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1968-05-24 第58回国会 衆議院 外務委員会 第25号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十三年五月二十四日(金曜日)     午前十時十五分開議  出席委員    委員長 秋田 大助君    理事 青木 正久君 理事 田中 榮一君    理事 野田 武夫君 理事 福家 俊一君    理事 石野 久男君 理事 穗積 七郎君    理事 曽祢  益君       松田竹千代君    毛利 松平君       山口 敏夫君    山田 久就君       田原 春次君    帆足  計君       三宅 正一君    伊藤惣助丸君  出席国務大臣         外 務 大 臣 三木 武夫君         国 務 大 臣         (総理府総務長         官)      田中 龍夫君  出席政府委員         内閣総理大臣官         房審議室長   橋口  收君         外務省アジア局         長       小川平四郎君         外務省中南米・         移住局長    安藤 龍一君         外務省情報文化         局長      藤山 楢一君         文部政務次官  久保田円次君         文部省文化局長 安達 健二君  委員外出席者         外務大臣官房審         議官      山下 重明君         大蔵省主計局主         計官      岩瀬 義郎君         大蔵省主計局主         計官補佐    大竹 宏繁君         農林省農政局参         事官      中澤 三郎君         参  考  人         (海外経済協力         基金理事)   太田 三郎君         参  考  人         (海外移住事業         団理事長)   廣岡 謙二君         参  考  人         (海外移住事業         団理事)    太田 亮一君         専  門  員 吉田 賢吉君     ————————————— 五月二十三日  委員山崎始男辞任につき、その補欠として戸  叶里子君が議長指名委員に選任された。 同月二十四日  委員戸叶里子辞任につき、その補欠として三  宅正一君が議長指名委員に選任された。 同日  委員三宅正一君及び伊藤惣助丸君辞任につき、  その補欠として戸叶里子君及び渡部一郎君が議  長の指名委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  国際情勢に関する件(海外移住問題等)      ————◇—————
  2. 秋田大助

    秋田委員長 これより会議を開きます。  国際情勢に関する件について調査を進めます。  質疑の通告がありますので、順次これを許します。三宅正一君。
  3. 三宅正一

    三宅委員 外務大臣文部大臣が来られましたならば、主として中南米移住問題につきまして、大局的な御質問をいたしたいと思うのでありますが、その前に、非常に忙しいときに、外務委員会が、私どものために、委員外でありまするのに、特に時間をとっていただきましたことにつきまして、心から御礼申し上げる次第でございます。  大臣の来られます前に、私は、農林省外務省関係移住事業団関係につきまして、南米だけではなく、中南米全体の農業移民の問題につきまして、まず御質問いたしたいと存じます。  戦後、日本移民が再開されまして、入りまする移住者のためにあらかじめ土地を用意されたのでございまして、それは私は感謝する次第でありますけれども、日本の終戦後の開拓地の問題を見ましても、開拓が成功いたしておりますのは、幸いにして土地条件のいいところに入りました者が大体において成功しておるのであります。しかし、土地条件の悪いところに入った者は、詳しい統計は私は存じませんけれども、私の見るところをもってすれば、三分の二もしくは五分の四ぐらいのところが失敗をいたしまして、引き揚げてみたり、よそへかわったりという状態になっているわけであります。日本内地は、土地の狭いところで条件の悪い土地に入っておるわけでありますけれども、ブラジルのような広いところにおきましても、立地条件の悪いところに入りますれば失敗をすることは当然の話でありまして、私がいま質問していることは、移住事業団ができる前に土地を買って入った移住者移住地において成功している例と失敗している例とをパーセンテージでいえばどのくらいの比率になるか、その土地を買ったのがその移住者を喜ばせて落ちつかせたかどうかという点で、それについて大局的な数字的な御報告をしていただきたいと思います。責任者としては外務省、そして実際のそういうことについて関与しているものとしては農林省からも意見を聞きたいと思います。ついでに、移住事業団としても、非常に悪いところへ入ってあと始末を引き受けたことについて、私は責めるのではありません。ともかく土地選定を誤りますれば非常に大きな苦労をかけるわけでありまして、その点についてまず御答弁をいただきます。
  4. 安藤龍一

    安藤政府委員 お答えいたします。  これは国によりまして、また地方によりまして、比率が異なっておるのでございますが、北伯におきましては、入植したあと大体半分ぐらいが定着しておりますし、中伯におきましては、大体七割ぐらいが定着しております。それから、その初めての入植地から離れて別なところに行った人が、現在さらにまだ不満であるかという点になりますと、大体におきまして転向した先においては満足しておるような状態でございます。戦前の例からいたしましても、入植いたしましたその土地大成をしたという人は比較的少なく、やはり自分の適したところを求めて変わってきております。そういった方が大成したということが言えるのでございまして、中には数回変わったというような方もあるわけでございます。したがいまして、転住するということ自身がそれほど非常に移住者に対してマイナスになるというふうには一がいに考えられない、そういうふうに考えております。
  5. 三宅正一

    三宅委員 ただいま御答弁をいただいたのですが、たとえばアマゾン地区などにおきましても、むしろ脱耕組のほうが成功している例が非常にたくさんあります。それから戦前移住者でありますれば、戦後もそうですが、ブラジルの特性からいたしまして、家族全体で雇われて、そして方々変わりまして、一番いいところを一つ借りる、それもうまくいかぬところは変わるという状態で、日本などと違いまして、そういうことは非常にあります。ありますけれども、私が特に申し上げたいことは、土地選択を誤りまして、そのために非常なひどい目に出会いまして、しかも私が特に追及したいのはこの点なんですが、土地選択を誤ったことは、内地だってずいぶん誤って農民に迷惑をかけておりまして、善意でありますから、善意失敗についてかれこれ言うのじゃありませんけれども、それで迷惑した者のあと始末やいろいろについては、本気にひとつ親身になって考えてやらなければ、土地を国の金で買ったからといって、会計検査院の検査がおそろしいからそれを隠蔽して、そして迷惑はその困っておる者にだけ押しつけるやり方というものは、私はほんとうに悪いと思うのです。これは日本内地におきましても、公害問題などで会社がほんとうにその責任をかぶればたいへんなことになるというので、いろいろな学者などを動員いたしまして、公害問題をあやふやにしてしまって、裁判も何も金がないからできぬで泣き寝入りさせるというようなやり方を国の姿勢においてもさせるということは、ほんとうにまずいことだと私は思うのであります。そういう点について質問をいたすのでありますが、それではひとつ具体的なことについてお伺いいたします。  現在、御承知のとおり、二件だと存じますけれども、非常な悪い土地に紹介されたということでもって、国を相手にして損害賠償請求を起こしている訴訟事件があることは、もちろん当事者でありますから、御承知のとおりであります。私は現地へ行って見てきたわけでありませんから、具体的なことについて申し上げませんけれども、わかっておればひとつ御説明を承りますけれども、これは読売新聞が四十二年の十月十二日に書いておりますところによりますと、プナウという移住地へ入りました長崎県の宮崎忠太郎君などが二千五百万円の国に対する損害賠償請求をしている。もう一つは、クビチェックという移住地を開墾した人が請求している。読売新聞記事ですから、私はそのまま全部正しいと申し上げぬ。手落ちがあるかもしれませんけれども、それによりますと、十三世帯プナウ地区入植いたしました。現在残っているのは二家族だというのであります。それで、さっきも話があった北伯において半分とか、中伯において七割とか、買った土地に入れたのがとどまっておると言っておられますけれども、ここでは十三世帯入れましたうち、二家族しか残っておらない。そうして、ここに入れました事情責任者新聞社質問に答えておるところによれば、海外移住事業団は、募集前からプナウ移住地が人力ではとても改良できない農業不適地であることを知りながら、この事実を移住者に知らせずして、だまして入植させたとしか考えられない。これは新聞記事でありますが、告訴人が言うておることであります。第一、客観的事実として、十三家族入れましたうち、二家族しか残っておらないという事実から、そこはそんなにいいところでないことは明らかであります。そうして初めは、移住地州政府経営地だ、自営農民を入れるのだということで入れて、土地は、低地帯沖積土壌で、高地が砂質土壌、そうして泥炭の湿地が大部分である。そういうところであって、しかも州政府が経営しておるというのですが、現実には、ある財団が慈善事業として経営しておった私有の貧困者救済農園を十分に調べずに買い込んで、そうしてこういう事態が起きておるのであります。私は、さっきから申し上げましたように、人間の知恵というものはきまっておりまして、それは限度がありますから、善意——内地だって非常な立地条件の悪いところに入れて、そうして戦後引き揚げてきた苦しい人や転業した人を完全に失敗させて、また戻したという例がありますから、その善意を疑うのじゃないけれども、少なくとも、調査に粗漏があったり、それから事後において、買ってしまったからといってその悪い条件のところへ無理に入れる、こういうような姿勢が私はほんとうに許すべからざることであると思うのでありまして、具体的にプナウクビチェックの実情について、簡単でよろしいから、その真相を話していただいて、どうやって片づけるつもりかということについてお伺いをいたしたいと存じます。
  6. 安藤龍一

    安藤政府委員 一般論で申しますと、先ほど三宅先生が一番初めに御指摘ございました、悪い土地に入った者をどうしておるかという点につきましては、悪い土地に入って本人が希望しない場合には、別の土地に行けるよう、いままでもあっせんしてまいったわけでございますが、昨年度から特にそういった満足じていない土地入植した人に対して援護措置を講ずる、転住することをあっせんする、そういうような措置を強化してまいりましたし、本年度も特にその点に力を入れたい、そういうふうに考えておる次第でございます。  プナウ裁判の件につきましては、これは海協連海外協会連合会時代のことでございますが、この点につきましては、移住事業団のほうからお答えするのが最も適当と存じますので、事業団理事長にお願いいたしたいと思います。
  7. 廣岡謙二

    廣岡参考人 私からプナウ訴訟になっておりまする事件につきまして申し上げておきます。  この問題は、当国会におきましても二、三回御質問がございまして、そのときも御説明をいたしたのでありますが、その事件の概要を申し上げますと、宮崎忠太郎君は長崎県の出身です。もう一人の黒崎亨君は栃木県の出身でございまして、この両人は、昭和三十四年の末及び昭和三十五年の初めに、ブラジル国のリオ・グランデ・ド・ノルテ州のプナウ移住地入植をいたしたのでございますが、昭和四十年八月に、国援法の適用を受けまして帰国をいたしたのであります。  両人は、四十二年、昨年の十一月二十四日に東京地方裁判所に……。
  8. 三宅正一

    三宅委員 委員長大臣が来ておられますから、もしあれでしたら中断してもらって……。少し詳しく聞きたいですから……。
  9. 秋田大助

    秋田委員長 大臣お急ぎですから……。
  10. 三宅正一

    三宅委員 大臣、忙しいところありがとうございます。  最初に承りますが、大臣は、中南米外務大臣になってから一ぺんか行かれましたか。
  11. 三木武夫

    三木国務大臣 外務大臣になっては行ったことはございません。メキシコは昨年参りましたけれども、南米のほうは一九五九年に行ったことがございますが、その後は行っておりません。
  12. 三宅正一

    三宅委員 大臣に聞いてもわからぬだろうが、椎名君は行きましたか。だいぶ長い間外務大臣をやりましたが……。
  13. 三木武夫

    三木国務大臣 おととし、外務大臣の在任中に南米を広く回られたことがあると記憶しております。
  14. 三宅正一

    三宅委員 中南米日本との関係というものは、非常に大きな関係があって、しかも大陸から日本人が大部分引き揚げました今日、日本人海外に出てその国のために非常に働いているという地域は、北米と南米しかありません。そうして南米は、特に日本人が非常な大きな貢献南米開発にいたしておるのでありまして、その意味におきましては、国の姿勢といたしましてひとつほんとうに大きく考えなければいかない。発展途上国援助と申しましても、東南アジアに重点を置くということで相当な金を出しておられまして、これも私は異議ありません。ありませんけれども、少なくとも中南米には同じウエートを持った力を入れなくちゃいかぬということを確信いたしております。日本人が百万近く行っておるということ自体が非常な大きなことでありまして、その意味におきまして、私は、さっき大臣何回行かれたかということを聞いたのでありますが、国の姿勢といたしまして、東南アジアは、池田君のときも佐藤君のときも盛んに回られておりますけれども、私は、日本総理大臣などがひとつ中南米などにはもっと本気姿勢を示すことが必要だと思うわけであります。  その観点からいたしまして、第一にお伺いをいたしますることは、日本移民中南米にどの程度の寄与をしておるかということについて、どう評価しておられるかということをまず大臣から聞きたいと思います。
  15. 三木武夫

    三木国務大臣 先ほど申しましたように、一九五九年に私広く南米を回ったのでございます。そうして各国の大統領あるいは総理等とも会談をする機会があったのですが、いずれの国も、日本人移民地域社会のために尽くしておるということに対して高い評価を与えておりました。ことにブラジルなんかでは、単に農業移住者というばかりでなしに、政界にも進出をしてやっておる人もあるし、またブラジルでもあるいはアルゼンチンでも、野菜とか花卉とか、そういうものはやはり日本人開拓した新しい産業であるということで、単に従来やっておるようなことというのでなしに、その国の産業の新しい分野を開拓したということに対しての寄与地域社会への貢献、そういう意味寄与ということで、非常に高い評価を受けておりました。したがって、日本中南米における移民というものが、われわれ自身からいっても、ああいう海外に出て大いにその社会に尽くしておるということが、日本人というものの一つの国際的な地位にもいい結果をもたらすわけです。またその国にも感謝されておるということで、非常に高い評価を私は持っておるものでございます。
  16. 三宅正一

