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亀田得治君 ともかく、
社内預金の現在一人
当たりが五万三千円だと、そういうふうにさっき言われました。したがって、
現行法でいけば
全額が
共益債権ですが、今度の
改正案からいっても
共益債権に全部なるじゃないか、同じだと、その点はこう言われますけれどね。同じであるのであれば、現在の
法律をわざわざ
労働者の
立場から見て悪くする必要はないではないか、こういうまた
理屈にもなるわけですよ、こっちから言うたら。それはやっぱり、いざという場合には
不利益になる場合もある。そういうこともあるから、こういう
改正が出てくるわけで、
一緒だということなら、ことさらに
労働者の気分を悪くしてまで、おさまっておる問題を取り上げる必要はないじゃないかと、ぼくらはよけいそう思うのです、同じことならば。いや、同じじゃないんだ、ともかくこれだけ遠慮をしてもらわないと
会社更生法上困るのだということなら、これは
労働組合の
立場を離れて
考えますと、またこれは一つの
立場なんですよ。そうじゃない、それはもうどちらでも
一緒なんだというのなら、なおさら私は
現行法をやっぱりこのままにしてもらいませんとね。特にそういうふうに申し上げるのは、やはり
労働者の
感覚ですよ。私もだいぶ議論しました。
法務省のほうからの
説明を聞く、それから実際にそれらの問題を扱った
諸君の
意見を聞く、だいぶ議論をしましたがね。やはり根本的には、ちょうど
破産の場合の取り戻し権の
対象になるようなこれは
自分のものなんだ、それはうちのたんすに入れてあるのと
一緒なんだ、こういう
感覚なんですよ。それがたまたま
全額共益債権、
会社更生法上こうなっているわけですから、それをくずしてもらうと、私はいろいろなところへ波及してくるのじゃないか。
会社更生法だけじゃなしに、ほかの部分にまで、たとえば、せんだって両院通過した
法律ですが、
石炭鉱業合理化臨時措置法及び
石炭鉱山保安臨時措置法の一部を
改正する
法律案、この
法律を見ましても、今度新たに加わったのは、
石炭山が閉山する場合、
石炭鉱業合理化事業団が直接預かり金を
労働者の方に支払ってやる。雇い主に持っていかないで、
事業団自身が、これは国から
交付金等を受けますから、出す金を優先的にそこへ持っていってやれ
——これは
法律上は、従来の
法体系からいうといろいろ問題があろうと思うんですよ、だけれども、幸いこれは
政府が出す金だから、ここへ持っていってやれというふうな
改正が通っておるわけなんです。これは、そういうことをすると、それじゃ
債権全体といいますか、いろいろな
優先権の
関係とか、そういう点がどうなるんだろうかというふうな若干の疑問は私は確かに出てくると思う、
法律家からして。しかし、そういうことよりもそのことが必要だということで、こういう
改正が十日ほど前に通っているんですね。だから、そういうものですから、いわんや
会社更生法でそいつが若干でも弱くなるということは、これはどうしても議論すればするほど
ぐあいが悪い。実際上どっちでも結果は
一緒だということなら、なおさら
現状のままにしておいてほしい、この
意見が非常に強いんです。初めは
退職金の問題がずいぶん
焦点だったんですが、だんだんやっているうちに預かり金のほうがどんどん大きな
焦点になってきておるわけです。ほかに私は波及すると思うんですがね。これは
労働者のものだからそれにやるんだ、炭鉱の
経営者も困って山をしまう、やはりそれにはやらぬといかぬ。
政府が
使用者に与える金をすっとこちらへ渡すというふうな
考え方というものは、これは私は
特定物の
寄託と同じようにやっぱり
考えるんですよ。それが、どの
債権もみな
一緒だという
考えでしたが、そんなことは出てこぬでしょう。そういう
改正があなた国会で一方でやられているわけですよ。だから、この点は、やはり何とかもうちょっと検討してもらいませんと
ぐあいが悪いと思うんですがね。
それから、
昭和四十一年の三月に
労働省が
社内預金の
保護に関する通達を出しましたね。あの場合でも、やはりその背後に流れている
考え方というものは、私が最初に申し上げたそういう
考え方、
労働者の
諸君はそういう
考えを持っている。それがやはり
労働省に反映して、そうしてそういうものが出ているわけですよ、
経過としては。だから、あの場合でも、五カ年を
金融機関で
保証すればいいとは書いてない。最低五カ年は
保証しなければいかぬ。
労働組合の
運動としては、それは
全額保証を取りつけるように努力すべきだ、こういう
運動になっているわけですね。そうすると、民事
局長のおっしゃるのは、いや一方にはそういうこともあるのだからよけいだいじょうぶじゃないですか、逆にこう言われるわけですけれどもね。しかし、
全額更生
債権でありながら、さらに
労働省が
保証についての通達を出す、あるいは
労働組合も、それは五カ年というのは最低であって、目標は
全額きちっとしておかなければいかぬのだという
考え方の基礎というものは、これはもう最初に申し上げたそういう
労働者の
感覚、ここからきているのですよ。そんな
感覚は認められぬというなら、これはもう出発点が違うので、これは認められぬという議論はちとおかしいと思うのですね。どうでしょうかね、これちょっと再検討してもらえませんかな。