○
穗積議員 少しく時間をいただきまして、私の弁明をさせていただきたいと思います。
きょうは、まことに奇妙なことでございますが、私の
佐藤総理に対する
売国者という発言が当
委員会において審議されております同じ日に、午後には本会議におきまして、
佐藤総理の
アメリカ一辺倒の従属性から出てくる、民族の期待あるいは
国民大衆に対する裏切り、すなわちその
政治的売国性について、野党すべてから弾劾を受けようとしておるわけでございます。これは単に野党のみならず、与党内における相当多数の良識派の諸君からも批判を受けており、院外におきましては、圧倒的多数の大衆が、実はインフレから戦争への従属性をますます深めつつある
佐藤政策に対して、非難の声が高まっておるのでありまして、これは一種の政治的なカリカチュアといいますかアイロニーといいますか、まことに奇妙なめぐり合わせになったわけでございます。そのことは、私がここでふつつかな弁明をいたしますより、この
政治情勢の事実というものが、私の発言に対する、あるいはその真意に対する大きな弁明であるというふうに、私は受け取らざるを得ないのでございます。したがって、これから後に私は指摘もいたしたいと思いますけれども、そして賢明な
懲罰委員の
皆さんに対して、
懲罰委員というものは、言うまでもなく党派を越えた正義と公平によってのみ、議員の身分は——一種の裁判でありますから、そうあるべきであると思いますから、切に
懲罰委員の諸兄の論理的かつ政治的な、賢明な御判断をいただきたいと、前もってお願いを申し上げておきます。
実は、皆さまも御承知のとおりでありますが、特に私どもは、昨年十一月十五日の
ジョンソン・
佐藤共同声明以後、
佐藤首相が好んで高姿勢になって、
愛国心を国民に強要する態度を示してまいられました。
愛国心、国を愛するということは、すべての国民何ら異議があるはずはございません。ところが問題は、極東における
アメリカの戦略に一方的に追随し協力をして、そして
愛国心を国防または戦争と結びつけて国民に押しつける、そのことによって、
支配権力と
独占資本に国民をして忠誠を誓わしめんとする
愛国心のにおいが顕著になってまいりました。
特にこの
ことばを受けて、
文部大臣は、小中学校の生徒に対しましても
国防教育をやるのだ、愛国とはすなわち国防である、戦争を拒否することは愛国の道に反するかのごとき方向を示しながら、これを提案をされておる。したがって、中学校の生徒の間においてすら、先般のNHKの
テレビ討論会で、中学校の生徒の諸君が、
灘尾文部大臣の前で、最近
佐藤首相並びに
文部大臣が説くところの
愛国心というものは、われわれからするならばまことに危険である、われわれは反対である、という趣旨の討論が圧倒的でございました。
そういうことについて、私どもは、やはり
民主主義の革命後のわが国民が持つべき
愛国心とは一体何であるべきか。それはすなわち平和五原則にも示されておりますように、
帝国主義または
植民地主義からすべての民族が解放され独立をしなければならない、その戦いの態度、路線こそが愛国の道である。また国内におきましては
支配権力、
独占資本に忠誠を誓うことは
愛国心ではなくて、それは
愛国心の反対のものでありまして、
民主主義の唯一の原理である政治の主人は国民である、その国民は圧倒的に平和と生活の確保を念願をいたしております。その念願、大衆に対して忠誠を誓うことこそが、私は、
民主主義のもとにおけるあるべき
愛国心である、首相が権力を背景にいたしまして、院内においてはあるいは多数を背景にいたしまして
愛国心を独断的に押しつけようとする、これはおよそ非民主的であり、非愛国的な行為であるといわなければならない、ものの考え方が根本がさか立ちをしておる、こういうふうに私どもは危惧を抱き、批判の眼をもって、最近の首相の
自主防衛あるいは愛国論というものをながめておりました。
たまたま、いま問題になっております三月六日のわが
外務委員会におきまして、先般、本会議におきましてもその経過はるる御説明申し上げましたから、きょうは簡単にいたしますが、問題は、鯨岡さんの提案を伺いかつ精読いたしましてからのこの私の弁明でありますから、その点について関連をして弁明を行ないたいと思うのでございます。したがって、多少重複するところがありますが、何とぞ静かなお気持ちで、論理に従ってお聞き取りを賜わりたいと思うのでございます。
当日は、先般も申し上げ、賢明な
委員皆さんはすでに御承知だと思いますけれども、首相の出席は都合上一時間しかできない。しかもその前に、与党の
小泉純也委員がぜひ質問をしたいということで、二十分、二十分、二十分という割り当てにいたしまして、御質問がありました。その記録はお手元にまだ——私は奇異なことだと思いますが、まだ当日の
速記録は出ておりません。すなわち、きょうの私の事実を、私のかすかなる記憶、お聞きになった方のかすかなる記憶にたよっておるのでありまして、
物的証拠となるべき
速記録がまだできていないのです。したがって、その間においては、私は、これは裁判から見まして——私もいささか法律を学びましたので、きょうは法律家の方がだいぶいらっしゃるから申し上げるのですが、法理的な論理を展開する前には、事実関係を明確にしておかなければならない。事実の唯一の証拠は、国会の権威ある
