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1967-07-18 第55回国会 参議院 地方行政委員会 第24号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十二年七月十八日(火曜日)    午前十時三十五分開会     ―――――――――――――    委員の異動  七月十四日     辞任         補欠選任      中村喜四郎君     内田 芳郎君  七月十七日     辞任         補欠選任      内田 芳郎君     宮崎 正雄君     ―――――――――――――   出席者は左のとおり。     委員長         仲原 善一君     理 事                 林田悠紀夫君                 吉武 恵市君                 占部 秀男君                 原田  立君     委 員                 岸田 幸雄君                 小柳 牧衞君                 沢田 一精君                 高橋文五郎君                 津島 文治君                 林田 正治君                 加瀬  完君                 鈴木  壽君                 林  虎雄君                 松澤 兼人君                 松本 賢一君                 市川 房枝君    委員以外の議員        議     員  中村喜四郎君    国務大臣        自 治 大 臣  藤枝 泉介君    政府委員        警察庁長官    新井  裕君        警察庁長官官房        長        浅沼清太郎君        警察庁交通局長  鈴木 光一君        自治省財政局長  細郷 道一君    最高裁判所長官代理者        最高裁判所事務        総局刑事局長   佐藤 千速君    事務局側        常任委員会専門        員        鈴木  武君    説明員        警察庁交通局交        通企画課長    片岡  誠君        警察庁交通局交        通指導課長    綾田 文義君    参考人        一橋大学教授   植松  正君        日本弁護士連合        会司法制度調査        会委員弁護士   布井 要一君        弁  護  士  今井 敬弥君        日本運送株式会        社社長      大橋 実次君        学習院大学教授  山内 一夫君     ―――――――――――――   本日の会議に付した案件 ○道路交通法の一部を改正する法律案内閣提  出、衆議院送付)     ―――――――――――――
  2. 仲原善一

    委員長仲原善一君) ただいまから地方行政委員会を開会いたします。  道路交通法の一部を改正する法律案を議題といたします。  本日は、初めに本案について参考人方々から御意見をお伺いいたしたいと存じます。  参考人方々におかれましては、非常に御多忙中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。これよりさっそく御意見をお伺いいたしたいと存じますが、御自由にお話しいただきたいと存じます。なお、時間の関係上、お一人十五分程度にお願いいたしたいと存じます。発言はすべて御着席のままでけっこうでございます。なお、暑いさなかでございますから、上着をお取りいただきたいと存じます。  また、委員方々に申し上げますが、参考人方々に対する質疑は、参考人方々のお話が全部終わりましてからお願いいたすように運びたいと存じます。  なお、山内参考人の御出席が若干おくれますので、出席されましたところで山内参考人の御意見は承ることにいたしたいと存じます。  それでは初めに植松参考人
  3. 植松正

    参考人植松正君) 一般的なことは本日申し上げなくともよく御承知でもいらっしゃると存じますし、また、私のこの法案についての感想は、法律専門雑誌に書いたこともありますので、すでにごらんくだすった方もあろうかと思います。それらは省略いたしまして、私が専門といたします刑事法立場からこの法案を見た場合の問題点についての意見参考に申し述べたいと思います。  結論としては、すでに雑誌に書きましたように、この種の改正が行なわれることはたいへんいいことだと考えております。  問題の点を若干拾って申し上げますと、第一に、警察官権限乱用について心配が述べられておるようであります。私もそのことを心配しないではありません。もちろん、警察官権限運用が不法なことである場合には、それ相当行政上または刑事上の道を通って、不服の救済される道があることは申すまでもございませんが、このような法律的にそういう道があるということよりも、むしろ、事実上警察官権限乱用問題というようなものをどう考えたらいいかということをまず問題にしたいと思うのですが、私ども認識では、警察当局幹部の人には十分の良識がありましても、直接民衆に接する者は第一線の若い巡査であることが多いのであります。この若い巡査などの行き過ぎがないということの保証はございません。まことに警察権運用というものはむずかしいものだと思います。違法行為者に対してあまりにゆるやかであり過ぎれば、警察は何をしているのか、存在価値がないではないかという良民の不満を招くに相違ありませんし、さればといって、違反行為者に対してきびし過ぎれば、人権侵害の問題もありますし、いわゆるおいこら警察になる、こういう非難も受けることになるわけでありますから、この両者を勘案しながら警察権運用するということは、たいへん困難なことだと思いますけれども、その困難なことをしなければならないのが、まさに警察当局立場であると思うのであります。したがって反則通告制度のようなものが実施されるに至りますならば、警察幹部は、若い警察官教養、非常に広い意味での教養ということについて、十分の配慮を願わなければならないと思うのであります。で、何よりもそういう教育に十分の力をいたしていただいて、民衆に接する警察官が、民衆にいやな感じを与えないということに根本を置きますならば、必ず社会の支持があるものと私は思うのであります。  最近大阪方面で起こったこととして、新聞に伝えられておりますところによりますと、信号無視という道路交通法違反行為をした者に対して、発砲五発に及んだ、あるいは一発は暴発だともいわれておりますが、おそらく国会でも問題になったであろうかと思いますが、そういう行為があったというのを、私は第三者として記事を通じて見ているだけでありますから、こまかいいろいろの問題については知らないのでありますが、あの記事を見ての感想を申しますと、まことに、つまり事柄の軽重をわきまえない行為第一線警察官がやったのではないか、こういう感想を抱くのであります。たかが信号無視、もとより信号無視はいいことではありません。けれども、それをピストルを発射して、ついに死亡するに至ったという事件があったようですが、このような行き過ぎ職権行使というものがあるようでは困るので、事柄の大小をわきまえて、よく警察権運用するように十分の教育をしていただきたい、こういうことをまず警察当局にはお願いしたいと思いますが、しかし、どこにも行き過ぎがあったりするものでありまして、ことに運用のむずかしいこの種の問題でありますので、若い警察官行き過ぎをしたために、結果が思わしくないというような事例が起こるだろうかというならば、このような制度がつくられれば、そういうことが起こる可能性を増すことは私も考えるのであります。  ただそれにも増して、この際必要であるというのは、もうちょうちょうするまでもなく、事件が非常に多い。犯罪事件と申しますのは、刑法及び特別法全部を含めてでありますが、六百五十万足らずの事件が年間発生しておりますが、その約八〇%は道路交通法違反事件である。そうしていわゆる反則通告制度を設ければ、そのうちの道路交通法違反事件の七五%ぐらいがこれで処理されるというふうに当局な説明しているようであります。そのとおりであるとすれば、まさに時宜を得た制度である、こういうふうにやっていかなければならないと思うのであります。警察官行き過ぎという問題については、私は以上のごとく考えます。  そこで次に移りますが、第二に、刑罰でありませんので、取り締まられる違反者のほうが軽視する傾向を生ずるのではないか、どういうことが言われておるようであります。簡単に言えば、金を払いさえすればいいであろうというと観念を生じやしないかということが言われております。これも現在よりもそういう傾向を生じがちな性質を持っていることを私は認めるのであります。しかしながら、そのようなことを重ねて行なう者、いわゆる犯罪でいえば累犯でございます。そのような違反行為反則行為をたび重ねて行なうような者については、別途に、反則通告制度以外の直接刑罰に連なる道をとることも可能なようでありますので、そのような傾向を生じても、その傾向に対して対処する道はあると考えられます。ただ刑罰でないから軽視するという傾向は確かに生じますが、他方それにまさる効果もあるように考えます。われわれ、犯罪に対する対策のことを考えております者としては、これは何も私どもが言い出したのではなくて、ヨーロッパの学者が言い出したことでありますけれども犯罪に対する対策としては、厳重に処罰するということよりも、大事なことは、検挙が励行されることである、検挙が励行されれば、罰は比較的軽くても、犯罪の鎮圧には効果はあげるものだということが刑事政策家の一致した意見となっております。そういう意味におきましても、反則通告制度というものが、一種の制裁でありますから、刑罰ではないという意味で、軽い制裁ではありましょうが、これによって検挙が励行されることになれば、予防効果を十分あげる見込みがある、こう考えていいのではないかと思います。もとよりこの種のものに対してははなはだ手ぬるいという印象を受ける、違反者がさらに罪を重ねるということはあるかもしれませんが、それは先ほど申しましたような、直接刑罰に連なる道を通ることも可能であるという意味において、反則通告制度というものが適当であろうと私は思います。  それから次に、警察処分に対して内心不服であるのだが、裁判にかかることはめんどうであるというので、不服な、場合によっては不当な処分に対してでも、通告を受けた者がそれに従っていくということになって、裁判への道が法律上開かれておりながら、事実上はその道を通らないで、警察だけで事が済んでしまうということになって、裁判が形骸化するのではないかという疑いも持たれておるようであります。この点につきまして、私はそれは現在の制度のままにして置きましても、いわゆる略式命令に対しては不服である、正式裁判を申し立てたいのだけれども正式裁判を申し立てるというと、法廷に出ていって時間もつぶし、人前で恥もさらさなければならぬから、ほんとうは言い分があるのだが、略式命令にめんどうだから服して置くという人が、事実たくさんいると思われます。そういう意味において、いつでもめんどうだから、なお次の救済手段があるにかかわらずそれによらない、つまり権利を十分主張しない、控訴、上告の道を通らないという人は常にあるわけでありまして、どうしてもその必要があるということになれば、この制度をとりましても、りっぱな裁判を受ける道が開かれているという意味において、その点はそう心配しないでいいのではないか、こう思うのであります。しかしながら、何といっても行政官庁というものは、これは警察に限りませんが、行政官庁というものは、とかく裁判機関に比べれば一方的に事を処理しがちでありまして、それによって不利益な処分を受ける人の言い分を十分聞かないという傾向にあるように思います。その意味では、この運用にあたり、本部長あるいはその本部長通告の決定を事実上扱う下僚は、いわば裁判官的な態度をもってこれに当たるように当局は指導していただきたいものだと思います。  時刻のようでありますから、あと簡単に三点ばかり申し上げることにいたします。  それは少年に対する適用の問題ですが、私は少年に対して適用するようにしたほうがいいと思います。免許を与えられる資格がある者には当然このような義務を課するのも至当であると思うのでありますが、ただ少年法との関連問題が裁判所と法務省との間で解決されておりませんで、まだこれにはたいへん複雑な問題がからんでまいりますので、いま、この際これをきめるということはたいへん困難であろうと思うので、やむを得ないかと思う。願わくは少年をもこの反則通告制度の対象にすべきだというふうに思うものであります。  次に、積載量超過の問題につきましては、二つの面からこれに反対意見があることを伝聞いたしておりますが、第一が運行管理者圧力のために運転者がそうせざるを得なかったということも多いであろうから、刑罰を重くすることには不賛成だという意見があるそうでありますが、それはもっともなのですけれども運行管理者圧力がなくとも犯しておる個人営業者相当――そのほうが多数であるように私には思える。そしていずれが多数かということよりも、具体的な事例におきまして、もし運行管理者圧力があったために犯したということであれば、これはもう前世紀末葉からドイツを中心に発展してきましたいわゆる期待可能性理論というものによって裁判所は現在さばいておりますから、裁判所は必ずその場合に量刑上考慮するであろう、こう思う。具体的なそれぞれの場合に応じて考慮すればよいことであると考えます。  第二に、運行管理者に対する刑罰自由刑を設けるべきであるという御議論があるそうでありますが、もちろん御議論があるというのは、この委員会であるということじゃございません。それは私は存じませんが、衆議院においてあったとか、あるいは世間にあるとかということを聞いておるのですが、このようなものにつきましては、運行管理者運転者圧力を加えたためにそうなったということであれば、管理者は教唆、幇助の刑法一般理論によって、当然自由刑をも科せられるべき事態になるわけでありますから、そうでない、いわゆる故意過失といいましょうか、直接に故意過失のない運行管理者にその罰を及ぼす場合につきましては、自由刑を科するというのは相当でないように思います。それはきわめて間接的であるし、相当でないのみならず、いままでの立法例からいきましても、そのような場合は罰金をもって処理する、これがたてまえでございますので、それでいいものと考えます。  なお最後に一点、刑法二百十一条改正問題が一方に起こっておりますので、その刑法二百十一条の改正のほうをやめて、この法律の中に取り込むべきではないかという議論があるそうですが、これは刑法二百十一条は業務過失一般に関するものでありますし、刑法はまたそうなければならぬものでありますので、自動車のものだけをこれからはずして特別に重くするという理由を説明するに困るのではないか、やはり業務上の過失がある以上、種々の行為形態について、一律に刑法二百十一条によって対処するのは適当だと思うのであります。二百十一条を改正したほうがいいか悪いかということを私はこの席で申す意思はございません。これは立法にも関与しておりますけれども、この席で申す筋はございません。ただ、刑法二百十一条のほうをいじらないで、その分をこちらに取り込むのは適当であるというふうに私は考えない。  少し時間が超過いたしまして申しわけございませんでした。
  4. 仲原善一

    委員長仲原善一君) たいへんありがとうございました。  次に布井参考人
  5. 布井要一

    参考人布井要一君) 布井でございます。  私は、日本弁護士連合会の中に司法制度調査会というものがございまして、委員会制度でございますが、この委員会の昨年度委員長をつとめさしていただきましたときに、たまたまこの問題が出てまいりまして、委員の諸君とともに審議した次第でございますが、結論を申し上げますと、日本弁護士連合会といたしましては、委員先生方にたでいまお配りしたと思いますが、簡単に申し上げれば、何らかの、こういう交通事故が頻発する事態に対処する策として、現在裁判所が行なっております交通事故事件処理というものに対して、何らかの別途の方法が必要であるということを認めざるを得ないという前提をとりました。  しかしながら、一方におきましては、この原案をそのまま認めるということをいたしませず、ある程度の限界をつけていただきたい。なるほど、この中にはいろいろ限界をつけておられますけれども、少なくとも刑罰に値するようなものはこの中から排除していただきたい。と申しますのは、この道交法処罰規定を通覧いたしますと、その行為の態様によりましては、必ずしも刑罰をもって臨む必要のないものまでこの中にたくさんございます。たとえば駐車違反のごとき、あるいは免許証携帯に対するごとき、でございますから、この中からいわゆる行政上の秩序罰をもって臨んでもいいようなものは、今回のこの立案については、そういうものを主として扱ってはどうだろうか、また一方、この罰金と申しますか、今度は反則金というようでございますが、この金額を、最高額は一万五千円というように定めておられますが、これをもっと下の、いわゆる国民から見まして、刑罰と全然別個の体系のものだという認識を得るような金額の低いものにしてはどうだろうか、こういうような結論に達したわけでございます。  この審議の経過を申し上げますと、内輪話になりますが、実はこれにつきましては十数回にわたりまして委員会を重ねたわけでございます。なぜわれわれのほうでこの問題をしかく重大視しましたかと申しますと、御承知のように司法権裁判所が行なうものだということは憲法に明定してございます。今回の立案は、司法権を侵すものでないという前提にお立ちになっておりますけれども、これは従来裁判所が行なっておった科罰行為行政機関がおやりになるということになるわけでございますから、ここを何らの反省なしに簡単にこれに賛成することができなかったというわけでございます。  たまたま、私らのほうで十数人の若いオーナードライバーの方――弁護士でございますが、この方にお集まりいただいて御意見を聞いたのでございますが、率直にそういう若い方は申された、自分らは非常にけっこうだ。オーナードライバーとしては、従来罰金でやられるのを今度反則金でやられて、時間的にも簡単に済むのだから非常にけっこうだ。しかしよく考えてみると、これはやっぱり憲法問題というものを相当法曹としては深刻に考えなければならぬじゃないか、だから簡単に結論に賛成してはいけないというようなまじめな意見がございましたので、そこからいろいろ学者の御意見あるいは諸外国の文献、主としてはこの資料の中にございますけれども、外務省のお調べになった資料、諸外国資料について研究したのでございますけれども、諸外国におきましても、この制度をとるについては相当御苦労になっている、憲法のたてまえとこれを調整するのに非常に御苦労になっておる。  たとえば御承知のようにドイツにおきましては、警告手数料というものがございますが、これはやはり日本の今度の制度と近似しておりますが、これについても五マルクが最高だ。それからイギリスの場合は、主として駐車制限停車制限というふうなほうに非常に限定してお取り上げになっておる。また、ほかの外国の諸例を見ましても、金額が非常に低額であるというふうなことが一般に共通した点でございます。ですからこの制度は、いずれはこの制度に向かうのが各国の趨勢でございますが、日本の今回のごとく、しかく大幅に、私いま皮肉でなしに申し上げるのですが、相当決断をもってこういうふうに踏み切られたということについては、相当これの立法当局においても御苦心になったことが多々あるだろうと思います。また、国会におきましても十分御審議をいただいて、結論をお出し願いたいと思う次第でございます。  それから、一番われわれが腐心いたしました憲法問題は、四条ございまして、憲法三十一条に「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」、こういう条文、それから次の三十二条、「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。」、この条項、それから七十六条の二項でございますが、「特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。」、これを受けまして裁判所法の三条がございます。それからもう一条、法のもとの平等云々のこの規定でございますが、この四条につきまして主として審議をいたしました結果、これは学説に反対説があるかとも思われますが、われわれのほうでは、憲法におきましては、刑事裁判については行政機関前審としてもこれを行なうことはできないのだという見解のもとに審議を進めたわけでございます。学者の中には、最終的には司法裁判所がやれば、その前審としては行政機関刑事裁判もできるのだと思われる節の御意見を「ジュリスト」等で拝見しましたけれども、われわれの考えといたしましては、この前審として行政機関がやれるのは、あくまでも行政訴訟事件に限られるべきものであって、刑事事件についてはこれは前審として行なうことができないのだという見解をとりました。  そういう見解のもとにこの審議に当たったんでございますけれども、さらばといって今回の立案を阻止いたしまして、これにかわるべき具体的な案があるかということにつきましては、遺憾ながら時間の関係上――と申しますのは、先ほども申し上げましたように、道交法の中で行政上の秩序罰と、それから、刑事罰をもって臨まなければならぬものと二通りに分けまして、刑事罰につきましては従来どおりの刑事裁判行政上の秩序罰につきましては、何らかの行政機関による審判、それから後にこれが裁判にかかることがありましても、いわゆる行政訴訟法的処理方法考えるべきである。われわれのほうでも具体的にこの各条項につきまして、これを峻別する作業にかかったのでございますが、先ほど申し上げましたように駐車違反とか免許証携帯というものは、これははっきり行政秩序罰のほうに入れることができる。しかしながら、その余の各行為につきましては、これを選別するのにはなはだ困難を来たしたわけでございますが、このことは、おそらくは警察庁で初期の段階で、こういう御審議になったときに同じような御苦労があり、それが困難だからこういうように踏み切られた、これは楽屋裏の推測にすぎませんけれども、私はそういうように考えるのです。われわれのほうといたしましては、そういう行為の選別がはなはだ困難な点にかんがみまして、せめて金額的に、国民の側から見まして、これは従来の罰金ではないんだというような考えが持ち得るような金額に圧縮していただきたい。  たとえば五千円ということをここに書いてございますけれども、この一万五千円の最高額でございますと、従来、いま交通裁判所がおやりになっている罰金額にやや近いものを標準としてこれをおきめになっておるのだろうと、私は推測できるのでございますが、これは反則金法律の条の性質は別といたしまして、一応裁判手続と、この反則金処分手続との間には何らかの遮断が必要である。ですから、この反則金というのは刑罰でないのだということが国民認識ができ得るような何らかの配慮、それはとりもなおさず、具体的に申しますと、とりあえずは金額の低下ということに私はつながるのではないかと思われます。その意味におきまして、ドイツの五マルク最高限というのは、あまり極端ではございますけれども、その他の諸外国制度も御参考に願いまして、現行の科罰よりは低くなりましても、これは一回で、何回も累犯的な行為が、反覆行為がありますと刑事手続に移るのでございますから、第一回目は一種の行政秩序罰的な観念を導入いたしまして、刑事罰と違うという意味におきましての金額の低下、こういうことを提唱している次第でございます。  なお、この意見書の最後に、反則金を納めた者はそのままで前科の扱いはもちろんなされないが、何らかのこれに不服を申し立てまして、刑事裁判が進行いたしますと、そうして、有罪の判決を受けますと、それが前科扱いを当然される。これは非常に不公平ではないかということは、漏れ聞くところによりますと、裁判所側からもそういう意見が出されているそうでございます。われわれのほうでも、その点の配慮は、先ほど申し上げました憲法の中の法のもとの平等という点の解釈問題ともからみまして、何らかの立法的措置を講ぜられたいと思います。これは、そこにこの行為そのものが、本来ならば刊事罰に値しない取り扱いができるんだという基本的な観念を下に持ちながらの提唱でございます。一定の行為につきましては刑罰を科しておっても、これは立法上、刑罰というものを科しておりましても、実質上は行政上の秩序罰でいいものまでもその中に含まれていることを前提といたしまして、それらの配慮が望ましい。これの先例、類似の立法は、少年法の中にも一条文ございますので、必ずしもそれが的確にこれに当てはまるとは申しませんけれども、何らかの御配慮が願いたい。  こういう趣旨の意見でございます。これで終わります。
  6. 仲原善一

    委員長仲原善一君) ありがとうございました。  次は、今井参考人
  7. 今井敬弥

    参考人(今井敬弥君) 東京弁護士会所属弁護士の今井敬弥でございます。  私は交通問題を中心に勉強している法律実務家の立場から御意見を申し上げたいと思います。  私はまず第一に、道路交通法の一部を改正する法案中の二条の部分の、いわゆる交通反則金通告制度憲法上、司法制度上の問題について意見を述べ、第二に、改正法案の一条と二条の部分全体について、道路交通行政のあり方という観点から意見を述べてみたいと思います。  最初、いわゆる反則金制度の問題でありますが、私はこの制度は明白に憲法違反の制度だと考えます。もともとこの制度は、昨年五月案では納付命令制度となっておりましたが、最終案で反則金通告制度と変えられ、国税犯則取締法からのヒントと、それへの接近が濃厚に感じられると思います。  さて、問題は、この反則金性質ないしはその実質だと思います。改正案の説明では、この反則金罰金でも科料でも過料でもなく、国税犯則取締法で納付を通告される金額と類似の性質であるという以上の説明がなく、結局私の見るところでは、反則金性質を明らかに説明できなかったものではなかろうかと考えます。しかし、この反則金の本質は、どのように名称づけようとも、私は刑罰だという以外に言いようがないと思います。確かに国税犯則取締法には通告処分が存在いたします。しかし、その通告処分が間接国税、たとえば酒税――酒造税等でございますが、それだけにその存在を許される唯一の根拠は、おそらくは税法の特質、すなわち租税債権関係が成立し、国庫に対する債務履行義務があり、かつ徴収確保という財政上の政策によるものと思われるのであります。この制度を合憲と判示いたしました昭和二十八年十一月二十五日、最高裁の判決も、かような手続が認められるゆえのものは、間接国税の犯則のごとき財政犯の犯則者に対しては、まず財産的負担を通告し、これを任意に履行したならば、あえて刑罰をもってこれに臨まないとすることが、間接国税の納税義務を履行させ、その徴収を確保するという財務行政上の目的を達成する上から見て適当であるという理由に基づいているのであると、判示して、通告処分の特質を明らかにしているのでございます。  ところが、自動車運転者と国家との間には、単に道路上を運転したというだけで、租税債務的な法律関係の成立するいわれのないことは明らかだと存じます。憲法三十一条は、「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない。」と、いわゆる適法手続規定をしております。この刑罰の中には、刑法等で定められた固有の意味刑罰のみでなく、過料などの秩序罰や執行罰が含まれるとされるのは、学界の通説的見解であります。だとすれば、この反則金通告に対し、憲法刑事手続に関する諸規定に適合した救済手続のないのはもちろん、行政不服審査法の適用まで排除されているのでありますから、これが憲法三十一条と憲法三十二条、すなわち「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。」という規定に違反することは明白だと存じます。  あるいは、これに対して、反則金に不服の者は納付を拒否して、裁判の道を受ける自由があるという反論が予想されます。しかし、反則金を納めない者は刑事訴追を受けるのでありますから、被通告者は事実上強制されるという実質を看過してはならないと思うのであります。たとえていえば、水は低いほうへ流れるのが自然の法則であります。これを高いほうへ流れる自由もあるから、低いほうへ流れるかいなかは全くの任意であるとは言えないのと同じ理屈だと思います。さらに、現場で反則金通告を受けた者は、その時点でそれに従わなければ訴追されるという意味において、すべて反則金の納付を解除条件とする刑事被疑者の地位に立たされることになります。しかし、たとえ解除条件づきとはいえ、これらの刑事被疑者には、この制度上何らの刑事手続上の人権保障規定が与えられていないのであります。  衆議院地方行政委員会参考人として意見を述べられました山内教授は、この制度憲法三十一条、三十二条に違反する疑いがあると述べられながら、合憲だと言われる根拠は、単に、先生によれば、この「通告処分を必要としてやまない公益上の理由」であるということのようであります。しかし、もし一億総前科を避けるためというのであれば、車間距離不保持とか、あるいは右左折違反など軽微な違反行為を一切刑罰から解放して、純粋に行政罰にすれば簡単に解決できるし、またそのほうがドライバーにとって幾重にも福音であり、歓迎されるものだと私には思われます。  反則金制度は、警官に捜査権はもちろんのこと、比喩的に言いますれば、新たに起訴権を与え、その上、一たん納付したあとは、いかなる争訟手続も与えられていないという意味において、最終の判決権をも与えることになり、これが憲法七十六条二項の「行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。」という規定に違反するばかりでなく、大きくは司法制度全体を突きくずすことになるのではないかと憂慮にたえないのでございます。そしてまたこのような重大な問題を含む本制度が単なる公益上の理由でその存在を許されるべきではないと考えるのでございます。  次に、このたびの改正案全体について、道路交通行政の基本的あり方という観点から意見を述べさせていただきたいと思います。結論から申しますると、私は今次の改正案、特に前述の反則金制度免許の仮停止制度に反対の意見でございます。確かに統計によりますると、交通事故と違反件数が激増しております。そして道路交通法は危険の防止と交通の安全をはかることを目的としております。しかしながら、この交通安全と危険防止には、単に運転者の取り締まりと刑罰の強化のみをもっては、目的が達成されるものではないということは明らかだと思います。道路交通はいろいろの要素で構成されているものでございます。物的な面では、道路、標識等の設備、車両等があり、人的な面では、運転者、歩行者及び規制者としての警察官がおります。これらの物的人的要素を総合的に考えて施策することなしに、道路交通の円滑と危険防止に資することができないことは、何人もお認めのことだと存じております。  昭和三十五年、道路交通法制定の際、衆議院が附帯決議で「交通に関係のある行政機関相互間の連絡調整を徹底して、総合的な道路交通行政の実現を期する」ことを決議しているのも、私はその見地で理解しております。しかし、このような附帯決議が、その後の交通行政にどれだけ生かされ、実行されてきたでしょうか。たとえば道路法関係は建設省の所管ですが、わが国の道路率の低いのは世界に冠たる事実であります。たとえばワシントンでは四三%、ニューヨークでは二五%にかかわらず、東京では一三%、大阪では十二%しかないという統計が出ております。また、道路上の標識等の設置は、道交法上も、公安委員会は設置することができる、道交法の九条でございますが、とあるだけで、義務的ではありません。道路法や道路構造令を見ましても、歩車道の区別や歩道橋の設置義務などもちろんないのであります。  このような交通行政の総合的施策が行なわれていない反面において、道路交通法には昭和三十五年のその全面的改正以来一貫して持ってきた特質なり考え方、いわば思想があると考えられます。それは端的に言うならば、警察官権限拡大と取り締まり刑罰等の強化にあったのではないでしょうか。昭和三十五年の改正のときに、世俗的には一口に体刑五倍、罰金十倍といわれたようであります。そして警察官の指示権の強化等がありました。その結果、現場警官による権限乱用事案が多発しております。法律実務家の一人として私はこの点についてはっきり事実を申し上げることができます。  たとえば私の取り扱った事案では、三十六年三月に発生した一警官のタクシー運転手に対する暴行傷害事件があります。これは白昼堂々と行なわれました。告訴と国家賠償を請求しましたが、すでに一審判決-東京地方裁判所三十九年三月二十五日、二審判決-東京高等裁判所四十一年三月二十三日、によっても警察官の暴行傷害の事実は認定され、勝訴を得ておるのに、東京地方検察庁は、六年もたった今日でも告訴に対する何らの応答もしておりません。昭和三十八年十一月の一警官による暴行傷害事件もあります。これも告訴と国家賠償を請求いたしましたが、ついに刑事上タクシー運転手が起訴された事案です。一審の大森簡裁は、警官が逮捕時暴行陵虐を連続的に加えたことを認定した上、このような不正な逮捕は憲法三十一条違反として公訴棄却の判決を言い渡しました。同裁判所四十年四月五日判決であります。国家賠償も四十年一月二十九日東京地裁により勝訴しています。また、昨年七月三十日には、新宿の甲州街道上で、やはりタクシー運転手が白バイの警官に逮捕され、その上もよりの歩道上の工事現場の鉄柱の補強鉄線に手錠をかけられて、約十分間もそのまま放置されたという事案も起きています。この事案も当然告訴いたしましたが、本年六月三十日、不起訴処分となりました。  以上でおわかりのように、現場警官の権限乱用は数多くあります。そしてこの種現場警官の暴行陵虐事件については、告訴をしても一〇〇%といっていいくらいに刑事上の訴追は期待できません。これがまた警官の乱用を助長させている一つの理由とも考えられます。  また、警職法上の権限の問題ですが、本年四月十日の朝日新聞夕刊によると、新宿の地下プロムナードで一市民が警察官にいきなりどこへ行くと胸ぐらをつかまれて、コンクリートに足払いで転倒させられたという事案が写真入りで報道されました。御記憶のある先生方もあると思います。朝日新聞は同月十二日の社説で、これらの警官の行為、態度に警告を発しているのであります。法務総合研究所の安西検事が「ジュリスト」三百七十号に、反則金について賛成の立場で論文を書かれておりますが、しかし、やはりこの制度運用する警察が、もし不公正に、あるいは権威主義的なやり方で事に当たり、警察に対する国民の信頼を裏切るようなことになれば、この制度の生命を失なわせることになると言っています。つまり、今次改正案の警察官への権限拡大に対する法的チェックは法制上ないことを認めた上で、結局運用面で臨めと言っておられるわけでございますが、前述の交通警察の実情を考えますと、私は警察に期待することはきわめて困難で、国民の信頼をつなぐためには、やはり法的に警察官権限をチェックしてゆく必要があるとはっきり申し上げたいと存ずるのであります。  今回の免許の効力の仮停止制度の新設も、やはり警官権限の拡大の方向と一致しておるものと考えられます。その権限警察署長にありますが、実質的には現場警察官による事実認定を基礎とするのですから、現場警官の権限拡大といってもよろしいかと思います。そしてこの制度は、従来の聴問制度を事実上崩壊させるものであると断ぜざるを得ず、しかもこの制度でも、警察官権限をチェックする法的な保障は全然考えられておりません。特に仮停止のできる要件として、百三条の二、一項三号、これこれの「違反行為をし、よって交通事故を起こして人を死亡させたとき。」の一から十一までの要件です。この中で、無免許、無資格、積載オーバーの場合にはまだ認定が容易といえましょう。しかし、その他の過労運転とか、スピード違反とか、信号違反等は、現在でも正式裁判で数多く争われている事案であります。この現状を見ても、その認定が客観性を欠き、きわめて困難であって、トラブルと抗争が惹起される可能性は明らかだと思います。しかし先ほど申し上げましたように、警察官権限をチェックする法的保障は皆無でございます。署長に五日以内に弁明の機会を与えられるという規定はありますが、およそ取り締まった側の同じ警察の署長に対する弁明は無意味にひとしいと思います。この観点から、先ほどの三の諸規定は、少なくとも無免許、無資格、積載オーバーを除きすべて削除されるのがしかるべきだと存じます。  さて次に、昭和三十五年の改正で、現行法の七十四条、七十五条で雇用者等の義務を新設したことは一応の進歩的な意義を持っていたと思います。しかし、これはあくまで一応であって、制定の当初から識者によって、結局名義だけの条文に化するおそれがあると指摘され、衆議院の附帯決議でも、この規定の趣旨を実現を期せと決議されております。しかし、実際法の運用においては、東京地方検察庁が使用者責任追及のため専従班を設けたというのが、四十一年の十月三十一日であったという事実からも、当局の関心を推測することができると思います。  現在運転免許取得者二千万人のうち、約九割が職業運転手だといわれております。現行法が雇用運転者という具体的な概念設定をせざるを得ないところに、今日の道交法問題の根本があろうかと思いますが、しかし、道交法の雇用運転者と雇用者への彼我の取り扱い方には、特段の差別が見られます。たとえば、現行法の七十四条二項についていえば、速度違反につきそのような業務を課した雇用者には、懲役三月以下か三万円以下の罰金であるのに、六十八条違反の運転者は、六月以下の懲役と五万円の罰金です。同じく七十五条の過労、病気等の状態の運転を下命、容認した雇用者は、前同様の罰則であるのに、六十六条違反の運転者の罰則も前同様であります。このように雇用者と運転者への刑罰の評価は、二倍も違うのであります。しかし、一体過労運転一つ取り上げてみましても、労働者のだれが好きこのんで運転するでありましょうか。使用者の命に従わないと解雇その他の不利益が事実としてあるからそこ、やむを得ず運転させられているのが実情だと思います。この実態無視をさらに拡大強化しているのが、今回の積載オーバーの罰則強化だと思います。  この案によると、積載を下命、容認した使用者側が罰金三万円以下であるのに、運転した運転者に対しては、新たに懲役三月という重刑が課せられることになっております。一体積載オーバーは労働者が好きこのんでやるものでしょうか。サービス過当競争等で使用者がやらせるのが、隠れもない実態だと思います。使用者とその運転手に対するこのような差別的評価は、法の適正な定立とは断じて言い得ないと思います。ぜひとも運転者に対する懲役刑は削除されるべきだと思います。そして、いわゆる白トラといわれるものの取り締まりにつきましては、道路運送法の改正によって免許制度とすること、あるいは成立が期せられているダンプカー規制法等によって規制されるのが筋道と考えられるのであります。  最後に申し上げたいことは、道交法改正のたびに交通警察官の資質の向上が附帯決議としてなされておりますが、これは警察官権限拡大に対する立法府の率直な危惧を示すものだと私には考えられます。そして道交法でも大きな権限を与えられている公安委員会が、今日すでにその機能を十分に果たし得なくなって、そのほとんどが警察官に委任されている実情が指摘されております。東京都の場合には、月に二回の定例会議しか開かれていないと私は聞いております。このような実態に即すると、将来の方向としては、交通専門の公務員の新設と、新たに交通委員会あるいは交通審議会というものを設置して、これに国民の参加を求めて、真に道路交通行政を民主的にコントロールできる道を真剣に策定すべきではないかと考えておるものであります。  私の意見を終わります。
  8. 仲原善一

