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1968-04-23 第58回国会 参議院 法務委員会 第12号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十三年四月二十三日(火曜日)    午前十時二十五分開会     —————————————    委員異動  四月十九日     辞任         補欠選任      増原 恵吉君     谷村 貞治君  四月二十日   委員谷村貞治君は逝去された。  四月二十二日     辞任         補欠選任      佐田 一郎君     山下 春江君  四月二十三日     辞任         補欠選任      山下 春江君     山本茂一郎君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         北條 雋八君     理 事                 青田源太郎君                 梶原 茂嘉君                 秋山 長造君                 山田 徹一君     委 員                 紅露 みつ君                 山本茂一郎君                 亀田 得治君                 西村 関一君                 山高しげり君    国務大臣        法 務 大 臣  赤間 文三君    政府委員        内閣総理大臣官        房陸上交通安全        調査室長     宮崎 清文君        警察庁交通局長  鈴木 光一君        法務大臣官房司        法法制調査部長  川島 一郎君        法務省民事局長  新谷 正夫君        法務省刑事局長  川井 英良君    最高裁判所長官代理者        最高裁判所事務        総局民事局長   菅野 啓藏君        最高裁判所事務        総局刑事局長   佐藤 千速君    事務局側        常任委員会専門        員        増本 甲吉君    説明員        法務省刑事局刑        事課長      石原 一彦君        運輸省自動車局        保障課長     池辺仁太郎君        建設省道路局道        路総務課長    川田 陽吉君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○旧執達吏規則に基づく恩給年額改定に関す  る法律の一部を改正する法律案内閣提出、衆  議院送付) ○訴訟費用臨時措置法の一部を改正する法律案  (内閣提出衆議院送付) ○刑法の一部を改正する法律案(第五十五回国会  内閣提出、第五十八回国会衆議院送付)     —————————————
  2. 北條雋八

    委員長北條雋八君) ただいまから法務委員会を開会いたします。  議事に先立ち一言申し上げます。  本委員会委員谷村貞治君が去る四月二十日急性肺炎のため逝去せられました。まことに哀悼痛惜にたえません。ここにつつしんで御冥福をお祈り申し上げます。     —————————————
  3. 北條雋八

    委員長北條雋八君) 委員異動について御報告いたします。  昨二十二日、佐田一郎君が委員辞任され、その補欠として山下春江君が委員に選任されました。     —————————————
  4. 北條雋八

    委員長北條雋八君) 旧執達吏規則に基づく恩給年額改定に関する法律の一部を改正する法律案議題とし、政府から提案理由説明を聴取いたします。赤間法務大臣
  5. 赤間文三

    国務大臣赤間文三君) 旧執達吏規則に基づく恩給年額改定に関する法律の一部を改正する法律案について、その趣旨を御説明いたします。  この法律案は、一般公務員恩給増額が行なわれた場合には、これに伴って旧執達吏規則に基づく執行吏恩給増額することにしようとするものであります。  御承知のとおり、執行吏を退職した者には、旧執達吏規則に基づく恩給が支給されることになっております。この恩給につきましては、従来、一般公務員恩給増額が行なわれるたびに、これに準じて増額措置を講じてまいりましたが、政府におきましては、今回さらに、本年十月から一般公務員恩給増額することを内容とする恩給法等の一部を改正する法律案を今国会に提出いたしました。そこで、執行吏恩給についても、これに準じて増額措置を講ずると同時に、将来さらに一般公務員恩給増額が行なわれることをも考慮いたしまして、今後恩給に関する法令の改正により一般公務員恩給年額改定が行なわれる場合には、これにならって執行吏恩給年額も、別段の措置を講ずることなく、当然改定されることにしようとするものであります。  以上が、旧執達吏規則に基づく恩給年額改定に関する法律案趣旨であります。  何とぞ、慎重御審議の上、すみやかに御可決くださいますよう、お願いいたします。
  6. 北條雋八

    委員長北條雋八君) 本案の自後の審査は後日に譲ります。     —————————————
  7. 北條雋八

    委員長北條雋八君) 訴訟費用臨時措置法の一部を改正する法律案議題とし、質疑を行ないます。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  8. 亀田得治

    亀田得治君 前回日当について当局のほうで考えをまとめて報告していただくということになっていたわけですが、まず最初統一見解といいますか、御説明をお願いしたいと思います。
  9. 川島一郎

    政府委員川島一郎君) 前回審議の際、証人及び鑑定人日当性質、それから両者区別につきましてお尋ねをいただきました。特にこの点に関する裁判所考え方法務省考え方との間に相違があるのかどうかという点についての御質問を承ったわけでございます。そこで、法務省といたしましては、その後裁判所意見を交換いたしました結果、基本的な考え方におきましては両者考えは一致しておるということを確認いたしたわけでございます。  その内容は次のようなものでございます。すなわち、証人日当は、出頭に際して支出することを要する諸雑費弁償及び収益喪失に対する補償という二つ性質を有するものであり、鑑定人日当についてもこれに準じて考えられる。しかし、日当額の上限を定めるにあたっては、証人日当については出頭雑費及び収益喪失を並列的に考慮する必要があるのに対し、鑑定人日当については、別途報酬が支給されることにかんがみ、出頭雑費弁償重点を置いて考慮すべきものと考える。  以上でございます。
  10. 亀田得治

    亀田得治君 若干この点についてもう少し明らかにしておきたいと思いまして、二、三質問をしておきたいと思います。  たとえば、昨年の実績などを見ましても、鑑定人の場合には出頭すると七百円支給しておるというお答えであった。ところが、証人の場合は平均五百五十円。したがうて、それより安いのもあるし、高いのもある、平均にすると五百五十円、こういう御報告であったわけです。そういたしますと、証人の場合には二つ要素が並列的に考慮されておる、鑑定人の場合には出頭雑費、これが重点、こういう説明になっておるわけですが、出頭雑費というものは、これはどういう人であってもあまり変わらないはずなんです、特殊な例外は別として。そういたしますと、鑑定人が七百円もらっているのに、証人のほうが平均五百五十円にしかならない。計算要素となるものが二つあるのに、かえって少ない。何かこう筋が通らぬような感じがするわけですね。実際の法廷における状況を見ても、鑑定人の場合が必ずしも証人よりも時間が長いことはないわけです。最初鑑定事項裁判所から聞く場合には、これはきわめて短時間で済むわけですね。むしろ証人などよりも時間が短い場合が多いわけです。それは家に帰っての作業は、これは別個ですから、また別個に評価しているわけですから。だから、法廷における現実の状態から見ると、鑑定人七百円、証人五百五十円ということは、どうも説明がつかぬような感じがするのですがね、これはどうなんでしょう。
  11. 川島一郎

    政府委員川島一郎君) 仰せのように、証人の場合には、諸雑費弁償収益喪失に対する補償、この二つ要素を並列的に考えて支給するのに、その額は五百五十円が平均である、これに対して鑑定人のほうは、諸雑費弁償を主として考えるのに、その額は七百円であるという点につきましては、確かにアンバランスがあるわけでございます。しかし、これは従来からそういうことになっておるわけでございまして、その理由といたしましては、いろいろな考え方があるわけでございます。  一つには、たとえば前回もちょっと申し上げましたように、証人の場合には裁判所に出て証言をする義務がある。もし証言を拒否した場合には、それによって生じた——出頭を怠った場合には、それによって生じた損害を賠償しなければならないとか、あるいは出頭を拒否すれば場合によっては拘引されるというようなことにもなっておるわけでございます。そういったいわば国民義務として裁判所出頭証言をしなければならないという面がございますために、証人の場合の諸雑費弁償——いわゆる実費弁償金額を定めるにあたりましては、なるべく必要最小限度でもってとどめておきたいと、こういう考え方もあったのではないかというふうに思うわけでございます。これに反しまして、鑑定人の場合には、これは事件にかかわりのないものでございまして、いわば裁判所の依頼によって鑑定を行なうものでございますから、鑑定人に対する実費弁償の額を定めるにあたっては、普通程度のものを考えるべきであるということになろうかと思います。そういうところがらも一つ差異が出てくるわけでございます。  そのほか、鑑定人というものは一般学識経験を持っておる方々でございますので、一般証人の場合よりも幾らか実費弁償の面でも金額を高く考える必要がある、こういう配慮に基づくものであろうというふうに考えておりまして、今度の改定にあたりましても、そういうことを考えまして、鑑定人のほうは実費弁償が主となるけれども、その額はかなり高いものと考える必要があるというところから、今回のような改正額考えたものでございます。     —————————————
  12. 北條雋八

    委員長北條雋八君) 質疑の途中でございますが、この際、委員異動について御報告いたします。  本日、山下春江君が委員辞任され、その補欠として山本茂一郎君が委員に選任されました。     —————————————
  13. 亀田得治

    亀田得治君 そうすると、同じ出頭雑費であっても、鑑定人については証人よりも高く考えるべきだと、こういう結論になるのですね。
  14. 川島一郎

    政府委員川島一郎君) さようでございます。これはたとえば、同じ実費弁償金でございましても、一般公務員についても、その等級によって差がございます。それと同じように、鑑定人証人の間に、同じ実費弁償金でありましても、差があってもおかしくないのではないかと、かように考えております。
  15. 亀田得治

    亀田得治君 証人につきましてね、その内訳について確かめておきたいのですが、実際の運用としては、平均五百五十円に対して、三つの段階をつくって運用をしておられるようですね。その法廷における証言の時間によって三段階区別しておられるようですが、出頭雑費は、これはどの段階の人でも同じことになるのじゃないでしょうか。そうして、その残り部分について、時間の長さによって区別をすると、これが正当なように思うのですが、時間を長くやった人が出頭のための雑費が多いということには私はならぬと思うのです。損失補てん部分についての差は出てくると思うのですね。だから、その辺は合理的じゃないのじゃないでしょうか、いまのような運用は。
  16. 佐藤千速

    最高裁判所長官代理者佐藤千速君) 実施の問題にかかわる御質問でございまするので、裁判所のほうからお答えをさせていただきまするが、たとえば出頭雑費と申しましても、公務員日当について考えてみましても、いわゆる半日当というのがございます。つまり、半日当、全日当という区別がございまするが、一日拘束されておりまする場合には、それに伴うところの湯茶・弁当代と申しまするか、そういうものも多くなろうという考えをもとにしておると思うのでございます。したがいまして、たとえば午前中で終わった、早く終わったといいまするような場合には、おのずから出頭のための雑費というものも全額を考えなくてもよろしいではないかという、こういう配意も入っておるわけでございます。  それから、損失補償ということを申しましても、これは証人日当ということにおいて考えておりまするので、この補償方法が定型的にならざるを得ないと思うのでございます。諸外国におきましても、損失補償という考えに基づきまして日当額が定められておるのでございまするが、その場合でもやはり時間というものを一つ基準にいたしまして考えておるということでございます。原則といたしましては、そういう以上申し上げたようなことかと思うのでございます。
  17. 亀田得治

    亀田得治君 まあ正確なことを言えば、午前で済む場合と午後にわたる場合、これは出頭雑費が若干違ってくると思います。それは区別したらいいと思います。そうして残り部分については、これは時間で計算をする。これは私は、三段階じゃなく、二段階ぐらいでいいんじゃないかと思うのです。出頭雑費そのものを二段階にするということになれば、現在のやつは全部ひっくるめて三段階ですから、だから両方とも分けて二段階ずつにすれば私は一番正確だと思っておるのですが、しかしあまり複雑になってもいかぬからということでおおよそのことでやっておられるようでありますが、一応それでもそうたいした不公平もないかもしれませんが、一応了承しておきます。  そこで、私の結論的な考えを申し上げますと、証人鑑定人も同じでいいんじゃないか——両方出頭雑費並びに損失補償ですか、これを同じ方法で一応支給するということで割り切っていいんじゃないかと私は考えるんですがね。損失補償の面を考えましても、なるほど鑑定人は非常に重要な参考になることを裁判所に専門的な立場から知識を提供してくれるといいますけれども、しかし証人にしても事実について裁判をするについて非常に重要なことをこれは提供するわけですから、労力の面では私はたいして変わらぬと思うんです。それは鑑定人の出す——鑑定人については、本人は別にそんなに苦労するわけじゃないわけですね。鑑定作業は別ですよ、法廷における陳述などは、これは専門家なんですから。だから、鑑定人証人というものを私は区別する必要はないんじゃないかと思うんですよ、こまかく分けてね。両方とも、出頭雑費があり、損失補償がある。出頭雑費実費計算し、損失補償は時間的に私は計算していいと思うんです、一律に。それは証人損失補償にしたって、一人一人を検討すれば、鑑定人よりももっと価値のある人が自分の仕事をやめて出てくる場合があるわけですからね。その場合でも、一律に安く計算をするわけででしょう、標準によって。だから、ほんとうの意味損失補償になっているわけでもないわけですね、そういう意味では。だから、したがって、そのような趣旨のものであれば、証人鑑定人同一に扱っていいんじゃないか、同一に。先ほどの説明ですと、この法律ができた当初はやはり考え方同一であって、ただ評価基準鑑定人のほうは高く見る、こういう考え方のようですが、それがだんだん損失補償的なものが抜けてきて、現在でも若干残存しているんだと、こういう説明ですね。しかし日当出頭雑費については若干高く見るんだと、きわめてこまかい説明なんですけれども、結局両方とも同じ扱いで私はいいように思います。鑑定人についての法廷外における鑑定作業については、これは全部報酬が出ている、報酬のないのはないという報告もあるわけですからね。それで足るというふうに割り切って簡単に整理することはできないんですか、どうなんでしょう。
  18. 川島一郎

    政府委員川島一郎君) 非常に本質に触れる問題でございまして、一言で申し上げるのはむずかしいかと存ずるんでございますけれども、昔からの沿革を調べてみますと、多少この日当性質が変わってきているように考えられます。明治時代におきましては、鑑定人日当証人日当より非常に高かったわけでございますが、その当時の記録といたしましては、ほとんど見るべきものがないわけでございますが、たまたま明治三十三年にこの日当に関する刑法附則改正がございまして、そのときの政府委員説明によりますと、鑑定人日当の中には報酬意味があるというような趣旨説明をいたしておるわけでございます。しかしながら、これはその後法律が何回も改正になりまして、刑事訴訟におきましては、鑑定人鑑定料はこれは別個に請求権があるというふうに規定されましたし、また民事訴訟運用におきましても、鑑定人には必ず鑑定料が支給されるというふうに変わってまいりまして、この鑑定人日当の中身から鑑定料性質、つまり鑑定に対する報酬性質が脱落したのではないかと、かように考えるわけでございます。しかしながら、それにもかかわらず、証人日当に比べますと、なお鑑定人日当のほうが高い状況でずっと最近まで参ったわけでございます。これはどういうわけかと申しますと、やはり一つは従来から鑑定人日当のほうが高かったということの延長と申しますか、あまりその性質についての深い検討を加えなかったためではないか、かように考えるわけでございますが、それにいたしましても、ただいま仰せのように、鑑定人につきましても損失補償——収益喪失に対する補償という面がこれは残らざるを得ないわけでございます。そこで、そういう面におきましては、確かに証人日当鑑定人日当も同じ性質を持っているということができるわけでございますが、昭和三十七年に証人日当が大幅に増額されました。このときの理由は、主として証人の場合には収益喪失に対する補償日当以外では全然顧みられていない、したがってその点に対する配慮をしようということにあったわけでございまして、戦後国民の所得が非常に増加してまいりましたので、その必要が増大してこういう結果となってあらわれたわけでございます。ところが、鑑定人につきましては、昭和三十六年、それから昭和三十七年、二回の改正におきましても増額が見送られたわけでございますが、この見送られました理由は、やはり鑑定人は別に鑑定料を受けるから、それほど証人の場合のように日当自体において鑑定人に対する支払いの金額を増加する必要はないということであったわけでございます。このような非常に沿革的な事情がございますので、現在から考えますと、仰せの点は確かにはっきりしない点があるわけでございます。これらの経過を考えまして、現在証人日当性質はどうか、鑑定人日当性質はどうかということを考えてみますと、先ほど申し上げましたような趣旨に帰するのではないかということで申し上げたわけでございます。
  19. 亀田得治

    亀田得治君 まあ証人鑑定人よりも多い数字を提案されておるわけですから、それに合わしたような説明をいろいろされることになるんでしょうが、あまりたいした理由もないことについていろんな区別をしておくということは、これは複雑になるだけなんですね。大同小異のことであれば、こういうものはもう同じ計算でやっていくということでいいんじゃないかと思うのです。それは出頭雑費あるいは損失補償といったって、これは単なる基準であって、一人一人について見れば、それは特殊な忙しい仕事をしている人が、これ以上の出頭雑費を使っている人もあるだろうし、失った損失というものはとても大きい方もあるでしょうし、それはまちまちなんだから、だからこんなものは私は結論としては一本でいいじゃないかというふうに考えているわけです。だから、次にまた法改正機会等もおありでしょうが、そういうときにはひとつ——これ区別するためにいろんな理屈をいままでたくさん聞いてきているわけですが、区別せぬでもいいのじゃないかという角度からもまた検討もひとつしてみてはしい、それ要望しておきます。よろしいか、検討してくれますな。大臣からそれはちょっと聞いておきましょう。
  20. 赤間文三

    国務大臣赤間文三君) 亀田委員の御意見は、十分ひとつ将来前向きで検討していきたいと思います。
  21. 亀田得治

    亀田得治君 それから、若干これに関連しまして、平素私疑問に思っていることを一つお聞きしておきたいのですが、民事訴訟費用法第二条の書記料ですけれども、これが五銭となって、措置法のほうで百五十倍をして七円五十銭、こうなるのですが、第二条の第三項によって司法書士書類を書いてもらった場合にはその実額による、こういう計算方法になっているわけですね。そうすると、御承知のように、司法書士報酬はいろいろな物価の変動等に応じてこれはずっと上がってきているわけです。七円五十銭なんというものは、おおよそ現実離れしているわけですね。したがって、実際の訴訟費用計算になりますと、高いほうでやられている。それはまあそれでよろしいと思うのです。ところが、いつも問題になる弁護料ですね、これは訴訟費用に含めないですわね、計算上。そういたしますと、弁護士が作成した書類も七円五十銭の計算になって、司法書士よりもはるかに低い評価のしかたというものは一体おかしいじゃないか、こういうふうに思うわけです。それは弁護料の問題が片づかぬからそういうことになるのですが、弁護料の問題を含めるということになればこれは事態は変わってくるのですがね。一々書記料まで計算する必要もなくなるかもしれない。しかし、現状ではとにかく弁護料計算に入れないのですから、だからはなはだこの点がおかしいのですね。少なくとも司法書士計算あるいはそれに若干プラスした計算を取り入れるというふうなことにすれば、これは結局弁護料の一部を計算するという問題になろうと思いますがね、実質的には。この辺のことについて、これはどういうふうに当局考えておられるでしょうか。こういう法改正等に関連して、その辺の矛盾を感じておられるのかどうか、お聞きしておきたいのです。
  22. 菅野啓藏

    最高裁判所長官代理者菅野啓藏君) 最高裁の民事局長でございます。法律改正の問題になりますので、本来は法務省のほうからお答えするのがしかるべきことかと思いますけれども、訴訟費用額決定等運用いたしております裁判所側からの考えをまず申し上げまして、あと法務省のほうからさらにお答えいただいたらどうかと思うのでございますが、御指摘になりましたように、民事訴訟費用法二条の書記料はただいま七円五十銭。弁護士の方が書かれましても、そういう計算になるわけです。ところで、この二条の三項による司法書士書記料というものは、文案を要しないものについては百円、その他文案を要するものについては一枚四百円ということでございまして、その間に非常に差があるわけでございます。で、弁護士報酬は、ただいま報酬としては訴訟費用に入りませんけれども、書記料としては弁護士の書かれたものにつきましても用紙一枚につき七円五十銭ということで訴訟費用に入るわけでございます。それから司法書士の書きましたものも、一枚百円ないし四百円という書記料訴訟費用に入るわけでございます。その間に非常なアンバランスがあるということは御指摘のとおりでございまして、私どもといたしましては、前回もちょっと申し上げたのでございますが、費用法あるいは印紙法につきましていろいろ問題点がございますので、この二条の書記料の問題も含めまして、裁判所の内々でいま検討中でございます。それで、裁判所内における意見がまとまりましたならば、すみやかに法務省のほうにも御相談申し上げまして、費用法印紙法というものの改正をお願いしたい、かように思っているわけでございまして、費用法二条につきましての先ほど申しましたアンバランスの点につきましても、私ども十分にこの点に留意しておりまして、近い将来に法律改正という形で法務省にお願いいたしたいと、かように思っているわけでございます。
  23. 亀田得治

    亀田得治君 その場合に、まあそれは将来の検討の結果になるでしょうが、司法書士報酬表というのは、これは法務省の認可を受けてきまっておりますわね。それよりも法律的な専門家である弁護士作成の書類、これは高く評価するということになるでしょうか。
  24. 菅野啓藏

    最高裁判所長官代理者菅野啓藏君) これは弁護士報酬訴訟費用の中に入れるかどうかという点とからまり合った問題でございますので、書記料として弁護士さんの書かれた書類についての手数料を司法書士以上にするかどうかという点につきましては、まだ結論を得ておりませんので、さらに検討いたしたいと思っております。
  25. 亀田得治

