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佐藤(文)
委員 全学連の組織というか、三派
全学連が今度非常にこういう問題を起こした原因にもなっておりますので、
全学連全般の系統を私はずっと資料によって
調査をしてみたのですが、戦後、混乱時期の
昭和二十三年の九月に全日本
学生自治会総連合が結成されて、その直後、
昭和二十五年の一月に、コミンフォルムの日共批判によって、日共主流派と日共国際派というものに分かれ、
昭和三十年七月の日共六全協、これを契機として、
昭和三十三年六月一日からの前後に、内部における抗争が非常に激しくなって、三十三年の六月には、日共党本部の占領というような
事件が
報道され、事実これがあったわけです。こういうことで、日共系の
学生の
自治会と反日共糸の
学生自治会とが大きく分かれてきた。現在
佐世保の場合においても、日共系の
全学連諸君は、きめられた
道路の上あるいは所定の
場所を実に静かな行進を続けておる、反対デモを続けておる。三派
全学連のほうは、常にその
先頭に立って非常に激しい
暴力行為を行なっておるという両面をはっきり見ることができました。そこで私は、この暴走理論をカバーするというか、それを新聞紙上で見て、そしてなるほどこういう
大学の
指導者がいるから、こういう青年
諸君をいわゆる暴走させていくのだということを納得する一記事が出ておりました。もちろんトロツキスト系のこういったような考え方があることは承知いたしておりますけれども、新聞面でそういうような
大学の教授の暴走理論を読んで、なるほど若い
学生諸君がこの理論を背景にして行動を起こすのだな
あということを
印象づけられました。これは一月二十日の毎日新聞に立正
大学教授の岩田教授の考え方がはっきり載っておりましたが、その中を要約しますと、思想やイデオロギーがあってはいけないのだ、それがあるということはセクト主義になるのだ、自分を否定するものにはすべて抵抗精神をもっていかなくちゃならぬというのが、ものの考え方の根底のようであります。ですから、ある
大学の教授と話をした最中に、これは冗談まじりに言っておったのですが、三派
全学連の
指導者になるためには、三十のことばだけ知っておればいいのだ。アメリカ帝国主義、あるいは反権力、こういったようなことをずっと並べて、三十のことばだけ知っておれば
指導者になれるのだといったようなことを冗談まじりに言っておったのですけれども、こういったような、思想やイデオロギーがあってはいけない、それがあることによってかえってセクト主義になるのだ、自分を否定するものにはすべて抵抗精神をもっていかなくちゃならぬのだというようなものの考え方、したがって、飯田橋
事件のときにも警官にかかったけれども、それは実は警官のほうが扇動したのだ、こういうものの考え方で
学生諸君を応援する向きの人もある。それならば、目の前でビキニ姿が海岸を歩いておるときに、相手が挑発したからその女性を襲撃したのだから、あたりまえじゃないかという理論と私は同じであると思うのですが、こういったような暴走理論が堂々と新聞にも出ております。ちょうど違った
意味の特攻隊精神を教えつけておるということ、これをバックにして政治の危機感やいろいろな政治の腐敗面を教え込んで、
学生に危機感を与えてそれを行動に持っていく。しかもこの教授は、
大学は下士官養成所であるとはっきり言っておる。日本の
大学は下士官養成所である。何を上官といい、何を下士官というのか、それは私は知りませんけれども、そういったものの考え方で純粋な
学生諸君を
指導している向きがあるということを、私ははっきり知ることができました。
そこで、この三派
全学連の中の社青同で、
国民が誤解をしている面がある。社青同は社会党の青年部である。そうして日共系の
全学連と社会党の青年部が三派
全学連に入って戦っているのだという向きが、一時流布されました。私は、民主主義を守る、議会政治を守る社会党が、まさかそんなばかげたことをするような政党でないということを
期待いたしましたが、なるほど私が
期待したとおりに、この社会新報によりまして、本年度の社会党の大会においても、日本共産党がわれわれに対してそういう誤まった
攻撃をしておるのだ、社青同は解放派が入っておる、社会党が除名しておる
学生集団が三派
全学連に入っておるのだ、したがって社青同の本流といったほうは、勝間田
委員長が政治的な
指導団体としてやっておるのだ、こういうことを私は知ることができましたが、世間は、議会政治を守る社会党が、社青同を通じて三派
全学連を
指導しておるのだというようなことをいう向きもあると思うので、明確に議会政治を守る野党第一党として、私はこの
機会に私
自身の口からはっきりしておきたい、こういうぐあいに思っております。全然社会党の青年部ではないのだ、解放派は青年部ではないのだ。日共派代々木系の
全学連は日共の政治的
指導を受けておるということを、はっきり私は言ってもいいと思うのです。しかしながら、三派の中の社青同解放派は日本社会党とは縁切りをしておるのだということを、はっきり私はこの
機会に確認をしたい。しかしながら、
佐世保の
事件においても、
羽田事件においても、社会党と
