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宗像参考人 私、
宗像でございます。
私、いろいろといままで研究開発のことに
関係しておりまして、実際に研究開発をするときの
ほんとうに現実をつかんで実験をしながら、あるいは現実に当たってそれを見るのは、もちろん私ども
自分でもいたしますけれども、大部分は若い人
たちにしてもらう。その若い人
たちをそうしながら育てていって、次の人をつくっていくということが、研究開発に一番大事なことでありますので、かつて
原子力研究所におりませんときでも、その若い人
たちをどうして育てて、現象をよく見ながら研究開発に向かっていくかということを、いつも考えていたつもりでございます。
〔
委員長退席、
三木(喜)
委員長代理着席〕
このたびこの問題が起こりまして、どうも若い人
たちと管理者の間に疎隔の感があるように言いはやされますけれども、しかしこの半年ほどの様子を見ますと、ずいぶん私も若い人
たちに呼びかけておりますが、若い人
たちの
考え方も変わってまいりまして、われわれと協力してくれる、われわれと一緒になってやってくれるという空気がだいぶ出てきております。そういうふうにして、どうかして若い人
たちと対立しないで、もちろん経済的なものとかいうようなものについては、それは要求が違ってくるかもしれませんけれども、それでお互いに争わなければならぬことがあるかもしれませんけれども、しかし研究をする、仕事をするということについては、やはり管理をする先輩と一緒になって働く若い人
たちが一体になってやれるというふうにしなければ、これはものをよく観察して
科学的な処置をするということもできないのでありますから、そういうことをいつも深く考えておるわけです。そういう
意味で、私は研究のあり方について話しておりますが、
原子力研究所の場合には、先ほどからもよく申されるように、安全ということが非常に大事な問題でありますので、安全ということについてはずいぶん注意してやっております。
〔
三木(喜)
委員長代理退席、
委員長着席〕
たとえば
一つの例として申し上げるのに、ことしの一月の「
原研」の年頭のあいさつにも書いておきましたが、ことしはこれだけは取り上げてやろうじゃないかということを言った中に、第一が、国のプロジェクトに積極的に協力して、これを推進しようじやないか。これは国の研究所でありますから、やはりこれは第一に掲げなければならない。それから第二は、研究開発において新しい分野を開拓して推進しようじゃないか。これは基礎研究を重視して新しい道を開いていく。よくいわれている基礎研究というのは、ことに日本の学界、日本の社会では、基礎の勉強を基礎研究といっておりますが、基礎研究というのは、初めてのものに手を突っ込んでいくことだと私は理解しております。初めてのものが基礎です。そういうふうな
考え方が若干欠けているところを私は残念に思うのです。それから第三は、
原研が安全問題の研究のセンターになるように努力しようじゃないか。安全をとにかく大事に取り上げなければいけない。それから第四は、人材の養成をしようじゃないか。これは若い人
たちに研究を通して育っていってもらいたいということをいっているわけです。
それから、
原子力研究所では、安全については特に注意しておりますので、ここにお目にかけるようなこういうパンフレットをつくって、そうしてみんなに呼びかけております。ここに、その月その月の成果を書いたようなものを出しておりますが、これを見ますと、たとえばこの数字だけで見ましても、一般の世の中にあります事業場でけがの出る割合の十分の一ということがここにはっきり書いてあります。でありますから、この間十九とかなんとかということを言われた。それはもちろんその中には捻挫をしたとかあるいは自動車
事故なんかも入っているだろうと思いますが、そういうものを含めたものに比べても、
原子力研究所では皆さん非常によく注意してくださるものですから、十分の一の程度です。これはここに数字が書いてあります。これはロガリズミックに書いてありますから、
ほんとうは比較の数字はこんなに違うわけですが、そういう実情であるということは、安全についてずいぶん注意しているということをまず申し上げたい。
それから次に、基礎研究をどうしてふるい立たしていくか、研究そのものをどうしてふるい立たしていくか。
原子力研究所は研究がふるい立たなければ盛んにならないのでありますから、そのためには、私は、いま
先生に差し上げたものにもあるように、頭脳財産の尊重ということを強く言うわけであります。これは