速記録でございましょう。ところが、それがいまだに私も手にいたしておらない、鯨岡さんも手にいたしておらない、委員の諸兄はもとよりいまだ耳にもしておられぬことだと思う。したがって、私の発言が総理に対する罵倒であり、無礼を働いたと、
鯨岡議員の
提案理由の中に、第一に指摘されておりますが、これは私は、
侮べつ感を含んで総理を罵倒して、そうしてその政策が誤りである、あるいはその政策を引っ込ましめようとするような、下劣かつ非合理的なことをやったのではございません。したがって、私の発言がいかなる意味で使われておるか、そしてそれに対して私がどういう態度をとっておるか、そのことをお聞き取りいただくことが、審議の焦点の一つであるとも思いますから、いささか申し上げたいのでございます。
私は、決して感情に激して、総理を、論理的、政策上ではなくて、人格的にあるいは名誉を罵倒いたしまして、わがほうに有利な論理を展開しようというようなことをやった事実は、私の主観のみならず、事実の中にないのです。非常に冷静にかつ論理的でございます。したがって、そういう意味でありますから、お耳を拝借いたしまして、少しくその問の論理的な発展を報告申し上げたいと思います。
これは、先ほど言いましたように、
速記録がまだできておりませんから、私の記憶にたよって申し上げるのでございます。当日は、
外務委員会の理事として、
提案者鯨岡さんもここにお見えになりますから、もし事実に誤りがあったら、私は自分の報告を固執いたしませんから、あとで訂正していただいてけっこうでございます。実は、
小泉純也委員が、首相はこのごろ
自主防衛とか
愛国心ということを盛んに言っておるが、総理のその考え方、具体的な内容は一体何であるか、こういう質問をされましたのに対して——私の
売国者発言に関連のあるところだけ申し上げます。それは総理はこう言われたのです。私の考えでは——すなわち総理の考えですよ。私の
愛国心の
ものさしではありませんよ。総理の考えでは、
愛国心の前提は民族の
完全独立でなければならない、ところがいまわが国は
依存体制にたよっておる、すなわち対米依存が強過ぎる、これを早く抜け出すことが
愛国心の前提でなければならぬと、いみじくも主張された。その次に、
ことばを継いで言われましたことは、先年、私は
フランスで
ドゴール大統領に会った。そのとき彼がこう然としていわく、わが
フランス民族の安全の問題が他国の大統領、すなわち
アメリカの
ジョンソンでございましょう。
ジョンソン大統領のポケットの中のキーによって確保されるということは、
フランス民族の
愛国心が許さない、忍びないところである、ということを彼が強調した、その
ことばを私は当時感銘深く聞いた、今日もなおかつその記憶が鮮明に残っております。こう
ドゴールの
愛国心をたたえて、その
ことばをもって私の
愛国心とする、すなわち対
米依存体制を脱却して、そうして
完全独立を取り戻さなければならないということを強調されたのでございます。
そこで、私は委員の
皆さんにはなはだ失礼でありますが、注意を喚起いたしておきますが、これは、私の
ものさしで、私の主観で総理を
売国者と規定したのではございません。
総理自身がこの
ものさしを示されたのでありますから、その
ものさしで、私は後の、これから報告いたします総理の答弁の展開の論理の中で、偉大な矛盾を感じ、あなたの私への答弁は、これから日本についてなさんとする
対外政策というものは、まさにあなたが強調した
愛国的外交政策とは似ても似つかぬものどころか、その真反対のものではないかという論理で出てくるのでございます。したがって、そういうふうに言われました。ところが私の質問に入りましてから、これはいろいろな質問がありましたから、報告すれば長くなりますけれども、それらは割愛をいたしまして、いずれ
速記録で、あるいは仮
速記録でお読みいただきたいと思っておりますが、重要な点は、総理は、
沖縄返還の問題に関連をして、私が
非核原則に対する総理の所信をお尋ねいたしました。そういたしますと、
アメリカの核基地を認めるか認めないか——これは返還に際してですよ。現在の状態において、沖縄にある
施政権外の基地についての問題ではありません。
日本領土として復帰する場合のことを言っておられるのでございます。そのときに、実は最近、御承知のとおり
アメリカ人でありますライシャワーですら、
核つき返還は反対であるということを、しかも公の国会の公聴会の席上で明言をいたしておる段階になってきております。にもかかわらず、日本の
佐藤首相は、国会並びに国民に対しまして、非核三原則は堅持することを幾たびか公約をなさいました。その非核三原則は破るべからざる原則であると言っておられる首相が、
沖縄返還に際して、
アメリカの核基地を認めるかもわからぬ、認めることもあり得るという論理になります
白紙論を展開されたのであります。私は、これは原則の問題でありますから、
ことばどおり、国会に対する、国民に対する公約を守られようとするならば、白紙で臨むということはあり得ない。非核三原則に立ってのみ、交渉に当たるべきものであると私は確信いたします。ところがそれを軽視されまして、破ることもあり得るという御答弁になりましたので、私はいささか、非常な不安、あるいは非難の気持ちも強まっておりました。続いて私は、関連をしてこうお尋ねをいたしました。ただいま
政府自民党の一部の中に、B52、
