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1967-12-22 第57回国会 参議院 沖縄問題等に関する特別委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十二年十二月二十二日(金曜日)    午後三時五十二分開会     —————————————    委員異動  十二月二十一日     辞任         補欠選任      向井 長年君     片山 武夫君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         山本 利壽君     理 事                 内田 芳郎君                 小柳 牧衞君                 岡田 宗司君                 佐多 忠隆君                 黒柳  明君     委 員                 井川 伊平君                 植木 光教君                 大谷 贇雄君                 源田  実君                 谷口 慶吉君                 長谷川 仁君                 林田悠紀夫君                 増原 恵吉君                 安井  謙君                 稲葉 誠一君                 川村 清一君                 片山 武夫君                 春日 正一君    国務大臣        内閣総理大臣   佐藤 榮作君        外 務 大 臣  三木 武夫君        国 務 大 臣  田中 龍夫君    政府委員        内閣法制局長官  高辻 正巳君        総理府特別地域        連絡局長     山野 幸吉君        外務省アジア局        長        小川平四郎君        外務省欧亜局長  北原 秀雄君        外務省条約局長  藤崎 萬里君    事務局側        常任委員会専門        員        瓜生 復男君     —————————————   本日の会議に付した案件沖繩早期祖国復帰に関する請願(第九一号) ○沖繩等祖国復帰に関する請願(第五〇三号) ○沖繩その他の固有領土に関しての対策樹立に関  する調査沖繩その他の固有領土に関する件)     —————————————
  2. 山本利壽

    委員長山本利壽君) ただいまから沖繩問題等に関する特別委員会を開会いたします。  委員異動について御報告いたします。昨十二月二十一日、向井長年君が委員を辞任され、その補欠として片山武夫君が選任されました。     —————————————
  3. 山本利壽

    委員長山本利壽君) これより請願審査を行ないます。本委員会に付託になっております第九一号、沖繩早期祖国復帰に関する請願外一件を議題といたします。  ちょっと速記をとめて。   〔速記中止
  4. 山本利壽

    委員長山本利壽君) それでは速記を起こして。  ただいまの審査の結果に基づき、第九一号、沖繩早期祖国復帰に関する請願外一件の請願は、議院の会議に付するを要するもののにして内閣に送付するを要するものと決定することに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 山本利壽

    委員長山本利壽君) 御異議ないと認めます。よってさよう決定いたしました。  なお、報告書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  6. 山本利壽

    委員長山本利壽君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     —————————————
  7. 山本利壽

    委員長山本利壽君) 沖繩その他の固有領土に関しての対策樹立に関する調査中、沖繩その他の固有領土に関する件を議題といたします。  質疑のある方は、順次御発言を願います。
  8. 岡田宗司

    岡田宗司君 ちょっと特連局長にお伺いいたします。来年度の予算について一体総理府としてはどのくらい要求しているかということをお伺いしたのだけれども、まだ日米協議委員会が開かれないし、その問題はアメリカ側と話がきまらないから、したがって、それはここで申し上げることはできない、資料も出せないと、こういうお話だから、いま、さらにそれを出せとは私は言いませんけれども、しかし、一体日米協議委員会はいつ開かれるのですか。いつの予定ですか。
  9. 山野幸吉

    政府委員山野幸吉君) ちょっと経緯を申し上げますが、従来は、日米協議委員会を開きまして、まず米側から日本政府に対する援助の原案を出しまして、それを受けまして今度は政府部内でそれを検討いたしまして、それの対案を第二回の協議委員会に出しまして、そしてその後現地で日米琉技術委員会を開きまして、第三回の日米協議委員会を開いて合意をする、こういうやり方で来たのでございますが、去年の、今年度の予算編成にあたりまして、国会の中でもいま少し日本政府イニシアチブをとって提案をさせるべきではないかという意見がございまして、米側にも折衝いたしまして、ことしはまず日本側十分内容を検討しまして、そうして非公式に米側と話し合った上で協議委員会を開こう、こういうことになったのでございます。したがいまして、実は米側から非公式にある提案がなされております。それに基づきまして、いま総理府外務省、大蔵省で政府のこれに対する考え方を決定しよう、今明日中にも一最終的に政府態度をきめようということになっておりまして、その日本政府の案が確定いたしますと、非公式に米側と話し合いを進めまして、明春のできるだけ早い機会に日米協議委員会を開いて米側から提案するという形式になろうかと思いますから、そういうことをいま予定しておるわけでございます。
  10. 岡田宗司

    岡田宗司君 今度の佐藤ジョンソン会談の結果、多少こういう問題について日米関係が従来と変わってくるということが予想されるんですがね。また、変わらなければいけないんじゃないかと思うんですけれど、それらの点について、たとえば予算の問題なんかについて、もう少し日本側イニシアチブのとれるような方向に話を進め得るのかどうか、また、そういうつもりがあるのかどうか、これはひとつ総務長官にお伺いしたい。
  11. 田中龍夫

    国務大臣田中龍夫君) ただいまの御意見でございまするが、佐藤ジョンソン会談によりまして、今後は新しい局面が展開されると考えておりまして、ただいまの御意見のような方向にありたいものだとわれわれも考えております。
  12. 山本利壽

    委員長山本利壽君) それでは、総理が御出席になりましたので、総理に対する御質問をいただきたいと思います。
  13. 岡田宗司

    岡田宗司君 佐藤ジョンソン会談が終わられましてから、総理はそのうちにおいて、沖繩返還の問題については両三年内に沖繩返還の時期について合意に達することができると確信するということを何べんも言われております。この確信裏づけるものは何かということについて、私ども何べんも御質問も申し上げております、御答弁もいただいておりますけれども、私はどうも裏づけが確実だとは思えないんですけれども、いまここで、どういう裏づけがあるのかどうかということについて繰り返して御質問申し上げても、これは結局水かけ論になるので、いま私はその問題についてお聞きはしませんが、あなたは確信があるとして臨まれるわけでありますが、この両三年内に交渉を行なうということですが、これはいつごろにはその交渉を始められるかということが一つ大きな問題だろうと思うんです。まあ両三年内といっても、いますぐ始めるのも両三年内でありますけれども、しかし、その後総理が、沖繩返還の問題については国際情勢変化あるいはまた科学技術進歩とかいうような問題をあげられておるところから見ると、やはりある程度の期間を置いてから後に交渉をされるというふうに受け取れるわけですが、おそらくその交渉は来年の十一月に行なわれるアメリカ大統領選挙が済んで、新しい大統領がだれになるかわかりませんけれども、就任してからあとになるのではないかと想像されるのですが、この交渉はその後に、つまり、大統領選挙あとになるのかどうか、まずその点からお伺いいたします。
  14. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) まあ、できるだけ早く交渉を持ったらいいと思います。私は、両三年内に確信があると、かように申しますが、事柄はなかなかむずかしい問題でございます。ことに国民願望沖繩同胞願いから申せば、早く帰りたい、一日も早く祖国復帰を実現しろ、こういうことが第一の問題だと思います。したがいまして、安全保障上の問題もございますが、とにかく早く実質的な交渉に入る、これが望ましいと思います。ただいまアメリカ大統領選挙の前かあとかというようなお話が出ましたが、大統領選挙とただいまの沖繩返還交渉とこれは直接関係のないことは岡田君も御承知のとおりだろうと思います。問題は、私どもが実質的な協議を持つこと、そうして早くこれが解決すればこれにこしたことはございませんが、なかなか難問だろうと思いますので、よく十分両者合意に達するようにこの上とも努力したいと、かように思っております。
  15. 岡田宗司

