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1969-06-25 第61回国会 衆議院 外務委員会 第27号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十四年六月二十五日(水曜日)     午前十一時四十六分開議  出席委員    委員長 北澤 直吉君    理事 青木 正久君 理事 秋田 大助君    理事 藏内 修治君 理事 田中 榮一君    理事 山田 久就君 理事 戸叶 里子君    理事 穗積 七郎君 理事 曽祢  益君       小渕 恵三君    坂本三十次君       世耕 政隆君    中尾 栄一君       永田 亮一君   橋本登美三郎君       松田竹千代君    石橋 政嗣君       大柴 滋夫君    帆足  計君       松本 七郎君    渡部 一郎君  出席国務大臣         外 務 大 臣 愛知 揆一君  出席政府委員         外務政務次官  田中 六助君         外務大臣官房長 齋藤 鎭男君         外務省アメリカ         局長      東郷 文彦君         外務省欧亜局長 有田 圭輔君         外務省条約局長 佐藤 正二君  委員外出席者         厚生省援護局業         務第二課長   村岡 達志君     ————————————— 六月二十五日  委員宇都宮徳馬君、小泉純也君及び勝間田清一  君辞任につき、その補欠として小渕恵三君、中  尾栄一君及び帆足計君が議長指名委員に選  任された。 同日  委員小渕恵三君、中尾栄一君及び帆足計辞任  につき、その補欠として宇都宮徳馬君、小泉純  也君及び勝間田清一君が議長指名委員に選  任された。     ————————————— 六月二十四日  世界連邦建設の決議に関する請願(池田正之輔  君紹介)(第九一一六号)  同(始関伊平紹介)(第九二八一号)  同(野間千代三君紹介)(第九二八二号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  国際情勢に関する件      ————◇—————
  2. 北澤直吉

    北澤委員長 これより会議を開きます。国際情勢に関する件について調査を進めます。  質疑の通告がありますので、順次これを許します。中尾栄一君。
  3. 中尾栄一

    中尾委員 本日の新聞を見ておりますと、「ニッポンは?」という題で——六月二十五日、本日の読売新聞でありますが、見出しは「神秘、幻想の工業国」ということで種々書かれております。これの中を読んでおりますと、いうなれば外国から見た日本の国というのはどういう目に映っておるかということが種々書かれておるわけでございますが、私は、きょうの質問内容は、最終的に遺骨収集の問題について付言させていただきたい、こう思っておりますが、その問題点にも一関係があろうかと思いますので、少しくそれに付言させていただきたいと思うのです。  その内容記事を読んでみますと、日本のジェトロ、日本貿易振興会世界八カ国の調査をしたものですが、イタリア人が見て、フランス人に対してどのように思うかというと、フランス人は大体ダンスをする、愛するということばが非常に象徴的な民族であるというような表現が書いてあります。イギリス人は学ぶ、読むということばで非常に象徴的な表現ができる国民であろう。ドイツ人は生産する、戦う。スウェーデン人に対しては愛する、楽しむ。そして日本人はということになりますと、ここにカッコして、まずイタリア人が被害をこうむる民族であるというように印象的に植えつけられている、こう書いてあります。昨年以来、日本の国は、外務大臣も御指摘になりましたように、エコノミックアニマルということば英国新聞記者パーシー記者が発言されて以来、まさに富士山のお山の上にあぐらをかいてどうとか、まゆ毛を下げて札ばかり勘定している民族のような印象世界の中に流布されているということを聞きまして、まことに慨嘆にたえない次第でありますが、戦後二十数年たって、まさに国民総生産五十兆円をこえて五十七兆八千億というところまできておる、この日本経済安定度に比して、精神安定度たる世界百二十七カ国のうち何十位であるのか、百何十位であるのか、まさに見当がつかないようなその日本現象面の中で、一体こういうように世界日本をながめておるという観点に対して、大臣はどのように御感想を持っておられるか、一言お聞き申し上げたいと思うのであります。
  4. 愛知揆一

    愛知国務大臣 なかなかこれむずかしい問題でございまして、政府として、やはり外国の人がどういうふうに日本を見ているかということについては、いろいろの方法をもって調べたり、あるいは情報を収集したりいたしておりますけれども、必ずしも一日本の実情というものがいまだ十分には行き渡っていないように、よく理解されていないように感ずることが多いわけでございます。ところが、その中で、ただ一つ経済的に非常な躍進をしているということは、これは客観的事実なも一のでありますから、だれしもがこれを認めているわけであります。自然、これだけ急激に躍進したということについては、いったいその原因はどういうところにあるであろうかということで、すなおに、平たく、その原因国民勤勉努力というようなことに高い評価をしてくれるところも相当多いわけでありますが、同時にまた、いまお話しのエコノミックアニマルとか、あるいはこのごろ、これもいやなことばですが、フリーライドということばがときどき外国で使われております。要するに、ただ乗りで、自分だけよければほかの国や国民はどうでもいいというふうに見られる、そういう面も一ございます。私は、決してフリーライドでもなければ、エコノミックアニマルでもない、もっと日本国民としてはお互い自信を持っていかなければならない、国民努力の上に立っていままでの政策その他がうまくいったからこういうふうな状況になってきたのだということを、自信を持って踏まえていっていいのではないかと思います。要するに、日本国民のものの考え方あるいは国情というものが、もう少し正確に外国人たちに伝わるように、海外啓発について、外務省はもちろんでございますが、政府全体として一段と努力を新たにしなければならない、かように考えるわけでございます。
  5. 中尾栄一

    中尾委員 大臣の言われるとおりに考えてまいりますると、私どもは非常に気強いのでありますが、私も昭和二十四年から海外旅行をしまして、もうすでに三十数回ほど外国に出ております。その中で、戦争直後における日本印象と、戦後二十数年たって海外から受ける日本に対する印象というものは、相当に変わってきておる。それは一つは脅威であり、ジェラシーである。いろいろな面を加算して考えてみましても、国際的義務を果たしておらない日本という国に対する定説と、さらに先ほどのフリーライドじゃありませんが、自分自身義務を果たしておらないで、権利を主張する国であるということに対する批判の鉄槌は、相当高まってきておるということを私は考えるけであります。特に私は世界を見ておりまして、一体何ゆえに日本のこういう精神的な安定度というものがさらに国内においてもないかという一つの参考になろうかと思いますが、これは私自身世界各国を歩いてみますると、まず戦争の事の是非は問わず、第二次世界大戦という、歴史の中で未曽有戦争をして、しかもあれだけの多くの犠牲者を払っておる。その負傷者、死んでいった将兵に対する扱いというものが、各国においては相当に進捗しておる、進んでおる。これは偽らざる事実だという感じがいたします。しかし、日本の国を考えてみますると、戦争反対という、まことにわれわれ人間のあくまでも本能的な、非常に強い意思力というものが、あまりにも大きく加重されておるためかどうかわかりませんが、それだけに、二十数年前の戦争に対して否定する気持ちが非常に加重されておるあまりに、かつてわれわれともども戦っていき、しかも散っていった同僚に対する同情、さらにまたかてて加えて、彼らに対する処置というものが怠られているような感じもするわけでございます。  特に一昨々年から、もはや戦後ではないということばが流行しました。私はこのことばを聞くたびごとに、非常に冷汗三斗の思いでこのことばを聞かざるを得なかったのでありまして、もはや戦後ではないということばは、少なくともわれわれが戦いながら死んでいったそういう英霊の一人一人の骨を片づけて、戦後のまさに日本の隆盛の時代の中に、戦争中の残滓はもうすでにない、そういうものはあとかたもなく片づけられておるというところに、もはや戦後ではないということばが流用されてしかるべきだと思うのであります。日本の国は、まさにわれわれの同胞三百数十万の犠牲を払った戦争の中で、野ざらしの中にそのままさらしておきながら、もはや戦後ではないということばを逆に流行語のように流用させることは、私はまことに嘆かわしい現象である。一つはマスコミの大きな責任でもありましょう。同時に、それに向かって積極的な政府の取り組み方が足らぬという点においても、大きな要因が横たわっておるということを私は指摘せざるを得ないという感じでございまして、この点に対しまして大臣の御感想あるいは御意見をお聞き申し上げたいと思います。
  6. 愛知揆一

    愛知国務大臣 ごもっともなお尋ねであると思います。まあ一口に言えば、戦争というものを再びやるべきではない、あるいは第二次大戦に対する反省というようなこと、これはもう当然でございますけれども、それと、その当時の環境の中においてとうとい命をささげられた、犠牲となった方々に対する弔慰と申しますか、尊敬の念と申しますか、こういうことがなおざりになるということは、非常にまたこれは残念なことであると思います。政府としても、いろいろの点でおくれておるところも多々あったのを、だんだんといろいろの方法でもって及ばなかったようなことに対する反省を加えて措置が進められつつあるように思いますけれども、なお足らざるところについては今後とも一そうの努力をして、ほんとうにそういう面におきましても戦後の処理といいますか、こういうことが十分な成果があがるようにしなければならない、これはもうひとり外務省の問題ではございませんが、政府全体として心していかなければならないことと考えます。
  7. 中尾栄一

