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1968-03-14 第58回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十三年三月十四日(木曜日)    午前十時五分開議  出席分科員    主査 森山 欽司君       荒木萬壽夫君    上村千一郎君       小川 半次君    小坂善太郎君       野田 卯一君    斉藤 正男君       内藤 良平君    中澤 茂一君       村山 喜一君    山内  広君       山口 鶴男君    山中 吾郎君       玉置 一徳君    塚本 三郎君    兼務 川崎 秀二君 兼務 井上  泉君    兼務 加藤 清二君 兼務 佐藤觀次郎君    兼務 中村 重光君 兼務 八木 一男君    兼務 有島 重武君 兼務 山田 太郎君  出席国務大臣         文部大臣    灘尾 弘吉君  出席政府委員         文部大臣官房長 岩間英太郎君         文部省初等中等         教育局長    天城  勲君         文部省大学学術         局長      宮地  茂君         文部省社会教育         局長      木田  宏君         文部省体育局長 赤石 清悦君         文部省文化局長 安達 健二君         文部省管理局長 村山 松雄君         文化財保護委員         会事務局長   福原 匡彦君  分科員外出席者         大蔵省主計局主         計官      小幡 琢也君         建設省都市局公         園緑地課長   山下 曠登君     ————————————— 三月十四日  分科員山内広君、山中吾郎君及び塚本三郎君委  員辞任につき、その補欠として内藤良平君、斉  藤正男君及び玉置一徳君が委員長指名分科  員に選任された。 同日  分科員斉藤正男君、内藤良平君及び玉置一徳君  委員辞任につき、その補欠として山中吾郎君、  山口鶴男君及び折小野良一君が委員長指名で  分科員に選任された。 同日  分科員山口鶴男君及び折小野良一委員辞任に  つき、その補欠として村山喜一君及び玉置一徳  君が委員長指名分科員に選任された。 同日  分科員村山喜一君及び玉置一徳辞任につき、  その補欠として山内広君及び塚本三郎君が委員  長の指名分科員に選任された。 同日  第二分科員川崎秀二君、中村重光君、八木一男  君、第三分科員山田太郎君、第四分科員加藤清  二君、有島重武君、第五分科員井上泉君及び佐  藤觀次郎君が本分科兼務となった。     ————————————— 本日の会議に付した案件  昭和四十三年度一般会計予算文部省所管  昭和四十三年度特別会計予算文部省所管      ————◇—————
  2. 小川半次

    小川(半)主査代理 これより予算委員会第一分科会を開会いたします。  森山主査が所用のためおくれますので、主査出席されるまで、指名により、私がその職務を行ないます。  昭和四十三年度一般会計予算及び昭和四十三年度特別会計予算中、文部省所管予算を議題とし、質疑に入ります。  質疑の通告がありますので、順次これを許します。内藤良平君。
  3. 内藤良平

    内藤(良)分科員 大臣が御出席ですから、簡単に一言だけでよろしゅうございますけれども、御質問申し上げます。  昭和四十三年度の予算編成方針を拝見しますと、施策重点としまして、いろいろ項目を掲げております。私は秋田県でございますけれども、いなかの者の非常な大きな問題でありますところの地域格差是正あるいは解消、こういう項目がことしの予算編成方針に出ておりません。非常に残念なところであります。これを重点からはずしたというところが非常に残念でございますけれども文部大臣所管する文部行政は、この地域格差是正あるいは解消につきましては、いろいろ広範に関係のあるものと思っております。したがいまして、大臣から、地域格差是正あるいは解消につきまして、私たちは、ただいま何とかこれを急速に是正なり解消したい、こういう気持ちでいろいろがんばっておるつもりでありますけれども文部大臣としていかようにお考えでありましょうか、御所見を伺いたい、かように存ずる次第であります。
  4. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 地域格差是正ということは、政治といたしましてきわめて大切なことと考えております。文部省としましても、この点については留意いたしておるつもりでございますが、主として力を入れてまいっておりますことは、大学設置等についても、そういう点を考慮に入れて、大学の充実をはかっていかなければならぬというふうなことも念頭にあるわけでございますが、必ずしもそれが思うようにまいっていないということもあろうかと思うのであります。同時に、いわゆる僻地の問題でありますとか、あるいは離島の問題でありますとか、こういう点につきましては、特にその地域の青少年のために格別配慮をしてまいりたい、こういうつもりでやっておるわけでございます。
  5. 内藤良平

    内藤(良)分科員 次に、私の質問が、文部当局から見ますとちょっとはずれておるというようにお考えになるかもしれませんが、実はお医者さんのことでお話ししてみたいと思います。お医者さんの問題といいますのは、僻地診療所、ざっくばらんに申し上げまして、そういうところにはなかなかお医者さんが定着をしないわけであります。したがいまして、その地域住民が、健康の管理といいますか、あるいは健康を守るためにはたいへんな苦労が多い。また、地域住民を代表する首長ですね、地方自治体の首長も、医師の獲得にはたいへんな苦労をしているわけであります。これは厚生省所管でありますから、厚生省でも、このためには、保健所の整備のために、あるいは巡回診療のための整備にしても、いろいろ心を砕いており、予算も計上しております。   〔小川(半)主査代理退席主査着席〕 しかしながら、最後段階で、医師定着がなかなかむずかしいわけであります。中には、村の村長よりも医師の給与が高い、そういうところがあります。しかしながら、それでも、長く村民のために、地域住民のために医師としてお働きになるということがないのであります。二、三年で都会へ出まして、開業される。こういうぐあいになっております。そこで、地域住民、また地域の自治体の代表からも、この問題につきましては、たいへんな強い要望がありまして、私、昨日も厚生大臣にこの点を申し上げて、いろいろ御質問申し上げました。厚生省としては、できるだけやっているつもりであるというわけであります。しかし最後医師に対して強制力は発揮できない。なるほど、今日のわが国におきましては、それはできないわけでありましょう。しかしながら、何といいましても、医師僻地においても定着をして、そして住民皆さん健康管理のために、ほんとうに親身になってやっていただく、こういう状態をつくり出さなければならぬわけであります。  そこで私は、これは学校教師と非常に似ておるのじゃないか、こういうぐあいに思っておるわけであります。私は、例を一つ秋田県、山形県に取り上げてみますが、医師充足率は、秋田県は人口十万について七十八人であります。山形は八十二人であります。ところが全国平均は百十一人でありまして、これから換算しますと、秋田県の場合は、医師不足が四百人になるわけであります。また無医地区における患者の扱いの平均でありますけれども、大ざっぱな平均ですが、診療所平均患者が三十人おる。多い日は六十人はおるというわけであります。こういう場所が、山形県では百八十二地区秋田県では七十七地区ございます。非常に医師が足りない、また患者が多い、こういうことであります。文部大臣、これを先生生徒関係に直して考えると、非常にぴったりしてまいると思います。秋田県の場合、先生が四百人足りない。診療所学校とすれば、その地域生徒さんは大体三十人くらいおる、こういう状態ですね。学童が平均三十人くらいおりまして、そしてその地区学校がない、学校があっても先生がいない。その先生秋田県では四百人くらい足りない、こういう状態になった場合には、これは文部大臣としても、教師を派遣するために、また不足の場合は教師を育成するために、急速な対策をとられると思います。そこで、私がいま問題を提起しておりますのは、教師ではありません、医師でありますけれども医師も同様に足りないのでありまして、どうしてもやはり医師の数をふやさなくてはならぬ。絶対数が足りないわけであります。きのうの厚生大臣との質疑応答でも、相当な数が全国でも足りないということであります。こういう関係から、私は一歩突っ込みまして、具体的な話になりますけれども、私の秋田県の秋田大学、ここには医学部がありません。ところがこの医師充足のために、先ほど来私が申し上げておりますような事情で、県におきましても、これはどうしてもやはり医師を多くするよりないのだ、しかも医師の場合は、各大学の縦の系列もなかなか強い、そこで、秋田県に大学がありますけれども、これに医学部設置しまして、そして県民の子弟を入学せしめて、これを医師に育成して、その場合においては、ざっくばらんに言いますと、歩どまりがいいのじゃないかと思います。これは厚生省統計でも、大学設置されておりますところの県に定着されるお医者さんが、やはり多いそうであります。出身の県に所在する大学を出られたお医者さんが、その県に定着する率が多いそうであります。そういう統計もありますけれども、結局、私たち秋田県を例にとりますと、どうにもこうにもならぬものですから、県民からお医者さんをつくり出していこう、そのために、現在ありますところの秋田大学に、不足しております医学部設置しまして、この地域におけるところの医師不足国民健康管理、こういう問題にひとつ徹底的に取り組んでまいろう、こういうわけであります。そこで昨年の八月、文部当局にも、この秋田大学医学部設置するところの陳情書というものを提出しておるものと思います。これにつきまして御当局の取り扱い、その後の経過なりあるいは今後の見通しなりを、ひとつ率直にお聞かせを願えれば幸いに思う次第でございます。これ一問、御質問申し上げます。
  6. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 医師不足に対していかに対処するかという問題は、年来の問題だと思うのであります。ことに、今日のように産業経済発展に伴いまして人口の移動の激しいときには、人口の減少する地域における政策を一体どうするかというような問題が非常にあろうかと思うのであります。いままでおられたお医者さんも、町のほうに引っ越していくというふうな現象も少なからずあると思うのでありまして、したがって医師不足地域に対する対策というものは、政府としても、従来から努力はいたしておりますけれども、なかなか思うようにいかないということも、御承知のとおりでございます。待遇を少々改善しましても、なかなか行ってくれない。あるいは行っておる人も、そこから出てしまう。こういうようなことがございまして、悩んでおる問題でございますが、そういう医師不足の問題に対処するために、そのような医師不足地域医師養成学部を設けるというふうなことも、確かに一つのお考えであろうかと存じます。十分検討すべき問題だと存じますが、いまお話し秋田大学の件につきましては、その経過等について、主管局長からお答えをいたさせます。
  7. 森山欽司

    森山主査 ちょっとお待ちください。  この際、念のために申し上げます。質疑時間につきましては、理事会の協議によりまして、原則として、質疑に対する答弁も含め、本務員一時間、兼務もしくは交代で分科員になられた方は三十分となっております。多数の質疑希望者がございますが、できる限り御希望に浴いたいと存じますので、恐縮ながら質疑時間を御厳守いただき、質疑及び答弁はできる限り簡潔を旨とするなど、各位の格別の御協力をお願いをいたします。
  8. 宮地茂

    宮地政府委員 大臣の御答弁に補足して、事務的な面で先ほどの御質問にお答えいたします。  医師を養成いたします大学医学部でございますが、現在国立に二十四、公立に九、私立に十三、大体四十六の大学医学部がございまして、入学定員は約四千名近くでございます。  御質問の、秋田大学医学部ということでございますが、東北国立公立等大学医学部がないところは山形秋田だけでございます。これにつきましては、先ほど御指摘のように、秋田当局知事、副知事からもいろんな陳情を受けております。また大学当局からも、そのような要望は承っております。十分承知はいたしております。ただ、すべての各大学医学部を置くということは、これはなかなかむずかしい問題でもございますし、山形秋田にはございませんが、少なくとも東北六県のうち二つの県を除いては、あるといったようなことで、それぞれの県にはございませんが、文部省としましては、ある程度地域的な配慮もいたしておるわけでございます。ただ秋田県で特に僻地医師不足する——特に最近秋田県では、脳卒中という問題を重視いたしまして、特に秋田県には脳卒中患者が多いようですが、そういうようなことから、とりあえず研究所をつくるとか、そのために東北大学医学部の応援も得たいと、いろいろ私のほうに協力も求めてきております。そういう点につきましては、できる限りの支援をいたしておりますし、また秋田大学医学部をつくるという問題も、十分事情はわかるのでございますが、先ほど申しましたような諸般のことのほかに、大学医学部ということにつきましては、いろいろ財政上の問題も一これは相当大きな負担でございます。いろんな点を勘案いたしまして、私ども今後の問題として、いま検討をいたしておるというのが実情でございます。
  9. 内藤良平

    内藤(良)分科員 東北六県の中で、医学部がないのは山形秋田二県ですね。先ほど私は長々と大切な時間を費して、山形秋田状態お話しいたしました。やはりお医者さんの充足率も、一番この二県が悪いのであります。結局、この二県の県民皆さんはこれだけ他県よりもいわゆる格差がある、こういうことになるわけであります。また医学部関係は、山大の場合でも秋大の場合でも、これは受け入れ体制といいますか、地元ではできるだけこれをやろう、総力をあげて誘致してやっていこう、こういう非常に盛り上がっておるわけであります。  また、私考えますに、秋田の場合でありますけれども人口の場合は女性が十万くらい多いのです。私は、これはちょっとオーバーかもしれませんが、お医者さんなぞは——あるいは先生もだと思いますけれども、これから女性の分野になるのじゃないかとも考えられます。また労働力全国分散のあれを見ましても、秋田の場合も女性はなかなか県外へ出ない、こういう傾向も強いのであります。これはちょっと何か思いつきで恐縮でありますけれども秋田医学部ができた際には、私は秋田女性にもまた一つの職場を持つという明るい展望といいますか、向学心といいますか、女性の地位の向上にもこれは相通ずる問題であります。もちろん県民にとってもたいへんな福祉になるわけであります。問題は、局長もお話がありましたが、金の問題でありましょう。予算の問題だと思います。私もことしの予算書を大ざっぱに見ましたけれども、こういう大学の新設とか増設という面の予算は特にないのですね。そういう点はどういうわけなんでしょうか、こういう地元の強い要請等がありますけれども、それらに対応する予算的な措置が、予算書にはほとんど見えないのでありますが、何か特別な理由がございますかどうか、この点ひとつ伺ってみたいと思います。
  10. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 明年度予算編成にあたりまして、文部省としましても、新しい学部増設というようなこともある程度計画をいたしておりましたが、明年度予算は、御承知のような方針のもとに編成せられておりますので、新学部設置といいますか、それは明年度はひとつ見送ることにしようというようなことになったわけでございます。従来からの予定せられておるもの並びに計画せられておるものだけに限りまして一応片づけることにいたしまして、新規の学部設置ということは、明年度はひとつ見送ろうということになりましたようなわけでございます。したがって、われわれとしましても、問題をさらに先に持ち越したことになるわけでございますけれども明後年度以降、財政方針事情が許します限り、やはり必要に応じての学部増設等ははかっていきたい、こういう考え方をいたしております。明年度は、そういうわけで、実は新学部設置ということについて一応見送った、こういうことでございますので、御了承いただきたいと思います。
  11. 内藤良平

    内藤(良)分科員 それでは、私はこれは明年度だけという考え方じゃないかと思いますけれども大臣秋田山形といいますか、この地域格差のひどい地域における医師の問題、健康の問題、現状は十分に御認識を得られたものと思います。ただ予算的には、ことしは何らこれらの問題を取り上げたような予算措置はないようでありますけれども、将来にわたって、これらの問題を文部当局としても取り上げられまして、教師の問題はもちろんでありますけれども医師の問題、医師を育成するためには、どうしても文部当局の発動がなければならぬわけであります。きのうも、厚生大臣に御質問申し上げました際に、厚生省としましても、今日の僻地の問題、あるいは医師不足の問題、健康管理の問題、保健の問題、そこで最後はやはりお医者さんの問題になる、お医者さんが足りない。そこで、これは所管外であるけれども厚生省でもこれをひとつ重点的に取り上げて、文部当局にも十分に話しかけをして、相協力してこれを実現したい、こういう発言がありまして、私も非常に喜んでおりますけれども文部省といたしましても、この点を大きな面からぜひひとつとらえていただきまして、政府の大きな方策としまして、東北の、しかも地域格差に悩んでおられる地域皆さんのために、一はだ脱いでいただきたい、私はこういう気持ちであります。  私は結論を求めるに急ぐのでありますが、四十三年度はただいま御説明のあったとおりと思いますが、このあとこれらの問題をひとつとらまえて、見通しを明るいというぐあいに理解してよろしいものかどうか、ひとつ大臣から、簡単でよろしゅうございますから、御答弁いただきたいと思います。
  12. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 医師不足の問題は、一つには医師の配置が適正に行なわれておればよほど緩和せられる問題だろうと思いますが、これが思うにまかせないということ、それからやはり絶対量の問題もあろうと存じます。従来、文部省としましては医師のことは一ことばは適当でないかもしれませんけれども医師の需給の問題につきましては、大体厚生省のお考えを尊重して、それに即応してやっていくようにいたしておりますので、いまのような問題につきましても、厚生省十分連絡をとりまして、医師充足について配慮してまいりたい、かようにいま考えておる次第でございます。  なおまた、医学部設置ということは、先ほど局長説明の中にもございましたが、これは相当経費を要します。同時に、経費だけの問題ではない。やはり教授陣がしっかりそろってこないと、りっぱな学部をつくるわけにはまいりませんので、そういういろいろな、財政的あるいは内容的な準備というものが相当なければならぬと思うのであります。そういう点は十分検討していかなければならぬと思いますが、いま仰せになりましたようなことを、明後年度がどうというようなこととまではっきり申し上げるわけにはまいりませんけれども、私どもとしましては、前向きに十分検討してまいりたいと存じております。
  13. 内藤良平

    内藤(良)分科員 大臣、よくわかりました。  それから局長、これは陳情を受けてわかっていると思いますけれども秋田医学部関係は、戦争中には女子医専がありまして、それがたまたま終戦段階で焼けてしまった、そこでこれが廃止になってしまった。そこで、秋田県内には、医学部関係の芽がここで消えてしまったわけです。これが焼けなかったら、終戦直後のひどい時代でなかったならば、これが継続されておったと思うのであります。そういうところに、秋田県のある意味での不幸な状態があったわけですね。こういうことがいま思い出されまして、非常に残念に思っているわけであります。私、何も昔のことを引っぱり出して、何だかんだと言うわけではありませんが、秋田のこういう歴史的なものも、局長からも十分に御認識願いまして、これらをひとつ施策の面で強力に生かしていただくように——大臣はいつまでやられるかわかりませんけれども局長大臣よりも長くやっておられると思いますから、その点は私も歩どまり考えまして、特に局長には強く要請して、私の質問を終わります。時間は少しありますけれども、これは委員長協力して、早目に終わらしていただきます。
  14. 森山欽司

    森山主査 次に、井上泉君。
  15. 井上泉

    井上(泉)分科員 私は文部大臣に、国防教育とか愛国教育とかという問題について質問いたしたいと思っておりましたが、先般の予算委員会で、山中委員質問に対して、この点については大臣はいろいろと説明をされておりますので、そのことには触れずに、国防教育とか愛国教育ということではなしに、「いやしくも独立国国民といたしまして、りっぱな国家をつくり上げ、これが発展をはかっていこうという場合には、いろいろな資質が要求せられておると思うのであります。その中に、やはり自分の国のために尽していくとか、自分の国を守っていくとか、こういう心持ちはぜひとも必要な資質ではないかと思うのであります。そういう意味におきまして、このような資質を幼いうちからつちかっていくのがよろしいのではないか、」こういうようなことをお話しをされておられるのでありますが、いろいろな資質が要求されているということ、それはもちろん、私ども日本国民として、日本国家をつくっていく上において、どういうことが必要であるかということは、これは当然考えなくちゃならない問題ですが、私は、一体文部大臣がどういう考えの基礎の上に立っておるのか、そういう点から、若干その見解をただしておきたいと思います。  例をあげて質問いたすわけですが、文部大臣は、日清日露、そうしてまた第二次世界大戦、こういう戦争を、日本としてはよい戦争だったと思うのですが、それとも悪い戦争だったと思うのですか。
  16. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 これは政府見解と申しますよりも、私個人見解ということになろうかと思いますが私は、日清日露戦争は、まことにやむを得ざるものありというような考え方をいたしておるのでございます。また、大東亜戦争と申しますか、第二次世界戦争、これは日本だけの問題ではございませんが、日本の立場といたしましては、これまたまことにやむを得ざるものありということで戦争を始められたわけでございますけれども、しかし、これの評価については、まだなかなか一定の評価を下すということはむずかしいのじゃないかと思います。その間、日清日露戦争と違ったものが、第二次世界戦争を引き起こすに至った原因となっておりはしないか。と申しますのは、中国大陸等に対する日本施策がよかったかどうかということについては、非常に問題のあるところでございますから、私は、その意味におきまして、日清日露戦争と、第二次世界大戦における日本のやったことに対する評価との間には区別があってよろしいのじゃないか、このように考えますが、まだ学問的に正確な評価というものを下し得る段階に至っておらないのじゃないか、そのように存じます。
  17. 井上泉

    井上(泉)分科員 文部大臣政府見解としてでなしに個人見解だとか、こう言ったところで、あなたは日本文部大臣ですから、それはもうあなたの見解は即文部行政の上に反映するのが当然ですが、私はあなたほど勉強もしていないわけです。小学校だけしか行っておらないので、とても教養の面においても追いつかぬわけですが、日清日露戦争が、日本としてはやむを得なかったということについて、あるいはまた第二次世界大戦を肯定するような考え方、こういうことについては、私は非常に疑問を持つものです。明治生まれの、しかもまた明治憲法の中で、日清日露あるいはまた第二次世界大戦当時のそれぞれの職にあられた立場として、その戦争を全面的に否定をするという考えになることは、あるいは無理かもしれないけれども、しかし、日本の国が外国に侵略したということは事実。そのことから、その当時の日本としてはやむを得なかったということについて文部大臣見解、どういうところでその当時の日本としては、日清日露戦争、つまり中国へ侵略戦争をおっぱじめざるを得かなったか、ということについての考えを聞かしていただきたいと思います。
  18. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 私は、やはり日清あるいは日露戦争がいかにして起こったかということは、その当時の世界の情勢のもとにおいて判断をすべきものではないかと思うのであります。いま今日、過去の日清日露戦争をどう考えるかということになりますれば、いろいろ御意見もあろうかと思いますが、当時の日本のとった行動については、その当時の世界情勢の中において判断すべきものじゃないか、私はかように考えます。
  19. 井上泉

    井上(泉)分科員 その当時の世界情勢の中で判断するのではなしに、歴史的に今日その当時のことを判断した場合、その戦争日本としてはやむを得なかった戦争であったのかどうか、そういうことから考えるのが、私は当然だと思うのです。やはり第二次世界大戦を、ややもすれば肯定をするという風潮があるわけで、そういう風潮の中に、文部大臣もくみする考え方にあることが、今日の文部大臣が一言言ったことが、国防教育だ、あるいは愛国心教育と、こういうことを言われるのですが、それではあなたは、今日の段階では、国防教育とか愛国心教育というものが必要であるというお考えは全然持っていないということであるのでしょうか、その点についての御見解を伺いたい。
  20. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 私は、いわゆる国防教育とかあるいは防衛教育とかいうようなことばの意味が、実ははっきりわからないのでありますが、しかし、現在の教育の中で、取り立てて国防教育とか防衛教育とかというふうなものはやっていないと思います。また、やるつもりも私はございません。私の申しましたのは、いやしくも独立国国民である以上は、というようなことで、当然持っておらなければならない資質を養うためには、子供のうちから適切な教育を施したほうがよかろう、こういうことを申したのでありまして、これは政策論議以前の問題であります。したがって、たとえば国を守るというような問題につきまして、いかなる政策をとっていくかということとは別の問題であります。それ以前の問題として、国民として当然持っていなければならない心持ちなり心情なり、何ということばが適当か知りませんけれども、そういうふうな意味において申し上げた、というふうに御了解をいただきたいと思います。
  21. 井上泉

    井上(泉)分科員 文部大臣は、民主教育を守るという考え方は、これはあるのですか。
  22. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 私は、現在並びに将来にわたって、日本としまして一番大事なことは、民主国家となることであり、平和国家となることであり、また文化国家、福祉国家と、いろいろなことばでいわれておりますが、そういうことが、日本の政治の大きな目標じゃないかと存じております。したがいまして、りっぱな民主政治を立てていきますためには、これをになう人たちが、ほんとうの民主的な人になってこなければならないということも当然のことだと思います。そういう意味におきまして、民主教育はすべからく徹底すべしと考えております。
  23. 井上泉

    井上(泉)分科員 その民主教育はすべからく徹底的にやらねばならない、こういうお考えになるならば、勢い文部大臣としては、教員の民主的な団体である日教組との話し合い、そういうふうなものを積極的に行なわれて、日本の教育というものを高めていく、日本の民主教育を高めていくような姿勢をとるべきではないかと思うのです。ところが、そのことがなかなかやられていないわけですが、そういうふうな、教員の民主団体である日教組と対話をして、日本の教育を、民主教育を進めていくというお考えは持たないものかどうか、その点についてお伺いしたい。
  24. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 この問題は年来の問題でございますが、別に絶対に対話をしないかというようなつもりでおるわけじゃございません。ただ、ものごとにはやはり現実の問題がございます。日教組との問題につきましても、いまに始まったことではないのでございますけれども、私どもは民主的な対話は大いに望むところでありますけれども、しかし、現在の日教組の諸君とわれわれがお話し合いをしたところで、何の実りがあるのだろうかということに実は疑問を感じておるものであります。お互いに会ってお話し合いをするというのには、やっぱりそれ相当な姿勢を持って会わなければならぬと思うのであります。何か会うということは、すなわち談判することであるとか、交渉することであるとか、あるいはまた政府と根本的に所見を異にして争うことであるとか、こういうようなお気持ちでおられますというと、会いましても、実りがないと思うのです。  ことに、この問題については、歴代の文部大臣との間にいろいろ行きがかりもございます。そういうふうな問題について日教組の諸君が誠意を持って考えてくれておるであろうかどうであろうかということについても疑問なしとしないのであります。決して絶対に会わぬとかなんとかということを申し上げるわけではございませんけれども、現段階において、私は日教組の幹部諸公と会うつもりもございませんし、また会う必要も感じておりません。
  25. 井上泉

    井上(泉)分科員 そういうかたくなな考え方でこの教育の振興を考えるということは、私は間違いだと思うのです。やっぱし教育ということを一番熱心に考えておるのは先生ですから、その先生が持っておる悩み、これを訴えるために、そしてその組織された団体と日本の教育行政の最高の責任の地位にある文部大臣がみずから進んで、話し合いが一致しないからこそ、その話し合いをしなければならない。会う態度が、姿勢が最初から違っておるから会ってもむだだとか、話し合いというものはそういうものではないでしょう。それではひとつも話し合いをする必要はないじゃないですか。同じ考え方でやっておったら、何の話し合いをする必要はない。考え方が違い、あるいは見解が違い、あるいは政策の方向が違うとすれば、その違う方向をともどもに話し合っていくことによって理解が深められ、協力関係が生まれてくると思うのです。ともに日本の教育を振興さすという立場に立つならば、私は日教組との話し合いなんかは、これはむしろ文部大臣、二度のつとめとか三度のつとめということばを聞くわけですが、もっと積極的に乗り出すべきだと思うのです。  そこであとの問題もたくさんあるわけですから、多くを言う時間がないのですけれども、教育行政の自主性を尊重するという点で、山中委員からもずいぶん京都府の教育長の問題が質疑をされて、慎重に検討されるということで、慎重には考慮されておるというのですが、山中委員質問したときは三月一日で、きょうは三月の十四日ですが、一体いつころまでに結論を出すおつもりなのか、あなたの明晰な頭脳をもってしていつまでお考えになられるのか、そのことを承りたいと思います。
  26. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 この問題につきましては、本日もまた目下検討中と申し上げざるを得ないと思うのであります。いつまでということははっきり申し上げられませんけれども、もとよりいたずらにじんぜん日を送るのが能でないというくらいは私も承知いたしておりまして、なるべく早く結論を得たいと思いますが、同時に、慎重に取り扱わなければならない問題となってきておると思うのであります。そういう意味におきまして、十分検討した上で、適切な結論を出したい、かように考えておる次第であります。
  27. 井上泉

    井上(泉)分科員 どうも慎重に考慮することが一月も二月もかかり、あるいはそれが自主性を阻害するような方向にあってはならないと思うわけですが、あくまでもその結論としては、教育行政の自主性の尊重という姿勢においては、これは間違いないものですか、その点ひとつ確認しておきたいと思います。
  28. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 地方の教育行政の自主性を尊重するという原則については、別に異存はございません。ただ問題は、その中におきまして文部大臣に与えられておる権限と申しますか、承認という問題は、文部大臣の責任において解決しなければならぬ問題であります。そういう意味におきまして私の職責を適切に果たしていきたい、これだけのことでございます。
  29. 井上泉

    井上(泉)分科員 文部大臣は、文部省の「生徒指導資料第三集」に差別内容があったということは御承知しておるのですか。
  30. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 大体承知いたしておるつもりでございます。
  31. 井上泉

    井上(泉)分科員 それは一体どういう内容が差別内容になったのか、事務当局でもいいですから説明さしてもらいたいと思います。
  32. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 それじゃ事務当局から。
  33. 天城勲

    ○天城政府委員 お答えいたします。中学校の「生徒指導資料」というのを昨年全国に配付いたしました。その中に幾つかの生徒指導の事例をあげまして、それに対する考察をするという方法の一種の手引き書をつくったわけでございますが、この中にたまたま取り上げました事例が同和問題への配慮が不十分であったという点が認められましたので、この点については、検討いたしました結果、不適切な分は削除するという措置をいたしたわけでございます。
  34. 井上泉

    井上(泉)分科員 どういう点が同和問題についての配慮が不十分であったか、その点と、削除をしたと言うのですけれども、十五万部ものものを削除できたのですか。
  35. 天城勲

    ○天城政府委員 この中に幾つかの事例がございますが、その一つに「授業を妨害し、乱暴する生徒」という事例がございまして、この取り上げました事例の中で、事例そもそもが同和地区の少年の問題でございましたので、同和教育に対するこまかい配慮が欠けておりまして、一般の生徒指導資料、すなわち授業を妨害し乱暴する事例としてだけ取り扱った点がございましたので、同和地区に対する同和指導としては不十分なところがある、かように考えて削除したわけでございます。  削除につきましては、各県の教育委員会を通じましてこの項を削除するようにということを通達いたしましたので、全体は一般の生徒指導の資料でございますので、これを生徒指導の資料として使わないようにいたしたわけでございます。
  36. 井上泉

    井上(泉)分科員 こういうふうに同和教育に文部省自体の中で差別をことさらに浮き彫りにするようなものが出されるということには、一体どこに欠陥があると文部大臣はお考えになっておられますか。十五万部といえばばく大な部数です。
  37. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 当時の事情はつまびらかにいたしませんけれども文部省としてこれを編さんする場合には、そういういわゆる同和地区に関する問題であったということが実はわからなかったのじゃなかろうか、あとから言われて気がついた、こういうような問題ではなかろうかと思うのでございます。
  38. 井上泉

    井上(泉)分科員 それでは、それが同和地区の問題であるということがわからなかったといえば、それなら同和地区に対する教育はどういう姿勢でやっておるのですか、その点について。
  39. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 そういう問題ではなくて、その事例というものが同和地区の子供に関する問題であるということを知らなかったのではなかろうかと思いますが、念のために局長から答弁をいたさせます。
  40. 天城勲

    ○天城政府委員 先ほどお答え申し上げましたように、これは中学校の「生徒指導の事例とその考察」という指導書でございまして、幾つかの具体的な事例を一般化いたしまして、こういうケースに対してはこういう指導が適当だという事例集でございます。その中で、ただいま申し上げましたように、「授業を妨害し、乱暴する生徒」の事例として取り上げておったケースのもとが、同和地区における事件であった。もちろんここに規定をしております規律のしかたは、一般的な指導例として出したのでございますけれども、現実の事例が同和部落に起きたということで、特に同和地区におきましては、この指導書を指導の手引きとして使う場合に、同和教育という観点から見た場合の配慮が不十分であったと、こういう指摘があり、われわれもさように感じたわけでございまして、同和の事例としてはこれを初めから考えたわけではございませんが、現実にそのような見方が出てくるわけでございますので、不適切であった、かように考えたわけでございます。全体は、一般的な生徒指導の指導書という意味で編さんされたものでございます。
  41. 森山欽司

    森山主査 政府委員に申し上げます。答弁がしやすいように、国務大臣の隣にすわられるように希望します。
  42. 井上泉

    井上(泉)分科員 それでは、そういう状態は同和地区には多くあるのですか。あるということは、お認めになっておるのですか。
  43. 天城勲

    ○天城政府委員 ちょっと御質問の趣旨がつかみかねますが、同和地区についてはいろいろな問題がありますので、その実態に即した指導は特にいたしております。
  44. 井上泉

    井上(泉)分科員 実態に即した指導ということですが、それは一体どういうふうな指導をやっておるのですか。そういう事例が同和地区とは思ってなかったけれども、その事例が同和地区をさしておった、だから急いでそれを回収をした、削除した、こういうのですが、一体同和教育というものをどう考えて、どうされておるのですか。
  45. 天城勲

    ○天城政府委員 同和教育ということばで最近一般にいわれておりますが、歴史的に同和地区における教育、これは一種の歴史的な、社会的な事情による差別ということが最大の問題でございますので、私たちといたしましては、学校の全教育活動を通じて基本的人権の尊重という精神をもとにいたしまして、いろいろの具体的な措置をいたしております。予算上におきましても、われわれとしては、同和地区の教育振興策として高等学校の進学奨励費の問題ですとか、あるいは同和地区の教育指導に関する研究会の開催ですとか、研究指定校の設置、あるいは指導体制を充実する等々の措置をいたしておるわけでございます。
  46. 井上泉