    亀田得治君 その際に、この書記料だけじゃなしに弁護料そのものをこれはまあ全額見る場合、全額じゃなしに何らかの標準的なものを見てそれによって一律に算入するというやり方、いろいろあるでしょうが、懸案になっている弁護料そのものをも対象にした研究をされる予定でしょうか。
  26. 菅野啓藏

    最高裁判所長官代理者菅野啓藏君) 最後の結論がどうなりますかにつきましては、ただいまの段階では何とも申し上げかねますけれども、もちろんその点につきましては検討の対象にはしております。
  27. 亀田得治

    亀田得治君 まあこの程度にして、もう一つ民事局長にちょっと聞いておきますが、司法書士報酬改定について強い要望が出されておるわけですが、理由は結局、物価の値上がりなり、あるいは司法書士事務所における補助者なりそういう諸君の人件費の値上がりとか、そういう関係から結局事務所経費、生活費が上がる、それに見合ったようにひとつわれわれのほうも検討してもらいたい。これは、公務員給与なり、あるいは証人とか、鑑定人とか、いずれも少しずつそういう手当がされておるわけでありまして、司法書士諸君としてもこれは当然のことだと思うのですね。当然あるべき姿にしてやりませんと、かえって無理が出て、規定以外のやりとりがあるとか、無理からやっぱりそういうことが出てくるおそれもあるわけです。当然な要求だと思いますが、法務省としてはどういうふうにこの点を考えておられるか、お聞きしたいと思います。
  28. 新谷正夫

    政府委員(新谷正夫君) 司法書士の手数料でございますが、現在の手数料の額は、昭和四十年の四月に大体基準をきめまして、法務大臣の認可によって行なわれておるものでございますが、その以前は、昭和三十七年、さらにさかのぼりますと三十四年に、それぞれ改定されておるわけでございまして、ちょうど亀田委員のまさに御指摘のように、ただいまこの改定についての検討を要する時期に来ておるのではないかというふうに考えておるわけでございます。実は先般、司法書士会の法人化に関する法律の御審議をいただきまして、ようやく司法書士会の法人化が実現したところでございます。その後、会の充実、内容の問題につきまして、いろいろと法務省といたしましても側面的にこれを指導してまいりました関係で、この手数料の増額について具体的に検討するだけのいとまがございませんでした。しかし、御指摘のように、ただいまちょうど、過去の経緯から考えましても、司法書士の手数料につきましては、その労力とか費用、こういうものがある程度従前よりは値上がりしております。また、物価指数とか、所得水準とか、そういったものも勘案いたしまして、適正な収入が確保できるように、私どものほうといたしましても検討を加える必要があろうというふうに考えておる次第でございます。したがいまして、これから司法書士会連合会のほうとも十分連絡をとり、なお経済企画庁のほうとも打ち合わせをいたしながら、この手数料の改定について検討を加えることにいたしたいと、このように考えておる次第でございます。
  29. 亀田得治

    亀田得治君 時間がないようですから、まとめて三つほどお聞きしますが、その第一はですね、従来まあ司法書士といいますと、代書人と、本人にかわって書類をつくると、こういう考え方ですね。しかし、せんだっての法律改正によって、登記並びに供託に関しては、単に書類をつくるだけじゃなしに、諸般の手続を代行してやるんだと、こういうことが法文上も明記されたんですね。これはまあ実際従来そういうふうに行なわれていたことを法文上明らかにしたにすぎないと思いますが、登記、供託、これはなかなか責任の重い仕事なんですね。書類をつくって、さあ本人に適当に行きなさいということでは済まないわけなんです。きちんと完成するまで本人を代行するということですね。ほかの裁判所、検察庁などに出す書類の場合とだいぶこれは性格が違うわけですね。だから、したがって、そういう性質司法書士仕事については、若干の代行手数料といいますかね、そういうものを加味してほしいと、こういうことが一つ問題点として出ているわけです。それはまあ金額はいろいろ問題があろうと思いますがね、これは単なる代書ではない、登記並びに供託については。そういうことから、私は、まあ失敗があればやはり司法書士の責任にもなるわけですし、筋の通った要求じゃないかというふうに考えておるんです。まあしかし、あんまり大幅に認めると、弁護士会あたりからまた意見が出るかもしれませんが、ともかく実態がそういう、本人も安心してまかして、まかされて、じゃあ引き受けてと、こういうことでやっているわけですからね。正当なことはやっぱり見てやったほうが、司法書士の方も責任を感ずると思うんですね。こういう点についてのひとつ基本的な考えを一応参考までに承っておきたいと思うんです。  それから——全部言いますわ、一緒に。それから第二は、累進加算という問題ですね。これは現在の報酬規定にも若干取り入れてあるわけです。たとえば所有権移転の売買登記などの場合、一億円以上の品物については二千五百円の加算をするとこうなっておるんですが、実際私たちいろいろ話も聞き、現状も見ておりますと、一億以上のものの世話をしてそれで二千五百円程度の加算というんじゃ、何かこう世間の常識に合わないんですね。で、この金額が多くったって少なくったって紙の数はやはり一緒じゃないかと、こう言えばまあ言えぬこともないが、しかしそれは単なる理屈でありまして、実際は、その司法書士の事務所に金を持ってきて、そうしてきちっと登記が完了する、見届けてそれをその場所で渡し、受け取る、こういうふうな仕事をやっているわけですよ。ちょっと登記がおくれて出る場合には、金をじゃあ司法書士の方に一時預かってもらうとか、そういう場合もあるでしょう。だから、なかなか、金額がかさんだって書類は同じことじゃないかと、そんなものじゃやっぱりないわけですね。だから、その点を加味して、現在の報酬の規定においてもそういう加算制度をとっておられるのだろうと思うのですが、この加算の金額が、非常にこう世間の常識から見て少な過ぎるわけですね。だから、こういう点についての検討の余地があるんじゃないかと思う。これが第二。  それから第三は、行政書士なんかの場合なんかでもそういうやり方をとっていると思いますが、上下の幅をある程度取り入れたほうがいいのじゃないか、上下幅というものを。といいますのは、司法書士の事務所の形態ですね、これは非常に違うわけですね。あまり経費のかからぬような形態でやっているところもあるし、そうじゃなしに、補助者なり事務員などをきちっと置いて、いろいろな設備等もいたしておかないとうまくいかないというふうな事務所もありますしね、これはいろいろなんですよ。だから、現在のままでもそれほどこうたいして支障がないというふうなことを聞く場合もありますが、いやそれはいろいろな人件費なりいろいろな物価の値上がりで当然苦しくなってくるのだという説明をされる。それはその事務所の形態によってだいぶ違うのですね。したがって、事務所の形態に応じ得るように、この報酬規定というものを、上限と下限というものを幅を持たしてきめるようなことが私は一つ方法じゃないかというふうに思うのですが、その中間のところをとって一律にきめておきますと、どうも少ないほうから見るとやはり不満だし、いやもう現状でも何とかやっていけるというところから見ると、これはまあぼろ過ぎると、こうなるのかね、そういうことを聞くわけですね。だから、その辺のことも改定にあたって、方式として御検討を願いたいと思っているのです。以上三つだけひとつお聞きしておきます。
  30. 新谷正夫

    政府委員(新谷正夫君) いろいろと司法書士の実態に即しました御質問でございます。今後手数料を改定いたします際にも、そういった点を十分考慮の中に入れまして研究さしていただきたいと考えます。ただ、最初申し述べられました申請代理の場合でございますが、これは先般の改正の際に、法律改正いたしまして土地家屋調査士についてはそのことが明記されておりましたのに、司法書士についてはそのことが法律上明白にされていなかったという事実がございました。しかし、司法書士の業務の実質から考えまして、登記所とか供託所に本人の代理人として出頭するということは、古くから行なわれておることであります。そのこと自体、司法書士の業務の中に入っておるという解釈ではございましたけれども、法律上必ずしも明白でなく、また土地家屋調査士との均衡の問題もございまして、そのことを先般の法律改正の際に明瞭に規定さしていただいた経緯がございます。その後、各司法書士会の会則の認可の上申が出てまいりました。これは法人化に伴いまして会則の改正が必要となったからでございますが、法律改正によりまして申請代理の規定が入りましたので、その代理に要する手数料、これを規約の中に取り込みまして認可の申請が出てまいったのでございます。したがいまして、現在おおむね一件につきまして二百円くらいの基準でこれを認可いたしております。まだまだ、そうは申しましても、ただいま御指摘のように、これはかなり重要な仕事でございますので、その二百円という手数料の額がいいかどうかということにつきましても、全般の問題とにらみ合わせながら検討を加える余地は十分あろうかと考えております。  そのほか、累進加算の問題、あるいは上下幅の取り入れの問題という御指摘でございます。こういったことも新しい問題といたしまして十分検討の対象にし得るのではなかろうかと考えますので、今後手数料の基準検討いたします際に、それらを十分考慮に入れまして検討させていただきたいというふうに思います。
  31. 北條雋八

    委員長北條雋八君) 他に御発言もなければ、質疑は尽きたものと認めて御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  32. 北條雋八

    委員長北條雋八君) 異議ないものと認めます。  それでは、これより討論に入ります。  御意見のある方は賛否を明らかにしてお述べを願います。——別に御意見もないようでございますので、討論はないものと認めて御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  33. 北條雋八

    委員長北條雋八君) 異議ないものと認めます。  それでは、これより採決に入ります。  訴訟費用臨時措置法の一部を改正する法律案を問題に供します。本案に賛成の方の挙手を願います。   〔賛成者挙手〕
  34. 北條雋八

    委員長北條雋八君) 全会一致と認めます。よって、本案は全会一致をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。  なお、本院規則第七十二条により議長に提出すべき報告書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  35. 北條雋八

    委員長北條雋八君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     —————————————
  36. 北條雋八

    委員長北條雋八君) 次に、刑法の一部を改正する法律案議題とし、質疑を行ないます。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  37. 川井英良

    政府委員(川井英良君) 前回に御質問をいただきまして、答弁を次回に譲らせていただきました点が数点ございますので、本日冒頭に答弁をさせていただきたいと思います。  第一点は、先般の美濃部知事に対する一部の者の脅迫等の事実について検察庁としてどういうふうな措置をとっているか、こういう点でございます。東京地検にさっそく照会をいたしましたところ、当面担当の警視庁と緊密な連絡をとって、警備はもとよりのこと、刑事事犯と目されるような凶悪事犯につきましても鋭意慎重な検討を進めていると、こういうことでございました。なお、この種事件の当面の担当は何と申しましても警察関係でございますので、検察庁といたしましては、当面担当の警察官と十分に連絡をとりまして、この暴力ないしは脅迫等の不正事犯というふうなものについての刑事的な責任の追及ということについて、今後も引き続き遺憾のないように努力をする覚悟である、こういうふうな報告でございました。  それから次に、刑法仮案の問題について御質問がございまして、私その当座の記憶で大正十五年に仮案ができたというふうな趣旨のことを御答弁申し上げたわけでございますが、その後資料に基づきまして検討いたしまして、正確を欠いている点がございましたので、この機会にあわせて説明をさせていただきたいと思います。  大正十年に臨時法制審議会に対して刑法改正の諮問がなされまして、大正十五年にその臨時法制審議会は答申をいたしまして、刑法改正の綱領を発表いたしたわけでございます。で、この臨時法制審議会の大正十五年の改正の綱領に基づきまして、翌昭和二年からこの原案起草委員会が司法省の中に設けられまして、改正綱領を基本といたしまして刑法改正予備草案の作成に従事いたしました。間もなくそれが、予備草案が完成いたしまして、その後刑法並びに監獄法改正調査委員会の手にこれが移されまして、引き続き検討をいたしました結果、総論、各論のすべてにわたりまして仮案ができましたのが昭和十五年のことでございました。昭和十五年に仮案というかっこうでもって一応公表されたわけでございます。ところが、その後間もなく第二次大戦に突入するというようなかっこうに相なりまして、この刑法も、仮案は発表になりましたけれども、全面的な刑法改正事業というものは一応そのまま中止と申しますか、そのままの状態に置いておかれまして、あとは引き続きその仮案の中から当面必要と思われるものについて一部改正の事業が数回にわたって繰り返されたというのが、この刑法仮案の発表の経緯の概要でございます。  それからなお、問題になりました失火罪の刑の引き上げとそれからまた業務上失火並びに重過失失火の新設が昭和十六年の改正で行なわれたのにかかわらず、二百十一条のほうの人身に対する重過失致死傷罪が昭和二十二年になって初めて設けられた、その経緯についての御質疑がございました。これは、その当時の提案理由その他につきまして一応調査をいたしましたので、ごく簡潔にその概要を御報告させていただきます。  要するに、昭和十六年というこの社会の状況は、戦争が始まるないしはすでにその戦争に入ったときのことでございまして、いわば個人の私益よりは一般の公益的なものが非常に優先するというふうなかっこうの考え方が非常に強かった時代でございますので、現行憲法が施行されてすでに二十年たっております今日から考えますというと、まことに不合理な考え方のように思いますけれども、当時の情勢からいきまして、この財産罪に対するものについての、経済的な価値あるものを消滅するというようなことについての非常に大きな要望というふうなものから、三百円でありました失火罪が千円に引き上げられ、同時にまた業務上並びに重過失失火罪というふうなものの新しい類型の刑罰が新設されるというふうなことになったわけでございますが、片やこの人身に対します過失致死傷の罪におきましては、単純な過失致死はすでに罰金千円以下の法定刑がございましたけれども、この重過失致死傷罰について業務致死傷罪と同じような刑罰のところまで引き上げるというふうなところまでは思い及ばなかったというのが、今日から見ましてアンバランスと思われるものの実態のようでございます。なおその後、戦争が終わりましてから後に、新憲法が施行されるということに対応いたしまして、公益、私益の考え方が大きく変換をされまして、個人の尊厳をもととし、特に人命を尊重するということが第一と考えられる新しい倫理観念というふうなものが優先してまいりまして、昭和二十二年の大改正のときに、二百十一条の中に重過失致死傷を設けると、こういうふうな経過になったようでございます。なお、御承知のとおり、泉二先生の本など研究いたしてみますというと、すでにそのころ、重過失失火罪を設けながら、二百十一条のほうに重過失致死傷罪を設けないというのは不合理ではないかというふうな、学説の面ではっとに指摘のある文献もあらわれております。そういうふうな点を考慮いたしまして、二十二年の改正の際にあらためて重過失致死傷罪が二百十一条のほうに設けられたというのが、今日から考えてみましてそのいきさつの概要でございます。  なお、その他一、二点、統計についての御質疑で留保したものがございますので、あらためて刑事課長のほうから、配付申し上げてある資料に基づきまして、簡潔に御説明申し上げたいと思います。
  38. 石原一彦

    説明員(石原一彦君) 本日配付申し上げました資料中、最高裁判所事務総局編「改正刑法準備草案・刑法改正刑法仮案対照条文」は、文句どおりその三つの法律及び法律案につきましての対照条文でございます。  次に、「刑法改正経過と対照条文」は、大正十年から昭和三十九年に至ります現行刑法改正部分を集録いたしたものでございます。  三番目に、「刑法改正経過」とございますのは、先般の御質疑の中にもございました、刑法改正部分につきまして、その改正理由趣旨等を簡潔に記載した資料を提出するようにという御要求に基づきましてつくったものでございます。  次に、「交通事故統計年報」警察庁交通局作成、及び「陸上における交通事故−その現状と対策−」総理府編、大蔵省印刷局発行、この資料は、私どもでつくっております検察統計年報もしくは裁判所でつくっております司法統計年報では足りない部分がございましたので、配付申し上げたものでございます。と申しますのは、先般の御質疑の際に、酒酔いの部分についてのこまかい統計を提出するようにということでございましたが、検察庁、裁判所におきましては道路交通法違反の内訳の統計がございませんので、警察庁の統計をお借りした次第でございます。  昭和四十一年「交通事故統計年報」の五八ページ、五九ページの表がございますが、非常にこまかい表で恐縮でございますが、その五八ページに書いてございますが、2というのが酒酔いに関する統計でございます。で、その送致件数は、五九ページ右の終わりでございますが、九万八千九百五十五というものが検察庁に送致されている件数でございます。  なお、しからば酒酔いを原因としていかなる事故が生じているかという点につきましては、三二ページないし三五ページの表がその表でございます。で、三二ページ、三三ページは非常にこまかい数字でございますので省略させていただきまして、三五ページをごらんいただきますと、交通事故の原因別対前年比較というのがございまして、昭和四十年度におきましては、酒酔い運転は、順位から申しますと、第四番目を占めております。なお、四十一年度は、遺憾ながら順位が上がりまして、三番目に相なっているわけでございます。  なお、自家用車と事業用自動車の事故の区別はいかんという御質問でございました。その点は、ただいまの「交通事故統計年報」の三七ページにございます。それと、「陸上における交通事故」という本の三〇ページ、一二ページの双方でございます。簡単に御説明申し上げますと、「交通事故統計年報」三七ページの表は、事故率は一万台当りで表示いたしおります。三七ページの下欄の右のほうでございますが、それによりますと、事業用の乗用の普通自動車、これが第一位でございます。二万台当たり一八四八・二という数字でございまして、一位を占めます。その次に事故率の高いものは、その下にあります事業用貨物の特定大型、大型、普通、いわゆるトラックでございますが、これが二番目でございます。三番目はその下で、事業用の三輪車でございます。四番目は事業用のバスでございます。五番目が事業用のマイクロバスでございます。  ところが、「陸上における交通事故」という本の三〇ページ、三一ページを見ますと、ここは総事故件数における構成率を示しているのでございますが、これによりますと、自家用の普通貨物——三一ページの欄の上から三行目でございますが、それが構成率が二四・一三%を占めまして、一位でございます。二位は、三〇ページの三欄目、自家用車の普通乗用自動車でございまして、一七・二九%を占めております。三番目は、三一ページの一番下の二輪車、原付2種でございまして、一四・三一%を占めております。四番目は、三一ページにあります自家用の貨物の軽四輪でございまして、八・七八%を占めております。それから第五番目は、同じ三一ページにあります事業用の乗用の普通自動車、七・六二%となっております。以下こまかい数字でございますので、省略させていただきます。  次に配付いたしました資料は、「重大な人身事故の具体的事例の飲酒場所別、車種別調」でございます。で、第一表、第二表とございますが、第一表は、この百七十九例中、自動車事故に基づく百七十二例の判決文によりまして分類いたしました。したがいまして、判決文に出ていない分につきましては不明ということでございまして、この数字がきわめて高いのでございますが、一応判決文に出ているところで申し上げますと、下の合計欄のところでございますが、食堂・飲食店における飲食が一番多いようでございます。次がキャバレー・バー・喫茶店でございます。それから三番目が親戚・友人・知人宅における飲酒でございます。  次に第二表でございますが、これは百七十二例中、飲酒場所のはっきりしているものにつきまして自家用と事業用に分けた表でございます。で、総数のみを申し上げますと、四十件につきまして判決文から自家用、事業用等の区別がわかるのでございますが、四十件中二十五件が自家用車の運転手による飲酒でございます。事業用は四件、不明分が十一件というぐあいになっております。  以上をもちまして、配付いたしました資料についての説明を終えさせていただきます。
  39. 山田徹一

    ○山田徹一君 今回の刑法の一部改正のその意図は、運転者の抑制力を目的として改正しようということが主たる目的のようにうかがえるわけですが、はたして、加害者が刑務所に入って、その刑量をふやすことに対して、裁判所あるいは検事が、あるいは警察が喜んでそれをやっておるかというと、私はそうじゃないと思うのです。人間ならば、人の罪が重くなることをよかったと、こう思う者はいないと思うのです。まして、加害者の家族あるいは被害者の家族にしてみても、やはり心の底では喜んでいないのではないかと思うわけです。したがって、運転者に対する問題は、交通安全教育ということを、人命尊重の上からもそれを徹底して理解させていくことが先決じゃないかと私は思うわけですが、法務大臣の見解をお伺いしたいと思います。
  40. 赤間文三

    国務大臣赤間文三君) この近来における交通事故は、御承知のように、年に六十五万件以上にも達する、これが年とともにますます件数が多くなり、一万数千人の人が死亡するというような、もう実にかってないこれ事故でございまするので、いまお話しになりましたような安全教育を徹底させることもこれは有効なことでございまするし、またやはり道路の改造等もできるだけのことをやらなければなりますまい。歩道橋、安全島その他あらゆる施策を講じるということがまた必要でありまするが、これはただ一つ二つの事柄では、この六十何万年々増加するものは、なかなか骨が折れるのであります。私たちはやはり、日本のこのたとえば乱暴な運転をやって人を殺しているというような者が、現在御承知のように三年以下の禁錮では、あまり軽過ぎる。外国の例に比べてみても軽いし、これを一部重くすることによってまた注意力も喚起できるし、あわせて私は事故を少なくすることに十分役立つ働きをなすものであろう、かように考えております。要するに、あらゆる面からわれわれはこの六十何万のものを少なくするということが目下の急務である、かように考えておる次第でございます。
  41. 山田徹一

    ○山田徹一君 いま法務大臣も外国の立法例をたとえにあげられましたが、法務省の刑事局からもらったこの資料の中にも一覧表が載されてあるわけですけれども、確かに刑量のほうは外国に見習って、被害者のその悲惨な生活を救助していく、守ってやるという点においては、いわば自賠償等の問題でありますけれども、外国の例にどのように見習っているのか、その点について質問します。
  42. 池辺仁太郎