    岡田宗司君 次にお伺いしたいのは、やはり大統領選挙の帰趨が相当影響を持つと思うんです。それで、共同コミュニケなんかにちゃんと、日本アメリカの間に沖繩返還について交渉を行なうということがはっきりされておれば、大統領がかわってもそれは続くと思うんですけれども、しかし、総理ジョンソン大統領と話されて得た総理確信というものだけでは、客観的な裏づけと私は言えないと思う。その場合に、もし大統領がかわったと、そしてアメリカ政府の陣容が一変したということになりますというと、これは仮定のことでありますから、お答えできないと言われればそれまでのことでありますが、そうなると、やはり問題があるだろうと思うんです。そこでこの交渉というものは、ジョンソン大統領のもとにおいてだけでなく、次の政府、つまりジョンソン大統領政府になるか、あるいは共和党なり、あるいは民主党の他の人の政府になってもそれが続くという確実なものがあるのかどうか、その点についての総理の御意見をお伺いします。
  16. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) 大統領がかわるということを申しますが、また私のほうも、日本もまたそのうちにどういう事態が起こるかこれはわかりません。しかし、共同コミュニケは一私が申すまでもなく、条約あるいは協定というようなものではございません。しかし、両国首脳が基本的な考え方なり方針を約束したものだと、かようにお考えになればいいので、大統領がだれになろうが、また総理がだれになろうが、この両国間の共同コミュニケが変わるということはございません。だから、私はそういう意味で取り組むべきことだと、かように思っております。
  17. 岡田宗司

    岡田宗司君 共同コミュニケというものが両国政府を拘束するものであることは私ま知っておりますけれども、しかし、沖繩返還問題についての合意の問題に関する限りは、どうも、さっきから私も申し上げておるように、はっきりしないので、したがって、あなたの確信だけがあすこに書かれておるし、それからまた、確信ということだけでは、どうもその点私どもは、それが継続されて行なわれ得る基礎になるかどうかということが非常に疑問に思われるので、それでその点お伺いしたのですが、これはたとえば、これから、つまりジョンソン大統領のもとにおいてどういう形式かで交渉が行なわれるとすれば、その交渉はやはり次の政府へ引き継がれ得る可能性が十分にあるのかどうか。これは手続上の問題もありましょうが、その点は確実に続くものと、そういうふうに考えていいのかどうか。
  18. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) 御承知のように、両三年という約束はございません。また、はっきりしたことを米側が申しておるわけじゃありません。しかし、私のほうで両三年ということを主張したこと、これは共同コミュニケで出ておる。これは国民願望でございます。そこで討議の結果、返還方針のもとに両者が共同して継続的に協議しよう、こういうことでございます。このほうは合意に達したのであります。したがいまして、返還方針のもとにこういうことばが——これは何といっても大きな前進だと私思います。しかし、両三年というのは、そういう意味においては私ども願望でございますよ。でありますが、同時に、日本国民のこれは願いでもある。だから、両三年を待たずにもつと早く話ができればそれにこしたことはございません。実質的な交渉は早く始めるべきだと、かように私は先ほど来から申しておるのであります。これは問題は施政権を返すと、そういうことについてはもう両者意見の一致を見ている、かように私は思いますが、問題は、やっぱり軍基地をどういうようにするかという、そういう点でいまの情勢のもとではそれぞれの考え方が相違しておる。だから、そういう点を話を煮詰めることが返還問題を実現さすゆえんだと思います。だから私は、そういう点において十分確信を持ってこの話はまとまる、かように実は申しておるのであります。
  19. 岡田宗司

    岡田宗司君 これからのいわゆる継続的交渉といいますか、それは普通の外交ルートをもって行なわれるのであって、別に特別な両方政府代表によって構成される協議機関で行なわれるのではない、こう解釈してよろしいですか。
  20. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) そのとおりでございます。また一部では、特別な協議機関を持ったほうがいいじゃないか、こういう意見もございます。しかし、本来から申しまして、この種の重要案件は、通常政府責任において外交ルートを通じてやるのがこれは当然いい方法だと、かように私は考えております。
  21. 岡田宗司

    岡田宗司君 ただいまの総理の御答弁から、いま返してもらうということになりますというと、その基地の問題で両者意見が違うと、こういうことを言われておったわけでありますが、私もおそらくそうだろうと思うのです。そこでは総理がいままで、国際情勢変化ということ、あるいは科学技術進歩ということを考慮に入れつつと、こう言われておるのですが、この一体、国際情勢変化というのは総理はどういうふうにお考えになっておるか、おそらくベトナム戦争の推移、これによって沖繩基地情勢も変わってくる、こういうことも含まれておると思うのですけれども、そうなると、この二、三年のうちにベトナム戦争が何かの形で片づくということを総理は予想されておるように思うのですが、その、国際情勢変化ということはどういうことか、やや具体的にお聞かせを願いたい。
  22. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) いま、国際情勢変化、あるいは科学技術進歩、あるいは世論の動向、かようなことを申しますが、これはとにかくみな重なり合っていること、相互に関連を持ちながら、そこで結論が出る、かように御理解をいただきたいと思います。私は、いまベトナム問題がそう長く続くとは思いませんし、また、続いちゃならぬのだ、これは早く片づけなければいかぬ、かように思います。私自身が直接いまこれに責任があるわけではございませんので、できるだけ早くと申しましても、国際世論の喚起や、また両当事者などが和平への方向へ踏み切ってもらう、そういう努力をしたい、そういうことで、可能なら日本もできるだけ協力する、こういうことをもうすでに数回にわたって話をしておりますが、こういう呼びかけにどういうようにこたえてくれるか、実はそれを待っているような状態です。
  23. 岡田宗司

