○石野久男君 私は、
日本社会党を代表して、ただいま議題となりました日米
原子力協定並びに日英
原子力協定に対し、反対の討論を行なわんとするものであります。
今日、わが国
原子力政策の主たる課題は、高速増殖炉、新型転換炉を自主
開発し、核燃料サイクルを自主的に早期確立することにあります。
原子力エネルギーを平和
利用するための技術体系を確立し、総合的
管理体制を
整備することによって、安価なエネルギー源を
確保せねばならぬというかねてからのわが党の主張は、これは世論一般の認めるところであります。わが党はこのことを積極的に
推進するための道として、
原子力基本法の精神を守り、平和
利用に徹した自主、民主、公開の三原則にのっとり、平和目的、安全性
確保、自主
開発、国家
管理の四つの柱を軸とした
政策を主張しているのであります。
議題となっている日米
原子力協定は、旧
協定と比較して、形式的には相互主義に変わった点など、若干の
改善を認められるとしても、その内容は、片務的、強制的で、米国に対する免責のみが強調せられて、濃縮ウランやプルトニウムを買い取る商売上の双務的な立場というものは全くなく、代金の支払いもしないで、ただで恵まれるというのならばいざしらず、ばく大な金を支払う取引としては、全く屈辱的な
規定になっているのであります。
協定に盛り込まれた保障
措置、すなわち査察
規定は、核拡散防止
規定の先取りと見られる内容を持っているのであって、わが党の賛成のできるしろものではありません。
以下、
協定の内容について反対の理由を申し述べます。
第一の点は、
原子力基本法に基づく核燃料の国家
管理の精神を踏みにじって、民有方式にすりかえているという点であります。
アメリカが一九六三年に民有化の方式に切りかえたから、日本もそれに歩調を合わすのだというのが
政府の説明であります。この
閣議決定こそ、基本法の精神を守らなくてはならぬという考え方が
政府には全くないことを示しているものであって、
政府の態度を許すことができぬのであります。しかも、
協定の内容を見ればだれでもわかるように、アメリカは合衆国
原子力委員会がすべての
責任者で、
政府を代行して契約の相手になっているのでありまして、実質的には民有化はほど遠く、国家
管理にひとしい取り扱いが行なわれているのでありますから、まさにこれはペてんにかかったのと同様であります。わが国は平和
利用に徹する立場で国家
管理方式を
規定しているのであって、法のたてまえからいっても、
国民感情からいっても、また学識経験者の立場からいっても、民有方式については賛成せられていないのであります。
政府がいたずらに民有化方式を先行させているのは、アメリカの実体を見きわめないで、いたずらにこれに追従し、
原子力基本法の精神を無視し、産業界の恣意におもねているのであって、核の平和
利用のための規制
措置をなしくずしにして
軍事利用への道を開こうとする意図を示すものであります。絶対に容認することはできないのであります。
第二に、この
協定はきわめて片務的であるということであります。
協定の第五条によると、
協定に基づいて移転された資材、設備等は、受領する日本
政府の
責任において使用されるものとされ、米国は、それが完全であることを保証しないことになっているのであります。これは一般の商習慣による双務契約に反することであります。提供国である米国
政府は無
責任で、全く片務的な内容であります。
原子力エネルギー、
原子力産業が、日本の将来をになう産業であるということを意識すれば意識するほど、このような米側の、一方的で、一般商習慣を無視した態度を許すことはできないのであります。にもかかわらず、このような片務
協定を、濃縮ウランを供給することをアメリカに義務づけたのであるから、決して片務的ではないのであると自画自賛する佐藤
政府の屈辱外交は、必ず将来に禍根を残すでありましょう。(
拍手)われわれは、このような腰砕けのふがいない
協定内容と、その
経済外交を認めることはできないのであります。
第三に、この
協定の実体は、燃料としての濃縮ウラン、プルトニウムだけでなく、軽水炉を含めてその売り込みの強制を
規定しているということであります。
第八条のD項は、総量より少ない量について契約したときは、残量は入手できないことになるのであります。また必要量を越えて濃縮ウランが日本にだぶついてもいけないことになっております。百六十一トンという多量の濃縮ウランが供給されることを喜ぶ前に、契約が少なければちょん切られ、だぶつけば許されないということは、所要の炉と燃料をミックスして、アメリカのものを買わせるという巧妙な商法であって、このような強制というか、締めつけを安易に受け取ることは、絶対にわが党は許すことができないし、わが国