ポラリス潜水艦、これに
沖縄帰還後も
沖縄基地に対して寄港または
立ち寄りを認めたらどうかという意見があるが、まさかそういうことはあなたはなさらないでしょうねという質問をいたしましたが、これも白紙である、すなわちそういう場合もあり得る、こういうことでございます。これは、私は省略をいたしましたが、当日の
委員会の前段におきまして、B52、それから
ポラリス潜水艦、ICBM、いわゆる三Bといわれておるのは、
攻撃的核兵器の代表的なものであります……、総理は、そのとおりである このものは
憲法違反である、政策上反対だというだけではなくて、侵すことのできない、憲法に違反するものであるとわれわれは当然考えますが、総理はどうですかと言ったら、いま指摘なさいました兵器は明らかに
攻撃核兵器であって、これは明瞭に
憲法違反であるということを言明しておられるのです。それに対して私が、沖縄が返還されて
日本領土となったときに、以後においても、これの寄港または
立ち寄りを認めることもあり得る、
白紙論。このことは、すなわちいまの論理からいきますならば、憲法を守るかあるいは憲法に違反するかは、
アメリカとの相談の上できめるということを意味しておるのであります、論理的に。当然でございましょう。一国の総理が、非核三原則どころか、憲法にも違反するかしないかの態度を明確にしないで対米交渉に臨む。
アメリカ以外の国でもけっこうです。
対外交渉に臨むということはあり得べからざることなんだ。わが国の
国際条約を一たん結びますと、これには
憲法解釈上、抵触した場合には、御承知のとおり
国際条約上の義務が優先をするか憲法が優先するか、こういう議論がありますけれども、
対外折衝あるいは
対外条約、協定等を結ぶ場合においては、一国の総理の権限を持つ者であろうとあるまいと、いずれにいたしましても、日本国を代表する者が、憲法に違反するかもわからぬという
白紙委任を受けて折衝に当たるということは、根本的な裏切りであります。あり得べからざることでございましょう。私は非常に奇異に感じたのです。だからこそ、前段において、B52、
ポラリス潜水艦は違憲であるか違憲でないのか、政策上の問題であるかどうだと言ったら、明らかに違憲である、憲法上の問題である、こう言っておいて、そして憲法に違反することもあり得る
白紙論というものが国会において許されていいのでしょうか。だれが一体国会を軽視し、国会の権威を侮辱しておるものでございましょうか。しかも、長い時間じゃありませんよ。同じ
委員会ですよ。数分前に、これは明らかに
憲法違反であるということを、同じ質問者私に対して、総理は明言をしておられるのです。私は納得がいきません。
さらに根本的な問題につきましては、
事前協議権の問題、すなわち
安保体制下においては
国家主権行使の唯一のかぎである、その問題について、一部に、これを放棄してそうして基地の
自由使用を認めたらどうかという意見が、
アメリカ側だけならいいけれども、日本側にもあるが、一体、まさかそういうことはないでしょうと念を押す意味で、私は不安を感じましたから、続いてその問題をお尋ねいたしましたら、これまた、驚くべきことでありますが、主権の放棄もあり得るという
白紙論を展開された。一国の総理が、もし総理として尊重され、総理として国民から敬愛をされたいというならば、憲法に従い、国民の要望に従い、それを総理が言ったように、
自分自身の
ものさしから見ましても、主権あえて譲るべからずと、この
完全独立の態度に立ってこそ、私は交渉の権限が初めて譲られておる、まかせられておるものだと確信をいたします。
皆さんも御同感であろうと思います。ところが、主権をすら放棄するかしないかを、
アメリカと相談の上でいずれかにきめるという態度が許されていいでしょうか。そんな答弁が、のこのこと国会を横行することができていいのでしょうか。国会は国民に対して、何と言って一体説明するのでしょうか。それを聞き捨てにし、その民族的な
裏切り行為、私の
ことばから言えば、愛国的の反対の売国であります。そういう行為や発言を、この重大な段階になって黙視して、国会の権威が保たれるでしょうか。これは後にも申しますが、私議員が
佐藤首相に対して無礼を働いたと言われますが、どちらが無礼でしょうか。三権分立のわが国の今日のたてまえにおいて、憲法に明記されておるように、国会は最高の権威であります。国会によってのみ、すなわち国会を通じて、主権者である国民からのみ、首相の権限は与えられておる。地位も与えられておる。天から、または天皇から授けられた権限ではありません。私はほんとうに自分を守るために強弁するのではないのです。私は謙虚にそう信じておる。それが誤りであるならば、敬愛する同僚の
皆さん、党派を越えて、私の誤りあれば教えていただきたい。私はこのように信じております。
そこで、私は驚いたので、もう一ぺん、その問題は
国家主権の問題ですよと言って、念を押して再質問をいたしましたが、相変わらず、放棄するかしないかは相手と話し合いの上できめるのだ、白紙だ、こう言われた。そこで私は実は非常な義憤を感じまして
——義憤は感じましたが、頭は論理的、冷静のつもりでございます。後に申しますように、
ジョンソンとの
共同声明の中で、固有の領土としての沖縄を売り渡して、日本のみの固有の領土じゃない、アジアにおける
アメリカ、韓国、台湾、
