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1967-12-04 第57回国会 参議院 本会議 第1号
公式Web版
会議録情報
0
昭和
四十二年十二月四日(月曜日) 午前十時五十二分
開議
━━━━━━━━━━━━━
○
議事日程
第一号
昭和
四十二年十二月四日 午前十時
開議
第一
議席
の
指定
第二
常任委員長
の
選挙
第三
会期
の件
━━━━━━━━━━━━━
○本日の
会議
に付した案件 一、
日程
第一 一、新
議員
の紹介 一、故
議員佐藤芳男
君に対し
弔詞贈呈
の件 一、故
議員佐藤芳男
君に対する
追悼
の辞 一、故
議員小沢久太郎
君に対し
弔詞贈呈
の件 一、故
議員小沢久太郎
君に対する
追悼
の辞 一、
常任委員長辞任
の件 一、
日程
第二より第三まで 一、
特別委員会
を設置するの件 ———
—————
—————
重宗雄三
1
○
議長
(重
宗雄三
君) 第五十六回
国会閉会
後の諸般の報告は、
朗読
を省略いたします。
—————
・
—————
重宗雄三
2
○
議長
(重
宗雄三
君) これより本日の
会議
を開きます。
日程
第一、
議席
の
指定
。
議長
は、本
院規則
第十四条により、
諸君
の
議席
をただいま御着席のとおり
指定
いたします。
—————
・
—————
重宗雄三
3
○
議長
(重
宗雄三
君) この際、新たに
議席
に着かれました
議員
を御紹介いたします。
議席
第五十二番、
地方選出議員
、群馬県
選出
、
佐田一郎
君。 〔
佐田一郎
君
起立
、
拍手
〕 ———
—————
—————
重宗雄三
4
○
議長
(重
宗雄三
君)
議席
第百六十八番、
地方選出議員
、秋田県
選出
、
沢田政治
君。 〔
沢田政治
君
起立
、
拍手
〕 ———
—————
—————
重宗雄三
5
○
議長
(重
宗雄三
君)
議席
第五十四番、
地方選出議員
、
千葉
県
選出
、
菅野儀作
君。 〔
菅野儀作
君
起立
、
拍手
〕 ———
—————
—————
重宗雄三
6
○
議長
(重
宗雄三
君)
議席
第五十三番、
地方選出議員
、
新潟
県
選出
、
佐藤隆
君。 〔
佐藤隆
君
起立
、
拍手
〕
—————
・
—————
重宗雄三
7
○
議長
(重
宗雄三
君)
議員佐藤芳男
君は、去る八月二十九日
逝去
せられました。まことに
痛惜哀悼
の
至り
にたえません。
同君
に対しましては、すでに
弔詞
を贈呈いたしました。 ここにその
弔詞
を
朗読
いたします。 〔
総員起立
〕
参議院
は
議員
正四位勲二等
佐藤芳男
君の
長逝
に対しましてつつしんで
哀悼
の意を表しうやうやしく
弔詞
をささげます
—————
・
—————
重宗雄三
8
○
議長
(重
宗雄三
君)
山本伊三郎
君から
発言
を求められております。この際、
発言
を許します。
山本伊三郎
君。 〔
山本伊三郎
君
登壇
、
拍手
〕
山本伊三郎
9
○
山本伊三郎
君 本
院議員佐藤芳男
君は、過ぐる八月二十九日午前四時五十分、
新潟
県笹神村の
静養先
において、山くずれによる不慮の
災害
にあわれて
逝去
されました。日ごろ頑健をもって自負されていた
同君
だけに、その
逝去
を伝える報道は、当時、私
ども同僚議員
の耳を疑わせ、事の意外さに驚き、同時に深い同情の念に包まれたのでありました。私は、ここに
議員各位
のお許しを得まして、つつしんで
哀悼
の
ことば
を申し述べたいと存ずる次第であります。
佐藤芳男
君は、
明治
二十九年九月、
新潟
県
亀田
町の旧家に二男として生をうけられました。
旧制新潟中学
を経て、大正九年、
早稲田大学政治経済学部
を卒業されると同時に、
新潟銀行
に就職されました。それから六年後、
