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1968-12-19 第60回国会 衆議院 文教委員会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十三年十二月十九日(木曜日)    午前十時二十一分開議  出席委員    委員長 高見 三郎君    理事 河野 洋平君 理事 谷川 和穗君    理事 西岡 武夫君 理事 小林 信一君    理事 長谷川正三君 理事 鈴木  一君       久野 忠治君    久保田円次君       高橋 英吉君    広川シズエ君       藤波 孝生君    渡辺  肇君       加藤 勘十君    唐橋  東君       川村 継義君    斉藤 正男君       松前 重義君    有島 重武君  出席政府委員         文部政務次官  久保田藤麿君         文部省大学学術         局長      宮地  茂君  委員外出席者         参  考  人         (主婦)    窪田 光子君         参  考  人         (中央教育審議         会委員)    高坂 正顕君         参  考  人         (日本経営者団         体連盟教育特別         委員会委員長) 柴田 周吉君         参  考  人         (長崎東大父         兄会代表世話         人)      團  重利君         参  考  人         (全国高等学校         長協会会長)  西村 三郎君         専  門  員 田中  彰君     ――――――――――――― 十二月十七日  委員藤波孝生辞任につき、その補欠として園  田直君が議長指名委員に選任された。 同日  委員園田直辞任につき、その補欠として藤波  孝生君が議長指名委員に選任された。 同月十九日  委員藤波孝生君及び原茂辞任につき、その補  欠として園田直君及び松前重義君が議長指名  で委員に選任された。 同日  委員園田直君及び松前重義辞任につき、その  補欠として藤波孝生君及び原茂君が議長指名  で委員に選任された。     ――――――――――――― 十二月十六日  山村へき地医療対策として医学専門学校設置  に関する請願外二十四件(世耕政隆紹介)(第  二一号)  同外二十二件(早川崇紹介)(第一一一号)  東京大学紛争解決に関する請願西岡武夫君  紹介)(第二二号)  学校給食婦給与国庫負担に関する請願(福永  一臣君紹介)(第五八号)  養護教諭の各学校必置等に関する請願臼井莊  一君紹介)(第一〇九号)  同(仮谷忠男紹介)(第一一〇号) 同月十七日  自閉症児教育施設等整備に関する請願(広沢  賢一君紹介)(第三五四号)  山村へき地医療対策として医学専門学校設置  に関する請願奥野誠亮紹介)(第三五五号)  同(奥野誠亮紹介)(第五六〇号)  同(坊秀男紹介)(第五六一号)  同外二件(奥野誠亮紹介)(第八一五号)  同(中谷鉄也紹介)(第八一六号)  養護教諭の各学校必置等に関する請願(江田三  郎君紹介)(第三五六号)  同(神門至馬夫君紹介)(第三五七号)  同(佐野進紹介)(第三五八号)  同(楢崎弥之助紹介)(第三五九号)  同(八木昇紹介)(第三六〇号)  同(田川誠一紹介)(第八一七号)  同(床次徳二紹介)(第八一八号)  同(宮澤喜一紹介)(第八一九号)  同(渡辺芳男紹介)(第八二〇号) は本委員会に付託された。     ――――――――――――― 十二月十四日  公立義務教育学校学級編制及び教職員定数  の標準に関する法律の一部改正に関する陳情書  外二件  (第四六号)  公立高等学校事務長処遇改善に関する陳情書  (第四七号)  公立学校施設整備に関する陳情書  (第四八号)  過疎地域教育対策に関する陳情書  (第四九号)  大学紛争早期解決に関する陳情書  (第五〇号)  過疎地域学校遊休施設に対する財政措置に関  する陳情書(第五一  号)  市立小、中学校警備員制度実施に関する陳情  書  (第五三号)  教職員宿日直廃止に伴う財源措置に関する陳  情書(第五四号)  学校図書館法の一部改正に関する陳情書  (第五五号)  養護教諭を各学校必置等に関する陳情書外一  件  (第五六号)  女子教育職員育児休暇法早期制定に関する  陳情書  (第五七号)  人口急増地域義務教育施設整備費国庫補助増  額等に関する陳情書  (第五八号) 同月十七日  国立大学授業料値上げ反対等に関する陳情書  外百九十九件  (第二〇〇号)  学校校舎防音施設設置に関する陳情書  (第二〇一号)  東京大学等学校紛争解決に関する陳情書  (第二四一号)  私学助成法早期制定に関する陳情書  (第二四二号)  公立義務教育学校学級編制及び教職員定数  の標準に関する法律の一部改正に関する陳情書  (第二四三号) は本委員会参考送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  参考人出頭要求に関する件  文教行政基本施策に関する件(大学教育に関  する問題)      ――――◇―――――
  2. 高見三郎

    高見委員長 これより会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件について調査を進めます。  この際、参考人出頭要求に関する件についておはかりいたします。  大学教育に関する問題について、本日、受験生の母親として窪田光子君、中央教育審議会委員高坂正顕君、日本経営者団体連盟教育特別委員会委員長柴田周吉君、長崎東大父兄会代表世話人團重利君、全国高等学校長協会会長西村三郎君を参考人として、その意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 高見三郎

    高見委員長 御異議なしと認め、さよう決しました。     —————————————
  4. 高見三郎

    高見委員長 この際、委員会を代表して一言ごあいさつを申し上げます。  参考人皆さんには御多用のところ御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。大学の問題が非常に重大な段階にまいっておるのでありますが、本日は皆さま方から十分御意見を拝聴いたしまして、当委員会調査参考にいたしたいと存じます。御承知のように最近の大学紛争問題、当面の東京大学における留年あるいは入試の問題等、憂慮にたえないものがあるのでございます。参考人の方々にはそれぞれの立場から忌憚のない御意見をお述べいただきますようお願いいたします。  なお、議事の都合上、御意見はお一人約十分程度で順次お述べをいただき、その後委員からの質疑にお答えをお願いいたしたいと思いますので、以上お含みの上よろしくお願いいたします。  それでは順次御意見をお述べいただきます。まず高坂参考人からお願い申し上げます。
  5. 高坂正顕

    高坂参考人 ただいま御紹介いただきました高坂でございます。一応中央教育審議会委員の一人として出席ということでありますが、大学問題については現在検討中でありますので、私の個人としての意見を申し上げさしていただきたいと思います。  今日の大学の問題の中心は、もう言うまでもなくいろいろな学園における紛争の問題であります。お子らく五十数校をこえる大学において非常に激しい紛争状態が惹起されているわけでありますけれども、一体そういったような紛争が起こってきている源はどこにあるのかということを申し上げたいと思います。次に、そうしたような紛争がなぜ解決を非常に困難な状態にまで立ち至らしているかということについて述べたいと思います。第三に、このような紛争の収拾といいますか、解決につきまして私の個人的に思っている事柄を申したいと思います。  まず、時間がございませんので要点だけ申したいと思います。大学においてどんな原因に基づいて紛争が起こっているかということでありますけれども、従来の考え方は、その原因といいますものの把握のしかたに間違いがあると思います。どこに原因についての把握に間違いがあるかと申しますと、一応現在の大学紛争といいますものは、たとえば学寮の問題だとか、あるいは学生会館の問題だとか、あるいは授業料の問題、校舎移転の問題、そういったようなところから端を発しているのでありますが、こういったようなものは紛争を引き起こすための発端になるわけでありまして、いわゆるそれを引き起こしてくるところの過去からしての原因であります。多くの場合にそこだけに注意が向けられまして、そういったようなたぐいのことを解決すればそれで今日の紛争がおさまるかのような錯覚を持っております。しかしながら、そういったような過去からの原因紛争を起こしているだけではありませんで、それはきっかけになるだけでありまして、むしろそれを引き起こしてきている大きな原因は、未来に向かってのことであります。つまり、どういう意図を持ち、どういう目的をもって紛争が行なわれているかというその意図の点が無視されているというところに一番大きな誤りがあるだろうと思うのであります。ですから、過去からのいろいろな原因を、たとえそれを除去していっても、それは問題を根本的には解決することにならない。むしろ、将来に向かってのねらいというものがどうかということをつかまえた上で、それに対する対策を立てる必要があるだろうと思います。  では、その将来に対する学生運動のねらいはどこにあるかと申しますと、それはいわゆる学生大学管理運営に対する参加ということであります。管理運営に対する参加というのが、実をいいますとほんとうの原因になっておるわけであります。このことをよく考えておきませんと、対策を誤ってしまうと思う。ところが、そういったような管理運営といいますものがそこでおさまるのかといいますと、そうじゃない。むしろ大学管理権というものを学生の手におさめるということを通じまして、もっと大きく社会、国家のあり方というものについて一種の改革といいますか、場合によれば変革といいますか、そういうものをねらいとしている大学への管理参加、それに伴ういろいろな運動といいますものは、究極的にはそれをねらいとしてやっているのだということを考えておく必要があるだろうと思います。これをこまかく申し上げるいとまがありませんので、原因の点について、後から押してくるところの過去からの原因だけを見ないで、むしろ将来のねらいとされているものが何であるかということをつかまえておく必要があるだろうと思います。  では、この紛争を非常に解決困難にしているのはどういうところに根拠があるのかと申しますと、現在の大学紛争の問題は、教育の問題のワクの外にはみ出してしまっております。教育問題以外にまではみ出してしまっています事柄を、いわゆる教育的なしかたでもって解決しようというところに一つ誤りがあるだろうと私は思うのであります。  それからもう一つ誤りは、なぜそういうふうになっているのかといいますと、これは大学自治というものについての誤った解釈というものが一般に行なわれているということに由来するわけであります。そしてあたかも大学というところを治外法権の場であるかのように考え、普通の場所においては許すことができないような暴力の行使をそこで認めている、あるいは極端な人権の無視が大学であるという理由でもって行なわれている。そしてそれについては何らの手を打つことができないかのような考え方がかなり一般にしみ渡っているのではないかと思われる。つまり、そういったような紛争を助長するような形のものが大学自治ということばの中から引き出されてきているというところに、私は問題があるだろうと思うのであります。そういったような事柄に対して一々こまかく申し上げなくちゃならないのでありますけれども、繰り返して言いますように省かしていただきますが、どういったような対策がとれるかといえば、私は、さしあたって適当な対策はないと申したい。  ただ、こういうことだけは避けるように努力してもらいたいと思う。というのは、現在、見ておりますと、いわゆる団交という名のもとにある種の要求大学側が受け入れてしまう。これは実際にやってごらんになると明瞭でありますけれども、あれはお互いの間の話し合いなんというたぐいのものじゃ決してありません。一種の脅迫であります。しかも、何十時間にわたってのつるし上げのようなことをやる。そうした暴力のもとにおきまして、多数の威力というものをかりて、ある結論大学側にのませようということをやっているわけであります。こういったような状態のもとにおきまして大学のいろいろなあり方につきます重要な決定をするということはしないようにする、こういったような心がまえだけ、また、その態度はぜひ大学側として持つべきだし、国のほうでもそういったような方策がとれるならばとる必要が私はあるんじゃないかと思う。それで、現在変な形でもって解決をいたしますと、それが将来むしろ一種の習慣みたいなものとして根を引いてきまして、最初に言いましたように、ねらいがもっと広いところにありますから、それがだんだんと拡大していくというふうに思われますから、いま変なふうに妥協をして、そうして変な決定はしない。これが一つであります。  そうして、いま問題になっているのは学生大学管理への参加ということでありますけれども、この問題はむしろ大学に関するいろいろな法規、いろいろな規定というものの全体とにらみ合わした上でもって検討すべきだ。それをやらないでおいて、学生管理権だけを認めるというようなことは、私は法律専門家じゃありませんから知りませんけれども、そういったようなことはきっと正しくないと思う。今度のフランスの大学法案というものを見ましても、あの中でもって大学経営への参加というものを学生にかなりの条件づきのもとにおいて認めているわけであります。何か学生参加ということをそれだけで無条件的に認めるかのような行き方というものは、私は非常な間違いがあるだろうと思います。  大体時間が済んだようでございますから……。
  6. 高見三郎

    高見委員長 ありがとうございました。  次に、柴田参考人にお願いいたします。
  7. 柴田周吉

    柴田参考人 御紹介にあずかりました柴田でございます。  高坂先生が、私が痛切に感じております点をほとんどと言ってもいいほど明確にお話しになりましたので、重複を避けるために、その点は省略したいと思います。  原因の点につきましては、私はこの点だけは特に申し上げたいと思うのですが、今日学園紛争という名のもとに紛争が起こっておりますけれども、これは学園紛争という名前自体が私はおかしいと思っております。紛争をやっておる連中の意図するところは、学校紛争でないのですよ。学校紛争を通じてある種の意図、はっきり言いますと、ある種のイデオロギーを実現するがために学校紛争を起こしている、こういうことです。どこの大学でも、紛争を起こそうと思えば、ある種のテーマはたくさんあります。どの大学でも、紛争の種になるテーマをさがせばどこでもあります。やたらにある。一校に三つも、四つも、五つも、テーマをとらえればある。たまたま目につきやすいところを、たとえば日本大学でいえば経理の不始末、東大でいえば医学部の問題、教育大学でいえば移転の問題、外語大でいえば学生会館か何かの管理の問題。全国大学、そんなテーマをさがせば必ずあります。その適当なテーマをつかまえて、そうしてある種のイデオロギーを実現させようということですから、どこの大学でもそれはあります。一つ家庭にもトラブルのない家庭がないように、どの学校にも必ずある。どこの大学だってこれはあります。だから、これをつかまえて騒動を起こそうと思えば、もう陸続として今後学校紛争をやろうと思えばやれる、そういう体制になっております。  だから、学生参加の問題なんというのは、ある種の参加を認めればこの紛争はおさまるかのごとくお考えになっている方があったらたいへんな間違いで、一つ譲れば別のテーマ、それがおさまればまた次のテーマ、これは際限もなくいくのです。そして究極どうするかというと、おれのほうに管理をもらったらやめるのだ、おれのほうに大学管理をくれたらやめよう、こういうことです。だから、ある大学では譲歩に次ぐ譲歩をしてしかも何にもおさまらないというのは、そういうことです。それだから、何項目か出して、譲歩をすればここできまるという問題であれば非常にしやすいのですが、譲歩すればするほどこれは片づかない。  そこのところを掘り下げてこの問題の根源を探れば、いわゆるイデオロギー戦い——よその国の大学は必ずしもそうでもないですよ。しかし、現在日本の国内に起こっている大学紛争というものは、そういうものじゃないです。ある種のイデオロギーが実現するまで——するかしないか別問題として、やろうという。ある種の譲歩妥協でもって解決する問題じゃないのです。あのイデオロギー戦い——私はイデオロギー戦いの中に二カ年半も住んでみて、妥協とか協調とか、これは決してあり得ない。妥協協調があったとすれば、それは力の問題で、力によって勝ったほうが勝つのです。それ以外に、話し合いできめるなんということはありません。したがって、高坂先生がいまおっしゃったように、団交とかなんとかいう集会というようなものは話し合いの場ではなくして、力でもってきめようとする場であります。したがって、そこには脅迫があり、詐欺があり、トリックがあり、そういうあらゆる力を結集して、その力の結集における結論、これが勝ち負けを決定するものでありまして、ある社会ルールに従ってこれを決定しようとかいうような、そんななまやさしい大衆団交でもないし、全学集会でもないという本質を皆さんに御承知願いたいと思います。それが一つ。  それからもう一つは、私は日経連の立場から申し上げますと、採用、留年あるいは入学試験の問題がポイントのようですが、留年、これは規定上からいけば好むと好まざるとにかかわらず起こってくると思います。東大でも教育大でも——外語はどうか知りませんが、そういうところは、規定上正式にいけばもう留年ということがはっきりしているのであります。ところが、学校というところはふしぎなところで、あの闘争でも、アベック闘争をやっているのがあるのです。あの先生のうちには、三分の一か四分の一は学生と通謀してやっているのです。学生運動しているとお考えになっていれば間違いで、なれ合い騒動であります。だから、この次はこうやれ、この次はこうやれ、今度はこうやるぞという話し合いのもとに学生紛争というものを——そういう通謀というか協議の上で騒動を進めているのでありますから、今度は、理科系であれば実験あるいは文科系であれば論文、おまえは論文だけでよかったなということにして論文を書かせればいい、実験を済ませればこれで卒業というようなことで、授業規定というもののあいまいさにつけ込んで卒業させる向きもあるかと思います。だから、ここのところ非常に微妙な関係がありまして、なかなか一律にあるいは留年あるいは卒業というようなふうにきまらぬかと思います。これが学校というところの特殊性でありまして、先生学生とがなれ合いでやっている部分が多うございますので一がいにいかぬ。一がいにいきませんけれども、きまり切った規定のもとでは留年にならざるを得ないというのは当然であります。  そうすると、それから起こってくる問題は何かと申しますと、入学、新入生を入れるかどうかの問題です。しかし、留年二つ関係がありまして、入学生の問題と就職の問題であります。  入学生のほうは、これは簡単ですから片づきますが、いまのようなストのもとでは、私の考えでは、入学試験というものは、手続的には募集要項というものが一つ問題になってきましょう。その次には入学試験という問題が起こってきましょう。試験場が確保できるか、あるいは妨害しやしないかというようなことで、ああいう状態で、あるいは試験問題はどうするかというような教授会の決議やなんかできるかということが一つ問題です。だから入学試験を完全にやるには四つ五つものハードルを飛び越さなければ入学試験というものがやれないという状況を考えますと、十中八、九紛争の続いておる大学はできないだろう。よしんばできて、じゃ入学生を入れる。入れたとたんにまたストをやり出す。そうすると新兵が入ってくる、援軍が入ってくる。そこで学校紛争はもう一ぺんエスカレートしていく、こういうふうに私は考えます。だから私は、むしろ学生にも先生にも反省を求めるために、入学試験は中止したほうがいいんじゃないか、こう考えております。  それからもう一つ就職の問題ですが、これは結論的に大ざっぱに申し上げますと、卒業のできない学生就職させないというのが、各会社のアンケートをとってみましたが、大体の意見はそうです。卒業できないのは——非常に活発な活動家というのは、これはもちろんお断わりする。二番目は、騒乱罪なんかで起訴された者はお断わり、これははっきりしている。三番目の要件としては、三月末までに卒業のできない者はお断わりする、こういう原則的なものはできている。できているというか、長年のルール会社では大体そういうふうにきめておりますので、その線で七〇%か八〇%はいくだろうと思っております。ただ例外的に、三月でできなくても話し合いによっては、あるいはこれは五月になるか六月になるか、二カ月か三カ月か四カ月の間に騒動がおさまって、補習授業をやって、そうして卒業ができる者は、これは卒業とみなして入社を二、三カ月延ばすということの取り扱いにする会社もあるかもしれません。しかし、これとて限度がある。半年以上一年もということになればやり直すということになるだろうと思います。そういうことで就職問題もぼつぼつ結論——もういっとき考えようかという会社もだいぶありますけれども、大部分の頭に描いておる態度というものはそういうことでないかと思います。  それから今後の問題、どう扱うか、どうなるだろうかという予想ですが、私は、大学先生というのは、いつも悪口言うのですけれども、これほど恵まれた社会はありません。テストなしにやれる社会はありません。会社員だったら毎日毎日テストの連続であります。最も社会的な地位が保障されておると目される裁判官にしても、あの判決を書くこと自体が非常なテストだ。もし判決に間違いがあれば上級裁判所から必ず訂正される。検事にしても、これは最も地位が保障されておりながらも、検事一体の原則で左遷もされましょう。ところが、大学先生だけは、一ぺんなってしまえば定年がくるまではばかでもちょんでもつとまる。そして自治、自由、決して外界の勢力を入れさせないぞという、発端エゴイスティックなことで起こったのだろうと思います。名目は学問の自由とかなんとかいうのだけれども、おれらはここにこもってぬくぬくと勉強したいというエゴイスティック壁——壁だろうと思います。そういう障壁をつくったがゆえに、したがって警察権導入はいかぬ、こういうようなことを言っておるものですから外から入れぬ。外界の空気が入らぬということで、自分たちだけで安易な生活をしておったということで、今日ではその壁が自縄自縛でどうにもならなくなって困っておるというのが現状だろうと思います。さりとていま警察権導入というような問題をさしあたり持ってくるということになれば非常に波紋が大きいので、これは当分やれないだろうと思いますが、しからばどうするか。そういう壁を自分でつくったのだから自業自得だから、その壁によって倒れるならばしかたがない、倒れざるを得ない。それで困ってしまってダウンになれば、そのままダウンしてしまって、そのダウンの中から自然発生的にわれわれがビジョンとして描いているような新たな大学が出てくればよし、出てこなければ、私は国家将来のためにそのままでいい、いまのような大学ならないほうがいいというような気がいたします。  この程度にしておきます。
  8. 高見三郎

