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1969-02-28 第61回国会 衆議院 文教委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十四年二月二十八日(金曜日)     午前十時二十七分開議  出席委員    委員長 大坪 保雄君    理事 久保田円次君 理事 河野 洋平君    理事 谷川 和穗君 理事 西岡 武夫君    理事 唐橋  東君 理事 長谷川正三君    理事 鈴木  一君       稻葉  修君    周東 英雄君       南條 徳男君    増田甲子七君       加藤 勘十君    川村 継義君       小林 信一君    斉藤 正男君       岡沢 完治君    有島 重武君       石田幸四郎君  出席国務大臣         文 部 大 臣 坂田 道太君  出席政府委員         警察庁警備局長 川島 広守君         文部大臣官房長 安嶋  彌君         文部省初等中等         教育局長    宮地  茂君         文部省大学学術         局長      村山 松雄君         文部省社会教育         局長      福原 匡彦君         文部省管理局長 岩間英太郎君  委員外出席者         法務省刑事局公         安課長     豊島英次郎君         専  門  員 田中  彰君     ————————————— 二月二十七日  委員藤波孝生君及び石田幸四郎辞任につき、  その補欠として坂田英一君及び斎藤実君が議長  の指名委員に選任された。 同日  委員坂田英一辞任につき、その補欠として藤  波孝生君が議長指名委員に選任された。 同月二十八日  委員岡沢完治君及び斎藤実辞任につき、その  補欠として池田禎治君及び石田幸四郎君が議長  の指名委員に選任された。 同日  委員池田禎治辞任につき、その補欠として岡  沢完治君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 二月二十七日  山村へき地医療対策として医学専門学校設置  に関する請願奧野誠亮紹介)(第一一八〇  号)  同(武藤嘉文紹介)(第一一八一号)  同(愛知揆一君紹介)(第一二一二号)  同(野田卯一紹介)(第一二一三号)  学校図書館法の一部改正に関する請願外二件  (坊秀男紹介)(第一一八二号)  同外三件(河野洋平紹介)(第一二五二号)  信州大学繊維学部蚕糸教育課程存続強化に  関する請願(林百郎君紹介)(第一二一一号)  同(井出一太郎紹介)(第一三一六号)  同(小川平二紹介)(第一三一七号)  同(吉川久衛紹介)(第一三一八号)  同(倉石忠雄紹介)(第一三一九号)  同(小坂善太郎紹介)(第一三二〇号)  同(羽田武嗣郎紹介)(第一三二一号)  養護教諭の各学校必置等に関する請願外一件  (大橋武夫紹介)(第一二一四号)  同(青木正久紹介)(第一二一五号)  同(上林山榮吉君紹介)(第一二一六号)  同(伊藤宗一郎紹介)(第一二一七号)  同(黒金泰美紹介)(第一二一八号)  同(河野洋平紹介)(第一二一九号)  同(正力松太郎紹介)(第一二二〇号)  同(白浜仁吉紹介)(第一二二一号)  同(田中榮一紹介)(第一二二二号)  同(竹下登紹介)(第一二二三号)  同外一件(徳安實藏紹介)(第一二二四号)  同(堀川恭平紹介)(第一二二五号)  同(福田一紹介)(第一二二六号)  同(坊秀男紹介)(第一二二七号)  同(村上勇紹介)(第一二二八号)  同(吉田重延紹介)(第一二二九号)  同(大村襄治紹介)(第一三一五号)  過密地域における公立義務教育学校標準定  数改正に関する請願外一件(赤路友藏紹介)  (第一二三〇号)  同(淡谷悠藏紹介)(第一二三一号)  同(太田一夫紹介)(第一二三二号)  同(川村継義紹介)(第一二三三号)  同(島本虎三紹介)(第一二三四号)  同(堂森芳夫紹介)(第一二三五号)  同(平等文成紹介)(第一二三六号)  同(美濃政市紹介)(第一二三七号)  同(井上普方紹介)(第一三二二号)  同(堀昌雄紹介)(第一三二三号)  同(米田東吾紹介)(第一三二四号)  産炭地域における公立義務教育学校標準定  数改正に関する請願勝間田清一紹介)(第  一二三八号)  同(小林信一紹介)(第一二三九号)  同(田原春次紹介)(第一二四〇号)  同(山口鶴男紹介)(第一二四一号)  同(千葉佳男紹介)(第一三二五号)  同(堀昌雄紹介)(第一三二六号)  同(松前重義紹介)(第一三二七号)  同(松本七郎紹介)(第一三二八号)  同(山本幸一紹介)(第一三二九号)  過疎地域における公立義務教育学校標準定  数改正に関する請願外一件(淡谷悠藏紹介)  (第一二四二号)  同外一件(石川次夫紹介)(第一二四三号)  同外一件(川村継義紹介)(第一二四四号)  同外二件(小林信一紹介)(第一二四五号)  同外一件(楯兼次郎君紹介)(第一二四六号)  同(中澤茂一紹介)(第一二四七号)  同(平岡忠次郎紹介)(第一二四八号)  同(山口鶴男紹介)(第一二四九号)  同(山崎始男紹介)(第一二五〇号)  同(大柴滋夫紹介)(第一三三〇号)  同(岡本隆一紹介)(第一三三一号)  同(加藤清二紹介)(第一三三二号)  同外一件(加藤万吉紹介)(第一三三三号)  同(小松幹紹介)(第一三三四号)  同(神門至馬夫君紹介)(第一三三五号)  同(千葉佳男紹介)(第一三三六号)  同(楢崎弥之助紹介)(第一三三七号)  同外一件(西風勲紹介)(第一三三八号)  同(畑和紹介)(第一三三九号)  同(穗積七郎紹介)(第一三四〇号)  同(山本弥之助紹介)(第一三四一号)  同(依田圭五君紹介)(第一三四二号)  自閉症児教育施設整備等に関する請願河野  洋平紹介)(第一二五一号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  文教行政基本施策に関する件      ————◇—————
  2. 大坪保雄

    大坪委員長 これより会議を開きます。文教行政基本施策に関する件について調査を進めます。  質疑の通告がありますので、これを許します。小林信一君。
  3. 小林信一

    小林委員 警察庁警備局長がたいへんお忙しいようでございますから、最初お伺いいたします。  今回のこの予算の中に警察官増員の問題が出されておりますが、その増員をする根拠というのが、学生問題を考えておるからだというふうに私ども聞いておりますが、そのとおりですか、お伺いいたします。
  4. 川島広守

    川島(広)政府委員 お答え申し上げます。  来年度の予算警察官総計五千名の増員お願いしておる理由でございますが、その内訳といたしましては、機動隊が二千五百名、それから公安関係私服要員として一千名、さらに外勤警察官千五百名、合わせまして五千名の増員お願いをいたしておる次第でございます。  今回の増員理由といたしましては、いまお尋ねがありました学生問題がたいへん紛争を拡大いたしておりますけれども、それだけの理由ではございませんで、一昨年来の羽田事件以来、現在まで全国的に大学紛争が起こっておるわけでございまするけれども、さような集団不法事案というものが多発いたしております。そういうような情勢をもちろん踏まえてはおりまするけれども、御案内のとおり、最近におきます交通事情の悪化はもちろんのこと、さらには公域犯罪が非常に多発いたしております。そのような全体の治安情勢を勘案いたしまして、さらにまた先行き情勢を展望いたしました上で、実はお願いをした次第でございます。中でも、千五百名の外勤につきましては、御承知のとおり、昭和四十一年以来毎年六千名の増員お願いをしてまいった経緯でございますが、昨年、そのうちの千五百名につきましては、機動隊のほうに繰り入れをいたしましたので、その穴埋めといたしまして外勤の千五百名が含まれておる、かような次第でございます。
  5. 小林信一

    小林委員 学生問題が非常に関心を持たれておるときでありますので、学生問題がかかる状態であるからということが増員をするのに最も都合がいいと私ども想定をいたしております。とにかく学生問題については、これは警察庁だけでなく、一般もそういう考えを持つだろうというような考えもあるわけです。いまおっしゃられた先行きの問題ですが、大学問題については、警察庁としてはどういう見通しとか予想とか想定とかを持っておいでになるか、この際率直に御説明願いたいと思います。
  6. 川島広守

    川島(広)政府委員 先行きこの学生問題がどのように展開してまいるかということにつきましては、いま的確に展望いたしますことは非常にむずかしゅうございますけれども、現在私のほうで調査いたしております大学紛争は、一応大学当局なりあるいはまた学生代表なりが一つの問題をかかえて交渉しておる、いわば代表交渉というかっこうでやっておるものを含めて数え上げますれば、七十七の大学で現在紛争が起こっておる、かようにわれわれ治安当局といたしましては考えております。その中でバリケード封鎖なり、あるいはまた学校施設の一部占拠というような手段をとられておる学校が、けさ現在で二十三校に相なっております。先生案内のとおりに、これら学生運動につきましては、それぞれ上部政治団体がございまして、たとえば中革系なりあるいは革マル系と呼ばれております学生の派閥の上部団体は、革命的共産主義者同盟革共同という政治団体が指導いたしておるわけでございますが、この政治団体綱領等に徴してみますれば、いずれもマルクス、レーニン、トロツキーの伝統を受け継いで、共産主義社会を実現するのだということが綱領に明白にうたってあるわけでございます。したがいまして、彼らのやっております政治運動革命を目ざしておりますことは明白でございます。したがいまして、いわゆる学校当局なりがやっております教育的課題こういうものが逐次改善されていくことはだれしもの期待するところでございまして、そのように紛争が終息していくことをわれわれも期待するわけでございますけれども、一方、いま申しましたように、学生らは革命的な政治運動をこれからいよいよエスカレートしていくということを公言しております。したがいまして、これからの先行きには、さしあたり四月二十八日に沖繩で、あるいはまたその後ASPAC会議でございますとか、あるいは日米経済会議でございますとか、いろいろなスケジュールがメジロ押しになっておるわけでございまして、そういうさまざまな闘争題目をとらえまして激しく運動を盛り上げていくということでございます。例年のことでございますが、四月、五月になりますれば、学生運動は新入生を迎え、さらにはまた新しい財源でございます自治会費が入ってまいります。四月、五月になりますれば例年運動が盛り上がっていくということでございまするので、その辺の実情等を十分に勘案いたしまして、警察といたしましても、国民の不安なきょう十分に警備計画の策定をして対処してまいりたい、かように考えておる次第でございます。
  7. 小林信一

    小林委員 七十七の大学で問題がある、その闘争形態とかあるいは指導勢力という問題につきましては、きのうもテレビ等警察庁報告を聞いたわけであります。これからメジロ押しに計画が積み重ねられておる、こういうお話ですが、もう少しそれを詳しくお話し願いたいと思います。内容はともあれ、できたらもう少し順序立ってお願いしたいと思います。
  8. 川島広守

    川島(広)政府委員 たとえば三月一日に、明日でございますけれども、これは例の王子病院移転先多摩弾薬庫周辺に決定されたというふうな新聞報道が出ております。こういうふうな問題をとらえて、それぞれまた学生がこれに反対闘争を展開するということも計画に載っておりまするし、ことしの前半では、先ほど申しましたように四月二十八日沖繩で、これにつきましては昨年の十月二十一日のいわゆる国際反戦デー、例の新宿騒乱を起こした日でございますけれども、その一〇・二一の三倍の規模闘争を組む、こういうふうに彼らは公言をいたしております。続きまして、日程はつまびらかでございませんが、愛知外務大臣がアメリカにおいでになる五月末なりあるいは六月の初めというふうに新聞では伝えておりますけれども、これに対する阻止闘争、さらに六月になりますと、ASPACの第四回会議日本で開かれる予定になっております。これに対する妨害ないしは阻止闘争を展開する。それから続いて七月に入りますと、日米貿易経済会議が開かれる予定になっております。これはかって一昨年京都で行なわれまして、妨害事犯がありましたことは先生も御記憶のとおりであります。さしづめ、ことしの前半では以上申しましたような幾つかの大きなピーク予定されておる次第でございます。  それとあわせまして、いずれの学生運動でも、それぞれの拠点校というものを選んで、大学を拠点化するということがかねての彼らの目的でございまするから、いま申しましたような幾つかの大きなピークの間を縫って、いわゆる学園そのもの学校拠点のための闘争がそこに重なってくることは当然であろう、こういうふうに見通しを持っておる次第であります。
  9. 小林信一

    小林委員 そういう情報は的確につかんでおいていただくことがいいのですが、そういう情報がどういう形でつかまれておるのか、こういう点も実はできるならばわれわれお聞きしたいところなんですが、それはとにかくとして、いまお話の中にありました革命的運動ということばがあるのです。最近改革とか革命とかいうふうなものがすべて暴力的な行為にみんな考えられてしまうわけですよ。世の中を進展させる意味の革命というふうなことばも使われておるわけですが、すべていまのような、特に警察庁あたりが使うことばから、みんな暴力的なものに意味されるおそれがあるわけなんです。そこで学生問題について、学生扱い方の問題でいろいろ配慮はされておると思うのですが、ひとつ例をあげて申し上げます。  これはこの月の十日ごろの話でありますが、ローマ法王パウロ六世が、若者についての意見を公にしております。そのことばの中に、「若者たちが激しい暴力で否定しようとする問題の多くが真に問題であるという事実は否めない。」つまり暴力でもって否定しようとするそのことは、すべて悪いと判断してはいけない、そのあげておる問題が事実考えなければならない世界の問題であるということを否定してはいけない。いま世界的に起きておるさまざまの若い人たちの抵抗とか抗議とかいうものに、ローマ法王一つ判断をしておるわけなんです。これは世界的に大きな反響を呼んでおるわけなんです。したがって、ただ学生行動をすべて暴力的な、革命的な行動である、こういう判断をしてしまうこと、そういう印象を一般に与えることはいけないと思うのですが、こういう点で、警察当局も考慮はされていると思うのです。したがって、学生行動に対する何か留意をしておる点がありましたら、ひとつお聞かせ願いたいと思うのです。何か、こう世間からきびしい批判がある。まさか、それに便乗して警察が無鉄砲に突っ走るなんということはないでしょうが、しかし、ともすればそういう批判も出てきて、かえって学生問題というものに油をかけるような形勢もあるわけなんです。そういう点で、この際一言警察庁の態度というものをお聞かせ願いたいと思います。
  10. 川島広守

    川島(広)政府委員 ただいまお尋ねの中にもございましたように、先ほど申しました私どもの真意は、彼らが何を一体目ざしておるのかということについてお答えをいたしたわけでございますが、ただいまお尋ねの中にございましたように、われわれ警察のほうといたしましても、学生そのものが理不尽な暴力をふるっておる。その行為それ自体については、われわれはこれを看過するわけにはまいらぬわけでございますけれども学生その人個人個人の心情、あるいは家庭環境その他等につきましては、常に十分な配慮を実はしておるわけでございまして、具体的な例でたいへん恐縮でございますけれども、あの十八、九日の安田講堂の場合にも、テレビごらんになられましたように、頭に手を上げて実は逮捕されておるわけでございますが、若い警察機動隊員が、もう終わったんだから手を降ろしていいんだといって、けがはないか、こういうことを問いかけたところが、ぼろぼろと涙を流した学生が数人おったわけでございます。さらにはまた、逮捕しました後も、それぞれけがをした者については、病院まで警察官が毎日背負って治療に通わしておるというふうな事例がたくさんございます。それらの点につきましては、両親からも感謝の手紙を実はいただいておる例もございまして、先生お話しのような点につきましては、われわれといたしましても十分に心をくだいて実はやっておるわけでございまして、お尋ねもございましたので、さらにまたその点につきましては十分配慮してまいる所存でございます。
  11. 小林信一

    小林委員 そういう警察のとっておる実際行動、これについてはまた私どもいろいろ聞いたり見たりしておる事実がありまして、そういう点については、またいずれ御意見もお伺いしようと思っております。たとえば、これはもう私どもよりも世間もそういうことを問題にしているわけなんですが、ガス弾を発射する場合に、これは十五メートル以内で発射したらいけないんだ、人命にかかわる問題である。しかし、そういうことが考えられずに無鉄砲に行なわれておるというような問題もあって、いまの警察行動についてはまた論議をしなければならないと思っておりますが、学生問題に対する特別な考え方というものを、私はある程度警察庁がしていなければならないと思うわけなんです。とかくいま世間の一部のほうから強力に、警察力によって一切を解決しようというような意向もあるんですが、それでは私は大学問題は完全な解決にはならないといった観点に立っておりますので、いまのようなことを申し上げたわけですが、そこで、警察庁のほうでは、そういう情報をつかむと同時に、彼らのほうの作戦計画とかあるいは資金の問題だとかというふうなものについてもつかんでおいでになると思うので、資金問題等が外国から入ってきておるというようなことまでいわれておりますが、こういう点について、警察庁のつかんでおる点を、できたらお伺いしたいと思います。
  12. 川島広守

    川島(広)政府委員 いわゆる全学連の財政と申しますのは、大きく分けまして、その内容は、いわゆる会費自治会費であります。それから寄付金、次いでは機関紙の発行その他によるいわゆる事業収益というようなものをもって財源といたしておるわけでございます。会計年度は、四月一日から三月三十一日までのものもございますし、六月一日から五月三十一日までのものもございます。私どものほうでも、これらの内容については、できる範囲において調査をいたしておりますけれども、その若干を御披露申し上げますれば、いわゆる革マル系全学連というものがございますけれども、この革マル系全学連は、昨年の六月から本年の五月三十一日までの会計予算を組んでおるようでございますけれども、総額で五百五十万円という額を組んでおります。その中で各自治会費から上がってまいりますものが二百五十万円で全体の四五%になっております。続いて多額を占めておりますのは寄付金、いわゆるカンパでございます。これが百五十万円。したがいまして、全体の二七%というふうになっておる。次いで日本共産党系全学連、これは年間の予算が二千二百九十六万五千五百三十三円というふうになっております。その内容もおおむね革マル系に準じたような内容に相なっておるようでございます。その他たびたび押収捜索で、私のほうで入手をいたしました押収物件等から調査してみますれば、たとえばいわゆる学生解放戦線と申しますか、ML派と通常言っておりますが、この上部団体を捜索しました場合に押収した物件によりますれば、いわゆる中共系の商社から若干の領収書というものが押収されております。こういうものから判断をいたしてみますと、金額は明確でございませんけれども、何がしかのものがこれを通じて入っておるということは明らかであろう、こういうふうに推定をいたしておる次第でございます。
  13. 小林信一

    小林委員 そうすると、あれだけの人間が行動したり、いろいろ資材を持ったりするには、これくらいの金では足りないような気がするのですが、やっぱしあれだけの金でもってやっているんですかね。自己負担というようなものは相当あるわけなんですか。
  14. 川島広守

    川島(広)政府委員 確かにお尋ねがございましたように、われわれも、あれだけの長期間にわたり食費を支払いあるいはまたヘルメットを購入し、角材を購入しておる。そういうような点から考えますと、とうていいま私が申しましたような金額でまかなわれておるとは思っておりません。現に一昨年の一月の佐世保事件の場合でも、街頭でカンパいたしました彼らの金額は五百万以上に上っておったことをわれわれは調査の結果明らかにいたしております。現在でも四谷駅でありますとか、上野駅でありますとか、国電の各駅で午前十時ごろから午後の二時ごろまでカンパをしておりますことは先生ごらんになられたかと存じますけれども、こういう連中の話を聞いてみますると、大体まあ午前十時から午後の二時ごろまでカンパをしました場合、一人当たり三千円程度のカンパは十分にできる。こういうことを申しておりまするし、現に集めておるようでございます。そのほか特定の人からする継続的なカンパ寄付金、こういうものもあるようでございます。したがって、大規模動員をいたします場合には、さらに自己負担と申しましょうか、最近は御案内のとおりに、どこに行っても一日アルバイトで簡単にできますものですから、家庭からの仕送りではなくて、それ以外のアルバイトによる収入、本人負担、それぞれの動員があります場合には五千円なり八千円なり持っておる。これは検挙いたしました後、身体捜検その他で調べてみますと、二、三千円の金はたいがい持っておるというふうな事例に徴しましても、かなりの自己負担というものは当然しておる。こういうふうに考えておる次第であります。
  15. 小林信一

    小林委員 もう一つで終わりますが、さしあたっての問題として入試阻止の問題です。これは私ども心配しておりますが、きのうあたり警察庁報告の中にも入試阻止というものが当面しておる最も重大な問題である。これはきのうのニュースの中からも多少わかったわけですが、警察庁としてはこの問題を重大視しておいでになると思うのですが、その点をお聞かせ願いたいと思うのです。なるべく具体的に願いたいと思います。
  16. 川島広守

