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1968-05-11 第58回国会 参議院 法務委員会 第16号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十三年五月十一日(土曜日)    午前十時二十四分開会     —————————————    委員異動  五月十日     辞任         補欠選任      矢山 有作君     亀田 得治君      野々山一三君     大橋 和孝君      山田 徹一君     浅井  亨君      春日 正一君     野坂 参三君  五月十一日     辞任         補欠選任      鈴木 万平君     鹿島 俊雄君      後藤 義隆君     迫水 久常君      浅井  亨君     山田 徹一君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         北條 雋八君     理 事                 青田源太郎君                 梶原 茂嘉君                 秋山 長造君     委 員                 鹿島 俊雄君                 北畠 教真君                 紅露 みつ君                 迫水 久常君                 中山 福藏君                 山本茂一郎君                 大橋 和孝君                 山高しげり君    国務大臣        法 務 大 臣  赤間 文三君    政府委員        内閣総理大臣官        房陸上交通安全        調査室長     宮崎 清文君        警察庁刑事局長  内海  倫君        警察庁交通局長  鈴木 光一君        法務省刑事局長  川井 英良君        厚生省医務局長  若松 栄一君    事務局側        常任委員会専門        員        増本 甲吉君    説明員        法務省刑事局刑        事課長      石原 一彦君        厚生省医務局医        事課長      黒木  延君        通商産業省重工        業局次長     本田 早苗君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○理事補欠互選の件 ○刑事の一部を改正する法律案(第五十五回国会  内閣提出、第五十八回国会衆議院送付)     —————————————
  2. 北條雋八

    委員長北條雋八君) ただいまから法務委員会を開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  昨五月十日、春日正一君及び野々山一三君が委員辞任され、その補欠として野坂参三君及び大橋和孝君が委員に選任されました。     —————————————
  3. 北條雋八

    委員長北條雋八君) 理事補欠互選についておはかりいたします。  昨五月十日、山田理事が一たん委員辞任され、本日再び委員に選任されました。これに伴いまして理事が一名欠員となっておりますので、その補欠互選を行ないたいと存じます。  互選は、先例により委員長にその指名を御一任願いたいと存じます、が御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 北條雋八

    委員長北條雋八君) 御異議ないと認めます。それでは、理事山田徹一君を指名いたします。     —————————————
  5. 北條雋八

    委員長北條雋八君) 刑法の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を行ないます。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  6. 大橋和孝

    大橋和孝君 今回の改正は、罰金刑については従来のまま据え置いておられますし、また、そのために下限は引き上げない、上限だけを引き上げることによって刑の幅を広げておられるわけであります。このことは本来、軽かるべき事犯は軽く、悪質な事犯には重くという意図であることであろうと了解をいたしておるところであります。また、この改正を促した事犯が、無免許の運転だとか、めいてい運転だとか、非常な高速度運転のように、極端な人命を軽視するような態度が、運転によりまして人を死傷させるような悪質な事犯にあるということ、そのような悪質な事犯は、傷害罪あるいはまた傷害致死罪と紙一重でありまして、その社会的な非難の程度は、故意で行なわれるところの犯とほとんど変わりはないということに改正の基盤があることも了解できると思うわけでありますが、しかし、この刑法は広く国内に居住しておりますところの一切の人に適用があるものであると、こう考えられるものでありますし、その適用対象交通事故のみに限らない、このために、今回の改正を引き起こしたような悪質事犯が予想されない分野では、非常にショッキングな状態であろうと、こう思うわけであります。特にこの悪質事犯が予想されなければ、おのずからその適用も生じないと理論的にはいわれるかもしれませんけれども、すべての事犯について全般的にこの刑がつり上げられるのではないかという不安は隠せないものがあろうと思うのでございます。国会におきますところの論議の記録は、法律解釈及び運用上の重要な資料となるものでありますからして、このような一般の不安にこたえる意味で、私は医療分野についてひとつお尋ねをしてみたい、こういうふうに思うわけでございます。  で、医療過誤未必の故意に近いような事例が一体あるのであるかどうか。これは医務課のほうから、あるいは法務省のほうから刑事局のほうからもひとつ。いままでのところそういうものがあったかどうか。ひとつ聞かせていただきたい。
  7. 川井英良

    政府委員川井英良君) 交通事犯が圧倒的に多いことは、ただいま御指摘のとおりでございまして、医療過誤というふうなものにつきましても、もちろん事件は過去においてかなりございますけれども内容を質的に見ましてもまた量的に見ましても、交通事故に比べて、もう比較にならないほど非常に少ないということでございます。それから質的に見ましても、中にただいま仰せになりましたような未必の故意というふうに認定されたものはいままでなかったと思いまするけれども未必の故意に近いといわれておる認識ある過失という程度のものにつきましては、かなり裁判例があるわけでございます。     —————————————
  8. 北條雋八

    委員長北條雋八君) 質疑の途中でありますが、この際、委員異動について御報告いたします。  本日、後藤義隆君及び鈴木万平君が委員辞任され、その補欠として迫水久常君及び鹿島俊雄君が委員に選任されました。     —————————————
  9. 大橋和孝

    大橋和孝君 ちょっと厚生省のほうから答弁願う前に、五年に近いような例があるかどうか。今度、最高五年にされようとするわけでありますから、いままでは三年でありますから、そういうような近い例があるかどうかということと、それから、ことにいまお話では、軽微の犯が多いというお話でありますけれども、どの程度のものが一番重かったかということをちょっと知らしてください。
  10. 黒木延

    説明員黒木延君) ただいまの御質問の点でございますが、私どもが把握しております診療過誤は非常に件数が少のうございまして、一番重い例といたしましても最高三年の禁錮に科した者はございません。一番重い刑では、私ども承知しておりますところでは一年十カ月というのを一件承知しております。
  11. 大橋和孝

    大橋和孝君 ところが民事のほうを見てみますと、厚生省医事課長衆議院委員会において、民事の場合には医師注意義務の取り扱い方が非常に重過ぎるということを述べておるわけでありますが、この民事のほうは、いままでのようなその刑を受けた人よりは、民事的なもののほうが非常に重い、非常に大きな事犯——最近では権利義務主張も大きくなってきておりますので、非常にふえてきていると思うのでありますが、今回改正されることがより一そう、この間の御答弁では民事のほうに対しては非常に何と申しますか、重過ぎるような傾向があると厚生省が言っておるわけでありますが、今回の改正民事のほうにより一そう大きな影響を及ぼすことになるのではないかと思うんです。その影響に対してはどういうようなお考えですか。
  12. 黒木延

    説明員黒木延君) ただいまの点でございますが、この厚生省訴訟関係を担当しておりました者が発行したものの中に一応の見解として、この民事関係につきましては、医師のほうの責任が率直なところとしまして少し——医師のみならず、医療機関関係でございますが、この民事関係でございますので、そのほうが重過ぎるんじゃないかということも一応考えられるということを申し上げた、そういう記載をしておるということを申し上げたわけでございます。それにつきまして、やはり問題としましては民事の場合には、私の考えでございますけれども、やはり被害者加害者という関係と、その被害者の救済という点につきまして一つの大きな考慮が払われる場合がございまして、その場合に単に医師というところだけでなく、いわばその医療をサービスする医療機関側責任という場合の問題もございますので、その点につきまして、結果といたしまして、その中で直接担当いたしました医師責任という点がどうしても浮き彫りにされざるを得ないというような点からしまして、結局、医師自身行為及びその管理者、あるいは最終責任者としての医師立場という点がどうしてもその点に直接の評価、ものさしを当てられるというふうに見受けられる場合があるのでございます。しかしながら、刑事事件の場合につきましては、医師自身の問題と、それから医師自身行為の問題でございますので、民事の場合と現実にまた別個のものさしといいますか、その適用関係というのがあると考えておりますが、それは現実に、先ほど申し上げました事例の中に出ておるんではないかというぐあいに考えております。
  13. 大橋和孝

    大橋和孝君 私はまだ御答弁のところでどうもはっきりしないわけですけれども、まああとから刑事の面についてはもう少しいろいろとお話を承りたいと思いますが、特にそうしたことで、比較的現在はそういうことであるからして、この注意事項注意義務に対しての取り扱いを非常にきびしく迫られておるということであるわけでありますが、なお一そう、こういうような刑事の問題で三年を五年にするとかいうことになるのが、他のほうからそういうことになって、非常に義務がよりきびしく追及されるということになりますと、やはりこれは非常に今後医療を行なう、医療内容に対して非常に萎縮的といいますか、そういうことになるんではないかということを私は心配するわけですが、このことはちょっとあとからひとつ事例についていろいろとお尋ねしてみたいと思うんでありますけれども、そういう関係で、やはりこの民事的なものにまで刑法の今度の改正が大きく影響していって、医者態度を萎縮せしめるようになるんではなかろうか、こういう点を私は考えるんですが、厚生省側でも医務局あたり——私は大臣に来てもらって、こういうような意見もちょっと入れて考えてもらいたかったと思うんですが、そういう点で、やっぱり医療というものの注意義務を怠らしめるという観点から私は初め申し上げたわけではございません。しかし、それが必要以上に強調されていきますと、今度は医者の側では自分の身を守るという意味で、からにはまってしまって、より以上のことはしない。たとえて申しますならば、化膿に対してよくきくペニシリンというのがありました。ところがあのペニシリンというのは体質によってショックがくる。そうして場合によっては、ペニシリンショックでなくなる方が出てきた。だからして、いまこのペニシリンに対しては、そういうアレルギーの人であるかどうか先にテストをやるということになって、厚生省の示達によってやることになっていますが、最近ではテストしてするにしても、このテストによって症状を起こす人もあるという、非常に過敏な人もあって、最近の医者の中には、そういうあぶないものを使ってたいへんなことになって責任を追及されるならば使わないことにしておこうということで、われわれの耳にしているところだけでも、このペニシリンの注射をすれば非常によくきく場合でも、内服によってやる、ほかの抗生物質を転用しようということで効果が非常におくれる場合がないことはないという現状じゃないかと私は思うのであります。こういうようなことが、これは一つの例でありますけれども、こういうような責任民事訴訟で追及されて医師あたりは非常に戦々恐々とする場合もある。また医師会あたりでもそういうことに対する一つの組織をつくろうという——アメリカあたりでもそうでありますが、考えがあるというような形でありますから、これが民事訴訟のほうに波及いたしますと、なお一そうそういうことでもって一つからにはまって、非常にそれによって、命を助けられるような大きな事例があるにもかかわらず、民事的なそういう大きな波及があるという観点からそれで萎縮してしまって、ほんとうに直せる人にその薬を使わないということのほうが人命影響するという場合も考えられないことはないと、そう思うわけであります。そういう観点からいって、やっぱり影響なんかをどう見るかというようなことも一応検討してもらって、そうして、わりあい先ほどから聞いたようなことで悪質事犯がないとなれば、そういう悪質事犯がないにもかかわらず、そういう刑を科すことによってぐっと萎縮することによって、むしろそういう薬を使わないことによってかえって人命を落としていくという、死亡率を高めるというようなことがあったとすれば私は大問題ではないかと、こういうふうに思うのです。そういう観点から、やはり民事への影響というものについてひとつ相当考慮をしてもらわなければいかぬと思うのですが、そういう観点はひとついかがでございますか、お伺いいたします。
  14. 川井英良

