おたくのほうで認められたのは二十一名じゃございませんか。ところが、片っ方におきまして、いまも数字が示されたようにかなりの数を削減しておる。医学部に関してはもう少し少なくなると思いますが、結局プラスマイナスゼロになっておるじゃないですか。だからあなたの言うのは、四月の末にあなたが御答弁になったことといまおっしゃっておることと違うからどうなんだといって聞いているのですよ。それで速記録調べて御答弁願いたいと思うのです。さっそくにお願いいたします。
  155. 大坪保雄

    大坪委員長 井上君に申し上げます。  速記録を調べるのには少し時間がかかると思いますから、きょうのところは関連質問でもあるし、石田君に譲ってもらいたいと思います。
  156. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 それでは井上さんがあしたに譲るということでございますので、なお引き続いてこの問題について一言だけお聞きしたいのでございますが、おそらくこの削減によって配置転換をなさるのであろう、善意に解釈すればそうなるわけでございますが、この助手の人たちは首にならないのかどうか、これが一点。  それから配置転換については本人の希望を当然聞かなければならないと思いますので、これは十二分に行なわれるのかどうか、この点に対する答弁。  それから配置転換を拒否された場合はどうなるか。  この三点を簡便に御答弁を願います。
  157. 村山松雄

    ○村山(松)政府委員 まず、この定員削減によって実際の人を首を切るというようなことは全然考えておりません。  それから第二に、配置転換の必要もないと考えております。と申しますのは、削減がございますが、一方において増員がございます。それから職種上の定員の流用は認めております。たとえば教授、助教授、講師、どの段階の欠員がありましても、それによって助手を任用することができるように運用をいたしております。それからまた、現に国立学校につきましては相当数の欠員がございまして、この定員削減は数字上欠員の範囲内になっております。事務局長会議におきましてこの点も説明し、実際に人に操作が及ぶというようなことはなくて定員上の操作ができるという確信を得ております。
  158. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 いまの答弁は一体何を言っているんだか、私にはさっぱりわかりません。そんな実質的に削減を要しない問題ならば、なぜこういった各大学から削減をすべき人数を割り出したのですか。それすら必要ないじゃないですか。ごまかしですよ、これは。それとも行政上ではそういうようなインチキ、ごまかしは認められるのですか。もう一ぺん御答弁願いたい。
  159. 村山松雄

    ○村山(松)政府委員 定員削減につきましては、政府の共通方針に従いまして、国立学校につきましても最低限の率によって行なったわけであります。一方において別途必要な分についての増員を行ない、また現に欠員もあるということで、実際には現実の人に手をつけないで操作をするということを申し上げておるわけであります。
  160. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 まあ、いいでしょう、その問題は。いずれにしてもこれは完全な行政上のちょろまかしだと私は思いますね。教官問題についてさらに論議を進めたいと思いますが、時間もございませんので……。  国立大学の損害がきょう新聞発表になっておりますが、東大だけでも実に四億五千万円。合計で五億五千五百八十万、こういうような金額になっておりますが、文部省におきましては、この復旧費については各大学の通常経費の中からやりくりして捻出をする、こういっております。さらにまた、国有財産の損害については学生に賠償請求するよう各大学当局に求める、こういうような通達を出していらっしゃるようでございますが、東大におきましてはたして通常経費の中から四億五千万、これが捻出できるのかどうか。そういう見込みがあるのかどうか伺いたい。もし捻出できるということであれば、この四億五千万というものは明らかな冗費ではないか。そういうようなむだな予算まで文部省が認めておるのかどうか、まずそれからお伺いいたします。
  161. 安養寺重夫