    中尾委員 私は、つい先日でございますが、二カ月前にグアム島に行ってまいりました。私は、それにさかのぼって約六年前に、レイテ島に行ってまいりました。レイテ島ではむざんにも死んだ方々がそのまま、フィリピン感情もありましたのでしょう、野ざらしになっておりましたのを、われわれの手で一本一本拾ってまいった次第でございます。今回グアム周辺ペリリューテニアンサイパングアム、この周辺に行きまして、私はあまりのことにあぜんとしたのでございます。一例を申しますると、ペリリュー島の洞穴の中にはいまだに野ざらしになったまま、たま尽き矢折れ、最後に残ったゴボウ剣自分ののど笛を突いて、鉄かぶとをかぶったままのその遺骨が横たわっておる。これを見ましたときには、まさにこのままにして戦後二十数年間、まあ商魂隆国世界で二位、三位とうそぶく、ここまで日本の国が経済成長をしたという陰において、自分のかつて同僚であった仲間をこのようなままにして置いておくということ、一体政府が、いわゆるいまから続く青年たちに国を愛する気持ち、郷土を愛する気持ちをいかに訴えようとも、これはあくまでも観念にすぎないのであって、ほんとうにそれをむしろ一本一本理屈も言わず言いわけも言わず背中を見せて収骨していく姿を青年に見せたほうが、よほど琴線に触れるものがあるのではなかろうかということを考えますると、どうも私はいまの国のあり方というものに疑念を感ぜざるを得ない。そういう意味におきまして、この問題はひとつ徹底的にとらえていきたいと思うのでありますが、そこで、具体的な質問に移っていこうと思います。  今回の戦争で三百十万の犠牲者、うち八、九十万は内地においてなくなっておるということを承っておりますが、一体南太平洋地域だけでどれほど戦没をしておるのか、その点、関係事務当局のほうにお聞き申し上げたい。厚生省の方がおられましたら厚生省関係にお聞きをしたい。
  8. 村岡達志

    村岡説明員 南方における戦没者の数でございますが、地域別に分けて申し上げますと、アメリカ管轄になっておりますミクロネシア地域におきましては約十二万、それからイギリス管轄ギルバート諸島では約七千、それからフィリピンで約五十万、オーストラリアの管轄に属します東部ニューギニアソロモン方面におきまして約二十四万、それからインドネシア地域におきまして約十六万、それからビルマ方面におきまして約十五万、おもなところは大体そういった数字になっております。
  9. 中尾栄一

    中尾委員 では、そういうなくなっていった方々収骨に際して、厚生省外務省が現在どういう形でこの収骨に当たっておるか、これに対して少しく——南方方面のことだけではございませんけれども、特に南方方面に限ってだけ、具体的な御説明をいただきたい。
  10. 村岡達志

    村岡説明員 海外戦没者遺骨収集につきましては、国の責任と主体において実施するという基本方針によりまして、主要戦域につきまして、従来昭和二十八年ごろから数年間にわたりまして特に派遣団を派遣いたしまして、収集の事業をやったのでございますが、その後さらに、なお不完備のところがあるというところから、昭和四十二年度以降あらためて最終的な処理を行なうという方針で、フィリピンあるいはマリアナ諸島等について実施してまいりまして、相当成果はあげてきたところでございますが、本年度におきましても、さらに引き続きましてフィリピンのセブ島、それから東部ニューギニア等につきまして実施する予定となっております。それからまた、小笠原諸島の復帰に伴いまして可能となりました硫黄島につきましては、目下本格的な遺骨収集を実施しておるところでございます。なお、明年度以降におきましても、残っております地域につきまして、当該国と交渉いたしまして、計画的に遺骨収集を推進してまいりたい、こういう所存でおるところでございます。
  11. 中尾栄一

    中尾委員 まことに厚生省にとっては耳の痛い話かもしれませんが、私はつい先日こういう経験をしたのであります。それはグアム島のほうに、若い青年たち——現在ゲバをふるっておる学生たちも一おりますが、そういうゲバをふるう学生たちのみならず、相当にまとも一にいまの日本の社会を考えていこうという青年もおりまして、その学生の中で、特に二十人、早稲田を中心にしまして、東大生も入っておりましたが、歴史研究会学生でありますが、ぜひとも一南方方面に眠っておるそういう先輩遺骨を拾ってくることが、またこれを荼毘に付して埋葬してやることが、将来のわれわれ自身義務であるということで、歴史を研究した結果、われわれの結論はそこに達しましたということで、彼らは勇躍出かけてくれました。そうしてグアムぺリリューサイパンその他のところで三百二十柱、これを持ち帰っていただいたわけであります。まことにおかしな話でありますが、グアム島からトランク一ぱい詰めた骨を持って帰るときには、これはグアムチャモロ族でありますけれども税関吏が、りっぱなものを収骨なさいましたね、りっぱなおみやげですね、と激励をしてくれたのであります。ところが、日本に持ち帰ってきたときには、黒い帽子をかぶった日本税関吏が、まことに失礼な言い方でありますが、その遺骨をそのまま見て、こんなものを拾ってきてどうするのだということで、向こうのほうに置いておけという程度の扱いであったそうであります。私はその現実を聞きますと、あるいはまた見ておりますと、まことに日本の教育の貧困も思うのでありますけれども、同時に、そのような形で置いておく厚生省あるいはまたその他の各省においても、大きな問題があるんじゃないかと思う。  そこで、厚生省のいままでの収骨係方々の行動というものを見ておりますと、各島に行っても、何のことはない、遊山旅行みたいな形で行って、そうしてそこで遺骨さえも土地の土着民がいまや売買をする、そうして骨を拾っておいて、何本幾らというかっこうで売るというような現実まで私は現地に行って聞くに及びまして、まことにけしからぬ話だ、こういう形でそのまま置いておくならば、日本国あり方というものが、もうすでに自主性としてなってないといわざるを得ないのでありまして、私は厚生省のお役人全部とは言いませんが、いままで行っている人たちは、そういう誠意ある人たちを送っておるのかどうか、そういう心がまえの報告を聞いておるかどうか、これをひとつ厚生省方々あるいは政府当局にお聞き申し上げたいと思うのであります。
  12. 村岡達志

    村岡説明員 ただいまの、厚生省から派遣しました遺骨収集団心がまえの問題でございますが、現に私も一昨年暮れに西ニューギニアビアク方面遺骨収集に参ったわけでありますが、御遺族気持ち、戦友のお気持ちを体しまして、限られた期間ではございますけれども誠心誠意、汗をぬぐいまして最大限度努力をいたしまして、一体も取り残すことのないようにということを念願しつつ、最善の努力をしてきたつもりでございまして、他の同じ派遣団員の方もおそらく同じ気持ちで、なし得る限りの最大限度努力をしてまいっておると思いますし、また今後もそういった心組みでこの問題に取り組んでまいる所存でございます。
  13. 中尾栄一

    中尾委員 この遺骨収集の問題につきまして、同じ敗戦国であるドイツイタリアはどのような遺骨収集をやっておるか、これについて少しく厚生省並び外務省にお聞き申し上げたい。
  14. 村岡達志

    村岡説明員 いまの外国遺骨収集の例でございますが、はっきりしたところは私どもも承知しておらない次第でございます。戦争の直後、戦場整理ということで、ほとんどの遺骨収集あるいは処理が終わっておるのではないか、こういうふうに考えられます。
  15. 中尾栄一