    三宅委員 さすがにずっと回ってこられた国際人としての三木外務大臣、私、全く同感であります。私も中南米へ行きまして、ほんとう日本人がよくやっておると感じましたことは、たとえばサンパウロやリオデジャネイロ、あの辺の大きな都市が発展いたしまして、そこの野菜供給だとか、花の供給だとか、くだもの供給というものは、全く日本人移住者の力によってやっておるのでありまして、あれは現住民だけでありましたならば、もしくはヨーロッパ糸だけでありましたら、あれだけの急激な都市の膨張に備える野菜くだもの、その他の供給はできなかったと思う。新しい首都を開きましたあそこの地帯は非常に悪い地帯で、ほとんど食物ができないというところへ日本移住者が入りましてやっておるということだって、非常に大きな寄与をしておると思うのです。  それから、アマゾン地区に行ってみますれば、ゴムがだめになりましたあと、コショウの栽培でもってアマゾンを復活させたという大きな功績はやはり日本人であります。  それだけでなしに、ボリビアに入っていきますと、日本の三倍の面積で三百万しか人口がおらぬけれども、高いところに住みたいという習性のある民族であって、農業がおくれておりますから、食糧自給ができない。わずかの日本人が入って、ボリビア砂糖と米の自給態勢をつくったというようなことも非常な大きなことであります。  それから、革命のキューバに入ってみますと、三崎の漁師が行きましてマグロをとることを教えまして、いまでも行っていると思いますけれども、ともかくそれによりまして、革命騒ぎで豚や牛を殺してしまって、肉がないときのたん白給源をやっているという事実を見ましても、私は非常に大きく評価しなければならないと思うのであります。大臣の言われるとおり、二世が政界に進出したり、医者になったり、弁護士になったりということで、非常な役割りを二世、三世がしておることも事実でありまして、私は、この評価については、日本としてはひとつ非常に大きく評価しなければいかぬと思うのです。  しかるに、大臣に聞きたいことは、日本戦前移住政策というものは明らかに棄民政策だったと思うのであります。たとえばブラジル開発が六十年だといい、ペルー開発が七十年だというが、高橋是清氏が奴隷に売られたという話のとおり、あれは砂糖奴隷で入っていきましたが、大部分死んじゃって、食うに困った。あの山を越えてアマゾンに入って、第一次世界大戦のときにゴムの暴騰によって大成金になって、戦後ゴムが暴落いたしますと、食えないので、金を持って山越しにボリビアに入って、四百人一くらいの日本人があそこで向こうの人と結婚して落ちついてしまった。  私はあのボリビアに入ってびっくりしたのは、ボリビアの札に吉田というサインがしてある。ボリビア国立銀行の札は、御承知のとおり発券局長サインをすることになっていますから、サインをしておる。吉田茂氏じゃなかろうと思ったら、ペルーからアマゾンに入って、アマゾンからあそこへ入って帰化した人の二世か三世だろうと思うのでありますが、それが国立銀行発券局長になってサインをしておるという状態でありますが、残念なことには、もう日本語をみんな忘れてしまっておる。向こう民族に埋没してしまって、あの間に戦争をはさんでおりますから、無理もありませんけれども、埋没してしまっております。あれらの諸君日本語ほんとうに覚えておって、日本との交流がずっと続いておったといたしますならば、私は、あそこまで伸びてまいりましたボリビアにおきまして、日本との交流とか日本との貿易の開発とかいうことにどのくらい役に立っておるかわからぬと思うのであります。  そういう意味におきまして、戦前日本政策というものは、ただ移民船のくさい三等で送り込んでいって、そして苦労をさせただけでございまして、日本政府が彼らに対してやっておることというものはほとんどありません。御承知のとおり、大陸日本が進出するようになったら、一旗組というやつが大陸へだっと行きまして、軍の権威のもとに悪いことをして、中国人などから搾取をした組が——全部そうとは言いませんよ。りっぱな人もたくさんおりますけれども、そういう組まで便乗して外地における補償を請求しておりますときに、戦争でもって牢屋に入れられたりいろいろいたしまして、その土地を奪われたりひどい目にあって、しかもなお向こうのためにあれだけ働いておる者に対しまして、日本の国民及び政府というものは、その戦前中南米移住者に対しまして、アメリカでも同じでありますけれども、ひとつもう少し遇する道を考えなければいかぬと思います。  質問する時間が短いからして、私の意見ばかり述べて失礼でありますけれども、たとえば三木さんは行ったから知っておるでしょうけれども、明治はブラジルに残っておると大宅君が言っておるとおりであります。それこそ、いまでも十一月三日を天長節だと思っておる者がおりまして、日本のほうを向いて遥拝しておる。そして日本が恋しくて恋しくてかなわないから、何百里という道をサンパウロに出てきまして、向こう日本人のやっておるまずいそばを食って日本の味をかみしめて、また何百里の道を帰っていくという諸君がたくさんあります。母国のことがなつかしくてなつかしくてかなわない。しかも隔離した社会におられたから、勝ち組負け組ができて、殺し合いをするという悲劇の中に年をとりました諸君が、移住をしてから四十年、五十年という状態になっておって、一ぺんも郷里に墓参りに来ておられないという状態であります。私は、今日、三井大阪商船の船などが行っておりますけれども、帰りはほとんどがらあきであります。もし政治にほんとうに親切がありますならば、どうせ補助航路で出しておりますし、それは後進国開発援助費の一部と見てもよろしいのでありますから、向こうの国籍を持っておるのでありますから、それらの諸君に対して、ひとつ順繰り希望者を船でもって往復の船賃だけはただにして帰して、そうしてまた向こうに戻すというくらいのことはやらなければいけない。それは決して国としてもむだにはならない。どうしてむだにならないかといいますと、来ますれば、縁故でもって連れていくのです。私は大臣が来られます前に外務省移住事業団に聞いておりましたのは、土地選定を誤って、国が金を使っておるからといって、選定を誤ったことがわかっておるのに、そこに無理やり移住者を入れまして——無理やりとは言いませんけれども、それで日本開拓地失敗したと同じ事例で失敗して、現に訴訟が起きておる。そういうことまでやっておる状態のときに、私は、一番いい移民政策移住政策はどういうことかといえば、現地苦労をして事情を知った諸君が国に帰りましたときに、縁故で連れていく。そして土地などをわれわれのほうで買っておかずに、あの諸君縁故で行って向こうで働いて、ことばを覚えて事情がわかったときに、国が資金の援助をして一番いいと思う土地を買う。彼らの責任においてやつて、国に文句をつけさせないで、しかも彼らで自主独立の精神でやれるという、そういう縁故移民というものが、ほんとうに一番大事だと思うのであります。それがふえるだけだって私は大きなプラスになると思いますから、その具体的な例として一つ申し上げることは、戦前にほとんど棄民政策としてやって、しかも日本のわれわれの誤り、あなたもわれわれも戦前の代議士だ、戦争を防ぐことができないで迷惑をかけた一人なんだからして、その罪滅ぼしの意味におきましても、何とかしてひとつ大阪商船の船などをただでもって往復させることの予算を後進国開発援助費で組んだっていいんだから、それを組みまして、順繰りに帰りたい人は帰す、それはまた縁故でもって移住者がどんどんふえていくという、この政策をひとつとるべきではないかと思います。ひとつ外務大臣としてでなしに、国務大臣として、閣議においてそういう姿勢をつくってもらうと、移住事業団の仕事だって何だって非常にやりよくなるのでありまして、国の姿勢というものが、はやりもののように東南アジアはかり行って——東南アジアよろしいよ。よろしいけれども、何千何万何百万の人を殺した賠償に、両方でわいろを取って汚職が起きるなんという姿勢でやりましたら、しまいに、アメリカが金を援助してボイコットを食ったと同じように、日本がまたアジアの孤児になる危険性があるのでありまして、東南アジア姿勢を正して後進国援助をすることも必要だけれども、中南米に対してそういう施策をひとつ本気にやろうじゃありませんか。私どもがわざわざこういうところに来て、いい年をして委員会をお願いしているのはそれなんだ。それをひとつやろうじゃありませんか。御意見伺います。
  17. 三木武夫

    三木国務大臣 三宅議員、非常に移民問題に御熱心で、ずいぶん広くお歩きになっておる実際の見聞を通じての御意見で、非常に傾聴いたしたわけでございます。  戦前日本移民政策というものは、日本が貧しかった関係もあるでしょうが、故国送金というか、少しでもためれば故国に送金をさせて、その金が現地でいろいろな事業を発展さす資金に使うような余地がなかった、政府がこれに対して何か融資するような金融機関がない、つくったのは為替銀行ばかりで、故国に金を送れ、送れということで、イタリアなんかずいぶん——今日のアメリカンバンクなんか、イタリア銀行が前身であった、いろいろ融資したわけですが、そういう点で、過去の日本移住政策というものは、三宅君の御指摘のように、もう少し日本として政府援助の手を差し伸べておいたならば、海外における移住者の経済的基盤というものは今日のようなものではなかったと思います。しかし、日本の国がなかなか資力もなかったので、海外に働いた人の送金というものを相当当てにしたような時代であったわけですから、残念でありますが、今後はやはり政府のほうとしても、単に移住者を遠隔の地に連れていくというのでなくして、そこでみながその地域、その社会にも喜ばれるような大型移住地なんかも検討されておるようです。やはりその社会で、日本人社会というものがその国で見て尊敬を受けるような社会であることが必要で、近代的な社会におけるコミュニティーというものには一つのタイプがありますね。公会堂もあろうし、教会もあろうし、いろいろな点で、ただ個人個人で行くということになれば、そういうものが欠けるところがあって、大型移住地の造成などということも今後考えていくべきでありましょう。いずれにしても、ただ昔のように日本の生活が苦しくて海外移住するというのでなしに、日本もやはり雇用の機会を持っているわけですから、それが海外に雄飛しようというならば、いまの移住というものは、ただ食えなくなって行くというようなのとは違うのですから、そういう点で、政府もできるだけそういう人たちが海外において基礎を築いていくような政府自身援助というものが、これから必要になってくると思います。それを考えないと、ただ従来のような惰性の上ではいかぬことは御指摘のとおりです。船をただでみな帰れるようにせよというのは、これはかなり具体的な御提案でありますので、いますぐここでそれはけっこうだというふうにも申せないので、これはしかし十分検討はいたしてはみますが、ここで即答はいたしかねるのですけれども、非常に傾聴すべき御意見であると承った次第であります。   〔委員長退席、田中(榮)委員長代理着席〕
  18. 三宅正一

    三宅委員 私は、いま言われた大型の移住だとか、いろいろなことについては、戦後の移住政策の反省のところで申し上げたいと思うのですが、いま申しました船の問題などは、第一、日本の船をあけて帰したりいろいろする必要はありませんから、私は、ひとつ具体的な問題としてほんとうに検討をしてもらいたいと思うのです。  それから同じに、二世、三世、四世——もう四世もおるのですが、二世、三世、四世に日本語をひとつほんとうに覚えさせることと、そうして母国への留学などをもっとさせることについても、もう少し突っ込んだ政策をとらなければいかぬと思うのです。現実に日本語を知らない二世、三世がたくさんおります。語学の関係では、日本へ留学するよりは、ニューヨークヘ行くとかヨーロッパの大学へ行くという連中が非常に多いのであります。これは実に惜しいことでありまして、現に日本がウジミナスへ出ていきましたけれども、石川島播磨が造船所をつくりましても人が要るのです。向こうのことばがわかる二世が一番いいけれども、日本語を知らないじゃしようがない。話せるだけではしようがなくて、やはり書けてりっぱに読めるだけの日本語の素養というものを持たしておかぬとほんとうに役に立たないのであります。そういう意味におきまして、ドイツなどはえらいもので、また中国だって母国を決して忘れません。世界じゅうを歩きまして御承知のとおり。  私は、きょう文部省にもおいで願っているのはそれなんでありますが、ひとつよく御相談になりまして——この間も経済協力基金のときに申したのでありますが、向こうへ行っておる在外公館の諸君にしても、商社の諸君にしても、子供の教育というのはほんとうに頭にきているのです。だからして、二世、三世の教育についても本気にひとつ国が力を入れる。国籍は向こうだから、私は後進国開発援助、教育援助の一部に入ると思うのです。そういう費目をうんとふやさなければ、ただ開発銀行の延べ払いの金を貸してやって、これが援助。エコノミックアニマルのようなことばかりやっておったってほんとうにだめでありまして、そういう意味で、こっちから行っておる日本人の子供の日本語の教育、それから現地におる日系人の日本語の教育、二世、三世、四世等の日本との交流、そして日本への留学の便宜、こういう点につきまして、われわれは本気にひとつ考えてやる必要があると思うのです。  実は、大臣あまりおられぬというので、田原君が時間をほしいと言っておりますから、私急いで申し上げますが、御承知かもしれませんが、近ごろ、山口県だとか熊本県だとか、相当の府県におきまして、向こうの二世を自分の県で金を出して何人かずつ呼んで、自分の県の大学へ入れております。これは自分の県との連絡が非常によくなることでありまして、これは日本じゅうにやらしたらいいと思うのです。それなどについても予算で少し援助して、県も負担するし、国も負担するし、ともかくできるだけ向こうの日系の二世、三世を日本へ呼んで、日本語の勉強をして、日本の大学を出ていくというケースをひとつふやすべきだと私は思うのです。それから現地におきましては、少なくとも数十人の日本人のおるところでは日本語の小学校、幼稚園ぐらいはつくってやらなければいけない。それから区画をまとめて高等学校などもつくってやって、遠くて来れぬ者はひとつ寄宿舎に入れまして、日本内地の高等学校と同じ資格のあるりっぱな高等学校、それは外国人を入れてやってもよろしいが、寄宿舎に入れてやる。また移住早々で、とても教育費の負担ができぬという者については教育費を見てやる。それくらいのところをずっとやって、要地要地にはひとつ向こうの学生がうんと入る日本のりっぱな大学もつくってやるというような、そういう教育援助と申しますか、そういう点は、日本人が相当行っておって、そして偏見がなくて歓迎してくれておるところにほんとうにやらなければならぬ一つの仕事じゃないかと思うのでありまして、その点をひとつ外務大臣及び文部省から承りたいと思います。
  19. 三木武夫

    三木国務大臣 全く私同感であります。それは何かといえば、日系の人だってやはり日本語も話すというところに日系の日系人たるの特徴があるので、ことに日本がこのように発展してきておりますと、日本語を話すことがまた実利も伴うのではないか。そういう意味で、日本語を、これは強制的にはいけませんけれども、希望する人にはあらゆる便宜を与えて、日本の教育を受ける機会を与えることが、非常に国のためにも本人のためにも好ましいと思いますので、   〔田中(榮)委員長代理退席、委員長着席〕 いま三宅さんの御提案になったことは、これは政府としても、あらゆる角度から御趣旨のようなことが実現できるような検討を加えることをお約束いたします。
  20. 三宅正一

