○河田賢治君 沖繩
災害の問題で
発言したいと思います。
私自身も、実は九月の二十八日から一週間をもって沖繩への渡航申請を出したわけです。ところが沖繩の民政府では何の理由も示さずにこれを拒否してきました。
災害の
調査とかあるいはまあ見舞いをするとかいうことは人道問題としても、われわれ
国会議員としての
一つの義務だと思うのです。こういうことを民政府が何の理由も示さずに拒否する。しかしながらまた一方では御承知のとおり、わが党以外の党派の方々は、これまたいわゆる特に政府の諸君は、最近ではもうじゃんすか、じゃんすかと沖繩へ行かれて、相当いろいろな運動をやっておられる。これは新聞でもこの間報道されました大なんとかいう、大松ですか、こういう疑惑を受けられて、出航前に取り調べを受けたというような
事件が出ております。ところがわが党に対しては何ひとつそういう実際の
災害を
調査することにも許さない。こういうことは、つまり
国会の権威を傷つけることだし、また人道問題として私たちの
国会議員の任務を遂行する上においても障害があると思うのですが、この点について総理府あたりは、やはりこういう民政府の態度に対して相当な私は
処置をされたいということを、まず第一に要望しておきます。
第二は、御承知のとおり、長官はずいぶんと向こうへ行かれまして、忙しい日程の中を歩かれたらしいのですが、しかし地元の新聞を見ますと、これはまあ一部ですけれども、三日間全部そうされたのではありませんけれども、
災害地を全く素通りされて、そうして観光地の有名な無人灯台へそのまま行かれたということを言っております。これはここにある、向こうの現地の新聞そのものを私は言うわけです。ところがこれについて、やはり現地でもこのあなた方が行かれたことについて非常な皮肉を言っているのですね。
災害視察に来て、一体何のためにああいう無人灯台なんかへ行くのだろうというようなことが書かれてある。そこで、いろいろと先ほど
災害の
報告がありましたが、私自身が行かぬので、決定的なことは言えませんけれども、琉球政府が出しました
台風第十六号
災害対策の中のたとえばですけれども、たとえばこの中での
数字と、それから宮古地方庁の
災害対策本部調べで、九月の二十七日の現在で発表しておる
数字で、琉球政府の出しましたものは、いわば非常に過小評価になっておる。ところが、宮古島地方庁で出しましたものは相当大きな
数字です。これにはまた
警察の
数字が出ております。これは全体を言うわけにはいきませんけれども、一番主要な住宅問題をとりましても、たとえば宮古地方庁で全壊が千百四十七棟、半壊が三千九十一棟となっております。
警察では全壊が千四百五棟、半壊が千四百三十七棟、それから琉球政府のほうでは、全壊がわずかに五百九十六戸そして半壊が二千二百九十二、こういうふうに違っております。先ほど統計は相当日本内地と同じように進んでおると、いま長官もおっしゃいましたのですが、これが二十七日に発表しておりますから、おそらくあなた方が向こうへ行かれたならば、この琉球政府の
災害の
報告と宮古島あたりで直接出した発表と、
数字がこう大きく違っておるのはこれ以外にもだからずいぶんあると思うのですけれども、例として家の全壊、半壊を出したわけですが、こういうところの
調査は、一体どのようなものを信じるようにというのか、この点をはっきり御
説明願いたいと思うのです。
それから第三ですが、先ほど救援が非常にうまくいっておると言われておるらしいけれども、この問題は沖繩人民党の中央
委員会が琉球政府の松岡主席に出しました
報告によりますと、ちょうど二人の者が現地
調査をやっております。ところが二十九日現在でも家屋を全壊された被災者をはじめ、すべての被災者に対してはほとんど何らの救援もなされない。ろうそく一本、米一合、テント一枚配られていず、一銭の救援金も配分されていない。しかも亡くなられたところの二人の家庭に対しても、一かけらの救援物資も届いていないということが、この二十九日現在で
報告されております。だからこういう点でも向こうの
災害救助
対策は相当進んでおると言われましたけれども、私たちはその点で一応の疑問を持たざるを得ないのです。ですからこういう点で私たちは——全部話しますが、この前
昭和四十一年ですか、二年前の
災害のときに政府がお建てになった家、先ほど公明党の諸君からも話がありましたが、ほとんど全部三百戸だったか全壊した。しかも前の
台風は八十一メートル瞬間風速であったけれども、そのときには死人がなかった。今度は七十九メートルの瞬間風速で、あそこだけで二人の方が死んでおり、日本の政府が建てた住宅というものが
あとかたもなく消えておる。そこで向こうでは、こういうように町の人は非難しております。このようなありさまを見て、朝日新聞の特派員が九月二十五日に報じておりますが、日本政府援助が影も形もなくなったと島民は皮肉っておる。そうしますと沖繩は私たち日本の援助としても、そういう
台風銀座と言われるほど
台風の激しいところですから、やはりそれに見合った家も建てなければならぬし、設備もしなくちゃならぬ。そこらあたりにある無風地帯に建てるようなバラックのようなものでは、これは役に立たぬ。そうだとすると、こういうことは結局日本政府の住宅——日政住宅と言われておる、こういうものが影も形もなくなって、日本政府自身に対する大きな不信を買っているわけですね。これまた前の
災害対策のときにもこういうことがあります。現金で宮古島に送りますと、向こうの政府では品物をそこの在庫品をだっと宮古島の庁内から集めて、ほとんど要りもしない物を配ったということが言われておる。まるきり棚ざらえをやったと言われておる。ですからこういう点も決して、いま琉球政府の方々がやられておることが、かなり適切でない面もあります。したがって私たちは住宅を建てるにしましても、やはりああいう特別な地帯では強固な風にもめげないようなそうりっぱなものでなくても、やはりコンクリートやあるいはその他小さな鉄筋なんかも使って、そして家が破壊されない、そして死人が出ないような、そういうような私たちは
処置をとる必要があるんじゃないか。したがって一時のごく二、三年しかもたぬようなものをどんどんつくって、何べんもこれを繰り返すことは、国費の浪費でもあります。また、沖繩県民の日本政府への不信を買う以外の何ものでもない。こういう点については政府は長期の見通しと、やがて沖繩全体が日本へ返ってくるというような、先ほど武内
委員からもお話がありましたが、農業共済、特に農民は今日御承知のように米がだんだん少なくなりまして、最近では七、八年前の大体四分の一ぐらいしかつくっておりません。そうしてフランス米とかカリフォルニア米で、どんどん向こうの食糧がむしろ外へ出て、そして安い食糧が沖繩に渡されている。まさに植民地経済です。こういう状態で、したがって向こうの農民が立ち直るということはなかなか困難です。どうしても私たちは、日本のやはり民族の一員なんですから、沖繩を近くわれわれが全面返還をして、そうして沖繩県として日本の政府のもとにある地方自治体としてわれわれはつくり上げなければならない。そうだとすれば、やはりこういう農業共済の面とかあるいは漁業の共済の面とか、いろんなこの島民諸君の主要な産業についても日本と同じような水準に早く近づけるような、こういうやはり私たちは
制度をつくらせるような
指導なり
改善、もちろんアメリカの政府の
関係もありましょうけれども、そういうことにびくびくすることなく、われわれはやはり沖繩県がほんとうに日本の内地と水準を同じようにする、こういう施策をいまのうちから私たちはどんどん政府はとるべきではないか、こういうふうに
考えます。以上の点について、若干ごたごたいたしましたけれども、長官からお答えを願いたいと思います。