    中尾委員 私は、そういう厚生省態度が大体官僚主義的態度だといわざるを得ないのであります。それは、同じ条件で負けた以上に過酷な戦いをして、自分の首都にまでアメリカ軍英国軍が入ってきて、白兵戦まで行なわれたドイツイタリア、この国で遺骨をどのように扱っておるか。私の調べた範囲では、二年以内に、大体遠くあのスペインに、はたまた遠くエチオピアに眠っている骨を全部掘り起しても、あるいは砂漠地帯の中から掘っても、それをみんな持てきて、いまのドイツのあの無名戦士の墓の中に埋葬しておる。しかもそれを記念して、ドイツ青少年問題省ではこういう碑を建てておるのです。ドイツのハンブルグのあの大学の前には大きな碑が建っておって、諸君たちがこの学校の門の外へ出ていくとき忘れてはならないことが一つある。それは、諸君たち先輩国負けんとするときにこの学校の門の外へ出ていって、涙と血を流しながら戦い、死んでいったことを忘れてはならない。したがって、諸君はその先輩の死をむだにすることなく、この敗戦国ドイツではあるが、一枚のかわら、一片の木片にすがってもドイツを復興させようではないか、と書いてある。学校の門のところにこのような碑を建てて、それを登校、下校するときにながめてきたドイツ青少年は、国こそ敗戦後に二つに分けられても心は一つだという気持ちで、敗戦後のドイツの国を築いてきたじゃないですか。私はいまの日本の姿を見ているとき、青少年のこのようなていたらく、しかも国が二つに分けられるほどに大きな根因をつくってきたのは、私は日本責任政党が悪いと思う。私は自由民主党でありますが、そういう点ははっきり申し上げたい。これは皆さん方ほんとうに心を込めて、いまの日本青少年にどのような生き方を与えていくかということに指針を示す勇気がなく、古いということばで片づけられれば、そうかといっていたずらに妥協し、時代おくれだからというので妥協ばかりやっている。たとえば親孝行の精神だってそうです。親と子供の間に愛情と信頼が通っておれば。いわゆる親がはしを持つ手がふるえるようになったときに、おかあさん御飯ですといってささえてやる気持ち、これはアメリカに行ったってソ連に行ったってドイツに行ったって変わる感情ではない。中共に行ったって変わる感情ではない。そういう気持ちを、いわゆる戦争に勝ったから負けたからということだけの理由で、すぐに青年ことばに妥協してみたり、あるいはまた政治家が票をほしがってみたり、そういうことだけにきゅうきゅうとして、安住の上にあぐらをかいてきた政治が、今日このような青少年を生んでいるのじゃないですか。私はそれを見たときに、やはり日本の国の厚生省外務省やその任に当たるいわゆる担当者が、ドイツイタリアが負けた国としてその痛手をこうむりながらも、死んでいった兵隊の骨を集めるのにどのような扱いをしておるかということも研究しておらないで、どういう形でいままでニューギニアに行ったのか。私は、こういう点はお互い反省しなければならぬと思う。  当時、私は民間におったが、レイテ島まで行き、その他の島まで行って、一本一本拾った。そういう真心の中で日本はつくっていかなければならぬ。そういうことを厚生省外務省はお考えになりませんか。今日、戦後二十数年間、ここまで日本が発展してきたのだから、日本の国が五億や十億ぐらいの予算を計上して、船を一隻 二隻チャーターして、そして遺族を乗せてサイパンぺリリューテニアンニューギニアに送って、遺骨収集してくるくらいの気持ちがないのかどうか。外務大臣にお聞き申し上げたい。
  16. 愛知揆一

    愛知国務大臣 切々たるお話で、私もほんとうに感銘いたします。そういう点が、先ほども申しましたように、足らざるところが非常に多かったのではないかということを感じますので、この際、心を新たにして、まじめに、真剣に遺骨収集等についてあらためて努力をいたしたいと思います。
  17. 中尾栄一

    中尾委員 持ち時間が参りましたので、私は質問を終わらしていただきたいと思いますが、最後に、大臣にお聞き申し上げたい。  それは、このようなままにしておくならば——確かにいまの沖繩の問題も大事であります。われわれ自身にとっては必死の問題でありますし、あるいはまた北方領土の問題もそうでありましょう。しかし、同時に、私どもとともども戦い、その戦っていったときには、日本の国が負けようと思いながら戦った人は一人もいないということを考えると、このともども戦い、勇敢に散っていった人たちは、国家の実にりっぱな、とうとい犠牲者であるという観念をお持ちいただきまして、そうして新たな気持ちで、これだけの発展をした日本の国の中で、ちょっとしたことといえば、桜祭りであるとか何々であるとかいった行事に金をつぎ込んでおきながら、遺骨収集のために金もつぎ込めない日本政府であってはならぬ。そのためには、たとえ五億でも十億でも来年度予算にこれを付加していただいて、大臣みずからひとつこの予算をとっていただくような形をとっていただいて、一刻も早く遺骨収集をしていただきたい。ドイツは二年以内、イタリアも三年以内にやったのでありますから、二十数年たって、世界で二位になった日本ができないはずはない。せめてこのことだけははっきりと、大臣以下心を新たにしてやっていただくことを切にお願いいたしまして、私の質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。
  18. 愛知揆一

    愛知国務大臣 ひとつ私もあらためて心を新たにいたして努力をいたしますことをお誓いいたしまして、お答えといたします。
  19. 北澤直吉

  20. 帆足計

    帆足委員 私は、二十年来ずっと外務委員会に在籍いたしておりましたが、このたび同志諸君の友情によりまして一時物価委員長に養子に参りまして、当席に出る機会が少なくて、たいへんさびしく思っております。特に北澤委員長が御就任なさいましたのに、御けいがいに接する機会もなく、幸いにして不信任案のときには不信任を出さないで済みましたので、御同慶の至りでございますが、今後とも御注意あそばして、わが外務委員会におきましてこのようなことの再び起こりませんことを切望しておる次第でございます。  きょう立ちましたのは、外務委員といたしましては、日本の外交の進路とその大綱をきめ、これを監察し、そして在外公館当局の御努力のほどもよく監視し、必要なる御便宜も与え、常に関心を持つことがわれわれの任務の一つと思っておりますところ、先日、雑誌、新聞等におきまして、元アルゼンチン大使河崎一郎君の「素顔の日本」という書物が世論の爼上にのぼりまして、それがもとで誤り伝えられたのかもしれませんけれども、河崎一郎君は待命処分になっているように伺いましたので、これはちと道理に合わぬことのように考えまして、この書物の日本訳を日曜日に読んでみました。内容を読んでみますると、時代も私よりも少し下でございましょうか、私は何ぶん二度も三度も落第いたしましたから、クラスを覚えておりません。しかし、落第した原因は、資本論全三巻を読みこなしてから卒業せよというたらちねの親の教えに従ったのでありまして、経済学を志した以上はアダム・スミス、リカード並びにカール・マルクス、これだけはみっちり勉強しておけ、こう言われました。したがいまして、近代科学という地位を獲得した近代政治学、近代経済学、新しい科学的経済学の立場から分析し、深く日本紹介した書物ではありません。これはただ随筆集でございますから、これに対してきびしい批判をすることは無理なことでございますが、一随筆集として見ますると、非常な卓見もありますし、洞察力もありますし、著述としては非常に優秀な書物の一つであると私は大局的には思っております。もちろん、部分的には統計の不完全とか表現の手落ちとか、多少ひっかかるところもございます。しかし、総じて申しますならば、外国に長く滞在した一デモクラットの見た、どちらかといえばラジカルデモクラットの見たアジア的日本の分析という意味におきまして、外国人が日本を理解する上におきましても多少役に立ちますし、また日本自身の自己省察の役にも立つ書物であろう。私は、一応文部省推薦図書にしても差しつかえないのではあるまいか、こう思っている次第であります。一応文明評価については自信のある私の言うことでありますし、すでに定評のある私の言うことでありますから、たいして大きな過大評価、過小評価はなかろうと思っております。大体におきまして、永井荷風全集を読んでみましたが、永井荷風の「ふらんす物語」「新帰朝者日記」等の現代版ともいうべきものでありまして、大体筆法も荷風先生の系統でありまして、多少狷介なところも見えますが、それがまた鋭さのゆえんでもありましょう。したがいまして、この書物に対しまして、それが動機となって待命処分になっているということを伺いますと、まことに、外務委員としては、そのようなことをただ見ておるわけにはまいりませんので、お尋ねするわけでございますが、外務大臣はお忙しいですから読書のひまもなかなかなかろうと存じますし、ただいま日米交渉の最中でございますからお察しいたしますが、また属僚諸君もおられることですから——人民から選挙されない以上は、これは行政官でございまして、行政官のことを俗語では属僚と呼ぶのでありまして、これは決して軽べつして申し上げることばではありません。尊敬すべき属僚諸君もおられるわけでありますから、この河崎大使は大体昭和何年ごろの大学卒業で、何ゆえに処罰になっているか、あるいはなっていないか、また処罰するといたしますと、どういう手続でそういうことが行なわれるものであるか、また、何が原因外務省の首脳部の忌諱に触れたか、それらにつきまして、外務大臣御存じのところがあれば伺い、また御存じなければ、御担当の方からいまの御答弁をいただきたいと思うのでございます。
  21. 愛知揆一

