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参考人(
大島藤太郎君) およそ問題が起こるにつきましては原因があるわけでございまして、その原因を正確につかみませんと問題は解決することができないわけであります。
交通事故の問題につきましても当然そういうことでございますが、今回の
刑法の
改正が、
自動車の
事故の増加、悪質化と、この問題を解決するために二百十一条以下の
改正が
提案されているわけでありまして、その中身は、申すまでもなく、
禁錮三年を
懲役五年に
引き上げていくということが重要な重点になっております。これは要するに、
事故の原因というものが、結局
運転者の
注意力が不足しているのだ、緊張度がゆるんでいるんだということに現在の膨大な
交通事故の原因を認めている。したがって、
懲役を五年に
引き上げていく。率直に言うならば、威嚇していく、おどかすということによって
交通事故を減らしていこう、こういう政策であることは明らかであろうかと考えるわけであります。はたしてこういうような形でこの膨大な
交通事故が減少するものでしょうか。また、原因はそういうところにあるのでしょうかということをまず明確に最初に提起しておきたいと思う次第でございます。
実は、こういう政策は、すでに昭和三十五年
道路交通法を
改正いたしまして罰則を強化したのであります。しかし、その後、
事故は減らないどころか、逆にますます増加しているのが実情でございます。こういう政策によって
事故が減らないことは、過去の最近の実績でも証明されておるわけであります。あるいはまた、
交通事故の裁判をたくさん扱う現場の
裁判官の
判決の中にも、たとえば昭和三十年四月十八日の東京簡裁の
判決にはこういうことを言っておりますけれども、「
刑罰をもってする威嚇よりも、規律の周知徹底が先決問題で、これに努力しないで
処罰の徹底のみを期するのは本末転倒である。」、さすがに
交通事案をたくさん扱う
裁判官は事実教育せられまして、こういう
判決を下しておりまして、私たちは全くこのとおりではないかという実は
意見を持っておる次第であります。
しからば、
交通事故が起こる
交通の現場は一体どういうものでありましょうか、私の幾つかの経験を若干披露申し上げてみたいと思います。昨年私たち研究者は、十人近くの者が東京から夜行の路線便に乗りまして、国道四号線を夜仙台まで参りました。まず私は、会社をみんなおのおの変えまして便乗いたしたのでありますが、深川の私はある大きな一流の路線便の会社に参りましたところが、一生懸命いま二人の
交通労働者の諸君が荷物を積んでおりました。車は十何トン積めるのですから、タイヤも私の胸ぐらいある巨大な軍でありました。荷物をそれに満載するのでありまして、ちょうど入梅時期でありましたけれども、汗びっしょりになりまして二人の諸君が荷物を積んでおりました。よもやこの二人が
運転するのだと私は思っておりませんでしたところが、相当疲れられて汗びっしょりになっていなくなりました。ところが、ふろに入られまして、私が
運転台に乗っていたところが、この二人が見えたんでびっくりしたのでありますが、実はその二人の人が
運転を開始せられました時間はすでに九時をこえておられました、千住から先に参りますと、すでに仙台の到着の時間がきめられておりますから、スピードを落とすことはできません。対向車はものすごくふえてまいりまして、目を射るようなライトの光、だんだんある町になってまいりますと、非常に道が狭い、センターラインはもうほとんどあるかないか見えない。横断歩道もはっきりしてないというところが随所にあるわけであります、国道四号線でありますが。ですから、ピュンピュンという対向車の行き会うたんびに私はひやっとして、何回ひやっとしたかしれませんでした。途中一カ所、一人の方はうしろに横に寝ておりまして、きびしい震動でありますので、どれだけ寝れるのかわかりませんけれども、三十分ばかり休養いたしました。そこで交代して、また仙台までそういう状態で疾走して行きました。そうして夜が白んでまいりました。仙台へ、目的地に到着いたしますと、この二人の労働者の諸君が荷物をそこでおろすのであります。私は超人的なその労働ぶりに全く驚いてしまったのでありますが、宿へわれわれ一同が集まりまして話し合いましたところが、いずれの諸君もまずそういう経験と全く同じでございました。職業としておる
