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福田国務大臣 いよいよ本
通常国会において、諸法案の審議をお願いいたすわけでありまするが、これに先立ちまして、私の
所信を申し述べたいと存じます。
私の
財政金融政策に臨む
所信につきましては、すでに
臨時国会において当
委員会、また、
通常国会におきましては本
会議におきまして申し上げております。なお、本日はここにプリントをいたしまして、皆さまに
配付をしてあるわけでありまするが、
臨時国会のものと、それから本
会議におけるものと、大体同じであります。したがいまして、これを朗読することを避けまして、私の
考えておる諸問題について若干補足をさしていただきたい、かようにしたいと思うのであります。
私は、
公債政策を
昭和四十一年度において初めて本格的に取り入れたときの
責任者といたしまして、非常に
公債政策の
運営について
責任を感じておるのであります。一体、この
政策がうまくいくかどうか、その後
大蔵大臣を離れましたけれ
ども、離れたその間におきましても、重大な
関心を持ちながらその行くえを見守ってきておるのであります。
公債政策はどのような
考え方で取り入れたか、これは申し上げるまでもないのでありまするけれ
ども、
公債政策を取り入れることによりまして、いわゆる
財政に
フィスカルポリシーという
機能を持たせたい。つまり、いままでの
景気の
動きを見ておりますると、高い
調子のときもあれば低い
調子のときもある。その高さと
谷間との開きがあまりにも大き過ぎて、国民
経済的に非常にロスを与える、そういう
事態があってはならない。それには、
財政の
機能するところが薄かったということを反省し、ここに
公債政策を取り入れ、
不況のときには
公債を多額に出す、そうして
民間の
需要を補う。また、
民間経済の好況のときには
公債を縮減いたしまして、そうして
民間経済活動と
政府の
経済活動との総和、これが均衡をとりながら
成長、
発展をしていくということができるのではあるまいか、さように
考えたのが第一点であります。
それから、もう
一つの
問題点は、
日本の国が
廃墟から立ち上がって
国づくりにいそしんでおるその過程におきまして、国の受け持つべき
任務、つまり、
財政の
任務というものが毎年毎年と重きを加えていくわけであります。
財政需要の
膨大化であります。それに対して、一体いままでの
考え方でいきますれば、どうしても税をもってこれに対処しなければならない。伸びゆく
財政需要に対して増税をもってこたうべきかというと、それは疑問だ。やはり、戦争によって失われた財産、
企業におきましてもあるいは
個人におきましても、あの
廃墟の中から立ち上がるということを
考えますると、どうしても、
企業にもまた
個人にも
蓄積を持たせなければならぬ。それにはこの伸びゆく
財政需要に対して、いままでの
考えのように税金だけで立ち向かうという
考え方をとるべきではない。しばらく
公債によって財源をまかなうべきではあるまいか、それによって
企業にも
個人にも
蓄積を与えるということを
考えるべきではないか、そういう
考えをするに至りました。ここで
公債政策を採用するに至ったわけであります。
その後、
財政また国の
経済はどういう歩みを続けてきたかということを回顧してみますと、この
公債政策を取り入れたことにおいて、第一に私が申し上げました
フィスカルポリシー、つまり、
財政が
経済の
動きに
機能するという問題は、まず
昭和四十一年度の段階において、あの深刻な
不況を克服し得たという点におきまして、みごとに
実現できたというふうに
考えております。その後の
動きを見ておりますると、私が当時想定いたしました
動きに比べますと、どうも
成長の高さが高過ぎる。これは私は、必ずしも
公債政策の影響ばかりとはいえないと思うのでありまするけれ
ども、どうも一二、三%に及ぶ
実質成長ということは、
経済全体の
運営から見まして、いろいろなひずみをかもし出す、そういう点において必ずしも理想的な形ではない。
いろいろそういう点を反省してみまするときに、私は
二つの点に重点を置いておるのであります。
経済の
健康診断、これは人のからだにおける脈と呼吸ということがありますが、やはり
国際収支と
物価、この
二つであろうと思う。もし
経済運営というものがうまくいっていなければ、この
二つの点に
問題点が出てくる。
国際収支を見てみますと、これは多少の変遷はありましたけれ
ども、
公債政策を取り入れた以降におきまして、総体的に私はまずまず順調である、こういうふうにいま見ております。しかし、これが
数字にあらわれてきておるように、つまり昨今、
外貨の