    委員長仲原善一君) ありがとうございました。  次に、大橋参考人
  9. 大橋実次

    参考人(大橋実次君) 私は、大橋でございます。きょう参考人を命ぜられましたのは、日本運送の大橋としての呼び出しのようでございます。今回の道交法の一部改正につきまして、私の実際に当たっておりまする点につきまして、御参考に申し上げたいと思います。  まず、交通反則通告制度の点でございますが、これはまあいろいろ法律家としての専門の御意見もただいま承ったのでございますが、私どもとしましては、今日この自動車がたくさん激増いたしまして、交通のはんらんして、事故が多発いたします際のこの処理をする上におきまして、警察、公安委員会としましては、こういうことに踏み切らざるを得ないといいますか、非常な、先刻も申し上げられた方がありますように、決断をもって私はお出しになったのではないか、また先生方のいろいろこれに対しての御批判等が行なわれておるのではないか、かように私は存じ上げておるのであります。  私の会社はプロの運転手ばかりでございます。この反則通告制度が行なわれた場合にどういう意見かということを、多数の者に時間をかけて繰り返して私は皆の態度について勉強いたしました。その結果は、これは最初は、現在、現行法におきましては、巡査が時と場合によりましては、その実情を勘案してくれる余裕があったと、けれども、今度は簡単にもう伝票だという感じを持たれる心配があるということを懸念いたしておったようでございますが、しかし、罰金でなくて今度は反則金だというような点で、多少のそこに、どういいますか、考え方がゆるみがある、こういうことでゆるみがあっては、私は、見つかれば、とらまえられれば納めればいいんだと、こういう感じができないかということについても、いろいろ突っ込んで聞いたのでございますけれども、これは御承知のように、一方において行政処分というものが控えておりますから、ことにプロの運転手は生活に強くつながるものでございますので、さような軽卒な考え方は一切持っていない、こういうことを知りましたのです。  ただ警察官がこの実際の面に実施されました際に、これは十分この点について乱用はされることは私は考えられませんけれども、このせっかくの新しい制度がよい結果がきますように、上司の方も十分御指導になると思いますけれども警察官教養をうんと私は高揚してもらいたい、こういうように考えているわけでございます。  次に、そのほかの面につきまして私は御参考に簡単に申し上げたいと思うのでありますが、今回、運行記録計を取りつけて、そして記録に関する規制が出されておるのでございますが、これは非常に私はけっこうだと思うのでございます。私は、ずいぶん前にこの記録計を備えつけて、そしてこの記録を十分生かして、そしてスピード違反をやったり、あるいは無理な運転をしたりしないようにして、お互いが責任のある正しい運転をすることに一そうの自信を持たすことがいいんじゃないか、こういうことが交通事故を減らす近道だということを考えまして、その当時大型トラックに私は全部取りつけることを決意したのでございますが、ドイツ製のものでないと精巧なものがございませんでした。けれども、これは多数つけるのには国産に限るんだということで、まだ不備な点があったのでございますけれども、国産へ踏み切りまして、最初はいろいろその計器が不十分な点について、十分な効果は上がりませんでしたけれども、そのうちだんだん改良されましてりっぱなものが出てまいりました。全部の大型トラックにこれを備えつけて、記録を管理することに非常につとめました。その結果、従来の交通事故、違反等が非常に減ってまいりましたので、その統計々もって警察庁、公安委員会に、あるいは運輸省に、ぜひこれは必要だからみんなの車が、大型車がこれをつけることができたら非常に事故が減り、あるいは運転手自体も正しい運転をすることに習慣づけられるのじゃないかということを私は熱心に申し上げました。  最近の統計によりますと、過去三カ年間におきましては、この記録計をつけない場合とつけた場合と、これは対照いたしますと、私どもは、実走行キロを対象にして、そして統計をとったのでございますが、件数において半数、それから同じ件数でも、その事故、反則の内容において大体半分程度の成績にとどめることができましたから、総体からいうと四分の一以下になったと思うのであります。そういうふうな点から、私はこれをつける、ことにこれを一カ年間記録を保存するという義務を負わしめるということは、これは責任を強く感ずる上におきまして、これは管理者のほうにも非常にこれは私は参考になると思うのでございます。これは非常にけっこうなことだと思うのであります。  それから運転資格の引き上げ等につきましても、これは二十歳前後の者が一番多く事故をやっておりまするし、また特に経験の未熟な者で年の若い者が多いのでございますから、今回の改正は非常に私はけっこうなことだと考えておるのでございます。会社におきましては、これよりさらに高度の、会社の内規によるいろいろの規定のもとに熟練した運転手を養成しましてやっておるのでございますが、それでも現在は事故を完全になくすることに、まだ私の努力が足りないのか、至っておりません。  なお、運転免許の効力を一時、事故の場合によりまして、二十日間に限って警察署長が免許の効力を仮り停止することができるということがあれに出ておるのでございますが、これは私はけっこうなことだと、やむを得ぬことだと思うのであります。と申しますことは、四十年の十月二十六日に西宮でタンクローリーが非常に大きな事故をやりまして、死者、重軽傷者が寄せまして三十一名、家屋は三十八戸全半焼いたしましたし、多数のこれは損害を生じましたのですが、その内容は、これは和歌山に油をとりに行って、京都に運ぶものを、神戸から出発しまして、そうして二人乗りのものが、一人の運転手が疲れたということによって宿舎に泊め、単独運転をして和歌山に行きまして、そうして大阪を通過して京都に行くべきものを、神戸へ一たん帰って、寝ておる運転手と交代するために西宮を通過中に、これは居眠り運転をいたしまして、そうして陸橋の下にぶつけて転覆して、これからガスが充満して大きな火災になったわけでございますが、この運転手は、その事故は十月二十六日に起きたのでありますが、その前の六日に、その前の居住地の静岡において重大事故を起こしておるのであります。事故が起きましてから、そのまま神戸へやってまいりまして、そうして神戸のその会社に就職をいたしたのでございまして、人間の不足のときでございますから、これは調査が十分に行なわれない先にこういう事故を起こしまして、もしこれを調査を、私は当時岸田先生の兵庫県知事時代に公安委員を仰せつかりまして、昨年までつとめさしてもらったのでありますが、その際に痛切に私は感じましたことは、それまでも交通の聴聞会を開きましたときに、免許の仮停止ができるのだったらこんな事故は起きてない。人を殺して、あるいは重大な事故を起こした者が、一週間あるいは十日の範囲内において、またさらに大きな事故を繰り返している。これは仮停止ができたら、こんなことはできないのだ。ところが正式な手続が完了しなければできないという、この間においてこういうことが起きる。これはまことに困ったものだということを感じまして、さような点から、またタコメーターをつけておれば、さような回り道は発見されますからできなかった、こういうふうに思うのでありますが、そういう点から申しましても、こういうことになれば、そういう点を未然に防げるのじゃないか、かように考えるのであります。  なお、公安委員会が交通の聴聞会を開きます際は、公安委員はなかなか時間がたくさんございませんので、いまもお話がございましたですが、月に二回というようなことではございませんけれども、毎週開きまして、兵庫県ではやったのでありますが、交通の現行法では、三カ月以内の免許停止を、公安委員会が聴聞会を開いて、そうしてそれによって警察で、審議会によってつくられた原案に基づいて、それに対して本人の意思を聞いて、そうして決定するということになっておるのでございますが、今日のようなたくさんな違反、あるいは三カ月以上の免許停止になる資格と認められるようなものが続出いたしましたら、これは公安委員会ではたいへんなことでございまして、私のように職業的な仕事をやっておった者はそうたいした負担と思いませんでしたけれども、いろいろな公安委員の連絡協議会等におきましては、常にこの問題が出てきまして、何とかこれを警察本部長に委任するということができるようにしてくれということは、切実な公安委員会、全国のそういうような御希望が高うなっておりました。こういうことも私はやむを得ないのじゃないか、かように考えるわけでございまして、非常に簡単なことを申し上げて失礼いたします。
  10. 仲原善一

    委員長仲原善一君) ありがとうございました。  次に、山内参考人
  11. 山内一夫

    参考人山内一夫君) 当委員会においてただいま御審議中の道路交通法の一部を改正する法律案について意見を述べよとのお招きでありますが、私の職業柄からいたしまして、法律上の意見を述べよという御趣旨と心得て、そのつもりで意見を申し述べます。  実は、私は六月三十日に、衆議院のほうの地方行政委員会にもお招きにやはりあずかりまして、そこで私意見を申し上げて、また、ここでも結局人間が同じですから、同じことを申し上げることになって恐縮でございますが、そのつもりでお聞き取りいただきたいと思います。  改正法案は、一条の部分と二条の部分とからなっておりまするが、反則金通告制度の新設を目的とする二条につきましては、憲法三十一条、三十二条、七十六条との関係をいかに理解すべきかという憲法問題がありまするから、これを中心にいたしまして意見を申し上げます。  結論から先に申しますると、私は、この制度は合憲と存じておるものであります。問題は、その合憲性をいかに説明するかにあります。いま申しました憲法の諸条項との関係の説明に入りまする前に、あらかじめ明らかにしておかなければならないのはこの反則金法律性質でありますが、これは簡単に申しますれば、国家権力による制裁として科せられますところの金銭罰であるというふうに存ずるわけであります。  第一に、反則金は金銭罰であります。ある者が違法行為をした場合に、その者に加えられる害悪は一般に罰といわれておりまするが、反則金は、反則行為という違法行為をした者に加えられる害悪でありますから罰であります。罰は、害悪の内容が金銭的損失であるかどうかにより、金銭罰とそれ以外の罰とに区分されまするが、反則金が金銭罰であることはあえて申し上げるまでもございません。  第二に、反則金制裁として科せられる罰であります。違法行為をした者に科せられる罰は、その目的から申しまして、制裁として科せられる制裁罰と、違法行為をした者が、その法律上の義務を将来に向かって履行するように強制するために科せられますところの執行罰とに区分されますが、反則金制裁罰であって執行罰でないことは、これまた申すまでもないと存じます。  第三に、反則金は権力によって科せられる制裁罰であります。制裁罰には、それを科する法律上の根拠が国家権力にある権力的制裁罰と、相手方との事前の合意にある非権力的制裁罰とがありますが、正式の刑罰は権力的裁罰の代表的なものであり、公務員の懲戒処分などは非権力的制裁罰に該当するわけであります。権力的制裁罰と非権力的制裁罰とを区分する実益は、それを科する手続に対する憲法上の制約が異なる点にありますが、反則金は、後に述べるように、それを科する通告処分そのものに従うかどうかは相手方の任意ではありますが、相手方が反則行為をした以上、反則金か正式の刑罰かの二者択一を迫られることになりますから、権力的制裁罰であるということは明らかであると存じます。  ところで、制裁罰たる金銭罰には、正式の刑罰たる金銭罰と、それ以外の金銭罰とがございます。正式の刑罰である金銭罰と申せば、刑法に刑名の定めのある金銭罰をさすのでありまして、罰金及び科料がそれに該当するわけでありますが、反則金刑法にはその刑名を掲げられないことになっておりますから、正式の刑罰たる金銭罰ではないわけであります。  正式の刑罰でない金銭罰のうち、代表的なものは、御案内のとおり過料であります。過料はその目的から申しまして、制裁罰である過料と執行罰である過料とに区分されますが、執行罰である過料は別といたしまして、制裁罰である過料は、刑罰以外の金銭罰である点におきまして、反則金と共通性を持っております。しかし、両者の法律性質が全く同じかといいますれば、そうであるとは言えないと存じます。制裁罰たる過料は、裁判所が非訟事件手続法により科するものと、地方公共団体の長が行政処分の形式で科するものものとに区分されますが、そのいずれにありましても、それを科する旨の裁判または行政処分は強制執行によって実現されるのに対し、反則金を科する旨の警察機関の通告処分は、強制執行によって実現されることはなく、それに従うかどうかは、法律上は完全に相手方の任意だからでございます。  それならば、反則金と同じ法律性質を有する金銭罰は現行法上存在しないかといえば、存在いたします。国税犯則取締法、関税法、地方税法等に基づき税務署長など徴税機関が犯則事件について科するところの罰金または科料に相当する金額なるものがそれであります。これをかりに納付金と申しますれば、納付金は制裁罰たる金銭罰であること、刑罰以外の金銭罰であること、それを科する旨の徴税機関の通告処分が強制執行によって実現されるものでないことにおきまして、反則金と同じ法律性質を持っているのであります。したがいまして、反則金に関する憲法問題は、結局納付金に関する憲法問題とほほ同様と存ぜられるのでありますが、それはともかくといたしまして、反則金につきましてはいかなる憲法問題があり、それをいかに考えるべきでありましょうか。  憲法三十一条は「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」と規定いたしております。まず検討を要する問題は、刑罰の意義いかんでありますが、これは、さきに申しました権力的制裁罰を広くさすのであって、非権力的制裁罰は除外されますが、正式の刑罰たる制裁罰のみならず、過科など、それ以外の制裁罰をも含むと解すべきであろうと存じます。なぜならば、ある制裁罰を正式の刑罰とするか、それ以外のものとするかは立法政策の問題でありますから、このように理解いたさなければ、ある制裁罰を正式の刑罰にしないことによって、三十一条の保障を容易に回避することができることになるからであります。  次に検討を要する問題は、三十一条にいうところの「法律の定める手続」とは何を意味するかであります。それは、通常適法手続といわれておりまするが、法律で定められ、かつ、その内容が妥当な手続意味するものと解されております。法律とは、むろん形式的意味法律、すなわち国会が制定する法律をさしますから、「法律の定める手続」であるといい得るためには、形式的意味法律で定められたものでなければならないことは申すまでもありません。しかし、それだけでは十分ではありません。「法律の定める手続」ということばからいえば、それだけで十分であるようにも思われますが、そうではなく、その内容が妥当な手続であることを要するのであります。その内容が妥当な手続であるといい得るためには、当該の手続刑事手続に関する憲法の諸規定に適合していなければならないのはもちろんのこと、刑罰を科せられることとなる者に言い分を述べる機会を十分に保障するものでなければならないものと解すべきでありまして、近代国家に一般的に見られる刑事訴訟手続、またはそれに類似する手続がそれに当たると申すべきであります。  次に、憲法三十二条は「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。」と規定いたしております。この規定は、民事事件行政事件につきまして裁判を受ける権利を保障する趣旨を有するとともに、何人裁判所裁判によるのでなければ刑罰を科せられないという趣旨をも含むものと解されております。その趣旨は、さきの三十一条と同じでありますが、そういたしますと、憲法は、この二つの規定によりまして、裁判所が適法手続により科するのでなければ、何人刑罰を科せられないとの保障を設けたことになるわけであります。  憲法三十一条、三十二条の趣旨がこのようなものであるといたしますると、反則金通告処分につきましては、両条との関係で問題が生ずるのは一応やむを得ないものと思われます。反則金は、すでに申しましたとおり、権力的制裁罰であるにもかかわらず、警察機関が通告処分により即決的に科するものであって、裁判所が適法手続により科するものではないからであります。  この違憲の疑いに対してどう弁明すべきでありましょうか。まず私どもの頭に浮かぶのは、通告処分が強制執行によって実現されるものでなく、相手方がそれを拒否する自由を有し、反則行為をしたかどうか、したとして、いかなる刑罰を科せられるかについては、裁判所裁判を受ける権利を奪われるわけではないことをもって合憲性の理由とする弁明であります。この弁明は、一応はもっともであるように見受けられます。現にこの反則金と同じ法律性質を持っておりますところの国税犯則取締法などによる納付金につきましても、このような弁明によってその合憲性を肯定する人人がいるのであります。  しかしながら、反則金の合憲性の理由を、いま申しました点に求めるだけで十分であるかどうかは疑わしいと存じます。なぜならば、反則金通告処分法律上の強制力は有しませんが、事実上の強制力はあるものと見なければならないからであります。通告処分を受けた者がそれを拒否する場合には、反則金の額が道交法の定める罰金または科料の最高額よりも低く定められることになっておりますから、反則金よりも多い罰金または科料を科せられるおそれがあること、刑事事件は落着に至るまで相当の時間がかかり、その間に検察機関、さらには裁判所の召喚を受けて、生業に充てる時間の空費を余儀なくされること、有罪の判決を受けることにより前科の履歴を持つことになることなどの不利益が予想されますので、通告処分を受けた者は事実上、心ならずもそれに従うことになる可能性があるのであります。その意味におきまして、反則金通告処分が事実上人権を不当に侵害する危険性を包蔵していることは、否定するわけにまいりません。  したがって、反則金の合憲性を立証するためには、この危険性があるにもかかわらず、なおかつ反則金通告処分を必要としてやまない公益上の理由があることを指摘しなければならないと思われますが、私はその公益上の理由はあると存じます。すなわち、最近の道路交通は自動車の激増によって混雑の一途をたどり、反則行為もまた激増しつつあります。このような事情のもとにおきまして、反則行為に対する制裁をもっぱら裁判所の任務とし、これを刑事訴訟法により科するという本来の原則に固執するならば、裁判所は、その処理に忙殺され、ひとり反則行為だけでなく、他の訴訟事件の処理もまた著しく渋滞し、ひいては道路交通法による抑制力が失われて、人の生命を失わせ、あるいは身体または財産に重大な損害をもたらす交通事故の防止が著しく困難になるとともに、法一般の実効性に対する国民の信頼が失われることになるのは必定であります。この事態は、裁判所の増設によって防止することができるのではないかという意見があるかもしれませんが、訴訟の処理は事柄性質相当な時日を要すること、有能な裁判官の大増員は容易にできるものではないことを考慮いたしますれば、その意見は多分に現実的基礎を欠いております。  反則金は、まさにこのような事態を防止するために考案された制度でありますが、現在の道路交通の事情を見ては、何人もそれを必要としてやまない公益上の理由があることを否定することはできないでありましょう。もちろん反則金通告処分を必要とする公益上の理由があるにしても、他方、人権を不当に侵害する可能性が大でありますれば、その合憲性を主張するわけにはまいりますまいが、その可能性は、すでに申しましたとおり、全くないとは言えないにしても、通告処分法律上の強制力が全然ないこと、反則行為は現認が容易な形式犯であり、かつ、制裁罰の内容を画一化し得るものであることを考慮すれば、人権の不当侵犯の可能性は、反則金を違憲としなければならないほどに大きいとは言いがたいものと思われます。しかも、反則行為に対する制裁通告処分によって迅速に処理されることは、反則行為をした者自身にも利益をもたらす側面を有するという事実も無視できないと存じます。  以上の理由により、私は、反則金は三十一条、三十二条に違反しないと考えているのであります。  最後に、憲法七十六条一項は「すべて司法権最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。」と規定しておりますが、司法権とは民事事件刑事事件行政事件裁判作用をいうと説明されております。刑事事件裁判作用なるものが正式の刑罰を科する国家作用のみをさすのか、またはそれ以外の制裁罰を科する国家作用をも包含するのかは一つの問題でありますが、この点は包含すると解すべきでありましょう。そうだとすると、警察機関が反則金を科するのは、七十六条一項に違反するのではないかという疑問が一応出てまいりますが、この点は、「行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。」と規定する二項がありますので、さして気にする必要はありますまい。と申しますのは、二項の裏を返せば、行政機関は、終審としてでなければ裁判をしても差しつかえないということになるからであります。  以上でございます。
  12. 仲原善一

    委員長仲原善一君) ありがとうございました。  参考人方々の御意見はこれにて終了いたしました。  参考人方々に御質疑のある方は御発言を願います。
  13. 占部秀男

    ○占部秀男君 植松先生にお伺いしたいのですが、いま先生のお話では、警察官権限乱用の問題で、特にこれに関連をして、今度のこの法の改正によれば、交通違反の事件は七五%は処理できると、こういうような情勢だということが事実上あるというお話なんですが、そこで私は、現在の交通取り締まりのいわゆる成績主義的な問題もこれに入って、警察官権限乱用はふえるんじゃないかというふうに思うわけなんですが、そこで何らかの簡略な救済措置というものが考えられないものか。特に仮停止の場合には、あやまって仮停止をしても、それがあとでわかったとしても救済される措置はないわけですね。こういうことなんか特に考えるべきじゃないかと思うのですが、その点と、それからもう一つは、今度の改正では積載オーバーの場合、運転者には懲役刑を科しておるのですが、安全管理者であるとか、監督者には、確かに罰金が新設されたと思うのですけれども罰金刑だとこれはやはり私は何かこうアンバランスじゃないかと思うのですね。つまり、運転者は――運転手だけでやる場合もあるのでしょうけれども、雇われておる運転者は、どうしても業者あるいは業者の意を含めた監督者、こういうところがある程度強要されるという場合があるし、また、そういうような場合を暗黙に監督者が容認しておる場合もあるわけですから、こういうような種類に、かりに運転者刑罰を科するならば、やはりそういうふうな業者であるとか、あるいは監督者であるとか、そういうような圧力をかけたり容認をしたりした者にも刑罰を科すべきである。それでなければ、運転者だけの刑罰では、とうてい積載オーバーによる事故の起こるのを防ぐことができない。私は根本的にそういうふうに考えるのですが、その点の御意見はいかがでございますか。その点は植松先生と山内先生、それから今井先生にも御意見を伺いたい。特に今井先生には、どうも私は、管理者、監督者あるいは安全管理者罰金刑というものを新設したということは、結局運転者に懲役刑を設けるための一つのバランスといいますか、何かそれをとるためにこれをつくられたような感じがして、目的が運転手の対懲役刑というものにあるんじゃないかという感じがするのですが、そういう点については今井先生はどういうようにお考えになっておられますか。  また、植松先生と今井先生にお伺いしたいのですが、仮停止という問題は、非常にこれは運転手にとっては大きな問題でありますが、この仮停止をするということは、結局は現場の警察官の事実認定が基礎になるわけでありますが、この中で特にスピード違反の問題、信号違反の問題、追い越し禁止等、まだありますが、どうも客観的に立証できないものがこの中にたくさん入っているように思うんですが、客観的に立証できないようなものは、これを仮停止すべきではない。たとえば酔っぱらい運転であるとか、明確な問題は別でありますけれども、そういうように私は考えるんですが、そういう点を両先生はどういうふうにお考えになっておりますか、この点をちょっとお伺いしたいと思います。
  14. 仲原善一

    委員長仲原善一君) それでは最初に植松参考人
  15. 植松正

    参考人植松正君) ただいまの御質問の第一点、警察官の成績主義ということなんですが、これは成績主義というのは俗に悪口かもしれませんが、点数かせぎというようですが、これを似たような捜査の仕事に従事しております検察官と比べますと、検察官のほうにはそういうような傾向はほとんどないと思います。特に捜査のしかたがまずくて無罪が出たというような場合に、上司に対してその弁明をして、その弁明が非常にもっともでなければ、それは左遷の理由になったりなどするようでありますが、特に有罪をよけい出さなければならないとか、検挙の数が多くなければならないとかいうことは、検察官関係ではないと私は思います。  で、警察もそういうふうにあってほしいと実は思うんです。しかし、検察官というのは、一人一人が御承知のように相当教育を受けた知識の高い人々でありますが、警察官のほうは、最低の仕事をしておりますのは巡査でありますので、やはりあるいは点数主義的なことがないと成績があがらない問題があるいはあるのではないかというように思っております。理想としてはさようなことがないほうがいいと思いますが、これは警察当局に聞いてみないと、私はどちらが一体いいのかということは疑問に思います。もっとも、占領時代におきましては、御承知かと思いますが、アメリカの方針としては、点数主義をやめようということをいってきたようでありまして、そう言われているにもかかわらず、隠れて点数制的な、いわゆる成績主義的な扱いを警察当局はやっていたかに聞いております。で、一体理想は、私はいま申しましたように、そうでないほうがいいと思うことは、ただいま御質問の占部理事のおっしゃられますことに同感でございますけれども、ただ、何ぶん第一線警察官を動かすには、それが適切かどうかということは私にはよくわかりません。  なお、これに関連することとして、反則金について問題になったと聞いておりますが、国庫に帰属せしめるべきか、都道府県に帰属せしめるべきかという問題、これについては、私は全く政治のことは存じませんから、差しさわりがあるかもしれませんが、私の率直な感じを言えば、国庫のほうがいいと思うのであります。なるべく間接のほうがいい。よく冗談のように、裁判所罰金を取るのだから、その罰金を特別の何といいますか、特別会計にして収入にしたらいいというような冗談のような話が出ますが、そういうようなことをすれば、罰金を取ろう、取ろうとする方向にいく危険性があるので、そうでないほうがいい。同様の意味でなるべくこれは間接の収入になってくるという性格のほうが、私は点数主義を排除する意味からいいのではないか、こういうように考えております。  第二点の、あやまって仮停止を行なったという場合にどうするかという問題につきましては、私は行政法の専門でありませんので、実は山内教授にお答えいただきたいと思います。思いますが、しろうとの感想として言いますと、ただいま占部理事のおっしゃいますように、私も何かこれでいいのだろうかという心配を原案については抱くのでございますが、それは専門家の御意見を聞いて、心配がないというのならば、これでいいではないかと思うわけで、この点は山内教授にお願いいたしたいと存じます。  第三点ですが、積載制限違反について、管理者の処罰をもっと重くすべきであるという御意見、これにつきましては、先ほど実は申し述べたのでありますが、そこに御在席でなかったのかと存じます。私は、これはただいま例におあげになったような場合は、教唆として、教唆者のほうはもちろん御承知のように、正犯である運転者と同じ法定刑によって罰せられるのでありますが、犯情は教唆者のほうが悪ければ、教唆者を重く罰しても一向差しつかえないのでありますから、具体的事情に応じて、裁判所は教唆者のほうにより重い刑罰を科することは可能であると思います。しかし一般的には直接の違反者でない、間接の者でありますから、その者が命令をしたといったような関係が認められなければ、これを認められないにかかわらず、いわゆる事業主とか監督者という意味で、簡単なことばで言えば両罰規定の適用によって罰せられるという場合があるわけですが、そういう場合については、これは重い刑罰にするのは不適当である。ほかの立法例におきましても、やはり財産刑程度にとどめておるので、それでいいのではないかと、こういうふうに考えます。以上。
  16. 仲原善一

    委員長仲原善一君) 山内参考人にお願いいたします。
  17. 山内一夫

    参考人山内一夫君) 占部さんから直接私にお尋ねあったのは、積載オーバーの点ですが、これはおっしゃることもよくわかるんですけれども、私はやはりこういう日本の国の体制というものは個人主義法規ですから、やはりやった人が一番いけないんだ、こういうたてまえをとるのは、これはやむを得ないんじゃないかと思うんですね。ところが私反則金制度を含む一連の改正につきまして、一番犠牲になるのは、運転によって生計を営んでおる方、この方々がやはり相当つらいことになるんじゃないかという心配をするわけなんですね。で自動車の運転を職業としておる人の生計が非常に安定したものでないもんですから、そっちのほうから泣く泣くそういうことをやられるということがあるんで、そこのところを占部先生もお考えになって、その背後におる人も同じように罰したらいいんじゃないかというお気持ちだと思うんですけれども、ただ交通戦争を打開するためには、とにかくあぶないことをやめてもらわなければならぬというので、そこにかなり激しい規制をやっていくわけですが、こういうものがほんとうにわれわれに納得のいくようになるのは、どうしてもその運転を職業としておられる方の生計をもう少しよくお考えにならないと、やはり犠牲を受けられるのは、結局、まああぶないからという理由はあるけれども、そういう方ですから、やはり道路運送事業をもう少し深く考えられて、まあ変な命令は敢然と拒否しても、自分の生計に影響がないという制度にしないと、やはり占部先生がおっしゃった懸念は残るように私も思うんです。  しかし、この道交法のたてまえとしては、一応やった人が重い責任を受けるというのは、まあいまやむを得ないというように思っておるんでございますが……。  仮停止のことは、もしあとでお尋ねがあれば…。
  18. 仲原善一