    三宅委員 もう一つ、どうしても大臣の耳に入れておきたいことがありますので、もう一つだけ私質問して、田原君とかわります。  これは戦後の関係になりますけれども、花嫁の問題です。移住者はだんだん減りましたけれども、花嫁に行こうという人はかえってふえているのであります。私は非常にいい傾向だと思うのでありますが、問題は、写真でもって連れていくなんというやり方をすることは、ほんとうにやるべきでない。だから、向こうの習慣からいって、それは人身売買じゃないかといって一時とめられた事例があったことは御承知のとおりであります。私は、やはり青年の諸君向こうへ行きまして、四年なり五年なりおりまして、ひとつここに骨を埋めよう、向こうの善良な市民となって、向こうのためにもなって、ひとつ骨を埋めようという決心がつきまして、細君がほしいということになりましたときには、写真結婚などはやらせずに、さっきの話でありますが、これもひとつ船を無料にいたしまして、船で一ぺん国へ帰らせる。そうすると、嫁さんをさがすとともに、村の青年団で向こうの話をするということで、また行くという空気が出てまいりますから、大きな意味においては移住促進費と見てよろしいのであります。そうでないと、写真結婚で行くと——私どもも船で三年前に向こうへ行きましたときには、だいぶ花嫁も乗っておりましたけれども、こういう例が間々ある。というのは、写真で親しみがない。船の中で、独身で行く人と仲よくなっちゃって、おりちゃったり、あるいはほんとう事情はわからぬ、夢のようなつもりで行って、そして別れて、サンパウロのサントスの港には日本人の料理屋のおかみが来ておって、もしうまくいかなかったら使うから来いといって名刺をやっておくという状態、井戸の中へ飛び込んで死ぬ者が出るという状態でありまして、私はこういう状態に置いてはいかぬと思うのであります。もうここまできましたら、私は、ひとつほんとう向こうで骨を埋めようというりっぱな青年、しかも食えぬで行くというのではなしに、平和国家を世界的につくるという気持ちでもって出かけていっておりまするりっぱな青年に対しまして、金のある者は自分で戻ってきて嫁を連れていくだろうけれども、農業移民関係などというものはなかなかそんなわけにはいきませんから、ひとつ船もただでもってやってやる。それから、もし働き盛りの者がそんな数カ月あけておくというわけにいかぬといったら、日航機をひとつ買い切って、そして飛行機でもってやってやるくらいのことをやらなければならぬ。軍備に使うことを考えますれば、平和のために使う費用なんというものは安いものであります。どうですか、そういうことを考えたらば、こんなのは問題じゃありゃしない。そういう意味におきまして、ひとつ雄大なスケールの上に立ってやってください。  それだけのことを私は希望して、ちょっと田原君とかわりますから、ひとつ簡単に答弁しておいてください。
  21. 三木武夫

    三木国務大臣 結婚の問題で、写真結婚というのはずいぶん前のときで、いま写真結婚というのは、いまの時代にちょっと時代おくれの感じがいたしますので、何か花嫁のような場合に、三宅さんの言われるような何かくふうが要ると思います。これもひとつ検討させていただくことにいたします。
  22. 秋田大助

    秋田委員長 田原春次君。
  23. 田原春次

    ○田原委員 最近の各国は、日本移民を歓迎する傾向にあることは大臣も御承知のとおり。従来のブラジル、アルゼンチン、パラグアイ等のほかに、新たにカナダは、移民法を改正して、すでに三年前から移民官がこちらに出張してやっております。それからオーストラリアも、移民法を改正して、日本の技術者を入れようとしておるし、また南米のベネズエラ共和国も、憲法を改正して、アジア人を入れないというのを入れるようにして、気がまえを見せておる。そのほか、ボリビアあるいはドミニカ、こういうところに呼び寄せが可能であるし、またウルグアイやコロンビアにも相当日本人が行っており、呼び寄せができることになっておる。あるいはメキシコも、特殊技能者は入れるようになって、現にすし屋等も行っておる。ペルーも、従来の家族呼び寄せの数をふやしていこうという形勢にある。しかるに、外務大臣は、海外同胞に理解があると思うにかかわらず、一省一局削減の場合に、中南米移住局を廃止したのはどういうわけか。一番新しいからというのでやったのじゃないかと思うのですが、たとえば国連局のごときも国連室でいいのであります。あるいは北米局と国連局と一緒でもいいと思う。最近国連でどういう勇ましい有意義の仕事をやったか、何もやっていません。アメリカの命令どおりにやっておる。したがって、テープレコーダーでイエス・サー、ユー・ベット・ユー、シュア・シング、三つぐらい入れておけば間に合うような、そんなのを北米局、国連局にしております。いま三宅君がるる述べたように、海外在留同胞百万をこえる中南米あるいはアングロサクソン系——北米も移民法を二年前改正して、七月からは二万人入れようとしておる。そういう移住行政はこまかな配慮が必要であるにかかわらず、何がゆえに移住局を廃止したか、格下げしたか。これはもう一ぺん考慮する必要があると思うのだが、大臣のお考えはどうか、まずこれをお伺いしたい。
  24. 三木武夫

    三木国務大臣 一局削減という問題の場合に、外務省でもずいぶんとこの問題は検討を加えたわけでございます。田原さんが御指摘のように、この移住問題というものを軽視するわけではないわけですが、たとえばアメリカ局というものは、地域的全体を考える、実際の事務は領事移住部に移し、地域のことは米州大陸という考え方で地域の問題を考えようということで、まあいろいろわれわれとしても田原さんの御指摘のような配慮もあったのですけれども、とにかく一局を削減するという政府の方針に沿うために、いまのような機構の改革をやったわけでございます。しかし、必要なことは、機構の改革があっても、移住問題に対する熱意はそれによって失わしめるようなことがあってはなりませんので、一局削減になったらそのことで移住問題に対しての日本の熱意が下がっていく、そういうようなことのないように、一段と移住行政そのものには力を入れてまいりまして、機構改革のこういう点を補ってまいりたいと考えております。
  25. 田原春次

    ○田原委員 大臣の御答弁は、しばらく今後の動きを見ることにいたしまして、それはその程度にしておきますが、新しくできる格下げされた部が実質的に局程度の仕事をやれるように期待しております。  もう一つ大臣に聞きたいのは、移住基本法の問題であります。数代前の外務大臣と当時の外務委員会と話し合いまして、移住基本法をつくろうじゃないかということになり、政府当局もこれに賛成しておったのである。すでに一部着手しておった点もわかっております。しかるに、いつの間にかうやむやになってしまって、今日まで移住に対する基本政策が法律的にははっきりしておりません。したがって、明治四十年ごろにできた内務省の系統に属する移民取締規則に準じていまやっておる状態であります。そうでなくて、移民に対するビジョン、移住の基礎理念、それから、海外移住事業団等もできたのでありますから、その仕事をやりやすくするというためには、ぜひ移住基本法を本気でやってもらいたいと思う。しかるに、海外移住審議会というのが内閣にありますが、これも二年に一回ぐらい開きますが、午後の二時に開いて、四時にしまう、こういう状態でありまして、ほとんどその熱意が認められない。こういう点につきまして、もう一回想を新たにして、移住審議会に下問されるなり、あるいは各党の政務調査会、あるいは外交調査会等と相談するなり、民間団体の意見を聞くなりいたしまして、移住基本法をつくる、そうして新しい観点で移住者を出すというようにしてもらいたいと思うのでありますが、これに対する大臣の御見解はどうでありますか、お尋ねしたい。
  26. 三木武夫

    三木国務大臣 この移住問題というのは、田原さんも御承知のごとく一つの過渡期だと思います。従来の移住の考え方と変化がございます。それは、受け入れる国の側においても、送り出す日本側においても、社会の構造的な変化もございますし、一つの過渡期ですから、いまこういう過渡期の中に基本法というような恒久的な立法をいたすことはいかがかと思いますので、もう少し落ちついた時期にこの問題は取り上げることにいたしたいと思っております。  移住審議会は、これは御指摘のようにひんぱんに開くことによって、単に役所のものだけでなくして、民間の意見を聞くことが移住政策を円滑に運営するために必要でありますので、今後もひんぱんにこれは開いて、移住政策に対する衆知を集めることにいたしたいと考えております。
  27. 秋田大助

    秋田委員長 曽祢益君。
  28. 曾禰益

    ○曽祢委員 せっかく重要な海外移住問題の途中でたいへん恐縮でありますけれども、三宅、田原両委員の特別な御協力と御了解を得まして、ちょっと外務大臣に、きわめて簡単に一つ別の問題で質問させていただきます。  それは、本日の朝の一有力新聞紙の伝うるところによると——藏内外務政務次官は来ておられませんか。呼んでいただきたいのですが、とにかく時間がございませんから始めさせていただきます。藏内政務次官が六月十二日モロッコのラバトにおける中近東大使会議、これは日本の在外大使の会議のようでありますが、これに出席をする機会に、アフリカ並びにヨーロッパにおきましていま暗礁に乗り上げている日本と中国、すなわちこの場合は北京政府ですが、日中問題の打開の道を探る目的で、中国の在外大使館との非公式接触をはかろう、こういう意図を持っておる。すでにラバト駐在の駐モロッコ中国大使館にはこの意図が伝達済みである。しこうして向こうからは、本国政府の了解をとった上で接触に応ずるという旨の返事すら来ている。したがって、ラバトにおける中国大使との接触は原則的に取り計らい済みである。その他のアフリカ及びヨーロッパの諸国ではどこでどういうふうになるかはまだ検討中である。私は、これは非常にいい意味で前進だと思って質問しているのです。これが一つ。  もう一つ、この正常化への糸口という意味で、今後のこの種中国側との接触において、政務次官は、一つは、輸銀による長期、つまり五年程度の延べ払いを再開していく、中国貿易について二は、日本に対する中国人の入国を簡素化する、第三は、中国からの輸入に対する関税の引き下げを考慮する、これらのことを中心に考えておられる。これも私はきわめて妥当だと思います。  しこうして同じ記事によりますと、さらにもう一つのポイントは、日本におきまする中国側の貿易関係の代表者、すなわち日中覚書貿易東京事務所と藏内政務次官とはすでに接触が行なわれておる。そして先方は、日本責任者吉田書簡の失効を明言することがこの種の中国との貿易を正常化しあるいは強化するために必要であるという意見と伝えられておるのです。吉田書簡の失効を明言する必要があるかどうか、それは必ずしもポイントでない、一つの情報として聞きおけばいいと思うのですが、私は、こういった外務省の伝えられる方向は前向きでけっこうだと思うのです。したがいまして、これらのことについて、政務次官に直接伺いたいのですけれども、委員長、いま来られませんか。——あとからでもいいですが、最高責任者外務大臣ですから、この新聞記事の大体のバックグラウンドは正確だと私は思うのですが、その点に触れて、外務省のこの前向きな姿についての大臣のお考えをひとつ伺いたいと思うのです。
  29. 三木武夫

    三木国務大臣 蔵内政務次官は中国問題に関心を持っておる政治家であることは、これはもう申すまでもないのであります。今回、中近東アフリカ大使会議でモロッコに行く機会に、いろいろ中共問題なども考えてみたいという希望を持っておるようでありますが、それは新聞——私もよく聞いておりませんが、まあいろいろレセプションなんかの機会もありますから、そういうときに非公式に接触するというようなことを考えておるものだと私も考えておったわけです。したがって、そういうふうな新聞記事にあるようなことそのまま私は報告を受けておるわけではないのでありますが、中国問題というものは、日本としても重大な課題であることは申すまでもないので、これに対しての接触というものについては、現に相当な接触を日本は北京で持っておるわけですね。いままで接触がなかったわけではない。いろいろな面で、貿易あるいは人事の交流を通じて接触がありますが、今後どういうふうに中国との接触をやっていくかということは、やはり一つの検討すべき課題だと思います。そこで、政務次官が海外に出張するような機会に、何かいろいろ正式に政府でどうということは、まだ国交の回復もございませんからできないですけれども、非公式にそういう接触の機会があったら話し合ってみたいという希望を持っておるということが、新聞記事にそういうことになったと思うのですが、まあほかの新聞には出ていない。一紙でございますから、本人からいろいろ話を聞かなければ、詳細に私から申し上げることは 私自身承知していない面があるわけです。ただ、本人が何かそういうふうな非公式な機会にもしも接触する機会があったらいろいろ話も聞いてみたいという希望を持っておったわけで、そういうふうな機会があれば、それは話をするということは、私はそれなりの意義を持っておることだ、こういうふうに考えておる次窮でございます。
  30. 曾禰益

    ○曽祢委員 記事によると、せっかく非常に前向きであるけれども、外務大臣は非常に慎重にお答えになっているので、何かせっかくの空気が変わったような感じがいたしますが、むろん、大使と大使との接触なんかというのは、赴任国においてレセプションなんかで会うでしょうけれども、これは随時接触はあるでしょうが、やはり大使と大使の間において、特に日中関係については可能なる限りにおいて接触をするということと、単に大使だけでなくて、やはり政治家であり、外務政務次官というようなレベルの人がこういう機会に接触をとるということは、非常に前向きでいいのではないかと私は思うのです。あまりわざとらしからざる形において接触するということは、私は奨励されてしかるべきだと思うのです。外務大臣はそういう意味で肯定されて、ただ、こまかいことについては御本人にまかしておるというふうに私は承知いたしたいので、この点をもう一ぺん伺います。  それともう一つは、やはり在京の日中覚書貿易事務所とも接触がある。これも私はいいことだと思うのです。そういう広い窓口を広げておく、そして常にあらゆる機会に接触をする。その目的は、いま少なくとも限定された現在の佐藤内閣においても可能なる三つ一ここにあげてありましたが、一つは、輸銀による長期延べ払いの再開、それから、日本に対する中国人の入国の簡素化、もう一つは、この前もわれわれがいわゆるケネディラウンドのときに問題にいたしました、中国から日本への輸入品のある種のものについての関税の引き下げを考慮する、これらのことを中心に政策も立案し進めるとともに、非公式の接触を政務次官を含めて外務省レベルでやる、これは私はいいことだと思うのです。そういう点で、もう一ぺん前向きな方向においてひとつ御答弁を期待したいと思うのです。
  31. 三木武夫