    川島(広)政府委員 後ほど文部大臣からもお答えがあろうかと存じますけれども、私のほうで調査をいたしました結果を御披露申し上げますが、三月三日から始まります国立大学の第一期校の入試でございますけれども、この中で紛争をかかえておる大学校数が私のほうでは十二校というふうに判断をいたしておるわけでございます。学生側のいわば入試阻止計画、こういうものから勘案をいたしてみますると、最も問題視されますのは京都大学、それから大阪の市立大学、これは公立でございます。それから大阪大学、いわゆる阪大、神戸大学、この関西の四校について、関西地方におきますいわゆる過激派全学連、これが絶対阻止を公言して、すでに東京からも昨日三百名の学生京都に応援にも出かけております。二十六日の京都大学に乱入しましたあの事件のリーダーと申しますか、指揮をとりましたのは、東京から西下しました幹部がこれを指揮しましたことは明らかでございます。さらに下りますと長崎大学、こういうようなものが一応ございます。そのほかに岡山大学、それから熊本大学、それから広島大学、こういうような大学におきましても、それぞれ入試阻止の体制を組んでおるようでございます。警察といたしましては、あくまでも学校当局側の入試実施の具体的な内容等につきましても、詳細打ち合わせを実はそれぞれ現地県警において行なっております。警察側といたしましては、要請のあるなしにかかわらず、入学試験が円滑に行なわれますよう十分の体制で臨む所存でございます。特にいま問題のございます京都大学につきましては、明日いわゆる日共系の全学連及び反日共糸の全学連、それぞれが決起集会を開く予定になっております。おそらく、私のほうの見通しでは、反日共糸のほうが大体二千から二千五百、日共糸が三千程度の大規模な集会になろうかと存じます。過去の経験に照らしましても、両派の乱闘も当然予想されますし、そのことを想定しまして、けさも具体的に打ち合わせをいたしたのでありますが、京都府警を中心にいたしまして、関西の県警から、必要があれば必要な警察官を応援をいたしまして、十全な体制で警備してまいりたい、こういうように考えておる次第でございます。
  17. 小林信一

    小林委員 ありがとうございました。私はこの際、時間がありませんので一言だけ私の希望を申し上げておきますが、そういう情勢を的確につかんでいただくことは、これはお願いをすることなんですが、しかし、だからといって、あまり勇み足をして、学生をよけいに刺激をして問題を大きくするというふうな心配もありますので、そういう点は慎重にやっていただきたい。私はこういうことをお願いいたしまして、ありがとうございました。  次に、法務省の公安課長がおいでいただいておりますので、法務省としてこの問題についての知っておる点をお聞きしたいと思うのです。  御承知のように、ますますこの問題が深刻化してきておりまして、高等学校の生徒にも及んでおるような情勢であります。先ほどもお話がありましたように、特に入試を控えまして非常に重大な段階を迎えておると思うのですが、法務省がいままでいろいろな調査等からつかんでおりますものをこの際できるだけ詳細に私は聞いてまいりたいと思うのですが、一体学生の今度の問題を起こすその根拠というものは、どういうふうにつかんでおいでになるか。これを、大学のあり方に対してというものもありますし、また教授に対しての不満というものもある。こういう学校自体の問題、あるいは社会とか政治、こういうものもあると思うのです。あるいはそのほか世界的な一つの思潮というのか潮流というのか、そういうものも影響しておると思うのです。こういうよって来たる原因というものを、法務省としてはどういうふうにつかんでおいでになるか。あるいはその中から思想傾向というふうなものを、もし説明していただけるならば説明していただきたいと思います。
  18. 豊島英次郎

    ○豊島説明員 法務省の刑事局という検察の捜査を通じまして知り得る資料というのは、学生の持っております意識等につきましても、そのごく一部を知り得るのみでありますので、学生全体の問題として私がここで説明を申し上げることはいかがかというふうに存ずるのでありますけれども、各種の資料を総合いたしまして、一般的にいえることは、次のようなことではないかというふうに思います。  今日の学園紛争の原因につきましては、それは単にわが国だけの現象ではございません。諸外国に共通の現象でございます。これは各種の海外でのできごとの調査の結果によりましても明らかなところでございます。そういうことから一がいに簡単に何か原因をきわめるということは容易でないのでありますけれども、いわば近因ということになりますと、それぞれ大学によって異なるところの特有の原因があるだろうというふうに考えております。それは、それぞれの事件におきまして、その大学における制度なりシステムなりというものに対する不満というようなものがやはり出ておるわけでありまして、そういったそれぞれの大学に特有な原因がある。それは近因であろうというふうに考えております。それから遠因というようなことになりますと、伝えられますように、若い世代の現代社会一般に対する主張というようなものがもちろんあるように思われますし、そのほかいろいろな条件が重なって各種の紛争が起こり、その紛争がいろいろな刺激から暴力化しておるというふうに考えておるわけであります。もちろん刺激の中には、先ほど警察庁から御説明のありましたような、たとえば背後の政治団体の刺激というようかものも否定できないというふうに考えますし、また、そういう政治意識のない学生について考えます場合には、群衆心理的に動くというような現象も無視できないというふうに考えておるわけであります。そういった諸種の——あらゆる社会事象がそうでありますけれども学生紛争につきましては、いま申したような遠因、近因、諸種のものがからみ合って、そして暴発しておるというふうに考えております。
  19. 小林信一

    小林委員 私は、実際の学生調査に当たっておられるわけですから、もう少し具体的なものをお聞きしたいのですが、そういうことが許されないとするならばやむを得ませんが、いまのような御意見であれば、これはだれしもがみんな考えておるところで、あまり参考にならないわけなんです。  そこで、個々の原因というものをお聞きすることができるならば、それをお願いしたいのです。もしそれがこういう公開の場所ではいけないというのならば、あるいは委員長お願いをして、懇談会等のような形式でお聞きしてもいいと思うのですが、一応それはおきます。というのは、これから文部大臣に、文部当局にこういう問題をやはり同じように聞いていきたいのですが、あなた方の実際調査の中からつかんだものを比べながらいきたいわけでお聞きしたわけですが、それはおきます。  そこで、学生調査したりする中で、彼らは自分の行動というものと、社会が非常にその点を学生に注文しているわけなんですが、社会に迷惑がかかっているんじゃないか、自分の行動と社会、こういう問題に対して彼らはどういう心境でいるのか、そんな点がわかりましたらお聞きしたいと思うのです。
  20. 豊島英次郎

    ○豊島説明員 刑事事件を通じまして見る限りにおいてのことでございますけれども、たとえば暴行した学生で逮捕されてくるという者が調べを受けますと、実際自分のやったことが夢中の間のできごとであって、全く何といいますか、説明の合理性に窮するといったような学生も相当あると  いうことは、これは間違いのない事実であります。つまり一種の群集心理による行動である。これは新宿事件につきまして、ある実証的な実態検討がなされておる結果を私見たのでありますけれども、そういう結果によりましても、そういう学生が相当いるということは、これは否定できないというふうに思います。それから非常に意識の鮮明な学生につきましては、もちろんやったことにつきましてほとんど話をしないというのが捜査の実情でありまして、法廷におきましても革命家であるという主張をする、そして自分らの主張はどこまでも正しいんだという主張をしておる。それは合法、つまり合理的な手段も含めてこれはあくまでも正しいんだという主張をしておる。そういった部類の学生もいるわけであります。学生の中にもそういった意味での意識の濃淡が非常にありまして、直ちにやったことを悔悟し、それは政治的な不満とかそういったことを度外視して、そういった面での悔悟をするといった学生も相当数いるわけであります。どういうふうにまとめて御説明すればいいのか、私も説明の方法がよくわからないのでありますけれども、いずれにしましても、ああいう暴力的な方法について、それが確信的に容認できるというふうに考えておる学生というものは、そう多いというふうには私ども考えておりません。
  21. 小林信一

    小林委員 それから次に、いま学生同士の中で勢力争いをやっていますね。これは統一をするというふうなこともあり得るかどうか。これはもう永久にこの勢力的な争いというものは対立をしていくんだ。というのは、ある週刊誌の中で相当な学者が言っておりましたが、いまこそ学生同士の中でもって勢力争いをやっている、思想的な対立をやっている。だからいいが、もしこれが戦線統一がなされたら、いかに自民党内閣が強くても、その前に瓦解をしなければならぬのじゃないか。ということは、これは自民党内閣ということを私は言うんでなくて、これは重大な国家的な問題になってくるわけなんですね。そんな点を考慮いたしまして、いま学生の勢力というものを、そういう意味でどういうふうに判断をされておるか、お伺いしたいのです。
  22. 豊島英次郎

    ○豊島説明員 先ほど申し上げましたように、私自身の所管の範囲から申し上げますと、いわゆる情報収集的なことはわれわれの所管でございませんので、的確なことが申し上げられないのでありますけれども事件を通じて私どもが見ます限りにおきまして、現在派閥間の抗争、通称内ゲバと称せられるものは、一つは対抗派閥に向けられており、一つ学校当局に向けられておる、そういった形があるわけであります。この対立抗争は、もちろん非常に主張のはっきりしておりますグループについていいますならば、これは明らかに対立した考え方を持っておるグループが幾つか存在するというふうに見なければならないというふうに思います。しかし、先ほども申し上げましたように、そういう非常に明確な主張を持っておる学生がどれぐらいいるのかということになりますと、われわれが事件として扱うものからだけでそう的確な判断ができないので、御満足のいけるようなお答えができないというのが私の結論になるわけであります。  しかし、本来的に主張の対立しております者同士は、たとえば先ほど警察庁から説明のありましたような点の、トロッキズムを信奉するようなグループがいる。それと一方マルクス・レーニン主義の正統派であるというような主張を持っておるグループがあるということに相なりますと、この両派というものがそう簡単に私は合一するものではないというふうにこれはいわざるを得ないというふうに思うわけであります。それから、そういうきわめて思想的に、何といいますか政治思想的に、強固な考え方を持って集団をなしておるものがはたしてどれくらいあるのかという点につきましては、私自身十分な材料がないので、的確な返答はできないのでありますけれども、私自身の考えといたしましては、そんなに確信的な考え方を持った学生が非常に大ぜいいるのだというふうには思っておりません。
  23. 小林信一

    小林委員 そうすると、大体法務省としての問題の考え方というのは、やはり若げの至り、群衆心理的なものであって、そう意識的に徹底した考え行動しておる者は少ないのだ。したがって、この問題を法務省的に考えれば、そうたいした問題ではないのだというふうに考えてよろしいのか。私ども考えます点は、彼らがよく言っております、われわれは行動をして、できるだけ破壊をやれ、そうする間に一般国民も自分たちの周囲にいろいろな矛盾を発見したり不満を感じたりする、そこに一つ革命的な動機がつくられるのじゃないかというようなことを、これは法務省の刑事局長から聞いたことがあるのですが、そういうふうに見ますと、群衆心理でもって行動しておって、ほんとうに意識的な者は一部だというような見方をしておっていいのかどうか。そこがたいへんに問題になってくるわけですが、法務省当局としては、いま課長の言われたような点で意思統一をしておるのかどうか。
  24. 豊島英次郎

    ○豊島説明員 最初に私が説明申し上げた点が多少舌足らずであるというふうに思われますので、誤解を生むといけませんので再度御説明を申し上げますと、先ほど御質問にありました、いわゆるはっきりした政治主張を持っておる派閥同士の争いが解消していくかどうかというのが御質問だったと思います。その点につきましては、主張の明確な者は少なかろうという私自身の判断を申し上げたわけであります。それから最初の御質問の際に、群衆心理にかられて動く者が相当いるということを申し上げたわけであります。それじゃその二色だけかというふうにもしお考えならば、その点は私、説明申し上げなければならぬというふうに思うわけでありまして、最初の説明の中で申し上げましたように、若い世代、学生を含めましていろいろな不満を感じておるということは確かだというふうに思うわけであります。そういう不満を持っているということイコールそれは何かの政治思想的な主張を持っておるということにはならない、そういうふうにはつながらないというふうに思うわけであります。  法務省当局としてどういうふうに考えておるかという御質問でございますけれども、私自身扱っております検察の刑事事件の処理という中で、そういった基本的な問題を、法務省としての考え方を提示するというほど、何といいますか、所管の範囲が広うございませんので、これが法務省の考えだというふうには申し上げるわけにはまいらないのでございますけれども、まあ、私が申し上げましたところ、あるいは前に刑事局長が申し上げましたところ、その趣旨は、要するに学園紛争については、最初に申し上げましたような遠い原因、近い原因、いろいろな原因がある。もちろん、そういう原因を学生自身は、明確に意識しておる者もあれば、ばく然と意識しておる者もある。それから全く群衆心理的に付和随行しておる者もある。といったいろいろな形があるだろうというふうに思うわけであります。決してごく一部の確信に満ち満ちた分子と、それ以外はすべて群衆心理で動く分子から事態が起こっているというふうには思っておりません。
  25. 小林信一

    小林委員 ありがとうございました。もちろん、その群衆心理的な行動学生自身も、いまの社会情勢あるいは政治情勢、こういうものが密接に関連を持ってくるところに、今後この問題がどういうふうに発展をするかしないかということがきめられるわけなんで、そういう点は、法務省としてはいまの社会事情、政治事情をどういうふうに見て立っておられるかということが問題になるわけなんで、そういう点を法務省に聞くことはあるいは無理かもしれませんが、そうした形でもって見ていかなければならぬものだと思うのです。そういう点は十分わかっておいでになるかもしらぬが、あるいはこういうところでは言えぬのかもしれませんが、そういう点で私は法務省の御意見を承ったわけですが、たいへんありがとうございました。  次に、大臣にお伺いしてまいりますが、昨年の暮れの臨時国会で佐藤総理大臣が施政方針を述べられております。その冒頭に、世界全体が一つの転換期に入っておる。日本はその中でも最も社会機構というふうなものが複雑になってきたために、その転換期というものはどこの国よりも顕著である。その中から生まれてきた大学問題であって、これは百年にして初めて受ける試練である。こういうふうに大学問題というのを、昨年の臨時国会の劈頭で総理大臣は強く言っておられるのです。確かにいまの大学問題というのは、私も総理大臣と同じように考えるわけですが、その重大な問題の解決のために坂田文部大臣は選ばれたわけなんで、坂田文部大臣が多年教育問題について非常な見識を持っておられる点が買われた、これは私は当然だと思うわけです。したがって、大臣もその意気に感じてこの問題に真剣に取っ組んでおられると思うので、大臣の使命というものは非常に重大であるし、また、これは大臣のいままでの経験を生かしてみごとにその解決をしていただきたいことを私は念願するものであります。  しかし、そういう期待を持っておる私でありますが、大臣の努力されておられる点で多少遺憾な点があるのです。私は、特にきょう大臣にそこにいてもらって、どうも十分に質問がうまくできなかったわけですが、警察庁、法務省といういわゆるこれを取り締まる側からのこの問題の見方というものを聞いて、私は、これは非常に重大な問題である、総理大臣が口で言うのでなくて、百年にして初めて受ける試練であるという、そういう問題の見方というものは、もっとしっかり持たなければならぬという点をお二人から聞いてみたんですが、そういう強い印象というものも多少感ぜられたと私は思いますが、しかし、残念な点というのは、文部大臣がこの問題を非常に矮小化して見ようとしておるんじゃないか。つまり暴力をふるう学生と、これを十分に管理する能力のない大学当局の問題である。こういうように何か印象づけようとしておるような点があるし、あるいは大臣自体がそういうふうに見ておるのかもしれませんが、そこに一つ私の遺憾な点があるわけです。もっとやはり政治あるいは社会、あらゆる問題がこれにからんできておるというふうに見ていかなければ、この問題解決はできないんじゃないか、こう思っておるわけです。  したがって、まず第一番にお聞きしたいのは、この委員会でもってこの問題を正式に論議するのは、いままでいろいろな意味からして懇談会等を開いてしなかったわけです。したがって、ここで正式に大臣の意見を聞くために、まずそのよって来たる原因を大臣がどういうふうに掌握しておるか、この点からお聞きしてまいりたいと思います。
  26. 坂田道太

    坂田国務大臣 総理大臣が百年に一度のというか、そういう一つの転換期に来ておる、大学問題の原因の一端もそこにあるんだという、その把握はやはり正しいと思いますし、私自身もそういうふうな把握をいたしておるわけでございます。確かにいま暴力学生というものによって、大学の基本的な学問の自由とかあるいは大学の自治、真に学問をしようとする学生並びに教授、あるいは教育を受けようとする一般学生というものが、十分にその研究活動、教育活動ができないということに問題があるというわけでございまするが、しかし、そのよって来たるところ、原因というものを考えれば、私は、あらゆる機会に言っておりますが、単に学生だけを責めてもそれだけで解決はできない。また、これを受けとめるところの大学当局の古さとか、あるいは改善すべき幾多の学内問題もあるということも承知をしておるが、その大学当局だけを責めても解決はできない。そういう気持ちの底には、いま小林さんが申されたような意味において、広くは文明史的な一つの原因というものが背後にある。それから近くは、戦後二十年の民主主義の弱さというものがあるいは象徴的にあらわれておる。あるいは単に大学問題だけれども、それは同時に大学に入りますまでの高等学校、中学校、小学校教育にも原因がある。あるいはその学生を生み育ててきました父母、家庭にも問題があるというふうに私は実は考えておるわけでございます。したがいまして、この問題解決は、現在の紛争紛争といたしまして、民主主義の敵でございます暴力の排除ということには、われわれが一致して当たらなければならないが、同時に、この複雑多岐にわたる原因の究明なくしては解決はできない。したがって、相当長時間を要して慎重に各党でもお考えをいただきたいし、また世間の議論にも耳を傾けたいし、各大学当事者の大学再建のいろいろの方途も考えたいと思う。そういうことを踏まえなければ新しい国民のための大学というものはつくり上げられないのじゃないかというふうに思っておるわけでございます。  たとえて申し上げますと、その一つは、大学当局の古さとか、あるいは改善の余地ありというような点につきましては、大学というものが学部自治におちいっておる。そして全学的意思の決定ができない。学部自治と申しますが、実はその弊害は学部閉鎖的エゴイズムというところまで発展をしてきておる。そういう原因はどこかというと、終戦後、われわれが六・三・三・四制度をとって、そして新制大学の発足をいたしたわけであります。しかしながら、新制大学は発足いたしましたけれども、これはアメリカの教育視察団が勧告をし、また、その当時のわれわれの先輩の方が、これに対しまして、この道を選ぶということで六・三・三・四制度を採用されたわけでございます。そういたしますと、この六・三・三・四制度というものは、かつての旧帝国大学というものとは理念的に違う。むしろ旧帝国大学は、ドイツのフンボルト大学あたりの、学問のうんのうをきわめ、そしてまた国家枢要の人材を育成するのが大学であるという、こういう象牙の塔的な大学であった。ところが、新制大学になりましてから、その理念というものは、ドイツのフンボルト大学は十八世紀でございますから百数十年も経ておるわけでございます。そのものの考え方というものは旧帝国大学にも受け継がれ、そしてまた新制大学になりましても、なおかつ大部分の教授の頭、あるいは学者の頭にそれが払拭されなかったのではないか。制度としては、アメリカに育ちましたところの、いわば万人のための大学という、そういう大衆化された大学ということで始まっておるにかかわらず、それに徹し切れなかったというところに問題があるといたしますならば、いま御指摘のような意味において、時間的に申しましても百年の一つの転換期にきておる。そして戦前においては八万くらいの大学生でございましたけれども、今日は百五十万の人たちが各界各層から入ってきておる。また、その能力においても、高等学校の成績が大体六〇%くらいであるならば高等教育機関に学べるという時代になってきておる。そういう意味合いにおきまして、やはり一つの転換期である新制大学をつくるときにその理念に徹すべきであった。大学も、そしてわれわれ文部省もそうであったと思いますが、その点についてわれわれ文部省においても、はたしてその理念に徹し得たところの指導をやってきたかということについては、私みずからも反省をいたしておるようなわけでございます。  文明史論的に申し上げますならば、御承知のとおりに機械化文明、自然科学というものが異常に発達をして、人間というものは社会に対応し適応する力を持っておるわけでございますけれども、この二十年間の自然科学の進歩というものに対して、人間がなかなか対応できなくなってきておる。そういうことがいえるかと思うのでございます。また、昔のわれわれの育ちました時代においては、文字へ活字を通じてものを考え、思索し、思想が生まれ、文化が形成される、その中に育ってまいりました。しかし、戦後のこの異常なテレビの発達あるいは視聴覚教育、視聴覚の情報産業ということにおきまして、目、耳というような感覚的な、そういう形でものを把握し、あるいは知識を獲得し、そしてそれに対して意思を発表し、行動をする。したがって、きわめて前の時代よりも衝動的、あるいは即物的反応を示すということは、これはやはり自由社会における、進歩した社会における特徴的な現象ではないかと思うわけでございまして、これはやはり小林さん御指摘のとおり、世界的な広がりを持った一つの共通した若者たちの表現のしかた、あるいはものの受けとめ方、知識の獲得のしかたということにつながってまいるかと思うのであります。  その一つの証拠には、たとえば京都大学で追跡調査をいたしております御承知の入学試験を受けて入りました学生を調べてみると、大体一二%から一五%精神障害を受けておる。分裂症、ひどいのは躁鬱症、それからノイローゼ等々の精神障害、しかもこれは単に京大だけではなく、東大でもほぼ同じようなパーセンテージである。あるいはまた、アメリカのカリフォルニア大学の一番有名なバークレー大学においてもそのような傾向が見られる。あるいはコロンビア大学においても、ケンブリッジ大学においてもそうである。こういう現象は、やはり私は機械文明におけるところの人間疎外と申しますか、そういうものがいま問われておる時代であって、その意味において転換期だ。まさに百年の転換期であるという総理のこの認識というものは、私は正しい。その一つとしてやはり大学問題というものが出てきておるというふうに見ておられることについて、私は同じような考え方を実は持っておるわけでございまして、この点はむしろ小林さんもそのようにお考えだと私は思っておる次第であります。
  27. 小林信一

