○
穗積七郎君 私は、ただいま
議題となりました私に対する
懲罰動議に対して、所信に基づいて簡潔に
弁明を行なわんと思います。(
拍手)
なぜ私が
佐藤首相を
売国者と呼んだか、その背景は広くかつ深いものがありますが、まず、当日の
外務委員会における経緯から申し上げたいと存じます。
去る三月六日、
外務委員会において、
首相は、冒頭、
与党の
小泉委員の
愛国心に関する
質問に答えて、「私は、
愛国心の前提は
完全独立にあると思う。いまの
依存体制から脱却することが肝要である」との
趣旨の
答弁を行なわれたのであります。
ざらに
首相は、
ことばを続けて、かつて私が
ドゴールと会ったとき、彼はたれよりも
フランスを愛するがゆえに、わが
フランスの安全が、
他国の大統領のポケットの中にあるキーで確保される、そんなことは耐えられないと言った
ことばを引用して、
ドゴールの
愛国心をたたえつつ、
佐藤首相自身の
愛国心に関する
ものさしを示されたのであります。
ところが、次の私の
質問に対しては、
首相は、これとは全く相反する
答弁を行なったのであります。すなわち、
沖繩返還に際して、
アメリカ人であるライシャワーですら、
核つき返還に強く
反対をしておる今日であるにかかわらず、非核三原則を堅持すべき
日本の
首相が、いまだに
白紙の
態度をもって
国民に臨むことは、とうていわれわれの納得のできないところであります。(
拍手)
白紙とは、すなわち、
核つき返還もあり得るという
意味を含むものでありまして、
国民の疑惑に対して何ら答えるところはなく、また
議会に対しては万事おれにまかしておけという独善の
態度であり、
国会軽視の
態度といわなければなりません。(
拍手)
さらに、
首相は、同
委員会の前段において、私の
質問に対して、
攻撃的核兵器は明らかに
憲法違反であると明言をしておきながら、
沖繩復帰後、
攻撃核兵器である
ポラリス潜水艦並びに
B52の
寄港、
立ち寄りを認めるかどうかについても
白紙であると驚くべき
答弁を行なっておられるのであります。
憲法問題は、これを守るか守らざるか
白紙であるという
態度は許さるべきことではないと私は信じます。(
拍手)しかるに、
首相の
白紙論をもってすれば、
アメリカ政府との
話し合いの中で、
アメリカの
核戦略体系に追随するために、
憲法をもじゅうりんしても、
寄港、
立ち寄りを認めることもあり得ることを
意味するのであります。
同僚の
皆さん、このような対
米一辺倒の
自主性のない
首相を、
わが国民は、とうてい
愛国的首相と呼ぶわけにはまいりません。むしろ、
愛国者とは全く
反対のものであると
断定せざるを得ないのではないでしょうか。
ざらに進んで、最も根本的なことは、
事前協議権を
放棄するかどうかの問題であります。
首相は、
基地自由使用についても
白紙論をもってはぐらかそうとされたのであります。
事前協議権は、
国家主権行使の根本の問題でありまして、交渉にあたって
白紙の
態度が許さるべきことでございましょうか。私は、
首相の
基地自由使用に伴う
事前協議権の
放棄もあり得るという
白紙論に耳を疑い、
心中がく然といたしまして、重ねて、
白紙の
態度の許されない
国家主権の問題であることを強調して、再
質問をいたしたにかかわらず、
佐藤首相は、相変わらず、
事前協議権を
放棄して、
自由使用を認めるかどうかは今後きめるという
白紙論をもって押し通そうとざれたのであります。
同僚の
皆さん、御
承知のとおり、
事前協議権の問題は、
安保条約第五条の
共同作戦行動の
義務規定との関係におきまして、われわれ
国民にとっては、実に深刻な問題を含んでおります。
基地の
自由使用を認められた
米軍の一
司令官の
悪意的作戦行動によって
攻撃を受けた
相手国は、
日本の領域内にある
米軍の
基地並びに
米軍に対して
報復攻撃を行なう権利を保有するのであります。ところが、この
攻撃は、第五条によりますと、わが
日本国に対する
攻撃とみなして、
わが国の自衛隊は、
国際法上の
義務によりまして、いやもおうもなしに、自動的に
戦争に参加しなければならないのであります。この
安保条約第五条の
解釈については、いままで幾たびか
国会において、
政府と
国会の間における
確定解釈として確認されたところであります。にもかかわらず、今日まで、わが
同胞が
戦争に巻き込まれないで来たのは、一に