    三木国務大臣 外務政務次官という資格において、いろいろ外交上の案件に対して先方と話し合いをするということなら、これは意味が違ってくる。やはり政府のほうとしてその前にいろいろな政府としての方針をきめなければならぬ。そういうことで、そういうふうなかたい意味ではなくして、むしろ外務政務次官という肩書きからというものでなくて、まあ政治家として日中関係に関心を持って、できるだけ海外出張の機会にそういう接触の機会を持って日中関係の改善に努力したいと本人が考えておることだと思っておる。これで何か先方の出先の大使と会って外交折衝をするという意味の中共との接触ではない、こう考えております。
  32. 秋田大助

    秋田委員長 石野久男君。簡潔に願います。
  33. 石野久男

    ○石野委員 大臣がお急ぎのようですから、一問だけお尋ねいたします。  昨日の科学技術委員会で、有澤原子力委員長代理のアメリカの口上書の問題についての解釈で、私どもとして特に外務大臣に意向をただしておきたいことが一点あります。その点をひとつお聞きしたいと思うのです。  それはほかでもありませんが、口上書の中で、潜水艦が放出するところの第一次冷却水のことに関連して、バックグラウンド放射能に測定し得る程度の増加をもたらすような放出水その他の廃棄物は軍艦から排出されない、こういう条項に対して、有澤委員長代理は、口上書違反と解釈することはむずかしいというような意見の開陳があったようでございます。この問題については見方がいろいろあります。たとえば潜水艦から放出した冷却水は、その時点でつかむ場合には異常値は非常に高いと思うのです。しかし、それを一時間後あるいは二時間後、数時間後につかめば、これはほとんど数値は測定できない、こう思うのです。こういう問題があるので、有澤委員長代理の言うような解釈でいきますと、この口上書の解釈というものは、わが国にとっては非常に不利になってくる。先般の本委員会で、大臣は、口上書について、問題があればそれの変更を求めることもやぶさかでないというような意向を言われたわけでございますが、外務省としては、この有澤委員長代理の発言、このような考え方でアメリカとの折衝をするのであるかどうか。日本の国民の立場から見て、放射能放出についての問題はきわめて重大でございますので、有澤委員長代理のこういうような考え方でいくならば、おそらくアメリカとの接触はほとんどできないだろうと思うし、わが国の自主的な立場の解釈はでてこないと思うのですが、大臣はこの点についてどのようにお考えになっておるか、その点だけひとつ御所見を承りたい。
  34. 三木武夫

    三木国務大臣 口上書を石野君もごらんになれば、口上妻自体の文字解釈はいろいろあろうと思います。有澤氏も口上書というものを文字的に解釈をされて、そういう発言になったものだと思います。しかし、私のいま持っておる関心は冷却水に対しての関心なんです。これに対して口上書がどうこうということも頭の中に置かなければなりませんが、冷却水によって放射能の人体に対するいろいろな被害を与えるようなことがあってはいけない、こういうことで、口上書からいくのでなく、冷却水という問題について、冷却水の放出というものについて検討を加えたい、こういうのが私の現在の心境でございます。
  35. 三宅正一

    三宅委員 どうも廣岡さん失礼いたしました。  それでは廣岡さんの御答弁を承って、その問題から進めたいと思うのです。
  36. 廣岡謙二

    廣岡参考人 先ほど申しましたように、宮崎、黒崎両君が四十年の八月に国援法の適用を受けまして、昨年の十一月に移住事業団を相手取って二千五百万円の損害賠償要求の訴訟東京地方裁判所に提起をいたしました。その主張いたしまする点は二つございまして、その一つは、自分たちは当時の募集要領に従って移住したものである、ところが、行ってみると、募集要領には州の経営する移住地であると書いてあるのにかかわらず、慈善団体であるピオ十二世という宗教法人に移管されておったということが事実に反するという点が一つ。もう一つは、書いてある現地土地事情が、行ってみると、全然不毛の土地であり、そのために自分の営農が十分に実を結ばなくて、そのために家族を連れて帰国するのやむなきに至ったのだというような二点が、この争点のポイントでございまして、私どもは、その両君の主張は事実であるとは考えられない節が多々あると思うのでございます。  もちろん、その移住地が最良の土地であったかどうかという点については、若干疑念がないでもありませんけれども、第一の争点になってまいりますピオ十二世宗教法人の手にあるということは、その両名が渡米いたしました翌年三十六年に、州の事情によりまして、その法令に基づいてその宗教法人に移管されたのでございまして、しかも、調べたところによりますれば、決してそれは難民救済的な慈善団体ではございません。  それから、第二の争点になっております土地は、先ほど御指摘になりましたように、当初は十三家族入植いたしておりましたけれども、自分の都合で近辺の移住地に変更いたしたのがございます。二家族が残っておりまして、そしてまた入植して入った人が一家族、三家族が現在営農に従事いたしておりまして、両君の退耕いたしました土地もりっぱに耕し、そしてその移住地に入っておりますブラジル人と一緒にかなりの成果をあげておるのでございます。  そういうことでありまして、両君がおそらく移住地に入りましてから、その環境の変化に対して適応力が欠けておったこと、また、両君の営農意欲が、私どもの見るところでは、いろいろな事実によって証明されるのでございますが、必ずしも十分でなかったという点もかなりあるやに思うのでございます。しかし、現在東京地方裁判所に提訴されておりますので、私どもはその是非を法廷において明らかにいたしますために、法務省の訟務局に依頼をいたしまして、訟務局が代理人というかっこうですでに二、三回公判が開かれておりますが、まだ事実の認否という程度にございまして、これからはっきりした点が法廷において明らかにされるだろう、私どもはその点において確信を持って対処いたしておる次第でございます。
  37. 三宅正一

    三宅委員 ただいま廣岡さんから話を聞いたのですが、たとえばトメヤスなんというところは逆にずっと人がふえております。同じ事実におきましても、十三世帯入って、そして二世帯になってしまって、そしてあとまた一ぺん耕したところにほかの者が入って三世帯というようなことは、これは本人に会ったわけでもないし、現地を見たわけでもありませんけれども、私の勘ですが、従来内地における開拓地失敗成功の歴史、その手直しをやった歴史、農林省がずっとやった歴史等を見まして、まずいところに入れたことは明らかだと思うのです。  それでは私は申しますけれども、外務省移住団両方に聞きますが、責任を持ってあそこにどんどん人を勧誘して入れる腹ですか。少なくともあそこの土地条件の改良だとか環境の整備などをやってから入れるならば別だけれども、いまのままのところにまた新しいのが来たら入れるというようなその勇気がありますか。私はまずそれを承りたい。その確信のないところに入って、あるいはともかく二家族が残っておったのですから、あとの十一家族がだめなやつだということになるかもしれないけれども、そうではなしに、多少それは近隣関係において条件がよかった悪かったは別といたしまして、私は、やはりこういう問題というものは、善意においても失敗はたくさんあると思うのです。それはそれとして認めて、前任者の責任を追及するというのではなく、ほんとう善意でやったのならばそれはそれで認めてよろしい。国に損を与えても、開拓なんということはそういうことですから、それはそれでよろしい。そしてまた、そんなところに入れる土地があって、会計検査院から調べられたら困るというような感覚でやられたのでは、移住者はたまらないのです。  それで、私は、まず第一点として外務省と両方に聞きますけれども、あの土地にこれからあとどんどん勧誘して入れる勇気があるのかどうかということをまず聞きます。
  38. 安藤龍一

    安藤政府委員 お答えいたします。  御指摘の土地に将来移住者を入れるということは、目下のところ考えておりません。
  39. 三宅正一

    三宅委員 それだから私申し上げるのです。廣岡さんは、訴訟でもって勝てる確信があるからどこまでも訴訟をやると言っておられるが、民間から海外千里のところに出て、そして失敗して帰ってきて、金のない者が訴訟をやる、一審、二審、三審とやられたら、実際において、それはその関係だけで、法律上は平等の権利があるといったって、立証だって何だってそれはなかなかできやしない。そういうものを面目にとらわれて終審までやって、おれのほうが勝つのだというような、そういう感覚でやってはいかぬと思うのです。問題は、むしろ第一、国を払って向こうへ行った者がまた帰ってくるなんというふうなことでなしに、私は、もう一ぺん向こうへ行って、和解の条件等もひとつ考えて立つようにしてやって、そして訴訟などで争うということはなるたけ避けられて、どうしても向こう承知しないと言えば別問題、やはりそういう点については、開拓のむずかしさ、それは日本内地のようなところだって、戦後の開拓入植した者は大部分失敗したのですから、したがいまして、金はよけい追加した、借金は棒引きにした、転業資金を出したり、転住資金を出したりということをやっているのですから、外務省の監督や会計検査院の監督がそういう深刻なひどい事情を考えずに、ただ金の使い方がルーズだというようなことでなしに、ほんとうに血と涙のある解決をなすべきだと私は思うのです。これから入れる確信のないところで、出た者が訴訟を起こした、訴訟をやれば勝てるというような、そういう感覚というものには、私は賛成するわけにいきません。事件がどうなっているか私は知りませんけれども、少なくとも心がまえといたしましては、本人だけの責任ではないのだ、国の責任である。それはいまの移住局長移住団の責任というのではなしに、古い話ですから、前任者の責任であるかもしれないけれども、ともかく善良な日本人がもう一ぺん向こうでやっていけるようにいい土地を世話してやって、示談をしてやるという心がまえでやらなければうそだと思うのです。もう一ぺん外務省移住団の両方の意見伺いたいと思います。
  40. 廣岡謙二

    廣岡参考人 私の申しましたことで、若干誤解を与えたことは遺憾でございましたが、実は黒崎、宮崎の両君に対しましては、こちらへ帰ってこられるまでに、もしここで永住する意思がないのならば、その近辺にいいところがある、そこへお世話をするということを、口をすっぱくして何回も懇談をいたしておるのであります。しかしながら、両君はそれに対しまして全然乗ってまいりませんで、ただ帰ってこの事情を訴えるのだということを当時から申しておったような実情でございまして、その間に私ども全然無責任な態度でもって両君に接したわけではないのであります。その点をこの際申し上げておきたいと思います。  なお、一般的の問題といたしまして、三宅さんも十分その点は御承知のことと思うのでございますけれども、終戦当初、また終戦前から入っております移住地というものは、大体において州政府の奥地の場所が多いのでございます。もちろん、ブラジルにおきましては、できるだけの施策をし、日本移住者に対して期待するところも多かったのでございますけれども、やはり国情の相違と申しますか、ブラジル人程度の頭でもって考えておったという節もないではございません。したがって、日本から入りました移住者諸君にとってみれば、必ずしも満足すべき施策が行なわれなかったという点も確かにあったと思います。また、終戦後あの混乱のときに満州引き揚げ等から移住された方々は、内地におるよりも、さらにブラジルに再渡航して、ここで将来を築いていこうというつもりで行かれた環境にもございまして、その当時の環境と現在の事情とはまた非常に変わっております。そういうようないろいろな事情がございましたけれども、私どもは移住地を十分奥地まで手を伸ばしかねておるということも残念ながらございます。そこで、海外移住事業団となりましてから、ともかく私現地を回りまして感じましたことは、ただこの移住者を漫然と入れてはならない、いままでの移住地を再検討してみる必要があるということで、移住者の数もだんだん低減の傾向にありました際でもございましたので、各移住地の実情に即して新しい見地から、よき移住地たらしめるように、いろいろな施策を考究いたし、現在移住地において長期計画を確立いたそうと考えておりまして、ただいま現地に部員を派遣いたしまして、将来の長期計画に対するビジョン、それは営農指導と、それの裏打ちになりまする融資等にからみ合う問題でございますので、根本的に移住地の整備のためにやるという態度でおるのでございまして、前任者のやったことだからといって、私どもが無責任責任をなすりつけるというようなことは毛頭考えておりませんので、この点は御了解願いたいと思います。
  41. 三宅正一

    三宅委員 御真意はだんだんわかりました。移住事業というものがいかにやっかいなことであるかということは、ほんとうに身にしみてわかっております。たとえば日本人のお医者さんが向こうに行っておいでになりますが、ノイローゼになってどうにもならぬ、とにかく診断では明らかなノイローゼだ。それで、しかたがないから国の費用で送り返しますと、横浜が見えるとちゃんとなおってしまう。にせじゃなくて、ほんとうに横浜が見えたらなおってしまうというような、そういう人もございますから、それはなかなかたいへんなことであることはわかります。したがいまして、私が申し上げるのは、あなたのお気持ちはそれに違いないけれども、なかなか現地だって何だって、官僚といいますか、制度の悪い点というものは、責任をのがれたいから、無理にやってしまうということになるのでありまして、この事件については私見てきたわけじゃないのでありますから、これで切り上げますけれども、ひとつ大局に立たれて、将来が立っていくようにして、訴訟などでいたずらに勢力を浪費するというようなことのないようにお含みを願いたいと思います。  ついでですからさらに承りますが、アマゾンの奥地に入っております開拓地というものは、トメヤスというのは大体成功しておるようでありますが、トメヤスについてもコショウが暴落するというようなことで、単作地帯でありますから、ゴムの暴落と同じことでありまして、トメヤスだって私は問題があると思います。アマゾン開発におきまして、トメヤスの持っておる使命というものは非常に大きい。ちょうどサンパウロなどにおいてコチアの農協ができましたように、あれを中心にいたしまして一つの有力な組織がアマゾン川流域にできまして、そうして売買がすべて中間搾取を受けて、借りておいて高利を払って安い値段で買っていかれるというようなことでなしに、船なども農協が持ちまして、アヤゾンを動けるようにすることは非常に大事なことだと思うのでありますが、その他の地帯というものは、ほんとうにうまくいかないというような話を私ども聞いておりまして、非常に心配をしておるのでございます。資料として外務省に要求したのですが、ともかく戦前、戦後アマゾンの流域で奥地に入れました開拓地が、そういう点で何人入って、いま何人残っておるか、そうしてその生活の状態がどうなっておるか、将来どうするかなどの資料を私は要求いたしておったわけでありますが、トメヤスがいいいいと言っておりましたけれども、最近の話ですと、またコショウの値段の暴落などで困っている。あの時分に、移住団や外務省が考えられておりましたことは、アマゾンの奥地の農場にもひとつ何千本かずつコショウを植えさせて、それで復活させようというおつもりで手を打っておられたようであります。ありますけれども、コショウ自体が暴落したという状態で、本家のトメヤスだってなかなかえらいという事態になっておりますときに、それだけで復活するものではないと私は思うのでありまして、私の意見を申しますれば、アマゾン地帯一つの大きな試験研究施設のようなものを国が持たれまして、それはたまたま東南アジア農業開発や経済開発にも非常に役に立つ。熱帯でありますから役に立ちますので、経営指導と品種の指導と、さらにひとつあそこで工業化だとかなんとか——トメヤスではよくなったのは、コショウが値段がいいだけではない、あそこへ鐘紡ですか入りまして、コショウを精製する工場ができたということが一つの大きなことであり、そして粒がそろっておる、農協がしゃんとしておるということが三つもそろいまして、トメヤス自体は、あそこのベレーンへ道路ができて、飛行機か船で行かなければならぬという状態がトラックが入れるようになりますと、大都市を近郊に控えることになりますので、非常に将来いいところになると思っておるのでありますが、アマゾン地帯に入っておりますものの実態、どうやられるつもりであるか。それはみんなが知恵を貸さなければいけない。移住団と外務省だけにいい知恵を出せといっても無理だが、あらゆる関係者がもっと積極的な姿勢で、金もよけい出し、指導もするし、いま廣岡さんの言われた、いままで入っておる者の整理というか、再建のしかたについて大きな計画を立てられることは非常に賛成でありますが、それについてひとつ御意見を承ります。
  42. 安藤龍一