    委員長仲原善一君) それでは今井参考人
  19. 今井敬弥

    参考人(今井敬弥君) 質問の第一の積載オーバーの点でございますけれども、私も占部先生と同じようにアンバランスじゃないかということを感じます。で、この改正案で、安全運転管理者等に対しては罰金三万円ということを新設したことそれ自体を見れば、一応の進歩的な意味は認められると思いますけれども、しかし全体として、そのほかに今度は雇用運転者のほうが懲役三カ月以下という重刑を科せられるということになると、これは従来罰金であったものを懲役刑を導入するということは、これはもう非常に大きな重刑だということが評価としては言えるのではないかと思います。そういう点を全体として考えますと、先ほど先生のお話もありましたように、何かやはりその積載オーバーの雇用運転者に懲役刑を科するためにそれだけではちょっと社会的な納得が得られないということで、多少かんぐりかもしれませんが、あの運転管理者等に三万円以下の罰金をつけ足したのではないかという感じもしないではないのです。  問題は、いま植松先生、それから山内先生、両先生がやむを得ないのではないかというお話がありましたけれども、私はやはり先ほど意見を述べましたように、現行の雇用者と雇用運転者との関係の実態論だと思うのです。これは私は法律実務家といたしまして、その辺の事件をいろいろ手がけておりますので、運用について私はいささか事実を知っておるのではないかと思いますけれども、問題は雇用運転者が一番おそれるのは、雇用者の命令に従わない場合には解雇その他の不利益処分を受けるということなのです。これは雇用運転者にとって一番大きな問題でありまして、もし解雇されれば、明日からでも生活の道が絶たれるという大きな問題があるのです。その点から積載オーバーを命じた場合に、それを認めないということがそのような不利益になるということで、やむを得ず積載オーバーのまま運転するということが事実でないだろうかと思うのです。  このような事実に直面した場合に、社会的非難はどちらが大きいだろうかということを私は考えるわけなのです。よく刑法上では社会的非難ということが言われますけれども、私に率直に言わせれば、そのような雇用運転者の実情を無視して、積載オーバーを命ずる雇用者のほうに社会的な非難が多く課せられるべきではないかということが私の意見でございます。その点から申しましてもやはりアンバランスになるのではないかと思います。  それからもう一つは、そういうような場合には教唆犯等の刑法の、刑法総則の問題でやるべきだという御意見がございますけれども、私の意見というのは、問題は法定刑ではっきりときめるべきだということを申し上げたいと思うのです。運用の面から申し上げますと、先ほど私が申し上げましたように、これはほんの一例でございますが、たまたま昨年の十月三十一日の毎日新聞に、初めて東京地検が雇用者の義務違反摘発の専従班を設けたという記事があるので私記憶があるのですが、ことほどさように使用者に対する責任追及ということがなかなかやられていないのではないかということを申し上げたいと思うのです。昭和三十五年に現行の道交法が大改正されるときにも、当時の現職の検察官でいらっしゃいました木宮高彦という人が、やはり御意見を申し上げまして、この雇用者の義務違反は名義上の法文に堕してしまわないかということを危惧されておりました。で、私もやはり検察官等の友人がございますが、その辺とお話をいたしましても、やはり現行の七十四条、七十五条といった条文自体が、これに証拠を集め、そして起訴をして立証するということがかなりむずかしい構成要件になっているということは、もう検察官でも言われております。私もまた一面ではその点は当たっていると思います。だから問題は、やはり雇用者の義務違反ということを構成要件的にもっと明確にすること、それを法定化するということを、運用の面ではなくて、法律によって定めていくということが私の意見でございます。  それから質問の第二の仮停止の問題でございますけれども、これも私が先ほど御意見を申し上げたと思いますが、たとえば信号無視ということがあります。信号無視と言われますと、それは赤信号になっているのをおまえさん突っ込んだろう、それで死亡事故を起こしたのだろうということは、口では簡単に言えるようですけれども、私が実際に取り扱った事案といたしまして、信号無視で起訴された事案もたくさんございますが、その中でも、事案を検討していきますと、たいへんむずかしい問題が出てくる。たとえば一例といたしまして、その当時、運転者の抗弁としては、その当時信号機が見えなかったというのです。確かに現場検証してみますと、大きなプラタナスの木ですか、何か突き出ておりまして、枝がずっと繁茂して、ちょうど六月か七月のいまごろの時点でございますから、プラタナスの木が繁茂しておりまして、確かに運転者の言う地点からいたしますと、現場検証いたしますと、信号機がよく見えないというのもございます。これなんかもやはり信号無視検挙されますけれども裁判所正式裁判になりますと、たいへん争われる事案でございます。このようなことが現場警官が信号無視だといって一方的な認定をして、二十日間の仮停止をするということが、たいへん大きな危険を持つのではないかということでございます。  私の意見というのは、ですから無免許運転とか、あるいは無資格運転とか、そういうことは要するに免許証は持っていないということは、客観的にだれでも認定できる事案ですから、この点は立証がないということはございませんから、現場でトラブルが起こる可能性はほとんどないといってもよろしいかと思います。しかしながら、それ以外の信号無視とか、あるいは追い越し禁止とかという点につきましては、立証のない、客観的なものさしがなかなかないという点から、現場でトラブルが起こる可能性がある。運転手が幾ら抗弁して抗議をいたしましても、現場の警察官が一方的に認定して二十日間の仮停止、そういう処分を受けるという可能性がございます。そういう危険が十分あることに、私は警告は発したいと思うのであります。
  20. 占部秀男

    ○占部秀男君 そこで植松先生と山内先生にお尋ねをしたいのですが、それは積載オーバーの場合です。結局運転手の生活上の問題と事実の問題が非常に私は大事だと思うのです、この場合に。そこで具体的に申しますと、この積載オーバーの規定の中に、積載オーバーを拒否した運転者を解雇してはならないということと、解雇した場合には業者及び監督者に懲役刑を科する、こういうようなぐあいにすれば、山内先生の言われましたいわゆる両罰主義ですか、これには質が違ってくるからならないようになってきて、根本的に積載オーバーの問題の解決ができるのじゃないかというような感じがするのですが、これは修正するかしないかは別なんですけれども、そういうこともあり得るのではないかと私は感ずるのですけれども、そういう点についての御意見はいかがでございますか。
  21. 植松正

    参考人植松正君) いまの御意見にありますように、積載超過について運転手がそれを拒んだ場合に、解雇することを許さないというような法律上の手当てをしたらどうか、これはこの法律に置くのが適当か、あるいは別の法律に置くのが適当か、問題はありましょうが、それは私もごもっともだと思います。おっしゃるとおりけっこうなことだと思います。  ただ、これに関連して、先ほどから話題になっておりますので一言つけ加えることをお許し願いますと、雇い主、すなわち運転管理者の責任をどうするかということが問題になっているわけですけれども、これは刑罰でいこうとすると、どうしても刑罰というものは行為者責任の原則、これは簡単には動かし得ないことだと思いますので、行為者だという証明がつかなければならない。ですから、管理者が教唆した、幇助したということが証明できませんと、これを運転者並みの法定刑で処罰するという道がないわけでございます。  そこでこれを何とかしたいのだということであれば、いまここで伺いながら思いつきにすぎませんけれども刑罰ではなくて、積載の制限をこえた営業用の車がこの違反に問われたときには、営業者に対して行政上の、たとえば営業の停止というような処分が行なわれるという制度をとれば、かえって管理者運転者に対しては超過しないようにやれよ、しないようにやれよということを注意して、むしろ超過したらおまえ解雇するぞという態度になるのではないかと、こんなふうに考えるのであります。
  22. 山内一夫

    参考人山内一夫君) いま積載オーバーをしろという命令を出して、それを聞かなかったと、それを首にしたとすれば、それはその理由で解雇するのは、これはどういうものですか。あるいはそれ自身が訴訟で争い得ることになるかどうか、あるいはならないかもしれませんが、制度としてそういうふうに立てることも、私はおそらく可能だと思いますですね。それでまあそれ全体につきまして、この使用者と雇用者とのいろいろな問題が私あると思うのですが、それはそういう観点から、もう一回いまのノルマ制というような賃金制度もそれにかかってくると思うのですが、その辺をもっとほんとうに根本的に考えないと、これはこの制度自体は必要だと思っても、犠牲を受けるものはだれかということを考えて、占部先生御発言だと思っているのですが、その辺はいまおっしゃったことも、一つの私は立法政策としては考えられるのじゃないかと思うのです。だから、ぜひそれが、いまその制度がないのにこれをやるのはいいのかと、こういうふうにそこのところを聞かれると、私もつらいのですが、だからその辺になると、私も答えが濁っちゃうのですが、これはとにかく一つの緊急性の問題として、こうやるのだという国の方針に対して、それはしょうがないなという気がするし、一方において、そのもう一つ、それを補うような制度ですね。まあ道路運送事業の全体の体制として、もう一回考える必要があるのじゃないかということを私はしみじみ考えておりますのですが……。
  23. 占部秀男

    ○占部秀男君 ありがとうございました。
  24. 仲原善一

    委員長仲原善一君) おはかりいたします。  委員外議員中村君の質疑のための御発言を許可することに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  25. 仲原善一

    委員長仲原善一君) 御異議ないと認め、中村君の質疑を許します。中村君。
  26. 中村喜四郎

    委員以外の議員(中村喜四郎君) 植松先生と今井先生にお尋ねしたいのですが、植松先生のほうへは反則金制度の対象外に、少年を除いたことは、どうも十分でないというような議論、私も同じような考え方を持っておるわけです。いままでの調べで見ますと、全違反件数の中で少年検挙されたものが八十三万件をオーバーしているわけです。それから教育補導された件数が百十七万件というような件数が重なっておるわけです。しかもこの少年の事故、交通違反というのは、多くは無免許であったり、場合によっては、特にスピードオーバーというような問題が非常に多いわけです。そのことによって起きる交通事故、殺傷事件というものも相当多いわけですが、これらに対して少年法という現実の問題からして、これを省かなくちゃならぬという悩みがあるわけですが、これをどう解決したらよいかお尋ねをしたいのです。先ほどの御説明も、私ども十分な理解が得られなかったものですから、ひとつお聞かせをいただきたいと思うのです。  それから今井先生のほうにお尋ねしたいのでございますが、反則金制度は、これは明らかに憲法違反であるという前提に立って論ぜられたわけでございます。しかも衆議院における付帯決議が、三十五年度の道交法改正の際にいろいろの付帯決議がつけられておる、道路が悪いから事故が起きるのだ、総合的施策がないから事故が起きるのだ、道交法改正以前に警察官教養を高めることが大事なんだ、こういうことが行なわれないままにおいてこの反則金制度が生まれたことは納得いかないし、これはまた同時に、憲法違反であるというような前提でお話でございますが、そして山内先生のあげられたことばをとって、しかしながら、山内先生は憲法上には疑義があっても、なおかつ膨大な交通事故というこの面から考えて、公益上から考えて、この問題はさらに検討しなくちゃならぬことに対して御反論をなさっておったようでございますが、御承知のように、四十年、四十一年度にわたりまして、交通違反件数だけでも明らかに五百万件をオーバーしておるわけです。交通事故で五十万件をオーバーしておるわけです。しかも交通事故の調査の実態を見ますと、交通が繁雑であり、ガードレールがない、あるいは横断歩道がないというその時点において事故が起きたということではなく、全国一律に起きている事実は、わき見運転であり、酒飲み運転であり、スピード違反であるという、こういう事故がその多くを占めている実態から見れば、こういう点を勘案し、しかも交通施策の上から施設を十二分にしても、なおかつ起きるこの事象から考えて、この交通事故を公益上の面と、それから法律行為の面から見てどう対処するかという点、この点について今井先生のいまの交通事故をなくしてやっていくという施策の上からお考えがあれば、お聞かせ願いたいと思うのです。
  27. 植松正

    参考人植松正君) 少年法との関係でございますが、これは先ほど非常に簡単にしか申しませんでした。この反則金少年に対してもとるというふうに道路交通法のほうだけきめましても、もし少年反則金を払いませんと、裁判所のほうでは刑事処分をしない、こういうことになって、少年は払わないほど得だ。少年の中に、もとより裁判所へ行くのはいやだから、やっぱり払おうじゃないかと考える者が多数いるだろうと思いますけれども、悪質な者は、明瞭な違反があっても払わなければあとはただで済む。それならそのほうがいいではないかと考えたならば、おそらく納付しないであろう、悪質な者は納付しないで最後まで済んでしまう、こういう形になるのが、この法律の中に、反則金少年通告するという制度をとりにくい主要な理由だと思うのであります。  したがって、少年法の年齢引き下げその他の改正が行なわれて、少年にももし反則金を納付しない者については罰金刑を課するというような道が開ければ、これは可能になるわけでございます。しかし、そのことは少年法改正問題として現に大問題になっておって、法務大臣はたびたび少年法改正に踏み切るという言明をしても、裁判所側の反対があるために、大臣がかわるとそれをまたもとに戻して、しばらく考えるというような形をとらざるを得ないような状態でありますので、どうしたらいいかというのは、結局その少年問題に対して最も関係の深い裁判所と法務省との間に何か解決の道が出てこなければ、どうにもならないのではないか、これは事実上どうにもならない、こういうことではないかと思います。
  28. 今井敬弥

    参考人(今井敬弥君) 私は最初に申し上げたいのは、私ははっきりと憲法違反ではないかと申し上げましたけれども、私の基本的な態度は、現行の日本憲法を大事にしたいということであります。憲法上いろいろな規定がございます。特に基本的人権を非常に強固に保障したということで、日本憲法の一つの特色が見られるわけでありますけれども、このような憲法については、私はできるだけ行政機関行政府においても憲法に適合した方向で、なおかつ行政目的を達するようにするのが一番いいのではないかということを、たいへんなまいきなようですけれども、申し上げたいのです。  そこで山内先生おっしゃっておりましたような公益上の理由でございます。私もまた、激増する交通事故、交通違反が激増していることは、争う余地がございません。これについてその交通違反、交通事故を何とかして少なくし、減少させなければならないということも、全く一致した、共通した関心事だと思うのです。しかしながら、そういうことをどうやってなくしたらいいかということは、交通反則金の問題でいいますと、提案理由にもございますように、一つは、そのような何と言いますか、私に言わせれば徴収手続の合理化ということだろうと思うのです。それを罰金ではない、行政罰であるというような名目をつけて、しかしながら、実質は私は罰金だと思いますけれども、もしそのような徴収手続の合理化ということであるならば、それがどうしても公益上、いまの激増する交通事故に対して必要だとおっしゃるのであれば、私もその点については全然それが理由がないわけではないと思いますけれども、そういうことであるならば、私が先ほど申し上げましたように、道交法違反の刑罰を大幅に行政罰に変えていったらいいじゃないかということが私の意見でございます。たとえば先ほどは左折違反、右折違反とか、あるいは追い越し禁止、車間保持違反等の軽微なことに限定しろということをお話し申し上げましたのですけれども、それに限らないで、もっと多方面に、もっと大きな面にまで広げ、それを純粋に過料としてやっても私はいいのではないかと。そうすれば私は憲法上の問題は起こらなくて、なおかつ公益上を理由として、行政目的が達成されるものと思うんです。  それからもう一つ申し上げたいことは、それでは交通違反をなくするにはどうすればよろしいかという御質問でございますが、これはもちろんたいへんむずかしいと思います。私が基本的に思っております考え方は、罰則の強化だけでは絶対に交通事故、交通違反はなくならないだろうということを申し上げたいのです。昭和三十五年の衆議院の附帯決議にもございましたように、どうしても総合的調整、総合施策が必要であるということであります。  その第一は、やっぱり道路率をよくすることだろうと思うんです。それからまた道路標識等を完全にすべきだと思うんです。よく聞きますけれども、いなかへ行きますと、どこに横断歩道があって、どこに停止していいかわからぬと、非常に不便である。それが夕暮れやたそがれどきになると、もっともっと困難な場合がある。それでも一時停止違反とか、あるいは実際渡っていた人にぶつかったりしたということが報告されておりますけれども、このような問題は、やはり標識等の設置義務、道路管理者あるいは地方自治体等にそういう設置義務を課する、あるいは公安委員会等に設置義務を課することによって、かなり引き下げられるのではないかと思うのです。しかしながら、現行の道交法は標識等の設置義務を課せてはおらなかったわけでございます。そのような点に、道路交通の安全と危険防止のためには法律による規制が必要でありますけれども、そういう法律による規制をする場合には、道路の問題とか、あるいは標識等の設置義務の問題とか、そのような全般的な法律規制をやったその上で、刑罰を強化するならおやりになったらよろしいのではないかというのが、私の基本的な考えでございます。
  29. 中村喜四郎

    委員以外の議員(中村喜四郎君) ありがとうございました。  布井先生と大橋先生にちょっと、ごく簡単なことでございますが、重要なことだものですからお伺いしたいのです。  特に大橋さんは、専門的な立場から、プロの運転者をいろいろと教導しておるわけでございますが、現在、交通違反を起こしまして免許停止になっておるものが、一年間に百四十万程度いつも起きているわけですが、その免許停止期間中は車は乗れない。乗れないだけであって、そして時期が来れば免許証が渡される、運転できると。それが一カ月、二カ月、三カ月というのはそのままにされているわけですが、法の違反を起こした事実というのは、わき見とか、あるいはスピード違反とか、追い越し禁止区域を追い越したとか、こういう交通道徳上の違反を起こした事例、そういうことで免許停止になっている場合が相当多いわけです。こういうものに対しては、免許停止期間中法規的な講習を義務づけることが必要だ、こういうふうに私ども考えているわけでございますが、現在の道路交通法の中で、百三条の八項には「受けさせることができる。」というだけで、何らの義務づけはしてないわけであります。こういうことに対して義務づけをして、しかも法を十分理解さして、安全運転をさせるようにしむけることが妥当だと思うのでございますが、布井先生とひとつ専門的な大橋先生の御意見を伺いたいと思います。
  30. 布井要一

    参考人布井要一君) いまの御質問に対しまして、私、法曹実務家として専門的な意見を申し上げるほどの自信はございません。ただ一市民として申し上げたいのでございますけれども、先ほどから各参考人がるるお述べになっております中にも、一般の空気やムードは盛り上がっていると思いますが、結局法を順守するということは最も大事なことでございますが、人が法を順守しいいような環境をつくってやるということは、これは国家、社会に責任があると同時に、一つの企業体としての企業経営者の側でも一半の責任を持っていいのじゃないかということは、私全く同感でございます。ただし、私も自分の実務から判断するのでございますが、大企業においてはそれほどの配慮ができ得ても、たとえばタクシーの二十台、三十台持っているような企業体が、はたしてその配慮にたえられるような能力を持っているかどうか、これは私はこの運輸行政の問題にもからんでまいると思いますが、その点におきまして、行為者が法を順守しいいようなムードをつくるべく、国家、社会あるいは公共団体、またいま申しましたように企業経営者においても、責任の分担と申しますか、それは持つべきであると、したがって、この意味からいきまして、運転免許が停止している期間の行為者に対する生活保障の面におきまして、これは国が考えるか、その他の公共団体が考えるか、企業体の経営者が考えるか、これは非常にむずかしい問題でございますが、少なくとも行為者のみにしわ寄せがないように何らかの御配慮が願いたい、これが一市民としての私の感じでございます。
  31. 大橋実次

    参考人(大橋実次君) ただいまのお尋ねの点でございますが、停止期間中の運転者は、むろんこれはハンドルを持つことはできません。で、そのほかの仕事はこれは幾らでもあるわけでございまして、その仕事に従事することになっております。  それで収入の点からいいますと、私どもの会社はあまりノルマはございません。あまりということは、走行キロ手当ということによって、率直に申し上げますと、奨励給というのが少しございます。その分はですね、これはハンドルを持って長距離を――私のほうは長距離が専門でございますから、そういう方面にはいけませんけれども、そういう分が減りますけれども、しかし総体の収入は、運転者の収入は、ほかの勤務している職員等に比較いたしましてかなり上位にありますので、それで生活の不安が来るような状態では一切ございません。そういうように信じております。  それから再びそういうことのないようにということで、これは警察でも、あれは法令講習等によっていろいろ指導されておりますが、会社は会社で、またそういう事故をやった、あるいは反則をやった者に対しての特別教育をして、そうして再びそういうことにならないようにということで努力しております。
  32. 中村喜四郎

    委員以外の議員(中村喜四郎君) いまの私の質問のしかたがまずかったからだと思うのですが、私のお尋ねしたのは、交通道徳を守らないために交通違反を起こして、免許証を停止になっていると、その免許証が解けるときまでそのまま放任されておって、現在は公安委員会の講習を受けた者がある期間短縮されていると、これを公安委員会の講習を義務づけるように道交法の中で改正を織り込んだらどうであろうかと、現実の現場にいる大橋さんのお考えを聞きたいのです。
  33. 大橋実次

    参考人(大橋実次君) そういうことが、むろんその反則あるいは事故の内容によって、先生のおっしゃるように、それはいろいろ、率直に申し上げますと、非常な怠慢であるとか、横着等によってやる場合は、それは絶務ではございません、大ぜいの中には。けれども、私らの職業運転手に対しては、ほとんどさようなことは私はないと信用しております。ただ、どう言いますか、よく私は家庭の教育の問題を持ち出すのですが、家庭の不和あるいは環境等においておもしろくない場合に、たまたま運転中にそういうものがあらわれてきて、非常に不幸な事故をやる場合もある。こういうようなことは、私らのほうはかりにそれが重大事故であって、会社に千万円以上の損害をかけ、また相手方に非常な御迷惑をかけ、弁償しても私のほうはそういう事情に対してはできるだけあたたかい考え方で指導をすることにしております。警察のほうも、いま先生がおっしゃるように、法令講習等によって、あたたかい点をおやりになっておるのですが、そういうことは、警察のほうでそういうことが義務づけしたほうがよいということであれば、私らは職業運転手は大切なんでございますから、そういうことをすれば非常に職業運転手は私は恵まれる、かように考えます。
  34. 仲原善一

    委員長仲原善一君) ほかに参考人方々に対する御質疑はございませんか。――それではこれにして参考人方々に対する質疑は終了したものと認めます。  参考人方々に一言私からお礼を申し上げます。  本日は長時間にわたりまして貴重な御意見をお聞かせいただきまして、まことにありがとうございました。当委員会の審査のために、きわめて有益な御意見を伺いましたことに対しまして、心から厚くお礼を申し上げます。  では、本日の午前中の審査はこの程度にいたしたいと存じます。  午後二時まで休憩いたします。    午後零時四十三分休憩      ―――――・―――――    午後二時三十五分開会
  35. 仲原善一

    委員長仲原善一君) 地方行政委員会を再開いたします。  道路交通法の一部を改正する法律案を議題といたします。  御質疑のおありの方は順次御発言を願います。
  36. 鈴木壽

    鈴木壽君 今回の道路交通法改正案、まあ改正されました点幾つかあるわけでございますが、そのうち、まず初めにいわゆる反則通告制度反則金制度ということについてまず若干お聞きいたしたいと思います。私は、この通告制度というものを考えられましたその必要性なりあるいは効果なりということ、これについては一応理解ができるわけでありますし、現在の交通関係の違反が膨大な数になっており、そういう事態からも、これを何とかもう少し処理に多くの時間や手続をとらなくてもいいような方法考えなくちゃならぬのじゃないだろうかというようなこと。さらに、いまの法律のたてまえからしますと、すべてが刑罰をもってその違反が処理せられるという、こういう行き万、これに対しては私は幾多の問題があろうと思いますし、すべてのものを刑罰として取り扱うということでなしに、きわめて軽微なもの、特定のそういう違反の事項については、これを刑罰を科すのでなしに、何か別の方法で処理をするというような考え方、これは私いま言ったように一応考えなけりゃならぬものだろうと思っておるのであります。ただ、そうした場合に、この新たに考えられました反則金制度通告制度というものが、ほんとうにいまねらうそういうものと合致していかなければならないと思うし、そのためには、今回とられるいろいろなそういうことが、はっきりこれはお互い十分な理解を持ち、十分な認識をした上ででなければならぬと思うのであります。そういう点からしますと、実は私この内容については、若干私自身納得し得ないようなものもあるわけなんであります。しかし、そういう事柄につきまして、いまこれからお尋ねしようと思うことに、ひとつ納得させ得るような解明をひとつぜひお願いをしたいと思うんであります。  一つは、この反則金というものを一体どういう性格のものにとらえるかということなんであります。先ほどの参考人の御意見の中にも、いろいろこのとらえ方といいますか、理解のしかた、あるいはどういうふうに位置づけるかということについて、その性格等について話がありました。特に山内参考人はかなりこの点についての詳細な陳述をされておったわけなんでありますが、しかしそれを聞いただけでもなかなかどうもぴんとこないという気持ちも実は私自身にもあるわけなんであります。憲法との関係がどうのこうのという、こういうことよりも、その前において一体反則金というものの性格、性質をどう規定してわれわれがそれを理解しておけばいいのか、これが先決問題だろうと思うのでありまして、そういう意味で、一体反則金というものはどういう性質のものであり、どういう性格のものであるかということについてのはっきりした御見解を承りたいと思うのであります。  その前に、実は刑罰でもない、あるいは行政罰でもないというようなことで、第三の刑罰だというようなこともどこかで言っているようでありますし、それから、一種の新しい制約金だ――制裁金だとも、まあ制約金ということにつきましては、警察庁長官が、この法律の要綱といいますか、この制度の要綱を国家公安委員会で承認を得たといいますか、決定といいますか、その場合の記者団との会見で、新聞によりますと、これは新しい制約金だ、こういうふうなことをおっしゃっておるようでありますが、いわゆる罰金でない処分であり、交通違反を制約する金であるという意味から、一応制約金と呼んでいる。ですから、私お聞きしたいことは、制約金といわれ、あるいは制裁金だともいう、第三の新しい一つの罰なんだ、こういうこともいわれる。まあ呼び方はどうあっても、一体それはどういう性質のものであり、どういう性格のものであり、どういうふうに概念づけられるべきものであるのか、これをもうちょっとはっきりお示しいただかないと、どうも私ども、さっき申しましたように、まあ十分理解をし納得した上でこういうものの実施に当たるという、こういう立場から見ますと欠けるところがあるんじゃないか、こういうふうに思いますから、その点ひとつ警察としての最終的な――警察といいますか、まあ提案側の最終的な見解を承りたいと思います。
  37. 新井裕

    政府委員(新井裕君) 法律的な性質は、行政上の制裁金であるというふうに一応統一的に理解をいたしております。ただいま御引用に相なりました制約金というのは、たいへん素朴な考え方で、要するに免許証をとったときに一つの団体というものが仮想され、そこに入った以上はお互いに安全運転を心がける、そういう意味では、違約をした場合に違約金を取られるという程度の考え方で出発すべきものじゃないか――と申しましたのは、一億総前科からの解消ということから発想するのも一つの発想のしかたであるけれども、もっと積極的にそういうふうに理解したほうがこの制度を発展的に理解できるのじゃないかということで、新聞記者諸君にもお話をし、衆議院地方行政委員会における審議におきましても、依田委員の御質問に対しまして、たいへん素朴な一種の考え方といいますか、発想の方法としてはどういう方向で考えましたということをお話し申し上げたのでありまして、法律上の制約金だというふうには私ども考えておるわけではございません。法律上は、行政上の制裁金である。第三のという御引用でありますけれども、これは刑法できめられております懲役、禁錮、罰金、科料というのが一つの制裁であり、それから行政上の過料というのは一つのグループであり、それから比べると今度の反則金は、国税犯則法に基づくものと若干は違うけれども、それと一つグループをなすものじゃないかというふうに、これもそれほど正確に考えておるわけではございませんけれども、理解をいたしておるわけでございまして、私どもこれをつくるときにも、学者先生方にまず第一に意見があるかないかということについて御検討を願い、それからこれの法律上の性質についても御意見を伺ったのでありますけれども、いろいろの御意見の中で、やはり一番私どもとして心配いたしますのは、憲法条項に触れるか触れないかということでございます。第三のグループであろうとも、第四のグループであろうとも、あるいは第二のグループであろうとも、憲法に抵触するということではこれは話になりませんので、そういう意味で検討いたしまして、憲法条項に触れない、違憲ではないということで、まあ学者の中には全く新しい一つの構想だと考えてもいいんじゃないかという御意見もありましたけれども、私自身は、いままでありました制度とそう飛び離れたものではない、行政上の制裁金と理解して決して矛盾をしないというふうに理解をいたしております。  なお、もう少し詳しく法律的なことにつきましては、そのほうについて専門に研究した者もおりますので、詳しく御説明いたさせますけれども、一応私はそう考えております。
  38. 鈴木壽

    鈴木壽君 長官、私の聞こうとする意図をひとつ理解していただきたいと思うのですがね。というのは、私は、制裁金がいいかとか、制約金がいいかとか、どっちがけしからぬとかなんとかそんなことではなくて、どう読んだにしても、違約金と呼ぶにしろ、あるいは制裁金と呼ぶにしろ、あるいは別に何かそれというふうに呼んだにしろ、問題は、それを内容的に一体どういうものなのかということをはっきりさせないと、そこからどうでもとれるようなところに、やはり憲法に触れるとか触れないとか、これをという問題が出てくるのじゃないかと思うので、たとえば、これはやり一つの刑罰の一種なんだ、名前はどうあっても刑罰の一種なんだとすれば、これはそれぞれ憲法上のいろいろ問題が出てくると思うのですね。ですから、そういう意味で、私は、制裁がいいかとか、制約がいいかとかいう、いわゆる名前のそれよりも、その内容をなす概念規定というものを――はっきり概念規定ということばが当てはまるかどうかわかりませんが、いずれにしてもどういう性格のものかということの、それをはっきり自分でもしたいと思うから、それでお聞きしているんですから、そこで、そういう意味で、実は私、まあいろいろこれに関係する雑誌の論文なり、あるいは特にこの委員会参考人に来てもらう場合には、専門的な立場から、これをどう性格づけるのか、どういう性質のものと規定すべきものであるかということをお聞きしたいと思ってやったのですが、たまたまさっきも申し上げましたように、山内先生はだいぶその点に触れられているわけですね。ですから、そういう点で、ただ新しい一つの制度なんだ、行政上の制約金なんだと、それだけでなしに、一体これがいわゆる刑罰――どうもぼくら、いままでこの法律なりいろいろなものから、刑罰というものはこういうもの、あるいは行政罰というものはこういうもの、こう一つ頭の中にあるものですからね、お互い。それと全然違うのだ、別なんだ、まあまあ話では、いずれでもない第三のものだ、新しい制裁金なんだ、こう言われても、一体じゃどういう範疇に入るものか、どういうカテゴリーでそれを処理していくものかということについてどうもこうぴんとこないわけなんですね。だから、できれば私は、こういうものについても、まあ類似のものはこうであり、こうこうこういうものがあると言っても、それは一体少なくとも現在考えられる、あるいは理論上こういうものの性質を持つものだというものがなければいけないだろうと思うわけですね。そういう意味で、そこをどう考えておられるかということなんですよね。たとえば、もう少し申し上げましょう。罰金じゃないのだ――確かにこれは罰金ではございませんね。行政機関である警察が、ある種の違反に対しての、違反者に対して、そのいわば任意の履行を前提にしながら制裁する処分だというふうに考えられると思うのですね。しかし、一方、罰金ではないと言いながら、その制裁ということの中に一体全然罰金考えられておるようなそういう性質のものが入ってこないかどうかということになりますと、これは必ずしもそう言えないと思うのです。これはさっきの、何べんも申し上げて恐縮ですが、山内さんの書いてあるものから見ましても、やっぱり一つの制裁罰たる金銭罰であるというふうなことからいろいろ述べられておりますけれども、ですからこれをもう少し、私自身非常にこだわっているようなところがありますけれども、どう位置づけるべきかというようなことについて、さっきあなたが専門的なというお話がありましたから、ひとつお聞きしたいと思います。
  39. 綾田文義