    高見委員長 ありがとうございました。  次に、團参考人にお願いいたします。
  9. 團重利

    ○團参考人 私は長崎県の東大父兄会代表世話人でございます。  実は私ども今回の紛争について非常に憂慮をいたしまして、十月の十六日にすでに佐世保地区において会合を持ち、いろいろ協議をしたわけでございますが、何ぶんにも御承知のように非常に遠いところでございまして、一人代表を送ろうじゃないかということで東京に送ったのでございます。それから二十四日にまたお帰りになってから大体の状況をお聞きいたしまして、それからどうもわれわれの小さな世帯ではどうにもならぬじゃないかということで、県単位の会を持つようにしようという段取りをとったのでございます。ちょっと時間がかかりましたけれども、十二月の一日に諫早の高校において県下の御父兄七十六名が集合いたしまして会を持ったのでございます。まず、私どものほうからは、この会をどういうふうにして持ったのかという説明をいたしました。第一番には、皆さん御父兄の方は一人一人、自分自分でいろいろと苦慮しておられるはずである。それで、それをひとつ一堂に集めて皆さん方の御意見を集約しようというような考えでこういう会を開いたのでありますというような説明をいたしました。さらにまた、私どもがこのきわめてきびしい局面を迎えておる今日、いろいろな面でわれわれ父兄としては責任を感じなければならないということでございます。  まず第一番目には、今日受験勉強に励んでおる来年度の入学希望者諸君でございます。すべてわれわれが、父兄も親も子も今日まで苦しんできた同じ道をたどっておるのでございます。その点についてわれわれは自分さえよければいいんだ、自分さえ入ったらもうあとはいいんだ、そういう根性では許されないというようなことでございます。もう一点は、ばく大なる国家予算、具体的に申したのでございますが、このような国家予算によってささえられておる大学である、それがこのような状態では国民全体の皆さんに対して非常に申しわけがないではないかというようなことを私のほうから申し上げたのであります。  それから引き続きまして皆さん方の御意見を聴取したのでございます。その中においては、暴力に対しては非常に憤慨しておられる方が多かったのでございますが、最終的には、まずこれは学生諸君の自覚によって、学生諸君の手によって解決すべきであるというようなことで集約をいたしたのでございます。  それから、私どもはさらにこの会は長崎県だけではいけない、全国的に呼びかけまして、全国の父兄会をもって正常化を呼びかけようじゃないかということに意見が一致したのでございます。そのためには世話人会をつくりまして、十六名の世話人、それから五名の代表世話人を選出いたしたのでございます。それから直ちにその中から二名を東京に上京させよう、そして現場をよく見て、さらにまた東京都に呼びかけて全国大会を持つ段取りをしようじゃないかというようなことで、私ども二名が四日の日にたちまち上京したのでございます。それから直ちに日比谷高校に参りまして御父兄の方と懇談をいたしまして、いままで申し上げましたような経過を御説明申し上げまして帰ったわけでございます。  それから引き続き私どもは世話人会を開き、さらにまた、きのう出発前日は長崎において九州各県に呼びかけまして、各県からそれぞれ世話人に来ていただきました。三十三名、一人は電話連絡でございまして、宮崎県の方だけは電話で御依頼なさいましたが、あとの県三十二名の方は全部おいでになりまして、いろいろと協議をいたしました結果、たちまちひとつ東京大会を開こうじゃないか、東京で全国大会を開こうじゃないかというようなことで段取りをしたのでございます。  昨日は東京都において私どもの呼びかけなどもございまして会を持たれております。さらにまた二十一日にいよいよ全国大会を開きたいということで、新宿の三光町花園神社の会館において午後一時から大会を持つということになっておるのでございます。まずその大会において父兄の世論を盛り上げて、そしてわれわれが親子が一緒になって問題を早急に解決するためにひとつ力を尽くそうじゃないか、総力を尽くそうじゃないか、そういうふうな大会を持つ予定でございます。  それから、私の考えを一言申し上げておきます。現在一般の空気は来年度の入試をやめさせろというのが非常に強いのでございます。しかし私は、あるいは私どものきのう、おとといまでの会では全然反対でございまして、入試をどうしてもやってもらいたいという考えでございます。と申しますのは、一部の暴力的な人々あるいはその他いろいろな条件によって、この若い青年諸君の夢をつみ取ってしまうということはもっともゆゆしき問題であると思います。特に東大の場合は二年、三年と営々と努力をして今日まで積み上げてきておる諸君も相当におるわけでございます。その人たちの若い夢をつんでしまうということはどうしてもわれわれとしては忍びがたいものがあるのでございます。また、現役の学生諸君に聞いてみましても、実は表面的には非常にきたない面もたくさんございますけれども、ほんとうの心情は、来年の入試の諸君に対しては非常に苦しい気持ちを持っておるようでございます。特にみんなそうでございますけれども、お互いに自分の年に近い者に対する愛着というものは非常に強いものである。私は、現在の学生諸君がすべて、来年は何とかして入試だけはさしたいという希望を持っていると信じております。若い者でありますから、今回この入試について踏み切ったならば、彼らは感ずるところがあって必ずや何とか努力をして解決に向かうものと信ずるものでございます。その点につきましては、私ども父兄会としては、一生懸命になって現在学生諸君、あるいはおとうさん、おかあさん方に訴えます。そしてまた文教委員皆さん方も、できるならばひとつ学生諸君になるべくお会いになって、学生諸君の気持ちもよく聞いていただいて、どういうところに隘路があるのか、いまさら非常におくれまして、社会的に混乱を来たしておる今日、そのようなことを申し上げますことはなかなか忍びがたいものがございますけれども、どうかひとつ文教委員先生方は、できればバッジをはずして現場に出向いて肩をたたいて、君たちどうだと、どうか気持ちをよくお話をしていただいて、ほんとうの実態をつかんで、この紛争解決できない隘路というものがどの辺にあるのかお確かめを願って、協力をしていただくように切にお願いを申し上げまして、私の意見を終わらせていただきます。  どうもありがとうございました。
  10. 高見三郎

    高見委員長 ありがとうございました。  次に西村参考人にお願いいたします。
  11. 西村三郎

    西村参考人 ただいま御紹介をいただきました西村でございます。ちょっとのどをこわしましてお聞き苦しい点があろうかと思いますが、全国の高等学校長会を代表いたしまして、全国の高等学校長の総意のほどを述べたいと思います。  ただいま高坂先生柴田先生及び長崎県のほうの父兄の立場からのお話がございましたけれども、私どもは現在高等学校の生徒をかかえ、同時にまた多数の卒業生を持っておりまして、これらの者が明春、大学入学を希望しておるという現実をかかえておりまして、一方においては教師の立場あるいは親の立場、そういったような面からそれらの青年の希望をかなえさしてやりたいという気持ちを持っておるのでございます。したがいまして、彼らに対して入学試験が行なわれるかどうかというような問題がきわめて重大な時点に差しかかってまいりましたので、私どもはいまここでお招きをいただきましたので、はっきりした意見を申し上げたいと存じます。  大学紛争につきましては、私はたくさん言いたいことがございますけれども、いま時間がございませんので申しません。ただ入学試験という時点に関してのみ申し上げたいと思います。現在紛争を起こして大学入学試験が危ぶまれておりますところの大学東京大学教育大学、東京外国語大学及び日本大学という四つ大学でございます。その入学定員を調べてみますると、東京大学が三千名余り、教育大学が一千名余り、外国語大学が五百名余りでございまして、概算いたしますとおよそ四千五、六百名でございます。日本大学がおよそ九千名余りでございます。正式な募集定員でございますが。そういたしますと、概算いたしまして約一万五千名の大学希望者の夢がかなえられるかいなかという時点に差しかかっておりますので、私どもとしては非常に憂慮する次第でございます。その憂慮の観点は、ただいまいろいろお話がありましたように、入学試験が実施されるかいなかという点が一つでございます。入学試験を実施されて定員が確保されるならば例年のとおりでございまして、あらためて私の言うべきことはございませんが、しかし、ただいまの時点においては入学試験が行なわれそうもないというような条件が発生いたしておりますので、そういう観点から申しますと、これらの大学の約一万五千名という入学定員数は一体どうなるのか、この問題が解決いたしませんと、トータルサムにおきまして、一万五千名の今年度の志願者は大学に入れないという結果を招くのでございます。したがいまして、私どもは、昨年より入学者の縮小したような形というものは、入学を希望しておる当人そのものにとってもきわめて重大であり、父兄の立場からしてもきわめて重大な問題でありますけれども、送り出す高等学校としても、この点はそういうふうにならないことを期待しておるというのが事実でございます。  ここで大学の地域性の問題を考えてみますと、現在紛争大学は多く全国から集まってきておる大学でございます。戦後の大学は、現在きわめてローカル化しておりまして、地域の学生生徒を収容しておる大学が多いのでございますけれども、いま紛争しておる大学は、どちらかと申しますと全国的な様相が強い大学でございまして、それだけ全国的に関心が高いのでございます。私どものほうへ寄せられておりますところの地方の校長の意見に従いますと、この問題が早期に解決することが一番望ましい姿であるけれども、せめて現在の生徒の不安定な状態から解放するために、すみやかに入試を行なうか行なわないかを決定してもらいたいというのが第一点であります。理想的に言うならばやってほしいという希望はもちろんありますけれども、その次の段階は、もしもこれらの大学入学試験を行なわないで募集を停止した場合においてはどうなるか、この定員減に対しては無条件に賛意を表することができないから、これらの大学において募集されるところの定員数はいかなる方法においても——方法論については別に指摘はいたしませんけれども、学生を募集してもらいたい。国立大学国立大学の全定員は確保してもらいたい。私立大学においては、それぞれの実態があろうかと存じますけれども、何らかの意味においてこの一万五千名の大学進学のパイプは狭めてほしくないというのがわれわれの考え方でございます。  しかしながら、ただいまの親御さんのお話と若干違います事柄は、われわれは高等学校教育に携わり、特に最近は教育における進路指導の重要性が強調されておる今日において、私どもがたいへん悩むのは、現在紛争を起こしておるような大学に対して無条件に学生を送ることが是か非かという問題でございます。なぜかと申しますと、現在紛争しておるところの大学は学問研究もなされておらないし、教育そのものもなされておらない。そういうような学問研究も教育も行なわれておらない大学に対して、われわれが、この大学に行ったらよかろうというような指導がはたしてできるかどうかということになりますと、これは教育的良心の観点に立つならば、そういう進路をわれわれは指導することができないというのが原則でございます。そういう立場から申しますと、われわれは、紛争解決しない限りはそういう大学入学試験が行なわれることは適切でないという観点にもまた立たざるを得ないのでございます。したがいまして、われわれの希望としては、一日も早く大学紛争解決して学生が募集されるということが一番望ましい姿であるけれども、もしもそういう大学においては教育も行なわれないし、学問研究も行なわれないとするならば、学問研究や教育が行なわれる場所に少なくとも学生生徒が配置されて研究を続けさせるようにすべきである、こういうのが私どもの考え方でございます。  したがいまして、いま望んでおります事柄は、入学試験の切迫に従って生徒も父兄も憂慮いたしておりますので、早期に入学試験をやるかいなかということを決定していただきたい、これが第一点。その次は、先ほどから繰り返しますように、入学の全定員の数は減らしてほしくない、それが要望でございます。そういう点をお含みいただきましていろいろ御検討いただきますならば、校長会としてはまことにありがたいことだ、このように思っております。
  12. 高見三郎

    高見委員長 ありがとうございました。  次に窪田参考人にお願いいたします。
  13. 窪田光子

    窪田参考人 ただいま御紹介いただきました窪田でございます。  私は平凡な家庭の主婦ですから、むずかしいことはわかりません。長男が現在高校三年生で、目下受験勉強中です。私は、つい最近まで、東大紛争がどうしてこんなに長く続くのか、さっぱりわかりませんでした。私は、大学は知性と理性の府ですから、特に東大紛争は一時的に激しく高まっても、あとは急速に解決するものだと思っておりました。最近では、いつ解決するかわからないような状態で、たいへん不安に思っております。受験期が近づくにつれて不安は一そうつのってまいりました。いろいろと心配でございます。これは私だけでなく、受験生を持つ親たちすべての方々が同じ思いだと思います。  子供たちが追い込みの受験勉強に一段と力が入ってきたやさきに、新聞や雑誌、テレビのニュース等で、東大全員留年とか、来年度の入試取りやめとか、あるいは東大閉鎖論とか、そういうことを読んだり聞いたりして、一体子供たちはどの大学を選ぶだろうか、そしてまた、どの科を選ぶのか、また将来が不安になってまいります。子供も親もともどもに毎日不安の生活を送っております。  あるおかあさんは、私立大学へ行くだけの経済力がないので、ことしは見送って、来年東大へ入ると子供は言うけれども、経済力がないのだから、一年でも、いいえ一カ月でも早く卒業して、りっぱな人材として社会で働いてほしい、そのように願っていらっしゃいました。また、ある方は、子供の能力と性格を考えて二流の大学を選びましたが、東大がもし入試取りやめになれば、そのしわ寄せで合格もあぶなくなってくるし、いろいろと悲劇も予想される、そのようにしみじみと話しておりました。  昨年に引き続いて、ことしもたくさんの受験者がおります。もし来年度の東大入試が行なわれないとしたら、他の公立、私立大学へもその余波はどっと押し寄せていくことでしょう。そうして受験生自身はもちろん、受験生を持つ親としてたいへん不安な毎日を過ごしております。  角材や告示で事は解決しないと思います。要するに、考えることのポイントがどこか狂っているのではないかと思います。私は、大学側学生側も、正しい理念を持って一刻も早く解決してほしい、そのように願っております。正しい理念とは、考えるポイントの正しさから生まれるものだと思います。そのポイントをどこに置くかが問題であり、問題すべてを解決する根本的なことだと思います。学生側の言い分もあるでしょうが、暴力で事が解決し、言い分が通るとは思いません。だれが見ても聞いても納得のいく話し合いの場合がほしいものです。  よき種はよき苗となり、よき花が咲こう、よき少年はよき青年となり、よき青年はよき社会の指導者と育とう、そのような有名なことばがあります。教官と学生とはお互いに、弟子は師匠を尊敬し、師匠とは弟子の悩みをともに悩む、その解決に真剣になってほしい、そのように願っております。最近の企業化した大学、またマスプロ教育が、質の低下や師弟間の相互不信、人間性を失う結果になったのでしょうが、ともあれ来年度東大入試は何としてもやっていただきたいものです。またやるべきだと、そのように信じております。  受験生がかわいそうです。被害者は受験生だと思うのです。何としても来年の東大入試は、皆さま方の御協力を得て、皆さま方の団結した声で事を解決し、子供たちの将来のためにも、——有望な人材もその中にはたくさんいるはずです。何としても東大の入試問題は取りやめなどないように、皆さん方にもよろしくお願いいたします。
  14. 高見三郎

