○
参考人(
萩野昇君)
萩野でございます。私は、現地に
昭和二十一年の三月に復員してまいりまして、家業の
萩野病院を継いだのでございますが、診療に従事してみますと、
患者さんの中に、いままでわれわれが
大学で習わなかったような、また書物で読まなかったような一種ふかしぎな神経痛様疾患が非常にたくさんあるのを発見いたしました。そこで何とかこの悲惨な
病気をなおしてあげたいという気持ちで今日まできたのごでざいます。
この
イタイイタイ病の
研究に実は半生をささげたのでございますが、これは決して別に他意がないのでございまして、痛い痛いと泣きうめき、家族にまで見捨てられて死んでいく、かわいそうな
患者を何とかなおしてやりたい、これが私たち第一線の医師に課せられた宿命じゃないかというような気持ちで生きがいを感じたのでございます。それで
原因の探求に努力したのでございますが、この
イタイイタイ病の
原因は
カドミウムであるということを、これから申し上げたいのでございます。
これを突きとめまして孤独な叫びを叫び続けたのでございますが、なかなか
日本の学界では受け入れてもらえない。それで
小林教授とおはかりして海外の学界にこれを報じたのでございます。反響がすぐまいったのでございますが、依然として
日本の学界には何か冷たいものが流れた。何かそこに暗い霧があるんじゃないかという感じがするのであります。そういうことは
学者の立場として省きまして、これから御説明申し上げたいと思います。
ただ、二十数年間にわたりまして
研究しました
データを十五分でお話し申し上げるということは、これはとても無理なことでございまして、非常に簡略にさしていただきます。それで舌足らずの点が多くなるんじゃないか、また一部、最後の
参考人でございますのでダブる点もございます。これは御説明の必要上お許しいただきたいと思います。
データの細部は
あとで
小林教授からスライドでもって御説明いただきたいと思います。
そこで、
イタイイタイ病とは一体何かということでございます。これは字のごとく痛い
病気でございます。からだじゅうが痛い、腰が痛い、背中が痛い、手足が痛い、関節が痛い、もう痛い痛いと言って泣きうめいております。そんなことうそだろうと、おっしゃいますが、うそじゃございません。もうほんとうにお目にかけたいくらいな現象でございます。この痛い痛いと言っております間にだんだん歩き方が変わってくる。これをわれわれはワッチェルガングといっておりますが、
日本語に訳しますとアヒルが歩くような歩き方。おしりを振ってよちよちと歩く。このようにしておりますと、そのうち、ちょっとつまずく、お便所に行くときに畳のへりにつまずく、それで足が折れるのでございます。そういうことはほかの
病気にはございません。まず
イタイイタイ病だけです。一度折れますとこれはたいへんでございます。寝込んでしまいまして
症状は急速に変化してきます。そこで重症となりますと息をするのにも痛い、せきをするのにも痛い、肋骨が二十八カ所も折れる。どうして肋骨が折れるのかと申しますと、せきをするそのせきのために折れるのでございます。全身七十二カ所骨折がございます。一カ所が折れても痛いのに七十二カ所折れるのですから、これこそ痛い痛いの連発でございます。そこで脊椎が圧迫骨折いたしまして身長が三十センチも縮まる。うそだろうとおっしゃいますが、現に、この間厚生大臣に陳情に参りました小松みよ子さんはじめ皆さんは三十センチ縮んでいる。当初、私がみたときは畳に乗せられて診察に来たのであります。私これをいま歩かせております。もう一度申し上げますと、治療法が発見できたわけです。何とか見つけて曲がりなりに治療してなおしてやっている。だから現在重いのがいない。現在の
イタイイタイ病を
イタイイタイ病と思っていただくと大きな間違いです。あれはほぼ治癒に近い
患者さんです。昔は骨が七十二カ所も折れて痛い痛いと泣きうめいていたのでございます。
その次に、一体
患者さんは何人いるんだという御質問が出ると思いますが、私は、二十一年三月に召集から帰りまして今日まで、二百五名をみております。これは一開業医がみた数でございます。オールマイティーではございませんから、少なくとも二百四、五十名いるんじゃないかと思っております。私の見た数は二百五名、そのうち四名は男性、二百一名は