    愛知国務大臣 河崎君の問題につきましては、御質問がございましたので、この機会に私の考え方を申し上げまして、いろいろと御批判をいただきたいと思います。  河崎君が「素顔の日本」という著書を外国語で出版いたしましたのは、いまからしばらく前のことだと存じますが、これが正確な日時は記憶いたしておりませんけれども、本年の三月ごろでございましたか、三月の初めごろに、外字新聞にもその中身の一部が報道され、だんだん話題になってまいりました。これは河崎君自身も言っておりますように、著書の問題でございますから、一部分だけを取り上げて批評するというのは行き過ぎであろう、こう存じまして、原文の英文のものを手に入れまして、私もおおよそ読んでみました。それからさらにその後、日本語で出版されておりますが、その日本語の出版が出る前に、大急ぎで外務省の中で仮訳したものもできましたので、それにも目を通しておきました。私といたしましては、ただいま永井荷風等のお話も出ましたけれども、これは河崎一郎君が現職の特命全権大使であり、あの著書であるということが、やはりこの場合においては問題にしなければならない問題ではないかと思うのであります。日本政府を代表して、任国に対して信任状を提示し、そして最高の外交業務をやるという立場の人であるということと、それから創作家であって、自由な立場であるという人の書かれるものと、おのずから区別があってしかるべきではないかと私は思います。そういう点から申しましても、現職の外交官が執筆をする、あるいは公式その他を問わず公に意見を開陳するというような場合には、事前にしかるべき手続をするということが内規としてきめられてあるのも、そのゆえんではないかと思います。それらの点から考え、全体を読んでみて、しかも問題になる数点のところを読んでみまして、私といたしましては、これは現役の特命全権大使の著書としては不適当なものである、かように判断せざるを得なかったわけでございます。したがって、私としても、そういうふうな十分な検討をいたしたつもりであります。また、事務当局にも協議をいたしまして、ちょうどう米大使会議に出席をいたし、公用によってジュネーブに寄って帰任する途上でございましたが、私としては、この著書について、現役の大使の著書としては非常に不適当なものである、この際ひとつ進退をきめてもらいたいという趣旨の電信によって、指示を当人に対していたしました。河崎君からは、そのときに辞意を表明されてきました。  それからその後、帰任——帰任といいますか、帰国いたしまして、正式に辞表を提出いたしました。同時に、私といたしましては、考えようによっては、処分的な意味をもっと強く含めた処分もあり得ると思うのでありますけれども、当人としては、特命全権大使としては私はいかがかと思いますけれども、御承知のように、数カ国語に非常にたんのうな、非常にりっぱな資質を持っている人でもありますし、まだ春秋に富む人でもありますし、また第二の人生に活躍を期待できる人でもございますので、いろいろの点を勘考し、また従来の外交官としての業績にもかんがみまして、そうして本人から自主的な辞意の表明がございましたから、普通の場合の依願退職という取り扱いにするのが最も妥当である、かように判断をいたしまして、閣議を経て、普通の依願免職の手続をとることにいたしたわけでございます。  その普通の場合のと申しますのは、まず任国をはずして待命にいたしまして、そうして今後のいろいろなこともございましょうから、若干の時間をおいて正式に免官の発令をすることになっておるのであります。正式の免官の発令はまだいたしておりませんけれども、これは通常の依願免官と全く同様の取り扱いにしたい、かように考えて、退官を前提にする待命ということにしておるわけでございます。形式的にいえば、これはいわゆる処分ということではなくて、私が不適当と認めた著書につきまして、本人の自発的な、一身上の、何と申しますか、前途についての意見を求めたのに対しまして、辞意を表明いたしましたから、すなおにその辞意を取り上げた、こういうことにいたしております。同時に、いま申しましたように、才能も非常にある人でありますし、それから別な意味におきまして、今後も大いに活躍を期待される人であると思いますから、その才能が生きるような道について、私といたしましても、できるだけの協力をしていきたい、かように考えております。
  22. 帆足計

    帆足委員 いかなる点が政府当局の忌諱に触れたかということは、ほぼ見当はついておりますが、あとでお尋ねいたします。その中の有名な節に、指揮権の発動によって佐藤総理自身が救われ、日本の政権はいわば李承晩、グエン・カオ・キのように決してそれほどまで腐敗はしてない。日本の会社、官僚機構はすばらしい能率と生産力をあげておる。にもかかわらず、重い税金とインフレーション、それから敗戦の意識、その混乱は政界、財界にも及んでおるという趣旨のことが書いてありまして、まことにそのとおりでありますが、指揮権発動により佐藤総理自身が救われておるし、また、日本は政党政治が発展しておるというけれども、民主政治及び個性の自覚は、残念ながら非常に幼稚であって、実際上は官僚出身の諸君が与党の中でも大多数であって、たとえば、きわめて豪快なように見えても吉田総理も外務官僚、率直なように見えても池田前総理も大蔵官僚、そして佐藤さんも運輸官僚、私はつい気がつかなかったのですけれども、わが敬愛する愛知さんもやっぱり大蔵官僚、官僚が官僚のことを悪口言われれば、ちょっと気にさわるのはあたりまえのことであって、これが全部官僚であって、日本は第一党は官僚党、第二党が自民党。自民党官僚の中でも、人民の皆さんのふるいにかけられて、人民の心になっている山田さんのようなりっぱな方もおられる。第三党が社会党。私はこういう順序でなかろうかと平素思っておりますが、あとでそのことは申し上げます。そういう点が気にさわったであろうことは、私は察するにあまりある。これは来るな、雷が落ちるとすぐ思ったので、トラのしっぽに触れたな、河崎君こんにちはと私もあいさつしたかったわけなんです。しかし、河崎さんはその序文に、お断わりしておくが、本書の中で述べた見解はすべて筆者独自のもので、筆者が所属する外務省あるいは日本政府の見解をいかなる形においても反映したものではないと、一応謙虚にこういう序文も書いております。それからまた、日本の政界を説明し、財界を説明いたしますためには、重い税金、インフレーションに追いまくられ、財界では社用族交際費が数千億円にのぼり、政党はやはり金が要りますために——われわれの手取りの月給は大体三、四万円でございます。われわれが三、四万円ですから、保守党の方はほとんどゼロに近いのではあるまいかと思います。したがいまして、派閥をつくりまして、適当なところから資金をお入れになっておる。バナナロビーとか、韓国ロビーとか、デビ・スカルノロビーとか、砂糖ロビーとか、タイ・タイムロビーとか、頼もしい派閥がたくさんあることも、他人の目のうつばりを見てわが目のうつばりを——社会党もあまり申すわけにもまいらぬ節もあります、率直に申して。そういう点を説明するために、また多大な交際費をなぜかくも使うか、日本人はどうして外国人をかくも湯水のごとく金を使ってもてなすかという疑問に対して答えるためにも、河崎大使はかく解説せざるを得なかった。それでもなお、日本の官僚及び財界は底の底まで腐敗はしていない。それは李承晩やグエン・カオ・キなどに比べて、アジアにおける唯一の健全な頼むにたる政党であり、また官僚であり、財界であると、彼は弁護にこれつとめておるような面もあるのでございます。  したがいまして、これはあとで述べますけれども、私は、処罰するならば、いま愛知さんが核抜きの基地ということに非常に努力しておられます。原子核はいかなるものであるか。ロケットがいかなるものであるか。やがて人間の理性が月世界に届いたとき、どのような真理が人類をおおうであろうか。また、ベトナムでは、ケネディ時代二十万の軍隊がいまでは五十五万になり、死傷者の数二十五万といわれ、そのうちわずか万五千人撤兵いたしましたけれども、逃亡兵の数ついに五万人に達した。私はこのニュースを見て驚いてしまったのでございますが、このような複雑な情勢のときに、下田さんは、これは少しばかじゃなかろうかと思っておるのですが、下田さんは、次官のときも、大臣にかわって——三木さんという非常に弾力性のある方、多少弱気でございましたけれども、先日新聞にこう書いておりました。三木さんは弱気、もう一人の前尾さんは病気、そして佐藤総理は不人気、三本の木があるが、困った木じゃ、こう書いてありました。しかし、その下で下田さんは何を錯覚されたか、次官は聖域とでも思ったのか、とにかく次官は旧来の慣例として委員会に出席いたしませんから、外務委員会から真接監督を受ける機会がほとんどないのでございます。おそらく速記録も読んでいないのでしょう。そこを彼らは自分らは聖域であると錯覚し、次官会議なるものは単に事務会議であって、大臣の指導のワク内においてのみ動くべきであるのに、次官通牒なるものをみだりに発行して、それが法律にかわるがごとき効果を持っておる通牒が幾つかあって、まことに迷惑をしておる。その次官が、三木大臣の意向を無視した発言をちょいちょいいたしまして、いずれが大臣か見当がつかない。犬がしっぽを振るのではなくて、しっぽが犬を振っているのではないかという錯覚を起こす。新聞記者クラブなどで聞きますと、次官がほんとうの実権を持っておって、大臣ははげ頭の上にとまっているハエのようなものにすぎないとまで極言するような笑い話が出るようなことがございます。最近の愛知外務大臣の御努力は、直接陣頭指揮をしておられますから、私は、よきにしろ、あしきにしろ、旧友のよしみをもって愛知大臣の御健闘を祈っておる次第ですが、意見の相違は相違として、これを男らしく論争いたしますけれども、陣頭に立って御努力されておることは知っておりますが、そのちょっと前に、下田駐米大使は何と言ったか。沖繩はとても戻ってこぬ、基地をはずすがごときことはもってのほか、核抜きなどは想像も及ばぬことである。ところが、いま愛知さんの努力しておるのは、それと正反対のことでせっかく御努力なすっておるわけです。私は、その一件については、それが事前協議の煙幕でどのようになるか心配はしておりますけれども、しかし、このあなたのお志のとおりにいくならば、原子力の世界戦略から見て、私は正当な御努力の線だと思っておりますが、それに下田さんは正反対のことを言っておる。かくのごとき大使こそ懲戒処分にして、そして待命処分にすべきであるのに、アルゼンチンの大使は小者であるから軽く取り扱ったが、下田大使はたいして大物でもないのですけれども、下田さんには遠慮しておる、うしろにトラがついておりますから。そういうことがあったならばまことに不愉快なことであると思ったりしておる次第でございます。  そこで、一体もしこれが河崎大使ではなくて、私があのとき外交官試験を受けてめでたく入っていたならば、愛知さんと一緒に仕事をしている光栄に浴するわけですが、それで、おそらく「日本の素顔」を書くでしょう。それで待命処分になったら、直ちに告発し、そして損害賠償を要求し、お断わり申し上げたいと思っておりますが、これは待命処分に対して河崎さんがノーと言ったらどういうふうになる手続になっておるのでしょうか。大臣が友情ある処置をなさったということはただいまよく理解いたしましたけれども一体、こういう本を書いたくらいのことで、河崎さんが心弱くも、しかたがない、泣く子と地頭にはかなわぬというので、印税もたくさん入りますから、考えてみたらそれも悪くないとお考えになったのかもしれませんけれども、しかし、私なら、泣く子と地頭にはかなわぬ、長いものには巻かれろ、そうはまいりません。泣く子にはキャラメルをやり、地頭はけっ飛ばせ、長いものは適当な長さに切って整理整とんするか、またはかば焼きにしてうしの日に食べてしまえ、これが私のスローガンでございます。これはきわめて日本的スローガンでありまして、日本的合理主義的スローガンでありますが、私であったならば、待命処分は断わって、もうぼつぼつ、私などはむしろベトナムの大使が適当であろう、数万のアメリカ軍が逃亡しているということが起こったならば、一番に電報を打って愛知さんを助けようものを、一体いまのベトナム大使は何をしてござる。われわれ外務委員会は、ベトナムの状況がわかってないじゃないですか。ですから、この機会にお願いいたしますが、アメリカの軍司令官並びにアメリカのベトナム大使及び日本大使のベトナムの状況に対する報告を当外務委員会に提出すると同時に、アメリカ軍委員会に対するアメリカ側の報告が入手できましたならば、私はそれを見せてもらいたいと思います。この情勢の把握なくしてベトナム対策は立たないと思うのです。  河崎君のこと書物を見ますると、朝鮮戦争の末期の混乱ぶりを書いてありますが、もう全くいまのベトナムと同じで、見るもあわただしいような破れ方をしております。まさに大東亜戦争の破れたときと同じような状況で、その日までは勝った勝った勝った、実際はカタカタカタいっているのに、がたがたになってしまっている。したがいまして、私は、アルゼンチン大使のような一見識ある大使は、使いようによっては、大臣の言われたように、非常に有用な材の一人だと思います。特にこういう複雑な国際情勢の場所では、大使に推薦するとかまたはそこの顧問にするとか、そして正確な情報の分析を求めるには役に立つ方であろうと私は思うのでございます。  彼の書物を読んでみますると、彼は社会主義者ではございません。また近代的な社会科学の知識もございませんから、われわれから見ますと、この書物の評価はまた別な点からそう高く評価できない一面もあります。しかし、古典的なラジカルデモクラットとしてのものの見方、そのような見方をしておりますから、多少アジア的環境の中ではすね者のような一面があるでしょう。しかし、実際にこの書物がお気に召さなかったという場所は、何ページから何ページ、どの個所でございますか。ひとつ大臣の御感想なり御意見を承っておきたいと思います。
  23. 愛知揆一