フィリピン等を含む諸国の共同の基地であるというふうに、政治的に売り渡している。その上に、非核三原則を踏みにじり、憲法を犯し、主権をすら放棄する危険のある首相に対して、一体どうして国会がこの首相を、国民のためになり、民族のためになり、大衆のためになる、しかも、それを愛しておる愛国的な首相であると申し上げることができるでしょうか。私はできません。私ができないだけではない、先ほど言いましたように、鯨岡さんの
提案理由の中に、自分の政策、方針、思想と一致しない者はすべて平和の敵であると言ってなじるのは間違いだとある。そのとおりです。私はそんなことは言っていない。先ほど申しましたように、総理が
愛国心の
ものさしはこうだと言って、自分で
ドゴールの例を引いて示した、
完全独立、
アメリカからの
依存体制を脱却することが
愛国心確立の前提であると言われた。その総理が、
事前協議権は縮小して、場合によれば放棄をする、憲法にも、場合によれば違反をする。それでは
佐藤首相自身の論理から見て、佐藤さんの示された
愛国心、
愛国者とは似ても似つかない真反対のものであるといわざるを得ない。すなわち、
愛国者ではないというだけではなくて、その反対の対蹄的なものである、こう論理的に言うのが誤りでございましょうか。私はそう信じて、実はさらに次のように問題を提起いたしました。
あなたがいま
アメリカに対して放棄するかもしれぬという
事前協議権は、
国家主権の重要な部分である外交、防衛に対する
国家主権を、
アメリカに譲り渡すことである。それだけではありません。われわれがここで考えなければならないのは、この
事前協議権の放棄の問題は、現在われわれが縛られている憲法以上に強い国際的な義務を負っておる
安保条約の
中心規定である第五条、すなわち
共同防衛行動の
義務規定でございます。これと関連して、われわれは今後の事実を見なければならない。というのは、もし
事前協議権を放棄して、
アメリカの一方的な
自由使用を認めたとすれば、日本の領土になった沖縄の基地にある
アンガー司令官の恣意的な
作戦行動によって
——日本の国会、日本の政府が否定しても、効力がない、自動的にわが国の自衛隊は戦争に参加しなければならない、これがこの第五条の規定でございます。このことは私だけの解釈ではありません。いままで歴代の首相がかわり
外務大臣がかわるたびに、この第五条の問題は、
ベトナム戦争の
エスカレート政策と関連をいたしまして、わが国が戦争に参加するかしないかという、重大なかなめとしての規定でありますから、私は常に責任を感じてこれを問いただし、そうして
統一解釈を求めております。現内閣、現
外務大臣のもとにおきましても、この第五条の解釈は、私がいま申しました解釈に、政府と国会との間で、
確定解釈になっておるものです。これは国民から見ますと、実に深刻な問題ではないでしょうか。あたかも、南
ベトナムの政府並びに人民が今日その境遇に置かれております。あるいは、かつての韓国の政府並びに人民が同じ境遇に置かれていた。戦争をやめようと言い、あるいは平和を願いましても、その決定権は、その政府、その人民には全然ないのです。当時の
マッカーサー司令官、今日の
ベトナムにおける
アメリカ軍の司令官の手に、完全にゆだねられている。このような
主権放棄が愛国的といえましょうか。愛国的でないばかりか、私は、民族を裏切る、大衆を裏切る売国的なものであるといわざるを得ないと思います。これが実は
委員会における経緯でございます。
そこで、鯨岡さんについては、
趣旨説明の中で、私の人格、精神を何も憎んだり責めるものではない、また、その思想、
外交政策等々について責任を問うものではないと、寛大なお
ことばをいただきまして、私も党派は違いますが、
鯨岡委員の人柄、識見については敬意を表しながら、お互いに益するところのある政策上のライバルであるというふうに考えております。そういうことですから、鯨岡さんの
提案理由、私が懲罰に付されるに至りましたその理由を、私は精読いたしまして——月曜日にこの官報が初めて私の手に参りました。それで、この前の火曜日の
委員会に失礼いたしましたのは、これを精読いたしておりませんでした。伺っただけです。のみならず、与党の方の
外務委員会に対する対策上あるいは友情上、私のほうの
戸叶理事が
交通事故で重傷を負いましたので、
委員会として見舞いに行くということを決定していただきました。私
ども野党社会党の者は心から感謝をいたしまして、与党の理事さんに同行いたしまして、お見舞いに行ってまいりました。そのために読むひまがありませんでした。それで実は
委員長にもお願いをして、きょうにしていただいたのです。
私は大体これを精読いたしまして、間違っておるかもしれませんが、これを整理してみますと、第一が議院の品位を汚した、国会の権威を傷つけた、それから、目的は、与党、野党、首相と、私穗積との間に、平和に対する
願望信念については変わりがないはずだ、ところが、その
手段政策について相違がある、その
手段政策に相違があるからといって、すなわち自分と意見が違うからといって、相手を独断的に誹謗することは、議員としてとるべき態度ではない、こういう御非難でございます。それから、一国の首相を罵倒し、無礼を働いた、以上四点が、この私を懲罰に付する
提案理由の主たるポイントであると私は理解いたしました。それに対して、具体的に私は弁明をさせていただきたいと思います。