新聞にはもう書きましたけれども、しかしそれよりももっとこっちに強く書いてあるつもりでございます。これは昨年の十月号の
原子力学会誌の巻頭言に書きました。そこをちょっとお耳に入れたいと思います。
「研究が大型になって行くので、それに対する心構えが必要となり、独り善がりばかりは許されなくなって来る。研究協力が大きな成果を期待して行われる際に、研究成果の実績で飾られた研究者の力を出し合って貰わねばならない。それらの研究者の持っている研究実績を研究協力に活用する際に、極めて慎重に配慮せねばならぬことは、その出し合った研究力の評価に関する点である。世の中では物的資本(例えば金)に対しては誰もが粗末にしないで、それが他に協力する際には当然の事として、利率・償還などの条件を明らかにするなどして、大切に取り扱っている。」たとえばお金を預ける。その預けたお金はどこかへ回っていって、それが資本力になって事業を興すなりなんなりに協力しているわけです。
自分はあの人の仕事はきらいだといっても、銀行を通してそこへ行っているかもしれない。ですから、物的資本は協力が非常にやさしくできる。しかし、それはお金を大事に取り扱うから、盗まれない。銀行に預けて盗まれるようだったら、だれも銀行に預けない。しかし、お金は大事に取り扱うからそういうことができるわけです。ところが、頭脳財産はそういっていない。特に日本ではいってない。そこが私は問題だと思う。
「しかし、特に日本では、頭脳資本に対する尊敬の念が薄く、それは模倣して盗んでも問い糾すことも軽んぜられたように、頭脳産物資本の軽視が横行しているので、研究実績あるいは研究力の評価がはなはだしく軽んじられている。そのように頭脳資本が大切に取り扱われないので、心配のあまり他人に役立てるように仕向けるのを臆する傾向が強く、資金を他人の役に立てやすいように仕組まれてある近代経済社会の通念がとても頭脳資本の取扱いには及び得ない。研究協力に当って最も重要な事は、頭脳資本力を評価し尊重して、金などの物的資本に勝るとも劣らぬ位置づけをし、これを保護するような準備を立派にすることである。すなわち、研究成果の評価を正当にして、頭脳産物に対する所有権を明らかにしてこれを守るようにし、頭脳資本の生み出す力を高く評価して、それが犯されないようにすることである。根本的には、頭脳資本が高く尊重されれば、その取得が競って行われ、研究はどんどん進むであろうし、その効率をよくするために、適材適所の人材配置もやむを得ず強制されるようになって、研究の成果である
科学技術の開発、すなわち発見や発明が盛んになるであろう。」研究所に
関係する人の適材適所の配置ということが非常に大事なことですね。これがないと、クリエーションをする、独創をするというような人は、やはりその人によって適材でないとできない。たとえばアメリカのアルゴンヌの
原子力研究所では、この間聞きますと、そこに入る人は試用期間が五年です。五年間試用期間をおいておけば、日本でいう大学を卒業して修士コース、博士コースを通ってきたところまでが試用期間ですから、この人は
ほんとうに
原子力の研究に適するかどうかということがあそこで判断されて、適材がそこで働けるようになって、まことによく仕組まれているわけです。そこで、もしも研究開発、クリエーション、創造に適当でない人はそうでない道を歩いていったほうがいいわけですね。そうして一生豊かに暮らせる。ずいぶんたくさん例があります。日本の国でも、大学の
先生でずっと残っていくよりも、大学をやめて途中で社会に出て、結果としては五十、六十になったときに、そのほうがりっぱな社会的な
立場、あるいは満足できるそういうような
立場に立ち得るというようなことにもなるのでありますから、適材適所の配置というのは、途中で研究所からよそへ行ったからといって、決して恥ずべきことでもないし、持っている才能を伸ばすということが非常に大事である。そういうことで私は頭脳財産の尊重ということを非常に大事に考えております。その点から考えて、
原子力研究所の中にあります研究の成果というものは非常に大事なものなんですね。その非常に大事なものがおろそかに取り扱われるようなことがあっては、研究所がこれから盛んになっていこうとするときに、盛んになれない。そこが私の根本的な――研究成果が自然に持ち出されるとか、ことに故意に持ち出されるなんというのは、ちょうど銀行か何かでお金でも取り扱っている人が、帳簿に
整理する前にひょっとポケットへ入れて持ち出した。帳面に
