○北野
参考人 ただいま御紹介いただきました日大の北野でございます。
まず最初に、
納税者の
権利救済のあり方に
関係しまして、非常に重要な
法律案であります
二つの
法律案につきまして、このように慎重に本
委員会で
審議されつつあるということを眼前にいたしまして、心から
委員会に対しまして敬意を表したいと思います。
時間の
関係で
重点的に、主として
政府案を中心として
意見を述べさせていただきたいと思います。
今回の
政府案につきましても、率直に申しまして幾つかのすぐれたメリットがあるということを私としましても認めないわけにはいかないのであります。その幾つかを例示的に申し上げますと、すでに御承知だと思いますけれども、大体四つのものがまず目につくわけであります。
第一に、
更正の請求期間を、従来一般には一月間、所得税、法人税につきましては二月間、これは現行しているのでございますが、それを一年間に延長して、やむを得ない場合にはさらにその特例を設けるということになっております。
第二番目に、差し押えまたは担保の提供によりまして徴収の確保がはかられた場合には、延滞税率を現行の日歩四銭から日歩二銭に軽減するということになっております。
第三番目に、
行政不服
審査法の原則
規定に従いまして、
異議申し立ての期間及び始審的
審査請求の期間を現行の一月間から二月間に延長するという
改正が予定されております。
第四番目としまして、さらに注目されねばならないことは、現行法では
青色申告者のみに対しまして、
更正の際に
更正の
理由付記をするということになっておりまして、その結果、
処分の
理由を
納税者に知らせるということになっておるのでありますけれども、
改正案におきましては、白色申告者をも含めまして、広く
処分の
理由が通知されていない
更正決定につきましては、
異議決定の段階あるいは
異議申し立てから三カ月を経過した段階で
処分の
理由を明らかにするという、そういう措置が講ぜられております。これは
納税者の
権利救済、
権利保護という
観点から申しまして、画期的な
意味を持つメリットのある
改正点であると
考えるわけであります。
そのほかにも、
政府案の基本的な
前提であります
行政レベルのワクの中で
権利救済制度を
考えるという、そういう
前提に立ちました場合には、きわめて多くの個々のメリットを指摘することができるわけであります。その
意味で、立案当局の御努力に対しましては敬意を惜しむものではありません。
しかし、日本国憲法の格調の高い
権利思想のもとにおきまして、本来
税務争訟
制度というものはどのような方向であるべきであるかという、そういう基本的な
観点から
問題点を
考えていきますと、
政府案につきまして多くの疑問点を指摘しなければならないと
考えるわけであります。
行政不服審査制度のあり方につきましては、大体におきましては
二つの
考え方があり得ると思います。
一つは、
行政不服審査制度というものを
行政の自己反省あるいは自己監督の
制度という
観点で強くとらえるという
立場であります。もう
一つは、
国民の
権利救済という
観点を非常に強調する
立場でありまして、
行政レベルのものにいたしましても、
権利救済制度という
観点から申しますと、本来、後者すなわち
国民の
権利救済という
観点をできるだけやはり強調すべきであるということになってくると思います。この点につきましては、
昭和三十七年に制定されました
行政不服
審査法、現行法でございますが、しかも、
税務争訟
制度も基本的には
行政不服
審査法を
前提にしておるわけでありますけれども、その
行政不服
審査法は、従前の訴願法を全体として改善するというものではありましたけれども、本質的には従前の訴願法と同じ
行政の自己反省あるいは自己監督の作用の側面の強いものであったといわねばならないと思います。今回の
政府案の基本的姿勢も、後に述べますように、実質的にはそれとあまり変わるところがないというのが私の見解であります。
以下、そういった
観点から幾つかの疑問点を指摘したいと思いますが、まず第一に指摘されねばならないことは、
裁決機関の
第三者性の問題であります。現行の
協議団制度につきましては、発足当初の、あの戦後の混乱期に、
審査庁以外の
機関を
裁決または
決定の段階で介入せしめるという
協議団制度というものは、確かに当時におきましては画期的な
意味を持っていたと思いますけれども、現在の段階では多くの欠陥を持っておるということにつきましては、いまさら指摘するまでもないと
考えるわけであります。
そこで、