女性、百十七名はなくなっております。
じゃあ、いつごろからこの
病気は出たのかと、こう申し上げますと、私は
萩野病院で四代目であります。先代の三代目がこれを見つけております。それは、診察したけれ
どもわからないので、
富山市内の
——私のほうの病院はいなかの病院でございますので、大病院のほうへ
患者を送っていたようでありますが、これはわからない、治療法もないということで放置されていたようでございます。二代目は私の祖父でございますが、この時代にはなかったようであります。ですから、私は大正の初期じゃないかと推測しております。これは推測でございます。私が二十一年に、先ほど申し上げましたようにこの
病気を見つけたのでございますが、やはり私もいろいろなおしてみましたが、なおらなかったのであります。そこで型のごとく、大きい設備のいい病院へ行ってみられたらどうですかというので、
富山市内の大病院へ送ったのであります。この病院では、入院さしていただいて、わからないというので、これは帰って来ております。もちろん私もわかりません。それで、しようがないので、私の母校でございます
金沢大学の第一病理学教室の、いまはなくなられましたけれ
ども、宮田栄
教授のところへこれを
報告したのであります。宮田
教授は私と一緒に中村八太郎
教授の弟子でございまして、私が教室におりましたときの助
教授でございます。心やすく来ていただきまして、みようじゃないかということで、この
患者をみていただいたのでありますが、これは
骨軟化症じゃないか、ひとつ
骨軟化症の治療をしてみようじゃないかということで
骨軟化症の治療を始めたのであります。大量のビタミンDを使ったのであります。
終戦直後でございますので良質の薬剤が手に入らなかったのでございます。大量のビタミンDを与えますと、副作用が出まして、下痢を起こし、吐き気がして服薬困難でございます。小量ずつ続けたのでございますけれ
ども、いまのような良質の薬剤じゃございませんので、どうもうまくないという結果になった。それでは、この
イタイイタイ病自身が全身病の様相を呈しておりますので、ウイルス性疾患じゃないだろうかということで、宮田
教授の御指導によりまして、
動物を飼いまして、
患者さんの血液を取り、大小便を取りまして
動物実験を続けたのでございますけれ
ども、
あとで申し上げますように、
カドミウムでございますからこの
実験は不成功に終わったのであります。そこでいろいろと
研究を続けたのでございますが、そのうちに宮田
教授が病に倒れられまして、おいでいただくことができなくなりました。そこで、私も開業の片手間でございます。財産税を取られ、相続税を取られましてかせがないことには食えないのでございます。非常に
研究にも困ったのでございますが、何とか続けておるうちに、三十年になって、ちょうど、皆さまよく御存じのトリコマイシンの発見者である東大の名誉
教授、細菌学の大家である細谷省吾
教授と、現在、北品川に病院をつくっておられます河野稔博士がリューマチの
研究のために
富山へおいでになった。私の
研究しておりますこの
イタイイタイ病をごらんくださいまして、細谷
教授が、
日本にない奇病だ、こう一言おっしゃったのが大きくジャーナリズムの波に乗ったのであります。それまではわれわれは、ただいなかの片すみで黙々と
研究したのでございますが、一躍細谷
教授の御名声によってこれが
日本の津々浦々まで響いたのであります。このころから
富山県下の各病院からも、私のほうへ、おまえおかしいじゃないか、どうして東京の医者と共同
研究しなければならないのか、ぼくとしようじゃないかというような話が集まりまして、中央病院とも共同
研究いたしますし、高岡の産業組合病院もおいでになったのでございますが、それ以前に、いま申し上げましたように河野博士とは
萩野・河野という共同
研究体制ができ上がったのであります。ただ、
結論でございますが、それが、ある者は
骨軟化症である、何でもない