    高見委員長 これにて参考人各位からの意見の開陳は終わりました。     —————————————
  15. 高見三郎

    高見委員長 これより質疑を行ないます。  委員各位に申し上げます。  本日御出席をいただきました西村参考人には、所用のため午前十一時三十分に退席いたしたいとのことでございますので、その点お含みの上、各参考人に対する質疑をお願いいたしたいと存じます。  藤波孝生君。
  16. 藤波孝生

    藤波委員 いろいろ質疑の方もお見えでありますので、ごく簡単に二、三の点についてお伺いをいたしたいと思います。  まず高坂先生にお伺いをいたしたいのでありますが、今日大学がすでに学問をする場所、学園としての機能を失ってしまっております。そこで特に東京大学については、ここまで長引いてきた紛争状態解決し得ない、おそらくこのままでいけば留年必至、入学試験も非常にむずかしいといった状態におちいるのではなかろうか、こう考えるのでありますが、従来から大学の中に大学院があって、さらに高度の学問の追求をやっていくというような考え方できておるわけでございますが、同時に、日本大学制度の中で大学大学というものを設けて、むしろそこを最高の学問研究の場所にする、一般大学と切り離してそういった大学大学をつくったらどうかという考え方が従来もあったと思うのでありますが、先生、その辺について、今日の東大紛争とからみ合わせて、東京大学大学大学へ持っていくという構想についてお考えがあったらお伺いをいたしたい、このように考えるわけであります。  もう一点、西村先生にお伺いをいたしたいのでありますが、従来高等学校から大学へ入ります場合に、高等学校のほうで進学についていろいろな指導をやっていらっしゃいます。その場合に、何といたしましても、従来の日本大学に対する考え方といいましょうか、これは受け入れる側の社会にもいろいろな問題があるわけでございますが、どうしても成績のいい者から順番に東京大学をねらい、その次のランクの者が京都大学や名古屋大学をねらうとか、そういった全国的な受験の傾向というものがあるわけであります。そういった中でもし東京大学の入試ができないということになりますと、これはいい悪いは別といたしまして、そういった現実の上に立って勉強いたしております受験生にとってはたいへんな混乱になることを私どもは非常に憂慮をいたしておるわけであります。にもかかわらず、できないということになりました場合に、いまいろいろお話のございました一万五千名程度の定員を国立大学で確保する、日大も入りますから国立大学と限らないわけでありますが、どこかの大学で定員を確保するということになります場合に、大学にこだわらずに全国大学で定員を確保すれば高等学校の側としてはそれでいいというふうにお考えになるか、あるいは東京大学ができないということになりました場合に、従来の高等学校の進学、これはいい悪いは別といたしまして、現実にそう行なわれておりますたとえば京都大学や名古屋大学といった東京大学に次ぐ連中が受けに行く大学の定員をやはり確保することが高等学校として望ましいのであるか、その辺について高等学校の側から見た定員確保の考え方をひとつ承らせていただきたい。きわめて技術的な問題でございますけれども、その辺に非常に大きな問題があるように思いますのでお伺いをいたしたいと思うわけであります。  以上であります。
  17. 高坂正顕

    高坂参考人 ただいまお尋ねいただきました私への主要な点は大学大学という点でありますけれども、それについて私はこういうふうに考えております。  これは、現在大学紛争を起こしておりますのは、大学といいます一つの名前で少なくとも三種類の違った大学を一緒に考えてしまっているというところに誤りがあると思います。  三種類と申しますのは、一つはこれは自民党のほうからも社会党のほうからも出ております国民のための大学という考え方であります。今日のようなデモクラティックな時代におきまして、また、高度化された時代におきましては、大学教育を受けたいという希望の人が非常にふえてくるし、また、それにある程度の知識を与える機会を与える必要があると思います。国民全体が最も高い程度の教育を受け得るような意味での国民大学という程度のものを考える必要があると思います。しかし、これは現在高等学校におきましても学力差の問題が実に顕著に出ております。大体三分の一はついていけないような状態であります。これが大学にまですべての者を入れていきますと、おそらくは六、七〇%は大学の正規の課程を通過することは不可能であると思います。したがって、この国民のための大学というものでは、できるだけたくさんの者に入り得るような機会を与えるとともに、その中のやり方をそれにふさわしく適当なように能力差に応じたような形で確保する。そしてそこにはできるだけの自由を与えていく必要があると思います。この点は非常に自由な大学と申してもいいと思いますし、大衆のための大学だと申してもいいと思います。  もう一つは、大学といいますものは、そこの卒業生が現在の社会に出まして、また国家におきまして高度の知識を持っておるところの職能人、職業人として働けるような——職業人ということばが不適当であるならばプロフェッショナルな仕事に携わってくる。そこで働くためには十分な訓練を大学において受けなければならないと思います。つまりほんとうの教育、ディシプリンが必要であろう思うのでありますが、今日の大学ではそうしたようなディシプリンの面が非常に欠けておると思います。特に大学の自由という名前のもとにおきまして、大学教育という面が非常に乱れてきておると思います。ですから、ここでは大学の自由だとかそういうようなことばに惑わされないで思い切った教育を行ない、力をつけさせるような大学が必要だと思います。私はかりにこれを専門大学と呼んでいきたいと思うのであります。  第三がいまの大学大学でありますが、これは別なことばでいうと探求大学、研究大学というような名前で呼んでもいいと思います。今日いろいろなところの大学のありさまを見ますと、大学院というものがついておりますけれども、それは現状では学部がありまして、学部がおもやであります。そのおもやの学部の上に小さな二階がくっついております。それが大学院であります。あるいはそのおもやのわきに小さな離れがありまして、それが大学院というふうに呼ばれております。いろいろな大学は、今日ほかに研究所をたくさん持っております。共同利用の研究所というようなたぐいのものもございますけれども、私はむしろこの両方を一つに合わせたもの、わかりやすくいいますと、学部というものと研究所というものとを合体させたようなところの大学というものを考えているわけなんです。そこでは研究を主といたします。従来からの、ドイツの大学——ドイツの大学というと、みんな悪口ばかり言いますけれども、いいところが非常にあった。ドイツの大学のいいところは研究を通じての教育というところであります。しかし、研究を通じての教育を行い得るためには教官がしっかりしていなくてはいけない。いま遠慮なく言いますと、もし大学の教授の資格審査でもやれば、不合格の者が相当いるのではないか。そうしてまた、いまの大学生なるものが、研究能力が不十分な者がどんどん入ってきております。ですから、この大学大学というものでは、そういったような相当すぐれた研究能力のある者に入ってもらって、そこでもって研究を通じての教育を行う。そういったような方向で考えるべきだ。  この研究大学と、それから専門大学、それと大衆大学という、この三つの大学のねらいはそれぞれ違っておりますけれども、その違っているはずのものが、今日同じ一つ大学という名前で一緒くたに考えられる。ある方向では自由でなければならないというようなことを言う。そうかと思うと、ある方向ではもう少し教育的でなくてはいけないと言う。ある方向では研究を重んじなければいけないと言う。この三つは機能を分化して行う必要があるだろうと思います。その意味でもって、大学大学というものをはっきり打ち立てることが私は望ましいことなのではないかと思います。
  18. 西村三郎

    西村参考人 ただいま高等学校におけるところの進路指導の問題について、なおその進路指導の観点から東京大学の問題をどのように考えるか、こういうお話でございましたが、先ほど申し忘れましたけれども、高等学校長協会では大学の格差を一切認めません。そういう観点から出発いたしました。したがいまして、現在の大学が現実的に格差が社会的に存在することも認めます。しかし、もちろんそれはいいことであるとは決して思っておりません。現在の高等学校入学試験制度において一番ガンになっているのはそのこと自体です。同時にまた、高等学校教育を最大にゆがめている観点がここにあるわけです。もっと極端な言い方をするというと、いままでお話がありましたように、東京大学がある意味において非常に高等学校教育をゆがめているということもいえるのであります。そういう観点から、私どもは東京大学だからとか、教育大学だからとか、どこどこ大学であるとかいうことは申しません。願わくは大学は格差のない大学であって、個性のある大学になってほしい。したがいまして、個性のある大学においてのみ、われわれはほんとうの進路指導ができる。現在のような格差の段階がある限りは、先ほど御指摘がありましたように、結局は成績のいい者はどこへ行け、これが高等学校の生徒の間にコンプレックスを生み出し、同時に進学競争が行なわれるというのは、そこにあるのでありまして、実は現在大学の募集定員を志願者と合格者の比率で申しますというと、三分の二は大学に入っているのでありまして、決して狭い門じゃなくて、むしろ広過ぎるくらいに考えられる。ところが、なぜ狭いということがいわれるかというと、その大学の格差によって、たいへんに狭いということがいわれているのであって、これは日本教育の将来のために、どの大学も研究及び教育が十分になされる大学であってほしい。すべて特定の大学があって、その大学に右へならえするような日本大学制度であってはならないというような観点を私は持っております、したがって、今度の場合も東京大学だからやれ、東京大学でないからやらなくてもいいということは毛頭考えておりません。どの大学においても均等に考えております。したがいまして、進路指導もわれわれはそのような線に、軌道に乗るように努力を進めていきたい、どういうふうに思っております。以上であります。
  19. 藤波孝生

    藤波委員 こういった時期にと言ってはたいへん失礼でありますが、これまで戦後、大学というものの考え方が非常にいろいろな御意見がありながら整理されないできておる。ほんとうにこれからの技術革新、さらに進めて国家経済社会の伸展をはかっていくために、大学教育の果たすべき役割りというものを考えてみますと、この辺で大学あり方については思い切った整理をして取り組んでいかなければならぬのではないか、こういう考え方を私どもも一様に持っておるわけであります。そういった中で学園紛争が起こったわけでありますけれども、こういうときにと言っては何でありますけれども、この際にこそ、そういった考え方も十分整理をして大学あり方を考究してまいりたい、こう考えております際に高坂先生の非常にありがたい御意見を承ったわけであります。また同時に、たいへん心配をいたしております大学の格差の問題について、西村先生から非常に力強い御発言をいただきまして、これまた私どもたいへんありがたく思っておるのであります。こういう点も含めて大学像、国民のための大学像というものをさらに力強いものに浮き上がらせていく、こういうことについて私ども一そう積極的に取り組んでまいりたいと思うわけでありますが、高等学校の側からも、ひとつ一そうの御指導を賜わりたい、このように考えるわけであります。  ところで、そういったいろいろな大学に対する考え方、また国民の期待というものをよそにいたしまして、現に学園紛争はあちこちで渦を巻いておるわけでありますが、こういった中で国民世論が政治に対して要求をいたしますものは、こんなにまで学園が混乱におちいっていて、しかも大学側にこれをまとめていく、収拾していく能力がなかなか見られない。それにもかかわらず、学園自治を信頼し、学問の自由を尊重して、荒れるままにまかせておる政治の役割りというものは一体何なんだ、むしろ非難は政治に集中をしてきているかに感じられるのであります。しかし、政治の側からは、学園自治というものを認めて、そうして、特にその管理運営についてはひとつできる限り大学が責任を持って進めてもらいたい、こういうぎりぎりのところで今日まで事態が推移してきておるわけでありますが、じんぜん日を重ねるだけでどうにもならぬ。むしろ根はだんだん深くなっていくのではなかろうかという懸念が国民全部から抱かれておる。このように思うわけであります。しかも混乱状態で人命が非常に危険な状態にまでおちいっておるにもかかわらず、大学の要請がなければ警察官は学園、キャンパスに入らないということもまた治外法権を生じて、大学生をさらに甘やかせてしまったのではないだろうか、学生といっても、ほんの一握りの現体制を破壊しようとする全学連の暴徒をそのまま黙視しておる政治は一体何なんだ、こういう非難の中で、私どもできる限りこれを教育の問題として取り組んでいきたい。治安の問題というよりも、あくまでも学園教育、学問を中心として、ぜひ静ひつな学問をする場に早く返ってもらいたいと、警備の側も大学当局を激励して今日に至っておるわけでありますが、大学に対して、政治が教育環境を整えるという名目で介入すべき限界について、いろいろお考えがあろうと思うのでありますが、その辺について各参考人から御意見がございましたら、ひとつお出しをいただければたいへんありがたい、このように考えるわけであります。
  20. 高坂正顕

    高坂参考人 先ほどちょっと申しましたことでありますけれども、現在の大学学園紛争なるものは、もう教育の段階といったようなもののワクを非常に越えて、その外にまで出てしまっていると思います。それに対しまして、従来からの大学管理のやり方からいいますと、最初に教官と学生の間でもって何らかの意見の調整をする。そうして同意に基づいてある決定をして、それを実行に移すということでやってまいったのであります。その気持ちはずっとあるのでありますけれども、実際上大学でもっていろいろなことをやってまいりますというと、それがほとんど不可能なようになってしまっている。それを不可能にさせています者の数は、大学によって違いますけれども、これはほぼ三%ないし五%くらいの過激な学生が騒ぐのでありますが、それに対しまして、おそらく三〇%くらいの者が同調するといったようなことであります。しかも、その騒ぐ連中が、東大の安田講堂を占拠しておる者の場合で見られますようなふうに、全くのゲバ棒戦術でもって暴力、力をもって押し切ってしまっている。大学は元来力を持っていないはずのところであります。静かに研究すべきところであるのが、まるで暴力の場所になってしまっている。大学にもしあれを話し合いでもって解決し得るという自信があるならば、私はやってごらんになるがいいと思う。しかし、私は、これは自分の経験では、われわれのような能力を持っているような者では、これはできないものだと思っております。特にそれが不可能なのは、相手方が全学連という名前でいっておりますようなふうに、自分大学学生だけだったら話はわかりますよ。その大学の者に、場合によると大学外の者がかなりに参加するらしい。そういったような者との話し合いといったようなことは、ほとんど無意味になっておると思う。だから、そういうようなところからまず整理をしていってもらいたいと思います。先ほど言いましたように、いろいろな要求を出しておりますけれども、この要求は、先ほど柴田さんのお話にあったようなふうに、ある種のイデオロギーを貫くためのきっかけを求めているわけであります。ですから、それにつきましては、それを暴力でもって、実力でもって行なってきた場合には、大学にはその実力がないときにどうするかという観点から、これはもう一度大学側もよく考えてもらいたい。しかし、長い習慣がついております。いますぐに警察官導入ということはできないかもしれませんが、もうこうなるならば、これはうみが出るところまで出なければ夢がさめないんじゃないかというふうに私は考えている次第であります。
  21. 柴田周吉