蓄積が二十九億ドルになった、その
数字にあらわれてくるようなそれほどいい
状態であるかというと、そうではない、こういうふうに
考えておるのであります。ことに
昭和四十三年度におきまする
外貨手持ちの急増、これはほとんどが
外国資本の
わが国への流入によってもたらされておるという点によく心しておかなければならぬ、かように
考えるのであります。そういう点から、大体においてよろしいけれ
ども、しかし、
数字が示すようなその程度の楽観は許されないというふうに
考えておるのであります。
それから
物価の問題は、さらに私は深刻な問題である、こういうふうに
考えます。
昭和四十一、二年と、とにかく四%台の
物価水準というものを
実現いたしました
わが国経済が、
昭和四十三年度に至って五%台にまた逆転をするという
事態に立ち至っておるわけであります。これはどうしても四十四年というこの年には克服をしなければならない、こういう場面に当面をいたしておる、かように見ておるのであります。
そういう
国債政策下の
日本の
経済が、まずまず順調に動いておるとはいうものの、反省すべき若干の点を含んでおる。その
根本原因は何かというと、
成長の高さ、これに根源がある。一二%、一三%、こういう異常な高さの
成長を行なうということになりますると、どうしてもその
摩擦熱として
物価の問題が重大化し、また
国際収支が、幸いに四十三年は
国際経済の状況に恵まれて好調ではありましたけれ
ども、そういう
国際経済の幸運ということがない場合におきましては、必ずしもこういういい結果、
数字は得られなかったんじゃないかというふうに憂えておるのであります。
そういう反省に立ちまして、今後一体どういうふうに
経済政策を
運営していきまするかというと、私はやっぱり
安定成長政策という基調、これを堅持するということに尽きると思うのであります。
つまり成長、これをぜひなし遂げなければならない。しかし、この
成長と同時に、この
成長が
健康体であるように
国際収支、
物価、この安定というものを同時に
実現しなければならない、かようにいま
考えておるのであります。
私は、そういう
考え方によって、これからの
経済に
財政の
フィスカルポリシー的機能、それからさらに、
金融政策において
景気調整機能というものを持たせたいというふうに
考えておりますが、その
二つを軸にしたかじとりによりまして、今後
経済をさらにさらに
谷間なく
成長させていきたいんだということを
念願をいたしておるわけであります。
戦後二十五年になりますが、とにかく
日本の国が、この二十五年の間にここまで来た。夢にも思わなかったような
状態になっておるわけでございまするが、それによってわれわれの
生活もよくなる。同時に、私
どもが非常に
考えておかなければならぬ問題は、私
どもの
国際的地位が非常に向上しているという問題です。
国際社会において
わが国が高い尊敬を受け、また、高い期待を受けるような
日本国になったという点であると思います。
戦後の
国づくりといたしまして、
物心両面といわず
——心の面が非常に立ちおくれているということがいわれますけれ
ども、それはそれとして私はそのように
考えますが、同時に
わが国の
社会を、
わが国の個々の市民の
生活をここまで持ち上げ、かつ、
国際社会における
わが国の
立場というものをここまで持ってきた、それは一に
日本の
経済の非常なる
発展というものがそうさせたんだというふうに
考えます。
この非常な勢いの
発展、しかもいままでは
景気の循環というものがありましたけれ
ども、そういう谷も山もなく、なだらかにどこまでも
発展させるというこの
政策を続けまするならば、
わが国はほんとうに
世界において
民族としての役目を尽くし得るような
日本国になり得る。こういうふうに
考えまして、何とかして
谷間なく
日本経済が長く伸び行くような
体制をつくり上げていく、これが私は、ぜひとも
財政を通じて
実現をいたしたいという最大の
焦点であります。
そういう
見地に立ちまして、私がこの書面でも明らかにしておりますが、
財政政策においては
二つの点を
基軸にしていきたいと思います。
一つは、
公債の
漸減政策であります。私は、
谷間ということをそう
考えておりません。これからなだらかにではありますけれ
ども、
経済は
発展していく。
発展していくに伴いまして、
公債はだんだんと減らしていく、こういう
考え方でございます。もし万一、
民間活動が
世界の
情勢等に伴いまして落ち込むという
事態がありますれば
公債は増発する、これはもちろんでございまするけれ
ども、いま予見し得る
経済のなだらかなる
成長、そういう時期におきましては
公債の
漸減方針をとる、これが
一つであります。