    ○安養寺政府委員 お答えいたします。  文部省といたしましては、学内紛争によりましていろいろ国有財産、物品の損傷が出ておりますので、その点検を各大学に指示しておる状態でございます。ごらんになりましたのは東大ほか三十校、現在五億五千万円の物品に対する損傷が経過として出ているわけでございます。なおしさいの点検は要しますが、一応復旧額として各大学の報告はさようになっておるわけでございます。  そこで、かねてよりその点の方法につきましていろいろと各大学の希望を聴取いたしております。それぞれ復旧計画を文部省に対して提示をいたしまして、文部省におきましてよくとっくりと御相談をいたしまして、既定経費のワク内で関係大学の損失補てんをするという基本的な方針でございます。なお、東大等につきましては損害の額が異常な額を示しておりますので、これはあらためて東大から出ます復旧計画の全貌を拝見いたしました上で、年次を割るなりそれぞれくふうをいたしたいと存じております。  片方、告訴、告発の御指摘の点でございますが、この損害に対する補てんにつきましては、それぞれ国有財産、物品の監守の責任がございますので、その点につきまして加害者を特定し、損害額を確定いたしまして、筋としては当然訴訟を起こすべきものだと思っておりますので、さようなことの督励をいたしておる実態でございます。
  162. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 東大については金額が多いので、なお相談をしたいということでございますが、そうすると、ほかの大学においては当然この損害を要求するわけでございますね。まあそれはそれでいいでしょう。学生に、そういった告訴をして損害賠償を求めるというのでございますが、いま逮捕されて取り調べを受けているそういった人たちは氏名もわかり、損害賠償要求はできると思いますけれども、その特定の人間に限って告訴をするわけですか。あるいはそのほかに逮捕されない人間だって大ぜいいるわけですけれども、こういうような問題を厳密に調査をして適正な損害賠償要求ができる自信がありますか。
  163. 安養寺重夫

    ○安養寺政府委員 範囲がたいへん広うございますし、場合によりますといろいろ損害の点検もむずかしゅうございます。お話の加害者の特定と損害額の確認ということはたいへんむずかしい仕事でございまして、これは加害者すべてがこの問題の対象になるわけでございます。われわれといたしましては、いま申しました二つの要件を成立させるということについて、各大学を督励をしておるという実情でございます。
  164. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 督励していることはわかりますよ。しかし、大学それ自体も別に学内警察を持っているわけじゃないのだから、実際問題としては不可能じゃないですか。あなた方は、これを、大学の責任において克明に損害賠償要求ができる人間をピックアップすることができる、こう判断をして要求をしていらっしゃるんですか。おかしいじゃないですか。
  165. 安養寺重夫

    ○安養寺政府委員 御承知のように、国有財産、物品の管理につきましては諸法規がございます。それぞれ責任の者がございます。これは加害者に対しまして国有財産に対する損壊行為に対する当然の請求を国としてすべき筋のものでございます。したがって、われわれといたしましては、預かる者といたしまして、その系列において努力をいたしておる。結果におきましてどの程度できるかということは——目下鋭意督励をいたしておる最中でございます。
  166. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 その心情においては、私も十分理解をしております。当然、国有財産でございますから、損害を与えた人間をつかまえて損害賠償を要求すべきは当然でございましょう。しかし、事実行為として、あなたは大学を督促しているとおっしゃるけれども、じゃ、あなた自身が調べることは可能かどうか、それを私は聞いておるのですよ。
  167. 安養寺重夫

    ○安養寺政府委員 繰り返して申しますように、現在実態を調査をしておる最中でございます。損害額の調査もほぼまとまる時期が近づいてございます。現在は努力中でございますが、すべての結果が出ますれば、われわれとしては努力のかいがあったと申すものでございます。現在はその努力中でございます。
  168. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 大臣にお伺いします。いま私は、事実行為として認定できるかどうかという問題をお尋ねしたのでございますけれども、現在警視庁やなんかに勾留されている人たち、あるいは告訴の段階に入っている人たち、こういう人たちはわりに認定は可能かもしれない。しかし、その人がどの物件をこわしたのかということになりますれば、たとえば安田講堂全体に対して、損害がたとえば一億なら一億、その一億を人数で割るというようなことは、それはできるでしょう。しかし、逮捕された人たちだけがあの暴力行為をふるったとは私は思えない。まだそのほかにもいるはずです。つかまらない人たちもいるはずです。非常に不公平な現状になるわけでございますけれども、私は、そういう処置はいかがかと思うのですが、いかがお考えでありますか。
  169. 坂田道太