    井上(泉)分科員 大臣にお尋ねしますが、これは予算委員会八木委員から質問もされたと思うのですが、この同和対策の中で、同和対策の促進に関する特別措置法というものを私どもたびたび要求をしてきておるわけです。同和対策審議会の答申が出てからもすでに四年になるわけです。こういうような同和対策に対する一貫した法律がないために、いろいろの問題が持ち上がり、そしてまた、根本的な同和対策というものが講じられないままに推移をしていくわけですが、文部大臣として、佐藤内閣の閣僚の一人として、この同和対策の促進に関する答申を完全実施するための特別措置法をつくらねばならないという、こういう必要性を感じておるのか感じてないのか、その点の見解を承りたい。
  47. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 この問題につきましては、先般の予算委員会の際に総理からもお答えをいたしておると思うのでありますが、私どもとしましては、現在同和対策協議会でございますか、堀木さんのやっていらっしゃる協議会で検討していらっしゃいますので、その協議会の結論を尊重いたしまして、善処したいと考えておる次第でございます。
  48. 井上泉

    井上(泉)分科員 もう時間がないので、もう一点、僻地教育の振興について文部大臣見解を承りたいと思いますが、最近過疎地域というもの、都市の過密化と比例をして農村地帯の過疎化が問題となり、だんだん学校教育というものが狭められてきておるわけですが、こういう僻地の児童数が減少することによって、これの学校統合というようなものが非常に強く進められ、そのためにますます農山漁村の児童教育というものが低下をする現実にあるわけです。こういう僻地教育の振興について、文部大臣としてどういうお考えを持っておられるのか、この見解を承ってみたいと思います。
  49. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 僻地教育の振興につきましては、年々努力を続けてまいっております。予算面においても、御承知のような措置を年々講じてきておるわけでございます。ただ、あまり人口が少なくなりまして小規模の学校だけということになりますと、教育内容の充実向上というふうな点から申しましても遺憾の点もありますので、あるいは学校統合というふうな措置も講じてやってきておるようなわけでございますが、なかなかむずかしい問題でございます。むずかしい問題でございますけれども僻地の児童といえどもりっぱな教育が受けられるように、私どもとしてはいろいろの角度から検討をし、また助成をしてまいりたいと思っております。
  50. 井上泉

    井上(泉)分科員 最近の、これは佐藤内閣全体に通じていわれるわけですが、特にこの教育行政の面では、学校教師を労働基準法のワク外に置くとか、あるいはまた、文部大臣の真意ではないとはいいながらも、国防教育について何か鉄砲を持ってやる軍事教練を必要とするような、そういうふうな印象を国民に与えるような教育政策というものがわれわれの前に浮かび上がってきておる。ところが文部大臣は、民主教育は守る、そういうふうな教育というものは考えていない、こういうことを言っておられるわけですが、ひとつ言行不一致にならないように、いわゆる教育の自主性を尊重するという、一方においては教育長の承認を慎重に考慮するといって幾月もおくらす、そういうふうな言行不一致な文部大臣ではないように、少なくとも言行の一致する、誠意のある、まじめな文部行政をやっていただきたいということを要望いたしまして、私の質問を終わります。
  51. 森山欽司

    森山主査 次に、斉藤正男君。
  52. 斉藤正男

    斉藤(正)分科員 私は、昨年十一月文教委員会、におきまして、当時の文部大臣でありました三木さんを中心に、国民体育大会のあり方につき質問をいたしました。その後も、国民体育大会のあり方につきましては、私なりに考えておるわけでありますけれども大臣がかわられまして、この際国民体育大会のあり方につき大臣考え方をただすとともに、関係者から、多くの問題が派生をいたしておりますので、その対策につきお伺いをしたい、かように思うわけであります。  昨年の埼玉国体が数えて二十二回であります。御案内のように、非常に大きな規模で、大きな成果をあげたといわれる埼玉国体でありますけれども、その陰にやはり勝たんがための国体開催、見せんがための国体開催、いろいろな無理が行なわれて、必ずしも国民体育振興のための国体になっていないというような批判のあることは、大臣も御承知だと思うわけであります。すでに数回文部大臣に就任をされ、国体にも関係を持たれた灘尾さんは、一体、埼玉国体までの国体を振り返ってみて、国民体育大会に対し、総括してどのようにお考えになっているのか、まず最初に伺いたい。
  53. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 国民体育大会も年々開催せられまして、国民体育の普及向上の上に相当な成果をあげておると私は思うのでございます。ただ、だんだん回を重ねてきますごとに、あるいは国民生活の向上というふうなこととも関係があるかと存じますけれども、私、率直に申し上げますれば、国民体育大会がややはでになり過ぎておるんじゃないかというような感じがいたしております。ことにもう相当府県でやりまして、これから残されておるのは、どちらかといえば財政的にもあまり豊かでない府県が残されておりますが、こういう県で国民体育大会をやるといたしまするならば、従来の傾向というものについては、よほど考えなければならない点がありはしないかと存じます。と同時に、主催県といたしましては、やはりこの体育大会をもって、ただ単に体育だけでなくて、その県民に新しい気分をもって将来の県民生活をやってもらおうというふうな意味で、かなり大きな期待をこの大会にかけておる。その熱意はけっこうでありますけれども、ただ勝たんがためにというふうな傾向もまたかなり顕著にあらわれてきておるのじゃないかと存じます。こういうふうな点につきましても、今後の国民大会の運営の上におきましては、よほど関係者の間で反省もし、また戒めていかなければならない事柄のように私は感じております。
  54. 斉藤正男

    斉藤(正)分科員 大臣も現状の国民体育大会については再検討の余地があるという見解の披瀝をされたわけであります。私は体育行政のあり方そのものにも問題があると思っておりますが、きょうは時間の関係もございまして、特に、国民体育大会が教育に与えている悪影響といったような問題に焦点をしぼって伺っていきたいというように思うわけです。  まず第一に伺いたい点は、ジプシー選手の問題であります。昨年十一月下旬だったと思いますけれども、いわゆるジプシー選手の締め出しにつきましては、その大綱がきまった。その後、去る二月の二十九日に国体委員会が開催をされました。第二十三回福井国体からジプシー選手の締め出しについて具体的に提案がなされ、これが決定をされたというように聞いておるわけでありますけれども、その第一項といたしましては「第二十二回埼玉国体に一都道府県から一般、教員、青年の種別で出場した者は、第二十三回福井国体に異なる都道府県から出場することはできない。ただし大学等の新卒業者を除く。」二番目に「一般の所属現住所または勤務地のいずれかの一カ所とする。」こういう決定のように聞いております。この対策に対しまして一部競技団体からすごい横やりが出て、そのようなことでは、わが協会に所属している選手の出場が危ぶまれる、困るというようなことがあり、最終的にはごく少数の特例に限り常任委員会で検討の上認めるという条件を出したとか出さないとかいうことがいわれておるわけでありますが、一体文部省としては、この国体委員会総会の決定に対しまして具体的にどのように参画をされたのか。そしてまた、この決決をどのように考えておられるのか。  第二に、少数の特例に限り常任委員会で検討の上認める、こういうことでありますけれども、その少数の特例とは一体どういうことをさすのか。この特例の解釈いかんによっては、完全なジプシー選手の締め出しということは不可能になるというように思うわけでありますけれども、技術的な面にもなりますので、総括的にこのジプシー選手対策大臣はどうお考えになるのか、あるいは事務当局から具体的にいま伺ったような内容について答弁を願いたい。
  55. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 いわゆるジプシー選手対策というものは、先ほどお答え申し上げました趣旨のとおりで、私は望ましい姿勢とは思いません。何とかその是正をはかってもらいたいと思うのであります。  二月二十九日の総会の決定というものにつきましては、私も大体話は聞いております。この決定については、私どもこれを支持してまいりたいと考えておりますが、そのほか、こまかい点につきましては、ひとつ局長からお答えをさせていただきたいと存じます。
  56. 赤石清悦

    ○赤石政府委員 お答えいたします。  御指摘のように、ジプシー問題が昨年非常に騒がしくなりまして、当時の剱木大臣が、自分としてもこの事態を好ましく思わない、体育協会方面に対して何とか是正できぬものであろうか、そういうふうに意向を伝えてほしい、こういうことでございました。そこで私どもは、体育協会、特に体協の中に設けられております国体常任委員会というのがございますが、そちらに大臣のさような御意向をお伝えし、善処方をお願いした次第でございます。体協の中にも、昨今の世論にかんがみまして、これではいけない、何とかしようじゃないか、こういう空気がございましたので、期せずして国体常任委員会におきまして、ただいま先生の御指摘のようなジプシー選手、そのほかいろいろございますけれども、そうした世論に非常にそぐわないような事態に速急に対策を講じようということで、昨年末からいろいろ検討してまいったわけでございます。その結果、数度の会合がございました。やはり一つの新しい行き方をとるためには、必ずしも簡単にはきめられない。参加競技団体が二十幾つもございますし、なかなか簡単にまいりません。しかし各競技団体もいろいろこれに協力いたしまして、ようやく去る二月二十九日の総会におきまして、先ほど先生が御指摘になりましたような、埼玉国体に一ぺん出た者はその翌年に二十三回福井大会には出てはいけない、こういう線をはっきりきめた次第でございます。ただ、いま御指摘のありましたように、若干の競技団体から、大体の方向はわかるけれども、埼玉国体に出た選手の中で非常にすばらしい選手がおって、あのころはそういう空気を知らずして出たのではないか、それが選手の罪にあらずして福井国体に出られないということは選手がかわいそうではないかといったような若干の反論がありまして、総会でえらい論議が戦わされたようでございます。しかしやはりジプシー選手、こういった問題は基本的に何とかしなければならない、こういうことで、全体の空気といたしましては、原則はきめた、しかし若干の例外は確かにある。それはひとつ今後次回あたりにおきまして資格審査委員会を設けまして、例外をどの程度認めるか、もう一ぺんあらためて検討しようというふうになったように伺っております。もちろん、御指摘のようにあまり例外をつくりますと、抜け穴になりまして、乱に流れると原則のほうがゆるむ、こういうことがございますし、その点は、全体の空気といたしまして、原則についてかたく守っていこう、しかし、世論から見て、なるほどこれは無理もないといったような点については、まあ若干例外措置を、特に今回は選手の心情を考えまして——埼玉国体において、このようなことがきまっておるならば、かまいませんが、その後にきまった次第でございますので、若干さような空気を反映いたしまして、最終的に例外措置がきめられるのではなかろうか、こういうふうに了解いたしております。
  57. 斉藤正男

    斉藤(正)分科員 大体わかったわけでありますけれども大臣、こういうことを御存じですか。水泳のベテランであり、飛び込みもやります大崎恵子選手というのがありますけれども、彼女は岐阜国体のときは岐阜ヤクルトから、大分国体のときには大分ヤクルトから、埼玉国体のときには埼玉ヤクルトから出場した。いま彼女はどこで何をされているか、御存じでありましょうか。そしてまた、岐阜国体の立て役者でありました伊藤という教育長がありますけれども、彼は岐阜の選手の強化本部長になられて、岐阜国体を優勝させた第一の功労者であるといわれておりますけれども、この伊藤さんがいまどこの教育長になっておられるか、御存じですか。そしてまた、文部省の体育関係の係長をされていた、これまた選手強化のベテランである方がいまどこへ行って体育保健課長をやっておられるか。名前も申し上げてけっこうです。だれだか言えといえば言いますけれども、そういう事例を大臣御存じですか。もし御存じなければ体育局長から聞きますけれども……。
  58. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 勉強不足でそこまでは承知いたしておりません。
  59. 斉藤正男

    斉藤(正)分科員 勉強不足ということではないと思うのです。大臣知らぬと思うのです。
  60. 赤石清悦

    ○赤石政府委員 ただいま御指摘になりましたような詳細のことにつきましては、私も実はよく了承しておりません。大崎恵子選手のことは、確かに昨年御指摘いただきましたし、若干それに近いような現象のあったことは聞いております。現在どこに行っておりますか、かような規定が取りきめられたわけでございますから、幾ら移りましても効果がないんじゃないかというふうな感じはいたしておりますが、詳細は存じておりません。
  61. 斉藤正男

    斉藤(正)分科員 私は福井へ行って実は調べてきたのでありますけれども、何と大崎恵子選手は、いま福井に住んでおられるわけであります。驚きました。これがジプシー選手の規制にひっかかって福井国体へ出られないことは当然だと思います。しかし、こういうようなことが特別の例だということになると、今度の申し合わせなり規定はへの役にも立たぬということになるわけでありまして、当然こういう選手はワクに入ると思いますけれども、そしてまた、伊藤岐阜県前教育長は来年開催される長崎の教育長に迎えられておるわけであります。また、本省の某この道のべテラン係長は、長崎県教育庁の体育保健課長に迎えられているということも聞いておるわけでありますけれども、いまや選手ジプシーだけではなくて、官僚ジプシーまで行なわれている。勝った教育長は次から次へ引っ張られ、優遇されて、開催県の選手強化のためにその手腕を買われるということになりますと、選手ジプシーだけではなくて、官僚ジプシーということまで現実に行なわれている事実は、これは大臣十分ひとつ配慮しなければならぬと思うのです。こういう事実があるのを一体どういうようにお考えになりますか。
  62. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 主催県が選手強化に夢中になるという気持ちはよくわかりますけれども、いまお述べになりましたような事例がひんぱんとして行なわれるというような事態は、決して望ましい事態とは思いません。
  63. 斉藤正男

    斉藤(正)分科員 私は、ジプシー選手の対策につきまてしは、なお監督指導の立場にある文部省のき然たる態度を要望するものであります。  そこで、一体、どういう形で勝つための努力、勝たんがための配慮をしているかということについて、一つは、体育担当の教師の採用について大臣に具体的な例を申し上げ、見解を伺いたいと思うわけでありますけれども、岐阜国体におきましては、職制を通じてまず教育チームの強化をはかると同時に、この教員の指導による高等学校の戦力の強化をはかったということは歴然たるものがあるわけであります。これは岐阜だけでなくて、大分におきましても、埼玉におきましても、同様であります。すなわち、定員外、ワク外と思われる体育担当の教師を岐阜県におきましては七十ないし八十名、大分におきましても七十名、埼玉におきましては何と百四十四名、福井におきましても四十ないし六十名採用をいたしておるのであります。福井等におきましては、高等学校も数は非常に少ないのであります。御承知のように、県立高校二十五校、私立高校四校であります。しかし、一校三人で足りる体育教師のところは五人、一校五人で足りる体育教師のところは七人という形の配当をしておるわけでありますけれども、これらは現場教育の必要性からでなくて、教員の部からの選手強化と、高校チームの強化のために特に配慮をし採用をした。これらの人たちはどういうことをやっておるかというと、毎週土、日、月の三日間は一カ所に集まって合宿であります。そして、火、水、木、金の午前中だけ授業をやって、午後はまた自主的な練習であります。残った教師不足時数を補い、余分な校務を背負い込み、教育の現場は国体のために非常なしわ寄せをされている。この事実は歴然たるものがあるわけであります。はなはだしきは、埼玉県の一ワク外体育教師は、普通の教師が十八時間ないし二十二時間担当しておるにもかかわりませず、今日なお二時間体育の時間を担当しているだけだ。やりたくても先生が多いものですから受け持つ時間がないわけです。さらばといって、国体に迎えた体育教師でありますから、済んだから出て行けというわけにはいかぬということで、同僚教師が十八時間から二十二時間週持っておるのに、わずかに一時間か二時間しか体育の時間がないということで、肩身が狭いということすら申しておるわけでありますけれども、一体こういう事実を、それは開催県が熱意のあまりやることだということだけで放置できるのかどうか。文部行政のあり方として私はきわめてゆがめられているというように思うわけでありますけれもど、どのようにお考えになりますか。
  64. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 主催県がいい成績をあげるために、ただそれだけのために体育の教師をふやす、そして体育大会が済んだらそれでおしまいというようなやり方は、私は歓迎すべきやり方とは思いません。ただ、県内の体育を普及し、あるいは向上するために、体育関係教師の数をある程度ふやすということは、それが恒久的な考えのもとにやっておるといたしますならば、一がいにこれを排斥するわけにもいかないと思いますが、しかし同時に、そのことによって今度は学校教育に対して、全体に対して不調和なものができてくる、他の教師が迷惑するとか、あるいは御本人が、いまお話にもございましたけれども、前途に不安を感じておるとか、こういうようなやり方でもってみだりに数をふやすということは私はよろしくないと考えております。そういう問題については、文部省としましても関心を持ちまして今後の指導に当たりたい、さように考えます。
  65. 斉藤正男

    斉藤(正)分科員 私は福井へ行って関係者に面接をしたのでありますけれども、福井は埼玉の轍は踏まない、わずか七十五万の県民で福井らしい国体をやりたいということが看板であって、かなり好感をもって迎えられておったのであります。ところが輸入選手で天皇杯、皇后杯をとって批判されるマイナスよりも、輸入選手をとらないで負けて県民から批判されるほうがわれわれにとってはマイナスである、何といわれようと、ジプシーであろうと輸入であろうと、とにかく勝って行き過ぎだといって批判をされるよりも、それらを迎えずして負けて批判をされるほうがわれわれにとってはマイナスだという言い方に変わってきている事実も実はあるわけでございますので、私は福井なり、長崎なり、岩手なり、必ずしも一等県といわれていない府県が、今後順次開催をするという段階になって、せめて埼玉国体であの華麗な、豪壮な国体は終止符を打ちたい、ほんとうにその府県にふわしい国体であってほしいと思ったのでありますけれども、実は意外でありました。  特に私はここでもう一点伺わなければならないのは、高校チームの強化の問題であります。これは岐阜におきましても、大分におきましても、埼玉におきましても、各学校に種目を指定をするのであります。しかも一番ひどい例は、こういう例があるわけであります。昭和三十九年埼玉県下の大会で、中学校大会で優勝したバスケットボールの浦和市のKという中学は、成績上位者と下位者の二軍に分けられ、上位者は県立U高校、下位者は県立U工業高校に割り振りをされ、高校三年で国体を迎えたのであります。県下中等学校バスケットボール大会で優勝したチームの成績の上半分はランクのいい高校へ、下のほうはちょっと成績が悪くても入れる工業高校へ入れて、もう試験もくそもない。要するに、県下大会で優勝したからこれをごっそりAとBの高校へ分けてとったのであります。また、四十一年度は高等学校、バスケットボール県下選手権大会を一年間に八回開いたのであります。選手権大会なんというのは一年に一ぺん、オリンピックは四年に一ぺん、それを埼玉は一カ月半に一ぺんずつ選手権大会を開いてわざを競ったのであります。毎回優勝チームが違ってしまって、最終的に県下代表チームを選ぶのに骨を折った、こういうことであります。また、バレーボールでは分散している各高等学校の有望選手を特定の学校に移籍させ、常識では考えられないチーム編成をしたことも事実であります。また、川口市内の某高等学校では、水泳の有望選手を九州の中学から連れてきているのであります。しかもその強化方式は全員合宿だ、春、夏、冬休みはもちろん、三百六十五日無休練習だ、選手についての一切を監督にまかせる、この三つの条件を父兄からとって強い指導をやっておるわけでありますが、いま言いましたようなことは、教育の正常な姿ではないというように私は考えるわけでありますけれども大臣、一体こういう高校チームの強化対策に対してどのようにお考えでありますか。
  66. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 私はこの国民体育大会の本旨からいたしますと、ただいまお述べになりましたような事例は、かなり本筋をはずれているのではなかろうかという気持ちがいたします。国民体育大会はやはり国民全体の中にスポーツを普及し、スポーツの向上をはかっていく、こういうところが大きな目的ではないかと思うのであります。ただ勝たんがために無理なことをしていくということがその本旨と私は思いません。同時に、それが学校教育の姿をゆがめてくるということになりましては、私はよほど考え直してもらわなければならないように思うのでありまして、スポーツの精神から申しましても、いまお述べになりましたような事例は、少なくともスポーツの精神から申しましても、正しい行き方ではないような気持ちがいたします。そういう意味におきまして、今後の体育大会の運営についても、あるいは選手の養成等につきましても、関係者が反省をし、少なくとも邪道におちいらぬように、健全な国民体育大会が運営せられるようにやってまいりたい、その方向において皆さんとよく御相談もしてみたいと思います。
  67. 斉藤正男

    斉藤(正)分科員 時間がありませんので、最後のお尋ねをいたすわけでありますけれども国民体育大会開催基準要項、これによりますれば、大会の主催者は財団法人日本体育協会、文部省、開催地都道府県とするということになっております。しかも文部大臣は、役員の項によりますれば、名誉会長であります。しかも文部政務次官、事務次官、体育局長は顧問であります。さらに文部省体育局スポーツ課長はその副委員長であります。したがって、国民体育大会開催にあたって文部省が果たさなければならない職責というものは、ただ単なる監督官庁だということだけでは済まされないというように思うわけであります。特に私は、国民体育大会が今後ずっと持ち回りでやられるように規定をされておりますけれども、幸いにして九ブロックがブロック制として確立をいたしておりますから、ブロックの大会を行なうことによって国民全体のやはり底辺の広い大会にし、四年に一ぺんでもいいから、幸い完備しておりますオリンピック競技場等を使って東京で選手権的な大会をやるというような考え方がぼちぼち本格的に検討されてもいいのではないか、いたずらに持ち回りが国民体育大会の本来の姿でないというようにも考えるわけでありますけれども、この点につき、総括の意味大臣国民体育大会のあり方につきもう一度伺っておきたいと思います。
  68. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 従来の国民体育大会に、御批判にもありましたようないろいろ考えなければならない問題があると思うのでありまして、われわれとしましては、その大会の正常な姿において運営せられることを強く期待いたしておるものがございますが、またいまお話しになりました、今後の国民体育大会をどういうふうにしてやっていくか、こういう問題はわれわれとしましても検討もいたしますが、同時に世論がどうあるか、あるいはまた、体育関係者の間がどうあるかというような点も十分勘案いたしまして関係者がよく相談をして方針はきめなければならなぬと思うのであります。そういう意味におきまして、お話しの点は十分私ども今後の参考といたしたいと思います。
  69. 斉藤正男

    斉藤(正)分科員 了解。
  70. 森山欽司

    森山主査 次に、玉置一徳君。
  71. 玉置一徳

    玉置分科員 まず質問をいたします。  最初に、文部省大学の自治と学生の自治について、どういうようにお考えになっておるか、お伺いしたいと思います。
  72. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 大学の自治につきましては、いまさら私が申し上げなくてもよく御承知のような趣旨において、これが認められておる。すなわち、学問、研究の自由を保障するというようなところから認められておる大原則であろうと私は思うのであります。  学生の自治と申しますのは、私は、大学の自治というワクの中で考えられる問題であろうと思うのでありまして、本来の学生の自治権というふうなものがあるものとは思いません。大学が最高の学府として教育をいたします上において、教育上意義ありとして、つまり有意義なものとして、学生の自治活動というものを認めておると思うのでありまして、その範囲において認められておるわけでございますので、学生の自治と大学の自治とを混同してはならない、かように考えております。
  73. 玉置一徳

    玉置分科員 そこで、近来非常に大学の紛争が打ち続いておるわけでありますが、大学の施設が暴力的学生によりまして占拠される場合も少なくありません。こうした場合に、先ほどのお話しでありますが、大学の秩序維持と警察権の介入という問題が非常に問題になる場合が多いわけでございますが、この関係は一体どう解釈されますか。
  74. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 大学に自治が認められております関係上、大学管理につきましても、最大限の自治を認めていかなければならないものと思うのでありますが、ただ、近来起こっております学生の行動というものになりますと、むしろ、大学の自治がこれによって脅かされ、あるいは破壊せられておる、こう申しましてもあえて言い過ぎではないような気持ちもいたしておるわけでございます。  そこでいわゆる暴力あるいは実力をもって大学の自治を脅かし、あるいはこれを破壊に導かんとするような行動に対して、大学がどう対処するかという問題が出てくるわけでございますが、いろいろな道はあろうかと思いますけれども、いわゆる暴力的行動に対しまして、大学がみずから暴力をもって——暴力ということばはおかしいですが、実力をもって阻止するということは不可能なことであろうと思うのであります。  そういうふうな場合に、警察との関連というものが生じてこようかと思います。王置さんも御承知のように、従来、大学と警察という関係は妙な関係になっておると思います。大学のほうの側からいうと、なるべく警察権の介入は認めたくない。また、警察権が入ってくることが、すなわち、大学の自治の侵害である、こういうふうな声もかなり大学側にはある。これは多年の因縁というものがあろうかと思いますが、そういう気分がある。同時に、警察のほうから申しましても、大学にうかつに足を入れると、すぐに大学から反撃せられる、あるいは世論の反撃を受けるというようなことで、大学の中に警察が入るということについてはかなりちゅうちょもし、遠慮もしておるわけで、大体、大学側の要請があって入るというような一つの慣行ができておるかと思うのであります。私は、それはそれでよろしいと思うのであります。  ただ、問題は、大学がみずからの自治を守ってまいりますために、大学管理を全うするために、もし実力をもってこれに対して妨害するものがあれば、実力をもってこれを排除するということも、何もちゅうちょすることはないと思うのであります。そういう際には、もちろんそのときの状況によっていろいろ判断はしなければなりますまいけれども、警察官の導入を必要とするような事態であれば、これを導入することにちゅうちょすべきではない、そして、その力を借りて、協力を得て、大学の自治を守っていくという行動をとってよろしいのじゃないかと思うのであります。  また、一面、警察側のほうのことを考えますときに、警察が、大学の中に犯罪行為がある、あるいは犯罪者かおる、こういうものを捜査する必要があるというふうな場合におきましては、大学といたしましては、警察のこの正当な職務の執行に対してはやはり協力してよろしいのじゃないか、大学といえども決して治外法権の場ではない、そういうふうなことで、従来ややもすればお互いに遠慮がちといいますか、密接でない関係であるものをお互いに考え直したらどうか、お互いに正しいそれぞれの任務を果たしていく上において、協力を必要とする事態があればお互いに協力してやっていくのが一番よろしいのじゃないか、そういう考え方を私はいたしております。  ある大学で、警察官を導入するということは大学の自治を破壊するから困るといいながら、一面においては、大学の中によその大学生まで押し込んできて、そして、学校が制止するにもかかわらず、その大学管理する施設を占領してはばからない、こういうような事態があることは見のがしておるというか、これに対しては何ら手を下さない、こういう事例がありといたしまするならば、これはおかしいのじゃないかと私は思う。そのような不法な、不当な勢力が学内に蟠踞しておって、これをいかんともすることができないという事態をそのままに見ておるということみずからが、大学の自治に大きな不安と脅威を与えるものでありまして、そういう場合に、正当な職務権限を持っておる警察官を導入することが自治の破壊になり、不法なものの勢力を存在させることは自治の破壊にならないという考えがあるとすれば、これはとんでもない考え違いじゃなかろうか、かように私は考えておる次第であります。
  75. 玉置一徳

    玉置分科員 大学の自治は、昔から、学問、研究の自由、発表の自由、あるいは教授の自由というようなもので、多年にわたりましてこれは築き上げられてきた一つの慣習であり、伝統でもあるわけでありますので、時の権力の介入を非常に忌みきらうわけであります。私たちも、今後ともこの慣習を育てていただきたいと思うのでありますけれども、いまのお話のように様相が若干変わってまいりましたような場合に——私は、このごろの事件を見まして、文部省当局としては、大学の学生諸君あるいは教授の皆さんに、いままでの伝統を守っていただくような自覚を要請する措置をもう少しとるべきじゃないだろうかということを考えますのと、それから、大臣のいまのお話しのような点も、新しき倫理として育てていくというようなことも必要になるのじゃないだろうかということをおそれるわけであります。  そこで、もう一点、三派全学連の諸君の活動を文部大臣はどういうようにお考えになり、今後どういうようにこれに対処しようとお思いになっているか、お聞かせいただきたいと思います。
  76. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 三派全学連の行動は、私は、政治的意図を持ってやっておる行動だと考えます。その大学内における活動にいたしましても、教育基本法の精神から申しますというと、大学の中に政治活動というものが持ち込まれておるような感じがいたしてなりません。したがって、あのような特定の政治的目的を持って、あえて暴力行動にも訴えるというようなやり方というものは、大学としても許すべからざる行為であろうかと考えるのであります。同時に、それが社会において、いわゆる暴力行動をほしいままにして社会の人たちにも御迷惑をかけ、警察官の出動をわずらわさなくちゃならぬというような事態というものは、何といたしましても学生のとるべき態度ではない、私はこういう考え方をいたしておるわけであります。したがって、私は、このような事態に対しましては、やはり社会の秩序を維持するという意味から申しましても、あの行動に対しては、これを排除するだけの決心をお互いにしなければならないのではないか、こんな考え方をいたしておるわけであります。大学としましても、そのような者が大学の学生としてやっておるということについては、き然たる態度をもって、学生の指導その他に当たってもらいたいものと存じております。
  77. 玉置一徳

    玉置分科員 重要な問題でありますが、分科会のことで、時間もございませんので、他日に譲りまして、次は、近年のわが国の産業の成長は、種種な要因がございましたけれども、豊富な労働力の供給にもよったことは事実だと思います。ましていわんや、中学校あるいは高校の卒業生の就職というものが非常にあづかって力があった、こう思うのですが、御承知のとおり、非常に労働力が逼迫してまいりました。戦後生まれました中卒あるいは高校卒の就職者のピークも過ぎまして、このままでまいりますと、昭和三十年には求人率で一・一でありましたものが、今日では中学校卒業生には三・四の求人がある。高校は、昭和三十年に〇・七でありましたのが、三・一となっておるのが事実であります。技能工の不足の状況に至りましては、これはもっときびしいものがございます。これで、将来を見てみまするに、昭和四十二年に中学校卒業生が四十五万人でありますのが、昭和四十五年には三十一万人、五十年には十八万人に減ります。高校は八十四万人が七十六万人に、五十年には六十九万人に減るわけです。大学の卒業生がこれからふえてくるというようなことになりますが、このうち、技能職種等の新規学卒の就職見通しに入りますと、昭和四十二年に中学卒業生が四十五万人中三十万人でありますのが、四十五年には三十一万人中二十万人、五十年に至りましては十八万人中十二万人という推定しか立たないわけであります。こういうような状況にありますのは、中学の高校への進学率が非常に伸びていくということと、それから高等学校の卒業生が一番多くなるわけですが、レジャーブームその他の第三次産業等に希望する向きが多いということをいわれると思うのです。わが国の産業が今後とも成長を続けてまいりますにつきましては、この高等学校卒業生諸君の勤労意欲を高めていくということがどうしても必要になってくるのじゃないかということが、この推定から出てくるわけであります。こういうような意味で、きょうまで文部省は、六・二・三制の充実とか、あるいは中学校、高等学校大学の急増対策に追われてきたことは事実でありますが、大体これも一段落を見たと思いますので、今後はこういった面、したがって高校の理科教育、私立大学の助成も含めまして、こういうところに、内容の充実を思い切ってしていくのが望ましいのじゃないかと思いますが、これについての大臣の所見を伺いたいと思います。
  78. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 現在の情勢から考えますと、お話のように、いろいろな問題があるわけでございます。文部省としましては、さきに、中央教育審議会から、後期中等教育の拡充整備に関する件につきまして答申もいただきましたし、後期中等教育段階における職業教育あるいは理科教育、こういうような点については、さらに積極的にこれを進めてまいりまして、いわば後期中等教育の多様化、こういうふうな点に検討を加えて、積極的に進んでまいらなければならない状態にあり、またそのつもりで施策も漸次進めてまいっておる、こういうふうにひとつ御承知をいただきたいと思います。  詳細のことは、あるいは局長からでもお答え申し上げさせます。
  79. 天城勲

    ○天城政府委員 いま大臣説明申し上げましたように、高校進学率が非常に上がってまいっております。また同時に、大学への進学もふえております。したがいまして、将来の産業界におきます学歴構成が、全体として上がってまいりますので、もちろん産業界の需要もこれに結びつくわけでございますが、日本の場合に、学歴上昇の力が非常に強いわけでございます。これを踏まえまして、いま御指摘のように、特に高等学校段階におきます社会的な多方面の需要、また生徒の能力、適性に応ずる教育ということに最大の努力をいたしておるわけでございますが、先生すでに御案内だと思いますけれども、最近高等学校におきます職業教育を主とする学科、これも次第に社会的な動きと合わせてふえてまいりまして、現在、工業と一言で申しましても工業に関する学科の中には百三十四も種類が出ております。合計二百をこえるぐらいの多様化をいたしておりますが、なお積極的に、御指摘のような理数関係には重点を置きたいと思っておりまして、特に理産審からの御答申もございまして、明年度、四十三年度から、理数科を中心とした専門の高等学校設置いたしたい、かように考えておるわけでございます。  なお、第三次産業と一言でいわれている領域も、非常にバラエティに富んでまいりまして、しかも、これもある意味では技術を持ち込んでいる分野も非常に出てまいっております。第三次産業の面を考えまして、商業あるいは普通課程といわれているものの卒業生が第三次産業に出てまいりますので、この面におきましても、いろいろ現場の需要ということも考えながら、新しい措置につとめているような次第でございます。
  80. 玉置一徳