    小林委員 大臣のそれはもっと深く探った御意見があると私は思うのですよ。しかし、いままとめられた御意見を伺いましても、単に学生と教官だけの問題で解決し得られない問題である。しかし、いま述べられたような問題も、やはりこれを集約して、そしてその一番核心というふうなものを的確にしなければならなくなってきておるのが現在の大学問題ではないかと思うのです。いま大臣は、機械文明による人間疎外、こういう問題が世界共通のものであるし、日本にもそういう点が顕著である。そういうところから起きてきている原因というものが考えられるのじゃないか、こうおっしゃったわけですが、そうすれば、そうしたものは、これはもう政治を担当する者は当然見きわめなければならぬし、文教行政を行なう者はこれを正しく判断して、それに対応する施策というものを持っていかねばならなかったはずですが、しかし、残念ながらそういう点に的確性を欠いたとか、あるいはことによるとそういうものをかえって増長させるような気配もなきにしもあらずだ、こういうように私は考えていかなければならぬと思うのです。それは特に経済団体あたりがこの問題に対して持っておる考え方というものは、彼らみずからもっと自粛自戒しなければならぬ点等がある。こう思っているわけで、私はそういう点も大臣と話し合いをしていきたいと思うのです。  そこで大学自体の問題ですが、先日もこの点について西岡さんが触れられていたんですが、何となくこういう印象があるのですね。大学は、ことに大学の自治、こういう問題は、これは戦争というものを経過して世の中はみんな変わった、変わらないのは大学だけだ。ことに東大は旧帝国大学のままでもって存置されておった。だからいまこういう問題が起きてきておるのだ。こういうふうに世間はいっておりますが、私はこういう考えをしているのです。私は変わったと思う。あの戦争が終わった直後、いわゆる学問の自由、大学の自治という問題を新しい大学の行き方として変えたと思うのです。しかし、その変えたものが、もうそれが古くなってきておる。それほど社会の一つの転換というものがなされておる。要するに、学問の自由とか大学の自治とかいう問題を大学にあてがったけれども、これが完全に正しく行使されなかった。結局、最近使われておることばでは、管理された秩序、それを大学の自治、こう言っておる。いま大臣は、古い頭の教授がそのまま存在するからというふうに言われておるのですが、これが大学の真の自治でなくて、管理された秩序、そういうものでもって大学を維持しようとしてきた。そして、それがいろいろな社会事情からしてそのまま温存されるような形になってきて、いま学生諸君が、これを自覚して、これに対して抗議をしているというように考えるわけなんです。そうすると、今度は、その新しい制度というものをつくっていく場合に考えなければならぬのは、いわゆる教授会の自治というふうなものでなくて、学生意見を入れた大学の自治、こういうことが考えられなければならぬと思うのです。しかし、この問題をめぐって、確認書等の問題から学生の参加ということはいけないと言う人もあるし、そういうような過程から考え学生を参加させるべきである、その参加の方法はいろいろあると思うのですが、そういう一つの基本的なものを持つ必要があるではないか、こういうように言う人もおるのですが、大学のあり方について、この参加の問題を、大臣がいろいろ言われておりますが、ここで一そう明確にしていただきたいと思うのです。
  28. 坂田道太

    坂田国務大臣 ちょっと誤解があるといけませんので申し上げておきたいと思いますが、私は、大学が今日世界の、あるいは日本の社会の変化に対して対応していないということは、はっきりいえると思います。しかしながら、それだからといって、私は、大学の本質——大学の本質というのは、やはり学問の自由、そしてそれによって大学の自治を守っていくというこのことは変わっておらないと思うのです。私は、このことをはっきり踏まえて大学問題に対処しなければいけないのではないかというふうに考えるわけでございます。  それからまた、制度やその他いろいろなものが、民主的な制度、法律というものがつくられた。しかしながら、運用する人に民主主義的な運用あるいはものの考え方がなくては、制度自身を幾ら変えてみたって、それは民主主義的なことにならないという意味において、問題はそれを運営する人にあるのだという考え方でございます。  しかも、この二十年間、われわれにも反省すべきことがございますけれども、一応大学としては、その学問の自由、大学自治を尊重するたてまえできたわけでございます。したがいまして、第一義的には、今日の大学というものにこういういような改善すべきところのものがあるとするならば、その責任というものは、やはり大学自治自身が持つべきものではないかというふうに私は思うのであります。それを、戦前天皇制に対して批判を許さないというところにいろいろな問題があったと同様に、戦後は、むしろ学問の自由とか大学の自治とかいう美名のもとに、これに対しての国民の批判とかなんとかいうことを許さぬというような風潮があったことが、やはり今日の紛争の原因になってきておる。つまり社会はどんどん進歩しておる。ところが、それに対する対応のしかた山というものを、大学当局みずからは考えることが浅かった、こういう指摘はできるのではないか。  それから、先ほどのおことばでございますけれども、たとえば企業側の人たち代表が来て、大学についてこういうような考え方を持っておりすすというようなことが、そういう考え方というものが国民の中から、各界各層から出てきてしかるべきものであって、それを一々いけないとかなんとかいうような考え方自体が私は間違っておる、かように思うわけでございます。  そういうようなことを考えました場合に、大学を構成している者が学者であり、学生であり、事務職員であるから、三者協議会できめて、そしてそれをやればいいじゃないかという、こういうような発想というものが、私は、今日求められているところの国民のための大学ではないかというふうに思うのでございます。  学問の自由は守らなければならない。しかし、その大学自治たるや、やはり学校当局も教授もまた学生も、社会に対する責任というものを持たなければいけないのではないか。特に国立においては、国民が税金を支払っているというこのことを踏まえて、大学というものが存在しているということをきびしく反省すべきではないか。それだからといって、われわれに手落ちがなかったかというと、そうではない。むしろ、御指摘のその大学自治の美名のもとに、われわれが指導助言というものを十分に果たし得なかったというところにおいて私は反省をいたしているわけでございます。  そういう国民のための大学、社会の変化に対応する大学として新しくつくられるとするならば、それは参加の問題にしましても、おのずから限界というものがあるのではないか。少なくとも学ぶ者あるいは教える者の関係というものは、学生学生であり、教官が教官である以上、あるいは大学院におきましても、研究者としての大学学生と、それから指導いたしますところの大学教授というもののこの関係はやはり続くものでございます。したがいまして、学生と教官とが同等の権利を持つというような参加というものは、私はどうしても考えることができないわけでございます。しかし、管理運営の主体であります大学当局のいわば人事権あるいは予算というものに学生の意思が反映される、そのことを学生参加と申しますならば、私は、そういう形はやはり学生に与えて、そういう点をくみ上げなかった大学当局というもの、あるいは大学の構成、運営のやり方ということについては、今後考えていかなければいかぬのではないかというふうに考えるわけでございます。
  29. 小林信一

    小林委員 私も学生の意向というものを大学の自治の中に、形はともあれ取り入れるということ、これは必ずしも教える者と教えられる者との関係をなくなすということではないと思うのです。いかにしていい大学をつくるかというそういう考え方の中で学生意見も聞く、そうして運営される中で教える者と教えられる者との人間関係というものをつくっていくというところに、いままでいわれた師弟関係というものが、もっとより高度なもので結ばれていくと思うのです。いままでのように学生を参加させることは越権であるというふうなからに閉じこもっておったところに師弟関係というものがあったとしても、それはきわめて形骸的なものであったと思うのです。これは今後学生の参加という具体的な問題について、いろいろと意見を承らなければならぬわけですが、私は、そういう基本的な考えを持っているのですが、大臣の考えとそんなに変わるものではないと思います。  そこで、こういうことも大学の自治という問題でもって考えていかなければならぬ問題じゃないか。それは学問の政治的中立、これは私どもも決して反対するものではございません。しかし、大学のようなところで教授なりあるいは学生なりというものが、ほんとうに非政治的な日常化というものができるかどうか、非常に大学の実際のあり方からすれば問題だと思うのです。しかし、これを非常に神経をとがらせてきた自民党内閣としては、学校という問題については、これを強く意識し過ぎるということが、大学の自治がいま非常に問題になっておるような形にした傾向もあると思うのですが、ここら辺が非常にむずかしい問題でありますが、私は、簡単に政府の態度というふうなものをつかまえれば、最近の大学の教授というのは、大体保守的な教授がなくなってきておる、みんな革新的な思想を持ってきておる、けしからぬ。それにやはり感化されて、学生もそうした思想を持っておるというような点でもって、政府というものは大学に何か異常な考えをもって臨んでいやしないかと思うのですよ。一番問題になるのは、学問の政治的中立の問題ですが、これをただ概念的に固執すると、私は、大学の中には、かえってその問題というものは多くなってくるんじゃないか。大学のあり方の一つとして、この点の大臣の御意見を承りたいと思います。
  30. 坂田道太

    坂田国務大臣 いまのお話ですが、学問に政治的中立とかいうことじゃなくて、学問の自由は保障されておるわけでございます。ただ、先生のおっしゃった意味は、私は、この間の東大紛争、入学試験中止の協議の過程におきまして、一月十七日加藤代行と、また大内教授と協議をいたしました。その際に取りかわしました文書をごらんいただくとわかると思いますが、いまや東大は学内問題ではなくて、政治問題になっているという、こういう認識をいたしておるわけでございます。したがって、警察官を導入してでも、このいわば不法占拠、不法状態のものを排除する決意だ、だから、ひとつそのことによって教育正常化が行なわれ、授業再開が行なわれ、そうして入学試験実施ということにつながるならば、ひとつ考えてほしい、また、自分たちとしてはそれをやる決意であるということを実は申し述べられておるわけでございます。したがいまして、もう東大みずからが政治問題なんです。外部からの学生、あるいは十六日の段階では、その外部の学生だけではなくて、一般労働者までも入ってきた。こういうことによって大学の秩序というものが乱されて、そうして一般学生及び教授たちの研究の自由というものがめちゃくちゃにされておる、こういう認識に立っておるわけでございます。したがいまして、いわゆる政治活動、正常な意味における政治活動、あるいは学内における集会、交流、あるいはいろいろなことが催されることは、当然大学としては考えなければならないけれども、もはや東大の今日の状況というものは、その政治的な一部主張を持った学生たちによってじゅうりんをされておる、こういうことであります。今日の紛争の一番大きい原因はそうであって、これに対してどうするか。そのいわば健全な意味における、正常な意味における自治活動というものと、それを越えるものと、限界は御指摘のとおりなかなか私はむずかしいと思うのでございます。しかしながら、およそ大学というものは良識と良心の府であって、そういういわゆる逸脱した政治活動は許されないというこの大学当局の認識こそ、私は、これを踏まえて考えていかなければならないのであって、それに対してわれわれがぐらぐらする、あるいはぐらぐらしてきたというところに問題があるんじゃないか。むしろ教育基本法の八条の精神というものは、やはり小中高、大学までも及んでおるということを、いままでの大学教授あるいはこの管理をいたしました人たちが、その認識に欠けていたんじゃないか、こう私は考えるわけでございます。
  31. 小林信一

    小林委員 その政治的な学生行動なりあるいは教授の一部持っておる政治的な傾向、こういうものがいまの大学のあり方の中から生まれてきたというふうに見るのか、あるいはその政治的な行動というものが学生に強くなってきておるのか、学生を処遇する政治の責任とかあるいは社会情勢とかいうふうなものから生まれてきておるのか、そういうところを私は大学問題の要因という点で検討しなければならぬ段階だと思うのです。いまそれを、こうなっておるからこういうふうに始末をしなければならないんだという結論を大臣は強く言われているわけですが、そういう傾向になってしまったその要因というのはどこにあるんだということを私は突きとめようとしておるわけなんです。そういう意味で、いままで大学に対するそういう考え方が文部行政の中から責任を問われるようなものがなかったかどうか、こういう点を私は大臣とお話し合いをしたくていまの問題を提案したわけですが、それはそれくらいにしておきまして、それがやはり次の問題になるわけですが、大学のあり方という問題と、そうしてその大学に対する国の政治のあり方、ここにも私は考えなければならぬ点がたくさんあると思うのです。これを大臣からお聞きしたいと思うのですが、教授の待遇の問題とか、施設を整備する問題だとか、講座制のよってくる問題とかというものがたくさんにあると思うのですよ。これは一がいに、いわゆる政治が干渉してはいけないというたてまえをとっておったからというふうにともすれば逃げやすいのですが、私は、やはりその点を政治の面から反省をしていかなければならぬと思うのですが、そういう点について大臣もお考えを願いたいと思うのです。
  32. 坂田道太

    坂田国務大臣 私は、やはり大学教授が、従来学問の自由を守るということは国家権力からこれを守るということに非常に強い関心を持っていた。これは歴史的に見ましてそういうようなことを持つのは当然だったと思うのです。しかしながら、戦後における新憲法のもとに発足いたしまして以来、むしろそうではなくて、ことに最近の状況は、国家権力の介入によって学問の自由が侵されておるということよりも、むしろ、政治的な諸団体、あるいは最近の暴力的な、学外学内を問わず、こういう学生集団によってまさにこの学問の自由が侵されておるということに対してきびしい認識を持ち得なかったというところに根本の原因があると私は思っております。そういうことに対してわれわれが指導助言を尽くし得なかったという反省を私たちはいたしております。  また同時に、それに対して第一義的には、東大にしましても各大学にしましても、その学問の自由やあるいは大学の自治あるいは教育研究というものをやる社会的使命を持った大学が、いろいろの改革案をも考えるべきであったと思うのでございますけれども、それに対応するところの改革案というものは今日まで実は出てきておらなかった。やっと最近、東大紛争のあの中からそれが生まれようとしておるということでございます。施設設備、もちろんこの点につきましては、教育環境というものが大事でございますから、われわれとしてもできるだけのことをやってきましたけれども、不十分だということは認めざるを得ないと思います。待遇にいたましても私はそうだと思います。ただ、東大の問題で一番紛争の原因になりましたあの臨床研修医の問題につきましては、謝礼金一万五千円というものを、三万円までと思いましたけれども、それは大蔵省との折衝で二万七千五百円になりました。無給医局員にしましても、謝礼金一万五千円を三万五千円にいたしました。こういうことを怠っておったというようなこと、十分でなかったというようなところは、小林さんの御指摘のとおりだと思うわけでございます。
  33. 小林信一

    小林委員 やはりそこに大臣と私の考え方の違うところがある。憲法とかあるいは教育基本法とか、こういうものが完全に大学の中でも守られるようにというところから、極力その国家権力の支配というものを押えておった。だから外部から政治的ないろいろな圧力というものが加わって、いまのような大学になってきたんだ。こう言われますが、私に言わしめれば、これは大学だけでなく日本の教育全体が、憲法が完全に実施されるとか教育基本法が完全に実施されるとかいうふうなことは、政府自体あまりおもしろくない、こういう考えをいままで政府は持ってきたのじゃないか。ほんとうに憲法とかあるいは教育基本法とか、それを生かした教育の運営がなされるためには、ほんとうはもっと教師の自主性というものを発揮させるような教育行政がなされなければならなかったと思うのですよ。ただ何か一つ器に入れられて、これはやってよろしい、これはやっていけないというような中に教師というものを、これは小中学校から大学の教師までワクに入れて、そして国家権力は支配しないのだというような形にしようとしてきたおそれがあったと私は思うのです。だから教師の自主性というものが非常に弱い、そういうところに外部から政治的な一つの支配あるいは介入があれば、それに動かされるようなものがあると判断するほうが、この際大事じゃないかと私は思うのです。憲法の問題にしましても、教育基本法の問題にしましても、私はどっちかといえば、政府は、教育基本法だって、これくらいな教育基本法は意味がないのだというような意向を持っておる人がたくさんあったはずなんですよ、改正すべきだと言ったはずなんです。そういうふうに消極的に憲法や教育基本法を見てきたところに、教師の自主性というものが十全でなかった、だからそういうすきを与えたというふうにも私は考えるべきじゃないかと思うのです。だから大臣と私は逆に問題を見ていく必要もあるのじゃないかと思うのです。  それから、医学部の問題についていまお話がありましたが、確かに研修医の問題については改善されたでしょう。しかし、そんなことでもって文部省が満足しておっては私はたいへんだと思うのです。まだまだ一この医学部あたりの様子を私どもが探ってみましたところ、こんな例がありますよ。大学先生も研修をする、何か学会というふうな名前でもって研究発表等が行なわれますね。ところが、こんなのは国の費用やあるいはそのほかの正規の費用でもってやるのじゃなくて、大体薬の会社あたりが、自分の薬を使ってもらいたい、自分の薬を宣伝してもらいたいというふうな意思がきっとあるのでしょう。表面はなかなかりっぱですね、先生たちの研修のためにその場所を提供したり、先生たちの旅費を提供したりあるいはおみやげまで持たせるというようなことで、大学の医学部の教官あたりが満足して研修をしておるというふうなことをいっておるのですが、これなんかは、改善されたといっても、もっともっとまだ力を入れなければならぬ点がたくさんにあると思うのですよ。だから総じて教育行政というものにも大学の今日を生んだ原因というものがたくさんにあるし、改善をさせなければならぬ。一番その根本の問題の、いま申し上げました憲法、教育基本法、これはやはり政府自体として、消極的な態度からもっと積極的な態度というものを持つ必要がありはしなかったか、こう思っております。
  34. 坂田道太

    坂田国務大臣 いま臨床研修医の問題あるいは無給医給医局員の問題、謝金の問題、これを非常に小さい問題とおっしゃいましたけれども、私は小さい問題だとは思っておりません。それが第一やはりこれの根本原因になったわけで、その他幾多改革すべきものがあると思うのですけれども、一体医局の制度というものをそういうふうに放置した責任というものも私は責任を感じておるのです。しかしながら、第一義的には大学自治の名のもとに、まず第一には大学当局がそれにメスを入れるべきじゃなかったかと私は思う。改革すべきじゃなかったかと私は思う。それがなされてないのです。そこに問題がある。しかも大学には、指導、助言をちょっといたしましても、それはやっちゃいかぬというような議論がこの二十年間続いたわけであります。そういうようなことで、やはり私は総理のおっしゃるように転換期に来ておるのであって、これは単に大学当局だけを責めてもだめだ、一部の学生だけを責めてもだめだ、やはり国民全体がこの大学問題というものをわがことのように考えなければならない時期に来た。こういうことで、私は慎重に中教審にお願いをしてこの検討を願っておる、こういうことでございますそれだからといって、たとえば教官の待遇の問題であるとか、あるいはそれぞれの大学の改善策について私たちが何もやってないわけじゃないので、むしろ、これに対しては長い時間をかけて慎重に各党の御意見も聞き、世論も聞きながら進めていかなければならない課題であって、そう速急にできる問題じゃない、こう思っておるわけでございます。  それから憲法とか教育基本法の精神が云々というようなことでございます。しかし、大学に関する限り私はいま申し上げましたような状況である。それから小中校の問題についても政府が非常に自主性を侵したじゃないかとおっしゃいますけれども、私は、小林先生がおっしゃるように、もう少しあの教職員の人たちが、自主性を持つべきであると思うのです。なぜああいうようなことになったかということは、むしろ教職員団体の方々が、当然の経済闘争ならいいんだけれども、そうじゃなくて、子供たちをほっぽり出して一斉休暇の名のもとにああいうようなことをやってきたということにも原因がある。あるいは偏向教育を教壇でやろうとした事実もある。こういうことでだんだんそういうような形になったのであって、これは私どもにも責任がありますけれども、やはりこの先生方にも考えていただかなければならない。小中校の先生というものは、子供たちの白紙の頭に対してどういう影響を与えるのか、自分みずからの行為行動というものがどういう影響を及ぼすのかということを、教育者としてはきびしく反省していただかなければならない。こう私は思うわけでございます。大部分の教職員の方々はそうであると思いますけれども、その一部の人たちの中には、教育者としていかがかと思うような事例がこの二十年間の過程において相当あったかと思うのでございます。そういう意味合いにおいて、お互いがこの際やはり反省すべきところじゃなかろうかというような気がしてならないのでございます。まあ、この点は小林先生もよくおわかりのことだと思うわけでございまするが……。
  35. 小林信一