病気だとおっしゃいますし、ある
学者は
骨軟化症とは若干
所見が違う、新しい骨系統の疾患である。しかし
原因は栄養不良と過労だという
結論を出された。私も不本意でございましたけれ
ども、共同
研究の
関係上
——反対はしたんでございますが、一応
報告したんでございます。しかしどう考えてみても、そんなことがあり得ないんです。栄養不良と過労であれば、なぜ
富山県の一定
地区だけに出るんだ、北海道の開拓団地、米がとれないで前進基地を撤収してきているあの寒冷
土地になぜ
イタイイタイ病が出ないんだ、東北地方になぜ出ないんだ、それでもって
イタイイタイ病を解明したということは私は納得できないというので、すべての共同
研究を私のほうから退きまして、私独自の
研究を始めたんでございます。
それはどういうことかといいますと、まず
患者の追跡でございます。地図を広げまして、一件一件
患者を拾った。地図に一件一件赤のスポッティングをした。そうしますと、
発生の分布が
神通川の一定
地区のみに出ている。その次に、私の力で私の友だちに、痛い
病気があったら私に見せてくれないかと頼んだのであります。そのころ私は、
富山県医師会の役員をしておりましたので、特に学術担当の県医師会の理事をしておりました。それで私の言うことをみんな聞いてくれたのであります。集まった
患者はどこにもいない。その
地区だけなんです。そうすれば川の水に
関係があるんじゃないか。じゃ、その
地区とはどういう
地区かと申しますと、
富山平野のまん中を貫通している
神通川の上流でもなければ下流でもない、中流の一定
地区なんです。それが平糊地なんです。山でもなければ海でもない平潤地。この平糊地に二本の小川が入っています。
神通川に注ぐ小川
——西は井田川、東は熊野川、その川の向こうには出ていない。その川を
神通川の間だけに
——その
地区をかんがいしている
用水、今度は逆に
神通川から取り出したかんがい
用水、
神通川の水そのもののかんがい
用水——西には四万石
用水、東は新保
用水、この三角の間にのみ出ている。どう考えても、基礎的疫学的
研究によって、
患者発生分布によって
神通川の川水に
関係があるということがわかってきた。それでそれなら、なぜ上流、下流に出ないんだということを調べてみますと、御存じのように、あそこには立山がある、剣がある、白山がある。富士山は単発山とすれば
日本で最高ですが、これを除きますと、三千メートル級の山があるのは、あの北アルプスの連山。この連山が海に入るところが親不知なんです。親不知になる前に、連山が平野に移るところが越中平野
——これは本願寺の大事な米倉です。この越中平野の先が
日本海になる。非常に険峻な山であって、御存じのとおり
日本の地殻は狭いですから、険峻な坂をなしておるところから、この坂をどろどろと土砂が流れてくる、ふもとにおいてたまる、このたまった土砂が、平潤な越中平野ですから、ここに土砂を置いて、上澄みだけが流れ去る。
富山市においては川底が低いんです。もう
一つ富山市は常願寺水系の上水道
——これは
富山市の昔の市長がえらかった。もし神通水系の上水道をつくっていたら、
富山市も全滅していたんじゃないかと思います。これは常願寺水系の水を使っていた。上流にはない。急激な傾斜を下り落ちるところですから、だれもこの水を飲んでいない。某
鉱山の工場廃水は下水なんです。
鉱山の職工には下水を飲むばかはいない。たまたまその地形の
関係で、それが上水になって飲料水になった。もう
一つ、このたまった砂の中には
カドミウムが入っていた。堤防が切れた。堤防が切れても川底が低ければ川底の砂が田畑にはいかない、汚水だけがいく、汚水がひけば
あと大小便が残るくらいで、田畑にはいかない。川底が高かったものですから、高い川底の土砂が堤防の決壊によってその付近の田のみにいって、井田川を越え、熊野川を越えて向こうまではいかなかった。この堤防の決壊によって川底の砂が田畑に入ったところが温床になった。言いかえると、その
地区のみに人間
公害があり、植物
公害——稲作
公害があった。
小林教授のおっしゃる
農業公害と、私の申し上げる
イタイイタイ病という人間