地方政界
へ進出されて、
昭和
二年には、
亀田
町の
町長
となられました。三十一歳のときであります。郷土の
町長
として五期の長い在職の間、
近代的住宅政策
の実施、上水道の完成、水利問題の解決に当たられたかたわら、県の
町村会長
を、さらに
全国
の
町村会長
をもつとめられ、また、
全国国民健康保険連合会長
を兼任されたのであります。
昭和
十七年、実兄の
与一代
上議が病気で倒れたあとを継がれて、
中央政界
へ進まれることになり、
衆議院議員
として当選三回、六年をつとめられました。その間、
国民
皆
保険
をスローガンに活躍されたのであります。
昭和
三十四年に本
院議員
となられ、その後、二期八年にわたり、主として
社会労働
と
決算
の両
委員会
を足場として活躍してこられたのであります。
衆議院時代
からの
社会保障
に対する
情熱
は、引き続き高まりを見せて、
参議院
にあっては、終始、
社会労働委員
のポストについてこられました。また、その
情熱
は、院外における
社会保障制度審議会
の場にも及び、
委員
としての在任十一年を数え、今年六月からは副
会長
の
重責
についておられました。さらに、自民党内にあっては、三十七年以降、
社会保障制度調査会
の副
会長
として、
政策
の
樹立
に寄与されてきたのであります。 他方、
決算委員会
にあっては、三十五年に
委員長
をつとめられてから、引き続き
理事
として活躍されました。
決算審査
の結果を将来の施策へいかに反映させるかについて、
審査方法
の改善に力を尽くされたのであります。 私は、
健康保険臨時特例法
を議した前
国会
の
最終日
に、
与党
を代表して述べられた君の討論を忘れることができないのであります。それは、
与党
の
立場
からする
賛成論
ではありましたが、理論的な
現状分析
と反省、そして将来への展望が随所に芽をふいており、
立場
を異にした私も、その中正な論理の展開に耳を傾けざるを得なかったからであります。しかも、四十年にわたる
議員生活
を貫いて最も深く
情熱
を注がれた
社会保障論
が、君の
政治生活
を締めくくる
議政壇上
の最後の演説となったことは、奇しき因縁であり、同時にまた、君の全生涯の
業績
を飾る
追悼碑
として、将来長く残るものと思われます。
運営
の危機が叫ばれている
わが国
の
医療保険制度
は、いま、抜本的な建て直しを前にして、建設的な策を練る人を一人でも多く必要としているときに、君のごとき斯界の
権威者
を失うことは惜しみても余りあるものがあります。 君は、柔道三段という
健康体
と、本来の世話好きの性格と、長い
政治生活
の体験から得られた幅の広さとが溶け合って、かけがえのない
まとめ役
としての実力を持っておられました。
国会
内においては与野党間の
まとめ役
として、また
国会外
にあっては、
審議会委員
間の
まとめ役
として、貴重な存在であったのであります。思わざりし君の
逝去
は、
国政
のため返す返すも残念な
痛恨事
でありました。 ここに生前の
業績
をしのび、心から御
冥福
をお祈りいたしまして、
追悼
の
ことば
といたします。(
拍手
)
—————
・
—————
重宗雄三
10
○
議長
(重
宗雄三
君)
議員小沢久太郎
君は、去る九月十八日
逝去
せられました。まことに
痛惜哀悼
の
至り
にたえません。
同君
に対しましては、すでに
弔詞
を贈呈いたしました。 ここにその
弔詞
を
朗読
いたします。 〔
総員起立
〕
参議院
は
議員従三位勲
二等
小沢久太郎
君の
長逝
に対しましてつつしんで
哀悼
の意を表しうやうやしく
弔詞
をささげます
—————
・
—————
重宗雄三
11
○
議長
(重
宗雄三
君)
藤田進
君から
発言
を求められております。この際、
発言
を許します。
藤田進
君。 〔
藤田進