    説明員池辺仁太郎君) 御質問趣旨がよくわかりませんでしたので……。
  43. 山田徹一

    ○山田徹一君 もう一度言いましょうか。先ほど法務大臣がおっしゃったように、外国の刑量と比較対照に見て非常に低いと、だからそれにある程度参考にして見習っていかなければならぬ点もあろうと、こういうこともおっしゃったわけです。そうならば、総合的な問題としても、運輸省のほうとしても、被害者に対する救助、そういう点に対して、外国との対比ですね、こういう点は参考にしてやってきたかどうか、これをお伺いするのです。
  44. 池辺仁太郎

    説明員池辺仁太郎君) 自動車事故の損害賠償につきましては、現在の保険金額につきまして、最近の判決等にあらわれております損害賠償額の推移等を常に調査いたしまして、現在の賠償責任保険限度額で十分であるかどうか、この点を目下検討中でございます。
  45. 山田徹一

    ○山田徹一君 ひとつ、ドイツとかあるいはアメリカとかあるいはイギリス等々の補償の額ですね、最低線でもけっこうですから、それをおっしゃってみてください。
  46. 池辺仁太郎

    説明員池辺仁太郎君) 私どものほうで各国の制度を資料を集めまして調査いたしましたところによりますと——おもな欧米の国につきまして申し上げます。まずドイツでございますが、保険の支払い限度額が、ドイツの場合一人九百万円、スイスの場合で千二百五十万、スエーデンの場合七千万円、ノルウェー一千万、デンマークが七百八十万。  次に、最低額をきめておりますのが、米国の場合、一人——これは州によって若干異なると思いますけれども、三百六十万、英国の場合、営業用の自動車につきましては三千五百二十八万、自家用につきまして千五百十二万、次にフランス、これが一事故当たり三千六百万、フィンランド、これが千八百万、以上私どもの調べたところでございます。
  47. 山田徹一

    ○山田徹一君 いま日本での自賠償の最高限度額と比較して、あなたはどう思われますか。
  48. 池辺仁太郎

    説明員池辺仁太郎君) 日本の自賠責におきましては、損害額の全額をカバーするといった性格のものではございませず、最低限度の賠償能力を保持せしめるということにあるかと存じます。しかし、現在の加害者側の賠償能力の実態を見ますると、十分被害者に対しまして救済の能力を具備しておるというふうにも必ずしも思いませんので、そういった実情を勘案しまして、必ずしも現在の補償額では十分でないというふうに考えておりますので、今後、被害者側の救済につきまして、保険金額改定につきましては十分前向きで検討さしていただきたいと存じております。
  49. 山田徹一

    ○山田徹一君 現在のところではどのような話し合いが行なわれておるんでしょうか。そのまた見通しの点についてお伺いしたいんですが。
  50. 池辺仁太郎

    説明員池辺仁太郎君) 現在の死亡三百万という保険金額につきましては、昨年の八月に引き上げをいたしました。その後、請求の実績をただいま数字的に集計いたしております。しかし、まだ一年たっておりませんので、十分なデータが整っておりません。しかし、最近の賠償額の推移等の資料から見まして、保険金引き上げにつきましては、関係の各省とも意見を交換いたしまして、今後の取り扱いにつきまして検討いたしております。
  51. 山田徹一

    ○山田徹一君 この問題は、私は非常に重大な問題だと思います。したがって、総合対策の上から、法務大臣も、ただ刑法とかそういう問題だけでなしに、そういう問題に対してもひとつ大きく働きかけて、私は少なくとも七百万ぐらいには持っていってもらいたいと思うわけなんです。刑量のほうはこのように上がるぞと、そして補償のほうは比較にならぬほど低い。はたしてそれが被害者にとって納得のいくことであろうか。おそらく、刑を重くするよりかも、賠償のほうをもっと多くふやしてもらいたい、こういう面のほうが被害者にとっては強く働いているのじゃないかと思うわけなんです。死んだ本人にしてみても、刑を重くしたよりも、家族のことのほうが私は気になっているのじゃないかと思う。もし自分であったら、そう感ずるわけです。したがって、強く大臣としても要望を出していただいて、早くそういう手を打っていただきたいと思うわけです。  そこで、この自賠償の現在の収入、あるいはそれに対する支出ですね、そういう面についてちょっとお尋ねします。
  52. 池辺仁太郎

    説明員池辺仁太郎君) 自動車損害賠償保険の特別会計の現在の収支の状況を申し上げます。  昭和四十一年度につきましては決算を終了いたしましたので数字が確定いたしておりますので、四十一年度の決算による数字を申し上げます。四十二年度につきましては、予定額を申し上げたいと思います。四十一年度につきましては、再保険収入が四百六億五百万、支出が三百二十億四百万、四十二年度、これは予定でございますが、収入が五百四十二億七千八百万、同じく支出が五百八億一千百万以上でございます。ただしこれは再保険で、私ども再保険業務をやっておりまして、この収入は全体の保険料の十分の六になっております。全体の保険料は、ただいま申し上げました数字を引き直しますと全体の数字が出てまいります。
  53. 山田徹一

    ○山田徹一君 近ごろの裁判所の賠償に対する判決を見てみますと、一千万円の大台をこしている判決も出ているわけです。ところが、加害者側にとって自賠償は最高が三百万ではありますし、このために被害者のほうの家族としてはこの賠償の判決があっても受け取ることができない。それに対してはどういうふうな手を打っているのか、さた政府としてもそれをどのようにカバーしておられるのか、ひとつその点をお尋ねしたいんですが。
  54. 石原一彦

    説明員(石原一彦君) たまたま、ただいま御質問の前提となりました裁判所における支払い状況につきましては、本日御配付申し上げました「陸上における交通事故」四十二年度版の二二〇ページ以下にございまして、ここに書いてございますのは、訴訟事件の分と、それから訴訟事件のうちの判決事件、和解事件等がございます。そこで、ほかの委員会で裁判所並びに運輸省が説明したところによりますと、たとえば二二三ページの和解、調停における成立額の比較がございますが、五百万円をこえるものが四十一年度におきましては死亡で四件、傷害で一件となっております。そういうような点がございますが、この和解、判決、調停の三者を総合いたしますと、三百万円で処理されたもの、いわば片がついたものが七〇%から八〇%に相なっているとのことでございます。したがいまして、現行の自賠法で三百万円ときめましたのは、いわゆる訴訟事件で認められました損害賠償額の七、八〇%であればおおむね合理的であろうということできめたそうでございます。しかしながら、将来の裁判におきまして三百万円をこえるものが増加してまいりますれば、それに応じて自賠法のほうも金額の引き上げをはかる、それまでの間は任意保険の普及をはかってまいりたい、かようなことでございます。
  55. 山田徹一

    ○山田徹一君 加害者の側に立って考えてみますと、事故を起こしたのは、その家庭の中心者であるとか、あるいは生活の上で最も重要な地位にある人たちであろうと思うわけなんです。してみると、その家族に対して、私の聞くところにおいては、生活の保護、あるいは国家がそれに対して何らかの補償金とかいうようなことは考えておられないように思うのですが、こういう点についてはどうお考えでしょうか。
  56. 石原一彦

    説明員(石原一彦君) ただいまの御質問は、加害者に関する分につきまして、いわゆる示談金もしくは損害賠償金が支払えないために自殺事故その他が頻発しているのでその点を考慮することができないか、こういう点であろうかと思います。保険に入っておりますれば、強制保険で三百万円、それから任意保険で自分のかけました保険金額の支払いを得るわけでございますが、それができない場合に相当の痛手をこうおりまして、支払えないために自殺事故等が出ておりますことは、まことに遺憾なことであるし、それらの加害者に対してはお気の毒に考えておる次第であります。しかしながら、加害者のある反面、被害者も実はあるわけでありまして、加害者のそういうお気の毒な方に対する補償考えると同時に、被害者の分も考えなければならないのではなかろうかということでございまして、西欧諸国の一部におきましては、被害者学というようなことで、殺人あるいは強盗殺人等によって被害を受けた者に対する補償を国家で考えてもいいではないかということを検討しているやに聞いております。したがいまして、加害者に対してお気の毒なことは十分われわれも了察するのでございますが、被害者に対する国家補償というような面とやはり一緒にして考えなければならないのではなかろうかと考えておる次第でございます。
  57. 山田徹一

    ○山田徹一君 ひとつ加害者の家族に対する問題も、これは事故を起こした者とその家族の基本的人権等を考慮いたしましても、公平でなくてはならないというたてまえからも、もっともっと心を配ってその人たちの救済を一段と考慮して今後のあり方を考えてもらいたいと思うわけです。  それから、自動二輪車あるいは自転車による傷害あるいは死亡等、この問題で事故の件数はどのようになっておりますか。
  58. 石原一彦

    説明員(石原一彦君) 本日御配付申し上げました「交通事故統計年報」昭和四十一年版の三六ページに、死亡件数と負傷件数とを分けまして比率が出ております。で、その三六ページの表の下のほう「その他の車両」というところに自転車とか軽車両がございますが、自転車は総合計四十二万五千九百四十四件の事故件数中一万三千三十四件になっているようでございます。この構成率は三・ ○六%に相なると思いますが、順序をここに書いてございませんが、出してみますと七番目のようでございます。なお、隣に書いてあります死亡件数は、ただいまの事故件数中四百四十三件となっておりますが、その順位は八番目でございます。
  59. 山田徹一

    ○山田徹一君 自動二輪車、これはその下ですか。
  60. 石原一彦

    説明員(石原一彦君) 同じく三六ページのちょうどまん中あたりに、一番左側に「二輪」とございますが、その「二輪」の小分けのうちの「自動二輪」というのがございます。合計件数は二千四百四十件、構成率〇・五七%、死亡件数九十三件、かように相なっております。
  61. 山田徹一

    ○山田徹一君 この表を見ましても、そう数が少ないとは言えないように思うのですが、こういう人たちの被害者に対する補償、そういう問題についてはどういうふうになっておりますか。
  62. 池辺仁太郎

    説明員池辺仁太郎君) 原動機付自転車につきましては、昭和四十一年十月一日から強制保険の適用をいたしまして、他の自動車と同様の扱いをいたしております。
  63. 山田徹一

    ○山田徹一君 自転車等に対した事故については、法務省としてはどうお考えですか。
  64. 石原一彦

    説明員(石原一彦君) 二輪のほうにつきましては自賠法の適用があるのが原則になっておりますが、自転車につきましては自賠法の適用がないと承知しております。しかしながら、私ども実務の経験から申し上げましてわかりますことは、自転車による死傷事故はきわめて少ない上に、被害程度もそれほど大きくないと聞いておりますので、通常の損害賠償あるいは示談ということで解決されているものであると考えております。
  65. 山田徹一

    ○山田徹一君 先ほどの表を見ますと、「その他の車両」——自転車の死亡件数四百四十三件というようになっております。これはえらい少ない数とは言えないと思うのですが、したがって、このような場合における国家補償、こういう点をひとつ十分考慮しなくてはならぬのじゃないか。少ないからほっておく、そういうふうにいま聞こえたのですが、たいしたことはないというのか、これはちょっと当たらぬのじゃないか。ひとつもっとこの点について考えていただきたいと思うのですが、御意見はどうですか。
  66. 川井英良

    政府委員(川井英良君) 確かに御指摘のとおりでございまして、経済事情が進み文化的な国家としての方向がきまってまいりました暁におきましては、すべてそういうふうな面についての補償につきましても遺憾なきを期すというのが理想的な形であることは、まことに同感でございます。ただ、保険制度が発達してまいりましたけれども、自賠法につきましても百五十万を三百万にたしか昨年上げられたわけでございますが、さらにその後、御指摘のように、民事訴訟におきまして一千万をこえるような額の判決があらわれてまいったということになっておりまして、まだわが国におきましては、任意保険の制度というふうなものが必ずしも思うように契約数が伸びておりませんし、またこれをまかなうような保険会社のほうも受け入れ体制におきましてもかなり問題があるようでございますので、順次それらの問題点を解決しつつ御指摘のような方向に対し向かっていくということがあるべき姿であろうと思いますので、法務省といたしましては、関係当局と連絡いたしまして、御趣旨に沿うような方向で努力していかなければならない、かように考えております。
  67. 山田徹一

    ○山田徹一君 それでは警察庁のほうにお尋ねしますが、交通事故により、まず警察で取り調べるわけでありますが、その調査の際に、ひき逃げ等によって調書に出てくる最終の段階での加害者の、何といいますか、ことばですね、これはどういうふうになっておりますか。ひき逃げの場合、交番あるいは警察署でひき逃げの加害者がつかまって調書をとられます、その場合の傾向ですね、加害者の答弁する傾向——知らないだとか、全然意識しなかったとか、最初はそうかと思うのですが、結局最後はどういう気持ちで逃げた、ここのところですね、調書の上ではどうなっておりますか。
  68. 鈴木光一

    政府委員(鈴木光一君) お尋ねの件は、おそらくひき逃げで、ひいたことについて認識があったかどうか、それから認識がある場合に、届け出をしない、報告をしないでそのまま逃げてしまう動機は何かということだと思いますが、これはいろいろございまして、弁解の中には、全然気がつかなかったという場合もありますし、また逃げた動機といたしましては、おそろしくて逃げてしまったというのも、いろいろでございます。しかし、おおむねはやはり、逃走をするということで、要するに事故を自分の責任にしないという考え方で逃げたということが多いようでございます。
  69. 山田徹一

    ○山田徹一君 警察の末端におった人たち、ずっと警察官であったOBの人たちに私が聞いてみたところによると、大体逃げていくのは、認識していても刑罰がこわい、それで逃げたと、こういう調書がまずほとんどだと、こういうふうに私は聞いたわけなんですが、そうしてみると、今回の量刑をふやすということに対して、かえってそういうひき逃げを奨励することに一面なるのではないかという心配もあるわけなんですが、この点法務省としてはどう考えておられますか。
  70. 川井英良

    政府委員(川井英良君) この犯罪を犯しました者が、犯したことに対する心理的な恐怖感と、それから犯した事実についてあとから刑罰なりあるいは賠償の問題が起きてくるというふうなことからのがれるために犯罪の現場から逃走するということは、これは人情として当然考えられることでございます。故意犯の場合におきましても、現場にとどまっているというのはむしろ例外でございまして、九九・九%まではおそらく現場から逃走する。過失犯の場合におきましても、やや故意犯とは事情が違うにせよ、同じような傾向があるというのは、これはもう認めざるを得ない点だと思います。ただ、そうだからその逃げるということが多くなるとか、あるいはその傾向を助長するというふうなことであるので、上げるべき刑罰をちゅうちょするというようなことにつきましては、また別な観点からの考慮が必要ではないかというふうな気がしているわけでございまして、くどいようでございますが、刑法という法律の持っております、国家秩序の維持のための法律刑法典、基本法典というふうな点にかんがみてみまして、その反社会的な行為がこれだけの刑罰に値するという行為である、こういうふうに理解された上におきましては、それだけの刑罰をもって、一般の警鐘といいますか、反省を一方において望むとともに、また、そのために逃走するというふうな事案につきましては、また別な手続によりまして、あるいは別な方法によりまして、それをできる限り防止して、警世の目的を達するというのが、刑罰の前向きのあり方ではないかというふうに考えておるのでございます。
  71. 山田徹一

    ○山田徹一君 私も、それだけに抑止力にもなるというふうにも感ずるわけです。しかしながら、その抑止力というものを重点に置いた場合、運転者がこの刑法に対して——特に交通問題で私は申し上げているわけですが、こういう過失、こういう事故に対してはどういうふうな判決が下るのか、こういう点に対して、ただ重い、重いと、あるいは罰金だというようなことでなしに、もっともっとそういう面に対して運転者自体が法に対する理解を持っておるということがより一そう抑止力にもプラスするのじゃないかと思うし、してみれば、いかなる方法をもって法務省あるいは警察当局等で周知徹底をしていくのか、こういう点をお伺いしたいと思います。
  72. 川井英良

    政府委員(川井英良君) まさに御指摘のとおり、ただ刑罰を三年から五年に上げるということでもってすべて事足りるというふうな考え方では、まことに相済まないことだと私どもも考えております。先ほど来御指摘のように、まあ主として交通戦争と言われるようなこの実態について、国民の全知全能をしぼって何とかして年間一万数千人に及ぶような死亡者を減らすということは、これは国民的な悲願であるというふうに、国会でもしばしばいろいろな面において主張されておるところでございます。これに対しましては、もうあらゆる面からの総合的な施策が実るということが最も大切なことでありまして、刑罰法令の運用というようなことが先頭に立って走っていくというようなことでは、文化国家としてまことに恥ずかしいことだと私どもも考えております。それから、三年の法定刑を一挙に法制審議会では七年にしたらどうかというふうな意見も一部出ておりました、少数でございますけれども。私どもはそれは、先ほど御指摘の点もございましたように、いろいろ考えまして、五年という程度があらゆる面から見て妥当ではないかというふうなことも考え合わせてこういう刑罰を策定した次第でございますので、その三年を五年に上げるというところにはいろいろ私どもは私どもなりの苦心が存したことを御了解賜わりたいと、こう思うわけでございます。四十年に刑法改正をお願いしたわけでございますが、三十九年から総理府の方面にこの交通問題についての御承知のようにいろいろな機関が設けられまして、今日まで引き続きほとんどあらゆる省が参加いたしましてこの問題の総合施策の推進のために努力いたしておりまするし、一昨年度あたりからはこの面についての予算も国家予算の中でかなりな比重を占めておられる、また具体的にその実施状況も強力に推進されておるというようなことでありますので、そういうようなことと、それから先ほど御指摘一般の教育の問題と交通教育の問題、あるいは人命尊重の教育の問題というようなことと相まちまして、この不幸な事態についての総合的な効果が一日も早く実現されるようにということを、私ども法務省の役人の立場からもこいねがっておるような次第でございます。
  73. 山田徹一

    ○山田徹一君 いま、気持ちはやりたい、徹底したいという気持ちの辺だけがわかったので、それに対しての現在は具体的にどこをどう動かして、どういうものをどうしてという面はお考えになってはいないわけなんですか。
  74. 川井英良

    政府委員(川井英良君) 刑罰法令以外の点につきまして、私ども各省にわたる点について一応の資料を持ってはおりますけれども、これはきわめて、私から御説明申し上げましてはまことに間接の御説明に相なりますので、それぞれの担当の省、できれば総理府の調査室長からでも、総合施策の推進状況について御説明を願えれば、一番正確で権威のあるものとしての御報告ができるのではないかというふうに考えております。
  75. 山田徹一

    ○山田徹一君 いまの問題は、もっと私も考えてみたい点もありますし、後日にしまして、交通事故におきまして、警察官の実地検証、現場検証というものをやるわけですが、そのために起こる交通麻痺、またその節に、この間も警察官が事故にあっていると、こういう点に対して、ほんとうに何とかこれは考えなきゃいけないのではないか、こう思うわけです。聞くところによりますと、ステレオカメラとかいろいろなものがあって、非常にうまく活用できるというふうに聞いているのですが、これはどうなんでしょうか。
  76. 鈴木光一

    政府委員(鈴木光一君) 交通事故が起こりました場合に、警察官が現場に参りましていろいろ実況見分をするわけでございますが、その際に、御指摘のありましたように、交通渋滞を来たさないように、実況見分に行く場合には、交通整理の警察官も連れてまいりまして、ほかの車を渋滞させないで流すような措置をとるように、従来から指導しておるわけでございます。それから、なるべく実況見分は短時間のうちにやるということに心がけておるわけでございまして、実況見分の際にいろいろ現場の状況を測定するわけでございますが、測定したり写真をとったりするということでございますが、その写真をいろいろの角度からとる場合に、ヨーロッパの各国で採用しておりますステレオカメラというものがございまして、これを埼玉県の県警で購入いたしまして、現在これを使いまして試験的にやっております。このステレオカメラでとった写真が立証上有力なものであるという、公判廷に持ち出しても間違いないというような、そういうことの確証を得るまでの間、試験的に現在使っておるわけでございまして、その結果いかんによってそのステレオカメラを全国的に採用するかどうかということを検討したいということで、現在やっておる次第でございます。
  77. 山田徹一

    ○山田徹一君 その効果があり、また価値ありとしたならば、いずれにしても人命を扱う問題でも、ありますし、予算の面でむずかしいとかそういうことを言わないで、強く要望して活用してもらいたいと、こう私は思うわけです。  先ほどの短時間にという話でありますけれども、私ども絶えずそういうところにぶつかるわけですが、非常に麻痺状態のために、多くの人がかえってそのために交通事故を起こしているというものも見られるわけです。したがって、そういう点をいま一歩検討していただきたいと思います。  それからなお、警察官のそういう場に臨んだ事故、この間も、首を運転台に突っ込んで、そして免許証を見ているうちに、引こずられて事故を起こしたと、全くもう少しそこは警察官の注意力が足りないんじゃないかという点もあるもので、とかくおまわりさんになると、整理する立場、監督する立場ですので、優位感を感じるのかしれませんが、つい油断ができるんじゃないか。十分その点を注意してあげていただきたいと思うわけです。  これは建設省のほうにお尋ねしたいんですが、ガードレールあるいは歩道橋等々は、すべて建設省の管轄においてその予算が組まれ、つくられていっていると承っておりますが、そうすると、横断歩道の、白いペンキでよく塗ってあります、あるいは道の中央に黄色いあるいは白い線でまっすぐ筋が引いてありますが、それを見ておりますと、おまわりさんがそれをやっているわけです。しかも、その仕事が、予算がないためにおまわりさんを使っているのかしれませんが、そういう仕事をおまわりさんがやるよりかも、これは建設省のほうでそれを引き受けて、その管轄にして、道路上の問題ですから、予算も組み、工事もやらすと、こういうふうにしたほうがいいんじゃないか、このように思うんですが、いかがでしょうか。
  78. 川田陽吉