整理されてないのですから、どこへ持っていったかわからないというようなことをたくらみながら持っていくのと同じように、研究所の現場にあります資料が持ち出されるような環境は絶対につくりたくない。そのほかに、
新聞に書きましたように、いろいろなことがあります。しかし私は特にそれを強調するわけです。研究所が頭脳財産を大事にするということをしていけば、おのずから研究は盛んになっていくんじゃないか。これが私の見ます研究を推進する
一つの原動力だと思うので、あえて強く申し上げるわけです。
それから次に、今度はもっと具体的な身近かな話でありますが、
破損燃料棒が出たときに、ずいぶん長い間放置してあったなということを言われますけれども、これは
原子力研究所の担当者としては非常に心外なんです。一本春に出た、それで二本目が秋になって出た。一本出たときに、これは一体どうしたらいいかということは、とても放置してなんかないわけですね。しかし、これ一本出たからといって、それに比較するものがないわけです。どうして検討していいか。もちろん中を調べることはいだそうとはしていました。カナダやほかの国で、
自分でつくったところの人は、おそらく何度も失敗して、そしてりっぱなものができるようになったのでありまして、失敗の経験はたくさんあるのですが、日本では
向こうから入れたものを、それと同じようなものをつくる技術を、メーカーの人
たちがカナダに行って習って、そしてやってきたのですから、いわばよそ行きのものを教わってきて、教わることについては
向こうも十分教えたつもりでしょうけれども、しかし十分教えても、よそ行きのものをただ習ってきたのですから、やはり欠けているところがきっとおる。そういうところが若干出てきたと見まして、普通のものだとか、あるいはほかの比較するものと比較検討してやっていたわけです。そして秋になってからぽつぽつ少し頻度が高くなって出だした。ことしになってからも出て、そしてまた怪しいのがあったから取り出した。そういうことでありまして、それについては
原子力研究所の中ではもう早くからこれを注意して、これの対策を考えておりました。そして、外部の協力も得るようにしておりました。その
一つのあらわれとしては、
原子力学会でもって
報告して、それに対する対策を昨年の十一月に考えたわけです。ですから、
先生方がおっしゃるように、決してないがしろにしているようなことはなかったわけであります。
それでもこの国産一号炉――東海村のは三号炉ですが、俗にいう国産一号炉は、どういうふうにして運転していったらいいかということが、こういう手引き書といいますか本の中に書いてありまして、大体これに準拠してやっていくことにしていたわけです。それで、たとえば
破損燃料が出たり何かするかもしれないから、それに対する対策というのが書いてありまして、それには二種類の検出器を置いて、一種類がだめになっても片方で補えるというやり方をしていたわけです。それは一種類のほうは特別なくふうをしたもので、
装置を二十四個、こうくっつけまして、そしてそこを重水が流れるようにして、その検出器のこれとこれが
感じたらどこだ、これとこれが
感じたらあっちだということがすっかりわかるようにして、それを見ていたわけです。たまたまことしになりまして少しよごれが多くなったために、ある
一つが敏感さを欠いた。それが
故障、
故障といわれたもとでありますが、敏感さを欠いたのですね。だけど、もう
一つちゃんと準備してありますから、決して手抜かりのないようにしてあるわけです。そして、そういうことをしながらも、もしも何か起こったらどうしたらいいかということを処置するために、どういうことが最大といいますか重大な
事故であろうかということを予想してもあったわけです。その予想は、
燃料棒がかなり大きく皮がむけまして、先ほどから話が出ていますウラニウムの表にかぶっているアルミニウムの皮がかなり大きくむけて、しかもそれに触れている重水が何かの
事故で、それこそ予期しないことも起こるでしょう、地震であるとかあるいは何かですね。それでこぼれ出して床に流れて出る、そのときが一番たいへんだから、そのときに対する対策ということを考えながら処置をしていたわけです。ところがそのときに比べて――そのときは九キュリーでありますが、そのときに比べてこの間の
状況はその四十分の一ぐらいの程度の被曝があったわけです。ですから、それは先ほどからいわれる
故障というものでなく、ちょっと変調があったというふうに見ていい、そういう
範囲のものなんですね。そのときに、先ほど言いましたように、ちょっと不注意で被曝して、そして人体の障害も起こったといってもそれも法律的に許されている限度の四十分の一ぐらいのところ――先ほどの四十分の一程度の被曝というのは、重水の汚染が