北ベトナムまたは
民族解放戦線が事実上
報復攻撃を行なわなかったことによるものであります。
しかしながら、
皆さん、今後
戦争がこれ以上拡大するにつれまして、
相手国の
報復攻撃がいつまでもないといろ保証はどこにもないのであります。われわれが、年来、
安保体制は、
日本の安全と
アジアの平和を守るものではなく、あべこべに
日本国民を
戦争に巻き込むものであり、
アジアの平和を脅かす
根源になると指摘しましたことが、いま
現実の問題となって迫りつつあります。
事前協議権を持たない
基地自由使用のもとに置かれておる
国民が、いかに不安であり、みじめであるかは、今日の
沖繩の
現状を見れば、明々白々ではありませんか。(
拍手)最近
B52が
沖繩に進駐以来、
沖繩の八六%以上の
同胞がことごとく悲痛な不安を訴えておる
現状にわれわれは耳を傾けなければならないのであります。
かくのごとくいたしまして、
事前協議権は、
安保体制下における
わが国の平和と安全に対して唯一の歯どめであるにかかわらず、
佐藤首相は、最近ことあるごとに、
事前協議権を次々に
縮小解釈を試み、ついに
放棄することもあり得るという
白紙論を展開するに至ったのであります。
かくして、
事前協議権の
放棄は、
国家主権の重要な部分である防衛、
外交権を
アメリカの
軍人の手に譲り渡すことになるのであります。(
拍手)
かくながめてみますと、
佐藤首相は、何としても
愛国者ではなく、その
反対の
売国者であると
断定せざるを得なくなったのでございます。(
拍手)しかも、この
断定は、先ほどから申し上げましたとおり、私が、私の主観によって、私の
ものさしによって、独善的にかつ気まぐれにいたした
断定ではありません。
佐藤首相みずからが示した
愛国心の
ものさしで
佐藤首相自身をはかってみると、
佐藤首相自身は
愛国者の
反対のものであることをみずから表明しておるのでございます。(
拍手)
このような
佐藤首相の
答弁を伺いまして、
国民の
代表として、また、
国会の権威からいたしましても、
核兵器を持ち込み、
憲法に違反し、
主権を
放棄し、
国民の平和と生活を狂暴な
他国の
軍人の手にゆだねることもあり得ると示唆しておる
首相に対して、
売国者と叱咤し、その
反省を求め、その
政策の転換を求めんとすることは、
議員、
国会として当然の責務ではないでしょうか。(
拍手)
この際、私は、
鯨岡君の
お話もありましたので、
用語上の問題について一言お
断わりをいたしておきたいと思います。
私は、
佐藤首相に対して、売国奴と、
侮べつ感を含んで、決して、けなしたのではありません。冷静に、
佐藤首相との間における
政策論争の論理を追うてみて、
愛国者の
反対のものであると
断定をし、かつ
政治的評価を加えたのみであります。御
承知のとおり、由来、
東洋語には、上といえば下、白といえば黒、善といえば悪というように、韻を踏んだ
対語というものがあります。私の貧弱な語彙の中から、
愛国者に対する
対語として、とっさの場合、
売国者という
ことばを選んだのでございます。これに対して、
秋田委員長をはじめ
自民党の諸氏は、不穏当ではないかという
お話がありました。私は、これに対して、謙虚に、博識の
同僚の
皆さんにお尋ねいたしまして、
愛国者の
対語として、
売国者より、より適切な
ことばがあるならば教えていただきたい、私は、お教えを受けて、より適切なごとばに訂正することはやぶさかではないと申したのでございます。(
拍手)ところが、今日この
用語をなじっておられる
提案者である
鯨岡君
自身も、
愛国者の
対語が何であるかということは、良識ある
自民党の
諸君も今日に至るまで私に教えてくれないところでございます。(
拍手)
それはさておきまして、以上申しましたことは、
外務委員会におけるたった二十分間の
質疑応答の中から明らかにされた
佐藤首相の反愛国的な正体でありますが、これはいわば氷山の一角にすぎません。
首相の危険な路線はもっと遠く深いところにあるのであります。
特に、昨年十一月、
ジョンソンとの
共同声明の中にその全貌が明らかにされておるのであります。たとえば、いま問題になっておる
沖繩返還に対処するにしても、
佐藤首相は、
民族固有の
領土権の問題として、また
民族統一の強い要求として
返還を求める
態度は全く見られなかったのであります。むしろ、
沖繩を、