    玉置分科員 文化財保護委員会にお伺いしたいと思うのですが、わが国の重要文化財が約二千三百七むね、このうち修理対象が二千六十五むね、修理済みが千百一むね、したがって未修理は九百六十四むね、約千むねあるわけです。進捗率は五三%。今後、修理に要する費用が、現在の金額で見積って百四十五億円と予定されておりますが、このうち、年間経費は約七億六千万円となっておりますが、なお新しく追加指定されるもの、あるいは災害その他で修理をしなければならないものも加わると思います。したがって、これは二十年ないし三十年を要するというようなことになるわけでありますが、いかなる国におきましても、重要文化財というものは、国民の心のふるさととして、これの保存には非常に力を入れておる。ソビエトも中共もまたしかりといえると思うのです。こういう意味で、二十年ないし三十年かかるような現在のやり方を、何かくふうをしなければならないのじゃないか。もちろん国に全部支出していただくことはけっこうなことだけれども財政硬直のおりから、そう一ぺんに二倍、三倍になることも考えられないとすれば、何かひとつくふうを要するのじゃないか。  それと、これは最後大臣にお伺いしたいと思うのですが、七五%が大体平均の補助率であります。したがってこういう場合に、地元負担二五%がそれが重文で、一件当たり高額でありますだけに、非常に価格が張るものでありますから、困っておるお寺もありまして、これがために着手をようしないで、放置されておるものが私の町にもございます。こういうような関係で、この二五%を、何らかの助成をし、あるいは長期低利融資をするような機関があわせて望ましいのじゃないか。  これは最後に譲りまして、その次は、修理の技能工というものが後継者難であることは、いままでしばしば訴えられております。これについてどういうような対策をお立てになっておるのか。ついでに申し上げておきますと、私は、これは大臣にお伺いしたいのですが、政府もある程度出資する財団法人と申しますか、それは私は、農林省所管の競馬は畜産並びに社会福祉その他に入れるということになっておりますけれども、畜産奨励だけではなしに、現在は国民一つの健全な娯楽であり、しかも、それはギャンブルといわざるを得ないと思うのです。そういう意味では第二国庫納付金も毎年非常にふくらんでいっております。そういう金を一部こういう国の重要な文化財の保護のための基金に毎年計上してもらうわけにはいかないだろうかということと、それにあわせて民間の篤志寄付をいただいて、こういった二五%の地元負担分の長期低利融資というようなものに充てることもできるのではないだろうか、こういうように考えるわけですが、第一点は文部大臣、第二点の修理工の養成は当局から御返答いただきたいと思います。
  81. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 一応文化財のほうからお答えをさせまして、そのあとで私御返事申し上げたいと思いますから御了承いただきたいと思います。
  82. 福原匡彦

    ○福原政府委員 お答え申し上げます。  ただいま玉置先生から、建造物修理について現在約七億六千万円程度の修理をしているわけでございますけれども、それでは今後二十年ないし三十年、修理にかかるではないかという御質問がございました。これは後ほど仰せになりました修理技術者との関係もございまして、予算だけが伸びましても、それを担当する技術者が十分いないということとからみ合っているわけでございます。技術者が、現在百人余りこれを担当しております。わずかながら予算は上昇を見ておりまして、現在の予算の範囲内で緊急と思われますものから着手しているわけでございます。それにいたしましても、全国的に見ますれば非常に危険なものもございますので、できるだけその辺は今後留意してまいりたいと思います。その関係で、技術者の養成につきましては、年々一応高齢その他でやめていかれる方の補充程度は、二、三名新しい、大学その他の卒業生からこの世界に入ってきてもらっております。そういう方々に対しては現職教育と申しますか、いろいろな講習会を持ちまして、この伝統を継ぐようなくふうをしているわけでございます。これがいまの予算とからみ合いましてできるだけ今後充実をはかってまいりたいと思っております。  それから地元負担の二五%ということでございますが、これは平均いたしまして国庫補助が七五%ということでございますので、平均二五%ということでございますが、これは一律ではございません。財政能力の十分でない社寺等に対しましては、もっと高率の補助もいたしておるわけでございます。それからなお、地元負担と申しましても、平均いたしますと二五%のうち一三%程度は都道府が持っております。それから六%程度市町村が受け持っております。社寺自身の持っておりますのは、その残りの六%程度でございます。なるべく、そうした所有者自身の負担ができないために修理ができないということのないように私ども気をつけまして、そういうことを聞きますと、何とかくふうをして、そういうところは緊急に修理するような体制に相談はしているのでございますが、また今後もよく気をつけてまいりたい、こういうふうに思っております。
  83. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 文化財関係の問題は予算関係するものが多いと思いますが、おかげさまで年々多少の増額は見ておりますけれども、わが国の文化財の実情から申しますと、いまの程度では、御指摘になりましたように、何年かかったら済むのか、こういうふうな御批判も出る程度でありまして、私どもとしましては、この点につきましては皆さま方の御協力をいただいて、できるだけ予算の増額には今後ともに努力してまいりたいと思っております。  なおまた、先ほど競馬会の金を一部文化財保護のほうに回したらどうか、こういうふうなお考えでございます。確かに一つのお考えだろうと思っております。われわれとしましても、何かこう自由に使えるような、機動的に使えるようなお金を相当持っておれば、買い上げ等の場合につきましてもあまり心配しなくて済むということもございますし、そのほかの事業をやるにいたしましても、好都合だと思うのでありますが、その財源を一体どこに求めるかということになりますと、いろいろ検討も要すると思いますが、何か特殊な考え方がないかという御指摘に対しましては、私も十分関心を持って今後検討さしていただきたいと存じます。  なお、余談にわたりますけれども、今回各省設置法の改正に伴いまして、従来の文化財保護委員会という行政委員会制度を改めまして、内局の文化局と一緒にして文化庁をつくるということにいたしております趣旨も、実は一つ予算の獲得にしましても、あるいはいろいろ起こってくる問題の解決にしましても、独任制の機関のやったほうが能率も上がるのではないか、同時に、専門的、技術的な分野については十分その意見を取り入れるだけの用意をしておいて、そして独任制の役所でやったほうが御期待に沿う道じゃなかろうか、こう考えまして、くふうをいたしましたような次第でありまして、せいぜいひとつ御協力のもとに努力したいと思います。
  84. 玉置一徳

    玉置分科員 時間の関係がございますので、以下一括御質問申し上げますので、それぞれお答えをいただきたいと思います。  建造物の防災でございますが、終戦後の国宝等のおもな焼失滅損等を考えましても、奈良の法隆寺、京都の金閣寺、滋賀県の延暦寺、栃木県の東照宮等十七件に及んでおります。この災害は金額でははかり知れざる大きな損害だと思うのですが、現在防災措置も毎年御努力はいただいておりますけれども、これも十年間はかかるように考えられます。この促進をどうするか。  それから美術工芸品でありますが、重要文化財八千二百二件のうち、当面国が買い上げたほうが保管上心配が要らないと思われるようなものがかなりあるように思いますが、その件数はどのくらいであって、総予算はどのくらい必要とするか。  それから史跡、埋蔵文化財でありますが、現在指定されておる史跡が七百九十三件、埋蔵文化財の包蔵地に至りましては約十四万件にのぼるとされております。これらを近来の宅地造成、道路施設等から守るために、文化財保護委員会はどういうように指導をされておるか。  ついでに奈良の平城宮跡の国道のバイパスがいま問題になっておりますが、この件はどういうように扱っておいでになるか。もう一つ、これらのうち破壊のおそれがありまして、公有化をどうしてもやらなければいかぬというように迫られておるのが。一体何件あって、予算的にはどういうように措置されておるか。  建設省の所管に入りますけれども、関連いたしまして、古都保存法が制定されましてから今日までどの程度の買い上げを実施して、今後どの程度要請をされておるのか、なお、古都保存法そのものの施行にあたりまして問題点は一体どういう点であるか、山下公園緑地課長から御説明をいただきたいと思います。  最後に、無形文化財の伝承責任につきまして、私は年来これを主張いたしてまいったわけでありますが、現在いただいておるような予算措置で伝承責任がはたして実行し得るかどうか。私は、将来これを受け継ぐ者がないような産業に人間国宝として指定をし、無形文化財として指定して伝承をお願いしておるわけでありますので、せめて生活費に相当するぐらいなところにプラスアルファをつけたものを、本来ならば指定申し上げた国としては差し上げることが当然だと思うのであります。もちろん、この中には非常に裕福な方々もおいでになるでしょうし、所得の非常に多い方もおいでになるでしょうから、その方々には、ただに一つの名誉的な意味合いをもったものかもわかりませんけれども、そうじゃない一面があり得ると思います。こういうのにつきまして、かつてお願いをして、平均すれば三十数万円の予算はつけていただいたのでありますが、当時文化勲章は約五十万円の年金がございました。文化勲章をいただいている年金が高いと言うわけじゃございませんけれども、文化勲章をいただかれるような方々は、それぞれ生活に心配のない方が多いと思うのです。そのときに三十数万円こちらはつけていただいたんだから、それが二、三年前に百万円になりましたので、こちらも同様、倍額ぐらいせめて予算措置を盛っていただきたいということを数度にわたりまして私はお願いしておるわけでありますが、今後ひとつ、この無形文化財に指定された方々はほんとうにいわゆる命ぜられた伝承だけに専念し得るような人々だけであるかどうか、その方々にはもう少し何か方法がないかどうか、こういう点を一緒に御答弁いただきたいと思います。
  85. 福原匡彦

    ○福原政府委員 お答え申し上げます。  初めに、建造物の防災につきまして、戦後いろいろ重要な国宝その他が火災にあったりいたしました。これは、私どもといたしましても、防災のために予算の面におきましても、ほかのものよりも格段に力を入れて、来年度もその予算の伸びを十分に考えたつもりでございますけれども、まあこういう状態でございましたので、先ほど御指摘のように、いまからやってまいりますとまだ十年ぐらいかかるぐらいの見通しでございます。これは今後の必要経費三十六億というような数字が出てまいっておりますので、来年度の予算から見ますとまだ十年ぐらいかかる。これを今後さらに努力いたしまして、なるべくその期間を短縮するようにつとめるつもりでございます。  それから重要美術品につきまして、現在、当面国が買い上げるべきものがどのくらいあるかという御質問でございました。これはどの辺まで押えるかという非常にむずかしい問題がございますけれども、推定いたしまして、約六十件ぐらいあろうかと思います。それの価格も、また推定でございますが、十四億程度を見込んでおります。これは予算といたしますと現在一億四千万程度でございますから、これも十年ぐらいかかろうかと思いますが、この点もできるだけ予算の面で今後努力してまいりたい、こういうふうに考えております。  それから第三の点は、史跡埋蔵文化財の破壊に対してどう対処しているかということでございまして、この辺が私どもの一番苦慮しているところでございます。開発のために宅地あるいは道路の造成が行なわれておりますので、私どもとしては、先ほど御指摘の埋蔵文化財包蔵地は十四万個所というような数字が出ております。そうしたものを地図の上で図示いたしまして、地方の周知徹底をはかっていくという面もございます。それから史跡の、あるいは埋蔵文化財の取り扱いにつきまして、地方公共団体に十分理解を行き届かせまして、住宅公団、道路公団その他大きい公団の開発でございますと、これは文化財保護委員会と直接覚え書き等を交換いたしておりまして、あらかじめ協議を行なっておりますが、小さい団体の破壊等に対しましては、地方公共団体で事前に手を打つように十分な指導をしております。そういたしまして価値の高い遺跡は、ぜひそこを道路、宅地からよけてもらうというような措置を講じてもらっているわけでございます。  その中で、御指摘の平城宮跡のバイパスの問題がございました。これにつきましては、昨年、平城宮跡が初め考えられました方八町——現在指定しております方八町の旧跡が東に伸びているということがわかってまいりましたので、そういたしますと、当初考えられた国道二十四号線のバイパスが宮跡を縦断する、こういうことになります。これはぜひよけていただきたいということで、建設省のほうに現在申し入れている最中でございます。  それから公有化の問題でございますが、これは道路あるいは住宅という開発の関係で大事なところにぶつかりますと、私どもは、ぜひそれから守るということで現状変更を差しとめるという措置をしているわけでございます。そういたしますと、そこの所有者にしてみますれば、これをどうにも自分の自由に扱えないということで市町村あるいは府県に買ってほしい、これは当然の成り行きになるわけでございます。私どもとして史跡を守るためには、この公有化ということが必然的に最終的にはついてくるわけでございます。その関係予算につきましても、現在の開発の事態でございますので、来年度も三〇%以上の増額をしてそれに対処しようとしておるわけでございます。その件数がどのくらいかということでございますが、これは緊急度の問題でございますが、来年度の予算で私ども考えておりますのは四十八件、三億八千万ばかりの補助金をこれに用意をしているわけでございます。これはまた、年度内に緊急のものが出てまいりますれば、それを差しかえて実施する。この予算はこれで十分かと言われますと、あまり十分ではございません。その辺は、買い上げを繰り延べるというような措置をとって、とにかく破壊から守りたい、こういうふうに考えているわけでございます。  それからもう一点、無形文化財の保持者につきましての御質問でございます。これはかねがね玉置先生から御心配いただいておりまして、私どもも十分努力すべきことでございましたけれども、来年度、残念ながら特別助成金の増額を見ることができませんでした。今後よく研究してまいりたいと思っております。
  86. 山下曠登

    ○山下説明員 古都保存法が施行されましてから、行為の制限を受けまして、土地の買い入れの対象となります歴史的風土特別保存地区の指定は、現在のところ京都市におきまして醍醐特別保存地区ほか九地区、千三百三十七ヘクタール、それから奈良県は春日山特別保存地区ほか五特別保存地区で千四百四十八・九ヘクタール、鎌倉市建長寺、浄智寺、八幡宮特別保存地区ほか九特別保存地区、二百二十六・五ヘクタールが指定をされております。これらの土地におきまして現在まで買い入れ申し出が出ておりますが、このような制度が先例のない初めての制度でございますので、一件一件慎重に検討を加えまして、その結果、去る二月二十七日に京都市の五件、面積約十・九四ヘクタールございますが、その事業費一億二千八百五十四万九千円の買い入れを行なうことに決定いたしました。ただいま買い入れの交渉をやっておるところでございます。  なお、京都市の九件、面積一・四八ヘクタール余、それから鎌倉市の一件、面積0・0三二ヘクタール、奈良県の二十件、面積約四・四八ヘクタール余につきまして、現在検討中でございます。
  87. 玉置一徳

    玉置分科員 最後に一分間だけひとつお願いしたいのですが、文部大臣にお伺いしたいのですけれども、このように破壊から守り滅失から守らなければいかぬ重要な文化財がたくさんございますけれども、実際問題として予算をいろいろとくふうされましても、ほんとうにむずかしい問題だと思います。  そこで、もう一つは、ことに開発が進むにつれて埋蔵文化のごときは買い上げなければならぬものがこれからだんだんふえてくるのじゃないだろうか、しかも予算的に見通したのじゃなしに、突如として出てくるような場合が多いのじゃないか、こう思います。したがって、美術、工芸品でも直接国が買い上げなければいかぬという考え方、そういうものをだんだん変えていかなければ、これは毎年予算的に追われてくるのじゃないだろうか、こう思うのです。そこで、先ほど申しました一例を申し上げますと、中央競馬会の昭和四十年度におきます国庫納付金は百二億、そのうち第二納付金だけで十五億円になっております。これは四十一年が百四十八億、四十二年が百八十六億、第二国庫納付金だけでも昭和四十年の十五億が二十七億、三十三億とこう伸びておるわけ下す。したがって、伸びる財源であり、それからもう一つは、直接国がすべてのものを措置しなければいかぬという考え方を少し変えていかないと、とてもこれだけの必要に追いつかないのじゃないかという感じがするのですが、御所見を承って知の質問を終わりたいと思います。
  88. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 確かに一つのお考えだと私伺っておるわけでございますが、いまおっしゃいましたような事情のもとにあるということは、私も認めざるを得ないのであります。できることなら国費をもってすべてを片づけてまいりたいと思いますけれども、なかなかそうもいかないとすれば、そこに何かのくふうがなければならぬということはよくわかる問題でございますので、ひとつ十分検討させていただきたいと思います。
  89. 森山欽司

    森山主査 午前の会議はこの程度にとどめ、午後は正一時より再開し、文部省所管質疑を続行いたします。  この際、暫時休憩いたします。    午後零時十五分休憩      ————◇—————    午後一時五分開議
  90. 塚本三郎

    塚本主査代理 休憩前に引続き会議を開きます。  森山主査が所用のためおくれますので、主査出席されるまで、指名により私がその職務を行ないます。  この際、念のため申し上げますが、質疑時間につきましては、理事会の協議により、原則として質疑に対する答弁も含め本務員一時間、兼務もしくは交代で分科員になった方は三十分となっております。多数の質疑希望者がございますが、できる限り御希望に沿いたいと存じますので、恐縮ながら質疑時間を厳守いただき、質疑及び答弁はできる限り簡潔を旨とする等、各位の格別の御協力をお願いいたします。  文部省所管に対する質疑を続行いたします。佐藤觀次郎君。
  91. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)分科員 灘尾文部大臣にお伺いするのでありますが、御承知のようにきょうは私学に対することを、大事なことだけを少し要点をつかんで申し上げたいと思います。  御承知のように日本の私学は、全体の教育機関の——大体学生の七割五分は私学が担当しているわけですが、しかし、その経費の補助につきましては非常に微々たるもので、まあそういう問題について絶えずそういうことが主張されるのでありますけれども、なかなか実行されないという現状があります。灘尾文部大臣はそういうことのいきさつもよく知って見える関係で、私は特にお尋ねしたいのでありますが、何か経費の助成などの問題につきまして何とかいい方法はないかと思っておると同時に、私学の寄付金の問題については、これは大蔵省ががんこで、なかなか寄付金に対しては免税しないものでありますから、非常にこの問題も壁にぶち当たっておるわけですが、そういう面とあわせて、何らかの方法で私学の助成の問題を検討していただく必要があると思うのですが、その点はどうお考えになっておりますか伺いたいと思います。
  92. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 私学の財政状態が非常に困難な事情にありますことは周知の事実でございます。この私学の問題はそのような財政的面からの問題と同時に、私学の教育内容の充実、向上というようなことも大きな関心事でございます。佐藤さん御指摘のとおりに、いろいろ努力はいたしておりますけれども、なかなか十分なところまでは至っていない。しかるに最近の私学の財政状況は非常に苦しくなってきておる、こういうことで問題がますます重大になってきておると私も存じておる次第であります。御承知のようにさきに臨時私学振興方策調査会というものを設けまして、各方面の方にいろいろ御検討を願いまして、その答申もいただいておるわけでございます。私どもとしましてはこの答申を基礎といたしまして、できる限りその趣旨の実現に努力してまいりたいと存じておるような次第であります。同時にまた、私学側におかれましても、助成に値するようなりっぱな私学の経営をやっていただきたいもの、このように念願をいたしておる次第であります。
  93. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)分科員 中央大学の問題で、月謝の値上げはストップになったのでありますが、こういうことをどういうように指導していかれるのか。また中央大学はあれだけの計画を持っておって、途中であれを全部取り消してしまったのです。いままでいろいろ慶応や早稲田の問題なども問題があったのですが、しかし最後には妥協点を見出して、どうにか授業料の値上げをやったわけですが、実はちょうど去年の暮れでしたか、私、文部省に行きましたときに、ちょうど天城さんが大学学術局長をやっておられて、国立大学の月謝の値上げの問題について、お話ししておられました。これはわれわれ私学を出た者にとってはあまりに月謝の不均衡が高過ぎるのじゃないか。おそらく十対一くらいの比率になると思うのですが、同じ日本国民でありながら、片方は、国立に入った人は十分の一の月謝でいい、私学に入っている者は十倍出さなければならぬというようなことは、非常に不均衡だと思うのです。そこで私は、教育なんというものはあまり月謝を取るべきじゃないので、学生からあまり経費を取ることには反対でありますが、やはりそれには国立学校並みに何とか私学のほうも安い月謝で教育がやられぬものかどうかということについて、どういうように文部省はお考えになっておるのか。私らがひがみで言いますと、大体大蔵省の役人とか文部省の役人の人は国立の人が非常に多い。だから私学のことをあまりに知らな過ぎる、こういう感じがするのでありますが、そういう点についてはどのように授業料の問題をお考えになっておるのか。この間の中央大学の問題を見ましても、これはもう現実の事実としておそらく次々と問題は起きてくると思うのですが、そういう点はどのようにお考えになっておられますか、伺いたいと思います。
  94. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 私学の授業料に比して国立大学の授業料が非常に安いと申しますか、低いということは、これはもう仰せのとおりであります。それと関連いたしまして、国立大学の授業料をあるいは引き上げたらどうか、こういうふうな御意見もあるように承知いたしておりますが、これについては積極消極両論まだございまして、結論を得にくい問題でございますが、同時にまた、国立であるという事情にかんがみまして、いわゆる公共料金の抑制というふうな点とも若干の関連を持って結論を得ない問題でございますけれども、これがいろいろ問題となっておるということは、ことに私学との関連において問題となっておることは私どもよく承知いたしておりますので、そういう点は十分検討をさせていただきたいと存じておるような次第であります。  なお、私学と国立との開きというものが何事によらず非常にたくさんある、こういう点も現状においては事実だと思うのでありますが、この問題はただ単に現在ある私学に対していかなる助成をするかというだけの問題ではないようにも思うのでありまして、昔からの私学のあり方の問題というものがあるわけであります。そういうような点について、今後格別な私学に対する助成方策をすべてに広く深くやっていくということになりますれば、私学そのものに対するそのあり方あるいは考え方等についても検討を加える必要がありはしないか。臨時私学振興調査会におきましても、根本的にいえば私学そのものについてなお深く検討する必要がある、当面こういうことを考えたらどうか、こういうふうな趣旨の御答申をいただいておるわけでありますが、明治以来の私学のあり方というものが、いまもってある意味においては残っておる。客観情勢はずいぶん変わってきておる、こういう間に処してどうあるべきかという問題についてはさらに一段と検討を加える必要があろうかと思うのでありますが、現状を、つまり従来あるがごとき私学そのままの姿においてこれを国立と同じような扱いをするというふうなことはきわめて困難な問題だということは御了承がいただけることだろうと私は思うのであります。
  95. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)分科員 いま文部省予算の大部分は義務教育の費用でありまして、そのほかの金を使う部分はいまの予算では非常にわずかなことだと思うのです。  そこで、私先年イギリスに参りまして、私学のことを調べたのですが、何といってもイギリスでは七割五分ぐらいは国の補助が、どんな学校でも大体そういう私学に対してあるのですが、援助はすれども干渉はせずという非常にりっぱな教育方法をやっておるわけです。私は日本の現状でイギリス並みにやれということは言いませんけれども、何としても現在の日本の学生の授業料の問題は、学生運動と並行してますます問題を起こすのではないか。それだから、国立並みにせよといってもなかなか簡単にできませんけれども、少なくとも現在より授業料を上げない程度に国の補助が必要だと思うのです。それには、一番問題なのは、公務員のベースアップに関連して私学の先生方にもこの金は上げなければならぬ。どうしたって俸給を上げなければならぬということが結局問題になってくるわけです。おそらく大学の経営の中でいま一番むずかしいのは、これは大学から小中学に至るまで、高等学校もそうでありますが、そういうことに対しての人事の費用が非常にたくさんかさんでくるんじゃないかと思うのです。少なくともそういう点で私は、国の教授、先生方と同じような率で何とかして私立の学校自体もそういうような方法を講ずる道はないか。灘尾さんは何べんも文部大臣をやっておられまして、非常に文部省のことは詳しい人でありますから、あなた自体がひとつこういう方法でやってみたいというようなことがあるかどうか。これは私通告しておりませんから、そういう大きな問題をここですぐ返答いただこうとは思いませんけれども、何らかの形でやらないと、私は学生の問題はいろいろまた問題が複雑になってくると思うのですが、その点はどのようにお考えになっておられますか、伺いたいと思います。
  96. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 おっしゃるように私学の経費の中で、いろいろな要素はございますけれども、年年人件費がかさんでくるという状況にあることはそのとおりだと思うのでありますが、ただ私学の助成を考えますときにまた一番むずかしいのは、経常的な人件費の助成という点であろうかと思うのであります。私学の中にもそういった面の助成を要望せられる向きもございますが、同時にまた一部にはほっといてほしい、こういうような考え方をやっておられる方もあるわけでありますが、もしそのような経費に対して国費が投入せられるということになりますと、イギリスの例をお引きになりましたが、日本の国情のもとにおいて、また日本財政制度のもとにおきまして私学とあるいは文部省あるいは国との関係というものがいままでのような状態にそのまま据え置かれるということはちょっと考えられない問題であります。したがって、私学のあり方の問題として、相当むずかしい深刻な問題になろうかと思います。この問題については、先ほども申しましたように臨時調査会におきましても、その問題は根本的に考えなければならぬとおっしゃりながら実はまだ答申もいただけないような状況でございまして、われわれとしましても事柄がきわめて重大な問題でありますので、にわかに結論を下すわけにはまいらない。したがって、当面は何と申しましても私学の財政負担を何らかの形において軽減をするということで授業料の値上げ等の問題の緩和に資するという方向をとっていかざるを得ないのじゃないか、このように考えております。
  97. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)分科員 それからもう一つは、今年度の例でありますが、生徒が非常に少ないので東京の私立の学校では定員に満たない学校があったと思うのです。そこで、これは文部省自体が急増対策学校をつくれ、つくれといってやらせておいて、さて志願者が足らないということになると、おそらく相当の学校が閉鎖せざるを得ないような、そういう悲劇がまた起きてくるんだろうと思うのです。いまのところは、大学は、御承知のように大体たくさんの志願者があって競争率がひどくなっておるのですが、少なくともそういうような結果が出た場合には、これはいままで文部省が盛んに急増対策で私学に三分の二の負担を負わせて、やれ、やれといってやらせておいて、さてそれがいよいようまくいかないと、おそらくそういう問題が起きると思うのです。最近起きると思うのです。そういうことに対してはどれほど国が考えてやるべきかということをお考えになったことがあるかどうか、また現実にそういう問題が起こりつつあるだろうということもわかりますが、これは大臣でなくても管理局長でもけっこうでありますから、この点はどういうような処理をしていかれるのか、お伺いしたいと思います。
  98. 村山松雄

    村山政府委員 高等学校以下の学校に対しまする私学助成問題は、産業教育の振興ですとか理科教育の振興ですとか、そういう全般的な面で国が直接めんどうを見るものもございますが、臨時私学振興方策調査会でも指摘されておりますように、都道府県が助成の主体になって、できるだけのめんどうを見る、国はそれに対して国の立場で裏づけを行なう、こういうことが進められておるわけでありまして、現実に私学の高等学校に対しまする都道府県の援助は、補助金あるいは貸し付け金等の形で、四十二年度約八十億程度が出資されております。それに対する裏づけといたしましては、交付税その他で国が措置しておるわけでありまして、文部省としては、都道府県に対しまして、こういう措置をさらに進めるとともに、関係各省に対しましては、裏づけ措置をするようにお願いをいたしておるわけでありまして、文部省が直接めんどうを見るということにつきましては、現在は取り立てて申し上げるようなことはございませんが、さらに慎重に検討いたしたいと思います。
  99. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)分科員 おそらくこれは、問題が、ことし、来年は起きてくるだろうと思うのですが、文部大臣にもう一つお尋ねしたいのは、学生の、三派系全学連の問題が非常に大きな問題になってきて、破防法を適用するかどうかという問題が起きておりますが、その前に、一体こういう学生をどのように指導しておるかという問題については、これは大学当局はむろんでありますが、文部省はどのような指導をしたかということについて、まず反省をする必要があると思うのです。  そこで、非常に卑近な例で、自分らの例を引きますと、私らが大学を出たときには、政治経済学部は三百人くらいおりました。しかしいま、そのときの比率からすると三倍か四倍の学生がおるんじゃないかと思うのですが、そんな、同じ学年の千人か千二百人をどのようにして教育しているのかという問題と、それから、早稲田、慶応をはじめ、中央大学でも、やはり二万人からの学生がおるのですが、こういうようなマスプロ教育というものが大きな災いをなしているんじゃないか。先生はおそらく学生の顔を知らないし、学生も先生の顔を知らぬような、そういう教育が実際に大学で行なわれているんじゃないか。特に私学においてはそれがはなはだしいと思っておるのですが、こういうことを改善をする必要があるのじゃないか。少なくとも、大学の中にその日全部学生が出席すれば、おそらく入りきらぬような膨大な定員をとっておいて、そうして学生ばかり責めるということは、私は少しひどいんじゃないかと思うのです。私たち自分の経験を顧みて、現在のマスプロ教育に対して手を打つべき方法があるというように思うのですが、その点は、大臣はどういうようにお考えになっておりますか。伺いたいと思います。
  100. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 現在の私立大学——国立もあるいは同様かもしれませんけれども、私立大学に特に著しい現象としまして、学生数が非常に多い、いわゆる大量生産のような形で学校教育が行なわれておるということは、常々指摘せられておるところであります。これも一面からいえば、学生の急増という事態に当面いたしましたために、よんどころなくそのような結果になったということも、一部いえるかと思うのでありますが、教育の成果をあげるという点から申しますれば、もちろん決して望ましい現象ではございません。ただ魚増時期も大体ことしが峠になりまして、だんだんと学生数も落ちついてくることかと思うのでありますので、今後の問題としましては、量の問題というよりも、むしろ質の問題を重視してまいらなければなりません。また基本的に考えれば、大学の各学部の規模というふうな問題についても、検討を加えていかなければならぬと思うのであります。方向は、これからはそちらのほうに向いてまいりまして、従来のいわゆるマスプロの弊害というものを漸次除去していくつもりでございます。なおまた、ただいまの状況から申しましても、冬大学ともに、多数の学生を擁していろいろ問題が起こり、苦しんでおることと思いますが、何と申しましても、教官と学生との間の密接な人間的な関係というものが一番ほしいのでございます。そういう点についても、漸次学生のグループと教官との対話であるとか、あるいはゼミナールであるとか、そういうふうなことについての努力もようやく起こりつつあるような気がいたしておりますが、このような傾向はぜひ助長してまいりたい、さように考えておる次第でございます。  なお、もし詳細のことでございましたら、大学局長からでもお答えをいたさせます。
  101. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)分科員 もう一点お伺いしたいと思うのですが、私たち考えますのには、こういうようなマスプロに対して反対の、非常に優秀な学年を、特に科学の時代でございますから、実験をやるという必要もありますから、せめて五百人ぐらいで教育したらどうか。少なくとも二クラスぐらい、百人ぐらいのものをつくる、せいぜい全校が五百人ぐらいの学生を養成すると、これは理想的な学校ができると思うのです。しかしそういうのは、私学ではなかなか経費関係でできませんが、国立でそういう模範的なものをつくって、これを私学に模倣させる、模倣というのはおかしいけれども、そういうような方法をとればいい。いま小さい私立の大学でりっぱな学校があります。名前は知れていませんけれども、なかなか良心的な学校で、そういうところへいま学生が非常に志願をするようになってきたのでありますが、そういう試みをやってみたらどうか。これは御承知のように、国立でやるよりほかにありませんので、そういうことをやって、マスプロ教育を押えて、いまの学生の放漫な——おそらく授業をやっていないと思うのです。そういう学生が非常に多いのですが、そういうことをなくすることがなければ、なかなか学生運動というものは——ひまでしようがないですから、学校へ行ったって、あれしないから、ああいうような形になる。これは一つの弊害だと思うのですが、そういう点についての計画があるかどうか、また文部大臣には、そういうことを構想しておられるかどうか、もう一ぺん伺いたいと思います。
  102. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 御趣意はよくわかりました。  先ほどもお答えしましたとおりに、むしろ今後われわれが大学教育に対して重点を置くべき点は、量の問題でなくして、質の向上という問題であろうと考えます。その中には、各大学の適正な規模というようなことも大きな要素をなすものでございますが、そういう方向に向かっての検討を進めたいと考えております。ただ、検討、検討というのでお答えすることは、まことに残念でございますけれども、現に中央教育審議会におきましても、今後の学校教育の整備拡充、こういう問題でいろいろ御検討を願っておりますが、過去二十年間の経験もあることでございますし、この辺で過去を振り返り、また将来を展望して、りっぱな学校教育のあり方について基本的な線をひとつ出していただく。そしてそれを基礎としまして、着々施策を講じてまいるような体制に持っていきたい、こういうふうなつもりでおるわけでございます。
  103. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)分科員 ぜひひとつ文部大臣から、経験の非常に深い灘尾さんでありますから、あまり変な理屈でいろいろなことをやられる前に、ぜひひとつ理想的な案をつくっていただきたい、こういうように要望しておきます。  今度は、体育局長にひとつお伺いするのですが、この間、フランスで、冬季には七十三人も行って惨敗をして帰ってきました。そして私ら議員連盟の者も非常に残念でありますから、ことしのメキシコのオリンピックには、こういうみじめなことはさしたくないと思っているのです。赤石君自身に責任があるわけではありませんけれども、少なくともスポーツというものを考える以上は、何か成果をあげなければぐあいが悪いと思うのです。そこで、私は一昨年ソ連に行ったのですが、ソ連では、小学校の三年か四年生くらいの者に対して、十人か十五人のグループで、指導者がちゃんとついておって、盛んにバレーとかその他いろんなスポーツをやっておるのです。日本でもこのくらいは、一般的にスポーツが発達した今日においては、何か新しい方法をすれば、少なくとももう少し成果があがるのじゃないか、こう思うのですが、一体、体育局長はどういうふうにお考えになっておられますか、ひとつ伺いたいと思います。
  104. 赤石清悦