    政府委員川井英良君) 御心配まことにごもっともだと思います。刑の引き上げをするということは、最初に御指摘のように、どなたがごらんになりましても悪質で、これをほうっておけないというふうなものだけを処理するために刑を上げるのだというのが終始一貫変わらざる私のほうの主張でございます。そこで、刑を上げることによって、いままで過失でなかったものが過失として認められることになるのではないかというふうな御不安もあろうかと思います。これは決してございません。いかなるものを過失と認めるか、いかなるものを過失でないと認めるかということは、刑の引き上げとは全然関係がございません。それからもう一点、御心配がございましたこの刑事における過失というのは、国家刑罰権の発動の前提としての事柄でございますので、民事の場合より過失認定が厳格で非常に高度であるわけでございます。ところが民事のほうは、被害者加害者との間の公平の考え方を実施していくというふうな観点から過失の有無を論じてまいりますので、刑事に比べまして民事の場合には過失の概念が非常にゆるやかでございます。そこで、いままで医療過誤を見ましても、刑事事件は非常に少のうございますけれども民事事件はかなり多いわけでございます。特に最近、国民一般権利義務の観念が発達してまいりましたので、医療過誤の場合におきましても民事事件は最近はかなりふえてまいりましたのは統計が示しているところでございます。しかしながら、刑事事件は決してふえておりません。これは昔と全然変わらない方針をとっておるからでございますので、刑事の刑が上がるからといって、民事のほうも過失認定のほうに影響を持ってくるというふうなことは、法理論としては全くないことでございますので、この点は御心配はございません。
  15. 大橋和孝

    大橋和孝君 全くそういうふうに明確に解釈はしていただきたい。特にそういう注意義務を怠れという意味ではありません。十分注意義務をやらなければなりませんけれども、しかし、その注意義務を非常に責めることによって、からを閉ざすということが一番私は悪影響を及ぼすと思います。そういう観点からも、私はいままでのいろいろお話を承り、あるいはまたこちらで調べさしていただいた範囲においても、いままで医療過誤というもの、いわゆる未必の故意というよりは、むしろ先ほどおっしゃったような過失のほうが、比重の重いほうが多いように思うわけであります。そういう観点からも、今度の法の改正のたてまえは、何とかそういうふうな数も少ないし、あるいはまたその目的がやはり病気をなおそうとか、そういうふうな目的であって、それがもう少し認識が足らなかったということでもって過失に近づいておるという認識はあろうとも、そういう発想のあるものに対しては、今度の法のたてまえで、いまお話を聞いておれば、目的ではないということではありますが、やっぱり先ほど私申し上げたように、これは国民全体にひとしくいく刑法であることからして、私どもはそういうことの受け取り方が、少し全般的にそういうものまで含めてしまうということに何か疑義を思うわけでありますけれども、それを、じゃあどういうふうな形で、そういうふうなものに対してはそう強くしようという意思ではないんだ、やっぱり悪質なものに対してそれを適用するんだということをどういうところで示していただくか。何かそういうことを示しておいていただかないと、先ほど私が心配いたしておりますように、今後は民事の問題にもそれが波及して、こういうふうなことが重く罰せられるようになったんだから過失に対しては重く罰せられるようになったんだからということで、そういうことがずっとふえますと、そういう方面にずっとそういうような悪影響を及ぼしていきますと、いまお考えになっているような精神とは違ったことに実際問題としてなってくるわけで、私がいま申している心配がよりあらわれてくることになってまいります。そうなれば、むしろ治療しないことによって人命を失うもののほうが多くなってくる。これはまたたいへんなことになるのじゃないかと思いますので、そういう点は一体どこでお示しになるのか。どこでそういうような悪質でないものは入れないのだ、含まないのだということを示していただけるか。そういうことをひとつ明確に国民の前にしておいていただきませんと、私がいま危惧するようなことが起こり得るのではないかと思いますので、ひとつそこのところを。
  16. 赤間文三

    国務大臣赤間文三君) 御質問の点につきましては、私も必要があると思うのでございます。御承知と思いますが、前の道交法改正をやりましたときには、あれは一般の刑を上げるために随所に刑を上げておる。これは大体全体としての刑を加重するという意思がうかがわれるのは、各所で刑の最低が上がる、今度のことは、御承知のように、下は一つも変わらないのでございます。下の刑を上げてない。途中においても刑罰を加重した点は一つもありません。ただ、最高が三年未満禁錮が今度五年未満禁錮または懲役ということになる。これがいわゆる未必の故意に属するような重大な悪質なものに限って刑を上げる、こういうことを明確に物語っておるのでございます。一般の刑を引き上げ意思がないということは、この法律全体から見て非常にはっきりしておると私は考えておる次第でございます。
  17. 大橋和孝

    大橋和孝君 私もそういうふうに受け取りまして、それの幅を広げてあるんだということを先ほど申したように了解をしておるのですが、国民全般にそういうことが周知徹底をするといいのでありますが、そうしたいま法務大臣のおっしゃったような、今度の法改正精神がそのまま受け取られないと非常に心配しますので、特に今度の考え方においてそういうものは引き上げてないからして、そういうことは別に重くしようということはないのだということをひとつ明確にしておいていただかないと私はいかぬと思います。その点について重ねてひとつ明確にそこのところをしておいてもらいたい。
  18. 川井英良

    政府委員川井英良君) 基本的な法務省考え方、決意は、大臣がお述べになったとおりでございます。技術的にどうするかという問題について少し御説明を申し上げたいと思います。  この、上を五年に上げましたけれども、下の罰金は千円のままに据え置いてございます。これは先般ここで参考人が来ました際に、参考人の方の一人が、これは千円を上げたいのだけれども、この千円を上げるというと、ほかとの関係でバランスがとれないので、法務省は上げたかったけれども上げられなかったのだというようなことを参考人意見として述べられました。私としましては非常に心外であったわけでございまして、私の考え方を申し上げますというと、刑法の百十七条ノ二というのがございまして、業務上の失火という規定がございます。これは禁錮三年以下罰金三千円という規定でございます。したがいまして、この二百十一条をもし法務省が全体を上げるのだという考え方ならば、三千円に上げても一向差しつかえないのでございます。現に法制審議会でもそういう意見が出まして、私どもはそれは困るということで、千円に据え置いていただいたわけでございます。五十倍になりますので、千円では五万円ですが、三千円に上げますと十五万円以下の罰金になるわけでございますが、これは十分効果があるわけでございますけれども、そうではなくて、これはあくまで悪質重大なものについての手当てなんだ。いままでのものについては、いままでどおりの刑罰で十分まかなえるのだということを明確にするために、客観的な一つのブレーキとして千円を千円として据え置いたわけでございますので、この辺のところは、私どもの真意をそのままおくみ取りいただきたいというのが私のお願いでございます。  それから、私どもが幾らそういうふうに申し上げましても、裁判を行なうのは裁判所であり裁判官でございますので、裁判官は自由な立場で刑を量刑されるわけでございます。ただ、刑事裁判でございますので、まず検察官求刑をいたすことになります。私ども求刑につきましては、検察官法務大臣指揮監督下にございますので、衆議院段階におきましてかたくお約束いたしましたように、悪質重大ならざるものについて五年に引き上げられたからといって、直ちに求刑の基準を上げていくというようなことは絶対にいたしませんということをかたくお約束いたしましたので、私、参議院の段階におきましても、その点はかたくお約束をしなければならないと思っております。三年でまかなえないようなきわめて悪質重大なものに限って四年、五年という刑が設けられておる。いままでどおりのものにつきましてはいままでどおりの量刑でやっていくんだということでございますので、裁判官が刑を量刑する場合には検察官求刑が何と申しましても目安になりますので、それが上がらないのに直ちに裁判官が重い刑を言い渡すということはあり得ないのでございますので、その点は御心配はない。こういうふうに申し上げてよかろうかと思います。
  19. 大橋和孝

    大橋和孝君 それでは続きまして、私少し医者過失の判定についてのいろいろなものをちょっと一、二についてお伺いしたいと思うわけでございますが、医者は、先ほど申したように、人命を尊重すべき使命を有することはむろんでありますが、この反面に、人命を救うために、あるいは治療のために、あるいはまたある程度危険をおかしても思い切った処置をしなければならぬような場合があることは御存じのとおりだろうと思うのです。たとえて申しますならば、ほっといたならば九〇%死んでしまう患者があるのです。この場合、外科手術をして九〇%助かるか、あるいは一〇%の死亡する危険がある。こういうことが予想されるような場合に直面して、もしこれが手術なり何なりをして、それが不幸にして死んでしまって、一〇%死亡の危険があって、それが現実化してしまったという場合は、医者に対しての過失として、それをやらなかったほうがと、いろいろそこのところにトラブルの原因がある例もあるわけでございます。こういうような場合を考えまして、一体、過失特異性と申しますか、やはり一〇%の危険性はあったけれども、これをやったということは、一つは、やらないほうがよかったか悪かったか、判定は非常にむずかしい場合があるわけでございますけれども、こういうようなものも私は一つの判定のいろいろトラブルのもとになる。がしかし、善意は善意であって、何とか少しでも、九〇%はいかないというような状態でも、ここのうちからいえば、これをやったほうが九〇%効果があると考えてやったような場合でありますから、私は善意に解釈して、過失としては非常に問題点がある。こういう例もたくさんあるわけであります。これが民事でありますと、必ず医師の注意を責められるというような場合も非常に多い例の一つだと思うのでありますが、こういう例もございます。また、それから裁量のしかたによって、たとえば、医師は治療を相当高度の専門的な技術のもとにやっておりますからして、医師が自由裁量でやった範囲につきましては、いろいろまかされているような形になっているわけでありますが、甲乙の二つの可能な治療法があったような場合に、甲の治療法をとった、そのためにうまくいかなかったというような場合は、その裁量のしかたがひとつ注意事項とか、あるいはまたいろいろな問題の範囲としていわゆる過失と、問題になるわけであります。こういうような問題も、こういう例を見てみますとやはり少しいままでのものとは違ってくる、一般過失とは目的からいってちょっと違うと思うのでありますが、こういう裁量のしかたの問題もあるわけでございます。それからまた判定についての問題、治療目的でありますが、たとえば医療という手段は、常に人の生命を救い、また人の健康を回復させるということがその目的に向けられているわけでありまして、その目的をはずれたときはもはやこれは医療ではなくて、むしろ医療過誤というものの範囲からはずれてしまうわけでありますからして、そういう意味から申しましても、たとえば自動車が走っているところの凶器だというふうなことでその責任が問われるわけでありますから、本質的にこの医療過誤というものは違うわけだと私は思うわけでありますが、こういう治療の目的一般的に医師の善意という表現であらわされておりますけれども、この本質的な違いが過失認定にあたっては考慮を払われなければいかぬと思うわけであります。それがつい、やはり民事的な問題になってまいりますと、なかなかそういう配慮がされておりません。だからして、やはりこういうところに、非常にきわどいところになりますと、私はまだこの判定のしかたに対していろいろ問題があると思うわけであります。  それからまたもう一つ申し上げますならば、まあ応招義務というのがあるわけでありますが、たとえば医療は、だんだんと医療が専門化されてまいりますので、医師注意義務もまただんだんと専門医として変わってくるわけでありますが、その注意義務の基準になっていくところの、したがって、また、内科のお医者さんは外科や精神科の患者に対しては必ずしも適切な診断と治療ができない、こういうふうになりつつあるわけであります、専門的になってまいりますから。このような場合に、適切な処置ができないことが予定されているにもかかわらず、がしかし、一方では往診を頼まれたら拒むことができないという、たとえば医師医師法の第十九条によりまして、正当な事由なくして診療の求めを拒んではならないという規則があるわけであります。実際はいまのように専門化されてまいりますと、ほかの科のことはあまり自分で自信がない。そうなってくれば、自分でそういうことがわかっている。ところが、それは未必どころではなくて、もう少し強いところの矛盾がここで起こっているということもあり得ると思うわけでありますが、医者に対してこういうようなことがちょいちょいできるとすれば、こういうものの判定についても普通の判定とはまたよほど考慮してもらわなければならぬ。こういうものもやはり何と申しますか、刑事的な問題とはまた別でございましょうが、民事的では相当大きくはね返ってきます。ときには私はまた、ほんとうに専門化されて、たとえばそのほかのほうのことはあまり関係はなく、専門的なことばかりやっておる人がそういうような求めによって行って適切な処置がとれないということは往々にして起こり得る、起こることは医者自身がもう承知しておって、それをやるとこういうような問題もあるわけでありますからして、こういうようなことが非常に今後こういう法解釈の上に出てくる問題だと思うのですが、そういう点について、先ほどのお考えでは、たぶん十分そういうことにはこの法の改正のときとは別問題だということに帰着すると思うのでありますけれども、そういう点についても少し伺っておきたいと思います。
  20. 川井英良