    安藤政府委員 お答えいたします。  アマゾンに入りました移住者は、戦後わが国におきます生活条件の悪かったころに入った方が多いわけでございますが、ブラジル開発計画に基づいて設置されました北中伯の移住地というところに入植された方が多いのでございます。現在約四百五十戸、三千百人の邦人が十二州にわたって二十四の移住地入植しております。これらの移住者は、永年作物といたしましては、先ほど御指摘のございました黒コショウ、ピメンタ等のほか、ゴム、コーヒー、カカオ、ココヤシ等を植えつけておりますほかに、短期作物といたしまして米、トウモロコシ、蔬菜等を栽培しておるのでございます。生産物の販路は、ピメンタは輸出いたしておりますが、その他の作物はもっぱら各移住地の近郊都市の消費者に向けられております。移住者の経済状態は、地域によって、また個人によりまして格差はございますが、移住事業団が実施いたしております農家経済調査、これは昭和四十年度の調査でございますが、その結果によりますと、移住地二戸平均の農業粗収入がわが国の同年度の全国平均農業粗収入に比べまして下回っている移住地は、マタピーとカンポベルジの二つの移住地で、そのほかの二十二の移住地はいずれも本邦の粗収入よりも上回っておるのでございます。事業団といたしましては、市場調査、新作物の導入、栽培試験、営農指導及び融資等の援助を行ないまして、移住者の経済基盤の確立に努力しておりまするので、漸次その効果があがってきている、そういうふうに見ている次第でございます。  なお、移住地には、本邦の開拓地に比較しまして経過年数が短いこと、また多くの移住者が所有面積の全面利用に至っていないこと、栽培条件の改善の余地があること等から、移住者の努力にまつべき点が多くあるということは言えるのでございますが、事業団の適切な指導援助により、今後さらに所得の向上が期待できる、そういうふうに見ておる次第でございますが、もしこういう地方移住地に入られた移住者の中で変更を希望する、現在の移住地では不満であるという人が出てきた場合には、これには前向きで転住その他の便宜をはかるということを方針といたしております。
  43. 三宅正一

    三宅委員 これは田中さんにもひとつ御意見を承りたいのですが、日本開拓地で、戦後ほんとうに食いものがなくて大ぜい入れたのですが、あれの経過を見ておりますと、最後に到達いたしましたのは、裸百姓で百万円ばかり持たせた小さな百姓で入れたってだめだ、結局は相当大規模の機械を使って資本投資をよけいさせなければだめだといって、釧路だとかその他の地方に相当大きな金を入れました農場をつくりまして、個人個人の貸与資金なども、機械化でも非常に大した金を入れてつくりまして、それは内地におきましても成功しております。私が見ておりますのに、どうもその点で、あれだけ広いところで、相当広い面積でやらなければならぬが、現にいまも局長の御指摘のとおり、資本が足らない、機械が足らないというような都合のもとに、与えられた耕地を全部耕せずに遊ばせておるというような面もあるのでありまして、私は、その移住政策全体の検討の上に立って、農業などほんとうにやらせるのだったら、ひとつみずからの資金のある者が入っていく必要がありますが、そうでない人が行きましても、もうちょっと大規模に金を国が基本的な設備投資に出してやるという、そういう条件を整える必要があると思うのであります。これについてひとつ長官及び外務省移住事業団等の御意見を伺っておきたいと思います。
  44. 田中龍夫

    田中国務大臣 私、移住審議会を所管しておりまする関係から御質問があったと存じますが、行政内容の面におきましては、外務省の所掌事項であろうと存じますが、いまの三宅先生の御質問に対しまして私の感じておりますことを申し上げますと、御案内のとおりに、昔は棄民といわれたものが、今日は非常に政府の手厚い保護等によりまして、昔から見ますれば、成功のプロバビリティーは上がっておる、かように信じておるのでございます。ベレーンから御承知のとおりブラジリアのほうに参りますBR14街道の沿線に入植しました移住者なんかは、入植前に非常に計画性を持って、そうしてむすこさんが一年も二年も前から現地の市場調査をやったり、あるいはまた行きますにあたりましても、親族縁者が相当相談し合って、ある程度までトラックでありますとかその他の機材等も整えて、そして十分な検討をいたしまして入植いたしました諸君は、普通の方々が体験されるような、一時的でも非常に苦難の道をおたどりになって、そこからまたはい上がるというコースでなく、わりあいに初めから順調な姿をたどっておりまする実例によりまして、ただいま三宅先生のおっしゃるように、やはりある程度の先行投資あるいはまたある程度の資金というものを裏づけして、そうして着実に計画性を持って入るということが必要のように感ずるわけでございまして、外務省事業団等におかれましても、その方向に非常な御尽力をされておられることと存ずるのでございます。
  45. 秋田大助

    秋田委員長 田原春次君。
  46. 田原春次

    ○田原委員 総理府の田中総務長官に二問だけ質問いたします。  第一は海外移住審議会の扱い方であります。第二は地方海外協会の問題であります。  第一の海外移住審議会は、私もかつて委員になったことがありますが、二年間にたった一回、二時間しか開かぬというような状態ですね。ほとんど熱意がわからないですね。せっかく学識経験者を集めておりますし、いろいろな提案もあることだから、準備をして審議をし、これは答申すべきじゃないか。岸さんが外務大臣のころに、私は移住審議会の委員をやったことがあります。そのころは非常に熱心であるし、答申をしますと、それだけの実効があった。最近三代にわたる総理府の長官は熱意がない。たまたま移住問題に特別の理解のある田中さんであるから、この際海外移住審議会をもっと活用して、もっとしばしば開く。それから、移住審議会の委員でなくとも、案を持っておる学識経験者は、臨時委員にしてそれを呼んで、その意見を採用する、こういう活用のしかたがあると思うのですが、お考えはどうでしょう。お尋ねしたい。
  47. 田中龍夫

    田中国務大臣 田原先生も審議会の委員として、事業団の設立やその他のことにつきましては、非常に御苦労をいただいたこと七ございますが、当初、昭和三十年鳩山内閣当時に総理府の付属機関として設けられまして以来、昭和三十七年の十二月に、「海外移住に関する基本的な法律制定の基礎となるべき海外移住及び海外移住行政に対する基本的考え方について」という諮問をいたしまして、これを答申をいたしまして以来、お話のように開店休業と申しますか、開かれておらないような次第でございます。しかし、これはその後に移住審議会が非常な努力を払われまして、東畑会長のときにおつくりになりました移住事業団が設立をされたばかりでございまして、むしろ移住審議会がいろいろと批判いたしましたりあるいはまたそれに対しまする功罪を論ずるとかいうよりも、せっかくつくりました事業団のりっぱな成長と、その後の業績を見守ってまいったと申してもよろしいと存ずるのでございますが、しかし、他方におきまして、この移住基本法をどうするかという法制上の問題につきましては、外務省のほうでいろいろと彼此検討をされて今日に至っておるのでございます。審議会は、御案内のとおりに、昨年の十月十一日付をもちまして、これは閣議了解でございますが、委員の数は原則として二十名以内にする、それで、国会議員及び行政機関の職員は原則として加えないということに相なりまして、この移住審議会におきましても、従来の衆参両院の議員なりあるいはまた政府関係やその他の方々がお引きになりまして、今日のような十六名の委員をもって構成されております。しかしながら、私、実ははたして総理府にこの審議会を持っておりますことがよろしいか、よろしくないかという根本的な問題がございます。  これはまあ余談でございますが、今日政府の審議会が二百六十ばかり各省にございますが、総理府だけが持っておりまする審議会が五十ほどになります。審議会ができますと、ほとんどみんな総理府に預けられるといったようなことで、かえって総理府にありますことが、真剣さと申しますか、当該移住問題につきましては、お世話が怠られるのじゃないかということから、私のほうといたしましては、できれば外務省のほうの審議会になすってはどうかということを御相談もいたしておりますが、今国会の設置法の改正にはまだそこまで出ておりません。しかしながら、御指摘のように、今日の移住問題は、ある面におきましては非常にむずかしい。ことに若い方々の就職口が幾らでもあるというようなことでございますが、他方におきましては、やはり若人に海外、世界に雄飛するという夢を与えるという意味から申しましても、私は、国といたしましても移住政策を大いに推進してしかるべきものだ、かように考えておるのでございます。総理府の所管といたしまして、今日まで審議会が開店休業の状態を続けましたことは、はなはだ申しわけない次第でございまして、御趣旨に沿いまして、私のほうに所掌いたしておりまする限りにおきましては、あるいはカナダ方面に対しまする新しい移民でございますとか、あるいはまた従来の農業移民だけでなく、技術移民の問題でございますとか、そういうふうな積極的な面でひとつ審議会を大いに活用いたす所存でございますし、どうぞこの問題は与野党超党派的に御鞭撻、御指導のほどをひとえにお願いを申し上げる次第でございます。
  48. 三宅正一

    三宅委員 ちょっと関連して。  総務長官にちょっとお願いいたしますが、私は、この間も経済協力のときに文部省にお願いしたことですけれども、ともかく在外公館の諸君だとか商社の諸君だとか、それから移住地の二世、三世の諸君のいわゆる子供の教育の問題について、ほんとうにこれは落ちつかせようとしたら、一番大事な問題ですから、文部省の政務次官おいでくださっておりますから、御質問をいたしますけれども、移住審議会で一ぺん外に出ておる商社、移住者等の二世、三世の教育問題に関してどうやるべきかということを諮問する委員会をやってくださることを提案いたします。私は見ておりますと、どうもまだ文部省の姿勢が十分でない。あまり関係がなかったから、無理はありませんけれども、大事なことですからして、そうして将来の後進国開発援助等におきましても、教育援助、技術援助ということは非常に重大ですから、教育問題というものは非常に大きなウエートだと思いますので、田原君の希望もありましたが、移住審議会の審議の案として、ひとつこの在外同胞の子弟その他の教育問題につきまして付議していただきたいと思います。
  49. 田中龍夫

    田中国務大臣 御指摘の問題は非常に重大な問題と存じますが、この教育の問題あるいはまた衛生、厚生施設等の問題もやはり二種類ございまして、事業団等で行なっておられますような入植地の教育の問題とか衛生、厚生施設の問題と、それからただいまお話がございましたような二世、三世といったような定着しておりまするコロニーの教育問題、衛生問題というようなもので、一口に教育と申しましても、中には非常に本質的に違ったものがございます。そういうふうな面につきまして、当審議会におきまして、御趣旨に沿うて何らかの真剣な議題としてひとつ取り上げたいと存じます。  それから、もう一つの田原先生の御質問の中で落としました海外協会の問題でございますが、これはひとつ外務省のほうからお聞きください。
  50. 田原春次

    ○田原委員 それでは海外協会の問題は、後ほど外務省に聞くこととして取り下げます。  問題は、海外移住審議会で海外有力邦人の帰朝の場合の懇談会のようなものをやったらどうか。たとえば最近アルゼンチンの亜国拓殖協同組合の飯野栄作さんが来ておりますが、移住審議会で呼んでアルゼンチンのいろいろな話を聞くということもあったと思う。またたとえばブラジルサンパウロのアルメリアの学生寮の城島慶次郎氏が来ておりますが、これまたお互いに会いますけれども、移住審議会の委員諸君が会って、その見地からも聞く必要があるのではないか。あるいはカナダのバンクーバーの日系人会長の岩田欽一氏も来ておりますが、これも聞く機会がない。したがって、移住審議会の中の委員海外邦人との懇談会というようなものを——たいして予算も伴わないし、田中長官の在任中にそういう前例をつくって、今後日本に帰ったら聞いてもらえという一つの窓口をつくる必要があるのじゃないか。この点についての御見解をお尋ねしたいと思います。
  51. 田中龍夫

    田中国務大臣 おかげさまで、本年は財政硬直化ということで予算的にはたいへんに削減をこうむったわけでございますが、しかし、移住審議会に関します限りにおきましては、前年二十万円でございましたものが、三十九万四千円でございますか、約倍の予算でございます。ごらんになりましても、それだけを取り上げましても、私どもが移住問題につきましての情熱の存するところはどうぞおくみ取りいただきたいと存じます。ただいまのお話の、海外からおいでになりました方々に対しまして、外務省事業団とともどもに、できるだけこの移住問題がほんとうに末端まで人口に膾炙されるように、啓蒙の問題にいたしましても、あるいはまた促進の問題にいたしましても、御協力を申し上げたい、かように存ずる次第でございます。
  52. 三宅正一