    小林委員 いま大臣は、医局生の待遇をよくしたことは小さいことじゃないじゃないかと言いましたが、確かにそれは小さいことじゃなく画期的なことですよ。しかし、全体から考えれば私はたいしたことじゃないと思う。最も根本的なものを探れば、一体大学問題の根本は何だ、この医学部の問題から出てきたわけですね。あのときに医師法の一部改正なんということは、普通の国会のあり方ではおそらくあんな画期的な改革はしなかったと思うんですよ。学生がこの問題を取り上げて——私は行動に示したということはともあれ、ともかく学生が問題にしたというところに、そう言っちゃ何ですが、政府も一つの恐怖感を感じてやった措置だと思うのですよ。政府自体が反省をして考えて、これはこうすべきだと、あの医局生の待遇問題を考えたのじゃなくて、学生自体から反省を促されてやったものである。そういう意味では、私はそんなに政府当局が自慢する必要はないと思うのです。それくらいあの医局生の問題というのは、私は大きな反省の中から考えていかなければならぬ問題だと思う。ましてその中に依然として残っている医学部の封建性、こういう問題は指導と助言以外に道はないんだ、そういうところからこういう問題が生まれているのだというふうにきめつけられますが、政府に責任がないようなことをおっしゃられますが、私はそんなものじゃないと思うのです。それは単に指導、助言の権限だけが大学をよくする道ではないと思うのです。大きな政治とか、政治が影響する社会的な世論とか、そういうものに大学をよくする道が私はあると思うのですよ。そっちのほうはどうなれ、無鉄砲に走らしておいて、ただおれたちには助言と指導、これ以外に道はないんだ、その範囲では大学の封建性をどうすることもできないんだという無責任なことを言っておったら、やはり権限を強化して、政治の支配下に置くか権力下に置くかというほんとうの大学の命を奪ってしまうような道しかないわけなんです。大学のそういう命は縮めず奪わずに、大学の生命というものを延ばしながらいく道というものはなかなかむずかしいことはもう承知の上でもって教育基法も出ておるし、憲法も出ておるわけなんです。いまの大臣のような考え方でおいでになれば、やはり権力を強化して、大学の学問の自由、こういうものを奪っていく以外にないわけなんです。  時間がありませんから、次に、私は経済成長政策、これがこの大学問題と結びつけて問題がなかったかどうか。これは簡単にひとつ大臣の御意見を承りたいと思います。
  36. 坂田道太

    坂田国務大臣 御質問の意味が実はよくわからないわけなんですけれども、世界の傾向といたしまして、やはり教育投資というものが経済成長に結びついていくというメカニズムは、六・三・三・四制度をとったがために出てきておるということは一応評価しなければならぬのじゃないか。その点について、むしろヨーロッパ大陸における大学はそれにこたえておらないというところに学生問題が起こっておる、こういうふうに思います。したがいまして、教育と経済成長というものはかなり結びつきは強いものだと思いますし、その傾向というものは今日日本が一これは私はやはり百年前にさかのぼると思うのですけれども、国民に教育というものを普及させたこの土台というもの、そして終戦後六・三・三・四制度をとったということ、そして今日七十数%の高等学校に学ぶ人たちが出てきたということ、そしてまた短大を含めまして高等教育機関に当該年齢人口の二〇%.以上の人たちが教育を受けることになったということが、今日の経済というものをささえておる、かように私は思います。
  37. 小林信一

    小林委員 大臣の所信表明の中に、教育がいかに日本の発展に貢献をしたかということを説いて、教育の大きな成果というものを述べておる条項がありますが、それはそのとおりに受けるのですが、私は、今日は教育の成果というものをいう場合、教育という問題をいう場合、もう一つ忘れてならない点があると思うのですよ。それは学校教育とか社会教育とか、いわゆる表向きいわれておる教育の問題と、もう一つは、父兄とか社会人とかいうものが教育に対してどういう理解をしておるかということが私は大きな問題だと思うのですよ。その点では、私は日本の教育という問題は非常に注意しなければならぬ状況にあると思うのです。経済成長政策をあえて私が取り上げたのは、さっきの機械文明というものにも結びつけて大臣の御意見を承りたかったわけですが、総理大臣がこういうことを言っておりますね。これは総裁選挙のときに、その所信表明というふうなものを党内でやられたことばの中に、物が豊富になった、したがって心も豊かになるはずであるということを言われておるのですよ。だからこれから心を豊かにするんだという。いわゆる精神文明という問題についてニクソンが触れておるように、総理大臣も触れるほど、アメリカも日本も同じようにこの点では大きな危機に際会しておると思うのですよ。しかし、そのときの判断というのは、学校教育を文部大臣にまかせる、社会教育を文部大臣にまかしておけばいいのじゃなくて、総理自体の言動すべてが私は教育的な要因を持っておると思うのです。そのいかんによっては、かえって教育をめちゃくちゃにする場合もあると思うのですよ。そういう点がどうも総理大臣をはじめ閣僚はもちろんのこと、社会人全体に少ない。この点に日本の教育行政というものはこれから心をいたしていかなければならぬのじゃないか、私はいまそういう考えを持っているのです。というのは、物が豊かになれば自然に心も豊かになるんだろうというふうなことは、私は大きなあやまちだと思うのです。物がいかに大量生産されておりましても、大量消費を要求される国民というものは、金がないものですから、物ほしさとかそういう物欲をそそられるだけであって、決して精神的な豊かさというものは出てこない。かえって物の少ないときのほうが、私は国民的な精神状態というものは安定しておったと思う。物が豊富になったから必ずしも精神文明がそれに並行していくなんということはないと思う。やはりそこは教育行政というものが相当心していかなければならぬと思っておるわけです。  大臣が当初述べられた中に、高等学校の問題を取り上げて、高等学校が予備校化してきた、あるいは父兄がそれと同じような気持ちでおる、こういうことが一切問題の起因だというふうに言われておるけれども、そうなってきておることに最も大きな悪影響を及ぼしておるものは、やっぱり私は財界だと思うのです。いわゆる財界の考え方というものが、ほんとうに人間形成という学校の本来のものをさせるのではなくて、何でもいいから技術と労力をよこせ、また、そういう財界が社会の一つの強力な権力を持つようになってきておりますと、そういうふに自然にさせられるのです。それにやっぱり政治が、教育行政が抵抗していかなければならぬと思うのですが、いまのところは、そういう管理社会の中に教育行政も流されていくんじゃないか、抵抗していないんじゃないか、こう私は考えるわけです。
  38. 坂田道太

    坂田国務大臣 総理がおっしゃったのは、物質的な豊かさが心の豊さに結びつく新たな精神文明を確立しなければならない、これは総理大臣の施政演説ですが、おそらく党で言われたのもその気持ちをおっしゃったと私は思うのです。これは異論のないところじゃないかと思うのでございます。そういうふうにものを見なければ、先ほどの小林さんの御指摘は意味を持たないんじゃないかというふうに思うのです。世界の若者どもの反抗というものは、低開発国ではなくて、自由に発達した国々においてむしろ出てきておる。こういう認識、そしてそれが自然に都市集中化に結びついてきておる、そこにまた大学の問題が起きてきておるというふうに、この分析を進めていかなければいかぬのじゃないかと思うのです。  それからまた、政治の姿勢として、窮乏の、廃墟の中からわれわれが立ち上がったときに、まず何をやるかというならば、これはやはり物ですよ。そしてあのときの労働運動は結局賃金の要求ですよ。これを高めていくということです。そしてまた福祉国家をつくるということですよ。そのためにわれわれは努力をしてきたわけです。お互い何回かの選挙をやってきたわけでございますが、その際に言われたことは、物が大事なんだ、物をやらなければ幾ら夢みたいなことを言うてみたところで何にも行なわれませんというのが労働運動の要求だったと思いますし、あの経済窮乏の時代においては、やはりその点は大事だったと思いますが、そのときにはきびしい社会の、何といいますか、そういうものがあったがために精神というものが保たれたんだということは、小林さんの御指摘のとおりだと思いますし、まさに、あまりにも豊かになってこういう消費社会になってきたからこそ精神というものが失われがちである。しかし、動物と人間との違いというものは、まさに心、精神にあるんじゃないか。少なくとも教育の主眼というものはそこになければならぬじゃないか。これを取り返すということが新しい二十一世紀へ向かうわれわれの政治姿勢であり、教育の向かうべきところではないか。この点だけはひとつ御了解をいただきたいと私は思うわけでございます。
  39. 小林信一

    小林委員 総理大臣の言ったのは、何かNHKの討論会でも取り上げたんですよ。それはそういう正式のところで言ったのではなくて、総裁選挙に立候補する所信表明というふうなものがあったわけだ。だから党内の問題ですよ。そのときに出されたそのことばを、これは少しおかしいじゃないかというところでもって討論されて、私はそれからも聞いたことがあるので、世間には一応総理大臣の物と精神との問題についての大きな考え違いを指摘をされたことがあるんです。それはその後勉強されてそういうことに改めたかもしれませんが、ともかくそれくらい簡単に考えておるわけなんです。  それから、大臣の言われるいまの理論というものは、私は一応了承いたしますが、しかし、物というものが先だ、物と心というもののどっちが先だなんてことを決して私は言うべきじゃないと思う。それは現実には物、そして賃金を上げていくというふうな循環をするのでしょうが、その中に教育というものは常に内在をしなければならぬ問題だと思うのですよ。分けて、あとで精神文明をどうこうするなんてことをやったら、こういう問題にぶつからなければその点の自覚というものは出てこないと思うのです。教育というものはやはりそういう配慮をしていかなければならぬ問題だと思うのですがね。しかし、残念ながらだんだん強化されるいわゆる日本の資本力、これはこの人たちが非常に心しなければならぬものがあると私は思うのですよ。先ごろ日経連から申し込まれたものを、大臣は、すなおに各階層から意見を承って大学問題を処理する、確かにこれには私も決して反対をいたしません。しかし、何かもうおれたちの意向に従わなければとか、おれたちの意見が一番正しいんだというような、何か威圧を感じさせるようなものを是正させる態度というものがこの際必要だと思うのです。というのは、いまこうやって起きておる問題をだんだんしぼっていけば、これは非常に飛躍をしてしまいますけれども、資本主義というものが持っておる弊害というものが必ずあると思うのです。その弊害というものをいかになくなさないようにするかということが、資本主義を奉ずる人たちの行く道だと思うのですが、しかし、いまや手放しで資本主義というものが進んでおる状態ではないかと思うのです。そういうものの中からきょうのような学生の意向というものが生まれていやしないか。つまり、それをためる、それを是正するということが一つの転換期的なものではないだろうか。こういうふうに判断をしてくれば、学生の問題も、大学の現在のあり方、教育行政のあり方あるいは学生の心がまえというふうなものも考えていかなければならぬけれども、そこに根本のものを突き詰めていかなければならぬような私は気がしておるのですが、これは非常にむずかしい問題でございますので、もし大臣にお考えがあればひとつ聞かしていただきたいと思うのです。
  40. 坂田道太

    坂田国務大臣 ちょっと最後のところがわからなかったのですが……。
  41. 小林信一

    小林委員 要するに結論的には、問題が出てくるけれども、最大のもの、一番考えなければならぬ問題は、それがすべてというわけではないのですよ。大きな原因になっているものは、資本主義社会が持っておる一つの危険性とか弊害とかいうものが私はあると思うのです。そういうものは資本主義的な行き方の中でそれを奉ずる人たちは最も留意して、その点はためなければいけないのですよ。しかし、それをためることを怠っておるところにこういう問題が起きていやしないか、こういうことです。
  42. 坂田道太

    坂田国務大臣 いまの問題は非常にむずかしい問題だと思いますが、先ほど小林さんおっしゃったので私了解したのです。私が物を先にして精神をあとにすべきとかなんとかいうことを言ったんじゃない。むしろ、初期における戦後の労働運動の中で、革新陣営の中においてそういうあれがあったという例を申し上げたわけなんです。私はいま小林さんのお話を聞いて安心したわけなんで、やはり物と精神というものは一緒に考えられていくべきである。しかし、二十年の中ごろからの急激な経済成長に伴って、むしろその精神というものがだんだん失われつつあるんじゃないか、あるいは資本主義社会の中における異常なまでの科学技術の進歩、確かにこれは人間の知恵が生み出した便利なものであるし、文明でもありましょうけれども、それによって人間そのもの、人間の心や精神までもむしばまれるとするならば、これは問題ではなかろうかということが今日われわれに問われておるんじゃないだろうか、こういうふうに思うわけでございます。社会主義がいいか、資本主義がいいか、これはなかなかむずかしい問題で、私はお答えはできませんけれども、資本主義の中におきましても、いろいろ是正すべきものがあるし、初期の段階と今日を考えますならば、そのバランスを、その改めるべきところを改めてきたからこそ、こういうようなところまで進んできたのではなかろうかというふうに私は思うわけでございます。しかし、財界の中にも意見があるからどうかというようなことについては、私は、文部省としてはき然といたしておりまして、一企業の利益のために大学が奉仕するなどというような考え方は実は持っていないわけでございますから、その点はひとつ御心配をしないでいただきたいと思います。
  43. 小林信一

    小林委員 心配をするなといっても、私はそこを一番心配しなければならない。いまの財界と政界との関係というふうなものから考えてみたらですね。それから資本主義としてあるべき原則というふうなものは、これはおのおのが確認をされておるわけなんですが、そういう点についての反省を求める力というものがない。労働者が賃金の要求の中で彼らへの反省を促している以外の何ものもないというような状況の中で、この問題は私は非常に重大だと思っているわけなんです。  たいへんに時間が延びましたから、確認書の問題について、その内容あるいはその経過、これに対する政府の態度も新聞等でお聞きしておりますが、これはきょう私はもう申しません。いずれ私どものほうから質問をされる方があると思いますので、以上で終わらせていただきます。
  44. 大坪保雄

    大坪委員長 本会議散会後再開することとし、暫時休憩いたします。    午後零時二十分休憩      ————◇—————    午後二時四十九分開議
  45. 大坪保雄

    大坪委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件について質疑を続行いたします。鈴木一君。
  46. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 大臣に主としてお伺いしたいと思いますが、国立大学の第一期校の入学試験が近づいているわけでございますが、指導、助言の立場にある文部省としても、いろいろ配慮はされておると思うのでございますが、これは新聞で見たのでありますが、京都大学を入学試験阻止の橋頭堡にしてやろう、こういうふうな動きがあり、そのために京都大学紛争がほかの大学とはちょっと違ったような形で問題が推移しておると思うわけでございますが、最初に、京都大学紛争の実情というものを、文部省としてはどういうふうにお考えになっておるのか、お聞きしたいと思います。
  47. 坂田道太

    坂田国務大臣 京都大学紛争は、まだストライキをやっております学部が解けないでおるわけでございまして、しかもこの一週間の間にも、いわゆる共闘派と民青派が戦い合いまして、そうして数百名の負傷者が出るという異常な事態が起こっておるわけでございます。しかも一面におきましては、一期校の試験が三月三日から行なわれるということになっておるわけでございますが、私も非常に憂慮いたしておるわけでございます。ことに昨年東京大学及び教育大学か入学を中止−東京大学は一月二十日でございますけれども、そういう結果としまして、京都大学に志望いたしておりまする学生の数も非常に多いという中において入学試験を実施しなければならない。しかも試験日を数日後に控えまして、京都大学がなおこのような状況であるということは、非常に憂慮にたえないところでございます。しかも、どうもきのうまでは、学生がまだ本部を占拠するというような事態が起こり、ようやくこれを教職員と一般学生と民青の手によって排除したようでございますけれども、どうもその排除のしかたにつきましても、ゲバ棒は使わなかったように思われるのでございますけれども、三派学生はやはり火炎びん等の相当ひどい凶器も使っておりますし、また、これに対して投石等も片方ではやっておるというようなことで、けが人が出たのだろうと思うわけでございます。私ども大学学術局といたしましても、再三にわたりましてこの点について指導、助言を与えておるわけでございますが、本日のところ、京大当局からは、学外で、しかるべきところで必ず入試実施をするという報告がまいっておるようなわけでございます。私といたしましては、何といたしましても入試実施だけは平穏に行なわれるように期待をいたしておるわけでございまして、昨日も通達をいたしまして、あらゆる手段をもって入学試験が行なわれるようにということを、全国の各国立大学に対しまして通達をいたしたようなわけでございます。そのようなわけで、どうしても入学試験場がその暴力学生によって占拠されたり、あるいはそれが乱されるというような場合は、遺憾なことでございますけれども、自分たちの力でこれが排除できない場合は、警察導入もまたやむを得ないというような意味を込めました通達を出したわけでございます。
  48. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 京都大学の問題は、なるほど大学紛争から端を発しておると思いますけれども、両方の陣営がそういうふうな形でぶつかり合うということになれば、もはやこれは大学問題というよりも、何らかの秩序を乱す治安問題というような形にも受け取れるわけです。そういうことをしながら、また入学試験を阻止するということだと、なお一そうもう大学問題だという問題ではないような気がするわけです。学長はなかなかがんばっておるようですけれども、こういうふうに人命にも危険が加えられておるという状態で、なおかつ放置しておくというふうな考え方は、最高責任者としての学長は、ちょっと配慮が足りないような気がするわけです。もう少し文部省としては強い、いわばこういう暴力暴力のぶつかり合いみたいなものに対しては、別の考え方からこれに対処しようというふうな強い指導、助言もあっていいのではないかという考えを私は持っておりますが、大臣はどうですか。
  49. 坂田道太

    坂田国務大臣 私も鈴木さんと同じような気持ちを持っておるわけでございます。しかしながら、東大におきましては、御承知のように十二月の段階においては、まだそこまで踏み切っておらなかったわけでございますけれども、一月の段階になりまして、もはや東大の今日の状況というものは、いわば学内問題ではなくて政治問題だ。こういう認識のもとに、それが三派学生であれ、民青であれ、あるいは一般学生であれ、およそ暴力というものは許されない。それでなければ学問の自由と、それから大学の自治は守られないのだ、こういうようなことで執行部は一致し、また評議会の了承を得て、御承知のような警察導入をやり、そうして二日間にわたって、安田講堂に立てこもっておりました共闘会議の不法行為を排除したわけでありまして、この東大のやり方というものは、一応これを評価すべきことと考えておるわけでございます。私といたしましては、やはりそういうようなき然たる、暴力に対して京大当局もお考えをいただきたいというふうに思っておるわけでございます。
  50. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 どうも京都大学の現在の紛争の状態は、何か勢力争いというような感じもするわけですね。ですから、私は、大学のいまいわれている問題からはずれてきているような気がするのです。東京大学の例を見ましても、タイミングよく打つべき手が管理者のほうから打たれていない。大臣もお読みだと思いますけれども、今度の文春に毎日の記者が非常にはがゆく思って、大学の手の打ち方がまずくて、おそくて、へたくそだということを書いていましたが、確かにそういうふうな点があったのではないかと私は思うのです。しかし、あとで一応警察を入れて排除した。東大の場合は、これはおそきに過ぎたような気がするのです。しかし大臣は、加藤総長代行とは前からのお知り合いのようだし、東京におるせいもあり、再三お会いしていろいろな助言もされただろうと思うのですけれども京都は、新幹線で来れば、もう三時間で来られるわけですから、やはりこの際、文教政策の最高責任者として、総長を呼ぶなり何かして、もう少し東大の例も十分説明されて、適切な措置をとるような助言、指導を知はすべきじゃないかと思うのですね。
  51. 坂田道太