交通労働者の現場、特に非常にいま増加しております路線便の
運転者の諸君の状態は、大体そういうものでございます。
それから続いて、今度は東京都内のタクシーに私たちは大ぜいで便乗いたしました。大体四時ごろにすでに夕食を済ませまして、浅草方面で乗りますと、時間帯によりましてお客のある場所が違いますので、よくそういうことを心得ておりまして、もう走りどおしであります。夜中の一時ごろまで、小用のために二回おりたきりで、その
運転手は走りづめに走りでおりました。そういうようにして料金をかせぎませんと、生活できる賃金が実は得られないのであります。目をさらのようにして、おりたときにはほんとうにいかにもだれが見ても疲れたしょう然たる姿でありましたけれども、これまたみんなが集まって話し合ってみますと、全く同じ状態でございました。
私はまた、信州へ車で参りましたけれども、たとえば碓氷峠を通りますと、これは国道十八号線でありますけれども、あの碓氷峠の短い区間に百八十幾つカーブがございまして、だんだん車が大きくなってまいりましたから、カーブで大きい車が回るためには、反対側では車は通れないのであります。停止しておるのであります。そういうカーブの個所が幾つもございます。広くなったところもありますけれども、断崖絶壁と、一方では岩場になっておりまして、一台の車しか回れない。それが国道十八号線であります。
あるいは、卑近な例で、私は学生時代を神田で過ごしましたけれども、小川町、駿河台、神保町、この交差点は三十年前の私の学生時代から一尺もおそらく広がっておりません。ところが、
自動車の数はおそらく十倍、十五倍に増加をしているということは間違いないと思います。こういうことは経験的に皆さんも十分に御
承知だと思いますが、もうあらゆる小さな路地にまで
自動車が入ってまいります。ここに私は、労働条件と設備、車両の増加が全く無
関係であるという具体的な、しかも皆さんの御経験の姿が、なまなましくどこにもこれはあることではないかと思います。ここにこそ
事故の起こる根本的な問題点がありやしないか。たとえば、
自動車は激増してまいりましたけれども、最近の十年間、十五年間をとりましても、一台当たりの一年間の
交通事故というものはほとんどふえていないんであります。
事故そのものは激増しておりますけれども、車の一台当たりの
事故は六件とか九件。これを見ましても、条件が悪くなっても、非常に
注意力を高めることによって
——運転者は
一般的にまいりますと、
例外は別といたしまして、非常に緊張度が高まっている。
さらに私は、これは新聞に出ておりましたけれども、先年英国博覧会が来たときに、ロンドンから二階のバスがやってまいりました。ロンドンの
運転手がそのバスで東京都内を
運転したんでありますが、びっくりいたしまして、この車の洪水に驚き、毎日冷や汗をかき、へとへとになって宿屋に帰ったという経験をしておる。新聞話者に語っているところにかんがみますと、私は、日本の大都会の特に職業的な
交通労働者諸君の
運転は世界的である、非常に巧みであると言えるではありませんか、こう判断いたします。このことは、
自動車ばかりではなくて、鉄道におきましても、私などは知れば知るほど軽わざ
運転であるということばを使いたいケースが幾つも出てまいります。東京から
運転して、列車が小田原まで参りますと、まず踏切と信号の数の多いこと、十秒なり十五秒間隔に踏切と信号を見なければならぬのであります。おそらく電車の
運転士にいたしましても、中央線でお茶の水から出発いたしますと、信号が五つも見渡せるんであります。御経験だと思いますが、戦前にはなかったことでありますが、大きな駅のホームのまん中に信号があります。実に信号が増加してまいりました。こういうことでありますから、おそらく
運転士の諸君は、どなたも一カ月に数にして一万個も一万二千個も一万三千個も信号を見るんであります。万が一見そこなっても、これはたいへんなことになります。こういう状態であります。でありますから、こういう
交通労働者の諸君の家庭におきましても、奥さんをはじめとして、非常に心配しております。小さいアパートに生活しておる人たち、昼間寝なければならぬ。雨が降ると、奥さんは小さな子供をおんぶして、いやでも散歩して歩かなければならない。主人を寝かせ何とか
事故をしないように。昨年の秋も、西武鉄道が踏切の