    説明員(川田陽吉君) ガードレールと歩道橋につきましては、全部建設省が地方建設局の直轄工事として、国道の場合は、元一級国道の大臣管理区間につきましては、建設省で実施いたしております。また、補助事業につきましても、道路管理者ということで県庁の土木部等が設置いたしておりますが、道路に施したペンキの区画線とか車道外側線につきましては、白いペンキで上り下りの車線を分離することがございますが、それは全部建設省側でやっております。それから、歩車道の区別のない道路で車道外側線とその外側を白いペンキで区別しておりますが、それも建設省で実施しております。しかし、道路交通法との関係によりまして、警察側と双方で権限上の区分をやっておりまして、黄色い線につきましては建設省側では引かないことといたしております。追い越し禁止のラインでございますとか、あるいは横断歩道を指定してここだけ通りなさいというような黄色いマークの場合は、これは公安委員会の手で実施していただくことになっております。
  79. 山田徹一

    ○山田徹一君 白線のほうは全部建設省が管轄しているわけですか。
  80. 川田陽吉

    説明員(川田陽吉君) おことばのとおりでございます。ただ、横断歩道につきましては、公安委員会の御依頼によりまして当方でやることもございますが、それからもう一つ、非常に交通のひんぱんな区域におきましては、建設省だけの手で、白い塗料を塗る際に、なかなか自動車が減速してくれたりあるいは一時停車してくれない場合がございますので、国道等自動車交通の多いところにおきましては、地元警察署の御協力をいただきまして、警官の方に立ち会っていただきまして工事をやる、こういう場合もございます。
  81. 山田徹一

    ○山田徹一君 それじゃ、警察官が、警察の手で白線を引いているということはないんですね、念を押すようですけれども。
  82. 川田陽吉

    説明員(川田陽吉君) さように心得ております。
  83. 鈴木光一

    政府委員(鈴木光一君) 警察官のお話が出ましたので、私からも御説明申し上げますが、いま建設省のほうからお話がありましたように、警察でやりますペンキの道路標示でございますね、これは道路交通法によります交通規制に関係したものは、現在の法令のたてまえでは公安委員会がやるということになっておりまして、建設省からお話がありましたように、追い越し禁止などの黄色い標示、それから白いものでは横断歩道、これにつきましては公安委員会がやっております。で、警察官がやっておるんじゃないかという御指摘がございましたが、以前は、予算の節約その他の関係、それからまた、なかなか交通ひんぱんなところでやるのに警察がやっちゃったほうが早いということで、間々警察官が出てやっておりましたが、最近はそういうことはやらないように、警察官はそういうことよりもむしろ街頭に出て指導取り締まりに当たるべきであるということで、下請に出してやるように指導しております。
  84. 山田徹一

    ○山田徹一君 次に、反則金制度の問題でちょっとお尋ねしますけれども、この反則金というのはどういう方法で取り扱われていく予定ですか。
  85. 鈴木光一

    政府委員(鈴木光一君) お尋ねの反則金制度につきましては、御承知のとおり、昨年の五十五特別国会において成立いたしました道路交通法の一部改正法律できまったわけでございますが、施行はことしの七月一日から施行されるわけでございまして、その際の法律の附則に規定しておりますように、附則の第七項でございますが、「国は、当分の間、交通安全対策の一還として、」——「反則金に係る収入額に相当する金額を、毎年度、政令で定める道路交通安全施設の設置に要する費用に充てさせるため、交通安全対策特別交付金として、交通事故の発生件数、人口の集中度等を考慮して政令で定めるところにより、都道府県及び市町村に交付するものとする。」ということになっておりまして、この規定のとおりな取り扱いになるのでございます。
  86. 山田徹一

    ○山田徹一君 そうすると、この反則金が一応国庫へ入って、それから今度交通安全関係に使われる、還元されていくと、こういうふうなことになるわけですね。そうしますと、県なり町に対する還元の率といいますか、反則金の額、こういうふうな関連はどうなるんでしょうね。
  87. 鈴木光一

    政府委員(鈴木光一君) ただいまの附則の中にも規定されておりますように、一度国へ入ったものを都道府県または市町村に特別交付金として配付する基準も政令でさらに定めるということになっておりまして、その政令で定める場合に、当該都道府県、当該市町村の交通事故の発生件数、それから人口の集中度等を考慮して政令で定めるということになっておりまして、最近この政令ができ上がりまして——これは自治省所管でございますが、その政令ができ上がりまして、その政令の交付基準によって交付されるということになっております。
  88. 山田徹一

    ○山田徹一君 人口の集中度という面についてはうなずけるんですが、交通事故の発生件数ということになると、いまの反則金をとったのも交通事故の発生件数に入りますか。たとえば反則金程度の犯罪ですね、それもその件数の中に加えるんですか。
  89. 鈴木光一

    政府委員(鈴木光一君) 交通の違反の件数は、全くこれは関係ございません。交通事故でございまして、これは立法の当時も、違反の件数によって配付するということはいろいろ問題があるということで、結局事故が多いところにはやっぱり安全施設をもっと整備しなきゃならぬという考え方で、交通事故件数というものを配付の基準にするということが合理的であるということでそのようになったわけでございます。
  90. 山田徹一

    ○山田徹一君 総合交通事故防止の対策としまして、現在予算はどの程度に組まれておりますか。
  91. 宮崎清文

    政府委員(宮崎清文君) 交通事故防止につきましては、御承知のように、関係各省がそれぞれ実施しておりまして、これに要します予算も原則的にはすべて関係省庁の予算として計上されております。ただ、交通安全施策全体につきまして国がどれだけの予算を投下しているかということは、これをまとめることが非常に必要でございますので、数年来私のほうにおきまして直接交通安全に関係ありと思われる予算を各省庁の中からピックアップいたしまして一応一覧表をつくっております。参議院におきましては、交通災害対策特別委員会にはその一覧表は御提出申し上げております。昭和四十三年度におきましては、おおむね五百九十七億という数字を出しておりますが、これは、先ほども申し上げましたように、私のほうで直接交通安全に関係ありという予算だけに限っておりますので、それ以外にも間接的に交通安全に寄与する予算はそれぞれ各省庁の予算に含まれております。
  92. 山田徹一

    ○山田徹一君 交通戦争だとか、自動車がすでにもう凶器の部類に入るとか言われておるときでありますだけに、こんなちっぽけな予算ではほんとうに人命尊重の上から不十分であろうと、こう思うわけなんです。この点どうでしょう。
  93. 宮崎清文

    政府委員(宮崎清文君) 交通安全対策はいろいろございまして、現在私のほうでそれらを取りまとめやっておりますが、交通安全対策の中の比較的、非常に経費を伴わなければならないもの、つまり予算的な裏づけがないとできないもの、必ずしもそれだけの予算の裏づけがなくてもできるものがございます。特に予算の裏づけを必要といたしますものは、先生も御承知と思いますが、施設の整備面でございます。最近は特に、先ほどから御議論になっておるように思いますが、交通安全施設の整備、あるいは一たん事故が起こった場合に不幸にして被害にあわれた方の救済という意味で救急医療センターの整備、こういうものについて政府といたしましては相当額を計上しておるつもりでございます。もちろん、先ほど申し上げました五百九十七億が、当事者といたしまして完全に満足すべきものであるとは思っておりませんが、このことしの五百九十七億に相当いたします昭和四十二年度の当初予算は約四百六億でございまして、その伸び率は四七%でございます。本年は、御承知のように、いわゆる財政硬直化というようなことがいろいろと言われております。そういう事態といたしましては、相当な伸びを見ているのではないかと、このように考えております。
  94. 山田徹一

    ○山田徹一君 何しろ人の命がかけられている仕事でありますだけに、特にこの面の予算については強硬にとっていただいて、大幅にこれはやっていただかなければならぬのではないかと思うわけです。その点よろしくお願いします。  きょうはこれで終わりますけれども、ひとつ、法務大臣留守でありましたが、よろしくお願いします。
  95. 秋山長造

    ○秋山長造君 前回質問の続きで若干お尋ねしたいと思うのですが、よく重大事故重大事故ということを言われるのですが、あるいは悪質重大事犯というような、この重大重大ということばが使われるのですが、この重大事故ということについて、何か一定の定義といいますか、どの程度のものを政府のほうで重大事故と言っておられるのか、何かきまったものがあるのですか。
  96. 川井英良

    政府委員(川井英良君) この事故が悪質とはどういうものを言うかというようなことを定義づけたものは今日ございません。ただ、私ども検察部内における長い間の実務の経験からいたしまして、悪質重大事犯については地検単位でなくて高等検察庁の指示を受けて処理をしろというような、罪種別にいろいろな内規を設けて従来から運用いたしておりますので、おのずから、たとえば二百十一条違反についてはどの程度のものを悪質と見るかというようなことが、お互いに部内においては取り扱い上、慣行上大体のところがきまっておるようなかっこうに相なっております。  そこで具体的に、それじゃ二百十一条違反の場合、どういうものを重大事犯と言うのだということに相なりますが、これは御承知のように、過失事犯につきましては、結果が非常に重大である、死亡というような結果を生じた、一人ではなくて数人ないしは数百名の死傷が生じたというふうな結果に重点を置いてこの過失犯の軽重をきめる、こういう考え方があります。それから、過失犯というのは、そうじゃなくて、あくまで法律上命ぜられている注意を怠った、その結果こういう事故が発生したのだということであるから、結果よりは、むしろその不注意の度合いによって、すなわち過失の大小によって悪質であるかいなかということをきめることが合理的ではないかという、いわゆる過失主義とも言われている見方があるわけでございます。そこで従来は、運用の実際といたしましては、裁判例なんかによりましても、結果主義が非常に重要視されまして、重大な結果を生じたということがこの悪質の主たる要件でございましたけれども、最近における刑事裁判の実態を見てまいりますというと、むしろ過失犯については過失主義を重点にするということが最も合理的ではないかというようなことで、ごく最近におきましては過失主義がかなり重要視されているというのが刑事裁判の運用の実績でございます。私どもといたしましては、過失主義とその結果主義というふうなものを大体かみ合わせまして、その上でもって悪質であるかいなかということを一応判定して運用基準にいたしておるというのが実際でございます。
  97. 秋山長造

    ○秋山長造君 このいただいた資料の一一三ページ以下に、重大な人身事故の具体的実例ということが載っております。これによると、大体重大事故というものは、一審の判決が二年以上というところで一つ線を引いて、百七十九例あげてある。大体量刑の点から言えば、二年以上の刑を言い渡されたというものが重大事故になりますか。
  98. 川井英良

    政府委員(川井英良君) はっきりした規定のようなものに基づいて運用いたしておりませんので、その辺が必ずしも明確ではございませんが、三年という現行の法定刑の中で二年以上という刑を言い渡されるというような者は、これは過失主義によりましても、結果主義によりましても、いずれにいたしても重大犯だ、こういうふうに思います。
  99. 秋山長造

    ○秋山長造君 法務省考えは大体わかりましたが、これ、警察庁なり総理府なりは重大事故というのはどういうように考えますか。どの程度のものを、どういうものを重大事故という範疇に入れて考えておられるか。
  100. 鈴木光一

    政府委員(鈴木光一君) 私どものほうで重大事故というのを定義をつけては用いておりませんけれども、常識的に重大事故ということになりますれば、やはり法務省と同じような考え方になると思います。
  101. 秋山長造

    ○秋山長造君 総理府はどうですか。
  102. 宮崎清文

    政府委員(宮崎清文君) 重大事故ということばにつきましては、先ほど法務省の刑事局長、警察庁の交通局長からお答えがありましたように、たとえば法令上の定義というものはございません。したがいまして、それぞれ交通事故に関係いたします省庁の間で、従来実務上一定の範囲の事故を重大事故と一応とらえまして、それに対する対策を考える、そういうようなぐあいにやや慣用的に使っております。たとえて申しますと、運輸省あたりでは、重大事故につきまして、死亡または重傷者が出た事故、または物的損害が一これはまあ貨幣価値が多少動きますので、絶対的とは申せませんが、たとえば実損が五十万円以上の事故が重大事故というようなやり方をしておりまして、各省庁それぞれ多少ニュアンスは違っておりますが、大体に申しまして、先ほど来政府側から御説明がありましたような事故を一般に重大事故と言う、このように理解いたしております。
  103. 秋山長造

    ○秋山長造君 この交通白書の一六〇ページの下の表の「注」のところで、「重大事故とは、転覆、転落、火災、踏切若しくは車両欠陥による事故又は死者、重傷者若しくは物的損害額五十万円以上を生じた事故をいう。」、こういう注記がしてありますが、これは何ですか、政府としての統一した定義というほどかたいものじゃなくして、いまおっしゃるように、たとえば運輸省あたりではこういう考え方をしているという、参考のための沖ですか、どの程度のことですか。
  104. 宮崎清文

    政府委員(宮崎清文君) 大体御指摘のとおりと理解いたしております。
  105. 秋山長造

    ○秋山長造君 こういう事故全体が増加しているのですが、先ほど大臣は、六十何万という交通事故云々ということを繰り返しおっしゃったのですが、四十二年度の交通事故の総数というものは、正確な数字はわかりますか。
  106. 鈴木光一

    政府委員(鈴木光一君) 四十二年度の交通事故の件数を申し上げますと、これは人身事故の件数だけでございますけれども、件数にいたしまして五十二万一千四百八十一件でございます。
  107. 秋山長造

    ○秋山長造君 五十二万一千四百八十一件。この政府関係の統計数字なんかに、よく事故数として何十万というのが出てくるのは、人身事故だけですか、人身事故以外のものは含まれてないのですか、それから人身事故以外の物的な事故とかそういうものは統計に上がってこないのですか、どうでしょうか。
  108. 鈴木光一

    政府委員(鈴木光一君) 四十年までは物件事故も入っておりましたが、四十一年からは人身事故に限定いたしまして統計に——警察の統計としてはそうなっております。
  109. 秋山長造

    ○秋山長造君 そうしますと、四十一年の交通事故数が四十二万五千九百四十四件というのも、人身事故ですか。
  110. 鈴木光一

    政府委員(鈴木光一君) さようでございます。
  111. 秋山長造

    ○秋山長造君 警察のほうは、交通事故をいつも直接取り扱っておられるわけですから、それだけに、こういう五十二万というような人身事故が起こっていることについて、もう当然その原因というようなものを究明されていると思うのですが、人身事故がこのようにひんぱんに起こるということについては、何が原因だと考えておられるのですか、はっきり言えば。
  112. 鈴木光一

    政府委員(鈴木光一君) 事故の原因につきましては、いろいろな原因が総合されまして事故が起こっていると思いますけれども、警察といたしましては、道路交通法に定めております違反を、どのような違反をして事故が起きたかという観点からとらえているわけでございます。  そこで、どういう原因で事故が起きたかということでございますが、お配りしております四十一年の統計でごらんになっていただくと、大体四十二年もこういうような傾向でございまして、三五ページに四十年と四十一年の原因別の比較が出ておりますけれども、一番多いのは、安全運転違反というのが一番多いのでございますが、その次は徐行違反、四十一年になりますと、酒酔い運転が、四十年では四位でございましたが、三位にのし上がっております。その他、ここに書いてあるとおりでございまして、一応これは原因を、道路交通法に定めております違反を、どういう違反をして事故が起きたかという観点からとらえておるわけでございます。
  113. 秋山長造

    ○秋山長造君 いや、私のお尋ねしているのは、ここにも交通事故の原因別とこう書いてあるから、これが直接の人身事故の原因といいますか、動機といいますか、きっかけといいますか、そういうものであることは、これはもう間違いないので、それはお尋ねする必要なし、もうわかり切ったことなんですけれども、私のお尋ねしておるのは、そういうここにあげておるような交通事故のいわば直接の原因といいますか、動機ですね、そういうものも含めた、交通事故というものがどういう原因で非常に激増しておるかということなんです。この間、局長にお尋ねしたところ、やはり総体的に見て、自動車の台数の激増に、わが国の場合、道路の整備だとか、車の整備だとか、あるいは運転者の教養なり訓練なりというものが追いつかないというところにこの交通事故がこのように激増しておる大きな原因があるのではないかという御答弁があったのですが、それはどうですか、その点は。
  114. 鈴木光一

    政府委員(鈴木光一君) 事故が激増しておるという原因としては、そういうことが言えると思いますが、しかし、やはり事故がこれだけ激増しても、大部分の自動車というものは事故を起こさないでおるわけです。事故を起こすものはやはりそれだけの理由があるわけですが、われわれはその理由をやはり運転者の場合には運転者の不注意であるというふうにとらえておるわけです。もちろんそのほかに道路交通上の問題がございますけれども、主たる原因はそこにあるというふうな考え方でとらえでおるわけでございます。
  115. 秋山長造

    ○秋山長造君 いや、直接現象面だけをとらえてやらざるを得ない——何がこの事故を起こさしておるかという根本のところまで一々究明する余裕もないでしょうし、直接事故のその場の処理ということに追われている警察当局考えとしては、ちょっとそれ以上お尋ねするのは無理かもしれませんけれども、政府として、やはりただたまたま起こった事故の現象面だけとらえて、それを法に照らして処理するということだけでは、交通事故の対策というものは一部ではあっても十分じゃないと私は思うわけです。やはりもっともっと、政治的といいますか、政策的なやはり根本問題があると思うのです。そういう根本問題と取り組む必要があるからこそ、政府として総理府にわざわざ調査室まで設けてやられておるのだと思うのですけれども、そこで、そういう根本的な問題について総理府のほうへお尋ねしますが、あなたのほうでは、こういうような交通事故が全体としてふえ、さらにまたさっき以来申しましたようないわゆる重大事故が激増をしてきている、その原因は何だと判断をしておられるのですか。
  116. 宮崎清文

    政府委員(宮崎清文君) 先ほどから警察庁の交通局長がるる御説明申し上げておりますように、交通事故の原因はいろいろ複雑多岐でございまして、ある単一の原因によって事故が非常にふえる、とか減るとかいうことははっきりいたさないわけでございます。ただ、全体の傾向といたしまして私たちが考えておりますことは、一つは、何と申しましても、最近におきますわが国の自動車保有台数が非常に急激にふえてきたということがやはり一つの原因であろうかと考えております。それから、それとあわせまして、交通事故の直接の原因、現象面の直接の原因は、先ほども先生御指摘になりましたように、運転者なり歩行者なりの行為、特に不注意による行為が大部分でございますが、その背後にございます間接的要因といたしましては、道路交通環境がまだ十分整備されていないとか、あるいは事業所における労務管理、運転手管理が必ずしも適切でなかった場合とか、いろいろ問題がございます。それらの問題につきましても、やはり交通事故を今後ふやさないようにするためには、背後の一つの原因としてこれをとらえて、これに対して適切な対策を講じていかなければならない、このように考えております。
  117. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 ちょっと関連して。統計のことですけれども、先ほどのお話の人身事故に関することが四十二年五十二万一千件、これは交通違反の経過を経て、あるいは交通違反それ自体が人身事故を招来した原因である、こういうケースですね。そうじゃなくて、交通規則をちゃんと守りまして、違反なくして、しかも事故が起こり得るであろうと思うんですね。そういうケースは一体どれほどあるもんであろうか。
  118. 鈴木光一

    政府委員(鈴木光一君) 自分は交通ルールをよく守っても、自動車対自動車の事故の場合には、相手方との関係で事故が起きるわけでございまして、その場合には相手方がどういう違反をしておったかということになるわけでございます。
  119. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 その場合は、ともかく交通違反があったわけですね。いわゆる交通違反というものがなくて、事故がどれほどあるか。言いかえれば、交通規則を守りましてちゃんと運転しておっても、しかし事故が起こる場合があるであろうと思うんです。  一体それはどれほどあるであろうかということです。統計を見れば、きっとどっかにあるんでしょうけれども。
  120. 川井英良

    政府委員(川井英良君) ちょっと私のほうから先にお答えさしていただきたいと思いますが、先ほど、四十二年度に人身事故が五十二万一千四百八十一件発生した、こういう数字が交通局長から御報告になりました。その中で、昨年一年間に全国の検察庁が警察から送致を受けた件数が四十四万一千百六十八件でございまして、その差が約八万件ぐらいございます。これはおそらく、送致がおくれているのも若干ありますけれども、多くは全然過失が認められない、問題にならなかった事案だろうと思います。その四十四万件余りの中で検察官が過失があるとして起訴いたしましたのが二十八万六千飛んで七十一件でございますので、送致を受けた件数の中でも、検事が取り調べました結果、過失が認められないということ、認められるけれども、相手方の過失もあって、相殺しますというと非常に微弱な過失だからということで不起訴になった案件が十五万件ばかりあるわけでございますので、いま申し上げました数字の差がすべてただいま御指摘のものになるかどうかは一応まだ検討を要しますけれども、その数字の中にはいま御指摘になりましたようなものがかなり入っているんではないかというように一応考えております。
  121. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 この間の数字に関連しますると、約四十四万のうちで十四、五万がごく軽微な過失といいますか——に入るかもわかりませんけれども、二十万見当あるというふうに理解しておりました。いまのお話は、四十四万前後であって、これは交通違反から来た違反だと。そうなると、これ以外に二十万か三十万の、ともかく結果において死ぬということになったかもわからないけれども、しかしこれは責任のないと申しますか、まあ分だと、こういうふうに常識的に考えていいわけでしょうか。たとえば、普通、運転しましても、やはりブレーキをかけても若干のあれがある。狭い道路を通っていて子供が飛び出してきたというようなケースは、しょっちゅうわれわれの目の前にあるわけです。そういうようなものはこれ以外だろうと思うわけです。
  122. 鈴木光一