政府案では、御承知のように
国税庁に
国税不服審判所を設けることを提唱しているわけであります。同
審判所は
協議団と異なりまして、みずから
裁決権を有するということになっております。しかも、たてまえとしましては、
通達に拘束されないで、それとは異なる
裁決をすることができるということになっているわけであります。しかし、
審判所長が
通達の解釈と異なる解釈によって
裁決をする場合、あるいは法令解釈の重要な先例となると認められる
裁決をする場合には、
審判所長はあらかじめその
意見を長官に申し出なければならないということになっております。長官は、この申し出に対しまして指示を与えるわけでありますけれども、その際、別に設置されます、しかも
国税庁に置かれます
国税審査会、これは非常勤の
学識経験者から
構成されるということになっておりますが、この
国税審査会の議に付しまして、その
意見を尊重して指示しなければならないということになっておるわけであります。「尊重して」ということばに御注意願いたいと思います。ともかくこのような問題につきましては、長官が、
法律構成的には、指示権を持つわけであります。しかも、
国税審査会というものは、ことばは必ずしも正確だとは思いませんけれども、あくまで一種の
諮問機関的な存在にとどまるものになっておるわけでありまして、このように、
政府の
改正案のもとでは、不服
審判所の
裁決権というものば初めから形骸化するということが不可避といわねばならないと私は
考えるわけであります。
また、
組織法的にいいましても、
審判所が
国税庁の
機関になっておるということは非常に疑問であります。この点、
社会党の
国税審判法案では、国税
審判庁を内閣総理大臣の所轄のもとに置くということにいたしております。しかも、
納税者の不服が
通達の法令不適合性を
理由とする場合には、すべて統一的に中央の国税
審判庁に対しまして
審判の請求をすべきであるということにいたしております。さらに注目されますことは、
審判官の除斥、忌避の
制度を設けておりますし、また、特定の場合には、国税
審判庁の
裁決に不服のある
処分庁自体に対しまして、裁判所への出訴権を認めておるという、画期的な構想になっております。
もっとも、
裁決機関をどこに置くかということは、実は
裁決機関を
構成する
メンバーの問題と切り離しては論じられないわけでありまして、私としましては、総理府系統に置くことが望ましいと
考えるわけでありますけれども、その場合、単に形の上で総理府系統に置くということだけではなく、やはり
審判官の身分保障を行なうと同時に、事務局職員につきましても厳正な態度でその
構成にあたるということにしなくちゃならないと思います。
具体的に申しますと、
審判官等の不服
審判所の
メンバー構成につきましては、
大蔵省、
国税庁と別系統の
人事の面でも完全に別の
組織にいたしまして、原則として両者の間に
人事の交流を行なわないという、発足当初は人の確保の問題がございますから、ある
程度はやむを得ないと思いますけれども、方向としましては、採用コースを全然違ったコースにするという、そこまで徹底しなければ公正な
審判は期待できない、そのように
考えているわけでありますけれども、ともかく
裁決機関の
第三者性の問題につきましては、少なくとも
社会党案のレベルのものでなければならない、そのように
考えるわけであります。
この問題に
関連しまして、先ほどもちょっと触れましたが、
政府案の
国税審査会の法的
性格は単なる
諮問機関的な
性格のものであるということでありまして、はたしてどの
程度に期待し得るものであるか、その実効は、私としては、従来の日本のこの種の
機関のあり方からいきまして、過去の実績からいきまして、はなはだ疑問視されると
考えるわけであります。
税調答申によりますと、これは
政府の
税調答申でありますが、先ほど申しました長官の指示権というものは、「
税務行政の統一ある運用」を維持するための
配慮である、「
行政の統一」ということを非常に強調しておるわけでありますが、この「
税務行政の統一ある運用」ということによりまして、
納税者の
権利救済という
観点、視点が背後に押しやられたわけであります。すなわち、
裁決機関の
第三者性の確保の要請ということが、このような
行政の自制作用という
考え方、視点から犠牲に供されたというふうに
考えざるを得ないわけであります。
行政の自制作用という
観点の強調は
政府案に一貫する基調的な
考え方であるということが指摘されるべきであると思います。
なお、