    坂田国務大臣 文部大臣としましては、やはり国有財産が損壊されておるそのことに対して、国民に対する責任がございますから、十分調査をして、やはり損害賠償を要求すべきことは要求しなければならないと思います。しかし、結果の問題あるいはやり方等については、やはり石田さん御指摘のとおり、なかなか困難であるというふうには思います。
  170. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 さらに大臣にお伺いしますが、こういうことが新聞発表になるということはたいへん物議をかもすわけですけれども、こういうような姿勢の問題ですね、現在大学でも別に予算がそんなに多額に余っているという状態ではなかろうと思います。こういう処置については、文部省当局の判断だけでは、私はなかなかこういう問題の処理はできないのじゃないか、こう思うのです。そういう意味において、大学側との協議もしなければならぬでしょうし、あるいはまた政府全体としての検討も十分重ねられなければならない問題だと思うのでございますが、今後大学側と十分御協議をなさるおつもりはあるのか。あるいはまた、政府機関内においては文部当局だけの責任においてこれがなされて、この数字が発表になったのか、その点についてお伺いをしたいと思います。
  171. 坂田道太

    坂田国務大臣 先ほど会計課長が申し上げておりますように、まだ努力中でありますし、最終的な報告をするという段階ではないようでございます。しかしながら、大学当局と十分協議をするという御指摘に対しましては、私たちもそのように考えておる次第でございます。
  172. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 もしそうであれば、この新聞発表になったように、各大学の通常経費の中から捻出するとか、あるいは学生に損害賠償を要求するとか、そういうようなことが新聞に発表になっておるということは、私はたいへん軽率じゃないかと思いますが、いかがですか。
  173. 安養寺重夫

    ○安養寺政府委員 私のほうといたしましては、本年の三月下旬以降、こういう加害行為が多発、頻発をいたします傾向にかんがみまして、関係の事務局長あるいは全大学の経理部課長会議におきまして、こういう方針である、またそれについての文部省との準備協議を必要とするものがあれば言ってもらいたいということで、かねてからその方針を鮮明にいたしておるわけであります。国会におきましても、いろいろの委員会で御質問がございまして、これも繰り返して申しておることでございまして、あらためてある時点で新聞に発表申したという形式をとったものではございません。
  174. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 それではほかの問題に移りますが、だいぶ時間も迫ってきましたので、最後に、先般の本会議における大臣答弁の中で、私が、大学問題の原因に、一つは財政というものがあるんじゃないかというような意味のことを御質問をしたのでございますが、大蔵大臣あるいは総理は、予算不足が紛争の原因とは考えていない、こういうようなお話であったのでございます。そして文部大臣は、わが国の教育予算というものは非常に高い、国民所得でいくと五・二%、アメリカ、イギリスに次いで世界第三位である。あるいは予算中における教育費のシェアは二・三%で世界第一である。こういうようなことをおっしゃっておるわけでございますが、この数字だけで問題は片づかない、こう私は思うわけです。  そこで、先ほどの定員の問題ともからんでまいりますが、この間、名古屋大学の医学部の先生にお会いをいたしましたところ、現在の医学部においては、講座制のいわゆる人数といいますか、こういう問題ではもう現代医学の中では対処できないという状態になっておる。いわゆる一講座において教授を中心として何人かの助教授、助手が配置をされておるわけでございますが、今日の医療一つを取り上げてみても、昔のように聴診器でからだの調子を調べて投薬をするというような問題ではとても片づかない、いろいろな機械を使って分析をしなければならないという非常に忙しい医療のやり方である。こういうような状態の中で、教育も、研究も、また患者のめんどうも見ろといっても、いまの一講座制ではとてもとてもだめだ。こういう明治時代にきめられた講座制ではなく、少なくとも現場においては教授のもとに現在の定員の三倍くらいの人間がなければ、とてもそれだけの研究、教育、医療という問題は解決できぬのだ、何とかこういう面でひとつ予算もふやしてもらいたい。私たちはこういうような大学紛争が起きたときに、予算に対する権限が全くないので、大学紛争に処する力が半減しておる。こういうようなことをおっしゃっておるわけでございます。そのほかにもいろいろな原因がありますけれども、まずこういった医学部の切実な声に対して、大臣は現在の講座制はいいと思っていらっしゃるか。あるいはこういった医学部関係の予算というものがはたして紛争の原因ではないとお考えになっているのか。先ほどの無給医局員のお話もございましたので、その点も含めて大学の予算というものが少ないために紛争が起こっていると私は認識をするわけですが、こんな点に対する大臣のお考えを伺っておきます。
  175. 坂田道太