    ○赤石政府委員 御指摘のように、今回のグルノーブルの冬季大会におけるわが代表選手が、国民の期待を裏切ったということは私どももまことに残念に感じているところでございます。やがてメキシコ・オリンピックがございますから、こういうことのないように、いい選手を選考して優秀な成績をあげていただくことを期待しておりますし、また、やがて札幌オリンピック大会がわが国において開かれます。こういうときも考えますと、やはり優秀な選手を育成し、育てていくということは非常に大事であろうかと考えております。またこれに即応するような、国としての援助する方策も考えてまいらなければならぬと思っておりますし、若干のいろいろなことも講じているところでございます。  さて、一般に国民の青少年の体位の問題でございますが、これはいろいろ比較の問題でございますし、いろいろ国の諸事情もございますから、一がいに申しませんが、確かに進んでいる国におきましては、青少年の体位、体力というものに対しましていろいろ施策を講じていることは伺っておるところでございます。わが国においても、青少年の体力の問題について、政府なり民間なりが決してないがしろにしているわけでございませんで、御承知のように、政府全体としての国民運動をも展開しているところでございます。ただ遺憾ながら、日本の場合は、子供の置かれているいろんな現状におきまして、必ずしも、十分であるかといったような点になりますと、将来の問題として、幾つか検討しなければならない点が残っておるのではなかろうかと考えておる次第でございます。学校体育の問題、社会体育の問題等々におきまして、今後一そう検討、改善を加えていくべき課題であろうと考えております。
  105. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)分科員 赤石さんにお伺いするのですが、日本のアマチュアスポーツは、ほとんど学生に限られているようになっておるわけです。社会人になると非常に弱くなりますから、だめです。それで世界のレベルにのぼるのには、これは本質的には、日本人の体力と食糧という問題がありますから、必ずしも文部省の責任ではありませんけれども、しかし少なくともこの間のオリンピックのように、七十三人も行って一点も取れなかったということは、世界に例がないのじゃないかと思うのです。私は子供のころに、金栗選手がたしかストックホルムで四十三位に入ったということが記憶にあるわけです。そういう記憶を思い出すと、あれから五十年以上もたっておって、あまりにひどいように思うのです。そこで私は、そういう点で、もう少しスポーツというものを——体育局もできたのだし、それから昔から体育課という時代も長くあったのですが、そういうようなことについても、やっぱり道も開かれておるわけでございます。  ついでに、文部大臣にお願いしたいことは、先ほどの私学のことについても、私学局くらいがないというばかなことはないと思うので、これもあらためて考えるわけですが、少なくともスポーツについて、文部省の体育局長をやっておられて、もう少し積極的にこういうことをやらなければいかぬ。  それで私がいま思い出すことは、川崎君が厚生大臣をやっておるころに、川崎君は厚生省へ体育局を持ってこいという運動をやったことがある。ちょうど松村文相がぼくに、佐藤君、川崎君は油断ならぬよ、文部省の体育局を持っていかしてもらうと言っているという話を、私は初めて言うのでありますが、そういうことを言われたことがあります。それだけに体育局というのは国民の中心、学生の中心になる局でありますから、せっかく文部省に体育局がある以上は、やはりもっとその力を出させるように——これは、この間の惨敗が直接体育局に全部あるとは申しませんが、少なくとも札幌に日の丸の一本も上らぬでは、せっかく札幌でやっても情けないと思うのです。今度のメキシコのオリンピックには、南アが加わるか加わらぬか、南ア問題でいろいろ問題があり、IOCの問題でも、この間川崎君と一緒に東さんと竹田さんを呼んでいろいろきつい質問をしたのですが、何かもう少し日本人の誇りを持てるような方法を講ずる必要があると思うのですが、その点について、あとで川崎委員からもいろいろな質問があると思うのですが、私は体育議員連盟をつくって非常に心配しておるのですから、その点は大臣からでもいいし、赤石さんからでもけっこうでありますが、時間がありませんからいろいろ申しませんが、そういう点について何かいい案をお持ちであるのかどうか。メキシコでことしの秋あるのですから、いますぐ間に合うようなことはできないかもしれませんけれども、何かもう少し国民が納得するような方法を考えてもらいたいと思いますが、その点はどうお考えになりますか。私の質問はこれで終わりますが、ひとつお願いいたします。
  106. 赤石清悦

    ○赤石政府委員 たいへん大きな問題のようでございますし、私ども幾つか考えておることはございますが、こういう席でどういうことを申し上げたらいいかと思って戸惑っておりますが、要は選手がいい成績をおさめるということと、同時に、国民全般がスポーツに親しみ、体力を向上させていくということ、これは同じ方向でまいりますし、相関連していると思いますが、やはりそれぞれの持ち分に応じまして、体育団体はりっぱな選手を養成するし、一般社会団体なり学校教育関係者が、やはり国民一般、青少年一般の体力の向上をはかるという、いろいろな施策を着実に実行に移していく、こういうことが一番大事ではなかろうかと考えております。そういうことと同時に、絶えず自己の体力がどの程度にあるかということをいつでも自己反省するような機会、たとえば私どもいたしております体力テスト、これは青少年も壮年もいたしておりますが、そうした絶えず自己の体力的な自己反省をし、絶えず自分を練磨していくといった機運を高めていくといったようなことも、相伴って大事なことではなかろうかと考えております。もちろんよくいわれますように、指導者、施設その他万般の、一般にいわれております問題ももちろん大事でありまして、大いに進めてまいらなければならぬことだろうと考えております。
  107. 塚本三郎

    塚本主査代理 次に、川崎秀二君。
  108. 川崎秀二

    川崎(秀)分科員 ただいまは、党派は違いますが、佐藤さんから、スポーツのことにつきましていろいろと御発言がありまして、私どもと同感な点が多々あるわけであります。  今度の国会の予算委員会は、防衛論あるいは外交論に主点が置かれたために、そういう質問が非常に強いわけでありますが、やはり内政の問題で、教育あるいは体育というような問題は大いに重視しなければならぬと思うのであります。  そこで、灘尾文部大臣に伺いたいのであります。多少答弁に時間の余裕を持って対処していただくように、私から少しお話を申し上げて、御答弁をいただきたいと思うものであります。実はメキシコ・オリピック大会は、約十数日前からのIOCの動きによって、非常に危機に当面しておる。これはこの二月、グルノーブルで行なわれたところのIOCの総会において、南アフリカの復帰について、郵便投票によって採択をした結果、南アフリカが、白人と非白人と書いてあるのですが、すなわち白と黒と混合チームを送るから復帰を認めてくれという投票を、郵便投票の結果、三十二対二十八であるか、あるいは三十三対二十八であるか、数票の差で少差で決定をした。棄権が八票というわけですから、棄権が反対と見るならば反対のほうが多かったわけですが、郵便投票である結果そういう投票があらわれて、危ういところで復帰が認められたが、が然このことについてアフリカ諸国は反対の態度に出てきた。これが初めは二十数カ国、いまは三十カ国以上にのぼろうとしておるので、非常に重大な形勢であります。ところがさらにここ数日来の動きは、インドあるいはマレーシア等のアジア諸国の中に不参加が出てきた。さらに驚いたことには、ソビエトロシアも、もし南アが復帰するならば、ボイコット運動に自分らは同調すると発表した。したがって、いまの情勢で過半数を割るような参加国になりそうである、IOC参加国の過半数を割りそうな形勢である。この形勢を見てわれわれは動いたわけではないのです。実は、スポーツ議員連盟としては、元来オリンピック憲章の中に、「オリンピック競技大会は、四年ごとに開催する。大会は、すべての国のアマチュアを公正かつ平等な競技会に参集させる。大会においては、いかなる国家または個人に対しても、人種、宗教または政治上の理由から差別待遇することは許されない。」とオリンピック憲章第一章根本原則第一条に規定してある。  そこで問題は、南アフリカ過去十数年にわたって人種の差別をなし、さらに最近の社会情勢ではこれをきびしくしておる。そのために流血の惨も起こっておる。至るところに反対運動、革命というものまで起こってきておる南アフリカを、たとえ白人、黒人というものを区別しないで、両方の混合チームを送るといっても、社会生活の上において画然として分かれておるのですから、これをを参加させたということは、IOCの非常な軽率な措置で、それはメキシコ大会が危機に到達するのも当然だと私は思うのです。これは私の主張です。しかし、いま文部大臣に聞きたいのはそういうことをも越えて、文部大臣としてはIOCの内部のことに干渉するわけにはいかぬ、スポーツのことについては干渉するわけにはいかぬけれども、東京オリンピック大会を成功させた所管大臣として、メキシコ大会が、かような状態で開催をされることについては、やはり非常な責任と憂慮を持っておられることと思う、その根本的な考え方について灘尾文部大臣の御所見を承りたいのであります。
  109. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 南アの参加という問題に端を発しまして、かなりの国の態度が硬化してメキシコ・オリンピック大会の開催が危ぶまれておるというような状況にあると承っておるのでありますが、また将来のオリンピックにこれが暗影を投げかけておるということもあろうかと思いまして、私もこの問題につきましては非常に心配をいたしておるわけでございます。ただお話にもございましたが、IOCの態度について政府としてかれこれ意見を表明するということもいかがであろうか、このようにも存じますので、そういう意味においては、この際所見を申し上げることは差し控えるのが穏当ではないかと存じておりますが、ただ私自身の気持ちを申し上げますれば、さきに東京オリンピック大会を開催し、さらにまた札幌のオリンピックを開催しようとしておるわが国としましては、あくまでもオリンピック精神に基づきまして全世界の人が納得するような方向で早く問題の円満解決を見たいものというふうに念願をいたしておる次第であります。多くの国がメキシコ・オリンピックに参加しなかった場合に札幌オリンピックにどう影響するかというようなことについても、政府としての所見をかれこれ申し上げることは差し控えたいと存じますけれども、少なくとも私としましてはこの札幌オリンピックがりっぱに開かれるように、事態が円満解決を見ることを心から望んでおるというふうに申し上げたいと存じます。
  110. 川崎秀二

    川崎(秀)分科員 確かにIOCの内部に介入するような言辞は差し控えたい、しかし個人としては非常に憂慮しておられるという御答弁は筋だと私は思っております。  そこで札幌オリンピック大会は、冬季大会でございまして、アフリカ諸国はスキー、スケートというものを中心にした冬季競技にはあまり参加身期待されないわけでございますから、したがって、札幌大会への影響はメキシコ大会ほどではない。しかしメキシコ大会が失敗をすれば、オリンピックの歴史に大きな傷がついて、それが影響太れることは事実でありまするし、私が一番憂慮しておりますのは、いまのままならばソ連の旗振りによって東欧諸国が参加しない。東欧諸国が参加しないということと北欧は参加する参加しないということはまだ言っていませんが、取り消しを要求している。もう一ぺんやり直せ。冬季大会で北欧が参加しないということは、これはゼロですわ。今度の冬季大会では、御承知のようにノルウェーを筆頭としてスウェーデン、フィンランド、デンマーク、——デンマークはたいしたことはなかったが、この三国だけでメダル半分とっておるわけですから、非常な影響があるわけでありまして、その意味で札幌への影響は無視できないということになるわけであります。こういうことでありまするが、灘尾文部大臣にその次に伺っておきたいのは、オリンピックの内部のこまかいことは申し上げても、かえって専門知識を持ち過ぎても困る点もあるのです。たとえば今度のことについてブランデージが考えたのは、いままで南アは黒人を参加させなかった。だから除外しておったが、まぜたから一歩前進じゃないかというので認めたんですね。ところが社会生活の上において画然と区別しておることが一つ。もう一つ、あれを認めてから後の問題があるのですね。つまり、近ごろ発表される水陸両競技の南アの代表というのは全部白人なんですね。黒人は一つも入らない。そこにもってきてボクシングは白人は白人、黒人は黒人で格闘させるそうです。そうしてその代表一名ずつか二名ずつを送ろうというのですから、あるいは黒人のほうがはるかに優秀であるかもしれないけれども、別々に送ろうというのですから、これは平等の原則をすでにそこで破壊しておる。私はその点を一番いま問題にしておる。世界的に問題になっておる。川崎秀二は国外ではあまり有名でありませんが、今度提起した問題で、だいぶロンドンやその他の新聞に載って、国会議員懇談会というものが東京にあって、それがいろいろ提議をしておる。その言説は正しい、私はこういう動きはやはりしなければならぬと思いますので、ぜひ伺っておきたい点があるのですが、それは、根本原則としてこういうものがオリンピック憲章にある以上、その精神というものはあらゆる機会に貫かれなければならないというお考え方文部大臣はお持ちでございましょうか。
  111. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 先ほどお答え申し上げましたような立場でお答え申し上げたいと存じますが、私は当然オリンピックの基本精神はあくまでも貫くべきもんじゃなかろうか、そのように存じます。
  112. 川崎秀二

    川崎(秀)分科員 その次にもう一つ質問がございます。これは私の所見に基づきまして申し上げますが、そういうことになりますと、やはりIOCの総会というものはなるべく早く開かれなければいかぬ。そうして検討する必要があるのではないか。これはブランデージ委員長自分個人で決定できないけれども理事会を開いた後にそういうことになれば招集をして再検討しようというところまできておるわけです。メキシコの組織委員長のバルゲスという人は非常な有力者で、いままでスポーツにあまり関係のなかった人だそうです。私は、去年の十月二十五日にメキシコシチーで会ったのですが、なかなかりっぱな方であります。政界にも相当発言権がありますし、財界での有力者ですが、これが、南アの復帰を認めるなら、メキシコは開催する気持ちはないということまで極言した。IOCのブランデージ委員長——ブランデージという方は、御承知のとおり非常にりっぱな人であるが、もうだいぶお年で、アマチュアリズムの守護神ではあるけれども、やや自由主義陣営に寄り過ぎている。それはアメリカですから当然です。いまの世界の体制というものは英米本意です。しかし、スポーツもアメリカ、イギリス本位ということではいけなくなっておるのです。やはり、世界各国の意見を平等に聞いて——ユニバーシアードの大会のときのように、一方に偏したソ連の要求というのは別ですが、今度はソ連の要求が大会を牛耳る中心になると私は思う。だから、そのときどきによって、人種の問題のごときは根本原則に触れた問題については、やはりブランデージ委員長も反省しなきゃいかぬというふうに私は思っております。いよいよそうなる形勢にあるわけですが、メキシコ大会が大会開催国が放棄するというようなことになれば、非常に重大なので、そういうような意味で、IOCが十分に再検討するということに対しては文部大臣は御賛成であるのか、その点を伺ってみたいと思います。
  113. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 すみやかに事態を再検討をいたしまして、全世界の人が納得のいくような姿において、問題が円満に解決することを望んでおります。
  114. 川崎秀二

    川崎(秀)分科員 私の出しました三つの質問に対しまして、文部大臣としてはかなりお答えしにくい立場でありながら、御所見をいただいた。これはかなり影響するものと思うが、事態を憂慮しておる、再検討が是であるというようなお考えが出ましたことは、これについてIOCの委員も相当に反省もし検討もされると思うのです。東、竹田氏は、非常なブランデージ氏の信奉論者です。いままではそれでよかったのです。けれども、ブランデージ氏が言うなら何でもいいという考えもまたどうかと思うので、投票の秘密は個人のことだから聞かないけれども、あなた方は一体賛成か反対か、どっちに投票したんだと、この間秘密会で聞いたのです。にやにやと笑っておったが、もう色でわかるわけですね。ですから、今度は再検討しろというのは、その投票した側からはちょっと言いにくいことであるが、しかし、これが世界情勢を見通して、かつ根本原則に照らして、東、竹田両委員のとるべき態度だろうと私は思うのです。しかし、困ったことには、IOCというのは、いままるで国際競技のサロン化して、おじいさんばかり、八十幾歳の人もおるそうです。したがって、IOC硬直化——佐藤内閣もどうやらそれに近い傾向もあるけれども、IOCは非常に硬直化しておる。これはやはりNOC本位で、各国の国内のオリンピックコミッティというものを中心にした組織に変えていく必要が私はあると思うのです。これは別に御所見を求めないけれども、そういうようにして、IOCが、新時代に即応した各国の声が反映するような構造に修正されなきやならぬ、機構が改革されなきゃならぬ、という意見を私は持っております。しかし、私がいろいろ意見を言うものだから、政治家があまり意見を言い過ぎるという声もある。しかし、スカルノ大統領やヒトラーみたいに、自分の政策でスポーツ界を牛耳ろうというのはよくない。けれども、政治家が国民の代表として、グルノーブルの問題でいま佐藤さんが御発言になったように、やはりわれわれがオリンピックの問題について、こういう機会に国民の声というものを聞かして、スポーツ関係者を動かしていくということは、これはもう当然の国民代表としての任務であるというふうに考えて、発言をいたしておるわけであります。  そこで第二の問題は、先ほど佐藤さんから出されましたように、グルノーブル・オリンピック大会というものはさんざんなことでございました。これは、中にはスケートの五百メートルの鈴木君のような、ほかの大会で全く優秀であったのに、あの大会に限って第四コーナーでつまずいたというような不運もある。しかし、かりに鈴木君が一等をとっておったって、七十何人行って一人しか入賞しなかったというのでは、これだけでも責められなければならぬ。選手選考の基準というものが甘過ぎる。札幌大会の前だから、どんな選手でも送ったらいい——参加させてみると、だれだれが四十五位、四十六位、中には五十七位、何人走って五十七位か。百五十人ぐらい走って五十七位ならまだいいけれども、六十人走って五十七位。そんな者に国民の血税を出していくということは相当な問題であります。体育協会の問題であるけれども、膨大な費用を補助しておるところの文部省の監督不行き届きという問題にもなってくるわけであって、その点では、メキシコ・オリンピック大会以後については厳重な注文を発したらいいと思う。それはやはり入賞が可能なことを最低基準にする。それから若い選手ならば、この大会には入賞はできないけれども、次の大会には入賞の可能性があるというなら、そういう者を入れる。大量派遣しておいて、今度は一挙に精鋭主義にするということもどうかと思いますから、きめられた予算の中で運営をされることはもっともでありますが、これは体育局長に聞いたほうがいいでしょう、体育局長は、今後そういうことで、体育協会に、文部省としても、国会議員懇談会にばかりまかしておくのではなく、ひとつ警告を発してもらう必要があるのではないかというふうに私は考えますが、どういうふうにお考えですか。
  115. 赤石清悦

    ○赤石政府委員 川崎先生の御指摘のような点につきましては、世論もございますし、私ども全く同感でございますから、さような意向につきまして、非公式でも、体育協会に伝えておるところでございます。体育協会でも、こうした世論にかんがみまして、最近いままでより一そう精鋭主義にしよう、たとえば標準記録をパスした者とか、それからゲームによりましては予選会があるのがございますが、予選会を通った者に限るとか、あるいはまた十位以内には入ってほしい可能性のある者とか、そういったようなもので、あらためて検討しようではないか、こういう空気が生まれつつあるというふうに聞いております。したがいまして、御承知のように、メキシコ・オリンピックには、予算上は二百三十名の選手を派遣するという予定になっておりますがただいまのような再検討の結果、二百三十名のワクにこだわらない、それ以下になってもかまわぬじゃないか、こういったような措置がなされようとしておるようでございます。これは最近の世論にかんがみまして、体協自身もいろいろと検討を加えた結果であろうと思いますし、ぜひ世論にこたえるように、今後とも検討していただきたいものと考え、連絡をとっておる次第でございます。
  116. 川崎秀二

    川崎(秀)分科員 いまのが最近における体協内部の動きであれば、非常にけっこうであります。二百三十人はどうしてもやるんだということで推し進めていくと、また同じような批判を受けるかと思うのであります。ただ、多少私の気持ちとして寛大に扱いたいと思っておりますのは、オリンピックの前開催国でありますから、やはりそれにふさわしいチームは送らなければならないので、一挙に精鋭主義で五十名になるとか百名になるとかというのでは、日本としての体裁上も、また将来の前進から見ても問題ですが、確かに二百三十という数にはこだわらないで、そうしてこれが百何十名になりましても、充実した代表団を送って、国民の期待に報いてほしいということを、この際特に申し上げておきたいのであります。  それから、これは私が非常に責任を持っておりまする青少年交歓事業の関係でありますが、文部省も非常に理解をされている以上に、大蔵省がこういう親善交歓について関心を持ってもらっておることを、私はたいへん力強く思っておるのです。スポーツも大切でありますが、非常に頭のすぐれた、また知的に水準の上がっておる日本の青少年を海外に派遣するということは大切なことです。しかし派遣するばかりでは、これは意味が半減であって、やはり外国の青少年に日本に来てもらって、そしてオリンピック以後における産業、文化の発展状態を見てもらう、これは青少年交歓ということは非常な意義がある。幸いに灘尾文相はこれに大きな理解を持っていただいておりますが、出すときには、いまドイツの場合でいいますと、千百万円もついておりますから、三分の一程度の予算がついておりますから、個人負担を加えまして、優秀な者が行けるわけです。去年などは二千六、七百人も志願者があった。ことしは三千人以上の志願者があるわけですから、その中から百四十人というと優秀な者が選ばれるので、非常に感謝しているわけですが、受け入れの場合に何とも予算が少ない。実はドイツの青少年が一カ月日本に滞在すると、どうしても千二、三百万円かかる。文部省のほうでは、四百万円で、ほかに出口がないものですから、全国市長会に頼んで、各地を歩くときに、市長さんの協力を得ておるというようなことですが、この点についての考慮というのをもう少ししていただいて、派遣することも大切であるが、受け入れて、日本の実情を見てもらう、外国の青少年をして、日本の産業、文化の発展の実際に触れさすということのほうがはるかに意義がある、というふうに私は思っておるのですが、この点について将来もっと力を入れていただくことについて、灘尾文部大臣はどういうふうに思っておられますか、伺って、最後質問とする次第であります。
  117. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 青少年の交流について、年来御尽力をいただいておりまして、その点につきましては、私ども感謝いたしておるところであります。ただいまのお話しの問題につきましては、いかにもどうもみみっちい話でございますけれども、私としましては十分お話を伺っておきまして、将来善処したいと考えます。
  118. 塚本三郎

  119. 中村重光

    中村(重)分科員 原爆映画の問題について、文部省の御方針を伺いたいのですが、アメリカから返ってまいりました原爆映画に対しては、公開するという御方針であったように伝えられておりましたが、まあそうでもない、やはりこれは非公開が好ましいのではないか、しかし公開せよという、広島、長崎を中心とするそうした声が非常に高まってきておるので、ですから、学術的な効果というか、意義から、これを公開することがいいじゃないかというようにも変わったようにも伝えられておる。必ずしもどうもはっきりしていないようですが、御方針はどういうとこでございましょう。
  120. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 取り扱いの方針につきまして、大学学術局長からお答えをいたさせます。
  121. 宮地茂

    宮地政府委員 この映画の今後の利用の問題でございますが、これは御承知のような経緯で、先般アメリカから、——いわゆるオリジナルなものではございません。オリジナルなもののいわば複製でございますけれども、それから複製が可能なものでございます。これにつきまして、いろいろ従来からの沿革がございまして、この映画を写しましたのは、もともと単なる記録映画というような性質のものでございませんで、当時の原爆を今後の学術的なことに利用するといったような考えもございまして、学術的な見地から、当時の学者等がこれに関与して撮影が行なわれました。そういうことで、この被写体となった人々も、一般の映画でそれが今後公開利用されるというようなものではない、あくまで学術的なものであるということで御了解を得て、病院に入っておる患者等の了解も、そういう了解で映画を写したような経緯がございます。そういったようないきさつ、また御当人はすでに故人になられておる方もあるようですが、中には現存されておる、あるいはその遺族の方がおられる、いろいろなことから、学術的に写されたものでもございますし、特にその中に出てきます人体部分については、それがいわゆる人道上むごいとか見るにたえないとかいったような考えではなくて、いま申しましたような、人格権といいますか、人権的な、そういう面に配慮をいたしまして、これは時間数にいたしますと十分程度のものでありますが、全体が二時間四十五分くらいなものでございます。その中にいま申しましたような点を除きまして、これは十分程度をカットする必要があるであろうというようなことを、この映画の撮影に当たられました学者、あるいは当時の学者以外の撮影された人々、そのほかいろいろな学識経験者、こういう方々の御意見を徴した結果、そういう結論に到達いたしました。ただ医学用のいわゆる純粋な、学者が学術的に見るという場合には、これは全部利用に供してよいであろう、しかしながら、それを学術用でないものに利用公開する場合には、以上申しましたような点は配慮する必要があるという、関係者の非常に慎重な調査、検討の結果、そういう結論に達しましたので、私どもといたしましては、これはいろいろ御意見もあろうかと思いますが、当時の関係者、学識者いろいろな人が衆知を集めて、そういう配慮が必要だということでございますので、そういう方向で、いま複製に取りかかっております。したがいまして、これが公開といいましても、もちろん営利的な、商業主義的な、そういうものに利用されることは困るわけですが、教育的な、別に学術研究でなくても、教育的な——教育と申しましても、学校教育だけではございませんで、社会教育的な意味を含めてのそういった適当な公開には応ずべきではないかということで、用意いたしております。四月の下旬ごろには、大体品物ができる手はずでございます。  以上でございます。
  122. 中村重光

    中村(重)分科員 営利的、商業的にこれを利用されないということになってくると、学校であるとかあるいは公民館、そういった施設を利用して公開する、そういういわゆる限定公開という形になるのだろうと思いますが、もう関係者いろいろお話し合いをされて、そこで複写にかかっているということですから、私がいまここでいろいろ申し上げましても、もうすでに御方針がきまって、どんどんと進捗しているということになりますから……。私は別館で映写いたしました際に見せてもらった。そのときにいろいろこれをカットする必要があるのじゃないかというような意見があるということも伺っておりましたが、どこをカットするのだろうか。私は被爆当時に現地におったわけですから、何とも言えない当時のあの悲惨な状態をまのあたりに見ております。救護作業に私は当たってまいりましたからその状況を知っておる。だから、どうもあれをカットする余地はないじゃないかという考え方を強く持つのです。十分間程度のカットということになってくると、いわゆる治療しておる場面をカットすることになるのだろうと思うのです。あそこをカットしたのでは、ほかは何も特にこれが学術的とかないとかいう形では、価値というものはないのじゃないかと思うのですよ。たとえば、原爆によって瓦なんというのがどういうように変形をするかとか、そういうことだけが残ってくるということになるように思うのです。きょうは限られた時間ですし、すでに結論も出ておることですから、いろいろ申し上げてもこれはしようがないことですが、公開するという場合、それ自体をあまり制限しないようにされる必要があるのではないか、こう思います。で、その管理は、大体どこですることになりますか。
  123. 宮地茂

    宮地政府委員 管理についてのお尋ねですが、これは一応私ども考えと申しますか、先ほど来申しました関係者の人々との御相談、御協議の結果でございますが、一応アメリカ政府から日本政府に贈られたものである。したがって、所有権は日本政府にある。直接には文部省が保管をする。文部省には、こういった教育映画につきましての貸し出し規定がございますが、その貸し出し規定に基づいて貸し出しをする。ただ、広島大学医学部に原爆医学の研究所がございます。また長崎大学にもそうしたものがございます。したがいまして、そこには、国立大学でございますが、永久的に文部本省から貸与しておこう。それから、何といいましても広島市と長崎市、これは被写体が広島、長崎でございます。また市民感情もいろいろございましょう。それから、市長さん等の御要望も非常に強うございます。こういったようなことから、広島と長崎市には、ある程度永久的な貸し出しと申しますか、所有権は文部省が持ちますが、相当な期間貸し与えるということはしなければいけないのじゃないかというふうに考えております。  それからついでですが、先ほど来申されましたカットでございますが、先生も院内でごらんになったということでございますので、もうちょっと誤解のないように申し上げたいと思いますが、ごらんになられたと思いますが、一例を申し上げますと、原爆の影響で、いすにすわったり、あるいは立ったりしておる人体が、正面から写したり、横から写したり、うしろから写したり、主として頭の部分の頭髪関係がいろいろクローズアップされたりしておる。そういうような場合に、正面から写してある部分は、これは正面をカットしても、側面なり後方なり、そういうことで一般にもわかりますし、学術的にも支障がないであろうと見られる方が、そういったようなことで、これは何人であるかがクローズアップされてわかるもの、これはある程度カットしようということで、そのカットした部分がないと前後の脈絡が全然断たれるといったような切り方はしないように、細心の注意を払ってやっておるつもりでございます。
  124. 中村重光

    中村(重)分科員 何しろ、あれを撮影するときに私も知っているのですが、たしか二十数日後にやりましたからね。だから当時の悲惨な状況というものはなかったのです。むしろ清掃された形でしたからね。風景映画という形に、カットした結果なってしまうのじゃないかと思ったのですが、いまの程度ですとそう大したカットではないのではないかというように思います。ですけれども、複写しないものもあるわけですから、それもある程度完全な形でそのままのものを、何というのですか、ごく限定された形でしょうが、公開するということも配慮される必要があるのではないかと思います。  次に、原爆でとうとい犠牲になられた長崎大学の学生の諸君約五百名に、先般文部省のほうで一時金として七万円の見舞い金を実は贈ったわけです。靖国神社に合祀するという形になり、遺族もたいへん感激しているわけですけれども、ただ遺族が非常に不満に思っておりますのは、動員学徒の遺族に対してはいわゆる扶助料が支給されて、同じような扱いをされた防空業務に従事した学生の遺族に対してはどうして扶助料が支給されないのか、差別扱いを受けなければならぬのかということに対する不満が大きいわけですが、その点どのようにお考えになっていらっしゃるのですか。動員学徒との違いという点について、時間の関係がありますから簡潔にお答え願いたい。——時間の関係がありますから、お答えができなければ、原爆被爆者援護関係の法律案が社会労働委員会にかかりますから、その際にお尋ねすることにいたしましょう。  次に大臣に、三派全学連の問題について大臣としての御見解を伺っておきたいと思うのですが、御承知のとおりに、佐藤総理が自民党内のいろいろな動き、いわゆる破防法を適用しろという動きに対して、これを適用する方向で検討するという態度をきめられたようでございます。またその点で関係閣僚の打ち合わせ会も開かれるやに伝えられておるのでございますが、関係大臣である文部大臣としては、破防法の適用の問題についてどういう見解を持っておられるか、また述べようとしておられるのか、お伺いしたいと思います。
  125. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 三派全学連のあの行動に対しまして非常に憂慮いたしておるものでございますが、この三派全学連に対して破防法を適用するやいなやという問題は、すでに中村さんも御承知のようにいろいろ意見が出ておるわけでございます。政府としてもこの問題について検討をするという段階になってきたように思います。佐藤総理がどういうふうなことをおっしゃったのか、実は私は直接には伺っておりませんけれども政府部内においてもこの問題をどうするかということについて検討する段階に入ったと思いますが、私自身の意見はどうかとお聞きになりますと、私は、これはよほど検討した後でないとなかなか結論を出せない、こういうふうな状況にいまあるわけでございますので、積極、消極、いずれともまだ結論を持ってお答えをすることはできないのであります。十分ひとつ慎重に検討してみたい、このように考えております。
  126. 中村重光

    中村(重)分科員 破壊活動防止法の適用は、これは慎重でなければならぬということは当然であります。なかんずくこれが学生の集団に対して適用されることになってまいりますと、文部大臣としても重大関心をお持ちになることはわかるわけです。学生諸君の行動という点について行き過ぎがあるということは、私も現地佐世保等における学生諸君の行動を見て感じさせられた。しかし、これは相対的である。卵か鳥かということにもなるわけですけれども、警察の武装した形においての過剰警備、それがむしろ学生諸君の行動を何というか挑発するというようなことになったということも否定できない。だから、これは相対的に見なければならないし、また破壊活動防止法の目的から推しましても、あるいは規制の基準、法律の解釈、適用であるとか定義、どの条文を読んでみましても、学生集団に対して破壊活動防止法を適用するということは、私は行き過であると考えるわけであります。  文部大臣としては慎重な態度をとるべきであるということ、よくわかるわけですけれども、慎重に検討した結果、どうしてもこれを適用しなければならぬということに大臣としても、何というのか、同意しなければならぬという形になることを非常におそれるわけですが、少なくとも学生諸君に対しては、行き過ぎがあったにしても、こういう基本的人権を破壊するような、無視するような、民主主義を破壊するような、そうした法の適用ということだけは、私は、文部大臣最後までこれを避けるための努力をして、そして健全な学生活動が行なわれるように対策をお立てになるべきであると思うのでございますが、大臣の御見解はいかがでございましょう。
  127. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 破防法という法律は、解釈、適用はなかなかむずかしい法律ではないかと思うのでありますが、そのような事態が起こらないことが一番望ましいことであることは申すまでもないことであります。三派全学連の行動がただ一時の暴発事件であるとかということであるならば、それほど大きな問題にはなるまいかと思うのでありますけれども、今日の状態から見ておりますと、同じようなことが始終繰り返されてきておる、こういうふうな姿になってきておるところにわれわれとしても、また世間のみなさん方としても非常な心配をしていらっしゃると思うのであります。そういう意味におきまして、破防法適用というようなことが、すなわち現在の、いままでのようなやり方ではとうていだめなんじゃないか、こういうふうな心配から破防法適用というような声も有力な声としてだんだん起こってきておると思うのでございます。  先ほど申しましたように、この問題につきましては、重大な問題でございますから、軽々に結論を下すべきではないという意味において、私は十分慎重にやってまいりたいと思いますし、同時に、問題が学生に関する問題でございます。したがって、破防法の適用もさることながら、やはり教育の場においてこのような問題が起こらないようにやっていくのにはどうしたらいいかということで、私ども並びに直接の関係者であります大学当局、こういうふうな面においては真剣にこの問題を考えまして、事態の改善につとめていかなければならぬ、これは第一のわれわれの任務じゃなかろうか、かようにも考えておるわけでありますが、非常にむずかしい問題、各大学におきましてもいろいろ努力もし、心配もしておりますけれども、ごらんのとおりの状況でありまして、次から次に同じような事態が起こってくる、これはいかんともすることができないというのが、残念ながらいまの状況でございます。苦悩しているのが、私は現在の大学の姿じゃないかと思います。しかし、困難な問題でございますけれども、やはり教育に関係する者といたしましては、事態の改善のためにあくまでも努力するということを第一の問題として取り上げてやってまいらなければならぬ、かように考えております。
  128. 中村重光