    坂田国務大臣 いま、言うならば一触即発の状況であるし、また、もう紛争の渦中にあるといっても差しつかえないと思いますが、そこで、非常な御苦心を願っておる奥田学長という方をいまここでお呼びするのは私はいかがかと思うわけでございまして、むしろそうでなくて、やはり文明の利器がございまするので、電話等においてはいろいろ指導、助言というものをやるということを御了承いただきたいと思うわけでございます。そして迅速果敢に対応をしていただきたい。たとえば、先ほどテレビを見ておりましたところが、学内においては自分たちの教職員と一般学生でこれを守る。いまのところは警察導入は考えておらない。こういうようなことが言われておるわけでございます。もしこれが事実だといたしますると、はたして守り得るかという危惧を、鈴木さんと同じように私自身も心配をいたしておるわけでございまして、この点等につきましては、ひとつもう少し指導、助言をいたしてみたいと考えておるようなわけでございますし、また、先方のいろいろの御配慮なり、御意向などというものも承ってみたい、かように考えておる次第でございます。
  52. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 確かに文明の利器もあるし、電話でもできるかもしれませんが、やはり顔を合わして、ひざを突き合わして話をするところで、またいろいろ話の発展もあるし、心も通うわけですけれども、場合によっては、向こうが忙しければ、大臣が夜行って昼間国会に間に合うように帰ってくる。そのために帰ってこられなくても、私はぶうぶう言いませんよ。そのぐらいの、何といいますか、からだを張ったというと少しやぼくさいことばですけれども文部大臣が一生懸命やっておるんだ、政府がやっておるんだというその姿勢は国民に示してもいいんじゃないかと思うのですね。いま、大学の中を暴力反対の連中だけで守るなんていいますけれども、これは普通の場合なら、またそれでいいと私は思うのですよ。しかし、入学試験の際に、これほど妨害しやすいものはないと私は思うのですよ。何食わぬ顔をして行って、試験場に石でも何でも投げるとか、あるいは学生が入っていって大騒ぎするとか、そうなったらこれは試験できませんよ。そういうようなデリケートな、精密機械をいじらなければならぬようなのが入学試験だと思うのですよ。ほんとうに環境を静かにしてやって、ことりともしないというところで試験をしなければならない。普通の場合なら私は言いません。いまそういう大事なことをしなければならぬというときに、われわれで守るなんといっても、守れるものではないですよ。もし私が革マルとかそういった連中だったら、簡単にこんなものはうまく妨害しますよ。まあ、少し言い過ぎですけれども、そういうものだと思うのです。それでもなおかつ大学にまかしておく、うまくやるだろう。まず電話でリモコンやるんだということでは、坂田さん、せっかくあなたが衆望をになって大臣になられて、私らよりもまだ若いんだし、何か国民の期待に——私は、ほかの大学の問題で、学生参加の問題とかいろいろいわれておりますことは、やはりなかなかむずかしいことで、いまここで結論を出せとは言いません。しかし、あなただってそれなりの考えを持っておられると思いますよ。話は少し脱線するかもしれませんが、いまの文部省のやり方を見ていますと、火事が起こっていても消しに来ない。いま新鋭消防ポンプをつくっておるからできるまで待ってくれ——これは中教審ですよ、それじゃ一体火事はどうなるか。いままではこういうかっこうです。しかし、これはむずかしい問題だから、いまここでへたなことをやって百年の計を誤ってしまってはいけないから慎重にするということは、私はその点では了解しますが、この入学試験という問題を控えておって、それでは少し手ぬる過ぎはせぬかというふうな感じがするわけです。先生が悪いんだと言っても、あるいは先ほどの小林さんの質問に対するお答えのように学生が悪いんだと言ってもらちがあかないので、やはりここで多少どろをかぶってもき然たる態度を示すというのがあなたに課せられた責務だと思うのです。ほかのことは知りません。入学試験だから言うのです。どうですか。
  53. 坂田道太

    坂田国務大臣 鈴木さんの御質問、御要望、非常に身にしみて実は感じておるわけでございます。私も、からだを張りあるいは勇気をふるって勇断をするということにはちっともちゅうちょいたすものではございません。ただ、私があそこへまいりまして、奥田学長と会いますことが、それがプラスであるかマイナスであるかということも判断の中に入れなければいかぬということになりまして、まあ鈴木さんの仰せを十分胸に秘めまして万全を期してまいりたい、かように考えております。
  54. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 しつこいようですけれども、そういうきれいごとじゃだめです。万全だとか、身にしみるとか、ことばはきれいですけれどもだめですよ。あなたが行ってプラスであるかマイナスであるかということは、これは神のみ知ることであって、われわれがとやかく言うことじゃないですよ。やっぱし行ってやって、そのことがたとえマイナスができても、やったということは私は高く評価さるべきものだと思うのです。ですから私は行動あるのみだと思うのです。その線に沿ってもう少しそれこそき然たる態度がとれませんかね、これに対して。
  55. 坂田道太

    坂田国務大臣 十分貴重な御意見として承り、どういうふうにやるかは考えさしていただきたいと存じます。
  56. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 私の意見は貴重でなくていいんですよ。そんなにほめていただかなくてもいいんです。ただ、私も心配するあまりこういうことを言うているわけでありますから、十分考えるといったところで、もう時間は刻々に迫っておりますし、先ほど申しましたように入学試験の妨害ほどやさしいものはないのですから、ただ万全だというだけではだめなので、もう少し、場合によっては機動隊のお世話にならなければならぬならば、そういう方面の手配だってやっぱしこれはしてやらなければ、試験を受ける者がかわいそうだと思うのですよ。もし万一試験ができない、京都大学においてそういう事態になったとすれば、そのあとのことを考えておられますか。
  57. 坂田道太

    坂田国務大臣 まあ、いろいろの事態に対しまして、どういうようなことをするかはその時点でひとつ考えたいと思っております。
  58. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 その時点じゃだめですよ。やっぱり先のことも考えなければ、もし入学試験がだめならばわれわれはこういうふうな考えがあるんだぞ、だから受験生心配するなというくらいのところまで言わなければならぬと思う。しかも、入学試験なんかについては、文部大臣の権限と申しますか、法的な面からしても相当な力が発揮できるようになっているのです。たとえば、もし入学試験ができなかったら、その受験生に対して、いままでおった高校で何らかのテストを同じ日にちにする。そしてそのテストの成績と学校からの内申書というふうなものもあわせ参考にして、そうして入学ができるように措置をするとか、何かやっぱしそういうことも考えなければ、ほんとうの意味の責任を果たしたということには私はならないと思うのです。そのときそのときに考えるのでは、われわれだって、だれだって、子供だってできることなんで、やっぱり先々を見通していく。たとえそういう暴力集団が妨害して試験ができなかったとしても、ちゃんと別の手も考えておるのだということであれば、妨害の意味がなくなればしないかもしれません。せっかく文部省には相当みな秀才ばかりそろっておるし、頭のいい人ばかりおるのだから、そのくらいの知恵は働かせてもいいと思うのですよ。
  59. 坂田道太

    坂田国務大臣 いま鈴木さんがまさに仰せになったようなこともわれわれは考えておるわけでございます。持っておるわけでございます。それからまた、京都大学当局においても、二段、三段の手を持っておられると思うわけでございます。そういう事態というものはあってはならないわけでございますけれども、しかし、なりました場合に対しましては、十分京大当局と文部省と協議をいたしまして、国民に対する責任を果たしたい、かように考えております。
  60. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 そうしますと、もし京都のみならず、ほかの大学でも入学試験が妨害されて、三日にできなかったというふうな事態があっても、何らかの形で公正な選考をやって入学させるということについては、文部省としては絶対責任が持てるということが言明できますか。
  61. 坂田道太

    坂田国務大臣 私といたしましては、いま仰せのとおりのような気持ちでやりたいと思っております。
  62. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 やりたいではだめで、責任が持てますか。と同時に、試験を受ける者に対しては、心配要らぬ、安心しろと、こういうことを言えますか。
  63. 坂田道太

    坂田国務大臣 まさにそのとおりでございます。
  64. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 実行してください。  それから、先ほど通達を出されたそうでございますが、私よく読んでいませんので、ちょっとそれを読んでいただけませんか。
  65. 村山松雄

    ○村山(松)政府委員 昭和四十四年二月二十七日付で、大学学術局長名で各国立大学長——これは東京大学は実施しませんので除きます。それ以外の国立大学長あてに「入学試験の実施について」と題しました通達を出しました。内容は以下のとおりでございます。   国立大学の入学試験期日が迫り、各大学ともその実施について遺漏のないようじゅうぶん配慮されていることと存じますが、一部学生による入学試験阻止行動等の動きは、なお、じゆうぶん警戒を要するものと考えられます。   万一、所定の入学試験の実施に支障をきたすようなことがあれば、受験生その他社会に与える影響がきわめて甚大でありますので、万難を排し、大学としてとるべきあらゆる手段を尽して入学者選抜を行なうようお取り計らい願いま  す。  なお、同じ日に「国立大学の入学試験の実施について」と題しまして、文部大臣談話を事務次官より報道機関のほうに発表いたしました。以下がその全文でございます。   国立大学の入学試験期日が迫ってきましたが、一部学生の入学試験の阻止妨害の動きは、なおじゅうぶん警戒を要するものと考えられます。   各大学においては、すでに入学試験の実施に万遺漏のないよう配慮をされているところでありますが、一部学生行動は、予断を許さないものがありますので、この際万一妨害が行なわれるような場合には、各大学において法治国家として認められるあらゆる手段を尽して入学試験が支障なく行なわれるよう従来の指導に加えて本日全国立大学に通達し、注意を喚起し、お願いをした次第であります。以上でございます。
  66. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 わかりました。一昨日西岡君も指摘されておりましたが、学校の成績表ですか、文部省の通達というのはあまりきき目がないようですが、そういうこともひとつ万遺漏のないようにしていただきたいと思います。  ほかに大学問題を聞きたいと思いますが、他の機会にしたいと思います。  それからまた大臣にお伺いしますが、後期中等教育に関連しまして、各種学校の役割りというものが年々大きくなってきておると思います。そういうふうな傾向に対して、文部省もいろいろ御心配になってきておることも認めるわけでございますが、この各種学校をもう少しはっきり法律で規定して権威づけ、また、そこで勉強しておる生徒あるいは先生並びに管理者をも勇気づけるというふうなことは、私、大いに必要だと思うわけでございますが、このことについては何人も異存がないところだと思うのですね。にもかかわらず、今日まで放置されてきておるわけでございますが、せっかく坂田さんが大臣にもなられたことでありますから、この際、他の問題は別といたしまして、この各種学校の問題だけは今国会中にけりを  つける、こういうふうなお気持ちがないかどうか、お伺いしたいと思います。
  67. 坂田道太

    坂田国務大臣 鈴木さんのお説のとおり、各種学校に学んでおります者は約百四十万だと聞いておるわけでございます。そういたしますと、大体大学に学んでおる学生数が百五十万程度でございますから、ほぼ同数。これはやはり日本のいわば産業あるいは諸制度の中に非常な貢献をいたしておる人たちだと思いますし、また後期中等教育の多様化ということを、単にいまの六・三・三の三だけで受けとめておるということがはたしていかがか。私の所信表明の中におきましても申し述べましたように、年齢に応じ、能力に応じ、そうして適性に応じた教育を施すということがこれからの教育の主眼であるというふうに述べておる意味は、そのことを理解したつもりであるわけでございまして、この各種学校というものの位置づけを、学校体系の中に入れるということは非常に大切なことだと私は考えておるわけでございまして、ぜひとも鈴木さんのお説のとおりに、私も今国会に成立をさせたいという気持ちを持っておるわけでございますから、何とぞひとつ御協力を賜わりまするようにお願いを申し上げる次第でございます。
  68. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 もう協力なんというものじゃなくて、出てくれば、もうほとんどこれは質問なんかしなくてもわかっておりますから、すらすらと私は通ると思うのですよ。ただその際、別のものがくっついてくるのですね、いままでは。そこに問題がある。しかし、外人学校という問題を取り上げてみますと、外人学校というものを各種学校の中に入れておいたことがそもそも間違いなんだと私は思います。ですから、このだれも異存のない各種学校のことをやろうとすると、その中にいままで不合理にも包含されておった外人学校の問題がここへ出てくるわけですね。これとくっつくものだから、なかなかこの法案の処理ができない。それでほとんどその審議もせずに終わってしまっているわけですね。それからまた、教頭の地位なんというのが同じ学校教育法一部改正の中に入ってくるわけですね。しかし、教頭の地位の問題と、いま日本の各種学校とは何も関係がないんですよね。そうでしょう。それからまた、外人学校日本の各種学校とは何も関係がないのです。にもかかわらず、そういうものが一緒についてくるというので、いままで各種学校に関する法案が通らない。もちろん私は、あの法案そのものが通ったからといって、あしたから各種学校内容的にもよくなるとは思いませんし、また、国の物的な援助もすぐ期待できるものでもありませんけれども、いわば大学と同じように大衆化されて大きくなった各種学校というものを今日まで放置しておいた、これを何とかかっこうをつけてやるのだ、こういう点では私は相当の意味があると思うのですよ。内容については、いろいろまた問題点は指摘されるかもしれませんが、とにかく半歩か一歩の前進であるということは事実なんですね。また、学校の経営者たちも、再三にわたって、そんなにみな経営状態はよくないと思いますが、東京に集まり、大会を開き、陳情もしてきているわけですね。けれども、普通の形の陳情、請願ではさっぱり政府が言うことを聞いてくれない。大学問題も、学生たちが、たとえば医学部でああいうふうなやり方はいけないから、何とかこれを直してもらいたいというふうなことで、陳情、請願を教授連中にしたところで、問題はここまでこなかったと私は思うのですね。そういう何らかの非常手段に訴えなければ、こうしただれも異存がない問題が依然として解決できないでおる。たとえば各種学校人たちに指令をして、全国から二百人なら二百人集まってこい、とにかく文部省の廊下ですわり込んでハンストをやれ、こうでもしなければ問題が解決しないのじゃないかと私は思うのです。しかし、そんなことをさせることは一番やぼなことで、しかもその内容については異存がないなら、これだけでもとにかくほかのものとは切り離して、この際、今国会中に決着をつける。こういうふうにするのが坂田さんの立場であり、また、われわれ坂田さんに期待するわけでありますけれども、そういう点はどうですか。党とか何とかいろいろあるかもしれませんが、あなたのお気持ちを率直にひとつ聞きたいと思います。
  69. 坂田道太

    坂田国務大臣 いずれにいたしましても、これは学校教育法の一部改正ということになるかと思うのでございますので、十分御意見を承ったわけでございますから、やはり通るようにしなければいけない。(鈴木(一)委員「これがでしょう」と呼ぶ)そうです。そういうつもりでひとつこの国会に御提出を申し上げたいと思っておる次第でございます。
  70. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 いま大臣が通るようにしたいとおっしゃいましたが、通すことは簡単なんですよ。何も苦労は要りません。あなたに質問しなくたって、あなたが出席しなくたって、これは通りますよ。それができませんか、これだけ出していただく。通りもしない、またむずかしいようなものを一しかも、あなたはいま大学問題で一ぱいだと思います。労力をあっちにもこっちにもさく必要はないので、今回も大学問題で衆望をになってここへ出てこられたわけですから、大学問題に集中する。あと、あなたの頭を悩ますようなことはやらなくたっていいと思う。大学問題だけ解決したらたいしたものだ。通りやすくこれを出すことができませんか。
  71. 坂田道太

    坂田国務大臣 十分検討いたしたいと考えております。
  72. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 検討じゃだめです。あなたも通したいと言うし、われわれも通したい。だれも反対な人がいないのですよ。そうでしょう。それならばこの法案は出す。これだけ出す。各種学校だけ出す。もちろん法的にはいろいろ関連があると思います。しかし、この中に含まれている外人学校については旧法を生かしておくということで運営もできるわけですから、そういうふうな考えますじゃなくて、坂田さん、やるならやる、やらないならやらない、イエスかノーか、どっちかだ。
  73. 坂田道太

    坂田国務大臣 イエスかノーかと申しますと、やはり三派学生と同じようになりますので、イエスにもいろいろのイエスがあり、ノーにもいろいろのノーがあるというのが自由社会における論理の展開かと思うのでございます。そういう意味で、よくおわかりの鈴木さんのお気持ちを体しながら、ひとつ全力をふるって御提出を申し上げたいと思っております。
  74. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 ぼくは、あなたが大学問題で奔走されておる姿を見て、あまりよけいなことも言いたくない。きょうはこの問題さえあなたがはっきりすれば、質問をやめますよ。だから、そうむずかしく、イエスにもいろいろの段階がある、ノーにも段階があるというふうなことでは、なお一そう引き下がれないんで、とにかくこれはやって、だれもどこからも文句が出ないのですよ。この前の国会でも教育三法というふうに組まれて——私、教育三法というのはいろいろそこの中には問題があると思いますけれども、結局何も実りがなかったのです。そして臨時国会になると、十五億の金が宙に浮いているので何とか議員立法でうまいことできないかというふうな話もあったのですが、しかし、国会というところは、あれだけ審議をして結論が出なかった問題を、何らの審議も表向きされずさっと通すというようなことはまずい。お互いに審議は十分に尽くさなければいけない。そのために議員の審議権というものは、現行犯でない限り国会開会中は逮捕されないというくらい守られているわけですから、そういうやり方は非常にまずいと思っておるわけです。  それはともかくとして、あんな実りのない国会の中においても、何とかこれだけでも通したいと思っていろいろ折衝もしてみたのですけれども、うまくいかなかった。最後には、各種学校の全国の会長がだれだれだ、これは参議院の選挙に出るので、あいつのためになるようなことならばからしいからしないなんて、そんな雑音まで与党のほうから入っておる。だから各種学校の関係者は踏んだりけったりですよ。いまここに赤ん坊がおる。そして牛乳びんに牛乳が入っておるんだ。赤ん坊は飲みたいといっているけれども、親のほうが何かの都合で忙しいからちょっと待てといって、泣いている子供にその乳をやらないのと同じです。まことに残酷もいいところです。そしてゲバ棒を持つ者に対しては真剣に取り組んでいく。こんなばかなことはないと私は思うのです。だからこの問題だけは坂田さん、もう外交問題とかイデオロギーとかに一切関係のないことなんで、おそらく共産党も、私はまだ話してみませんけれども、これだけやるというなら賛成だと思うのです。だからここまできたら、きょうきのうの問題じゃないのです。もう三年越しの問題です。各種学校人たちには、いい嫁をもらってやるといってさっぱりもらってやらないのと同じです。何とか坂田さん、むずかしい大臣なら言いませんけれども、あなたなら気心も知らぬわけでもないから、私の気持ちくらいわかって、よしきたやろうということになるだろうと思って、しつこいけれども聞いておるのですよ。
  75. 坂田道太

    坂田国務大臣 いや、もう鈴木さんのお気持ちをわかり過ぎておりますから、実は非常に答えにくくなっておるわけであります。ロケットは三段ロケットでずっとはずしていきまして、はじめて回るのでございますけれども、法案はなかなかそういう自然科学のロケットみたいに実はまいらないのでございまして、やはりその辺も十分お打ち合わせしながら最終的にお願いすることになると思います。御協力をお願い申し上げたいと思います。
  76. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 私はむしろあなたに協力してくれと言っている。こっちはやってもらいたいのです。だから、むずかしく三段ロケットだの何だの言わなくて、一段ロケットでぽんとやればいいんだから。私はほかのむずかしいことで、外人学校をどうしろとか、教頭の問題をどうしろとか、そういう政策あるいはその党によっていろいろ考え方の違う問題についてあなたを責めていません。これはだれも異存がないのです。社会党だってそうですね。だから三段じゃなくて一段でいいんだから、これだけ切り離して——三段ロケットでいま思い出したのですが、教頭の地位とか外人学校、三段ロケットになるからだめなんで、簡単なロケットでいいのです。もう少し率直に大臣の気持ちを言っていただきたいと思うのです。単純ですから私は。
  77. 坂田道太

    坂田国務大臣 鈴木さんの重ねてのお尋ねであり、また御熱心なことでございますし、私もそれらのことを十分考えながらお答えいたしたいと思っておりますけれども、この段階ではまだお許しをいただきたい、かように思うわけであります。
  78. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 いつの段階になったらはっきりしますか。
  79. 坂田道太

    坂田国務大臣 いつの段階とお尋ねでございますけれども、国会の期間というものは一応の限界がございますし、国会の期間というのは大体きまっておるわけでございますが、その制約の中において近き将来におきまして考えたいと思っておます。御協力を願いたいと思います。
  80. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 お互いことばというものは非常に重宝なもので、言いのがれもできるし、加藤代行の確認書みたいにどっちにもとれるようなことも言い得るのですよ。善処しますなんて、善処したけれどもうまくいかなかった、それでも善処したことになるので、会期はきまっております。そのうちまた何か突発的なことが起これば、国会解散なんということもあるかもしれません。だから、そういうふうなことも考えられますから、なるべく、まあ予算のことでいろいろお忙しいでしょうから、できれば予算が通ったらすみやかにこれを通すような万全の——万全の策ということは何もしないことじゃないのですよ、必ず通るような努力をしていただけるかどうか、しつこいようですけれども、もう一回聞きます。
  81. 坂田道太