    柴田参考人 大学自治の問題と政治の介入の問題ですが、われわれタックスペイヤーといいますか、納税者にとっては、今日の国立大学というものに対する懐疑的というか、納税の——アメリカではタックスペイマーということばをよく使いますが、タックスペイヤーの心理状態をよほど政治の面にあらわしていっていただきたいと思います。先ほど申し上げましたように、大学自治というものは前提があるわけなんです。それは自治能力があるということです。良識を持って、社会の目的に合致するような自治能力を持っておるということが、自治をまかせられ得る第一の必須要件になると思います。ところが、今日の国立大学を見ておりますと、その自治能力というのは、極端にいえばゼロだと思います。これは極論かもしれませんけれども、私はないと思う。たとえば私は母校の紛争のために六年間、学長並びに有志の方と取り組んでまいりました。あの制度自体が、評議会というものが第一段階にある。その次に教授会というものがある。その次に学長がすわっていて、評議会の議長となって運営する。こういう大きな組織というものが大体三つある。ところが、評議会できめたことが学校全体の意思としてすぐ外部に対して効力を発生するかといえば、さにあらず、もう一ぺん教授会に持ち帰って、やれいいの悪いの、いいの悪いのと何カ月もかかる。そしてまた、これを評議会にかけてきめる。学長は何の権限があるかというと、その評議会の議事運営をやるだけのこと、この評議会と教授会を行ったり来たり何回もやってきまる。きまったことがそのまま行なわれるかというと、評議会自体でまた行なわれない。さらに今度は暴力をもってその決定を阻害しようとする。そういうような組織になっておりますので、もう大学組織自体が、昔は良識の府ですからそれでできたかもしれないけれども、こういう時世になればもう大学制度そのものが不適当というか、大学の運営ができないようになった制度が一つあると思う。この点は政治が大学に介入する一つの大きな点だろうと思う。  それから慣例的にでき上がっておる大学自治というもの、これは慣例ですから、いわゆる外交官に与えてあるような治外法権というようなものでも何でもない。法律上何も治外法権になっていないのだから。だから警官導入ということが問題になるわけなんです。一体警官を入れることがわれわれ社会人としてはどこが悪いか。また、現に佐賀大学のごときは騒動の起こったときに学長が何回も入れる、十数回。私の郷里に近いからよく見ている。そうしてとうとう根こそぎ掃討したのです。いまの学長にそれだけの決心がありますか。やれるときに一ぺんにやって追い出す。また入ってくる、今度は追い出せないというようなことをやるから、やっただけ損、譲歩しただけ損というような結果になっておる。これも早い機会に明文化して、いままでの慣例ではいかぬぞということがはっきりわかったならば、その慣例以上の何かの明文、法文化する必要があるのじゃないか。常識では入っていいのだけれども入れないというのが、いわゆる慣例上の自治、自由、これは私が先ほど申し上げましたように、スタートは実にいいことなんだけれども、中ごろからエゴイスティックな変型になってしまった。介入させなければ、かってなことができる。大学の予算というものは、これは皆さん御存じかどうか知らぬけれども、東大はじめ大学の予算というものは、昔海軍や陸軍がとっておった、あるいは科学技術研究費にしても、皆さんがお考えになっているように合理的なものじゃないと私は思う。これはその審査に当たる人たちがよくわからないから、これはもうとほうもないことをやってもわからないから、そのまま見過ごしている。そこで自然に膨大な組織が思わず知らずどこかででき上がって、そしてそれが自治、自由ということで壁をつくっているということで入れない。だから昔陸軍、海軍ができ上がってびっくりしたような情勢がいまにも予算の面からできてきている。こういうコントロールをどうするかという予算査定の面でも、これは政治介入の一つの大きな問題になる。  それで、しからばいま直ちに政治が学校紛争に介入していいかどうか。これはもともと教育の場ですから、そんなに目が悪いから目薬をさすというような特効薬、カンフル注射というようなものではいかぬと思いますけれども、やはり長期にわたって一つ一つたんねんにきめこまかくこれに対処する法文化の必要はあるのじゃないか。また、この問題は、荒木元文部大臣のときに大学管理法を出しかけた。そうしたら国大協のほうで、それはごめんだ、これは荒木元文部大臣がしばしば言いますからほんとうでしょう。出そうと思ったらそれはごめんだごめんだと言うから、やむを得ず涙をのんでやめたが、あのとき出しておったらこんなことは起こってないだろう。そら見たことかと言っておるのがあの当時の関係者、当局だろうと思う。だから大学に対する介入ということは、これは大へんな義務を負担している納税者は、かってなまねをされちゃ困るというのが納税者の大部分意見です。しかし、その介入にはタイミングが必要だと思います。これは非常にタイミングの問題だと思います。これは教育の場であるから即効的な薬を用いてはならない。必ずこれはきめのこまかい、長期にわたる理念を持った介入でなければならぬと私は考えております。
  22. 高見三郎

    高見委員長 西村参考人お急ぎになっておるようですから、小林君、西村君に御質問がありましたら、ここでちょっと中断して、小林委員から。
  23. 小林信一

    ○小林委員 高等学校が必ずしも大学に進学をする機関であると私ども考えておりません。高等学校そのものが人間形成の場である、私どもそう考えておるし、先生のお話を聞いてそういう点を十分うかがえるわけなんですが、しかし、何といっても大学に進学しようとする者が大部分である以上、そういう生徒をかかえております高等学校皆さんは、この問題についていろいろな角度から検討され、また憂慮されておられるわけでありまして、先生方のその御真意というものを私ども心から尊重するわけであります。  時間がございませんので、十分先生からも御意見を承りたいのですが、一つだけ私、こういう意見を申し上げて先生のお考えを聞きたいのですが、問題は、いま当面しておる問題と、そして大学自体の恒久的な問題と、われわれは二つの面からこの問題を考えておるし、また大学の教官等と話し合いをする中でも、やはりその二つの面をいかにして目的を達するかということで苦慮しておられるようであります。したがって、いまの先生のお話は、直面しておる問題もさることながら、将来の問題についても相当御考慮なさっておられるわけでありまして、いま東大が高等学校の進学という問題について一番大きな災いをしておる格差というものをわれわれは認めないように努力をしておるけれども、東大というものが存在するために格差をつけられる。そういう中から高等学校あり方にも大きな影響をもたらしておる。こういうふうにいわれておりますが、何か東大だけにこのしわ寄せをされるというところに私はまだ問題があると思うのです。というのは、東大であるから人材であるというふうに見る社会というものにも私は大きな問題があると思うのです。そういう点、私は経団連の代表の方にお話を聞こうと思うのですが、したがって、ただ東大を責めるだけでなく、高等学校先生方も社会全般の問題について目を開いて、そして高等学校は単に大学入試のための機関ではない、そこで十分に人間形成をする場である、そういう目的を達するように努力をするという考えをしなければならぬと思うのですが、いかがでございますか。その点を私はお伺いしたいと思うのです。  先生は、全般の全国の高等学校先生方の気持ちを代表はされましたけれども、現実には東大に入ることがその高等学校地位を高め、あるいは高等学校の名誉を高めるというような、まことに先生意図とは反する傾向というものを社会人に与えておる。そういう点についてもっときびしくしなければならぬと思うのですが、その点についてのお考えをお聞きしたいのです。
  24. 西村三郎

    西村参考人 ただいま東大の入試に関係いたしまして、いわゆる臨時的な問題と恒久的な問題がいろいろとあろう、こういう問題についてどういうぐあいに考えているかというお尋ねと思いますけれども、私が先ほど申し上げました教育東京大学入学試験によってどれほどゆがめられておる面があるかという具体事例をいままでたくさん持っておりますけれども、それを申し上げるいとまもございませんが、一つだけ申し上げますと、これはある地方の有名な高等学校でございます。その高等学校にある高等学校の校長が訪問いたしました。その訪問をいたしましたときに、生徒は時間でもないのに玄関のところで立ちながら弁当を食っている。こういう状態を見たときに、一体こんなことで一般社会常識人が育つのだろうか、こういうような印象を受けたそうであります。そこで、一体この学校ではそういうことに対する指導は何もしておらないのかということを聞いたら、その学校では、一切そういう指導はしない、そんなことをしておったら東京大学には入学できない、こういう返答であったというのであります。いまおっしゃるように、私は大学入学試験と高等学校教育とはまさに悪循環の状態にあると思います。この悪循環を正すためには一体どうするか、高等学校は受け身の立場でありまして、むしろ改変は大学側のほうからしなければならない。私はあらゆる機会、私が許されておる範囲内の機会におきまして、大学に対してある意味の反省を求めております。しかしながら、先ほどから繰り返されますように、大学のことは他人の介入は許さない、そういうようなお考えが非常に強くて、私どもの意見は受け入れられません。大学立場からのみものは考えられている。その大学立場が高等学校にどのような大きな影響を与え、そしてそれが大学側のほうから正されていくことのほうが矯正の近道であるというふうにはお考えにならないのでございます。したがいまして、私どもは大学に対して強い反省を求めます。ということは、先ほども高坂先生からお話がありましたように、たとえば東京大学の問題にいたしましても、明年だけ停止するということ自体、これは重大な問題を含んでおるのです。われわれとしては、東京大学は願わくは大学大学になってもらいたいと思います。そうしないと、一年以上勉強して、東京大学は来年はやらなかった、再来年になったらまた行なわれるということになりますと、非常に権利を侵害されると申しますか、不公平な取り扱いを受けた者が一部分になってまいります。したがいまして、将来にわたって高等学校側からは東京大学には直接つながらなくて、東京大学があらためて全国から大学生を募集して、大学大学にでもなってもらえば、この問題が解決する。同町に、高等学校におけるところの教育も、その線から幾ぶんでも是正されていくのではなかろうかというような感じを私は持っております。しかし、それは言うことは簡単でございますけれども、その意思決定東京大学自体がすることでもありましょうし、なかなかむずかしいことだと思います。  同時に、私がふだんから考えております事柄は、大学問題に関するある研究会に私は招かれまして、高等学校から見た大学についての話をしろと言われたときに申し上げましたのは、ヨーロッパの大学でもアメリカの大学でもほとんど、先ほど柴田参考人が言われましたように、一般の納税者あるいは市民の代表が大学管理の中に何らかの形において入っております。日本くらい封鎖的な大学はないのです。大学大学学生だけのものであるという、私物化しておるような感じが現在もあります。そういうことに対して、大学社会的存在であるということをもっともっと認識しない限りは、日本大学制度及び教育制度は改まっていかない。過去一世紀にわたるところの学校制度から生み出された格差論から、いまなおそういう格差を固執しようというような力がないわけでもありません。やはりそういう方々に対しては、新しい時代に目ざめて、大学あり方というものが一体どうあるべきか、国民だれでもが行ける、そして気持よく——ある特定の大学でなくて行けるような制度が一日も早く確立されることをわれわれは望んでおるのであります。  そういう観点から申し上げたのでありまして、以上でもってお答えとしたいと思います。
  25. 小林信一

    ○小林委員 先生のいまのお話も私はうなずけないことはないのですが、それよりももっと大事なことは高等学校の主体性というものを確立することだと思います。  もう一つ申し上げたいのは、今回の大学問題の中で学生諸君が皆さんの指弾を受けるようなああいう行動に及んでおる。そのことはきょうの社会あるいは大学あり方、そういうものにも問題があるかもしれません。あるいは先ほど来お話のありましたように、もっとそれ以上の意図するものがあるということも、私ども決してこれに反対するものではないわけなんですが、大事なことは、その前の過程であります高等学校の時代というものがちょうど青年期であるわけなんです。私どもも高等学校先生あるいは生徒等といままで話し合いをたび重ねてまいってきておりますが、やはりあの時代に、単に大学入試に専念することだけがきょうのおまえたちの使命である、まあこうは言わぬでしょうが、あの学生諸君をそういうような中に置くところの高等学校自体にも、私はきょうの問題の一翼をになわなければならぬ点があるのじゃないかと思うのです。やはりあそこでただひたすら勉強だけに打ち込むのでなくて、あの時期の年齢にふさわしい人間形成というものをもっと高等学校で重視する必要がありはしないか、私はこういう点を一連の関係として考えなければならぬように思っておりますが、この点はいかがですか。
  26. 西村三郎

    西村参考人 高等学校に人間形成の教育がやや不足しているのじゃないかというような御懸念からいまの御質問があったかと思いますが、私は、大局的にながめまして、決して人間形成の教育が全く阻害されているとは思いません。ある特定の学校においてはいろいろ問題がございますけれども、現在の高等学校は、御承知のように七五%から義務教育終了者が入ってくる学校になっております。就職者も、約七〇%の生徒が就職いたしておりますそういう実業高等学校も大体において四〇%あります。総体的にいいまして、先ほど指摘いたしました大学入試のために青年像がゆがめられているというパーセンテージはそれほど大きくはないとは思いますけれども、いろいろ社会的なポジションと申しますか、そういうところから特に影響力が強いということは認めます。けれども大局的に見て、現在の大学よりも高等学校のほうがはるかに人間教育が行なわれていると私は確信しております。
  27. 小林信一

    ○小林委員 終わります。
  28. 高見三郎

    高見委員長 西村参考人にはお忙しいところ御出席をいただきましてまことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。  藤波君。
  29. 藤波孝生

    藤波委員 最後に一点お伺いをいたしたいと思うのですが、窪田さんには高等学校三年生のお子さんを持っていらっしゃるおかあさんのお立場で、また團さんには東大生をお子さんに持っていらっしゃる親御さんのお立場で、いろいろ現在の東大紛争について、特に来年度の入試の問題について御心労いただいております御様子を拝したわけであります。その御意見の中で、ぜひ来年度の東大の入試はやるようにという強い希望が述べられたわけでございます。みんなそういうことを念願をいたしております。私ども政治の場にあります者もそういうことを念願をして、これまで加藤総長代行をはじめとする東大当局の努力を期待しながら今日まできたわけでございます。ところが、さっき西村参考人からお話もございましたように、受験生の立場考えますと、また、それを指導をしておる者の立場考えますと、やはり一日も早く来年度の入試について決定をして、そしてそれぞれの受験生が方針を決定をする、そういうふうな運びに持っていってもらいたいという西村参考人のお話もありましたように、それも非常に重要なことではなかろうか、こう考えるのであります。  東京大学につきまして、東大にこだわるつもりはありませんが、一つのめどとして東大のことを申し上げますと、例年、明日十二月二十日に入試の要項の発表をいたしております。私どもでは常識的にこれが例年どおりのタイムリミットだ、こういうふうに考えておるわけでございますが、東大当局としてもぎりぎりのところまで努力をする、こういうふうなことから、二十日以降に加藤総長代行と文部大臣とがそういったことについてもいろいろ話し合う。こういうふうなことで、私どもの仲間の中には二十日がタイムリミットだという強い意見もございますけれども、そこを本年内というような含みでここ数日の事態を見守っていく、こういうふうなところまで事態はきておるわけであります。同時に、学園の現状を見ますると、依然として角棒の暴威をふるって、集団のリンチ事件などが発生をしてくる。こういうふうなことで、先ほどの柴田参考人の御意見にもございましたように、東大入試をやるとかやらぬとかというよりも、入学試験をやってもおそらくやらせないだろう。こういうような事態で、三、四カ月将来を考えてみると、とてもじゃないができるものじゃない、こういうふうな御意見の表明もあったわけでございますが、私どももそういったことをいろいろ考え合わせて、来年度の東大入試は非常にむずかしい、少なくとも現状のまま東大が推移をするならば非常にむずかしい状態になる。しかもその日はきわめて近日に切迫しておる、その決定をする日は近日に迫っておる。こういうぎりぎりのところにいま立っておるわけでありますが、現状のような形でも東大入試はぜひ行なうべきである、こういうふうにお考えになるか。その辺につきましてひとつお考えのところを團さん、窪田さんから、ほんとうに御心労のことであろうと思うのでありますが、その上に立って御答弁いただければありがたいと思うわけであります。
  30. 團重利

    ○團参考人 実は、私が提案をする入試を絶対にやれというのは非常に無謀なことで、おそらくはいきなり納得ができないようなことだと思います。しかし、私があえてさように申し上げますのは、私ども父兄も、そして国会議員の先生方も、あるいは大学当局も学生諸君も、すべてがそれを前提として、絶対に入試をやるのだ、その前提のもとに背水の陣で一生懸命努力しようではありませんかというのが私の趣旨でございます。
  31. 窪田光子

    窪田参考人 長い間つちかわれてきた伝統とかいろいろなものが重なり合いまして、そう簡単に解決はつかない問題だと思うのです。根本的なものを解決していかなければ、幾ら角棒を振り回してみても、それから大学側のほうでいろいろなことを取り上げて話し合ってみたところで、根本的には解決はしないと思うのです。ですから、このたびの入試をたとえとりやめたとしても、この問題は一時的の解決では、ほんとうの大学の新しい時代の新しい教育ということにはならないと思うのです。ですからこの場合は何としても大学の入試はしていただくと同時に、この根本的な問題は、やはりほかのととろで解決をしていかなければならないことだと思うのです。ですから教育理念ということをもっと高い次元でもってお互いが話し合っていって、長い間のつちかわれてきたものですから、急に解決しようとあせってみてもだめだと思うのです。ですからこの場所で、教育の場所でみんながいまの新しい時代の新しい教育をみんなで考えながら運んでいったときに、東大はよりすばらしい大学にもなるし、また東大だけではなくて、ほかのいま問題になっている多くの大学の問題も同じことだと思うのです。ですからこのたびの大学の入試をやめるとか、あるいはいろいろな閉鎖の問題とか、そういうようなことも一部で聞いたりいたしますけれども、やはり根本的なものは、いままでの古いそういう考え方とか、古い明治憲法のようなそのような大学教育あり方が、大学教育といっても、新しい時代の青年たち、学生たちが、古い考え先生方となかなか合わないと思うのです。ですから、いつでも私たちが世の中にどういう人材を送り込むか、また、自分がこの場所でどういう教育を受けて世の中のために尽くすような自分になれるか、お互いが考え、理解し合っていったときに問題は解決に近づいてくると思うのです。結論としては、解決はすると思うわけなんです。ですから、このたびは何としても、入試をやめるから解決が云々ということは当てはまらないと思うのです。犠牲になるのは今度受験する子供たちだと思うのです。この入試が中止となりますと、一般社会にも及ぼす影響というのは大きいと思うのです。ですから何としても、入試をやめたから解決できる、そういう問題ではないものですから、根本的にもっと真剣に、新しい時代の大学の歩み方といいますか、そういうことのほうを考えていただいて、入試のほうは何としても行なっていただきたい、あくまでもそのようにお願いいたします。
  32. 藤波孝生