    政府委員川井英良君) この民事の場合の過失認定は非常にゆるやかであるということを申し上げましたが、私、民事裁判例を少し研究してみましたけれども、なるほどこの民事関係の場合におきましては、医療過誤の場合におきましても過失認定ということがかなり問題になっているようでございます。ただ刑事事件の場合におきましては、御存じのように、まだ医学界において十分その安全性と効果が確認されていないのに、一開業医が功をあせって、十分医学界で承認されていないような薬品をたまたまこの自分のところに来た患者に施用した、こういうふうなことのために数名の死亡と数名の重症者を出したというふうな例が過去にあったことを私承知いたしておりますけれども、これなどは鑑定の結果によりまして、医学界の重鎮に御意見を聞きますというと、まだ一般に使える薬品ではない、これを使うのは乱暴だというふうな結論が出ておりまして、そういうふうな場合に、民事はもちろんでございますが、刑事事件として考えてみた場合においても、これは刑事上の過失があるのじゃないかというふうな気がいたします。それから当直の医者が一ぱい飲んで休んでいるところへ急な患者が来たということで見たところ、これは盲腸炎ではないかということで、自分は専門の外科医ではありませんでしたけれども、執力して手術をしてみたけれどもなかなからちがあかないということで、専門の外科医を一時間半もたってから呼んできて、そしてやってみたけれども、とうとう出血多重でもって死の結果を不幸にももたらしたというふうな場合に、その最初のお医者さんのとった措置というものは、これは刑事的にも過失があるのじゃないかというようなことで、過去に問題になった事例があるのでございます。それから、くどいようでございますが、戦争が終わった直後に、アメリカのほうから梅毒の薬で非常に効果のあるものが一般の日本の開業医にも配られたことがございました。それは私自身取り扱ったケースでございまするけれども、大きなアンプルで、明確に赤い字でコーションと書いて、そして十という字も赤い字で書きまして、これは十回分だ、一回にやってはいけませんということをアンプルに書いてあるわけでございますけれども、一人の医者が、それは一回分だと中身を見ないでやったために、ほとんど即死のような状態でなくなった事例を、私みずから死体の検案、検視をして起訴した事例がございますけれども、これなんか考えてみましても、その前にアンプルを一回お読みくだされば十回分だということがわかりましたのに、そういう初めて使う薬について不用意にも一回分と間違えて十回分を注射してしまった。これなどはまことに気の毒な事例ではございますけれども、これは私やはり刑事的な過失責任があるのじゃないか。刑事過失が認められたという例はいま三例を申し上げましたけれども、どなたが考えましても非常にぐあいの悪い場合に限られているようでございます。ただ医療過誤の場合におきましては、特殊の医学的な知識と評価を必要とする、それからもう一つは、先ほど御指摘がございましたように日々進歩していく医学の進歩ということと、それから病気になっておる人命を救っていこうという、むろん人命尊重の立場からのお仕事でございますので、この点につきましては他の交通事故なんかとはおのずからまた過失認定の基本的立場が違ってくるわけでございます。それからもう一つは、初めから、先ほど九〇%、一〇%のお話がございましたけれども、これは何%かの危険を前提としての医療行為でございますので、初めから全然危険がないというわけではないわけでございますから、この危険というものは私ども信頼の原則とか、あるいは危険の分配の原則とかいうものは、業務上過失の点について法理論として昔から唱えられております。特にこれは医療過誤分野において発達した法理論でございます。初めから危険な業務なんだ、一〇%なり一五%、パーセンテージで明確に言うことはできませんけれども、何%かの危険を初めから持っておる仕事でございますので、その辺のところは、特に刑事上の過失認定につきましては、私どもは早くから十分これを認識いたしまして、そういう観点のもとに医療過誤についての刑事事件の処理を行なっておりますので、これは過去の事例をごらんくださいましても、刑事関係については決して御心配がないと思います。いわんや今度は刑を上げるということと、過失の範囲を広げるということは全く別問題でございますので、この点は御心配はない、こういうふうに申し上げておきたいと思います。
  21. 大橋和孝

    大橋和孝君 先ほど応診の義務のところでお話を申し上げたのでありますが、やはり、へんぴなところで適当な専門医がおらぬという場合に、何と申しましても、それだけの技量がない人でも、より重い病人にぶつかって、そして適切な治療ができない。それもあらかじめ自分の技量を知っておりまして、それはできないと思っても、それをあえてして、そして自分の前もって知っておった技量のつたなさをも顧みず行なったために、患者さんそのものを死なせてしまったというような場合が起こりますが、これらのことを考えてみますと、やはり私は注意義務というものが、非常に条件によっては、これはもう考えようによれば、当然こんなことは自分でわかっておる、事前にわかっておることじゃないかということが、この時間的な関係とか、環境というようなもので、つい、そのうしろには、そういう義務があるということでもって、それでその人が犯していくということがあり得るわけで、ただいまお話を承って、そういうことは十分配慮されているということで、私もそれでたいへんにけっこうだと思うわけでありますが、特にその点が配慮されておるのにかかわらず、受け取る側のほうは、やはり国民のほうは、患者さん側のほうからみますと、そうではなくて、刑を重くされているのだ、あるいはまたそういうことで過失についてはきびしくいま法を改正しているのだから、だからして、これに対しては当然悪かったのだということでもって、注意義務を怠ったということをきびしく民事的に追及されますと、やはり問題が起きてくると思います。そういう観点は、ひとつ国民全体の受け取り方が、そういうことではないということを、法の上で、改正の中で含まれていると言われれば、そのとおりであるかもしれませんが、私どももそういうことは了解しておるわけでありますけれども、受け取り方がそうでないという場合の波及が大きいと思います。そういう点から、そういう事柄に対して十分な配慮をしていただきたい、こういうふうに思います。  それから警察庁のほうからちょっとおいでになっておりますので、お忙しいところおいで願っておりますので、一つだけお伺いしておきたいと思います。おたくのほうからもちょっといろいろ過誤として、過失の致死事件として、いろいろ例を聞かしていただいたわけでありますが、こういうような問題は先ほどから討議の中にございましたように、その事犯そのものを見ますと、当然、やはり何と申しましても、未必の過誤とか、そういうふうな故意とかいうふうなものになると、それに近いようなものであっても、そういうようないろいろなからみ合わせでそういうものがあると思いますが、やはり警察庁に置かれましても、先ほど法務省でおっしゃっているような趣旨に沿って、そういうことに対する事件を、今度の法改正からみ合わせないというふうな観点は、やはり同じように解釈させてもらっていいものか、特に第一線で指導してもらっている場合、これは非常に大きな問題をかもすと思います。特にここでお伺いしておきたいのは、名古屋におきまして、いわゆる赤ちゃんの百日ぜきの予防注射、こういうようなときに、間違って腸チフス、パラチフスの混合注射を赤ちゃんに打った。これは非常に副作用が大きくて、この腸チフスの注射は一切廃止しようじゃないかというところに至っているわけでして、こういう注射を間違えたというのは、これは保健所のほうでそういうものが配置されておった。そこへ行って、医者はそこに準備がされておったわけですから、それをもって注射を打った。それをひょっと見てみたらおかしいというので、その間に何十人でしたか打ったあとで発見をして、一ぺんに取り返さした。これはやはり医者というものは予防注射行為に対して全体の責任を持つということが規定されておりますから、それを初めから確認してやらなければならぬ。こういうことになるわけでありますが、これが何か何万円か、五万円か何かの罰金に処せられたと思うのでありますが、こういう事例なんかを見ましても、私はやはり注意をしなければならぬということは事実でありますけれども、その注意の限界といいますか、そういう時間的な問題、あるいはまた忙しさ、あるいはまたそういうふうに環境の整備がされていないと、少なくともそうなれば、この間のある例では、たとえば十倍に薄めてやらなければならないというようなものは、だれだれがやったという証明書をつけてこなかったら医者はやらぬのだ、最近はそういうふうなことに医師会で話をしたという話も聞いているのでありますが、それはあたりまえだと思うのであります。やるのがあたりまえだと思うのでありますけれども、こういうような事例につきましても、やはり責任を追及する場合には当然責任を追及しなければならぬような状態になっているけれども、こういうようなことになることによって非常にあと影響することが大きいと思うのであります。そういうようなことで、法改正の中で実際第一線でやっていただく方々が、ある程度そういうものに対しての取り扱いということは、きびしいところはきびしくしていいと思いますけれども、何かその取り扱いに対して、やはり同じように法の精神を生かして、いまのような考え方がないと、やはり民事的なものに対してどうしてもそれがはね返ってくる。刑事的なものはいまおっしゃったように十分歯どめをしていただけるだろうと思うのでありますけれども、そういう観点から申しまして、やはりひとつ警察庁のほうにおきましても、この法改正と、こういうような医者の行なっているところの注意義務、あるいはまた未必過失とか、あるいはまた故意とか故意でないとか、過失だというような観点について、ひとつお考え方をお聞かせ願いたい、こういうふうに思って実はお伺いしたわけであります。
  22. 内海倫

