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高坂参考人 ただいま御
紹介いただきました
高坂でございます。一応
中央教育審議会の
委員の一人として
出席ということでありますが、
大学問題については現在検討中でありますので、私の個人としての
意見を申し上げさしていただきたいと思います。
今日の
大学の問題の中心は、もう言うまでもなくいろいろな
学園における
紛争の問題であります。お
子らく五十数校をこえる
大学において非常に激しい
紛争状態が惹起されているわけでありますけれども、一体そういったような
紛争が起こってきている源はどこにあるのかということを申し上げたいと思います。次に、そうしたような
紛争がなぜ
解決を非常に困難な
状態にまで立ち至らしているかということについて述べたいと思います。第三に、このような
紛争の収拾といいますか、
解決につきまして私の個人的に思っている
事柄を申したいと思います。
まず、時間がございませんので要点だけ申したいと思います。
大学においてどんな
原因に基づいて
紛争が起こっているかということでありますけれども、従来の
考え方は、その
原因といいますものの
把握のしかたに間違いがあると思います。どこに
原因についての
把握に間違いがあるかと申しますと、一応現在の
大学の
紛争といいますものは、たとえば学寮の問題だとか、あるいは
学生会館の問題だとか、あるいは
授業料の問題、
校舎の
移転の問題、そういったようなところから端を発しているのでありますが、こういったようなものは
紛争を引き起こすための
発端になるわけでありまして、いわゆるそれを引き起こしてくるところの過去からしての
原因であります。多くの場合にそこだけに注意が向けられまして、そういったようなたぐいのことを
解決すればそれで今日の
紛争がおさまるかのような錯覚を持っております。しかしながら、そういったような過去からの
原因が
紛争を起こしているだけではありませんで、それはきっかけになるだけでありまして、むしろそれを引き起こしてきている大きな
原因は、未来に向かってのことであります。つまり、どういう
意図を持ち、どういう目的をもって
紛争が行なわれているかというその
意図の点が無視されているというところに一番大きな
誤りがあるだろうと思うのであります。ですから、過去からのいろいろな
原因を、たとえそれを除去していっても、それは問題を根本的には
解決することにならない。むしろ、将来に向かってのねらいというものがどうかということをつかまえた上で、それに対する
対策を立てる必要があるだろうと思います。
では、その将来に対する
学生運動のねらいはどこにあるかと申しますと、それはいわゆる
学生の
大学の
管理運営に対する
参加ということであります。
管理運営に対する
参加というのが、実をいいますとほんとうの
原因になっておるわけであります。このことをよく
考えておきませんと、
対策を誤ってしまうと思う。ところが、そういったような
管理運営といいますものがそこでおさまるのかといいますと、そうじゃない。むしろ
大学の
管理権というものを
学生の手におさめるということを通じまして、もっと大きく
社会、国家の
あり方というものについて一種の改革といいますか、場合によれば変革といいますか、そういうものをねらいとしている
大学への
管理参加、それに伴ういろいろな
運動といいますものは、究極的にはそれをねらいとしてやっているのだということを
考えておく必要があるだろうと思います。これをこまかく申し上げるいとまがありませんので、
原因の点について、後から押してくるところの過去からの
原因だけを見ないで、むしろ将来のねらいとされているものが何であるかということをつかまえておく必要があるだろうと思います。
では、この
紛争を非常に
解決困難にしているのはどういうところに根拠があるのかと申しますと、現在の
大学の
紛争の問題は、
教育の問題のワクの外にはみ出してしまっております。
教育問題以外にまではみ出してしまっています
事柄を、いわゆる
教育的なしかたでもって
解決しようというところに
一つの
誤りがあるだろうと私は思うのであります。
それからもう
一つの
誤りは、なぜそういうふうになっているのかといいますと、これは
大学自治というものについての誤った解釈というものが
一般に行なわれているということに由来するわけであります。そしてあたかも
大学というところを治外法権の場であるかのように
考え、普通の場所においては許すことができないような
暴力の行使をそこで認めている、あるいは極端な人権の無視が
大学であるという理由でもって行なわれている。そしてそれについては何らの手を打つことができないかのような
考え方がかなり
一般にしみ渡っているのではないかと思われる。つまり、そういったような
紛争を助長するような形のものが
大学自治ということばの中から引き出されてきているというところに、私は問題があるだろうと思うのであります。そういったような
事柄に対して一々こまかく申し上げなくちゃならないのでありますけれども、繰り返して言いますように省かしていただきますが、どういったような
対策がとれるかといえば、私は、さしあたって適当な
対策はないと申したい。
ただ、こういうことだけは避けるように努力してもらいたいと思う。というのは、現在、見ておりますと、いわゆる
団交という名のもとにある種の
要求を
大学側が受け入れてしまう。これは実際にやってごらんになると明瞭でありますけれども、あれはお互いの間の
話し合いなんというたぐいのものじゃ決してありません。一種の
脅迫であります。しかも、何十時間にわたってのつるし上げのようなことをやる。そうした
暴力のもとにおきまして、多数の威力というものをかりて、ある
結論を
大学側にのませようということをやっているわけであります。こういったような
状態のもとにおきまして
大学のいろいろな
あり方につきます重要な
決定をするということはしないようにする、こういったような心がまえだけ、また、その
態度はぜひ
大学側として持つべきだし、国のほうでもそういったような方策がとれるならばとる必要が私はあるんじゃないかと思う。それで、現在変な形でもって
解決をいたしますと、それが将来むしろ一種の習慣みたいなものとして根を引いてきまして、最初に言いましたように、ねらいがもっと広いところにありますから、それがだんだんと拡大していくというふうに思われますから、いま変なふうに
妥協をして、そうして変な
決定はしない。これが
一つであります。
そうして、いま問題になっているのは
学生の
大学の
管理への
参加ということでありますけれども、この問題はむしろ
大学に関するいろいろな法規、いろいろな
規定というものの全体とにらみ合わした上でもって検討すべきだ。それをやらないでおいて、
学生の
管理権だけを認めるというようなことは、私は
法律の
専門家じゃありませんから知りませんけれども、そういったようなことはきっと正しくないと思う。今度のフランスの
大学法案というものを見ましても、あの中でもって
大学の
経営への
参加というものを
学生にかなりの条件づきのもとにおいて認めているわけであります。何か
学生の
参加ということをそれだけで無条件的に認めるかのような行き方というものは、私は非常な間違いがあるだろうと思います。
大体時間が済んだようでございますから……。