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参考人(向井鹿松君) 詳細な事柄はそれぞれの適当な
参考人がお述べになりました。私はきわめて皆さまにとっては迂遠な話になるかと思いますが、
取引所政策のねらいというのはどこにあるのだろうか。と申しますのは、そのねらいがわかっておれば、今度の
取引所法のねらいがその的を射ているかどうかということを判断する資料にもなるかと存じますので、最初にその点を
一言言わしていただきたいと思います。長く言うと時間がたちますので、きわめて要領よく簡単なところだけ申し上げます。
私は、
取引所政策あるいは行政の基調に二つ考えられるのではないか。
一つは公正な価格をつくるということだ。われわれ自由主義の国においてはあらゆる経済が値段を基調にして行なわれておる。公正な価格をつくるということが非常な最高の使命じゃないか。ところが、いま従来の
制度では、この公正な価格をつくるのにはスペキュレーションが要るのだということなんであります。この二つを組み合わされて
取引所政策ができる。そこで、はなはだ野卑なことを言うのでお許しを願いたいと思うのでありますが、私は従来よくこれは
人間の性交、何といいますか、セクシュアルインターコース、性交という問題を考えてみるとよくわかるのではないか、性交という問題は、
個人が公の目の前で口にすることだにはばかる問題であります、
個人的には。しかしながらこれを
社会的に見れば、まことに人類の種の保存というか、最高の使命を持っているものだと考えるのであります。そういう意味合いで、価格をつくるということは自由経済の最高の使命であるが、そのためにも投機が必要だ。ところが投機というものは、スペキュレーションというものは、これは当たりさわりがあるかもしれませんが、本質的には賭博の一種である。ちょうど性交の場合に申しましたように、
個人的にはこれははなはだおもしろくない行為だろうと思うのであります。しかし、
個人的におもしろくない行為も、
社会的に必要な価格をつくるのだという上に必要であるとするならば、
個人的にはいけないことも、
社会の最高の使命を達成する必要な限度においては認められるべきものである。したがって、よそではいけないが、公正価格をつくる
取引所内においてはこれは認めるのだ、認めざるを得ないのじゃないか、こういう
考え方の二つの問題が交り合っているのではないか、こういうように考えます。一種の賭博類似行為も価格形成のためには、その限度において認められる。ところが、限度において認められる、
取引所内では認められる、こう言っても、これにも限度がある。私はそれに二つあるのだと思います。
一つは、警戒しなければならぬのは、しろうと投機、ほんとうに値段はこうなるのだということの知識
経験のあるものが価格に参与するなれば、公正な価格に寄与するけれども、全然価格については何にもないようなものが、ただ金もうけだけ一方に片寄っていくことは、害あって
利益はないのじゃないか。それから過度の投機、度を過ぎている投機、これは今日詳しくは申しませんが、近ごろマーケット・ソシアリズムという新しい
ことばを見たことがありますが、価格という、うやむやのものがわあわあいっている知らないうちにできた値段はまことに公正なんだけれども、大きいやつがやって、
自分の思うような値段をつくり出す、言いかえれば独占
資本家といいますか、大きなものがやってその値段をおれのいいようにやるのだ、こういう値段は困るのであります。過度投機、これは許されるべき
取引所内においてもいけない。しろうと投機ということとこれをわれわれは考えなければならないのじゃないか、こういうふうに考えております。これで総論を終わったのであります。
ただ、この立場から考えてみまするというと、これはそのとおりであるが、しかし
時代は違っていくのだ、同じような
取引所なりスペキュレーションのやり方が個々について継続的に永久に行なわれるものでないということと、いま
一つは、国によって非常な違いがある。日本ではわれわれが考えもしなかったような何といいますか、パチンコ、あんなものがはやる。すたるだろうと思っていたやつが、いまでもけっこうやっている。こういうような現象が国によってこれからあとで出てまいりますが、行なわれる。言いかえれば、以上述べた原則論も
時代によって、国によって違いがある。まず、
時代によって違うということ、値段をつくるのだから、国が値段をつくるようになれば
取引所は要らない。要らないじゃない、存在のしょうがないじゃないか。あれだけ盛んであった米相場が今日なくなったのは当然だと思います。ところが、今日農業政策といいますか、農産物の統制策と申しますか、農民の
保護と申しますか、これが文明国において至るところ徹底的に行なわれておることは私より皆さんのほうが御承知のとおりであります。支持価格をつくるとか、あるいは資金を貸し付けるとか、供給量や買い上げ量、いろいろな工作をしております、農作物を
保護するために。それが価格に影響を及ぼすということは、価格の動く幅が少なくなってまいります、価格変動の幅が。ということは、そういうものにつきましては、それだけ投機のうまみがなくなる。言いかえれば