事故が非常に多いので、私たちは視察に参りました。で、踏切の状態のひどいことももとより、一本のさおあるいは旗を立てて、まことに原始的きわまる状態でありますが、こういうふうに踏切の
事故が多いのに、
運転士諸君は一体どんな気持ちなんだろうということで、座談会を開きました。そうしたところが、
運転士の諸君は憤然といたしまして、私たちは毎朝うちを出るとき、きょうこそは
事故がないように神に祈りたいような気持ちで出てくるのだ、うちに帰って夕めしのときには、子供までもみんなが、ああおとうちゃんきょうは
事故がなくてよかった、そういう毎日の生活だ、こう言っております。それが実は圧倒的な多数の
交通労働者の生活の実態であるわけでございます。
一方では、この十年間にものすごく
自動車が激増いたしました。その背後には、
自動車産業というものがものすごく拡大されました。日産にいたしましても、トヨタにいたしましても、設備、オートメーション、世界の一流であります。ものすごく収益が増大いたしまして、資本が蓄積せられ、そして政府は戦略産業としてこういう産業の土地の確保なり資金の提供なりに援助してまいりました。その結果、
自動車が激増しておりますが、
自動車の増加は、他方ではものすごく石油の消費の増加でありまして、これは圧倒的にアメリカから原油を輸入しているのは御
承知のとおりであります。日本はいまではアジアにおける最大の石油の市場でございます。
事故が起こる。他方におきましては、こういうようにして
自動車の生産、原油の輸入、大企業はばく大な資本を蓄積し、収益をあげてまいりました。しかし、他方安全設備の現状は、すでにお話ししましたように、まことに貧弱きわまる状態なのが実情で、ここに大きな
交通問題、道路の問題が起こってまいります。実は、環状七号線が開通いたしまして、非常に広い道幅でございます。まだ歩道橋も横断歩道も非常に不備であった初期においては、ずいぶん
交通事故が起きました。しかし、最近目立って
交通事故が減少してまいりまして、たしか、本年に入りまして、三月ごろまで、ほとんど
事故がなかったのであります。その
理由は何だ。結局、ガードレールが完備してきた、歩道橋がふえたことでございます。これによって、こういう素朴な段階でも、相当まだ
事故を防ぐことは可能なのであります。美濃部都知事がこの点に力点を置いているのは、新聞でわれわれも
承知いたしましたけれども、手をつけることは幾つでも身近にございます。たとえば、中央線が高架になりましたけれども、高架になります前の時代、つまり踏切の平面交差の時代でございましたけれども、踏切に
自動車が来て危うく電車をとめるという
事故まで入れると、中野から立川あたりまでの間に毎月二百くらい軽微な
事故まで含めるとあったのであります。軽微な
事故がありますと、もうさっき
宮原先生がおっしゃったような、ハインリッヒの言っているとおりに、どうしても三百の小規模な
事故があれば必ず二十九の中規模な
事故が起こり、二十九の中規模の
事故が起これば大きな
事故が
一つ起こるのは、
学者の研究の事実のとおりであります。結局、小さな
事故をなくさない限り、大きな
事故はなくならないのであります。結局、中央線が高架になりまして、すべて立体交差になることによって、
事故は完全になくなって、大
事故はもうあの高架のところで起こらないのは申すまでもありません。ここにやはり
交通事故を解決するための基本的な道筋というものが、私は実績として明確に出ておるのではないかと思います。そういうような設備の問題と、労働条件
——ノルマ、賃金問題、これとは切り離せません。事実政府におきましても、労働省はこういう労働条件の劣悪なことが
交通事故の原因であるということを認めまして、本年の二月九日に、有名な、私たちは二九通達と申します通達を出しました。これは、長時間労働、劣悪な労働条件、賃金のきびしい歩合給について制限を加えているわけでありますが、なかなか事実現場におきましては、十分経営者はこれを守っておりません。先刻、東京高等裁判所の
判決の中に、
処罰の徹底を期するのは本末転倒で、むしろ規律の周知徹底が先決問題、まことに正しいことばでございまして、既存のそういう法規、設備を十分まだ守られてない。これを守ることが
事故をなくする上にとっては非常に重要なことであると私は思います。このようにして、一方では全く自由競争的な
交通政策