行政の統一ということが強調されまして、このような指示権が与えられたということになっておりますが、そしてそういうことが一般にいわれておるのでありますけれども、はたして
行政の統一ということがそれほど
意味のあることであるかどうかということにつきまして非常に疑問に思うわけでありまして、かりに長官の指示に従って不服
審判所長が
裁決を下したということになりました場合に、それが従来の
通達と違った形になったという場合でございますけれども、そのような場合
通達はさかのぼって改められないと思いますので、要するに将来に向かってのみ
通達の
変更ということが出てくるわけでありまして、その限度においてのみ
行政の統一がはかられる。既往の古い
通達の取り扱いについては、少なくとも理論的にはアン
バランスにならざるを得ない、そういうことになってくるわけでありまして、
行政の統一と申しましても決してそれほど
意味のある、実効のあるものではないわけでありまして、
国税庁長官の指示権がなくても、すなわち、
審判所長が独自の主体的な
判断で
裁決を下しまして、それがたまたま従来の
通達と違っていたということでありましても、そのつど
国税庁長官が
通達の
変更をすれば足るわけであります。つまり、同じ結果になるわけであります。その
意味では、
行政の統一ということが強調されておるわけでありますけれども、あまり
意味のあることではないと私は
考えております。
それから参考までに申し上げておきますが、事後的な救済
手続としましての
行政不服申し立て制度というものは、これを
行政の自己反省あるいは自己監督の
制度の域から根本的に脱皮せしめまして、いわば前審裁判――
審判じゃございません、前審裁判の本質を備えるように準司法化すべきである。そして憲法七十六条はそうした要請を含んでおるんだ、すなわち、
行政不服申し立て制度の準司法化という要請は憲法七十六条に内在する立法政策的な要請であるという公法学者の主張もございまして、要するに立法政策的な
観点ではございますけれども、憲法上の要請であるという主張を強調する学者もございます。
それから、わが国の
行政法学の通説的見解を代表されまして、しかもわが国の
行政法学の発展に大きな貢献をなされました
田中二郎最高裁判所判事の最近の論文を拝見したわけでありますけれども、
田中先生は従来の通説的見解を代表されるという
意味では、最近の、若い人々を中心にしました日本の公法学界の動向からいきまして、どちらかといえばコンサーバティブな評価を受けておられる方でございますけれども、その最高裁判事ですら次のように述べておるわけであります。
課税庁の系統
機関から完全に
独立した
第三者機関を設けるべきである、このように先生はおっしゃっておられまして、先生はさらにそれを租税
審判庁という名前で呼んでおられるわけでありますけれども、その租税
審判庁は準司法
機関として機成すべきであって、準司法
手続に従って
審判をすべきであるということを強調しておられます。この点を御紹介申し上げておきます。
それから、
裁決機関の問題に
関連して、小さな問題でありますけれども、
名称の問題でありますが、
政府案では
国税不服審判所という
審判ということばを使っております。しかし、先ほど申しましたように、
政府案の実態は
審判というイメージとは違ったものでありまして、その
意味では
国民に対しまして不当な、何と申しますか実態に反するような幻想を抱かせるような危険性がある。そういう
意味で実態に即するような
審査ということばを使うべきであるということを私ども
税法学会では
意見書に書いているわけであります。
以上のように、
行政レベルのものでありましても、
裁決機関の
第三者性という問題につきましては、できるだけそれが確保さるべきであるといわなければならないわけでありますけれども、ただ
観点を変えまして、
制度の立て方として、私としてはまた別の
観点があり得るのではないか、このように
考えておりまして、それを御参考までに申し上げておきたいと思います。
それは、いわゆるドイツ的な方向での方策を検討してもよろしいのではないかということでございます。ドイツでは租税
委員会というものが廃止されまして、
行政レベルの救済措置としましては、現在では
税務署――フィナンツアムトに対する
異議申し立て――アインシュプルッフが存するだけであります。あとはあげて司法裁判所でやります。財政裁判所及び連邦財政裁判所にゆだねる、そういう
構成にいたしております。
行政府の中にどんなりっぱなコートをつくりましても、それはしょせん