    説明員(綾田文義君) それでは、私から、長官の補足説明的な、あるいはこまかくなりますけれども、説明申し上げます。  行政上の広い意味の一種の制裁金ということで、まず広い意味制裁金というのは、普通制裁というのは、本人の意思に反しても無理無理徴収される。罰金あるいは過料がそうでございます。そういう意味では、この反則金制裁ではございませんけれども、やはり一定の違反をした者に対して行政機関が公の立場から納めたらどうだということを言うことは、社会実態としてもやはり一種の制裁であるというふうに考えられます。  それから、行政上の制裁という点でございますが、これはまずこの制度の趣旨から、これは先ほど先生おっしゃいましたけれども、この制度の趣旨を大きく分けて二つあるわけです。一つは、刑罰を残しておいてやっておったんでは国家も国民もたいへんであるから簡易迅速に処理をしようということが一つの目的でございますが、その簡易迅速に処理することについては、やはり重いものと軽いものとすべて一緒にして刑罰を科さないで、重いものは刑罰によって、軽いものはその刑罰公訴が提起されないというような効果を持つような制裁によって処理をすることが間接的に道路交通の秩序を維持確保する上において効果的であるという、そういう考えのもとに、その二つの考えからこの制度は発足しておるわけであります。したがいまして、いわば行政上の制裁と申しますのは、やはり警察本部長が道路交通秩序を維持確保するという目的、すなわち行政目的を達成するという目的の観点から、反則者に対してその任意の履行を求めるという目的から発するものでございまして、そういう意味行政上の制裁であるということが言えると思うのです。  なお、二、三細部の点を申し上げますと、この法律が成立いたしますと、たとえば罰則の第八章では、駐車違反をした者は三万円の罰金に処すという規定があるわけでございます。それから第九章では、四千円なら四千円の反則金を納めて公訴提起はできないという規定があるわけです。この規定をどういうふうに矛盾なく説明するかという点については、あるいはまあ午前中の参考人の方の御意見のように、反則金も一種の刑罰、小型の刑罰であるというふうな、それでも違憲でないという御説明だと思いますが、そういう考え方もあると思うのですが、私どもはやはり、第八章の罰金に処すというその罰金反則金というものは、全然目的、それから手続、そういうものは別個のものであるというふうに一応考えておるわけです。すなわち、その対象、まあ一個の違反行為があれば、その違反行為というものは、これはその反則制度では、そもそも犯罪行為ですけれども犯罪行為、反社会的な反倫理的なそういう行為に着目すれば、刑罪というものを科すわけですけれども反則行為というものはやはり一種の秩序違反――反社会的、反倫理的なものとしてはとらえないで、行政の分野から単なる秩序違反としてとらえて、そうしてそういう対象に対して行政目的のために本部長通告するという考え方でございます。まあ非常に理論的にはっきり、あまりにもはっきり割り切ったという考えがあるかもわかりませんけれども、一応そういう考えでございます。  それから、罰金であれば、効果の点から申しましても、御承知のように、罰金を科した者は免訴の判決になるわけですけれども、この反則金は公訴が提起されないというふうな法律上の効果はやはり結果的には同じでございますけれども、やはり少し違うのじゃないかというふうに考えております。  それから、われわれが実際に実務をとる場合に、社会実態として考えた場合に、戦前の違警罪即決例であれば、あれは警察行政機関がやはり罰金を科するものでございまして、これは一つの裁判でございます。前審としての裁判でございますが、今度の場合は、われわれも実際に通告する場合には、裁判をやるとかあるいは刑罰を科するという考えではなくて、やはり道交秩序を守るためにその秩序違反に対して行政上の制裁を科するという考えになるだろうと思うのであります。  それから、一般の人も――まあ一般の人は反則金であろうが罰金であろうがすべてやはり罰金だと考えるでしょうけれども、なお立ち至って考えますと、やはり罰金、よく見ると、やはり反則金という名前でもあるし、また前科にもならない。そういう意味で、やはりそこに何か違ったものがあるわけでございます。そういう点で、やはり刑罰ではないというふうに考えるのが普通ではないかと思うのです。ただ、先ほど申し上げました制度の趣旨からいきまして、反則金行政上の一種の制裁ですけれども、そういう公益上の理由から、反則金を納めた者には公訴が提起されないという、いわば刑罰的な機能と申しますか、そういう効果を持たせてありますので、非常にそういう意味では刑罰に近い。そこに着目して、実質は刑罰だと言う人もおるかと思いますが、私どもはやはりはっきり分ければ、一応性質刑罰ではなくて行政目的達成のための制裁というふうに考えております。
  40. 鈴木壽

    鈴木壽君 私のお聞きしたいことよりももっと広般にわたっての御答弁がありましたが、罰金ではないのだ、これはそのとおりだと思いますね。科料でもない。それから過科でもないとね。しかし、あなた方はそう言っていませんけれども、何といってもやはり罰金に類似する一つの刑罰的な要素というものはあるのじゃないか、これだけは大方の人が言っているようですね。私もそうじゃないかと思うんです。私十分自信があって自分の見解を述べるまでには至っておりませんが、どうも制裁ということの中に、しかも金銭をもってする制裁というそれの中には、はっきり刑罰だとは言い切れないにしても、制裁ということの中に刑罰的なそれがないと制裁にはならぬのじゃないかと思うわけですよ。そこら辺、いま綾田さんのおっしゃること、あなた方の考え方というものはそれでわかりましたが、ただ、あなた方がそういうふうに考えている、刑罰も何もない、行政上の一つの制裁なんだ、全く新しい秩序違反に対する一つの処分なんだと、こう言われるんですが、これがすべての人、まあ大部分の人を納得させることができるかどうかということについては、率直に言って私はちょっと不十分じゃないだろうかと思うんですがね、その点どうです。
  41. 綾田文義

    説明員(綾田文義君) これは、先生のおっしゃるように、非常に議論が多くて、おそらく今後も学界で議論されるだろうと思いますが、先ほど長官のおっしゃったように、昨年二回にわたって、憲法学者行政学者刑法学者意見をいろいろお聞きしたわけですが、その際のことを申し上げますと、やはり反則金性質は何かということでいろいろ議論が出たわけですが、むしろやはり行政上の制裁、広い意味行政罰ではないかという意見が半分よりも多かったと思います。やはり刑罰だという御意見もございました。私はまあ、はっきり分けて申し上げたわけでございますけれども、やはり行政上の制裁というのは、先生も御承知のように、たとえば戦前の追徴税、重加算税でございますが、これは徴税行政の秩序維持のために行政機関が課す一種の制裁だというふうに言っております。もちろん、これはほんとうの意味制裁で、納めなければ徴収をされるものでございます。やはりもちろん過料も、これは行政上の秩序を維持するために課する制裁でございます。ただ、この反則金は、そうであるけれども、納めなくても徴収されないという点では、行政上の制裁でまた特殊の違ったものでございますし、またしかも納めた場合には公訴が提起されないという効果は持つ点で、非常にまあ刑罰的な色彩といいますか、そういう感じのするものでありますが、やはり本質は行政目的の達成のための一種の制裁であるというふうに考えたいと思っております。
  42. 鈴木壽

    鈴木壽君 行政上の一つの手続には違いない。これを直ちに少なくともいままで言っておる行政処分だということに簡単に片づけられない点も私あるんじゃないかと思うのですね。そこまで割り切れるかどうかということは一つの問題としてありますが、まあいずれにしてもじゃこれが行政上の一つの処分だというふうにきちっと割り切れるかどうかというところに問題があるというのは、いま言った、やっぱりおっしゃったいろいろなひっかかりがあるもんですから。それから一方には、何といいますか、強制的な、それも最終の段階まで持っていくわけにいかせないことにしてあるのですからね。ですから、非常にまあ言ってみればややこしい一つの仕組みだというふうに、まあ少し口は悪いかもしれないが、何かわかったようなわからないようになると、こういうことにならざるを得ないのです、私率直に言って。実はそのことについてさっきも私申し上げましたが、これはどうしてもやはり、刑罰そのものじゃないけれども刑罰にかわるというものでもない、いわば一連の刑罰に類似するような一つの性質を持つものだというような見解が外部にまあいろいろあるわけなんですね、御承知だと思います。そういう見解は、実は最高裁のほうでもお持ちになっているのじゃないだろうかというふうに私思ったんですが。というのは、最高裁の刑事関係裁判官の会議の際に、刑事局長がいろいろこういう案件についての説明をなさったのの中に、たまたまこの反則金事例について触れられたことがあって、それの要点みたいなのをちょっと見たんですが、どうも最高裁あたりでも、この反則金というものを一つの罰金類似の、いわゆる制裁性質を持つところのそれなんだと、したがって、そこから、はたしてこういう性質の金を納めさせるのに警察段階だけでやっていいものかどうかと、こういう疑問といいますか、問題点を投げかけておるようでありますが、どうでしょう。最高裁の刑事局長おいで願っておりますが、私がいま申し上げたことですね。もしここでこれらの問題についての最高裁のほうの見解としてお示し願えるものでしたら、ひとつ率直にここでお話をいただきたいと思いますが、そのうちの一つは、いまの問題について、最高裁のほうでは反則金性質というものをどういうふうに見ておられるのか、またどういうふうにあるべきだというふうに考えておられるのかですね。この点について、もしお述べいただけるのならばひとつお願いしたいと思います。
  43. 佐藤千速

    最高裁判所長官代理者(佐藤千速君) 実は昨年の五月末に、警察庁反則金通告制度の要綱を御発表になりました以後、私ども反則金の性格をいかに理解すべきかということをずっと検討してまいったのでございますが、端的に申し上げますると、依然として十分理解しがたい点があると思っているわけでございます。道交法違反者に対する処遇方法の一つとしてこれが設けられているということは、そのとおりであると思うのでございます。刑罰的処遇のほかに、それにかわる処遇方法といたしましてこのような反則金というものが設けられている、こういうことであろうと思うのでございますが、それがはたして制裁なりやどうかという問題でございますが、まず最小限度制裁的な機能を営むであろうということは、これは肯定できると思うのでございます。そこで端的に、これは制裁であるかということになりますると、先ほど御説明がございましたような点に関するのでございまするが、行政上の制裁である、かように見ますると、制裁であるからには被通告者の権利義務に直接影響を及ぼす性質のものであるかどうかということを見ていかなければならないのではなかろうかというふうな気もするわけでございます。しかしながら、その立て方といたしましては、その支払いは任意である、払っても払わなくてもいいんだという立て方でございまするので、制裁と申しましても、直接に被通告者の権利義務に影響を及ぼすというふうにも見えないように思うのです。かたがた、これを払いますると刑罰は科されないという意味においては、恩恵的な要素も入っておるように思われるのでございまするので、実はこの性格の究明には非常に困難を感じているというのが事実でございます。ただ、これは後ほどあるいは申し上げるべきかもしれませんが、払っても払わなくてもいいというような任意な、全く任意のものであるかということに関連いたしまして、これが行政処分であるかどうかという問題が出てくるかというように考えておるわけでございます。
  44. 鈴木壽

    鈴木壽君 実は私自分自身でも、十分にとことんまで突き詰めて考えていってこうだとはっきりしたものを私実は持ち得ないわけです、正直に言って。そういうので、したがって、お聞きすることも、何か筋の通らないような聞き方にもなるかとも思うのですが、ひとつ、いまの刑事局長からのお話にありました、どうとらえていいのかはっきりしないんだということですね、そういうおことばがあったと思います、反則金性質、性格について。だとすると、これはやはり私困ったことじゃないかと思うのです。というのは、もう一つ申し上げますと、横田最高裁の長官が五月十五日に大阪で反則金の問題について記者会見の際に触れておるわけです。簡単な新聞記事でございますから、私これを一々どうのこうのという、それの材料にするにはあるいは当たらないだろうと思いますが、いずれにしましても、この中に、反則金の性格はあいまいであるということでいろいろな問題が出てくるだろう、だからこういう点についてもう少し突き詰めて検討しなければならぬという意味のことをおっしゃっておるようであります。簡単な新聞記事ですから、たまたまこれはどう考えたらいいかということについて私自身もさっき言ったようにはっきりした結着をつけかねておったときですから、やはり問題なんだなと、自分だけの問題でなしに、多くの人たちの問題なんだ、特に最高裁の長官がそういう立場でこういうことをおっしゃるというようなことになりますと、これはいよいよもってたいへんなことになる、こういうふうに思ったわけなんです。そういうこともあって、いま刑事局長のほうに、どう考えておるのかということをお聞きしたわけなんでありますが、そうすると、いまのおことばからしますと、結論としてどう考えたらいいか、ちょっと判断に困るというふうなことになるそうですが、やはりそうなんですか。しいてたとえばこういうものに考えられないかというような御見解ございませんか。
  45. 佐藤千速

    最高裁判所長官代理者(佐藤千速君) 立法技術的な問題といたしましては、国税犯則取締法にございまする通告でございます。通告処分というものと立法技術的には似ておるように思うのでございます。ただ、実態がはたして同じであるかという点につきましては、やや実態を異にしておる面があるのではなかろうか。と申しまするのは、国税犯則取締法におきまするところの通告におきましては、結局それは徴税権の確保という観点から、そういうポリシーからこれが創設されておるのだ、それは道路交通の秩序を維持するための場合とはその実態が違うのであると、こういうふうに考えますると、直ちにもって国税犯則と同じであるというふうにも言えないような気がするので、私どもとしても、実はこの反則金の性格の究明についてははっきりしたことが申せない、結局は将来これがもし実現いたしまして具体的な事件におきまして裁判になりました場合において判断されるということであろう、かように考えざるを得ないのでございます。
  46. 鈴木壽

    鈴木壽君 これはどうもいよいよもってむずかしいことになってきたと思うのですがね。確かに、いま刑事局長がおっしゃったように、国税犯則取締法の中にあるいわゆる通告処分ということとは、形は似ておりますけれども、実態といいますか、あるいは考え方といいますか、これは私しろうとのくせに変なことを言うようでありますけれども、私もやはり違うと思うのですね。むしろ国税犯則取締法のあれは、税の上にあらわれた国に対する損害を補てんしてもらえばいいのだ、補てんしてもらえばというのは変ですけれども、善意にしろ悪意にしろいずれにしても穴ふさぎができればいいのだ、穴をふさぐための一つの処置だというふうに私いま端的に言えるのではないかと思うのですが、だとしますと、道路交通法でいうこの反則金の金を納付させるというこれとは非常に性質の違った発想の上に立っているのだろうと思うわけですね。だからそういう意味では形の上では、国税犯則取締法の通告処分と同じようであり、あるいはこれをモデルにしたかもしれませんけれども考え方は。しかし、これは基本的に違う立場に立っているもんだというふうに言わざるを得ないと思うのです。そこはそれでいいのですがね。さて何といいますか、どう考えたらいいか、裁判によってでも将来はっきりさせるしか手がないと、こうなりますと、あと話はこれは続いていかないわけなんですけれども、しかし、最高裁のほうで問題があり、いろいろな点において検討しなきゃならぬということの中に、この性格というものをもう少しはっきりさせなければならぬということ。というのは、一つには、そういうことをおっしゃる立場の中に、最高裁としてはこうだけれども一体どうなのか、こういうことがあるのではないかと思うわけですよ、私は。でないと、あいまいだとか、そうでないとか言っても、どこをもとにしてそのあいまいさをはっきりさせるのか。ですから、そこら辺で最高裁は、これはあるいは裁判所全体というようなことにはならぬかもしれませんけれども、少なくともあなた方の立場からいまの時点としてはこれはこういうふうにとらえざるを得ない、制度全体等から通じてですね。そこからまた、いろいろ最高裁判所のほうで問題として、意見として指摘する別のほうの問題が出てくるわけですね。そうじゃないかと思うのです。ただわけがわからぬから困るというなら、何もそのほかに――私があとで具体的に皆さんのほうの見解を聞きたいと思っておる、いわゆる皆さんの問題点としておることについてですね、そういうものは出てこないはずなんですね。ですから、そこら辺どうです、あなた方としてはこう考えざるを得ないという一つのその反則金に対する性格づけというものがあるのじゃないだろうかと思うのですが、その点はいかがですか。
  47. 佐藤千速

    最高裁判所長官代理者(佐藤千速君) その前に、私どものこの構想に対する基本的な態度と申しますか、そういうものをまず申し述べさせていただきたいのでございまするが、この提案されておりまする制度は、道交法違反者は、重かるべきは重く、軽かるべきは軽く処分しよう、こういう思想に立脚しておる、こういうふうに理解いたしておるわけであります。その考え方そのものに対しては、私どもも賛成なんでございます。運転者人口の増加とともに、国民のだれもが犯人となるような制度であるということは、大いに問題でございます。たまたま軽微な違反者まで刑罰をもって臨むということにつきましては、やはり制度上反省の必要があろうかと考えておるわけでございます。今回のこの御提案の構想につきましては、非常に御苦心のほどはよくわかるのでございまするが、同一の道路交通法違反に対する制裁的な処遇方法といたしまして、刑罰、これにかわる反則金が用意されているということになるわけでございます。で、そのいずれが科さるるかということは、違反に問われた人が反則金を納付するかいなかという一事によってきまるわけでございます。そこで、これがはたして合理的な処遇方法のより分けと言えるだろうかという疑問がまず生ずるわけでございます。すなわち、いかに悪質な違反者でありましても、反則金を納めれば罰金を科されないことになりますし、逆に事情の軽い違反者の場合でも貧困等の理由で反則金を納付できないということになりますれば罰金を科されることになるわけでございまして、軽かるべきは軽く、重かるべきは重くという、そのえり分けの方法として反則金を払ったかどうかという一事にかからしているということが合理的と言えるかという疑問が一つあるわけでございます。  それから、先ほどちょっと申し上げたのでございまするが、この反則金通告の性格をどう見るかということに関連をいたしまするが、反則金の納付というものは任意である、このような御説明でございます。また、この通告は取り締まりの機関でございまする警察官による違反事実の認定を前提といたすものでございまして、しかも反則金支払いの機会というものは警察段階のみでございます。違反に問われました者は、かりに通告に不服がありましても、違反事実を承認して反則金を納めるか、それとも反則金を納付しないで刑罰を科せられる危険をおかして争うか、いずれかを選ばざるを得ない立場に置かれる場合がある。したがいまして、このような人にとりましては、不本意ながら警察官限りの違反事実の認定を承認する場合も生ずるということが予想されないわけではないのでございまして、もしそうであれば、手続の公正さに欠ける恨みもございまするし、また通告によって納付を強制さるることにもなりかねない場合も考えられる。このように納付が強制されていると考えまする場合には、この通告の性格を一種の行政処分と解する余地も出てくるのではなかろうかというわけでございます。内閣の御説明によりますると、通告行政処分ではないということでございます。それは、納付するかどうかということは任意であるから、そこに命令的な要素はないのであるということであろうと思います。だれが考えても疑問なくそういうふうな解釈が成り立つならば問題はないと思うのでございまするが、先ほど申し述べましたように、一種の強制を伴うものといたしまして、行政処分と解釈する余地も否定できないということに相なりますると、裁判所といたしましては、将来の問題として、通告がありました場合に、これに対しましてその取り消しを求めて行政訴訟が提起されるということも考えなければならないのでございます。他方、反則金を支払わないために公訴が提起される場合も生じまして、同一の違反につきまして刑事訴訟と行政訴訟とが係属いたしまして、手続の混乱を来たす心配があるということが一つでございます。こういうことを解決しておくことがベターではなかろうか。通告手続における判断が警察限りで行なわれるということに対して不服のあるものにつきましては、その判断が適正であるかどうかにつきまして、この制度の内部に裁判所の審査を求める道を設けておくことが万全の措置ではなかろうか。特にこの法律は市民の生活に直結するものでございますので、かりに行政訴訟が提起できるといたしましても、実際問題としてはなはだ困難でございます。そこで、この制度自体で不服申し立ての方向を明定しておくということが親切な措置ではなかろうか。  次に、反則金を支払いました後の救済でございまするが、通告に事実誤認等の瑕疵がありました場合に、これを正当と信じて反則金を支払った場合におきましても、裁判所通告の取り消しを求める道をこの制度の内部に設けることがやはり万全ではなかろうか。おもな疑問点といいますか、問題点はいろいろございますが、この法案の構想は、先ほど申し上げたように、重かるべきは重く、軽かるべきは軽くという思想に立脚していると考えるのでございまして、むしろ一歩進めて、軽微な違反行為というものは思い切って刑罰からはずして、これに対する制裁反則金だけとするというようなことも考えられる、検討に値するのではなかろうかというようなこともございますし、それから反則金の範囲自体についてでございまするが、あるいは純然たる法律に属するものかもわかりませんが、反則行為というものの範囲を、軽微で、しかも事実認定に困難を伴わず、簡明迅速な処理に適する違反に限るということも検討に値する事柄ではなかろうか。何分ユニークな制度でございますので、少なくとも発足当初は範囲をしぼったところから発足していくというようなことも検討に値する事柄ではなかろうかというようなことも考えているわけでございます。  以上申し上げましたことは、今回の内閣の御提案の趣旨を根本的には肯定しつつも、この制度の万全を期するという考え方から申し上げたものでございます。もちろん、国会の御決定になることには、それに従うことは当然でございまするが、御質問もございましたので、御審議参考に申し述べさせていただいた次第でございます。
  48. 鈴木壽

    鈴木壽君 まあいまのお話は、これは反則金制度全体についての――全体と言ってはあれですが、とにかく一応の反則金全部ということについてのいろいろな問題点なりあるいは検討すべき点というふうなことでおっしゃったと思うのですが、まあ私実はお尋ねしているのはそこまででなしに、反則金というものを一体どういう性格にあなた方は見ておられるのかということであったわけなんです。しかし、いまのお話聞いておりますと、やはり反則金というものが、これはどっちにもとれる。罰金類似といいますか、そういう一つの性格を持つ制裁金だというふうにも考えたり、あるいはまた一つの行政処分だというふうにも考えられるというようなことで、もしその場合にはこうこうこういうような問題があるのではないかというお話のように聞いたわけなんですが、どうもこれはお話聞いておっても、さてしからば反則金というのは一体いかなる性格のものかということはなかなかつかめないのですが、警察庁長官、これはどう考えたらいいかというようなことは、まああなた方はあなた方の立場行政上の制裁金だとこうおっしゃる。私、もっとその底にある性格といいますか、性質といいますか、それを伺いたいと思ったのですが、ちょっとこれじゃなかなか簡単には出てこないようですね。  そこで――まあいま私何も、最高裁のほうから来てもらって、あなた方と意見の違うところはこうですということをここであれするという、そういうつもりは毛頭ございませんから。ただいろいろ問題がある、いろいろな考え方があるとすれば、こういうものを出し合った中で、一体どうわれわれとしてそれを受けとめるかという、こういうことのために私お話を聞いているのですから、そこをひとつ御理解をいただいた上にですね。  そうすると、いまの最高裁の刑事局長からお話がいろいろございました問題点というようなもの、それについてちょっとお聞きしますが、行政処分として見るべきじゃないだろうかということも一つございましたね。もしそうだとすると、行政処分そのものに対して不服があり異議があるとすれば、それぞれその申し立てなり救済なり何かの措置はこれは当然出てくるだろう、あるいは訴えというものが出てくるだろう、行政訴訟という意味でのね。こういう話があったのですが、あなた方はこれを行政処分だというふうに考えて、そして将来この通告そのものに対して、たとえば取り消しとか、あるいは異議があるというような訴え、そういうものを予想しておられますかどうか、その点ひとつ。
  49. 新井裕

    政府委員(新井裕君) 端的に言いまして、先ほど申し上げましたように、行政上の制裁金である、一種の罰であるということは、私は否定はいたしませんし、そういう思想でやっております。それからいまお尋ねの、じゃ訴訟を起こされたらどうするのだ、こういうふうに理解をいたしますと、訴訟をすべて防ぐわけにはまいりませんから、訴訟を起こされる場合ももちろんありましょうけれども、十分にそれに対抗できるというふうに検討の上で考えたわけでございます。結局、性質は何かという概念の問題でございますけれども、私は、いま行なわれている行政上の処罰であります過料につきましても、先ほど山内参考人からお話がありましたように、地方で都道府県が科す過料と、それから国が科す過料とでは、手続が違います。山内参考人はこの都道府県が科す手続については若干の疑問があるということを表明しておられますけれども性質というものがある程度あり、それに対してどういうような手続でそれを科するか、それに対してどういう手続で救済措置を講ずるかということは、必ずしもその概念の本質じゃないんじゃないか。これは一種の属性である関係概念だとすれば、それは概念の本質かもしれませんけれども、私は概念の本質としては行政上の制裁金ということで割り切れるのじゃないか。それに対しての手続をどういうふうに付与するか、これが不十分であるか十分であるか、合理的であるか非合理的であるかということ、あるいはもっと根本的に申しますと、憲法で保障されましたいろいろの手続条項に抵触するかしないかというのが最も根本的な問題でありますけれども、そこいらを検討して、それが触れない、それから手続的にも十分な救済措置となり得るというふうに私どもは一応理解をいたしております。しかし、これは先ほどから最高裁の刑事局長さんからもお話がありましたけれども、たとえここで刑事局長がこれは合憲でございますと言明されたところで、最高裁まで裁判が行きまして、それじゃ刑事局長が合憲だと言ったから合憲だというふうにはきまらないというように、ここに行政府が出し、立法府できめられた法律は、すべてそういう審査に服することを前提としてございますから、そんなもの全部否定するというつもりは毛頭ございませんけれども、そういうことで、法廷で争っても十分に疎明できるんじゃないか。それからまた、学者方もそれで十分にいまの日本法律上の概念で説明できるじゃないかという御意見でございます。これにつきまして、いますぐ全部疎明できる資料があるのかと申しますと、われわれももう少し学者意見もかり、知恵もかりまして、いろいろの意見を総合したものを持たなければならないと思いますけれども、私はいままで検討した限りにおいては、憲法にも触れないし、また合理的な手続でやり得るというふうに解釈いたしております。いま鈴木委員のおっしゃいましたように、確かにのみ込みの悪い制度でございまして、手続的にいままで考えているのと全然違うもんですから、罰だというと、何か任意でございますというような話が出てきて、任意と罰と何だというふうなことで、のみ込みの悪いことがございます。これはアメリカの各州で採用している制度を私ども乏しい資料で研究いたしましても、なかなかぴりっとした説明が、ああいう成文法でなく不文法が相当効力を持つ国でもむずかしい。それからヨーロッパの各国でも、これに類似した制度をとりながら、法律的な制度はその国その国でみんな違うようでございまして、そういう意味では確かに新しい制度であるがためにのみ込みが悪いと思いますけれども、私は繰り返して申し上げますけれども憲法条項にも触れず、しかも合理的な手続で行なわれるということであれば、新しい概念として十分通用するじゃないかということで、御提案を申し上げた次第でございます。
  50. 鈴木壽

    鈴木壽君 長官、私がお聞きするのは、あなた方がこれを、行政事件訴訟といったらいいか、あるいは、いわば一つのこれに対する通告に対しての不服なり異議のある者が裁判に訴えてもう少しはっきりさしてもらうという意味での訴訟、こういうことがあり得るのだし、それに対抗する手段がどうのこうのでなしに、そういうことのあり得るということを前提としては考えているということなんですね、そういうふうに解してよろしゅうございますか。
  51. 新井裕

    政府委員(新井裕君) 先ほど申し上げましたとおり、争いがあります以上、いまの法律で与えられた手段で法廷で争うということは十分あり得ると思っております。
  52. 鈴木壽

    鈴木壽君 いいです。あとそうしますと、それはその点で争い方がどうとかいうことはいいんですが、いずれこういうものは行政のたとえば処分の取り消しだとか是正だとかということを求める訴訟の対象にならぬというふうに考えておられるのか、あるいはやはりなるのだというふうに考えられておるのかということで私聞きたかったんですから、よろしゅうございます。  そこで、問題点としてあげられておる中に、最高裁のさっきのお話の中に、いわば一種の罰の性格を持つこういう反則金というものを警察段階だけで通告だとかなんとかいう手続によって納付されることがはたしてどうかということがありましたが、これに対してはどうです。こういう見解に対しては、どのように考えられるのですか。
  53. 新井裕

    政府委員(新井裕君) おそらくあとで詳しいお尋ねもあると思いますけれども、私はいまの反則行為として御提案を申し上げたものは、いずれも典型的なものであると、現認で比較的認定のしやすいものである。そういうものについて、まず告知をし、それから今度は通告という手段がありまして、その間に部内でも十分に審査するチャンスがある。それからまた、それに対して不服ならば裁判所にも訴えられるということで、行政段階としても、有無を言わぜずおっかぶせてしまうというつもりは毛頭ありませんし、また手続的にもそういうことは十分弁明の機会があり得るというたてまえでやっております。
  54. 鈴木壽

    鈴木壽君 弁明の機会があるし、そういう余地を十分残しておるのだということですが、これはつまり具体的に言えば、本部長段階でそういうことがなされるといういまの考え方ですね。その場合に、現場の警官あるいは署長等を経由していくでしょうけれども、告知されたものが、通知があり、通知に基づいて通告がなされたという、こういう経過をたどってきておるものでありますと、なかなか弁明といっても、実際にどの程度の弁明がそれこそ弁明として聞き取られて、それが違反したものと言われるその人の立場を十分くんでもらえるかどうかというようなことについては私ども心配がありますが、しかしいずれにしても、制度的にはその弁明される機会を与えておるのだ、こういうこともあるから警察限りで取り扱うということに対する世上の懸念というものもそう心配したものでないということだと、こういうことを言いたいというのでしょう。  そこで、そうしますと、あれですか、これはいつまでも反則金性質がどうのこうのと言っていても、なかなかすっきりした私了解できるようなところまでいけないように思うんですが、こういうふうに考えているんだということの了解ではどうかということですね。これはごく軽微な、いまおっしゃったような現認できる明白なもので、悪意でないものでしょうね。そうして、まああなた方からすれば、もともとはこれは刑罰がかかるものに法定されているけれども、まあそこまでやる必要のないもの、まあいわば刑罰を科しては気の毒だという情状酌量みたいなところがあって、そうだというようなものに対して、行政機関である警察が一定の金額というものを納めさせることによって、そこに一つの違反に対する取り締まりの効果をつくるんだと、こういうことの一つの仕組みだというふうに考えるよりしかないと思うんですがね。そういうことで、あれですか、考えて間違いございませんか。
  55. 新井裕