    愛知国務大臣 先ほど、河崎問題につきましては、経緯や私の考え方をきわめて率直に申し上げたつもりでございまして、それ以上もう多くを申し上げることはかえって不適当かと思います。  それから同時に、この著書の問題でございますが、これは先ほど申しましたように、河崎君自身も全体を読んでくれということですから、もちろん全体も読みました。英語も、仮訳ではありましたが、日本語も読んでみました。全体として読みましたが、先ほど申しましたように、特命全権大使の現役の人の著書としては、これは常識的に見ても不適当といわざるを得ないのではないか、これが私の結論で、そうしてそういう処分に対して、河崎君自身——いろいろ河崎君自身としても主観的な意見はありましたでしょう。しかし、私あるいは外務省当局の考え方、これを是なりとして、ひとつここでそれでは辞表を出しましょうということになりましたので、本人のこともこれあり、これ以上あまり問題にしないでいただきたい、私、友人としてお願いをいたす次第でございます。
  24. 帆足計

    帆足委員 私は一読者として、また外務委員として問題にしたい点があるのです。  日本が明治以来百年にしてアジアのヨーロッパとなったこと、戦後二十年にして世界第二、三位を争う大工業国になったこと、まことに世界はこれを奇跡といっておりますが、これは十分論議し、啓蒙し、分析するに値する大きな歴史上の事件だと私は思うのでございます。  河崎大使は、この問題には非常に鋭く触れておりまして、特に日本における工業と、それから日本における水の問題、水が水力となり、同時に稲を養っておる問題などをついておる点などは、私は非常に啓発されるところがある。それからまた、ヨーロッパにしてアジアであるために、多くの矛盾を持っておる。その象徴は東京である。とにかく日本の自動車工業などというものは、あれほどたくさんの種類の、目を奪うばかりの自動車博覧会を開くほどの工業力を持っておりながら、自動車は舗装された道路を通り、夜は車庫に眠り、立体交差が必要であるということすら忘れていた。一体こういうことに対してきちっとした説明をしなければ、外国人は日本人を気違いだと思ってしまうと思うのです。河崎君は、東京の町の美しさときたなさをやや正確に分析しております。その他、至るところにこういう社会批評、文明批評として、国の理解について役立つ内容を豊富に持っておる本だと私は思います。ただ、先ほど申し上げましたように、この国の官僚及び財界を、その優秀性を弁護しつつ、その弱点をつき、外国人が来ましたときに、なぜこんなにごちそうされるか、決して彼のポケットマネーでごちそうしておるのじゃなくて、交際費というものがばく大に流れておる。また、政治家の収入なんというものは手取り五、六万円であるのに、新橋、赤坂、弦歌さんざめくところ、ほとんど議員さんの車で埋まっておる日が多い。これらのことにも多少は触れなければ、日本の素顔、おしろいをつけない日本の姿というものはわかりませんから、おのずから書くようになる。彼のことですから、天は人の上に人をつくらずと思っておるに違いありませんから、指揮権発動によって佐藤さんが救われたことにもつい触れた。率直にいって、それらの点が当局の忌諱に触れたであろうことは、私は明確だと思うのです。  しかし、フランスの総理大臣レオン・ブルムが、一国の総理であり、当時文部大臣も一時兼ねておった人ですが、彼は「恋愛論」という書物を書きました。この内容について詳細は省きますけれども、おそらくいまの坂田さんならば理解するでしょうけれども、前の灘尾文部大臣でもお読みになったならば、まあ三日間くらいは聖路加病院に入って鎮静剤をお飲みにならなければ、あいつをやめさしてやろうという執念が抜けないであろうと思いますが、レオン・ブルムの「恋愛論」は彼の名著の一つになっております。  役人であるからといって、この程度のことを書いたからやめろと言われるのは、私は、憲法の保障した言論の自由、著述の自由というものをじゅうりんするものである。これは、気にさわったのは官僚出身の役人だけでございまして、私など、読みまして、サイダー飲んだあとみたいに胸がすうっといたしまして、たいへんいい気持ちでありまして、そのいい気持ちであることが政府当局の気にさわる。そうしてそれが国民にはベストセラーになる。そのくらいのことでありますから、河崎大使、ちょっと永井荷風ばりにすねたところがあって、痛いところをちくりとやったな、ちょっと注意をしてもらわねば困るということぐらいのことで、大使をやめさして待命処分にするというようなことは、それは人権に対する寛容の美徳を失っておるものである。一体、今日の官吏の服務紀律によりまして、こういうことがあったときに、そうみだりに処分できるような機構になっておるのでしょうか。また、これに対する抗告、つまり抗議する手段はないのでしょうか。これは事務当局のほうから制度をちょっと伺いたいと思います。
  25. 齋藤鎭男