    岡田宗司君 そうすると、この国際情勢変化のうちには、まあベトナム戦争もそう長く続かない、したがって、ベトナム戦争が段落がつけば沖繩基地性格も変わってくる、アメリカもそれを認めて、基地の取り扱い方といいますか、それの変化も起こるだろうということ、あるいはまた、今日アメリカが南ベトナムあるいはタイやフィリピン等に強力な陸海空軍基地を使っておる、あるいはまた、クイック・リリースの方式なんかで軍隊を早く目的地に運ぶというようなやり方も研究して、それを実施に移そうとしておる。そうすると、やはり沖繩基地性格変化をする。そしてアメリカ自身も、いままで沖繩に置いていたウエートを他に移すということもあり得る。したがって、沖繩基地に対して、日本側としてこうしてもらいたいと言うことが容易になるということも含まれておると解していいでしょうか。
  24. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) まあ、そういうこと、いろいろなことがございますね、少なくともベトナム問題が片づけば、その他の地域にどんな影響を与えるか、その他のほうでは変わりはないと、かように申しましても、どうもベトナム沖繩が果たしておるいまの役割りはもうそれはなくなる。そんなものは持たぬでもいい。そこらにも一つ変化はあっていいですね。その辺も含めてとにかく話し合ってみたいと、十分の結論が出ないのじゃないですか。
  25. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 いま総理は、沖繩施政権を返すということについては日米両方原則的には意見が一致している、ただし、沖繩における軍事基地の問題についてはどうもいまのところは意見が合わないので、というような御答弁であったと思います。基地に関するそのアメリカ主張、それから日本主張、その差違はどういう点にあるのですか。
  26. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) 現状においてのアメリカ側の立場は、現にベトナム戦争を遂行しておるこの状態ですから、いま返したくないということははっきりしているだろうと思います。私ども考え方は一体どうなのだ、こういうことですが、これについてはこれからじっくり話し合っていこう、ただいままだ白紙だ、かような状態であります。
  27. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 さきのお話では、この間の論議のときに、両方が違ったので合意に達しなかったのだというふうにわれわれには聞こえる。あの前後の新聞の記事から見ると、そうとしか思われないので、日本意見アメリカ意見とはどう違ったのだということをお尋ねしているわけです。
  28. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) いま申し上げるように違います。
  29. 岡田宗司

    岡田宗司君 次に、科学技術進歩ということですが、これもやはり核兵器進歩ということがその中でもかなり大きな部分を占めているだろうと思う。そうして、総理もようやくメースB沖繩にあるということをお認めになったようです。そうしますと、メースB科学技術進歩、これは軍事科学技術でしょうけれども、それによって旧式化するということもあり得るわけです。また、ポラリスのようなものが配置されることによってメースBが要らなくなるということもありましょうし、あるいは中国側核兵器ミサイル発達によって沖繩におけるメースB基地というものが抑止力であるということを失う、こういうこともあるでしょうし、あるいは、アメリカ側がABMを中国に対して配置するというような事態が起こってくれば、これはまた変わってくる。こういうことが全部科学技術進歩ということに含まれているのかどうかお伺いしたい。
  30. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) 大体いま言われるようなものを全部含んでいると私は思います。  そこで一つ申し上げておかなければならぬのは、核基地沖繩にある、これは想像はしております。しかし、どういうような機能を持っているか、これが防御的あるいは攻撃的なものか、そういうことについての評価、どのくらいの価値があるかという評価、これは米軍機密事項でそれは私ども存じておりません。したがって、いまメースBの話が出て、これが時代おくれになるとかならないとかいろいろ御議論になりましたが、どういうものか私にはその機能はわかりません。ただ、ここで言えることは、防御的な核兵器開発もあるだろうし、また攻撃的な核兵器開発もあるだろうし、そういうものが両方ともどんどん進んでいくだろう。これからいまの状態でストップはしないだろう。したがって、そういうようなことをも将来には考えて対応して、そうして、日本の安全はそういう場合になったときにどうしたら確保できるか、長期的な観点に立って考うべきことだ、だからこそ今日私ども白紙でこういう問題と取り組む、実はかように申しております。
  31. 岡田宗司

    岡田宗司君 まあ、メースB性能等についてはこの間予算委員会増田防衛庁長官からお話があったので、どうも専門家である増田さんの意見を私どもは信ずるわけですけれども総理はあまりお信じになっていないようで、まことにどうもおかしな話だと思うのですけれども、いずれにせよ変化があるだろうということは私は予想できると思うのであります。この間、予算委員会のときに私関連質問で、トルコイタリアに配置されておったジュピターが廃止されたいきさつについてお伺いして、そういう問題についてどうお考えになるかということを総理に聞いたのですけれども、お答えにならなかった。私はあのときの事態について多少調べてみたのでありますが、そうしますと、これはまあキューバ事件の直後でございましたので、キューバからソ連中距離弾道弾撤去したのに対応して引いたのだということも言われておりましたけれどもアメリカ側はこれを公式的に否定をいたしまして、そうではなくして、ジュピターポラリスに置きかえられた、つまり、旧式になったから新しいものによって置きかえられたんで、したがって、トルコ及びイタリアから撤去したんだということを言っておるわけです。それをアメリカの議会ではっきり証言しているのはいまの国防長官マクナマラ氏なんですね。で、私、それのことをちょっと申し上げますというと、マクナマラ米国防長官は、キューバ事件の直後の一九六三年一月三十日の下院軍事委員会において、このキューバトルコミサイル撤去問題についての質問に対して、両者には全く関係ないと答弁している。さらに、この際にマクナマラ長官は、トルコジュピターミサイル撤去は、撤去ではなくて近代化であるとして、その理由経緯につき次のように説明している。これからマクナマラ長官ことばです。「一九五七年、ジュピター配備の決定がなされたときは、ソーとともに、ジュピターNATOが展開しえた唯一の戦略ミサイルであった。しかし急速な技術進歩と加速度的なわがミサイル兵力発達によって、それはもはやNATOミサイル兵力主要部分ではなくなった。さらに重要なこととして、原子力合同委員会が一九六一年二月にジュピターミサイルを移動可能の固形燃料ミサイル体系にかえることを勧告した際に、その報告書でのべているごとく、ジュピターミサイル液体燃料使用でまた敵につきとめられやすく、しかも、通常兵器および核兵器の攻撃に対してのみならず、妨害行為に対してもぜい弱であるという点である。それゆえ、これらの理由により、ジュピターをより近代的な兵器体系に置き代えることが望ましいと思われる。もっとも良い代替はポラリス体系である。」云々と言っておるのです。こういうように、すでに兵器進歩発達によってアメリカトルコ及びイタリアソ連に近接した地域に置いておいたミサイル撤去する。それで、トルコとの間の交渉が行なわれて、撤去された。それで、トルコにももうミサイル基地はなくなったわけであります。こういう事例もあるわけです。したがって、まあ、総理科学技術変化ということを言われるならば、おそらく数年内にそういう事態アジアにおいても起こり得るわけです。もうすでに起こりつつある。したがって私は、そういうような事態があれば、堂々とアメリカに対して沖繩からミサイル撤去することを要求することができると思うのです。また、ベトナム戦争が終わり、アメリカ西アジア・太平洋における戦略体系を変えていくとするならば、いわゆる沖繩における基地自由使用というものに対しても、これは、日本側はその自由使用を認めないでもいいじゃないかという要求もできようかと思うわけであります。私どもは、今後白紙で臨まれると言っても、白紙で臨むについても、日本側態度、腹というものはきわめていかなければならぬ。少なくとも、沖繩核基地撤去自由使用をやめるということだけの要求は腹に持って堂々と交渉していただきたい。これを私は希望して、私の質問を終わりたいと思うのです。
  32. 内田芳郎