    政府委員(内海倫君) 医療過誤につきましての刑事事件としてどう考えるかというふうな問題につきましては、先ほど法務省刑事局から詳細御答弁がございましたが、私どもも全くその点については同感でございまして、そういう考え方で在来もまいっておりますし、今後におきましてもそういう考え方については変わるところはございません。とりわけ今回提案されております業務上過失致死傷罪の罰則引き上げという問題につきまして、私どもはこれがあったから、あるいはこれが成立したから、今後そういうふうな医療過誤についての取り締まり、あるいは犯罪捜査というものを一そう強化していくというふうな考え方は全く持っておりません。在来と同じように、特に生命に関係のある大事な業務に従事されている方たちでありますから、そういう方についての事案というものはより一そう慎重でなければならないと思いますし、また、その措置にあやまちがある、あるいは行き過ぎがあるというふうなことは許されないところでありますから、在来と同じように、あるいはそれ以上に今後も慎重な態度で臨みたいと、こういうふうに考えます。ただ、十分御存じのように、警察の場合、常に一般社会の実態に接触しながら仕事を進めておるわけでありますから、たとえば、ここに事例のあげられましたような名古屋の事案、あるいはその他過失に基づくいろいろな問題が起きました場合、その被害者からいろいろ強く声が起きてまいりますので、やはりそういうものを全く警察が放置する、あるいは無視するということは許されないところでありますので、そういうものがありました場合には、私どもはその実態をよく調査し、あるいはまた捜査に入りました場合も、権威ある機関によって、あるいは鑑定を依頼し、あるいはその実態についての意見も徴するというふうなことで慎重な措置をとっておるところであります。いろいろ申し上げましたけれども考え方につきましては以上申し上げたようなことで、今後におきましても慎重な態度をもって臨みたいというふうに考えます。
  23. 大橋和孝

    大橋和孝君 どうもありがとうございました。特にそういうことでお話を承って非常に私もありがたく思いますが、まあ一言申し上げるならば、やはりこの医学というものはどんどんと進歩してまいりまして、一般的なこの水準がずんずんと上がってまいります。たとえば、現在の水準から考えますと過失でないものが、五年もたった時限では、それがもうそんなことをすれば大きな過失ということに医学の進歩している場合もあるわけでありまして、これは当然医者というものはその進歩に沿うところのあれをしていかなければならぬと思うのですが、これと同じことはやっぱり交通事故でも言えるように思うわけであります。たとえば交通事故でも、免許更新のたびごとにいろいろこういうことをやられているわけでありますが、それがしかしなかなか行なわれていない。実際にやらない人があるから、こういうことが起こるわけでありますけれども、そういうことから考えますと、やはりこの交通事故でもそういうことで注意をしておる、医者のほうでもそういうことをやっておるということになりますと、非常に解釈の上においていろいろ問題が起こってくるのではないかというようなことも私は想像しているわけでありますが、いずれにいたしましても、目的あるいはまたそういうところから、十分な、そのことそのものによって配慮していただかなければならぬと思っているわけでありますから、どうかひとつそういう点はお願いをしたいと、こういうふうに思います。  それから、この前、衆議院のほうでは、武見医師会長が出られましていろいろお話があったのを私見せてもらいまして、非常に私は同感な点も多いわけであります。特に先ほどから私が申し上げましたようないろいろな事例の中では、起こってみれば非常に気の毒な状態にはなるけれども、まあ非常なあれがあって問題だと思うわけでありますが、たとえて言うならば、武見さんが言ったように、盲腸の手術をしましても、何と申しますか、人間が対象であるために非常にいろいろな変化が起こってくる。こういうようなことで、たとえば盲腸を手術して、それが普通にいっておりましても、その人の体質が非常に癒着しやすい体質であると、こうなれば、癒着を起こして腸捻転で死んでしまう場合もある。そうすると、やっぱり前の手術をしてもらって、じきそれが起こったのだからあの手術が悪かったのではないか。これは患者の側からしてみればそういう疑いも起こる。これはいま警察庁のほうにも伺ったわけでありますが、だから、患者の訴えがあるからして、それはやっぱり適当にやらなければいけないということになってまいりますと、まあそれも考えてみれば、このごろでは水準が上がりまして、癒着を防止するところの薬があるわけであります。注射があるわけでありますから、もしそれを使っていないとすれば、本人のほうで癒着がくるほどの症状でなかったとするならば使わないわけでありますが、使わなかったらそれが起こるかもしれないということになれば、やっぱりこれは過誤の問題は十分に起こってくる。まあ調べてもらったら起こってきたということになるわけであります。こういうようなことが機微の問題になってまいりまして、こういうものがびしびしきまりますと、非常に、それは先ほどから申したような診療に影響してくる。最近非常に新しいものでは、武見さんも言っておりますが、ちょっと大きい設備のいい病院では、やはりまあ電子、あれを用いまして、自動的な監視装置というものができております。たとえば心電図、あるいはまた心音図、あるいはまた呼吸の数というものはみなコントロール・センターでもってあらわれておる。そこにおれば患者の状態は十分わかっておるわけでありますけれども、患者にしてみれば、医者が来ないということでもって、その結果が悪くなったらやっぱり注意義務が足らなかったのではないか、これなんかも非常に起こるわけであります。いろいろこの医学が進歩すると、逆にそういうふうな、患者さんにはいままでのような習慣があって、そばで手を握っておればそれで完全な注意が払われておったというふうに解釈され、一方は、機械によってそれがやられているため注意が足らなかったという訴えになる、こういうようなことが非常に起こり得るわけであります。また、最近何か非常に問題が出てくるのは、たとえば前日まで検査してもらってどうもなかったと言われておったが、わずか一週間か十日の間に死んでしまった。心筋梗塞が起こったのだったらわかるはずじゃないかということでもって、そのときにやったのはあまりにも注意が足らなかった、こういうようなことも非常に起こってまいります。先ほど来ちょっと例をいただきましたが、麻酔の問題というものに対しても非常にこれが行なわれておる。こういうようなことをずっと拾ってまいりますと、非常にいろいろなことが起こってまいります。で、私がいつも心を痛めるのは、それがそれだけならいいと思いますけれども、これは非常なところにはね返ってまいる問題である。また大きなところから申しますと、私はこれは問題に当然なってくるように思うのでありますが、たとえば、このごろ心臓の移植だとか、あるいはじん臓の移植というものを盛んにやられておる。これがやられる過程におきましては、おそらく外国でもそのようにやっておるわけでありますが、たくさんの人々がなくなっている。もっともそれは、ほっておけばその人もどうせなくなる運命にある人ではあるが、そうは思いますけれども、その手術をしたために、まだ二年ぐらいもった人がすぐ死んでしまったということにもなり得るわけであります。これは新しい技術を開拓するためには、心移植なり、じん移植なり、こういうようなものがやられる場合には、相当の大きな生命を奪うということになっているわけで、先ほどおっしゃいましたように、医療の中にはある程度のそういう危険率は見込まれておるということは、それはわかるわけでありますけれども、こういう問題が、刑の改正ということに対しますと、こういうことがおそらく私は非常な不安というものを国民に与えて、そうしていろいろなことがはね返ってくるのではないかというふうなことが、まあ先ほど申したように、それが民間の訴訟なんかにも影響するでありましょうし、あるいはまたいろいろなことになりますと、私は新しい医学の進歩というものを非常に妨げるという形になってくる、こういうふうに私は危惧するわけであります。で、当然、そういうふうなことで、もしそういうような、心移植して数十名の方の命を早めたとするならば、これはひとつやらないほうがよかったんじゃなかったか。その本人さんに対しては、当然そうなってくると思うのであります。もちろんその間には、やるまでには、家族の人との話し合いをして了解のもとにやっておりますからして、比較的それが起こらないとは思いますけれども、法のたてまえからいけば、そういうことになることがもうほぼ決定的になっている者に対して手術を加えるわけでありますからして、これは、命をそれだけ短くするということは当然だということを自覚してやっておる。これは非常な故意なことになるわけでありますけれども、そういう点を考えてみると、今度の法改正にも一つのつながりが出てまいりまして、そういう事柄を十分に把握をしていただかないと、私は非常に今後の医療行政の中では後退をするのじゃないか、また医学の進歩に対しても悪くなるのじゃないか、あるいはまた、診療内容に対しても、慎重さを増すために非常に後退をするのじゃないか、もっとそれを使えば多数の人たちの命にまた影響するのではないかというふうなことも考えられるわけであります。そういう点で、おそらく、心臓移植あたりでも一例が成功いたしておりますので、今後は、これが全部できることになればたくさんの命を助けることになると思いますが、そのために少しの命が早められる。これは非常に解釈問題になることが多いと、こういうふうに思います。そういう観点から、ひとつこの法改正が、まあ先ほど来御決意を承っておりますので、絶対そういうことには影響はさせないのだということは私はわかりましたけれども、それを国民がどういうふうに把握するかということが私は非常に問題だ。いま法務省のほうで、あるいはまた警察庁のほうで、そういうことを十分御承知の上で処理はしてもらっております。また、それがだんだん、そうだということで国民にもわかっていくとは思いますけれども法改正にあたっていろいろ議論されていると、何だ、反対するのがおかしいじゃないかというような形になって、そういうことはもっときびしくやるのがあたりまえじゃないか、注意をするのがあたりまえじゃないかというようなことでPRされてまいりますと、これは非常にそういう方面に影響してくるだろうということは確実なような感じがするわけです。そういう点につきまして特に配意をしていただくということをもう一つ申し上げてお願いをしておきたいと思います。  同時に、厚生省に対して、私は厚生大臣にもお話を聞いておきたいと思ったのですが、厚生省におきましても、そういうものであるということを国民に知らせるべき見解は明確にしておいていただきたい。それを明確にするために法を弱めるという意味じゃありません。決して。そういうことになって誤解されてはいけないと思いますけれども、今度の法改正によって、そういうことにまでいかないのだということは十分にPRできるような形を、厚生省自身の責任においてやっていただきたいし、法務省においてもそういうことを考えていただきたい、警察庁においても現場の指導としてやっていただきたい。この三者の方々からそういう意味を徹底していただかない限り、この法律は私は非常に悪いもんだと思います。  もう一つ、ここで、私ども法理論ということは全然しろうとでわかりませんけれども、この医者の側から、あるいはまた医療行政の立場から見て、今度の法改正を見るならば、私はこういうことで、たとえば運転のこと、いま考えておられるところの非常に悪質なものだけにやるならば、ごく悪質なものだけの法律で規制してもらえばいいんじゃないか。同時に、下のものをその中に便乗させるようなことは、いままでの法律はいままでの法律にしておいて、いまのお話では大体そういう線を出ないというお話でありますからして、そのままにしておいて、今度悪質犯のほうを取り締まろうとするならば、悪質犯のほうだけを別なものにして、もっときびしくやっていただくほうが筋が通るのではないか。そんなふうにすれば、こんなつまらぬ悪影響考える必要はないのではないか、こういうふうに思った次第でありますが、その見解についてもひとつ御見解を伺っておきたい、こういうふうに思います。
  24. 赤間文三