    政府委員(新井裕君) この制度で一番問題になりますのは、先ほどからもお話がありましたように、通告なり告知によりまして金を納めれば訴訟は提起されないけれども、不服があれば裁判所に行って、処罰はゼロになることもありますけれども罰金になってしまうのはおかしいじゃないかと、こういうところにあると思うんですけれども、私はやっぱり、そういうことで争いのあるものは、いままでのように、裁判所のように一般的に信頼もあり十分手のそろっているところで判定すべきであって、行政段階だけでいろいろやりましても、手続が段階が多くなるだけであり、最終的にはまた裁判所に行くということでありますけれども裁判所としても、むしろ行政裁判所行政事件でなくて、刑事事件としていままで扱ってこられた人の手に渡るほうが、私は審査としても適当じゃないかと、こういう意味において、私は今度の反則金制度を構成したということに十分に合理性があるというふうに考えておるわけでございます。
  56. 鈴木壽

    鈴木壽君 そこで、そういうものとして考えて、一応こういうものをつくるということを、こういう制度に乗せていくというようなことを考える場合に、私、いまの道交法における罰則の規定、これを一度全部洗ってみなきゃいけないんじゃないかと思うんです。そこから始めなきゃいけないと思うんだよな。一方にね、ちゃんと刑事処分に当たるものだといって懲役とか罰金とかいうことをちゃんと担保にしておいてですね、しかしその中からこれとこれはまあそこまでいかなくてもいいんじゃないかと、だからこれはいわゆる制裁金みたいなもの、反則金というようなことでかんべん――かんべんということばは悪いかもしれないけれども、それ以上の刑罰まで持っていかないと、こういう考え方でしょう。こう二つを並べておいてね、前提を一つやって、しかも根底に流れるのはいまの道交法における罰則の規定、これはまあ動かないものだとして考えていながら、なおかつそこに幾らか取捨選択をして、いわゆる特定の違反行為に対してはこうなんだというところに、いろいろな問題が私は出てくるのじゃないかと思うのです。どっちを選ぶかはそれは自由だ、違反したものと言われるその人の自由だ、本人の任意だ、こう言っても、さっきからいろいろ話があったように、またあなたもおっしゃっておるように、いやだけれども、いまの通告されたそのことに対して、処分に対して従いたくない、異議があるのだけれども、しかし、異議があるといって、やらなければもっとこわい、こういうように罰則があるのですから、刑罰があるのですから、それではどうもというような、こういうことになってしまって、ほんとうの意味の任意とか自由とかというものも、私はそこには余地が非常に少ないと思うのだがね、実際問題としては。それは形の上では、確かにどっちを選ぶか自由だ、任意だ。したがって、憲法にも触れないのだ。ですから、私は憲法問題には触れませんけれども、そういうことは私も触れませんけれどもね。その自由というのは、ただ形の上の自由であっても、ほんとうはこれは自由でも何でもない、任意でも何でもないのですね。そのまますなおに警官の認定に従ってそれを認めて、すなおによろしゅうございますと言う場合ももちろんあります。しかし、中には、その認定に不服だ、異議がある、こう思って、じゃ金を納めないでいようかというと、あとでこれは公訴の提起があって、少なくとも反則金より以上の罰金がくることはこれは当然とすれば、だれもこれは自由だといっても、そこにはどうしても強制的なものがあるのですね。そういうところから、今度はいろいろ私は問題が出てくると思うのですよね。ですから、私はさきに申しましたように、それからさっき刑事局長の説明の中にもありましたし、午前中の参考人意見の中にも、たしか日弁の方の意見の中にもあったと思いますが、いまの罰則というものをもう一度洗い直して、ほんとうにいわゆる刑罰をもって臨まなきゃならぬものは一体何か。今回のような措置で、刑罰をもって臨む必要がないんだ、そこまでのものを刑罰として、いわゆる刑罰に処するということは酷なんだというものを、やはり一応の仕分けをしなきゃいけないと思うのだよ。その仕分けをしたいわば特定の軽微なる違反事項に対しては、これは刑罰の担保ということをとってしまって、こういう一つの制裁というか、制約というか、こういう性質のもので処理をする。したがって、その限りにおいては、その処分に対して不服であったら司法審査を求めるというような道も考えなきゃならぬだろうし、しかしそれはその段階での処理にする、こういうことにすれば、いまいわゆる問題として言われているいろいろな問題というものはなくなると思うのですよね。したがって、私はこういう一つの事件の迅速なる処理ということのほかに、それだけでなくて、いまのように道交法で、あやまってやっても、故意でなくとも、すべていわゆるルール違反は刑罰だ、罰金だと、こういうような考え方を一度やはり改めなければいけないじゃない、だろうか。私はそこまで行ってほしかったと思うんだな。
  57. 新井裕

    政府委員(新井裕君) いま御質問ありましたのは、たいへん複雑な問題を含んでおりまして、実はこの反則金制度の中にも、反復して違反したようなものの累犯は適用しない。これはもとの条文のままで、刑法の懲役なり罰金なりに当たるものはそのところに従って手続を進めるというふうになっておりまして、したがいまして、その反復――同じ違反形態でも、反復とそうでないものは仕分けをしております。そういう意味の形式的なことからいいましても、すべて罰則を整理してこの反則金のほうにむしろ寄せてしまうということもできかねるのでありますが、さらにもっと根本的に申しますと、各国の違反の形態というものはおのおのの国情あるいは発展の段階を示しておりまして、非常に特色がございます。そのことは、そういうことを申しますのは、日本の違反、あるいはほかの国の違反というものを、抽象的に一般的に考えるわけにいかない。日本のいまの一番多い違反は何か、一番また害悪を及ぼす違反は何かということが日本の問題でありますけれども、たとえば酒酔い運転というようなことを一つ考えてみましても、日本とどうもほかの国とは若干違反の形態なり事故を起こす形態が違うようであります。それは一つは、刑罰だけではなくて、損害賠償というものがたいへんきびしいというところに一つ問題があるようでございまして、刑罰以外のそういう民事上の損害賠償というものが総合的に、あるいはそれにもう一つ加えれば保険というものが徹底しておりまして、それが事故なり違反の予防に役立っておる。たとえば、この間も御意見ございました歩行者の保護の問題にいたしましても、歩行者が横断歩道を渡っているときとそうでないときとでは、損害賠償あるいは保険の取り方が違うというようなこともございまして、どうしても歩行者としても横断歩道を歩いたほうが決定的に有利であるという状況があるようであります。また、運転者についてもそういうことがございますので、仕分けをするということは一つの考え方で、われわれも考えたのでございますけれども、これはちょっと、さっき布井参考人も申されましたように、一年、二年では簡単にいきがたい。いま申しましたように、発展の段階によって違反の形態が違うようであります。日本の現在の自動車の台数と、それから死者の数というのは、一九一〇年ごろのアメリカと大体数字的には似ておりますけれども、そういうことであると、日本はもう五十年もおくれているというふうになるわけです。そういうことで、簡単にいまの状態で抽象的にもきめがたいということがございますので、どうしてもある程度時間をかけなければできないということでございます。こういうことで、いま鈴木委員の御指摘は、確かに問題の一つの今後のあり方として研究しなければならないと思っていることでございますけれども、どんなに時間を急ぎましても、五年以内にその結論を出すということはなかなか困難ではないか。と申しますのは、もう少し統計のとり方その他を変えまして、どういうものが事故につながる違反であるかということをやはりもっと有機的に調べなければ簡単にその仕分けかできがたい。いまはいまで一応犯罪なり刑罰の体系というものが成り立っておりますので、これを根本的にやるということであると、こわすのは簡単でありますけれども、組み立てをするのに非常に精密な作業が要りますので、できがたい点があると思っております。しかし、先ほど申しましたように、将来の研究問題としては、確かにわれわれも今日からその研究を始めていかなければならないということを感じております。
  58. 鈴木壽

    鈴木壽君 これは簡単な仕事でないこともおっしゃるとおりだし、私自身もそう思います。しかし、だからこういう制度考える当初からそういうことでなければいけないので、こういう制度を一つつくって、それから今度考えるということでは、私はほんとの考え方ではないだろうと思うのです。現に反則行為というのはこういうものだということでやって、これはいわゆる刑罰のところへ持っていかなくても反則金の納入で事足りるのだ、こうやっているのでしょう。これには私どもいろいろ実は意見がないわけじゃない。けれども、こういう考え方でいけば、これは一応むずかしいといっても、あなた方現に、これは罰を食わせるためには、不適当とまでいかなくても、どうも気の毒だ、刑罰をもってするまでには至らないのだ、こういうことで、それでこういうふうにやっているのでしょう。性質上同じことですよ。ただ、私がいま言ったように、これを全部刑罰からはずしてしまえ、こういうことではございません。しかし、いまの罰則をよく見てまいりますと、こんなのにひどい罰金とか何とかいう刑罰を付して一体いいものかどうかというのが幾つもあるわけです。これは、この法律ができる当初から実は問題になっておって、三十五年の新しくこういう法律ができるときから問題になっていることなんですが、いまでも見ますと、こういうのに一体罰金ということでいいのかどうかというのがあるのです。  これは、たとえば具体的に一つ申し上げますならば、警報器の使用についてのきまりがあって、これに違反した者は罰則だと、罰則が載っていますね。罰金の額も、あまり大きくはございませんけれども、載っている。そこで、こういうところには警報器を鳴らしてやらなければならぬということがあります。鳴らす場所についての規定があるわけですね。それに基づいて、ここでは警報器を鳴らせという標識が立っている。もちろんこれは鳴らさなければ事故につながるおそれが十分ありますから、もし鳴らさないという者に対しては何かのそれこそ制裁的なものをやっていいと思う。しかし、今度は逆に、いまの法規からすれば、あとのところは鳴らしちゃいけないことになっている。いわば安全に急を要する緊急事態でもない限り鳴らしちゃいかぬということになっていますね。鳴らしたら罰だというたてまえです。それじゃ、たとえばここら辺で鳴らしたやつが、みなでガアガアやられちゃ困るけれども、だれが鳴らしたって、それが事故なり、交通の安全なり、円滑なるそれということに一体どの程度の支障があるのかどうかということを考えてくると、鳴らしたことによってだれも、簡単に言えば、いま罰実際はやっていませんけれども、たてまえは罰を加えることにしているけれども、それがはたして一体どうなるのかというようなこと、私はこれは、いわゆる刑罰でなしに、何かもっと別な、こういうようなことでひとつ注意してという意味でのあれは、秩序を乱したということでの軽い、何かまあいわば制裁金でもいい、反則金でもいい、そういうことで初めから処理していいことじゃないか、こう思うんですね。これは私のいま言ったのは一つの例ですよ。こういうふうにいまの罰則のかけ方をずっと見てまいりますと、こういうのにいわゆる刑罰をもってしなきゃならぬというふうになっていることについて疑問を持つのがたくさんあります。だからそういうものは、これはあなた方いま言ったようなこういうような仕分けに従えば、これははずせますよ。そしてはずして、いま言ったこういう反則金制度をそういうものにやる、こうやればこれははっきりして、やれ訴訟がどうなの、裁判がどうなの、まあそのこと自体に対してももちろんあるかもしれませんけれども憲法上の問題がどうなのかということ、それから警察限りでやるのはけしからぬとか、嫌疑の拡大とかということがなくなるんだ、これは問題は、私はそこまで、そういう意味での一歩の前進を今回のこれで踏み出すべきじゃなかったかと、こういうふうに思うわけです。むずかしいからこれからもやる、五年も七年もかかるかもしらぬと、こうおっしゃるんですが、これは簡単にはできないことは、私も先ほども申しましたように、あなたもおっしゃるように、私もわかりますけれども、なし得るところからやっていくべきじゃなかったんだろうかと、まあこういうふうに思うんですね。そういうふうなことで、同じような見解最高裁のほうからもさっき示されましたし、午前の参考人の陳述の中にもあったものですから、それについてどうなのかというふうに私いまお聞きしたわけなんです。ここまで反則金のことについてやるとすれば、私の言ったこと、これは何もそう無理なことではございませんよ。いかがです。やっぱりそれこそ今後の数年間検討を要する問題として、今後の問題になりますか。
  59. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) ただいま御指摘の点は、ごもっともな点だと思いますけれども、現行法にあります制度にそれを当てはめますと、いわゆる過料方式ということになろうかと思います。実は、この方式につきましては、私どものほうもずいぶん検討したのでございます。約半年間にわたりまして検討したのでございますが、御承知のように、道交法違反につきまして、ただいま御指摘のように、単なる秩序違反、たとえば免許証不携持など含めまして、それまで刑罰をもって臨まぬでもいいじゃないかというようなものも確かにあろうかと思います。しかし、現在の道交法違反は一般にやはり事故につながる危険な行為であるということでございまして、それを刑罰の対象とすることをやめて過料の対象にするとしても差しつかえないと考えられるものをいろいろ仕分けしてみたんでございますけれども、きわめて狭いものになってしまう、非常に数の少ないものだと思います。そういうことで、今度の考え出した方式は、やはり大量な道交法の違反事件を処理していくという考え方からいたしますと、非常にまあその要請に応ずることができないということが一つございます。  それからもう一つは、過料制度をとりますと、過料の不納――納めなかった者に対して強制徴収の問題がございまして、非常に事件が大量でありますと、この強制徴収というものは事実上困難ということがございまして、それがひいては秩序維持力にも影響するというようなことも考えたわけでございまして、そのほかまた、納めなかった場合にそれをどうして担保するかという問題についても適切な手段が見つからなかったということも、思考の過程で考えたわけでございます。  さらにもう一つは、やはり過料ということになりますと、過料事案というのは調査権によって処理されるということになるわけでございまして、道交法違反事件の処理は、そうなりますと捜査権によるものと調査権によるものと二重になってしまって、非常に複雑になるというようなこと、その他この過料方式を採用する場合のいろいろな難点がございまして、ずいぶん考えたのではございますけれども、これは一応捨てまして、現在のような方式のほうがより合理的であるという結論を得て、現在の方式を採用したような次第でございますので、御了承願いたいと思います。
  60. 鈴木壽

    鈴木壽君 こういう制度ですね、確かにいま一番先に考えなければならぬことは、事件の迅速な処理といいますか、現在の状態ではとてもじゃないがだめで、しかも結果としてそれこそ一億総犯人ですか、いずれそういうようなことになるのだ。それですから、確かに私が言ったようなことだけで色分けてしまって、それを別にしてしまえば、これで処理できる件数と比べてみたら、これは確かに減るでしょう。ですから、いまの処理の渋滞ということからしますと、それの対策としてはうまくないということはわかりますが、しかし、こういう制度というものは、そういう事件の大量処理を迅速にやるということだけで考えるべきじゃないと思うのだよな。  それからもう一つは、納めないときに担保を一体どうするのかということがむずかしいという話。これも確かにいろんな場合が出てくるでしょうからね、やっかいなことになると思います。しかし、そういうことだけでやるというよりは、むしろ私は、今回のこういうあなた方の考え制度の大きな柱になる考え方は、何でもかんでも罪人にするのは忍びない、またすべきじゃないという考え方が一つあるのじゃないかと思うんですよね。私もそれはそのとおりだと思うし、そういう意味でやっぱり検討しなけりゃならぬと思うから、そういう意味からすると、多少件数が減って、いわゆる迅速な大量の処理ということができないということがあるかもしれぬし、あるいは担保というものをどこに設けて、どう的確に金なんかを取るかというようなことについていろいろ問題があるというふうに思う。全然考えないわけじゃないけれども、しかしそういうことでやるべき筋合いのものじゃないのじゃないか。むしろ事件の迅速なる処理とかなんとかいうこととともに、いわば事故につながる違反、あるいは違反に至るまでのその過程、そういうものをなくするためのこれは一つの方法でなければいかぬのでしょう。そうすれば、私は、十分あなたがた、この段階でこれぐらいしぼって一応の色分けをやっているのですから、金出せばそれであと刑罰に当たらないものになっちまうんですよ。そこまででしたら、もう一歩突込んで、私がさっき言ったようなことまではできないというのは私はないと思うのだが、ただ私はこの中にちょっとこれは心配だなと思う点もありますよ。たとえば、最高速度の違反ということは、二十五キロ未満のものでも反則金で処理できるんだというようになると、ちょっと抵抗感じますがね。二十五キロというのは、これはそう見のがしていいものじゃないと思うのですがね、性質上。まあそういうこともありますけれども、いずれにしても、あなた方こういうふうにやった。本質的には作業というものはあまりこれと違わないと思うのですよね。しかし、ここまで来て、はい、じゃこれからやりますと言っても、そうも簡単に言えないだろうと言うけれども、私はこの制度というものはそこまでいかないといろいろな問題がやっぱり残ると思うのですよね。やるなら、そこまで。だからそういう意味で、そういう方向のやつとして出してくだされば、私非常によかったと、こう思うのですよね。ところがそうでなしに、依然として一方は罰金なりそういうものを担保にして、これはちょっとそこに置いて、そしてその中のこれだけはまあそれでいいじゃないかというふうな処理のしかたも、やっぱりいろいろ問題が出てくる、こういうふうに思うわけです。さっき私例にあげた、たとえば警音器の使用等のことですね。これだって、局長、これは私から言われるまでもなく、十分あなた方も考えて、よく読んでごらんなさい。大体こんなやつが百二十一条で罰則つけないといけないというのは、私はちょっと少し罪つくりの法律ですね、これは。それから、あちこちに、違反をしようとした者とかなんとか、まことにあいまいなところまで罰則がかかっていますね。だから、こういうものは私はやっぱり一度洗い直してみて、ほんとうに罰金なりその他いわゆる刑罰をもってしなければならぬもの、それからそうでなしに、名前はどうあっても、いまのようなこういうようなことで、それだけで処理できるもの、こういうように仕分け、しかし問題は一つあると思うわけです。累犯的なことを一体どうするかということがあると思います。これはまた別に、よく言われるポイントシステムなり、何か別なことをあわせて考えなければいけない、これだけでなしにね。実は私は、去年の暮れごろにいわゆるチケット制とかなんとか言われて、あなた方要綱を発表をした中に、それを見て、私がいま言ったようなところまでやってくださるんじゃないだろうかと思って大いに実は今度期待しておった。これは個人的なことを言ってまことに悪いけれども。ところが、だんだん出てくるのは、そうでなくて、こういうようになってきたということで、私遺憾でもあり、どうもこのままではいろいろ問題があるんではないかというふうに思わざるを得ないのですがね。まあこれは私の意見がだいぶ入ってしまいましたから、あえて御答弁を私聞かなくてもいいようなことになってきましたが、これはやっぱりそこまで私は考えなければいけないと思うのですがね。どうです。まあこれから五年も七年もというようなことでなしに、まあこれはどうせ通るかもしれませんが、これをやりながらやっぱり早急にそういうところへ持っていくように、そういう方向だけはこれはひとつはっきりお示し願えればありがたいと思うのですが、どうですか。
  61. 新井裕

    政府委員(新井裕君) これは、実は私ども、いま例をあげられましたように、刑罰でなく行政罰でいいじゃないかというようなものもありますし、罰則そのものじゃなくて道徳的な規定にしていいじゃないかというような御意見もございます。したがいまして、いままでも全然研究をしていないわけではありませんけれども、先ほど申し上げましたように、たいへん一つの体系をなしておるものを突きくずすような形になりますので、少し時間をかけてやりたい。また、御意見のとおり、当然この次もやらなければならない。引例されましたポイントシステム等の関係におきましても、やらなければならぬ時期というものが必ずやってくると思いますので、できるだけそういう方向で研究を早くさせたいと思っております。
  62. 鈴木壽

    鈴木壽君 これはまあお聞きしなくてもお答えはわかったような感じがするのですが、あらためてひとつ念を押して聞いておきたいと思いますが、いわゆる通告処分そのものについての不服なり異議等の申し立ては、これは許されておりませんね、この仕組みでは。その点はいかがです。
  63. 新井裕

    政府委員(新井裕君) 先ほど申し上げましたように、この通告行政処分ではない。したがって、私どもの解釈としては、行政処分として行政訴訟を提起することはできない。ただそれは、おまえがそう言ったからといって、行政処分だと言って争う道は、当然私は残っておると思います。ただ、そうなっても、私どもとしては処分制がないから処分としての訴訟は成り立たないというふうに考えておりますけれども、提起することそれ自体は否定はできないと思います。
  64. 鈴木壽

    鈴木壽君 いや、通告処分そのものについて、前提として通告には従おうという気持ちがある。これを公訴を提起されていいとかなんとかということでなしに、前提としては従おうという気持ちがある。しかし、その通告処分のそのもの、いわゆる警察の事実認定といいますかね、状況のとらえ方等について、どうもこれじゃ異議がある、不服だ、こういう人があると思うのですよね。しかし、そういうのは、単なる弁明の機会はあるのだとおっしゃいますが、いわゆる正式に不服なり異議なりを申し立てて、通告処分そのものについての争う場というものはあなた方予定しておらなかったのじゃないかということなんです。その点どうですか。
  65. 新井裕

    政府委員(新井裕君) 予定いたしておりません。
  66. 鈴木壽

    鈴木壽君 ただしかし、場合によってはそういうものもたとえば通告処分の取り消しを求めるとかなんとかというかっこうで出てくるかもしれませんね。これは、さっきもお話あったから、時期が来ればそれに応じざるを得ないというお話でしたからいいけれども、私前に聞いたそのことについては、そのことを予定はしておらない、こういうふうにおっしゃっておるわけですね。  最高裁の刑事局長さん、私はこれ以上あなたにお尋ねしたりすることございませんから、もし何でしたら委員長お引き取り願ってもいいと思いますから……。
  67. 仲原善一

    委員長仲原善一君) それでは、最高裁の佐藤刑事局長さん、これでよろしゅうございますから。御苦労さんでした。
  68. 鈴木壽

    鈴木壽君 罰則のことでございますが、午前中の参考人の御意見のそれに関連をして、占部委員からもお尋ねのあったことなんで、あなた方お聞きになっておらなかったかもしれないな。――今度の積載制限の違反の者に対する罰則ですがね。今度百十九条の一のほうへ持っていって、三カ月以下の懲役または三万円以下の罰金ということになったんですが、いまの法では百二十条のほうにあって、懲役がなくて罰金刑だけということになっておったと思いますね。そこでこれは懲役でも罰金でも最高限をきめたものでございましょうから、全部が全部、三カ月の懲役あるいは三万円の罰金ということでないだろうと思いますが、実態からして、これはいままでのこれの類似の判例等からして、どういう場合が三カ月の懲役というようなことになると予想されますか、この点ひとつ。
  69. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) 罰則を引き上げましたのは、おそらく今後三カ月の懲役程度までいくものとして考えられますのは、非常に過積載の、十割とか二十割とか大きなものとか、あるいはそれを非常にそういう違反を累犯の形で反復違反しておるというような、非常に悪質な場合にはそういう方向に持っていってもらいたいという考え方から罰則強化という線が出たのでございます。
  70. 鈴木壽

    鈴木壽君 確かにいわゆる積載オーバーといいますか、積載制限の違反そのことによって、いろいろな意味での事故が起こるんだと、こういうことはよく指摘されていることなんですから、したがって、そういう事故防止といいますか、事故の予防といいますか、そういうたてまえからいっても、違反をさせないようにという意味での刑罰をかなり重くしなければならぬという、こういう考え方はあり得ると思いますね。私も場合によっては、これはやむを得ないことだと思うんです。  さて、この場合もう一つ、この法律では、これは五十七条違反ですね。そういうことで、これはトラックとかダンプとかいうものの、いわゆる積載量の制限をオーバーしたものに対し、しかし五十七条では乗車人員の制限をこしたものに対しても罰則がつくようになっていますね。これの扱いは実際上どうなんですか。
  71. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) 乗車違反については現行のままでございまして、積載制限の違反だけを取り出しまして、先ほど御指摘もありましたように、非常に積載制限は交通事故の危険な違反でございますので、特にこれを取り出しまして罰則を強化するということで、乗車制限はそのままにしてございます。
  72. 鈴木壽

    鈴木壽君 いや、それはわかっていますが、だから現状、乗車人員の制限オーバーに対しての、いわゆる罰則の適用とか何とかいう、具体的にはどうなっておるのか、こういうことなんです。というのは、確かにトラックとかダンプとかの積載重量制限オーバー、こういう問題は困ったことでありますし、それに対して十分やらなければならぬと思いますが、何とか規制を必要とするということについてはわかりますが、一方、日本のこういう現状の中では、乗車人員オーバーについてあまり無神経だと思うのですよ、みんなが。何でもかんでも罰則を適用せよというわけじゃありませんけれども、こういうことをむしろ私は、もし事故が起こったりしたような場合のことを考えると、これは非常におそろしいものがそこに出てくるのじゃないかと思うから、もっとこれに対しましてみんなが神経をそれこそもっと働かせてやらなければいけないのじゃないかということで、状態が一体どういうふうになっておるのかということをちょっと聞いたのです。
  73. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) 乗車制限違反につきましても、やはり違反につきましては取り締まるという原則は変わりないのでございまして、昨年のこれは統計でございますが、昨年の乗車制限違反で検挙いたしました件数は、合計約十六万四千件ございまして、これに対して積載は十一万四千件ということになっておりまして、乗車につきましても、違反については検挙するという体制になっております。  ただ御指摘の点はバスの問題だと思いますが、バスの乗車定員の問題につきましては、いろいろな事情がございまして、国会でも附帯決議をつけられたこともございまして、そう四角四面に取り締まらないという方針でやっておる次第でございます。
  74. 鈴木壽

    鈴木壽君 何といいますか、検挙した件数はかなりあるようでありますが、それに対して罰則がどのような程度で適用されているかということは、いまわかりませんか。――まあ、じゃ、いいです。  バスのことですが、これは確かにバスの乗車人員については、規則どおりに定員というようなことでやっても、特にラッシュのときのような場合には、いろいろまた問題があるわけなんですから、そういうことで国会で附帯決議のついたものも私もわかっております。わかっておりますが、ただしかし、それがですね、そういうことが一々びしびし重い刑罰でどうのこうのということをやれというのでなしに、もっとああいうことに対して何といいますか、取り締まりという面で配慮していかなければならない。もっとああいうものに目をつけて、いろいろ指導なり、争ういうことがあって私はいいと思うのですがね。これは都内でもたまに見ますが、いなかでですね、もうぎゅうぎゅう詰めて、そうして狭い危険な道をバスが通っておる。これは運転者も車掌も乗る人も、これはあたりまえだと思っているわけだな。ここでさっきも言ったように、きびしく文句をつけて、それに対して私は刑罰をもって臨めという意味ではないけれども、しかしそれがあたりまえのようなことでやられているというところに、今度何か一朝事故があるという場合にたいへんなことになると思うのでよ。そういう面でもっとこれは状況等についての取り締まりなり、あるいは指導なりというものを、法規のしゃくし定木の適用という意味でなくって、もっとやらなければいけないのじゃないかということを考えるから、それをやるには警察の方にやってもらうよりしようがない。それはいまのところ、それを会社側がやるか、運転者がやるか、いろいろあるとしても、とにかくその任に当たってもらうのは警察方々が一番いいんじゃないと思うのです。そういう意味で、一体どういうようにやっているのか、それをちょっとお聞きしたかったわけなんですがね。  これはひとつ注文みたいになりますけれども、むしろ荷物をたくさん積んで、重いものをたくさん積んでという事故よりも、むしろ事故そのものについて考えてみればですね、より以上のおそろしい人命、直接のあるいは身体に対する損害、そういうことの問題ですから、十分ひとつやってほしいということを要望したいと思うのです。  それから罰則について、いまの積載制限違反の罰則の問題についてですが、まあ今度の改正で、さっきも言ったように百十九条のほうに持ってきて、運転者は三月以下の懲役または三万円以下の罰金だと、こういうことになるわけなんですが、一方何といいますか、使用者側といいますか、あるいは管理者といいますか、雇用主といいますか、こういうものは今度百二十三条に新たにいわゆる両罰規定がそこに入ってきましたね。ところが私、まあほかの方々もこれは指摘しておることなんで、繰り返しになりますが、私もどうもこれだけではたしていいものかどうか。というのは積載オーバーについて、それを命じたり、あるいは容認したりした者について、これは三万円以下の罰金だという、こういう規定でございますね。運転者はまあいろいろな事情があるかもしれぬが、かりにとにかく違反をした場合には三月以下の懲役になるが、積載オーバーすることを命じた者がそれ以下の、いわゆる懲役のつかない罰金刑だけでいいということになると、どうも少し割り切れない気持ちなんですがね。そこら辺どうなんです。
  75. 新井裕

    政府委員(新井裕君) これは先ほど植松参考人からもお話がございましたように、法律の体系としては、やはり実行行為をした者との関係で、管理者なり何なりはこの程度の罰則をつけるのが立法技術としては常識ではないか、こういうお話でございまして、私どももそう思います。したがいまして、この下命容認行為というのは、実行行為ではなくても、場合によっては処罰されるという意味のことでございます。で、実際に積載制限違反をいたしまして、現にある裁判所で、積載制限違反をした者よりは運行管理者でありますその雇用主のほうが何倍も重い刑罰を科せられた例もございまして、私は、先ほど今井参考人からもお話がありましたように、刑法総則の適用を厳格にしていくことが解決の方法であって、あわせて行政規定としてここに置くということには、若干私はいままでの体系では疑問がある。また実行上もそういうことを励行することによって十分に目的は達成し得るというふうに考えております。
  76. 鈴木壽

    鈴木壽君 いままではいわば違反者といいますか、実際の実行者以上に裁判によっては何倍かの重い刑に処せられていると、こういう話ですが、その場合体刑ではないのですね。罰金で何倍かというようなことなんですか、そういうことは、体刑の例がうんとあるのですか。
  77. 新井裕

    政府委員(新井裕君) これは御承知のように今度初めて体刑を科するということで提案を申し上げておりますので、いままでの例は全部罰金の例でございます。
  78. 鈴木壽

    鈴木壽君 そこで、実際の裁判では刑法総則のそれの規定が働くんだ、具体的に言うと、あそこの教唆ですか、あれの規定が働くんだ、こういうふうに言われておるんですが、そのとおりなんですね。その点どうですか。
  79. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) 教唆または幇助、刑法総則の適用があるわけでございます。
  80. 鈴木壽