——いま飛行機が新しく、新幹線にお客を取られたということで、巻き返しでもって、いわゆるエアバスと言われる三百人乗り以上のを今度は東京—大阪間に入れまして、一時間以内で飛ばす、そうして運賃を二等へ近づけていく、そうして新幹線のお客を奪い返そうということが、具体的な日程になっております。こういうようにして、政府の政策自体が、競争を容認し、あるいはあおるような状態でございます。こういうことにのみ
交通経営者は重点を置きますから、全く安全の施設は、たとえば踏切にいたしましても、道路が広がっても踏切が狭いというところが随所に東京近くにはございます。道路が二車線、三車線になっても、踏切は
自動車一台しか通れない。まことにおかしな話でありますが、私鉄の経営者に言わせれば、道路を広げたんだから、道路のほうの費用で踏切は広げてくれ、こういうようなことを堂々と陳情団に言っている始末でございまして、全く運輸省の
交通政策は何をしているのかということをわれわれは嘆ぜざるを得ません。確かに一方では酒飲みや無免許、こういうような
事故があることは、私たちも認めるのにもちろんやぶさかではありません。いま近藤先生のお話を承っておりますと、一〇%くらいはこういうことがあるということをちょっと数字を言ったように拝聴いたしましたけれども、もしかりに一〇%のために九〇%の善良な、全く日夜苦しみながら
事故の絶滅を期しておる
交通労働者の場合に、
事故を起こせば自分自身が死んでしまう可能性があるのでありますから、好んでたるむわけがありません。そういう中で、
一般論として
業務上
過失の刑を過重するということは、むしろ問題点をぼかしてしまう、水増ししてしまう。明確に酒飲み、無免許、あるいはひき逃げ、こういう点だけを
処罰をきびしくしていくのは、私は非常にはっきり
注意力の喚起の点もある
程度の
効果をわれわれは否定するものではございませんけれども、これを水増しいたしまして、
一般的に九〇%のものにまでそういう形で
事故を解決しようとするのは、結局政府が、膨大なこういう
事故に対する解決策、本来の
交通政策なり、
自動車の生産なり、そういうようなものに対しまする安全設備の指揮なり
交通経営者の監督なりということを全く放任をして、ただこの
事故を労働者と利用者の責任に帰せしめるという政策に私はほかならないと思うのであります。
最近、小学校におきましても、非常に
交通道徳の教育がきびしくなってまいりまして、ある学校では、自転車に乗るには免許証を出す。きびしくなってくると、
歩行者手帳などといいまして、子供が道を歩くのに手帳を持って、違反したとかしないとか手帳に書き込ませるような教育をいたしているところが出てまいりました。こうなりますと、伸び伸びと飛んだりはねたり、けんかをして成長しなければならない子供が、道を歩くのにも違反するかしないかという
注意をしなければならない。いなかから転居してきた先生は、東京の子供はいじけておる、伸び伸びした子供らしさがたくなっておる。道へ出れば
事故がある、
自動車が裏通りまでやってくる、ですから道に出られたい、結局うちにいて、遊びたい、あばれたい、妹とけんかして
——けんかをするよりしようがないのだ、そういうことを、私は先般ラジオのコンクールに出まして、そういう放送がありましたけれども、まことに子供がかわいそうであります。遊び場がない、そうして道路には
自動車が入ってくる、都会の実情はこういうことでありまして、結局この点から見ましても、一貫した道徳、注音力の緊張という形で本来の
交通事故の原因がむしろ隠蔽せられているのではないか、そこに問題があるのであって、そういう
意味で私は
刑法二百十一条の
改正には反対でございます。
いまタクシーに乗って、タクシーの組合が車の裏側にどういう安全標語を出しておりますか。「
交通事故違反なしに生活できる賃金、安全輸送のできる賃金を」
——まことに私は労働者の気持ちを率直にあらわしていると思います。好んで
交通違反はしておりません。
交通労働者は、もし
事故を起こせば、二重、三重の罰則を受けるのであります。
刑法の罰則、社内の会社の罰則、あるいは民事行政罰、
一つの
事件につきまして三重の罰則を受けるのであります。何で罰則の強化によって
注意力が増加することがありましょう。こういう実情でございます。
ぜひ諸先生方は、こういう
交通の現場の実態、
交通政策のあり方というものを、この問題につきましてもお考え願って、ぜひひとつわれわれの
意見のような形でこの
刑法改正問題を処理していただきたいと思います。
以上であります。