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1967-04-22 第55回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十二年四月二十二日(土曜日)     午前十時八分開議  出席分科員    主査 北澤 直吉君       相川 勝六君    赤澤 正道君       藤波 孝生君    保利  茂君       大原  亨君    帆足  計君       山中 吾郎君    玉置 一徳君    兼務 川崎 秀二君 兼務 猪俣 浩三君    兼務 有島 重武君  出席国務大臣         文 部 大 臣 剱木 亨弘君  出席政府委員         内閣法制局第一         部長      関  道雄君         総理府青少年局         長       安嶋  彌君         文部大臣官房長 岩間英太郎君         文部大臣官房会         計課長     井内慶次郎君         文部省初等中等         教育局長    齋藤  正君         文部省大学学術         局長      天城  勲君         文部省社会教育         局長      木田  宏君         文部省体育局長 赤石 清悦君         文部省管理局長 宮地  茂君         文化財保護委員         会事務局長   村山 松雄君         厚生省医務局長 若松 栄一君         厚生省社会局長 今村  譲君         郵政省電波監理         局長      淺野 賢澄君  分科員外出席者         大蔵省主計局主         計官      小幡 琢也君 四月二十二日  分科員石橋政嗣君及び田畑金光委員辞任につ  き、その補欠として帆足計君及び和田耕作君が  委員長指名分科員に選任された。 同日  分科員帆足計君及び和田耕作委員辞任につき、  その補欠として石橋政嗣君及び玉置一徳君が委  員長指名分科員に選任された。 同日  分科員玉置一徳委員辞任につき、その補欠と  して田畑金光君が委員長指名分科員に選任  された。 同日  第四分科員川崎秀二君、第一分科員猪俣浩三君  及び第四分科員有島重武君が本分科兼務となっ  た。     ————————————— 本日の会議に付した案件  昭和四十二年度一般会計予算文部省所管  昭和四十二年度特別会計予算文部省所管      ————◇—————
  2. 北澤直吉

    北澤主査 これより予算委員会第二分科会を開会いたします。  昭和四十二年度一般会計予算及び昭和四十二年度特別会計予算中、文部省所管を議題とし質疑に入ります。  この際、分科員各位に申し上げます。  質疑の持ち時間は、一応本務員は一時間程度兼務員もしくは交代して分科員となられた方々は三十分程度にとどめ、議事進行に御協力願いたいと存じます。  なお、政府当局に申し上げますが、質疑時間が限られておりますので、答弁は的確に要領よく、簡潔に行なうよう、特に御注意申し上げます。  質疑の通告がありますので、順次これを許します。川崎秀二君。
  3. 川崎秀二

    川崎(秀)分科員 文部大臣に伺いたいのは、最近非常に青少年海外渡航熱が盛んになってきまして、毎年渡航する者もふえておる。これからの日本の行く道として、青少年外国知識見聞する、貿易が伸びる、これが日本の将来の二大指標のように思うのです。半世紀あるいは一世紀かけて次第に見聞が広くなり、戦争前、特に戦時中のような目隠しをされておったような状態から、ずっと見聞が広がってくることは、非常に日本人全体としていいし、特に年寄りが見るよりは、若い者が見て、将来の世界観あるいは世界に対する視野を広めることが一番いいことだ、こういうふうに見ておるわけですが、それには近ごろ弊害もやや出てきておる。弊害のほうはあとで触れます。弊害でなしに、青少年個人としての留学渡航、これもいいと思いますが、まず第一に伺いたいのは、団体として青少年海外へ出かける、この場合に、政府が直接派遣しておる総理府のものもあるし、また、民間でやっておるのに政府補助がついているのもある。私は、いろいろな経験を経まして、このうちで、政府のやっておられることはやっておられることだけれども、でき得れば権威のある政府外郭団体民間団体が、優秀な青少年、健康な青少年派遣して、その人々の個人負担を少なくしてやるような機会をつくることが、一番適切なやり方じゃないかというふうに思っておりますが、そういうことについての基本的なお考えをまず伺っておきたいと思います。
  4. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 川崎委員の申されますとおりに、今後の日本国民としまして、非常に国際的な視野に立って、しかも、国際的な信頼感を得るような国民に育てるということは非常に必要なことだと思いますし、その意味におきまして、近時青少年海外渡航いたしますことは非常に有意義なことだと思います。これはいま申されましたように、直接総理府でやっておりますが、文部省といたしましては、各種団体海外渡航につきまして、できるだけの援助をしてまいっておるわけでございます。しかし、青少年につきまして、一定のまだ軌道と申しますか、ございませんので、総理府にございます青少年問題審議会でございますか、これに全般的にどういうふうに将来青少年渡航を持っていくべきか、これを審議会でやっていただいておるわけでございますが、これで秩序ある何か一つ方法というものをやったほうがいいんじゃないか。申されますように、そういう場合において政府が直接やる場合もございますけれども外郭団体のようなものをつくって、そこでこの問題を十分——あまり無秩序にやりますと、申されますように弊害も出てくるようでございますので、秩序ある海外渡航方法を講じたらいいと私ども考えております。
  5. 川崎秀二

