○瀬谷英行君 私は、
日本社会党を代表して、
昭和四十二年度補正予算三案に対して、反対の態度を明らかにするものであります。
いま
日本の経済はきわめて深刻な事態に直面いたしております。その原因としては、
政府が経済の見通しを
誤り、放漫な財政の運営を続けてきたことを第一にあげなければなりません。今日までの無計画な設備投資の行き過ぎは、
政府の予想をすらはるかに上回り、七兆二千億に達し、国際収支には大幅な赤字が見込まれるに至ったのであります。
国民は、とどまるところを知らない物価の上昇に苦しみ、かつ悩まされ、貨幣価値の下落を苦々しい思いで見送るほかにすべがないのであります。年度を通じましての物価の上昇率が、たとえ
政府の見込みどおり四・五%におさまるとしても、昨今における急激な物価の上昇と、すでに予想される各種公共料金、消費者米価等の値上げ攻勢によって、物価の上昇傾向は来年度に引き継がれていくことはもはや明らかであります。
この間、
政府は景気
調整と称して、国債発行の減額、公定歩合の引き上げ、さらには三千億に及ぶ公共事業費の繰り延べ等によって当面を糊塗しようといたしたようでありますが、さしたる効果を期待することもできず、経済の高度成長というかけ声とはうらはらに、中小企業、零細企業の倒産が相次いでおります。
政府に為政者としての思いやりと一片の良心があるならば、率直に見通しの
誤りを認め、
国民にその不明を謝し、深く政治
責任を痛感しなければならないところであります。
過般のポンド切り下げは、かつて世界に太陽の没するところなしとうたわれた大英帝国にも、時代の波は容赦のないことを知らしめました。本
国会における予算審議において、ポンド切り下げに関連して、ドルの将来に対する懸念と
質疑が繰り返されたのはけだし当然であろうと思うのであります。しかしながら
政府の
答弁よりうかがわれることは、相も変わらぬドル盲信であります。
わが国の外貨準備は二十億ドル前後に停滞し、輸入規模の五分の一
程度にすぎず、きわめて不安定な状態にあり、金の比率もはなはだしく低いのであります。要するに、経済の基盤は、いかに
国民の総生産の高さを
政府が誇っても、実体はすこぶる脆弱であることを忘れてはならないはずであります。
政府は、ドルが国際通貨として多数国で利用されてきたこと、また従来外貨をドルで保有し運用してきたことを理由に、ドル依存の体制を最善無二の道と信じておるかのように見受けられます。
しかしながら一葉落ちて天下の秋を知るごとく、いまやポンドの切り下げは、否定しがたい歴史上のできごととなりました。そしてアメリカは、周知のように、世界に悪評の高いベトナム戦争の主役となっております。
ワシントンからの報道によれば、アメリカにおいても、ベトナム戦争に対する批判は年々きびしく、前アメリカ海兵隊司令官ですら、ベトナム戦争に米国の安全がかかっているという見方はたわけた話であると言い切っております。すなわちアメリカが戦っている相手の大部分は南ベトナム
国民であって、ベトナム戦争がサイゴンのならず者と
国民との内戦であることがはっきりしているというのであります。つまり、かかる見解に従えば、アメリカはサイゴンのならず者の味方になって、南ベトナムの
国民の大部分を敵に回して戦っているということになります。ただしこのような見解はきわめて常識的であって、かつ正常なものであろうと思うのであります。それにもかかわらず、ベトナムでは国際的常識にさからって、
米軍による大量の殺戮が日夜を分かたず続けられております。われわれがきわめて残念に思うことは、
佐藤総理がアメリカを訪問してジョンソン大統領と
会見しながら、アメリカのベトナム戦争に対する強い反省を求めることができず、逆にこれを支持激励して帰って来たことであります。そしてついに
沖繩の
返還という切実な
国民的願望にはむなしい気休めのことば以外には何の実りも得られませんでした。
政府は
佐藤・ジョンソン会談による
日米共同声明を高く評価することを
国民に求めておりますが、今
国会の審議を通じて明らかにされたところは、絵にかいた山吹の花にもひとしく、実の
一つだになきぞ悲しむのであります。われわれも
小笠原の
返還を今日すなおによろこびたいと思います。しかしながら、
小笠原諸島は本来もっとすみやかに
返還されるべき島々でありました。それに引きかえ
沖繩は百万同胞の非願もむなしく、核基地という迷惑な付録がついたまま祖国のふところに帰る日もさだかではありません。そしてベトナム戦争の有力な足場に利用されているのであります。今日、アメリカはベトナム戦争という泥沼にずるずると踏み込み、世界の公正な世論に反して正義に反する戦争をあくまで続けようとしております。