    ○齋藤(鎭)政府委員 愛知大臣の御説明にございましたように、いわゆる処罰というのではございませんで、御当人、先生御承知のように、すでにわれわれの大先輩でございまして、勇退していただくということで話がきまっておりまして、それが今度の事件でその勇退の時期が少し早まったというだけのことでございます。したがいまして、待命処分にされたというおことばでございますけれども、これは帰国されますと自然に待命になります。したがいまして、待命になったということは、処罰のものでもございません。また、これに対して何かできるかということでございますが、認証官でございますので、そういう点のいろいろの規則というものが詳細にきめておりませんので、私からはこうだということは申し上げられません。
  26. 帆足計

    帆足委員 ただいまのような御答弁でしたら、「官僚の姿」という書物を私もひとつ書かねばならぬ、こういうことになるのでありまして、実際は圧力を加えてやめさしておいて、そうして、これはやめさしたのではない、まことに納得のいかぬ答弁だと思うのでございます。  また、河崎大使は、この書物の中で、今度は積極的に、だれが読みましてもなるほどこれは気をつけねばならぬと思うことの一つに、たとえば外国人の会社の税金の取り方に対して——大蔵省の人を呼ばなくて残念でしたが、大蔵省当局は甘過ぎまして、外国人会社の脱税に類することが非常に多いということを彼は指摘しております。私は二、三の例を知っておりますが、さもありなんと思います。  それから、海外に留学した、特に法文系で若いときに留学した学生諸君が、外国語だけたんのうになって、その他のことに習熟する機会がないため、並びに学歴偏重の弊等もありまして、若いときに留学した人は、通訳としてしか使いものにならずに、非常に経歴上、青雲の志を持って外国に留学するけれども、会社においても、また役所においても、通訳というものの地位は低く、そうして職人のように取り扱われておる。これは心すべきことの一つであるし、また当人も気をつけねばならぬというようなことや、あるいはまた、一ぺん官僚になればすらすらと上に順々に延び、学閥はある程度までものをいうが、給料は非常に安く、税金は高いし、しかも人生は短いときておりますから、そこで、待命でなくて定年処分になりますと、天下り会社を平素からつくっておいて、三年ぐらい勤めると、二、三千万円もごっそり退職金をいただく。要領のいいのになると、もう三つぐらい国策会社をめぐって、そうしてまたたく間に五十年間の立ちおくれを取り戻す。こういう奇妙な習慣もある。こういう点をついておることなどは、官僚制度を悪口を言っていることよりも、やはり今後直すべき問題をついておって、国益阻害ではなくて、社会公共の福祉に大いに貢献しているものとして、文化勲章まではいきませんけれども、金一封の賞状ぐらいは贈ってもよくはなかろうかと、そういう一説もあるのでございます。  皆さま、いちずにおとめ心のようにあのアルゼンチン大使をおきらいにならないように、全職員が一応河崎一郎氏のこの書物を——やはり一応の名著でしょう。私は絶賛するというわけにはいきませんが、一応随筆としてはすぐれたこの書物を外務省の全職員諸君はお読みになって、日本について深く考え、みずからを反省する材料には確かになると思います。そういう節々は非常にたくさんあると思います。これは聡明な愛知大臣も、ただ官僚と政党と大臣が悪口を言われたという個所だけがなかったならばあれは名著だなと、おそらくそういうことになるのではないか。まあ率直に言うことをお許しください。ですから、この書物が口から口へ伝わって、おそらくきょう以後まだ半年はベストセラーに、きょうのこの委員会の発言によって一そう洛陽の紙価を高からしめるものと思いまして、私も「官僚の素顔」という書物でも書けたらなあと思いますけれどもまあそういうことであります。  しかし、いずれにいたしましても、官吏の任免は厳粛でなくてはなりませんから、一政府の利害、一大臣と言うと悪いのですけれども大臣のお好み、御趣味によってその地位が動かされるべきものではなかろう。しかしまあ、直接情けをもって、総理のことにも触れ、自民党の首脳部のことにも触れているから、君、やはりこういう内容については行政官として注意してくれたまえ、これは私は自然だと思います。それならば、下田駐米大使が、愛知さんがあれほどの努力をして、安保協定の運用について核抜きを、特に沖繩についてりりしく主張しておるその前夜に、下田さんがああいうことを言ったとなると、これは罪万死に値する。私は、あれは懲役に入れるわけにはいきませんけれども、まあ外務省の倉庫くらいに三日ぐらい入れておいて、パンと水を与えておったらいいのじゃなかろうか。もちろん、人身保護会というものがありますから、三日をこえることはできません。そう思うのですが、そちらには莫大であって、そして言論に対しては過酷である。したがって、これを黙っていたならば、河崎大使のこの問題について、外務委員会は一人もこれについて質問をする人もなかったというならば、これも愛知さんと行をともにしている外務委員会の名折れになると思いますから、やはり言うべきことは言い、速記録に残し、そうして——大体、次官というのは、速記録も読まぬのです。次官は委員会に呼ばないという慣例があると議運族の諸君は言うのですけれども、慣例というのは、新しくきょうつくれば慣例になるのですから、これは少し議運族が慣例慣例というのは、私はばかじゃなかろうかと思っているので、よい慣例は新しくつくればいいのです。悪い慣例はやめればいいのです。万世一系の天皇でも、神さまじゃちょっと都合が悪くなったので、急に人間に早変わりいたしまして、粉屋のお嬢さんと結婚した、こういうような時代でございますから、私は慣例、慣例、というのはおかしいと思うのです(したがいまして、外務事務次官も一月に一回くらいは外務委員長が呼びつけることもあり得る、日常の業務に忙しいですから、忙しい事務次官を始終呼ぶということは能率低下になりますけれども、しかし、委員会の空気とはなはだしくそぐわぬ、大臣または政務次官と意見が非常に離れたようなことを発言したようなときには、外務委員長の命によっていつでも事務次官は呼び得るという慣例にしなければ——次官は聖域になっている。陰で大臣ははげ頭にとまったハエだなんて言っているのです。こういうことでは困ると思います。そして、中級の官吏に対してはきびしく、事務次官に対しては大臣すら手がつかぬ、大臣のいうことをきかない事務次官がたくさんおるというのです。これは聖域だと称して、自分らは外務委員会に呼ばれないから、速記録も見ないで安心している。こういうのがどんどん外務委員会でも各委員会でも、実務に差しつかえのないように配慮しつつ呼び出し得る新慣例を、議運の敬愛する諸兄につくってもらいたいと私は思っております。これと連関することで痛感いたしましたから、あえて申し添える次第でございます。  以上をもちまして、言うべきことを言わなければ腹ふくるるわざ——これは徒然草の時代でございますけれども、いまはスモッグの時代でごございますから、腹ふくるるでは済みません。胃かいようになるか、胃ガンになるおそれもありますから、申すべきことは申し上げた次第でありまして、ただいまのように外務大臣も特別の配慮をなさるというならば、処罰ということじゃなしに、言論の自由は極度に尊重していただくこと、それから特に在外大使館の皆さんは非常に孤独な生活をしておって、非常にはなやかな生活のごとく見えて、苦しい生活をしておりますから、物価の騰貴、それから住宅難等々、一そうの御配慮を予算編成のときに大臣にお願いいたしますが、同時にまた、在外公館一家という気風が強うございまして、中には、大使夫人がさいはいをふるって、私用にまで館員を使っておるというような場所もあるかのごとくでございますが、そういう弊風はないように、外務省でございますから気宇濶達とわれわれは錯覚しておりますが、どうもよく観察いたして見ますると、狭い世帯の中におりまして、かえって小じゅうと根性が発達いたしまして、外務省は昔の宮廷外交の伝統がありまして、おおらかな国民外交の伝統が欠除している、こういうように思います。したがいまして、こういう小さなことにもやはり愛知さんが配慮されねばならぬ。これがもう少しおおらかな気持ちを持っておられれば、これくらいのことは笑い話で済むのではないか。こいねがわくは、島国日本外務省でありまして、今後も七つの海のかなたに何十という在外公館が活躍せねば生きていけない貿易の国日本でございますから、外務省の伝統であるこの小じゅうと根性及び宮廷外交根性を一掃するような方向に、そして多少は独自の考え方をし、独自の見通しを持ち、大臣に直言し得るような外交官を養成なさることを切望いたしまして、以上をもちまして——私は別に「素顔の日本」を最高のものと過大に評価するものではございませんし、一社会科学者としての立場からいうならば、これを絶賛するものでもありませんけれども一つのすぐれた随筆集の著者としての河崎一郎君に対しては一応の敬意を表します。外務省が不当な措置をおとりになることのないように、友情ある措置をとられんことを切望いたしまして、御注意を喚起し、質問を終わる次第でございます。
  27. 北澤直吉