君
登壇
、
拍手
〕
藤田進
12
○
藤田進
君 本
院議員小沢久太郎
君は、かねてより
熱海国立病院
において御療養中のところ、そのかいもなく、去る九月十八日
逝去
されました。ここに私は、
各位
の御了承を得て、
議員一同
を代表し、つつしんで
哀悼
の
ことば
をささげたいと存じます。
小沢
君は、
明治
三十三年
東京
市芝区愛宕下町にお生まれになりました。
昭和
二年
東京帝国大学土木工学科
を卒業、直ちに
内務省
に入られたのであります。自来、
内務技師
、
戦災復興院特別建設局土木工事課長
、
建設省総務局企画課長
、
建設省近畿地方建設局長
、
経済安定本部建設交通局長等
を歴任され、
昭和
二十八年
経済審議庁審議官
を退官されるまで、実に三十年に近い年月を、
国土
の保全と
開発
に挺身されて、大きな功績を残されたのであります。 戦後、
建設技術関係者
の
技術水準
及び地位の向上をはかるため、
全日本建設技術協会
が設立されるや、その中枢となって活動せられ、多くの
技術者
から信望を博し、嘱望されて、
昭和
二十八年第三回
参議院議員通常選挙
に
全国
区から立候補、当選されたのであります。次いで、
昭和
三十四年及び四十年には、
千葉
県地方区から当選され、主として
建設委員
として、また
昭和
三十二年には
建設政務次官
として、活躍されたほか、逓信、
地方行政
、運輸、商工、
法務
の
常任委員
となられて、各分野にわたる
国政審議
に参画しておられたのであります。
小沢
君は、党内にあっては、
自由民主党政務調査会建設部長
、副
幹事長
を経て、
昭和
三十五年より三期に及び
参議院自由民主党国会対策委員長
となられ、党務に専念されたのであります。 三十七年、
議院運営委員長
の
重責
をになって
国会
の
運営
に縦横の手腕を発揮され、翌三十八年には、
郵政大臣
に就任、
郵政事業
の発展に貢献されましたが、特に、
衛星通信
の
開発研究
に積極的な姿勢を示され、
リレー衛星
の活用による
東京
−ニューヨーク及びリオデジャネイロとの
宇宙通信
の実験に成功をおさめ、
オリンピック東京大会
における全世界への
テレビ中継実現
の礎石を築かれているのであります。 顧みますれば、
小沢
君は、かつて
新進気鋭
の
技術者
のころ、
昭和土木工学士会
を創立し、そのリーダーとして
技術者運動
の先頭に立たれ、また、
土木試験所
においては
道路橋梁
の
研究
に没頭し、その成果の一端は、後年、「
道路橋計画論
」となって
工学博士
の称号を授与されているのであります。 戦後は、荒廃した
国土
の
復興
に対して、当面の
責任者
となって直接
指導監督
に当たられましたが、他面、いち早く、
国土
の
総合開発
の
必要性
に着眼され、
国土総合開発法制定
の後には、みずから
特定地域総合開発計画
を立案されるとともに、
国土総合開発審議会委員
として、長年にわたり、終始その促進について尽瘁されていたのであります。 さらに、
建設技術
の
海外進出協力
を唱え、
国際建設技術協会
を創設される等、
技術者
として
先駆者的役割
を果たされ、
国土計画協会理事長
、
日本縦貫高速自動車道協会会長等
の要職を兼ねておられたのであります。
小沢
君は、また、温情あふるる人であって、後輩のめんどうをよく見られたことも、君を知る
人々
の語るところでありまして、元
内務省
から華北に派遣された
建設関係職員
の
職場復帰
や、元
海軍施設本部技術関係者
の復員にも熱心に奔走され、その恩恵を受けた
人々
に深い感銘を残しておられるということであります。
わが国
において、近来とみに
公共事業
が拡大されるにつれて、
技術革新
の
必要性
がますます強く叫ばれている今日、
小沢
君のような重要な人物を失うに
至り
ましたことは、まことに惜しみても余りあるものと申さねばなりません。 ここに衷心より