    鈴木壽君 教唆あるいは幇助ということと、これが教唆になり幇助というふうに解されるものか、命じることなんですよ。今度のやつは、命じた者あるいは容認した者というふうになっていますね。命じた場合に、これが裁判の場合に、いわゆる教唆、幇助の罰という、普通そういうことだと思うんですが、それと同じ取り扱いで、正犯と同じように罰するのだというようなことでやれますか、この命じたという場合、どうです、その点は。
  81. 綾田文義

    説明員(綾田文義君) 刑法に言う教唆犯の場合は、教唆をして実行したというのが教唆犯でございます。教唆というのは、上司が命じた場合には、これはやっぱり教唆の一つでございます。下から、あるいは同僚が扇動したのも教唆の例でございます。あるいは下の者が上の者に向かって教唆をする、いろいろ教唆の体形がございますけれども、命じたという、この道交法で言う下命と言うのは、命じただけでも犯罪になるということであります。刑法の総則の教唆犯は、最初に申し上げましたように、教唆をして実行したというのが教唆犯でございます。
  82. 鈴木壽

    鈴木壽君 ですからね、命じたという、今度の道交法に入ったのは、命じまたは容認した者と、こうありますが、命じるということは、下命ということが刑法で言う教唆、その中にすぐ入っていくことなのかどうかということなんですよ。もう一度。
  83. 綾田文義

    説明員(綾田文義君) 命ずるということは教唆の中に入っていきます。命じて実行したならば、それは刑法の教唆犯になるわけでございます。
  84. 鈴木壽

    鈴木壽君 あなたのおっしゃることは間違いないですか。命じるということは教唆の中に当然入っていくことなんだ、教唆のうちの一つの態様なんだ、こういうことで間違いないんですね。
  85. 綾田文義

    説明員(綾田文義君) 間違いないと思っております。ただ、繰り返して申しますれば、命じただけでは教唆犯にはなりません。命じて、そして運転者が実行した場合に、刑法の言う教唆犯になるわけでございます。
  86. 鈴木壽

    鈴木壽君 もちろん、だから教唆犯ということですが、それは「人ヲ教唆シテ犯罪ヲ実行セシメタル者」でしょう。
  87. 綾田文義

    説明員(綾田文義君) そうでございます。
  88. 鈴木壽

    鈴木壽君 だから、私聞くのは、命じて、そして運転者がそれを実行した、こういう場合があると思うんです。実行しない場合もあるかもしれませんけれども、まあ実行したとしますね。もっと具体的に言うと、オーバーした者をつかまえた、そしたら、親方に、おまえこれを積んでいけと言われたので、こうして積んできたんだと、これは命令されたものと解していいわけですね。そういうふうな場合には、いわゆる雇用主というものは教唆犯として扱われる、こういう意味にお答えになったわけですから、それで間違いないかということの一応念を押しているのです。
  89. 綾田文義

    説明員(綾田文義君) 間違いございません。
  90. 鈴木壽

    鈴木壽君 ただ私ども普通常識的に考えた場合、教唆ということは、いわゆるそそのかす、命令することとは多少違うような感じ々持っておるのです。しかし、いまお聞きしたように、教唆という中には命令も入るのだ、だから命令して犯罪を実行せしめたものは、すなわち教唆犯として扱われるのだということになれば、私はそれなりに理解しますけれども、何か常識的にはいわゆる教唆ということはそそのかすとか、あるいは扇動とか、あおりそそのかすなどありますな、そそのかすというと、いわゆる地位的に上の者がと言っちゃ悪いけれども、使用人なら使用人が使っておる運転者に対して、こうせいああせいという、いわゆる命令とはちょっと違うような感じがするものですから、せっかくあなた方が衆議院段階でも、いや、これは教唆犯が適用になるのだ、刑法総則の中にあるこれが適用になって心配ない、刑のバランスもとれるのだ、こういうことをおっしゃっておるようですが、何かちょっとそこに心配あるんですがね、正直言って。これは何か教唆の内容について、刑法の解説みたいなものの中にもはっきりこうあって、それが通説になっておるのですか、その点どうでしょうか。
  91. 綾田文義

    説明員(綾田文義君) 通説になっていると思います。たとえば団藤教授の刑法総則あたりの教唆とは、命令あるいは指揮あるいは扇動、その他いろいろの場合がすべて入るというような解釈でございます。
  92. 鈴木壽

    鈴木壽君 それなら私、道交法で実行者が百十九条の罰というのに該当する、あるいは雇用主といいますか、管理主といいますか、下命した者が別のところでもっと軽い条章でそこに罰則が書かれておるというと、一応これは形の上からすると、さっきも言ったように、私はバランスがとれていないじゃないか、片手落ちじゃないかと思ったけれども、実際問題としては、そういうことの心配なしに、片手落ちということでなしに、裁判の際には下命ということがいわゆる教唆犯、下命して実行させたものは教唆犯ということで、正犯と同じようにやられるのだ、場合によってはそれ以上のものになるかもしれないことだという話ですから、一応それは信用して了解することにしましょう。
  93. 綾田文義

    説明員(綾田文義君) もうちょっと詳しく申し上げますと、下命をして運転者が実行した場合に、道交法に言う下命罪にもなるわけです。それから刑法に言う教唆罪にもなるわけです。この二つについては説はありますけれども、一個の行為で二つの犯罪に触れる観念的競合罪だというのがどうも通説のようでございます。あるいはその二つの罪は法条競合だという説もありますけれども、普通観念競合は、その場合には重きに従って処断されるので、教唆罪が適用になる、そういうことになります。
  94. 鈴木壽

    鈴木壽君 くどいようですがね、道交法の中に、下命して実行せしめた場合、やはり運転者が行なったそれに対する罰則と同じようにして書くことは、どうしてもやっぱりこういうものの性質上うまくないものですか。その点どうでしょうか。従来の例とか何とか、いうお話がございましたけれども
  95. 綾田文義

    説明員(綾田文義君) 道交法のたてまえが、大体、たとえばいまの無免許でございますか、無免許の場合には運転者は、犯罪の実行者は半年または六カ月、または五万円の罰金ということで、これを下命容認した場合は百十九条の三カ月または三万円の罰金、同様に酒酔いの場合の下命容認、あるいは過労運転の場合の下命容認も、道交法のいままでのたてまえは、法定刑の上は運転者は刑が重く、それから下命容認の場合は百十九条であるというふうな体制になっております。ただ、先ほど申し上げましたように、教唆罪が適用になる場合でも、本犯と同様に処せられるということでございます。
  96. 鈴木壽

    鈴木壽君 これね、私ども、私どもといって、私心配なのは、確かにいまの積載オーバーをやるもの、違反をやるものの中にはですね、自分一人で、いわゆる一人親方みたいなやつもたくさんいますわな。しかし、また雇用主がおり、管理者がおって、その下で実際の車の運転をやっているもの、これもまた相当な数なんですね、実はね。で、積載オーバーのそれを、いろいろ話を聞きますと、別に運転者がしたくてやるというのはほとんど私ないと思うんです。何かある一定の量のもの、重さのもの、これを請負的にやらせる場合があるんだそうです、運転者に。その場合は、たとえば五回に運ばなきゃいけない、あたりまえにいったら五回に運ばなきゃならないのを四回でやったら、自分は一回分得するんだと、だから自分でやっちゃうんだと。そういう場合でなしに、普通の場合に、いま言ったように、だれも好きこのんで積載制限の違反をやるという人はない。やっぱり何かの形で、まあ正式に容認するというようなこともないかもしらんけれども、あるいは口では気をつけろというようなことは言うかもしらんけれども、実際は何かの形で荷主なり、あるいは雇用主からのそれがあって、やむを得ずやるということが、ずいぶんあるんじゃないかと思うんです。実際話を聞くとそうですね。そうした場合にね、実際にやった運転者が懲役というようなことになり、陰でやらしたものが罰せられても罰金程度だと、こういうことになるとね、これはいかにも片手落ちだというふうな気を、心配といいますか、そういう気持ちになるわけですね。  ですから私は、必要によってはこういう積載制限の違反等について重く罰するということについては、場合によってはこれは必要だと思いますから、それは認めるにしても、一方、いま言ったような、そういうことをさせるもの、そうせざるを得ないようにするもの、こういうものについても私はやはり厳重に処罰をするという、こういうことをやらないといけないのじゃないか、こういうことから、この規定だけではどうもそういう、さっきお尋ねしたような心配があったものだからお尋ねしたわけなんですが、実際のあれですね、まあ重ねて、この問題については終わりまするが、重ねてお聞きしますが、裁判の結果、従来の例から見ましても、下命したとか、あるいは容認したという場合には、やはり共犯というようなことでやられておったということについては、心配なく見ていいということなんですか、どうですか。
  97. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) これはいままでの私ども検挙した事例、それから判決の事例もたくさんございまして、そういう御心配はないと思います。特にことしに入りまして、私どものほうは雇用者等の責任を大いに追及していこうということで、そういう方針で臨んでおりますので、ことしに入りまして、現在教唆、幇助罪を適用して積載違反をやりましたのが約三十件ございます。その他、無免許、酒酔い、いろいろございまして、これらも下命容認以外に教唆幇助を適用したという件数は百数十件ございます。そういうことで、今後、そういう判例もございますし、そういう方針で臨んでまいりたいと思っております。
  98. 鈴木壽

    鈴木壽君 じゃ、その点についてはこの程度にします。  それから、ひとつ私は意見になりますがね。さっきも申し上げましたが、罰則の問題でひとつさっきの反則金制度に関連して、私はいろいろなことを言ったわけだが、再検討すべきじゃないか、洗い直すべきじゃないかと言ったのだが、これはひとつそういうことから一応離れましても、いまの罰則というものはどうも不合理だというような点が幾つもあるものですから、ひとつこれは御検討してもらいたいということを、この機会に――いま罰則問題のついででございますから、これは私要望として申し上げておきます。  趣旨はさっきも言ったようなことで、どうもこういうものにはたして刑罰をもってしていいかどうかということが幾つかありますものですからね。そういう意味で御要望を申し上げておきたいと思います。  それから、運行記録計についてのそれが今度出ておりますが、こういうものを車がつけて、これはある種の車にいまのところは限られておりますけれども、それはそれで私けっこうだとは思うのでありますが、これは一体どういうふうにその記録を利用するか、具体的なことをどういうふうに考えておられるのか。たとえば、これは記録の保管等も義務づけておりますけれども、これはまあ問題は安全運転といいますか、事故予防のためのそういうことにあると思うのですが、これは一体どういうふうに、だれがそれる見、だれがそれによっての安全運転なり、その他のことを指導するのか、こういうことについて、どういうふうに現在の時点でお考えになっておるか、ちょっとお聞きしたいと思うのです。
  99. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) タコグラフの件につきましては、午前中も大橋参考人が述べておられましたけれども、事業体の場合には、雇用主等が安全運転の管理のためにこれを活用するということになろうかと思います。
  100. 鈴木壽

    鈴木壽君 するといわゆる雇用主、使用者あるいは運転者、こう分かれておる場合ももちろんたくさんありますが、反面に、そうでない、車だけを持って自分でやっているという人も、そういう車も、車によってはタコグラフをつけなければいけませんから、あると思うのですが、そういう場合はどうなりますか。
  101. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) 一人一車のような場合には、やはりタコグラフを見まして、自分みずからが安全運転ということでみずからを律していくということになろうかと思います。
  102. 鈴木壽

    鈴木壽君 いまのところは、なろうかと思いますというふうにおっしゃるのですが、ならざるを得ないわけですね、いまのところは。もしかりに事故があったとした場合に、過去のものを持ってきて、だれかが見るというようなことはあるかもしれませんけれども、いわゆるタコグラフの記録を取っておくということじゃなくて、しょっちゅうそれを見て運転者が、まあ無謀運転なんというものが出ないような、そういうことのいわば管理、指導の面で使わなければいけないと思うわけですね。そういう場合に、一人一車の場合ですと、本人がそれをやるといっても、これはなかなか容易なことじゃありませんけれども、これはまあいまの状態では、おっしゃるようにそうならざるを得ないのでしょうし、それでいいものかどうかという問題が一つあると思うのですね。どうです。
  103. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) 原則といたしましては、私どもは、先ほど私が申し上げたとおり、反省の資料ということになろうかと思いますが、やがて、いま問題になっておりますが、かりにダンプカー等のいろいろな、一人一車の場合もこれを届け出さして管理していくということになりますれば、当該行政官庁がそれをいろいろ活用するという余地もあろうかと思います。
  104. 鈴木壽

    鈴木壽君 当該行政官庁というと、あなた方でなしに陸運とか、そっちのほうにならざるを得ないと思うのですが、そうすると、あなた方のほうとしては心配な点があるのじゃないですか、率直に言って。つけることはつけた。しかし、それをどう役立てるかということが問題なんで、つけること、その記録を持っていることが目的じゃないんですからね。どう役立てて――事故防止対策の一環としてこれをやるのですから、ですから、それをつけて、あなた方の手でなしにだれかがやらなきゃならぬと思う。将来陸運等で。これは所管からすればそういうことになると思いますが、心配じゃございませんか、どうでしょう。
  105. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) いろいろな観点からこれを利用することが可能だと思います。ただし私どもは、これを捜査に利用するというつもりはございません。そのほかにいろいろな行政的な面でこれを活用していくということを私ども期待しておるわけなんです。
  106. 鈴木壽

    鈴木壽君 いや、場合によってはこれは捜査にも使うでしょう。使わざるを得ないでしょう。私何もそういうことを問題にしているのじゃないのですよ。これは捜査にだって使わなければいけません。使う場合があると思うのですが、どうなっておったのだということで、過去のそういうものがやはり一つのあれですから、それは場合によっては使ってもいいし、使わなければならぬと思いますから、私はそれを問題にしているのじゃなくて、ただ警察のいわゆる交通の取り締まりという面が、それは法規に従ったか、従っていないか、それによってどうする、こうするという、いわゆる取り締まりなり刑罰を与えるという面だけじゃ私はないと思うのです。もっと私ども、できれば事故防止といいますか、あるいは交通安全という立場での予防的なことに対する指導なり、そういうことがほしいと思うのです。そうしてまた、それも一つのあなた方の任務だと思う。そういう見地からすれば、ダンプカーとか何とかというものの事故防止対策として、いまこういうものを義務的に取りつけさせていきますから、それは一体どう利用するかということを、あなた方の立場からやはり何とか、罪人扱いにするという意味じゃありませんよ。何とかタッチしておくことが、あなた方の任務を達成するという立場からいっても必要じゃないだろうかと私は思うのです。そういう面で、いや全然ノータッチで、使用主や管理者や、あるいはまた一人一軍の場合は陸運関係のほうで、それはそちらのほうでやるでしょうからと、これではあなた方どうも心配ではないだろうかといって、私同情する立場で聞いているのですよ。
  107. 片岡誠

    説明員(片岡誠君) 現在、一部の心理学者や人間工学の学者は、タコグラフの解析の研究を始めております。そうしてタコグラフを解析することによって、運転者の性格なり運転の態度なり、それの傾向をつかんでいこうという研究が次第にできかかっております。そういう面から将来活用する場面が出てくるのじゃないだろうか、このように思っております。
  108. 鈴木壽

    鈴木壽君 これは所管が違うといわれればそれまでですけれども、私はなにも所管争いをせいという意味でもなければ、それに加担しようというつもりもありません。ただ交通安全といいますか、そういう立場から、あなた方、いろいろ仕事を持っていらっしゃるわけですけれども、その中の一つの仕事として、事故が起こったその処理だけでなしに、あるいは事故が起こることについて目を光らせる、そういうことだけでなしに、いま言ったような指導、事故を起こさないように、違反を出さないようにという指導面も私担当しているのじゃないだろうかと思うのです。もしそうでないとすれば、私これはやめますけれども、そういう分野があるべきじゃないでしょうかね。  そういう点からしますと、タコグラフのいわゆる記録を一体どう利用するか、と言っちゃ悪いけれども、どう見て、それによって、場合によってはこうこうこうだというふうな指導というものがあっていいのじゃないか、私こういうふうに思うのですが、その道がないとすれば少しおかしなことじゃないだろうか、こういう私の気持ちなんですがね。タコグラフの設置なり取りつけなり、それはもう運輸省関係だ、車両関係のことで、それは別なんだと、こうやってしまえば、あなた方の、何といいますか、もっとしなければならない仕事というものも、やりたくてもできないのじゃないだろうか、こういうふうに思うのですがね。
  109. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) 私、先ほど捜査のためにということを特に申し上げましたのは、捜査のために、あれをそういう目的でつけたのではないという意味でございまして、先ほど先生御指摘がありましたが、捜査に使ってもいいじゃないかというお話もありますけれども、あるいは必要の場合には使うことがあるかもしれない。ただ、警察としていろいろ捜査以外に、いろいろ安全教育その他やっております。おりますことは事実でございますが、そのためにタコグラフを警察官がいろいろ見るということになりますと、捜査のためにという誤解も受けるおそれもあるという配慮もございまして、私の発言が消極的になったわけでございますが、いろいろな面で活用したいという気持ちに変わりはないわけでございますけれども、いろろいろな利用方法があるということでございます。
  110. 鈴木壽

    鈴木壽君 いろいろな利用方法があってしかるべきだと思うし、それが何も捜査のためしょっちゅう使うとか、何かのチェックのためにそれを使うとかということだけでは私は困ると思うのですが、しかし、時にはこれは捜査の必要上見せてもらわなければならぬこともあるだろう。それはそれで私はいいと思うのですが、そこで、せっかく設置の、金かけて取りつけさせて、そういう義務づけをしておいて、さて一体記録を保管させたり何かしておって、一体何にするのか、だれがどうするのかというようなことになると、それは向こうの役所でやるでしょうし、雇用主がやるでしょうということでは、ちょっと私はもの足りないと思うから、もっとそれをいわゆる有効に利用する、善意の意味での有効に利用する、それを考えなければいけないのじゃないでしょうかな。じゃあ長官あれですか、運輸省のほうではこれは自分たちの所管だというので、こういうものを今度取りつけを義務づけて、今度はこの法律のほうで保管の義務まで負わしている。さて、それをどういうふうにやるつもりで、利用するつもりでこれやっているのですか。運輸省のほうではどういうふうに、あなた方それについて運輸省の意向というものを聞いておりませんか、どうですか。
  111. 新井裕

    政府委員(新井裕君) この運行記録計は、もともと大橋参考人からお話がございましたように、雇用者が自己の所有の車の運行の状況を記録するというところが一番使い道としては有効な使い方でございますけれども、しかし、雇用者のある車だけではなくて、一人一車の場合でもこれをつけさせて、つけさせた以上、記録はある程度保存させて、そうして陸運事務所等の監督ができればそれをさせるし、また業者自身が、あとで自分の走ったあとを見て反省する材料にしてもいいし、あるいは協会みたいなものをつくって、相互に監査してもいいということでございますけれども、確かにおっしゃるように、雇用関係にある場合と単独の場合では、若干利用の度合いは違います。そうかといって、一年一斉にこれを私どものほうなり、あるいは運輸省関係の者が検査するということをたてまえとしているものでは必ずしもございません。あるいはそういうことが必要だということになるかもしれませんが、大体は自己管理ということが主目的のように私どもは聞いております。
  112. 鈴木壽

    鈴木壽君 それはたてまえは自己管理ということだったかもしれませんが、しかし実態は、自己管理だけでは私は効果を上げることができないだろうと思うのですね。ですから、何か考えなければいけないんじゃないだろうかと、こう私は思うのです。  それから、さっきもお聞きしましたように、雇用主なり車の管理者が、責任者がおって、そうして各車のそういうものを見て、その社内でそれはほんとうに誠意を持ってやろうとすれば、それはできますわな。しかし、自分自身のやつに対して、それをやれと言ったところで、それはまじめにそれを見て、刻みを見て、おれは走り過ぎたとか、あるいは時間をとり過ぎたとかというようなことをかりにやっても、それはそれだけである。何のためにやったかという目的なり、したがって、効果なりというものは薄れてしまいますから。しかもそういうものは相当あるのですよ、やはり一人一車というものが。ですから、やはりそういうことに対して何か頭から常に監督監督というようなことになるといやなところもありますけれども、やはり何かの形でだれかがそれを見て、管理上のほんとうにこれは親切な気持ちから、管理上、管理といいますか、今後の運行上のいろいろな注意なり計画なりというものを与えるとかいう、そういうものがなければ、せっかく何万かかけてつけさせて、そしてただそれを保管さして、しまっておいて、何も生きた効果があがってこないということになりにはしないだろうか。その場合に、私は警察がいいか、そのいまの運輸省関係がいいか、それは一がいに言えないけれども、私は必ずしも警察がやれとは言いませんけれども、しかし警察だって何かのタッチするところが私はあっていいじゃないだろうか。特にダンプカーの問題、ああいう問題がいまあるさなかでございますから、何も悪人扱いするという意味でなしに、ほんとうの意味において指導というふうな立場でのタッチのしかたというものは、私はあっていいんじゃないだろうか、そのほうがまた安心するんじゃないだろうかと、こう思うから、何かそこに考えなければいけないことがあるんじゃないかと、こう思って聞いておるんですがね。  これはひとつ検討をしていただきたいと思うのですがね。まあたとえばタコグラフ以外に、速度計であれ自重計であれ、いろいろなものをつけはしたが、一体何のためにつけたのか。ただ記録が残っておるだけというのでは私はおかしいと思うのですよね。ですからことばが変でありますが、取り締りをしようとしたとか何とかというお互いの気持ちを、感じを受けるとかいう気持ちをお互い取ったような中で、いろいろな事故防止、そのための話し合いなり指導というものが行なわれるようなのがなければいけないと思うのですがね。そういう意味でひとつ御検討いただきたいと思います。
  113. 新井裕

    政府委員(新井裕君) わかりました。
  114. 鈴木壽

    鈴木壽君 私は、運輸省だっていま言ったようなことで終始すれば、これは無責任だと思うのだな。それでは何のためにやらせるのか。それでは雇用関係のあるところだけやらせておけばいいということになるので、あれはしかしそうではないので、ある規格のある車に対しては皆やらせるということなんですから、そうすれば一体いま私が言ったような問題が当然考えられなければ意味をなさなくなると思いますから、ひとつ十分これは御検討いただきたいと思います。
  115. 新井裕

    政府委員(新井裕君) 確かに御指摘のように、雇用関係にない場合の利用方法は、今後大いに開拓していかなければならない。ただ自己管理ということだけでやるのは無責任だという御批判もごもっともでございまして、今度の国会でダンプカーの登録制度みたいなものがもし実現いたしますと、そのものについては、少なくとももっと活用の範囲が広くなるだろう、そのほかのものにつきましても、私どものほうが第一線に立つという性質のものではないと思いますけれども、私どものほうも手伝ってやらなければならぬことがずいぶんあると思いますので、十分検討いたしたいと思います。
  116. 鈴木壽

    鈴木壽君 時間もなくなっちゃったようですけれども免許の効力の仮停止の問題で、実はひとつ私ね、もっとこれ、一律に二十日ということでぴしゃっとやるようですが、あれはほんとうに、何といいますか、停止というような場合には、もっともっと期間も延びるかもしれませんけれども、いずれ、とりあえずひしゃっと二十日間とめるということでしょう。この中に、たとえばひき逃げ運転とかね、あるいは無資格といいますかね、そういうような運転、こういうものについてですね、事故が起こった場合には、これは私は、無条件でやむを得ないと思うのですし、場合によってはもっとあってもいいのじゃないかと思うくらいですがね。ただ、その他、なかなかこれは事故を起こしたとはいいながら、たとえば過労の問題とか、あるいは最高速度の順守のそれについての違反云々というようなことになりますと、あるいは、何といいますかね、第四条、第五条、第七条関係の禁止あるいは制限に対する違反とかというようなことになりますと、なかなか、挙証といいますか、事実の認定といいますか、なかなかこれは微妙なところがあるのですね。ですから、こういうものを直ちにびしゃっと二十日間もやるというようなことになると、これはやっぱりいろいろな問題があるのじゃないかと思います、あとで。いま言ったように、正式にいろいろ調べた結果、あるいはもっと広くやってもいいというような事情もあるかもしれませんけれども、しかしいま言ったようなことになりますと、なかなか挙証という点で微妙な問題があり、困難な問題が私はあるのじゃないかと思うのですね。ですから、ここら辺少しこれは運用にあたってはよほど注意しないと、それは事故を起こしたから何でもこれに該当するから、おまえ二十日間の仮停止だと、免許証取り上げてしまうということになりますと、非常に問題が問題だけに、困ることが私出てくるのじゃないかと思いますので、こういうところについて一体どういう配慮をなさっておるのかですね。
  117. 新井裕

    政府委員(新井裕君) これは読んでいただけばわかりますように、鈴木委員承知のように、一号、二号は比較的はっきりしておりますので、死亡だけでなく傷害の事故についても適用できることにいたしておりますが、三号につきましては、一号、二号と若干ニュアンスが異なりますので、死亡事故だけに限定しておりますが、これも一号、二号、三号を通じまして本文をごらんになっていただきますとわかりますように、「できる。」と書いてありまして、必ずこれをやるという趣旨ではございません。したがいまして、この三号の場合には、衆議院でもいろいろお尋ねがございましたけれども、こういう死亡事故は、大体現場で警察官が一人だけで処理することは絶対にございません。重いときには署長、少なくとも課長は便乗をいたしまして、相当厳重な実況検分をやった上で、事故の現場を掌握し、そしてまたその原因者の過失の度合い、責任の度合いを十分調べるのが原則でございますので、そういう意味では、一般的に何らか、街頭に立っている巡査が一人でこれを処理するようにとれますけれども、実態はそういうことではございません。  死亡事故は御承知のように、一万二、三千件年間にございます。非常に多い事故でございますけれども、全体の事故からすれば何といっても少ない事故でございまして、したがいまして、今後もこういう死亡事故については、最も慎重な手続と実態掌握をした上で処断をいたしますので、御心配になるようなことは万々ないだろうと思います。五日以内に弁明する機会も与えるようにしておりますし、現にまた自賠法の第三条の規定がございますように、保険がかけてありましても、運転者に全然過失がなく、しかも自動車にも故障がないときには払わないということを書いてありますが、聞いてみますと、これも自賠法関係でも少なくとも五百件ほどあるそうでありますが、そういう意味におきましても、全部かけるという趣旨では毛頭ございませんし、確かに認定について非常にむずかしい問題が――一号、二号と比べて三号が多い、これは私どもも認めてそういうふうに使い分けをしておりますし、今後ともそういう点では十分慎重にしてまいりたい。  それから二十日の問題でありますが、これは事故が起こってから二十日でありまして、処分を三日後にしても十七日しかできない、五日後なら十五日しかできない、もっと長くしても場合によってはいいのじゃないかということでございますけれども、こういう事故は二十日の期限ぐらいで、ともかくほかの事故より早く行政処分の決定をさせようというつもりも実は含んでおりまして、実は二十日じゃ短いじゃないかという御意見もそれはあろうかと思いますけれども、ここいらが、即時的な効果のあることでございますので、適当だと思いますし、いま申し上げましたように、この期間にできるだけ早く本処分をきめて、一般の人たちの耳目をそびえさせるような問題については、早く本処分をいたすつもりで二十日という道を開いたつもりでございます。
  118. 鈴木壽

    鈴木壽君 あのですね、たとえば事故で人を死亡させたりけがをさせたりする、まあこれはたいへんなことでございますから、これに対する何といいますか、その事故を起こした者、運転者等の処置ということ、これは一般の人たちは、人を殺したのだから、それはそのまままたすぐ車を動かしているのはけしからぬじゃないかと、これはまあ確かにそうだと思います、そういう感情というものはね、厳重にやっつけてしまえと、こういうことになるのは当然だろうと思いますが、さればといってですね、これは事故で人の死亡なり、あるいはけがをさせたりというようなこと、必ずしも事故を起こして、これはいまの悪質なあるいはこういうものの違反、罰則の百十七条あたりにあるひき逃げとか何とかいういろいろなやつはまあともかくとしてですね、百十八条、百十九条あたりのそれになりますと、さっきも言ったように、すぐ一がいに運転者の無謀なり、あるいは悪意なり、故意なりというものだけで出る場合でもない場合があるわけですね。したがって、それの挙証といいますか、事実の認定というものは、なかなか微妙なそれなんですから、ですからやっぱり扱いとして、私は絶対に、仮停止なんというものはやめてしまえということも、それから、これから三十日にもしろという意味ではありませんが、このうちどれもが二十日だというようなことでは、私はもっと、たとえば百十九条関係のものなんかいろいろこうやってみても、こういうのはもっと短くてもいいのではないか、そしてその中で、その間にまた正式のそれがあるでしょうから、それによってどういう結果が出てくるかわかりませんけれども、そういう意味で、もう少し短くなっても、一律に全部が二十日だ、こういうことでない扱いがあってしかるべきではないだろうか。こういう気持ちなんですが、それはいま言ったように、外から見ますと、そんな運転手がまた一向変わりなく車を走らせていいんだということでは、非常におもしろくないけれども、したがって、こういうこともやむを得ない一つのことだと思いますけれども、それはしかし、二十日という期限がかりに長いとか短いとか、いろいろ議論があるとしても、全部一律に二十日ということになると、そのように必ずしもそれでいいというふうなものでもないのじゃないだろうか。もっと差等があってもいいんじゃないだろうか。  たとえば百十八条第一項三号の中でいわゆる六十八条の「最高速度の遵守」というようなことで、これは反則金制度でも、これは事故を起こしてしまったのだけれども考え方としてはある程度のスピード違反というのは、そんなに重く罰しなくてもいいのじゃないかという考え方がある。問題のある点ですね。これは事故を起こしてしまったら、そんなことを言っていられませんけれども、そういう性質のものがここにありますから、場合によってはたいしたことでない速度であったけれども、事故を起こした、こちらというよりも、むしろ向こうのほうに原因があるような場合で、たまたま事故が起こったというような場合も私はあると思うのです。ですからその点十分に勘案しながら、いま言ったように一律に二十日というようなことになりますと、これはやることができるというから、やらなくてもいいんでしょうが、やるとすればそういうことの扱いはどうかな、こういうふうに思っている。実は一つの生活問題にもかかってくる問題ですから、そういうふうに思われるのですが。
  119. 片岡誠

    説明員(片岡誠君) 昭和四十一年中に、交通事故に対する運転免許の取り消し停止処分をいたしました状況を御説明しますと、交通事故を起こして、それが死亡事故であって、しかも、それが有責過失なり違反があって、よって死亡事故を起こしたという場合に取り消しをいたしましたのが二千九百五十九件、それから九十日以上が四千七百九十三件、四十日以上九十日未満が千四百八十一件で、四十日未満はございません。したがいまして、何らかの責任があって交通事故を起こして人を死亡せしめた場合には、四十日以上の停止あるいは取り消し処分を現に受けているわけでございます。  それで、二十日はどうして計算して出したかと申しますと、確かにもう少し長い期間があってしかるべき事案があろうかと思いますけれども、御承知のように、大体こういう重大な事故の場合には聴聞事案になる。つまり、九十日以上の停止になる可能性相当強うございます。そうして聴聞事案をやるとしますと、大体十四日くらいの期間を見ておかなければ、聴聞事案が事務手続としてうまく軌道に乗らない。しかもひき逃げであるとか、あるいは身柄を拘束する場合も若干含めまして、大体二十日を見ておけば――番ひどい場合でございますね、たとえばひき逃げをやったとか、酔っぱらって人を殺した、そういうひどい場合でも二十日間くらい見ておけば、本処分である公安委員会による取り消し停止ということが、仮処分から引き続いてそういう措置がとれるのじゃなかろうか。それからこの三号に該当するような場合でも、本処分は有責であれば、大体四十日以上の本処分がございますので、むしろ警察署長に日数の、一種の量刑と申しますか、何日にするという判断を与えないで、形式的に違反があって、それと因果関係があって死亡あるいは負傷事故があった場合には、定型的に二十日間仮停止をするという制度のほうが、法的安定性の面でもいいのじゃなかろうか、そういういろいろ考えました結果、こういう制度をとったのでございます。
  120. 鈴木壽