まず第一に、順序は何ですけれども、
首相自身に対して罵倒をした、あるいは無礼を働いたというお
ことばでございますが、私は全然働いておりません。そんな主観は全然ございません。先ほど申しましたとおり、私が平素佐藤さんはきらいだとか、佐藤さんの政策は誤っておるというようなことを考えておって、出会いがしらに佐藤さんを売国奴と言って誹謗する、このばか者と言って誹謗する、罵倒する、そういう態度をとったならば、私はいかなる御処置をも甘んじて受けますし、陳謝もいたします。ところが、先ほど言いましたように、佐藤さん自身の示された
愛国心の基準並びに論理の展開、それから見て、あなたはもうおよそ根本的に矛盾をした発言をしておられるのではないか。——論理的でございます。売国奴と言えば、用語上もこれはいささか侮べつを含んでおるというのが、わが国の用語上の国民の通念であろうと思いますけれども、私はそう言ったのではない。あなたが
愛国心、
愛国者ということをあらゆる機会に言われ、きょうも野党の質問に対して言っておられる。しかも、その中身と方針を示され、それから論理的にいまの政策論争の中でやっておる間に、それには似ても似つかない全く反対のことを言われたから、すぐ論理的に、あなたは
愛国者ではない、ないだけではなく、その反対の何々者になるのではないか、反対のものになるのではないかということを私は申し上げて、そしてそれが国民を代表する議員としての、国会の権威から、当然の責務であるという信念に基づいて、そういうように申し上げ、そして罵倒したのではない、それを頂門の一針として、総理に深く反省を求め、その方針の転換を求めたのでございます。その間のことは仮
速記録にも残っております。佐藤さんが、あなたに
売国者と言われるのは心外だ、無礼ではないかということのお
ことばがありましたので、私は、いやそうではない、あなたのお
ことば、あなたの方針なりあなたの発言をお取り消しになれば自然に消えることです、あなたの論理の中から出てきていることです、こう静かに言っただけでございます。だから、私の主観並びに、何といいますか、発言は、何ら佐藤さんに対して罵倒をしたり侮べつをしたり、人格的に傷つけて、自分の論理を有利にしようというような考えはない。また客観的に見てどうでしょうか。相手の名誉を傷つけた、相手を罵倒した、こういうことであるならば、佐藤さんが、ほんとうにだれが見ても、自分の言っているとおりの
愛国心の信念に従って、おれはこう思う、こういうことが
愛国心の原則であるというふうに思うと言って、そのようにこれから対米折衝をやろうとしておる、またやってきた、その人に対して、私がその反対の
売国者ということを言ったならば、これは誹謗であり、中傷であり、侮べつでありますけれども、佐藤さんはそうじゃないじゃありませんか。自分の示した
愛国心と真反対のことを言っているのですから、
自分自身が、私は
愛国者ではない、その反対のものであると言っている。それに対して、
愛国者の反対の
ことばは、これは用語上のことはあとで触れますが、何々者、佐藤さん自身の論理から展開してきたものであって、佐藤さんは
愛国者の反対のものである、何々者であるということを言われるにふさわしい答弁をしておるではありませんか。だからこそ、三十一日の
ジョンソン声明で、この
共同声明の親分がくずれて、そしてきょう、国会の中においても、国会の外においても、その政治的な誤り、裏切り的売国性、これをいま弾劾されようとしておる。これは不当な言いがかりでしょうか。きょうの弾劾質問が名誉の棄損でございましょうか。私は論理的にそう思わないのであります。
それからその次に、議院の品位の問題でありますが、議院の品位ということは一体どういうことをいうのか。これは提案者並びに賢明な同僚の
皆さんにお尋ねしたいのです。私はいまのような熱烈な気持ちで、論理を追って、そして将来のわが国家、国民の運命、アジアにおける運命を、戦争か平和かの岐路に立って、憂えるのあまり言った
ことばが、一体なぜ議院の品位を傷つけるのでしょうか、わからない。買収、供応の悪質な選挙違反をやる者、これは明らかに議院の品位を傷つけておると思う。それから地位を利用いたしまして政策を金で売る、すなわち収賄、汚職をやる者、これも議院の品位をおかして、まさに国会の品位を傷つけるものであろうと私は思います。または私行上非常に大衆から非難をされる、大衆の社会常識から見て、実に悪徳な行為である詐欺を行なうとか、あるいは傷害罪を起こすとか、あるいはまたばくちをやるとか、あるいはまたその他の私行上のあやまち、そういうものが議院の品位をおかす、したがって、議会政治に対する信頼を落とさしめるものであるといわれましょう。私は、議院の品位を汚すものというのは、そういうことがまず頭に浮かぶのでありまして、私が先ほど言いましたように、国家最高の権威、国民の代表者としての責務を感じて、政府の非常な論理的な矛盾、そしてまたそのあやまち、それを究明することが、一体なぜ議院の品位にもとるのでございましょうか。私は全然そういうことが理解できないし、私はその反対のことを常に心がけて、十数年の間、議席を占めてきたつもりでございます。