  28. 小渕恵三

    小渕委員 まず、質疑の時間を与えていただきました委員長並びに委員各位に感謝を申し上げます。  去る六月五日に、第一伸栄丸が日本海公海上におきまして被爆事件がございました。その件についてお尋ねを申し上げたいと思います。  まず、事件の経緯と内容について御説明をいただきたいと思います。
  29. 愛知揆一

    愛知国務大臣 こまかい点はあるいは政府委員から御説明したほうがいいと思いますが、概略私から最初に申し上げます。  第一伸栄丸が通常の木材積荷作業を終わりまして、六月五日夕刻デカストリ港を出港いたしました。正常の航路によって同港沖合い六マイル付近に差しかかった際に、爆発事件が起こりました。船体に甚大な損害を受け、また乗務員四名が重軽傷を負いました。  同船はそこで応急措置をとるためにデカストリ港に引き返しました。ソ連官憲の取り調べを受けた後、六月十二日に石川県七尾に帰港した。  これが帰港するまでの事実関係でございます。
  30. 小渕恵三

    小渕委員 その以後さらに調査が進んでおられますか、その点についてお伺いいたします。
  31. 有田圭輔

    ○有田政府委員 お答えいたします。  この事件の概略はただいま大臣から申し上げたとおりでございます。  ちょうど爆発事故の起こりましたところは、間宮海峡——われわれ間宮海峡と言いますが、その南方デカストリの沖合いの約六海里の地点でございます。  それで、この船が帰りましてから、関係者に事情聴取を行ないました結果、当時、船尾の後甲板の右舷側にいた乗り組み員が、ちょうど午後三時二十五分ごろに、突然同船の真横の五、六百メートルの海上に、大きな水柱が——高さ約十五メートルぐらいというふうに証言しておりますが、立って、その上部に赤い炎を見たわけであります。と同時に、にぶい衝撃音と同時に、赤い火の玉となった無数の破片が海面をすべるように同船に向けて飛来した。その衝撃はからだが飛び上がるほど強いものであったということでございます。  その結果、第一伸栄丸は右舷の後部甲板のところに直径約一メートルの穴を三個、また船員室がほとんどこわれたのが二つ、それから破損が一つ、士官室の全壊が四つ、その他に損傷を受けて、多少出火したようでございます。その際に、乗り組み員二人がかなりのけがを負いまして、そのために、ただいま申し上げましたように、船長の判断によりまして、デカストリ港に引き返していった。そこで、直ちにソ連側の援助を得て病院に収容した。他の一名は、ソ連側との話しの終わり次第に出港しまして、途中小樽に寄港して、その一名を入院させた次第でございます。現在デカストリ港に置きました一名はソ連側の手当てを受け、またもう一名は日本で手当てを受けている。そのほかに二名が軽傷を負っております。  以上がその後において詳細判明した事情でございます。  なお、飛来した破片を帰ってまいりましてから集めて、いろいろ調査した結果によりますと、この中にはいろいろ文字が書いてありまして、また、その事件の起きました場所その他から、これはどうもソ連側のものであるというような日本側の判断であります。  また一方、直ちに事件の直後にソ連側に事情照会をすると同時に、また日本船の航行安全の保障を口頭で申し入れております。その後ソ連側からこの事件は大体ソ連側の事情で発生したということで、遺憾の意を口頭ではございますが表明しております。また、航行の安全については、これは十分に保障し、また、そのような心配はないということを言ってきております。  現在までの状況はほぼそのようでございます。
  32. 小渕恵三

    小渕委員 この事件がありました当時、この船をソ連側で調査いたしまして、そのときの係官のことばを船長のことばをかりて言いますと、これは天体からの落下物による偶然の事故だ、こういうように言われたと言っておる。いまのお話を聞きますと、持ち帰られました破片その他を調査いたしました結果、これは明らかにソ連製のものである、ソ連の飛来物であるという明確な結論が出ておる、こういうように理解してよろしいでしょうか。
  33. 有田圭輔

    ○有田政府委員 われわれの調査の結果と、それからまたソ連側の対応ぶりから考えまして、ただいま先生がお話しになりましたように、ほぼソ連側の事情による事故であるというように確信しております。
  34. 小渕恵三

    小渕委員 そういたしますと、これから一連の外交折衝によりまして、こうしたことが二度と繰り返されないように、まず注意を喚起することから始まりまして、被害が出た場合におきましては、それを算定した上で当然損害賠償その他を要求することに相なるであろうと思いますが、こうした一連の措置は現在どの程度なされておりますか、お伺いをいたしたいと思います。
  35. 有田圭輔

    ○有田政府委員 先ほど申し上げましたように、この事件後、直ちに事情照会並びに負傷者の容態、それからまた航行の安全保障ということを口頭で申し入れまして、それに対して一応ソ連側からはただいま申し上げたような応答がございました。また、日本側の調査も進んでおりますので、この段階で、数日中にはソ連側に正式に文書による申し入れを行ないたい、このように考えております。  また、補償請求につきましては、これは日本側の補償の算定がまだ煮詰まっておりませんので、関係庁のほうから連絡があり次第、これを続いてソ連側に提示して交渉を行なう、このように考えております。
  36. 小渕恵三

    小渕委員 質問が逆戻りしますが、この事件がありましたときに、船が停船を命じられ、その船に撃ち込まれたと思われる物体をソ連側が没収していったということを船長は申し述べておるわけでございますが、これは事実でございますか。
  37. 有田圭輔

    ○有田政府委員 直ちに停船を命じられて没収されたというふうには聞いておりません。先ほども申し上げましたように、船長の判断で、重傷者を直ちに手当てをするために、デカストリ港にまた戻ったわけでございます。そしてソ連側の援助を求めたわけでございます。その段階でソ連側の当局者が船に乗り込んでまいりまして、破損個所その他を調べ、その際に破片物の相当数を持ち帰った、このような事情でございます。
  38. 小渕恵三

    小渕委員 いまの問いは、今後損害賠償の請求というようなことが行なわれまする段階において、資料になるであろうと思われますので、お尋ねをいたしておいた次第でございます。  その次に、先ほど事故がありました段階において二人の重傷者が出まして、その一人はソ連領におきまして現在治療中だということを承っておりますが、この方の人命に関する詳細な報告を得ておられるかどうか、お伺いいたします。
  39. 有田圭輔

    ○有田政府委員 これにつきましては、ソ連側への申し入れの第一事項として聞いておりまして、骨折をしておるそうでございますが、ソ連側からは、できるだけの十分な手当てをしているので、心配は要らない、今後も引き続き十分な手当てをし、回復し次第日本側のほうにお帰り願うように措置する、このように申しておりました。
  40. 小渕恵三

    小渕委員 今後一連の外交的な手が打たれていくわけであろうと存じまするけれども、過去こうした事件は初めてであろうかと存じますが、それ以外に漁船拿捕その他、わが国が当然主張いたしまする事件につきまして、相手方としては、領海の範囲の問題その他から考えまして、日本側の主張はとらざるところであるということで、返事のなかったものもあろうかと思います。  そこでちょっと数学的にお伺いいたしたいと思いますが、ソ連側に対して、日本側の立場から考えまして、ソ連側の態度をもって不当であるという立場から、抗議なりあるいは損害賠償なり申し入れをした案件が過去どのくらいあったか、お伺いをいたしたいと思います。
  41. 有田圭輔

    ○有田政府委員 ただいま漁船拿捕のお話が出ましたが、昭和四十四年になりましてからの拿捕総数は十一隻でございまして、人の数は百名、船の帰ってまいりましたのが三隻で、人員は六十六名、それから沈没したものが一隻ございます。それで、いま抑留者総数は八十二名になっております。これは御承知のように、毎年毎年このような事件が繰り返されておりますわけで、昭和二十一年以来の累計になりますと、拿捕隻数は一千隻以上になるというような実情でございます。  これらの問題につきましては、その事件の起こったつど、わがほうといたしましては、これは不法拿捕である、そして損害の保償は留保するという立場をとって、毎回抗議しております。ただ、ソ連側のほうでは、これはソ連の国境規則その他を犯した密漁あるいは領海侵犯である、それで裁判を行なって抑留するのである、船体も場合によっては没収するのであるという立場をとっておりまして、これは平行線をたどっておるわけであります。  それ以外に事故があるかというお話でございますが、これはソ連側の民間船が起こした事故について、ソ連側に賠償請求した事例が一、二件ございます。栄福丸事件というのが、昭和三十三年六月、ソ連船と衝突して沈没した事件がございます。これは栄福丸船主から補償請求をいたしまして、昭和四十二年になりまして、ソ連側が二百万円支払って妥結したケースがございます。また、漁網を破損したという訴訟事件がございます。これはソ連側の方で見舞い金という形で解決しようではないかという申し出がありますが、これにつきましては、金額が少ないというので、いまだ妥結に至っておりません。そのような若干のケースもございます。
  42. 小渕恵三