    政府委員(鈴木光一君) 四十二年度の五十二万数千件の件数は、現実に人身事故を伴った交通事故が警察に報告あるいは届け出られた件数全部をあげております。それの原因はどうかということになりますと、このお配りしてあります三四ページにございますように、先ほど来からいろいろと私もそういう観点で申し上げたのでございますが、車両等に原因のあったものが上の欄に出ております。それからそれ以外に、やはり歩行者との関係、人との関係で事故が起きるという場合に、必ずしも車両の運転者の不注意でなく、交通法規を守ってやっておったけれども相手の人のほうに不注意があったという件数がここにパーセンテージであがっておりますが、御指摘のように、飛び出しとか、めいてい徘徊とか、幼児の一人歩きとか、そういったような人の側に主たる原因があるというものも含まれておるわけでございます。それから、法務省の刑事局長の言われましたように、私どものほうはこういう観点で捜査をいたしまして検察庁のほうに送るわけでございますけれども、必ずしもそれが証拠が十分でないという観点から不起訴になったものはあると思います。
  123. 北條雋八

    委員長北條雋八君) 午後二時に再開することといたしまして、これにて休憩いたします。    午後一時十三分休憩      —————・—————    午後二時十五分開会
  124. 北條雋八

    委員長北條雋八君) ただいまから法務委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き、刑法の一部を改正する法律案議題とし、質疑を行ないます。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  125. 秋山長造

    ○秋山長造君 質問がちょっとあと先になって恐縮ですけれども、総務長官が見えれば、ちょっと政府の交通安全対策全般のことを少しお尋ねしてみたいと思っていたのです。ちょっと見えぬようですから、あと戻りをしますけれども、法務省のほうに若干お尋ねして、それから室長のほうへお尋ねします。  いただいた厚い資料の重大な人身事故の具体例百七十九件、これを調べてみますと、百七十九件のうち自動車事故によるものが百七十二件あるわけですね。だから、パーセンテージにすると九六%がこの自動車事故ということになっておりますから、自動車事故以外は一応おいて、自動車事故についてだけお尋ねしますが、その九六%を占める自動車事故百七十二件のうち、飲酒運転によるものが百十八件、パーセントにして六九%あるわけですね。それから、この前も申しましたように、飲酒運転ということが何とか防止できれば重大人身事故の大半はこれは起こさずに済むと言えるんじゃないかと思うんです。数字で言いますと、私の調べたところですから多少の誤りがあるかもしれませんけれども、飲酒運転が百十八件、無免許運転が五十三件、それは運転停止中の、停止処分を受けておるものを含んでおるわけですけれども五十三件、それから高速度違反——スピード違反が四十件ありますね、それから居眠りが六件、その他十四件。もちろん、飲酒運転と無免許運転がダブっていたり、さらにまたスピード違反がダブったりしているものが相当数あるわけです。大体、資料に出ている重大事故の中身を見ますと、飲酒と無免許が重なったり、またさらにそれにスピード違反が加わったりしているのがほとんどですね。そこで、結果に対する処罰ということもこれは重要ですけれども、やはり国の交通安全対策としては、これはそういう重大事故を防止するということにこしたことはないし、また政治のあり方としては、結果を追っかけ回す上りも原因を除く、あるいは結果の起こるのを防止するということに重点が置かるべきは当然だと私は思うのですけれども、そういう飲酒運転が非常に多い、無免許が非常に多い、スピード違反が非常に多い、そういうものがミックスされてこういう重大な事故を起こして多数の人を傷つけたりあるいは死なせたりするということについて、何かこれを予防する対策というものがないものだろうかということを前回から申し上げているのですが、これは法務大臣国務大臣として、また政治家として、これはどういうふうに考えられますか。ただこういうことはもうしかたないのでほっておいて、たまたま起こった結果だけを厳罰主義で追っかけ回すというだけでは、一国の政治家として能がなさ過ぎるという感じを持つのですが、いかがですか。
  126. 赤間文三

    国務大臣赤間文三君) 秋山委員の、要するにそのもとを正すというか、原因をやはりチェックしていくというのが政治の要諦だということは、全く同感でございまして、出たところだけを処罰するというよりは、もとをさばいて出ないようにするのが第一だ、これは敬服しております。  政府としましては、これは何としましても、秋山委員承知のように、道路はその割合に十分広げるつもりで、道路五カ年計画で何兆円とか言っておりますが、ずいぶん道路はよくしてはおるが、車の増加に及ばない、軍が非常な増加をやる、こういうことがやはり日本にある交通事故が絶えない一つの原因じゃないか。これはやはりどうしても、都市といわず、農村といわず、道路をよくするということが第一の要諦じゃないか。第二には、やはり道路にいろいろな安全施設を講ずる。まだやはり安全施設が足りないところが相当あるんじゃないかとも考える。安全施設というものを相当そろえる。第三番目には、自動車自体にできるだけ安全施設をやらなければならない。事故がなるべく起こらないように、自動車自体にまで安全施設を施すというところまでいかないといかぬのじゃないかというふうに考えておる。  ところが、道路にせよ、安全施設にせよ、歩道橋とか、いろいろなことをやっておりますが、車がどんどんふえ、しかも御承知のように都市集中で、どうも東京、大阪、名古屋その他の都市に人口が集まってくるという傾向はますます激しくなってくるというので、都市の交通というものがよけい繁雑、複雑になってきて、事故その他にもぐあいが悪い。それからまた一方いなかにおいては、御承知のように、町村道の舗装その他というものが行き渡らない。なお、幅が狭いにもかかわらず、昔と違いましてもう自動車を持っておる農家というものが非常に多くなってくるために、これは都市の過密化とあわせて事故が多いのと相応して、またこれいなかのほうも車が多くなって、道が悪いためにいろいろな事故が起こるという、まあどっちかというと、いま秋山委員のおっしゃったのとさかさまになりまして、こう事故の多くなるような悪い原因というものが、なかなか除去しなきゃならぬのが除去できにくいのが私はいまの実態じゃないかと。そのために、一年に六十五万とかという人間が死傷し、けが人ができるという、これがまだふえるのじゃないかということになっておるのであります。それで、これはあらゆる省のあらゆる方面から事故を少なくするということに努力をしなきゃならぬ。やっぱり学校あたりにおいても、例の安全教育とかというようなことも非常に必要になっておると思うのであります。私は、私個人の考えは、どうしてもこれは設備をよくし、道は広げにゃならぬけれども、それが行き届かないために、一方ではそちらのほうへ進むとともに、やっぱりみんなが用心をするということが非常に大事じゃないか。それに、今度の刑法の一部改正も、これは御承知のように、下はやっぱり何にも上げてないんです。そうして上をちょっと三年を五年に、悪質重要なものについてのみこれは上へ上げるということになっておりまするが、私はやっぱり、こういう法律を施行するにあたりましても、これは注意を喚起するというところに、非常なこれはまた私は意味があると考えておるのであります。この法律が適用を受けるのは、これは特に重大過失のものでありまするが、これによってすべての者が——機械を扱う者、危険な仕事をやる者の注意を喚起する、注意せにゃならぬという一つのやっぱりこれが大きな機会になると思う。何にもしなくて注意をうながしても効果はありましょうが、どうしてもこれは六十万というのに対しては、こういうふうに法律の上を——下をそのままに、全体の刑を上げるのじゃなくて、悪質重大なものはこうやると、これを契機にやっぱり注意をひとつ各層に及ぼして、これが思い切って減るような方法考えなければいかぬのじゃないかというふうに考えて、ぜひひとつこれをお願いしたいと考えるのであります。全く秋山委員のお考えにはもう同感で、もとを事故の起こらぬような方法考えるということに力を入れますとともに、どうしてもこれでは間にも合いませんもので、こういうものもあわせて、注意力の一大喚起をやる一つ方法としても、これは外国並みの刑罰に持っていくということが事故をなくするゆえんじゃなかろうかと、私は率直にそういうふうに考えておる次第でございます。
  127. 秋山長造

    ○秋山長造君 根本的にはやはり、大臣のいまおっしゃったように、道路の整備だとか、安全施設の整備だとか、あるいは自動車そのものの車体の整備というようなことをやる。これは、今度の御説明でも、交通事故の頻発、同時に諸外国の罰則なんか引用されて、そうして刑の上限を引き上げるということに、まあこの理由づけをしておられるようですけれども、いまおっしゃったような、道路だとか、安全施設だとかいうような、交通環境といいますかね、そういうものがだいぶやっぱり日本の場合は違うのじゃないかと思うんですね。その点にかんがみて、政府のほうでもいろいろな緊急施策をとってはおられる。だから、決して私は政府が手をこまねいてほうっておると申し上げるのじゃない。それはもうかなり努力をされておることは、これは認めますがね。ただそれが交通事情に追っつかぬというだけの話でね。これ、追っつかぬでほうっておいちゃ、いつまでたっても、幾ら安全施設に金をつぎ込んで大ぜいな人を動かしてやってみたところで、この統計数字というものは、ちっともこの数字が減ってこないんでね、ますますふえていくようなことで、ちょうどよく例に引かれる選挙違反みたいなもので、公明選挙、公明選挙といってやかましく言えば言うほど、実際選挙違反はふえていく、あれと同じことだと思う。それでは困るんですがね。そこでもう根本的には、やはり政府が全体として、政治の姿勢として、そういう交通環境の整備ということに一そう真剣な努力を払ってもらわにゃいかぬわけですが、そのことはあとからお尋ねするとして、いまの二百十一条の改正で刑の上限を三年から五年に上げるということが、交通事故を防止するいろいろな施策の中の一部である、また一つの足しになるであろうという位置づけも、私はそのとおりだと思うんですが、ただ刑を上げることによって警告を発すると、注意を喚起すると、そういう効果もねらっておるということを法務大臣おっしゃったわけですが、注意を喚起し、警告を発するためには、やはりそのものずばりでこの関係者にすぐ響く、徹底するということが必要だと思うんです。ところが、そういう角度から考えますと、私は、刑法二百十一条業務上の過失というようなばく然としたというか、一般的な規定でそれをやるよりも、たとえば、道路交通法というものがちゃんとあるんですから、飲酒運転はどうとか、それからひき逃げをした場合はどうとか、無免許運転はどうとかいって、それぞれそのものずばりの規定があって、そうしてそれぞれそのものの違反に対する罰則というものがあるわけですからね。しかも、その統計数字からいいましても、さっきも言いますように、交通事故が実に九九・三%、もう全部交通事故だと言ってもいいくらいです、業務上過失事件というのはね。交通事故が九九・三%を占めている。その中でもいわゆる悪質重大事故というものの大半は、飲酒運転だとか、あるいは無免許運転だとか、あるいはスピード違反の暴走ですね、そういうものがもう大半を占めておるわけです。しかも、それぞれ具体的に、二百十一条というような一般的な規定でなしに、道路交通法ではもう具体的にそのものずばりで一つ一つ罰則がきめられているわけですからね。もし警告を発する、周知徹底させる、注意を喚起するという効果をねらうとすれば、私は、いきなり刑法というこの基本法の改正に持っていく前に、道路交通法の改正あるいは道路交通法の罰則の強化ということをまず考えられることが効果的じゃないかと、とるべき道じゃないかというように思うんですけれども、その点いかがでしょうか。
  128. 赤間文三

    国務大臣赤間文三君) いまのそういうものを、道路交通法の改正によって、別に刑法改正によらぬでもよくないかという御意見に拝承したのであります。まあ自然犯でありまする業務上の過失致死傷罪の一部を行政取り締まり法規である道交法に規定する——道交法はこれは行政取り締まり法規のような性質を持っている、これに規定するということは、これは私は、刑法の全部の体系、また国民の人身事故犯に対する、何と申しますか、倫理的な価値判断を混乱させるのじゃないかという心配がございます。また、刑罰の公平性という点を守っていくためには、行政取り締まり法規である道交法にこれを譲るということはぐあいが悪いのじゃなかろうか。あくまで刑罰そのものの公平性を破壊せずにやろうと思えば、やっぱりこの刑法改正よりほかに仕組みはないのじゃなかろうか。なお、言いかえまするならば、行政取り締まり法規と刑法とがおのおの相まって目的が達せられるというふうなわれわれ解釈でございまして、刑法にやらないと刑罰自体の公平を害していくということで、ひいては刑法の体系を乱してしまうというような私は考え方から、どうしてもこれはひとつ刑法改正をお願いしなければならないと、かように考えております。
  129. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 ちょっと、私もその質問のときにもう一度伺いたいんですけれども、非常に重要な問題であると思うのであります。私は道交法のことを取り上げてどうこう言うつもりではありません。刑法は基本的な法律であって、国民全体の刑罰の基本といいますか、法務大臣のお話のような性格と価値と意味を持っていると思います。その点は、大臣の言われたとおりだと思います。ところが、世の中の動きが非常に激しくて、刑法を想定された時分と現在とを比べますると、非常な世の中の変化があって、しかも社会全般、経済のいろいろの面で急激な変化を起こしつつある。それに対処するために、大臣の言われる行政的な法規が随時あらわれて、それにはそれぞれ刑罰法規が入っているわけなんであります。それに触れる者の立場からいえば、刑法であろうと、そういう一般行政的な法規の罰則であろうと、やはり裁判を通って刑がきまるわけでありますので、そう差別がないという。それで私が伺いたいのは、いま大臣の言われるように、基本的な刑法における量刑と言いますか、それと全体とがやはり一つにバランスがとれたと言いますか、均衡を得たものであることが法務行政全体の立場から言えば非常に重要であると思うのですが、はたしてそれがバランスがとれておるのかどうか。いわゆる刑法はそう簡単に改正できないので、むしろ他のほうのそれぞれ必要に応じた、あるいは経済関係の法制とか、いろいろな方面で、社会関係の法制とか、そういう面での行政的なむしろ法律のほうの刑罰と言いますか、罰則と言いますか、それと必ずしもバランスがとれてこないんじゃないかという感じが最近しているのですけれども、現在においては大体そういう必配がないというお考えであるのかどうか、この点だけを伺っておき、私の質問のときにまた伺います。
  130. 川井英良

    政府委員(川井英良君) 問題は二つあるようなふうに拝聴したのでございますが、一つは、刑法に規定されております罪と罰というものと道交法というふうな行政取り締まり法規に定められておりますいわゆる罰則というものの法律上の性格の相違ということが一つ大きな問題になると思います。で、私ども理解しておりますところでは、刑法の犯罪と刑罰というふうなものは、前回にもちょっと触れたと思いますけれども、繰り返しになりますが、国民共同体の持っております倫理感とか、あるいは道徳感とかというものに反する行為、すなわち文化規範でありますとか、あるいは社会の条理というふうなものに反する行為、反社会的行為、それを罪として取り上げて、それにその当時の社会的な感覚からいいまして適当な刑罰を盛るというものが刑法の罪の概念であるように私ども理解しておるわけでございます。それからもう一つ、行政法規の罰則と申しますのは、それほど基本的な固いものではありませんで、原則としましてそのときの社会情勢に応じまして行政取り締まりの必要からある法規をつくる。それで、その法規の実効を担保するために何がしかの罰則をそこに設けるということでございまして、刑法も行政罰則のほうも、いずれも不法行為に対する刑罰であるという点におきましては相違はございませんけれども、その本質におきましては、先ほど大臣から御説明がありましたように、片方はいわゆる自然犯的なものとして理解され、片方は取り締まり行政犯的なものとして理解されるということで、刑法の理論面におきましては、そこに本質的な明確な差異があるというふうに理解されているわけでございますので、今度この改正を、交通戦争に対処するための刑罰法令の改正を自然犯として刑法でまかなうか、あるいは行政取り締まり犯として道交法のほうでまかなうかということにつきましては、ずいぶん議論があったところでございますけれども、これは本質論にかんがみまして、刑法でまかなうのが筋だというのが私どもの結論でございます。  第二点はバランスの問題でございますが、道交法は何度も改正になっておりまして、最近では三十九年だったと思いますが、一部改正が行なわれまして、一斉に刑の引き上げが行なわれております。人をひいた、業務上過失によってひき殺した、そしてその場から届け出しないで逃げたという場合には、その逃げたというだけで懲役三年の刑がきめられるのでありますが、本来の不注意で人をひき殺したというのは禁錮三年でとどまっておるというのが現状でございますので、禁錮は懲役の半分というふうに刑法総論できめられておりますので、逃げたほうは実態の倍の法的評価を受けておるということでございますけれども、われわれの刑法を適用する者から申しますと、これは物事の事理から申しましても非常に刑のアンバランスになっておるんじゃないかというふうな感じがいたすのでございますが、ほかにもいろいろ問題があろうかと思いますけれども、ただいまの御質疑に限定いたしまして考えますと、そういうことを私どもは考えておる次第でございます。
  131. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 いろいろ問題があると思いますが、いずれまたお伺いしたいと思います。
  132. 亀田得治

    亀田得治君 いま私も横から関連してお聞きする程度ですから、簡単にお伺いしたいと思います。この自然犯と行政犯と、こういうふうな区別刑法学の上においてあるわけですが、しかし、こういう考えもこれは時代によって私は動く性格のものだと思うのですよ。また国によっても、窃盗などする必要のないような国がらへ行きますと、これはうんと少なくなっております。それで、今日のように交通事情が悪い、このことが大きな社会問題になっておる。こういう場合に、私は交通関係の規則に反するということは、これは自然犯的な性格を持ってこなければいかぬと思います、実際は。そういう考え方にこれはならなきゃしゃんとしません。だから、たとえそれが形式的には道交法にきめてあっても、道交法だからそれは自然犯と違う性格のものというなら、これは私は見方は逆だと思うのです。やはり社会の実態に即した見方をしていかなければいかぬと思う。だから、そういう意味で自然犯、行政犯というような立場から論議されるというのは必ずしも私は適切ではないと見ておるのです。ことに日弁連でもこの点の指摘はしておりますね。刑法改正ではなしに道交法の改正でいいじゃないか、こういう考え方をあらゆる角度から検討した上でこれはやはり出しておるわけですね。自然犯、行政犯の区別などは承知の上で。だから、もう少しこの点は検討に値すると私は思う。それは皆さんもこういう提案をしておるのですから、秋山委員の言う意見に直ちに同意するというわけにはなかなかいかぬことは知っていますがね。これはやはり重大な問題点ですよ。私は端的に、何が社会的に困っているかというのが、これが秋山委員の分析でもほぼ出てきておるわでけすからね。酔っぱらいなり無免許なり出てきておるわけですから、それに関してはそんな五年なんということは言わないで、私は最高七年ぐらい打ち出したらいいと思うんですよ。ほんとにこう警告を与えるという姿勢をとらなきゃ私はいかぬと思うんですよ。ところが刑法改正で七年というようなことを言ったら、これはたいへんなことになりますから、それはみそもくそも一緒にしておるから七年ということができないわけでしょう。刑法改正でいくから全部引っくるまって、何も特に悪いことをやっているわけじゃない、いいとは言わぬが、昔と同じような程度のものに対して、なぜそういうことを自動車と一緒にやるのか。だから、それはやっぱり刑法改正では無理なんだ、そんなことは。だから、道交法改正なら私は七年ぐらいまでやってもいいと思うんですよ、その悪質なのは。これはあなた、組合でもどこでも正規の業務を持っている運転者でも反対しませんよ、それに対しては。だから、その辺をもう少し私は掘り下げてぴたっと適切なことをやってほしいと思うんです。そういう意味でわれわれはこれを言うとるんですがね。  もう一つ皆さんに御検討願いたいのは、たとえば歩行者に対する処罰ですね、交通法規を守らない歩行者に対する処罰、私は当然これは検討の対象になってくるべき問題だと思うんですよ。今日じゃ、私は行政取り締まり法規じゃなしに、交通規則を守らないことはあなた一種の自然犯的な性格を持ってきていますよ。そうなれば教育の態度でも何でもみんな違ってくるわけでしてね、歩行者を罰するなんというのは一つもないじゃないですか。運転者にだけいろんな注意義務がある。ところが、最近の判例の傾向は、いままでは運転者のほうをともかく道交法なり二百十一条に引っかけて処罰する傾向があったわけですがね。ところが、実際のケースに裁判官が直面してみると、なるほど形式的には何か法律に違反しているようなかっこうになる。したがって、起訴されておるわけでしょうが、いろいろ調べてみると、これ以上運転者に注意義務を要求するのはそれは無理じゃないかという考え方がずいぶん芽ばえてきているわけですね。そういう関係の判例もちょいちょい出ますわね。これは私はひとつの進歩だと思うんですよ。というのは、それは運転者も歩行者も全部が交通法規という問題についてはもっと真剣に取り組まなければいかぬのだという立場ですわね。これは一種の自然犯になりつつあるわけなんだ。だから、そういう観点からもっと私は根本的にこの問題については手を触れてほしい。こんなあなた改正は全く中途はんぱで、そうしてまじめにやっている運転者に対しては非常なこう反感を持たすというようなことにしかならぬのであって、私またもう少しこれは本格的にこの件は議論したいと思っているんですが、そいうふうな突っ込んだ立法というものはできないんですかね、ぴしゃっと、必要に応じた。それはひどいですよ、自動車が正規に運転している、そこへぱっと飛び出して横切る者がある。それは急停車して幸い事故がないからそれが済んでいるのがこれはたくさんある、われわれが車に乗っとっても。しかし、それは事故がなかったからそれでいいというんじゃなしに、やはりそういう場合には罰金か何か取られるのが私はほんとうだと思うんですよ、そんなことをしたら。よく研究してもらわないとだめでしょう。そういう面の検討一つもないんですから、運転者だけですから。刑事局長どうですか。まあいろいろのことを申し上げましたがね、あまり関連質問を長くやるわけにもいかぬから一緒に申し上げたんですが。
  133. 川井英良