さらに、次に国会の権威であります。国会の権威を一体なぜ汚したのか、聞かしていただきたい。そうすると、売国という用語だけでございましょうか。私は国会の権威を傷つけようなんとは全然考えておりません。国会の権威を軽視したのは、白紙でこの期に臨んで、また遠い将来不確定条件が多いというなら別でありますが、ライシャワーですら、もうすでに、核基地は反対だ、B52は
憲法違反だと自分で言っておる。そのことを、非核三原則をじゅうりんし、そして核基地を認めるかもわからぬというようなことを言って、認めるか認めぬかはおれ一存でやるのだ、おれに白紙でまかしておけ——これで一体国会の権威が保てましょうか。こんな答弁をいつまでもいつまでも繰り返して、しかも首相のスケジュールによれば、これはくずれましたけれども、大統領選挙で
ジョンソンが勝ち、自分が総裁選挙を三たび受けるならば、年明けとともに直ちに行って、沖縄問題を交渉しようとするプログラムがすでにできておるのですよ。そうであるならば、対米交渉の方針があるはずだ。にもかかわらず、国会を軽視し、国会の権威を無視して、おれにまかしておけ、白紙だ、万事おれの胸中だ、こういう態度こそが、私は国会の権威を傷つけるものではないだろうかと、義憤をすら感ずるのでございます。先ほど申しましたように、主権在民の
民主主義政治体制の中におきましては、三権分立の中心は国会でございましょう。これは憲法に規定するところであります。したがって、その国会から、あるいは言いかえれば、国民から首相の地位と権限を与えられた
佐藤首相が、その主人であるべき国会並びに国民を軽視して、核つきで認めるのか、ポラリス、B52の駐留、
立ち寄りを認めるのか認めぬのか、深刻な場面になってきておるのに、さらに、主権の一部である
事前協議権を放棄するのかしないのか深刻な問題になってきているときに、国会を軽視して、おれにまかしておけ、おれ一存の権限だ、これこそ国会軽視もはなはだしきものである。私はこの際、鯨岡同僚議員をはじめとして、賢明な
懲罰委員の公正なその御精神に訴えて、謙虚に私の考えを申し上げて、お教えを仰ぎたいところでございます。もし私のこの考え方が根本的に誤りであるならば、どうぞ御指摘をくださるようにお願いをいたします。したがって、国会の権威を傷つけるなんとは、私は実は思っていない。
それから第四点は、相手の政策が、平和独立に至る政策が、自分の政策と相反するからといって、相手をけなしてはいけない、この寛容の精神は持っております。だからこそ、われわれは、いつでもこれはいかぬと思いながら、言うべきことは言いまして、しかる後に、
委員会における採決でも、多数決に服しておるではありませんか。私は、だからといって、罵倒しておるのではない。しかも
佐藤首相に対して、私は私の主観によって、罵倒したのではないということは、先ほどの、三月六日の
外務委員会における発言から見て、佐藤さんの論理に従って、冷静かつロジカルに言っただけのことでありまして、何ら私は、反対の意見があるから、おれの意見と違うから、しゃくにさわるというようなことで、これを罵倒したりあるいは暴言を吐いたり、そんなことをした覚えはございません。
こうして突き詰めてみますと、最後に第五点として、鯨岡提案者も説明しておられるように、穗積君の識見、穗積君の思想、穗積君の当日展開した論旨あるいは政策、これを責めようとは考えていない、穗積君には穗積君の意見があるはずだ、それは自由であり、われわれは反対であっても、それをけなすものではない、ただ一点、問題は用語上であるということにしぼられてまいりました。これは官報における
鯨岡議員の御発言をつぶさに見まして、そういうことになっております。これは私の間違った受け取り方ではないと思います。そうなりますと、私が今日
皆さんの多数の決定によって懲罰委に付されて、これから審議をいただくということは、ただ一に、
売国者という用語が悪いということだけに尽きるわけですね。そういうことに、この
提案理由はなっております。
そこで、
売国者という
ことばについて申し上げますが、先ほどもすでにその一部は申し上げました。すなわち、私は売国奴と言って、
侮べつ感を含んで罵倒したのでは決してありません。だから、受国者、
愛国者と言われるその
ものさしはこうだと言った、その反対のことを言われたから、あなたがそんなことを言っておったのでは
愛国者でありませんよ、
愛国者でないばかりか、その反対のものです。それはとっさの場合に、私の貧弱な国語学の語彙の中からは、
売国者という
ことばが出てきたのです。売国奴と言わないで、
売国者と言ったのは、
愛国者に対する対語の意味で言ったのであります。このことは本会議でも説明を申し上げましたから、申し上げる必要はないかと思いますけれども、簡単に申しますと、私ども小学校時代から学びました東洋語、われわれの使う東洋語には対語という反対語があります。それで表現の妙を得ている。上といえば下、右といえば左、白といえば黒、善といえば悪、こういうふうになっております。そこで愛国の対語、反対語は何か。売国、そのときとっさに私の語彙には浮かんできたのです。
侮べつ感は含んではおりません。対語として選んだのです。ですから、私は、秋田
委員長から不穏当ではないかという御批判がありましたので、いま申しましたことを申しまして、しかもなおかつ謙虚に、私は国語学に対して他に誇るほどの知識は持っておりません。私の貧弱な語彙の中から、愛国に対する対語として、売国という
ことばが出てきたのである。これは賢明、博識な
