○
森本委員 これは物価の上昇その他において社会情勢の変化、そういうものによってこれを
検討していかなければならぬということは、これはすでにもう大蔵
委員会においても論議をせられておりますし、さらに、附帯決議もつけられておりますので、賢明な大蔵
大臣でありまするから、私の言ったことはよくわかると思いまするから、そういう
方向において、どうも顔つきが
検討しそうな顔でありますから、ひとつ
質問を次に進めていきたいというふうに
考える一わけであります。
次は、本論の、私は、憲法二十一条によるところのいわゆる言論、報道並びに放送、こういうものに対するところの表現の自由、この二十一条によるところの問題は、近代国家として、民主主義の国家としては欠くべからざる問題であります。こういういわゆる言論、報道の自由ということは、各国におきましても、人民と権力者とにおきますところの今日までの争いによって、ようやく今日のこういう言論、報道の表現の自由というものは出てきておるわけであります。われわれが振り返ってみますると、たとえば大東亜戦争のときに、
日本放送協会の放送が高らかに軍艦マーチを放送し、そうして戦果かくかくと報道した。それを信用しておったところが、ふたをあけたところが、連合艦隊は
一つもおらなかった。こういうふうなことによって、当時われわれは、言論、報道の自由を持たなかった。よって、
政府が行なうところのいわゆる戦争政策その他に対しても、批判をするところの材料があまりなかった。こういう点からいきましても、少なくとも今日、この憲法二十一条にいうところの言論、報道あるいは表現の自由ということは、私は、あくまでも守り抜いていかなければならぬ至上命題であろうと
考えるわけであります。こういう点について、ややもいたしますると、
総理が、みずからの国はみずからで守る
——守るということについては、これは国を守らぬ人はだれしもないわけであります。ただし、守り方については、いろいろの
意見があるわけであります。だから、
総理が言うように
——どうも
総理の言うことは、戦うこと、戦うことが守ることだ、どうも昔の新撰組みたいな言い方をするようなことがあって、
政府の言っていることが
国民に誤解を与える点も私はあろうかと思います。だが、とにかく、
日本の国を守るということについても、その守り方については、私はいろいろの
考え方があろうと思います。そういうふうな点については、各界、各層が、とにかく
総理の発言に対しましても、それぞれの自由な批判を加え、また、それぞれの
意見を表明をし、そうしてやはり国論が
一つの
方向に統一をされていくということが望ましいわけです。そういう点から、あくまでも憲法の二十一条によるところのこの報道の自由ということが、私は確保されなければならぬ、こういうふうに
考えておるわけでありますけれども、その真相はともかくとして、このごろややもいたしますると、たとえば
政府が、いろいろの
新聞、ラジオあるいはテレビ、そういうものに対して、陰に陽に圧力を加えるというふうなことがなきにしもあらず、というふうなことがよくいわれておるわけであります。私は、その一番いい例として、
政府がやったという証拠はございません、証拠はございませんけれども、これはあなたの大先輩であり、あなたが非常に尊敬をしておるところの故吉田茂さんの国葬の当日であります。私も同じ選挙区であるし、あの人とは一緒に三回選挙をやっておりますので、よく
承知をいたしております。個人的には、吉田さんそのものについては、私は尊敬をいたしております。しかしながら、吉田さんが
考えておりましたところの政治的な感覚、行なった政治の
方向、そういうものについてはまたおのずから
考え方が別であります。個人を尊敬するということと、またその人のやった業績を批判するということとは、これはおのずから別であります。ところがあの国葬当日というものは、まるっきりこの吉田さん一色にテレビ、ラジオ、
新聞が塗りつぶされてしまった。そうして歌舞音曲も、だれが禁止をしたか知らぬけれども、禁止をされてしまった。吉田さん個人をほめることについては、何ら私は差しつかえないと思う。しかしその業績ということになりますると、これは政治行動であります。いま問題になっておりまする沖繩の問題についても、サンフランシスコ平和条約にこれは由来するわけであります。そういう点ではおのずから
意見の分かれるところであります。私はそういう点のいわゆる個人の問題とその人の行なった政治業績というものは、おのずから分けて
考えなければならぬと思うわけであります。ところがそういう点も、みそもくそも一緒くたにいたしまして
——吉田さんが偉いことには間違いありませんが、とにかく偉いんだ、やったこと全部正しいんだという
方向に、あの報道機関というものが一色に塗りつぶされたということについては、私は非常におそろしいものを感じます。これは
政府はおそらく命令しなかったと言うと思います。命令しなくしてそれだけ統一をされるとするならば、もしかりに
政府が命令したならば、一体
日本の言論報道機関というものはどういうことになるか。私は、そういう点からいたしましても、この言論、報道というものの自由については非常に関心を持っておるわけでありまするけれども、ひとつ
総理のこういう点についての見解を明確にしておいていただきたい、こう思うわけであります。
〔「これは基本だ」と呼ぶ者あり〕