    三宅委員 どうも文部政務次官には失礼いたしまして、せっかく御答弁くださるところを中途ではしょって足をとめまして、恐縮でございます。先ほどから申し上げたとおりでありますので、大局的な御答弁を得たいと思います。  私は、この間、海外経済協力基金法のときも申し上げたのでありますけれども、ともかく後進国の開発援助をやるといったって、在外公館や在外商社の諸君の心がまえというものが、本気向こうを愛して落ちついてやるということがなければ、浮き足立っておったのでは問題にならぬと思います。その心がまえの問題とかいろいろな問題は別問題といたしまして、教育の関係はひとつ本気で考えてあげなければいかぬと思うのです。したがいまして、在外公館や商社やその他の日本人の子供に対する教育については、私はこの間も申しましたように、施設に対して金を援助することも必要でありますが、それと同時に、教員が入らなくて非常に困っている。これは厚生省関係で診療所などに行かれたお医者さんも同じでありますけれども、そこへ行っておる間休職になって昇給がストップしたとか、恩給年限が加算されぬとか、そういう関係がありましたのでは落ちつくわけがありません。もし文部省が私の言うような方針をとられまして、外地へ出たまじめな教職の諸君がちゃんと昇給するし、帰ってくればポストも上がったポストでちゃんとある、それだけでなしに、昔の在外勤務と同じで、恩給年限などは倍になるというような、そういう意味の奨励方策をお考えになりますれば、喜んで行く諸君はたくさんあると思うのです。そうして志を持って行った青年が向こうに土着いたしまして、向こうの指導者として働いてくれるようなことができますれば、これはまた一つの大きな余慶でありまして、そういう意味において非常に重大だと思うのであります。まず、この点について御答弁をいただきたいと思います。
  53. 久保田円次

    ○久保田政府委員 三宅先生の、特に後進地域におきましての移住者並びにそれに対しましての学校の施設、さらにその施設より以上に先生に対しましての今後のいわば処遇という問題だろうと思いますが、この点につきましては、先般、経済協力基金問題につきまして、商工委員会でいろいろ先生の御高説を承って、私も御答弁申し上げまして、さらにそれに補足しまして政府委員答弁をしたわけでございます。  やはり海外に対しましての教育投資につきましては、まず先生並びに日本人学校、これに対しましての関連的な語学という問題が中心になろうと思いますけれども、先生が海外に行きまして帰ってきたときに、そのままの姿勢でおるというようなことになりますれば、やはり内地と同じような状態になる。したがって、これは文部省だけでは、いまの制度といたしましてはなかなか解決ができないと私は思います。それについては、専任窓口をはっきりとして、どうしたらいいかというような点も検討しなければなりません。いまの時点におきましては、外務省のほうのパイプを通しまして、そのパイプから油をつぎ込んでいく、こういうふうな制度になっておるわけでございますが、むしろいま一歩前進しまして、教育問題につきましては文部省のほうが——これはなわ張りというような考えではうまくありませんけれども、積極的な姿勢をもって、先生に対しましては、文部省といたしまして何らかの処置を講じなくてはならない、かように考えるわけでございます。
  54. 三宅正一

    三宅委員 ひとつそういう機構の問題もお考えくださいまして、本格的に取り組んでいただきたいと思います。実は私は、去年カルカッタで日本人会の諸君に会って学校を見たのですが、こっちに帰ってさましたら、予算のときに三菱の支店長から私のところに電報がきまして、帰る者と赴任する者の旅費が切られるとたいへんだからひとつという話で、外務省にお願いして、幸いに通していただいたわけでありますけれども、ともかくひとつ大規模にそのことを考えていただいて、若い先生が行くについては、ひとつこっちで語学と一緒に一年くらい研修して、行く心がまえなどやって、それから行かせる、その間はちゃんと昇給もするというような、出すときの期間と、それから送ってからの期間についても考えていただきたいと思います。  それから、この問題は先般もお願いいたしましたが、先ほども申しましたように、中南米における日本語の教育に関します問題は、現地には移住者がたくさん行っておりますから、移住者の学校の日本語の教育のこともあります。同時に、二世の日本語の教育ということもあります。この点については、ドイツなんというものは相当のものだと私は思うのであります。ボリビアの奥のところに入っていきますと、日本の学校では先生がなくて困っております。そこにりっぱな高等学校をドイツはつくりまして、それで、そういう地帯ですから、現地人もいい学校がないから喜んで入る。入りました現地人につきましては、成績のいいのを二、三人向こうの費用でドイツに留学させております。それが帰ってまいりますと、非常な親独になって帰ってまいります。しかも発展途上国ですから、ドイツの大学を出て帰ってまいりますと、しばらくのうちに大臣になったり、それから大きな会社の社長になったりする。それは貿易などの面でも、急がば回れでもって、国のインタレストにも非常に影響するというわけでございます。  それだから、私がさっき申し上げましたように、いやしくも日本人のおるところは、それが正式の学校のできないところでも文部省はひとつ先生を出す、八人おったって十人おったって出して、そして帰ってきたらりっぱに昇進もしておるということを考えてもらわなければならぬ。相当おりますところは、小学校の段階でなしに、中学校、高等学校もつくって、高等学校などは、場所によっては、小さな国は一州に一カ所とか三州に一カ所しかできない場合は、宿舎をつくっておきまして、そこに入れてやる、しかもまた、移住者でその教育費が出せないときには、そんなものは国で持ってやる、そして何カ所かには大学を置くという、そういうスケールの大きな構想をひとつやってもらいたい。予算の問題などで、なかなかむずかしいのですけれども、国民総生産の一%という決議を受諾してきているのですから、その使い方でもってやれば、消費物資の援助やなんかやることもいいでしょうし、必要かもしれませんけれども、こういう生きた金は私はほんとうに役立つと思いますので、この点はひとつ政務次官において十分御配慮願いたいと思います。同時に、外務省としてもひとつそれに協力される姿勢をつくっていただきたいと思います。御意見を承っておきたいと思います。
  55. 久保田円次

    ○久保田政府委員 私のめいが実はことしブラジルへ嫁に移住したわけです。そのときに一応心配したのは、若い子でございましたけれども、教育の問題にちょっと触れまして、まさしくいま私は思い出すわけでございますが、やはりすべて教育というものは非常に重大だということを痛切に感じております。したがって、いま先生の御要望がありましたが、最終的には大学までというような理想的な御趣旨もございまして、きょうは大臣もおりませんので、その向きは大臣によく御報告申し上げまして、御期待に沿いたいと考えております。
  56. 三宅正一

    三宅委員 大学の問題につきましても、これは三年前の話ですが、人の名前は忘れましたけれども、有名な人で、慶応大学を出られてブラジルにおられますお医者さんで、非常に熱心な、ブラジルのシュバイツァーといわれるようなりっぱな先生がおられるのであります。向こう政府にも非常な信用がありまして、向こうの農科大学が生徒の入り手がなくて刑務所になっておる。君のほらでほんとうに大学をやるのだったら、それをひとつ無料で提供しようというので、それはとても広い実習地がつきまして、刑務所のあとをやらしてくれるというようなことがありました。私は志があれば必ずできると思うのです。それから、ある程度の援助をしますれば、私立大学などで出ていくという大学が私はあると思うのです。これは必ずしも国立大学が行かなくたって私立大学でよろしい。同町に、ひとつ国内の場合についても、建設費などいろいろ援助しておりますから、それを国際的にもやるように、もし法改正の必要があればやりますし、それもで、きると思うのであります。ともかくこういう問題について本格的にひとつ考えていただきたいと思うわけであります。これは御答弁要りません。  話がまたもとへ戻りますけれども、進行の順序でもう一つ。私は、この前、船で数十人の移住者と一緒にずっと行きましたので、ときどき手紙を送ってよこすのですが、これも一つ手紙がきておりますので、ちょっと外務省に聞きたいと思うのですけれども、アマンバイという、これはパラグアイの移住地だと思いますが、アマンバイで農協が行き詰まりまして、山下参事官と書いてありますけれども、山下参事官が行かれまして、解散して何かはかの組織にしろとかなんとか言われたというので、外務省というのは、民間で設立している協同組合を、事情もよくわからぬで、そんなことを言えるのだろうかどうだろうかというような、非常なふんまんの情を書いた手紙をよこしておるのであります。これだけでなしに、パラグアイで、エンカレナシオンというところでしたが、そこに最近お骨折りで工場ができまして、原料で輸出せずに製品にして輸出するという工場ができたというので、私一ぺん見たのでありますが、そこはやはり経営が苦しいから、けんかをしておりまして、出先の公館と事業団が弱り切っておられたのであります。何といったって、さっきの開拓地の話じゃありませんけれども、困難な時代には内輪もめが必ず起きるのであります。そして攻撃しようと思えば幾らでも攻撃ができるのでありまして、私は、そういう点について、若い官僚などが簡単に割り切っちゃいけない、やはり大局的に、ほんとう援助するところは援助してまとめてやるという感覚でなければならぬと思うのでありますが、そんな発言をされたかどうか、あったらそれをお聞きしたいが、それより何より私の希望するのは、手紙だけでそんな簡単にどっちがいいとか言えませんから申しませんけれども、心がまえをそういうふうに指導されなければいかぬぞという意味質問でありますから、そのつもりで答弁してください。山下参事官という人はおりますか、実在しておる人物ですか。
  57. 安藤龍一

    安藤政府委員 そうでございます。
  58. 三宅正一

    三宅委員 だんだん時間がたっておりますので……。  最近は、農業移住者だけじゃなしに、技術移民関係、中小企業の関係がたくさん出ておりますが、私は、まだ中小企業に対してかゆいところに手の届くやり方がないと思うのです。これは単に中南米の問題だけでなしに、東南アジアでも何でも、大商社というのは、資本にものをいわせて過当競争をやり過ぎて、かえって困るところも出ておりますけれども、中小企業に対して、もう少しやはりかゆいところに手の届くやり方が、きめのこまかい援助が必要だと思うのであります。これはもう改めておられればけっこうでありますが、簡単に答弁を願いたい。  たとえば、メキシコで陳情を受けた話でありますが、中小企業が出かけまするのに、農業移民でも何でもないから、家族の渡航費は本人が払うそうであります。そうすると、中小企業というものは資本が貧弱ですから、向こうへ行って工場の設備もいろいろやろうというときに、農業移民だったら家族の費用も出してくれるのでありますが、それをやっておらぬので、非常にわずかな資金に食い込んで困るという点が一点であります。  第二点について言いますと、現地法人になっておる。現地法人には日本の大きな会社はみんななっておりまするけれども、大商社は、輸出入銀行だとかいろいろの銀行についても特別な取引があって、何とかかんとか現地法人だけれどもちゃんと援助さしておる。しかるに、中小企業で現地法人になりましたものについては、その便宜がないというのであります。私は、これもしろうとでありまするので、聞いてきただけの話でありますけれども、もしそういう事情でありましたら、そういう点についてもひとつ考えていただきたい。  中小企業の進出というものは非常に大事でありまして、自動車工場が出ましたって、部品の修繕をようやらぬというところに部品工業が出ていきますだけだって、どのくらい助かるかしれない。もしそういうことが直っておればよろしいが、直っておらないのであれば、そういう点についてひとつ本格的に調べてもらいたいし、直してもらいたいと思います。
  59. 太田三郎

    太田(三)参考人 いま三宅先生から御質問になりました最後の点に関しまして、現地法人に対しましても私どもの基金で融資いたしております。
  60. 三宅正一

    三宅委員 それはいつからです。私の行ったときには……。
  61. 太田三郎

    太田(三)参考人 初めからいたしております。
  62. 三宅正一

    三宅委員 それでは中小企業が知らぬということかな。
  63. 太田三郎

    太田(三)参考人 そういうことじゃないかと思います。
  64. 三宅正一

    三宅委員 そういうことなら、わかるようにひとつもうちょっとやってやってください。
  65. 太田三郎

    太田(三)参考人 それはつとめていたすようにいたします。
  66. 安藤龍一

    安藤政府委員 中小企業の進出のために行かれる方の家族の渡航費が出ないという点は、おそらく移住者として申請がなかったからだと考えられます。移住者というたてまえをとられれば、事業団から渡航費が支給されることになっております。
  67. 三宅正一

    三宅委員 いま伺いましてたいへん安心いたしましたけれども、私どもにそういうことを訴えるところを見ますと、現実に知らぬでおるのだろうと思います。なかなかそれは広いからして浸透しません。知らぬのがあたりまえで、大きな企業ならば、ことばのできるのもたくさんおるし、何でもやっておりまするけれども……。知らぬのがあたりまえですから、こういう点についてもひとつくふうしてもらいたいと思います。  私は、十二時半にここを明け渡さなければならぬと申されますので、結論的な質問として、今後の施策について、一、二、三の点をお願いをしておきたいと思います。  第一は、中南米に関しましては、現地との交流をひとつ本気に考えなければいかぬと思います。二世会館をひとつ設立する必要があると思うのであります。先ほども田原君が申されましたように、ずいぶん帰ってまいりますけれども、連絡がつかずに帰ってしまわれます。二世会館でもできまして、少なくとも東南アジアから、ラテンアメリカから、日本人の出しておる新聞だとか雑誌だとかいうものがみな備えてあって、クラブ式で、そこへ来られた人と会って、そしてそこで、気のきいた館長がおりまして、変わった人が来られたら、それぞれのところに案内を出して、あるいは移住団の一つの仕事としてやってくれてもよろしいのでありますが、話を聞いたり激励をしたり、人によっては歓迎会をやったり、そういう意味におきまして、二世会館というのは、私はほんとうに必要だと思うのであります。それで、二世を日本で教育を頼みたい、大学へ入れたいと思っても、宿舎の関係やいろいろで入れられないのがずいぶんありますので、二世会館の設立を本気に考えてもらいたいというのが一つであります。それは単に東京だけではいけない。やはり日本じゅう各県に一つくらいはこれをつくる必要があるのではないかと思っておるのであります。そして、二世がニューヨークや向こうの大学に行くよりは、喜んで日本の大学に来る、向こうの大学を出たならば日本の大学院に来る、そういう意味援助が必要だと思うのでありまして、そういう意味におきまして、私は、日本の研究所などを開放して受け入れてやることも必要であると思う。現にやっておられるかもしれないけれども、もう少し楽にできるようにする必要があるし、向こうにもどんどん研究所などはつくってやる必要がある。技術援助、教育援助交流援助、それから開発輸入援助、こういう関係をひとつ本気に整えていただきたいと思うのであります。これについて外務省のほうからひとつ……。
  68. 安藤龍一