    坂田国務大臣 今度の国民白書に指摘されておりますように、日本の教育に対する投資というものは明治以来非常に高いものであったと思いますけれども、しかし同時に、高等教育機関に対する教育投資というものは近年少し少なくなっておるというふうにこれはいえるわけでございまして、この点についてはやはり考えていかなければならない問題だと思っております。特に医学部の組織の問題でございますが、講座制についての批判もいろいろ大学内部においてもあるようでございます。改革案の中で講座制を廃止するというようなことをいっておる大学もあるようでございますが、それらのことにつきましては、今後の大学のあるべき姿という全体の構想の中で考えていかなければならない課題であるというふうに思います。また同時に、その際に人員あるいは予算というような問題についても同時に検討すべき課題であるというふうに思っております。
  176. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 もうあまり時間もありませんので多くを申し上げませんが、私はこういった文教行政、特に高等教育における予算の問題については、もちろん多くあればそれにこしたことはありませんけれども、やはり国家財政全般の中でやるわけでございますので非常にむずかしかろうと思います。しかし、これからビッグサイエンスの時代になるわけでございますから、そういった予算措置というものは根本的に練り直さなければならない問題じゃないか、こういうふうに考えておるわけでございます。これに対する大臣のお考えを承っておきたいのです。  それからもう一点。今日の学生紛争が起こっている大きな問題点の一つに、やはり学生生活に対する思いやりが私は非常に欠けておると思うのです。私もアメリカの大学等を見ましたけれども、りっぱな寄宿舎がたくさん建っております。こういうような状況は日本の現在の社会では望むべくもないというような行き方できているわけでございますが、はたしてそれでいいかどうかということになりますと、私はそれであってはならない、このように申し上げたいわけであります。特に私が不満に思っておりますのは、今日の学生生活というものは父兄のそういった費用によって負担をされておる。ところが、大学生の七五%を占めるといわれる私学等におきましては年女入学金等がどんどん高騰しておる。たとえば歯科大学等におきましては、これはある大学でございますけれども、今期の入学金が何のかんの含めて百五十万くらいかかる、こういうふうにいわれておるわけです。こういったことが一体一般サラリーマンの家庭で蓄積が可能であるかどうかという問題も、これは行政全般の方向として考えていかなければならないんじゃないか、こう思うわけです。  まあ、この問題はともかくとしまして、さらにそういう意味におきまして、現在の奨学金の制度、育英資金というものが全面的に私は検討されなければならない、こういうふうに思うわけでございます。これは予算委員会等におきまして大蔵大臣に銀行のローン等を活用する考えはないか、こういうふうに申し上げたのでございますけれども、これに対してもひとつ大臣の御答弁をお願いしたい。  もう一点。現在アメリカやイギリス等におきましては、学生生活をささえる、いわゆる学生の教育を完全になさしめるために、かなりこういった育英資金制度というものが発達しております。イギリスにおいては約九〇%は全額給付制といわれておる。あるいはアメリカにおいては全額免除のスカラシップ制がある。あるいはスカラシップ制度の中にも一部貸与あるいは全額貸与、いろいろな制度が民間の中からもたくさん出ているわけでございますけれども、わが国においては、非常に民間においてはこういうような制度が生まれにくい現在の社会環境にあると思うのですね。そういう意味において、何らかの行政的な措置を講じなければ、学生諸君が勉強するような環境づくりというものがなかなかできないんじゃないか、こう思うわけです。ただお金を出せばいいという問題ではないということはわかりますけれども、現在の大学生が六〇%はアルバイトを希望しているというような状況から考え、なおまた、現在のいわゆる一部暴力学生に迎合するような風潮が一般学生の中にも濃厚にあります。現在のいろいろな社会矛盾に対するきびしい批判、そういった主張には暴力学生ならずとも非常に共鳴する人たちが多いわけです。そういうような不満をいつまでもいつまでもこのままにしておったのでは、大学紛争はいつまでも片づかない。いわゆる温順な学生諸君に対する適切な措置、財政的な措置というものが講じられなければ、政府が今日提出されておるような大学立法のような姿勢だけでは一般の学生を納得させることはできない。こういうふうに私は思うわけでございますが、これらの点について大臣答弁をお願いをするわけであります。
  177. 坂田道太