    中村(重)分科員 そうした姿勢であるべきだと私は思います。それと、大臣がいまお話しになりました、たとえば佐世保あるいは成田で、あるいは野戦病院の問題、角材を持つあるいは投石をする、そのこと、その現象だけを見ると、これは何というのか、非常に暴力的な行為を常時繰り返す団体であるというように見がちであると思うのです。ですけれども、それだけを切り離して見てはいけないのである。この問題を議論するとたいへん時間が要るわけでありますし、立場によって並行線にもなると思いますけれども、現在の政治情勢はどうなのか、また政権を担当しておる政府の政治姿勢はどういう政治姿勢をとっておるのか、ここにやはり民主主義を守っていく、基本的人権を擁護していかなければならぬ、戦争に引きずり込まれるのではなくて、あくまで平和を確保していかなければならぬという若い情熱の発散、それが警察権力の挑発というものとの関連において非常に抵抗する意識というものがそこへ出てくるということは避けられないのではないか。だから、あくまでこれを愛情を持って対処していくという姿勢であるべきである。だから、学生諸君の妥協を知らない純情ということ、その純粋さということを念頭に置かないで、ただ角材を持ったというその現象、これだけによって最終最高の規制であるところの破防法を適用するということは厳に私は戒めなければならないと思っておる。また、かりにこれを適用したといたしましても、結局これはエスカレートしてくるのではないかと思います。いま現にそうなっております。警察が放水する、これに対して学生は抵抗する。今度はガスが来るというので、次から次に高度なものが双方に使われてくるということになってきておる。だから、これに破防法を適用する、いわゆる最終最高の規制をやるということになってくると、これは結局野放しになってくるということになります。野放しになってくると、もうこれはそれ以上の規制の措置はございませんから、結局かえってあばれてくるということになるのではないか。だから、その点は慎重にも慎重を期していかなければならないし、これらの最高の規制の法律を適用するということは絶対に避けるべきである。これは人権を無視することであるし、民主主義を破壊することに通ずるんだということを、イデオロギーを離れて私は強調していきたいと思います。いま一度この点に対する大臣考え方を聞かしてもらいたい。
  129. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 私は、三派全学連の諸君の行動は、それほど単純なものではない、このような見方をいたしておるのであります。いろいろ事件を引き起こしておりますけれども、その目標とするところは、一定の目的のためにいろいろな動きをしておる、こういうふうに見ざるを得ないのでありますが、何にいたしましても、学生が武装をして、そうして暴力行動をする、こういうことは理由のいかんを問わず私は考えなければらぬと思うのであります。その理由がありとしましても、暴力行動に訴えるということはぜひ慎んでもらわなければならない問題ではないかと思うのであります。デモもけっこうであります。デモもけっこうでありますけれども、そのデモを野放しにしておったら一体どうなるのか、そのままにしておいて別に差しつかえないものなら警察がこれに対抗する必要はないわけであります。警察が出なければならぬということは野放しの状態にしておくわけにいかないというところから出ておるわけでございます。そういう点をよく全学連の諸君も考えてほしいと私は思うのでありまして、穏やかなデモ行進をやっておるのに、だれが一体これを妨げるか、妨げる理由はないのであります。けれども、たとえば長崎の問題にしましても、あるいはまた王子の問題にしましても、そのままほっておけばどういうことになるのだということを考えましたときには、これをチェックせざるを得ない。しかも、そのときの用意にちゃんと武装までしてきておる、こういう状態でございますから、鶏が先か卵が先かというお話でございましたが、私は、どちらが先かということは、おのずから明らかであろうかと思うのであります。そういうふうな点につきまして、私ども残念でならぬのは、大学の教育を受けているような人たちがなぜああいうことをしなければならぬのか。それは、私は、現在の状態に対しまして若い人たちがいろいろ不満を持つということはわかります。また、その原因もいろいろあろうかと思います。いろいろ原因はあろうと思いますが、それはきわめて複雑であり、多岐にわたっておる。こういうふうなことは、もちろん考えるわけでございますけれども、かりにそれが不満であるといたしましても、その不満の意思を表明する方法はおのずから適切な方法というものがあると思う。あのような姿においてその不満を表明するということは、私どもとしましては、そのまま看過することのできない問題であります。やはり大学生らしく理性のある、知性のある行動をとってもらいたいものと心から念願をしております。
  130. 中村重光

    中村(重)分科員 暴力を否定する、そのことは大臣も私も同じなんです。ですから学生諸君にも、暴力と見られるようなことはやらないでもらいたい。同時に、そうした暴力を挑発するような行為もやってはならない。また、そういうことが起こらないような政治環境というものをつくり上げていかなければならぬ。これはすべての者がそう反省していくべきものであると私は考えるのであります。  さらにまた、組織そのものがわからないということですね。この破防法を適用するとかなんとか言っている人たちが、そこのどこまで考えて言っているのであろうか。なるほど秋山委員長というような、そういう幹部はわかるんですね。ところが、全体の構成員というものがどこまでなのか、それをつかんでいる者は私はいないであろうと思う。だから、軽々にそういうことを考えてやるということになってくると、またそこから新たな人権問題が起こってくる。だからして、その点は特に大臣としては配慮していただきたい、こう思うわけです。  なお、参議院自民党のほうからの動きで、大学管理法案の提案をすべきだという動きがあるようでございます。これは私はたいへんな問題であろうと思うわけでございます。この点に対する大臣の御見解はいかがでございましょうか。
  131. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 大学管理について特別な法律を出す必要があるというような声は前々からあることでございますが、ことに最近の大学の状況を外部から見ましたときに、あれで一体大学管理はうまくいっているのかというような点に心配をいたしまして、もっと大学管理についての制度を整備すべきじゃないか、こういうふうな趣旨の御意見というものはかなり出ておるわけでございます。   〔塚本主査代理退席主査着席〕 私の考えといたしましては、まず、依然として大学の自治というものは尊重してまいりたいと考えております。ただ、しかし、大学の自治をこちらがと申しますか、世間が尊重するという反面において、その自治を認められておる大学は、やはり自治を全うする責任があると思うのであります。その責任をはたして十分果たしておるのかどうかというところが私どもの関心事でございます。まずもって大学の自治を尊重するという立場に立って、私は大学当局者に大学の自治を全うしてもらいたいということを求めておるわけであります。善処を求めておるわけであります。もし大学でつくっておるルールに不完全なところがあるとか、あるいは不十分なところがあるということであるならば、大学みずからがよきルールをつくっていく。そしてこれを守って、大学管理を全うするという努力がなされなければならない、これが第一の要件ではないかと思うのであります。法律を出すとか出さぬとかということよりも前に、その努力を大学みずからやってほしい。大学が自主的にりっぱなルールを持って大学管理をやってほしいというのが、私の大学に対する強い希望でございます。どうしても大学としてそういうことができないということになれば、そのときにまたあらためて考えたらよろしい問題でありますが、私は、この種の問題は、法律制度を整備することによって直ちに問題が解決するというような、そんな単純な問題とは思いません。やはり大学みずからが学生諸君と一緒になりましてお互いに協力して、りっぱな学園をつくっていく。そのためには、必要なルールはどんどん整えていって、そして自主的に問題の解決に当たっていくということが基本的要件であろうかと思うのであります。そういう意味におきまして、大学の努力を切望いたしておる次第であります。
  132. 中村重光

    中村(重)分科員 お述べになったような希望というものを持っておる、大学に求めておる、だがしかし、現段階において新たな大学管理法というような、これは名目のいかんを問わず、また別のそうした法律の制定を、現段階において——段階ということばは避けますが、そうした法律を別に考えていない、こういうことで受け取ってよろしゅうございますか。灘尾国務大臣 私はこのように大学当局にも言っておるのであります。いま申しましたような趣旨において、大学で、とにかくむずかしい問題ではあろうけれども、積極的に問題の解決のために一歩でも二歩でも前進する努力をしてほしいということ申しております。大学でいろいろやりましても、どうしても現行制度のもとにおいてはうまくいかないということがあれば、政府はこの大学の努力に対して協力するにやぶさかでない。もし、そういう意味におきまして、将来の問題として、大学が必要とするような制度を整備していくということでありますれば、その問題は起こってこようかと思いますけれども大学自身がみずからなすところを知らない、みずから努力もしないというような状態のもとに幾ら法律をつくりましても、なかなか目的は達成しがたい。やはり問題は、その中心にある大学並びに大学に学ぶ学生諸君が協力してりっぱな学園を築き上げていく、その心がまえが何より大事なことだと思いますので、そういう意味において将来政府協力を必要とするということがあれば、私はできるだけ協力する。それが立法であればもちろん立法措置をとるにやぶさかでない、このように考えております。
  133. 森山欽司

    森山主査 中村君に申し上げますが、まことに恐縮ですが、お約束の時間がまいっておりますので、簡潔に願います。
  134. 中村重光

    中村(重)分科員 時間がございませんから、はしょってあと一点だけお尋ねいたしますが、この羽田事件で奨学金の打ち切りをされたようであります。羽田事件に参加した学生諸君は佐世保その他の地区でも参加しておるのであろうと思うのでありますが、その後奨学金の打ち切りをさらに続けておられるのかどうか、私はよく承知いたしておりません。この奨学金の打ち切りということを、大学が処分をしない前に——たとえ起訴されたということがあったにいたしましても、大学が学生に対する責任を持っている、その大学の処分をまつことなく奨学金を打ち切ったという育英会の態度というものは、当を得ていなかったのではないかと思う。この点に対しての大臣の御見解はいかがでござましょう。
  135. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 奨学金の打ち切りの問題の取り扱いにつきましては、私どもも調査をいたしましたが、育英会の処置においてまずかったところはないように思いますが、この取り扱い方につきましては局長からひとつお答えさせます。
  136. 宮地茂

    宮地政府委員 育英会におきましては、先生も御承知のように、経済的に困難である、しかしながら学業成績もきわめて優秀である、こういう者に育英資金を貸与いたしております。そういう趣旨から、育英会といたしましては、多数の希望者の中から奨学生を決定いたしておるわけでございます。その選抜の要綱も整備いたしておりますが、学業成績あるいは性向その他種々、奨学生としての必要な資格というものを規定いたしております。これは何もいわゆる学生がどこの大学の学生である、その大学から退学されるとかいったような直接身分的な問題ではございませんで、いわば大ぜいの中から恩典として与えられておるのが奨学金の性格でございます。そういうことで、育英会は大学考え方を聞きながら、大学の推薦に基づいて育英会が奨学生の決定をいたしております。  今回の場合は、奨学生として、たとえばAならAという大学で、その学生が学内においていろいろな不都合があった、したがって、その学長のいろいろな考え方を聞かなければ育英会として判断ができないという、そういう性格のものではなくて、多数の大学の学生が、客観的に知り得るような佐世保事件あるいは羽田事件、ああいう事件に参加した、それで検挙され、起訴されたということでございます。したがいまして、育英会といたしましては、一般の学内の問題であれば、積極的に学長の御意見を十分聞いて措置するわけですが、今回はそれぞれ非常に多くの大学の学生であって、個々の大学によっていろいろ見解がまちまちであるということであっても困りますし——また、個々の見解を聞かなくても、公約数的にわかる問題だ、こういうような考え一つあったようでありますが、ただ育英会としましては、何も初めから一方的にその恩典を剥奪して、ただ大学に通知したというわけではございません。育英会、としては、奨学生に値しないと思うがどうかという聞き方をしておるわけです。多少違いますのは、いま申しましたような観点から、自分の意思を、育英会としてはこう考えるという考え方を先に出して、そして大学の意見を徴しております。したがいまして、正式の形式的な決定は、大学から意見が出た後に通知をいたしております。  ですから、もっと具体的に申しますと、あの当時起訴、検挙された者は六十六名ございました。そしてその六十六名を停止あるいは剥奪、こういう処置に育英会としてはしたいと思うが、大学としてはどうですかという聞き方でございます。したがいまして、六十六名のうち大学から返事がきました者につきまして逐次正式な、形式的な決定をいたしております。そういう状況でございます。
  137. 中村重光

    中村(重)分科員 これで終わりますが、手続的にはお答えになったような手続を踏んでおるのかもしれません。しかし、実際に進められてきたのは、そういうことではなかったのではないか。これは打ち切るのだという態度をまずおきめになって、通告的な形でもって大学に持ち込んでいった。だからして、大学としてはそれに同意せざるを得なかったということが真相ではないか。私が伺ったところによると、そういうようにいわれておるのてあります。しかし、いずれにしても、この奨学金の打ち切りをしたということは、これは一種の処分であるということは、これは言えると思います。そこにやはり問題がある。慎重にこれらの問題については対処して、学生の処分というものは、広い意味であろうとも、狭い意味であろうとも、これはあくまで大学である。そのことだけは、大学自治の立場からも、文部省としては十分これを慎重に考えて対処していく必要があるのではないか、こう思います。  お答えはよろしゅうございます。時間がございませんから、これで終わります。
  138. 森山欽司

    森山主査 次に、有島重武君。  有島君に念のため申し上げますが、まことに恐縮でございますが、質疑の持ち時間は三十分となっておりますので、それをお含みの上、御質疑をお願いいたします。
  139. 有島重武

    有島分科員 政府から示されました昭和四十三年度の文部省関係予算案につきまして、きょうは私学の振興の問題についてお聞きしたいと思っておりますが、ただいま主査から念を押されまして、時間がたいへんシビアーでありますので、前段をきょうは省略いたします。最初に大臣に、わが国の教育において占める私学の役割りの重要性ということについていろいろ承りたいと思っておりましたけれども、これは省略いたしまして、具体論に入ります。  それで一番具体的な問題といたしまして、今度「新たに私立大学の教育研究の充実向上をはかるとともに、経営の健全化に寄与するため経常的研究費の助成を行なうこととし、三十億円を計上した」これにつきましては、新設の予算をお組みになった点については心から敬意を表するものでありますが、この点について少しずつ伺ってまいりたいと思います。  これは、数年前の文教委員会でもって論議された点でありますけれども、憲法の第八十九条と私学の助成との関係につきまして論議されたことがございました。そのときに、私学は公の支配に属する、私学に対する助成は憲法に抵触しないと考える、これは追って臨時私学振興方策調査会の答申を待って結論を出したい、そういうような当時の文部大臣のお答えでございました。すでにこれは答申が出ているわけでございますけれども、この問題についての御所見を最初に承っておきたいと思います。
  140. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 私学に対する助成は、少なくとも従来やってまいっておりますような方式のもとに行なっております助成は、憲法に違反するものではないと考えております。   〔主査退席、小川(半)主査代理着席〕
  141. 有島重武

    有島分科員 憲法第八十九条には「公金その他の公の財産は」、云々とございまして、これは「慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」「団体の使用、便益若しくは維持のため、」云々とございますが、これは、全くこのことは考えないでよろしい、そのように理解してよろしゅうございますね。
  142. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 私学に対する助成は、決して無制限にやっているわけではないと私は思うのであります。私立学校法その他によりまして規制を受けている対象に対して助成いたしているわけでございますので、われわれは、これをもって公の支配に属している、こういう考えのもとに憲法違反ではない、このように申し上げているわけでございます。
  143. 有島重武

    有島分科員 その点は了解します。  次に、これは昭和四十一年のやはり文教委員会で問題になったことでございますが、文部省の行政指導の現状ということにつきまして、政府側は設置の認可権は文部大臣であるが、運営については大学自治である、そのように言っております。これはいまも変わりないと思いますが、こういう考え方からいたしますと、少なくとも行政指導という点につきましては、国立も私立も同じように見ていく、同一視している、そのように理解してよろしゅうございましょうか。
  144. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 大体いま御引用になりましたような考え方、私も同じように考えておりますが、ただ国立と私立という場合になりますと、国立は、文部省としましては、これは設置者としての立場を持っておるわけでございます。そういう立場から私学とは異なる関係にあるという点は、ひとつ御了解をいただきたいと思います。
  145. 有島重武

    有島分科員 そういたしますと、設置者の意図ということを考えに入れるというその点だけが、国立と私立の扱いが違う点である、そういうふうに理解してよろしいわけでございますね。
  146. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 間違ったら政府委員から訂正さしていただきますが、大体私学に関しましては、設置後は行政指導の権限が認められておるということでございますけれども、相手が大学でもございますし、いわゆる大学の自治と点はもちろん尊重してまいらなくてはなりませんし、その経営内容等についてかれこれ干渉がましいことは従来やっていないと思うのであります。ただ助成金でも出しますような場合には、その範囲においである程度の関係は持ってまいりますけれども、一応自由にやってもらっておる。それから、国立になりますと、もちろん学問、研究の自由という立場から申しまして、大学の自治は認めておるわけでございますけれども、経理その他の問題になりますと、文部省としてこれに対しまして指導をする、あるいは助言をするということが、私立の場合とは趣が違っておる、このようにひとつ御承知を願いたいと思います。
  147. 有島重武

    有島分科員 次に、いま具体的に助成するということが始まっているわけでございますけれども大学財政難をどうして解決するか。これはまた、先ほども臨時調査会の答申を待って善処するというような問題がございました。それで、答申が出てこのような三十億の措置になったのでございますけれども、このいただきました予算書を見ますと、これを除きましてほかの科目が幾つか出ておりますけれども、ほかの科目については大体五%から六%の増加になっておる。それで文部省予算全体としては一二・一%の増加である。こういうことから考えますと、確かに三十億の新設の分はいいけれども、ほかの点では明らかに後退であると見受けられます。また物価の値上がり等を考えますと、一そう後退であるということを、数字の上からもこれは認めざるを得ないと思うわけであります。そうしてこの三十億につきましても、当初の九十億という要求をどうして三分の一に減らしてしまったのか。その根拠を少し伺いたいと思うわけであります。  この程度の助成でもって政府の申されますように、経営の健全化に寄与することができるかどうか。私学と申しますと、これはもう全大学一の七〇%を、学校の数の上でも、人数の上でも占めておる、こういった多くの対象に対して、これだけの金額でもってはたして何ができるのか。授業料値上げにつきましては、新聞でも最近いろいろ伝えられております。日本歯科大学では五万円の値上がりがあり、分化女子大学でも三万円の値上がりがある。四十四年になりますと、さらにこれが大幅に値上がりをせざる得ない、そのようにいっておりますけれども、このたびこの処置でどの程度食いとめることができるか。どういうお見通しでこのようになさったか。その点を伺いたいと思います。
  148. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 率直に申し上げます。私ども、現在の私学の財政状況から勘案いたしました場合に、政府のいわゆる振興策なるものが決して十全なものじゃないということは自覚いたしております。その点は私はざっくばらんに申し上げるわけでございますけれども、決してこれをもって十分とは言いがたいということを文部当局としては実は思っておるわけでございます。予算に際しましても、もちろんそうめちゃな要求もできませんけれども、合理的だと思う線で要求はしたつもりでおるわけでありますが、残念ながら目的を十分に達成することができなかった。これは、しいて申し上げますれば、財政の都合と申し上げる以外にはないのでございますが、その趣旨について別に反対があったものとは私は思いません。しかしわれわれの満足するところに至らなかったことは申しわけないことと実は思っておりますけれども、将来を期してさらに努力していきたいと思います。  なお、この措置によってどれだけの効果があがるか、これはなかなかむずかしい問題でございますので、何がしかの効果はあろうかと思いますけれども、それが形にあらわれておるかどうかということになれば、これは何とも御説明のしようもない問題でございます。  なおまだ、この予算の金額を増加すること以外に、やはり私学に対するたとえば税制上の措置考えまして、幾らかでも私学に対する民間の寄付金等が多くなるように、寄付をしやすいようにというような措置についても年来やってきておるところでございますが、たいした改善にはならぬと思いますけれども明年度も多少の進展は見ておるというような状況でございます。  と同時に、私ども私学に対して望みたいことは、やはり私学の経営といいますかという問題につきましていろいろ世間の声もあることでございますが、経営の合理化等については、私学の側におかれましても真剣にひとつ取り組んでもらいたい、そういうふうな意味におきまして私学の皆さん方とも今後さらに接触を深めてまいりまして、お互いに今後どうするかという問題についての理解を深め合っていきたい、かようにも考えておるような次第でございます。
  149. 有島重武

    有島分科員 ただいまこれは十分と思っていないと、率直なお話を承りましたけれども、そういたしますと、ここに、これはやはり文部省から出されました説明でございますけれども、「経営の健全化に寄与するため、」このように書いてある。少しオーバーな表現であると認めざるを得ないと思うのです。  それから、ただいま税率の話が出ましたので……。これは所得の百分の三でございましたか、それから足切りの限度が、二十万が十万になったのでしょうか、実は処置が講ぜられていると伺いましたけれども、私ども率直に考えますと、政治献金というものはこれは税金がかかっておらぬ。将来の子弟を教育していく一番大事なこの問題をどうしてなおまだ全面的に免税にしないのか、そのように思っておるわけであります。いま税の話が出ましたので……。  それから経営のお話でございますけれども、これもすでに文教委員会でもっていろいろ御論議を先輩の方々がなさったようであります。私の管見するところでございますけれども、一般に私学に対して国庫補助をすることが適当かどうか、それから教職員あるいは人件費の一部に対して補助することが適当かどうか、そういうようなことも論議されたようでございまして、このときに私学振興会の話が一つ出たようでございます。これはいま論外といたしまして、教職員給与の国庫補助については、経常費に国の予算を支出するからには、納税者にかわって、国民にかわって経理の監督をする必要がある、これは当然のことであると思いますけれども、社団法人、財団法人は、民法の三十四条でございますか、文部大臣所管の法人の設立、これは明らかに経理の報告ということが義務づけられているように承知しておりますが、学校法人の会計報告ということにつきまして、これはどうなっておるのでしょうか。
  150. 村山松雄

    村山政府委員 学校法人に対しましては、経理の報告は一般的には義務づけられておりませんで、補助金等が出される場合に、それに関連いたしまして、補助金の申請をする場合には、予算見通しをつけて出してまいりますし、それから助成のために必要と認められる場合には、予算に対して修正の勧告をするというようなことが認められております。
  151. 有島重武

    有島分科員 これは前段でいろいろと伺いたかった問題でありますけれども大学管理の問題と、また運営の問題と、それから学問の自由の問題と、これはやはり分離して考えていかなければならないような段階にいまあるのではないか、そう思います。われわれといたしましては、別に何から何まで指図は受けたくない。私学の立場ではそうだと思います。将来ともこれは拘束しない、そういう方針でいらっしゃるでしょうか。さきの質問にもございましたけれども、拘束するような一つの法律の提出ということも考えられておるような話がございましたけれども、大体将来もこういった方針でいかれるかどうか、そのことだけ承っておきたいと思います。
  152. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 先ほどの御質問大学管理に関する問題というのは、若干角度が違った御質問だったかと私は思うのでありますが、いま私学の要請しておられます各種の経費がございますが、臨時的な経費ならあまり問題はないと思うのでありますが、経常的な経費についてはいろいろ議論があるわけでございます。今度は調査会の結論を基礎といたしまして、教育研究のほうの関係の経常的な経費を授助しようということに踏み切ったわけでございますが、これはあくまでも教育研究の場における仕事に対する助成ということになります。全然形のないものに対する助成でなくして、経常的な経費ではありますけれども、何がしかの形を持っておるものに対して助成をしよう、こういう方針のもとに予算が組まれておるわけございますが、人件費の問題が、実は私学の皆さんからいうと、非常に強い希望になって出てきておりますことは御承知のとおりでございます。ここが実は一番むずかしい、私学助成についての問題ではないかと存じます。人件費の問題ということになりますというと、この人件費がいかに使われておるか、いかに適正な運用がなされておるかというような問題について、助成をする側としましても重大な関心事だ。とにかく国民の税金をもってやっていくわけでございますから、そういう意味で人件費の問題をかりにやるとしますれば、自然相当立ち入った関係も持たなければならぬのじゃないかということを政府側としては考えざるを得ないのでございます。そうなりますというと、私学の特質という点から申しまして、またいろいろ議論が出てくる問題でございます。現在でも私学の中にも非常に熱心にこれを希望せられる向きもありますし、同時にまた、よけいなお世話はひとつせぬようにしてほしい、われわれはかってにやるからというふうなお立場の方もいらっしゃるかと思うのでございますが、とにかく、そこまで話が参ってきますというと、私学の昔からのあり方そのものについてよほど検討を加えていかなくちゃならぬのじゃないか。臨時振興方策の調査会におましても、この私学のあり方というものについて根本的に考え方針をきめなければ、にわかにやれない問題だ。そういうわけで、当面やるべきこととしては、こんなものかというのを答申をしていただいているわけでございます。一般的に私学の経常費に対して政府がこれを助成をしていくという問題になりますと、昔からの伝統を持っております私学それ自体について、十分な検討を加えた上で確たる結論を出さなければならぬ問題でございますから、実は容易に御返事のできない問題となってきておるわけでございますが、検討、検討ということでいつも申し上げて恐縮なんですけれども、なかなかそう簡単に結論が出せない。しかも、政府財政の都合ということもあわせて考えていかなくちゃならぬとすれば、なおさら困難な問題になってくるかと存じますが、学校教育制度について根本的に再検討をしようという趣旨のもとに、現に中央教育審議会でもいろいろ御検討を願うことになっておりますが、そういう際にもこの問題もあわせてひとつ検討していただきたいものと私ども希望いたしておるわけであります。
  153. 有島重武

    有島分科員 なかなか大臣のお立場もたいへんだと思います。うっかり助言したり、勧告したりすればよけいな干渉と言われるし、それから、ほっておけば無責任と言われるし、困ったと言えば、これは無能だと言われるし、たいへんだと思いますけれども、ただいまのお話ですが、経常費の補助ということになりまして、経常費の補助をすると、これは自主性をそこなうおそれがあるというようなことでございますね。先ほどのお話のとおり、設置の認可は文部大臣だが、運営は大学自治だ、こういった点では、国立も私立も、私立の設置者の意向ということを度外視すれば、ほぼ同じであるというようなことをいわれております。そういたしますというと、経常費の助成が私学の自主性をそこなうならば、国立の場合はどうか、国立の自主性は、そこなわないのか、そういった議論も起こると思うのですよ。ですから、私学の自主性を尊重する、尊重するということばの中にいろいろな意味が含まれておりまして、これが何か逃げ口上になっているのじゃないかというような印象も受けるわけなんです。  それで先に進みますけれども、経営難の打開策といたしまして、今度国庫の補助が受けられる、この受けられる学校ははなはだ幸いでありますけれども、これは全部が受けられるのか、そうもいかないと思うのですけれども、その境目はどの辺に引くのか、受けられない学校というものは、どういう条件のものが受けられなくなるのか、その辺のことを承っておきたいと思うのです。
  154. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 どういう方式でもってこの助成をやっていくかという問題は、ただいまもいろいろ検討いたしているところでございますが、局長からひとつお答えさせていただきます。
  155. 村山松雄

    村山政府委員 今回の経常的教育研究費の助成は、対象は形式的には二百五十六の四年制の大学全部を対象としております。金額の計算のしかたは、来年度の予算におきましては、四十二年度の教員の実数、これを基礎といたしまして、大学の性質によりまして、文科系、理科系、それからおのおの大学院があるかないかというような角度から、一人当たりの金額を四種類ほど設定いたしまして、これに教員数をかけたものを基準として、この範囲で定額として助成するわけでありまして、これを切る場合、いま考えておりますのは、認可されましてまだ学年進行が終わっていないもの、具体的に言いますと、四年たっていないものということになりますが、これはまずとにかく認可されたからには一本立ちになって完成年度に達してから考えよう。それから、これは御批判があるわけでありますが、非常に大学の運営が正常を欠いて、補助対象として適当でないと認められる場合、たとえば非常に悪質な紛争が起こって、大学の機能が停止状態であるというようなものについては、これはだれがどう判断するかという問題はございますが、そういうものは対象からはずそう、そういう場合を除きまして、二百五十六の四年制大学は一応全部対象としていこう。なお、細部につきましては私学側の御意見、それから大蔵省の御意見も十分参酌いたしまして、補助要項というものをつくって実施する。このために特別の立法などをせずに、考え方といたしましては、私立学校法五十九条の助成規定を根拠といたしまして、文部大臣決裁の補助要項をつくりまして実施いたしたい、かように考えております。
  156. 有島重武

    有島分科員 ただいま学年進行のまだ終わっていないもの、それから悪質な紛争が行なわれているもの、そういうお話でございました。そうすると、その悪質な紛争でございますけれども、これは二通り考えられると思うのです。理事者間において不一致を来たしているもの、それからもう一つは対学生の問題もございます。それから学生の中に、先ほどから問題になっております学生らしからぬ学生が大ぜいいるとか、それから先般文部大臣が、学校を暴徒の宿舎にするのはけしからぬと言われたそうですけれども文部大臣から暴徒といわれたような、そういうような学生がいるところについては、これはどういうことになるのでしょうか。
  157. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 各大学に矯激な行動をやっておるいわゆる暴力学生と申しますか、そういう者がおるのでありまして、しかしその数はそれほどたいしたものではございません。したがって、それがおるからというようなことで、一人、二人、五人、十人おりましたところで、それを問題にする必要はないと思う。ただ大学の経営管理というふうなものが適正に行なわれておるということであれば、援助しがいもあろうかと思うのでありますが、援助しがいのないようなところに貴重な国民の税金を使うということはいかがであろうか、こう考えますので、大学の、ほんとうに合理的な管理運営をなすことをうながす意味におきましても、このような補助金の支出については、相当考えていいのじゃなかろうか、このように考えております。
  158. 有島重武

    有島分科員 それでは、その助成については管理経営に関することのみに限定して考える、それから学生等の問題については別にこれを考慮の中に入れない、そのように理解いたします。よろしゅうございますね。  それに関連いたしまして、先ほど御質問がありましたけれども、現在いろいろ学生の問題が起こっております。新聞を騒がせております。世間が心配しております。また、先ほど文部大臣の苦衷を承ったわけでございますが、こうした学生を、文部大臣のおっしゃったように、破防法などのような刑法を用うべきではない、なるべくならばこれを教育の場において善導していきたい、そういうようなお話だったと思います。  ところで、この学生の行動についての教育の責任は、これは一体だれが持っておるのか。これは、ちょっと考えましても、大学の理事者が持っておるか、学長が持っておるか、あるいは教授会であるか、教授会の代表である学部長であるか、あるいは父兄であるか、あるいは学生自身であるか。ただいまのお話では、非常にそれが混乱しておるわけです。混然としておるといえばそれまででありますけれども、おのおのやはり制度の上から、はっきりした責任所在というものがあるのではないかと思うのですけれども、その点はどういうふうになっておりましょうか。
  159. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 責任ということばの考え方もあろうかと思いますが、私は、学生の教育の責任は大学側にあると思うわけでございます。学長だけの責任というわけにはいかぬだろうと思いますが、大学全体として、私は、学生の教育指導の責任はあるものと考えております。と同時に、学生も子供じゃないのであります。したがって、大学生たる者も、自分の責任ということは常に考えてしかるべきものじゃなかろうかというように思います。大学の側の責任はございますけれども、学生自身が、身を処する上においてりっぱな行動をとるというだけの、私は責任ある人格だと、このように考えます。と同時に、この責任という問題を広く解釈いたしますと、もちろんこれを育てた父兄の問題もございましょう。しかし私は、もっと広く考えれば、やはり国民全体の側においても考えなければならぬ要素はたくさんあろうと思います。なかんずく、政治の面におきまして考えなければならぬ点が多々あることは申すまでもないことだ、このようにも思っております。
  160. 有島重武

    有島分科員 もうちょっといいですか。
  161. 小川半次

    小川(半)主査代理 まだ十二、三分あります。
  162. 有島重武

    有島分科員 ただいまのお話でございますが、いろいろなところに責任がある、それはもうみんな思うわけでございますが、制度の上でもってこれはどうなっておるか。大学に責任があるのはもちろんだと仰せられましたけれども、では大学の学長が責任を持つか。責任を持つということは、自分が責任をとって、そうして、もしも自分の指導に従わない者はこれを罰していくというか、あるいは除名しなければならぬ、あるいは自分がみずから隠退する、それだけのやはり——それを責任と言ったわけであります。学長にそういったものがあるのか。これはいまの制度ではないんじゃないか。それから先ほどからみんな学長、学長という話が出ますけれども、学長は意見を言うことはできても、これは教授会の決定によるわけであります。教授会の代表は学部長でありますから、実際には法的には学部長にその教育の責任が本来はあるものじゃないか。そうした点が、いま、やや見のがされているのじゃないか。大学の値上げの紛争なんかを見ましても、その辺が何か非常にあいまいな状態であります。それで、これはまた会をあらためまして、いろいろお話を伺いたいと思いますけれども、道義的な問題と制度の上の問題、制度と、いうならばそれにふさわしい責任あるいは見識といいますか、指導理念といいますか、そういったことがどうしても必要になってくるはずだと思うのです。  それでこの答申の中にも、教育の充実、これは文教行政全体の問題であるから、さらに今後適当な機関において十分に時間をかけて検討される必要がある、そういうようにいわれておりますけれども、これについては、それではどういう処置をとられましたか。先ほどから、努力していく、検討していくというふうなお話がございましたけれども、こういったような検討機関がもうすでに考えられておるか。この大学全部の問題を大きく扱っていく機関として、今後これはどうなさるおつもりか、そのことを伺っておきたいと思います。
  163. 小川半次

