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鈴木力君 あとのほうから申し上げますが、申の申し上げている意図が——これは言い方が悪かったと思うからもう一ぺんはっきり申し上げます。これは採用するということが決定した上で、その上での場合には、書いた場合と書かない場合というのは、これは弊害とか便宜とかいえば、書いたほうが便宜だ、こういうことはもうきまっておりますね。それから受けない者があった場合にも、別にこれを拘束しないのだというから差しつかえない、それはあなたが先に考えた考え方なんです。それに対して私がいまものを言っているわけです。それを今度あえて——ことしのこの
大学入学者選抜
実施要項についてというこの通知の中に、ことしあえてこれを取り上げて様式として入れた、このことの
影響は、どうしてもこの
能研を受けろという一つの強制力になると私は言っている。それから
大学側についても、これは前にも例があることなんですけれども、たとえば学芸
大学を
教育大学と名称を変更させるときにも、これは前にもう議論済みですから重ねませんけれども、最近は
大学側に対していろいろな手を打っている。そういうことが今度の入学試験にもまた出てくるという可能性がある、そういうための説得力に、これが説得力というか説得の手段に使われる、そういう混乱をさせるだけの話だ。だから、私が言うのは、積極的にこういう方向に行くのにはもう少し
大学側のほうに主体性を置かして、
大学側のほうがもっと
能研なら
能研の
テストを採用するというふうに、ほんとうに学問的にそういう大勢が出たとき、そういうときでいいじゃないか。あなたのほうでは利用するためにはこれを記入しなければいけないという理屈を言ってくるわけです、今日までにも。しかし、この表をつけないからといって——
能研を受けた者について追跡調査をやっているのですが、これをつけなければ入学試験ができないとか、
能研の追跡調査ができないとか、研究ができないということにはならない、
能研側のほうにすれば、つけたとつけないでは、つけたほうがやりやすいということはわかるのですけれども、事は
教育の問題なんです。入学試験というのはいまの
高等学校の相当数の
生徒の問題なんです。この問題はいまいろいろな不安があり、いろいろな動揺もあり、そしてこれが社会問題になっているときに、
能研の便宜のためにこれを撤回しないと、こうがんばるというのは、私はどうも、そうがんばればがんばるほど、この通達の意図には、いよいよ
能研の
財政がおかしくなってきたから、ここらで手を打って何とかして
受験生をふやしましょう、そういう意図が一つある、どうしても私はそう言わざるを得ない。だから、そういうところにそういう誤解があるなら、誤解がないようにいまのような点でも配慮してやっていくべきじゃないかということです。
それからもう一つ、あまり時間をかけて恐縮ですから政務次官にお伺いいたします。さっきのこの育英会の問題なんですね。いまの
審議官の御答弁によりますと、育英会が、
文部省令によって日本育英会がこれを決定するわけですが、日本育英会が
能研を採用しようと、育英会自身が問題をつくろうとそれはかまわない。したがって、
能研を使ったって一向かまわないのです。それを
文部省が承認を与えているから、これが正しいのだというのが、いまの
審議官のお答えです。私は手続的には正しいと思います。ただし、その場合に、何べんもくどいように私が申し上げたのは、育英会はこれは
文部省の特殊
法人ですね。それから
能研は
文部省で国庫
補助を出しており、
設立のときに
文部省で盛んに
文部省がてこを入れたというのか、そうして、
文部省からも理事、評議員というのですか、役員を出している
財団法人ですね。そこまではわかる、そこまではわかるけれども、大体その言っていることは非常にりっぱなことを言っているが、いま最初に
財政上で私がちょっと伺いましたように、予算の中の——全部で二億一千九百万かの予算ですわね。そのうちの一億三千六百万は
受験料収入です。実態は。それからその次は、もう一つは
テスト問題作成受託料というのが千二万九十七万五千円です。大体全部についておよそ一億五千万、二億一千万の
財政のうち一億五千万は
事業費でまかなっている
団体が能検です。これの会長が育英会の会長と同じ人だ、そうしてこれを出してつくっているのは
文部省だ、こういうときに、
能研それ自体にもきわめて世間から批判があるときに、国の資金を使ってやる特別奨学生の選択に、手続上からは間違いがないとして、私は手続論は申し上げませんけれども、この
能研の問題を育英会が使われなければ特別奨学比を選ぶことができないというこのシステムは、今日のところは多分に誤解を与えている。だから、少なくともやるほうからすれば、だれが見ても、はっきりするように、ほんとうの独自性というものは別々の
団体であるという性格を国民の前に明らかにするのか、あるいはいまのように、これは人も、それはそっちが選んだので
文部省が人を送ったのではない、民主的に選んだと言えばそれまでの話ですけれども、そういう形でも、こういう種類の性格のものには誤解を与えるような構成はやってはいけないのではないか、したがって、そういう問題について私は相当これは検討して見るべき問題ではないのか、こういうことをいま申し上げているのです。しかし、少なくとも、そういう誤解があるのだから、特別奨学生なら特別奨学生を募集する場合はには、いまのところ
能研能研というこの絶対の方式をとらないように、全然使うなというとまたおこるでしょうから、そうは言わないにしても、
能研オンリーで奨学資金をもらえるというような道はこれをどうしても私は納得できない。一つの参考
資料なら参考
資料、
能研の
テストというか、そういうものでなしに、いわば入学試験に
能研を使うか使わないかというやり方もあるでしょうけれども、
学校の内申なり、そういうようなものが主になるような、しばらくの間は
能研の問題というのは、これは中止をするというのがやっぱり正しいのじゃないか。たとえば、理屈はいろいろありますけれども、今度の
進適テストが減ってるという一つの原因の中には、ある担当者に言わせると、これは
能研がやっている特奨の
テストが別ワクになっているからという言い方も実はあるようです。そうなってきますと、
生徒のほうの側から言いますと、これは決して
西田審議官がいま言われたような、必ずしもりっぱなことには下には言っていない、こういう問題がありますから、これらの問題をあわせて、いまの
能研のあり方については、入学試験の問題ともからめて再検討をする用意が
文部省にはないかということを私は伺っている。政務次官、私の申し上げたことなんですけれども、どういうふうにお聞きになられたのか、ひとつお伺いしたい。