投機取引は
取引所においても必要が漸次少なくなってくるという傾向があるということが、単に理屈ではなしに文明国至るところにこの現象が見られておるということなんであります。これを米国のおもしろい例について申します。この統計は私二、三年前にあちらへまいりましたときに
役所からもらってきた資料によるので、多少四、五年おくれておりますが、二、三申し上げておきたいと思います。
第二次大
戦前には小麦、麦、綿花がアメリカでは先物
取引の三分の二を占めておりましたが、いまでは三分の一しか占めておりません。ところが妙なことには、一九二二年当時にはほとんどなかった、あるいはきわめて
取引の少なかったものが、この穀物その他統制の盛んであったものにかわって
取引が非常にふえてきておる。たとえば羊毛、卵、じゃが芋、大豆、こういう式のいろいろなものの先物
取引が盛んに行なわれておるのであります。これが現在約二分の一を占めておる。割合は従来のものが非常に減って、従来でないものの先物
取引が、つまりうまみのできたものに
取引がふえてきたわけなんでありますが、では従来の全体の先物
取引から申しますと、アメリカの例でありますが、五年前に比較しますと、先物
取引は二割三分ふえている。第二次大
戦前に比較すると倍になっております。パーセンテージのこの違いは非常にありますけれども、先物
取引の全体の量というものがふえておるということはアメリカについては言えるのであります。ところが問題は、ヨーロッパへ移りますというと、ヨーロッパの先物
取引は、私の研究が足らないかもしれませんが、ほとんど昔の第二次大
戦前の面影がなくなっている。私はロンドンのバルティック・エクスチェンジには三回ばかり行ったことがあるのでありますが、非常に盛んに行なわれておったが、今度二、三年前に行ってみますると、ほとんど火の消えたように穀物の
取引は行なわれておらない。いまはもうほんとうに船腹——ふなばらの先物
取引というとおかしいが、それが行なわれて、穀物についてはこれはもうセクレタリーと申しますか、
専務理事級の人の
ことばをもってすれば、ほとんど言うに足りないものである。ほんとうの投機のあるところはないのかという私の質問に対して、彼いわく、英国人が——それはどうかわかりませんが、外国系の人、特にフランス系の人がやってきて、ときに大きな相場をやるけれども、イギリスにはないのだ、ほとんど興味がないのだ。それじゃあなた、つなぎはどうするのですかということを申しましたところが、それはもう今日の文明の中で、もうロンドンは前場なんだ、シカゴが後場なんだ。だからもうシカゴヘは五秒あれば、ニューヨークを経て五秒あれば電話なりテレタイプでつながるのだ、シカゴでやるのだ、ほとんどここでは行なわれないのだというような話でありました。ドイツでも先物
取引所はあるのでありますが、先物
取引をやる
取引所は三つしか——というか二つですか、ハンブルクの
砂糖とコーヒー、ブレーメンに綿花があります。先物
取引は
商品としては三つしかないのであります。これは非常な陳情をしてやっと
政府に許してもらったのであります。
取引所は十八あるのであります。先物
取引所はいま言ったように
取引所として二つ、先物
取引三つしか認められないのでありますが、今日まあ行なわれておらないというのがドイツの実情であります。なお詳しいことは省きますが、それで日本との比較からみて、先ほど申しましたようにドイツの
商品取引所は十八あります。先物
取引所は、許されているのは
商品について三つ。英国では先物
取引が三つあります。米国では十九レジスタードされた
取引所があるのでありますが、米国のこれは
役所の統計でないので責任もって言えませんが、ザ・シカゴ・ボード・オブ・トレードの書いたのでは、世界の穀物
取引の先物
取引の九割はシカゴで行なわれるのだと、ナインティ・パーセントというのは少し誇張じゃないかと思いますが、
役所の書類ではありませんが、出ております。そういう状態が今日の大勢ではないかと思います。
日本との比較ですが、これは
役所のほうがよく御存じだろうと思いますが、先ほど言ったように米国では十九であります。日本では二十ある。ほかは三つか四つということであります。
それから仲買い店の数ですが、米国ではフロアー・ブローカーが七百、
仲買い人の店が
本店、
営業所を入れて二千五百、人じゃありません、
営業所です。それから日本では私の持っている資料では五千であります。
それから
取引高の比較、これも私はどうも自信がないのですが、ちょっと年代が違いますから、比較が無理かもしれませんが、一九六〇年の十六の登録
取引所の米国の
取引高は二百六十五億ドル、約九兆五千億円ではないかと思います。日本のものは十三兆になっております。これも私の計算で、違うかもしれませんが、非常に日本の
取引所というのは盛んに行なわれておる。日本の
外務員の数は、これも先ほど長くなりますから言われませんでしたが、二万人の多数の人がおります。これが町のすみずみまで入り込んでやっておるのであります。
もう
一言ちょっと述べさしてもらいたいと思いますが、
外務員ですね、これはアメリカではセールスマンという
ことばを使っております。セールスマンというのは、今日の
