○中川(進)政府
委員 お答えいたします。柳仁権という韓国の少年がおるのでございますが、これは
昭和四十年の九月に日本へ密航入国いたしまして、そして
昭和四十三年の四月、すなわちことしの四月十六日に川崎市におきまして、例の外人登録を持っておらなかった、外登不携帯ということで
警察につかまりまして、それから
検察庁でなく、
家庭裁判所に送られたのでございますが、
家庭裁判所では五月の十日に、審判不開始ということで釈放したのであります。そこでこの知らせを受けました入国管理局の横浜入国管
理事務所におきましては、これは横浜市の中区にございますが、本人の身柄を受け取るべく、そして身柄を受け取った上でそれを収容すべく、警備官が二名参ったわけでございます。ときはちょうど五月十日の午後二時五十分ということになっておりますが、そこでこの警備官二名がただいまの横浜家裁川崎支部におきまして収容令状を示しまして、そしておまえを収容するということを告げたのでございます。ところが、この裁判の
関係で
先ほど申しました柳という少年についておりました弁護士、それからこの柳というものの父親の内妻でございますが、李愛子というのがございますが、この人々が本人、すなわちこの柳少年の身柄を自分たちが
裁判所からもらったのであるから、自分たちが連れて帰るといって警備官の身柄収容に
異議を申し立てたのでございます。結局そこで話し合いがまとまりませんので、裁判官のあっせんもありまして、ひとつそれではそんなことは入国管
理事務所に行って話し合ったらいいだろうということで、その警備官と弁護士さんと本人、それから
先ほど申しました本人の父親の内妻、そういうようなものが連れ立って入国管
理事務所まで参ったのでございます。入国管
理事務所に参りましてから、弁護士は三野研
太郎と申しますが、この弁護士は警備
課長と話をするということで、この密航少年柳とそれから護送のための警備官一名、これを車に置きまして、自分は入国管
理事務所に入りましてそして話を始めたのでございますが、警備
課長といたしましては、本人をこれから入国管
理事務所に収容するということを申したのでございますが、弁護士のほうは、これはもう自分たちが本人は
裁判所からもらったものであって、仮放免をしてもらったということで話が合わなかった。延々と両方が同じことを言っていたわけでございます。ところが、いつまでたっても話がどちらともつかないということもございましたのか、あるいはだれかが
連絡をしたものかわかりませんが、とにかくその間付近から港湾労務者が三、四十名寄ってまいりまして、そしてその身柄をとる、とらぬということでいろいろな話し合いがもつれてまいりまして、そこで身柄の
確保をめぐりまして、この押し寄せました労働者とそれから入国管
理事務所の職員との間に
一つの紛争が起こったのでありまして、これが午後五時ごろ、十七時ごろでございます。結局入管事務所といたしましては、自分たちの手に負えなくなりましたので、
警察の機動隊の出動を要請しました。これが十七時五分となっておりますが、この
警察が到着する前に、ついにいま
集まりました労務者たちが、柳という密航少年を車に乗せまして、そして連れ去ってしまった。この騒動のために入国警備官か六名負傷した、こういうことになったのでございます。しかしながら、この弁護士は、翌日、きのう起こったことは自分の本意ではなかったということを釈明するとともに、柳という少年を連れて入国管
理事務所に出頭されましたので、そこで入国管
理事務所におきましては、その日の十一日の十二時過ぎにこの柳という本人を収容した、こういうことでございます。そしてただいま本件につきましては
警察におきまして取り調べ中というふうに承っておりますが、入国管理
関係の職員といたしましては、負傷者六名、そのうち一週間の者が三名、五日ぐらいの者が二名、三日ぐらいの療養を要する者が一名、そういう負傷者を出した、こういうことでございます。