    小川(半)主査代理 有島君、先ほど私時間を間違えましたが、あなたの時間はもう過ぎてしまっておりますから、どうぞそのおつもりで……。
  164. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 重要な、基本に関するような問題につきましては、現在すでに諮問もいたしておりますが、中央教育審議会において検討してもらいたいと存じております。細部にわたる問題につきましては、部内においていろいろ調査、検討を重ねてまいりたいと存じております。  なお、先ほどのお話の中にございましたが、実は大学管理法の問題というような問題が議論になりますのも、現在の学校教育法その他の規定するところによりますと、大学の中の諸機関の権限というふうな点、権限の配分でありますとか、あるいは責任の所在というふうなところは必ずしも明確でないというふうなうらみがあるわけでございます。そういう点から、もっとはっきりした権限の配分なり責任の所在を明らかにする、こういう意味において、大学管理、運営の完ぺきを期する、このような趣旨からの管理法というふうな問題が、従来からあるわけであります。私もそういう点は確かにあろうかと思う。前に考えられました大学の運営に関する法律案というふうなものも、それはそれとしての、私は意義があると思うのでございますが、ただ現段階におきまして考えたときに、そういう立法の措置よりも何よりも、まず大学みずからが立ち上がるというような気持ちが大事だ、そうして自分の責任においていろいろなルールを検討してやっていく、この努力がまずもって前提要件とならなくてはならぬ、こう思いますので、先ほど来のような答弁をいたしておるわけでございます。どこに責任があるかということになりますと、必ずしも明確でない場合がございますが、大学の学長といたしましては、教授会の議を経ていろいろ処置しなければならぬ問題がたくさんございます。そういう場合には教授会というものが非常に重きをなすわけでございますけれども、やはり最終的には学長が決定をしなければならぬ問題であります。そういうふうに考えますと、学長の責任があることはもちろんでありますが、直接重要な事項につきまして審議をいたしております教授会の責任もまことに重いといわざるを得ませんが、その責任の性格は、一つは審議機関としての性格を持つとか、一つは執行機関としての性格を持つとか、性格はいろいろ違うと思いますけれども、それぞれの立場においてみな責任は持たなければならぬもの、このように考えております。
  165. 有島重武

    有島分科員 最後一つだけ。ただいまのそういった点がまだあまり明瞭になっておらない、そういうお話でございました。時代がもう、設立当時とはだいぶ違いまして、昔はほんとうに一対一でもってうまくいったんだと思います。非常に人数が多くなった。みんなの考えていることも違う。こうしたときに、制度の上でもこれはもう一ぺん明らかにしてみることが必要じゃないか、そう思います。  それからもう一つ、これは昨年の予算委員会分科会におきまして、やはり文部省関係でもって私から提案いたしましたことでございますが、教育基本法にかかわる問題でございます。教育基本法は、その設置当時は終戦直後でありまして、いろいろな圧迫の中から解放されて、これから新しく民主主義でもって出発しようという、そういった息吹きに満ちたものであったと思うのですけれども、現段階において、もう一ぺんこれを検討し直す必要があるのじゃないか。これは法文を変えるという意味ではなくて、たとえば人格の価値を高め、あるいは「真理と正義を愛し」とかございますけれども、ではどういうのが人間の価値なのであるか、これについては非常にまちまちである。学校の当事者、あるいは文部省側、あるいは教えている現場の先生たち、教わっている学生たち、父兄たち、そういうものの間にまるきり大きな断層がある。これについて、これはどのように決定すべきであるということを早急に言うべきではありませんけれども、おのおのが自分の行く手については、あるいは文教政策の出発点として、あるいは終着点としてのこのことについてはこのように思っているということ、そういうようなことを客層からアンケートをとられたらどうか、そのように当時の剱木文部大臣は賛成してくださいまして、四十三年度にはそうした試みをしてみたい、そういうようなお答えでございましたけれども、これはひとつ御検討願いたいと思います。  以上をもって私の質問を終わります。ありがとうございました。
  166. 小川半次

    小川(半)主査代理 次に八木一男君。  八木君に念のため申し上げますが、質疑持ち時間は三十分となっておりますので、あらかじめお含みの上、御質疑をお願いいたします。
  167. 八木一男

    八木(一)分科員 委員長のお話に従って、できるだけ時間内でやりたいと思います。  文部大臣並びに文部省政府委員の方、あるいはまた出席をされている大蔵省の主計官、そういう方々に、おもに同和問題について御質問を申し上げたいというふうに考えておるところでございます。  先日この予算委員会の一般質問で、私は内閣総理大臣はじめ灘尾文部大臣を含めまして各大臣に、同和対策審議会の答申の急速な完全実施、その中の主要項目でございます同和対策特別措置法を、十二分な内容で今国会で成立する余裕のある早い時期において御提出いただくこと、その他すべての同和問題の推進について強い御決意を促いまして、そのお約束をいただいたわけでございます。政界の中の非常な先輩でございまして、本問題の権威者でございます灘尾文部大臣にも、そのときにその御決意をいただいたわけでございますが、時間切れでございまして、たいへん簡単にしか伺えませんでしたが、今回も簡単でけっこうでございますが、あのような論議とお約束の上に立って、総理大臣より以上の御熱意で、国務大臣として、また文部省の長官として問題を推進していただく御決意を再度伺わしていただければ非常に幸せだと思うのであります。
  168. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 先般の予算委員会におきまして、総理と八木さんとの間にいろいろな質疑応答が行なわれましたことは、私もその席におりましてよく伺っておったわけであります。またその際、私の決意についてもお尋ねがございましたので、時間もございませんことでしたから、きわめて簡単に申し上げたのであります。ただ、私は甘えたことを言うようでございますけれども、大体私の気持ち八木さんも御承知を願っておるのじゃなかろうか、このように存じておるわけでございますが、いずれにいたしましても、きわめて重大な問題であるということは、八木さんとともに私も多年憂えてきた問題でございます。何とかこの対策の推進をはかってまいりたいという熱意におきましては、私も相当持っておるつもりでございますので、極力同対審の答申でありますとか、あるいは現に存在しております促進協議会の考えでございますとか、こういうふうなものを尊重いたしまして、これが具体化のために各省大臣とも協力いたしまして努力いたしたいと考えております。   〔小川(半)主査代理退席主査着席〕 法律の問題もきわめて御熱心なお話でございました。その際、総理のお答えにもございましたように、私どもとしましては一日も早く堀木協議会の答申等をいただきまして、それを参考にいたしまして、法律の制定という問題についても努力してまいりたいというような心持ちでおるということをひとつ御承知を願いたいと思います。
  169. 八木一男

    八木(一)分科員 実は本年度の予算につきまして、同和問題で文部省はじめ各省のほうで予算支出についての要求をなさいました。項目によっては減らされ方が少ないのもありますし、ある程度減らされたのもあるわけでございますが、文部省予算を含めまして総体に七十七億程度の、これは非常に少額だと思いますが、少な過ぎて困ると思いますが、そのくらいの非常に少額過ぎる要求に対して、大蔵省がそれをさらになたを入れられまして、結局六十一億五千万円ということに本年度の予算案ではなっているわけであります。  私は、大蔵省が本年度においてはいつも財政硬直化というようなことを理由にしまして——硬直化自体に問題がありまするけれども、私どもは租税特別措置法その他の問題の改廃をしっかりやらないというところに歳入の硬直があり、それが一つ財政硬直化の原因であろうと思いますが、その点は大蔵省のほうに申し上げるとして、とにかく財政硬直化というような名前でこの予算を削ることは、これは許されないと思うわけであります。一般的に財政のワクにおさめなければならないから、諸官庁の要求どおり全部いれられないじゃないかというようなことを主計局の人は思うかもしれませんが、それは主計局の人としては、政府と国会の約束、国会を通じて国民との約束である同対審の答申を完全実施するということを一つも理解をしていない、一つも勉強していない。また、勉強をしても理解はしていないか、理解はしても知らぬ顔をしてやっているとしか言えないわけであります。何百年の問題で、明治以後百年の問題で、この国政の最近の大きな問題になっている、そして十数年間の結論をつける時期で、しかもその時期が二、三年ずれている時期で、この一両年の大蔵省の言う財政硬直というような事情のもとに、数百年の問題を解決することにブレーキをかけるということは許されないと思うわけであります。そういう点で、ぜひ有力な国務大臣として、今後大蔵省のこの問題を理解しない態度について強力に御指摘になって、そのような態勢が直るようにしていただきたいと思います。私の考え方では、各省の要求が一この問題を各省の高級公務員の方が必ずしも完全に理解はいたしておりません。東の生まれの人は理解しようとしても、なかなか少ないという状況がございます。なれた方はまた異動してしまうということもございます。ですから、しょっちゅ一生懸命に要請し、また理解のある人が指導をなさって、それでもうっかりすると執務体制が停とんする、おくれるということがございます。その中で出された要求でございますから、十二分なものではないわけであります。その十二分なものではないものを大蔵省がそういう感覚でなたをふるう。こういう問題はただの一円のなたをふるっても、この政府と国会との約束をじゅうりんした、大蔵省が政府の政策を曲げたということになろうと思います。そういう点で、前からの有力閣僚である灘尾さんが、大蔵大臣にもすぐあとで申しますけれども、この大蔵省の財政硬直という一時的なもので全部を支配できるような尊大な、日本の政治を財政を通じて大蔵省の考え方で引っぱっていこうというような非常に思い上がった態度、実際的にそれで制約をするやり方、これをなくしていくためには非常な努力が必要だと思います。どうか有力閣僚である灘尾さんは、大蔵大臣が何と言おうとも、もちろん主計局の連中が何と言おうとも、そのようなあやまちについては断じてこれを直さして、今後びた一文も同和対策について削減をするというような意図も持ってはいけないというふうに御指導をいただきたいと思いますが、この点についての御決意を伺っておきたいと思います。
  170. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 非常な御鞭撻をいただいたわけでございます。(「有力な閣僚がんばれ」と呼ぶ者あり)格別有力とも考えておりませんが、この問題に関しては多少八木さんにも共鳴していただけるようなところもありはしないかと思っております。私もこの問題については相当熱意を持っておるつもりでございますので、ぜいぜい政府の姿勢を正していく、そしてできるだけひとつ八木さんの御期待に沿うように関係閣僚ともよく話し合ってまいりたいと存じております。
  171. 八木一男

    八木(一)分科員 実はこの点はあまり削減にはなっておりませんが、高等学校等進学奨励費補助というのが文部省のほうでこの問題に関する具体的な問題としてございます。これは非常によい制度だと思うわけでございますが、しかし、対象の人数なり金額なり、また地方に対する補助率などでは、当然やらなければならない線から見てまだはるかに遠いものがあろうと思います。ほかの問題もございますけれども、少なくともこういう問題について、ワクなり補助率なりそれから金額なりにおいて、それを非常に前進をさせるように金額をふやしワクをふやし、それから補助率を高めるという御努力をぜひお願いをいたしたいと思いますが、それについてひとつ。
  172. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 御趣旨になるべく沿うように努力いたしたいと思います。
  173. 八木一男

    八木(一)分科員 それでは、ひとつ具体的な問題に移りたいと思います。  初中局長は来ておいでになりますか。——大臣にお伺いをする前に初中局長に先に伺いたいと思います。  実は文部省のつくられた資料で、生徒指導要領第三集「生徒指導の事例とその考察」という本が十六万部ほど各地のほうに配付になった事実がございますけれども、それを一問一答ではなしに、この第三集の中の八十七ページから約二十ぺ−ジにわたりまして「反社会的傾向の生徒の指導」という項目のところに、「授業を妨害し、乱暴する生徒」という項目がございまして、その事例としてここに書いてあります一生徒の問題でいろいろ経過が話され、それに対する文部省のいろいろの意見が出されているわけであります。それが、非常に内容が差別をする、人権差別をしていることに内容がなると私は確信をしているわけでございますが、その中の文言がどうであるとかこうであるとかいうことについては、次の質問で申し上げてみたいと思いますが、その問題について関係者が非常に憤激をして、文部省の初等中等局の関係課に話し合いが十二月の初めあるいは終わりに行なわれた事実について、初中局長は十二分に御承知だろうと思いますが、初中局長から御答弁をいただきたいと思います。
  174. 天城勲

    ○天城政府委員 御指摘の生徒指導資料第三集、四十二年の三月に出したものがございます。これは一般の生徒指導のための資料でございますが、その中に御指摘の、「授業を妨害し、乱暴をする生徒」という事例がございまして、この事例の取り扱い並びに考察において同和教育の趣旨に反する不適切な表現があり、見方が出ているということで、関係の団体あるいは都道府県の指導関係の方から意見が出まして、私たちも検討をいたし、関係者といろいろ協議した結果、この指導資料の中から当該部分は削除するという決定を昨年末にいたしましたいきさつは、私もよく存じております。
  175. 八木一男

    八木(一)分科員 その事実を認められまして、初中局長はその点についてそういう事実をよく御存じでございますから、初中局長自体、二十ページにわたるこの文章が、そしてこの資料全体がそういうところで差別的概念をもって編集された。それで差別を拡大再生産する影響を与えるというような点、この点について差別があるということについて、初等中等局長の御確認をひとつ願いたいと思います。
  176. 天城勲

    ○天城政府委員 先ほど申し上げましたように、この資料集は一般の生徒指導の手引きとしてつくったわけでございまして、一般的に具体的な幾つかの事例が根拠にはございますけれども、ここに表現した限りにおきましては、事例を一般化して表現されておるわけでございます。しかし、いま問題になっておりますこの事例につきましては、明らかにこの事例がどこのだれであるということがわかるような実は実態になっておりまして、この点につきましては、この資料集を編さんしたときの趣旨に即してないのじゃないかという点が一点ございます。  それから第二点は、一般の生徒指導の資料ではございますけれども、いわゆる同和地区におきましては、生徒指導ということが直ちに同和地区の指導という問題と不可分にこれは考えられない。やはり一般化したとは言いながら、具体的な地域に行けば、どうしても同和教育上の問題のほうがむしろ本質的な問題になってきているという意味では、この事例の取り上げ方に確かに不徹底な点がございました。なお、御指摘のようにこの中には字句上非常に誤解を受ける字句もたくさんございまして、われわれのこの資料集をつくった趣旨から見て不適当だ、このように最終的に判断をいたしておるわけでございます。
  177. 八木一男

    八木(一)分科員 いまのお答えでその趣旨を述べられましたが、差別文書であるということを認められるわけでございますね。
  178. 天城勲

    ○天城政府委員 この資料集そのものは、先ほど申したように、全体の生徒指導の資料でございますが、八八ページからの事例につきましては、同和教育という点についての資料としては不適切だ、私、このように考えております。
  179. 八木一男

    八木(一)分科員 不適切というあいまいな表現ではなしに、明らかに——それでは内容についても申し上げてみたいと思いますが、局長がさっき言われましたように、時間の関係上、省略をいたしますけれども局長も文書を御存じだ、私も文書を全部読んでおります。その同和地区であるということがはっきりわかるように書かれております。しかも、そこは、たとえば評判がよくないというようなことで、同和地区全体に対して編集者あるいはまたこれを使うことを府県の教育委員会からこれを見のがして、先生方に渡したという人たちが、そういう評判がよくないということを書いた文書や何かで、そういうことについて把握をしていない、評判がよくないということをそのまま把握をしないで、こういうものを配付をしたことは、そういう差別的な考え方で問題を処理したということになろうと思う。  それが一つと、それから内容の処置の問題があります。内容の処置の問題について、たとえば、これはここでは「授業を妨害し、乱暴する生徒」というふうになっておりますように、普通に毎日やったわけではなくて、何らかの授業のときに運動がしたい。それで、先生から運動したいならお前だけ出て行けと言われたから、それに対して反対をして、ほかの生徒も一緒に運動をしようじゃないか、と言って出て行ったというような問題。それから、二年間に一、二回手を上げたという問題がある。いわゆる世の中の非行といわれるような集団で、ほかの何も知らない人をごちゃごちゃと脅迫したり、あるいは婦女子にいろいろこわい目を与えたり、そういうものとは全然内容が違う。学校内で運動がしたいとか、それから先生のやり方に不十分なことがあったことについて、不満を表明したというような内容であります。  それからもう一つ、一番最後は、他の上級生が威勢を張ってガラスを割ったというようなことに対して、憤慨をして、あのように上級生がたくさん組んで下級生に圧迫を加えるなら、そいつとひとつけんかをしようかというようなことを相談をしようといったようなことで、若い時期にあっては往々にして起こることだ。非常に往々にして起こることであります。事象はそう激しいものではございません。ところが、これに対し学校も適切な処置をとらないで、それで新聞に載ったということを理由に警察に連絡をして、自分で教育をしなければならない子供たちをすぐ少年鑑別所に送った。その後において非常に長期間出席停止を命じたというような事実があります。これは一般的に、そういう生徒たちに対して教育が対応しなければならないのを、その責任を振り捨てて警察に、あるいは少年鑑別所に司法的な処置でやればいいというような、安易なやり方になった。しかも、一番最後の、たとえば三年生と二年生が対立をした場合において、片一方の、ガラスを破った、もとをつくったほうの生徒には出席停止がなくて、そうでないほうの生徒には長い間の出席停止があったというような点があります。そうして出席停止を食ったほうにはこの少年がいるわけであります。少年は前にそういうことがあったからということで、そういうことが行なわれたのかもしれませんけれども、これ自体が部落の少年に対する教育を放棄して、司法的処置でほったらかしておけばいいんだというような間違った教育方針につながるものであります。しかもそのような、運動がしたいとか、先生に反抗したいということのもとは何かということが十二分に考えられておりません。この生徒はここで記述で明らかなように、小学校においては中ぐらいの成績であった。いろいろ性格的な評定においても、みなやや忠実な生徒である。ところが、中学校の後段から成績も低下をし、反抗的な姿勢が多くなったということの根源を十二分に文部省なり、あるいは関係者が把握をしておられない。この同和地区の子弟がそういうふうには、そういうことが起こりやすい要因があるのは、非常に部落差別があって、生活の環境も非常に十分ではないという貧困家庭のそういう状態から生まれているわけであります。小学校のときにある程度できた、すなおな子供が、中学校になって成績が下がり、すなおでなくなったということの中には、高学年になったら、かなり複雑な学問を勉強しなければなりません。そのときに帰ってきて勉強する部屋がない、あるいはまた参考書を買ってもらえない、あるいはまた学用品をそろえるのに不十分である。わからないところを聞こうにも、それを教えてくれる父兄がいないというようなことから成績が低下をするわけです。成績が低下をしたら、そのような感じやすい少年期、青年期にあたっては、やはりそれについていろいろの心理的な影響が出てくることは当然であります。そのときに学校の教育者としては、そういう参考書がなくても成績が下がらない、父兄の教える人がいなくても成績が下がらない、そのような教育をしていかなければならないわけです。それが一般的に放置をされておる。うちで教育ママがいて教え込めば成績がよくなるが、そうではない家庭では成績がよくないというような事象が一般的にあります。そういうことで成績が下がってくると、子供のときには、成績が上だったのが、自分の成績が下がれば勉強がいやになってくる。勉強がいやになってくると、今度はそれを親切に熱心に指導をして勉強に向かわせるようにしなければならないのに、そういう印象のもとに、この勉強はいやだからソフトボールをさせてほしいというようなことを子供だから言います。そのときに、そんなことを言うならお前さんだけ出ていけ、ほかのじゃまをするなというような態度で接していれば、その子供の教育を放棄したことになるわけです。そういうような事象全体が、この部落の根本的な問題を理解していないで、そしてまたそこに置かれた少年の気持ちを理解しないので、画一的にただ勉強をしない子はほかの子のじゃまだ、そうしてそれが高じて、たまたま教室で大きな声を出したら、そういう妨害をする子は出ていけというような考え方であってはならないわけであります。しかも、その処分について教育でこれを解決しようとしないで、すぐ警察署に連絡をしたり、すぐ少年鑑別所に入れる、そういうようなことをやっております。  一番最後の記述の中に、出席停止中に、春季の修学旅行に特に配慮をして参加をさせた。そうしたら、その機会から非常にその少年がすなおになり、よくなったと書いてある。修学旅行に一回参加させただけでよくなる子供であれば、その前にもっと熱心に、もっと熱意を込めた、愛情のある教育が行なわれていたならば、そういう現象じゃなしに、もっと早く勉強を一生懸命にする気になったでしょう。そういうところに、全体にこの部落の問題を理解しないために、部落の子弟、同和地区の子弟が、勉強はしたいけれども、しいい環境にない。その間にほかの人たちがどんどん進んで、そこで取り残される。そうなると、ほかの生徒からもばかにされる。先生も、愛情のある先生と、そうでない先生がありますが、先生もやはりそこで、勉強のできる、言うことをすぐ何でも聞くほうの子を大事にして、そういう子は、困った子だ、めんどうくさい子だという気になりがちだ。そういうところに非常に問題があるわけであります。そういうところの反省がなくて、結果的にいろいろなことは言っておりますけれども、きびしい態度をとったことがよかったという文言があります。また、そういう少年鑑別所に連絡をしたことについては問題があるが、と言うけれども、それがいけなかったというような否定もしていないわけであります。そういうような中に、この生徒が部落出身の生徒であるということが明らかになる記述のほかに、その処置についての批判、また、その前に、そういう問題を理解しないやり方、そういうことについての反省が一つも入っていない。そういう把握が一つも入っていない。したがって、こういうやり方で、たとえば、そのときには鑑別所に移せばいい、そういうときにこういう処置をしておいたほうがよかったのだということを、一〇〇%よかったとは書いてないけれども、こういう事例でこういう処置をしたということを七〇%くらい肯定した文章を出して指導したならば、そういう差別を拡大する、差別教育をする、教育の機会均等をさせない、ということにつながるわけであります。そういう意味で、この文章が差別文章であるということをはっきりと初中局長をはじめ、関係者の方々は確認をされて、その立場で今後の問題の処置をせられなければならないと思います。それについて、差別ということは、自分で差別をしなくても、問題を理解しない、そして、教育という行政のことで当然しなければならないことを、理解が足りないためにできなかったことも含んで差別であります。そういう点で、差別文章であるということをここではっきりと率直に確認をしていただきたいと思います。
  180. 天城勲

    ○天城政府委員 同和地区の児童の教育について、非常に恵まれない条件がたくさんある。そのことから来る学業成績、あるいは指導上の問題があることは私たちもそれなりに理解いたしております。この問題につきましては、二つの点で不適当だったということをあらためて申し上げたいと思っておりますが、一般的な事例として取り上げるべき全体の中で、この事項につきましては一般化していない、結局、特定の地域の特定の事件であるということが明瞭になっている取り上げ方をしてしまったということが一点。しかも、このケースが特定の事例であるということが明らかにわかる、その特定の事例というのは、おっしゃる同和教育の問題であった。そういう点については、一般化という前提で書きながら、同和地域の教育についての認識が入っていない。そういう意味では、いまおっしゃったように、前提においていろいろ差別的な条件があって、それを意識しないで、一般化のつもりで取り上げたというところにおいて差別を肯定したような結果になっているという点につきましては、おっしゃるとおりでございまして、その点でわれわれも遺憾だった、このように考えております。
  181. 森山欽司

    森山主査 八木君に申し上げますが、お約束の時間が参っておりますし、後に質疑される委員の御都合もございますので、できるだけ簡潔にお願いいたします。
  182. 八木一男

    八木(一)分科員 委員長協力をいたしますから……。  実は、いま、初中局長は差別の文章であるということを確認された御答弁であるというふうに私は確認をしておきたいと思います。  その問題について灘尾文部大臣に要請をいたしたいと思いますが、この文章の配付されたのは剱木文部大臣の時代でございますから、灘尾さんには直接に御関係はございません。しかし、あとの処置の問題については、これは今後灘尾さんの責任でやられることになるわけであります。問題が重大でございますから、後刻また文部委員会等で、私なり同僚なりが引き続き質問さしていただきたいと思うのでありますが、私としてぜひ要請をいたしたいのは、このような差別文章でありますから、これをひとつぜひ回収をしていただきたいということが一つ。それからもう一つは、この問題を取り上げまして非常に熱心に差別を撤廃する運動をしておりました部落解放同盟なり、そういう関係の団体と、文部省がこういう問題について十二分に話し合われて、こういう教育の指導あるいは同和教育の問題について、ほんとうによく問題が進むような、そういう資料を、時間はかかると思いますが、積極的にお出しを願いたい。お出しを願うことについて、そういう御協議を、話し合いをしていただきたい。  その二つについて、心から強く要請をいたしたいと思いますが、ひとつ文部大臣の前向きの御答弁をぜひお願いいたします。
  183. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 この資料を回収せよという御希望と、それから、解放同盟の諸君と話し合ったらどうかという、こういう御希望と承ったのでございます。  私は、資料全体を回収しなければならぬかどうかということについては、消極的な考え方でございます。その点を削除して、そして使わしていただきたいものと実は思っているわけでございますが、しかし、せっかくの御要請でございます。また、解放同盟との話し合い等につきましても、強い御要請と承りまして、ひとつ十分考えさしていただきます。
  184. 八木一男

    八木(一)分科員 これで終わります。  後刻また文教委員会で引き続き御質問さしていただいたり、また、直接文部大臣なり初中局長に、私なり、また他の関心のある人がお話をさせていただきたいと思いますが、私の強い要望として再度ぜひ申し上げておきたいのは、回収をしていただきたいということと、それから、そういう意味で、新しいりっぱなそういう文章をつくるために解放同盟とお話し合いをしていただきたいということを強く要請をいたしまして、この問題は、時間が来ましたので、後刻の文教委員会、あるいはまた直のお話し合いに譲らせていただきたいと思います。
  185. 森山欽司

    森山主査 次に、山口鶴男君。  この際、まことに恐縮でございますが、山口君に念のため申し上げますが、質疑持ち時間は三十一分となっておりますし、後より質疑される方の御都合もございますので、この点あらかじめお含みおきの上、御質疑をお願いをいたします。
  186. 山口鶴男

    山口(鶴)分科員 私は、主として、公立文教施設整備に関する経費についてお尋ねをいたしたいと存じます。  自治省の調べによりますと、国が地方公共団体に支出をいたします補助金の基準ないしは単価の不備でありますために、約一千億円にのぼる超過負担というものが地方公共団体の財政を圧迫している、こういうことになっているわけであります。私どもは、国会におきましてしばしばこの点を指摘をいたしまして、昨年、昭和四十二年でありますが、初めて、大蔵省と自治省と共同いたしまして、超過負担の原因と思われる六項目について共同の調査をいたしました。この中には、文部省所管をされております公立文教施設整備の補助金について、その重要な項目一つとして調査をされたと承っているわけであります。昭和四十一年度ベースで調査をしたわけでありますが、この公立学校施設整備補助金の不備のために生じました超過負担総額が幾らか、この点の数字をまず承っておきたいと思うのであります。
  187. 村山松雄

    村山政府委員 昭和四十二年度の大蔵、自治両省の超過負担調査にあらわれてきました小中学校施設関係の超過負担額は約八十億でございまして、そのうち約半分が補助金をもって要措置すべきもの、つまり四十億が文部省の責任において措置すべき超過負担額というぐあいにあらわれております。
  188. 山口鶴男

    山口(鶴)分科員 八十一億、そのうちの負担率にいたしまして一四%、国の責任でありますものが七%、地方の責めによるべきもの七%、こういう結果ですね。そこで、あとでこれに対してどのように今回の予算において是正したかをお尋ねしたいと思うのですが、その前に指摘をしておきたいのは、この調査では、単価の不備だけについて調査をしたわけですね、基準坪数、それから現在過疎、過密でいろいろ問題になっておりますが、そういった面、特に過密地帯における用地取得等が非常に膨大にのぼっているわけですが、こういったものは調査の対象ではない。さらに補助金の単価の実情に合わないもの、しかも、デラックスなものをつくったのを地方の責任だということで落として、集計したのが八十一億の半分、かように了解してよろしいわけですね。
  189. 村山松雄

    村山政府委員 四十億の内訳といたしましては、正確にどういう原因でどれだけということはなかなか把握しがたいわけでありますが、一般的に申しまして、御指摘のように単価が実情に合わないためのもの、それから面積、つまり補助対象となる面積、資格坪数と言っておりますが、それに対して採択率が一〇〇%でないためにはみ出す分、それらを合わせまして、四十億の超過負担が生じたように把握しております。
  190. 山口鶴男

    山口(鶴)分科員 わかりました。  それに対して、昭和四十三年度予算でどのような是正をやりましたか。単価について、全部網羅しなくてもけっこうです。主たるものだけ、平米当たりの単価、こうであったものがこうなった。それから先ほど申し上げたように、計算をいたしました補助額に対して、いままで九〇%ということで一割頭をはねておりましたね。これをやめたものはどうとか、概要簡単でけっこうですから、お答えをしてください。それから過疎地域僻地等に対して補助率を一体どう是正をしたかという点をひとつお答えをいただきたいと思います。
  191. 村山松雄

    村山政府委員 四十三年度予算におきまする小中学校建築費単価は、一平米当たり鉄筋の場合二万九千百円、鉄骨造の場合二万二千六百円、木造の場合一万七千二百円でございまして、前年度に比べますと、それぞれ一〇・二%、一一・三%、九六%、つまり、ほぼ一割程度の増になっております。  なお、充足率につきましては、四十三年度につきましては極力一〇〇%充足、採択するということにいたしまして、超過負担が出ないように配慮いたしたいと思います。  それから僻地の補助率につきましては、全面的に増加の要望がございましたが、結局のところ、離島分につきまして三分の二という措置をしたにとどまっております。
  192. 山口鶴男

    山口(鶴)分科員 とにかくそういう形で五十九億、約六十億程度の超過負担解消のための予算措置をしたということは一歩前進であると思いまして、私どもこの点は超過負担解消の前進として一応評価をいたしたいと思います。しかしまだまだ欠陥がたくさんあるのではないですか。その一つは、依然として基準坪数というものが不当に低く押えられている。このために——何もぜいたくをするとかデラックスなものをつくるということではなしに、父兄の要望なり教育上やむにやまれぬ程度の面積を確保するために、文部省から示された基準坪数からはみ出している。そのための超過負担というものが、自治省の調べでは昭和四十一年度ベース九十億ないし百億あるといわれています。この点、文部省のほうはお調べになったことはありますか。  それから次に過疎地域ですね、いま大阪周辺あるいは名古屋周辺、高蔵寺ニュータウンでありますとか、あるいはその他のニュータウンとか、各地でニュータウンが建設をされています。そういう地域には当然学校をつくらなければなりませんね。ところがその学校をつくります場合、公団が造成いたしました土地を自治体が購入しておるわけです。その単価が相当高いことは文部省承知しておると思うのですね。ところが、用地取得については、今回起債の中にわずか二十億が入っているだけじゃないですか。こういうことでは私はたいへんだと思うのです。しかも名古屋周辺の高蔵寺ニュータウンなどは名古屋市にはないわけでしょう。名古屋周辺の小さな市にそれがあるわけですね。小さな自治体が非常に多額な用地取得費をかけて学校をつくらなければならぬ、こういう実情があるわけです。こういう点について、文部大臣といたしまして、いまなお超過負担の要素というものは、いま私が指摘したように、ございます。こういった問題を解決するための決意といいますか、そういったものをお聞かせ願いたいと思うのです。
  193. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 超過負担の解消ということは、文部省としましても当然努力しなければならぬことでございます。だんだんとその方向に進んではおりますけれども、御指摘のように、まだ改善を要するものも残っておるかと思うのでありますが、その問題の解決には今後ともに努力してまいりたいと思います。  なお、お話の中にございました人口が急激に増加した地域に対する対策の問題この問題は具体的にどこの町、どこの町ということもわかる問題でございます。それに対しまして現在のような程度の押えのしかたでは不十分ではないかということも明らかに考えられることでございます。現にその問題について、やかましくいわれておる地域もございます。文部省としましては、速急にどうするということもなかなかむずかしい問題でございますけれども、少なくとも文部省所管しておる補助金等の支出につきましては、十分な配慮をしたいと思っておりますが、同時に他の各省の御協力もいただきまして、できるだけ小さな町村が四苦八苦しておる状態に対しまして、これを緩和するための措置を講じてまいりたいと思いますし、さらに進んでは、何か特別な立法でもというふうなお話もございますわけでありますが、そういうふうな立法までいくかどうかはともかくといたしましても、関係各省よく相談の上で、このような特殊の地域に対する処置について、もっと具体的に検討を進めてまいりたい、かように現に考えておるわけでございます。
  194. 山口鶴男

    山口(鶴)分科員 私は、そろそろ基準坪数についても改定をすべき時期にきておると思うのですね。現行の基準坪数ですね、これは一体いつ設定したものですか。
  195. 村山松雄

    村山政府委員 公立文教施設につきましての基準坪数、これは御承知のように、当初は小中学校とも一人当たり〇・七坪、つまり二・三二平方メートルでありました。昭和二十九年に中学校を一・〇八坪、つまり三・五七平方メートルに引き上げ、昭和三十年には小学校〇・九坪、つまり二・九七平方メートルに引き上げまして、これで普通教室の整備につきましてはほぼ実情に合わせたわけでありますが、さらに昭和三十九年に特別教室の整備意味も含めまして、一人当たり基準という計算のしかたを学級数に応ずる基準に改めまして、たとえば標準十二学級でありますと、小学校で千八百五十二平方メートル、中学校で二千三百四十八平方メートルというぐあいに引き上げると同時に、建て方を改めております。
  196. 山口鶴男

