○帆足
委員 ただいま与党の同僚議員から、まことに示唆に富む御質問がありまして、私は深く感銘して傾聴いたしました。
実は時間もございませんが、
参考人の方に申し上げて参考にしていただきたいのでございますが、この
協定が外務
委員会にかかりましたのはごく最近でございます。私は不勉強で、一月くらい前からようやくいろいろの参考書を先輩各位からいただきまして、急に勉強いたしましたのですが、事柄の重大性とその歴史的意義の偉大なことに実に驚いている次第でございます。人学ばざれば禽獣のごとしと言いますけれ
ども、まことにそのとおりであると思います。したがいまして、この
協定につきましては、どうしてもただいまの
齋藤議員のような見識のある与党議員の方々、また野党議員の中で深くこの問題を検討せられておる方々の御
意見も拝聴いたしまして、そうして議員はただ御質問申し上げるだけでなくて、専門の方々に深く啓蒙していただきまして、また
政治家として言うべき御注意は十分に申し上げて、それらの点は速記にとどめ、ときとしては付帯
意見といたして、さらに
委員長の御注意を促しまして慎重な審議を必要とするように私は思っております。しかし、会期も急いでおりますし、参議院にもかけねばなりませんから、大局から見ましてこの
協定はタイムリーに通過することが必要であるという皆さまの御
意見を伺いまして、私も、大勢においてはそのような配慮は必要であるとは思っております。しかし、
国会は十分に慎重に審議する場所でございますから、ただいま伺えば伺うほど、私は、これは深く検討いたさねばならぬと思っております。
と申しますのは、私事にわたって恐縮でございますが、私の青年時代の思い出でございますが、学校を出まして、やがて東京電燈の郷会長の調査秘書になりまして、次には小林一三氏、平生釟三郎氏の調査秘書をいたしておりました。当時としては
電力のことをやや深く存じておりました。戦争が済みまして、
日本が廃墟になりましたときに、
日本は海の国でございますから、原料を輸入し、製品を輸出する。貿易は呼吸のごときもので、輸出は吐く息、輸入は吸う息。しかし、何分にも
国内にその基礎としてエネルギー資源を確立せねばならぬ。幸いにして湿度は多うございます。住みにくい国でありますが、食糧は豊富でございますけれ
ども、台風と治水の仕事が十分に進んでおりません。それと道路の問題。当時
日本のエネルギー資源をどこに置くかということが論争になりまして、私は、層の薄い、値段の高い石炭にたよるよりも、まず治水の仕事に、多目的ダムに重点を置いて、石炭をもって補うべし、また、鉄道を電化することによってエネルギーの効率使用をすることが必要である等のことを、当時経済復興
会議の幹事長として主張いたしまして、数年間努力をいたしました。
いま振り返ってみますると、それらのことはもはや全部実現され、そして常識にすらなっておりますが、その石炭ですら、いまや重油にかわってしまっておりまして、そのエネルギーの現在の総量はもはや隔世の感があるのでございます。戦前最高七百万トンであった
日本の鉄鋼は、いまや六千万トンをこえた。夢に夢みるような大きな数字でございます。そこにもってきて、今度
原子力エネルギーの問題が——私
どもは核アレルギーとよく言われて、核戦争のことを心配し過ぎると言われるのでございますけれ
ども、しかし、これは後ほど申し上げますが、そう言われることを私は光栄に思っておる者の一人であります。
原子力平和利用ということを、アイソトープとか、その他いろいろの部分的な
技術で、科学博物館などで拝見したときは、これはただ珍しいという一語に尽きたのでございますけれ
ども、今後、二十年後においては、
日本のエネルギー総量の過半が
原子力発電に移り、しかも、そのコストはやがて重油を割るようになってまいり、その輸送に至っては何百分の一の輸送力で済むということになってくれば、それは非常なエネルギー革命の問題でございます。
きょう皆さま方から、それぞれ御
意見を謙虚に伺わしていただきまして、また、外務
委員といたしましては、
外交のことには多少通じておりますけれ
ども、
産業のことには通じておりませんので、
齋藤委員はじめ科学
技術委員、また通産
委員諸兄の教えも受けたいと思っておる次第でございます。したがいまして、きょうは時間がございませんから、私
ども要点を伺いまして、あとはこの
委員会において論議が続くでありましょうけれ
ども、前向きの
姿勢でそれを十分に討議し、そして皆さまのお仕事に間に合うようにいたしたいと思っておることをまず御了解願いたいのでございます。
齋藤委員から
青木賢一君に対して御質問がありまして、私も拝聴いたしました。しかし、この一点については、私
どもも同じようにこだわっております。人類がもし諸兄のごとき理性を持った
人たちで構成されておるならば問題はありません。しかし、不幸にして、人類の現段階は進化の過程にありまして、驚くべくその理性は低いのでございます。ヨーロッパもそう高くはありませんけれ
ども、特に