    坂田国務大臣 一般的に申しまして、私はやはり教育にはお金がかかる、またかけねばならぬというふうに思っておるわけでございます。各国によって教育投資の方向がいろいろ違うし、やり方も違うと思います。たとえばイギリスあたりは、量は少ないけれども質に重点を置いておる。フランスもそうだと思います。ドイツもそうだと思います。しかしながら、量的な面についてはやはり日本よりも少ないということで、いまや高等教育機関をどうやってたくさんつくるかということに悩んでおる。ところが、ソ連とアメリカというものは量も質も両方追っておる、こういえるかと思います。日本はその中間であるというふうに思います。国立大学だけを取り上げて申しますると、諸外国と比較いたしますと、おそらくフランス並みくらいにはいっておるというふうに思うのでございまして、そう劣っておるとは思われないのでございます。ただ、国立大学三十万にプラスいたしまする公立——公立はまあ国立と似通っておりますけれども、私学の百数万というものの学生一人当たりということを考えた場合の国としての教育投資ということを考えると、財政投融資を含めて一人当たり三万円、国立の場合は一学生当たり七十六万円、こういうことでございまして、このアンバランスの解消ということがわれわれの当面の課題でなければならない。したがって、私学援助に対する大幅な増額ということは、当然われわれといたしましても考えていくべき課題であるというふうに思います。  それから寮の問題、これもやはり学生の生活ということを考えていく場合に非常に大事な問題だと私は思うのでございますけれども、実を申しますと、この寮それ自体がいわば学生の派閥の一つの根拠になっておるということも考えなければならない問題である。それから、旧制の高等学校等におきまして全寮制度をとっておりましたけれども、これにはやはりそれ相応の指導教官というものが十分に備わっておった。あるいは相当人数も少なかったというところにおいて初めて成り立つのではないかと思います。イギリスにおいてはオックスフォード、ケンブリッジにおいて全寮制度をやっております。まだ残っております。しかし、新しい大学においては、むしろ全寮はその三分の一、三分の二はやはり通学制という形に変わってきつつある。しかし、やはりイギリスのいいところは、通学する学生も、その寮におる、内部におる学生と同じように、勉強する場所あるいはスモールキッチンあるいはまたラウンジというものに対しての特別の配慮をしておるというようなことにつきましては十分われわれも参考にすべき問題であって、日本における寮というものあるいはドーミトリというものをどう考えるかということは、やはり大事な問題じゃないかと思います。全部が全部全寮にすべきであるか、その何分の一かを寮にするかということは別として、寮の問題について根本的に考えるということは必要であるというふうに思います。  それから奨学資金の問題については、御指摘のとおりだと思うのでございます。  それからもう一つは、石田さんの御提案のアメリカ等に行なわれておりまする貸し付け制度の問題、これは私も実は検討いたしておる問題でございまして、まだ十分に調査研究をいたしておりませんけれども、ひとつ考えてみるべき制度ではないかというふうに思っておるわけでございます。アルバイト学生がアルバイトしなければ学校へ行けないというような状況でなくて、やはり学業に専念できるというような状況をつくっていくために奨学資金制度を確立する。そして一般学生がほんとうにまじめに勉強ができ、そして研究ができるというような状況をかもし出すために、まず、何と申しましてもそういう予算を注ぎ込むからには、大学それ自体が暴力を排除し、秩序を維持し、かつての静かな教育と研究の場にふさわしいところの大学というものを取り戻していただかなければならないと思うわけでございます。  そういうようなことについて、この乏しい知恵をふりしぼって実は検討いたしておる次第でございます。