皆さんにして、いまからでもおそくはありませんが、愛国の対語は、売国のほかに、こういうより適切な
ことばがあるのだ、これが成語であるということを教えていただくならば、私はこんな
ことばだけにとらわれるものではありません。ですから、いつでも訂正をいたします。そのことは最初から申し上げております。ところがいまだに、野党の中でも与党の中でも伺うのですが、そのことを教えていただかなかった。
これはちょっと余談になりますが、この間、本会議でも私がそのことを言ったら、ある自民党の席から不規則発言がありまして、それは非
愛国者だと言って、教えてくださった。しかし、この方は私以上に国語の知識がない方でありまして、中学校の国語の試験で、愛国と書いて非愛国が対語だといって、それにまるをつけたら、その生従は落第です。これは否定語であって、対語ではありません。白の上に非をつけた非白が白の対語だといっては、これは落第です。非白は白にあらざるですから、黒とは限らないですよ。赤も黒も黄も青も、みな非白なんです。そういう意味でありまして、対語ではない。実は私は、そういう意味で謙虚に、記者クラブの方は議員さんよりも文章をもって立っておられる専門家ですから、教えを受けて、もしあれば、注意を受ける前に私も訂正を申し入れようと思って、賢明な記者の
皆さんに教えを請うた。そうしたら、みんな頭をかしげられて、どうもわれわれといえどもわからぬ、こういうお答えでございました。その後、国会の記録を調べてみますと、愛国の反対の表現として、売国という
ことばが、幾つかの機会に、他の議員から用いられております。私も用いた記憶があります。その行為は売国的である、その条約解釈は売国的ですよと、国益に反するものですよという意味で、売国という
ことばを使った。これはなぜいいのでしょうか。売国という
ことばが国会の権威を傷つけ、議院の品位を汚し、首相を侮べつしたものだ、その趣旨いかんは論理的であろうとあるまいと、動機は何であろうと、売国という
ことばがいかぬのだというなら、これらはすべて懲罰に付さるべきだと思うのですね。それはまさに、そういう犯意のない、侮べつの意味のない、罵倒の意味のない、品位を汚すという自覚が全然なくて、そして用語上の中から、そういう
ことばを選択した。その用語が間違っておるというだけで、一体懲罰に付されるということは、私には納得がいかないのです。むしろこれは提案者に実は率直にお尋ねしたいところです。
これは、私がわが身かわいいで言うのではありません。国会は、鯨岡さんも言われたように、言論の府であります。その表現に対しては、外から刑事的責任、民事的責任は問わない、こういうことになっておるわけです。だから、売国的と言ったのはよくて、
売国者と言ったのは悪いと——その後、自民党の方あるいは記者クラブの方の御意見を漏れ承りますと、国を売る者と日本語に訳して言えば、それは問題にならなかったであろうという御意見もあるようです。国を売る者ということであるならばよくて、それを漢語——三文字、三文字の対語ですね。対語というものは、韻を踏んでおりますから。これは中国語がもとですけれども。それを、国を売る者はよくて、それを対語に直して
売国者と言えば、これは懲罰になるのだという。そういうけじめは一体あるのかないのか。わが党にも、きょうはここに議運のベテランの安宅理事もおられますし、過去の例は一体どういうことなのか。与党の方も、博識の方がおられるようで、田中先生も古い法学者であるが、それを実は教えていただきたいと思うのです。私はほんとうにこれは単に言いのがれ、責任をのがれるために言っているのじゃないですよ。ですから、用語が悪いということが、それが鯨岡さんの指摘された、品位を汚し、権威を傷つけ、相手に無礼を働き、国会の秩序を乱した、どう考えても、私の冷静かつ常識的な判断では、懲罰にこれが付されるというようなことは、納得がいかないわけでございます。
さらに、これは私自身が弁明をいたす中で申し上げるのは不適当かもしれません。私ちょっと慣例になじまないところがありますので、他の委員の方からお正しいただくのが適当かとも思いますけれども、この事の経過を理解していただくために、
外務委員会におられなかった委員の方々に、ちょっと参考のために申し上げておきます。私も長年議席を与えていただいておりますけれども、国会というところは、法規だけでなくて、慣例もとうとぶところだ、こういうふうにいままで教えられておりました。当日の私の発言はそういう趣旨でありましたが、実は売国ということが、私の判断では、おそらく、
売国者という論理的な
ことばとして受け取らないで、売国奴という侮べつの
ことばと連想感があるからいかぬということだと思うのです。国を売る者だという発言なら、これは懲罰にならぬだろうとある与党の方も言われた。客観性のあるジャーナリストの方も、そう言っておられる。それから、この間の国会対策の対談の中で、柳田君も、あれは
売国者と言わぬで、日本語に訳して、国を売る者だと言えば、より適切な表現ではなかったか、こう言っておられるわけです。ところが、いままで、これを慣例から見まして、先ほど言ったことが一つの例。それから、それでもなおかつ論理的な意味で使ったのだということが、とっさの場合で御理解がいかなくて・売国奴を連想をされて、そうしてこれは侮辱を与えたものだ、暴言だ、というふうにおとりになったのではないかと私は推測をいたしますが、そういう意味で、秋田