    国務大臣赤間文三君) いまお述べになりました点は、ひとつ十分、法務省はもちろんのこと、警察庁、厚生省にも趣旨が徹底するように、そういうところから国民のほうに趣旨が徹底するように取り計らいをしていきたいと思います。ただ、そのために医学の進歩をおくらかすとか、あるいは従来よりも罪が重くなるというようなことは、これは毛頭考えておりませんので、たびたび申し上げましたように、下の刑は一つもさわってないところが何よりのあれでございます。悪質な未必の故意に準ずるようなものをやるという趣旨にほかならぬのでございます。ただ、最後にお述べになりました、それでは重過失未必のところだけを何か法律できめたらということでございますが、これはなかなか技術の問題でございまして、法律の、刑法二百十一条からはずして、そこだけをきめるということは、刑法の技術、法律の技術の上からも困難なところがあると考えます。趣旨はもう十分御了解をいただいたことと思います。いまお述べになりましたことの周知徹底方についても、ひとつ十分な措置をとって、われわれが何も一般の刑を上げたわけではなく、特別な悪質重大なものに限ってやるんだということ、ついては、それがまたいろいろな点に誤解していかないように十分な注意をいたすことをお約束を申し上げます。
  25. 大橋和孝

    大橋和孝君 私ちょっと通産省のほうからもどなたか来てもらっているのでお伺いしたいと思うのですが、私はまだしろうとのほうですから、申し上げるのはちょっと失礼かと思いますが、医者なんかの技術の進歩の面から考えまして、私は何かしろうとの立場医者のような立場から考えていっておるのでありますが、先ほどちょっと触れましたように、自動車というのは殺人の凶器だといわれておるわけです。私はあの自動車を医者のほうの安全性から考えたら、あれをスイッチでもぱっと入れたら、ここは五十キロしか出ない、六十キロ、七十キロしか出ないと、私はスピードの出し過ぎということが非常に影響している。話を聞いてみますと、追い越したり、危険なときは早くのがれるためには、ぱっと百キロぐらいのスピードが出ないと、これは非常に悪いことがあるかもしれませんが、しかし、道交法できめられて、五十キロ以上出してはいけませんというところだったら、余裕を何ぼか見て、六十キロなら六十キロしか出ないというような装置にしておけば、そこらで少々頭の変なのがおりましても、私はそれが避けられるのではないか、もう少し根本的にそういうことの起こらない安全性というものを考えるべきではないかということを私は少し考えさせられておるわけですが、そういう素朴な考え方もひとつお話をしておきたい。それからまた、私は医者の側で、いままで医師が、免許証を与える場合に精神の異常がないかどうかという診断書を書く。私はあれはむずかしいことで、明確な診断をさすためには非常な検査が要ることで、たいへんなことだと思っておったのでありますが、そういうようなことに対しましても、ひとつ、きのうあたりの新聞なんか、あるいはニュースを聞いておりましても、ライトでちゃっと照らされた、何分間か見えなくなったというのが、もう統計上でちゃんと出ているんだ。それからして、この間、それでぶつかって四名か五名がなくなってしまったという事故、これなんかも、免許証を与えるときにはもう少し、航空乗務員に対する規定のようなぐあいで、もっとこういうことをやれば、それがもう少し防げるのじゃないかということを考えておるわけでありますが、その自動車の構造上の問題でどうするかということを、もう少し通産省のあたりでは考えてもらったらどうか。もちろんほかには道路の整備とか何か、いろんなことがあろうと思いますけれども、とにかく凶器でないことにできないものか、素朴でございますけれども、ちょっとお伺いしておきたい。
  26. 本田早苗

    説明員(本田早苗君) 最近、交通事故問題が重大な社会問題になっております際に、御指摘のような制限速度を越える無謀運転が事故原因として増加しているということは、まことに遺憾に思うわけであります。ただ、御指摘のような、自由に高速の限度を切りかえられるというような構造はちょっとむずかしいんじゃないかと思いますが、御承知のように、道路によりまして制限速度がいろいろございますんで、やはりかなりの高いところが走れるようなことが必要だろうと思います。御指摘にもありましたように、安全な走行という意味から申しますと、やはりある程度加速性が必要なんでございまして、ある程度の加速性を持たすということが高速性にもつながるという自動車の構造になっておりますので、自動車の性能、構造面から、御指摘のようなことをするのはなかなかむずかしいと思います。したがいまして、われわれといたしましては、やはり安全教育、安全運転の教育の徹底等につきましてやっていくことが非常に重要だろうと思います。ただ、車の構造として、なるべく安全な構造にすることにつきましてはいろいろ研究をいたしておりまして、機械試験所が中心になって、自動車安全公害研究センターというものを四十二年度から発足いたしまして、ここで構造面の安全性の確保につきましてはいろいろ検討いたしておる次第でございます。
  27. 中山福藏

    ○中山福藏君 それじゃ私、二、三分質疑をしたいと思いますが、三点に分けて、要点だけを申し述べまして御回答をわずらわしたいと思います。  第一点は、法務省刑事局長にひとつお尋ねするんですが、いま交通事故が非常にひんぱんに続出しておる関係上、刑事局においては、ガリ版あるいは印刷に刷った起訴状というものをちゃんとつくっておられるんです。ところが犯罪の実態というものは千態万様ですからね、多岐多端だ。そういうものをガリ版刷りあるいは印刷にしておいて、ただ簡単な一、二を挿入して書き込んで起訴しておられる。こういうことがはたして人権尊重の点からいっていいことか悪いことか、その点をまずお尋ねしておきたい。そういうことはいいんですか。
  28. 川井英良

    政府委員川井英良君) 事件一つ一つ個性と特徴を持っておりますので、実際多くの場合におきましては、定型化して不動文字で印刷しておくというような起訴状はあり得ないはずでございます。一々個性を持った事件にふさわしい起訴状を作成するということが好ましい姿だと思います。そこで一般論、基本論として、まさに御指摘のとおり同感でございます。ただ、道路交通法違反の事件であるとか、業務上過失事件の違反であるとかいうふうなものを見ますというと、年間約四十何万件の事件を、事故だけで処理し、道交法で約四百万の事件を処理いたしておりますが、その事件をいままで多年にわたって処理してきた実績からいきますというと、判決でも大体同じような定型化された、その日時とか場所とかいうふうな点だけが違うだけで、全く同じような定型化されたものがかなり出てきたわけでございます。そこでまあ事務処理の便宜のために、事件の個性を失なわない限度におきまして、支障のない限度でもってある程度の、いま御指摘のありましたような定型化された不動文字で印刷された起訴状を使うということも、事務処理の能率と、それから事件の生命を害しないという意味合い、その限度におきましては許されることではないかというふうに考えまして、昨今、実務の実際といたしましては御指摘のような方法をとっているわけでございますが、決してそのために事件の個性を失なうことのないようには十分配慮いたしておるつもりでございます。
  29. 中山福藏

    ○中山福藏君 これは指紋というのは世界三十億の人間に同じものはない。木の葉でも同じものはない。犯罪そのものがおのおの個性を持っている。それをガリ版刷りにして起訴されるのは、これはたいへんだと思うのですが、いわゆる事件、事故が多いからそういう簡単な方法をおとりになっているというふうに見られるのですよ。私はそれを実際家として、専門家として、それを始終驚くべきことだと思って痛感しておるわけです。これはよほど御注意なさらぬというと、簡単に事務が処理される、これは事件が多いからそういう簡単な方法をしてもいいというような安易な、安直な気持ちをもって事務を処理すると、たとえば二十キロのスピードを出した自動車は一秒間に五・五メートル走る。五十キロ上げると一秒間に十五メートル走るわけですね。そういう点もこちらから言うたら、それに合わせるようにまた起訴状を改めるようにしておる。私はそういう弊害というのは諸所に起こるのではないかということを考えまするがゆえに、これは簡単にお尋ねをして、これは私は大阪ですが、大阪でそれをやっておるのですから、ほかの場所でもこういうことが行なわれておるのではないかと思うのです。これは一応ひとつ十分御検討をたまわって善処していただきたいということをお願いしておきます。  それから第二番目に、総理府の室長はおいでになっておりますね。——この方にお尋ねしたいのです。この道路の広狭の関係と自動車の量の関係ですね。それから事故発生の実態というものの調査統計というものはできておりますかどうか、それをひとつお尋ねをしておきたい。
  30. 宮崎清文

    政府委員(宮崎清文君) ただいまの御指摘の点でございますが、道路の交通量とそれから道路の交通容量と自動車の台数の比較でございますが、これは非常に抽象的には出せると思いますが、具体的な数字といたしましては統計はとっておりません。現実に申しますと、先生御承知のように、道路のほうは道路整備五カ年計画というようなものをつくりまして、少なくとも五年先の交通量、自動車の保有台数の伸びを当然考えて道路整備計画を立てているわけでございますが、現実には率直に申しますと、その自動車の保有台数の伸びのほうが少なくとも過去の経験によりますと早うございますので、その点、今日一つの問題を惹起しているということはまあ御指摘のとおりだと思います。それから自動車の台数の伸びとそれから交通事故の発生件数、あるいは交通事故による負傷者の件数は、これは特にそれを両方まとめた統計はございませんが、それぞれの統計によりましてグラフをつくりますと大体同じように伸びております。ただ、交通事故のうちで、死者だけは自動車の保有台数の伸びに比べまして年々むしろ逆に低くなっております。これが現状でございます。
  31. 中山福藏