    政府委員(川井英良君) 仰せのように自然犯と行政犯との区別はしかく明確なものではないことは私も理解いたしております。時代の動きとともに、行政犯として観念されておったものが自然犯になるということは十分考えられることであります。現在進行中の刑法の全面改正の中で、たとえば暴力行為等処罰ニ関スル法律、あるいは爆発物取締罰則、あるいは盗犯等ノ防止及処分ニ関スル法律というものを刑法の中に取り込むべきだということで、そういう方向で作業を進めております。それからこの前の部会で、公職選挙法の違反の中で、少なくとも実質犯と普通言われている買収事犯、あるいはこれに準ずるような事犯は、今日国民の意識として自然犯として理解をすべきじゃないかというような意見委員の間に非常に強い意見として主張されておったことも聞いておったのでありますが、さような点から見ましても、御指摘のように、いまの行政犯として取り扱われておったものが自然犯として取り扱われるというふうに移行してくるということは十分に考えられることだと思います。問題は、たとえば刑法で来ましてから今日まで六十年間、二百十一条——人の生命、身体に危険を及ぼすような危険な業務に従事している者の注意義務、その注意義務に違反した場合の刑罰というようなものが、長い間自然犯として、反社会的な行為として、私どもは国民の間にまさに定着してきたのだというふうに理解をしておるわけでございますけれども、そのようなものをこの際、道路交通法違反のほうへ移行していくというふうなことを考えてみますと、たとえば酒酔いなんかの最も悪質な業務上過失致死傷と思われるようなものが取り締まりの法規のほうへ移行しましてあと、依然として三年以下の刑罰が残っておるわけでありますが、そちらの残されたものと、それから道交法のほうへかりに移行するとすれば、移行されたものとの間の犯罪的な評価というものを考えてみますというと、これはちょっと、重いものが行政犯のほうに移っておって軽いほうが刑法のほうに残っていくというふうなアンバランスがそこに生じてくるのじゃないかというふうなこと、それから同じく人の生命、身体に危険を及ぼすような業務に従事をする者の注意義務が、あるものは重く、あるものは軽く、こういうふうに法律評価することが合理的であろうかなかろうかという点もなかなか心配になる点でありまして、およそ人命に影響のあるこういう業務に従事する者の注意義務は、汽車であろうと自動車であろうと船舶であろうと、あるいは炭鉱の保安業務であろうと、その間の法律評価には甲乙はないのだ、やはりこういう立場に立つべきじゃなかろうかというような点も考慮いたしまして、自然犯と行政犯との区別並びに時代の進み方によってそこに変更が出てくるということを認識しつつも、なおかつ、今日の状況におきましては刑法改正によってまかなうのが最も妥当だ、こういう考え方にたっておるわけでございます。
  134. 亀田得治

    亀田得治君 刑法の中で規定するか、あるいは道交法で規定するかということは、これは私はもう枝葉末節だと思うのです、こういうことは。それは学者は刑法であれば自然犯、そうでなければ行政犯というような考え、概念があるかもしれぬが、外部の人は何もそんなことは考えていませんよ。そこで書かれる罰則というものだけを考えているわけですよね。だから、何も不自然でも何でもないのですよ、刑法が軽くて別な法規でそれよりも重いものができても。しかし、それがていさいが悪いというのであれば刑法に書いてもいいが、二百十一条の二とか三とかというものをつくって、そうして当面問題になっているものについて五年ぐらいというようなこと言わぬで、七年ぐらいなものをぴしっと書くのですよ、それは。それはどっちでも私はいいと思うのです。  それと、もう一つの問題は、同じ注意義務について、酔っぱらい運転による事故、それと、ほかの業務上のものと非常に差がついてくるのはおかしいという説明、これは専門家のそういうことは好みですよ、そんなことは。何も社会がいまそのことを言っているのじゃないのですから。あなたの提案理由説明を見たって、ちゃんとはっきりしておるのだから、これは。そんな要求もしていないことを特に刑罰を上げていく必要ないと思うのですよ。ともかく、当面のことについては、これは刑法改正をしたって、それで万全とはだれも思っていないのでしょう。取り締まり法規の刑の強化だけくらいで済む問題じゃないということは、これは関係者みんなわかっているのだ。そういう事柄ですから、なおさら私はいま必要とすることだけを、しかも思い切った書き方を、刑法で書くにしても、道交法で書くにしても、すれば、それで足りると思う。そのほうがはっきりするのです。あとのことは、大体学者の、そういう統一的にものを考えたがるとか、そういう遊びですな、これは言うてみたら。(「それは言い過ぎだ」と呼ぶ者あり)これは形容詞だから、それくらい言わないとはっきりしないのです。遊んでいるとは申し上げませんけれども、そういう感じがします。そういうところで非常にたくさんの議論をつぶしてるんだ。それであなた、日弁連の諸君というものは、そんなしろうとでも何でもないのですからね。在野の法曹もおれば、元検察官、あるいは裁判官をやられた諸君も集まって、そういう結論を正式に出して、そうして法務省へ申し込んでおるのでしょう。だからそれは、私はもっとこういうものは与野党一致してそうだといえるかっこうになって出ていかなければ、効果が相当減殺されますよ。私はもうそういうふうにこれは確信してるんですよ。この問題については、一応この程度にしておきます。
  135. 秋山長造

    ○秋山長造君 この二百十一条の専門的な法律論は、また後日、亀田委員と法務当局の間で大いにやっていただきたいと思っているのですが、私のはまあ常識論です。常識論ですけれども、しかし、案外この交通問題などというものは、常識論のほうが当たっていることが私は多いと思うのです。で、とにかく私は刑罰を科する以上は、これはその刑罰の対象というものは、やはり端的に具体的にはっきりしておらにゃ困ると思うのですよ。特に先ほど法務大臣がおっしゃったように、何も政府は罰則強化だけが交通事故対策でも何でもない、これはもうあらゆる多面的な施策の中のほんの一部として、この刑の上限を上げるということによって注意を喚起する、関係者のね。そういう効果をねらっている。私は政治の立場からいえばそうあるべきだと思う。だから、そういう趣旨からいいますならば、やはり二百十一条の業務上過失云々というようなことじゃ、これは響かぬと思うのですがね。これはもう自動車を運転する人がいつもポケットに持っているのは道路交通法でしょう。交通取り締まり法規、その中でも、車に乗る者として一番慎まなければならぬということは、もう酒を飲んで運転してはならぬとか、それからスピード違反をやってはいかぬとか、あるいは無免許では絶対いかぬとか、必ず免許証を持たなければ運転してはならぬというようなことは、もう一番端的に響く、一番周知されているこれは問題だと思うのです。しかも、自然犯、行政犯という議論がありましたが、私は専門的なことはわかりませんけれども、ただ、いままでの刑法なり、刑法を動かしてきた一つ法律思想というものでは律し切れない新しい犯罪の分野じゃないかと思うのですよ、交通事犯というのはね。しかも、通常の場合は、犯罪は人が直接手を下して行なう場合が多いのだけれども、この場合は、運転している車そのものが危険物なんですよ、いわばね。だから、酒を飲んで酔っぱらって運転すれば、もう大なり小なり、結果として何らかの事故は起こるであろうということは、これは必然的に予想されることなんですね。結果に対するその処罰ということも大切ですけれどもね。むしろその前提になっている飲酒運転そのものの責任をもっと重くするということが、私はやはりいま法務大臣のおっしゃる趣旨に、ぴたり、ずばり沿うのじゃないか。なぜならば、その酒を飲んで運転するということさえとめれば、それでその結果は出てこないのだから、人を殺傷したりすることはね。ですから、どうもこの道路交通法の罰則をもっと手直しするか、その面でチェックするほうが効果的なんじゃないか、より端的に響くんじゃないかという感じがしていかぬのですが、この点、警察庁のほうはどういうふうに考えられますか。
  136. 鈴木光一

    政府委員(鈴木光一君) 飲酒運転が事故につながりやすいということで、また事実統計にもあらわれておりますように、事故の原因として酒酔いというものが、死亡事故だけをとりましても、毎年一〇%ないし一一%あるということでございますので、私どものほうは取り締まりの重点といたしまして、飲酒運転の取り締まりを積極的にやっておるわけでございますが、罰則の強化の問題につきましては、私どものほうはむしろ取り締まりを厳重にして、いまの罰則ですと一年の懲役がついております。それを量刑上やっていただけば、いまのところ酒酔いだけにつきましては、十分ではなかろうかというふうに考えておるわけであります。しかし、酒酔いの罰則の強化ということにつきましては、やはりまたいろいろ考えなくちゃならぬことがございますので、取り締まりの実績を見まして、それから今後の事故の実態をさらに見きわめた上で検討すべき問題だ、かように考えております。
  137. 秋山長造

    ○秋山長造君 じゃあ、もっと具体的にお尋ねしますが、これは皆さんそれぞれ役所が違っても、やはり政府側という共通した立場がありますからね。だから、あまり口を、符牒を合わさぬように、正直なところを思うままに言っていただきたいと思います。それだからといって、食い違ったからどうのこうの言うわけじゃない。実際、交通の取り締まりに当たられる立場、またその経験上からの率直なお答えをいただけばありがたいのですが、酔っぱらい運転ということを防止するために、酔っぱらい運転をやった結果事故を起こした、その事故に対して刑法で五年以下の懲役または禁錮、こうやるほうが効果的なのか、それともそこまでいく前に、酔っぱらい運転そのものの罰則を第一段として強化するということのほうが酔っぱらい運転の防止に役立つのか、どっちですか。両方役立つと言われればあれですが。
  138. 鈴木光一

    政府委員(鈴木光一君) できれば両方やったほうがいいと思いますけれども、酒酔い運転というのはいろいろ基準がございまして、どの程度の酒を飲んだ場合に罰則をかけるかということにつきましては、たいへんこれはむずかしい問題でございます。現在直接に罰則のかかるのは、御承知のように道路交通法で一応の基準、酒気帯びという基準をきめまして、さらに正常の運転ができない状態にあることをプラスしているわけでございますが、この認定が非常にむずかしいわけでございまして、その違反の段階で、どの程度飲んでおったら三年だということについてはなかなかむずかしい問題だと思います。威嚇的な意味で、罰則を上げるということだけでは問題が残るんではなかろうかという気がしております。
  139. 秋山長造

    ○秋山長造君 ただ私のいま問題にしているのは、事故のうち、特に重大な人身事故、一審の判決で少なくとも二年以上の刑を受けているというものを主として問題にしているので、また、それが今回の刑法改正の主たる提案理由になっております。この実例を読んでみますと、そんな、飲んだか飲まぬかわからぬような、ちょっと酒のにおいがする程度というのじゃないのです。みな日本酒四合飲んだとか、その上にさらにビールを十本飲んだとか。だから、これはやはりいまの道交法からみても当然処罰の対象になるでしょう。それだけ飲んでやっておったらね。それが多いのです。ビール十数本飲んで無免許で運転したとか、酒を一升飲んだというのもありますよ。それからさらにその上にウイスキーをがぶがぶ飲んだのもあるし、だから、とにかく相当な飲酒運転です、みな事故を起こしているのは。ですから飲酒運転そのものを罰する。飲酒運転そのものの罰則を強化することによって警告を発するということは、私は重大事故を予防する立場からいえば非常に効果的なことじゃないかと思うのです。一罰百戒というようなことばがあるくらいで。それから同時にそのことが、必ずしも車を扱う者に過酷な刑罰を科するということにならぬと思いますがね。それだけ飲んで運転すれば、まあほとんどの場合重大な結果を招いているわけです。そうしてその結果、刑法でやられる、こうなっているわけでしょう。だから不必要に罪人をつくらぬ。事前にここで、酒を飲んで運転するという段階でもう遮断をして、それから先まで行かさずに済むという効果があるのじゃないかという私は気がするんですがね。それからまた、そこまで徹底しなければ、道路交通法でこういうことを、ひき逃げとか、酔っぱらいとか、無免許だとか規定してみてもしょうがないと思うのですがね、どうですかな。
  140. 鈴木光一

    政府委員(鈴木光一君) 先生の御議論を、かりに酒酔い運転の罰則を強化するという立場に立って強化して、これはいま現在一年ですが、かりに三年までに持ち上げるということにした場合、単に酒を飲んで、違反運転でございますね、違反運転をして三年。しかし、酒を飲んだ結果、人を死亡させたという結果の重大なことについて同じだということはおかしいと思います。そういう意味で、いまの酒酔いの違反を一年ということで、その結果について責任を負わせるという立場は、やはり貫いていくべきじゃなかろうかという気がいたします。
  141. 秋山長造

    ○秋山長造君 じゃ、その結果についての責任まで道交法で規定するということはどうなの。
  142. 鈴木光一

    政府委員(鈴木光一君) その問題につきましては、先ほど法務省の刑事局長からお答えのあったとおり、われわれもそう考えております。
  143. 秋山長造

    ○秋山長造君 この点は、相当専門的な法律論になるでしょうけれども、どうも二百十一条の「業務上」というのは、外国の例をいろいろ引かれましたけれども、外国のここにあげている例を見ますと、やはり飲酒運転なんかということを相当具体的にきめていますね。たとえば、そこに出ているドイツ刑法なんかだって、アルコール飲料もしくはその他を飲んで操縦した場合というように、いまの日本の場合でいえば、道交法の規定とそれから刑法の規定と、両方込みにしたような規定が具体的に出ていますね。これならこれでまたその刑罰の対象がしぼられてはっきりしているからいいのですけれども、それが一つのあり方だと思うけれども、日本の刑法の場合は、ただ業務上過失というような、これは実に広いわけでしょう。ただ交通事犯だけでなしに、まあお医者さんだとか薬屋さんだとか、それから学校の先生から何から、ずいぶんこの対象は広いわけですよね。ところがその交通事故以外の事件というのは統計数字から見てもまことに微々たるものです。むしろ減っていますわね。交通事故がふえると逆に減っているわけですね、この資料を見ましても。ですから、そういうことから考えると、やはり刑罰対象がはっきりしていないわけですよね、二百十一条でやられるということは。ですから、そこから当面自動車による交通事犯というものがもう主たる対象に今回はなっているわけなんですね。だから、やっぱりせっかくこの道路交通法という、それをもっぱら対象にした法規があるんですから、この道路交通法というものをもう少しくふうして、これでもうそのものずばり取り締まる、処罰するということのほうが常識的じゃないかと私は思う。また、国民感情、一般常識にもぴんと響くのじゃないかという気がどうもしてならない。法務大臣、いかがですか。
  144. 赤間文三

    国務大臣赤間文三君) 私はまあ率直に申し上げると、やっぱり刑法とこの行政取り締まりの道路交通法とをいかにうまく運用するかということによって成績があがるのであって、どっちか一つでやるということは、きちっとして調子はいいようだけれども、なかなか無理が起こってくるのじゃないか。なぜ無理が起こるか、何ぶん四十万件というようなものを一ところで処置をやるということは容易でない、そしてそれには非常に重いのもあれば軽いのもある。どうしても刑法にひっかけなければならぬものもあれば、刑法まで持っていかぬで行政的にどんどん処置を早くやるということがまた必要だというような特性もあると思う。こういうことで、私はもうこういう件数の何十万件というようなものは、やはりこの取り締まり法規と刑法と、この二つをいかにうまく使うかということによって目的が達せられるのではなかろうか。あるいはもしも六十何万件を刑法で全部やろうというても、これまたたいへんなことになる。それからまたそういうものを、罪の重い軽いは別として、全部道交法にいくと、たとえばほかの電車あるいはその他の危険物を扱うもの等で、危険が起こったときのバランスがとれなくなるということで、われわれ国民にとってやっぱりそういう法理上の無理があるのじゃなかろうか、これは私は非常に件数がとにかく何十万件とあるという一つの異例なもので、これがまただんだんに事件が減ってきて、あるいはもう年にわずかなものになれば、これはもう私は刑法だけでもあるいはいいと思いますが、どうもいまのような異常な、まるで驚くべき事件を、すみやかにしかも合理的にやっていくには、どうしても二つ方法をうまく利用するということが時宜に適しておる、こういうように率直に、私はあまり刑法のことを詳しくないのでありますが、私の考えを率直に言うと、この二つをいかにうまくこなすかということ、ことに酒なんというのは、私はしろうとでありますが、やっぱり強い人もあれば弱い人もあって、五合飲んでも事故を起こさぬような人もあるし、三合飲んでもすぐ起こすような人もあるかもしれない。ケース・バイ・ケースで、飲んだことと犯罪の起こったこととの、いろいろな場合があり得るのじゃないかというような気もする。その辺がなかなかむつかしいのじゃないかと思います。何か飲酒運転がいかぬということはもう決定的でありまするから、これはもう酒をやめてもらえばいいんですが、こいつがまたなかなか、少々やちっとのことでは、酒好きの人はどうもよほどのことをやらないと、注意しないと、これは酒をやめぬというようなのもあろうし、やるとあぶないし、これまた非常に飲酒運転だけでも私は実際の取り締まりは容易でないような気がいたします。まあ私はそういうようなふうで、両方うまく組み合わせていくというところに、この取り締まり、刑法の妙味があるようなものじゃないかと、私は私一人だけの考えかもしれませんが、率直に言うとそういう考え方を私は持っております。
  145. 秋山長造

    ○秋山長造君 私も大臣以上のしろうとなんです、この刑法なんかについてはね。しろうとですけれども、だから、私はどっちか一つでやれと、道路交通法でやって、刑法は一切交通事故についてはタッチすることと相ならぬと言うておるのじゃないのです。そう言うておるのじゃないけれども、それはおのずから両方のものをうまく組み合わせ、バランスをとっていったらいいことですけれどもね。現在の道路交通法と刑法とをうまく組み合わせの妙を得れば、何も三年で頭打ちということはない。併合罪ならば四年半までいけるのですね。そういうこともあるのですから、頭打ち頭打ちということを刑事局長も何回かおっしゃったんですけれどもね。必ずしもあのいただいた資料の統計をこう見ますと、もう一件あっても頭打ちというのですか、どうですかね。まあしかし、常識として一件や二件、たまたま三年のがあったからといって、それでもう上限が頭打ちになったということはおっしゃらぬだろうと思うのです。必ずしも、その実際の扱われた事件を一つ一つこう調べてみますと、頭打ちになった、どうでもこうでも刑法の上限を三年を五年にしなければ処置なしだというふうにも思えぬのですがね。頭打ちというのはどの程度のことをおっしゃるのですか。頭打ちというところで、その資料を見ますと、この三年以上というのはほんとうに数えるほどしかないわけですがね。何十万件という毎年起こっている交通事故の中で、ほんとうに数えるほどしか三年以上というような実例はない。いかがでしょう。
  146. 川井英良

    政府委員(川井英良君) 頭打ちのほうから先にお答えいたしますと、資料に出ておりますように、法定刑の最高の禁錮三年をこえるものが数件ないし二十件に及んでいるというのがここ数年間の実際でございます。それから、二年ないし二年半をこえるというようなものがやはり数十件に及んでいるというのも統計の示すところでございます。そこで、問題は日本の裁判の実情でございますが、二百十一条以外の刑法の条文を適用された事件で、刑法に定められておる法定刑の一ぱい一ぱい、またはそれに近いものがあるかということでございます。もちろん絶無ではございませんけれども、窃盗でも傷害でも、その他の事件を見まして、法定刑の一ぱいをいっているというような事件はまず見当らない、刑の実情はその下限に集中しているというのが日本の裁判の実情でございます。これはその理由というのはいろいろ考えられますけれども、実際はそういうふうな運用がなされているわけでございます。ところが、二百十一条だけに限って見ますというと、その上のほう、最高刑を併合罪の加重によってこえるようなもの、ないしは三年のうちで二年という半分より以上をこえるというようなものがかなり出てきているわけでございます。これはほかの委員会で、最高裁判所も呼ばれて質問を受けてお答えしているのを聞いたところでございますけれども、これは裁判の実際から見まして、異常な事態と言って支障ないと思うわけでございます。そこで、私どもはそういうふうな裁判の実情から考えまして、二百十一条の科刑は頭打ちの状況を呈しているというふうに表現して申し上げてきているわけでございます。なお、この懲役三年ないし禁錮三年といったような事件の裁判例の裁判の理由の中に、法定刑が軽いというふうな趣旨を判決みずからが示しているもの、ないしは裁判官が判決を言い渡す際に、説示として、これだけの刑しかないからこれを言い渡すのだけれどもというようなことに触れたような裁判も報告を受けているわけでございまして、これは非常に珍しいことだというふうに思うわけでございます。  それから次は、併合罪になるから、酒を飲んで運転した場合には、酒を飲んだということで道交法で懲役一年、それから人をひいたということで刑法のほうで禁錮三年、これは四十五条の併合罪になりますので、重いほうの一倍半ということになりますので、四年半ということになりますが、その場合には、三年と一年を足したものは四年しかなりませんので、四年以上になってはいけないという、また別の規定がございますので、酒を飲んで事故を起こした場合には、禁錮四年以下のところで処断をされる、こういうことに刑法上相なっておるわけでございますので、なるほど御指摘のとおり三年ではなくて四年で処罰できるのではないか、こういうことに相なるわけでございますが、これも裁判の実情といたしまして、この法定刑の範囲内で処断するか、それから併合罪加重をした処断刑の四年という範囲内で処断をされるかというと、いろいろ問題がございますけれども、裁判の実情といたしましては、その併合罪加重をした範囲内で本来の重いほうの法定刑をこえるというような実情はまずない、さがすのに骨が折れるというのが実情でございますが、この二百十一条の関係につきましては、百七十九例の中にございますように、まま三年をこえて三年半というような刑罰を盛られているのがかなり出てきているわけでございますので、これの科刑の実情としましては、たいへん異常なことだ、こういうふうに申し上げていいのではないか、こう思うわけでございますので、理論の問題と、それから裁判の実情というものとをかみ合わせまして、二百十一条の運用につきましては、科刑は頭打ちの状況にある、こういうふうに理解することは決して私間違いではない、こういうふうに思っているわけでございます。
  147. 秋山長造