    ○内田芳郎君 もう時間がございませんので簡単に御質問いたします。  沖繩、小笠原問題につきましては、すでに両院の本会議予算委員会等において数々論議は重ねられてきておりますので、私は、もう簡単に、そのものずばりでお伺いしたいと思いますが、まず第一に、小笠原返還の意義についてでございます。特に小笠原につきましては、衆議院において与党議員が、平和時における領土問題の解決という点では世界史に例を見ない快挙であるという指摘をいたしております。さらに私は、第二次大戦において連合国が宣言した領土不拡大の原則を米国は身をもって実践したわけでありまして、その意義においてはもうきわめて深いと思うのでございます。小笠原復帰の実現は、総理も言われるように、将来沖繩返還される証左であるとともに、他方において、このように米国が名実ともに領土不拡大の原則を実践したことは、わが国がソビエトとの間に領土問題の交渉を進めるために一つの有利な材料を提供することになったと思いますが、まず、その小笠原返還の意義について総理の御所見を伺いたいと思います。
  33. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) いま言われましたが、平和時にこの種の例はもうきわめてまれだ。全然ないというわけじゃないのであります。しかし、まあとにかく二十二年たっている今日祖国に返ってきた。こういうことは、まあ二十二年という長い期間、そこらに一つの新しいものがあると、かように私は思います。したがいまして、私は高く評価されてしかるべきじゃないかと思います。  また、沖繩の問題等につきましても、これも一つの小笠原返還が実現したその暁におきましては、必ず沖繩の復帰の問題についても好影響をもたらすものだと、私はかように信じております。  ただ、いまお述べになりました北方領土の問題、それはもちろん、アメリカでこの処置をとったからソ連も同様な処置をとれ、こういう希望を述べることは私ども主張ではございますけれども、しかし、このでき上がりというか、その原因ですね、占領されている事態が、原因が違っておりますから、そこにやはり交渉のしかたの相違もございます。これも三木外務大臣がコスイギン首相といろいろ話をして帰ってきまして、平和条約ができなければ中間的なものを何か考えてみたらどうだろうかというようなコスイギンの発言、それをもとにしてただいまいろいろと大使を通じて交渉をしておるという状態でございます。
  34. 内田芳郎

    ○内田芳郎君 次に、小笠原返還とわが国の安全保障でございます。  小笠原の復帰は沖繩返還の第一歩であり、また、このことが将来沖繩返還される証左であると同時に、沖繩返還を求めるにあたって国民が自覚すべきわが国の安全保障の問題が、すでに小笠原復帰の場合にもその合意内容のうちにはっきりとこれは読み取れていることを私は指摘したいのでございます。すなわち、小笠原返還は、共同声明によれば、「日米両国共通の安全保障上の利益はこれら諸島の施政権日本返還するための取決めにおいて満たしうることに意見の一致」を見ております、このような考慮によって初めて実現するわけであります。  そこで、「両国共通の安全保障上の利益が小笠原返還協定において満たし得る」とは具体的にどのようなことを意味しておるか、お伺いしたいわけでございます。  それから次に、共同声明によれば、「この地域」、すなわち総理の御説明にもありましたけれども、小笠原諸島の領土、領海、領空の防衛の責任を徐々に引き受けるという日本政府の意図が表明されておりますが、他方、米国は安保条約に基づいて必要な軍事施設あるいは区域を保持すべきことを合意しております。要は小笠原をわが国に返還しても、この地域の安全がそこなわれない保障があり、かつ、わが国が憲法の範囲内でこの地域の防衛の責任を徐々に引き受ける決意を表明して初めてその返還が実現することになったということ、言いかえますならば、まず小笠原返還が日米安保体制堅持の上に立って実現したということについて十分認識すべきだと思うのでありまするが、総理の御所信をちょっとお伺いします。
  35. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) 第一段のお尋ねでありますが、これはちょうど逆なことを申してたいへん恐縮なんですが、安全保障上の利益をそこなうことなしに日本にこれを返すことができると、こういうのが実情でございます。また、この施政権を返した後に、アメリカが果たしていたその役割り、ちょうど本土において占領直後アメリカが果たしていた役割り、それと同じように考えて、今度は本土並みの安全保障条約下の地域にこの島嶼を考えている、こういうことであります。ただいまアメリカ軍が直接占領しておる、そうして安全保障の任務を果たしております。直ちに右から左へと、こういうようなわけにもまいりません。順次日本がこれに置きかわっていく。これはちょうど日本本土、内地においてそういう措置をとったと同じでございます。今後そういう措置をとっていきたいと思っております。
  36. 内田芳郎

    ○内田芳郎君 次に、沖繩返還に際しての基地の取り扱いでございますが、衆参両院の論議を通じて最大の論点といいますのは、やっぱり沖繩核基地の取り扱いの問題であったと思います。総理返還の時期がきまってから考えればよい、それまでは、先ほども言われましたように、白紙でいくとお述べになっておるのに対して、野党のほうでは、その意味核基地を認める場合もあり得るということではないかとただしておりますが、総理は繰り返し、結論を急ぐべきではないとお述べになっておられます。総理がこのような慎重な態度をおとりになる理由は、一方では沖繩基地の果たしている重要な役割りを認めつつ、他方では、総理の言われるように、国際情勢変化科学技術発達を待ちつつ、できるだけ国民願望に沿った形で解決をはかりたいとの決意を秘めておられると私は思うわけでありますが、そのところをあらためてひとつお伺いしたいと思います。
  37. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) 内田君の質問のとおり、その点でございますが、私もいろいろ答弁をしたものの、どうも私自身も言いたいことを十分言っていないようであります。そこで皆さん方にもおわかりにくかったかと、かように思います。ただいま重ねてお尋ねがありましたので申し上げますが、いま沖繩祖国復帰、これはもう一日も早く実現いたしたい。これは本土の一億の国民ばかりでない、沖繩の同胞としてはほんとうに耐えられないことだと、かように思います。したがって、そういう観点に立って私どもは処理していかなければいけない。しかし、片一方におきまして、同時に、沖繩基地が果たしておる役割りというか、これも見のがすことはできない。したがいまして、これをこれから交渉を持つ。いましばらく時間をかされて、したがいまして、その間に世の中もだんだん変わってくるだろう。考え方も変わってくるだろう。したがって、ただいま、一つの固定した考え方交渉するよりも、国際情勢変化科学技術進歩や、また、先ほど来言われておりますような世論の動向、それなどを勘案して取り組んでいくべきではないか。どこまでもねらいは、一日も早く祖国復帰を実現する、そのためにどういうように基地の取り扱い方をしたらいいか、ここに考え方を集中していくべきではないか、かように実は思っておるわけであります。ただいま白紙だといって、とにかく目的だけはっきりしている。その目的だけはっきりしていることをこの機会に重ねてはっきり申し上げたいと思います。
  38. 内田芳郎