    ○中山福藏君 これは非常に重大な問題だと思うのですが、統計がないということは私はまことに遺憾だと思うのです。将来、たとえば建設省とか運輸省とかいうものの参考にはどうしてもこれが必要なのです。おまけに財政的に非常に困窮した事情にあるというようなことをくっつけられていろいろと説明をされておりますけれども、こういうふうな基礎的な御調査をなさらないと、ほんとうに道路の拡張とか、いろいろなことができないと思いますので、特にお願いしておきます。  第三点に、これは刑事局長にもう一回お尋ねしておきたい。それはいま大橋委員がお尋ねになった、医術の階段的な進歩に従って、過失であったものが過失でなくなる、あるいは無罪になったのがあと過失になる。そうして民事訴訟で、たとえば無罪の場合において損害賠償を請求しても、これは債務者としての支払いの義務がないということになって、そしてその間に時効期間というものが確定するわけですね。そしてあと過失でないものが過失であるという、医術の進歩によってそういう事態が惹起せられた場合は、これは、その場合においては損害賠償の対象になるけれども時効が完成しておる。こういうものについてはどういうふうな救済の道を講じられる予定ですか、お尋ねしておきたい。大体、損害賠償で三年でしょう。過失がないとして、賠償責任がないということで時効が完成しております。その後に、医術の進歩で、あれは無罪だったけれども過失だということになると損害賠償という事態が発生するのですね。そのとき救済する方法がありますか。ちょっと大橋委員の御質問に関連して私はお尋ねしておきます。
  32. 川井英良

    政府委員川井英良君) 申し上げるまでもなく、民事刑事通じまして時効制度は時効制度としてのまた法律上の特殊な意義を持っておりますので、ただいま御指摘のような場合におきましては、時効が完成した後におきましては特別これを救済する方法はないのではないかというふうに思っております。
  33. 中山福藏

    ○中山福藏君 これは私は専門家のお医者さんの話を聞いて、なるほどそうだということを痛感するのですが、これは何とかひとつお考えにならぬと、いまのような科学の進歩、物理的な発展が遂げられる時代においては、そういうことがあり得ると常識的に私も考えられるのです。そうすると、時効が完成してしまったら救済の方法がないということになると非常にかわいそうなことだと思うのです。これは一応お考えおき願いたいと思います。これだけ私は質問して終わります。
  34. 山高しげり

    ○山高しげり君 私は交通事故のいわゆる三悪といわれる無免許運転、スピード運転、飲酒運転、この三つについて、非常にこの委員会でも大ぜいの方から御発言がございましたけれども、そしてそれらはお互いに関係し合って、総合的な素因になっておることはわかりますけれども、その中で特に飲酒運転と申しますか、酒気帯び運転と申しますか、お酒に関係した事故について少しお尋ねしてみたいと思います。  しばしばこの飲酒運転の分析についてほかの質問からお話が出ましたのですけれども、四十二年度の第一審裁判の有罪判決の被告数が九千三百十七人でもって、そのうちの九千百五十二人が自動車事故である。その割り合いは九九・三%であると、当局からしばしば数字が出たわけでございますが、この中で飲酒運転の占めておりますパーセンテージというものがおわかりでございましょうか。
  35. 石原一彦

    説明員(石原一彦君) まことに申しわけございませんが、事故になりましたあとの原因そのものを判決結果につきまして検討して統計をつくるということはいたしておりませんので、ただいま御指摘の分のうちのどれがめいてい運転であるかということについては、つまびらかにしておりません。
  36. 山高しげり

    ○山高しげり君 その分析につきまして警察庁あるいは総理府の陸上交通安全調査室ですか、そちらの方面ではいかがでしょう。
  37. 宮崎清文

    政府委員(宮崎清文君) 現在のところ交通事故の直接的なデータ、統計につきましては警察庁でやっておりますので、警察庁のほうからお答え願ったほうがよろしいかと思います。
  38. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) 飲酒運転に基因する事故でございますが、こまかい数字はあとで出しますけれども、概括的に申し上げまして、死亡事故の大体一一%ないし、多いときで一二%ぐらいは飲酒運転に基因する事故である。それから傷害事故も含めますとだいぶ率が低くなりまして、五、六%ぐらいが飲酒運転に基因する事故というふうな統計が出ております。
  39. 山高しげり

    ○山高しげり君 その統計はまた資料をいただきたいと思いますけれども、必ずしも飲酒運転という単純な理由ばかりではない、いろいろかけ合わされているということはたびたび承っておるわけですけれども、しかし、きょうまでのこの委員会の経過におきましても、お酒の問題がたいへん強く浮かび上がっておったように思います。先日も出ましたが、三月二十八日に法制審議会刑法特別部会で、お酒の刑事責任は問うべきでないか、いままでのような心神耗弱と一緒に扱うことはどうであろうというお話も出たということを伺ったわけでございますし、道路交通法違反にはその刑罰もあるように伺っておりますけれども運転者にアルコールを提供した者は飲酒運転の共犯だというふうな意味の起訴例があるやに伺ったのでございますが、それを伺いたいと思います。
  40. 石原一彦

    説明員(石原一彦君) 酒気帯び運転をさせた者と事故を起こした者との関係でございますが、その事故を起こした場合にはいわゆる法律上共同正犯としたものはございませんが、その教唆犯、特に酒気帯び運転の教唆犯等に基づきまして起訴し、その旨の判決を得たものはございます。たとえば、これは昭和四十一年五月三十一日の大分地方裁判所の判決でございますが、ほかの事実もございますが、三つばかり事実がございまして、禁錮十月になっております。その内容は、自分自身が事故を起こしている案件もあるのでございますが、そのほかに自分の知っている者が酒を飲んで運転するであろうということを知りながら、その者に自動車を貸したということで、これは幇助犯でございますが、犯罪が成立いたしております。罪名といたしましては道路交通法違反に相なるわけでございます。もう一件は、やはり道路交通法違反の事件でございまして、昭和三十九年六月二十五日に名古屋の簡易裁判所で、この事件罰金になったのでございますが、有罪と認定されました。このケースは、引っ越しをいたしましたときに、引っ越し荷物を運んだ者に対しましてお酒を飲ましたというケースでございます。結局、自分の家に引っ越し荷物を運んだのでございますから、帰りも運転して帰るのでございますが、そのお礼の意味もあったかと存じますが、お酒を飲ました。これが道路交通法違反に問擬されまして有罪となったのでございます。私ども手元にございますのはこういうケースでございますが、ほかにも相当数の判決があると思っております。
  41. 山高しげり

    ○山高しげり君 いまのは刑事でございますが、民事でも、わりあいに最近この酔っぱらい事故者の賠償責任が酒を飲ました人にもあるというような判決が最高裁で出たようでございますが、その点いかがでございましょうか。
  42. 石原一彦

    説明員(石原一彦君) ただいま資料を持ち合わせておりませんので、つまびらかなことは承知いたしておりませんが、酒を飲ました場合に、共同不法行為という面で責任が問われた判決があるということは聞いております。
  43. 山高しげり

    ○山高しげり君 そのように飲酒運転につきましては、それぞれ検察当局でもいろいろな判例を出しておられるようでございますけれども、お酒そのものが、もう少し飲酒に対する規制というようなことが事前に行なわれるならば、飲酒による交通事故というものは、もう少し減らすことができるのではないか、これは非常に常識的な考えでございますが。そこでいわゆる酔っぱらい規制法と申しますか、酒に酔って公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律というのが昭和三十六年に制定になっております。いわゆるめいてい者規制法というふうに略称しておるようでございますが、これにつきまして、いわゆる目的は、「過度の飲酒が個人的及び社会的に及ぼす害悪を防止し、」云々というふうに、「過度の飲酒」とはいっておりますが、ともかく酒に酔っている者の行為を規制したという明文が存在をしておるのでございますが、こういう法律の存在につきまして、飲酒運転がこのようにひんぱんである現状とつなぎ合わせて、大臣はどんなふうにお考えでございましょうか。
  44. 赤間文三

    国務大臣赤間文三君) 飲酒運転がお述べになりましたように、非常にまあ死亡の一割二分も飲酒運転であったというような驚くべき結果が出ております。ぜひひとつ飲酒ということを、交通関係者が酒を飲まないような方法を、ひとつできるだけ考えなければならぬ。これが非常にお述べになりましたように大事なことだと思う。今後はひとつこれは行政の機関を通じまして、運転手には酒を飲ませない、飲むまい、また飲ませまいというふうな私はひとつの運動を起こしてやるだけの必要があると、かように考えております。
  45. 山高しげり

    ○山高しげり君 法務大臣、運動というおことばをお使いになりましたから、ここで多少運動に関係した点で伺ってみたいと思いますが、総理府は、交通安全国民会議を御所管でございますが、それらの会議におきまして、これらの問題はどんなふうに扱われておりましょうか。
  46. 宮崎清文

    政府委員(宮崎清文君) いわゆる酔っぱらい運転が非常に危険な重大事故をもたらすおそれのあることは御指摘のとおりでございまして、この点につきましては、従来からも政府といたしましても一般的な交通安全思想の普及、教育という面で取り上げておりますが、ただいま御指摘国民会議におきましては、民間側の御意見として、酔っぱらい運転というものを絶滅せよという御意見は非常に出ております。この点につきましては、もちろん道路交通法という法律におきまして、直接酔っぱらい運転を禁止いたしておるわけでございますが、わが国の何といいますか、風俗習慣等がございまして、まだそれがなかなか徹底されてないということも、私たちといたしましては非常に残念に思っております。今後も取り締まりの強化、それからさらに行政指導によりまして酔っぱらい運転というものをなくしてまいりたい、このように考えております。
  47. 山高しげり

    ○山高しげり君 厚生省にお伺いをしたいのですが、アルコール中毒患者を対象とした病院を御所管でございますが、そちらのほうから伺いたいように思います。
  48. 若松栄一

    政府委員(若松栄一君) 厚生省におきましては、先ほどお話の出ました昭和三十六年のめいてい者規制法の制定の際に、衆参両院の附帯決議によりまして、アルコール中毒者の医療機関を整備せよというお話がございまして、それに基づきまして、直ちに国立久里浜療養所にアルコール中毒者病棟を設置いたしまして、四十床をまず設置いたしまして三十八年からこれを運営いたしております。四十一年には年間を通じて三十四名、四十二年には年間を通じまして平均三十三名、このほかに、女性の中毒患者が若干一般病棟のほうに収容されておりますけれども、約四十名近い者がアルコール中毒者として治療を受け、相当の成績をおさめておるものと考えております。しかし、諸外国のアルコール中毒の治療機関から比べますと、まだまだわが国においてはこの治療機関が不足であります。しかし、遺憾ながら、国民性といいますか、あるいは慣習から、なかなかアルコール中毒者を治療で、あるいは病院に入れてなおそうという気風が、必ずしも外国ほどに高くないようでありまして、現在この四十床もフルにまあほぼ活用しておりますけれども、これで著しい不足が起こっているという状況でもございません。私どもといたしましては、決して施設そのものの整備のためのものだけではございませんで、国民の啓蒙教育等によりまして、もっと中毒者を積極的に治療するような気風が出てまいる、そうして私どももそこに協力していきたいというふうに考えております。
  49. 山高しげり