    藤波委員 ありがとうございました。  以上で終わります。
  33. 高見三郎

    高見委員長 小林信一君。
  34. 小林信一

    ○小林委員 私どもがきょうお忙しい皆さんにおいでを願って御意見を承るその趣旨は、委員長からつぶさに述べられておるわけですが、実際国民全体が問題視しておる中で、これを政治の責任としてはどういうふうに解決をしていかなければならぬかという点からいたしまして、私ども国会という立場から皆さんの御意見を承る中で、行政の責任を持っております政府にまたいろいろ意見を申し上げる、そのための御意見を承る機会であるわけでございまして、したがって、皆さんの御意見をすなおに聞いて、その中から私どもが判断をしていけばよろしいわけで、論争をするというようなことはここではあってはならないわけなんですが、そういう意味でなく、私どももまた考えを率直に申し上げて、特に高坂参考人並びに柴田参考人等はそれぞれのお立場というものは重要なものを持っておられ、学生諸君あるいは大学の当事者にも影響するところがありますので、私は率直な考え方を申し上げて、さらに御意見を承りたいと思うのです。  第一番、高坂参考人にお伺いいたしますが、特に中央教育審議会委員をされておるというような立場からいたしまして、私どもなお念を入れてお聞きしたいのですが、あなたは、原因把握が間違っておる、こういうふうに言われておりますが、私は必ずしもそうでない。おっしゃるような面もある、そういう点を強く持って活動しておる学生もある。だがそれが全部ではない。大学先生方に意見をお聞きいたしましても、先生方も、革命理論に立つ者もある、また改革理論に立つ者もある、またそれに関心を持つ学生もある、無関心の学生もあるというふうに、あのたくさんの学生の中を大きく分類いたしますと、あなたのおっしゃる原因把握に間違いがあるという種類の者はほんとにわずかなパーセンテージだと思うのです。しかし、それらが大きな障害になっておるのを排除するには、改革理論を持つ学生あるいはこれに関心を持つ学生、無関心でおる学生たちの意見の結集の中で、その要望を聞きながら正しいものであるならば取り入れて、そして今後の大学の改革に処していきたい。いままで確かに大学の教官たちにはまことに全体的な責任を負うというものがなかったわけですが、もっと教官としてお互いが大学に対する責任というものを考えなければいけないという教官自体、教授自体のたくましい立ち上がり、こういうふうなものも徐々に行なわれ、そして無関心な学生、そういう者にも現在の問題に関心を持たして、そういう中で、一部あなたのおっしゃるようなある意図を持つ学生たちにじゃまをされない学校運営をつくっていきたいというのが、私はいまの大学のそれぞれが苦慮しておる実態だと思うのです。もちろん、それを混乱させようという一部の者もありますが、それをいかに排除して、そして正しい軌道に乗せていくかという努力をされておるのがいまの姿かのように見受けるわけなんです。したがって、私は、原因把握することに間違っておるという見方をされることは、中教審に籍を置かれるあなたとしては何か少し行き過ぎではないかというふうに考えるのですが、いかがですか。
  35. 高坂正顕

    高坂参考人 先ほど私最初に念を押しておきましたけれども、中教審の意見がこうだというようなことは、まだあそこでは検討の途中だから私の個人の意見を申し上げますということを申し上げたはずであります。まずそのことをお含みおきいただきたいと思います。ですから、これは中教審がそういう意見を持っているというふうにお考えいただきたくはありません。  それから第二の点でありますけれども、原因把握に間違いがあるというのはもう少し詳しく申す必要がありますけれども、原因と申しましてもいろいろの種類の原因があるわけであります。ちょっと哲学めいた用語で恐縮でございますけれども、カウザ・エフィツィエンツ、あるものを引き起こしてくる過去からの圧力、これは普通に原因といわれているものであります。そのほかにカウザ・フィナーレスト、どういった目標があって起こってきているのかということも原因一つになるわけであります。現在いろいろと問題といわれておりますものは、過去から起こってきているたぐいの事柄を主として考えていて、そのカウザ・フィナーレスト、目的原因というたぐいのものをほとんど注意していないというところに不十分な点があるということを申したわけであります。そのことを一つお含みいただきたいと思います。そしていろいろと現在原因といわれていますものは、原因といいますとカウザ・オカジョナリスト、それを引き起こしてくるところの原因といったようなふうに考えたらいいところのものでありますが、その中にはもう一つ突っ込んで考えてみなければならないものがある。じゃ、それは一体どういうところでおまえはそういうことを言うのかとおっしゃられると思いますが、それは先ほど言いましたようにおそらく三%から五%ぐらいの者だろうと思います。しかし、それが動きだしたときに三〇%の者がそれに同調して動いていくということをよく考えなければならないと思うのであります。そういったような状態におきまして、それにどういったような手を打たなくちゃならないだろうか。私は適当な手というものがないということは申しなしたけれども、運動の形態から学生の意識形態というものを検討している人がかなりありますけれども、あの運動形態の分析はそれほど役に立たないのであります。彼らの相当なものは陣地戦ということと街頭戦ということを言います。陣地戦といいますのは大学のキャンパスを陣地にして行なっているところのものであります。その陣地戦においてやりますところのものは学園封鎖及びそれに関係しての団体交渉というものであります。団体交渉は、実際にやってごらんになりますとじきにおわかりだろうと思いますけれども、かなり緻密な作戦計画を立てまして、相手側の言い方あるいは反対の意見の持ち主をして発言することをほとんど不可能ならしめてしまう。それを実力でもってやっていってしまうのであります。それを現在の大学では除去する力がないのであります。何とかしていわゆるプロでないところの学生をして立たせようと思いましても、プロでない学生には組織がない。その上に、今度はプロの学生たちは、先ほども申しましたように、全国的な組織を持って動いている。それに対抗するような手段を大学が持っていないのであります。ここら辺の一種の大学形態というものを考えてみる必要があるだろう。  もう一つの点は、これは街頭戦でありますけれども、これはいわゆるアームドプロパガンダ、武装宣伝であります。それをシンボライズしておりますものが、あのゲバ棒を振り立ててヘルメットをかぶって覆面をしてやっていること、あれは一種の恐怖を呼び起こすところの行き方での戦術であります。  そういったようなやり方をしているのに対して、大学としましてはそれに対して打つ手がほとんどない、そういう状態にあるということをよく考えていただきたい。そうして、そういったような連中のねらいは、私が先ほど来言いましたようなところにそのねらいがあるのだ。ですから、大学の中での教育上の問題というものもむろんあります。そういったものがないというふうに言ったのではないのでありますから、その点は御了承いただきたいと思いますけれども、ただ現在の過激な行動にしているところのものはどこにあるものかといえば、いま言ったものであります。これが一種のゲリラでありますことは、スチューゲントゲリラというようなことばも使っております。ゲリラ戦についての研究をいま学生諸君あるいは指導者がどの程度までやっているか知りませんけれども、かなりの訓練をさせております。ちょうどゲリラ戦が有効なのは東南アジアやなんかのジャングル地帯であります。しかし新宿だとか、あるいは銀座はどうか知りませんけれども、ああいったような人込みのところは、人間によるところの一種のジャングルが出てくるのであります。私は、事実はちょうど大阪の御堂筋でもってそれをかいま見ることができましたけれども、あれはやじ馬が出てきて収拾を非常に困難にしていますけれども、あのやじ馬のたぐいの人たちが一種の人間のジャングルを構成する。そういったようなものを使って一種のゲリラ戦を行なっている。それに対して一体どういうふうな手を大学として打つことができるだろうか。そこら辺は、私話し合いはできるだけすべきだと思います。私はずっと長いことやってまいりました。やってまいりましたけれども、これには限度があるということを大学の諸君ももうちょっとはっきり見ておいていただきたい、そういうふうに申したわけでございます。
  36. 小林信一

    ○小林委員 最初私が中教審の高坂さんであるというお話をしたのは、きょうお伺いするのは決してそういう意味で聞いていることではない。あくまでも高坂さん個人からお話を聞いておる。こういうたてまえをとっておるのですが、やがては中教審にこれの答申を願うわけで、したがって、そういう影響もあるから特に私は意識をして聞いておるということだけなんです。  いまお話を承りまして、非常に問題の重要性ということはわかりますが、しかし、それを学校先生が全然関知しないわけじゃないと思うのです。そういう点も十分知っておる。しかし、それを知っておるならば、警官の導入か何かやって、先生ほど柴田さんがおっしゃったように、どっかの学校のように徹底的にやればなくなるのだという方法もおそらく考えてはおると思うのですよ。しかし、それがはたして大学のいままでのあり方、そこから起こってくる問題と、あるいは世界的な一つの風潮として起こってくる問題、これを根本的に解決できるかどうかという点で先生方は悩んでいまの態度をとっておられると思うのです。したがって、そこには単にあの一部の学生諸君の考えておる、いわゆるあなたのおっしゃる将来への考え方、こういうものも一部にはあるかもしれませんが、それが全部じゃないのだ。その全部でない、いわゆるそれ以外の学生を立ち上がらせることによって、この人たちと話し合いをすることによってこの問題を解決していこうというのが、今日の大学のとっておる方向ではないかと思うのです。  したがって私は、あなたが二番目でおっしゃる、解決は困難であるという御説明に対して、いまもそれに関連した一部のお話があったわけですが、困難であることは事実なんです。はたしてこの困難を乗り切ることができるかどうかという見通しも、私どももこれを明確にすることはできない憂慮すべき状態でありますが、そこはあくまでも教育として扱っていかなければならない。非常なかつてないこの決意は教授たちにもあると思うのです。それは教授自体教育でもあると思うのです。簡単に世間の言うような方向に従ったら、いまの大学先生たちはまた安逸をむさぼっていくと思うのです。やはり教授自体の勉強にもなるわけなんです。そうしてその中で学生の大部分教育をしていくということに大きな意味があるので、決してこれはあなたのおっしゃるように、それを教育としてこの問題を解決しようなんということは本質を失っているものであるというふうな御説明には、私は賛成しかねると思うのです。  私はここでもってその問題と同時に、あなたがいま主張されておる点と考え方は同じなんですが、考慮しなければならない点でもって大きな違いがありますからお聞きするのですが、これは法務省の、この事態に対して調査をした結果としてわれわれに聞かされたことなんですが、いまのいわゆる革命を目的とする分子はどういう目的と考え方でもって行動しているかという結論が、われわれは行動しておればいいのだ、破壊をしておればいいのだ、そうすれば国民すべてが自分の周囲を見回して、そしてこの問題に関心を持ってくるだろう、それがやがて革命の動機になるんだ、こういう考え方でいるのだ、こう言っていますよ。ただ何か彼らが将来への一つの希望を持って計画しておるだけではない。われわれがこういう行動をし、われわれが破壊する中で国民は周囲を見回して何かを感ずるだろう、それがいまの社会情勢だと思うのです。政治も含められておるでしょう。あるいは私は企業家が、経団連の柴田さんもおいでになるのですが、そういう方たちがいままで大学をどう見てきたか、大学というところはおれたちに能力を提供するところだ、おれたちに技術を提供するところだというような考え方でいはしなかったか、こういうものも彼らは敏感に感受しておると思うのです。あるいは最近の経済成長政策というものが、こういうふうに社会構造を変革をするならば、それにふさわしい人間というものを、人間形成というものを、単に学生だけでなく、日本人全体のレベルを上げていかなければならぬのに、そういう点がはたして完全であったかどうかというような問題が私はあると思うのです。一方は、先ごろ週刊誌にこういう話がありましたよ。会社の重役さんが柳橋でめしを食っておった、酒を飲んでおった、ところが、いよいよめしにしようというときに、札幌へ行ってラーメンを食おうじゃないか、ラーメンはせいぜい二百円か三百円です。飛行機賃が往復で二万五千円もかかっても、札幌ラーメンを食い、そうして飛行機で行ってくればあした会社へ出るのにも差しつかえない。こういうものが取り上げられておったのですが、これをいまの農村やあるいは労働者、中小企業あたりが聞いたら、そこにどんな社会的矛盾を感じて不平不満が起きるか、そういうような社会情勢というものにおそらく国民全体が関心を持つだろう。そこが革命の動機になるのだ。これが法務省の説明ですよ。  そういう問題を考えたときに、この原因というものをあなたがおっしゃるような形でもって把握し、そうして単にこれを教育的なもので処理するなんということは不可能だ、こういうふうに判定を下していいかどうか、お聞きしたいと思うのです。
  37. 高坂正顕

    高坂参考人 先ほど来私の言っていますことが、多少私の言い方が悪かったせいかもしれませんけれども、失礼ですけれども、御理解いただいていないような感じがするのであります。というのは、私が言いましたのは、現在の大学紛争の中には、もう教育問題としては処理しきれないものが含まれてきている。それを一体どうするのか、その点を大学のほうでも当然考えるべきだということを私は申したわけであります。  今度は、いまの大学生が一体どんなことを考えているのかと申しますと、どうもちょっと歴史家めいてまことに恐縮なんでございいますけれども、大体三種類ないしは四種類の学生考えることができるだろうと思います。一つ大学を無事に出て就職するというたぐいの学生であります。これが一つであります。いまは大学といいますところが、私が先ほど言いましたように、教育という方向でもって十分な訓練を行なっていないものですから、大学に入りさえすればそれでいい。ですから調査なんかしてみますと、おまえ何のために大学へ入ったのか、大学に入った目的は何かといえば、目的は大学に入るというところにあるのだというのです。大学に入ればひとりでに出る、出れば何とか世の中に出てつとめることができる、そういったたぐいの学生が相当多数あります。こういったような学生に対しましては、もっと教育的にいろいろと考えなければならない。これは教育の問題に属してくるだろうと思います。それが大多数であります。そしてこれはかなり浮動するものであります。やじ馬気分でもってデモに参加したりするし、封鎖にも一役買うということもある。しかし、そう強い信念があってのものではありません。そういう一群がおそらく六〇%近くあるのじゃないかというふうに私には思われます。あるいは幸いにしてもっと少ないかもしれませんが、かなりの数がそうだろうと思います。これに対しましては教育的に十分考えていく必要があるだろう。ところが、問題になりますのはあとの二つないし三つであります。  一つはどういうのかといいますと、これは私、先ほど言いましたある種の意図を持って紛争を行なっているという中の顕著なものであります。やがては何らかの革命をねらうか、そこまでいかないにしても何らかの変革を行なうといったようなことをねらいとしているところの者であります。これには一定のイデオロギーがあります。そして一定の社会改造についての目標のようなものも持っております。イデオロギーといいますものは、御存じのようにお互いの話し合いがほとんど不可能になります。私がイデオロギーと呼んでいますものは、自分考えが絶対に正しいので、それ以外の考えは絶対に誤っている。イエスかノーかどっちかというのできめていく考え方イデオロギーだろうと思う。無謬性、教条性というものを特徴としているものであります。そういったような者につきましては、いろいろとやりましてもそれを納得させるのには非常に骨が折れる。しかし、やらないわけではありませんけれども、現在の問題を急に解決するために話し合いというものではケリがなかなかつかないだろうと思います。これが第二のグループであります。いま言いました第二のグループは、現在は価値の体系がすっかり変わってきてしまっている。われわれは新しい価値の体系の現実化をねらって行動するのだという考え方であります。だから現在ある価値といいますものはみなうそのものであるといったようなたぐいの考え方が相当根強くある。そういったのが第二のグループであります。  第三のグループは、それをもうちょっと推し進めます。というのは、いまの第二のグループは、現在のエスタブリッシュメント、既成の体制を破壊するということがねらいになっているものであります。ですからおそらくこの連中はいまはやりのパーティシペーション、学生参加というようなことをいいましても、学生参加というのは結局は現体制へのテイム、現体制へ飼いならしていくための、彼らにいわせれば資本家あるいは政治家が使うための手段にすぎないのだ。だから、おそらくパーティシペーションというようなことだけではおさまらないだろうと思う程度のものであります。これが第二のものであります。  第三のものは、そういったように現在の価値というものを認めないという立場に立って、それをずっと推し進めていきますと、結局はニヒリズムになります。すべての価値の否定になってしまう。そうしてこれは政治経済のそれもアナーキズムに近いようなものにだんだんとなっていくだろうと思うのであります。これは一番過激な行動、破壊すればいいというようなたぐいのものでありまして、この連中もなかなか話し合いがつかないだろうと思う。そうしてこの彼らの行動の要点は、少数な者でもいい。覚悟を持ち決断をもって事に当たれば少数な者でもって大学の占拠ということはできるのだ。百人あればできる、やってみせるというような行き方であります。だから、おれたちの力が強いのか弱いのか、それをひとつためしてみようといったようなことまでなってきているのであります。そういったようなものを含んでいるということの認識が私は大事だろうと思う。そのことを私は一生懸命言っているわけであります。  それで、先ほど言ったときにちょっと省いてあったのでありまするけれども、大学側としましてまずさしあたって実際できるかどうかやってみていただきたいと思いますのは、よその大学からの応援隊を自分だけの力ではたしてどの程度に除去できるのか、それをまじめにひとつ考えてみてもらいたい。それを一体どういうしかたでやったらいいのだろうか。われわれもいろいろやったことがあります。しかし、それを無理に突破されてしまった場合には手の打ちようがないことになってしまう。私の場合には、二年ほど前でありますけれども、結局何とか教官全体が立ち上がり、私自身もかなり腹をきめてやったものですから事はおさまりましたけれども、いまはそれがもっとひどくなってしまっている。それに対してどういう手を打ったらいいのだろうか。もうこれは話し合いというようなことではなかなかケリがつかなくなってきているということを私は思うものですから、そういうことを申したわけであります。
  38. 小林信一