政府はドルの柱に寄りかかり、安保条約のもと、アメリカの核のかさのもとにある限り、身の不安はないものと思っているようであります。しかしながら無限の浪費にもひとしいベトナム戦争という重荷が、いつまでもドルを安泰にしておくという保証は決してないのであります。
政府はドルの価値を維持することが
日米両国の利益となるから、そのための協力が当然であると答えておりましたが、ポンドに続くドルの危機は、為政者として
希望的観測を抜きにして冷静に
考えなければならないところであります。いまこそ対米追随のごますり外交を反省し、ドル防衛のため身のほど知らずの犠牲を払うことのないよう、
日本国民の
立場に立って政治姿勢を正すことを強く
政府に警告するものであります。
もしも、
昭和四十二年度予算編成の際に、われわれが警告し
指摘していた数々の問題点を、時の
政府が謙虚に聞き入れていたならば、少なくとも当初申し上げたような経済の見通しの
誤りはなかったのではないかと思うのでありますが、その第一が国債の発行であります。多額の国債があたかも健全な財源と同じように安易に取り入れられ、いまに至って消化困難になっております。膨大な国債発行と総花式な放漫財政が今日病根となって財政の硬直化を招いたことは否定しがたいところであります。ところが予算編成の
責任を最も感じなければならないはずの大蔵省は、まるで人ごとのようにふるまい、あたかもその
答弁においては、財政硬直化とは降ってわいた交通事故でもあるかのように聞き取れるのであります。なるほどポンドの切り下げのごときは人ごとならぬできごとであったかもしれませんが、国際環境のきびしさはいまに始まったことではありません。しかるに、財政硬直化対策のしわ寄せを公務員給与、公共事業費、公共料金値上げ、社会保障費、
地方交付税交付金等々、
国民生活の上に一切押しつけようとすることは断じて見のがすことができないところであります。
第一に、
政府は人事院勧告を尊重して、昨年より一カ月繰り上げ、八月より実施することとしたと称しておりますが、人事院勧告の尊重とは金額のみならず、実施の期日も勧告どおり守らなければ尊重したことにならないのは自明のことであります。かかる子供だましのごまかしは毎年のことながら承服できません。
次に、財政硬直化に籍口して、社会保障
関係費に犠牲を求めておりますが、
国民生活の面でこれまた容認しがたいのであります。生活保護費、失対賃金についての基準の引き上げ、さらには医療費の引き上げに伴う医療保険国庫負担分の増額も当然
考慮すべきでありましょう。
第三点として、災害対策
関係と本年度予算審議の際、与野党一致で付せられました決議事項の実施があげられます。すなわち物価上昇の抑制、住宅、道路、交通安全、公害対策、治水等の緊急事項に関する諸決議であります。
これらに要する財源でありますが、
政府は画一的かつ無
責任に一省一局削減を唱えております。もし
行政機構の改革を真剣に行なう熱意があるならば、一局のみならず一省を削減する場合もあるはずであります。また公社、公団にしても整理すべきは整理統合し、逆に必要があれば何局でも新設をする措置を講ずべきであって、
国民生活を中心とした業務の必要性から要員は割り出されるべきであります。いたずらに人件費の画一的削減を
考えるよりも、租税特別措置の廃止、交際費、広告費等に対する課税の強化、億をこえる
政治献金の出所等に着目して積極的な税収をはかるべきであります。
まず、産投会計への繰り入れをとりやめ、既定経費の節減、第三次防衛計画費の削減により三百五十億、既定予備費中二百五十億を削減することは可能であります。一方、税の自然増収、日銀、専売納付金等を合わせて四千億を追加計上し、公債発行額は七百億減額を実施すべきであります。かかる努力を怠り、財政が硬直化すれば漫然とその責めを
国民大衆に転嫁する
考え方は、住民本位の民主政治とは相反することはなはだしいものがあります。特に、大衆課税は中央、
地方を通じてますますきびしく、ささやかなる消費支出まで仮借なく抑制する方針をとりながら、漸増の道をたどってきた防衛費のみが治外法権的にあたたかく保護されるのでは、その真意のほどを疑わざるを得ず、何人をも納得させることができません。
一方において、汚職
議員を輩出しながら、
政治資金の規正にすら手をこまぬいている現状では、他方において、財政の縮減を
国民に説く資格なしと信じ、ここに本予算案に対する反対の意思を表明するものであります。