    ○山高しげり君 めいてい者規制法は、過度の飲酒から起こります深刻な家庭悲劇があの法律をつくらせた原因であったかと記憶しておりますけれども、今日の交通事故における飲酒運転の現状というものは、あの法律ができた当時とは違って、国民の間における飲酒の慣習というものに対して、個人の道徳的自覚とか、あるいはまた教育、啓蒙というような力ではとうてい激しい飲酒運転事故ということを阻止はできないのではないかと私には思われます。現在の段階では、どうしてもその個人の道徳というような限界にとどまらないで、社会的にこれを規制する、酒類の販売制限とでも申しましょうか、何らかの規制というものを政治的に考えなければならないのではないか。先ほどからお話を承っておりますと、法務大臣以下数人の方々の御発言の中にも、わが国の国民慣習とか、そういうようなおことばがわりあいに容易に口から出てまいっておるように思いますけれども、しかし、それらの皆さまがそのことばにお触れになるときは、それはそのことを容認をしておいでになるわけではなくして、残念ながらという意味で現状を述べられて、これを放置をしておいてよろしいと仰せられた方はお一人もなかったように思いますけれども、それがただ関係の各位において個人的な御意見にとどまっては何もならないように思います。  そこで、法務省に伺いますけれども、これまでの委員会の経過におきましても、法務省としてはこのお酒の問題について行政所管当局にそれぞれ要望をなさったことがある、しかし、相手方はそれは自粛という形でいつもこたえておって、進んで、ある場合にアルコール販売制限をするとか、不買とかいった方向へものが動いていくことは非常に困難である、あったといったような経過についてお述べになったくだりがあったように思いますけれども、もう一ぺんそのことを伺いたいと思います。
  50. 川井英良

    政府委員川井英良君) 飲酒運転に限って考えてみましても、何とかしてこれをなくしたい、これをなくすことによって、私どもが問題にいたしております悪質重大な事故というものはかなり減るのではないかということは、まさに御指摘のとおりでございます。私どもといたしましては、国民的な協力と申しましょうか、大きな国民運動として、およそ公衆の通る道路で酒を飲んで車に乗るというふうなことは、犯罪になる、ならないは別といたしまして、非常にいけないことなんだということで、みんなが注意をし合い、監視をし合って、そのこと自体がなくなってくるということが一番望ましいことであるし、またそれは大きな力になると思っております。刑罰法令をつくりましてそれを実施いたしましても、飲酒運転すべてを検挙いたしまして、そうしてそれをすべて重大な刑をもって規制をしていくというふうなことは、これはなかなかできないことでありまして、結局は一罰百戒的な効果をねらうということになろうかと思いますので、法律法律といたしまして、細心の注意をもって、そうして慎重な配慮のもとに、その効果をねらって運営していかなければなりませんけれども、それだけではやはり足りないのであって、どうしても大きな国民的な運動になることが望ましいと思います。私も交通安全対策の国民会議のメンバーになっておりまするけれども、各省庁あげまして、いろいろ知恵を出し合っておりますけれども、結局、目的においては、これを一つ国民運動として、そういう面から、ことばだけではなくて、ほんとうに実効のある自粛の態勢を持ってくるということに主眼が置かれて、そういう面からもいろいろと運動が今日推進されているところでございます。  それから、私ども大臣から、日ごろ、飲酒による犯罪の悪質重大化というようなことについて、もっと知恵を出し合って積極的に検討してみろという強い指示がございまして、私といたしましては、一応四点の法務省としてできることを考えまして推進をいたしております。立法の問題でございますが、私ども使っております「原因において自由な行為」の理論というふうなものを刑法の明文に持っていって、飲酒運転を何とか少なくするために努力しようというようなこと。それから、めいてい中の犯罪それ自体を処罰するような法律というものができないものかどうかというようなこと。それから公然とめいていして町を歩くとか、あるいは他人に迷惑を及ぼすとかというような法律がすでにございますけれども、その法律それ自体についてもう少し合理的な取り締まりができるような改正なり検討ということがどういうことになっているのかといったような問題。それから、先ほど厚生省からお話がございましたように、犯罪性のある常習めいてい者というふうなものは、何度刑務所に入れても結局はなおりませんので、これは保安処分の一種といたしまして、治療機関を設けて、そうしてこれを刑務所と病院と一緒のようなかっこうにおける一種の保安処分の制度を設けまして、そこでこれを治療していくというようなことが必要じゃないかというようなことで、四点に目的をしぼりまして、法務省観点からただいま鋭意検討を続けておるところでございます。
  51. 山高しげり

    ○山高しげり君 くろうとのお知恵というものはたいへん興味をもって伺いました。なおひとつ実を結びますように御勉強が願いたいわけでございます。  もう一回、総理府にお伺いいたしたいのは、国民的運動、交通安全国民会議などはその頂点のような位置を占めておられると思います。また、各都道府県にそれぞれの段階の県民会議もございますようですが、その辺でいわゆる国民運動のリーダーたちのお知恵はいかがでございますか。先ほどから声は出ているとおっしゃいましたけれども、何かそれは当局への要望といったような方向で声がおもに上がっているのではないか、国民としてわれわれはこういうことができる、やろう、やりたい、やっているといったような方面はいかがでございますか。
  52. 宮崎清文

    政府委員(宮崎清文君) 御指摘のように、国民会議で民間の代表の方から出されました御意見、特に飲酒運転の追放に関する御意見は、一つは取り締まり当局に取り締まりをもっと徹底してやってほしいという要望でございますが、それとあわせまして民間におきましても、何と申しますか、酒を飲んで車を運転しないような運動を起こすべきであるというような御意見もございます。御承知かどうかと存じますが、全日本交通安全協会という民間の団体がございまして、これが交通安全思想の普及徹底に一番尽力を、直接的に努力いたしております民間団体でございますが、たとえば、この全日本交通安全協会におきまして、毎年広く国民の間から交通安全に関するスローガンと申しますか、標語を募集いたしております。たしか一昨年の標語だったと思いますが、飲酒運転の追放ということを非常に重く取り上げまして、「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」という標語が当選いたしまして、これをポスターにいたしましてあちこちにまくとか、あるいは、あらゆる機会にこの標語の徹底をはかる、こういうふうなこともやっております。ただ、先ほどから申し上げておりますように、この飲酒運転の追放と申します問題は、非常によって来たる根が深いわけでございまして、いますぐに、たちどころにこれが全部なくなるというわけにはなかなかまいらないと思うのでございます。私たちもできるだけ努力をいたしまして、そういう民間の自主的な活動をもちろん御援助するとともに、先ほど来るる申し上げておりますように、政府といたしましても飲酒運転の絶滅に努力してまいりたいと思っております。
  53. 山高しげり

    ○山高しげり君 すぐにはなくならないことはよくわかっておりますけれども、何も交通安全会議のみにとどまりません。総理府はほかにもたくさん似たような形式の国民会議をお持ちでございますが、国民から率直に感じたところを申しますと、それらの会議に国民があまり期待をかけていないという実情だということを、遺憾ながら、この席で申し述べておきたいわけでございますが、まあ、スローガンができても、それがポスターではんらんをいたしましても、飲む者は飲む、飲ませる者は飲ませる、そしてそれは国民慣習であるというような、どこかで大きくこれを容認している非常に古い力というものとわれわれは四つに取り組んでいかなければならないので、御関係の皆さんもお骨が折れると思いますが、私もまあ国民の一人として関心を持っておりますことで、さらに積極的にお考えが願いたいわけでございますが、一体、長距離道路のドライブインというようなところ、あんなところで飲酒の販売に対する時間制限とか、あるいは運転手のような職業の方に対する何か販売の規制といったようなものができないものかどうか。外国などにはそういったような先例があるのではないか。それらにつきまして、どなたからでもけっこうでございますが、お答え願いたいと思います。
  54. 宮崎清文

    政府委員(宮崎清文君) いわゆる、ドライブインにおきます酒類の提供の問題につきましては、本国会におきましても、たとえば衆議院の交通対策特別委員会で問題をお取り上げになりまして、いろいろ御議論があったところでございます。結論的に申しますと、現在の法律のたてまえから申し上げますが、御承知のように、酒類を提供してそれで営業いたしておりますいろいろの形態といたしましては、原則的にはこれは厚生省の所管でございますが、食品衛生法に基づきます飲食店営業というものがございます。これと、それと同時に客に対してサービスを提供するということになりますと、これは警察庁の所管でございますが、つまり、風俗営業等取締法によります風俗営業ということに相なるわけでございます。この風俗営業につきましては、これは法の委任に基づきまして条例がございまして、時間の規制がございます。おおむね夜間は——夜間と申しますか、深夜はできないことになっております。しかしながら、食品衛生法に基づきます飲食店営業につきましては、特定の場合には風俗営業のほうの側である程度の規制ができることになっておりますが、一般的にはその点の規制が行なわれておりません。しかし、酒類の提供につきましても、現在の法律のたてまえでは、これを特に禁止するということは、実はこういう制度になっていないわけでございます。そこで、問題のドライブイン等でございますが、これは必ずしも的確なデータは持ち合わせておりませんが、あるいは後ほど補足説明があるかと思いますが、警察庁のほうで調査いたしましたデータによりますと、これはたとえば国道一号線で、東京から大阪までの間にドライブインが、私、ちょっと数は忘れましたが、何百軒もございますが、実態といたしましては、そのうちのほとんど大部分が酒類を提供しているというのが実情のようでございます。この点につきましては、将来の問題といたしまして、何かそれについて規制をする方法があるかどうか、こういうようなことは、先ほども申し上げましたように、すでに国会で御議論になっておりますので、これは今後私たちといたしましても再検討をいたしたいと思っております。現状では、そういうことで法的な規制に非常にむずかしい点もございますので、これは先ほどからるる申し上げておりますような行政指導をいたしまして、少なくともドライブイン等におきましては、運転者あるいは運転すると思われる人には酒をなるべく売らないようにしろ、提供しないようにしろということを非常に強くいま呼びかけてはおります。  以上が現在の実態でございます。
  55. 山高しげり

    ○山高しげり君 警察庁のほうからもお伺いできたらけっこうですが。
  56. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) ドライブインのお話が出ましたが、ドライブインの定義が非常にむずかしいわけでございます。われわれは常識的に考えまして、要するに道路の沿線で主として、ドライバーというよりも、車の乗客を相手に商売をしているということで調査したわけでございますが、最近の調査によりますと、全国で二千七百二十六軒、いわゆるドライブインと思われるものが二千七百二十六軒ございます。そのうち、自発的に酒類を提供しないものはわずかに二百五十二軒、大部分の店で酒類を売っておるということになっておりますが、御質問のように、要するに、運転者に酒を飲ましてもらいたくないわけですから、行政指導といたしまして、運転者には酒を飲まさないようにということを指導しておりますけれども、なかなかこれはむずかしい問題でございまして、運転者であるか、同乗者であるかということの区別がこの店の側においてなかなかつきにくいということでございます。しかしながら、たとえばドライブインの店が組合をつくりまして、飲酒運転防止協力会といったようなものを結成しているところがずいぶん出ております。そうして店内に安全協会からのポスター、あるいは警察庁の名前入りのポスター、酒は「飲むまい飲ませまい」というポスターを掲示して協力体制の確立につとめております。だんだんそういうことでございまして、ドライブインでも、このごろは酒をかりに提供いたしましても、酒は一本限り、ビールは一本限りということで、大体酒気帯びの基準量から割り出したそれ以下のところで押えていくということでやっておるようでございますが、中には酒の好きな者は、はしご酒をするというような事例が出ております。したがって、検挙する場合にも、非常に技術的にむずかしい問題があるというような問題が出ておりますが、とにかくドライブインで酒を運転者に提供することは好ましくないわけでございますけれども、そういう行政指導面で警察の立場からもしようということでございます。
  57. 山高しげり