日本におきましては、民主革命は成らず、民主主義は南無阿彌陀仏、そして過去においては、「朕惟フニ」という一言でもって万事解決。教育勅語はきわめて小さなプラグマチズムで、偉大なるテネシーダムをつくった
アメリカのプラグマチズム、またはジョン・デューイを生んだプラグマチズムとは、格段の違いがあると私は思っております。一国の生産力は、その民族の持っておる哲学の深さと広さに正比例すると思いますが、八月十五日の民主革命によりまして、鉄鋼六千万トンをこえましたのは、とにもかくにも
日本の封建制が破れて、人の心が
開発されたからであろうと思うのでございます。
原子力エネルギーが
発電にやがて使われてまいります前途の展望を考えますと、まことに心おどる思いがいたすのでありまして、かのジェームス・ワットの蒸気機関の発明にも匹敵するものであろうと思うのでございます。
歴史を思いますと、歴史の進行というものは、すでに起こったことのあと始末と、これから起ころうとすることの萌芽と、およそ二つがあるように考えます。たとえば戦艦大和は、あれほどすぐれた海軍
技術をもってつくりまして、真珠湾攻撃の一週間後にこれが進水をいたしまして、
日本の科学
技術、
世界の科学
技術の最高峰といわれたあの大和が旗艦になりましたときに、私はいまも感銘深く思い出すのですが、山本五十六元帥が、私は大和をつくることに反対であった、飛行機をつくるべきである、その反対であった自分が、いまやかくかくたる戦勝のもとに、ちょうど真珠湾攻撃の十日後でございましたが、金鵄勲章をもらいまして、戦艦大和の司令長官室におさまった、まことに歴史の皮肉と言わざるを得ない、やがて一年半後には戦局の前途は見え、二年後には私は不幸のうちに消えるであろう、私はそのことばをいまも思い出しますが、作家阿川さんが文化賞をもらった名著「山本五十六」にこのことを書かれております。
なぜこのことを申し上げるかといいますと、一方人間は愚かしくも戦争をしながら、他方でいま
原子力の問題が日程にのぼっておる。沖繩には基地があり、
国内至るところに基地がある。寝撃ちジョンソンと言われるジョンソンが、突如として北ベトナムとの和平を声明しましたけれ
ども、寝撃ちジョンソンのことですから、いつまたピストルを撃つかわからぬという状況で、それが沖繩に波及し、紅衛兵の中国に波及し、
日本の軍事基地に波及したならば、
原子力発電も何も一瞬にして吹っ飛んでしまうし、至るところに危険と結びつく可能性もある。こういう世の中に住んでおるのでございますから、
青木君の指摘された点は、私は単なるアレルギー性の御注意とは思いません。きわめて重要な問題であると思います。
教授の皆さんに伺いますが、もしヒトラーと東条さんが
原子力を利用して原子爆弾をつくっていたならば、この
世界はどういうことになっていたでしょうか。今日の
政治情勢がそれほど安心できる
政治情勢でしょうか。少なくとも外務
委員会においては、これに心から
賛成をしながら、なおかつ歴史のそういうような段階であるということを
発言する政党、攻撃する個人がおっても、私はそれは当然のことであると思うのでございます。先ほど歴史について申し上げましたが、ジェームス・ワットの蒸気機関の発明は、やがて自由、平等、博愛の最初ののろしでありまして、やがてそのあとに影を映す歴史は
アメリカの独立戦争となり、偉大なる独立宣言となり、偉大なる精神となりました。しかし、戦艦大和をつくったこの偉大な
技術は、将来をつくるのではなくて、これは過去の善後処置でございました。十二月八日にもうすべては済んでいたのです。八月十五日までたくさんの青年を殺して、これは事後処置をしたのであります。愚かな私
ども人間の理性は、これから起ころうとする事件と、すでに済んでいた事件との区別がわからないのでありまして、大東亜戦争四年間の仕事は、ヒトラーという気違いに踊らされて、われわれは、ただ愚かにもこのあと始末をしていた。幸いにして、終戦の日を早く迎えることができましてしあわせでありましたけれ
ども、そのときに、もし湯川博士のような人が一ダースもおられて、東条さんに
原子力を利用させたならば、またヒトラーが原爆を使ったならば、どんなことになったであろうかと思うと、歴史の宿命を深く思わざるを得ないのでございます。私
どもは
政治家でございますから、やはりそういうことにも心から寄せざるを得ないことを
参考人各位に私は一言申さざるを得ないのでございます。議員は、御質問を申し上げて蒙をひらいていただくと同時に、
国民を代表いたしまして、要望や留意事項を聞いていただくという両方の仕事が議員の仕事でございますから、かく申し上げました。
由来、
わが国では、科学者、
技術者の方々はどうも
政治にうとく、職人かたぎがございます。そうしてわれわれ
政治家は科学
技術にうとく、また実業界には不覊独立の精神は一面ありますけれ
ども、他面いわゆる福澤
先生が言った町人根性というのが残っておりまして、取るにも足らぬ役人の前に頭が上がらぬ。そうであるのに、私
ども日本社会党も口を開けばすぐ国営と言いますが、国営といえば何もかも解決するかといえば、国営とは役人の古手が仕事をすること、事柄を複雑にすること、そういう一面と、過当競争を防止して、そして