    鈴木壽君 私が聞いているのは、本停止の場合に期間がどうの、それから二十日が長いの短いの、もっと上げてもいいんじゃないか、そんな意味じゃないですよ。いずれ本停止処分という処分はあるでしょう。しかしその間に、さっきも言ったように、ひいたやつがまた車を動かしているじゃないかというような、いわば批判ですね、これはずいぶんあるわけですよ。今回あなた方がとったのは、やっぱりそういう批判というものに耳を傾けたことが一つあると思うのです。これは無視できません、そういうような感情なり批判というものは。と同時に、そういう人がまた事故を起こされても困るのですね、実は。起こるかもしれないという危険性がある。そういうことの一つの予防措置だと思う。だから、その場合に、いわゆる本停止処分というものが何日になるかわかりませんけれども、その情状によって、及び反省を与えたり、外部のそういう批判にこたえたりするとしても、期間は長短の差があってもいいんじゃないかと思うのです。そういう意味ですよ。二十日が短いとか長いということじゃなくて、一律に二十日にしてしまうということは、私はそういう面からすると、ちょっと考えなければいけないことじゃないだろうか。場合によっては、ここで二十日の仮停止をした、あとで裁判の結果、本処分の場合、いや、これはそれまでに至らなかったというのが出てくるかもしれません。  いままでの例からすると、四十日以下というのがまずないでしょう。考えられることとしては、そういうことは一応あると思う。そういうのがあるんだから、そういうものを一律に一つの制載みたいなやつをここできちっとそろえてしまって、あとで通算すればいいじゃないかというようなことでは、あまり機械的ではないだろうか。それによって食っていかなければならない人もあるのだから、そこは多少差があってもいいんじゃないか。だから、重いものは二十日でけっこう。しかし、十日のものがあってもいいんじゃないか。改俊の情があるとか、外部のそういった批判にこたえるといったようなことがあっても、私はその程度のことならできると思うのです。そういう意味で、なかなかデリケートな、いわゆる挙証の困難なようなものもこの中には当然入っているのだから、そういうものについては二十日のものを十五日でも十日でもというようなことが行なわれてもいいんじゃないだろうか、こう言うのです。
  121. 新井裕

    政府委員(新井裕君) これはこの本文を見ていただきますとわかりますように、二十日を「終期とする」という条文でありまして、そういう十五日もある、十日もあるというようなことは前提として考えておりませんのは、一つは、これをやるのは重いたいへんな重要事故であるからであります。人を死亡させたからといってすぐに自動的にひっかかるというような考え方ではございませんので、いま鈴木委員のあげられましたような事例であるとすれば、むしろ仮停止はしないのだ、普通の処分手続を進めればいいんだという考え方を実はいたしておりまして、そういう意味で、「できる」と書きましたのもその意味でありますし、一号、二号、三号と書き分けましたのも予ての意味でございます。  ですから、この仮停止の処分そのものは、一般的に言って、たいへん慎重にやらなければならないという趣旨にわれわれとしても考えておるわけであります。いま先ほど大橋参考人が西宮の事故の例をあげられたのでありますけれども、あの運転手はこの例には当てはまらないのでありまして、静岡で事故を起こしても人を死傷させておらないようでありますから、そういう意味では入らなくて、一般国民の気持ちからいえばちぐはぐになると、こういうふうに言われるかもしれませんけれども、やはりある程度顕著な事件で、だれが見てもひどいということに限定をしませんと、御指摘にありましたように、運転者にむしろ過酷になり過ぎるという弊害もあるのじゃないかということを考えております。結論として繰り返して申し上げますが、これはたいへん重要な事故だけに限定するという考え方でございますので、御了承願いたいと思うのです。
  122. 鈴木壽

    鈴木壽君 これはひとつ慎重にやはりやっていただかないといけないと思います。この件はその程度にしておきます。  最後に一つだけ、まだあるのですけれども、一つだけで終わります。  実はこの前の法改正で、免許を取る際に精神病者であるかないかの診断書を添えてやらなければならぬということになって、ことしの四月からですか、いよいよ実施されておるわけなんですが、これに対して実は私心配な新聞記事のあるのを見て、一体これはどうしたものかと思っているのです。私はもともとこの法律改正のときにも申し上げたのですが、たてまえとしてはこうせざるを得ないと思っておりましたし、ただ、その場合に、現在のいわゆる精神病者であるかどうかという診断なり判定なりというものは、なかなかこれはたいへんなことだし、専門のお医者さんというものも少ないし、一体実効あるそれとしてはいろいろ問題があるのじゃないかということを当時言っておりますが、その心配したようなことが出ておるわけなんですね。  そこで、実施してから一体どういうふうになっているのか、ひとつお聞きしておきたいと思いますが、日本精神神経学会では、とてもじゃないが、こんなものは簡単にはできないんだということの反対の意向を表明しておられますね。医師会のほうでは、できるだけ協力するようにというふうなことを言っておる。しかし、これは医師会といっても、いわば専門医でない人が大部分ですわね。専門医の人方が、これじゃ、どうもやっていけないんだと、そう簡単に精神病者とか何とかという診察なり判断というものはできるわけがないじゃないかということなんですが、実際この法の施行をやって、やはり診断書を当然添えてくると思いますが、専門医の診断書、こういうものを持ってくる者が多いのか、普通のお医者さんでちょちょっと見てもらって、異常がないんだということで、そういうものを持ってくる人が多いのか、そこら辺どうなっておりますか。
  123. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) 御承知のように、専門医というのは全国で約三千数百名しかおりませんので、この法のたてまえといたしましては、医師であればだれでもいいわけでございますが、実態といたしましては、ほとんど一般医師の診断書でございます。
  124. 鈴木壽

    鈴木壽君 そうしますと、ねらうところの効果というものがあがっていると見ていいんですか、それとも、いや、どうもこれじゃ困るとはいわないだろうけれども、形だけのそういうものになって、実効の点になるとどうもというようなことなんですか、どっちです、正直に言って。
  125. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) われわれはあがっておると見ているのですけれども、精神神経学会の専門家に言わせればあたりまえだ、そんな気違いはたくさんいるわけではないから、おまえのほうで成績いいなんて言ったってあたりまえの話だ、こういう御意見もあるようであります。しかしあの制度がとられたために、自分で遠慮したという事例も若干私どもの耳に聞いておりますが、そういうものは私どもの統計にはわかりませんので載りませんが、一般の医者だから全然不都合だということも必ずしも言えないようであります。家庭医みたいにしょっちゅう見ている人たちは、にそういうことについて自信があるということを申しておられますし、ただ問題は、そういうふだんちっともかかっていないのに、そのときだけ行ってすぐわかるかというと、残念ながらすぐわかるというわけではないようであります。したがいまして、これはこれだけでいいと私ども考えておりませんで、学会と私どものほうで共通の研究会をつくりまして、なるべくことしじゅうに最も実効のある方法を開発しようと、私どもの科警研でもある程度のペーパーテストでも、第一次的にはふるい分けはできるという一種の実験をいたしておりますので、これらの実績とも勘案いたしまして、大体どの程度の確率になれば確実だと言えるか、疑問ではありますけれども、ある程度専門家が見て、一定限度以上の確率があれば、自信のある制度として出してもいいのじゃないかというふうに考えております。
  126. 鈴木壽

    鈴木壽君 さっきも言ったように私の心配しておるようなことが、当時いろいろ心配して質問したりなんかしたようなことが、専門医のほうからはっきり表明されているわけでして、たとえば精神病者、精神薄弱者、てんかん病者またはアルコール、麻薬、大麻、あへん、もしくは覚せい剤の中毒者でないという八項目の診断書が必要だ、これをやるには三週間ぐらいはどうしてもかかるのだ、それを来てすぐ書いてくれと言われても書けるものじゃない、書いた医者だって、これはただ見てすぐわかるものでないのだけれども、まさかわからないとも書けない、異常ないというふうに書くしかないのじゃないかということで書いているだろう。ともかくこういう方法では全く効果がないのだ、むしろ害があるのだというくらいのことを言っておりますね。  繰り返し申し上げますが、私はこういう方法が、診断書を持ってくることがだめだという前提に立っているのではなくて、何かそういうものがなければいけないということを前提にしながら、しかし、具体的に実際の上では、もしこういう問題があるとすれば困った問題だ。こういうことから心配して、いまちょっと聞いているわけなんですがね。かかりつけの医者とか家庭医とかといったって、これはなかなか多くの場合、そういうものがないと見なければいけません、運転者のところには。しかし、そういう場合でも、一般のお医者さんでも、これは歯科医を除くどういう科の専攻の医者でもこれはいいわけですから、そういう人はわれわれしろうとと違って、一応精神病なり、そういうことに対する、神経疾患に対する心得は一応あるでしょうけれども、それにしてもなかなかこれは簡単に区別がついたり、判定がついたり、診察ができたりするものでないということは、これは事実らしいですね。  ですから、せっかくやったものを、さて効果があがらないからやめるというわけにいかぬと思うし、考え方としては、あるいは制度としては、こういうものは私必要だと思うし、正しいと思うのだが、そこで効果をあげる、さっき長官もおっしゃったように、何かそれを考えないといけないのじゃないかと思うのです。中には、事故を起こした者に対して、十分な専門医からの診察を求めてやったらいいじゃないかと、手をつけるならここら辺からだというふうな人もおりますが、どうです、いまの段階ではあれですか、具体的にこうしようというようなところまでまだいっていませんか、どうですか。
  127. 新井裕

    政府委員(新井裕君) 具体的に一つの提案としては、いま鈴木委員の御指摘のように、事故を起こしたというより、事故を多発した、あるいは問題ある事故を起こした者だけに限定して精密検査をしたほうが、むしろ効果があるのじゃないかという意見がございます。ですから、結局私は見通しとしては、そういう事故を起こした、あるいは多発させた者の精密検診というものを行なうか、行なわないか、行なうとすれば、費用は一体だれが負担するのか、その場合に指定医というものが全国にそんなに確保できるのかというような問題が、一つこの問題にはからんでくると思います。それでどうしてもやはり一般的に大量の観察の制度というものはある程度残さざるを得ない、これがいま申しましたようなある程度ペーパーテストでやっても、確率が相当高いということであれば、これにかえたほうがいいのじゃないかというふうに考えますが、さらにお医者さんはむずかしい問題を提起しておりまして、精神病者はわりあいに簡単だけれども、事故を起こすのは精神病質者である、精神病質者というのは診断がつかない、こういうふうに申しておりまして、この問題はたいへんですから、ある程度の事故を起こした、そういう徴表がなければ診断ができないと、こう申します。  それからまたわれわれは、精神病者とばく然と観念しておる者の中にも、運転に適格な者と不適格な者とあるというふうに指摘するお医者さん等もあるのでありまして、ここらの問題になりますと、道交法を含め、あるいは医師法あるいは調理士法のようなところにも、これと同類の規定がありますけれども、これら全部に関連するこういう問題も、精神病のお医者さんでなくても診断書を書いてもいいことになっておりまして、したがいまして、私どもは、比較的知識がないものですから、医師法その他でやっているのと同じだというふうに簡単に考えるけれども、厳密にいえば、同じ精神障害者の中でも適しない者と適する者とある、あるいはてんかんなどは、ある程度医師の管理のもとに置けば、医師の指示どおり薬を飲ませると、運転させてもだいじょうぶだというお医者もいますけれども、この大量交通のときに、そんな手の込んだことができるものかどうか、私ども疑問に思います。  そういう意味でことし一ぱいかかると申し上げたのでありますけれども、最も実効のある方法、これはもうここで何回も議論されまして、精神障害者が事故を起こすことに対して全然手がないというのはおかしいじゃないかということをしばしば御指摘がありまして、われわれもない知恵をしぼってやったわけでございますが、やってみればなかなか問題が多い。もちろん私は、一〇〇%的中しなければやれないというのも一言い過ぎだと思うのですけれども、ある程度の確率があり、それほどお医者さんに手数をかけないというのは、そういうものの前提でございますので、その方向で何とかいい方法を、われわれとお医者さんとが協力してやれば、道が開けるのじゃないかというふうに希望を持っております。
  128. 鈴木壽

    鈴木壽君 医師会や特に精神神経学会の人たち、これに協力――協力といってはことばは悪いのですが、協力するという立場をとっておられるのですか、どうです。
  129. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) これは私が委員になりまして、日本神経学会からも委員数名出まして、私どものほうからも数名出ておりますが、先般第一回の会合を行ないまして、非常に今度の問題に関連して、これを一歩前進せしめるよう、さらによりよい方法を発見していこうじゃないかということで、非常に協力的な態度で、今後お互いに対策を協議していこうということになっております。
  130. 鈴木壽

    鈴木壽君 受検者といいますか、だいぶ行ってすぐ簡単にお医者さん書いてくれるそうですね、五百円も七百円もとられる。しかし、まあ書いてくれたんだからありがたいわけだけれども、一体これがどう役に立つのかということを、そういう人たちが、ここにただ五百円損したんだというようなことも言っているということが伝えられておるのですが、五百円かけても八百円かけても、いずれちゃんとした診断書、ちゃんと診断をもらえるように、これはぜひお医者さんの方々にも協力してもらわなければいけないことだと思いますし、そして、またいま申しましたように、もっと効果のある方法はないのかどうかということについての御検討も早急にやらなければいけないと思うのです。いまさら、せっかくこうやって法を改めて、やめてしまったというわけにいかぬと思うのです。たてまえとしては、私はこういうたてまえでいかなくちゃならぬと思いますし、そのつもりで法の改正までやったのですから、そういうことを、実効のあがるやり方というものについて、十分御検討いただきたいこと、こういうふうに思うわけなんであります。  何かいま長官からお話がありましたが、精神病質者ですか、これは診断もなかなか簡単にはつかないというあれであるし、てんかんなんか、てんかんの発作が起こった、それならともかく、ふだんはなかなかわからぬものだそうです。専門の方だってすぐ会って、これがてんかんとか、てんかんでないとかいうことはわからぬものだそうですね。しかし、そういうことに対して、てんかんでないとか、あるとかいって診断書を書かなければいけないというのですから、これもお医者の方々が困ることは十分わかるので、ですから診断書の、いわゆる診断の項目なんかについても、これも必要だこれも必要だといって、ただ並べて、でたらめな診断書を書いてもらうよりも、もっと必要な、しかも何とかの判別ができるようなものというような点から、項目の検討なんかも必要じゃないだろうかと、こういうふうに思うのですが、そういうものを含めてひとつ御見解を承って、あと私終わりにしたいと思いますが。
  131. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) 先ほど来長官からも御説明がありましたように、この問題につきましては、いろいろ御批判がある点があるわけでございまして、神経学会とも打ち合わせをして、さらにさらによいものにしていくということで、現在対策を協議中で、先ほど申し上げたとおりでございます。  そこで、県によりましては、専門医師が医師会のメンバーを交代で集めまして、専門というか、精神病を発見するための問診という方法があるわけです。ごく簡単に専門的に発見するには――いろいろ器械を使ったりして一週間もかかるかと思いますけれども、問診という方法で、きわめて広く浅く網にかけるという意味の程度のことを実は期待しておるわけでございまして、その問診の方法というものを、専門医が一般の医師に講習をして、激次前進した措置を講じておる県も出てきております。そういったことも、現在の方法をさらによりよいものにしていくという一つの方法だと思います。  そういったこともあわせて、日本神経学会との懇談会の席上でいろいろ協議を遂げまして、さらに御指摘のようにいろいろ欠陥を是正していくような方向に進めたいと思います。
  132. 鈴木壽

    鈴木壽君 いまの鈴木さんの問診法ですか、同じようなことだろうと思いますが、専門医のほうで簡単なことでフィルター方式とか何とかいって、一応ふるいにかける方式があるんだそうですが、そのふるいにかけて通った者はいいでしょうが、残ったものはあらためて調べていく、こういう方法をとれば、もっと効果があがるんじゃないかというようなことを言っておる人もいるようですが、あなたのおっしゃる問診法というのは、ある意味じゃそういうことじゃないだろうかと思うんですが、いずれにしても、ただ、わけのわからないなしとか、異常なしとか、診断をちょっと二十分か三十分、何だかんだやって書いてよこしても、これは意味がないんですから、ひとつ繰り返して申し上げるようでございますけれども効果のあがるような方法というものをみんなでやはり編み出さなければいけないと思いますから、そういうことでひとつ効果のあがるものを私ども検討されることを期待したい次第であります。  以上終わります。
  133. 原田立

    ○原田立君 午前中も植松参考人意見の中に警察官の職権乱用の心配性が非常にある、こういう点を指摘しておりました。それに対して若い警察官行き過ぎがないとはいえない、若い警官の教養をつけなければいけない、こういうようなことも指摘しておりました。どういうふうになさるのですか。
  134. 新井裕

    政府委員(新井裕君) 私は必ずしも若い警察官だけでなくて、第一線に立つ警察官全部を対象にしなければいけないと思っておりますが、一つは、まず最も相手方と接するところの言動についての教養でございまして、これはもう各県とも教養資料を出し、あるいは座談会を催し、反復教養を施しております。今後もそういうものをできるだけわれわれのほうも集大成をいたしまして、共通する部分については一つの教科書のようなものを編んで第一線に出したい。  それからもう一つは、執行の方法というものに対して、ある程度はっきりしたルールを打ち立ててやって、できるだけ判断の幅を狭くするということが必要であると思います。忙しい街頭に立っておって、交通をある程度遮断をしなければ取り締まりもできませんので、その辺の処理のしかたというものはたいへん手ぎわよくやらなければなりませんので、できるだけある程度の定型化した手続というものを示して、そういうものによっておれば、間違いなく処理ができる方法を、われわれの知恵を集めて考えて、第一線に教えてやるということがひとつ必要なことだと思います。  それからもう一つ、最後は、先ほどちょっと参考人意見の中にありましたけれども、成績主義というものとの関連でございまして、警察官の個個の働きというものを勤務評定するということは必要なことでございまして、どこの職場でも勤務評定をしておるわけでございますが、ただ警察官のように分散配置しておりますものの勤務評定というものは、集団で勤務している場所におる場合とは違いますので、そこいらについてのはっきりしたルールを立ててやりませんと、外部から見ていると、成績をあげるためだけに取り締まりをしているというふうに見られがちでございます。私は大体この三本立てて教養を実施してまいりたいど思っております。
  135. 原田立

    ○原田立君 布井参考人ですか、その御意見の中に、ヨーロッパの学者は、厳罰主義よりか、検挙が正確であれば違反は少なくなる、予防はできるというような意見がありました。今度きめられた反則金最高額は一万五千円、やはりちょっとあの表をながめてみると非常に高いような感じがする、そういうところでこういうような布井参考人意見が出てきたのだろうと思うのですが、むしろ今回の法改正も、違反を少なくし、予防する、そういうところに趣旨があるのだろうと思うのです。  ただいま巷間伝えられているように百四十億金があがる、交通安全施設ができる、まさかそっちのほうにばかり主眼があるわけじゃないと思う。それで違反を少なくするという、予防するという、そういうものですね。どれだけ自信を持っておやりになるのですか。
  136. 新井裕

    政府委員(新井裕君) 先ほどの参考人の御意見の、厳罰より必罰というのは、学者の御意見の中には、ずいぶん私ども聞かされるのでございますけれども、これはあまり率直に翻訳いたしますと、非常に誤解を生じやすいことでありまして、そうではなくて、ほんとうに交通の円滑を乱すとか、あるいは事故に導くという違反は、確実に捕えるというふうに理解すべきだと思います。したがってその反面においては、あまり注意すれば足りるような事件を、いままででも注意、訓戒処分で済ましておりましたが、そういうことにすべきものは、勇敢にそういうふうに指導をするということが必要ではないかと思います。収入が必要だから件数をあげるのだなどというようなことは、毛頭私ども考えておりません。  むしろ私ども、いま五百万件の違反をやっておりますけれども、それより少ない数の違反の摘発で済むように、むしろ指導をいままでよりも幅を広くやりたいというふうに考えております。
  137. 原田立

    ○原田立君 それがちゃんとできれば、この法律はまさによかったということになるのですが、先ほど山内参考人は、この制度は本質から言って冒険だと思っているという意見の開陳がありました。そのほかの参考人の人たちも、非常に危険であるとか、内容が問題であるとかいう、五人の参考人全部そう言っているのです。やはり学者意見というものも十分参考にすべきじゃないかと思うのです。山内参考人が言うように冒険だと言われるような点ですね。はっきりと是正していかなければいけないと思うのです。その点はどうお考えですか。
  138. 新井裕

    政府委員(新井裕君) 私は、山内教授が冒険だというふうに言ったようには聞いておりませんが、ともかく、全く新らしい制度でございますので、これを実行する場合には慎重の上にも慎重にやらなければいけません。もし幸いにしてこの法案お認め願いまして、成立いたしましても、反則金の部分は来年の七月から適用するという方針でございます。約一年足らずでありますが、その間にいろいろな準備を整えて、それから国民一般にもその趣旨を徹底させるということが必要であろうと思います。いずれにしても、そう簡単に右から左へというふうにはできない。上ほど周到なる準備を必要とするとわれわれは理解しております。
  139. 原田立

    ○原田立君 参考人意見が午前中ございましたので、それに関連してお聞きしたいわけですが、先ほどの参考人意見にもあったのですけれども、今回の反則金制度は、憲法違反だというような――今井参考人ですか、そういう話もありました。そこで中身の面でずっとお聞きしたいと思うのですが、通告処分を受けた者がそれを拒否する場合には、反則金の額が道交法の定める罰金または科料の最高額よりも低く定められることになっているから、反則金よりも多い罰金または科料を科せられるおそれがあること。あるいは刑事事件は落着に至るまで相当の時間がかかり、その間に検察機関、さらには裁判所の呼び出しを受けて、仕事に当たる時間がなくなること。有罪の判決を受けることによって前科の履歴を持つことなどの不利益を考えると、通告処分を受けた者は、事実上不本意ながらそれに従うことになる可能性がある。その意味において、反則金通告処分が、事実上人権を不当に侵害する危険性があることは否定できない。ゆえに違憲の疑いあり、こういうような意見です。  先ほど鈴木委員も何度もこの点に触れたように思いますけれども、実際問題、庶民の声として、反則金は納得がいかないのだ、納得がいかなければ裁判をやりなさい、裁判をやれば、そっちのほうはたとえば同じ結果が出たとしても、前科になる、反則金のほうは前科にならない、アンバランスがありますね。そういう面において人権の侵害だというようなそういう議論があるし、私、その点どうも先ほどからの御説明でも納得がいかない点なんです。どういうふうにお考えですか。
  140. 新井裕

    政府委員(新井裕君) 人権を侵害するという表現がいいのかどうか知りませんが、国民裁判を受ける権利なり、平等の取り扱いを受ける権利というものが侵害されるというような趣旨に聞いておりましたが、私は今度の制度が、そういう山内教授も言うように、事実上裁判を受けるのがめんどうだから、少しくらい不満があっても服するという意味の強制力があるというふうに表現しておったように思います。したがいまして、反則金制度が全然自由だ、任意と申しましても、全くの任意でないことももっともでありますが、私は、とらえられた反則行為そのものが定型的であって、明白で、しかも現認されたものであるということにおいて、とらえ方が比較的簡単であり、したがって間違いが少ないというところに、私は反則金制度の救いがある。これに対して争うということである以上は、どうしても時間とひまをかけなければ、これは争うことは、裁判であろうが、そのほかの方法であろうが、私はできない。その限りにおきましては、どうしても手間ひまの問題はやむを得ない。争う以上はそれは当然だと思います。  問題は、ただ反則金がいやだというと罰金なり前科がついてしまう、こういうことでありますが、いまは前科という考え方というものが戦前と違っておりまして、罰金はもう全然記録をしておらない、役場で記録をしておらないようであります。したがいまして、その限りにおいては戦前ほど不利をこうむるということはあまりないと思います。それから刑の消滅という新しい条項も、刑法に戦後加えられておりまして、自動的にそういうものは救われていくシステムになっておりますので、そういう点のバランスというものは、ある程度くずれておるとはいえるかもしれませんけれども、たいへんな苦痛なり不利を与えておるというふうには私ども考えられない。そしてまた、裁判に訴えれば、うまくいけば無罪になるということも十分あり得ることでありますから、そういうことを山内教授は、きょうはあまりそういうことをはっきり言われなかったようでありますけれども、争う以上は、やはり権利意識というものを大いに発揮してやったらいいでしょうということであって、それがたいへんなアンバランスの結果であるというようなことは言い過ぎじゃないかという意味意見を、衆議院で申しておられましたけれども、そういう彼此勘案して、たいへんな不利、またスタートそのものがたいへんな無理であるということは、私はないように考えております。
  141. 原田立

    ○原田立君 それは何回も何回も事故を起こしたような人ならば、そういうことになるだろうと思いますが、それは長官の言うことは私は納得がいかぬと思う。非常にまじめな人という人は、私が先ほど言ったような感情にとらわれるのは、これは事実だと思うのです。また、そのくらい法律をしっかり、交通違反しないようにしていこうという人間が多くなくてはまた困る話だ。長官の言われるように、必ずしもアンバランスじゃない、そのくらいは適当だというのは、ちょっと過酷に過ぎるのじゃないか、私はそう思うのです。  それからやはりもう一つの問題点は、反則金を払ったほうは、一応それで帳消しになる、裁判のほうを争ったら期間が長くかかる、当然これはもう、もし有罪になった場合、同じような問題でありながら、ほんとうの前科となる、非常な精神的な負担ですよ。そこら辺が法の平等という面で一つものにならないものかどうか、その点の見解はいかがですか。
  142. 新井裕

    政府委員(新井裕君) 先ほどの参考人の中でもそういうことの御意見を述べられた方がございますし、できればそういうふうに処分を争うということによって、必然的にそういう手間ひまはしかたがないとして、結果としてそういうことのないようにということでございまして、これは別な場所で法務大臣も答えておられましたけれども罰金を受けても、そういうような不利を来たさないようなことを考えてくれという御注意に対しまして、私どもの直接関与するところではございませんけれども、政府として十分に意のあるところを伝えて、将来研究をしてまいりたいと思います。
  143. 原田立

    ○原田立君 何度も何度も言明しておられるから、まさか、いまこれから申し上げるようなことはないと思いますが、反則金の収入をあげるための一斉交通取り締まりが、車が多くなってきておるのだし、違反件数が多くなってきているでしょうから、いままでのような全国一斉取り締まりや公開一斉取り締まり等をやれば、どんどんあがってくると思うのです。したがって、そこで点数かせぎや収入増加のための一斉取り締まりを行なうおそれがありはしないか。これもしばしば新聞等にもいろいろな意見等の発表の中に出ております。まさかこんなことはないだろうと思いますけれども、その点はいかがですか。
  144. 新井裕

    政府委員(新井裕君) 結論を申しますと、そういうことはさせないつもりでやりますし、私自身も、もちろんそういうつもりはもうとうございません。ただ、そういうふうに言明したところで保証がないじゃないかという御意見かもしれませんけれども、私どもとしては、今度の法律がもし通った場合には、いままでの一斉取り締まりのやり方なり、あるいは個々の取り締まりのやり方なりについても、相当根本的に検討を加えて、運転者あるいは歩行者、あるいは市民一般国民一般がある程度納得できるような線というものを何とか探り出して、この線で法律の執行をやっていきたいというふうに考えております。
  145. 原田立

    ○原田立君 今度の反則金制度に未成年者を除くことですね、いろいろ理由はおありでありましょうけれども、その点はいかがですか。
  146. 新井裕

    政府委員(新井裕君) 先ほど植松参考人も答えておいででしたが、一番直接的な理由は、いま少年法改正が法務省と裁判所といろいろ論争をしておりまして、落着をしておりませんので、その行き先を見定めないで、少年の問題をここで解決するというのは行き過ぎであると申しますか、時期尚早であるというふうに判断をいたしまして、少年の適用の問題は将来の検討に譲った次第でございます。
  147. 原田立

    ○原田立君 実際に事故を起こしている人たちはやはり二十歳前後、あるいはその前のハイティーン連中が非常に多い。それだから私は入れたほうがいいんじゃないかと、こういうように個人的には思うのですけれども、長官として、いまの段階でそういうことが発言できるかできないか、よくわかりませんけれども、お考えはいかがですか。
  148. 新井裕

    政府委員(新井裕君) いまの少年法のたてまえで申しますと、先ほど植松参考人が例をあげられましたように、少年反則金をかりに通告されて納めた者は、そのまま損しちゃう。これを正式裁判に持っていきますと、いままでの実績から言うと、大部分は不開始、不処分ということになる。また、罰金はほとんど科せられないというような実績でございますので、たいへんな不合理ができるわけであります。これがまあ植松教授も言っておられますように、たとえば少年というものを十八歳に下げる、年齢を。ということになりますと、そう不均衡は、十六歳から十八歳の少年がわずか残りますが、十八歳以上についてはもうそういうような不均衡がなくなりますので、そこまで見定めないと、いまこれを実行するということは、非常に少年の扱いに甲乙がつき過ぎるというふうに考えております。  したがいまして、もう少し少年法の行き先を見定めて、これは法務省もたいへん熱心に研究しておられますので、そう遠くない将来に結末がつくと思いますので、それと平仄を合わせて適用について考えてまいりたいと思っております。
  149. 原田立

    ○原田立君 本来、司法部門で行なう仕事を警察で行なうということになるのですが、権力強化というような面よりも、仕事の量が増加して、現体制でできるのかどうか。現在でも伝え聞くところによれば、人員の不足とか何の不足とか言って、成果もあまりよくあがっていない。それでいて、また今度この仕事がふえた場合、現体制ではたしてできるのかどうか、その点はいかがですか。
  150. 新井裕

    政府委員(新井裕君) 御指摘のように、いままでやっておった仕事よりも、告知はいま切符制度を実行しておるので変わりかございませんけれども通告手続は完全にふえます。それからまた徴収の照合、徴収は直接やりませんけれども、照合の問題もございまして、その部分については仕事がふえるわけでありますが、しかし、一方、考えてみますと、いままで第一線で取り締まりをして、落着を見るまでたいへん長い期間かかって、その間もちろん相手方の人たちも不安定でありますけれども、それに携わった警察官も、裁判になれば呼び出されて証言もしなければなりませんし、また、そのほかの事務もいままでは相当の事務があったわけであります。そういうものがなくなるという点については、若干の負担が減ると、差し引きしますと、若干は警察官でなくても一般職員の増加が必要になるかもしれませんけれども、街頭に立つ警察官を確保するという点については、希望が持てるのではないかというふうに考えております。
  151. 原田立