    坂田国務大臣 まあ、ほんとうに私誠心誠意をもちまして何とかしてこれを通したいという気持ちがあるわけでございます。しかしながら、私たち行政の者から申し上げますと、実は私の一存だけでも通らないので、やはり国会の皆さん方の細協力を、単に鈴木さんだけじゃなくて、社会党の方や民社党の方や、あるいはまた公明党の方や、また自民党の方の御協力も得なければ、実は通らないわけでございますから、むしろ前の委員会に置かれたような理事懇談会等も設けられまして、ひとつ御協議をいただいて、それを踏まえながら、私は最大限の善処をいたし、そして鈴木さんのおっしゃるように、一段ロケットで通るようにひとつ努力していきたいと思うわけです。まあとにかく、一段ロケットといえばいろいろまたこれはなにがあるわけでございますが、先ほどの意味も、三段ロケットが外人、それから教頭を含めた問題、それから三番目がこの各種学校という意味の意味じゃないので、一段ロケットの中にいろいろのものが含まれるかもしれません。その辺のことを……。しかしながら、ひとつ一発で通りますように、前提としましては、やはり各党で御協議をいただいて、その辺の見通しを見ながらぜひともこの国会で成立させたい、かように私は考えておるわけであります。
  82. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 あらためてお伺いしますが、自民党は大世帯ですからいろんな人がおると思います。強硬な人もあるでしょうし、また、そうわれわれと考えが変らないような人も私はおると思いますよ。そういうふうな党内の事情もこれあり、いままでつけてきた付録みたいなものを出す場合もたとえあったとしても、最終段階においては、場合によっては修正、まあ審議もしないうちから修正するなんておかしいですけれども、そういう措置をしながら、とにかくこれだけは今国会で通すというふうに、私はいまの大臣の発言を受け取ったのですが、そういう受け取りでいいですか。
  83. 坂田道太

    坂田国務大臣 非常に突っ込んだ、具体的な御提案というか、あるいは御説明で恐縮するわけですが、そういうような方法もあるのかというふうにも思うわけでございます。そういうものも含めまして、ひとつ十分考えてまいりたいと思います。
  84. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 私は大臣を助言する立場にないので、ことばが過ぎたかもしれませんが、とにかく何回やっておっても時間ばかりかかりますから、私は、きょうはひとつ何らか私の納得のいく結論が出れば、あとは質問をやめようかと思っていたのですけれども、とにかく大臣は誠意をもって各種学校については必ず結論が出るようにするというふうに、私がいまいろんなお尋ねをして、そう私は印象づけられたのですが、それでいいですか。
  85. 坂田道太

    坂田国務大臣 とにかくこれは私としても各種学校、この特殊性にかんがみまして、今国会に提出をしたいと思っておりますから、その際はひとつ御協力を願いたいと思います。
  86. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 まだ三分の二くらいは私は落ちないものがあります。しかし、それはまた別の機会にすることにして、とにかく坂田さんの行政的な手腕と政治力を大いに期待しておりますから、坂田さん、ひとつ裏切らないようにお願いしたいと思います。  あと最後に、特殊教育のことについてちょっとお尋ねいたします。これは要望でございます。本委員会でこの決議をしたその趣旨に沿って、おくれておる日本の特殊教育振興のために国立の研究所ができるというところまできたことは、大臣の努力を多とするものでございます。しかし、できれば時間をかけずに、三年かかるところは二年くらいででっち上げるように今後とも努力をしていただきたいと思います。と同時に、この間も灘尾さんには申し上げたわけでありますが、やっぱり教育というのは、可能性を引きずり出していくというところに教育の大きな意味があると思うのです。いままではもう限界でだめだと思われたそういう特殊児童の能力を引きずり出すというふうなこと自体が、一般教育にさらにはね返ってくること相当のものがあると思うのです。ですから、いまや先進国と称されておるところでは、義務教育の就業年限がどうだとか、大学学生がどうだとかいうよりも、こうした方面の教育がどの程度進んでおるかによって、その国の教育水準がわかるとまでいわれておるわけでございますから、今後三年くらいかかってその研究所を一応かっこうづけるのでは、世の中はどんどん進んでいっておるし、先ほどあなたが言われたように、大学生の中にも特殊教育をしなければならぬ者が十何%もいるような時代ですから、すみやかにこれがとりあえず完成するように、これは最善の努力をお願いしたいと思います。  と同時に、この特殊教育については、国とか地方自治体が努力をしましても、やはり問題が問題であるだけに、関係特殊児童の父兄なり、あるいはまた一般人たちの協力、関心がなければ、なかなかこれはうまくいかないと思います。そういう意味で、こういう特殊教育というものに対する国民の認識を高めるような措置をぜひとも私はお願いしたいと思います。  いまは視聴覚の時代でございますから、テレビとか、そういうふうなものの影響は非常に大きいわけでございます。最近明治百年をきっかけに、各社ともきそって明治前後のドラマとか、あるいはまたそれ以前のものをやっておるわけでございますが、これは歴史的な教育という面では相当の効果もあると思いますが、何しろやたらに人を切ったりはったりするようなものばかり多いものだから、こういうものもやはりゲバ棒のほうに影響があったのじゃないかと私は思います。しかし、報道の自由ですから、何をしようがわれわれがとやかく言う必要はないのかもしれませんけれども、こういう特殊教育について、たとえば千葉県の岡野絢子さんとかいろいろいままでの経験を手記に書いておられるわけですね。ですから、NHKのような半ば公的な性格を持ったようなところに対して、「天と地」もいいし、それからまた「坂本龍馬」も悪くないし、「三姉妹」も悪くはないが、こうしたようなものをドラマ化して、そうして一般にこれを伝えるということも、国民の特殊教育に対する関心を高める大きな役割りを果たすと私は思うのですね。ですから、大臣からNHKの会長あたりに、そういうふうなことをしてくれというふうにひとつ強く要請していただいて、そうしてその実現ができますようにお骨折りを願いたい。これは私の希望でございます。
  87. 坂田道太

    坂田国務大臣 鈴木さんのお話はもう御説ごもっともでございまして、特殊教育に関する先生の強い御要望、それから本委員会の決議案ということを踏まえて、実を申しますと、私就任以来この特殊教育というものの谷間に光を掲げるということこそ、大学問題もさることながら、私に課せられた重大な使命だと考えて、中央教育審議会にも特殊教育の関係のエキスパートの人がおられませんでしたので、これをお願いをしたといういきさつもございますし、また、今度の予算折衝におきましても、私は強くこの点大蔵大臣と折衝をいたしまして、特殊教育関係の、いわゆる総合センターを含めました予算の増額をとったわけでございます。したがいまして、今後ともこの問題については私は精一ぱいの努力をいたしたいと思っておるわけでございます。  たとえば四十四年度から特殊教育学校全般についての幼稚部の設置を推進することといたしまして、毎年度二十五の幼稚部の増設をはかることといたしておるわけでございます。私の所信表明の中にございました、年齢に応じ、能力に応じ、適性に応じという意味は、こういう普通の子供たちであったならば六年、三年、三年でいける人たちが、そうではなくて、若い三歳とか四歳とかいうような児童から手厚い教育を施し、あるいは教育方法を生み出し、そしてまたそれに加うるに、それを指導する保母さんや先生というのが、ほんとうにお話しのようなことをやっておられる方もおられるわけでございますから、非常に情熱を傾けてやっておられるわけでございますから、そういうようなことがあって初めてこの特殊教育というものに光がともされると私は信じておるわけでございます。その意味合いにおきまして、この問題については全くその鈴木さんのお説のとおり、ともにがんばりたいと考えておるわけでございます。
  88. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 一応私はきょうはこれで終わりたいと思いますが、大学の入学試験の問題については、たとえ妨害があっても、時期が少しくらいおくれても、必ず入学できるようにするという言明でしたね。これを確認しておきます。それから各種学校についても、必ず今国会中に日の目を見るようにしたい、こういうことでしたね。わかりました。  終わります。
  89. 大坪保雄

    大坪委員長 有島重武君。
  90. 有島重武

    ○有島委員 本日は文部大臣の所信に対して質問さしていただきますけれども、その前に、きょう東京教育大学機動隊が導入された、そういう話を先ほど聞きました。それで掲示板に、本学は当分の間教職員、一般学生の立ち入りを禁止します。許可された者以外の人で無断に入った者は処罰されます。というような要旨の掲示が出ておるそうであります。それで、学校側の要請でもって五百人前後の機動隊が導入されたというような話なんですけれども、これについて文部省側にも情報が入っていると思いますので、詳細を伺いたい。
  91. 村山松雄

    ○村山(松)政府委員 本日の東京教育大学警察力による封鎖排除の問題でありますが、詳細な報告ということになりますと、まだ必ずしも詳細ではございませんが、一応の報告が参っておりますので御説明申し上げます。  午前十時ごろ宮島学長事務取扱の名前で、警察に対しまして、不法占拠者の検挙を含む一切の警察活動のために出動を要請いたしました。その結果十時十五分ごろ機動隊大学周辺に集結いたしまして、十時三十分ごろから機動隊が学内に入り、本館のバリケードの撤去を開始いたしました。その間、占拠学生はすべて逃走したと見えて、数人の学生機動隊帰れなど叫んでいただけで抵抗もなく、それらの者も学外に出て、その後学生の姿は校内にないとのことであります。したがって、バリケードの撤去作業は順調に進行しております。機動隊で封鎖解除した結果といたしまして、当分の間学生の学内立ち入りを禁止し、十日間程度引き続き警備活動を要するということでございます。
  92. 有島重武

    ○有島委員 いまの御報告の中でもって抜けた点があると思うのです。掲示の中で、無断で入った者は処罰されるということでございますけれども、処罰されるという中身ですね。どういうことを考えて、いまのお話ですと事務取扱の方が出されたのだと思いますけれども、どういった中身を想定されてそう言っておられるのか、その点をいまじゃなくてもいいですから調べてください。
  93. 村山松雄

    ○村山(松)政府委員 処罰されるということについての御説明は承っておりませんが、処罰されるという表現であれば、掲示者が処罰する意味では必ずしもないんじゃないか。学内に立ち入って、その結果、たとえば公務執行妨害とかその他法秩序に触れるようなことがあれば処罰されることがあり得るから、その旨を注意せよという意味の掲示じゃなかろうかと思います。
  94. 有島重武

    ○有島委員 はっきりしたことは、あとでもって伺いたいと思います。  大体大学の問題を中心にして伺ってまいりたいと思います。  今日の大学紛争は、これはもういままでもしばしば話題にされておりますように、世界各国共通の重要課題でございます。しかし、こうした問題が起こったことについて、国民の目が大学問題に集中して、ひとつ新しい大学をつくっていこうという、そうした機運を醸成しておる。このことをとらえて、われわれとしては前向きに新しい一つの教育をつくっていきたい、そういうような気持ちでおります。  それで初めにお尋ねしたいことは、去年の暮れにございました東大入試中止の問題でございますが、あれについて当時入学はさしたほうがいいんじゃないか、学外でもって試験することも可能じゃないか、そういうようにわれわれは言ったわけでございますけれども、結果としてはああいうふうになりました。それがいまでもやはり京大その他の問題が起こっているわけでございますけれども、あの東大入試中止の意義は一体どのように評価されるか、それを伺っていきたいと思います。
  95. 坂田道太

    坂田国務大臣 これは非常にむずかしいわけでございますれども、十二月の段階までは、加藤代行及びその執行部におきましては、ああいう不法占拠は許しがたい、とにかくあれを排除しなければ教育の正常化というものは行なわれないし、また授業再開も行なわれない、したがって入試実施もはなはだ困難である、こういうような認識でおったと思いますけれども、しかし、たとえば大河内さんのときに警察官を導入いたしましたためにあの紛争がエスカレートしたという事実を考えた場合に、軽々に警察官導入というものをやるべきではないという気持ちは、やっぱり十二月の段階に残っておったのではなかろうかと思うわけでございます。それはおそらく各教授あるいはまた一般学生あるいは民青、三派にもどういう影響を与えるであろうかということを考えておったようでございます。聞くところによりますと、執行部におきましては、工学部のコンピューターを利用しまして、どういう方法でやられたかはつまびらかにいたしませんけれども学生の動向あるいは教授の動向等もこの計算機にかげながらやはり対処したというようなことも聞いております、どれくらいそれが効果があったかどうかは別といたしまして。しかしながら、一月の段階で御承知のような七学部集会が開かれ、ストライキが解除され、それからまた封鎖が解除され、十八、十九の二日間にわたる機動隊導入によって安田講堂に立てこもる暴力学生を一掃したということは、大学のたたずまいというものを一応管理者たる大学当局が認識をされた。そして、今後はいかなる暴力であれ、それが三派であれ、民青であれ、あるいは一般学生であれ、とにかく生命に危険の及ぶような場合においては、暴力を排除するために警察官導入もまたやむを得ない。あるいは教授として研究の命ともいわれるところの資料を破壊されたり、設備を破壊されたりというようなことについても、もしそのようなことが暴力によってやられる場合についてはこれを排除する決意である。あるいはまた不法監禁の状況においてもさようだ。こういうふうな理解ができたのではないか、こういうように私はうかがえるのでございまして、その意味においての評価はいたしておるわけでございます。
  96. 有島重武

    ○有島委員 これは大臣、ちょっと私のみ込めない点がありますね。警官導入の問題といまあわせてお答えになったようなんですけれども、入学試験を中止したそのことが、文教行政の上で、あるいは大学紛争解決への全般的な状況下で、ひとつ積極的な意義を持ったかどうか。あるいはわれわれとしては、それほど意味がなかったんじゃないか、そのように思うわけであります。意味のないことを一あのときは東大側としてはさらに入学試験をやらしてもらいたいというような意向があったのを、文部省のほうで押し切ったような形になっておりますけれども、そこに一つのナンセンスということがあったんじゃないか、そのように感ずるわけでございますけれども、その点はどうですか。
  97. 坂田道太

    坂田国務大臣 少し私、御質問を取り違えていたように思います。しかしながら、入試中止ということは十二月の段階で決定したのです。そして私は、七十四のその他の大学に、この三千名の入学希望者を何とかして国立大学増員してでも入れてあげなければならない責任があるという、そういう行政措置をとりますと申しまして、それに対しても了承を与えられたわけでございます。しかるところ、大学当局としましては、はなはだ困難ではあるけれども、しかし教育環境が正常化し、そして授業再開がされ、そして入試実施ということにつながる状況になった場合は、ひとつ考えてもらえぬだろうかというお話でございました。私は、いまここでそれをイエスともノーとも申し上げません。その時点で考えさせてくださいという  ことを申して、中止と実は決定したわけでございます。そういうわけでございまして、御承知のように、私も何回か申し上げておるように、入試を中止するか実施するかという問題は、これはその予算の関係もあるし、他の大学に影響を及ぼすことでもあるから、協議事項であるということで、東大当局とも協議をいたしてまいり、そして十四日にも大内さんが見え、十七日に再協議をいたしまして、二十日にその協議を延ばし、そして最終的に十二月の中止の線を、われわれはどうしても教育が正常化された、そしてまたこれが入試実施まで結びつくというふうには客観的には認めがたいのだ、こういうことを申したわけであります。また、加藤代行のほうからは、不十分ながらこの条件は満たされたものである、こう申されたわけでございます。しかしながら、そこに意見の一致は見ませんでしたけれども、事実上中止ということになったわけで、しかもそのことは一応これは協議事項であって、たとえば、これは形式論議でございましょうけれども、結局三つの場合しかない。一つは、合意した上において中止をするか、あるいはまた復活をするか。そしてまたもう一つは、協議のととのわない場合ということが十二月の段階において考えられておったわけでございますが、その場合も、ととのわない場合は事実上中止ということが、これは文書には載ってはおりませんけれども、お互いの間においては一応了解されておったものとわれわれは考えてきて、そして一月二十日の段階において事実上中止ということになった経過なんでございまして、その経過を考えて、これを何か無益であったとおっしゃいますようですけれども、私のいまの心境から申しましても、現在まだ二つの学部は依然としてスト解除もできておりませんし、それから御承知のように入学者にとって一番関心の深い学部でございます駒場においては、いまなお闘争が繰り返されておる。一月二十日以後、これは東大全体でございますけれども、二回にわたって正式に機動隊の要請をして、そして三派学生がなぐり込みをかけてきたことを排除しておるというような事実と、それからまた東大問題の一番発端になりました医学部の教授でありまする豊川、上田さんのこの問題がまだ解決をしておらない。これで加藤さんも非常に頭を痛めておられる状況でございまして、私は、やはり客観的に見まして、この状況において新しい学生を入れるべき状況ではないのではないか、こういうような気持ちにはまだ変わりはないわけでございます。
  98. 有島重武

    ○有島委員 私が伺ったのは、経過の問題ではなくして、当時の処置が現時点から考えてみてそれほどの効果というものがなかったのではないか。それで、これは今後の問題にかかわることでございますから、大臣の所見をはっきりさせていただいたほうがよかったのではないかというように思うのでございますが、いまのお話ですと、あまり失敗ともいえない、しかたがなかったのだというような感じのおことばに私は受け取ったのでございます。  もう一つからんでまいりますことは、東大を大学大学にしていこうというような動きが前からございました。それで、大学大学の問題については、その是非ということについては、これは大学紛争とは別に考えなくてはならない問題ではないかと私たちは思っております。それですから、この際、入試を中止することによって、だんだんなだれ込み式にそういった方向に持っていってしまうのではないかというように勘ぐられる面もあります。  そういったことからいって、やはりあの処置は不適当であったのじゃないか。そして今後の問題としては、なるべく入学だけはさせておく、そういったことが今後の方針となるべきではないか、このように判断を私たちはするわけなのです。  それからもう一つ、あの際に問題になりましたことは、たとえ入学させても、教育環境の整備の上でもって責任が持てないというような話が出ておりました。それで、それじゃほかの大学については責任が持てるのか、それを現時点でもう一ペんここでもって伺いたいと思うわけであります。あのときもほかの大学についてはそれじゃ責任が持てるのか、その点のお答えは非常にあいまいであったと思うのですが、その点もいま伺っておきたいと思います。
  99. 坂田道太

    坂田国務大臣 入学試験を実施するということあるいは中止するということは、これは非常に学校としてはたいへんなことでございますし、また、責任者の文部大臣としても国民に対する責任を負っておるわけでございます。したがいまして東大当局だけできめるべき課題ではなくて、これはやはり協議事項だ、こういうことで始まったわけで、別にそこに何らかの意図があったわけではないのでございます。しかし、結果といたしましては、あの安田講堂暴力占拠というものが十二月以前においては続けられておったわけです。しかし、あれがなくなったということはベターになった、教育環境が一歩進んできたということだけはいえるのじゃないかと私は思うわけでございます。それからまた、そういうふうにして確かに安田講堂を占拠いたしておりました暴力学生というものは一掃されたけれども、しかし、その物理的及び精神的荒廃、さらに警察力がきておる時期においてはその大学のたたずまいというものは安穏であるかもしれないけれども、それが解けた段階においてはまた共闘会議が急襲をする、襲いかかるという事態になるということに実は非常な不安を私は持っておったわけでございますが、やはりそのような事態がずっと続いたわけでございまして、いまなお駒場においてはそのような闘争がつい最近まで行なわれておるし、いつまた爆発するかわかないという状況でございまして、私は、その点についてやはりまだ入学試験実施につながるような教育環境ではない、またそれに対してどうしても文部大臣としては責任が持てない。こういうような環境に新しい学生を入れるということはいかがかと。むしろその前に、大学としては、またわれわれの気持としましても、現在おる学生の授業を早く再開させて、そして進級させるべき者は進級させ、卒業させるべき者は卒業させるということがまず第一じゃないだろうか。こういうわけでございまして、たとえば加藤代行の十二月の新聞等の会見におきましても、私と同じようなことを言われておるわけでございまして、教育環境が整わないところに無理に入学者を入れるということは、今度は教育者としての責任というものについてわれわれは十分考えなければいけないのだという意味のことを申されておるわけでございます。  それからまた、現在実施しようとしておる各大学について、私は午前中にも繰り返し繰り返し申し上げましたとおりに、責任を持ってぜひこの入試はやる、やらせるという指導、助言しかございませんけれども、その指導、助言を通じて万難を排してやっていただきたいということを、実はきのうも通達も出し、私の談話も出し、そしてそのことを期待をいたしておる。こういうわけでございまして、責任を持ってやらなければならないと思っておるわけでございます。
  100. 大坪保雄