行政機関でありまして、司法裁判所ではないわけであります。憲法三十二条が予定しております裁判所ではないわけであります。公正な
判断ができるということで、人々は司法裁判所の裁判官を最も信用するわけであります。
行政レベルのものを充実するくらいだったら、むしろ司法裁判所そのものを整備充実させたほうがよろしいのではないか、そのほうが日本的な
国民感情、
国民感覚にマッチしておるのではないか、そのようなことも
考えられるわけであります。
この点につきまして、
昭和二十四年のシャウプ勧告はつとに租税の裁判所につきまして民事租税裁判所の設置を示唆しておったわけであります。要するに、不完全なものを
行政レベルでつくるよりも、むしろ
行政レベルの救済措置を簡素化しまして、その
意味では現在のままでもよろしいわけでありますが、租税専門の司法裁判所の整備充実をはかったほうが望ましいのではないか、そういう議論も
制度の立て方としてはあり得るのではないかということを参考までにつけ加えておきたいと思います。
第二の問題としまして、先ほど
金子参考人からも詳しく御説明がありました
不服申し立て前置主義の問題があります。私は、この問題はある
意味では
裁決機関の問題以上に大切である、むしろ
税務争訟
制度のかなめである、そのようにすら
考えております。今回の
政府案におきましても依然として前置主義がとられておるわけであります。
昭和三十七年の
行政事件訴訟法は原則として
不服申し立て前置主義を廃止いたしました。ただ、これにつきましては例外を設けておりまして、その例外
規定に従いまして幾つかの前置主義をとる立法例があるわけでありますが、その例外につきまして
昭和三十五年七月の法制
審議会
行政訴訟部会の
行政事件訴訟特例法
改正要綱試案では、この例外に該当する場合の
処分として三つのものをあげていたわけであります。
一つは、大量的に行なわれる
処分であって、
不服申し立ての
裁決によりまして、
行政の統一をはかる必要がある大量的な
処分について、まず指摘いたしております。それから第二番目に、専門技術的な性質を有する
処分、第三番目に、
不服申し立てに対する
裁決が、
第三者的な
機関によってなされることになっている
処分、この三つをあげていたわけであります。一般に租税に関する
処分というものは、このうち、もちろん論者によりまして若干
重点の置き方が違いますが、一あるいは二に該当するという説明がなされていたわけであります。ともかく
国税通則法は租税事件の特殊性ということから
不服申し立て前置主義をとっております。
もちろん
不服申し立て制度につきましては、それが持つ利点や、それが現に果たしている機能からいきまして、
不服申し立て制度それ自体の存在というものは肯定されねばならないと思いますけれども、しかし、だからといいまして、訟訴に先立ちましてどうしてもそれを前置させなければならないという、そういう本質的な
理由は
国民の
権利救済という視点からは出てこないわけであります。理論的には全く出てこないわけであります。国は、直ちに司法裁判所の裁判を受けたいというそういう
納税者に向かって、
行政上の
不服申し立てをしてからにしなさいといって前置を強制するという、そのことについての合理的な根拠は憲法論上は出てこないわけであります。もちろんこれは、前置主義は憲法違反であるということを言っているわけじゃございませんが、
国民の
権利救済という
観点から
考えていきますと、
行政上の
不服申し立てと訴訟のいずれかを選択させる、それを
国民の自由な
判断にゆだねるということは当然の筋合いであります。この
意味におきまして、前置主義というものはこれに関するいろんな
理由づけにもかかわらず、結局は広い
意味での国側の便宜の手段にすぎない、そういうことが言えるわけであります。特に現行
制度のもとにおきましては、法令の違憲性、租
税法規の違憲性や
税務通達の見解の合理性が争われる、そういう場合には前置主義は
国民にとって全く無用の長物でありまして、ときには事実において誤った
通達等を法源化する、そういうような有害の機能すら果たす危険があるわけであります。つまり、
通達をして事実として、法と同じような定着的な機能を果たせしめる、そういう危険性があるわけであります。このことは、今回の
政府案でかなり解消されることになるわけでありますけれども、しかし、今回の
政府案におきましても、それなりにやはり同じような議論が本質論的には言えるわけであります。
なお、この
不服申し立て前置主義を廃止すると非常に困るという