    ○原田立君 この二十五キロ以下のスピード違反あるいは追い越し、二十五キロ以下のスピード違反ですか、それはこの今回の反則金方法で行なうということですが、先ほども鈴木委員のほうからやはりあったと思いますが、二十五キロオーバ一というのも非常に多いのじゃないか、そんなふうに思うのですけれども、それだけいまの、前の質問と関連してちょっとお聞きしたいと思うのですが、事務処理がいまたいへんだというようなお話が長官からありましたが、事務処理をスピードアップして行なうのが、交通事故の違反を少なくするために一体どれだけの効果があるのだろうか。何か直接結びつかないような感じがするのですよ。
  152. 新井裕

    政府委員(新井裕君) 事務処理というのは、たくさんございますけれども、いま第一線の実情と申しますのは、事故の実況検分、それに伴う書類の作成等に追われまして、街頭に立つ巡査がどうしても少なくなりがちである。この点につきましては、事故の発生がありましても、これは反則金制度にのりませんので、この部分は変わらないわけでございますけれども、事故に至らない違反につきましては、ある程度迅速に処理されるということがただ一つプラスになる。それからまた、これに関連いたしまして、いままでやっておりました事故処理につきましても、実はこれと並行してもう少し迅速に処理する方法というものをみんなでいま研究したいと思っております。  たとえば皆さんごらんになりますように、事故になりますと、街頭にたくさんの警察官が出まして、一方において交通をとめ、それから巻き尺を持ち出して調べておりますけれども、ああいうやり方というものは、ものによっては必要なんですけれども、全部が全部必要かどうか、非常に疑問に思います。ヨーロッパなりアメリカの実情を聞いてみますと、物損事故というものはほとんど保険会社がやって、警察官が関与するのは非常に少ないということでありますが、できるだけそういうふうな方向にわれわれとしても持っていかないと、いかに多くの警察官を動員しても、事務処理だけに追われてしまうということになりかねません。この制度だけでなくて、そういう並行的な処理を通じまして、デスクワークというものを減らしてまいりたいというふうに考えております。
  153. 原田立

    ○原田立君 今度の法律で非常に私自身いろいろとジレンマにおちいる場合があるのです。交通安全対策という面からいけば、もっと厳罰主義を強化してやっていけばいいじゃないかと、こういうような考え方もある。だけれども、非常に車が増加していって、昔、車が貴重品扱いだったのが、いまは自転車並みになっている、こんなような時代になって、あまりこやかましい法律をつくったのでは、かえってまた法無視の結果があらわれてくるのじゃないか、そんなようなことも思うのです。現実にいわゆる不心得者がお金をしっかりポケットに入れて置いて、しまった、違反した、払えばいいというようなことで、いわゆる法べつ視の精神というようなことが蔓延するのじゃないかというように、非常にそういう点をおそれるわけであります。規則不在の人間を生み出すおそれはないだろうかという感じがするのですが、その点はどうですか。
  154. 新井裕

    政府委員(新井裕君) これは先ほど参考人のどなたかからも御発言があったようにも思いますけれども、累犯者というものを反則処分からはずしまして、通常の刑事手続にのせて、そうして十分に犯状その他を調べまして、処断をしてもらうということにいたしておりますので、金さえあればというのがそう再三きくわけではない、こういう意味においては御心配の点はないと思いますけれども、いまよりは金で済むならということで、若干心配があるというふうに指摘する方もございますけれども、いまでもそれは同じだというような衆議院のときの参考人の御意見もございました。私はこの程度の制度であれば、それほど心配する弊害はまあないんじゃないかというふうに考えております。
  155. 原田立

    ○原田立君 道交法の精神は、故意犯のみを処罰すると思われますが、これら軽微な形式違反、たとえば駐車違反免許携帯について、故意過失かの認定は非常に微妙な問題であろうと思うのです。現場警察官の判断にそれはまかされているわけですが、道交法第百二十条第二項の趣旨から処罰するためには、故意を立証する必要がある、それが確認した、あるいは立証上問題ないもののみを反則行為として処理するというが、はたして右に指摘した種類の違反事実の判断を正しく現場警察官が判断できるかどうか、この点はいかがですか。
  156. 綾田文義

    説明員(綾田文義君) この制度の対象となります反則行為は、第百二十五条第一項にございますように、「罰にあたる行為」でございまして、まさに現在やっております、すなわち犯罪として処罰される行為でありまして、故意の場合もありますし、過失の場合もあるわけでございます。で、過失の場合は、御承知のように道交法では非常に危険な行為あるいは標式が伴うような違反、あるいはそういう過失が常時あるような違反、それらについては過失犯を罰する処罰規定がついております。そういう現行の故意犯あるいは過失犯の規定のもとに、すでに交通切符制によりましてここ数年間警察官は仕事をやってきてまいっておりますので、この制度を実施いたしましても、従来と同じでございまして、そうその点は私は問題は起こらないんじゃないかというふうに考えております。
  157. 原田立

    ○原田立君 先ほど来何度も問題にしている問題ですが、反則金の納付については違反者の任意であるとして、この点が本制度の特色とも言えますが、任意性については非常に重要な問題があると、こう考えるわけです。通告処分に応じて任意に反則金を納入した者は前科とならないが、違反事実を争いたい者は、公訴が提起され、罰金を科せられることによって前科を負う、また資格制限を受けるおそれも生じる。ただ、公訴をされるかどうか、罰金を科せられるかどうかは、検察庁の事実調べと起訴の必要性に対する判断によるのですが、交通事件に対する略式手続が存続する限り、前科を負う可能性は大であろうと思います。しかも資格制限は免許の取り消しや停止のおそれが常につきまとっております。刑罰を科せられ、不利益を受けるおそれがあるのに、不服を申し立てて、みすみす災難を招く者はあるまい。やむを得ず反則金を納付した者は裁判を受ける権利を受ける権利を妨げられることにはならないであろうか。先ほどもちょっとお話がありましたけれども相当そこのところが込み合うところですが。
  158. 綾田文義

    説明員(綾田文義君) この点は先ほども長官から御説明ありましたが、この制度考え方は、先ほどありましたように、単に行政罰一本にすればすっきりするわけでございますが、反則を存置しながら、しかもその前段階の行政段階において処理をしようという制度でありまして、そもそも違反をした者は、本来、当然刑罰にいくという制度のたてまえでございます。ただ任意に金を納めた者は裁判にいかないようにしようということで、金を払わなければ裁判にいくと、払えば終わるという、これはやや理屈めいてきますが、そもそも違反をすれば本来刑罰にいくのであって、何ら不利益でない。ただ、それではたいへんなので、そのいずれかの段階で、任意に納めた者は裁判にかけないという制度でございます。御承知のように、諸外国におきましても、通常の裁判手続によらないで、いわゆるチケット制を実施するということは、一定の金額であると、それから一定の金額をしかも相手が同意して払えば裁判にかけないというところがこのチケット制の要点でございます。  それから先ほど先生おっしゃいました裁判にかけられて、資格制限の問題でございますけれど、これは現在の実定法上ではほとんど直接の資格制限の規定はございません。特に運転免許行政処分については、これは全然関係はございません。
  159. 原田立

    ○原田立君 警察官の判断の適、不適を裁判所に審査せしめる方法が、通告手続内で設けられるべきであると、こう思いますが、いかがですか。
  160. 綾田文義

    説明員(綾田文義君) 先ほども申し上げましたように、私どもは、これは行政上の制裁でありまして、行政の分野において、行政の作用として行なう、したがって行政の責任において行なうということでございます。そういう意味におきまして、これはまあ非常に理屈めきますが、その行政の作用の中に、事前に司法権の審査を入れるということはどうかというまず根本問題があると思うのでありますが、御承知のようにこの制度ではそういう点につきましていろいろ配慮をしてございます。たとえば百二十六条の第二項で、まず切符を出すときには、いろいろこの制度の説明をして、あなたはいやならばこの金を払わなくてもいいという説明をよくしてそれを渡します。それからさらに百二十六条の第一項で、一応出頭をしてもらう、これは任意でございますが、したがって、その中には当然弁明の機会あるいは不服のある者は出頭してきて本部長にいろいろ自分の意見を言う、十分警察におきましても事情を聴取して行なう。それからさらに、一番問題の、これは金額は定額でありまして、まさに量刑の余地はなく、その点では全然裁量の余地はないわけであります。さらにややこまかくなりますが、反則金の種別というものをきめまして、とにかく種別によって、結局違反をしたかせぬかという問題だけについて争うという余地を残してあるわけでございます。そういう点で、私どもは任意性も確保されておりますし、あまりそれほど大きな問題はないというふうに考えております。
  161. 占部秀男

    ○占部秀男君 ちょっと関連。いまの行政罰なんで、その司法の分野とは別の形の姿をとりたい、こういうお話だったのですがね。行政罰――この道交法だけでなくて、一般的に行政罰の問題も、これは行政不服審査法ですか、そういうような形があり、それがだめなときにはこれは訴訟ができると、これが一つの何というか、日本法律のたてまえになっておるわけですね。だからそういうような意味で、この問題もそういうふうな取り扱いを明確にする必要があるのじゃないかと思うのですがね。そういう点、原田さんの言われていることにも関連するのじゃないかと思いますが、いかがですか。
  162. 綾田文義

    説明員(綾田文義君) その点はこの通告の、おっしゃる点はそのとおりでございますが、通告の結局行政処分、いわゆる不服審査法の、あるいは行政事件訴訟法の対象になる処分性があるかないかという問題でございますが、それは通告した場合に、いやならほうっておけばいいということで、そして刑事裁判にいくわけでございますから、いやならほうっておけばいいということで、処分性はないということでございます。したがいまして、いやならという際に、やはりこの通告の公正ということが一番大事でございまして、通告がでたらめでは、違反者はいやならば、ということはしょっちゅう起こるわけでございます。それでこの通告の公正につきましては、先ほど来説明がありましたように、いろいろ公正が期されるように、対象違反を現認、明白、定型なものとし、あるいは定額制をとるというような公正を担保できるようないろいろな措置をこの制度では十分に講じてありますから、その点は問題は起こらない、そういうふうに思います。
  163. 占部秀男

    ○占部秀男君 いまのお話で、ほうっておけばいいのだ、だからという、これは一つの筋だと思うのですが、しかし、私は非常に不親切な筋じゃないかと思うのです。もっとやはり一つの、私しろうとだからわかりませんが、法体系的にどうも、行政罰でもあるのだから、いやなら拒否すればいいのだからというだけでは、これは事実問題として拒否しませんわね、率直に言って。わずかばかりの時間をかけて云々ということは、なかなか私はしないと思うのです。やはり行政不服審査なら審査の一つのコースを法的に開いておいてやる。これがやはり何というか、親切なあり方ではないかと思うのですが、これは水かけ論になりますから、御答弁は要りません。またぼくの質問のときにやりますから……。
  164. 原田立

    ○原田立君 通告を、いまの話の中ですけれども通告の中に、通告処分自体の効力を争い、納付した反則金の返還を求める手続通告制度内に織り込むべきであると思いますが、どうですか。
  165. 綾田文義

    説明員(綾田文義君) その点につきましては、これは一般行政上の例によりまして、十分権利が行使できますので、特別にこの制度の中だけに設ける必要はないというふうに考えております。この点につきましても、先ほどの不服審査、それからただいまの返還請求につきましては、特に昨年の暮れ以来、最高裁判所のほうからも御意見がありましたので、法務省、それから法制局とも慎重にいろいろ、審議をしました結果、やはりそこまで規定をする必要はないというような結論に達した次第でございます。
  166. 原田立

    ○原田立君 先ほど長官、裁判やったのと反則金を納めたのと、結果は違うわけですよね。先ほどの長官のお話では、前科になったというのが簡単にすっと消えてしまうから、あんまり神経使う必要はないじゃないか、こういうお話でしたけれども、どうもそれがひっかかるのですよ。これはそういう前科者にならないものかどうか。ならない者となる者、この間の矛盾、不均衡は当然立法技術上の是正が必要だと、こう思うのですけれども、どうでしょう。
  167. 新井裕

    政府委員(新井裕君) 先ほど御説明いたしましたように、実際現在あります法律上の罰金を受けて不利をこうむるという者はほとんどございません。道交法のたてまえから言ってもございませんし、ほかの法律でもございません。したがいまして、前科というのは、言ってみれば戦前からの考え方が残っているような形でありまして、実際は大きな不利というものは実定法上ないということが実は考慮に入れた理由でございます。  先ほど申しましたように、その問題そのものは、私のほうの問題よりも法務省の問題でございます。刑法に言う刑の消滅という以外に何らかの措置がとれないかというような意味で、さっきどなたか参考人の中にもございましたけれども、これは法務省等にもよく伝えて、処置ができるものかどうか、研究をいたしたいと思っております。
  168. 原田立

    ○原田立君 いままでの実際状態であるならば一億前科者だ、一億総前科者であるというようなことで、そんなことでは仕事もたいへんだし、そんなことがあってはならないので、今度は反則金制度をつくったわけでしょう。だから裁判をやるというのは従来の方法ですね。新しい方法で簡便になったというのですが、同じようなことをやっていて、従来のは前科にいく。またそれを是正するというのが今度の法的根拠じゃないですか。だから前科だなんというものはないのだというのは、ちょっとどういうことなんですか、よくわかりませんけれどもね、長官。
  169. 新井裕

    政府委員(新井裕君) 一億総前科論というのは一つの俗論で、一億が全部前科になるということは、実際あり得ないわけであります。私どもの発想のもとも、そういうことにそう大きな重点を置かなかったつもりでございまして、もちろんそれが全然目標の中になかったとは申しませんけれども、それで具体的に申しますと、法務大臣に恩赦をこの際やるつもりがあるかというような御質問もほかの委員会でございましたけれども、私はそういう意味ではあまりそこにウエートを置くと、この制度そのもののねらいというものが若干はずれるのじゃないかという感じを前々からいたしておりました。  いま申しましたように、確かに原田委員の御指摘のように、同じ行為で、争えば罰金になって、争わなければ反則金になるというのは不公平だというふうに申されましたが、前から何回もほかの委員会の席でもお尋ねがございました。先ほど申し上げましたように、手間ひまがよけいかかるということは、争う以上これはやむを得ない。問題は、ただその結果だけの問題でございますが、結果につきましても、そういうことで現実的に不利をこうむるということがありませんので、その程度は受認していただくほかはない。  これを根本的にやり直すというのは、先ほどから御意見のありましたように、刑罰といいますか、罰金でなくて、行政的な処罰そのものに罰則を変えたらどうかという御提案に通ずるものであります。これは先ほどから何回も申し上げますように、累犯につきましては依然として罰則を適用せざるを得ない。そこで、そういう問題も含めまして、将来として、たしかに研究課題ではあると思うのでありますけれども、いまの段階ではこれでやむを得ないのじゃないか。これでたいへんよろしい、これでいいのだというところまで言うのは、それはもう言い過ぎでございますけれども、やむを得ないのじゃないかというふうに考えます。
  170. 原田立

    ○原田立君 反則金にかかわる収入額、四十二年度推定百四十億というようなことですが、都道府県及び市町村に交通事故の発生件数、人口集中度等を考慮して交付されることになっておりますが、具体的な交付基準、方法、それはどういうふうにお考えですか。
  171. 細郷道一

    政府委員細郷道一君) 収入になりましたものを国の予算に見積もりまして、見積もりましたものを、交通事故件数あるいは人口の集中度といったような客観的な基準を政令で定めまして、その政令で定められました基準によって都道府県及び市町村に配分交付をいたしたいと、かように考えております。  交付の基準につきましては、法律には交通事故発生件数並びに人口集中度、その他政令で定めるものと、こういうふうに書かれておりますので、いずれ政令で定めなければならないわけでございますが、私ども考えておりますことは、各県ごとに現実に収入になった反則金収入額と、そういったようなことでなく、いま申し上げましたような客観的な基準を政令で定めることによってそれぞれ交付をするようにいたしたいと、かように考えております。
  172. 原田立

    ○原田立君 事故の発生件数や人口集中度を考慮して行なわれるというのは、これはわかっているんですよ。ただし、あとの分が政令でまかせられると、こうなっていますので、その政令の段階になるとわからなくなっちゃうから、それでお聞きしているんですよ。言える段階ですか。それとも言えないんだったらしようがないけれども
  173. 細郷道一

    政府委員細郷道一君) 一応は、事故の発生件数、人口の集中度合いというのを基本的に考えております。そのほか、なおいい知恵があれば、政令で定めるまでに政府部内でよく相談をしたいと思っておりますが、い、ずれにいたしましても、私どものねらいといたしておりますことは、各府県、市町村を通じて客観的に使えるような基準をさがしたいと、こういう意味でございます。
  174. 原田立

    ○原田立君 奨励はしないでしょうね。
  175. 細郷道一

    政府委員細郷道一君) 奨励と申しますのは、収入を上げるように奨励……。その点が先ほど来お話が出ておるようなことでございますが、それとは全く切り離されておりまして、国に入ってまいりましたものを、そういう意味もあって、実績――要するに収入実績などは問題にせず、客観点な基準をさがしたいと、こういう意味でございます。
  176. 原田立

    ○原田立君 反則金のことに関しては大体以上にして、横断歩行者の保護等の技術的な問題のほうをちょっとお伺いしたいと思うんですが、交通整備の行なわれていない横断歩道の車両の通行方法でありますが、横断歩道の手前三十メートル以内は追い越し禁止場所となっておりますが、三十メートル手前にはその標識が明示されているのか、あるいはまた、この先横断歩道あり等の標示がつくられるのか、あるいは、運転者の目測や感じで三十メートルを判断するのか、そこら辺のところがちょっとよくわからないんですが、実際には指導なさるのに、あるいは設備なさるのに、どういうふうなお考えですか。
  177. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) 横断歩道自体の標識は全部つけてございますが、三十メートルの追い越し禁止につきましては、東京都内でお見受けになりますように、黄色い線で引いてございまして、あれを漸次全国に広げてまいりたいということで、できるだけ今回の改正を機会にそういう標示をドライバーに見やすくしたいということで考えております。
  178. 原田立

    ○原田立君 そうすると、あの黄色い線は横断歩道の三十メートル手前から引かれていると、引かれるんだと、こういうことですか。
  179. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) さようでございます。
  180. 原田立

    ○原田立君 そうすると、そのものだけで、別に新たな標識を明示するとかということはなさらないわけですね。
  181. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) 追い越し禁止の黄色い線は、同時に予告標示という両方の作用をかねましてああいう措置を講じておるわけでございまして、今後、漸次、あらゆる横断歩道にはああいう形態のものでやってまいりたいというふうに考えております。
  182. 原田立

    ○原田立君 今度は車を運転する者のほうの側で一応いろいろ考えるわけですけれども、いまお聞きしているのは、具体的な問題になるとどういうことになるのですか。ちょっとこれは愚問かと思いますけれども、横断歩道の直前で、しかも、歩行者もなくて、故障のために停止している車両があると、当然、常識上三十メートル以内であってものけていってもいいんじゃないか、こう思うんですがね。実際問題どうなりますか。
  183. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) 今度新たにこの規定を設けましたのは、横断歩道の直前で停止している車の陰に隠れて歩行者が見えないということがありまして、そのために事故が起こるというケースが非常に多うございましたので、横断歩道の直前でとまっている車があった場合には、一時停止して、歩行者の有無を確認するという意味で一時停止しなさいということになっておるのでございまして、したがいまして、かりに横断歩道の直前で故障している場合でも、やはりとまることを期待しております。
  184. 原田立

    ○原田立君 そうなると、そこいら辺が、たとえば後続車がずっと続いているような場合ですね、たいへん混乱するんじゃないですか、交通関係で。
  185. 片岡誠

    説明員(片岡誠君) 故障車の場合は、私そうケースが多いとも思いませんし、いま局長が申しましたように、故障車でありましても、やはり横断歩道を歩行者が渡っているかどうか、故障車の陰になって、ちょうど死角になりましてわからない。危険性においては全く同じではないだろうか。したがいまして、故障車であろうと、横断歩道の手前に車がとまっておった場合には、とりあえず一時とまって、歩行者が横断しているかどうかを確認していくというやり方が合理性があるんではなかろうか。先生おっしゃいましたように、故障車が非常にたくさん横断歩道の手前にある場合には、若干円滑を阻害する問題もあろうかと思いますが、実態として故障車が横断歩道の手前にとまっているということはそう多くないのではなかろうか、そのように思っております。
  186. 原田立

    ○原田立君 標識はつけないんですか、標識は。ただ黄色い線だけ三十メートル手前で引っぱっておいて、それで以上終わりというのですか、何か標識はつけないのですか。
  187. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) 先ほども申し上げましたように、横断歩道の標識は横断歩道のわきにつけるわけでございまして、これは従来からいろいろ御批判もありまして、低いので遠くから見えない、あるいは車の陰に隠れて見えない場合もあるということで、漸次高くしてまいりました。なお、それ以外に、東京都内でお見受けになりますように、張り出し式の、しかも、夜間でもよく見えるような灯火式のものにしてまいりたいということで、遠くから要するに横断歩道がドライバーに視認できるというようなものに漸次改良して願いりたいというふうに考えております。
  188. 原田立

    ○原田立君 大型自動車による事故防止のための所要の規定整備で、第六十三条の三には、運行記録計、タコメーター取りつけを義務化しているんですが、タコメーター取りつけだけでは消極的な方法じゃないか、直接交通事故防止にはあまり効果は薄いのじゃないか、こういうふうな考え方をするんですけれども、どうでしょう。
  189. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) タコメーターのことに関しましては、先ほど鈴木委員からも御質問がございましたが、その際お答えしましたように、このタコメーターの設置基準につきましては、運行管理者が安全運転を、雇用者等が安全運転を管理するため、これをいろいろな角度から利用していくということと、また個人の場合には、それを反省の資料とするということでございまして、安全運転管理、あるいは個人の場合には反省といったようなことで事故防止という観点から積極的な意味があると思います。
  190. 原田立

    ○原田立君 ほんとうに積極的な意味で交通安全に資することができますか。いろんな意見等を総合してみると、自動車がこんなにたくさんふえているのだし、それははなはだ消極的な考え方だというそういう意見がもっぱら強い。局長は積極的な意味でだいじょうぶだというのだけれども、非常に考え方が違っているように思うのですが。
  191. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) 他にいろいろ積極的な方策はあると思いますが、このタコメーター自体につきましては、いま申し上げましたような理由に基づいての安全対策上の積極的な意義があるということを申し上げたわけでございます。
  192. 原田立

    ○原田立君 これも先ほど質問があったのでダブると思いますが、お答え願いたいと思うのです。違反運転者に対して現行の罰金三万円以下と、さらに懲役三カ月の罰則を新設しておりますけれども運転者を処罰しても、積載を許容する雇用主や荷主を処罰しなければ片手落ちとなり、罰則強化が無意味になるのじゃないかというような意見もあります。それで先ほどの三万円と懲役三カ月との関連については、ほかの罰則にならってやったのだというようなごく簡単なお答えでした。これはこんなことを言ったら笑われるかどうかしれませんが、たとえば月収五万円の人が三カ月やられたら十五万円の損失になる。片一方の罰金は三万円で片一方は三カ月と、ちょっとはなはだ最高限度が非常にアンバランスではないか、こういうふうに感じるわけなんですが、三カ月というのは、要するに、重くはないかどうかということと、荷主、雇用主、そっちのほうにも何らかの罰則等を設けなければ、ただ三万円の罰金だけで済ませるというのはおかしいじゃないか、この二つなんですが。
  193. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) この下命容認の規定は現在ない、新しく今度設けたわけでございますが、これは安全運転管理者、その他運行管理者という形で、ほかの無免許運転、過労運転の場合と同じような形をとってきてしたわけでございますが、御指摘のように、いろいろ荷主等の場合、いろいろな場合があるわけでございますが、そういうものにつきましては、先ほど鈴木委員からの御質問のときもお答えしたとおり、その場合に刑法総則の教唆、幇助という形で安全運転管理者のみならず、雇用者も荷主も、それから同僚も、そういう形があれば、教唆、幇助という形があれば、それで本犯と同様な取り締まりができるということになるわけでございまして、安全運転管理者、その他運行管理者の場合はそれに至らないような下命、つまり実行行為がなかったような場合とか、あるいは幇助に至らないような容認、見て見ぬふりをするという程度のもの、こういうものがこの規定で、安全運転管理者並びに運行管理者等につきましては、この規定で責任を追及していくということができますので、それとあわせて相当私は範囲が広くなっていく、運行管理者につきましては範囲が広くなったというふうに考えるわけでございまして、それから罰則を三カ月以下をつけた理由につきましても、先ほどお答え申し上げましたとおり、やはり積載オーバー、非常に極端な過積載の事例もございまして、それが事故につなかるということでございまして、さらにそれが繰り返されてなされるという場合には、当然情状の問題が出てまいりますので、そういう場合には三カ月以下の懲役という問題も裁判の形で出てくることも期待されるわけでございます。そういう意味で罰則を強化したわけでございまして、先ほど申し上げましたように、共犯でやられる場合には本犯に準じてなされる。先ほど事例にもあげましたように、本犯はいままでの懲役がついていない事例でございますけれども、本犯三人を教唆して過積載をやらせた安全運転管理者が、本犯のほうは三千円、四千円、五千円というような軽いものでございましたが、安全運転管理者には一万五千円という科刑の実績もございます。それから類推いたしますと、今後あるいは状況によっては教唆者が懲役刑を科せられるというようなこともあり得るのではなかろうかと考えます。
  194. 原田立

    ○原田立君 今度の法改正で、大型自動車の免許資格年齢の制限が引き上がった。まことにけっこうなことだと思うのですが、引き上げになると同時に、現行未成年の運転者が働けなくなったり、失業したり、生活が成り立たなくなったりするのじゃないか、こう思うのですが、現行の二十歳未満の運転している者、それはどういうふうになるのですか、取り扱いは。
  195. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) いままでに免許を持っている者は、経過規定で保護される、そのまま運転できます。
  196. 原田立

    ○原田立君 この第百十八条または第百十九条等に関係する過労運転、六十六条の過労運転、六十八条のスピード違反、七十六条の信号違反等を犯して死亡せしめた場合、二十日間の仮停止ということになると、これらの立証が非常に困難な場合があるのではないか。しかも仮停止執行後、これがもし誤りであったというようなことになったならば、一体どういうふうな救済の道があるのか、現行法にはないように思いますが。それで、先ほども鈴木委員のお話がありましたが、免許証一枚で生活をしている運転者は、家族をかかえて生活ができなくなる。そういうおそれがあると思うのでのが、その点はいかがですか。
  197. 鈴木光一

    政府委員鈴木光一君) この仮停止の問題につきましては、先ほど長官がお答えしたわけでございますが、要するにここに要件がいろいろ書いてございますが、要件に該当することが明白である場合に行なうものでございまして、違反及び過失があいまいな場合には、この制度を適用しないつもりでございます。そういう意味で慎重にやってまいらなければならないのでございますが、救済の方法といたしましては、この制度自体に、五日以内に本人に弁明の機会を与える。かりに不服があるという場合には、警察署長のやった行政処分でございますから、本部長に不服審査法によりまして審査の請求ができる、さらに、本部長の判断に不服がある場合には、公安委員会に再審査の請求ができるという救済方法が設けられておるわけでございます。
  198. 原田立

    ○原田立君 第三者的な機関で処理すべきである、こういうふうな声もありますが、その点どうですか。
  199. 新井裕

    政府委員(新井裕君) 第三者というのがどうも私どもにはよくわからないのですけれども、現場で迅速に処理をしようということが趣旨でございますので、現場で処理させるという趣旨にいたしておりますので、この場合に第三者に処理させるということであるならば、反則金制度そのものが成り立たないというふうに考えております。  いま申し上げましたように、不服があればアピールできるという、またその処分をする場合にも、弁明の機会を与えるということで、その公正を保障しようという仕組みでございます。
  200. 原田立

    ○原田立君 たいへんおそくなりましたのでこれでおしまいにしたいと思うのですが、冒頭に問題にした現場警官の訓練といいますか、教養の強化といいますか、たいへん数の多い警官ですから、中にはいろいろと間違いを起こす者があるのじゃないだろうかと、これは心配するわけです。その実例とし、拳銃の取り締まり等については非常にやかましい態度をとっておりながら、新聞に報道されるような事件がしばしば起きます。現実に、過日も大阪で事件がありました。先ほど参考人の方からも、この事件について真相を究明されたであろうかというような前置きで話もありました。  それで、先ほどは、きちっと教養を高めていくというような方法、措置等を講じていくと、こう言われましたけれども、重ねてその点どういうふうになさっていくのか、くどいようですが、お聞きしたいと思うのです。なぜかなれば、巷間伝えられるところによると、非常にこの問題、今度の反則金徴収制度等によって、ごたごたが必ず起こるであろうということを言われております。それで現場の警官の指導、訓練、教養を高めること等については、格段の努力を払っていかなければいけないと思うのです。その点についてお伺いしたいと思うのですが。
  201. 新井裕

    政府委員(新井裕君) 先ほど申し上げましたように、一般的な教養、それから執務上の教養、あるいは勤務上全般を通じていろいろ考えてまいるつもりでございますが、原田委員の御指摘のように、たいへん苦情が多くなると、必ずしも私どもは予想をしておりません。と申しますのは、切符制度というものを現在実行しておりまして、現場での現認のたてまえなり、それから切る告知の切符は大体いまの制度と同じでございまして、いまの切符制度を数年実行いたしまして、大体、その素地はできておるということで、実は踏み切ったわけでございます。したがいまして、そういう手続的な関係ではそれほどいままでと違ったことをやる、それから起こる紛争ということはあまりないのじゃないか。ただいままでと違って、これがそのままお金を納めるということに通ずるというところで直接的な効果があるので、いままでは気軽にやっていたものが、今度は抗議を申し込んでくるというケースも若干あるかもしれませんが、いままででも相当、あの切符を切られたためにひまをとるということで、憂うつな感じを与えておったわけでありますから、そういう点では私は、手続的にはそれほど違わないという意味で、大きな混乱は起きないと思うのです。  ただ、何と申しましても、この制度は新しい制度でございます。したがいまして、よほど制度の趣旨というものを普及徹底させませんと、そういう紛争が起こる可能性が強い。でございますから、これは先ほど申しました教養のほかに、一般的な周知徹底ということがよほど大事になるのじゃないかというふうに考えております。どうか委員の皆さん方も、またお気づきになりましたら、どうぞ遠慮なく御注意いただきまして、できるだけそういう紛争が起きないように私どもり見てまいりたいと思いますので、遠慮なく御叱正をお願いいたしたいと思います。
  202. 仲原善一

    委員長仲原善一君) ちょっと速記をとめてください。    〔速記中止〕
  203. 仲原善一

    委員長仲原善一君) 速記を起こして。  本案に対する本日の審査はこの程度といたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後七時二十五分散会      ―――――・―――――