    ○内田芳郎君 さっきもちょっとお触れになりましたけれども、この次に領土問題に関する日ソ交渉でございます。  去る七月に外務大臣がソビエトを訪問されましたときにコスイギン首相とお会いになって、そのコスイギン首相が提案された中間的措置についてでありますが、すでにモスクワで中川大使とソ連政府との間に交渉が始まったわけでありますが、先般社会党の山本書記長がソ連を訪問されました際の談話として、ソ連側は中間的文書の中には領土問題は含まれていなかったと語った旨が伝えられておるのでありますが、漁業問題あるいは経済開発等の問題からまた解きほぐしていくこともけっこうでありますが、現在行なわれている交渉においてわがほうとしては必ず領土問題に触れていくという方針を堅持して臨まれているかどうか、お伺いしたいと思います。
  39. 三木武夫

    国務大臣(三木武夫君) コスイギン首相は領土問題を相談しようとは言わなかったわけです。平和条約がなかなか締結できなければ中間的な措置はないか。こちらは領土問題を言った。向こうは領土問題の相談をしようとは言っておらない。しかし、日ソ間の最大の懸案は領土問題、この問題が一番大きな問題でありますから、それをどういうふうにソ連との間に話を進めていくかということは、これにはいろいろ一いきなり領土問題を解決しようというような考え方、そういう方法でない、全般的な日ソ間の懸案を解決するという、その中の一つとして領土問題というのも話し合うという方法もありましょうし、方法論は別として、日本は領土問題というものを日ソ間の話し合いであきらめることは絶対にない。
  40. 内田芳郎

    ○内田芳郎君 最後に沖網と本土との一体化の諸問題を一括して総理にお尋ねしたい。  総理の訪米前の予備折衝におきましては、主席の公選、あるいは国政参加等についてはほぼ合意が成立したかに報道されたのでございまするが、共同声明では、これらについては何ら触れておらないのでございます。これらの問題は、今後設置される諮問委員会において、あるいは外交ルートを通じて順次取り上げられることと思いますが、その実現の見通しでございますね、これをもう一つお尋ねしたいと思います。  それから、きょうの報道、毎日新聞に出ておりますが、諮問委員会の取り上げる事項として、わがほうとしては、米国側の提案するような経済的、社会的事項ばかりではなく、主席公選や国政参加等の政治的事項についても勧告できるように提案すると伝えられておりますが、そういう方向で努力されるかどうかということをお尋ねいたしたいと思います。  それからなお、その諮問委員会でございますが、その諮問委員会のメンバーになるわがほうの代表は、高等弁務官と十分対等に話し合いのできる有能な人材をひとつ選んでいただきたいと思うわけでございます。  それから、先般私ども議員団として沖繩に参りました際に、高等弁務官との会談におきまして取り上げられた二、三の問題についてお伺いしたいのでございますが、まず第一番に、日本政府の職員と琉球政府職員との交流の問題でございます。この問題について高等弁務官は、回答する立場にないと言っておるわけでございます。外務省を通じてやってほしいということであったのでございますが、復帰が実現した場合に、琉球政府の行政能力がおくれをとらないように、そういう配慮からすれば、この実現は非常に有意義であると、こう思うわけでございます。  もう一つは、琉球開発金融公社の琉球政府への移管の問題でございますが、御承知のように、この機関への出資はここ三年来とまってしまっておるわけでございます。これを琉球政府に移管し、日米両国政府の資金をこれに流入することが、私は沖繩の産業開発を推進するためきわめて適切ではないか、こう思うのでございますが、この問題については、弁務官は、現在研究をしている旨を明らかにしたのでございます。これらの問題につきまして高等弁務官の言明もありますので、今後その実現について御努力を切にお願いする次第でございます。  それから、そのときに現地におきまして、インドネシア海域における安全操業の確保を訴えておりました。先般総理がインドネシアを御訪問されましたときに、この問題を今後両国間で取り上げていくということをおきめになりましたので、現地では今後の交渉に非常に期待をかけていると思います。安全操業の確保はわが国とインドネシアとの友好関係を促進する上にもぜひ必要なことでございますので、一そうの御努力を望むのでございまするが、これも一緒に合わせまして最後にお伺いしたいと思います。
  41. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) だいぶ問題が多うございますので、あるいは落としましたら重ねてひとつお聞きいただきたいと思います。  先に諮問委員会性格並びに人選について申し上げますが、ただいま外務省でいろいろ交渉をしておる最中でございます。諮問委員会は、ひとつ適材をぜひとも選びたいと、かように思っております。また、これは権能をはっきりさしたい。高等弁務官の指揮監督を受けるものではございませんので、いろいろ取り扱うべき事項は、占領下の沖繩の行政でございますから、限りがございます。しかし、事の性格をこれこれに限ると、こういうものでは私はないと思います。諮問に答えると同時に、また意見を述べることができる、かように思っております。各般のことについてもそうであります。  そこで、具体的の問題で主席公選のお話が出ております。主席公選の問題も非常に現地で要望されておる、かように伺っております。しかし私は、今回何はともかく早期に復帰することが第一じゃないか、こういうことでこの問題と取り組んでおります。あわせてそれを実現するのに、円滑に推移ができるように今日からしていくことが望ましいことでありますから、したがいまして、この観点に立って主席公選の問題ともさらに検討を続けて慎重にこれと取り組むつもりであります。  また、もう一つこの問題で、国政参加の問題ですが、これも、いま施政権者はアメリカでございますから、公職選挙法が直ちに沖網に施行されると、こういうものではございません。しかし、何らかの形で国政に参加する方法はないのか。いままでいろいろな形を言われております。そういうようなことについては、これは国会が中心になってこの点は取り組むべきことじゃないか、政府はもちろんこういうことについて考えておるわけですから。したがいまして、ただいまの国会とともにこういう問題を考えたらどうかと思います。  それから次に通貨の問題でございますが、通貨の問題は、いまの経済状態からも、なかなか円に切りかえるということはたいへんな混乱を招くのじゃないかと思います。しかし、祖国に復帰するためにはどうしても通貨の問題を解決しなければなりません。いまこの時期にやるかやらないかということですが、これは十分慎重にひとつ取り組みたいと思います。  次に、職員の交流のお話が出ております。これは布令布告というか、琉球住民であることが要求されておるようでありますから、そこらに問題があるのではないか。高等弁務官が答弁、回答を避けたと言われましたが、この布告布令の問題じゃないかと思いますが、しかし、諮問委員会ができて、これはまたそういう点にも意見を述べることになるたろうと、かように思います。また、それは、あきらめないで、当然考うべきことじゃないかと思います。同時に、いろいろ免許基準も本土と琉球では違っておりますから、ですから、その免許基準、その他の権利付与等も同一にするように努力していかなければならないことだと思います。  開発公社のお話がありました。これはお説のように、琉球政府に移管するという、いまそういう方向で検討すべき問題だと思っております。  インドネシアの沿岸の安全操業の問題。これは、日本本土と同様、琉球をも含めてこの安全操業、これにつきましては外務省はインドネシアと交渉しておりますし、また、そういう意味で救済の措置をとるという考え方でございますから、事件が起こったら時期を失せず外務省で処置をとり狩るようなことでやりたいと思います。
  42. 黒柳明