委員長も、野党理事の諸君と、とっさの場合に打ち合わせをされまして、私の質問中に発言がございまして、これはまだ
速記録になりません、仮説の中にも載っておりますが、そしてまた、鯨岡提案者も本会議で説明しておられますが、先ほどの穗積委員の発言中不穏当な点があるならば——あるならばと仮定になっております。——あるならば、
委員長において後に
速記録を調べて善処いたします、こういう御発言になっております。これは従来の慣例からいきますと、議長または
委員長が、その当該本会議または
委員会においてこういう不穏当と認めた、認められる発言があったときの処置として、これが常に使われて、従来の慣例を調べますと、大体
委員長の、または議長の職権において、その不穏当と認めた
ことばが削除になる。そういう意味で、いまだにあの日の
速記録ができないのではないかと、私は思っておるわけでございます。処置がまだ済んでいないということではないかと思うのですね。そういうふうに私は理解している。しかも、あるならば、と仮定になっておるのと、あったからと、確定になっておるのと、また使い分けがあるそうです。あとで伺いますと……。あるならば、というのは、一番軽い意味で言ったものだというふうに言われ、そして理事の方々もそれで処理が済んだと思ってお帰りになった。あとの御説明によりますと、特に福田幹事長が、この方は御承知のとおり、私も個人的には存じ上げておりますが、長年の官僚出身の方でありますから、われわれから見ると、いささか権力主義のお考えがおありのように見受けておったが、のみならず、いまの、今国会におけるいろんな国会かけ引き上、これを懲罰をもって臨んでこられた、こういう取り扱い上の、何というのか、いままでに例を見ざる処置が行なわれた。この間のことについては、鯨岡提案者の御説明の中にちょっと触れておられますが、秋田
委員長からは、私はまだ何も伺っていないのです。秋田
委員長から、これを取り消したらどうかとか、あるいはこれを削除したいと思うとかいう御処置について、御説明は実は直接伺っておりません。その一体論理の継続性がどういうふうになっているのか、私はまだ納得ができないわけであります。しかし、いずれにしても、当日の
委員会におきましては、従来の慣例による措置がとられておることだけを弁明の最後につけ加えて、当日その席にお見えになれませんでして、しかもなおかつ
速記録を見ていただくことのできない状態にある
懲罰委員の公正な判断をいただくための材料として、報告を申し上げておきたい。
それから最後に、これは
委員会におけることですが、冒頭にもちょっと申し上げましたように、実は
佐藤総理の政治的な売国性、反民族性、反人民性というものについては、これは私は、論旨はおのおのの自由でございまして、何ら訂正をする考えはございません。そのことは冒頭にも申しましたように、今度の
ジョンソン声明をきっかけといたしまして、昨年十一月十五日の
共同声明の路線がいかに誤りであったか、いかに失敗に満ちておるものであったか、われわれ国民から見るならば、民族並びに大衆から見るならば、まさに危険にして不安な路線であった。しかもそれが
アメリカの一方的な独断において行なわれておる。
アメリカを信じろ、
アメリカは理解ある友国である、
アメリカの善意を信ずれば何でも安心だ、これが
安保条約体制の政府の国民に対する説明のきまり文句であった。ところがグェン・カオ・キにすら、あるいは朴正煕にすら、何の断わりもなしに今度ぽかっとやったのですから、日本政府になど断わったはずはないのですよ。ちょうどたまたまその日に、一日の日にわれわれは
外務委員会を開いておった。開いておる最中に、向こうから電報が入ってきて、これは朝日その他の新聞にも、囲み欄として、周章ろうばいされたありさまが手にとるように報道されております。だから、何の一体信頼性がありましょうか。こういうことが暴露されてきておるのです。ですから私は先ほど言ったように、この期に臨めば、もうすでにわれわれ国会の与野党の者が真剣に取り組むべきものは、売国という
ことばが、愛国の正しい反語であるか、不適当な反語であるか、そんなことをいつまでも議論しておる段階でないように私は思うのです。そして、問題になっておる
佐藤首相の
共同声明路線というものをここで転回をすべきで、そして国民の合意を求めるようにつとめることこそが、私は国会の品位と国会の権威を守る唯一の大事な大道であるというふうに考えます。したがいまして、私の願望は、だといってこの問題を不問に付せろ、責任のがれに言うのではありません。こういうことは常識に従って、しかも
皆さんは自民党の、各党に属するあるいは他党に属する議員であると同時に、少なくとも懲罰問題については、裁判官以上の公正な自主性を、公正な精神によって、私はものを審議して手ぎわよく処理していただくことを、これは私のためではない、いまの国民の当面しております情勢から見まして、その賢明な御審議と御判断を切にお願いし、期待をいたしまして、私の弁明を終わります。そうして本会議において後段で申し上げましたことについては、これはむしろ政権をとっておられる責任のある自民党の方々に、ぜひ、これはきょう申し上げませんから、耳を傾けて検討していただきたい。本会議における弁明とあわせて、私の一括した弁明とさしていただきたいと思います。
たいへん御清聴ありがとうございました。(拍手)