    ○山高しげり君 お骨が折れることよくわかっておりますし、いろいろ御苦労も存じ上げておるつもりでございますが、先ほど私がお尋ねした中には、外国ではこれらの規制はあるのかないのか、その辺も伺いたいと申し上げましたが、お答えございませんでしょうか。
  58. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) 私どものほうも、その点につきまして外国でどうなっておるかということで調べさせたのですけれども、現在の段階では、ドライブインで法律的に酒を規制するという法律を持っておるところは見当っておりません。外国の場合は、実態を見ますると、ドライブインでは酒を売らないという業者側の自主的なあれでやっておる。法律的には規制がないのだというふうに、現在の段階で、まだ調査が不十分でございますけれども、そういうふうに承知しております。
  59. 山高しげり

    ○山高しげり君 ドライブインということばの意味もだいぶ日本の現状と違うのじゃないかと思いますけれども、先ほどおっしゃったように、二千七百二十六軒も、これは最近の数字とおっしゃいましたが、こうやっているうちにまた数軒はふえつつあるというような、通るたんびにふえておるような現状でございますが、その中で自発的に売らないのは一割にも満たないようでございますけれども、何か制限的に、時間で制限するとか、何かそういったような自粛の形というものは見られないものでございましょうか。全然売らないのじゃない。売ってはいるけれども、どういうときには売らない。先ほどの深夜に売らないのは、これは風俗営業でございますから、全然見地が違うように見えますけれども、飲食店として売れるけれども、協力をして夜は売らないとか、そういったような事例はないものでしょうか。
  60. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) 調査不十分でございますけれども、時間で売る、売らないという事例を実は聞いておりませんのですが、ただ、先ほどちょっと申し上げましたように、酒は一本しか売らないというようなところ、そういう方針でやっておるところが相当ございます。
  61. 秋山長造

    ○秋山長造君 関連。いまの外国の例ですが、私、去年だったか——ローマからナポリまで、いわゆる太陽道路といわれる、たんたんと走っておりますね。ごらんになったと思いますが、あの沿線にあちこち相当りっぱなドライブインがある。全然酒を売ってないようですね。ほかのものは売ってますけれども、酒は全然売ってない。いま局長のおっしゃるように、自発的に売らぬということなんでしょうけれども、それはなんですか、自発的に売らない。日本の場合には、自発的を待っておったら、われ先にと、われもわれもと、こうなるということでしょう。これは全然自発的ということなんですか。何か、形は自発的でも、相当強い行政指導か、何か、そういうある意味の規制というものがあるのですか、どうですか。日本の場合のようにわれ先にと酒を売るというような気風が強いところで、自発的を待っておったら、なかなかこの二百五十二軒にしても、今後これがふえるか減るかわからぬのじゃないかと思うのです。それから、売らぬなら売らぬで一斉に売らぬことにせぬと、売る家と売らぬ家とがあれば、売る家へお客が集まるので、そうすると、売らぬ家は商売がつぶれてしまうということになるから、どうもこれは何らかの形の指導か規制か何かすることを——外国の場合はどうでしょう、ただ公徳心があるのだろうとかなんとかいうことだけで片づく問題でしょうか。いかがですか。
  62. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) さらに調査を十分いたしたいと思いますけれども、現在の段階で私ども聞いておりますのは、法律的にはそういう規制がないというふうに聞いておるわけでございます。まあ、日本の場合は一割足らずでございますけれども、これがさらにふえていくということをわれわれは期待して行政指導でやっておるのでございますけれども、日本の場合には、主としてこれは観光ということからドライブインがだんだん出てまいりまして、バスで立ち寄っていろいろ買いものをする。バスの中で酒を飲んでいくというような旅行の慣習もございまして、そういう連中が店へ行って酒を要求して、また酒を飲むというようなことで、だんだん店で酒を売ったほうがもうかるというようなことでそんなことになっていると思います。外国の場合と、外国のドライブインというものと日本のドライブインというものは、だいぶ違っておるのじゃなかろうかという感じもするわけでございまして、やはり国民的な一つのこれは問題だと思いますが、私どものほうといたしましては、なるべく行政指導で酒を運転者には売るなという程度しか言えないわけでございますので、そういう観点での指導をさらに強化していくということでごかんべん願いたいと思います。
  63. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 関連。山高さんの初めの御質問に、道路交通法等の罰則の関係で、運転する者に酒を飲ました者は——売った者ですか、それは教唆犯になる、あるいは共犯になる、そういう判例があるという質疑応答があったわけですね。もちろん、その具体的のケースの内容によるのでしょうけれども現実運転する者が酒を飲めば、それだけで道路交通法では一年未満の懲役の体刑になるわけですね。ドライブインにおいて運転手に酒を売るということは、先ほどの話から言えば、それは当然法規に触れる性質のものじゃないでしょうか。したがって、その自主的とか指導とかいうことはもちろん大事ですけれども、警察の立場から言えば、それは断固取り締まるというふうなことがあってもいいのじゃないでしょうかね。一般の慣行であるとか、時間を制限してその間は売ってよろしいとか、それはもう運転する者に酒を飲むことを容認していることになるのであって、道路交通法のあの取り締まりの罰則の点から言えば、もう少し厳重な態勢、態度をとって警察の方面で臨まれて、それを受けてやはり自主的に酒の販売はドライブインにおいてはやめるとかいうことに持っていくことは可能じゃないでしょうか。一般的に営業の自由という点からいって、酒を売っちゃいかぬと言うことはこれはできないことは先ほど御説明にあったとおりで、私はそうだろうと思う。しかし、運転手諸君は酒を飲んで運転することはこれはできない立場に制度的になっている。それに今度は、売ることは、目の前に道路があって飲む者があってそこに車があって、それを運転する者に酒を売ることは、先ほどの質疑応答からいって、刑に触れる少なくとも性質のものじゃないか。少なくともその観点からひとつ取り締まりができないものであろうかという感じがありますけれどもね、どうでしょうか。
  64. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) 御承知かと思いますけれども、現在の道路交通法では、酒気帯び運転ということと、それから、俗に言いますと酒酔い運転という二つの概念がございまして、酒気を帯びて運転してはならないということで、その酒気帯びということは何だということで基準を設けたわけでありまして、血液の場合には一ミリリットルについて〇・五ミリグラムという基準、呼気の場合には一リットルについて〇・二五ミリグラムという基準を設けまして、その程度の、そういう規定に違反した場合には、酒気を帯びて運転した。この酒気を帯びて運転してはならないという規定がございますけれども、これには罰則はございません。ただ、この酒気を帯びてこの程度運転した場合に、ほかの違反をした——たとえばスピード違反をしたという場合には刑が加重されるということになっておるわけです。それで、さらに酒気を帯びておって正常な運転ができない状態、これを酒に酔った状態と、こう言っておるわけですが、それで車両を運転してはならないということで、運転した場合には罰則がかかる。したがって、これの共犯ということで教唆幇助ということになりますと、本犯のほうが成立してなければいかぬわけでございまして、本犯との関連において、要するに正常な運転ができない——アルコールの影響によって正常な運転ができないという状態を知っておって、かつ、その運転者が運転した。さらには、厳格に言いますと、さらに車を運転することを継続することを認識しておったといったような、技術的に非常に立証上の問題がございまして、私どもは、酒酔いの事故があったり、あるいは酒酔いの違反を取り締まったりした場合に、いつも、どこで飲んできたかということで、その教唆幇助という観点から捜査をするわけでございますけれども、いま申し上げましたように、非常に立証上の問題がございまして、なかなかうまくいかないというのが実情でございます。したがって、現在の法律のたてまえからいくと、そういう問題がありまして、仰せのように、ただ飲ましたからということで直ちに取り締まっていくということはできないわけでございますので、行政指導ということでやっておるわけでございます。
  65. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 酒気を帯びて運転をするのは禁止されておって、それに違反をして酒に酔って車両を運転した場合は、別なほかの問題がそれに関連していなくても、それ自体で罰則の対象になるんじゃないですか。そうじゃないんですか。何かほかの、ぶつけるとかなんとか起こってこなきゃだめなわけですか。
  66. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) 先ほど申し上げましたように、その運転者が罰則にかかるようなことでそれが成立していなければ、共犯は成り立たないということになるわけでございます。
  67. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 いや、酒を飲んで酔っぱらって運転すれば——運転手の問題ですよ——そのこと自体が罰則に反するわけでしょう。そうじゃないですか。
  68. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) そうでございます。
  69. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 そうすれば、それをわかっておって酒を提供する、あるいは飲ました場合は教唆なんですか、共犯というのですか、そういう判例があるという話だったからぼくはそれを言ったわけです。それは何かもう一つのケースが起こってこなければだめだ、こういうことですか。
  70. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) 教唆幇助でございますから、その教唆され、また幇助された者が犯罪を成立していなければいかぬわけでございまして、容認という概念を入れれば——道交法の中に「容認」という概念がございます。たとえば安全運転管理者なんかは、先般の国会で成立いたしましたが、積載制限の違反容認行為を禁止しておるわけでございますけれども、その容認という概念を入れれば、本犯が成立しなくても入る場合があるわけでございますけれども、教唆幇助の理論で共犯の理論を入れてまいりますと、本犯との関連においてやらなくちゃいかぬというようになるわけであります。
  71. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 あまり理解いたしませんけれども、関連ですから、この程度で。
  72. 山高しげり

    ○山高しげり君 いろいろ問題ございましたけれども、どうもやはり原因が根深いところにございますので、表にあらわれたことを一度に強い力で防止できないということはお互いにわかると同時に、やはり今後の皆さま方のお骨折りにまたなければならないと思いますけれども、どうぞひとつ、この刑法改正に伴いまして浮かび上がってまいりましたこの酒飲み運転の問題の原因になっております社会的な飲酒という慣行、日本人の一つの生活慣習だからというふうに軽く扱わないで、これが個人の嗜好の限度を越えて社会悪になっております現状につきましては、さらに幅広く総合的に適確な対策が生まれますように希望をいたしまして質問終わります。ありがとうございました。
  73. 北條雋八

    委員長北條雋八君) 本案に対する質疑は、本日はこの程度にいたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後零時二十八分散会      —————・—————