    ○黒柳明君 私の時間も短いようですから、まとめて質問したいと思いますから、お願いします。沖繩核基地の問題と核のことについて御質問したいと思います。  まず第一点に、沖繩核基地、これが日本を含めて極東の安全に必要である、さらに核攻撃の抑止力になっている。たびたび予算委員会あるいは本会議答弁で私たち聞いておりますですが、中共の核開発の急速な進展、これを見ますと、今後ますます沖繩核基地の重要性というものがこれはあるのじゃないか。これは、沖繩返還とは別に、重要性は今後ますます増していくと思うのです。それに伴って、沖繩核基地がある。それは、返還したときにおいてはどういう形で返還されるかわかりません。また、その核基地がなくなって、あるいはポラリス型になるかわかりませんけれども、ともあれ、沖繩核基地があるというこの現状というものは、今後も続けて重要視されていくのじゃないかと思うのですが、その点、総理の御見解、いかがでしょうか。  それから第二点は、総理の言われた自主防衛についてですが、私たち国民として日本を守る責任と義務がある、これはだれ人たりとも否定てきないと思うのであります。ところが、いま総理も言われておる、防衛努力をしようじゃないか、そうすれば沖繩は早く返る可能性がある、こう言われておる自主防衛というものは、これから当然核時代に入っていきますから、ますます二流兵器では自主防衛——ほんとうに国を守るという能力は果たせないのじゃないか。そうなりますと、自主防衛というのは必然的に核武装の方向に進むのじゃないか、こういう憂いが、私たちは総理の自主防衛というおことばの裏には、何かそういうニュアンスが感じられるわけですが、総理のお考えはいかがでしょうか。  第三点は、国民が、日本全体が核アレルギーになっている、こういうふうに言われております。自民党内部でもこの国民の核アレルギーを何とかして解消しなければならぬ、こういうようなお話し合いもしておるやに聞いておりますが、要するに、核の脅威、核はおっかないのだ、確かにそうだと思います。と同時に、もう一歩、私たちが核に対して正しい理解をしていかなければならない、核に対する正確な理解というものを与えていかなければならぬときが来たのじゃないかと、こういうふうに二部の学者は言っておるし、そういう意見も一ありますが、総理の御見解いかがですか。  第四点ですけれども、これはフランスにその例が見られますように、他国の核の抑止力のもとに自国の安全保障を求める、他国の核のかさのもとにいるということは、いつまでもこれは永続性がない。これもフランスはその一つの例ですが、要するに、核のかさのもとにわが国がいてその安全性を保てるか、こういうことですが、将来ともどもに、この他国の核のかさ、アメリカの核の抑止力のもとにいて、核時代に突入するこの険悪な世界情勢のもとにおいて日本安全保障というものは保てるだろうか、いろいろな説明がこれにはつくと思うのですが、省略したいと思います。  最後に小笠原返還ですが、一昨日は都知事ともお会いになって、都に移管するかあるいは国に移管するか、いまお考えだと思うのですが、一部の意見では、革新都知事であるから都に移管することはちょっと差しつかえる、こういうようなことも政府として考えているのじゃないか。このようなことは決してあってはならないと思います。奄美の例を見ても、たとえ都に移管しても、国として思い切った施策を講ずることは、これは可能であると思うのですが、この点いかがでしょう。
  43. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) 第一の核基地の重要性、これについて黒柳委員お話しになるように、中共が核開発をしている限りにおいては、一そうその重要性が増すのではないかという御指摘でございます。私は、先ほども岡田君にお答えいたしましたように、国際情勢はいろいろ変化していきます、科学技術進歩していきます。その場合に、攻撃兵器ばかりではなく、やはり防御兵器変化もございます。攻撃兵器もだんだん変わっていくだろうし、そういうことを十分考え核基地というものをやはり考うべきじゃないか。これは主として、全体の場合じゃなくて、沖繩の場合に適用いたしまして、そういうことをやはり考えるべきじゃないか。だから、私いま白紙だと、こういうような言い方をしておるわけであります。これはまだしばらく交渉の余地がある問題でございますから、そのときをひとつよく見きわめて、そうして私ども一がわが国の長期にわたる安全確保、こういう観点でこういう問題を見ていくべきじゃないかと、かように思っております。その場合でも、先ほど申したように、沖繩祖国復帰、政権返還、これを阻害するというか、先に延ばすようなことがないように考うべきだということを特につけ加えておきます。  次に自主防衛の問題でございますが、これはわが国の防衛力を整備することは、国力国情に応じ日本の憲法のもとにおいて整備するのでございまして、国力国情に応ずるということでございます。だから、国民全体がですね、この国はわれわれの手で守る、そういう気概をひとつ示してほしい、こういうことを申しますが、と同時に、国力国情に応ずるということで限度がございます、そこでただいまお話しになりましたように、核の時代になって、今日のような通常兵器の攻撃に対処するだけでは十分ではないんじゃないか、こういう御指摘がございました。私どももこれは十分ではないと、かように思うからこそ、日米安全保障条約のもとにわが国の安全の確保を実はしておるのであります。この日米安全保障条約、これはジョンソン大統領も、あらゆる攻撃に対して日本を守る、こういうことを約束してくれておりまするので、これは私どもが持たなくとも、一国によって一国の安全を確保するというような今日ではございませんから、この集団相互防衛、そういう形で安全を確保することも一つの行き方だと、かように思っておりますので、しばらくこの形で進めていきたいと、かように思います。  次に核アレルギーのお話が出ております。これは、核アレルギーというもの、これを解消することは必要だと思いますが、これは核というものに対する正しい理解を持たない結果だと、かようにも言えると思います。正しい理解を持つならば、いわゆる核アレルギーにもならないだろう、また、平和利用等についてはですね、もっと核の持つ力を高く評価してしかるべきじゃないか、かように思いますので、ただいま御指摘になりましたように、私は、正しい理解を持つようにこの上とも努力すべきだと、かように思っております。ただ単にこれが兵器というだけではないのでございまして、そういう意味では正しい理解をすることが必要だ。  また第四の問題といたしまして、他国のかさのもとにいつまでもいるということは、自分を守る上から見てがまんができなくなるんじゃないのか、フランスのドゴール大統領はすでにその道をとったと、かように言われます。しかし私は、先ほどお答えいたしましたように、日本としては相互援助条約、この防衛体制、このもとにわが国の安全を確保していく、こういう考え方でございますので、ドゴールさんのとった道はただいま考えておりません。  第五−最後のお尋ねでございますが、小笠原の、これはまあ二十二年間占領下にあったのでございます。わずかに日本国籍を持っていた人で帰った者は百七十名といわれ、ただいま二百名前後じゃないかといわれておりますし、アメリカの軍がどれくらいいますか、それも数ははっきりいたしません。いずれにいたしましても、ただいまの状態では、この地域が荒廃に帰しておることは確かでございます。したがいまして、現実に実地調査をいたしまして、しかる後にこういう対策を立てたらどうだろうか、かように思います。おそらく帰島する——島に帰りたいという方もこれから出てくるでしょう。しかし、もとその数が五千といわれたり、三千といわれたり、いろいろしておりますし、その実情は明らかではありません。また、過去の権利義務がいかようになっているか、そういう問題もありますし、実情を把握しないと、都に帰属するんだ、いや国で直轄するのだ、いたずらにそんな議論にただいま突っ走る、そういうような段階ではないと思います。私は、実情を把握して、そうして帰島される方々にも、また島の将来の開発にも役立つように、そういう観点から、どういうのが一番いいか、これは皆さんとともに考えていきたいと、かように思っております。
  44. 片山武夫

