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島本委員 そこなんです。これは
大臣の方針や
考え方が、率直にそっちのほうの官側のその中に入る、またそれが入らない、
電電公社の場合は入らない、こういうふうな違いがもしあるとすれば、これは困るのです。重大だと思うのです。いま全逓でも、これはもう御存じのように、労働三法は尊重しております。そして
電電公社の場合でも、公労協として、これまた同じような
状態に運営されているでしょう。こういうことからして、あまりにも全逓対官側の場合は冷たいのです。
電電公社対全電通の場合にはわりあいにルートがあるのです。同じ
現場職員であるのに、こういうような違いをなぜさせておくのですか。私は、これは次官も
大臣も、もっと
委員会を通じまして今後も反省をしてもらいたいし、その点は十分
考えてもらいたいと思うのです。
私はこういうようなことがあってはならないと思う例があります。意外に冷たいということです。それは、次官も覚えておるでしょう。参議院の逓信
委員会がございました。
大臣も出ていました。
山本人事局長も出ておりました。そして、首を切るのに、そのまま辞令一片ではだめだ。本人が来、家族が来たならば事情を説明してあげるのが、これが人情であり、これが道義的な
考え方じゃないかとおっしゃったのはあなたです。そして、それが
山本人事局長からすぐ
電話で仙台郵政局へ参りました。仙台郵政局のほうでは、本省から行った人事局長のこの指示を仙台郵政局でとめてしまったでしょう。混乱局だからそれをやらない。上のほうでは、混乱局であっても、それは特定の人にしぼるなり時間をきめるなり場所を指定するなりして、これは親心として、十分説明してやりなさいというあなたのこの気持ちも反映したでしょう。そしてすぐ
電話をかけた。二時間後、反映したかどうか。返事をもらったら、全然通達されてないでしょう。こういう行政指導というものがありますか。本省の指令が行なわれないような郵政局があっていいんですか。私はこういうような点は、今後やはり
郵政省としても
考えなければならない問題だと思うのです。そして、全逓と
電電公社の場合の話し合い、こういうようなことは、やはり
一つの慣行もあるのです。ところが全逓対
郵政省の場合には慣行破棄になっているでしょう。これあたりも、
大臣と政務次官、あなたのところで十分これを
考えて、ひとつ今後は全きを期するようにしてもらいたいと思うのです。
例を一、二、私は涙ながらに申し上げなければならない問題があります。北海道に行ってみるならば、すぐ千歳でしょう、飛行機がおりるのは。この千歳の郵便局が、もう戦後できたものですけれ
ども、空の玄関口としてはこれはまだ老朽の段階じゃないけれ
ども、もっとりっぱなものでなければならない、こう言ったのが、当時の全逓の組合員だったのです。そして、それが局長と相談されたのです。そして、出ている市
会議員を通して私のところにも来ました。そして、当時千葉信参議院議員もおりました。その人たちを通じましてついにこれが改築の運びになり、ことし着工されているのです。ところが、新しい局長が参りますと、いままで和気あいあいとしてそのようにやったけれ
ども、今度一切組合に対して事務所も貸さない、時間外であろうとも、組合運動を中でやるのはいけない、こういうようなことで、組合事務所を外に求めなければならないように——いまここで地鎮祭を終わって、皆さんから喜ばれてそれをやるのに、その恩人を外に出してやる、こういうようなのが管理体制としていいでしょうか。私はそういうようなのが冷たくする原因の
一つになっていると思います。そして、その局長は、私が落選している間の
昭和四十年に旭川へ参りました際には次長でした。私
ども行きましたら、必ず
電電公社の現業局か、または郵便局のほうには礼儀として寄ってまいります。私も参りました。あいさつに参りましたと言ったところが、そこにいる労管か人管か知りません。その人が、何の用件ですか、急ぎますか、こう聞くのです。そして、前衆議院議員
島本虎三だと言っても、お急ぎなんですか、どうしても会わなければならないのですか、というあいさつ。よろしゅうございます。会わなくてもいいのです、こう言って私帰ったのです。
あとを追っかけてきたのがその次長、いまの千歳の局長でした。寿都の局長もしていたから私わかるのです。ああいう人じゃなかったのです。ところがそういうふうに変わってしまっているのです。管理体制じゃございませんか。こういうようなことで今後郵政局の業務をいかに運営しようとしても、これはやはりその間に立って組合との間の慣行無視、またはこのような冷却
状態を続ける限り、業務の円満な運行は期せられない、こういうふうに思うのです。いま
総裁と次官がおりますから、私ここで両方対比しながら聞いてみました。若干私の意見も入れてみました。こういうようなことは当然改められなければならないし、そういうようなことは理不尽でもあり、道義にも反する、私はこういうように思います。もしそうだとするならば、これは次官を通してしかっておかなければならない問題だと思います。これは事実なんでございますけれ
ども、これをどのように思いますか。