日本、
アメリカ、韓国、台湾、
フィリピン等の
アジアにおける
資本主義諸国の
共同の
基地として
規定してしまったのでありますから、このために
沖繩は、
佐藤・
ジョンソン会談によって、以前よりさらに
日本から遠くなってしまったのであります。したがって、
固有の
領土権として求めるべき
即時無条件返還は望むべくもなくなってしまいました。
沖繩の
同胞はことごとく、この
民族的裏切り行為に対して
怒りを心頭に発し、弔旗を掲げて
佐藤内閣の打倒を叫ぶに至っておるではありませんか。これに対し
首相は何ら
反省するところなく、
B52の撤去を求めて上京した
立法院代表の血の叫びに対して、出ていけという
暴言をもって応待したのであります。(
拍手)
アメリカの前にひざまずくことにきゅうきゅうとして、いかに
民族と大衆を愛する心なきかを示すものであります。われわれがこの
佐藤首相に対して国を売る者であると呼ぶことが、はたして間違いでございましょうか。(
拍手)われわれは
国民の当然の
怒りであると存じます。
元来、
沖繩返還に際しては、これをえさとして
核基地つき、
自由使用つき、さらに重大なことは、
日本の
軍事力の強化と
アジアにおける
積極的軍事協力を引き出そうとするおそるべき陰謀が含まれていたのでありますが、
佐藤首相はみずから進んでこれに同調いたしました。このことが、さきの
委員会において、
首相の
沖繩に対する
核つき、
自由使用等、一連のおそるべき
発言の
根源となっておるのでございます。
さらに、このようなきびしい
軍事的条件をのまされたとするならば、いまや
沖繩問題は、
沖繩が本土に返るのではなく、あべこべに本土が現在の
沖繩並みの軍事条件の中に組み込まれてしまう結果になるのであります。これは
日本国民全部に対する
民族的裏切りではないでしょうか。
佐藤首相の猛省を促したい気持ちであります。(
拍手)
ただいま申しました
佐藤・
ジョンソン共同声明の主軸になっているものは、言うまでもなく、中国を敵視し、中国を打倒することを
目的とした日
米軍事同盟の強化であります。国内においては反中国軍国主義の宣言となっておるのであります。
由来、日中両国の関係は、
アジアの平和と繁栄の基礎をなす問題であり、終戦後の
日本外交の最初にして最大の任務は、中国との終戦処理と友好関係の回復でなければならないのであります。しかるに、
わが国と中国との関係は、今日に至るまで、いまだに
戦争状態継続のままになっております。このような不自然な状態をつくっておる原因は、一に
アメリカに追随し、
アメリカにしいられた
日本外交が、二つの中国
政策をとっておるからであります。池田内閣当時は、まだ対米折衝においても、隣国中国との友好関係をかすかながらも主張してまいりましたが、このたびの
佐藤首相に至っては、中国の
現状をあえて正しく
理解しようとせず、中国を
日本並びに
アジアの平和にとって最大の脅威であるとして
国民に押しつけ、それに対する対抗意識と防衛の準備にかり立てているのであります。
このような
佐藤首相の反中国軍国主義の路線が、はたしてわれわれ
日本国民の将来に、幸福と平和と繁栄をもたらすものでございましょうか。
佐藤首相を愛国的路線と称賛することは、いかようにいたしましてもでき得ないところでございましょう。(
拍手)
さらに、
佐藤首相は、常に
アメリカ製のめがねをもって世の中を見ておられますから、中国の文化大革命の成果をもありのままに認識することができない。また、ベトナムにおける人民の強烈な
民族独立闘争の無限の力をも評価することができない。さらに、その
民族闘争のために、ポンドとドルが深刻な危機に追い込まれていることも認識することができなかったのであります。ひたすらに
アメリカの核のかさを過信して、そのかさのもとにおいてベトナム
戦争を支持し、同時に、
日本の自衛を乗り越えて、極東、
アジア全域にわたる安全保障に乗り出し、再び東南
アジアへの進出を夢みるようになっておるのであります。このような路線に沿った
佐藤首相は、
安保体制の強化を至上命令として
国民に押しつけようとしておる。そこから平和を願望する
国民に挑戦するがごとく、非核三原則を無視し、
憲法に違反をし、
主権の
放棄も始めようとしておるのであります。このような
佐藤首相を——反愛国的路線を国内においてしくならば、われわれは
佐藤首相を平和と生活の敵とみなさなければならなくなるのでございます。(