    安藤政府委員 たいへん広範にわたった御提案でございますので、ただいま即答しかねるのでございますが、慎重に検討さしていただきたいと思います。
  69. 三宅正一

    三宅委員 海外への進出なんということは、国内だっていろいろの問題があるのですから、問題があるのは当然であります。したがいまして、いろいろの不平が出てきたりするのは当然でありますが、大局におきまして、私はもっと日本人を外へ出さなければいかぬと思うのであります。そのためには、私はもっとやはり金を使わなければうそだと思うのであります。したがいまして、第一は、外へ出ます、特に中南米などに出ます日本人は、ある意味において私は開発国への援助だと思います。だから、国民生産の一%という中に、こういうものはいままだ計算に入れておらぬと思うのでありますけれども、計算に入れて、そのかわり相当大幅に金を出す、教育投資なども後進国開発援助の一翼としまして、ただし、国民生産の一%、そのうちの一割は教育投資に入れるのだというぐらいのことでいきますならば、将来は、私は、相当大きな、億ドルに当たるような金をこれに使う可能性が出てくると思うのでありまして、財源としてはその他の財源も使う必要はあるけれども、大まかには海外援助費の一項目だという観点において、大幅にふやしてもらいたいということが一つであります。  それから、移住事業団が非常に骨を折っておられますが、なかなか出ていけない情勢だが、最近はだんだん出るような情勢になりましたけれども、私は、これを推進する民間の団体を育成する必要というものがあると思うのであります。私が最近非常に喜んでおりますのは、移住者家族会が各府県にできて、田中さんがその会長で、田原君が副会長で、全国会もでき、自主的な会ができた。これは何しろ自分たちの身内の者が行っておる関係からして、非常に熱心であります。これが非常にいい意味の圧力団体になるぐらいに成長いたしますと、ほんとうに私は大きくなると思うのであります。現に、これができまして、県においていままでやっておらなかったのに、サンパウロに県の出張所を、よけい行っている県はつくっておる。それができますと、どれくらい連絡がよくなるかわかりません。知事が見に行った。一ぺん知事が見に行きますと、非常に推進いたします。その意味において、移住家族会というのは、私は本気にこれを育成される必要があると思う。  それから、内容はちっとも聞いておりませんけれども、フロンティア協会というものができたようでありまして、これも私は非常に大きいと思うのです。会の経理自体はきっと自前でやるたてまえだと思いますけれども、たとえば高等学校への講師として、アマゾンに行ってこられて、本を書かれた角田房子さんとか、荒垣さんに行ってもらうとか、そういうことでやりますならば、私は非常に大きな国民世論というものをつくってくると思うのでありまして、ひとつこれを援助して活用していただきたいと思います。  また、学生海外移住協会というものがあって、カナダあたりから一組帰ってくる、また一組行く。田原君などもお骨折りのようでありますけれども、民間のそういう組織につきましても、ひとつ協力いたしまして、政府側の施策と民間の施策とが相協力していくという姿勢ができまして、日本民族がどんどん外に出ていくという姿勢が必要だと思うのであります。人が足らぬなどということはうそでありまして、無益な職業に、消費のほうのサービス業のほうなどに人がとられてしまって、そうしてデスクだけの仕事をやっておって、筋肉労働をやらぬという、そういう日本の職業構成だとか人物の配置などについても、もう一ぺん考えないと、不健全になってしようがないと思うのでございます。  そういう意味におきまして、私は、ようやくそういう機運が出てまいりました学生の海外旅行熱だとか、そういうものは大いに援助していいと思うのです。大森実君などが企画いたしました太平洋大学、船の大学だとか、東海大学が海洋船で外国の学生と交流させながら海洋資源の開発に協力しているという、そういう仕事はどんどん協力して援助すべきだと思うのであります。ともかく、これらの点について国内の姿勢をひとつ整えますことが必要だと思いますので、そのそれぞれの関係のところから御答弁を願いたいと思います。
  70. 安藤龍一

    安藤政府委員 移住家族会とは外務省は密接な連絡をとっておりますし、その事業その他も常に連絡を受けている次第でございます。そのほか、フロンティア協会などにつきましても、最近連絡をいただいておる次第でございます。私どもといたしましては、移住関係いたしますことにつきましては、民間の団体、それから協会等とは常に密接な連絡をとっていく、そういうことの方針で従来もやってまいったところでございますが、ただいま御指摘のように、今後そういった点になお強く留意したい一そういうふうに考えている次第でございます。
  71. 廣岡謙二

    廣岡参考人 ただいま三宅さんからの御提案、御意見は全く同感でございまして、私どもも、今日までそういう団体とはできるだけ緊密な連絡をとったし、また御協議を願ってまいっておるのでございますが、そのほか、この移住の問題、長期にながめまして、青少年の海外交流海外に目を向ける、こういうような思想は、民族将来のためにも必要なことじゃないかということで、各県の高等学校の先生たちの御援助も願って、また文部省方面からの御指導を願いまして、あらゆる方面をあげて海外思想の高揚、その一環としての移住の必要性ということを強調してまいりたいと考えております。
  72. 三宅正一

    三宅委員 開発援助資金の一部としてこれを考える、そうして予算を——その金をよけい使うということについては、これは局長に御答弁願うのは、ちょっと政治的な問題かと思いますけれども、ひとつお含みおきの上、大臣にもよく吹き込んでください。どうもありがとうございました。
  73. 秋田大助

    秋田委員長 田原春次君。
  74. 田原春次

    ○田原委員 問題はいろいろ用意しておりますが、時間の関係もありますから、急ぐ問題から先に御質問いたします。  それは、カナダの技術移住者に対する旅費の補助がないことであります。同じく日本から海外へ行くのでありますから、農業移住者中南米のほうには補助をする、しかしカナダには補助せぬというのは平仄が合わぬと思います。いわんや、今度アメリカにもかれこれ二万人ぐらい行けるようになると思います。オーストラリアその他にも行くようになりますから、言うてみれば、アングロサクソン系の国々に入る技術移住者に対して、あれは先進国だから旅費は要らぬだろうということはおかしいので、国は先進国でありましても、そこに就職する日本人は旅費をかせいでいくわけでありますから、したがって、これは大蔵省にもどなたか来ておれば聞きたいと思いますが、かつて、海外移住者の旅費は八千人分用意されておった、それがいろいろな事情で千人以下になっておりますが、ことしはたしか千五百人分は用意されておると思います。したがって、三月現在で移住事業団の送り出した移住者は千人程度じゃないかと思いますから、昭和四十二年度の旅費の予算の五百人分くらいは余っておるはずです、南米行きの分は。したがって、これを南米に限らず、海外に行く者にはだれにも旅費を補助する、こういう原則で流用すべきものであると思いますが、外務省と大蔵省の両方の御意見を聞きたいと思います。
  75. 安藤龍一

    安藤政府委員 お答えいたします。  現在のところ、中南米諸国と異なりまして、カナダの受け入れ態勢は比較的整理されております。移住者はカナダに到着いたしました後、大体一カ月以内に就職が決定しております。また、カナダでの収入は、日本における収入に比べまして約三倍に当たります。したがいまして、生活費との関係もあります点で、生活の不安というものがなく、また渡航旅費が、日本とカナダの間が比較的短距離であるということから、就職がきまったあとそれを返済することができるというような点もございまして、現在のところ、カナダに向かう移住者に対しましては、渡航費が経済的にも心理的にも大きな負担になっているというふうには考えてはおらないのでございます。したがって、現在のところ、カナダに対する移住者に対して日本政府から渡航費の支給をする必要性はないというふうに考えておる次第でございますが、たまたま三和銀行がカナディアン・パシフィック航空会社と提携いたしまして、渡航費の貸し付けを実施いたしておりまするし、カナダ政府も、近くアジア人に対して渡航費の貸し付けを実施する予定であるということを通報いたしてきております。  また、米国に対しましては、七月から日本その他アジア諸国からの移住が自由になるわけでございますが、米国につきましては、カナダよりさらに移住者の不安というものが少ないという点も考えまして、カナダと同様、渡航費の支給については現在のところ考えておらないのであります。
  76. 田原春次

    ○田原委員 まあ議論がありますが、時間の関係で一応承ったという程度にしておきます。  次は、移住問題と直接関係はありませんが、間接には関係のありますニューギニア問題で、外務省の方針をこの際明らかにしてもらいたいことがありますから、これをはさみます。  それは、豪州領の東ニューギニア、それから豪州領のパプア及びいまインドネシアが国際連合のもとに管理しております西イリアン島が、日本の南にありまして、膨大な地下資源、地上資源、水産資源を持ちながら、開墾、開発が進んでおりません。これは政治的にどうなるかは第二といたしまして、開墾、開発に関して日本は大規模な協力をする必要があるのじゃないかと思われます。また、その前提としまして、ここに私お尋ねしたいのは、いま日本の民間の私立大学等で寄り寄り話が進んでおりますのは、東ニューギニアに一カ所と西イリアンに一カ所、それぞれの政府の了解、許可を得まして、総合試験場をつくってはどうか。日本には官公私立、長期短期大学三百二十ありますから、半分ずついたしましても百六十ずつが共同で調査のできるようにする。調査の対象は天体、気候、地理学的なもの、地下資源の調査、森林資源の調査、民衆のための衛生、文化の調査あるいは水産資源の調査、各般にわたりまして、日本の各大学が共同で随時行けるようにする、大学の学生、教授、それから卒業生、これらが自己の費用で随時行くようにしたらどうか、こういう声があるのでありますが、いまのうちに日本がこういう二国に開墾、開発で協力しておきますことは、将来移住が可能になった場合にはまた相当の考慮ができると思うから、お尋ねするのであります。外務省で方針がまとまっておりますかどうか。外務省みずからの方針がないとしても、民間にこういう運動がある場合、これを阻止するおつもりであるか、奨励するつもりであるか、御意見をお尋ねしたいと思います。
  77. 小川平四郎

    ○小川政府委員 東西ニューギニアの状態が、ただいま先生御指摘のように、いろいろまだ不明の点が多く、かつ未開の地でありますので、これから十分な調査を必要とするのは御指摘のとおりであります。ただ、御承知のとおり、ニューギニア、特に西ニューギニアの地位が非常に複雑な地位でございますので、ただいまのような調査を実施するにつきましては、十分に相手国の了解をとり、不必要な誤解を招かないような準備が必要であろうと存じます。西ニューギニアにつきましては、明年国連による選挙があるわけでございますので、そういうようなことも考慮いたしまして、誤解を招かないような事前の十分な準備が必要である、こういうふうに考えております。
  78. 田原春次

    ○田原委員 前の移住問題に戻りますが、私の調べた範囲で、一国大体一問題ずつ質問をいたしますから、それぞれの関係当局でお答え願いたいと思います。  第一はメキシコでございます。メキシコには約五千人の日本人の一世及び二世、三世がおるのでありますが、首府のメキシコでいま日本語学園問題というのが非常にもめておる。中央学園、タクバヤ学園その他で三つありましたのが合併して、日墨会館の敷地の中に新築して合同したものをつくろうという意見に関しまして、在留日本人意見が二つに分かれておる。戦前から長くメキシコにおる首府組と、戦時中にたとえば低カリフォルニアその他からメキシコ首府のキャンプに送られました者、つまり、地方からの上京組、この二派がありまして、容易にその意見が統一されない。大使館はその間にありまして、ある館員は、従来のメキシコ首府組に賛成のごとき意見を述べ、ある館員は、地方からメキシコに戦時中に上京した者に対する意見を求めるようにして、二つに割れておることは御承知と思いますが、どこかでまとめていかなければ、いま三宅さんの言ったように、二世、三世の教育に困るのです。それから商社、公館員等の子弟も数十人おりますから、困っておるわけです。やむを得ず商社、公館員の子弟だけの学校にしようという意見もありましたが、これも不自然であります。間もなくオリンピックで大ぜい日本から行きますが、何だ、メキシコはごたごたしているじゃないかということになってはいかぬと思いますから、まとめる方向で努力すべきだと思いますが、どういう腹案を持っておられますか、この際、聞いておきたいと思います。
  79. 山下重明

    ○山下説明員 お答えいたします。  メキシコの学校問題については、いま田原先生御指摘のとおり、現地人の間及び大使館の指導その他ごたごたしたことは事実であります。初め外務省といたしましては、現地の日系人の方々を中心にして、それに商社の方々の子弟のための学校をつくる方針でやっておりましたけれども、三つの現地の小学校がどうしても意見がまとまらないということで、方針を変えまして、商社の子弟のほうの学校をつくって、日系人のほうはそれにジョインするという方針に変えまして、政府のほうから二千万円、それから進出企業、商社のほうから二千八百万円の金を集めまして、現地に学校をつくって、もう近く発足する段階になりまして、それに対して現地の日系人の方々も非常に賛成されて、いままで現地の日系人の子弟の学校におられた講師の人たちも、一緒になってこの学校を運営していこうということにまとまりましたので、今後は順調にまとまっていけると考えております。
  80. 田原春次

    ○田原委員 次はボリビアの問題でありますが、ことしの三月ごろに、ボリビア日本人の集団移住地でありますサンタクルス州に大豪雨がありまして、リオグランデ川がはんらんして、非常な被害を受けております。特にはなはだしいのは沖縄第一コロニアでありまして、これは戸数が二百五十尺そのうちの六割が被害を受けております。被害の金額は約三十万ドルくらいになるんじゃないかと見られておるのでありますが、ただいま、海外移住事業団日本大使館のほうでは、代がえ地を見つけてやるから集団的に引っ越せという話をしておりますけれども、あちらの人たちは、被害は被害として、作物もあるし、家もあるから、これを補修してそこに残りたいと言っておるけれども、そうなっていないんですね。だから、無理に代がえ地を勧誘するのではなくて、そのままおれるようにいたしまして、ちょうど新潟、山形の水害に激甚災害地指定をしたことに準ずるごとく、最近の北海道、青森の地震に対する援助を考えておるように、海外に行っておっても日本人なんですから、これは捨てておけないのでありますから、そういう水害の場合には、どういうかっこうかで補助か援護の形を進めまして、もともとどおりそこに住んでいけるようにしていくべきものだと思いますが、ただいま聞きました範囲では、代がえ地問題でもめておるように聞いておりますが、そういう不要の紛糾をすることなく、水害があってもそこにとどまらせるようにしたらどうかと思うのでありますが、御見解はどうですか。
  81. 安藤龍一