    ○小林委員 決して的をはずれているわけじゃないと思うのです。どっちかといえば先生のほうが的をはずれているんじゃないかと思うのです。この問題を処理するのは、教育的な立場教育的に解決するのだということであって、そういう思想を持っておる連中にいまさら教育の力が成果をあげることができるかどうかということはいま問題にしたわけじゃないのです。先生はそこの点に何か重点を置かれておるようでありますが、今後の大学がどういうふうに改善をされようとしても、思想の自由というものがある以上、そういうものがあることはやむを得ないことだと思うのですよ。そういうものも含めながら、健全な大学運営をしていくためにはこれをどういうふうに処理しなければならぬか。それを大学先生たちは、その人たちをいわゆる革命理論家として、革命理論の派としてやはり一つ置いておりますよ。しかし、それ以外の、大学を改革しなければならぬという人たち、それに関心を持つ人たち、また無関心でおる人たち、こういう学生の立ち上がりというものの中で、大学で方向をつけて処理していこうということは、やはり教育的な面で、教育的な方法で解決をしようということであって、私は、その点はこの際大学の自主的な解決として、世間が応援をしながら、協力をしながら見ていかなければならぬのじゃないか、こう思うのです。先生の言われた、それを教育的に解決しようとしても無理だというのは、そういう一部分子の思想をなおすことはどうかというふうにお考えになっておるんじゃないかと思うのです。  時間がございませんので、私はもう一つ柴田参考人にお伺いをして終わりたいと思いますが、経団連の教育特別委員会委員長という要職にあられるので、いろいろ御意見を承りたいと思うのですが、先生のお話も私いろいろ納得できないところがあるんですが、ここでひとつお伺いしたいのは、いま東大というものが中心になっております。それは東大の入試だとか留年の問題もあるでしょうが、東大の問題が解決をすれば、これは全国大学にあります問題も解決の方向に向かうことができるという希望が私たちはあるんですよ。したがって、どうでも東大問題というのはいまのような自主的な解決の方法でその成果をあげていただきたいと思うんです。だから困難ではあるかもしらぬ。あなたがおっしゃるようにとてもだめだというような判断もなきにしもあらずと思うんですが、しかし、全国に累を及ぼす問題である点から考えれば、この問題の解決にはいまのような方法でいっていただきたいことを私たちは希望しているんです。というのは、いま地方の大学等でも、やはりあなたがおっしゃるように問題の契機というのはいろいろな点からつかまれておりますよ。学生会館だとか、あるいは寮だとかいうふうな問題から出ておりますが、しかし、いまこれに対する態度は、従来は学生指導をする係の先生だけがその問題に当たっておって、ほかの先生たちは無関心でおった。だが最近の情勢から、どこの大学でも教授全体が一丸となって意思統一をする中でこの問題を解決しなければならぬというふうに、従来にない、大学に責任を負う態度先生たちに出てきておると思うのです。一般学生にもそれに呼応してそういう立ち上がりが出てきておると思うんですが、そういう中でこの問題というものがわれわれの希望する方向に向いていくことを願うわけなんです。そういう意味で私はいまの東大の問題も、いまの姿を世間がこれに協力する、尊重するという方向でいくことがいいと思うんですが、どうもあなたの御説明を承っておりますと、最後のお話じゃございませんが、つぶれるものはつぶしてしまえ、その中から新しいものが出ればいいんだというふうに——その中からいままであなた方は、ことに東大から出てくる人間というのは最優秀の人間だとしてどっちかというと東大を甘やかした。先ほど高等学校の校長さんが言われたように、東大があるがゆえに高等学校の問題にも大きな影響を及ぼしておる。その原因というのは、東大生をいかに重視したか、重く用いたかという社会に大きな原因もあると思うんですよ。その人たちが、いまになったら、つぶしてしまえ、その中から新しいものが出てくるだろうというふうな考え方では、少し責任がなさ過ぎるのじゃないかと思うんですが、御意見いかがでしょうか。
  39. 高坂正顕

    高坂参考人 先ほどのお話にちょっと補わしていただいてよろしゅうございますか。
  40. 小林信一

    ○小林委員 また次に質問する人がありますから、そちらのほうで。
  41. 高坂正顕

    高坂参考人 非常に簡単ですから。思想を直すかどうかという問題よりも、学生の行動をどういうふうにしたら改めさせることができるかということをお互い考える必要があるということを言ったことが一つであります。  それからもう一つは、大学の自由というものは、従来は外からの力が大学に入ることを拒否していたというのでありますけれども、いまお話がありましたように、現在の大学の問題の解決のためには、大学外の力がそこに入ってこなければいけないということを申したわけであります。つまり国家及び社会というものがいま協力しなければいけないというふうに小林さんはおっしゃいましたが、それと私はおそらく同じになると思いますけれども、国家及び社会大学と協力して、大学のほうもそれを拒否しないで紛争解決に努力すべきだということです。
  42. 柴田周吉

    柴田参考人 問題が二つあるようですね。  一つは、私が、いかにもあの騒動学校先生がおさめきれないで、つぶれることを希望しておるかのごとき考え……。(小林委員「そうでもないですよ」と呼ぶ)あなたのお話を聞くと、そういうふうに受け取れた。それは少々言語の解釈に誤りがあるようで、私はそれはもう学校先生——私とものほうの経歴は、会社員も長かったけれども、むしろ学校先生も非常に長い教授の先生もたくさんおります。日夜学校先生が努力して、ほんとうに徹夜に近い苦労をしていることをよく知っている。身近に感じている。これほどまでやって片づかないのは、これはもうやむを得ないな、こう感じております。それはもう朝も晩もいろいろのことで連絡もしますし、ほんとうにこれはいままでのんきにぬくぬくと自治という名のもとに惰眠をむさぼっておった学校先生には似合わぬほど今度は努力しております。それはよくわかっております。わかっておりますから、でき得べくんば、東大がサンプルになるだろうから、早くまとめてもらえば、それに右へならえでみんなおさまるだろう、こういうことを今日までこいねがってきたのですよ。そこがあなたのおっしゃったことちょっと違うのです。にもかかわらず、事ここに至ってはどうも処置がないのではないかというあきらめに近いものが出たので、もうこうなればしょうがない、八十年も九十年も大学令を変えないような大学で、医学部のごときは、それはもう皆さんおっしゃるように、見てごらんなさい。主任教授が回診するときには、御回診といって何十人——何十人というわけじゃないけれども、ぞろぞろとついてくる。あれは徒弟制度ですよ。あれは改革しなければならない。それを改革しないでいる。だから、私ども早くつぶれることをこいねがうのではないのですけれども、あんなに努力している、私のほうが皆さんよりも身近にその努力のあとを見たものですから、ほんとうに精神も肉体も疲れはてたというところですよ。これほどまでやっていかぬのならばしかたがない。残念ながらしかたがない、こういうことです。誤解のないようにお願いします。  それからついでに、先ほど小林さんおっしゃったように、そういうエリートだけを会社が迎え入れるからというお話ですけれども、戦後独占禁止法ができて、私は財閥で四十年暮らしました。暮らしましたが、戦後の経済力の発展というものは、独占禁止法その他経済の自由化ということで今日の日本の経済というものは発展したということを私は確信します。昔のような閥があって、そうして少数の寡占体制ではほんとうの自由競争ということができない。松下ができ、ソニーができ、あらゆる新しい経済——あるいは本田ができ、あるいは鉄鋼にしろ、造船にしろ、化学工業にしろ、あらゆる分野で新しいものがどんどん興ったというのは自由主義なんです。これはほんとうです。だから教育も、ある特殊な学校が特殊なエリートでもって何かやるというような組織はよくないのです。それはそういうものをとった会社が悪いじゃないかとおっしゃいますが、会社はそんなことをほっておりません。会社自体すでにどこの学校でなければ何になれないという制度ではありません。自由競争のもとに実力があればどんなにでも出世できる体制に変えつつある。全部変わったわけではありませんけれども、変えつつある。私は経済の発展は自由主義でなければいかぬ、近代経済学のいう自由主義でなければいかぬということを確信しております。だから財界は、あなた方御心配になっておるかどうか知りませんけれども、もうすでにそのことは胸におさめて、ちゃんとどこの学校出でなければならぬということはない。会社の名簿をお繰りくだされば、ある種の学校に幹部が片寄っているということは徐々に解消されつつあるということもあわせてお答えいたしておきます。
  43. 小林信一

    ○小林委員 ここでことばじりをつかまえっこする必要はないのですが、あなたのおっしゃったのはこうですよ、私はちゃんと記録してあるのです。ほかの社会にはテストというものが常にきびしく行なわれるけれども、大学先生にはそれがないのだ。あなたは検事あたりまで取り上げて説明された。だから大学先生というのはいままでぬくぬく自分かってなことをしておったのだ、こういう前提の中でその先生にきょうの問題が解決できるかというような意味の話をわれわれにしたのですから、あなたの言ったことももう一ぺん振り返ってみていただきたいのですよ。私ども、やはりこの点ではある点賛成しておるのです。先生たちがいままでぬくぬくとしておった。実際、古い大学自治なんといったって、大学先生たちだけの自治であって、医学部に見られるようなああいう封建的なものが許されておったということはやはりそのとおりだと思うのですよ。しかし、そういうものがまた大学自体に責任があると同時に、社会にも責任があったし、政治にも責任があったと思うのです。だから、改革をしなければならぬというのは、ただ学校の教官を責めるだけでなく、もっと政治家も責任を感じなければいかぬし、また社会も責任を感じなければいかぬ。あなたは、いわゆるあなた方のいままでの努力でもって日本の経済発展ができ、こんな経済成長ができたんだ、こう言われますが、しかしまた半面、そのために犠牲になっておる人たちもあるわけなんです。その犠牲になっておる人たちは、せめて自分の子供はりっぱな大学を出して、そしてそういう人たちの傘下に入ろうというふうなそういう矛盾も今度のような問題の中には含んでいるわけなんですよ。経済団体が、そのほうにだけ政治が集中した、そこにぬくぬくしておりますというと、きょうのような、学生の世間に対する批判というものも私はきびしくなってくると思うのです。そういうあらゆる角度からこの問題は見なければならぬという点で、私はあなたに再度お考えを願いたいと思うのですよ。そういう点から、私はきょうの問題というのは——あなたは大阪大学あたりの問題を取り上げて、簡単に警察力あたりでもって解決してしまったらどうかというふうなお話なんですが、いまこれが及ぼす影響というものは単に東大だけではない。全国的な大学に及ぼす問題があるし、将来の大学というものに影響するところが大きいから、いま大学先生が、あなたのおっしゃったように全く真剣に徹宵この問題に取っ組んでおります。それをわれわれは尊敬をして、この態度を見守ってやり、あらゆる角度からその要望が実現をするようにしてやらなければいけない、こう思っておるわけです。これは質問ではありません。あなたに対する私の意見であります。
  44. 柴田周吉

    柴田参考人 お答えましょうか——私も組合の連中とは何十年つき合ってきましたからその気持ちはわからぬわけじゃないですが、いままでぬくぬくと、あまり勉強もしないでやったから、それは事実です。最近非常に熱をあげてきたといってはおかしいけれども、熱心にこの問題に取り組んでおる、これも事実です。こういう情勢で、社会と学内と相呼応して、いわゆる民主主義の原則のマジョリティーの欲するところに社会を進めていこうという、こういうことができるように私は非常に熱望します。のみならず、経済界の話が出ましたけれども、それはもうそんなことを言っている会社の幹部というものは特例中の特例で、それこそそんなばかな非常識なことをやるものがあったら、そんなものはつぶれますよ。これは私は確言してもいい。そんな突拍子もないことを例に出すのはおかしい。やはりマジョリティーを議論の根拠にすべきだと私は確信しております。経済界は、皆さん考えておられるより以上に幹部は自粛自戒して、大学問題でも考え、かつまた社会一般に与える影響なんかは、それは想像以上に敏感にそれに対処しておるはずだし、今後私は一そうそうやりたいと思います。そうして社会全体の福祉、それから生活の向上、そういうようなものに貢献することがわれわれの役目だと、こう考えております。これでよろしゅうございますか。
  45. 小林信一

    ○小林委員 私はそれには大いに異議があるのです。あなた方はやはり独善的なところがある。おれたちが日本をしょっていくのだ、しかもこういうふうに成長すれば、それはやはりフランスあたりの問題というのが今度はまた影響してくる、あるいは外資導入というふうな問題も出てくる。そういう中で、あなた方自身もますます自粛し、奮起しなければならぬが、またそこに政府のてこ入れというものが入っていかなければならぬ。そういう中でもって、日本社会にはまた犠牲になっている中小企業とか農村とかというものがあるはずなんですよ。その格差というものがいま是正できない状態でもって、ここにいろいろな社会問題が生まれてきているわけですね。それだって学生たちは敏感にそれを感受していますよ。学生が感受する程度ならいいですが、これが社会全般に同じようなものが生まれてきたらどうなるか。あなた方も一生懸命やっていることも私は認める。しかし、それがまたますます用心していかなければならぬというところに——今度はまた政治がそこにだけ力を入れるようになってくると、世の中には問題が出てくるわけなんで、そういう点も学生諸君は考えておるわけなんですが、しかし、それを論議したらあとの質問者が困りますし、私はこれで質問は終わらせていただきますが、特に父兄代表としておいでになられた皆さんの切実な考え方というものは、私ども身に体して局面の打開に努力することをお礼のかわりに述べさしていただきまして、私の質問を終わらせていただきます。
  46. 高見三郎

    高見委員長 鈴木一君。
  47. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 だいぶ時間が経過しておりますので、簡単にお伺いしたいと思います。  高坂先生にお伺いしたいと思いますが、先生の見通し、情勢判断では、三ないし四%のわずかな連中が中核となって行動を起こし、三〇%程度のものが同調してこの紛争を長引かせておるというふうなお話でございましたが、私もそういうふうに感じておりました。しかし、留年だとか、入学試験ができないとか、そういったような別の問題が起こってくれば、やはり自分自身の大きな問題でもございますので、情勢の変化も出てきて、どちらにも属さない中間派の人たちが、場合によっては集団行動をし、ゲバ棒にはゲバ棒をもって一時的に立ち上がるのではないかというような感じもしておったわけでございますが、依然としてそういうふうな動きは見えない、遅々としてではあるが好転しておるように聞いてはおりますけれども、中間派の動きというものは期待ができないような状態になっておるわけでございますが、これはやはり中間派と称されるものの中にも、かなり社会の認識とか、現在の大学に対する認識の面で、行動は三%の人間に同調はしないけれども、何か考え方の上で同調しておるのではないかといったような感じもいたすわけでございます。したがって、この問題というのはなかなか根が深いような気がするわけでございますが、そういうものに対する先生の見通しと申しますか、お考えを聞きたいということと同時に、もう一つは、戦前の大学自治という慣行ができた時代の国家権力というものと、現在の新憲法における国家権力というふうなものにはかなり大きな相違がある。したがって、こういうふうな問題が起こったときは、やはり国家権力——というといかにも悪いような、暴力的なあくどいもののようにも聞こえますけれども、国家として大学の問題に対してはもっと積極的に干渉というか、指導というか、サポートというか、行動を起こしてもいいんじゃないか、そういうふうな意味合いで、先ほどもお話がありました大学管理法というふうなものもあらためて考える必要があるという意見もぼつぼつ見えておるわけでございますが、そうした際に——私はこの管理がいいか悪いか申し上げるのではございませんが、ただ、学生も何らかの形で大学管理運営参加と申しますか、発言の機会が与えられる、のみならず、社会全体の一つ意見を反映させる意味で、第三者的な方々も大学管理運営参加するというふうな制度も考えられるような気もするわけでございますが、この二点についてお伺いしたいと思います。
  48. 高坂正顕

    高坂参考人 ただいまの二つの点につきまして、まずあとのほうからお答えをさせていただきます。  先ほどもちょっと申したのでありますけれども、戦前の場合の大学自治といいますものは、主として大学の教官人事に関していたものであります。軍部だとかそういったようなものの不当な干渉によりまして、あの教官をよさせろといったようなことからいろいろと問題が起こってきました。あるいは文部省が頭から総長を任命する。これは例の沢柳事件でございます。そういったように、大学に対して外からの力が加わってくるのを防御する、特に人事問題に関しましてそれを防御するというような形で、大学自治ということがだんだんと発生してきたものであります。     〔委員長退席、西岡委員長代理着席〕  そうしてその場合に、昔は、われわれが最初に入りましたころには、京都大学文科大学といったような名前をとっておりまして、それがやがて京都大学文学部というふうになったわけでございますが、その京都大学文科大学といったような言い方をしておりましたときには、よけいそれぞれの部の発言権が強かった。事実、沢柳事件なんかのときに、大学自治をほぼ慣行的に打ち立てる発端をつくりましたのは、あそこの法学部の教官諸君であるといったような理由もありまして、学部の自治ということが強く出てきたわけでありますけれども、今日ではむしろ学部の自治というものが、大学の全体の意思決定をする上にそれを妨げるといったような要素を多分に含んできていると思います。ですから、まず大学の内部につきましては、教授会というもののあり方をもう少し考え直す、改める必要があるだろうと思います。とにかく、かつての大学自治というものは、大学の外部の力、特に国家権力から守るという点に重点が置かれていたわけでありますけれども、今日では、お話のように憲法も変わってきておりますし、国家というものの見方も変わってきているだろうと思います。そうしますと、むしろ問題は、いまのように大学というものをあのように封鎖的にしないで、社会に広く開放するという方向で考えるべきだ。たとえば参加というような事柄でも、学生参加ということを言うなら、なぜ国民の参加ということを言わないのか、少なくとも国立大学なんかの場合においてはそう私は思っております。しかし、そういったようなことになりますと、これはいろいろ問題が出てくるのだろうと思いますけれども、私は、先ほど来いろいろとお話がありましたように、もうちょっとタックスペイヤーの意見を代表するようなものを中に入れていくという形でもって、国や社会というものが大学教育と結びついていくという必要を感じている次第でございます。  あとの大学自治の問題でもって同時に参加の問題まで触れてしまいましたが、それでよろしゅうございますか。
  49. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 私が先生にお伺いしたがったことは、いまの大学自治のことはけっこうでございます、いずれまたの機会があると思いますから。  それからもう一つの、先生の見通しが甘いのじゃないか、学生はもっと別のことを考えているがゆえにこの紛争が長引くのじゃないかというふうな感じがします。  もう一つついでに申し上げますが、何か戦後教育一つの総決算がここに来ているのじゃないかというふうな感じも、極端な見方でどこかからおこられるかもしれませんが、私はそんなふうに思っております。
  50. 高坂正顕