    大坪委員長 関連して、石田幸四郎君。
  101. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 大臣にお伺いしますが、この前の東大の入試を中止された場合には、教育環境が正常になっておらない、いまもお話がございましたが、物理的な問題それから精神的な問題、特に私は予算委員会でもこの問題についてお伺いしたのでありますが、精神的な荒廃というのが大きな理由であったようでございますけれども、現在、大臣のところにも報告が来ておりますように、京大においても、入試を直前にしまして百五十名が重軽傷というような非常に大きな乱闘騒ぎが続いております。その結果奥田総長は、入試は学外でもやりたいというようにおっしゃっておるわけでありますが、これに対して大臣は、学外でも入試をすべきであるというふうに、こういうふうに指示をお与えになるわけですか。この点どうでしょうか。
  102. 坂田道太

    坂田国務大臣 これは大学判断すべき問題だと考えております。
  103. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 大学側の判断におきましても、たとえば東大におきましても、あの当時入試をしたいという問題がございました。このときには学内、学外という問題までは発展をしなかったわけでございますけれども、当然学外入試ということも考えられるではないか、こういうように私たちは主張したわけです。現実の試験の時期になりまして、そういった学外入試というものがあちらこちらにも出てくるだろうと私は思うのです。さらにまた、文部省の緊急通達によれば、入試に対する各大学の決意を促していらっしゃいます。当然その結果、学外においても試験が行なわれるようになるだろうと私たちは判断をしておるわけであります。そうしますと、前回東大の場合は、精神的な荒廃を理由にして中止をされた、今回は学外でも入試をすべきである、どうもここら辺に文部当局においての意見の食い違いがあるように思うのでございますけれども、その点はいかがでございますか。
  104. 坂田道太

    坂田国務大臣 まず申し上げたいことは、東大の場合は、正常な場合というのは学内——学内でやるということを東大当局は考えておったわけでございます。  それからまた、二月一日から募集するという時点の前とあとではやはり事情が違うわけでございまして、入試を中止するかあるいは実施するかということにつきまして、一期校につきましてはその期限的なリミットもあるわけでございます。
  105. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 ですから、私たちは、入試の問題について、いまここで入試を中止すべきであるというような決定を下す必要はない、むしろ学外入試という問題も考えて、この時点ではやるというように決定をすべきではないかということを再三意見具申をしたわけでございますが、これは取り上げられなかった。しかしながら、この京大問題等考えてみますると、私は学外で試験をやるということは、精神的な荒廃ということの一つの非常に大きな理由にもなるのじゃないかと思うのですね。また現にそういう状態でもあろうかと思います。そういう状態を踏まえて、今後ともこういった入試問題について私たちは取り組んでいかなければならないわけでございますが、私は過去の東大の中止を蒸し返すつもりはございませんけれども、各大学が学外においても入試をするのであれば、文部省はそれを積極的に支持をして、そうして今日大きな問題になっております入試についての受験生の不安をなくすようにより一そう努力を傾注すべきじゃないか、こう思うのですけれども……。
  106. 坂田道太

    坂田国務大臣 この段階におきましては、もしいろんな事件が起こりましたら、当該当局と協議をいたしまして、場合によっては学外でやるというようなことにつきましても、われわれは保証が得られれば当局の御意向を尊重してまいりたい、かように考えておるわけでございます。つまりお説のとおりだということです。
  107. 有島重武

    ○有島委員 いまの問題につきましては、東大の入試中止の問題だけは特殊であったという大臣の御見解であったようです。その限りにおいては事態をややいいほうに向けたというような評価をいまもって変えておられない、そういうことだと了解いたしました。これはもう少し時間がたってみなければわからない問題でありますけれども、今後もそういった例外なしに入試の問題については積極的に押し切っていくべきではないか、そういうようにわれわれは思っていることを重ねて表明しておきます。  それから大学紛争暴力行使ということがほとんど常識になってしまった、これは非常に憂うべきことであると思います。暴力を許しておくということはそもそもけしからぬことじゃないかというふうに国民の大部分が感じておる。ところが、暴力排除ということについてなかなか踏み切れなかったという事情があった。これは大学の自治を重んじるというようなことでございますけれども、それでは大学の自治とかあるいは学問の自由ということについては、一体どういうことなのかということを、この事件を契機としてさらに考えなければならないじゃないかというようなことになったと思うのでございますが、暴力排除以前に一つ大事な問題があるのだ、これも国民はばく然とながら感じておると思うのです。これはわれわれにとってはばく然と感じているのではいけないのでございまして、暴力排除という非常に大きい問題にもかかわらず、それをなかなか行ない得なかった。そうすると、暴力排除以上に一つの大切な問題が裏にひそんでおる。その認識のしかたですね。そのことがいろいろいわれておりますけれども、整理されて考えられなければならない時点に来ているのじゃないか、そういうように思いますので、その点についての大臣の御所見を簡単に言っていただきたい。
  108. 坂田道太

    坂田国務大臣 ちょっと御質問の意味が私、了解できなかったような点もあるかと思いますが、暴力排除ということについては、やはり第一義的に、学問の自由と大学の自治が侵されておる場合は、国家権力からこれを守るということに大学当局がきびしい態度で臨まれることは当然だと思います。同時に、学問の自由というものがまさに暴力学生によって侵されておるというときには、これに対して、みずからが力を持ち得ない場合は警察力を導入してでもこれを排除するというき然たる教育者として学者としての意識がまず確立されなければならぬのじゃないかというふうに思うのでございます。その点については、どうもこの二十年間、考えてみますと、学問の自由、大学の自治ということで、とにかくここには批判を許さないというような間違った風潮があった。ちょうど戦前において天皇制に対する批判を許さなかったと同じような意味合いにおいて、ここに批判を許さなかったところに、社会がどんどん発展をしておるのに大学が対応できなくなってしまったということから考えまして、やはりそういうことでございますけれども、われわれといたしましてはそういう認識を持っておりますけれども、いきなり大学当局とは無関係に不法状況を排除するというために警察官の導入をお願いをするということが、はたして将来新しい大学をつくっていく場合に、あるいは紛争校の立て直しをやる場合においていいかどうか、あるいはほかの大学に及ぼす影響等も考えまして、やはり大学当局自身が自治ということをいわれるのであれば、そういう事態に対しては、むしろ大学当局警察力を要請する、そしてこれを排除する、そして教育を正常化する、そして一般学生を守り、ほんとうに研究、教育をしようとする教授を守るのだ、こういうことにならなければいけないと私は思うわけでございまして、この意味合いにおいて、おそまきながら一月の段階において東大当局が機動隊を入れて安田講堂を排除されたということは、十二月の段階と一月の段階を比べるならば、非常に意識が高まってきたものであり、あるいは社会的責任というものを感じられた証拠ではないかというふうに私は理解しておるわけです。  少し私は御質問を理解できなかった点もございまして、あるいは違っておるかもしれません。
  109. 有島重武

    ○有島委員 どうして暴力ざたになったかということがあるわけでございますが、その暴力ざたというのは、話し合いがつかない、話し合いでは解決つかない一つの見解の対立がある、そういったことである。民主主義というのは話し合いが基調になっておるわけでございますけれども、それが話し合いができないような状態にある。それがいま大臣が言われましたように、明治時代以来の批判を許さない大学の自治であるというようなこと自体が、批判を許さないということは一つの権威主義でありまして、非民主的というようなことであります。その権威主義を権威主義として見破れなかったところに、こちら側の認識不足と申しますか、同じ病根があればそれが見えないということがあったのではないか。それをわれわれは一番心配するし、国民もそれをばく然とながら感じておるのではないか。暴力を排除したほうがいいということは常識的に知っておりながら、しかも事件が起こってみると、警察帰れ、といって一般民衆がそれに応援するというような事態で、これははなはだ異常な事態でございますけれども、これはちょっとくどい言い方ですが、大学における権威主義、その権威主義を見破ることができなかった今度は政府側の権威主義、それに対しての大衆の怒りというものがそこにある。それははっきりは言いあらわせないけれども、そういうものを感じていたのじゃないかと思うのです。そういった点についての御見解はいかがでしょう。
  110. 坂田道太

    坂田国務大臣 これはなかなかむずかしいと思いますのは、それはそういう権威主義というものが大学の管理運営にうまくなかった、学生の意思の反映なんということを踏まえた管理運営というものが行なわれなかったということについて、大学当局みずからが第一義的にはなすべきことだと私は思いますけれども、しかし、それに対して政府が指導、助言の形で何らそれを改革する指示を与えなかったというこの点については、先生がおっしゃるとおりじゃないかとみずからを反省いたしておるところでございます。
  111. 有島重武

    ○有島委員 この指示を与えることができなかった、こちらに見破ることが。でも、だんだんこれはできてきたわけでございますから、いま反省なさっているというお話で、さらに先の話ができるわけでございます。  私は、必ずしも権威主義——権威というものはある場合には大切である。確かに学問の権威とか、そういったものはそれに実質が伴わない権威主義になっておるという点、これが問題であろうと思うのでございます。それで、その話し合いが破壊された要因というものが、これは紛争以前からあった。そうした風潮に直接触れていく、対処していく、それが今度の紛争解決への一つのきめ手になっていくのではないか。いまの話し合いの経過でいきますと、こうした紛争によってお互いに形骸化された権威主義であったということがやや認識されてきたとすれば、その問題がまず第一番にこれから究明されていかなければならない問題の焦点ではなかろうか、そのように思うのでございます。  もう一面は、その話し合いが破壊されたということは、社会の多様化に対応してそれぞれの考え方が多様になっておる。目的観が多様になっておる。それを突き合わせて、ほんとうに対話していく論理の場といいますか、哲学といいますか、そういうものがいままでの哲学ではもう不足なのではないか。これは世界的にいわれている問題でございます。今度は、そういうものに向かっての開発ということは、これこそが大学の進むべき一つの問題でもあるし、それから文教政策に携わる者はそこに目をつけなければならない問題じゃないか。たとえば私はしばしば前大臣あるいはその前の大臣のときにも申し上げたのでございますけれども、教育の場において文部当局、それから教育者、それから学生側、あるいは父兄側と、その間に話し合いが断絶しておる、意思が疎通してない、感じ方が大切なところで共通項がなくなっているんじゃないか。そういったことについて、早くから解決しないとこれはとんでもないことになるのではないかと警告を申し上げてみたわけでございますけれども、これについては、まずおとなの側が反省をしていく、対話を取り戻していくという姿勢を示さなければならないんじゃないか。これは先日の荒木さんの━━━━━問題で、あれは取り取しになったそうでございますけれども、やはり政府の学生あるいは学者に対するきめつけ、あのきめつけ的な理解のしかたというのは、それこそ大学紛争の根源的なまずい点ではないか。あるいは政府と教員の団体である日教組に対するその間柄、話し合いができない。一つの壁を低迷しておって、そこを打開していこうという姿勢が見られない。それで見解の相違ということを多数決の形でもって押し切っていくというか、そういうような形態が、まだ国民の中に、あるいは若い世代である学生たちの中に根強い不信感をもってうっせきしているのではないか。そこら辺のことを今度はおとなの側がまず反省して改革し、勉強していかなければならないんじゃないか、そのように私は思うのでございますが、御見解いかがですか。
  112. 坂田道太

    坂田国務大臣 非常に本質的な問題だと思うのでございますけれども、先ほどおっしゃいました学内問題として、大学当局学生に対して対応できなかった。あるいは社会の発展に対して大学当局が対応しなかった。また、その点についてわれわれの指導、助言が、やることはやりましたけれども、なかなか聞き届けてもらえなかったというようなこともあるわけでございますが、まさにその学内の問題と申しますか、あるいは新しい大学というものは長期的に考えていかなければならない。紛争とそういうものとは区別すべきであるということは、先ほど先生がおっしゃったとおりに私は考えているわけでございます。今日の紛争は、確かに底流といたしましてはそういうものが原因となっておりますけれども、しかし、やはり第一義的には、一番の大きい原因は、暴力を通じてでも自分の政治主張と申しますか、そういうものを貫こうとしておる学生集団、それが学内、学外を問わず、大学一つの拠点としてやっておるところにあるわけであって、たとえば話し合いをやっておりました立命館あるいは和光大学、こういうところもやはり封鎖が行なわれておるわけです。それから東京においては、いま申しますように東大紛争、東大の二日間にわたる機動隊導入、それによる神田周辺の五百人でありましたか、六百人でありますか逮捕者を見たということで、東京ではなかなかもうやれないということで、関西方面に移っていく。そうすると大学もあちらの方面へエスカレートしていく。こういう事実を考えますと、どこの大学でも大学内の旧体制的な改善すべきところの権威主義、おっしゃるような意味合いのものを持っておるけれども、同時に、それを越えた大きな原因の一つは、やはり何といったって暴力学生政治運動だと私は考えるわけであります。  それからもう一つは、先生も御指摘になりましたように、話し合いというものが大切であるけれども、そこに断絶があるんじゃなかろうか、私はまさに断絶だと思っておるのです。それから、たとえば話し合いの論理の展開にいたしましても、イエスかノーか、七項目をのむかのまぬか。反対意思の表明にいたしましても、力以外に反対する、民主主義的なルールに基づいて論理の展開をする、そういうようなことができなくなってしまっておる。精神的にいいますとアンバランスの学生。こういうことも、紛争の間において大学当局学生との間に何か話し合いというものができない。つまり、交渉をすると言いながら、たとえば三派の人たちの話を聞きますと、七項目をのむか、のまなければ交渉をしないんだ。これならもう話し合いじゃないわけですね。それを話し合いというならばちょっとおかしいわけなんで、しかしながら、加藤代行は、敢然と共闘会議人たちの中に飛び込んでいって、十時間も積極的に彼らに対して自分の考えを述べ、彼らの考えを聞いたというようなわけでございまして、そういう話し合いというものが、これは実際今日の人間社会においてできておると思っておっても、実はできておらない。われわれ夫婦の間においても、もう二十五年も二十六年もたっておりますけれども、話し合いができておるつもりでおったところが、そうでなかったというような面があり、ちっともわかってくれないと、両方から言い合っているというわけでございまして、いわんや、相当な年齢の人たちと若い人たちとの話し合いはなかなかできない。これはわが党におきましても、若い方々とやはり年とった方々との話し合いができないというようなことがあるわけでございまして、公明党さんのほうは非常にお若い方々がたくさんなものですから、わりあいにコミュニケーションがうまくいっているのではないかと、非常にうらやましく思っておるわけでございますけれども、国会におきましても、国会議員として選ばれてきた良識のお人方との間においても、なかなか話し合いというものができないということを考えますと、先生がおっしゃいますように、おとなもやはり反省をしなければならぬのじゃないか、単に学生けが話し合いができないなんて、すましてはおられないじゃないかという気はいたすわけでございます。
  113. 石田幸四郎

    ○石田(幸)委員 関連して。いまの学生諸君との断絶の問題でございますけれども、これは現状においてはなかなか話し合いが不可能である。大当当局においても非常な努力をされておるけれども大学学生諸君が民主的なルールを尊重しようとしない。そこに非常に大きな問題点があると思うのですが、大学学生諸君の意識の底流にあるものは、やはり現体制に対するいろいろな批判である。したがって、紛争を解決するためには、この前も申し上げましたように、青年に対しては、やはり一番大切なものは愛情と強い理解であると、こう私たちは考えております。そういった点から考えまして、この前の本会議における代表質問等におきましては、たとえば腐敗政治に対し反省をする意味において、政治資金規正法の改正等も積極的にやるべきじゃないかという意見もございました。こういうふうに、こういう問題をまずわれわれおとなのほうから積極的にやっていく。また、物価の安定に対しても、国民が納得するような何らかの手段を講ずる。あるいは世界平和に対する考え方にしましても、最近の憲法解釈によりまして、核兵器をも自衛のためなら持ち得るという憲法解釈が出てきている。こういうような問題に対しては、学生諸君は非常に意識的に反発をする。その善悪の論議はまたあるとは思いますけれども、こういった面で政治が実行を示さない限りにおいては、私は、断絶感というものはなかなか根絶することはできないのじゃないか、こう思うのでございます。現に私たちもいろいろな関係で学生諸君と話し合いをしておりますけれども、そこに意識の断絶というものは毛頭ない。その毛頭ないという根本的な原因は、これからのよりよい社会をつくろうという共通の地盤に立っておる、こういう点から話し合っていきますれば、そこに意思の疎通というものが必ず生まれてくるわけですね。こういった点について、私は現政治体制をになっていらっしゃる自民党政府また与党の方々が、こういう面の政治の基本問題に対して実行を示していくことが、大学紛争問題の根本的な解決をなしていくのではないか、こういうふうに考えるものですが、大臣のお考えはいかがでしょうか。
  114. 坂田道太

    坂田国務大臣 これは仰せのとおりで、おとなたちのほうが、言うこととなすこととをやはり一致させていく態度を示すということが根本かと実は思うわけでございます。よく態度で示そうよとかなんとかいう歌があるわけなんですけれども、われわれの育ったときには、何といいますか、書きものや文字や、そういうことで表現をした。ラブレターもそういうふうに書いたわけです。ところが、今日はむしろ男女間のあれは電話を長くかけてやるわけですね。視聴覚時代ですから、愛情の表現にいたしましても、行為で示そうよ、態度で示そうよと、こういう形です。(笑声)ですから、これはほんとうに笑いごとじゃなくて、今日の社会はそういう断絶があるわけなんで、林教授があれだけがんばられた。つまり態度で示されたわけですね。七十時間も七十五時間もやっても、言わぬことは言わぬ、曲げられぬことは曲げられぬ。こういわれたところが、三派の人たちは参っちゃったのですね。参ったということばを言っておったそうでございます。やはり、こういう表現の形式が、少なくとも戦前と戦後とでは著しく変わってきた。こういうことを認識して学生の問題と対しなければいけないのじゃないかという意味合いにおきまして、私は、政治家というものがまずみずから言うこととなすこととをちゃんとするということは、ごもっともな点だと思いますし、私みずからもそういたしたい、かように思います。したがいまして、今日よく責任論を言いますけれども、責任の持てないことまでも責任を持つようなことばを安易に言うということもいけないのであった、責任を持てない分野については、私は責任は持てません。しかし、この点は責任を持てます。持たなければなりませんと言った問題についてははっきりと責任をとる。こういうことでなければいかぬのじゃないか。国民の側においても、責任の持てないことまでも政府に要求をするということはいかがか。この辺の、どこまでが責任を持つべきところであるかということをはっきり知った上で、責任追及をやるべきじゃないかというようなことも実は考えておるようなわけでございます。
  115. 有島重武

    ○有島委員 大体その辺の話し合いは一致したようなところでございますが、そういたしますと、一歩踏み込みまして、いま話が出ました政治資金規正法なんかの問題でございますが、これは文教委員会でもって取り上げる問題ではないと言われればそれまででございますけれども文部大臣として、あれ一つとっても、これを閣僚の一人として推進なさってはどうか。責任が持てるか持てないか、それは責任ある閣僚の立場ですよ。態度で示すかどうか、ちょっと伺っておきたいのですが……。
  116. 坂田道太

    坂田国務大臣 それは第一義的には、当面私は大学問題を控えておりますし、やはりそういうことをおろそかにしておいて、人の責任まで私がいろいろ申し上げるということは、これはまた当該大臣に対して私といたしましては慎まなければならぬことだと思いますので、私は私なりの考え方を持っておりますけれども、しかし、先ほど申しました、政治家としてはやはり言うこととなすこととを一致させるべきであるということで御了承をいただきたいと、こう思うのでございます。
  117. 有島重武

    ○有島委員 もう少し突っ込んだお答えをいただいても、まだだいじょうぶだと思うのでございますが……。  それでは、これは新聞記事に載っておりましたのですが、坂田文部大臣が長崎でもって御発言になったそうです。いまの大学紛争をやっている学生たちは、その小学校、中学校、高校のときに、文部大臣と日教組とのいがみ合いを見ておった人たちだ、そういったことがやはり関係があるのだというようなことをお漏らしになったということを私は伺っております。日教組と話し合ってみるということについては、ひとつ態度でお示しになってはどうか。これは所管のお話だと思うのですが……。
  118. 坂田道太