    ○秋山長造君 たとえばいただいた資料の百三ページの表なんか見ると、三年以上というのは一件もないわけですね、読んでみると。それから、その前のページ、あとのページ、ずっと前後のページを見ましても、わりあいいわゆる頭打ちという、三年以上あるいは二年以上というのは、交通事犯の総数から考えると実に微々たる——微々たるでもその一つ一つは重大なんだと言われればそれまでですけれども、非常に少ない。これまで交通事犯がふえまして、それで最高刑というものが非常に数の上から言って少ないわけです。犯罪がふえれば、一体、量刑というものは重くなるのか軽くなるのか。そういう何か犯罪がふえるとか減るということで量刑が重くなるとか軽くなるとか、何か因果関係ありますか。
  148. 川井英良

    政府委員(川井英良君) 社会現象としての犯罪がふえてくるというふうな場合に、刑罰法令の適用にあたって量刑がどういうふうに考慮されるかということは、これはいろいろその罪種によりましたり、あるいはその犯罪がふえておる原因にもよりましょうし、また、犯罪がふえてきたということに対する国民感情がどうあるかというふうな、いろいろの諸般の事情を考慮の上で検察官が求刑基準を考慮する。裁判所、また、検察官が立証したところに基づいて、具体的な事件についてどの程度の刑罰を盛るかということは、刑法運用を通じての裁判による法秩序の維持のために貢献するかというようなことをいろいろ勘案いたしましてきめられることになると思いまするので、一がいにはそのものずばりでお答えを申し上げることは困難だと思いますけれども、異常に犯罪が増加している、しかも、犯罪が増加したということについて格別の理由というふうなものがなくて、もっぱら何と申しますか、犯罪のための犯罪といいますか、そういうふうなかっこうにおいて犯罪がふえておるというふうなことであれば、これはまた刑罰の働く分野というものが新しく認識されなければなりませんので、それに応じて科刑の点についても若干の考慮が払われるということになるのではなかろうかと思っております。
  149. 秋山長造

    ○秋山長造君 これはちょっと下品な例になりますけれども。立ち小便は禁止されておりますね。だけれども、立ち小便したからというて処罰されたという例をあまり聞きませんわね。あるいは銀座の尾張町の道ばたでやれば処罰されるかもわかりませんが、一般的にはね。これはやはりあまり多過ぎるから結局量刑が軽くなるという、その例に当たるのですか、どうですか。しかも社会的な非難をあまり受けないということになる。
  150. 川井英良

    政府委員(川井英良君) いろいろ刑罰法令がたくさんございまするけれども、現実にそれに当たるような行為が社会に行なわれておりましても検挙、処罰をされないというふうなことは、ただいまおあげになった例以外にもほかにもたくさんあると思います。ただ、問題は法律をつくってそこに刑罰を設けるかどうかという問題でございまするけれども、そのつけられる刑罰には、それぞれの刑罰の持つ目的、意味というふうなものがあろうと思われるのでございまして、われわれ警察官も、検察官も同じでございますが、犯罪捜査を法律義務づけられておる者が順守することになっております刑事訴訟法をお読みくださいましても、犯罪ありと思量するときはこれを検挙することができるとか、あるいは捜査することができるというふうな書き方になっておるのが多いわけでございまして、これはおよそその刑罰法令に触れるような行為があるならば、そのことの大小を問わず、その影響のいかんを問わず、すべてこれを検挙して裁判所に送り込むということが、社会の秩序のためにはたしていいのか悪いか、この辺のところは一応捜査ないしは裁判に従事する者の健全な良識にまかされている事柄ではなかろうかと思うわけでございまして、一応一つの秩序としていろいろな法律が設けられておりますけれども、それに違反する行為があった場合において、どの行為を取り上げて処罰して、法秩序の維持に貢献するか、あるいはどの行為につきましては、そのときの状況に応じましてこれを看過するか、そうして見守っていくというだけにするかというようなことは、これはそのときのいろいろな事情と、また、法律の性格と、それから犯された行為の社会に与える影響というようなものから考えまして、あるいは取り上げ、あるいは取り上げないで別な行政的な措置でこれを済ませるというようなことが許されているのではなかろうか、こういうように思っております。
  151. 秋山長造

    ○秋山長造君 先ほど局長の御答弁の中で、幾つかの判例の中にも、二百十一条の刑の上限が低過ぎるという批判的な趣旨をうたった判決があるというお話がありましたが、しかし、それもあるでしょうけれども、私は知りませんが、しかし、同時に、よく引き合いに出される東京高裁の三十年四月十八日の判決です。その刑罰をもって威嚇するよりも、規律の周知徹底のほうが先決問題だという、よく引き合いに出される判決もある。これに対しては刑事局長はどういう御意見を持っておられますか。
  152. 川井英良

    政府委員(川井英良君) もちろんその事案により、ないしは罪種によりまして、そういう考え方があるのはもっともだと思います。しかも、場合によりましてそういう考え方が適用されている考え方があることは否定いたしません。ただ、この刑罰というものをどういうように理解していくかということで、いろいろこの考え方が変わってくるんじゃないかと思うわけでありまして、何といいますか、たとえば酒を飲んで車を運転して人を殺傷するというようなものは自動車だけなんだと、自動車事故が多いということは自動車の台数が多いので、これは当然のことだと思いますけれども、それ以外にこの二百十一条の適用になるような業種におきましても、われわれの経験によりますと、酒を飲んだために間違いを起こしたという例は絶無ではないわけであります。かりに一件でもあるとした場合に、自動車の運転に従事するものが酒を飲んだときは重く処罰される。それ以外の交通ないしはそれ以外の業態の場合において、酒を飲んで、不注意をして、その結果人を殺傷したというような場合には、三年で軽くていいんだ、こういうことになることは、刑法という法律の性格としては、とうていたえられないことだと私は思うわけでございます。一般の行政法規だとか、民事法規、御存じのとおりございますが、そういうものと刑罰法規との相違というものは私はそこにあるんじゃないかと思うわけでございまして、なるほど自動車の事故と、またそれが起因する飲酒というふうなものが圧倒的に多いということは、まさに御指摘のとおりでございますけれども、その他の業態におきましても、そういうふうなものは決して絶無ではないということも考えなければなりませんので、刑法という法律の、ある意味では、かたくなな性格から申しましても、かりに少なくともそういうふうなものが過去においてあり、また、将来予想されるというふうな場合においては、ひとしくこれが平等に適用になるということがこの法律の精神ではないかというふうに思っております。
  153. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 ちょっと関連。いまの刑事局長のお話、ごもっともだと思います。ただ、今回の改正で、酒を飲んだ結果、運転をあやまって人を殺傷した。これは重大な過失とか、あるいは注意を欠いた中でも非常に悪質なものとしばしば言われておるわけですね。そういうふうに説明されておる。ところが、いまお話しのように、その他のケースにおいては、あるいは逆に酒を飲んだためにかえって正当な判断を誤りまして、そうして人をあやまって傷つけたというような場合があり得るわけでありますね。そういうときに本来の刑法のあれからいえば、酒を飲んだから悪質だというのじゃなくて、その何といいますか、むしろ刑法のこれまでのこのたてまえからいえば、情状酌量すべきものじゃなかろうかというふうな、むしろ見方と申しますか、考え方といいますか、これが普通じゃなかろうか。その点が自動車を運転する場合と他の場合と、酒を飲むということは同じだけれども、罰する立場においては相違が若干あるのじゃなかろうか、こういう感じが私にするのですけれども、いや、それは刑法においては同じく見るのだということになるというと、いまの改正案の、五年に上げて、そこは悪質だから、悪質なものはそこまでで頭打ちだから、それをこしてやるのだ、その中に、たとえば酒を飲んでやるがごときはまさしくこれは悪質でござるという説明が繰り返されてきておるわけでありますね。そうすると、いまの御説明とちょっとこのケースとしては違うのじゃないか、こういう印象を受けるのですけれども、どうでしょうか。
  154. 川井英良

    政府委員(川井英良君) 酒の飲み方にもよると思いますが、ぐでんぐでんに泥酔をして、刑法でいうところの心神耗弱とか、心神喪失とかいうような、是非の弁別がわからないという程度になって車を運転したというふうな場合ではなくて、一応判断する能力が残っておる程度に飲酒をして、そうして車を運転して事故を起こしたというような場合が、先ほどから議論になっております道交法にいうところの飲酒運転、その結果事故を起こした場合には、刑法二百十一条の業務上過失致死罪ということで両方が併合罪のようなかっこうになって、重いほうでもって処罰される、これがいまの適用の実際に相なっております。そこで、自動車以外にも、汽車も電車も船も飛行機も交通機関でいえばありますけれども、そういうような運転に従事する者が、それじゃ絶対酒を飲まないのか。それもちょっと一ぱいひっかけて気分をよくして、そうして運転をやるというふうなことで、ここの百七十九の事例は、ごく最近の事例を選びましたので、的確な事例は必ずしも載せていないかもしれませんけれども、私もちょうど三十年この仕事をやっておりますが、私の経験によりましても、飲酒をして汽車、電車を運転して、急行列車が二つも三つも駅を素通りして行ってしまったというふうなこともある。これはたまたま事故になりませんので大きな新聞記事には相なっておりませんけれども、そういうふうな事例は決して絶無ではないのでございます。飛行機とか、あるいは船舶の運転というふうなほかの交通機関におきましても、飲酒運転というふうなことは容易に経験上考えられる事柄でございます。それから炭鉱の保安とか、あるいは医師におきましても、もぐりで医師をして、手術の結果、相手を死なせてしまったというふうな裁判例もかなりの数が過去においてあるわけでございますので、ここに悪質な三悪としてあげました酒酔い運転、それから無免許運転、それから著しい無謀運転、そういうふうなことに匹敵するようなほかの業態における悪質というふうなものも、一応十分に考えられるわけでございますので、そういうふうな点から申しますというと、どの職種をとってみましても、ひとつ誤れば人命に直ちに影響があるというふうな業態に従事するものにつきましては、私は刑法の面におきましては、それを平等に取り扱うということが、これは憲法を持ち出してはたいへん失礼でございますけれども、憲法十四条の平等の原則からみましても、三十一条の刑罰法令を適用するについては、適正手続がなければいけない。刑罰法令は実体法も手続法も適正、合理性がなければいけませんということを言っておりますので、憲法の精神から申しましても、これは刑法でもってまかなっていくというのが私は筋だろうと、こう思うわけです。
  155. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 私はほかの汽車とか、汽船とか、飛行機とか、そういうものと比較をしているわけではないのです。刑法のたてまえにおいて同じような一つ基準と言いますか、考え方で律していくべきではなかろうかと言われることは、そのとおりだと思います。ところが先ほど来問題になっているのは酒と自動車の運転の関係なんですね。もしぐでんぐでんに酔いまして、見さかいもなく酔って、そして自動車を運転をして人を殺傷しますると、これは悪質ということになると思うのですね、今度の改正におきましても、現行法におきましても。そういうふうに説明され、そういうふうにいま理解しておるわけであります。しかし、過失犯の一般の原則からいいますと、むしろぐでんぐでんになってあやまって人をけがさせた場合は、これは悪質でございますというふうな考え方というものは、むしろ少ないのじゃないか、逆じゃないか。言わんとするところは、自動車と酒の関係なんです。もし憲法論、私よくわかりませんけれども、それではなぜ道路交通法に酒を飲んで運転をすれば懲役一年になって、ほかの汽車とか、電車とか、それは酒を飲んで運転したら罰するという規定はない。なぜ同じような運転でありながら、それは道路交通法は行政法規だと言われるかもしれないけれども、しかし、国民を罰するという点においては同じだと思うのです。片一方はいやしくも酒を飲んで運転すればこれは懲役一年ということになる。しかし、ほかは酒を飲んで電車を運転したからといって、それだけで罰せられることはない。やはり自動車というものの持っている特殊の性格と言いますか、それと運転をするというものとの一つの特殊性と言いますか、そこに酒というものがあらわれているのじゃなかろうか。したがって、刑法は、今度の改正案は、自動車は区別していないけれども、主として自動車を対象にしているとすれば、酒の害というものがそこに特別な意味合いを持って、刑法一般の、あなたの言われる理論ですか、それはぼくは賛成ですよ、そうあるべきだと思いますが、それにそうぶつからないのじゃないか、こういう感じがするわけですけれども、関連質問ですから、この程度にしておきます。
  156. 秋山長造

    ○秋山長造君 そこで、これは刑法できめられるならば、きめられるのには私はもう少しやり方がないかということも聞いてみたいのですよ。たとえば、ドイツ刑法なんかには、「アルコール飲料若しくはその他の酩酊性物質を用いたため、又は精神若しくは身体に欠陥があるため、乗物を安全に操縦できないにもかかわらず、軌道車両、ケーブル鉄道車両、船舶若しくは航空機を操縦し、」云々というようなことがありますわね。それから他にもあるかもしれませんが、ルーマニア刑法なんかにも、「自動車運転者又は自動車若しくは機械力による車両の操縦者が過失致死を犯したとき、自己の責めに帰すべき酩酊状態にあった場合は五年以上一二年以下の懲役。」、こういうふうに、もうずばり具体的に対象をきちっときめてしぼってあるのですね。これならばもうその関係者が、今度こういう刑法改正が行なわれた、これではもうずばり酒をのんでは一切運転ができぬぞと、こういう警告の効果があると思うのです、端的に。だから、それを日本の刑法の場合は、ばく然と業務過失ということで一切を含めているわけですね。今まではないけれども、今後あるかもしれないというようなことまで予想して全部含めている。それからいまおっしゃった自動車以外にも、めいてい運転ということがないとは言えぬ、絶無とは言えぬということ、それは長い間には幾らかそういう例があったかもしれぬけれども、しかし、今日問題になっているような、そのために大きな事故を起こしたという例はないのじゃないですか。それから、ここにある百七十幾つの実例を見ましても、自動車以外の乗りもので、酒に酔っぱらったために云々という例はないですね。これは短期間の実例ですから、長い御経験の上からは、いや、それは一度こういうことはあったとおっしゃるかもしれませんが、いまの場合、今度の刑法改正の主たる理由、動機というもの——主たるではない、全面的にそうだと言ってもいいくらい自動車による交通事故が当面の目標でしょう。だから、それならばむしろこういうばく然とした業務上過失というような形でなしに、もうはっきり、たとえばドイツ刑法なんかの、刑罰の対象というものをずばりはっきり文言にあらわすということが、かえって実際的じゃないかという感じがするのです。  それからもう一つは、ついでに御所見を伺っておきたいのですが、さっきいただいた改正刑法準備草案、それから現行刑法、それから改正刑法仮案、この三つの対照条文の資料ですけれども、この中の一四ページに、傷害ですが、現行法二百四条、「〔傷害〕人ノ身体ヲ傷害シタル者ハ十年以下ノ懲役」云々ということになっていて、これが昭和十五年に発表された仮案の三百四十三条では七年に下げてありましたね、十年以下というのが七年以下と。それから三十六年に発表された準備草案の二百七十三条では、やはり同じように七年以下と、こう軽くしてあるのですね。そのかわりに準備草案では、新たに重傷害という規定を設けて、二百七十四条で、「一年以上十年以下の懲役」、こういうように現行の刑法では重い傷害も軽い傷害も全部含めて十年以下の懲役と、こうしぼってあるのを、今度は具体的に、軽い傷害の場合には七年間、重い傷害の場合には十年間、こういうように二つに分けて、一そうこう具体的に端的にやってあるわけですね。これをそのまま採用することになるのかどうか知りませんけれども、そういうように、一口に傷害といっても、軽度のものもあれば重いものもあるということで、こういうように二つに分けたのだろうと思うのですが、そうすると、いま問題になってる二百十一条なんかでも、この業務上過失致死傷、業務上過失というようなことで、重いも軽いも全部包含してしまうやり方よりも、やっぱり業務上過失も軽度の軽い過失と、それから後段に書いてある重大な過失というように二つに分けたらどうですか。それで、たとえば飲酒運転の上にさらに無免許だとか、それから無謀運転だとか、たいがい二つか三つか重なり合っているのが多いですね、この悪質なのは。だから、、そこになると、私はこの問題、ただ通常の過失というようなことで、何か過失とは何ぞやということになると、これはなかなかむずかしい議論になるようですが、ただ、そういう議論だけでやっぱり過失として処罰するということが一体ほんとうに正しいのかどうか。まあ未必の故意は立証が困難だからというようなこともよく言われているようですがね。しかし、これは飲酒、無免許、そして無謀と三つ重なって、しかも、その上に人を傷つけたり殺したりということになれば、これは依然として二百十一条のほうのまあ業務上という、頭につくつかぬは別として、過失というものは普通の常識からいって、いまの過失の概念で、これを処理すべきものかどうかということで、むしろそういう点は、この前の、いまさっき申しました重傷害、これは故意になるのじゃないですか。だから、そこらをあえて業務上過失というワクにはめ込もうとするために、無理に上げなくてもいい上限を五年に上げたりしなくちゃどうもさばき切れぬというような矛盾が出てくるのじゃなかろうか。とにかく飲酒運転、その酒を飲んで運転をしてはいかぬということはよくわかってることですからね。だから、わかっておりながら酒を飲んで運転をして、それでその上に無免許でいかぬということもわかっておって、無免許でスピード違反をやったらいかぬということがわかっておってスピード違反をやったり、信号無視をやったりして突っ走るというような、それを単純な過失という概念で過失のワクに入れるということはどうですかね。もうそこらだったら故意じゃないですか。まあ境目のところを未必の故意というのでしょうけれどもね。だから、未必の故意犯というほうのワクにそれらを入れて、別に抵抗がありますか、学者から。実務家の抵抗があるですか。
  157. 川井英良

    政府委員(川井英良君) 最初に外国の法令の御指摘がございました。外国の法令というのは確かに私どもの国の立法ないしは解釈に非常に参考になるということは、これはもう申し上げるまでもないことでございますけれども、このいわゆる基本法との関係、それから手続法との関係、それからそういう法律全体についてのものの考え方というものは大きく変わっておりますので、よほど検討の上で彼此対照していかないというと、ぴったりこないものがあろうと思うわけでございます。そこで、たとえばドイツ刑法なんかにおきましては、酒を飲んで運転し、その結果事故を起こしたというような規定があるわけでございますし、それから英米法のような系統にいきますと、めいていは弁解にならない。抗弁にならない、こういう法律上の古くからの原則がございまして、酒を飲んでやったということは抗弁にならないというふうなたてまえで法律ができ、また、そういうたてまえで運用がなされておるというような実情にございます。それからまた、ドイツ刑法なんかの場合におきましては、御承知のように、裁判官の裁量の幅というものをあまり大きくしないで、なるべくこまかく具体的に規定するというふうな、従来からの方針が貫かれておりますために、一九六二年、法案がまだ国会に継続中でございますが、それなんか見ましても、わが国の刑法の倍以上の条文を持っておるというふうな実情に相なっております。そういうふうな状況にある。それからわが国の状況としましては、これも御説明申し上げるまでもないことでございまするけれども、旧刑法が御承知のとおり非常にこまかく規定しておった。窃盗だけでも七種類の型の窃盗を規定しておったというようなことを全部改めまして、先ほどの二百四条の傷害罪、それから二百三十五条の窃盗罪の全部を一本にまとめまして、そうして全部十年以下という刑を盛りまして、個々の具体の事案における刑罰の妥当性は、その具体的事件をさばく裁判官の妥当な判断にまかせようというふうな形をとっていっているわけでございます。そこでもって二百十一条もそういうふうな形の系列の中にはめ込ませておる条文でございますので、これも大きくものを区別しないで、およそ業務に従事する者は、事故を起こした場合には三年以下、こういうふうに規定されて、そのどういうものを重く見る、どういうものを軽く見るかということは、あげて裁判所の良識にまかせる、こういうふうな態度をとってきているわけでございますので、そういうふうな形に相なっておるわけでございます。そこで、先ほども二百四条が、十年が七年になったということでございますが、これもいろいろ理由がございますが、私の記憶では、具体的事例を申し上げますと、二百四条で懲役十年の一審判決があったのは、たしか徳田球一さんが、佐賀で、選挙演説に行ったときに、劇場の上のほうから爆弾か何かを投げられてけがをしたという事件、これはいろいろな関係から殺意が認められないということで傷害罪で処罰されて、たしか一審で懲役十年という刑がいったことを記憶しておりますけれども、おそらく二百四条以下で単純傷害でいっぱいいっぱいの刑をいったというのは、これだけでないかと思うわけでございます。ものすごいたくさんの刑罰がございますけれども、私どものいままでの実際の運用を見ますと、傷害というのは、御承知のとおり三日の打撲傷でも、ミミズばれができましても、これは刑法の解釈として傷害罪になりまして、単純暴行ではございませんので、暴行が二年以下、それからミミズばれができたり、あるいははれたというふうなことになれば、傷害罪ですぐ十年以下ということになりますので、この辺の長い間の運用の実績から申しまして、生命に危険を生ずるような場合という場合だけを重くして、それ以外の傷害というのは、傷害の幅は非常に広いわけでございますから、十年以下で限るというのは、あまりにも広過ぎるので、いままでの実績からいって七年以下というふうにしたほうが妥当ではないかというのが、この法制審議会の刑事部会で議論されまして、こういうふうな案ができたように理解いたしておるわけでございます。
  158. 秋山長造

