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床次国務大臣 まず第一に、人権の問題でございますが、これは
日米のあらゆるルートにおいて尊重、確保させなければならないものと思うのでありまして、前回の
委員会におきましても
お話がございましたが、私も、その後
沖繩に参りまして、ラン。ハート高等弁務官と会談いたしました際におきまして、十分に人権の尊重につとめてもらいたいということを要望いたしました。なお、そのときにおきましては、たとえば裁判権等の問題におきましても公開の原則に徹しまして、十分被害者側の立場を守るようにということでありまして、
アメリカ側といたしましても公開の原則はとっておるが、とかくこれが実際において実行されないというか、たとえば門に入ろうと思っても入れずに立ち会えない、あるいは時日が告示されないために間に合わないというような御
指摘がありましたので、そういう具体的な事実を
指摘いたしまして、そうしてほんとうに裁判の公開の原則、人権の尊重ができますように要望いたしまして、弁務官も一でき得る限りこの
趣旨に沿いたいという確約をいたして「おる次第でございます。
なお、今後とも人権の尊重につきましてはあらゆる機会におきまして努力いたしたいと思いますが、ただ、いわゆる諮問
委員会におきましては、諮問
委員会の当初の与えられた権限というものからはは、ずれておりますので、その分まで触れ得ない分もあると考えております。
なお、安里
委員長の傷害事件、傷害の場面そのものを見ますると、いかにもお説のように考えられまするが、背景がなかなか複雑だと思うのであります。とりあえず
日本政府としての立場を申し上げますると、六月五日には、牛場外務次官からバージャー代理大使に対しまして、着剣した銃でもって
米軍がデモをおどし、負傷者を出したことは遺憾である旨を表明し、バージャー代理大使も負傷者が出たことに対しまして遺憾であるということを述べております。
次に、訪米中の愛知
外務大臣に対しましては、レアード国防
長官、ジョンソン国務次官は会談の席上におきまして遺憾の意を表明して、また、六月七日におきましては高瀬大使が、
日本政府の代表という立場ではございまするが、ラン。ハート高等弁務官と会見して、席上大使が遺憾の意を表明いたしまして、高等弁務官が遺憾の意を表明するとともに、徹底的に調査して対処したいということを述べております。
なお、岸事務所長はカーペンター民政官に会いまして、同じくこの問題につきまして遺憾の意を表明しているのであります。
したがって、私は、今後重ねて
米側におきましてはかかることの生じないような努力をいたすものと、誠意を、この態度を了としておる次第であります。
ただ、こうなりました経過につきまして、私どもは背景をよく考えなければ、単にあの場面だけの問題でもって是非を論ずることはなかなかむずかしいと思うのでありまして、すでに大体の経過は御承知かと思うのでありまするが、数点簡単に申し上げてみたいと思うのであります。
このストに至ります経過は、全軍労が、まず空軍百五十名の解雇撤回、大幅な賃上げを要求し、
米側の回答がないときにはストに入るということを決定したということから始まったわけであります。
五月二十九日には、屋良主席はカーペンター民政官と会談いたしまして、その際、
米側といたしましては、解雇は合衆国の予算の削減によるもので、現地ではどうにもしようがないということ、それから、全軍労がストをかまえて団交を要求しているのでは、軍の立場からは団交に応ぜられないということを明らかにしておりまして、なお、このストそのものは、違法ストと
米側は解釈しておるものと思います。
また、同日、上原全軍労
委員長がカーペンター民政官と会見した際、とりあえず冷却期間を置くためにストを二週間延期してほしいということを上原
委員長に要請したのに対しまして、上原
委員長は、明白な回答がない限りストの中止はできないということを答えております。
さらに、六月二日には、中央闘争
委員会が時間給十七セントのベースアップ、退職金の
本土並みの支給、百五十人の解雇を七月一日まで延期することについての要求を掲げ、この要求がいれられない場合には二十四時間ストを行なうということを決定しておるわけであります。
これに対しまして
米側は、六月三日の姿勢は、全軍労に対しまして、(イ)百五十人の解雇者に対しましては七月一日から実施の新賃金表による退職金を支給する、(ロ)回諸手当、退職金の増額については
交渉に入る、(ハ)組合側の苦情、争議問題については早急に
意見交換をする、(ニ)今後の問題として双方とも一団体
交渉を妨げるようなことはしない、というようなあっせん案を示しておるのでありますが、これに対して全軍労は、具体的内容が明らかでない、ベースアップの有額回答をしろ、組合の要求に応じて団交に応ぜよという態度をきめたのでありまして、そうして
米側と
話し合いに入ったのでありますが、
話し合いが進展しないままに四日に至り、中央闘争