公害の
発生があった。その川の堤防が切れて、高い川の土砂が入り込んだその温床に限局されている。そこに一定しているわけです。そこで、さらに上流から
カドミウムが流れてきて毒物を上積みしたという事実がわかってきたのです。そうすれば、この
地区では稲が枯れ、
イタイイタイ病が出るのは当然じゃないかということで、また次の
研究を始めたのです。
そこは気候はどうかと申しますと、この
地区は北陸特有の日光の足らない陰惨な気候でございますが、どうぞお考えください。ネコの額のような
神通川の一定地だけお天とうさまが照らないということはあり得ない。その
地区の天候と
富山県全体の天候も大体一定している。天候上の問題はない。
しからば栄養はどうかと申しますと、これまた問題がないのでございます。この
地区は
富山県でも非常に裕福な模範農村でございまして、過去三回にわたりましていろんな表彰を受けています。
農業会
関係の表彰等、いろんな表彰を受けております。そうして
農家経済は非常に安定しております。この
土地は
富山市の隣接地でございまして、近く、来年度あたりに
富山市に合併される地でございます。越中平野の文化の花と申す非常に富める
地区でございます。また、そういうことのみじゃなくて、栄養
調査をしてみますと、私たちの
調査も県の
調査もすべて全国平均に近い、あるいはそれを上回っている。総カロリーにおいては上回っている。ただビタミンDの
関係が若干足らないのじゃないかということはありますが、栄養
調査の結果、全国平均と同一でありました。栄養
状態が特に悪いとは思えないのでございます。
その次に、生活環境はどうであるかと申しますと、多産者に比較的多く
発生している。これが女に多いということは、お産に
関係があるということなんでございます。貧富の差がなく、
農家経済も安定しておりますが、
農家にも非
農家にも
発生しております。それから労働しない者にも
発生している。一家族内においても嫁としゅうとに
発生しているので、血族
関係は認められないのでございます。
これらの
調査から、私は、この
イタイイタイ病の
原因は
神通川の川水に
原因しているということを突きとめまして、
昭和三十二年の学会にこれを発表したのでございます。その後、この
神通川の水を各
大学へ送って水の検査を依頼したのでございますが、これが医者のはかなさでございまして、医科
大学へ送ったのでございますが、この返事はすべて白と書いてある、飲料に適する、特に飲料に不適とは思えないという
成績がきたのでございます。この通知は、河野先生が「
鉱毒説を唱えている者がいるが、これは何ら根拠のないことであって」と、学会で発表されたもとになったのでございます。白でございます。しかし、その中で京都
大学のムンドヒルルギー、口腔外科でございますが、ここからのみは弗素が高い、しかし、異常に高いとは考えられないという返事がまいりましたが、それ以外は全部白なんでございます。たまたまそうなりますと、私の
研究は孤独におちいるのでございます。どなたからも認めてもらえない、まことに悲惨な
状態になったのでございますが、しかし白紙の立場で医者としてただつつましやかに
研究してまいりますと、どうしてもこの見解を捨てることができませんので、たまたまここにおられます
岡山大学の
小林教授にお願いしましたのでございます。御存じのとおり、
小林教授は理学博士、水の博士でございます。
小林教授の教室からの御返事では
神通川の川の水はもちろん、伏流水の井戸水からも
カドミウムが出る、
亜鉛も鉛も大量にある。
小林教授の御教室の検討から言うと、最も疑わしいのは
カドミウムであるという御返事をいただきまして、そこで私
カドミウムという
文献を調べたのでございますが、
日本の国には
カドミウムの
文献が
一つもございません。非常に残念に思いまして海外の
文献を調べてみますと、ございました。フランスの
カドミウムの工場からリューマチ状の痛みを伴う女の
患者が出たとございました。しかし、この
文献には骨が折れるということは出ておりませんでした。そのほかに、ドイツのほうの
文献に慢性