哀悼
の誠をささげ、御
冥福
をお祈り申し上げて、
追悼
の
ことば
といたします。(
拍手
)
—————
・
—————
重宗雄三
13
○
議長
(重
宗雄三
君) この際、おはかりいたします。
法務委員長浅井亨
君から、
常任委員長
を
辞任
いたしたいとの申し出がございました。 これを許可することに御
異議
ございませんか。 〔「
異議
なし」と呼ぶ者あり〕
重宗雄三
14
○
議長
(重
宗雄三
君) 御
異議
ないと認めます。よって、許可することに決しました。
—————
・
—————
重宗雄三
15
○
議長
(重
宗雄三
君)
日程
第二、
常任委員長
の
選挙
。 これより欠員中の
外務委員長
及び
議院運営委員長
並びにただいま
辞任
を許可されました
法務委員長
の
選挙
を行ないます。
園田清充
16
○
園田清充
君
常任委員長
の
選挙
は、その手続を省略し、いずれも
議長
において指名することの
動議
を提出いたします。
多田省吾
17
○
多田省吾
君 私は、ただいまの
園田
君の
動議
に
賛成
をいたします。
重宗雄三
18
○
議長
(重
宗雄三
君)
園田
君の
動議
に御
異議
ございませんか。 〔「
異議
なし」と呼ぶ者あり〕
重宗雄三
19
○
議長
(重
宗雄三
君) 御
異議
ないと認めます。 よって、
議長
は、
法務委員長
に
北條雋八君
を指名いたします。 〔
拍手
〕
外務委員長
に
三木與吉郎
君を指名いたします。 〔
拍手
〕
議院運営委員長
に
徳永正利
君を指名いたします。 〔
拍手
〕
—————
・
—————
重宗雄三
20
○
議長
(重
宗雄三
君)
日程
第三、
会期
の件。 本
院規則
第二十二条により、
議長
は、
衆議院議長
と協議の結果、
会期
を二十日間と協定いたしました。
議長
が協定いたしましたとおり、
会期
を二十日間とすることに
賛成
の
諸君
の
起立
を求めます。 〔
賛成者起立
〕
重宗雄三
21
○
議長
(重
宗雄三
君)
総員起立
と認めます。よって、
会期
は
全会一致
をもって二十日間と決定いたしました。
—————
・
—————
重宗雄三
22
○
議長
(重
宗雄三
君) この際、
特別委員会
の設置につぎ、おはかりいたします。
災害
に関する諸問題を
調査
し、その
対策樹立
に資するため、
委員
二十名からなる
特別委員会
を、 当面の
石炭
に関する諸問題を
調査
し、その
対策樹立
に資するため、
委員
二十名からなる
特別委員会
を、
産業公害
及び
交通
に関する諸問題を
調査
し、その
対策樹立
に資するため、
委員
二十五名からなる
特別委員会
を、 当面の
物価等
に関する諸問題を
調査
し、その
対策樹立
に資するため、
委員
二十名からなる
特別委員会
を、
公職選挙法改正
に関する
調査
のため、
委員
二十名からなる
特別委会員
を、 また、
沖繩
その他
固有領土
に関する
対策樹立
に資するため、
委員
二十五名からなる
特別委員会
を、 それぞれ設置いたしたいと存じます。御
異議
ございませんか。 〔「
異議
なし」と呼ぶ者あり〕
重宗雄三
23
○
議長
(重
宗雄三
君) 御
異議
ないと認めます。 よって、
災害対策特別委員会
、
石炭対策特別委員会
、
産業公害
及び
交通対策特別委員会
、
物価等対策特別委員会
、
公職選挙法改正
に関する
特別委員会
及び
沖繩問題等
に関する
特別委員会
を設置することに決しました。 本
院規則
第三十条により、
議長
は
特別委員
を指名いたします。その氏名を
参事
に
朗読
させます。 〔
参事朗読
〕
—————
・
—————
重宗雄三
24
○
議長
(重
宗雄三
君) 本日はこれにて散会いたします。 午前十一時十八分散会