暴力行為を行なう
学生諸君との間がきわめてあいまいな
印象を
国民大衆に与えておるということは、私は残念だと
思います。
佐世保事件の際に、朝日新聞の四十三年一月二十二日の「ゆれる社共共闘解説」と書いておるその中で、「発足時に甘い妥協」というただし書きを書いて、「今度の共闘を組むに当って、社会党は共産党から、反代々木系
全学連と手を切るよう迫られて苦しい立場に立たされた。結局、共産党との共闘を成功させるため『反代々木系
全学連の参加は認めず、彼らの妨害行動には共同で対処する』という取決めをのんだ。しかし、社会党側は、初めから反代々木系しめ出しを実行する気はなかったようだ。」と、はっきり朝日新聞に書いてあるわけであります。私は、民主政治というものは、私が言わぬでもこれは当然わかっておることですけれども、人によらず法によるべし、民主政治を守るということは、法を守っていくことだ。故小泉信三
先生が「秩序ある進歩」ということばを前の反安保騒動のときに言ったけれども、ああいうときに、秩序を守る
警察官を
攻撃することによってヒロイズムを感ずるような風潮があってはいけない、こういうことを小泉信三
先生が「秩序ある進歩」ということばの中に書かれておりますけれども、この
佐世保事件の際に、議会政治を与党、野党通じて——野党の第一党として守る社会党が、このように朝日新聞の
記者の見方によって書かれるということは、私は非常に残念だと
思います。さらに社青同解放派をはじめ、他のこのような
暴力行為、秩序を破る行為を行なう
学生諸君との絶縁とまではなかなかいかないでしょうけれども、しかし、このような行動に対して、やはり愛を持つことが正しい政治だ、愛を持つことが正しい教育だと考えておる思潮、思想、節度、こういうものをこの付近でぴしゃっとやらないといけないような時代が来たということは、私は言えると
思います。
これは
警察庁にお聞きしますが、昨年の
羽田事件のときだったと思うのですが、——第一次
羽田事件であったか、第二次であったか、その辺はよく記憶ありませんが、九月の四日の朝日新聞に、社青同の東京の定期大会で
乱闘が行なわれて、これによって解放派と非解放派と分かれたのではないかと私は思うのです。この付近はまだよくわかりませんが、二十一人が重軽傷を負った。これを行なった会場が、新聞によりますと、社会文化会館である。社会文化会館というのは、私は何か社会保障をやるような、そういったような外郭団体が経営しておるところでやっておるのではなかろうかと思って、社会文化会館のパンフレットをいただいて調べてみたところが、財団法人社会文化会館のその当時の
理事長が社会党の
委員長の佐々木更三、
理事が
成田知巳、下平正一はじめ十名、監事が加藤勘十、
佐藤觀次郎というぐあいに、
理事長、
理事、監事がはっきりされまして、私はそのときの直観としては、ああ、社青同は社会党の青年部だ、したがって社会党の本部でこういうことをやったのだ。もちろん会館の運営はどこにやらせておるとか、それによってどうこうということは言われませんけれども、少なくとも世間に、
国民に、社会党があたかもこのような
事件を起こすものに、その宿泊
場所を与えて、
会議の
場所を与えて、しかも二十一人が重軽傷にあって、そうしてやったという
報道が出たけれども、その後この
措置について、何か血を流した
場所がはっきりあったわけですから、そういうことが新聞に
報道されておるのですから、これが一体その当時どのようになったのか。社会文化会館の会場でもってどういう種類の会合があっても、それは私はけっこうだと思うのですけれども、議会政治をともに守るという社会党のこういったような代表者が
理事長をやり、
理事をやっておるところで、このような
会議が行なわれ、しかもそれだけならばいいけれども、
乱闘事件があって、流血の惨事を起こしておる。こういうことがあるということは、私は非常に残念と思うのであります。
これを裏書きするように、本年度の社会党の大会で——これは東京新聞の一月二十四日の社説でありますが、社会党の新運動方針案について、太田薫氏、前総評
議長が、「社会党の主体性を確立するためには、三派
全学連の
羽田事件などに対する態度を明確化するとともに」云々と、こういうぐあいに前総評
議長も、この三派
全学連の社会党との
関係を
心配をして、今後における議会政治を守る面について
心配をされている社説が載っております。私は、ここでその
関係をどうだこうだと言うのではありません。しかし、
国民大衆が、いま、議会政治を守り、民主政治を守るというときにおいて、その法秩序を破る三派
全学連の政治的の
指導は一体だれがなされておるか注目しようというときに、公党が、少なくとも議会政治、民主政治を守ろうという政党が、このような法秩序を破る
学生諸君との線があいまいであるということは、日本の民主政治を守る上において非常に私は残念に思うのです。したがって、社会文化会館における二十一名の流血の惨事は、その後一体どうなっておるか。もしもこれが何らの
処置がされなければ、治外法権がそういうものの中にあるということになるのだが、一体どういうぐあいになっておるのか、その当時の
状況と、その直後における
処置を、参考のためにお聞きしたいと
思います。