原子力産業の将来のために許すことはできないのであります。(
拍手)
第四に、アメリカに対する免責が全く従属国の宗主国に対するがごときものであって、このような免責を許すことはできないということであります。
協定第八条I項の後段はこのようになっております。すなわち、「
日本国政府は、合衆国委員会がこの
協定又は旧
協定に基づいて同
政府に賃貸した特殊核物質又は燃料要素に関し、その特殊核物質又は燃料要素の生産又は加工、所有、賃借並びに占有及び使用から生ずる原因のいかんを問わないすべての
責任(第三者に対する責件を含む。)について、その特殊核物質又は燃料要素が合衆国委員会から
日本国政府又は同
政府のために行動する者に引き渡された後は、
アメリカ合衆国政府に対しその
責任を免れさせ、かつ、損害を与えないようにするものとする。」とあって、重大なミスが引き渡しの前にアメリカ側にあることが明らかな場合でも、その損害を日本側はアメリカに補償させることができないというのであります。われわれはこれを許すことはできません。
第五は、査察が国際
原子力機関の査察の範囲を越えてきびしいものであるということであります。
第十一条はこのことを詳細に
規定しております。原子炉や資材、設備、装置の一切について、立ち入り検査が自由に行なわれ、設計審査や操作記録の保持、提出を要求する権利、少しでも違反があり、
規定の履行が行なわれていなければ、
協定を停止し、廃棄する権利をアメリカが持っている。資材、設備、装置の返還を求める権利等々、国連査察を上回る一方的な権力
規定がアメリカ側の査察内容になっているのであります。のみならず、このことは、日本の技術を一切アメリカに筒抜けで提供するにひとしいのであって、日本側にとってきわめて不利なのであります。この査察
規定と、いま国連で問題になっている、米ソが強引に世界に押しつけようとしておる核拡散防止条約の第三条第二項を彼此勘案すると、この
協定はまさに核防条約の先取り
協定であるといわなければなりません。この内容と意図とは、互恵平等の国際
関係をいずこにも保障していないのであります。アメリカの言うままになっている不平等な従属性を露骨に示したものでありまして、絶対に容認することはできないのであります。
最後に、この
協定は三十年間にわたる
協定であって、日進月歩ということばが今日ほど世界に当てはまるときはないといわれている今日、特に
原子力の世界で、三十年という長期にわたる
協定を結ぶ
政府の腹の中がわかりかねるのであります。
ウラン燃料がほしい気持ちはわかる。しかし、高速増殖炉、新型転換炉を一日も早く
開発しようと気負い込む
政府が、なぜ条約
締結の常識を越えて、このような長期にわたる屈辱的な
協定を結ぼうとしているのか、理解に苦しむところであります。(
拍手)これはアメリカ側の主張であることに間違いありません。三十年にわたって安定した原子炉と核燃料の市場として日本を縛りつける本
協定は、独立国日本の名誉のためにも賛成できるものではありません。
政府は、アメリカが一九六〇年代の初期から、貿易
自由化、資本
自由化を世界に呼びかけ、核のかさを世界に広げながら、ドルの権威を守ろうとして必死の
努力をしてきたにもかかわらず、ベトナムにおける侵略戦争で行き詰まり、いまやSDRの助けをかりてもドルのかさは破れて、その権威を失墜しようとしている現代のアメリカを、よく承知しているはずであります。
佐藤内閣は、どこまでアメリカに義理を立てようとしているのでありましょうか。また、日本の真の独立をほんとうに考えているのでありますか、全くわかりません。
原子力開発の仕事はきわめて重大であることを理解しているからこそ、われわれは、
原子力の基礎研究を積極的に
政策路線に乗せることを要求し、わが国の自主
開発を磐石の地位に置くことを要求してきたのであります。日本人の英知は決してアメリカに劣るものではないのであるし、われわれは、国の権威をアメリカに対しても堅持すべきであるということを、常に主張してきたところであります。
政府は、何ゆえあって、このような屈辱的な不平等
協定を、この時期に、三十年という長期にわたっての約束事として取りきめようとしておるのであるか。かりにこの
協定を結ぶとしても、なぜ五年、十年という常識的な年限を主張しなかったのであるか。日本の科学技術の進歩に信頼しないで、どうして
原子力の自主
開発の成果を
期待することができるというのでありましょうか。日米
原子力協定は、まさにこのようなものであります。日英
協定も、また同工異曲のものであって、わが
日本社会党は、とうていこのような
協定に賛成することはできないのであります。
以上、両
協定に反対する理由を申し述べて、討論を終わる次第であります。(
拍手)