    高坂参考人 私もその点は全く御同感でございます。というのは、現在の大学紛争の激化はここ一、二年来でございます。その短いところだけを見て議論をなさる方がわりに多いように思いますけれども、戦後の教育といいますものが積み重なって、特にいま騒いでいる学生たちはほんとうの戦後の教育だけでもって出てきている連中ですから、戦後の教育一つの成果があそこに出てきたというふうに見ざるを得ないと思うのです。     〔西岡委員長代理退席、委員長着席〕 あそこにはいい点もありますけれども、問題の点もある。戦後の教育はすべて悪かったというのじゃありませんけれども、ああいったようなものを引き起こしてくるのは社会的ないろいろな事情もありますけれども、教育の上での問題点もあるのだということを大きな目で見る必要があるだろうと私は考えるわけであります。学校制度の問題なんかに入りますとたいへんごちゃごちゃしますが、ただ一つだけ言いますと、教育の結果が、現在は自由放任といったような方向が強く出過ぎまして、結局は自己の欲望満足ということだけに片寄っている子供ができてしまった、その結果ブレーキのきかない子供です。ブレーキがきかない子供というのは非常に付和雷同する危険性があります。学生運動の中におきまして非常に強い力というものに圧迫されますと、わりに容易にそれで動かされてしまう、付和雷同的になる。といいますことは、結局は意思の弱いセルフコントロールのできない子供を生み出したというところに問題点があるように私は感じております。
  51. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 よくわかりました。これで終わりますが、戦前の教育は、どちらかというと国家とか民族の中に個人が埋没しておったと思うのですね。戦後はそうじゃなくて、逆に抽象的な、どこの国に輸出してもいいような市民というふうな形で人間ができていると思うのですね。そこに何ら連帯感というものがなくて教育されてきていると思う。これが私は戦前の教育一つの大きな反動であって、またそれを経ることによって新しい本格的なものに入っていくと思うのです。ですから、そういうふうな戦後教育のすべてのものがここに出てきたのであって、唐突に大学に入ってすぐそういう人間ができたのじゃないと私は思っております。  これでやめます。
  52. 高見三郎

    高見委員長 有島重武君。
  53. 有島重武

    ○有島委員 たいへん時間が経過して御苦労さまでございます。  いろいろございますけれども、一つは、高坂先生柴田さんのお二人からイデオロギーということばが出まして、このことばについての一つの問題提起をしておきたい。それからもう一つは質問でございます。  受験生のおかあさんの窪田さんのほうからのお話は、入学試験をやめたからといって問題が解決するわけではないのだから試験をやってもらいたい、問題は別なところにあって、教育理念の問題でものの考え方が何かピントが狂っているんじゃないかというようなお考えがあったのですが、これも私は、はからずもおかあさまの口からこういうふうな問題が出たということは全く重要なことだと思います。先ほどの高坂先生のお話の中で、イデオロギーというのは破壊的な排他的な独善的なものであるというふうなお話がございました。私は学者じゃないからよく知りませんけれども、本来的にイデオロギーと申しますと、そういったものではないんじゃないか。それから柴田さんと小林委員とのいわゆるあれはイデオロギー論争に近いようなことになったようなものでございます。イデオというのは理想のことで、ロギーというのは論理ということではないかと私は思いますけれども、そういうことが明らかにされていくということが大切なことなんじゃないか、そんなふうに思うのでございます。  それで、一つの問題提起でございますけれども、いまいわゆる大衆参加イデオロギー、本来的なものの考え方も非常に多様化しておる。これを総点検することが必要なんじゃないか。いまでもイデオロギーといいますと、反体制的なものの考え方できめつけるという風習になっておるようでございますけれども、それぞれに突き詰めていけば、こちら側にもそちら側にもみんなものの考え方の基準というものがあるんじゃないか、そういうものを明らかにしていくことが今後の重大な問題だ。先ほどおかあさまのほうから提起されましたものの考え方、これをもう少し突き詰めて対話というものが行なわれるような状態にしてもらいたい、そういうことにつながるのじゃないかと思うのでございます。それが第一点。  それから第二番目、これは柴田さんになんですけれども、入社させる条件として、どうしても卒業生ということを条件としておられるようでございました。質問の中のお話になりますと、実力主義の世の中になってきた、そういうお話もございました。私伺いたいのは、中途退学者とそれから卒業生、これは実力の上で非常な懸隔があるのかどうか。私どもむしろ実力主義ということからいいますれば、必ずしも卒業ということにこだわらずとも中途退学でも十分雇用していくことが考えられるのではないか、そういうふうに思うわけでございます。それがあとの質問でございます。  以上二点でございます。
  54. 高坂正顕

    高坂参考人 イデオロギーということにつきまして、私説明しないで断定だけしておいたわけでありますけれども、これには長い歴史があるのでございます。御存じのように、イデオロギーということばが最初に一般化されます機縁をつくったのはマルクスの「ドイツ・イデオロギー」であります。「ドイツ観念形態」であります。「ドイツ観念形態」といいますもののねらいは何であるかといいますと、御存じのようなウンターバウ、ユーバーバウ、下部構造と上部構造という関係に立ちまして、要するにすべての思想、哲学なんというものはみんな下の経済構造が決定している。だから何か永遠の真理だとかもっともらしいことを言っても、これは結局階級や何かが自分の利益を守るためにつくり出している手段的なものにすぎないのだという形でもって、それまでの思想が偽りのもので、絶対の真理だとか、そういったものでないということを主張したのがマルクスの「ドイツ・イデオロギー」なわけなんです。そこら辺からイデオロギーということがいわれ出した。ところが、そこに一つの矛盾が出てくる。すなわちそういうことを言うマルクス自身の考え方は一体何なんだろうかといえば、これは彼自身がはたして労働者側であったかどうか知りませんけれども、少なくともそういったような働く者を代表するもの——ここにすでに問題が出てまいりますけれども、それは抜きにしまして、それを代表するものとして主張している彼の思想自身は一体どの程度の真理性を持つのだろうか、階級の利害をただ反映するだけだろうかというと、そこに搾取されている者が——こんなレクチュアはどうも恐縮ですけれども、将来をになう者としてそこに出てくる思想が一番正しいものだということが出てきておる。そういうところからしまして、今度はそういったような——これは古いマルキシズムなんで、いまはどうなっておるか存じませんけれども、古いマルキシズムの側におきますと、あれが絶対的に正しいものだという主張が出てきてしまう。そういうふうな形のものが今度はイデオロギーといったふうに考えられまして、それの特徴は無誤謬、間違いがないということ、それから絶対性、そしてそれがいろんな行動を導く原理になるといった意味のものをイデオロギーというふうに使うことができるような段階にいまはきているだろうと思います。そこを抜きにしてしまったものでございますから、イデオロギーにつきましての私の話は舌足らずであったと思います。ですから、そういうものとしてお考えいただきましたら大体いいのではないかと思います。
  55. 有島重武

    ○有島委員 私の問題提起いたしましたところは、本来的な理想と論理性ということに立ち戻って、あらゆるおとなたちの理想、おとなたちの論理、現在の若者たちの理想、論理、そこにいろんな段階があると思いますが、それを総点検してもう一ぺん調べ直すということが大切なんじゃないだろうか、その点はいかがでしょうか。
  56. 高坂正顕

    高坂参考人 それはおっしゃられるとおりだと思います。そして私どもが考えています大学の理念のようなものからいいますと、実際生活におきましてはどうしてもいろんなイデオロギーが、おれのほうが絶対に正しいんだということを言うのでありますけれども、大学という学問の場におきましては、学問するというのは、どこかに間違いがある、それをこわしてもっと正しいものに進んでいく、絶対の真理なんというものはないとともに、一歩一歩真理に進んでいくだろうという立場でありますから、大学が研究の場であるならば、そこではイデオロギーというものは研究はするけれども、イデオロギーの宣伝の場所ではないはずだ。そうしますと、いまお話しのあらゆるものの総点検をするということは、むしろ大学の本来の使命になるべきものだと思っております。それがはたしていまやられているかどうかというと、そこにいろんな問題があると思います。また、それを大学だけにまかしておいていいかどうか。大学自治というものがあるならば、学問の自由というものがあるならば、そここそイデオロギーの絶対性から自由な研究ができる場所だ。昔は右翼けしからぬ、そう言った。あるいは左翼がいけない、そういったようなことでもってそういう講義をする者を大学の中から追い出してしまうということはしないで、お互いに研究ができるようにする。そうしませんと、総点検ということが客観性をもってしてはなかなかむずかしくなってくる。大学がそういったような場合に一つのセンター的な役割りを演じたらけっこうじゃないかと思っております。
  57. 有島重武

    ○有島委員 結論的には賛成である、必要である、そのようなお考えでいらっしゃると考えてよろしいわけですか。大学側にしても、おとな側にしても、それぞれの持っている一つの理想体系あるいは論理体系というものについて総点検を行なうべき時期にきているのではないか、これはどこからか始めなければならない、そういうものの見方、認識のしかたですね。
  58. 高坂正顕

    高坂参考人 私はまさにそういうふうに思っております。特にいまは高度の工業化社会になっているということと——これは技術や何かの進歩に伴いますけれども、その問題と、すべてがマスソサエティーになっている、大衆社会になっているということのために、いろんな点で混乱が起こっている。というのは、われわれの考え方が整理されないままに工業化がどんどん進んでいく、そして考え方が整理されないままに大衆化されてきてしまっている。ですから、これはお話しのように総点検をすべきだと思います。私も賛成でございます。
  59. 有島重武

    ○有島委員 それでは柴田参考人から……。
  60. 柴田周吉

    柴田参考人 お答えします。  中途退学者の処遇の問題ですね。会社というところはあくまで適所適材、なるべく各人が効果的に働けるような組織に持っていこうというのが理想でございます。ところが、たとえば大学四年になんなんとして卒業証書がもらえないという人は、しからば大学卒業者の卒業証書がないということでどこにはめ込むかということの問題なんですが、ほんとうにそういう理想的なものにするには、もうスタートラインを全部一緒にしたらいいのです。もう全部マラソンならマラソンのようにスタートラインを一つにしたらいいと思いますけれども、しかし適所適材から考えますと、やはり少しずつ適所適材の意味からスタートラインを変えていかなければいけない、実際上からそういう要求がございまして、したがって、スタートラインは高等学校卒業生、中学卒業生、大学卒業生あるいは高等専門学校卒業生と四段階にラインを分けてやっております。したがって、卒業証書がない限りは最終の卒業証書をもらったところに一応スタートラインとしてはめ込んでいきます。それが適所適材という働き方に合致するからそうやります。しかし、一たんスタートしてしまえば、これはもう当人の努力においてどこにでも昇進できるようなシステムを大体どこの会社もとっておると私は確信いたしております。したがって、もう少し詳しく申し上げますと、最終学年の卒業証書によってスタートラインはそういうふうにきめておる。一様にそういうものを全部なくして無ルールで一応スタートラインに並べるということは、会社の適所適材という意味からちょっと困難だと思います。
  61. 有島重武

    ○有島委員 私の伺いましたのは、柴田さんが日経連の代表として来ていらっしゃると私は思っているのですけれども、卒業生と中退生と実力や能力の上で差別を立てる根拠というものは、今後はいままでよりもずっと薄くなる、そういう方向に進んでいる、そういうふうに私はいまのお話から受け取ってよろしいかどうか。したがって、これは卒業生であるから、それから中途退学生であるからというようなことを、今度社内に入ったときの実力、能力以外の判定基準にはしない、給料の問題が一番からまってくると思いますが、そういうことを念を押しておきたいわけなんです。
  62. 柴田周吉

    柴田参考人 最初は、先ほど申し上げましたように、無ルールで、ルールなしで並べるわけにはいきませんから、一応のランクはつけますけれども、一たんスタートすれば、それこそ何らの制限なしの競争に入っていく。これでよろしゅうございますか。
  63. 有島重武

    ○有島委員 それでけっこうでございます。したがいまして、さっき卒業生じゃない者は受け付けない方針であるとおっしゃったのは、まだいろいろ考慮の余地がある、まだまだ弾力的に考えることができる、実際これは会社の運営をしていく上に知力、実力のある人材を吸収していくということがたてまえだと思います。それで卒業生以外の者は何か非常にきつい制限だというような、一切採らないようなニュアンスの話を一番最初に伺ったように思いますけれども、そういったことは私の聞き違いであった、そう思ってよろしゅうございますね。
  64. 柴田周吉

    柴田参考人 それは一がいになかなか言えませんけれども、会社会社に多少の特色がありますから言えませんけれども、その人は卒業しないけれども、かくかくの理由で、こういう理由でここに採用しましょうということはあり得ます。卒業証書ということに基づかないで別の意味から、中途退学だけれども、ここで認めましょうということはあり得ると思います。それはあります。
  65. 有島重武

    ○有島委員 柴田さんは日経連の中においてもこういった問題については発言力のある方であると思いますので、各企業がそういった資格についてのあまりかたくなな考えではなくして、ほんとうの実力、能力のある若い人たちを見守っていってあげるという方向に指導していただきたい、そう要望いたしまして私の質問を終わります。
  66. 高見三郎

    高見委員長 それでは松前重義君。
  67. 松前重義

    松前委員 どうもおそくまで引っぱってまことに申しわけありません。私はどうも当事者なものですから、少し——そう詳しくは御説明は要りませんが、簡単に御答弁を賜われば幸いだと存じます。  一般論を申し上げればいろいろございますけれども、私はこういうふうに今日の学生運動を解釈しております。いままでの世界の歴史を見ると、二十年おきに戦争が起こっておる。そうすると、それに青年は、戦争を知らない二十歳くらいの連中が全部引っぱられて戦争に行った。それで青年のエネルギーのはけ口があった。はけ口というのは非常に悪いのですけれども、そういうこと。ところが、今度は原子力の時代でなかなか全面戦争はない。それで二十三年も平和が続いた。持って行き場所に困って自然にスチューデント・パワーというのが起こったという物理的な一つの見方であります。これは世界的な共通の要素ではないかと思うのです。  それからもう一つは、今後は大学内部の問題でありますが、教師と学生の間が非常に冷却しておるということ。これが何といってもこの現象の一つ原因ではないかと思うのです。  第二の問題は、私ども大学をやってみると、いつも大学設置審議会から文句を言われるのは、中堅教授がおらぬ。すなわち助教授の古いのから教授の若い人が少ない。すなわち、いまここに非常に指導力というものが欠如しているのです。これはしかし、いろいろ文部省では文句をお言いになるけれども、人間がおらぬのであります。大東亜戦争の生んだ一つの大きな歴史的な欠陥が今日の社会構造の中にあらわれておると私は思うのです。これが第二じゃないかと思います。したがって、学生は非常に何だかもの足りない。いわゆる最初の教師と学生間の冷却というのにも関連いたしますけれども、とにもかくにもこのような要素で学生に非常に不満が出てきたということだと思います。もちろんイデオロギーの問題は、私は高坂先生のおっしゃるとおりだと実は思っております。  それから行政の問題としましては、大学設置審議会というものがありまして、これがまた奇妙きてれつなものでありまして、ただ単に形式的に何か論文がまとまっておるとか博士とかいうことばかりおやりになる。ほんとうにこの人ならば学生の指導ができるという人をここに審査に出すと通らぬ。こういうところにも文部省の行政指導方針に対して問題があると実は私は思っております。これはいずれまた別の文教委員会でやります。  それからもう一つは、政治の問題ですけれども、民主主義の時代でありますが、民主主義時代と暴力関係についてどういうふうに政治は取り組むべきかという問題だと思うのです。暴力も民主主義だから自由であるかどうかというこの基本問題に私は解れなくちゃならぬと思うのであります。こういう点につきまして、御意見というより、大体これはあとで一緒にひとつ感想をお述べいただきたいと存じまするが、こういうのを基礎として御質問を申し上げてみたいと思っております。  まず第一は、先ほど御婦人の方、窪田光子さんからお話がございましたように、入学試験は取りやめても解決の見込みがあるかどうか、こういうお話がございましたが、これは解決の見込みがあるかどうか。この問題についてちょっと御意見を、大体の想定されたところをまずお伺いいたしたいと思います。簡単でけっこうでございます。
  68. 窪田光子

    窪田参考人 この問題は精神文明と物質文明とのアンバランスが非常に大きな原因になっておるのじゃないか、そのように常日ごろ思っております。せんだって、もう何カ月か前のことですけれども、卒業生が、大学四年生のとき、一年間に何回か、数えるほどしか出ていないというのです。そういう中で卒業ができる。そういうことをテープでとってあるものを、テレビでもってブラウン管を通して私たちに見せてくだすったわけなんです。そのときにスタジオにいらしたのが、ある六大学といわれる大学の部長といわれる教授ですね。その方がこういうことをおっしゃるわけなんです。いまテープを見たように学生は一年間に数えるほどしか授業参加していないけれども、それで卒業ができるということに対してどう思うか。その学生はアルバイトなんですね、アルバイトで出られないわけなんです。そういう中で、教授がおっしゃるのには、自分自身が教授として自分の研究とかあるいは書物を書かなければならないとか、そちらのほうに非常に忙しいので、むしろ出てこないということはありがたいという意味のことを言ったわけなんです。そういうことを、私たちもPTAの間でたいへんな大学だというようなことで話題として取り上げたことがあるわけなんです。いま、まじめに勉強していこう、真剣に学んでいこうという学生が、そういう先生方とやはり人間である限り、ある意味で心の触れ合いというものもあると思うのです。マンモス化されたとはいえ、やはり信頼し合いたいと思う……
  69. 松前重義