    片山武夫君 総理にお伺いしますが、今日までいろいろと沖繩の問題については論議がかわされております。私もまあ十分聞いたつもりなんですが、これは聞いているときは確かにお話はわかるんですが、あと考えてみると、何か結論がないんですね、非常に私困っておるので、その点、三つお伺いしますので、簡単にひとつお答えを願いたいと思います。  それは第一の問題は、日米共同声明、まあ、この問題については相当権威のあるものだというふうに総理はおっしゃっておりますけれども、これは、私の理解するところでは、これはもう条約以上の効果を確かにあらわす場合もあれば、また政治的な意味合いを持つ場合もあり得るというふうに私は考えるのですが、この点、総理は今日までしばしば、権威のあるものだと、たとえばジョンソン大統領がかわったとしてもこれは残っているんだから権威があるのだ、こういうふうにおっしゃっておられます。で、私の理解が違うのかどうか、この点ひとつはっきりともう一度お答えを願いたい。  それから次に内容の問題でありますが、両三年の間にめどをつける、こういうことなんですが、結局、この三年以内の間に話し合いが進められると、そうすると、その話し合いがいつできるか。この三年以内にできるのですが、そこから出発して、それじゃ、いつ返そうかという話が行なわれるのだ。したがって、その話し合いからさらに一年先か、三年先か、五年先か、後刻、話がそこからされるのだ、かように理解してよろしいか。  それから第三点目は、これはベトナム戦争に相当重要な関係があるということをしばしば言われております。私は、それがあるがためにアジア諸国を身をもって訪問されたと思うのでありますが、そこで、そのアジア諸国を回ったときに、いま言ったそれぞれの国と共同声明を発表されております。そこで私、第一に申し上げました権威の問題について、やはり関係があるからお伺いしたわけなんでありますが、それほど権威のあるものなら、もうすでにお帰りになって数カ月たっておるわけでありますし、ベトナム戦争の解決のためには、総理も、また両国首脳の間でも、早期解決のために努力するということを約束されて帰っておるんですが、この間一体どのような努力をされましたか。その点一つお伺いしたい。  いま一つ最後に、これはいろいろ小笠原の返還の問題について心配があるので、いろいろ私も聞かれるのですが、まあ、総理お話、あるいはまた政府考えているところによりますと、これは小笠原なんですけれども、大日本国小笠原県とでもしなければ、戸籍がなくなってしまう心配があるので、ひとつ小笠原県というのをおつくりになるかどうか。でなければ、籍を一体、帰った人が移すときに、どうやって移すか、その辺は私は要望として申し上げます。答えは要りません。十分にお考えになっておいていただきたいということです。
  45. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) 共同声明の評価、これはいろいろございます。ただいまのように、単に抽象的なものを書かれていると、これは両国の首脳者が声明をいたしましても、方針だけを縛ったということで、なかなかすぐの具体的なものは出てこない。評価は、そういう意味では軽いかと思います。しかし、今回の日米共同声明でこの第七項に書かれた事項、その他も同様でございますが、相当具体的なものが出てきている。これははっきり小笠原の場合は返還、さらにまた沖繩の場合は、返還方針のもとに今後両国が継続して協議していこう。こういうようにですね、それぞれ意義がある、かように私は思っております。したがいまして、今回の日米共同声明は、いわゆる、どこにも行ってやる共同声明のような抽象的なものではない、かように御了承いただきたい。そうしてこれを進めていこう、どうかそういうようにおとりいただきたい。  それから第二の、片山君の御理解のとおりでございます。両三年の間に返還のめどをつける。返還が実現するのはそれから先の問題になっていく。それが一年かかるか、二年かかるか、御理解のとおりであります。  第三は、ただいまの共同声明の評価にも関しますが、そこで東南アジア諸国との共同声明、この中にうたっておるベトナム問題については、各国が非常な関心を持って早く解決してほしい、自分たちもそういう意味では協力することにやぶさかでない、そういう意向を示しております。しかも、非常に近接する国々においては、これは本来アジアの問題である、アジアの国が率先して一役買うべきではないか、しかも、アジアの国といっても、両当事者、それが一番先に立ち上がるべきではないか、それをひとつそういう方向へ進める、そういう意味で、日本は先進工業国だから、大きなひとつ役割りを果たしてくれという要望が出ております。これが大統領就任式、就任式が済んだ直後において、南ベトナムのグェン・バン・チュー大統領から、北への書簡を取りついでくれないか、こういうような話が持ち込まれたゆえんだと思います。また私どもは、この問題、一日も早くここに恒久的な、公正な平和が招来さされるようにということで、アメリカに参りました際に、私自身も、また外務大臣も、米政府の首脳者といろいろ懇談をしております。その一々は申し上げません。また、外務大臣がカナダに参りましたのもこういうことに関係のある事柄でございます。私どもはただ口だけでこういうことを言っているわけじゃございません。現実にも、ただいまのような努力をいろいろしておる。そうして、いま向けられている方向はどちらかといえば、私どもは軍事的に介入しておりませんが、国際世論を喚起することにあるのだ、かように実は思っております。したがいまして、ソ連をはじめ共産圏の諸国に対して、また中立系の諸国に対しましても国際世論を喚起する、そうして和平への努力に協力していただくというように骨を折っておる次第でございます。  また第四の問題は、先ほど申し上げましたように、黒柳君にお答えしたように、地域開発並びに帰島される住民の方々の便益になるように考えていかなければならない、かように思っております。御注意のほど、よく承わっておきます。
  46. 春日正一