    坂田国務大臣 長崎で言ったというのは間違いでございまして、何かの講演かなんかで、いまちょうど大学院の二年生の人が、たしか昭和二十  一年に生まれた方であります。その後のベビーブームで生まれてきた人たちが、大体いまの学部学生たちである。そしてその方たちが通過されてきた小学校、中学校、高等学校という段階を見てみますると、ちょうど新潟大会におきまして倫理綱領ができましたのが昭和二十七年だったと記憶をいたしておりますが、それからとにかくわれわれと教職員団体との間において対決をしたということは事実でございます。そうして、それがどうだこうだということは別といたしましても、とにかく先生方がねじりはち巻きで、子供たちに自習をさせて、そして闘争をやられたということを小学校のときも見、はだで感じ、あるいは中学校でも高等学校でも、一番長い期間見てきた人たちが、まさにいま大学に入っている。そういう意味合いにおいて、やはり一つの見方としましては被害者でもある。これは教職員団体に責任があるとか、われわれに責任があるとかいうことは別といたしまして、事実はそうではないか。それからもう一つは、ベビーブームの波でございますから、小学校を通過するころもすし詰め教室、中学校のときもすし詰め教室、高等学校のときもすし詰め教室、そうして最も激甚な競争試験をやって入ってきたのがいまの学生たち。と申しますると、その二つの十字架というものを背負ってきた学生たちである。こういう意味のことを申し上げたわけでございます。  その意味合いにおきまして、私はむしろ力点を一そういうかわいそうな一面を持っておる人たちであって、われわれとしては、いかにかわいそうな人たちであっても、学園内において暴力をふるいあるいは不法なことをやるということは、この民主主義社会においては許されない。また、大学においても許されないというき然たる態度で臨みますけれども、しかし、やはり一方教育行政に携わる文部大臣といたしましては、その学生の心情あるいはそのよって来たるところの背景というものは考えなければならない、かように考えるわけでございます。したがいまして、今後日教組の間においても準備ができ、われわれのほうにおいても準備ができということになりますと、話し合いということにつながっていくかと思いますけれども、まだそういう機運にないというわけでございます。そういうふうに判断せざるを得ないというわけでございます。
  119. 有島重武

    ○有島委員 私は別に日教組の行き方に賛成しているわけではありませんし、別に疑義があるわけではないのですけれども、ただ、教員の団体と文部当局者が話し合うことができない状態でいる。そのことは異常であると思うのです。大学紛争も異常であるけれども、これは非常に異常な事態であると思うのです。これを積極的に解消していこうという努力が行なわれないということはまずいことじゃないか、そういう立場から重ねて申し上げたわけでございます。  それから、いま学生たちの立場として、あるいは国民全般の立場として一番不安に思っていることは、確かにあそこに暴力がある。話し合いが断絶しておるのはわかる。ところが、話し合いの姿をとりながら、事実はそれが一方的な押しつけであるようなことが非常に多い。そういったことをいつまで繰り返しているんだろうかということについて非常に不安を感じていると思うのです。先ほどずいぶん私的なことまで大臣言われましたけれども、これはやはりだれかがどこかで解決しなければならない問題である。そこで、これはむしろものの考え方についての総点検を行なうと申しますが、そういうようなことがなされなければならない時代に来ているのではないか。私は提案するわけでございますけれども、現代思想哲学研究というようなことが早急に開始されなければいけないのではなかろうか。おのおのがいままでの思想体系に固執して、しかもほとんどそれが通用しないような世界情勢になっているにもかかわらず、これを固執して、それが対立感情の上積みに用いられているような傾向が多い。先ほどから政治問題として暴力問題を言われたようでございましたけれども、そこに政治的な色彩あるいはイデオロギー的な色彩が介入されておるということは、むしろそれは表面的なことなんであって、その底にまだ問題があるんじゃないか。そっちのほうが大切なんじゃないか。現実にアメリカだってソ連だってやっていることは非常によく似たことをやっているわけでございまして、現在のイデオロギーの対立がナンセンスであるということはいろんな学者が言っております。何か新しい哲学が興らなければならないのではないか。それを、午前中でございましたか、しばしばお話に出ておりましたけれども、物が豊かになった、それが心の豊かさにつながらない。それで物と心がともに豊かになっていくような、そうした形態ということで、しかもその形態の裏側には、一つ思想的な背景が抜けておる。これを解明していかなければならない。その解明していくのはだれがやるのか。それをやるのが大学じゃないですか。どういう権限がおありになるか、指示があるか知らないけれども、そこに一つの方向性を打ち出していくということは、これは文教行政にとって非常に意義もあり、大きな問題ではないか、大切な問題じゃないか、緊急の問題じゃないか、そういうふうに思うのです。
  120. 坂田道太

    坂田国務大臣 いまのお話も非常に本質的な問題だと私は思うのであります。たとえば第二次大戦後、資本主義社会を中心とする、アメリカを中心とする国々と、それからソ連を中心とする国たとに分かれた。ところが、二十年たった今日においては——第二次大戦直後においては、どこかの陣営に属してさえおれば、ものごとが一応片づいておった。それから日本の社会におきましても、いわゆる社会主義かあるいはまた資本主義かということで、資本主義に反対な者は革新陣営と称して社会主義ということに走った。そういう時代であったと思います。しかし、今度は資本主義の内部においても、たとえばドゴールみたいなやり方が出てきた。今度また社会主義諸国の中においても、ソ連のああいう社会主義ということに対して批判を持ち始めた。たとえばユーゴスラビアもその一つだと思います。チェコだってそうだったと思います。あるいは中国だってそうだと思います。こういうようなことは戦争直後においてはだれも予想し得なかったことだ。中ソの関係においてはまさにそのとおりだと思います。それこそいわおの団結を誇っておったわけであります。日本のいわゆる革新陣営の中においても、そういうことを予想し得なかったと思うわけでございますが、やはりその影響というものを敏感に学生たちは反映した。しかし、そうなってくると、われわれはマルクス・レーニンということを言っておればそれでいいかというと、そうじゃないんじゃないか、また別の考え方があるんじゃないか。資本主義社会というものも、マルクス・レーニンからいうならば、もうこの世から消えてなくならなければならないはずであるにかかわらず、まだ依然として形骸をとどめておる。こういうことを学生たちは思うわけであります。同時に今度は、社会主義という形においてマルクス・レーニンというものをわれわれの絶対の政治イデオロギーだと考えておった学生人たちが、ソ連や中国のさまを見まして失望を感じたということでございまして、単に昔のような、学生運動ということを、ただマルクス・レーニンを信奉しておるからこうだ、あるいは資本主義社会であるからこうだというようなことだけで、それも一つでありますけれども、そういうことだけで解決できる問題じゃないのであって、その奥底にひそむところの意識の変化、先生のおっしゃるあるいは哲学的な問題がひそんでおるのではなかろうか。しかも学生たちは資本主義社会というものをエスタブリッシュメントとして考えると同時に、現在の中国の姿やあるいはまたソ連の考え方ということも、これまたエスタブリッシュメントだ、これは改革を要すべきものだというのが、少なくとも三派の考え方。三派の中にもまたいろいろありましょうけれども、いま世界を風靡しておる一つの反体制運動の基本はそこにあるのじゃないだろうか。つまりここに新しいイデオロギー、新しいフィロソフィ、こういうものがなければならないのだ、こういうことかと思うのでございます。特に資本主義社会の発達した先進国というところにこれがおもに出てきておるということが、まさにその文明史的な問題をかかえておるわけであって、私はこの点は非常に重要だと思う。  ところが、日本大学においては自然科学というのが非常に発達をした。ところが、東大にいたしましても、学部の増設というものは、戦後こっちの方面についてはずっと非常にたくさんの学科や学部ができて人数も多くなったけれども、そういう基本になります、人間とは何であるかという哲学、倫理、そういうような社会科学や人文科学の面においてまさにユニバーシティとしての姿をなしていない。アンバランスの面もあるというようなことで、むしろそういうような面を考えていかなければ、ユニバーシティの理念というのは成り立たないのじゃないかということさえ私は考えるわけでございます。その意味合いにおいて、私は、やはり新しいものの考え方が生まれようとする、あるいは胎動しつつある時代に入ってきたと思う。  私は、はなはだ失礼でございますけれども、創価学会というこの創価という、これは価値を新たに創造するという意味合いにおいて、やはり一つ考え方をお持ちになっておるわけで、既成のものに対して第三の道を選んでおられるのじゃないかという気がいたすわけでございます。そういうようなこともやはり考えられる世の中になってきておる。こういうふうに思うのでございまして、やはり大学当局も、これから新しい大学というものをつくり上げる上において、そういうような哲学なりあるいは行動心理学と申しますか、集団心理学と申しますか、そういった面の学部が創設される、あるいは学科が創設されるということは好ましいことじゃないかと思います。たとえば大阪大学の社会学部という名前でございますけれども、これはむしろ人間関係学部という新たな学部を創設準備の決定をいたしたわけでございますが、そういう意欲的な発想というものが大阪大学には出てきた。やはり各大学にそういうような学部あるいは学科というものが出ていくべきじゃないだろうかというふうに私は思います。
  121. 有島重武

    ○有島委員 それで、そういった際に新しくできた思想というものに、多分にまたいまおっしゃった広い意味のエスタブリッシュメントというものに対して批判なりそういったものが含まれるのけ当然だろうと思います。それを財政的に押えつけていくというようなことはないようにしていただきたい。  それから、これは各所でもってやってもいいわけでございますけれども、やはり強大な管理機構を持っている政府が、ここにやはり現代思想哲学研究所というようなものを設立していってもいいんじゃないか。そこはそこでもってやる、ほかはほかでもってやる、そういうような一つの風潮をはっきりと打ち出していくような時代ではなかろうか。これは世界的に見ても、アインシュタインなんかも言っていますけれども、もうこの発達した科学文明を指導していく哲学がない、これは西洋にはないから、もう東洋にしか求められない、こういうようなことを言っておりますけれども、東洋といってもやはり日本のことだと思うのです。そういったところに世界的な使命というものをこの際感じていく。われわれはそこに踏み切っていくことによって、大学紛争一つの低迷状態、膠着状態にあるそれに一つの突破口を与えることになるのじゃないか、そういうことが本質的な解決の有効な道の一つではないか、そういうように考えるのでございます。  それから、次の問題に移りますけれども、いま大阪大学お話がございましたけれども、公開講座であるとか、それから通信講座であるとか、そういうものがもっともっと強化されていくべき時代であろう。これはもう大臣なんかも、大衆大学、国民大学というようなことを言われましたし、これは各党ともにそういうことを考えていると思うのです。それからもう一面は、活字の時代から視聴覚の時代に移ってきたというようなお話もございました。テレビやラジオにおける公開講座というものについて、これは大いに推進していくべきじゃないかとわれわれは思っているのでございます。きょうは文部省の社会教育局長ですか、現況を少し伺っておきたいと思うのです。
  122. 福原匡彦

    ○福原政府委員 お答え申し上げます。  ただいま御質問の点で、ございますが、わが国の現況といたしまして概括して申し上げますと、必ずしも先進諸外国に比べてテレビ、ラジオ等の活用が教育面において進んでいるということは申し上げられないと思います。具体的に申し上げますと、高等学校教育のためには、たとえばNHKの高等学校通信教育番組というものが高等学校の制度の中に入っておりまして、現在七十三、通信制の課程を持つ高等学校がこれを利用している状態でありますし、それともう一つ東京12チャンネルによる高等学校講座というものもございまして、これは科学技術学園工業高等学校が利用しているというふうに、高等学校のほうではこれを制度化されているという現状でございますが、大学教育の分野におきましては、現在大学通信教育を行なっている大学が十六ございます。その中で十一大学が教材としてNHKのテレビによる科目、たとえば物理学でございますとか、法学でございますとか、七科目ございますが、その放送を利用しているという現状でございます。大阪大学お話ございましたけれども、大阪大学大学開放講座というのを昨年秋から暮れにかけまして、実施いたしました。これをNHKの大阪放送局がテレビ放送して一般に公開したという事例はございますけれども、なかなかまだその効果を十分教育関係者が理解しているというまでにはいっていないという現状でございます。
  123. 有島重武

    ○有島委員 放送教育、これはイギリスなんかではもう七〇年から始まるように準備しているという話でありますし、アメリカでもフランスでもやっているわけであります。それでこの効用についてどのように考えていらっしゃるか、それを大臣からお答えいただきたい。
  124. 坂田道太

    坂田国務大臣 私も実際的にはどういうような効用があったかということはつまびらかにはいたしませんけれども、しかし、これからはこういうようなことが取り上げられていかなければならないということははっきりしておるというふうに思うわけでございます。おそらく労働時間も、現在週四十八時間でございますけれども、だんだんこれは少なくなっていく傾向にあると思います。そういう状況になりますと、やはりレジャーというものをどう利用するか、その点になりますと、いままでは娯楽のためだとかあるいは行楽のためだとかいうようなことに多くは使われたと思いますけれども、だんだんこういう世の中になりますと、むしろレジャーの利用を内面充実というものに向けていく時代にもなってきているのじゃないかというふうに思います。それからまた、その意味合いにおいて生涯教育、死ぬまで何か教養を身につけたいというような欲望というものが出てくる。これにこたえるものがやはりなければいかぬのじゃないか。そういう意味合いにおいて、先ほど説明をいたしました大阪大学の公開講座も、昨年千五百名でございますけれども、とにかく熱心にこれを聞いた。そして意欲を持ってそれが聞かれた。しかも千五百名を同じようなところに入れておりますけれども、視聴覚を利用すると、そしてまたりっぱな教授がりっぱなカリキュラムを組みますと、非常に効果もあがったということは私聞いております。こういうことを各大学考えられていくことが、いわば大学というものが象牙の塔でなくて、自分たちの教育、研究の成果というものを社会に還元していく、いままで閉鎖しておった大学の門や窓を国民のために開放していく、こういう時代を迎えたかと私は思うのでございます。その意味合いにおいては。しかしながら、各大学は何と申しましてもだま限られておるわけでございますから、むしろ、各大学のこのようなものを全国にテレビあたりでやるというようなことでございますると、私の申します生涯教育も、その国民の意欲に対してこたえることになる。そしてまた、それを二カ年なら二カ年あるカリキュラムによって聞く、そうすると、その一年のうちに何日かを付近の大学において、私もよくわかりませんけれども、実地に今度はテレビを通じてでなくて先生から直接いろいろな指導を受けるというようなことがかみ合わされてまいりますと、これはやはり大学というものも変わってまいりますし、それから国民の意欲にもこたえることになるのじゃないかというような意味合いにおきまして、私は非常に意欲的に取り組まなければならない課題であると思います。文部省のほうにおきましても、従来この点に着眼をいたしまして、アメリカあるいはイギリス等のこともだいぶ調べておるようでございますし、また、意欲を持って何らかの具体的な案を考えなければならないというふうに思われるので、相談をいたしておるような状況でございます。
  125. 有島重武

    ○有島委員 いま生涯教育のお話、ライフロング・エデュケーション、これは大切な問題だと思います。いまも事務当局の方からお話がございましたけれども大学が自分の学校の単位にそれを用いることができるようなシステムにもなっておるわけでございますね。それをぐんぐん推し進めていけばいいんじゃないか。特にいま紛争を起こしておる、大ぜいの学生は勉強したくてもできない、そういうのを放置しておくということはそれこそ無責任であると思うのですね。テレビやラジオでやっておれば、これは聞けるのですから。それこそそのためのスクーリングを行なうというのは、散発的にいろいろなところで可能なのですから、紛争紛争でもってある程度時間を待たなければならないようなこともあるでしょう。それが教育問題としては比重を軽くすることもできるんじゃないか。これは速急にやらなければならない。  もう一つは、大学がたくさんできてしまって教授の不足ということがいわれております。それで不足ということは、表面上はなかなか不足にはならなくても、質の点で劣る場合も非常に起こってくる。勉強不足を教授たちは今度は嘆いておる。学生が多過ぎて嘆いておる。そういったような問題も、視聴覚を利用して、全国的に質のいい授業を配給することによって解消できるんじゃないかと思いますし、それによって今度は教室、設備の使用効率がぐっと高まるわけでございますから、今度はある科目については少人数でもってもっともっと密接な教官と学生との接触を可能にすることもできるのじゃないか。そういう教育の問題を、何か理想的にいいますと、建物も建てて、いい教授をつくって、金ばかりかかることでございますけれども、ですから議論倒れになってしまうことが多かった。だけれども、この問題はそれほど金がかからない問題であるし、それでやってみれば、いろいろなところにいろいろないい影響が出るのじゃないか。とすれば、これはイギリスに負けないで積極的にのろしをあげてお始めになったらどうか、そのように私は思いますが、いかがでしょうか。
  126. 坂田道太

    坂田国務大臣 ほんとうに有益なお話だと思います。われわれのほうでもせっかく検討いたしたいと思います。ことにUHFの電波がまだたしか残されておるわけでございますから、そういうような電波を使うということも一つの方法かと思います。その辺の具体的な問題については政府委員から……。
  127. 大坪保雄

    大坪委員長 大臣、少し高声に願います。速記がとりにくいようですから。
  128. 福原匡彦

    ○福原政府委員 補足して御説明申し上げますが、UHFのテレビ電波がまだ残されていると大臣申されたとおりに、実用化の時代に入りまして。いま割り当ての段階に入ってまいっております。これを教育専門放送のほうに重点的に確保してほしいということを、一昨年郵政省に文部省から申し入れをいたしております。あわせて現在社会教育審議会に、有島先生お話しのような、教育機関がいかにこうした放送を活用すべきかということについて御検討願っております。近くその答申も出る段階になりましたので、その答申を待ちまして、さらにわれわれとしては充実をはかりたい。こういうふうに考える次第でございます。
  129. 有島重武

    ○有島委員 それじゃ放送大学の構想は実行に移される、そういうふうに理解してよろしゅうございますね。
  130. 坂田道太

    坂田国務大臣 いま社会教育局長が申し上げましたように、審議会で検討いたしておりますから、その答申を待ちまして、前向きで検討し、実現につとめたいと考えておる次第でございます。  現在、私立大学におきましては通信教育というものがございまして、十の大学においてこれを現実に行なっておるわけでございますが、こういうようなことにつきましてもさらに拡大しまして、テレビ等を取り入れるというようなこと、それから国立大学においてもどういうふうに取り入れたらいいかというふうなことも含めておそらく検討していることだと私は思います。私、詳しいことはよくわかりませんので、政府委員のほうからお答えを申し上げます。
  131. 有島重武

    ○有島委員 けっこうです。いまやっております私立大学の話、少し伺っておりますけれども、みんなこれはいいというのだけれども、いざとなると学者たちの反目が起こる。それがたいへんな問題になる、そういったことが隘路になっておる。それで、プランの段階では非常にスムーズにいくのだけれども、いざ、じゃだれがレクチュアに出るかということになりますと、そこにやはり学派といいますか、派閥といいますか、そういうものがある。そういうところがあるわけです。ですから、むしろ国立大学でもってこれはもう強制的に始めてもいいんじゃないか。これは国立大学の授業の五〇%なり三〇%なり、電波に乗りやすいもの乗りにくいものがございますけれども、それで単位をとってよろしいのである、そういうようなことはもうこれは大胆に進めていかなければならないのじゃないか。  それで、先ほどからお話がございましたけれども、何となく学園の自治、学問の自由だ——非常におっかなびっくりなところがある。それはお互いに形骸化した権威の上にあぐらをかいていたゆえに大胆なことが一つもできなかったということを率直に認めれば、この問題はもう何といわれてもやっていくのだ、それに国民も賛意を示すというようなそういう姿を、いま大学紛争でこれだけ集中して論議がかわされているときはないのですから、そういうチャンスになさるべきじゃないかと私は思うのですよ。  それで、きょうは時間がだいぶおそくなりましたので、このくらいでとどめますけれども、一番最初に申し上げました民主主義といいますか、話し合いというものをどうにかして取り戻さなければならない。その課題はもう国民各層にあると思いますけれども、まあ、われわれはわれわれとしてやりますけれども、これは文部大臣におかれましてもそのお立場でもってひとつ実行に移していただきたい。具体的には、これは大きな懸案である教員団体との話し合いというか、そこに範を示していただきたい。  そこで、すぐ問題になることは、やはり哲学の違いと申しますか、みんな狭いきめ込みの中に入っておる。そのきめ込みをぶち破っていくような新たな哲学を開拓していくという姿勢を、これも何か形でもってあらわしていただきたい。  それから第三番目に、いま申し上げました制度の上で、これは制度上いろいろな論議がかわされて、この問題を進めるとすぐまた中教審の話になってしまうと思うのですが、中教審の答申がどうであろうとも、あるいは各党の大学構想がどうであろうとも、そこに共通していわれなければならないもの、基盤として行なわれることはおそらく視聴覚の問題、これがなければどれもこれも解決しないのじゃないかというふうにさえ思っております。  以上、大体三点についてきょうお話し申し上げたわけでございますが、最後に大臣の所感を伺いたいと思います。
  132. 坂田道太

    坂田国務大臣 非常に貴重な御主張を承りまして教えられることが多いわけでございます。私も、有島先生の御提案につきましては十分誠意をもちましてこれにこたえる考えでおる次第でございます。
  133. 有島重武

    ○有島委員 では終わります。
  134. 大坪保雄

    大坪委員長 次回は公報をもってお知らせすることとし、本日はこれにて散会いたします。    午後五時十六分散会