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増田国務大臣 吉田
先生のお説のとおりでございまして、国防並びに外交に関しては、その争いは水ぎわまで、国内では争いましても、国際
関係まで争うということは望ましくない姿でございます。政党政治でございますから、各般の主義主張を掲げ、また、主義主張が違いまするから、それぞれの政党に分かれておるわけでございますが、しかし、国防と外交に関してはその争いは水ぎわまでにいたしたい、こういう考えでございます。
そこで、安全保障
関係についてどういうふうに考えておるかということでございまするが、わが国の国防の基本体制は
日米安保体制とともに――のもとという字はあまり使いたくないのであります。
日米安保体制とともに
日本の自主
防衛の線を国力、国情に応じて漸増してまいる、これが
政府、与党の基本的考えでございます。いろいろな御意見はこれから承りますが、吉田さんも究極においてはこれに御同調くださるのではないかと考えておる次第でございます。
そこで、
防衛庁としても
防衛庁のあらざるべからざるゆえん、自衛隊の存在理由等につきましてはPRする責任があると思っております。また、
日米安保体制の必要性等もPRする責任があると思っております。私ども機会あるごとに一生懸命やっておりまするが、
政府は御
承知のとおり政党政治でございまして、この与党側におきまして
日米安保体制が絶対に必要である、それから、
日本の現在保有しておる自衛力くらいはみずからの国をみずからの手で守るために必要であるということのPRを一生懸命にやっておるつもりでございます。私は、何にも増して学生、生徒の諸君や青年の諸君等に話しかけておるのは、
日米安保体制だけが世界に存在するただ
一つの安保体制であると思っておる学生が相当多いのでございまして、青年も多いのでございます。
一つの国に他の国の軍隊が駐留しておるということがないと思っておるらしいのですが、これはたくさんございます。国連憲章五十二条に基づいて、多くの国に多くの他国の軍隊が駐留しておって、共同
防衛でその国の平和と安全を守っておるというのが第二次大戦後の姿でございまして、通例ある姿でございます。非同盟主義という、どことも共同安全保障の体制をとらないという国はきわめて少ないわけでございまして、それが
日本の学生、生徒、青年諸君にはとかく間違えられて伝えられておるのでございまして、
日米安保体制で
アメリカの軍隊が
日本におるというこの姿は、世界のユニークな姿であって、他の世界にはそういう姿はないのだというふうに誤解されておりますが、たいていの国は外国と安全保障条約を締結しております。そして、外国の軍隊が常時駐留しておる、それでその国の軍隊とともにその国を守っております。
日本は、
アメリカの軍隊と
日本の自衛隊とで
日本の平和と安全を守っておる、このことをぜひとも吉田
先生に対する回答を通じて
国民の皆さまにわかっていただきたい、こう思っておる次第でございます。
日米安保体制はあまたの安保体制ある中の、その
一つの安保体制である、このことの認識があれば
国民の皆さまが血相を変えて廃棄論あるいは中立論などと言うことはないと思います。
平和と安全のない
状態がどれくらい不幸な
状態であるかということはもうわれわれは身にしみてわかったわけでございまして、ああいうような無
政府的な
状態に再びなって、あすの命もわからないという
状態は困るということは
国民の共通の意識でございます。この意識は、あるいは潜在意識であるかもしれませんし、顕在意識であるかもしれませんけれども、たとえば
昭和二十年の八月九日から九月ごろまでに至る旧満州国の
日本の移民の村の置かれたる
状態というのが無
政府の
状態でございまして、それから最後にはどこかの国から来て全部殺されてしまった。不安な
状態がずっと続いた後に、とうとう不安な
状態の極限である生命も失ってしまった、こういう
状態が平和と安全のない
状態でございます。こういう
状態を歓迎するという人は
国民の皆さまだれ一人ないと私は思うのでございます。でございますから、このことをぜひとも全
国民に知らしてまいりたい。われわれの習った旧国家学の思想が古いのでございまして、主権というものは独立、唯一、絶対不可侵である。一兵といえども外国の軍隊がその領土におる間は、その国の主権は侵害されたものと見なければならないというのがわれわれの習った旧国家学でございます。ところが第二次大戦後においては、そういうことは言わないのでありまして、何ごとよりも平和と安全が最も大切である。
国家学やあるいは憲法論――これは比較憲法論でございますが、比較憲法論をいろいろ言っておるよりも、まず
日本の平和と安全が保たれなくてはいけない、こういうわけでございまして、憲法九条もそういう意味合いからほんとうは設けられておるのでございます。憲法九条によって、
日本はもう中立以外に手はないのである。非武装がいいのであるということを言う方もございますが、これは全然憲法を解せざるものでございます。ケロッグの不戦条約にはほとんど全部の国が加盟しておる。
日本の憲法九条第一項は、ケロッグの不戦条約と
内容は同じであります。しかるにもかかわらず、それぞれの国が相当の防備をしております。共同防備をしております。わが国の憲法九条から見ましても、共同防備は憲法の認めざるところであるということは間違いでございまして、憲法の認めるところである。そして中立論というのは名は美しくございますが、アフリカあるいは非同盟諸国等が多少ございますが、それぞれ国情によって非同盟をしているだけでございまして、
日本のアジアに置かれた地位等は、同盟主義によって平和を守ることが一番
国民のためである。あす死ぬかどうかわからぬというようなことでは、
政府も国会も
国民のしあわせを守る、しかしながら生命は守らないというようなことではとんでもないことでございまして、しあわせの根源は生命あるいは自由というものを守る。それから次には物質的の自由を守る。それから政治的な自由を守る、こういうようなことであると思っておりまするが、しあわせは守るけれども、生命は保障しないなどという国家にすることは絶対に無責任であって、相なってはならないという確信を、
総理大臣、
防衛庁長官の
増田甲子七、その他多くの指導者各位、国会の多くの指導者もそういう考えであると私は思っております。でございますから、安保廃棄とか中立論ということは、将来の見通しがないにもかかわらずそういうことを言われるのはどうかと思いまして、まず第一に考えるのは、
国民の平和と安全を守る、このことについて責任観念がなくてはいけない、こういうことにつきましては、
政府、与党はひとしく同じ考えを持っております。吉田さんの属する民社党も同じ考えであると思いますし、社会党も同じ考えであると思いまするし、公明党も共産党も同じ考えである、またありたい、こう願っておるものでございます。