    松前委員 ちょっと質問の要旨が違うのですが、東大入学試験ですね。まず東大を例にとっておりますが、入学試験を取りやめて、そして学園紛争に取っ組まれて、今後解決するとお思いになりますか。
  70. 窪田光子

    窪田参考人 私は、そういうことはあり得ないと思うのです。
  71. 松前重義

    松前委員 あり得ないということは、どういうことですか。
  72. 窪田光子

    窪田参考人 解決はしないと思います。これはいま始まったことではございませんので……。
  73. 松前重義

    松前委員 それでけっこうです。  そこで、どうもお忙しいところ恐縮でありますが、解決の見込みが大体ないだろう、こういうことのようです。これは解決すればなおけっこうでありましょうけれども、しかし、解決の見込みがないならば、入学試験を一体やるべきか、やらないべきかという問題について、これは高坂先生ちょっと簡単に……。やり得ると思うのです、やろうと思えば。それをやるかやらぬか、政治問題にきておると思うのです。そのブランチにきている。
  74. 高坂正顕

    高坂参考人 いまのままで、混乱した大学でもって受け入れて、はたして教育ということができるのですか。それについて、ひとつ腹ぎめをしてからきめたいと思います。私は、いまのままじゃ入学試験も意味がないと思います。
  75. 松前重義

    松前委員 よくわかりました。
  76. 高坂正顕

    高坂参考人 要するに、授業さえもできないといったような場合が幾らでも出てくる。
  77. 松前重義

    松前委員 しかし、授業をさせるということは、いかなる手段によってやるかという問題に帰着すると私は思うのですが、これはまた政治問題ですから、これ以上あまり突っ込まないほうがいいかと思います。  この問題につきまして、柴田さんから、先ほど私はおりませんでしたけれども、だいぶ具体的な御意見が出たらしく聞いておりますが、現在の紛争に対して政治の当局は一体どういうような態度をもって臨むべきであるか。学園の中のことであるから大学に一応まかせるというようなかっこうをおとりになった。佐藤総理もそれをはっきり言われた。外のやつはうんと取り締まる、学内でやるのを除いて外のいわゆる学生のああいう破壊的動きに対しては徹底的な処置を講ずる、こうおっしゃった。学園を除いて、大学を除いてとおっしゃった。私は、それはいまの学園紛争に相当に影響して、学園内にああいう紛争が起こり得る要素をつくった政治的発言じゃないかとも思うのですが、しからば学園内にこの現象を呈しておるのに対して、どういうふうな政治的な措置を政府はとったほうがいいか、これについて簡単にお願いします。
  78. 柴田周吉

    柴田参考人 私は、佐藤総理はああいうふうに自治のたてまえで自治を通せ、こう言っておられますけれども、自治能力はすでに喪失しておると見たほうがいいと思います。だから、いわゆる政治的発言においてはああいう発言でいいと思いますけれども、実質はもう、ほんとうのところは、文部省も大学も一緒になってやっておられると思います。それは手を染めて直接どうということはないけれども、実質は一緒にやっておられると思います。おまえ、かってにやっておれよという態度ではない。したがって、これがおさまらぬということは、ほんとうに心底からおさまらないということだろうと思います。だから、政治的介入を云々されますけれども、非常に考慮をされた政治的介入、ある意味の介入はやっておられるように思います。  それで、問題の焦点、どこでしたか……。
  79. 松前重義

    松前委員 現実の問題はどういうふうにしたらいいか。佐藤総理がどう考えておるなんというのはどうでもいいのです、これは発表されたことだから。
  80. 柴田周吉

    柴田参考人 現実の問題は、私の見るところでは、なかなか困難、十中八、九困難じゃないかと思います。入学試験で、入れた後のことを考えれば、いまのままでは、先ほどの高坂先生のお話じゃないけれども、入学試験そのものに非常に障害が起こる。問題をつくるとか、募集要項——手続的なことになりますが、そういうこと、試験場、採点、なかなか私は簡単にいかないと思いますが、それをよしんばやっても、受け入れてどう持っていくか。またああいう学生の一種の勉強しない集団をつくるだけに終わるのではないか。それなら、そこまでトラブルを起こしてまで入学試験をやるということは私は非常に疑問に思っております。政治的にも、実際的にも、そう思います。
  81. 松前重義

    松前委員 ここはきわどいところですから、なかなか具体的な発言はむずかしいかもしれませんが、いずれにいたしましても、この学生の問題は非常に重要な問題であります。非常に重要どころでなく、私は日本の歴史の将来に非常な影響を及ぼす問題だと実は思うのです。これに対しての恒久的ないろいろの対策と当面の対策がありますが、当面の対策は、これ以上御意見は、大体想像させていただいて、申しません。  それから、恒久的な対策といたしまして、これは高坂先生にちょっと伺いたいのでありますが、教養課程というのは十八歳か十九歳か、せいぜい二十、これが動きの中心なんです。ところが、この課程は昔は旧制高等学校として一まとめにしてあった。それが大学に入ってきて専門課程の勉強をやるということになっていた。そこで一つのフィルターがあったんですね。フィルターをかけてから大学に入ってきたけれども、いまじゃ十八か十九の子供たちが経営参加とかなんとかいうてやっておる。これはまだ未成年ですよ。選挙権もない。それを経営参加なんというのは、どういう意味でおっしゃるのか知りませんけれども、とにもかくにも彼らの意見を聞くのはいいですけれども、参加ということは法律的な問題になる。そういうことで、とにかく教養課程というものを旧制高等学校式に別の組織としてしまう。これが騒ぐがゆえに専門課程も大学院も研究所も全部閉鎖しなくちゃならない。こういうような姿が全大学に広がってきたならば、日本の学術の研究はとまってしまいますよ。そこにやはり一つの問題があると私は思うのです。将来の歴史に影響すると同時に、日本の学問研究その他に対して大きなマイナスが出てきておるのが現状だと思います。ですから、教養課程というものを昔の旧制高等学校的なものに分離する。そうしてそのフィルターを置くという教育制度の改革についてどういうふうな御意見をお持ちでございますか。
  82. 高坂正顕

    高坂参考人 今日の大学紛争の模様を見ておりますと、入ってきて一、二年のもの、ちょうどいわゆる教養課程のものがその騒ぐ中心になります。私、前におりましたところでは、入ってきたときにまずいろいろと注意をいたしまして指導して、それでやっと事なきを得たような次第なんで、問題は確かにそこにある。私、この教養課程は一番大きい問題の一つだと思いますが、教養のコースなり教養を無視していいとは考えない。そのために別個なものを設けるのがいいかどうかという松前さんのいまの御主張は、私はいままで考えたことがございませんので、いま急に可否が申し上げられませんが、いま大学側でやっているような教養課程というようなものをやめてしまうなり、やり方をすっかり変える必要がある。  もう一つのガンはいわゆる単位制度というやつです。単位さえやれば適当に出てくる。先生との間の人的な交流が薄いなんというのも、あの単位さえ取ればいいというようなところに制度的に問題があろうと思います。
  83. 松前重義

    松前委員 この点はひとつ審議会のほうでも問題としてお考え願っておいて価値のある問題じゃないかと思うのです。  それから第二の問題は、よく今度の学術会議あたりでも学生参加ということを言っておられるのですけれども、私の大学では十年前から父兄会をつくっております。それで父兄会の皆さん方から子供さんの意見を聞いてもらって、そのフィルターを通して御意見を承っておるのです。私はこれを非常に重要視して実行に移しているのです。要するにまだ十八か十九くらいの、言いかえれば子供です。これを何とかまともにどうのこうのというようなことがまじめにああいうところでもって、日本の学術の府であるといわれるようなところで発言されるということは、これは私の考えておるような経営参加とは違うと思いますけれども、どうかと思うのですが、これに対してどういうふうな御意見でしょうか。
  84. 高坂正顕

    高坂参考人 学生参加というのは、いまのはやりことばみたいになっておるのですね。あれはドゴール大統領がフランスの事件を解決するために持ち出したものかもしれませんけれども、しかし、それも目新しいものではないのであります。ドイツあたりでは学生のタイルナーム、要するにパーティシペーションというものはいろいろなところでやっております。しかし、その場合にも、どういうようなたぐいのものについてそれを認めるか、つまり学生の生活に直接関係のあるもの及び学生独自の会については、学生自身のオルガニゼーションについてはそれを認める、それから教官と学生との共同のことについてはどうこうするというようなことですけれども、最高の意思決定のようなところには入れていない。そういうような評議員会にはあるところでは、これはミュンヘン大学及びベルリン大学がそれの傍聴は認めておりますけれども、意見の発表を許しているだけで、決定権は認めていない。それもかなり前からあるのです。何もそう珍しいことではありませんけれども、そのためにははっきりとそれの代表の出し方というようなものがどうこうというような規定もちゃんとみなできている。どういうことについてやるか、はっきり断っているのは、教官人事については発言権はない、それから大学財政について毛発言権はないというふうに、はっきりした規定を持っております。あるいは今度のフランスのほうでやっているのを見ますと、前の学年の授業をちゃんと受けて、それを通過している者でなければ学生自治会のようなものにおける投票権を認めないというふうにしているわけなんで、ある種のものにつきましては参加ということを言ってもいいと思いますけれども、多くの場合には意見を聞く程度のものですから、私はむしろあまり参加なんということばを使わないほうがいいのではないかと思っております。
  85. 松前重義

    松前委員 時間も長くなりますから簡単に申し上げますが、それはいまの御意見、まことにけっこうだと思います。私の大学では、自分のことを言ってはおかしいのですが、学生たちを入れたTAS協議会というのをつくりまして、そこで意見を聞いております。それから父兄の意見も聞いております。それをできるだけ実行に移すという方向に持っていっております。しかし、学園の経済問題とか基本的な問題はやはり理事会の責任においてやるべきものだ、また教授会においてその他のものはやるべきものだ、こういうふうに考えてやっておりますが、いまの御意見は最も常識的な線ではないか、こういうふうに思うのであります。  そこで、もう一つ問題になりますのは定員の問題であります。私は文部省にかつて定員とは何ぞやという質問をしたことがあります。ところが、文部省では結局これに御答弁がなかったのです。アメリカの州立大学あたりでは、入学試験を受けに来たのはみんな一ぺん入れるわけです。そうして卒業するのは三分の一ですね。どんどん退学させる。単位を取れなかった者はどんどん退学させる。こういうふうなことをどんどんやっている。それでその問題では問題は起こっておりませんね。日本では退学というとすぐ人権とかなんとかというような話で裁判ざたになる可能性がある。どうもその定員というものは、一ぺん入った者は全部卒業させなければならない義務があるかのごとき通念が支配しているような感じがするのです。もう少しこの点について明白な定義を審議会あたりでもおろしていただく必要があるんじゃないか。できるならば入学試験を受けた者は全部入れる。そのうち十分卒業できるという見込みの人間だけをずっと残していって、ふるいにかけて最後に卒業させる。こういうようなやり方もあり得ると思うのですが、これに対してはどうも社会通念が許さないような傾向にあるのです。それは定員の問題に対する一定の見識というか見解をお持ちにならない、そういうところにあるかと思うのですが、どういう御意見でしょうか。
  86. 高坂正顕

    高坂参考人 定員についての定義がどうなっているのか、いまのお話ですと、文部省側がそれについての答えを出しておらないそうですけれども、定員といえば、私たち常識的には飛行機の定員が何名、あるいはエレベーターの定員が何名といったようなたぐいのものをすぐ頭に浮かべます。つまりある一定の施設、その施設はもちろん教官も含めまして、それが教育なら教育、研究なら研究という目的を果たすために適当かどうかということで、そこに収容し得る人数をきめるというので定員というものはさめたらいいのではないかと私は思います。ですからある目的を実行するためにその施設が収容し得るところの適当な員数、その目的を阻害しないために定員というものをきめていくというふうに考えたらいいのじゃないか、こういうふうに私は思う次第でございます。  もう一つの点ございましたけれども、何でございましたか。
  87. 松前重義

    松前委員 だから定員ということで、入学をした者は全部卒業させなければならない義務がその学校にあるのかないのかということです。ここに問題がある。
  88. 高坂正顕

    高坂参考人 それは私はむしろアメリカのほうが賛成なんです。もっとも根本に定員をそうきめていないのは、ステーツのユニバシティーです。あれは、タックスペイヤーの子弟は、ある程度の力があれば、ハイスクールを卒業すれば大学に入れなければならないということになっております。もっともその場合にも、カリフォルニアなんかを見ましても、能力によってユニバシティーに入る者とほかのカレッジに入れる者と区別しておりますけれども、とにかく国は高等学校卒業生を受け入れなければならないというので、設備のいかんということとは別に、むしろそちらの側から全員入学という線を一応打ち出している。しかし、大学というものに入ってみますと、そこで適当な進路の指導をしなければならないものですから、それがアメリカの場合ですと、単に初めの教養過程の二年、その二年でもっておまえは工学部に行くのがいい、法学部に行くのがいいという振り分けをしますと、またそれができない、大学教育にふさわしくないと思った者はそれこそ進路指導でもってほかのところへやる。その仕事がアメリカの大学のディーンスチューデント、学生部長の、従来学生部の一番大事な仕事だったわけです。ところが、日本学生部といいますと、学生騒動対策で明け暮れているというのですから、ちょっといまの日本では、私はお考えには賛成ですけれども、大学が設置されている趣旨が多少違うということと、それから実行してはたしてうまくいくかどうかという点で、多少の疑問を持っております。
  89. 松前重義

    松前委員 お話よくわかります。大学そのものの設立の趣旨が違うというお話でしたけれども、その趣旨が、定員というようなささやかな問題のようですけれども、これは非常に大事な学園の平和にも関係する問題だと私は思うのです。要するに、たとえば日本法律というものが、いろいろ解釈のしかたはありましょうが、一ぺん入学したらその人はそこでもって学習する権利がある、こういうふうに権利の主張に非常に強いのであります。学校としてはそれはちょっと困るというようなことでも当然これには教えなければならないという、昔の子弟の関係なんということは全然ないし、同時に、本人の能力なんていうことは全然関係なくてすべてのことが行なわれるところに、一ぺん入学したら固定化するという方向に進む。いまでも、半年も一年もああしておってもいい。これがアメリカなら全部退学になってしまって、留年とかなんとかそんなことはしませんよ。大体退学になるのが多いと思うのです。しかし、それもしないというようなところに、私はやはり定員というものに対して、何人かを入学させたらそれだけは卒業させなければならない義務があるのかどうかという基本的な問題が、憲法の解釈その他を通じてもここで確立しておかなくちゃいかぬ、こう思うのです。先ほどのフィルターの問題、すなわち旧制高等学校的な教養課程、これは総合大学に付属しないで別なものにするというようなことも考えられますし、それからその問題も定員問題といいますか、これが考えられるし、いろいろな根本問題が今度のいろいろな紛争原因として考えられるし、またそれを処理する政治的な要素、これを教えられておるんじゃないだろうかという感じを持つのであります。これはどういうふうなお考えですか、簡単に……。
  90. 高坂正顕

    高坂参考人 ただいまのようなお話、かつて営んでいました旧制の高等学校に類するようなものを考えて、フィルターの役割りをそこにまかしたらどうだろうかというお考えで、それにつきましては、先ほど言いましたように私まだそれは考えていませんのでちょっとお答えできない。ただし、いまの御主張のあとの半分、卒業をさせなければならぬ義務があるかどうかという点になりますと、いまの松前さんのお話のようにあらかじめ大学の前の段階においてフィルターを置いておくよりは、大学の中でフィルターの役割りを演ずるようにしなければならないんじゃないだろうか。これは大学教授会なんかでよくやりますと、私はむしろできない者は落してしまうほうがいいと厳重に主張するのですけれども、中にはかえって昔の子弟の考えがあるのです。大学に入れた者なんだからして何とか卒業させてやらなくちゃならないという温情主義がかなりに出てくるのです。そうした一面もいまの大学にはある。ですから、何か非常に合理化されたよちでいながら封建的なといっていいのですか、自分の教え子なんだからして何とか卒業させなくちゃならないといったような気持ちも同時に手伝うようでございますね。ですから、これはもうちょっとフィルター的な意味のものを作用させる必要があるんじゃないのだろうか。それをどういう形でするかということは、もう少し検討を要するだろうと思います。
  91. 松前重義

    松前委員 これで終わりますが、私も多少責任を持っておりますので、いずれまた一議員以外にもっと私はお教えを願いたいと思います。ただ、温情主義が生まれてくるのは私は非常にいいと思いますが、ところが温情主義以外のものがまたあるので、その辺に将来の問題が残っておるんじゃないかと思うのです。どうもたいへん長時間ありがとうございました。委員長、ありがとうございました。
  92. 高見三郎

    高見委員長 これにて質疑は終わりました。  参考人の方々には、たいへんお忙しいところを長時間にわたりまして貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。  次回は明二十日金曜日、午前十時より理事会、午前十時三十分より委員会を開会することとし、本日はこれにて散会いたします。     午後一時五十分散会