    安藤政府委員 もともと沖縄の第一移住地、今度冠水いたしましたところは、常に冠水するところでございます。したがいまして、上流から上質の泥土が流れてくるということによって、肥料がなくても作物に適しているというので、毎年冠水するということを承知の上で、踏みとどまっておられる方が相当あるわけでございますが、ことしの洪水は、例年になく非常に大規模でございましたので、例年とは全く違ったような損害をこうむった次第でございます。したがいまして、もともと毎年水につかるところでございますので、もしことしのようなこういう水害が何年かに一ぺんずつ必ず来るものならば、かわったほうがいいんじゃないかということを示唆している段階でございまして、無理にかわってもらいたいというような方針を持っているものではないのであります。  また、水害地に対しまする援助といたしましては、外務省といたしましては、まず三千ドルの見舞い金を現地に送金いたしましたし、さらに三千ドルをボリビア政府に対して寄付いたした次第でございます。さらに、事業団といたしましては千ドルの見舞い金を送っております。なお、この復興につきましては、防疫特別対策費として二百十六万円、道路復旧費として三百一万五千円、合計五百十七万五千円を支出することになっておりまして、目下これが着々と行なわれておる次第でございます。また、作物が完全に流失したり、冠水によって全滅いたした農家につきましては、次の作物ができるまでの間若干の援助をするという方針で臨んでおる次第であります。
  82. 田原春次

    ○田原委員 次は、エクアドルの問題でちょっとお尋ねいたしますが、最近エクアドルに古河拓植が行きまして、マニラ麻の栽培の成績が非常にいい。どうしても人がほしいというので、募集なり移住者としての扱いを事業団に頼んだらしい。ところが、移住事業団は、エクアドルは扱いませんと断わったという話を私は聞いたのであります。それがほんとうであるか、うそであるか、知りませんが、海外に行く者は、エクアドルであろうがメキシコであろうが同じなんです。それをいまはアルゼンチンとブラジル、パラグアイを主にしておるから、そのほうにもっぱら力を入れておるけれども、それ以外の国でも行きたい者があって要求があれば、旅券の手続とか、移民扱いで旅費を出すべきだ。これはなぜそういうふうに断わったのか、廣岡理事長に聞きたいと思います。
  83. 廣岡謙二

    廣岡参考人 ただいまのお話、だいぶ誤解があると思うのでありまして、私どもは決して断わったような事実はありません。エクアドルのほうの拓植会社からお話がありまして、それで向こうに行ってもらう人については、自分のほうで計画を立てる、その移住の実際の手続とか募集とか、そういうことについては移住事業団のほうでやってもらいたい、そういたしましょうというようなことで、これについては協力の態勢にございまして、いまおっしゃったような、断わったというような事実はございません。
  84. 田原春次

    ○田原委員 それならばそれを信じておきましょう。  次はアルゼンチンに移ります。  事業団で第二次に開設しましたアンデスの移住地で、昨年ひょう害がありましたことは御承知のとおりであります。しかし、ひょう害に対する対策——ほとんど作物がやられてしまったんですから、そして一年作のものもありますけれども、永年作もありますので、これに対してはやはり営農資金、作物の災害復旧資金等を考えなければならぬと思うのでありますが、この昨年のひょう害に対してどの程度対策を講じておるか、また今後講じようとしておるか、お尋ねしたいと思います。
  85. 安藤龍一

    安藤政府委員 簡単にお答えいたしますが、昨年及び本年は幸い被害がなかったので、営農成績はおおむね良好でございますので、移住者は大体立ち上がりつつある状況でございます。
  86. 田原春次

    ○田原委員 次はパラグアイについてお尋ねいたします。  搾油工場のことで、一部三宅君が聞いておりますが、私の聞いておるところでは、事業団援助して民間資本との共同出資でつくるようになっておるのに、いまだにできていないのはなぜか、遅延している理由は何であるか。これは最初のもくろみの誤算から、費用が非常にかさむのでやっていけないんじゃないかという悲観的な空気が現地に広がっております。せっかく定着農民の作物——油キリあるいはそのほかの作物の油をとるのでありますから、設計の費用とは多少違いましたとしても、直ちにそれに対する方針をきめまして、予定どおりやるべきものじゃないかと思いますが、どうなっておりますか、これも明らかにしてもらいたいと思います。
  87. 廣岡謙二

    廣岡参考人 お尋ねのイタプア製油投資株式会社は昨年の八月に設立されまして、現地においてアスンシオンに設立準備事務所を設けております。目下相互に連携をとりながら設立準備中でございますが、機械の関係で当初のもくろみと若干違いまして、大体一年近く遅延をいたしておることは事実でございますけれども、最近いよいよ計画がきまりまして、ただいま関係当局の了承を得るように折衝中でございます。これも間もなく終わると思うのでございまして、そういたしますならば、すぐ機械の発注にかかりまして、本年の七月には現地で工場が設置されることに相なっておる次第でございます。そうして明年の十月ころ操業を開始するというような見通しを立てておるのでございまして、現地におきましてもこの設立を鶴首しておる現状でございますので、これからは早急に諸般の準備を整えまして、実現の方向に努力してまいり、そうして移住者の期待に沿いたい、こう考えております。
  88. 田原春次

    ○田原委員 次はペルーに関して二問いたします。一緒に合わせて質問いたします。  第一は、一九四〇年の暴動に対する賠償金として、ペルー政府との交渉で百二十万ソーレス、当時の金、これを一九六三年以後毎年二十万ソーレスずつ賠償するということになっておったのが、いまだに賠償されていない。これを至急やはり協定のとおりにペルー政府から取り立ててもらいたいということが一つ。どこまでいっておるか、明らかにしてもらいたい。  第二点は、在外資産返還金の問題で、ペルー在留同胞の財産を戦時中に没収されたことから、戦後これが返還金としてあらわれ、大体半分以上は返してもらっておりますけれども、大使館を通じていろいろ告示しても、行くえ不明その他で申し出のないものが相当あった。ところが、大蔵省はずるくて、明治二十三年一月に法律第一号でできた保管金規則をたてにとって、五年間何らの申し出がないから、これを国庫に帰属するといって取り上げてしまった。推定いまの相場で約一千万円であります。こういうむごいことをせずに、現にペルー日本人の財産なんでありますから、申し出がなかったのは、死に絶えたりいろいろなことでありましょうが、ペルー日本人の厚生資金に使う。たとえば老齢者の養老院でもよろしいし、慢性病患者に対するところの治療院でもいいし、ペルーで一千万からの金が余ったからといって、日本に取り上げてくるという残酷なことはやめて、大蔵省と農林省ともう一ぺん相談して、第一点の暴動賠償金と、第二点の在外資産返還金の国庫帰属分と合わせて、ペルーにもっとりっぱな何か社会厚生施設をつくったらどうか。約六万人の一世、二世、三世がおるのでございますから。これに対する大蔵省の明確な答弁外務省の方針とをあわせて聞きたいと思います。
  89. 安藤龍一

    安藤政府委員 第一点につきましては、御指摘のように、二十万ソーレスずつ年賦で日本政府に支払うよう向こう側も意思表示をした次第でございますが、いまだ交換公文の約束を履行しておりませんので、わがほうとしましては、再三ペルー政府に対して支払いを督促しておる次第でございます。  第二点につきましては、これは大蔵省よりお答え願いたいと思います。
  90. 田原春次

    ○田原委員 大蔵省来ていますか。
  91. 大竹宏繁

    ○大竹説明員 本件につきましては、昨年外務省よりいろいろお話もございましたのですが、現在法規上いささか無理であるという結論になってわるわけでございます。なお十分に検討いたしたいと考えております。
  92. 田原春次

    ○田原委員 これはぜひとも他の形で、予算の増額なり何かの形で現地日本人に還元してもらいまして、社会厚生施設に使うように強く要望しておきます。  最後に、ブラジルに関して一点だけお尋ねいたします。  先ほど三宅君からいろいろトメアス、つまり、アマゾンの下流地帯日本人をだんだん集めたらどうかという意見もありました。これも一つ意見でありますけれども、現在私が調べてみますと、中流から上流にほとんどわずかずつ分散しておるのです。たとえばリオ・ブランコ州ではタイアーノ移住地に十三戸、ボア・ビスタ移住地に四十二戸、アマゾンの奥地のロンドニア州のトレーゼ・デ・セッテンブロ移住地に二十二戸、それからアマゾン川の北岸のアマパ直轄領にはマカパ移住地十五戸、マタピ移住地六戸、それからパラ州の上流沿岸地帯が、バリンテンス移住地に二戸、サニタアレンに三十戸、アレンケール移住地に六一尺モンテアレグレ移住地に二十五戸、こういうふうに分散しておる。かつて終戦直後、アマゾンに行けということを言って、外務省より非常に奨励しまして、たくさんの移住者が行ったのです。行きましたが、第一、作物がとれない、金融の便がない、衛生が不便である、子供の学校がないということで、そのうちの何割かは下流に来たり、または遠く南のほうのサンパウロに行ってしまったのです。残った連中は安定していますという声であったが、安定ではないのです。もうあきらめて、まるで土人みたいな生活をしている。みじめなものです。しかも入植後十年たって、向こうで生まれた子供が十歳になって小学校に行くのに、ブラジルの小学校もない、日本語学校もない、こういうみじめな生活にほったらかしておくことはいかぬ。したがって、やり方としましては二つありまして、先ほど三宅君の言ったように、下流に集めて代替地を出すという手もありましょう。逆に言えば、こういういまあげました八カ所の移住地を目ざして、タイアーノならタイアーノ、マカパならマカパに新移住者を送り出す、新しい血液を送り出すということにしたらどうだ。  これについては、事業団の役職員配置についても私は満足しておりません。たとえばブラジルに大ぜい行っておりまするが、ほとんど大都会のサンパウロとリオデジャネイロ支部におるのであります。サンパウロのごときは十五人ぐらいおると思います。サンパウロの経済は東山銀行であるとか、日伯銀行であるとか、あるいは南米銀行であるとかいう日本の銀行、それからコチア産業組合のような大きい組合がありますから、ちょうど日本で国民金融公庫やあるいは住宅金融公庫が民間銀行を窓口にしてその要求の八割を貸しているように、間接貸しになっておる時代が来ておると思います。それを事業団の十五人ぐらいの職員がサンパウロにおり、パラナ州あたりの農民が融資を申請しますと、わざわざ出張旅費を使って調べており、その出張旅費を加算して、そうして金を貸すというようなことをしておりますが、そうでなくて、やるならば、たとえばきょうのテレビであったか、山梨県で老人住宅資金を農協にあっせんさして、一戸百万円ずつ貸してやる、その利子年間八分のものに対しては、三分を県が補償して、農協のそのものの利子は五分でいいようにするというやり方もあるのだから、サンパウロの民間銀行を通じてやりまして、利子が高ければ、高い分だけを事業団なりあるいは外務省なりが補助してやるという方法もあると思いますね。こうやってアマゾンの各地にも——アマゾンにはいま申しました銀行の支店はありませんけれども、農協がありますから、農協の資金部を通じまして利子の一部補給をしながら、たとえばトラックであるとか、あるいは倉庫であるとか、精米所であるとかというものを、いま申しました、ほんとうにへんぴなところに行っておりますところに対して出してやる。  それから、事業団の職員も行っておりません。たまに出張はするけれども、行っておらないのです。これは一カ所に一人ぐらいは行って、通訳もしてやるし、役場との折衝もしてやるし、警察との交渉もしてやる、税務署の説明もしてやる、あるいはひまを見て日本語の塾でも開いてやるという親切が望ましいけれども、ただブラジルに何人行っておりますというが、よく調べてみれば、みな大都会に行っておる。はなはだしきは夜はマージャンで遊んでおり、バーに行って飲んでおるといった状態ではいかぬと思うのですね。事業団の職員は、現地では最前線に出る、日本人会その他のないところへ出る、そうやって、よく来てくれたと感謝をされるようにすべきだと思いますが、人事配置をそういうように転換するような方針をとってもらいたいが、御意見はどうか、あわせてこれをお尋ねいたします。
  93. 廣岡謙二

    廣岡参考人 奥地移住地は、特にただいまお話がありましたアマゾン中流付近に、そういうこじんまりした移住者が散在いたしておるというのが現状であります。私ども、決してこれを傍観無視しておるわけではございませんが、ベレン支部の職員を派遣いたしまして、直接個々の移住者に当たちせまして、もしほかに転向したいという希望者があれば、お世話もするというようなことをいたしておるのでありますが、案外、出る人は出てしまって、あと残った人は当分このままでやってみましょうというような方々もかなりおるやに聞いております。しかし、今後といえども、これらの人々の現状等を勘案いたしまして、本人の希望によりましては、適当な場所に転向のお世話をするというようなことも考えてまいりたいと考えております。  外地における事業団職員の配置につきましては、ただいまお話もございましたけれども、私ども、その実情に即して適宜配置を考えてまいっておるのでありまして、実際の指導におきましては、ただいまお話のありましたようなことを十分に御意見として承りまして、今後対処してまいりたいと考えております。
  94. 田原春次

    ○田原委員 時間の関係で、あとの問題は他の機会に譲りますが、日本民族の生きる道は貿易と移住なんだとわれわれは思っておりまするから、外務委員会としても、一般外交問題のほかに、会期中の委員会では、一日は必ず移住問題に集中するようにしてもらいたい、こういう希望をつけまして、きょうの質問を終わりたいと思います。
  95. 秋田大助

    秋田委員長 本日はこれにて散会いたします。    午後一時二分散会