カドミウム中毒という項に、第三期
——疾痛期として、トリッテスタジウム・イコール・シュメルツスタジウム、体が痛くて、そうしてオステオマラーゼ(
骨軟化症)の
症状を呈するということが出てきました。第四期として骨格変形期(スケレットフェルエンデルング)、骨格が変わってくるんだ、そうして骨にひびが入ってきて、体じゅう痛いといって、体が動けなくなるという
文献が出てきたのでございます。
そこで私は、非常に意を強うしまして、
小林教授との共同
研究を始めたのでございますが、まず第一に、これはダブってまいりますが、御説明の都合上少し時間をいただきますが、
カドミウムが骨から非常にたくさん出たのでございます。事故でなくなった方の六PPMに対しまして最高三八〇〇PPM、実におそるべき数なんでございます。それで勇気を得まして食道、胃、小腸、肺、気管、肝臓、すい臓、ひ臓、
腎臓、副腎、甲状線、皮膚、舌、大脳、大動脈、子宮、輸卵管、心臓
——人間の体の各部、各臓器すべてをとりましてお送りしたのでございますが、これまた、
あとでスライドでお目にかけますが、実に大量の
カドミウムが出たのでございます。それからさらに頭髪、つめ、これからも
カドミウムが出てきたのでございます。そこで、死んだ人のお墓の骨はどうかと思いまして、
患者さんのお墓へ行って墓の中から骨をいただきまして、これを
小林教授に送ったのでございます。また
重症患者さんの血液も、これを
小林教授に送ったのでございますが、ただ御存じのように、こういう
重金属は五百度以上になりますと昇華して気散しますので、お墓に入った骨の中の
カドミウムの
成績は区々でございます。しかし、まだ出ております。それから血液からももちろん出ております。こういうことから私たちは、
カドミウムが
原因であるということを突きとめたのでございます。
しからば、これらの
カドミウムはどういう経路でわれわれの
人体の中に入ってくるのだろうかという検索を進めたのでございます。白米を検査していただきますと、これもいまじゃございません、
昭和三十六年の北海道の整形外科学会に発表いたしましたときの
成績でございます。いまは若干減っておりますが、このときの
成績では最高
カドミウムが三五〇PPM、非常に大きい数でございます。
小林教授からいただいた私のレポートの中に入っております。鉛が八八PPM、
亜鉛が六四〇〇PPMでございます。それに勇気を得ましてモチ、御存じのカキモチ
——切ってつるしてあるモチ、ああいうものをお送りしますと、これまた大量の
カドミウムが出てきた。それから大豆、大豆の葉、みそしるのみそ、こういうものをお送りしたのでございますが、これまた大量の
カドミウム、鉛、
亜鉛が出てまいりました。それから水稲の根
——稲はどうかと思いまして、稲の根を送ってみますと、何と驚くなかれ、三五〇〇PPM出ておる。大きい稲の根なんです。そこで、それなら土壌はどうかと思いまして、どろを送ってみますと、これがその当時、いまじゃございません、三十年から三十五年までの間でございますが、最高六八PPM。そうすると土壌の中に六八、稲の根に三五〇〇、白米に三五〇という
成績が出るということは、これは私の説明ではございません、農学博士吉岡金市先生の御説明によりますと、稲の根というものは
カドミウムを選択吸収する。養分を吸うときに一緒に
カドミウムを集めている。そうしてこれを濃縮してケルネルに送る
——白米に送る。だから種に少なくて根に多い。だから根を取ってしまわなければ田の中の
カドミウムは減りはしない。もう
一つ、土壌は、先ほどのお話のように、
水口が水尻より多いということは、堤防の決壊によって温床の下地をつくったけれ
ども、さらにその上に水が
カドミウムを運んできて上乗せしたということを
証明している。それなら川の魚はどうかと申しますと、フナ、ウグイ、コイ、ドジョウ、アユ
——アユが名産でアユずしがございます、これがおいしいのでございますが、
カドミウムがあっておいしいのかもしれません。(笑声)アユの中の骨にはもちろん、頭にも内臓にも身にも
カドミウムが出てきた。言いかえますと、
神通川の水と
関係のあるすべてのものに