計画的に仕事をするプラスの面と両面がございますから、私は、諸
先生が無条件に国営にすることには不
賛成であると言われた
意味はよく理解できるのでございます。わが党としてもこういう点はよく検討いたしまして、そして理性と
計画性が必要である。仕事の段取り——よく大工の棟梁が段取り八分と言いますけれ
ども、段取りができれば能率が上がります。そういう
意味の国家
計画、国営思想は私は健全であると思いますけれ
ども、役人の外郭機関をつくって事柄を複雑にし、硬直化させるよりも、創意と自由にあふれた方々の
責任にまかすということも忘れてはならぬことのように思うものの一人でございます。
本論に入りまして、二、三のことをお教え願いたいのでございますが、ただいま
齋藤議員の御質問の中で、私が一番感銘深く、また今後勉強せねばならぬと
感じましたことは、原料をどこに得るかという問題でございます。今日
アメリカとの
関係はまずまずよいほうでありましょう。あすも健全な
意味で、理性的な
意味で、よいことをわれわれは望みますけれ
ども、しかし、
アメリカは、一千億ドルの予算のうち七百五十億ドルを戦争に使っておりまして、この膨大な、全人類を養い得るといわれるほどの生産力を持っておる国が、その生産力の七割五分は肝臓硬変症になっておりまして、からだの三分の二は紫色にふくれあがっておる。これは私がかく申すのではありません。アイゼンハワー元帥がおやめになるときに、若いケネディに対して、
アメリカの軍部と軍需
産業と職業軍人と結託したならば、第二の東条にならないとだれが言い得るであろう、だれが押え得るであろう、これは有名なアイゼンハワー元帥の告別の辞でございます。アイゼンハワー元帥は、人も評するように、
日本でいえば宇垣陸相のような
立場の人であったようであります。もし
アメリカとアジアとの
関係がそごし、あと一、二カ月か半年ベトナムの問題にかかっておりますけれ
ども、一たび中国の国境を越えるような事態があったならば、沖繩、
日本、台湾、朝鮮、
アメリカの
関係は現在のようには私はうまくいかないと思います。では代案があるかといえば、もちろん代案もございません。したがいまして、あえて経済
技術的に現在の皆さんの構想に全面的に反対ではありません。経済
関係をよくすることはよいことでありますけれ
ども、しかし、
齋藤議員がいま御指摘されたように、歴史は動きますし、大局からいえば、やがてはアフリカ諸国は西ヨーロッパが世話をし、中南米は
アメリカが世話をし、東南アジアは
日本と中国が世話をする、過渡期において互恵平等の
関係で世話をする、そういうような経済地理学的なことも考え得るわけでございますが、
アメリカとの間にある距離が来るということも、立地的には考え得るわけでございます。したがいまして、今後
条約の背景におきまして、われわれは原料をどういう方面から得るかということについて、皆さまが御心配になっておられるように、
政治的に考えましても、十分な配慮をいたしておくことが必要であろうと思うのでございます。
私がなぜこういうことを繰り返し申し上げるかと申しますと、かつて経団連におりましたときに、大東亜戦争が十二月八日に起こりました。そのときの
日本の鉄鋼の最高の生産額はわずかに七百万トン、敵国たる
アメリカから参るはずのくず鉄を除いて考れば、まず三百万トンが当時自給力でございました。
アメリカの鉄鋼産額は六千八百万トンでございました。それから三年後には
日本の鉄は二百万トンに下がり、
アメリカの鉄鋼は九千八百万トンにのぼっております。二百万トンと九千八百万トンの鉄の戦い、運命はだれにもわかるわけで、その
一つのことが
国民の常識になっていたならば、あの愚かなことをもっと早く処理することができたわけでありまして、妥協点はまず上海、香港がせいぜいのところを、ガダルカナルまで出かけて、ついに転落し、二発の原爆を食らい、そうして蒸発した。それまで私
どもは何を考えていたかというと、戦艦大和をつくるほどの一流の
技術者を持ちながら、「朕惟フニ」の一言で、それで人生哲学は過ぎてしまった。朕は思えど人は思わず、この国には哲学書もなく、厳粛な宗教も衰えて、そうして、私
どもはただとうとうとして時の
政府に追随してまいりました。
こういうような諸条件を考えまして、
原子力エネルギーの問題を討議するにあたりまして、やはり国際情勢に対して
意見を交換し、原料の獲得についても、幾つかのその背景の流れを考えておくことが外務
委員として必要であろう、こう思うわけでありまして、このことは、科学
技術委員の諸君から、私
どもはもっと本
委員会において教えてもらいたいと思っております。ただいま、当面
アメリカにたよるといたしまして、将来
日本の
原子力自立のための原料の獲得は、大体いま学者といたしましてどういう方面に着目をし、どういう
技術に着目したらよかろうか、いずれ
委員会で十分な検討がございますから、ごく簡単にある
方向だけをお教え願いたいのでございます。