    ○春日正一君 沖繩、小笠原問題で核基地をどうするか、自由使用をどうするか、これからどんな形で返ってくるのかということが一番大事な問題ですし、いままでもそこにいろいろ質問がなされておりまして、私たちも今後どうしてもこの問題は明らかにしていきたいと思っておりますけれども、きょうは時間が非常に短かいものですから、そういう問題と別に二つぐらいお聞きしたいわけです。一つは、この六七年度でも、アメリカは五百四十一万ドルぐらいかけて、陸海空、海兵隊の基地の整備ですね、これをやっております。その中には、小学校を建てることであるとか、特に現地の新聞あるいは人から聞いてみても、かまぼこ兵舎を鉄筋コンクリートの、本来の恒久的な兵舎につくりかえているというようなことが言われております。そうすると、やはりアメリカ基地を相当長期にわたって使うのだという腹があるのじゃないかというふうに思います。そうして、特に基地の拡張もやっているわけですね。私ここで一つ二つ例を言いますけれども、十一月十五日共同声明が発表された当日です。読谷村にある米戦略通信隊スパーカム受信所内の黙認耕作地三十三万六千六百平方メートルの農作物の撤去と農耕の中止を通告してきたというようなことが新聞でも報道されております。まさに共同声明が発表されたその日にそれが出ている。そうしてまた、この国会が召集された十二月四日に、読谷村の旧飛行場の耕作地へ特殊部隊が降下演習を始めている。これは毎週日曜日を除いて毎日やってきている。しかも、兵員降下が通告なしにやられるために、朝早くから畑に出ていた農民は銃で追われて、畑は米兵に踏み荒らされめちゃくちゃというようなことが現地の新聞で報道されております。そうすると、一つは、つまりアメリカはいま持っている基地を整備し、さらに広げていこうというように考えているのだけれども、こういうことは日本政府としてまあ認めざるを得ないということになっているのか、あるいは、日本にかりに返ってきたとして、安保の条約の適用範囲になったとしても、条約そのものあるいは附属の協定によって米軍が必要とする基地を広げたいということになれば、日本政府として協力せざるを得なくなるのじゃないか。その点で、基地がそのまま必要があれば広げられる可能性がある。それを政府は考慮のうちに置いて交渉を進められようとしているのかどうかという問題、いま二つ私は例をあげましたように、基地のために土地を取られて耕地が非常に狭くなっている。そこでさらに、黙認耕作地というようになっておったのが、三十三万数千平方メートルというようなものが使えなくなるというような状態、あるいは現に使っているところにいきなり降下してきて、実際に農耕がだめになってしまって、これは協定があるといっても、特にあとの場合などはまことにこれはひどいと思います。いきなり使っているところに無通告で来てそういうことをするというのは、こういう住民の苦しい、一日も早く沖繩を返してほしいというふうに言っている希望にこたえたのだと、総理はこう言っておるけれども沖繩の県民が一日も早く帰りたいというのを、こんなに基地の谷間に置かれるようでは、これはやりきれないので、特に、いまの土地取り上げ、こういうことではやりきれない。何とか一日も早く帰りたいというふうに思っていると思うのです。こういうことに対しては、いまの時点でも、日本政府としても、あまりひどいことをしなさんなということは当然言うべきだし、いまの状態でも沖繩県民の生活上の利益というものを守ってやるべきじゃないか、その点、総理のはっきりした考えをお聞かせ願いたい。  主要な質問は二つですけれども、もう一つ最後に、おとといの予算委員会で渡航問題を私はお聞きしました。総理は、どういう目的で行くかわからない、調べてみてという話であったが、国会議員が公用証明で行くわけですから、よその党の人がみんなおいでになったように、ここでの討議なりそういうものに必要な資料を実際に見たり聞いたりして来たいというのが目的である。これは変わりはないと思います。だから、そういう場合は、この渡航の問題というのは、私はこの前の委員会でも申し上げましたけれども総理の耳に入れておきたいという……。
  47. 山本利壽

    委員長山本利壽君) ちょっと速記をとめて。   〔速記中止
  48. 山本利壽

    委員長山本利壽君) 速記を始めて。
  49. 春日正一

    ○春日正一君 親が死んだ。葬式にも行けない。その後にもう一度願いを出しても墓参りにも行けないという事態が起こっている。そういう意味で、渡航問題全体をからめてみて、特に国民の代表である国会議員の渡航が拒否されるという問題について総理として善処してほしいと思いますけれども、その辺をあわせてお願いします。
  50. 佐藤榮作

    国務大臣佐藤榮作君) ただいまの基地がある結果、たいへん土地を収用された、あるいはその他人権が侵害されている、こういうことを救済してくれ、施政権下にある今日だからこういうこともやむを得ないかもしれないがというような御質問でしたが、もちろん、私どもは同胞の苦しみをただ見ておるだけではございません。前塚原総理府総務長官沖繩に参りましたときに、アメリカ高等弁務官に直接折衝し、人権の保護のためにやっぱり主張すべきは主張しております。またこの土地の問題は、島でありますために、もちろん耕地がないところです。そういうところをどんどん取られるということはたいへん苦痛だと思います。こういうことについても行き過ぎないように処置をしていきたい。今度また日米協議委員会もありますし、また諮問委員会もできますから、そういう際によく連絡をいたしまして、そういうことのないようにこの上とも努力したいと思います。それにいたしましても、ただいまのような、施政権アメリカ施政権下にありますので、向こうでいろいろ基地自由使用、こういうような観点からどうも安易についている、安易なやり方をしているということも見のがせないのでございます。こういう点を十分注意したいと思います。  最後に、渡航のお話がございました。参議院議員の方が渡航される、公用でお出かけになる、それがいまだに行かれない、これについて私たちも善処すべき問題だと、かように思っております。
  51. 山本利壽

    委員長山本利壽君) 本件に対する本日の質疑はこの程度といたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後五時十分散会      —————・—————