それから、先ほど申し上げましたが、
公債の
発行下ではございまするけれ
ども、
蓄積を失った
わが国の
法人企業また家庭に対しまして、
蓄積を取り戻させる
努力をしなければならぬ。そういう意味から、できるだけ
減税政策というものを推し進めていきたい、こういうふうに
考えます。この
二つを大きな軸としてやっていきたいと思うのであります。
減税の
考え方につきましては、
税制調査会の
長期税制答申、これに即して今明年はやっていくことに相なります。
それで、四十六年度以降のことはまだ
考えておりませんけれ
ども、私の頭にあることを申し上げますると、
課税最低限の
引き上げを中心とする
考え方、それを転換をして、税率の
調整という
方向に頭を向けていったらいかがであろうかというふうに
考えておるのであります。
それから、四十五年におきましてはどうするかというと、まず、いままで
政府もまた自由民主党も公約をいたしておりますので、
課税最低限百万円までの
引き上げということに第一に
努力をしなければならぬ。しかし、
財政に余力がありますれば、
長期税制答申の残されておる、四十四年度において
実現しなかった、残された
部分の
実現をいたしていきたい、かように
考えておるのであります。
それから
金融政策につきましては、これまた
金融に
景気調整機能というものをより強力に与えたいということを
考えておるのであります。この方面の
施策を何とかして推し進めてみたい、かように
考えておるのが第一点であります。
それから第二点は、
金融機構の問題であります。この
金融機構につきましては、
国際社会の
自由交流、こういうようなことに対応いたしまして、
企業界、
産業界、これも
近代化、
合理化の道を進んでおるわけでございまするけれ
ども、
金融機構がそれに立ちおくれるというわけにはまいりません。
金融機関の
合理化、
近代化、この
方向をさらにさらに推し進めていきたい、かように
考えております。
それから第三点といたしましては、
金融政策の
運営にあたりまして、
金融政策に
競争原理を導入するということを
基軸といたしまして、この
金融政策を前向きに指導してまいりたい、かように
考えておるのであります。
さらに、
国際金融政策につきましては、
わが国がもうすでに
世界において
世界の先進十カ国という
地位をかちえ、しかも、その中におきましてもかなり
発言力の強い
立場にまで来ておりますので、
——いま
国際金融の
社会におきましては、通貨不安をいかに克服するかという問題が
焦点になっておりまするが、そればかりじゃございませんが、これから
国際金融協調体制をどういうふうに進めていくか、
世界あってのわが
日本であります。そういうふうなことを
考えますると、いまやわが
日本はこれだけの力をたくわえた
日本国といたしまして、この
国際金融協調体制へ全幅的な
協力をしなければならぬ
立場に来ておる。そういう
見地から、この
国会においてお願いをいたしておりますSDRの協定に対する御承認、また、それに対する
国内法の
整備など、いろいろ
わが国としてやらなければならぬ問題に当面をいたしておるのであります。
同時に、
世界の
経済が繁栄して初めてまた
わが国の繁栄もあるわけなんであります。そういうようなことを
考えますると、
対外経済協力、特に低
開発国、
発展途上国に対する
協力につきましては格別の
関心を持たなければならない、そういうふうに
考えるのであります。
さらに、
国際金融と深い
関係のある
国際経済体制、これが
自由化へ
自由化へという道をたどっておるのであります。
わが国の
経済も各般にわたって
自由化という
体制に対応しなければならないという
立場に置かれておるのでありまして、この
自由化の波に乗るということは、
わが国の国益に合するゆえんでもあるのでありますから、大いにこの
自由化の波には乗っていかなければならないと
考えておりますけれ
ども、この波に乗るためにはそれだけの装備をしなければならないと
考えておるのでありまして、
自由化に対応する
産業金融その他の姿勢の
整備に格段のくふうをこらさなければならない時期に来ておる、かように
考えておるのであります。
以上のような
考え方で
財政金融政策を
運営をいたしてまいりたいと思いますが、何せ
公債をかかえた
財政下でありまして、その扱いはきわめて機微であります。私も
誠心誠意、全力を傾倒いたしまして、
日本経済がただいま申し上げましたような
方向で
発展し、また、
日本民族発展のためにその使命を尽くし得るようになってほしいと
念願をいたしておりますので、何とぞ皆さんの御教示を得ましてあやまちなきを期したい、かように
考えます。
何とぞよろしくお願い申し上げます。(拍手)