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有島委員 大臣のお
考えはほぼ了解いたしますが、
世間一般の
受け取り方と、
大臣の
考えとのその断層を私は一番心配するのです。それでいまおっしゃった心の
意味は非常にプリミティブな
意味の
愛国心である、
国防意識である。だけれ
ども、一番先に申し上げましたとおり、
佐藤首相の
発言があって、あるいは倉石
発言があって、いろいろなことがあって、その系列の中でだれでもとらえやすい。これは
国民の側に立ってみればもっともな話でしょう。それですから、やはりそこをはっきりともうぼつぼつ
政策のところまではいかないところを、心というのをもう一歩これは現時点においてはっきりなさったほうがいいのじゃないか。それをいつも心だ、心だと言っておりますと、これはどうともとれることになってしまいますね。それでいまはもう一歩、そう憶病にならずとも、だれでもの通念として、こうなのだというような
ことばで、
大臣の御
発言として御発表になったほうが適当なのじゃないかというふうに思うのでございます。それがないと、やや心配なことは、いま
愛国心の問題でございますけれ
ども、江戸
時代に持っていた
愛国心——おそらくこれは地域的な川に隔てられ、山に隔てられして、そこに生まれたということで
一つの郷土愛といいますか、そういうもので争っていた状態の中で、黒船が四はい来た。そのことによって
日本という全体観に目ざめて、そこで初めて
愛国心というような
ことばが起こってきたのじゃないか。そういったような
日本の国を中心とした
愛国心につきましても、これは江戸
時代には
愛国心という
ことばはなかったはずでございまして、実際生活の中に
日本全体というものが
意識されてきた、その上に初めて
愛国心が起こった。さっきおっしゃった一番プリミティブな心がそこまで広がった。そしてその心がなまのものでございましたため明治維新が起こったのだけれ
ども、やはり西郷隆盛を呼び帰して、反乱を起こして、狭い
愛国心に終わった。これも
大臣のさっきのお
ことばによりますと許容できるということになるわけですが、現在の
子供たちの
意識というものは、テレビなんかを見ておりましても非常にコスモポリタン的な面もございます。それでは全部がインターナショナルな感じになってしまえばそれでいいのか、そうもいかない。昔だって、やはり
日本という
一つの国家
意識、
愛国心という郷土の特徴、個性というものが大事にされてきた。これが大事な問題であると思うのでございます。
そういたしますと、現在の
日本人の持つべき
愛国心というものはやはり昔とはまるきり違う。昔は薩摩からお江戸までは非常に時間がかかったわけであります。いまはアメリカから
日本は非常に短い時間で来られるし、それから報道性の点から申しましても、大阪から江戸まで早馬でもって二日かかったという
時代が、いまはケネディが死んだ二時間後にはみんなが知っているというふうに、まるきり違うわけであります。そうしたときに、今度は国を守っていく心、この
意識というものが明治
時代的な
意識ではなくて、新しい
世界認識の上に立った
意識でないと、これまたいろいろな論争の種になると思うのです。現実に角材を振り回している
学生たちは
国防意識が全くないのか、
国防の心がないのか、あると思うのですよ。文部当局もあるいは大学の人
たちも、それは国を愛する心はあると思うのですよ。その心がどれほど客観的な
世界認識の上に立った
愛国心であるかということは、いままさにこれが問題になっているところであると思うのです。これをだれかがやはり解決しなければいけない。これは
政策といいますと、またその先にいってしまいますので、いつも疑心暗鬼の中でもってむだな対立が繰り返されていると思うのです。
文部大臣の御
発言がもう一歩進んでもいいのではないか、そういうふうに私
ども思うのでございますけれ
ども、たとえば神武天皇の話、大国主命の話でもいいですよ。それは確かに誇るべきわれわれの伝統について正確な
理解を持っておる、それはいいのです。そういった
理解、知識と同時に、現在の
世界についてのやはりきびしい認識、
理解というものを、これはさらに強力に
指導要領の中にでも入れ込んでいくということを命じられるということが、健全な
愛国心、
愛国意識に通じる道じゃないか、こういうように思うのですが、いかがでしょうか。