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帆足委員 いかなる点が
政府当局の忌諱に触れたかということは、ほぼ見当はついておりますが、あとでお尋ねいたします。その中の有名な節に、指揮権の発動によって佐藤総理
自身が救われ、
日本の政権はいわば李承晩、グエン・カオ・キのように決してそれほどまで腐敗はしてない。
日本の会社、官僚機構はすばらしい能率と生産力をあげておる。にもかかわらず、重い税金とインフレーション、それから
敗戦の意識、その混乱は政界、財界にも及んでおるという趣旨のことが書いてありまして、まことにそのとおりでありますが、指揮権発動により佐藤総理
自身が救われておるし、また、
日本は政党
政治が発展しておるというけれ
ども、民主
政治及び個性の自覚は、残念ながら非常に幼稚であって、実際上は官僚出身の
諸君が与党の中でも大多数であって、たとえば、きわめて豪快なように見えても吉田総理も外務官僚、率直なように見えても池田前総理も大蔵官僚、そして佐藤さんも運輸官僚、私はつい気がつかなかったのですけれ
ども、わが敬愛する
愛知さんもやっぱり大蔵官僚、官僚が官僚のことを悪口言われれば、ちょっと気にさわるのはあたりまえのことであって、これが全部官僚であって、
日本は第一党は官僚党、第二党が自民党。自民党官僚の中でも、人民の皆さんのふるいにかけられて、人民の心になっている山田さんのようなりっぱな方もおられる。第三党が社会党。私はこういう順序でなかろうかと平素思っておりますが、あとでそのことは申し上げます。そういう点が気にさわったであろうことは、私は察するにあまりある。これは来るな、雷が落ちるとすぐ思ったので、トラのしっぽに触れたな、河崎君こんにちはと私もあいさつしたかったわけなんです。しかし、河崎さんはその序文に、お断わりしておくが、本書の中で述べた見解はすべて筆者独自のもので、筆者が所属する
外務省あるいは
日本政府の見解をいかなる形においても反映したものではないと、一応謙虚にこういう序文も書いております。それからまた、
日本の政界を
説明し、財界を
説明いたしますためには、重い税金、インフレーションに追いまくられ、財界では社用族交際費が数千億円にのぼり、政党はやはり金が要りますために
——われわれの手取りの月給は大体三、四万円でございます。われわれが三、四万円ですから、保守党の方はほとんどゼロに近いのではあるまいかと思います。したがいまして、派閥をつくりまして、適当なところから資金をお入れになっておる。バナナロビーとか、韓国ロビーとか、デビ・スカルノロビーとか、砂糖ロビーとか、タイ・タイムロビーとか、頼もしい派閥がたくさんあることも、他人の目のうつばりを見てわが目のうつばりを
——社会党もあまり申すわけにもまいらぬ節もあります、率直に申して。そういう点を
説明するために、また多大な交際費をなぜかくも使うか、
日本人はどうして
外国人をかくも湯水のごとく金を使ってもてなすかという疑問に対して答えるためにも、河崎大使はかく解説せざるを得なかった。それでもなお、
日本の官僚及び財界は底の底まで腐敗はしていない。それは李承晩やグエン・カオ・キなどに比べて、アジアにおける唯一の健全な頼むにたる政党であり、また官僚であり、財界であると、彼は弁護にこれつとめておるような面もあるのでございます。
したがいまして、これはあとで述べますけれ
ども、私は、処罰するならば、いま
愛知さんが核抜きの基地ということに非常に
努力しておられます。原子核はいかなるものであるか。ロケットがいかなるものであるか。やがて人間の理性が月
世界に届いたとき、どのような真理が人類をおおうであろうか。また、ベトナムでは、ケネディ時代二十万の軍隊がいまでは五十五万になり、死傷者の数二十五万といわれ、そのうちわずか万五千人撤兵いたしましたけれ
ども、逃亡兵の数ついに五万人に達した。私はこのニュースを見て驚いてしまったのでございますが、このような複雑な情勢のときに、下田さんは、これは少しばかじゃなかろうかと思っておるのですが、下田さんは、次官のときも、
大臣にかわって
——三木さんという非常に弾力性のある方、多少弱気でございましたけれ
ども、先日
新聞にこう書いておりました。三木さんは弱気、もう一人の前尾さんは病気、そして佐藤総理は不人気、三本の木があるが、困った木じゃ、こう書いてありました。しかし、その下で下田さんは何を錯覚されたか、次官は聖域とでも思ったのか、とにかく次官は旧来の慣例として
委員会に出席いたしませんから、
外務委員会から真接監督を受ける
機会がほとんどないのでございます。おそらく速記録も読んでいないのでしょう。そこを彼らは
自分らは聖域であると錯覚し、次官
会議なるものは単に事務
会議であって、
大臣の指導のワク内においてのみ動くべきであるのに、次官通牒なるものをみだりに発行して、それが法律にかわるがごとき効果を持っておる通牒が幾つかあって、まことに迷惑をしておる。その次官が、三木