意見があるわけでありますけれども、その論拠としまして、廃止すれば裁判所に事件が殺到するというふうなことがよくいわれるわけであります。一般に、裁判というものは、
手続が非常に煩瑣でありまして、しかも時間と経費がかさむ。それでありますから、簡単な
行政上の救済措置で目的を達し得るものであれば、それによったほうが
納税者としても得策でありまして、自然裁判所に訴えるにふさわしいものだけが直訴されるということになっていくだろう、そういうふうに私は見ております。したがって、裁判所に事件が殺到するのではないかという、そういうおそれはないと
考えるわけであります。もし、かりにそのようなおそれがあったとしましても、だからといいまして前置主義によって事実上
国民の出訴権に制約を加えるということを正当化する根拠はどこにもないわけであります。
前置主義については、後ほどまた
質問の段階で詳しく申し上げますけれども、私としましてはかりに前置主義の全面的な廃止ができない場合でありましても、最小限度法令の解釈等に関する問題につきましては、前置主義からはずすべきである、そのように
考えております。
第三の問題としまして、
異議申し立て制度自体の問題に移りたいと思いますが、
政府案におきましては、これから申し上げますようなことは一切
考慮されていないわけでありますけれども、すわなち、
更正処分の
事前手続の整備の問題であります。
課税処分というものを慎重にやるということは紛争を
事前に防止するという予防法学的
観点からいきまして非常に望まれるわけでありまして、
課税処分をなす場合には
事前にその
内容を
納税者に通知することにいたしまして、しかもその通知を
課税処分の有効要件として
法律的に
構成するわけでありますが、
納税者がその通知
内容に
異議があるという場合には、その段階でそれについての
審理の請求をなし得る、そういう
制度をこの際法制化すべきではないかと私どもは
考えております。もし、この
制度が法制化されますと、
異議申し立て制度は不要になってくるわけでありまして、
異議申し立て制度は廃止すべきであるということになってくるわけであります。かりに一歩を譲りまして、
政府案の
考え方に従って
考える場合におきましても、
審査請求に先立ちまして
異議申し立てを前置させるということは、これは改めるべきであると
考えるわけであります。
審査の請求に先立つ
異議申し立ての前置というものは不必要である、これは先ほど申しました
権利救済という
観点から理論的には根拠づけることはできないというのが私どもの見解であります。
第四の問題としまして、
不服申し立てと徴収との
関係の問題がございます。現行
制度は、執行停止をたてまえとしております。今回の
政府案もこれに従っております。その
理由としまして、
税調答申によりますと、「執行停止を原則とするときは、いわゆる乱訴の弊が生じやすい」そこで、この
制度を改める必要はないということを述べているわけであります。この問題に
関連しまして、つとにシャウプ勧告が将来の目標としましては、
納税者が納税しないで争訟することを一般に認めるべきことを示唆していたのであります。今回の
改正案におきましても、滞納
処分は差し押えまでにとどめて、換価
処分は行なわないということになっておりますけれども、たとえ差し押えまでにしろ、それによって一般の
納税者は多くの、直接間接の被害を受けるわけでありまして、たとえば取引先であるとか銀行等の信用の失墜があるとか、そういう直接間接、多くの損害を受けるわけであります。もっとも、たとえば担保を提供すればよろしいという緩和措置などもございますけれども、そもそも担保を提供できるだけの資力がない一般の庶民というもの、あるいは中小企業というものはそれには浴し得ないわけでありまして、そういう
意味で私は、この問題はこの際根本的に
考えてみる必要があるのではないか、そのように
考えるわけであります。
ひるがえりまして、
昭和三十七年の
国税通則法の制定前までは、すなわち旧
所得税法、旧法人
税法におきまして、
青色申告者につきましては執行停止を原則としていたわけであります。過去の
経験からいきまして、少なくとも私どもの
判断では、執行停止を原則としましても乱訴の弊は生じないと
考えるわけであります。最近の情勢からいきまして、今日ではもはや青色、白色の区別を問わないで執行停止を原則とすべきである、そのように私どもは
考えるわけでございます。
なお、この問題につきまして、
不服申し立てと徴収の問題でありますが、
社会党案三十六条の二項でありますけれども、そこでは原則的に差し押えしないことを命令できる
規定がございまして、きわめて注目に値すると思います。