    山口(鶴)分科員 どうもテンポが少しのろいような気がいたすのですが。自治省の調査では、この基準坪数の不備による超過負担が四十一年度ベースで九十億から百億にのぼっている、こう言っております。ですから先ほど文部大臣から言われました人口急増地帯における措置あるいは過疎地域と申しますか人口が減少しております地域財政力も貧困になってまいるわけでありますから、そういう地域整備について補助率を上げるとかそういったもの全般を含めまして、何年間に超過負担を解消するというような年次計画というものを立てる時期ではないか、私はかように思うのですけれども、その点はどうでしょうか。
  197. 村山松雄

    村山政府委員 文部省所管の超過負担解消につきましては、充足率を一〇〇%にすることによって大部分は解消させ、その他の要因によるものにつきましては、三年以内に解消させることを目途といたしまして予算措置をはかろう、かように考えております。
  198. 山口鶴男

    山口(鶴)分科員 いま一つ指摘をしたいのは、今度充足率は九〇を一〇〇に上げた。けっこうです。ところがその起債がいままでの充当率が九割だったでしょう。それが今度は七割に落ちていますね。これは文部省の責任というよりは自治省の責任じゃないかと私は思いまして、この点は自治省の起債の充当率を下げたことについては強く指摘をしてまいりたいと思うのですが、しかしやはり文部省としても、そういった充足率を上げたけれども、起債の充当率が九〇から七〇に下がるんでは、これは自治体としてはたいへんだと思うのです。時代逆行だと思うのです。こういうことについて一体文部省としてはどう考え、どう対処したのですか、あわせてお聞かせをいただきます。
  199. 村山松雄

    村山政府委員 公立文教施設費に伴ういわゆる裏起債の問題につきましては、文部省としましても自治省それから大蔵省に事情説明しましてお願いしておるところでありますが、結果において四十三年度は起債の充当率が下がったのは事実でございます。その点の補正といたしましては、交付税の事業費補正において極力考慮していただくように話し合っております。
  200. 山口鶴男

    山口(鶴)分科員 交付税はやはり一般財源なものですから、そうでなくても、私は各町村で義務教育の基準財政需要額に対して貧弱な町村が、現実にその基準財政需要額だけの教育費を支出しているかという調査をいたしました。支出していない町村が非常に多いのですね。ですから基準財政需要額のほうである程度見たといいましても、これはどうしても教育費が食われていく、教育にしわ寄せがいく、こういう傾向が強いのです。したがって、やはり起債の充当率というものを下げたということは、私は非常に遺憾だと思うのです。これは、文相、どうでしょうか、本年度はそういうことになりましたが、明年度以降この点についての御決意をひとつお聞かせをいただきたいと思うのです。
  201. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 おっしゃるとおりに地方交付税でやりますというと、こちらがやったつもりでおってもなかなかそのとおりにいかないといううらみがあるわけでありますから、起債充当率の問題につきましては、私も今後ひとつ努力したいと思います。
  202. 山口鶴男

    山口(鶴)分科員 初中局長はおられますね。おたくのほうでこの教育費の基準財政需要額に対して、現実に教育費の各町村における実支出がどの程度の割合かということは調査していると思うのですが、おおよその傾向はどうですか。現実に教育費の基準財政需要額に対して下回っている町村が多いと思うのですね。その状況並びにこの改善のための文部省の御努力をお聞かせいただきたいと思うのです。どうも文部省は教職員の組合の問題については熱心に初中局が指導するが、教育費を確保するという面は全くノーズロじゃないかという感じがいたします。ひとつお聞かせをいただきます。わからなければわからないでいいですよ、時間がないから。
  203. 天城勲

    ○天城政府委員 正確な資料はいま手元にございませんけれども、全体として私は下回っているというふうには了解をいたしておりませんけれど一も、確実な資料が手元にございませんので……
  204. 山口鶴男

    山口(鶴)分科員 それはあとで資料をください、お願いしておきます。  それでは、私、補助金の不備の問題についていろいろ指摘をいたしてきました。三カ年計画で解消する面については解消していく。また起債の充当率が下がったことについても、今後改善のために努力をしていく、そういう御決意を承りました。これが現実に実施されますように強く要請をしたいと思います。  そこで問題は、こういった補助金の不備のために、各市町村で補助金の不正支出と申しますか、水増し請求をするとかいうことが現に行なわれていますね。私は、このことは非常によくないと思います。市町村にそういう事例があることは非常に遺憾に思いますが、いま一つは国の責任というものを私は考えていただきたいと思うわけです。  そこで、私は文相にお尋ねをいたしたいのですが、広島県に下蒲刈町というのがございますね。五明金弥さんという方が町長さんだそうです。最近において胸像をお建てになったそうですね。町長さんが、御自分の胸像を中学校の前にお建てになった。しかもこの五明金弥町長さんというのは、文教施設ではないようでありますが、簡易水道の建設の際に国の工事費を水増し請求をして、百二十七万円余りを不正に受け取ったということで、要するに文書偽造同行使の容疑で、昭和四十一年十二月広島地方裁判所の呉支部から起訴されておるそうであります。ところがこの五明町長の胸像の題字を文相は揮毫されたそうですか、どのようなことばを御揮毫になりましたか、ひとつお答えをいただきます。
  205. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 お答えいたします。  どのようなことばであったか、実は覚えていないような程度の話なんでございますが、調べればわかる問題でございますが、実はこれは私も非常に驚いたわけでございまして、まずい字でありますけれども、よくいろいろ字を書けと頼まれることが多いのでございます。その場合に、もちろん全然紹介者もないような人たちに対して書いたことはございませんけれども、大体どなたかが、私の知っている人たちがひとつ書いてくれと言われますので、それに応じて書いておるというのが実情でございます。私も実はあとでとんでもないことをしたという気が、実は新聞記事によりまして知りまして、思ったのでございますけれども、私の選挙区の方でもございませんし、その御本人については私は何も知るところでなかったのでありますが、ただ町長をしておられるということと、それからその胸像でございますか、それをつくるのについて町会の議決も済んでいるとか、こういうふうな話を伺いまして、しかもそれを書いてやれと言われたのは、これは私の選挙区のほうの町長でございます。私が懇意にしておる者でございますので、間違いがないことだと思ってやりました結果が、何かそういうふうな事件に関係のある人だと伺いまして、いかにも遺憾に存じておるようなわけでございますが、この点は私も将来よほど気をつけなければいけないというふうに考えております。
  206. 山口鶴男

    山口(鶴)分科員 私も広島に問い合わせをいたしまして、この灘尾文相御揮毫による頌徳のことばというのを、どういうことばがございますか聞きました。頌徳のことばといたしまして、五明氏は昭和三十一年第十三代町長になって以来よく住民の声なき声を聞き、幾多の業績をあげた。一、港湾の整備二、防波堤の築構三、島内一周道路の完成四、老人クラブの結成五、簡易水道の建設——この簡易水道の建設が不正支出になって起訴される原因になったようでありますが、簡易水道の建設、六、近代的中学校舎建設、七が町政の刷新等々、これら五明氏生来の卓越せる政治的才幹、町民を思う悲願のたまものであるというような趣旨の文章が頌徳のことばとして刻まれておるそうであります。  それで私はお尋ねしたいのですが、私は一つ問題があると思いますのは、先ほど来指摘したような国の補助金が不備なために、学校建設もそうでしょう、簡易水道についても私は同様であると思います。その不備のために超過負担が多い。したがって市町村とすれば、しかも財政力が乏しいこの下蒲刈町というのは財政力指数が〇〇九だそうでありまして、広島県の最低の町村だそうです。そういうところですから、結局不正もしなければならぬ。そうでないと、財政がたいへんだということも、私は、一つはわれわれ国政をあずかる人間として謙虚に反省をしなければならぬと思っております。その点私は、文教施設について文部省は大いに努力をいただきたいことを要請したわけでありますが同時にしかし、やはり不正は不正であります。特に文相は道徳教育とか、あるいは国防教育についてはいろいろ誤り伝えられたそうでありますけれども、とにかくそういうことを所管しておられる。そうした場合に、不正をされました方のこの頌徳のことばが文相の筆になるということは、これはだれが考えても私はふかしぎだと思うのです。この点、一つには超過負担解消のために、より一そう文相として力を入れていただきたい、私はこの御決意を承りたいことと、一つには、いやしくも文教の府をつかさどっておられます文相といたしまして、こういう方の題字を書いたことについて、いろいろ経過はわかりましたけれども、やはりこの際反省をいただきたいと思うのです。いかがでしょうか。
  207. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 この問題は私としてはかぶとをぬぐ以外にはないのでございます。いまのような頌徳のことばですか、それは私が書いたことばじゃございません。私はただ何とか氏の像とかなにかという字を書いたにすぎないのでございますけれども、とにかくそういう問題のある人であったとするならば、結果からすれば、私はまことに不注意であったということにならざるを得ないのでありまして、この点は将来十分気をつけてまいりたい、そのように存ずる次第でございます。  なお、先ほど来の文教の助成に関するいろいろな問題につきましては、私といたしましてはもちろん、今後ともに努力を重ねてまいるつもりでおります。
  208. 山口鶴男

    山口(鶴)分科員 もう時間がありませんから、あと一つの問題だけお尋ねしてやめたいと思います。  これまた超過負担の問題でありますが、どうも文部省はいままで超過負担解消に不熱心ではなかったかという感じを持つのです。それは、国立工専というような、文部省が第一義的に、しかも最終的に責任を持たなければならぬ学校の建設にあたって、用地取得費を一切地元に負担をさしている。これは地方財政法の違反であるというような指摘も私どもいたしました。それを避けるためにトンネルの法人をつくりまして、市町村はその法人に寄付をする、法人がまた文部省のほうに土地を提供するという形でこの地方財政法の違反をのがれるというような遺憾な形でこれをやってきたという経過があるわけですね。そういう点は指摘をしてきましたが、最近この問題については改善をされてきましたか。  それからいま一つは、これは直接文部省ではないと思うのですが、文部省が補助をいたしております体育協会の問題です。体育協会が各地にスポーツセンターをおつくりになっておられるようであります。その経費は、事務費は文部省が体協に対して出しておるようですが、スポーツセンター建設の経費は船舶振興会とか自転車振興会とか、いわばばくちのテラ銭ですね、そういうものを充ててこのスポーツセンターをつくっておられるそうであります。そのことの議論はしばらくおきましょう、テラ銭でこういうものをつくるかどうかということはいろいろ議論がありますが、それは一応おきたいと思いますけれども、こういうものは膨大な敷地を要するわけですね。これがすべて地方公共団体の負担になっている。たいへんな負担であります。こういうものも、私は国の施策の一環として行なわれるものである以上、文部省としては体協に対してもっと超過負担解消という面で指導をすべきではないかと思うのです。この点の御見解もひとつ承っておきたいと思います。
  209. 赤石清悦

    ○赤石政府委員 お答えいたします。  御指摘のように、青少年スポーツセンターは日本体育協会が公営競技の益金をもって建設しているのでございまして、国費は一文も投ぜられてないわけでございます。御指摘のように土地はきわめて膨大であるのでございますが、それは地元からの寄付というたてまえをとっておるようでございます。なぜさようなことになっておりますかと申しますと、御承知のように公営競技の益金の配分のときの条件といたしまして、建物の建設資金には出す、しかし土地の獲得費には出さないという補助条件がございます。したがいまして、土地にも出したいということは当然でございますが、さような自転車振興会なり船舶振興会のほうの補助条件にはっきりとそうなっておるものでございますので、体育協会としても残念ながら土地まで手が回らない、こういう状態になっているのでございます。
  210. 山口鶴男

    山口(鶴)分科員 文部大臣どうでしょうか。確かに経過は私もわかるのですけれども、何か国がやりますところの施設、地方財政法のたてまえがありましても、ややもすればこれが破られて地方公共団体の超過負担にしわ寄せされる。それからまた、体育協会という、これはテラ銭のあがりでやっておるようでありますけれども、しかしこういうものについても膨大な公共団体の超過負担がある、こういうことは望ましいことじゃないと思うのですね。もちろん一朝一夕でこれを解決するというわけにいかぬと思いますけれども、今後の政治姿勢の問題として、これについて文相としての御感想を承っておきたいと思います。
  211. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 たとえば当然国で持つべきものであるにもかかわらず、それが他の町村その他で負担せられておるというような事態はもちろん改善しけなればならなぬものと存じます。いま超過負担というおことばでございましたが、はたしてこれが超過負担というような考え方のもと指握すべきものであるかどうかというふうな点も私はあろうかと思うのでございまして、何かのことをしようとするときに、地方と、たとえば体協なら体協といたしましても、話し合いの上でそういうふうな施設をお互いにやろう、こうなったような場合におきまして、一がいにこれを超過負担というふうに考えることもどうかと思います。いずれにいたしましても、合理的な計画のもとにそれぞれが持つべきものを持っていく、こういう姿でなければいけないと思うのでありまして、町村にしましても、幾らほしいと思いましても、自分財政力というものを考えないでいろいろのことをやるということも気をつけなければならぬ問題だと思いますし、関係者がそれぞれの立場において合理的な協力のもとにものができるというふうな姿でありたいと思うのでございまして、それが無理なことになっておりますれば、もちろんその是正に努力することは当然のことと思います。
  212. 森山欽司

    森山主査 次に、村山喜一君。  この際、村山君にまことに恐縮でございますが、念のため申し上げますが、質疑持ち時間は三十分となっております。あとから質疑される方の御都合もおありでございましょうから、あらかじめお含みおきの上、御質疑をお願いいたします。
  213. 村山喜一

    村山(喜)分科員 私はこの際、灘尾文部大臣に対しまして、最近の平和問題と青年の意識調査に関する問題から、どういうふうな教育的な考え方をお持ちであるかという点についてお尋ねをしてまいりたいと思います。  最近は、政府の手によります意識調査というものが、五七年ごろ底での調査はございますが、それ以後におきましては、内閣の責任によりまするそういう調査がなくなっております。それは、五六年憲法第九条をめぐる問題に関連をいたしまして、世論調査を進めてまいりますると、いわゆる憲法改正に対する反対論者の声がそれまでと違いまして強くなってまいりました。そういうような状態もあろうかと思うのでございますが、それ以後におきましては朝日あるいはサンデー毎日、そういうようなところでいろいろな調査が行なわれた民間の資料がございます。この民間の資料によりますと、今日の国民の中に、特に青少年の中に、価値観として、意識構造として、根づいてまいりましたものは、今日の平和憲法を守らなければならない、こういう考え方が圧倒的でございます。そのことを具体的に調査の結果から、最近の資料を広げてみますと、憲法第九条は守るべきであるというのが七九%、改憲再軍備に対して八二%が反対をし、徴兵制度に対しましてこれまた七八%が反対をしている。こういうような調査が出てまいりました。最近の青年の大体八割は、その憲法意識というものは、平和憲法のもとに定着をしているという状態であります。  最近また朝日新聞の調査によりますと、ハイティーンの諸君に最も腹が立つことは一体何だという調査をしてみると、これはベトナム戦争が最も腹が立つ、こういうとらえ方を青年の諸君はしているのであります。汚職であるとかあるいは政治腐敗であるとか、こういうような問題あるいは物価問題というよりも、青伊の意識として最も自覚をしているのはそういうとらえ方であります。なぜそういうとらえ方をしていくかというと、ベトナムの女や子供はかわいそうじゃないかと、いわゆる外国人に対する理解、他の民族に対する共感というものが、最近、特徴的にそういう意識の中にあらわれてきております。いわゆるヒューマニスティックなとらえ方が、今日の青年層の意識としてあらわれていることは、大臣も御承知かと思うのでございます。  そこで私は、この際そういう前提を踏まえまして、灘尾文部大臣は沖繩の問題を教育の中でどうとらえ、どのように位置づけて指導をしようとお考えになっているのか。これは民族なり、愛国、憲法の意識の上からどういうふうに今後処理すべきであるとお考えになっているか、御心境をお伺いをしたいのでございます。
  214. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 教育の問題として最近の沖繩問題をどう考えておるかと、こういうお尋ねでございますが、この点は非常にお答えのしにくい問題だと私は思うのであります。教育の場におきまして、沖繩の祖国復帰が一日も早いことを願う、こういう問題についてはだれしも議論のないところであろうと思います。またその復帰するまでの間においてどういうことをわれわれとしてなすべきであるか、こういうふうなことについてもおそらく議論のないところであろうかと私は思うのでありますが、この問題をめぐりますいろいろな政策論議ということになりますと、これを直ちにそのままの姿で教育の場に持ち込むということはつつしまねばならぬと私は思うのであります。教育の場におきましては、そのようななまの政策論議をかれこれやるということはいかがであろうかと思います。ただ、現に学校で学ぶ人たちの間にその種の問題がおそらくまた話となっても出てくるであろう。そういうふうなことに対する学校教師の指導についても、よほど慎重にやってもらいたと思います。私は、まあ大学生の問題はしばらくおくとして、いま私が申し上げましたのは、大体において高等学校以下の問題でございますが、そういうふうな段階におきましては、そのようななまの政策論議を学校で戦わせますよりも、いろいろな意見について十分理解を持ち、そしてこれに対して正確な判断をし、自分の意見を立てる能力を養うということにむしろ主眼を置くべきではなかろうか、このように考えておる次第であります。お答えになったかならぬかわかりませんけれども、非常にお答えのしにくい問題だとひとつ御承知を願いたいと思います。
  215. 村山喜一

    村山(喜)分科員 お互い日本人が、同じ同胞であります沖繩の県民の人たちが、今日まで二十数年異民族の支配下に置かれている、その中において沖繩の立場において問題を日本国民考えなければならない、これがやはり教育の問題であろうと私は思うのであります。その中には、領土的な、いわゆる日の丸的な民族意識というものが一つあろうと思います。それから今日、沖繩のアメリカの軍政下にありますお互い日本民族の同胞が加えられている人権無視のそういう状態に対する義憤というものがあろうと思います。人権問題としてこの問題をとらえていかなければならない問題があろうと思う。さらに沖繩の問題を考えますときには、いわゆる戦争に巻き込まれる基地というものの存在、これがあろうと思うのです。さらに現地の声としては、被害の客体というものが、これが一人一人の沖繩県民というとらえ方ではなくて、沖繩県民全体として民族的な立場においてとらえなければならないという問題が、今日なお残っていると思うのであります。さらに私たちの立場から言うならば、これがアメリカの支配下にあるということは、アメリカの極東戦略のもとに沖繩の住民がその支配下に置かれているということでありますから、これを排除して民族独立の戦いをしなければならないという問題があろうと思うのです。そういうような問題はなまの問題であり、教育になじまないものだ、その取り扱いは慎重にしなければならないとおっしゃいます。教育というものはなるほどそういうような一面が確かにございます。それは私も認めるわけでありますが、少なくとも今日、平和と民主主義の憲法意識を身につけてきた国民というものが、またこの憲法に規定され、教育基本法に規定をされた精神から見てくいならば、そういうような人権侵害というようなものが今日依然としてあとを断たない。こういうようなものは当然排除してしかるべきである。また日本の国土である以上は、日本国民の一人として、沖繩県民の位置づけというものは教育の中において行なわなければならない、私は少なくともそのことだけでも言えることではなかろうかと思うのでありますが、そういうような問題も、教育という立場からは教えてはならないことだとお考えになっているのでございますか。
  216. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 沖繩における教育も、村山さんよく御承知のとおりに、日本人としての教育をやってきておられるわけでございます。その教育の場において、私はやはりいろいろ問題点がある、その問題点についてどういうふうに考えたらいいかというようなことについては、冷静な慎重な指導が必要だと思うのであります。議論のない問題ならよろしいのでありますけれども、いろいろ議論があります問題について——ことに、端的に申し上げますと、あるいは自民党の考え方皆さん考え方が違っておる、こういうふうな場合に、自民党がどうの、社会党がどうのというようなことを、一々学校の教育の場でかれこれやるということはどうかと思います。そういうふうな問題は、こんな議論がある、こんな議論があるがというふうなことも、もちろん教えなくたって生徒のほうは知っているという、ある程度の段階に達すれば、そうなるだろうと私は思うのであります。そういうふうなときでもよく判断を誤らないようにというだけの能力を身につけるような教育のしかたをしてほしい、こういうふうに私は思うのであります。きわめて抽象的な言い方で、私にもはっきり表現しにくいのでありますけれども、何かこう、学校で、特定の政策のために学校教育が動かされておるというようなことも、必ずしも望ましいこととも思いません。社会へ出れば別でありますけれども学校における教育の間は、よほどそういう点の教育についての指導のしかたは気をつけてやってほしいと思うのであります。
  217. 村山喜一

    村山(喜)分科員 じゃ、具体的にお尋ねをいたします。  文部大臣は、沖繩における日本の平和憲法の教育というものが、行なわれて当然であるとお考えでございますか、いかがですか。
  218. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 日本人を育成するという趣旨で、沖繩の教育は行なわれておるものと、私は思うのでございます。現在の沖繩は、不幸にして日本憲法が及んでいないわけでありますけれども、遠からず返ってこなければならぬ地域でございます。そういう意味におきましては、日本憲法の精神というものは、沖繩の教育において十分教えられてしかるべきものと思います。
  219. 村山喜一

    村山(喜)分科員 私がこの問題を取り上げましたのは、NHKの街頭録音等を通じまして、大臣も御承知のように、沖繩というところは英語で話をし、そして日本と全く別の異民族のような認識を持っている日本の人たちが今日おるわけです。それは歴史が断絶をしておりますから、沖繩はかって日本の領土であり、しかもそこには日本人が住んで、そして日本語を使って、日本の教育が行なわれているということを知らない人たちが多いのです。そういうような人たちが多くなればなるほど、私は、やはり取り残された民族の、九十万の同胞がどういう運命をたどるのかということを考えなければならない。そういうような意味において、民族の教育というものはきわめて重要だと思うし、そういうような状態にならないようにするためには、小指の痛さは全身の痛さに通ずると喜屋武さんが言っておるように、これはやはり民族的な立場において、正しく教育の中で位置づけるべきではないか、そういうように考えておりますが、その民族教育としての沖繩の位置づけというのは、大臣、いかがお考えでございますか。
  220. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 私は、不幸にして、現在沖繩がアメリカの施政権のもとにあるわけでございますが、しかしお互いに日本民族としての一体ということは、本土におろうと、沖繩におろうと、同じような気持ちを持ち続けてまいらなければならぬものと思うのでございます。そういう意味におきましては、沖繩の教育におきましても、本土の教育におきましても、お互いに同じ日本民族である、ぜひ早く帰ってもらわなければならない人たちである、こういう認識というものは十分持たしてしかるべきものと思います。
  221. 村山喜一

    村山(喜)分科員 初中局長、おいでですか。——いま大臣が言われたことが、いまの小中高等学校の、あなたの所管学校の教育体系の中で、教育課程の中で、どのように取り上げられ、どのように生かされておりますか。
  222. 天城勲

    ○天城政府委員 お答えいたします。  御存じのとおり、学校教育法並びにそれに基づきます学習指導要領、それを中心として展開される教育課程、これは憲法、教育基本法の精神に基づいて行なわれているわけでございますし、また憲法につきましても、児童の発達段階に応じて、憲法の趣旨並びに諸条項について、学校で指導が行なわれているわけでございます。
  223. 村山喜一

    村山(喜)分科員 いまの答弁は、どうもはっきりしないのです。学習指導要領あるいは教育課程の中で、どの教科でどのように取り上げられているのですか。
  224. 天城勲

    ○天城政府委員 学習指導要領並びに学校の教育課程は、御存じのとおりいろいろな教科で構成されておりますが、主として社会科を中心として、またいま申し上げた精神は、全教科を通じて行なわれておりますが、特に教科としましては、社会科を中心にして行なわれております。
  225. 村山喜一

    村山(喜)分科員 それがありますか。局長は御承知ですか。それを社会科の中で、どの学年でどのように取り上げているのですか、いまの沖繩の民族教育の問題それを具体的に言ってください。
  226. 天城勲

    ○天城政府委員 私、いま具体的に、何年のどの教科ということを覚えておりませんけれども、沖繩の地位につきましては、いまわれわれが了解しておりますような国際法上の地位、それからそこにおきます住民の生活、それから住民の持っている本土復帰への気持ち等については、教科書でそういうことが具体的に記述されている例を、私、二、三の教科書で見たのを覚えておりますが、どの教科書の何年かは、ちょっと記憶いたしておりません。
  227. 村山喜一

    村山(喜)分科員 では、この問題は、次の教育課程の問題に関連をする問題でもございますので、私はこれについて、他日また取り上げることにいたします。  大臣にお尋ねをいたします。いま中学校の教育課程について、この前、中学校教育課程改善についての中間まとめが出されました。この中身を、私たちもちょっと見てみまして、どうもその重要な教育課程審議会の委員になっておられる人たち考え方と、今日新しい憲法のもとで教育を受けてきた人たちとの間におけるいわゆる価値観のずれ、意識のずれというものが目についてしようがないのであります。また、われわれが考えている国を愛するという方向のものと、審議会の委員の人たち考えられておる方向のものとの間には、だいぶ歴史的な差があり過ぎて理解がしにくいので、今日、審議会の委員の人たちは、一流のメンバーの人たちであることは間違いございません。しかし、これからの日本の歴史をつくっていく人たち日本の若い人たちであります。明治生まれの古い人たち日本の教育を支配するという形では、これは民族の高揚というものはあり得ないと私は思うのであります。だから、この明治百年を迎えました今日においても、いわゆる終戦前の八十年の歴史と今日の二千年の現代に生きる者との間には、大きなズレがあります。そういうような問題を考えてまいりますと、古い価値観ですべてのものを支配していくもとにおいて答申がつくられてくるということになり、それを答申であるから尊重してやりますということになったら、日本のいわゆる政治課題と教育の課題がなかなか一致をしない、こういう問題が私はあろうかと思うのですが、いまの教育課程審議会の委員の人たちの年齢構成は幾つでございますか。
  228. 天城勲

    ○天城政府委員 御伸長の方もおりますれば、若い方もおられます。七十代の方も、四十代の方もおられます。平均いたしますと六十二、三歳かと思います。
  229. 村山喜一

    村山(喜)分科員 委員の構成については、大臣、非常に重大な内容を取り扱う審議会の委員であろうと思いますので、平均年齢が六十二、三歳では、どうもこれからあと百年の間に日本民族が伸びていかなければならないということ、そういうような念願を持って明治百年の記念の事業をやろうとしておられるときに、ちょっと私は、この審議会の委員の顔ぶれというものは御検討あってしかる、べきだと思いますが、いかがでございますか。
  230. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 審議会の委員はきわめて厳選いたしたつもりでございますので、みなりっぱな方と存じておりますが、今後の審議会の委員の人選につきましては、もとより常に時代の進展というものに即応いたしまして、りっぱな人を任命するように十分注意してまいらなければならぬことは申すまでもないことと思います。
  231. 村山喜一

    村山(喜)分科員 限られた時間でございますので、あと一問だけお尋ねいたします。  これは具体的に私の県で起きている現象でございます。最近、過疎地帯、いわゆる人口が急減をしていく地帯が、農村地帯においては非常に多くなってまいりました。いままで一つの町に幾つかの中学校がございますが、これを統合しなければならない、一つの町に一つの中学校という形にならざるを得ないように生徒が激減をしてまいります。  そこで、具体的には明和中学校という、二つの町がつくっております組合立の学校がございます、この学校が、それぞれの議会の議決によりまして、廃止されることになりました。そこには、だから分教場が置かれることになったのであります。一つの町のほうは三学級の学級編制、一つの町は六学級の学級編制、こういうことで、それぞれ管轄が違う教育委員会の所管に属して、そこで教育が行なわれる。こういうことになってまいりますると、一学年一学級の三学級の場合には、その教育行政の筋を通していきました場合、一人で三教科も四教科も持って子供たちを教えなければなりません。片一方のほうは、一学年二学級の六学級編制でございますから、二教科程度で充実した教育が行なわれます。今日まで九学級、一学年三学級の三学年編制でございました。したがって、わりあいに充実した教育が行なわれておったのでございますが、この学校統合に伴いまして、そういうような妙なかっこうの運営をしなければ、国のほうからの助成金も出ないということで、県の教育委員会はそういう指導をしているようでございます。そうなったら、そのようないわゆる小規模学校には通わすのはいやだ、むしろ籍を直して都会地の中学校に教育を受けさせに行ったほうがいいということで、父兄の人たちは非常に問題にいたしております。こういうような問題にどのように対処するかということについて、お答えをいただきたいのであります。  もう一つは、これに関連をいたしまして、鹿児島県の場合には十二の学校統合が、ことし、四十三年度計画で行なわれる予定でございます。そこで文部省に補助申請をいたしておりますが、ことしの学校統合の予算は、私たちも応援をいたしましたけれども、昨年と同額の七十七億四千万円しかありません。単価は一〇%程度上がりました。構造比率も格上げをしました。これからいくならば、実際の坪数の面積比率からいった場合には、これは逆に昨年よりも少なくなるわけであります。少なくとも一五%程度、面積数からいった場合には減少をしていくのではないか。ところが、昨年は、鹿児島県の場合に具体的に七つしか統合がございませんでした。それがことしは十二にふえているのであります。そういうような場合に、予算は実質的に昨年よりも減りながら、もう議会の議決の関係も統合の議決をした。そうすると、四月から新しい学校として発足をするわけでございます。そうなってまいりますと、校舎は二年後にしか建たない。その間、学校は、事実上は統合をされないわけでありますけれども、校長先生はいなくなります、学校がなくなったのでありますから。しかもこの十二の学校に対して、補助金が出されるか出されないかということはまだ未確定であります。こういうように人事と施設と教育が、こういうような補助金関係をめぐりまして、非常に安心して学校の教育が行なわれるという体制になっていないところに大きな問題があろうかと思います。したがいまして、これらの、過疎対策と呼んでも差しつかえないような現象に対しまして、文部省としては、十分父兄の希望にこたえるような教育が行なわれることを保証ができますかどうかということについて、大臣のお答えをいただきたいのでございます。
  232. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 なかなかむずかしい問題を含んでおるようでございますが、事実関係をよく承知いたしておりませんので、まず、政府委員からひとつお答えさしていただきたいと思います。
  233. 天城勲

    ○天城政府委員 お答えいたします。  問題は二つあろうかと思っておりますが、一つは、統合によりまして新しい学校設置された場合の、具体的に言いますと教員の定数の問題になると思います。統合の措置が行なわれまして、現実に新しい校舎ができるまでの時間的な差がございます。このことは、いままでもいろいろ事例がございましたので、私たち、その間における事業の運営が支障を来たさないように、また教育の質が低下しないようにということをいろいろ考えております。具体的には個々の県の実態を見なければわかりませんし、また、いまのお話も私は具体的に存じませんけれども、一般論といたしましては、新しい校舎ができるまでは、統合前のそれぞれの学校の学級数を基準にして教員配当は認めていくというやり方をいたしておるわけでございます。
  234. 村山松雄

    村山政府委員 建物の関係につきまして御説明申し上げます。  ただいま統合関係予算がふえてないのに需要がふえているのでどうかということでございますが、統合関係予算と従来の実績の関係を見てみますと、従来必ずしも実績が予算額を満たしていなかったような事情がございます。そこで、むしろ来年度におきましては、予算の全体額はほぼ本年同様であるにいたしましても、新規採択は例年より若干多くできる見通しでございます。具体的に個々の案件をいかに採択するかにつきましては、それぞれの都道府県の教育委員会の御説明を十分聴取いたしまして、教育上支障のないようにやりたいと思います。特に二年以上にわたって統合をやって、非常に教育上支障が予想されるというようなお話でありますが、何も二年以上にわたらせるのが原則ではございませんので、お話し合いによりまして、単年度にやれる見通しがあれば単年度でやることも十分あり得ることでございます。
  235. 村山喜一

    村山(喜)分科員 これで終わりますが、どうも私のところに来ておる文書によりますと、県の教育委員会が非常にしゃくし定木に問題を規定いたしまして、それは教育委員会が違うんだから、学校の運営もいままでは一つであったんだが、それはもう組合立でなくなったんだから、別々にやりなさい、そして教科の担当等もそういふうにやらないと補助金は出ませんよという指導をしておる。これに対しまして、非常にに父兄の間から批判が出ております。そういうようなのは、事務当局にお尋ねしてみたら、これは間違いである、そこはやはりうまく処理する方法があるんだということでございますので、そういうような問題については、これは積極的に指導をお願いしたいということを要望申し上げまして、終わります。
  236. 森山欽司

    森山主査 次に、加藤清二君。  この際、加藤君に、まことに恐縮でございますが、念のため申し上げますが、質疑持ち時間三十分となっておりますので、あらかじめお含みの上、御質疑をお願いいたします。
  237. 加藤清二