拍手)
さらに、この路線は、国内においては第三次防衛計画を中心とする軍備拡張計画を進め、予算を通じて
国民生活を圧迫し、インフレから
戦争への不安をかき立てておるのでございます。
佐藤首相は、まさにこの道が
愛国者の道であると思っているかもしれない。しかしながら、
国民をして支配権力と独占に忠誠を誓わしめんとする
愛国心の高揚は、最も古く、かつ最もあやまちに満ちた
愛国心の強要であるといわなければなりません。戦後偉大な民主革命が行なわれているのに、古きものを何ものも忘れず、新しきものを何ものも学ばず、
愛国心を常に国防と
戦争に結びつけ、
国民を
戦争の方向にかり立てることは、最も反動的な、反愛国的な思想であります。あやまちを再び繰り返す者こそ、最も責めらるべき者ではないでしょうか。(
拍手)
しからば、いま
佐藤首相が、
民族の独立を犠牲にして立ち寄った
アメリカの核のかさは、はたして
日本にとって安全でありましょうか。核抑止力は、核の独占が破れ、
民族独立の戦いと核
反対の国際世論の抑止力の前に、次第にその力を低下せしめつつあります。核の抑止力のもとにあるというべきかつての韓国、今日の南ベトナムに、はたして安全と平和がございましょうか。これは、
アメリカの核戦略が根本的に誤った方向に向かっているからであります。すなわち、
アメリカ自身の自衛を乗り越えて、
民族解放の歴史にさからいつつ、他
民族への抑圧と侵略の方向に向けられているからであります。
また、
佐藤首相は、核のかさと表裏一体をなしますドルのかさのもとにおいて、それとの心中体制をとる誓いをいたしました。ところが、戦後これだけは絶対の権威と信じていたドルの権威は、いま音を立ててくずれ落ちようとしています。この過程において、ドルに従属的な関係にある同盟国が、常に
アメリカよりより早く、
アメリカよりより多くその犠牲をしいられることは歴史の示すところでありまして、今日その犠牲になったポンドに次ぐ
わが国の円の苦境は、もはや明瞭となってまいりました。
昨年十一月、
アメリカの核のかさとドルのかさのもとに追随を決意した当時の
佐藤首相は、はたして今日のベトナム
戦争における絶望的な敗北を予見したでありましょうか。また、今日のドルの威信の失墜と混乱を予見し得ていたでありましょうか。いま
日本は、
佐藤首相によって、動揺する核とドルのかさのもとで、
戦争か平和か、混乱か安定かの重大な関頭に立たされるに至りました。すべての
国民は、ここで足を踏みとどめ、見通しを改めて考え直さなければならないのであります。
政治家の
責任は、今日ほど重大なものはないといっても過言ではありません。
私は、このたびの
発言問題について、その
用語に固執するものではなく、また、その
責任を回避しようとするものではありません。
佐藤首相は、
国会内において、多数をもっておのれに対する批判的評価を打ち消そうとされましても、
国民大衆の心の中にある不信と批判は、とうてい押えることはできないのであります。(
拍手)
佐藤首相がみずから翻然として悟り、
政策を転換し、真に平和と大衆に奉仕する愛国的
政治行動をとることによってのみ、
国民の中にある批判と非難は初めて打ち消されるのであります。頂門の一針として投げかけた私の
発言が、真摯な
政策論争に
発展されることを願ってやみません。
そこで、私は率直に提言いたします。
佐藤首相が真に
愛国者たらんとするならば、核のかさとドルのかさの危険から抜け出し、まず、ベトナム
戦争の支持を取り消し、
民族解放の要求を支持し、
民族自決の原則による
戦争の
解決に万全の
努力をすべきことでありましょう。そして、同時に、
沖繩の
即時無条件返還を強く要求すべきことを提言いたします。(
拍手)第三に、中国
政策を改め、日中関係の正常化のために全力を尽くすべきことであると信じます。これこそ、
アジアの平和と
わが国の経済
発展の根底であるからでございます。
最後に訴えたいと思います。すなわち、真の
愛国心は、今世紀の歴史的課題である
民族と階級の解放に即したものでなければならないと思います。支持すべきは、
民族の独立であり、誓うべきは、
国民大衆の平和と生活への忠誠でなければならないと思います。(
拍手)
この
愛国心に対する正しい評価を申し述べまして、
佐藤首相の真の愛国的目ざめを促して、私の
弁明を終わることにいたします。(
拍手)