カドミウムが出てくる。井田川水系、熊野川水系からは出ない。もっと具体的な例としては、同じ年に同じ魚を井田川の水と
神通川の水で飼ってみた。三年過ぎたら井田川の水で飼ったものは倍になった。私たちはこういう事実を突きとめた。そこで、これらの
カドミウムは一体どこから流れてきたかということがわかりました。川底にあったものが、堤防の決壊によって、川底が高いからそれが低い田に落ちて、田に流れてきたところが温床になった。ここまではつかんだのですが、一体これはどこから流れてきたかという
研究を始めまして、私たちはサンプリングしながら
神通川をさかのぼったのでございます。県境のところで高山から流れてくる宮川、
神岡鉱山の下から流れてくる高原川、この二つに分かれておりますので、これをそれぞれ取りまして
小林教授にお送りしましたところが、
小林教授からの御返事は、宮川のものは
カドミウムも
亜鉛も鉛もない。高原川からは
カドミウム、
亜鉛、鉛が流れてくる。さらに高原川をのぼってまいりますと、工場
排水が高原川に入っているところにおいて最高になる。その工場
排水の中には実にたくさんの
カドミウムが入っているわけでございます。現在、先ほどからのお話を私承っておりますと、すべての工場
排水は
ダムによってとめられているような印象を受けておりますが、現実はそうではございません。工場の中から正門の下を通りまして
——うなぎ長屋のような長屋があの正門の前にございますが、その下を流れておる土管の中から現在も落ちております。私、はっきり申し上げますが、東大の吉田博士のかばん持ちになりまして、変装して入ったことがございます。私は
名前も出しませんでした。ひげをはやしまして、みすぼらしいかっこうをして、かばんを持ってまいりました。東大の吉田博士だから見せていただいたのだと思いますが、つぶさに拝見してまいりました。すべてを見てまいりました。はっきり申し上げます。現在も流れております。なぜ婦中町の
地区で、おえらい先生の
分析で出ないかと申しますと、
神通川には三つの水力
ダムが完成されたのでございます、第一、第二、第三
ダム。川底に現在
カドミウムが比重の
関係でたまっておりますが、いつの日か、これがフル・オーバーしてふたたび流れてくることがあると、私は確信しております。これらの
成績に続きまして、先ほ
どもおっしゃいましたように
カドミウムを見つけた。これでは医学会では認めていただけないのでございます。逆も真なり。その
カドミウムを
動物に与えて、
動物が人間の
イタイイタイ病と同じ
症状を起こさなければ、これは
イタイイタイ病の
原因は
カドミウムであると言い切れないのでございますが、先ほどの
石崎教授のとうとい御経験、それからまた、
小林教授のごりっぱな御
成績にもよりまして、
カドミウムによって
動物が
イタイイタイ病を起こしているのです。私は、これでわれわれの任務が終了したのじゃないか。どうして
日本の学会においてのみ、このはっきりとした事実に反論が行なわれるのだろうか。
もう
一つ申し上げたいのは、私は、いなかの一開業医でございます、実力もございません。ただ、神岡さんのように
日本産業の基幹産業であり、大事な産業である神岡さんに、私は決して立ち向かおうという気持ちはみじんもございません。また、けんかしたら負けるのでございます。ただ一医師といたしまして白紙の立場から、何にも考えないで、
患者がかわいそうなばっかりに
研究を進めたのでございますが、その結果、私の立場の
研究がこうなったのです。私は
患者がかわいそうだと思うのです。ただ、この事実だけを、私は皆さんよく認めてやってほしいと思う。私は売名でもなければ、金もうけ主義でもございません。ただ
患者を助けるのを医師の宿命として、白紙の立場で、謙虚な気持ちで
研究の積み重ねをやってきたのでございます。なぜ私たちだけがいじめられなければならぬのでしょうか。海外発表すれば受け入れてもらえる。
日本の学会ではなぜこれが反対されるのでしょうか。私は非常にさみしく思います。
非常に見苦しい点もございましたけれ
ども、私の証言はこれで終わらしていただきます。ありがとうございました。