    加藤(清)分科員 時間がきわめて切迫いたしておりまするので、私は主査の仰せのとおり時間を厳守して、簡潔に質問を試みたいと存じます。  まず最初に、大臣の書道に対する理念を承りたいと思います。そこで、その前に、私の書道観を最初に申し上げます。それでそれを御批判いただきたいと存じます。  ある詩人が、書がわかればすべての美術に通ずることができると、こう申しております。またある評論家は、書は、おそらくこれからの美術の中核となるであろう、こう言うております。まあ書が美術の出発点であり、中心点であることを言い得て妙でございます。私はこれを信ずるものでございます。同時に、この美術の出発点である書と人間形成の関係を調べてみますると、書と修行についての文献はもう枚挙にいとまがないのです。私きょうその一部だけをここに持ってきたのです。これを最も古い古典からとってみますると、大乗教の教典には「生活の上に、哲学を具現するのが仏教であり、その真理は広大にして無辺、その恩恵は無差別にして無限、その一行を説き、半句を書する者はよく大願を成就する。」とあります。私は仏教を信ずるものでございます。他力本願がいけないなどとは、絶対に言わないものでございます。この見地に立ちますると、われわれ日本人の先祖はこれを信じ、一管の筆に悲願を託して、確固たる信念を養い、不屈不撓の根性を養っただろうと思います。佐藤総理もまたそのようでございます。一生懸命に写経をして、そうして精神の統一をおはかりになってみえることは、先日の新聞で御案内のとおりでございます。歴代の文部大臣に、私はほとんどこの問題についての意見を承っておりまするが、さきの中村文部大臣、剱木文部大臣も、大同小異はございまするけれども、ほとんど相似た意見をお持ちのようでございます。そこで、私の最も尊敬いたしまする現文部大臣は、文部大臣中のベテランのまたベテランでいらっしゃるわけでございます。現文部大臣の書に対する理念をお伺いしたいゆえんでございます。
  238. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 加藤さんは国会随一の書道の大家でいらっしゃいます。いろいろ、その意味におきましては、教えていただかなければならぬことばかりかと思うのでありますが、私は、書道のことを口にするほどの資格も何もございません。ただ、こういう問題は、人によっていろいろ好みも違えば考え方も違うかと思いますけれども、私はしろうとなりに、実は書を見るのが好きなのであります。自分はまことにへたでありますし、また何も専門的な考えでやっているわけではございませんけれども、何となしに書を見ることは好きだという程度のことは、申し上げることができるかと思うのでございます。そして、まあ理屈なしに、むしろ自分考えて、これはりっぱな書だと思うようなものを見たときには、何か心が非常に洗われるような気持ちがいたします。  私の考えとしましては、やはり書道というものは、子供のうちからけいこをいたしておりますけれども、これは年にかかわらず、やはり書というものに親しむということは、その人の人間性を高めていくと申しますか、あるいは人間形成の上に大きな影響を与えるものじゃないか、そのように、実は書道を評価いたしておるわけでございます。
  239. 加藤清二

    加藤(清)分科員 やはり私の尊敬する文部大臣だけあって、書に対して高邁な理念をお持ちのようでございます。ただ、そのおことばのうちで、一つだけ間違った点がございます。加藤清二が国会における書道の随一だと、これだけは間違いのようでございまして、私ごときものよりはなおりっぱな方々がずいぶんたくさんいらっしゃるわけでございます。  そこで、今日の書道に対して、新聞、テレビ等世論を形成する方々と申しましょうか、それがまた非常な熱の入れ方でございます。大きい新聞社にして、自己の展覧会を持たないという新聞社はございません。展覧会のみならず、書道教室を、朝日さん、毎日さん、中日さん、読売さんをはじめとして、NHKさんも、テレビで書道教育を盛んに行なっていらっしゃいます。国会でもさようでございまして、国会の中に書道クラブがもうたくさんにできておる。それは事務員を問わず、衛視さんを問わず、議員を問わず、ほとんどがこれに親しんでいらっしゃるわけでございます。また、財界もそうでございます。近ごろ非常な勢いで、書道を自分の会社で大いにふえんするといいましょうか、流行させるといいましょうか、そういう行為が行なわれております。  私は先日非常に愉快な話を聞いた。なぜ会社で中年から老年に至る人までが書を勉強しなければならないのですかと聞きましたところ、機械の発達がさようさせた、こういうことなんです。昔は、原稿を書いて、重役会にかけるとか、あるいは社内に配付するという場合に、タイプにしたものでございます。ところが、今日では、原稿そのものを写真に写してコピーして、写真コピーでばあっと配る。国会の中でもそれが行なわれておるようでございます。すると、書いた人の文字がそのまま一言半句違わぬように出てまいるわけです。すると誤字脱字が多くて、とてもじゃないが、若い人の原稿は見ちゃおれぬ。かつての時代は、活字がその人のあやまちを直してくれたのですけれども、今日の写真コピーは、そのまま生地を出す。そこで、能率をあげる意味からいっても、これはその基礎を練習させなければならない、こういうことで、有名会社ではほとんど書道教室をやっていらっしゃるようでございます。それからまた、労働組合、ここでも書道教室が非常に盛んでございます。同時に、労働者の祭典というようなときには、催しものとして、書道展覧会などが、もうあちらでもこちらでも行なわれるようになってきている。私はこれは非常にけっこうなことだと思うております。書道が盛んになることによって、忘れられていた人間形成が行なわれるということになれば、こんなけっこうなことはないと私は思うている者でございます。大臣の御所見を承りたい。
  240. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 私の気持ちからいえば、そういうふうな書道というものが、各方面において非常に見直されてきておる、また今日、はやりと言えば語弊がありましょうけれども、だんだんとそういう点の関心が深まっておるということは非常に喜ぶべき傾向じゃないか、私はさように考えるわけです。もちろんいろんな御意見の方もいらっしゃいましょうけれども、私としては、喜ぶべき現象ではないか、このように存じております。
  241. 加藤清二

    加藤(清)分科員 それでは、学校教育を受けている児童生徒は一体どうなっているだろうか。この実態について、文部省のほうの御報告をお願いしたい。
  242. 天城勲

    ○天城政府委員 いまの先生のお話は、主として毛筆の問題だろうと思いますので、毛筆の問題を中心に御説明申し上げます。  現在の学習指導要領上の扱いでございますけれども、小学校では、第四学年以上の学年におきまして、毛筆による書写を課することができるという制度になっております。大体、指導に当てる時間が一週間に一時間というのが小学校の現状でございます。中学校におきましては、小学校四年以上ということになっておりますために、それを受けまして、現状は一年生では大体週一時間程度、二年、三年は適宜という形になっているかと思っております。高等学校にまいりすると、毛筆書写は芸術科の中の書道という扱いをいたしておりまして、美術、工芸、音楽と並んで、生徒の選択によって行なうという制度になっておるわけでございます。現実にどのように生徒が毛筆習字をやっているか、これにつきましては、私たち若干の抽出調査をいたしましたのと、それから外部の書道研究会等の調査されたのを見ますと、御案内のように、現在、国語科の指導の一環として習字が行なわれているわけでございますので、大体九〇%ないし九五%くらいの実施の状況でございます。
  243. 加藤清二

    加藤(清)分科員 もう一度、今日の実施状況は、小学校ではどの程度、中学校ではどの程度行なわれておりますか、そのパーセンテージをどうぞ。
  244. 天城勲

    ○天城政府委員 小学校におきまして、これは抽出調査でございますけれども、私たちのほうで持っておりますのは若干日にちが古いので、九三%というのが一つございます。それからごく新しいところでは、研究会の調査でございますが、これによりますと九六%でございます。これは国語科として行なっておるものでございます。そのほかにクラブ活動等がございますので、それ以上のことは正確にはわかりませんが、クラブ活動でやっているものが数%あるのじゃないかと考えております。中学校のほうは、大体全部やっていると把握しております。
  245. 加藤清二

    加藤(清)分科員 小学校のほうの統計は、私どもで調査したのによく似ておる。九〇%以上でございます。一年、二年には必須科目じゃないですね。にもかかわらず九〇%以上。最高は、いま天城初中局長がおっしゃられましたように、九六%から九七%という数字でございます。それじゃ、やらないもの、行なっていないのはどのくらいあるかというと、〇・六%くらいしかございません。ですから、これはもう必須科目と同じように行なわれておるという実態でございますね。  ところで、書道塾が全国にどのくらいあって、そこへどの程度の生徒が通っておるでございましょうか。これはどのように把握していらっしゃいますか。
  246. 天城勲

    ○天城政府委員 残念ながら、私、書道塾の実態を存じておりません。
  247. 加藤清二

    加藤(清)分科員 けっこうです。私どもの手元で調べました——どもと言うより、わが社会党と申しましょう。社会党で調べました調査に基づきますと、これも抽出検査でございます。それからアンケートをとったわけでございます。これが約三〇%以上です。児童百人に対して三十人くらいが行っているわけです。一小学校の傘下に書道塾が二つから三つございます。小学校の数よりは書道塾のほうが多いということでございます。いまや書道に関しては、静かなるブームがわいているわけでございます。  そこで、もう一つの問題は、それでは、日本の書道を諸外国はどのように受け取っているかという問題でございます。これについて、一体文部省ではどのように実態を把握していらっしゃるでございましょうか。
  248. 天城勲

    ○天城政府委員 具体的に調査したことはございません。
  249. 加藤清二

    加藤(清)分科員 調査はなくても、何にも御存じない、こういうことではないと思います。じゃ、文部省でどなたか、日本の書道に対して外国がどのようにこれを受けているかということを御存じのお方がございましたら、どなたでもいいですから答えてください。
  250. 天城勲

    ○天城政府委員 全体的な把握がございませんが、断片的には、私も外国の学校へ参りましたときに、日本の書道に対する関心が非常にございまして、すでに日本の筆墨を持っておりまして、習字を、先ほど申した日本の高等学校の芸術科の一環のような形で、やっているところもございました。また、アメリカでは、たしかテレビでも一部やっているように、その機会に理解したわけでございます。
  251. 加藤清二

    加藤(清)分科員 知らぬとおっしゃったが、天城さん、やはりよく研究していらっしゃるようで、実はおっしゃられたとおりでございます。パリの芸術大学から、ぜがひでも日本の書家を招聘したいということが先年ございました。もちろん専門家の展覧会ともなりますれば、日本のモダンアートを展覧する場合には、ぜひ、書をその中に入れてくれ、こういう注文が多いのでございます。国会にございまする芸術議員連盟、そこでいろいろ相談して、いま文部省のお力も拝借して行なっておりまするモダンアート・フェスティバル、その場合にも、油絵とか彫刻というのはこちらが本家である、あなたのほうの本家であるところの書をぜひ……、こういうことでございます。また、これがびっくりするような高い値で売れるのですね。たいへんなことなんです。ロックフェラー三世なんかは、展覧会にやってきて、最初に書道だけ、よそへ売らぬように全部ぼくに売ってくれという。つまり、これは趣味も手伝っておるでございましょうけれども、新しく日本の書道から線の芸術を学び取ろう、そうして、自分の国の芸術にこれをプラスして、アウフヘーベンして、新しき、よりよきモダンアートをつくり出そう、こういう空気が、アメリカ、フランス、イギリス、いやそれのみではございません。南米までそうなってビエンナーレ展のごときは、絶対この書道を欠かしてくれては困る、こういう注文でございます。すでにいまテレビの話も出ましたので、なんですが、私のような者でさえも、かの地に渡って、テレビやラジオに招聘されまして、即席揮毫をやってみろ、どうしてあなたのあの小さい筆からこんなきれいな線が出てくるのか、こう言うて、実演を迫られたこともございます。まさに日本の伝統芸術が、いまや日本のみならず世界各地に雄飛して、そうして世界各国の芸術によき効果を与える。なお、それが国際親善に役立っているわけでございます。こういう点につきまして、大臣としてはいかにお考えでございましょうか。
  252. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 書道の評価につきまして、国際的にもこれが高く評価され、世界の芸術の進歩の上にも貢献するというようなお話を伺いまして、私はほんとうにうれしい思いでございます。いろいろ広い視野からのお話を伺うことができたことを、実はしあわせに思っておるわけでございまするが、そういう傾向につきましては、またいろいろ御協力、御指導をいただきまして、私どもも、さらに書道の世界的発展のためにも尽力をさしていただきたいと存じます。
  253. 加藤清二

    加藤(清)分科員 大臣、ちょっとこちらを見ていただきたいのですが、これは中学校のほうでございます。先ほど初中局長から、中学校の現状についてちょっとお話がありましたが、全部やっておる、こういうお話でございまするけれども、実はそうではないのでございます。その点だけがちょっと違っておるのでございます。これでまいりまするというと、中学校の一学年、二学年、三学年、これで、現状は、五時間、四時間、五時間ということに相なっております。しかし、これは規定されているにもかかわらず、二学年、三学年で行なわれているのは非常にパーセンテージが少ないのでございます。なぜそうなるかという理由がここに書いてございます。時間がないから、私書いて、あとでこれを差し上げますが、よく御検討いただきたいと存じます。  今度この教育課程が改定されるにあたって、審議会の答申が、すでに小学校部は出たと思いまするが、中学校部のほうは一体どうなっていましょうか。いつごろ答申が出ましょうか。時間がありませんから、大急ぎで、簡潔に……。
  254. 天城勲

    ○天城政府委員 小学校はすでに御存じだと思います。中学校は、まだ最終答申が出ておりませんが、中間発表では、二学年、三学年における内内が現在明確でないので、各学年における書写の指導内容を明確にし云々ということが出ておりまして、中学校の二年、三年についても書写をやるという前提の中間報告が出ております。
  255. 加藤清二

    加藤(清)分科員 せっかくそういう効果のある書道でありとすれば、これはぜひ実行に移されるようにしていただかなければならぬと思います。必須科目になっておっても実態は行なわれていないというような状況は、これは文部省としても喜ばしいことではないんじゃないか。法律とか教科課程できめられているにもかかわらず、実行に移されないようじゃ、これは法律違反と言わざるを得ない。この点はなぜそうなるかは、これはもう文部大臣のほうがよく御案内のとおりでございまするが、その穴埋めを塾が行なう、こういうかっこうでございまするので、父兄の負担が一そう重くなる、これは喜ばしいことではないと思います。時間の関係がございまするので、私は、大急ぎで、しからば、今度は、どういうかっこうにしたならばいいかということをこれに書いてまいりました。歩み寄りの案まで一緒につけてまいりました。せめてこうあるべきだ、理想はこう、せめて歩み寄りの線ではこう、こういうものを書いてまいりましたから、ひとつ主査におかれましても、これを記録に載せるようにしていただきたいと存じます。  これについて、大臣は、いまごらんになったばかりで、急に答弁をと言うたって、これは御無理でございましょう。いずれ文教委員会等に私もまかり出まして、いろいろ実施にあたっての案を承りたいと存じまするが、この際は、時間の関係がございまするから、大臣の御所見、教育課程を改定されるにあたって、書道という教科を、小学校、中学校、どのようにするか。すでに、小学校においては中学年から絶対に行ないまするということは、木文部大臣が何回も答弁なさっていらっしゃいます。今度の、私の尊敬おくあたわざる文部大臣の、ベテランの大臣ですから、小学校はどうするか、中学校はどうするかという、その基礎的な見解をひとつお願いしたいと存じます。
  256. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 この問題は、あらためて申し上げるまでもなく、いろいろな科目につきまして、それぞれの権威ある方々が御検討になっていることでありますので、これに対しまして、私がどういう考えをしておるというようなことは、むしろ申し上げることは差し控えたいと存じますが、私としましては、書道というものが普及し、書道というものが向上することを念願をしておるという程度で、ひとつお許しを願いたいと思います。加藤(清)分科員 人間形成に最もふさわしい教科科目であり、それは静かなるブームとともに、父母の方々も非常な熱の入れ方である、いわんや外国においてもこれが歓迎されている、これはけっこうなことでございます。同時に、しかくさようとすれば、ぜひこの教育課程改定にあたって、必須科目として、中学年などと言わずに、小学校においては一年生からこれが行なえまするよう、中学校においても絶対必須科目として、国語科の時間をふやすと同時に、書道が必須科目として加えられて、そうして青少年の人間形成、青少年の思想教育に効果あらしめていただきたい。これは私一人の念願ではございません。芸術議員連盟の与野党を越えた一致した意見であることは、これを見ていただいてもよくわかります。お宅のほうの党の方も一緒の会合に出てそういうことを述べていらっしゃるわけでございます。おたくのほうのさきの文部事務次官も同じ席で同じことを述べていらっしゃるわけでございます。一致した世論だと思います。ぜひこのことが一日も早く実現されて、書道から得たところのわれわれ先祖のしあわせ、それが後代の子々孫々にも与えられまするよう、また世界各地の方々にも書道からくみ取れるところのしあわせを皆さんに分かち与えることができまするよう、一段の御努力を願いたいと存じます。外務大臣も、このことについては大賛成の意味を発表されまして、今後外国公館においてこのことをするという確約を先日の予算委員会でいただいたわけでございます。与野党一致した意見でございます。総理もまた一生懸命でございます。御案内のとおりでございます。どうぞいまのベテランの文部大臣の時代に新しい歴史の基が開かれまするよう御努力が願いたいと存じます。御所見を承りたい。
  257. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 いわば超党派的にきわめて熱心な御要望であった、そのようにしかと承っておきたいと思います。
  258. 加藤清二

    加藤(清)分科員 どうもありがとうございました。
  259. 森山欽司

    森山主査 先ほど加藤君から申し越しのありました件につきましては、お示しの文書を参照として会議録に掲載することといたします。     —————————————   〔参考文書は本号末尾に掲載〕     —————————————
  260. 森山欽司

    森山主査 次に、山田太郎君。  この際、山田君にまことに恐縮ながら、念のため申し上げますが、質疑持ち時間は三十分となっておりますので、あらかじめお含みおきの上、御質疑をお願いいたします。
  261. 山田太郎

    山田(太)分科員 きょうは私が最後でございますそうで、できるだけ短時間に終わりたいつもりではおります。  まず最初に、文部大臣にお伺いいたしたいと思いますが、私立大学への助成金の問題でございます。先ほど同僚の有島委員からも質問を申し上げたわけでございますが、もう一歩立ち入って質問申し上げたいことがございます。  近年の大学教育への父兄の意欲は非常に旺盛なものがありまして、将来は、御承知のように、同年齢層の二〇%は大学教育を受けるようになるだろうとさえいわれております。また、いまの実情はどうかと思いますと、その大学の七〇%は私立大学であるということも御承知のとおりでございます。  そこで、このたびの予算を一べついたしますと、これも御承知のことではございますが、国立大学の場合は設備拡充費として九百九十八億六百万円が見込まれているように思います。そうして私立大学の場合、これはいまの法規の問題等もあるとは思いますが、このたび新たに教育研究の充実向上をはかる目的のもとに、経営の健全化に寄与するため、経常的研究費の助成として三十億円を計上されておる。これはさすがに灘尾文部大臣であればこそと、その感を非常に深くしておるわけでございますが、先ほど申し上げましたように、七〇%は私立大学において占められておる、しかも私大からの要求は九十億円であったということも仄聞しております。現実には私大の授業料の値上げ問題等が非常な社会不安のもとにもなっているのじゃないかとさえ思えるような状況でございますし、私自身も子供を三人大学へやっておりますが、その三人とも私立大学でございます。入学にあたっての寄付とか、あるいはその他多くの名目をもって父兄が支払わされる金額は膨大なものがあります。もちろん私立大学のそれぞれによって違いはいたしますけれども、多いところはともかくも、少ないところでさえも十八万円、二十万円というふうな状況でございます。  そうして、もう一歩考えてみますと、いまの大学へ入学する層といいますか、日本国民の中においても中堅層の子弟が非常に大きなウエートを占めてきております。父兄の収入の点から見ても、中堅の国民層の方々が〇%、五〇%どころではない、そのような状況でございますから、これは国民への大きな負担となってかかってきております。この面からいいまして、先ほどの同僚議員への御答弁によりますと、将来を期して努力していきたいという御答弁があったように聞いておりますけれども、これはもっと灘尾文部大臣、勇気と果断を持って、来年度はただ単に大学の助成だけに終わらないで、中堅層の国民に対して大きな力をもってやっていくのだということを——もちろん御承知とは思いますけれども、来年度はより一そうの増額をいただけるよう文部大臣の御答弁を願いたいと思いまして、まず最初に質問申し上げるわけでございます。
  262. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 御承知のように、私学と国立との比較の問題でございますが、これは実は比較するところにむしろ無理があるのじゃないかと思うのでございます。国立は、申すまでもなく、国が設置者としてその経費をすべて国の責任において、若干の授業料はいただいておりますけれども、国でやっておるというたてまえのものでございますし、私学のほうは、ここに実は問題があると思うのでございますが、そもそもは、私学は私学として独自な立場で学校を経営していくという姿で発展をしてまいったものでございますが、戦後社会情勢の変化に伴いまして、若い人たちの進学率も次第に高まってきた。そういうことで、私学が学校教育の上で果たしておる実際上の役割りというものが非常に大きくなってきたわけでございます。ただ、最初からのスタートの私学のあり方というものがあまり考えられないままに今日のような状態になってきておる、そこに一つの大きな政策上のズレが私はあるような気がいたすのであります。おっしゃるとおりに、今日の私学の問題は、ただ単に私学経営上の問題ではなくして、むしろ国民の側に立って考えなければならないような状態になってきておることは明らかだと思うのであります。したがって、私学に対する助成という問題も、そのような観点から、従来のようなやり方でなくして、もっと突っ込んだ、思い切った助成もやっていかなければならないということも、当然言えることであろうと思うのでございますけれども、現実はなかなかそこまで参っておりません。これも御承知のことでありますけれども、また、しょっちゅう私どもが引っぱり出す問題でございますが、臨時私学振興の調査会というものを設けまして、いろいろ御検討願いました。御検討を願いましたけれども、結局は、当面このようなことをしたらどうかという点についてのお答えをいただきましたけれども、根本的に、一体私学というものに対する国の振興方策というものを考える場合に、もっともっと私学そのものについての基本的な考え方というものを確立する必要があるのじゃないかというようなところから、問題が将来に残されておるわけでございます。いまの段階考えますれば、今度の予算は決して十分とは存じませんけれども、一歩前進とは思います。ただ三十億の研究助成費というようなものを出しておりますけれども、これは実は文部省としましても約九十億の要求をしたのでありまして、要求はしましたけれども三分の一程度しか実現し得なかったということはまことに残念に思っておりますが、経常的な経費に対して助成の道を開いたということだけに、ある程度の意味があろう。これを今後拡充していくということは当然私どもの努力すべきことでありますが、さらに進んで考えますと、私学は実は人件費でずいぶん困っておると思うのであります。その人件費の問題をどうするかというような問題になりますと、やはり私学の基本に触れた問題にさわらざるを得ない、こういうような気持ちもいたしております。この点については調査会のほうでも確たる結論をお出し願えなかった。私どもとしましても、なかなか踏み切れないところがございます。また、私学の内部におきましてもいろいろな考え方があるわけでございます。一部の方はよけいな心配をしないでよろしい、おれのほうはかってにやるから、こういう考え方のところもないとは言えないと同時に、ぜひひとつ政府の積極的な援助がほしいという向きもあるわけでございますが、やはりそこまでまいりますと、従来の私学のあり方、あるいは私学に対する政府の態度というようなことについて、基本的にもう一ぺん考えてみる必要がある。そこで考えを確立いたしました上で積極的に方策を進めていく、こういうことになるのじゃなかろうかと思います。事は、急ぐ問題ではございますけれども、なかなか容易に結論の得にくい、むずかしい問題だ、こういう点で苦慮いたしておるようなわけでございますが、せいぜいひとつ努力をいたしまして、問題の解決のために一歩でも二歩でも前進させたい、さような考えをいたしております。
  263. 山田太郎

    山田(太)分科員 再び申し上げて恐縮ではございますが、この経常的研究費の助成を、来年度は必ずより一そうふやしていきたいという御答弁を願いたいと思って質問いたしたわけですが……
  264. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 いま申しましたとおりに、この三十億の助成でございますが、文部省としましてはその三倍を要求したのでございます。したがって、来年におきましては一そうの増額をはかるために努力するということは、当然文部省としてなすべきことと思っております。
  265. 山田太郎

    山田(太)分科員 そこで、時間がありませんので、こちらのほうから多くを言わしていただきますが、去年以来大学の経営の放漫によって、新聞紙上にも報ぜられた福岡の電波工業大学とか、実は二、三日前に現地の学生さんにも会ったわけですけれども、いまは平常に授業はやっていらっしゃるようです。しかし依然としてその経営には難点を持っております。それから富士見丘学園あるいは南九州学園あるいは林昌学園、そのほかにも二、三あるように聞いておりますが、この問題は学生のみならず、多くの父兄に非常な不安を与えました。担当の文部大臣といたしましても非常に御心配なさっておったこととも思いますが、灘尾文部大臣になられてから、このような事態に至らないように、学生並びに父兄に不安を与えない私学の経営をはかる、その予防策といいますか、そのようなものを簡単にお伺いしたいと思います。
  266. 村山松雄

    村山政府委員 御指摘の私学が紛争を起こしているのは事実でありまして、紛争の態様を見ますと、必ずしも一様でございません。中には急速の膨張からいたしまして、経営陣も大学の経営に習熟していない面がありますし、急速な膨張のために経営面で無理をしておるという点も認められますし、また教職員、学生等も、必ずしも伝統が確立していないために、平たく言えば一致協力がなされていないために経営が行き詰まったというような現象が多く見られるわけでありまして、これに対して予防のためのきめ手というのは必ずしもなかろうかと思います。やっておりますことは、これというのも設置認可の時点に問題があったのじゃなかろうか。と申しますのは、経営上の問題を起こしました大学は、どちらかといえば設立後日の浅い大学に多く見られております。そこで設置認可の時点で経営がちゃんとやっていける見通しが確立していなかったのではなかろうかという点も反省なされますので、文部省で私立大学の認可をいたす場合、経営面は学校法人の設立認可、あるいは学部設置の場合は寄付行為の変更の認可をいたすわけでありまして、そういう際は基準に照らし、私立大学審議会の審査を経て、よろしいということで認可をするわけでありますが、その審査の基準、特に経営面に重点を置きまして、創設当初において用意すべき財産、あるいは経営資金なども一年分を用意させるというような配慮を講じまして、やっていけるという見通しのもとに認可をするというようなやり方を昨年来進めておりますし、また設立後数年間に行き詰まりを来たすという事例が見られますので、従来、文部省といたしましては、私立大学は認可をいたしますと、あとは原則として自主的に運営されるのを期待しておったわけでありますけれども、しばらくの間はめんどうを見たほうがよかろうということで、これまた直接やるのは問題がございますので、私立大学審議会の委員をわずらわしまして、アフターケアと称しまして、多少経営上の問題を耳にするような大学については、十数校選びまして、昨年実地視察をわずらわして問題点を指摘して、行き詰まりを来たさないようにあらかじめ御注意をするというようなことをやっております。たいへん微温的な方法でありますが、こういうことを手始めといたしまして、いろいろなことをくふういたしたいと思います。  なお、先ほどの臨時私学振興方策調査会においては、認可をもっと厳重にやれ、仮認可あるいは条件つき認可というようなことをやって、自立の見通しが立ってから初めて本認可をやるとか、あるいは紛争が起こったような場合には処理機関を設けて第三者が厳正に判定するとか、あるいは経理の監査制度を導入するとか、いろいろな提案がなされております。これらにつきましては慎重に検討いたしまして、ものによっては立法措置を要するわけでありますので、できるものから取り上げていきたいと思っております。  ただ、一言蛇足を申し上げますと、私学の側では、いろいろ問題はあるけれども文部省の行政指導なり、あるいは立法措置による予防なり防止方策ということにつきましてはまた非常に批判がございまして、文部省としては、何かやるとしても、私学側と十分話し合いをして、納得ずくで、こういう方法がよろしいという線が出ましたらそれに沿ってやっていきたい、こういう態度を基本としてものごとに対処いたしております。
  267. 山田太郎

    山田(太)分科員 その審査の監督はやはり文部省でございますから、当然責任は文部大臣に帰してくるわけでございますし、いままでのが、その審査あるいは認可に放漫さがあったということになると思います。そうして、いまの御答弁で、立法措置考えていきたい、ただし大学当局の方々とも話し合ってという条件つきの御答弁がありましたので、これはそれまでにしておきたいと思います。  次に、最後にもう一点だけお伺いしたいことがございます。それは学校公害のことでございます。  去年とそれから先日と、国民の方から話がありまして、現地に私も行ってまいりました。これは大阪の岸和田の常盤小学校の問題でございます。これはただ一校について言うために言うているわけじゃありませんから、その点は御了承願いたいと思いまして、一言つけ加えておきますけれども文部大臣地元の兵庫とは近いところでございますが、全くひどい状況でございます。三方、東側も南側も西側も、国道あるいは臨海工業地帯に向かっていくトラックとか、あるいは片一方は電車。まあ一応は八十ホン以上で、いつも窓を締めなければいけない。子供はもう勉強できない。私はもう勉強できないわというふうな声さえも児童が出しております。ましてやその父兄の心配はたいへんなものだと思います。また、同じく新産業都市として指定されておる岡山の水島のほうの一中学校でございますが、この中学校においても、生徒に実情を当たってみました。私自身非常にひどいと思った。先ほどのは騒音でございますが、今度は大気の汚染です。この子供さんが、中学生でございますが、全体のデータをとってみますと、いやなにおいがして困る、勉強する気にならないというのが四六%もいます。それから食欲不振を訴えておるのが二五%です。それから自一苦しい、それを訴えておるのがその生徒の一〇%を占めております。そのようなひどい実情のところもあります。  この学校の公害については、産業の発展のみを喜んでいくわけにはまいりませんし、将来の国民の基盤ともいうべき幼き子供の健康を害し、中には生命にさえも及ぶのではなかろうか。事実老人の中ではぜんそくで、あるいは頭痛、悪寒を訴うる老人の方々で、金のある人ならばよそに転居することもできますが、その不可能な方々がほとんどでございます。どうあっても、ことに子供のために学校公害の問題は非常に早急に検討しなければならない問題だと思います。ところが、これについての予算措置というのは、非常におぼつかない予算措置が講ぜられているように思います。長期計画もおありとは思いますけれども、時間がありませんから簡単に述べていただく。そうして、大蔵省の方、見ていますか。——そちらですね。この学校公害についての予算を査定した理由、それから文部省からは幾ら要求して幾らになったのだということを御答弁願いたいと思います。
  268. 小幡琢也

    ○小幡説明員 公害対策につきましては、公立文教施設費の補助の中に新しく二億七百万円の予算を計上いたしております。それから文部省の一般事務費のほうにおきまして、調査費といたしまして二百六十万計上いたしております。
  269. 山田太郎

    山田(太)分科員 どうしてそう査定なさったかということについて……。
  270. 小幡琢也

    ○小幡説明員 これは、文部省の要求は六億九千万ばかりでございましたが、この公立文教施設全体の予算につきまして、他の公共事業とのバランスその他がございましたので、その中におきまして措置するといたしまして、公害対策費は二億七百万円ばかりが妥当である、こういうふうに考えて査定したわけでございます。
  271. 村山松雄

    村山政府委員 文部省の立場での学校公害の問題を簡単に御説明いたします。  学校公害につきまして昭和四十二年の二月に実態調査いたしまして、これは書面で調査いたしましたが、大なり小なり公害で、被害を受けているという学校数が千九百校ほどあがっております。その原因は、騒音が大部分でありまして、あと大気汚染等であります。  そこで、その防止の問題でありますが、文部省の立場を率直に申し上げますと、これは原因者があるわけでありますから、まず原因者のほうで手だてを講じてもらいたいという気持ちがございます。すでに公害対策基本法が制定されておりますし、また、具体的には今度の国会で騒音規制法、大気汚染防止法というようなものの提出が考えられております。こういう公害防止対策の一般面が強化されることによって、学校が被害をこうむらないようにしてもらいたいというのが基本的な希望でありますが、現実には公害が起こっておりますので、当面応急の措置といたしまして、四十三年度約二億円の予算を計上して、騒音に対しては防音工事、それから大気汚染に対しては空気清浄装置などを、教育委員会側の要望に応じてめんどうを見よう、こういうつもりでおるわけであります。
  272. 山田太郎

    山田(太)分科員 時間がありませんのでこれを最後質問といたしたいと思います。  大蔵省の文教担当、小幡主計官ですね。  二億七百万円が妥当と思いましてこの査定をいたしましたという一片の答弁でございましたが、あなた自身がこの土地へ住んでおったならば——あなたは転居できるかもしれません。あなたの子供さんがその学校へ行っておったならば、おそらくは、実情を家族の身になって感じたならば、そのようなただ一片のことばで済ますことはできないはずです。約三分の一にも近い査定、計算が間違っておっても。まあその点はいいですが、来年度においては、この学校公害は、将来の日本にも大きな影響を与えていく問題ですし、また現実の問題は、幼い子供に大きな影響を健康の上に与えております。また将来の成長期の一番大切な子供に大きな影響を与えておる。この点について、来年度においては一考、二考、三考、四考を与えて、必ず査定いたしますというふうな答弁をいただきたいと思います。
  273. 灘尾弘吉

    灘尾国務大臣 この問題は、予算となりました以上は、文部省もこれでやっていくことになっておるわけでございます。主計官は、それぞれ与えられたさいふでもってまかなっておられると思いますので、やはり文部大臣が努力いたしまして、大蔵大臣とよくお話し合いをするということでひとつ御了承を願いたいと存じます。
  274. 山田太郎

    山田(太)分科員 文部大臣の丁寧な御答弁もありましたし、来年度は必ず大きな期待を持って、きょうの質問を終わります。
  275. 森山欽司

    森山主査 これにて昭和四十三年度一般会計予算及び昭和四十三年度特別会計予算中、文部省所管に関する質疑は終了いたしました。  明日は正午前十時より開会し、内閣及び総理府所管に関する残余の質疑を行ないます。  本日はこれにて散会いたします。    午後六時三分散会