大臣の意向を無視した発言をちょいちょいいたしまして、いずれが
大臣か見当がつかない。犬がしっぽを振るのではなくて、しっぽが犬を振っているのではないかという錯覚を起こす。
新聞記者クラブなどで聞きますと、次官が
ほんとうの実権を持っておって、
大臣ははげ頭の上にとまっているハエのようなものにすぎないとまで極言するような笑い話が出るようなことがございます。最近の
愛知外務大臣の御
努力は、直接陣頭指揮をしておられますから、私は、よきにしろ、あしきにしろ、旧友のよしみをもって
愛知大臣の御健闘を祈っておる次第ですが、意見の相違は相違として、これを男らしく論争いたしますけれ
ども、陣頭に立って御
努力されておることは知っておりますが、そのちょっと前に、下田駐米大使は何と言ったか。
沖繩はとても戻ってこぬ、基地をはずすがごときことはもってのほか、核抜きなどは想像も及ばぬことである。ところが、いま
愛知さんの
努力しておるのは、それと正反対のことでせっかく御
努力なすっておるわけです。私は、その一件については、それが事前協議の煙幕でどのようになるか心配はしておりますけれ
ども、しかし、このあなたのお志のとおりにいくならば、原子力の
世界戦略から見て、私は正当な御
努力の線だと思っておりますが、それに下田さんは正反対のことを言っておる。かくのごとき大使こそ懲戒処分にして、そして待命処分にすべきであるのに、アルゼンチンの大使は小者であるから軽く取り扱ったが、下田大使はたいして大物でもないのですけれ
ども、下田さんには遠慮しておる、うしろにトラがついておりますから。そういうことがあったならばまことに不愉快なことであると思ったりしておる次第でございます。
そこで、
一体もしこれが河崎大使ではなくて、私があのとき外交官試験を受けてめでたく入っていたならば、
愛知さんと一緒に仕事をしている光栄に浴するわけですが、それで、おそらく「
日本の素顔」を書くでしょう。それで待命処分になったら、直ちに告発し、そして損害賠償を要求し、お断わり申し上げたいと思っておりますが、これは待命処分に対して河崎さんがノーと言ったらどういうふうになる手続になっておるのでしょうか。
大臣が友情ある処置をなさったということはただいまよく理解いたしましたけれ
ども、
一体、こういう本を書いたくらいのことで、河崎さんが心弱くも、しかたがない、泣く子と地頭にはかなわぬというので、印税もたくさん入りますから、考えてみたらそれも悪くないとお考えになったのかもしれませんけれ
ども、しかし、私なら、泣く子と地頭にはかなわぬ、長いものには巻かれろ、そうはまいりません。泣く子にはキャラメルをやり、地頭はけっ飛ばせ、長いものは適当な長さに切って整理整とんするか、またはかば焼きにしてうしの日に食べてしまえ、これが私のスローガンでございます。これはきわめて
日本的スローガンでありまして、
日本的合理主義的スローガンでありますが、私であったならば、待命処分は断わって、もうぼつぼつ、私などはむしろベトナムの大使が適当であろう、数万の
アメリカ軍が逃亡しているということが起こったならば、一番に電報を打って
愛知さんを助けようものを、
一体いまのベトナム大使は何をしてござる。われわれ
外務委員会は、ベトナムの状況がわかってないじゃないですか。ですから、この
機会にお願いいたしますが、
アメリカの軍司令官並びに
アメリカのベトナム大使及び
日本大使のベトナムの状況に対する報告を当
外務委員会に提出すると同時に、
アメリカ軍事
委員会に対する
アメリカ側の報告が入手できましたならば、私はそれを見せてもらいたいと思います。この情勢の把握なくしてベトナム対策は立たないと思うのです。
河崎君のこと書物を見ますると、朝鮮
戦争の末期の混乱ぶりを書いてありますが、もう全くいまのベトナムと同じで、見るもあわただしいような破れ方をしております。まさに大東亜
戦争の破れたときと同じような状況で、その日までは勝った勝った勝った、実際はカタカタカタいっているのに、がたがたになってしまっている。したがいまして、私は、アルゼンチン大使のような一見識ある大使は、使いようによっては、
大臣の言われたように、非常に有用な材の一人だと思います。特にこういう複雑な
国際情勢の場所では、大使に推薦するとかまたはそこの顧問にするとか、そして正確な情報の分析を求めるには役に立つ方であろうと私は思うのでございます。
彼の書物を読んでみますると、彼は社会主義者ではございません。また近代的な社会科学の知識もございませんから、われわれから見ますと、この書物の評価はまた別な点からそう高く評価できない一面もあります。しかし、古典的なラジカルデモクラットとしてのものの見方、そのような見方をしておりますから、多少アジア的環境の中ではすね者のような一面があるでしょう。しかし、実際にこの書物がお気に召さなかったという場所は、何ページから何ページ、どの個所でございますか。ひとつ
大臣の御
感想なり御意見を承っておきたいと思います。