委員会におきましては、ベースアップ並びに退職金についての具体的回答がないというので、ストを回避する絶対的条件はないということでもってスト決行をきめておる、それでストに入ったわけであります。
なお、さような状況でストに入っておるので、なかなか状況は微妙であると私ども考えておるのでありまするが、このストの状況は、警察の調べによりますと、大体六十カ所の
米軍キャンプゲートでもって三千名のピケを張ったと認めております。全軍労側におきましては、七十六カ所のピケを張って、スト参加者は二万人全員と非組合員もというようなことであったわけであります。ピケは、予定は二十時までであったのでありますが、豪雨のために午後五時半で打ち切った。
その間において安里
委員長の負傷事件が起きておるわけでありますが、安里
委員長の負傷の状況は、左手の甲に軽い擦過傷を負っておる、せびろの右そで口二カ所が切れておる、せびろの左ポケットが裂けている、腹のみぞおちにかすり傷を負っているようで、その辺はせびろも裂けておるというのが大体負傷の実情であります。
なお、事件後におきまして、同行されました三人の立法院議員が屋良主席を訪れまして、事件当時の事情を説明しておりますが、五人の議員がピケを張っておった城間ゲートに激励に行ったというわけであります。それで安里
委員長はゲート側におりて、そのときピケを張っておる全軍労の組合員十数名が
委員長の姿を見て、安里氏のところに集まってきた。それを見たMPが
基地の外に出て、さらに一号線のまん中まで出てきた。そしてゴー、ゴーと言いながら銃をかまえたというのがそのときの形でありました。
なお、
米側の
見解といたしましては、同朝の七時ごろ、反戦学生
会議所属の学生が二十名ばかり
基地に入ったという事件が起きた。そういうことがあったために、安里
委員長が着いたときにピケ隊員が安里
委員長のところに集まった人の群れを見て、再び
基地の中に飛び込んでくるのではないかと勘違いして、銃をかまえて飛び出したのではなかろうかということを言っておるのであります。いずれにしても、事件は一瞬間の間に混乱が起きた事件であるということであります。
なお、屋良主席は抗議をいたしておりまするが、軍側が
基地の外に出てきたのは過剰な行為に出たことで、労働争議のあり方ではない、ましてや銃剣によって労働者や安里
委員長にけがをさせたことは許せないという
発言をしております。
立法院におきましては、各党が抗議すべきであるということをいたしておったのでありますが、結局抗議をするという
話し合いまでまいりません。そこまではまいりません。まず事情を調べてやるということになったわけであります。
革新共闘
会議におきましては、民
政府に抗議におもむくという態度をきめて、なお、五日からスト中の全軍労は、抗議総決起集会といって集会を開きまして、抗議文を採択してデモを行なっております。
なお、カーペンター民政官は、一時間屋良主席を訪問して会談し、席上、安里
委員長の負傷事件に関して遺憾の意を表明しておる、かような
状態がいわれておるのであります。
なお、関連いたしまして、六月六日、ランパー上局等弁務官は、自民党議員団と会見の際におきまして、安里
委員長の負傷事件に関しては遺憾の意を表明し、なお在駐四軍に対して、最大の注意と自制心を持って住民に対するよう指示しております。次に、全軍労その他に廻しましては、円満解決の方向で臨みたい、しかし、ストを前提とした団交では、まじめな
話し合いはできないという回答を述べておるわけであります。これは、すでに解決したことは御承知のとおりであります。
なお、その間におきましてあっせん等も行なわれておるのでありまするが、いずれにいたしましても、あとカーペンター民政官と屋良主席の会談、あるいはランパート、高瀬大使との話等もずっと経過を見ておりますると、原則として、警備にあたりましては第一線に民警察、次に雇用警備員、次に隊、その三つをもって
基地を守るという形になっておったのでありまするが、しかし、ピケの個所が非常に多かった、したがって十分に民警察の手が入ってなかった、いわんや問題を起こしたところにおきましては民警察が間に合わなかったし、しかもその直前において学生の突入事件等があったという、不幸な因果
関係があったというわけであります。なお、銃を持っておったということにつきましては、民警察、警備員が足らないために部隊が直接出た、
米側としては直接
県民と部隊との接触は避けるつもりであったけれども、時間的にやむを得なかったということ。なお、先ほど申しましたように
基地の外は民警察、内は
米軍の責任で守る、警備するということになっておったのが、民警察が来なかった、しかも突入事件があったために、警備側は外へ出たというような原因がつながっていったわけです。
そういうことでありますので、先ほど申し上げましたような処置を
日本政府としてはいたしまして、そして、この事件というものは、今日は落ちついておるというふうに私どもは考えておる次第でございます。