第五の問題としまして、
更正の請求の問題があげられます。この問題につきましては、先ほど述べましたように、期限を一年に延長するということが予定されておりまして、その点では私も大
賛成でありますけれども、さらに欲を言いまして、現行の
更正の請求と修正申告の二本立ての
構成を改めまして、修正申告は
更正の請求を吸収するものとして
法律的に
構成をいたしまして、増額、減額を問わないで同じように期限の制限はなく修正の申告を行なうことができる、そういう
制度にすべきではないかと
考えております。なぜかと申しますと、
更正の請求も修正申告もともに
納税者による
課税要件事実の確認をめぐる
手続でございまして、両者の間には
性格的な懸隔はないと
考えられるからであります。
以上、
重点的に
政府案を中心としまして幾つかの
問題点を申し上げたわけでありますけれども、最後に総括的な所見を申し上げまして、私の報告を終わらせていただきたいと思います。
税務争訟
制度の抜本的な改善ということは、これはかねてからの
国民的な課題であったわけであります。このような背景を受けまして、昨年の四月に構想としましては画期的な
社会党の
国税審判法案が
提出されたわけでありまして、今回の
政府案はそうした
国民的な課題にこたえることが期待されていたわけであります。しかし、全体として見ますと、今回の
国税不服審判所制度の設置を中心とします
改正案の
内容は、実質的には八年前の
昭和三十六年七月の
国税通則法制定
答申のそれとあまり変わるところがないと私は
考えるわけでありまして、率直にいいまして、今回の
国税不服審判所制度のレベルであれば、つとに
昭和三十七年の、すなわち、いまから七年前の
国税通則法の制定の際に立法化が可能であったといわねばならないと思います。
したがって、方向的にはこのような
政府案については満足できないわけでありまして、
税務争訟
制度というものは長期的な安定的な視野に立って抜本的なレベルの高い
権利救済制度として
構成されるべきであると
考えるわけでありまして、
所得税法、法人
税法などの実体
課税規定を中心とした
税法と違いまして、こういう問題は何もあわててつくる要はないと私は
考えるわけであります。つくらなければあすから困るという問題ではないと
考えるわけでありまして、そういう
意味でいろいろ慎重に
考えるべきだと思いますが、ただ、今回の
改正案のうち、冒頭に申し上げました
更正の請求期間の延長等、
国税不服審判所制度と直接
関係のない項目であるとか、あるいは先ほど来強調いたしました前置主義の廃止に関する問題は早急に
実現させるべきであると
考えるわけであります。それでその分だけの
実現をさせるための修正を行なうことはできないものであろうかと、そのように私は
考えておるのでありまして、もし修正という形で困難であれば、その分だけの単行の特別暫定措置法を早急に
提出していただきまして、それだけでも
制度化するということにしてほしいということを希望するわけであります。そして、
国税不服審判所制度につきましては、少なくとも
社会党案の方向で別途慎重に検討するという方向でよろしいのではないか、そういうふうに
考えるわけであります。もっともそういうことでは困る、どうしてもまとまらないということでございましたら、さらに一歩譲りまして、長官の指示権だけは廃止する、そういう修正を行なって
審判所制度を
実現するということでもよろしいと思います。もちろんそうすることによりまして、長官も
審判所長の
裁決に拘束されるということになるわけであります。
以上、非常に率直に所見を申し上げさせていただきました。すべての
法律学というものは、最終的にはいかにして
国民の基本権を擁護するかという
観点から展開されるべきであると私はかねて
考えているわけであります。そのような
観点から、ただいま率直に
意見を申し上げさせていただいたわけでありまして、何ぶんのお許しを願いたいと思います。私はいまから二年前、すなわち、
昭和四十二年の五月二十三日の本
委員会におきまして、同じく
参考人として
出席する機会を与えられまして、その際多くの代議士の諸先生から、租税
審判所の設立の問題に
関連しまして発言がございました。たしか春日先生なども発言されたと記憶しておるのでありますけれども、抜本的なレベルの高い
審判所をつくるようにしてほしい、われわれに対しましてもそういう方面の研究をしてほしいという発言がございましたことを、先ほど来想起しているわけであります。
長時間、御清聴ありがとうございました。(
拍手)