    小渕委員 あえてこういう御質問を申し上げますのは、今回の事件も、ややもいたしますと対ソ関係におきましては、抗議をし、その他損害請求を行ないますけれども、未解決のまま留保される、そして権利もそのまま留保になっておるという場合が多分にありますので、今回はぜひともそういったことでなく、解決の道を見出していただきたいという気持ちからであります。  なお、今回の事件につきましては、漁船の拿捕問題とやや性格を異にするように考えるのでありますが、過去の傘捕漁船に対する扱いといいますか、対ソ交渉と同じような方法で行なっていくのか、異なった方法を考え出していこうというのか、その点についてお伺いいたしておきます。
  43. 有田圭輔

    ○有田政府委員 ただいま先生の申されましょうに、漁船拿捕の場合と今回の場合は全く異なると思います。今回の場合は、ソ連側としてわれわれから申しますれば、一音の弁解の余地なし。こららは汽船が公海——わが方からいえば公海でございますが、公海を航行しておるうちに、突然そういう事故が起きた。それで、ソ連側のほうでも遺憾の意を口頭で表明しておりますので、これは漁船拿捕の場合の先方の主張とは違います。したがいまして、将来補償請求が具体化した場合には、外務省といたしましても、十全の措置をもって強力にソ連側に対して要求を行ない、この補償請求をとるつもりでございます。
  44. 小渕恵三

    小渕委員 そこで、近々のうちに、どの程度の被害状況であるか、損害の額がどの程度であるかというようなことが煮詰まると承っておりますが、すでにこの被害を受けました当該会社におきましては、ある数字の算定がなされておる模様なんです。こういった点については、政府政府としての資料をすでに正確に得ておるかどうか、お伺いいたします。
  45. 有田圭輔

    ○有田政府委員 外務省といたしましては、関係庁のほうになるべくすみやかにそのような資料を整えてほしいということは申しておりますが、現在までわれわれのほうには届いておりません。
  46. 小渕恵三

    小渕委員 事件が起こりましてからすでに二十日余りを経過しようとしておるわけです。そこで、こうした問題が提起された段階におきましては、きわめて迅速に過去措置されてきた感がするのであります。しかしながら、対ソ連に関する限りは、その結果が過去きわめてむずかしい問題があったということもありますし、なかなか未解決の問題が山積しておるということもありますけれども、適切に、かつ迅速な措置が講じられておらない。これはそういった過去があるために、時間的な経過についてやや麻痺しておるのではないかという感じがしてならない。こういった点について、さようなことがなければまことにけっこうでありますけれども、二十日たって一体損害の額がどのくらいであるか——会社はすでに明らかに二千万ないし二千五百万程度というようなことも言っておりますし、日本の港に帰ってすでに修理をいたしておる。概算がわかっておる。にもかかわらず、政府はそうした数字についても明らかでないというようなことは、私は考慮されなければならないと思います。
  47. 有田圭輔

    ○有田政府委員 これは私が申し上げたのが舌足らずだったと思いますが、ソ連側に正式文書として提示するような詳細なものはまだいただいていないということでありまして、ただいま先生のおっしゃったように、二千万ないし二千五百万らしいということは私どもも聞いております。  それで、この事件後の措置でありますが、弁解するわけではございませんが、われわれといたしましては、数回にわたり口頭で直ちにソ連側に釈明を要求しております。事情調査を要求しております。また、このような事件の場合には、往々にして一方的な見方もあるおそれもありますので、ソ連側に対することでもあり、本船が帰ってまいりまして、十分関係者の事情を調査し、また関係の写真類も取りそろえまして、向こうに釈明の余地のないような十分な資料を添付して、正式に申し入れをするという段階で、先ほど申し上げたように、文書による申し入れば近日中に行なう予定で、すでにモスクワのほうには訓令してございます。そのようなことでございますから、今後も気をつけまして、なるべく迅速に追加的な補償の具体的要求も行なうようにいたしたいと存じております。
  48. 小渕恵三

    小渕委員 そこで大臣、ちょっとお考えをお伺いしたいと思いますが、たとえばこの事件が起こりまして、停船を命じられまして以後、ソ連側の調査その他の措置がきわめて一方的な感じがするのでございます。このことは、ひるがえって考えますと、現在の日ソ間の中で、特に政府の要人は別といたしまして、ソ連の国民といいますか、お役人の中でも下の地位の方々におきましては、まだまだ日本に対する感覚も一十分でないという気がいたしております。と同時に、いま政府の要人と申し上げましたが、こういう人たちにおいてもまだ十分な認識がされておらない。私は、かつてソ連の、ミコヤン副首相が来日され、そのあとソ連に帰られましたときに、たまたまソビエトに行っておりまして、テレビの番組を見たのでありますが、そのときに彼が申しますのには、日本の工場はきわめて清潔であるということを開口一番申しておるわけでございまして、要人といえどもその程度の認識かという感じがするのであります。  そこで、今後こういった事件が起こりまして、その措置を講じていきまする上にも、もっともっと両国の間の緊密な関係を樹立していかなければならないと存じております。それには幾つかの方法があろうかと思いますが、大臣といたしましては、両国の高度の緊密の度合いを深めていくために、現在閣僚クラスの交歓が三木大臣以来行なわれておると承っておりますが、これは定期的ではございませんし、かつまた、きわめて回数も少ないという気がするのでありまして、まず率先して、両国の関係緊密化のために閣僚クラスの定期的な会合を行なう意思があるかいなか、この点についてお伺いをいたします。
  49. 愛知揆一

    愛知国務大臣 先ほど来小渕委員のお話しの点は、ごもっともと思う点が非常に多いわけでありまして、われわれとしては対ソ外交について堂たたる態度でやっておるつもりではございますけれども、世間の見方あるいはいろいろの御観察の中には、こちらの態度が卑屈でありはしないか、あるいは先方に極端にいえばまだべつ視的な態度が残っているのじゃないか、そういうような懸念、心配がありますことを私も憂えているわけでございます。そういう点につきましては、現にそうではないやり方でやっているつもりですが、十分その点は今後とも一気をつけてまいりたいと思っております。  それから閣僚レベルの話し合いは、御承知のように、いわゆる定期会談というものがすでに持たれておるわけでございまして、今年はグロムイコ外相が日本に来ることになっておりまして、原則的にはこれはきまっておるわけですが、ただ日時等がまだ最終的にきまっておりません。先般も、早くきめて早く来るようにということを督促いたしておるような状況でございますが、さらに閣僚間の定期会談にとどまらず、いろいろの問題についての接触を密にするということについては、十分考えてまいりたいと思っております。対ソ関係においては、何と申しましても北方領土問題という重大な、そして国民的悲願の懸案がございます。これを常に頭に置きながら、どういうかっこうの接触をし、どういう態度でいったらいいかということについては、常にこれを胸に置いて対ソ外交の展開をしていくようにいたしたい、かように考えておるわけでございます。
  50. 小渕恵三

    小渕委員 最後に、意見をちょっと申し上げます。  人のうわさも七十五日というのが昔のことでありますが、いまは時代の進歩が早くなりまして、人のうわさは一週間だ、こういうようなことをいわれております。しかもその一週間というのも、きわめてセンセーショナルな事件においてであって、きわめて冷静な報道その他がなされた場合には、一週間すら人のうわさにも出ない、こういうようなことも考えるのであります。今回の事件につきましては、さほどセンセーショナルに人の耳や目に触ればしなかったけれども、当然相手国にその過失があり、損害を受けておるわけでございますので、そういった観点から考えまして、適切な処置を迅速に政府としてとられることを強く希望いたしまして、終わります。
  51. 山田久就

    ○山田(久)委員 関連して一言。  今回の事件がアメリカとの関係というようなことになりますと、いろいろマスコミその他これの追及が急であって、勢いこれについての関心を十分引くのでありますけれども、事が対ソ関係というようなことですと、よほど政府のほうで一生懸命になってやってもらわなければいかぬという点は、先ほど小渕先生からいろいろ政府に対して要求のあったとおりでございます、補償の問題もさることながら、将来の保障という点について、ソ連のほうでは心配ないのだということを言っておるけれども、しかしながら、一体この原因がどういう理由で起こったのかということを納得のできる説明がなければ、そんな簡単な、将来はだいじょうぶだというようなことは言い得ないことであって、この点については、従来の実績からいって、ソ連はなかなかいろいろなことを言わないと思うけれども、しかしながら、それだけに、よほどこの点の説明がなければ安心してわれわれがやれないという点があると思うので、この点についてソ連側にひとつ十分説明を求めるよう、これに関連いたしまして、政府の御努力を希望いたしておきたいと思います。
  52. 愛知揆一

    愛知国務大臣 承知いたしました。
  53. 北澤直吉

    北澤委員長 本日はこの程度にとどめ、次回は来たる二十七日午前十時より理事会、十時十分より委員会を開会することとし、これにて散会いたします。     午後一時三十五分散会