予定していたものの四十分の一ということです。それから、被曝も法律で許されている許容量の三十分の一か四十分の一なんです。ですから、ちょっとお考えいただくと、この高さが法律で許されている限度としますと、この辺のそれよりちょっと高いところで何か少し変調があった。しかしこの辺まできても、人体にどうこうということはない。人体にどうこうというのは、天井の上くらいの高さです。こういう限度のところで起こっていることでありまして、それだから、これはないがしろにするということは一向考えていません。そこに
関係している人
たちは、やはりおのずとどういう限度のものだということを考えてやりますので、しかしそれで、先ほど長官が言われたように、なれてちょっと手を抜かるというようなことの起こることも、まあないといえないような、そういうような程度のものであることも十分よく知っていただいておきたいということを私は考えるわけです。それだから、われわれがないがしろにして
原子力の研究を乱暴なことをするということは絶対にしません。そういうことは絶対にしないのですが、そういう程度のものであるということを知っていただかないと、ただ、めちゃくちゃに――問題になるような
事故が起こるようなのはずいぶん高いところの限度、それでこの辺が法律で許されている限度、その四十分の一のところで何かが起こっている。それを取り上げて――注意しなさいということはわれわれ幾らも聞きます。しかし、それのためにどうこうと言われることは、私はやはり問題じゃないかしら。これは皆さんがよくお含みになって、どういうものであるかということをよく知っていただきたいと思うのです。私どもは、
原子力の研究については、ある
意味で職業人であります。でありますから、乱暴するということは絶対しません。しませんけれども、しかしわれわれがやはり試験をしているときには、ある場合には耐久力試験をしなければならぬとか、ある場合には破壊試験をしなければならぬとかということがあるわけです。破壊試験をしないでただ試験していたら、いつまでたっても、どこまでやっていいかわからなくて研究も進みませんし、技術開発も進んでいかないと思うのです。そういう点もぜひ含んでおいていただきたいということを申し上げる、こういうことがまず序論であります。
なお、いまちょっと
お話ししました重水が流れかなんという
事故は全然ありませんで、ただパイプの中に少しよごれがふえた。(木内国務
大臣「万一流れ出た場合に対しても、その対策を考えておったけれども、そういうことはなかったんですね」と呼ぶ)絶対にありません。ですから絶対に――この本で書いてある、こういうことが起こるときの対策ということを考えているものの四十分の一の程度のものが起こった。それが先ほどから
局長やそのほかの方々が変調が出たというような、あるいはそのために計測器が少し敏感さを欠くようになった。敏感さを欠くといったって、二十四あるうちの
一つのところがそういうふうになりました。なってもほんのわずかでありますが、それも検知するような設備を持っているわけです。それがちゃんと動いているわけです。ですから、決してそれを取り出してことさらにどうこうというような種類のものではないし、また、それ以上のことが起こることは、研究所の人
たちに対して絶対に起こらないようにしなさいということは強く申しております。そして、そういう環境で研究が進められていくということにぜひしたい。
それでその研究を進めるためには、繰り返して申してくどいようでありますけれども、頭脳財産を大事にする。頭脳財産が何となしに流れ出たり、あるいは故意に流れ出るというようなことに対しては厳に戒めて、研究所というのは頭脳財産を生産する
場所なんでありますから、一番大事なものです。それが故意に盗み出されて、そして悪用されるというようなことがかりにあったら、これはやはり研究所を守る者、そして研究意欲を盛んにするところを盛り立てていきたい者としては、ことに多くの若い人
たち、これからはりっぱな研究者になろうとしている人
たちに頭脳財産が大事なんだ、だから、これを大事に守ってあげようという、そういう空気をつくろうとするところに、それに水をさすような、あるいは逆行するようなことがあったら、研究所としては、やはり非常にやかましく秩序を守るようにしなければならぬということを私は強調して、皆さんにもよくその理解をしていただきたい。ことに、ここに
おいでになる
科学技術に関心をお持ちの
先生方には特にこれはお願いしたいということを申し上げたいと思います。