    ○秋山長造君 もう一点、お尋ねした二百十一条ね、少なくとも軽過失と重過失というように二つに分けたらどうですか。これが一本で、この資料にあるようないろんな道交法違反が二つも三つも組み合っているんですからね。その結果、これは相当悪質で、常識からいえば、こういうものを単なる過失として扱うことに無理があるんじゃないか、それをどうも業務上の過失というあいまいもこたる概念にとらわれて、あくまでこれを二百十一条の業務上の過失というワクの中に入れようとするから、だから、それで上限の三年が押し上げられて五年にというようなことになってるんじゃないか。だから、むしろこういう三つも、四つも道交法違反なんかが重なりあっているような犯罪は、これはむしろ過失というよりも故意犯として扱うべき筋合いのものではないか、それを故意犯であるべきものまで業務上過失と過失犯の中に入れようとするから、そこに無理ができるんじゃないかという点が一つと、それから業務上過失の中へ含めるとしても、軽過失と重過失というように区分けをして、軽過失はさっきの傷害の例のように、もっと軽くしてもいいと思うんですよ、上限を下げてもいいと思う。重過失は上げるというように二つに分けて考えられぬかというこの二点。
  159. 川井英良

    政府委員(川井英良君) この、酒を飲んで事故を起こしたというふうな者は、酒を飲んで運転するということについては故意犯でございます。したがって、これは道交法の故意犯として処罰を受けるということです。酒を飲んだ結果、注意力が散漫になって、そして当然、法律上要求されておる注意を尽くさなかったために人を殺傷するというふうな事故が起きたということになりますというと、これは酒を飲んで運転するということについては犯意がございますけれども、その結果、人を殺傷するというふうな結果についてまで、通常の場合、おそらく犯意はないのが通常だろう、こう思いますので、起きた結果については、過失犯として処罰するより多くの場合においては方法がないと、こういうふうに思われるわけでございます。ただ、いままでたくさんやりました事例の中に、平素酒を飲むというと乱暴になるというふうないろいろな前の体験なり経歴、前歴を有しておるものであって、そして事故の実際からいきまして、明らかに明るいところであって、そして、被害者は十分に現認することができたにもかかわらず、急いでおったとか、あるいはめんどうくさいというふうなことで突っ切ったということのために、はねて死なしてしまったというふうな事故もずいぶんございます。そういうふうなものは、いろいろの客観的な証拠から調べてまいりまして、先ほど御指摘がございました未必の故意が十分に認められる、結果を予見しておりながら、その結果を避けるために努力をしないで結果が起きてもやむを得ないというふうな認容性を持って運転をしたと、こういうふうに認定いたしまして、未必の故意であり、したがって、過失犯ではないということで懲役十二年あるいは懲役八年とかいうふうな刑罰をやった事故も、その資料の中に掲げてあったと思いますけれども、かなりな例を持っております。ただ、これはいままでいろいろだくさん証拠を集めて起訴いたしましたけれども、未必の故意の認定は困難であるということで、過失犯に裁判の結果なった例もかなりあるわけでございまして、酒を飲んで運転したということ、その結果事故を起こしたという場合に、それをひっくるめてすべてが故意犯であるというふうに認定することは、私は刑法の上では原則として非常に困難であるというふうに思っております。  それから、二番目の十ぱ一からげに規定しないで、重過失と軽過失とを分けて規定するというような、きめのこまかいことを考えてはどうかというような御指摘でございます。それは、ただいまの法律は業務上の過失による死傷の結果、それから業務ではございませんけれども、重過失によるところの死傷の結果を生かしているというふうな二つを合わせて規定しているわけでございまして、業務でもない、単純なる軽過失によるところの殺傷事件については二百十一条に含めていないわけでございますので、その意味におきましては業務上の注意義務の程度と、それから業務でなくても重過失というような場合とは、これは同じに見ていいんじゃないかというのが昔からの刑法学説ないしは判例の示すところでございますので、そういうふうな方向をとって現行法が規定されているわけでございます。ただ、この案を法制審議会にかけたときに出た案の中にもございましたが、この死んだ、死という結果を生じた場合と、それから単なるけがで済んだというふうな場合を本件では一緒に規定しているのじゃないか、過失致死傷、それで三年以下、千円以下、こうきめている、死んだ場合を重くするというようなことを考える必要はないだろうかというふうな議論が出まして、これはいままでも出ている議論でございますけれども、これに対しましては、この事故の結果、ごらんいただきましても、生命には幸いにして異状がございませんけれども、六カ月も、三年も意識不明のままで後遺症が残って、死と同じような結果になっているというふうな事例もかなり出ているわけでございます。そういうふうな実態にかんがみてみて、やはりこの過失致死傷というようなものは、分けないで一緒に規定して、そうしてあとは裁判にこれをまかせるということが適当ではないかということで、このような結果に相なっているわけでございます。
  160. 秋山長造

    ○秋山長造君 傷害なんかの場合にね、傷つけた場合と、それから死なした場合とは分けてありますね。それを引っくるめるということはいかがでしょうか。外国の法令なんかにも、こういう軽いのと重いのと分けている例が多いんです。それから第一、業務上とは何ぞやというようなことは、また後日議論があると思いますけれども、業務上過失というのも外国には例がないんじゃないですか、業務上過失ということは。これは大体もう軽過失、重過失というような分け方をしているんじゃないですか。
  161. 川井英良

    政府委員(川井英良君) いま正確に申し上げるあれを勉強しておりませんが、全然ないわけではございませんで、そういう規定のしかたをしているところもあります。多くの場合は、ただいま御指摘のように、重過失あるいは軽過失というようなかっこうでもって規定しているのが多いようでございます。
  162. 秋山長造

    ○秋山長造君 私はどうも検察庁が求刑をなさるにしても、あるいは裁判所で判決をくだすにしても、いまの日本の刑法のようなこういうきめ方よりも、いまの軽過失、重過失というようなきめ方のほうが便利なんじゃないか。かえってわかりよくて判断がしいいんじゃないかという感じを持つんですがね。外国の例で日本のような業務上過失というようなことで、ばく然と一切がっさいを引っくるめているような例があれば教えていただきたいと思いますけれども、業務上過失ということには、法務省は非常に執着をされるわけですか、この刑法改正なんかなさる場合に。これを根本的に考え直すというか、再検討するというお気持ちはないんですか。また、そういう学者なんかどう言っているんですか、外国にあまり例がないんじゃないかと思うが。
  163. 川井英良

    政府委員(川井英良君) 結論としましては、当面こういう方法を踏襲してまいりたいと思っております。それから、これは業務上というのは二百十一条ばかりではございませんで、ほかのところにもこういうことばを使っておる。また、ほかの罰則にもこういうふうな使い方をしているところもございまするし、それから長い期間の運用で裁判例、いわゆる判例なんかにつきましても一応伝統的に確定いたしたものを持っておりますので、今日直ちに重過失あるいは軽過失というふうな区別を設けて立法をしていくということは、またほかのいろいろな法令との関係におきまして非常に困難が伴うと思います。それから刑法改正審議会なんかで集まっておる学者の方々の御意見を聞きましても、まだそこまで主張される方はほとんどないようでございます。ただ問題は、なるほど二百十一条に「重大ナル過失」、それから百十七条の二に「重大ナル過失」ということばを使って、わが刑法上重過失と軽過失の区別が一応明瞭になっているようでございますけれども、具体的な場合におきましてどの程度を軽過失というか、どの程度を重過失というかは、これは固々のケース、ケースによって十分な判断がなされなければならない問題だと思いまして、過失の大小というものを法律でもって定義づけるということは非常に困難だと思います。したがいまして、手続法あるいは裁判所法というふうな組織法の面からも考えあわせまして、この辺のところは一応裁判所にまかせて、良識ある判断を待つということのほうが、日本の法制としては適当ではないかと、こう思っております。  もう一つは、午前中申し上げたように、過失の事故につきましては、過失に重点を置くか結果に重点を置くかということが、またもう一つ運用上の大きな争点に相なっておりますので、軽過失だから刑が軽い、結果がいかに重大であってもそれは軽くていいのだろうかというふうなことがありますので、今日のところは過失主義に傾いてきたという傾向にございますけれども、過去においては結果主義のほうが非常に前面に出てきて、軽い過失でございましても非常に大きな結果を生じたというふうな場合には、重い刑罰が量定されているというふうな傾向に過去にはあったやに見受けるわけでございますけれども、そこのところがまだ必ずしも確定いたしておりませんので、二百十一条の改正に、御指摘のように軽過失と重過失をにわかに設けるということは、かなりのちゅうちょを感ぜられるというのが実情でございます。
  164. 秋山長造

    ○秋山長造君 そうしますと、大体の傾向としては、やはり結果主義よりも過失主義のほうに傾きつつある。大体の傾向がそうなっておるとすれば、今度の改正はむしろそれに逆行して、結果主義に重きを置こう、こういうことですか。
  165. 川井英良

    政府委員(川井英良君) どっちに重点を置くかということは非常に判定がむずかしい状況でございますけれども、以前は、二百十一条の運用としては裁判例をずっと審査してまいりましても、結果主義に重点がかかっていたのじゃないか、もちろんその中には過失主義のほうに重点を置いたものもあるようでございますけれども、従来の傾向がそういう傾向であったように思います。ところが、最近こういう事件が非常に多くなりまして、裁判例も非常に多くなりましたので、裁判所考え方というものはたくさんいろいろ示されてまいりましたが、そういうふうなものをずっと検討してフォローしてまいりますというと、最近の傾向としては、結果じゃなくて過失のほうに重点を置いて刑を量定しておるのじゃないかというふうな大きな傾向の動きが一応看取されるという程度のことでございまして、いまどっちに傾いておるかということをはっきり申し上げかねる事情でございます。
  166. 秋山長造

    ○秋山長造君 そうしますと、刑法の総則にも何条かにあるはずですが、大体、刑法の基本的な考え方として過失犯は処罰しない。ただ、特別な規定のある場合には例外がある、こうなっておりますね。だから、大体いまの刑法のよって立つ思想というものは、過失犯は処罰しないということが根本にあるわけです。それをいまの過失主義で、過失に重きを置いて処罰するということになりますと、いまの刑法の根本的な前提になっておるものが相当くずれてくることにはなりますね。
  167. 川井英良

    政府委員(川井英良君) 「罪ヲ犯ス意ナキ行為ハ之ヲ罰セスと」、これがいまの刑法の基本原則、御指摘のとおりでございます。ただし例外の場合といたしまして、特別な規定があれば処罰するということでございますので、まさに仰せのとおり、過失犯を処罰するのは刑法のたてまえとしては例外的なものであるということでございます。ところが世の中の進歩とともに産業が発達し、また科学が勃興してくるというふうなことで、非常に思わざるいろいろな、人命に影響のある事態が広範に、かつ数多く発生してくるという状況に相なったわけでございまして、最近、学者の中に、この過失犯というものについての刑法上の評価というものについて、いままでの考え方が軽過ぎたのではないかということを強く主張されるのが大体の傾向として言えると思うわけでございます。たしか京都の滝川先生なんかにおきましても、そういうことを論じられたものがあったように思いますし、また最近の、ただいま御審議いただいておるこの案の法制審議会にかけたときの委員の方々の御意見の中にも、近代的な社会における刑法の過失犯というものの評価というふうなものを故意犯と並べて考えていくというようなことについて非常に強い主張がなされておるということを見ておるわけでございますので、刑法の立て方といたしまして、故意犯を原則とし、過失犯を例外とするという立て方に相なっておりますが、それに対する理解のしかたと運用の実際というふうな面につきましては、必ずしも過失犯をことさらに軽く見るということはむしろ間違いなんだ、最近の社会現象に対して、過失犯というものをあらためて重視するという立場に立たなければならないというのが一般の趨勢であるように考えております。
  168. 秋山長造

    ○秋山長造君 そうしますと、新しい準備草案の該当条文はどういうことになっておりますか。過失は罰しないという現行法に該当するところはどうなっておりますか。ちょっとその資料でわかれば条文で示していただきたいと思います。
  169. 石原一彦

    説明員(石原一彦君) 本日御配付を申し上げました資料の十ページでございまして、準備草案では十八条でございますが、読み上げますと、「罪を犯す意思のない行為は、これを罰しない。但し、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。」、こう文語体が口語体になっておりますが、趣旨は現行法のとおりでございます。
  170. 秋山長造

    ○秋山長造君 そうしますと、いま局長のお答えになったような意味では、若干、過失というものに対する考え方が時代とともに変わってきつつあるのだということならば、五年先になるか十年先になるか知らぬが、一そう変わっていく社会の実情に適応したものにしようということでおつくりになった準備草案だと思いますが、やっぱり現行刑法の原則というものはそっくりそのまま、文語体が口語体になっているままで、準備草案の中にそのまま取り入れられているわけですね。あくまで過失を罰するというのは例外だというたてまえはやはり貫かれるわけですね、この準備草案で。そうすると、やっぱり例外というものは、原則はあくまで原則、例外はあくまで例外ですから、例外規定というものはできるだけ狭く厳格に解釈されなければいかぬのじゃないかと思うのですが、ただそういう趣旨からいきますと、刑法第二百十一条の「業務上」というようなわかったようでわからぬですがね、このことばは。これは刑法の学者の本を読んでみてもなかなかどうも私らわからぬ。ぴんとこない。わかったようなわからぬような感じなんですね。だから、いずれにしても、一口に乱暴な言い方をすれば、何でもかんでも「業務上」という摩詞不思議なことばの中にぶち込んでしまうような感じを受ける。したがって、そういう、広いといえば限りもなく広いという内容を持った罪で上限を五年に上げるというようなことをされると、世上非常に心配されているように、全般的に検事の求刑も高くなるではないか。したがって、また判決のほうも高くなるではないか。それから全般的にかさ上げをされるのではないか。それはたいへんだ、こういう心配が私は当然出てくるように思うんですが、過失は罰しないという——故意は罰するが、過失は罰しないという現行刑法の根本原則、また、いまの準備草案においても依然として根本原則です。その趣旨からいきますと、この二百十一条というものは、業務上の過失という概念というものは、ここらでひとつ再検討する必要があるのじゃないか。あるいはもっと端的に、はっきりした、やっぱり軽過失、重過失というふうな分け方のほうが現実的ではないのか。こういう例も外国にないことはないとおっしゃったけれども、しかし、まあ主要国にはないのだが、すみからすみまで見る余裕がないのですけれども、ざっと見て、これは「業務上」ということばはどういう沿革でこういうことばができたのですか、業務上過失というのは。
  171. 川井英良

    政府委員(川井英良君) これはいまの刑法ができたときからそういうことばが使われているわけでございますが、基本的には業務として危険な仕事に従事しているというふうな人たちには、通常の人より重い注意義務法律上課せられるのが妥当だ、こういうふうな素朴な考え方から「業務上」云々というふうなことができたことは間違いないわけでございますが、この刑法のほかの条文をごらんいただきますとわかるように、これこれこういうふうな業務に従事する者が云々というふうに書いてあるところと、それから「業務上」云云というふうに書き分けてある点があるわけでございまして、その何々の業務に従事する者がというふうにこう書いた場合と、それから二百十一条のように、ただ単なる「業務上」云々と、こういうふうに書いた場合とでは、この二百十一条のほうが解釈の結果としては広くいままで運用されてまいりました。そこで、ただいま御指摘のような不安が出てくるではないか、こういう御質問になったことと思うのでございますが、ただ、これも刑法という特殊な法律の条文でございますので、そう簡単にいじくり回すわけにはまいらないわけでございまするし、また、すでにその概念が一定しておるわけでございますので、あまりとめどもなく広くなるというふうなことはございませんで、やはり解釈上は一定した一つの範囲が定められておるわけでございますので、そういうふうな面から申しまして、適用の面におきましては非常に不都合な結果を生じているというようなことにはなっていないと信じております。
  172. 秋山長造

    ○秋山長造君 外国にそういう例がなくて、むしろ私がいま言いますように、軽過失、重過失というような分け方をしている例が多いというのは、やはりそのほうが現実的でもあるし、また、わかりいいという実際の実態に即している面が大きいからそうなっているのじゃないかと思うのですがね。私は刑法学者というか、あなた方刑法の実際家といいますか、考え方がわりあい保守的ですね。たとえば、これはちょっとここでそういうことの例が適当かどうかわからぬけれども、たとえば今度の改正で、もう一点の四十五条の中なんかでも、「ただ」というのを、漢字で「止」という漢字を書いて「ただ」と読ませるのがあります一ね。ああいうものを絶対もうあなた方のほうでは変えぬですね。やはり依然として「止」という字を「ただ」と読ませていくのですね、今後も。「止」という字を「ただ」と読むのでしょう。これはいまの大学生でも高等学校の生徒でも、いまの教育を受けた人に読ましてごらんなさい、これを「ただ」と読む人はおらぬですよ。これを何と読むのか、何かミスプリントだと思うくらいなことで、それを依然として改正されても「ただ」と読ませていく。これは漢和辞典でも相当詳しい漢和辞典でないと、これに「ただ」という訓はついていないですよ。その一事で保守的とかどうだとかいうのじゃないけれども、ちょっといまの業務上過失というのは、ここのところはあなたのほうでは非常に異常な執着を持っておられるのですね。
  173. 川井英良

    政府委員(川井英良君) この「止タ」についてちょっと弁解さしていただきますが、これは全面改正でしたら、私もこの「止タ」に決して執着はいたしませんで、これは直さなければならないものだと思っております。刑事局で立案いたしましたこの準備草案のほうは、こういうものはもうすべて取り去りまして、どなたがお読みくだすっても一応意味が通るというような条文のていさいにすべていたしました。ところが、これは残念なことに一部改正でございますので、この四十五条あるいは二百十一条だけをほかの条文と切り離して、ていさいをかまわずに改正するというわけにはまいりませんので、全面改正ができるまでのしんぼうでございまするけれども、いままでどおりの表現を踏襲したということがこの実際でございまして、決して私のような者が、進歩的とは申せないかと思いまするけれども、この条文の書き方、表現のしかたというようなものについては、ただいま進行中の全面改正におきましては、あらゆる面から注意を集中いたしまして、十分御批判にたえるようなものをつくりたいということでせっかく努力中でございます。  それから「業務上」云々という点でございまするけれども、これもまあ御案内のように、外国のあれには、軽懲役とか重懲役とか、あるいは軽過失、重過失というようなことで、軽、重ということでものごとを分けて、そして長い間の学説と判例の積み重ねによりまして、その重と軽との基準がおのずから明確になってきているわけでございますが、わが国はそういうたてまえは従来とっておりませんので、今日いまここで急にそういうふうな形に変えるということもいろいろ大きなまた問題を控えているというようなことで、法制審議会でいろいろな各国の刑法を集めて、検討が詳しくなされていますけれども、なおまだ重過失、軽過失というようなところでこれを分けるというふうな議論は出ていないようでございますので、そういうふうなところ、いろいろ勘案いたしまして、今回の一部改正におきましては、従来どおりの表現を踏襲させていただいたということでございます。
  174. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 先ほど準備草案についての御説明があったのでありまするが、準備草案の条項を見ますると、先ほどの秋山さんとの問答に関連して、なかなか刑事局長のほうは進歩しているのじゃないかと思います。二百八十三条に、「過失によって人を」——死亡の場合だけですけれども、「人を死亡させた者は、一年以下の禁固又は二十万円以下の罰金に処する。」、初めて、これは普通の過失なんですね、普通の過失に体刑というものが導入されているわけなんで、従来の、現行刑法の立場から言うと、一段と進歩したといいますか、軽過失、重過失ということになるのでしょうか、次の条文においては、重大な過失の場合は、「五年以下の懲役もしくは禁固又は三十万円」なり、そうじゃない過失の場合には、「一年以下の禁固」ということが入ってきている。一応、準備草案においては、通常過失と重過失と区別されてあらわれてきたということになっているのじゃなかろうか。これを見るとそういうふうな感じがするわけであります。
  175. 秋山長造

    ○秋山長造君 きょうはこの辺で……。
  176. 北條雋八

    委員長北條雋八君) 本案に対する質疑は、本日はこの程度にいたします。  本日は、これにて散会いたします。    午後四時四十五分散会      —————・—————