社会ではいわゆるマーケッティングの最も重要な
方法の
一つで、広告とセールスマン、これによって品物を売っているので、正々堂々とやるべきことなんでありますが、いま申しましたように、
取引所——投機に関する限りは正々堂々と今日いろいろの
取引においてやられている。この事柄が、
投機取引において個々、裏長屋にまで入り込んで勧誘するような
方法をとりますということはどんなものだろうかということを、私はこれもまた痛切に感じさせられるのであります。そうして、勧誘がこれは日本ばかりではありませんが、相当あくどいと申しますか、勧誘が行なわれておる。それで私は
法律家から聞いたのでありますが、仲買い店のやること、仲買い店の
外務員がやることと露天商人のやることは、詐欺でもちょっと
法律的には詐欺にならないのだそうです。まああれはあたりまえだ、あれは普通言うことだ。これは私は日本の大学の先生が書いた本のページ数を写してきておりますから、これは私の出まかせじゃありません。明らかに大学で教科書に使っている大学の先生の本に、露天商人と比較して、そうしてうそをついても、それは詐欺という
法律にはひっかからないのだ、
取引慣習はそんなものなんだ、こういうふうになっているのがおそらく実際じゃないかと思います。どうもちょっと困ったことじゃないかなという感じが私いたします。よく
取引所は信義則が大事だと、ちょうどわれわれがお医者にかかる、弁護士にかかる、もうこれは万事あなたに、先生に頼みます、よろしくやってください。それから医師や弁護士も、ほんとうに頼まれた患者、訴訟者のことを思って
仕事をしている。だから、これはアメリカではシングセオリーということを言っておりますが、仲買いというものは、ほんとうに
お客さまが
自分の財産をお前に頼むぞと言ってきたのを、医者や弁護士と同じ気持でやらなきゃいかぬ。これがいわゆる信義則、そのやり方が日本——アメリカでもかなり問題になりますが、この問題が非常に今日問題とされるところではないかと、こういうふうに考えております。
あと二、三分お許しを願いますと、私は今後の
取引所法の
改正が、私が
取引所政策の中心問題として二つあげ、そのうち
一つが、しろうと
取引だ、その点におもなるねらいをつけておられることは、今後の法案のねらいが、まことに当然ねらわなければならぬところをねらっておられるのは、まことに敬意を払っていいのじゃないか。この点において私は深く感動し、感心しておるのであります。そうして、じゃそのねらいをやる上においてどういう
方法をもってするかというその
方法も、これはあるいはアメリカ以上にいっているのじゃないかと思いますが、いいねらいをつけて、その
方法を講じておる点において、これまた私は満幅の敬意を表したいと思います。ただ私が思いますのは、非常に書いてあることはねらいもいい、
方法もいいが、事柄は文章で書いただけで、あれだけ何万何千という人がおるその人々に、どこまで彼らを
納得せしめていけるだろうか、ただ
法律が出ただけでは、言っただけではなかなかすみずみまでは、台所のすみずみまでいかないであろう。先ほど
沢田先生からも言われましたが、外交員の資格のことをお話になりましたが、非常にサジェスティブなお話でございました。私はこういう点で日本の御当局の何といいますか、この
法律をほんとうに運営していこうというそのスタッフ、これが何人おられるか私はよく存じませんが、はたして足りるだろうか、従来のやり方で、あれだけの人であれだけの大きな、アメリカよりも大量
取引、アメリカ以上のたくさんの人がおるのを、いまのやり方でもってはたしてりっぱな
目標と
方法が実現されるのだろうかということに対して懸念がないじゃないのであります。アメリカのコモディティ・イクスチェンジ・オーソリティ、これは百二十人
従業員がおります。そうしてこれがニューヨーク、シカゴその他五ヵ所に実際の支所と申しますかを持って、そこに
役所がおる。そして先ほど私は大ぜいの人がおるということよりも、むしろそのうちの大きなのが大きく相場を動かすやり方のほうがむしろこわいのだ、ですから
役所のほうでは、個々の大きな
取引所をねらい撃ちして報告書を徴収する、それが数字出ておりますけれども、長くなりますから、毎日徴収する報告書の数はばく大もない数なんであります。これだけやって初めてほんとうの
取引所の政策が内部に渡っていくのであって、こういう意味において、私はことに
国会の皆さん方の御苦慮をわずらわして、もしそんなに日本で
取引が行なわれるならば、こういう方面に
役所の人数をふやすかどうか私知りませんが、適当な
方法でこのやり方を実際に行なわしめ、そして
仲買い人みずからがその気持ちになってくれると、先ほど言った医師、弁護士のような気持ちになる、こういう方向でやってくださるならば、私は新しい
取引所が、新しい品物が
投機取引が行なわれても、いい値段がつくられる限りいいのではないか。こういうような大きい業者が
自分の思いどおりに相場を持っていくようなやり方は考えてもらいたい。こういうことで
取引所法の今度の
改正するものにつきましては、私は満幅の賛意を表しまして私の話を終わりたいと思います。
ありがとうございました。