  178. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 では最後に一言だけ、御要望という意味で申し上げるわけでございますが、私は、ただ現在の開かれた大衆への大学、こういうものが量的な問題で片づくとはもちろん思いません。しかしながら、いま大学立法を出すにあたりまして、全般的ないわゆる大学改革の方向、学生諸君を納得せしめるそういういろいろな改革案、学生諸君に勉強の環境をつくってやるというような、そういった一つの文部行政、そういうようなものが適時に対策が打ち出されていかなければ、この問題だけでは問題はなかなか収拾できない、私はこういうふうに考えておるわけです。そういう意味で、これは御要望の意味でこの問題点を取り上げたわけでございます。  最後に、文部大臣にお伺いいたしたいのは、きのうの御答弁の中であったかと思うのでございますが、この大学立法を最低限の問題として提案をしたのであるけれども現在のいわゆる行政指導、そういうものも真剣にやっていけば何とか紛争は解決するのではないか、そういうような意味の御発言があったと思うのでございますけれども、私は、文部大臣主張されていることは意味がよくわからないわけでございます。この大学立法を見ますと、いろいろな抜け穴がありまして、効果が薄い点もあるわけであります。むしろ、大臣が言っておられる、本年末に中教審の答申を得て抜本的な改革にも手を染めるのだ、そういうお話がございましたので、むしろこういうものと並行していかなければ現在の大学紛争というものは収拾できない、私はこういうように考えているわけでございます。ここら辺の御意見を承っておきたいと思います。
  179. 坂田道太

    坂田国務大臣 年末、おそらく期待いたしておりまする中教審の御答申、新しい大学像の大綱というようなこと、と同時に、目前の問題といたしまして必要最小限度の立法としてただいま提出をいたしておりまするこの法律、そしてまたこの法律たるや、七条というものは最後の最後の段階であって、六条までがいわばこの法案の骨格となりますもので、自主的努力を助けるということを主眼とする、そしてそれに手助けをする、そういうことで各大学が紛争収拾に当たっていただくということ、と同時に、私どもといたしまして指導、助言をフルに動かし、また、行政措置を行ないながらやることによって、三位一体によって漸次紛争収拾に向かっていくというふうに私は考えておるわけでございます。
  180. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 それではこの大学立法につきまして、その内容につきましては明日各項目にわたりましてその問題点を、私自身も指摘申し上げて十分な検討を重ねていきたい、こういうように思いますので、大臣に置かれましてもひとつさらに率直な御意見の展開をお願いしておきたい、このように思うわけでございます。  それでは、以上できょうの質問は終わりにしておきます。
  181. 大坪保雄

    大坪委員長 次回は、明十一日金曜日、午前十時より委員会を開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後六時六分散会