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山中(吾)
分科員 安保
条約がなければすっきりと
外務大臣の御
意見は頭に入るのですがね。B52が、太平洋のかなたの
アメリカがベトナムを侵略する現実の前で、日米安保
条約は
アジアに対して何の攻撃的なものもないとか、それは無理な
説明じゃないのですか。戦争をしておる
アメリカですよ。そして
日本の軍事基地から飛んでいるじゃないですか。そこで私は、これは前に言ったことがこうだああだということで論議をしたり秘密文書でやるのではないのですから、見解の相違で終わりにして、水に流すということになってしまってまことに遺憾だと思うのです。大体私は、
日本の独自の
国際的立場というものは
アメリカと違う、明確にすべきだと思うのです。ヨーロッパ文明の中から着々として
アメリカができて、そしてヨーロッパ的な立場の遺産を継いで、依然として
アジア、
アフリカに対する別な角度の植民地政策をとにかくやっておる。その
アメリカの文明のアンチテーゼとしていわゆる共産主義が出て、やはりヨーロッパ文明の生んだ流れだと思うのですが、それは
一つの影響を与えておる。中国は、植民地化された
アジアの国々の中で、民族主義というものを含んでああいう影響を与える国が出ておる。やはり違うと思うのです。しかし
日本の場合は、いわゆる
アジアの地理的、歴史的立場と同時に、ヨーロッパ文明を吸収して近代化したのだから、東西の橋渡しというようなこともいわれますけれども、違った
国際的地位があるはずですよ。だからこそ、世界共通の平和という
一つの理念を最高の外交の価値として独自の道を歩む運命づけられたものがあると私は思うのです。それをすぐ
アメリカ一辺倒のヨーロッパ、嫡出子のほうだけと手をつないでいくという外交の原理からは、
外務大臣のおっしゃる三原則は出ないと私は思うのです。そういう点について、むしろ現在の憲法というものをもっと評価して、外交基本方針の最高の
一つの原理としての憲法を評価して、いま一度考え直すということを含んでの論議をしなければ、いまのようなことになるのです。
三木外務大臣は、
日本の世界的な地位における特殊な地位を含んで分析をしてこの演説でうたわれておるのかというと、案外そうではないのです。これは時間ですから言いませんけれども、それだけでは
日本の民族は救われないと私は思います。
そこで私は、現在の
外務省のことについても、もしそういう立場に立つならば、現在の
外交官というのは
事務屋になってしまっているのですね。昔は
外交官の中に、高い識見を持った者がずいぶんあったのですが。
外務省というような古くさい名前も変えて、平和
国際省くらいの名前をつくって、
外交官再
教育で外交大学校でもつくって、新しい感覚で
日本が世界に影響を与えるような平和国家、偉大な不戦国家としての
平和外交を進めていく。ここにあなたもうたっておるわけですよ。武力によらない外交。それならば、人間再
教育も含んでやっていくような中で、この演説というふうなものが実践的にいくようにしないと、これは単なる作文にすぎないと思うのです。そういう点について、
与党の中で感覚を新しく持った
三木派の総領の
三木さんというイメージを考えたときに、もう少し違った角度のお話が出るのではないかと期待しておったのですが、案外そうでない。なお今後もう少し角度を変えた
検討をしてもらいたいと思うのです。
時間がないので、
一つだけ提案をして
外務大臣の
検討を願いたいと思うのですが、その外交演説の中で「共存の哲学」という、これはなかなかいいことばが
外務大臣にあるのです。「共存の哲学を悟る以外に人類の生きていく道はない」。名文がある。確かに新しい世界人類共存の思想が生まれないと私はいけないと思うのです。そういうふうなお考えを持つならば、この
アジア全体について、平和憲法を持っておるという
意味において
日本の場合は発言権も私は持っておると思います。ヨーロッパの植民地主義のためにしいたげられてきておるこの
アジアに対して、共通の共存の哲学というものを前提としていくイメージを実現するのには、やはり
アジア国際友好大学というふうな構想を立てて、その中で共通の広場をつくっていく。これは共産圏も含んでですよ。そういう
一つの提案をして進めていくというのでないと、共存の哲学の実現の道はないと思うのです。
いつか、二年前ですか、私は
予算委員会で、
国際大学構想などを立てるくらいの積極的な
平和外交を進めるべきじゃないかと言ったら、
検討に値すると言われた。その点について、その後何か構想がお進みになっているのか。あるいはそういうことを閣議を通じて実現の方向に持っていくようなお考えを、
検討するとおっしゃったから、何か動いておられるかどうかお聞きして終わりたいと思います。