    川崎(秀)分科員 秩序ある交流が大きな筋で行なわれることがいいというお話でありまして、われわれも同感であります。  実は、御案内のように、私もそういうものを推し進めておる一つ団体責任者として、あまり無責任な話はできませんので、いろいろ歴史をたずね、それから、これから先の見通しを見ましてお尋ねをしてみたいと思っております。きわめて建設的な話でありますが、総理府派遣がたしかことしで九回になります。これは皇太子の御成婚記念ということを機会に、地方の優秀な青少年簡抜をされておると私は思っております。中には批評する人は、だいぶ県知事のひもつきであるとか、その裏にまた有力者ひもつきだというような人もありますけれども、一応レベルの高いものだと思うのですが、欠陥はやはり、これはこの前もお話ししたことがあるのですが、総理府派遣で行かれる人は、地方青年だけに語学の点で非常に弱いというような欠陥も出てきておる。これを是正するための合宿練習とか、英語の基礎知識くらいは十分鍛練して出かけるというようなことで補足をしておるようですけれども、私どもも、おととしから世界青少年交流協会というのをやって各国との交流をやっておる。その経験に従うと、それから総理府のほうのも見ておりますが、でき得る限り国と国との青年接触代表接触ならば、これは交歓形式が一番いい。これで成功しておるのはまだ少ないですね。けれども交歓形式がいい。というのは、せんだってドイツ青少年が百三十九名日本へ来日して、そうして各地で示した規律ある行動、それから教養の深さ、政府責任を持って出してくるだけあって、百三十九人のうち、私の見た目では、五、六人は例外があったと思うのですが、ほとんど将来のドイツをになうに足る優秀な青少年簡抜をされておる。日本側のほうは、私ども責任を持ってやっていますが、まだまだその域には及ばない。及ばないけれども、この間これが第十三回目の交歓をしたわけであります。総理府のよりも四年歴史は古いわけです。そこで、これは語学相当にできるし、文部省体育局での予算がついた関係もあって、スポーツの特技を持つ者を健康青少年派遣という形になっていますが、将来は体協のスポーツユーゲントというものも相当に入れてやることになりますので、一つの規範になってくると思って自信を持って言っておるわけです。ところが、この間三木外務大臣質問をして、これは貿易とからんで、北ヨーロッパの諸国などは片貿易だから、少し芸能、芸術関係を呼ぶとか、あるいは青少年日本側負担を持って呼んだらどうだという話をしたら、外務省としては実にこれは賛成なんだ、けれども外務省で直接予算が出ないので、これは文部省総理府で結局は担当してもらわなければならぬと思う、という意味発言をされたので、交歓形式をぜひできる限り広めてもらいたい。まあ、三木さんは、別に副総理格でもないですけれども、閣内における実力者であり、そうして、そういう見地から非常に強い発言があったものですから、まだ御連絡はないと思うけれども、そういう意味で、いわゆる対旧交歓といいますか、国と国との交歓ができるものをまず大きく主体にして、そうしてその影響力によって親善を深めていったらどうかというのが私の考え方なんですが、こういう点についてどう思われますか。
  6. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 青少年海外渡航につきまして、やはり交歓形式というのが非常に有効であることは全く同感でございます。交歓内容につきまして、文化交流あるいはスポーツ交流というような問題もございますが、いま申されましたように、音楽とかその他の問題とか、あるいは交歓形式相当拡大していくということにつきましては非常に必要なことだと思いますので、今後十分研究していきたいと思います。
  7. 川崎秀二

    川崎(秀)分科員 それが最も効果をあげているということが是認をされれば、ぜひそれをことしの予算では——文部省ではやはり体育局が主でありまして、社会教育局の、たとえばフランスとの青少年交歓などは、まだ予算が、袋の内容が確定してないわけです。これはなるべく早く確定していただきたいと思いますが、社会教育局長どうですか。
  8. 木田宏

    木田政府委員 いま川崎委員から御指摘がありましたように、文部省でいろいろやっております青年海外交流に対します助成の事業幾つかの部局にまたがっておるわけでございます。一つは、いま予算金額の上では川崎委員指摘のように、体育局でやっておりますスポーツ青少年関係、これは日独日本・スウェーデンの青少年交流関係予算として本年度二千二百万という金額が上がっておるわけでございます。そのほか、社会教育局におきましても、各種青年団体が行なっております国際交流事業というものに対しまして、社会教育関係団体補助のワクの中で操作をして援助をいたしてまいりました。昭和四十年度には、そのような交流関係補助件数が十件ほどございましたし、四十一年度も、青少年国際交流関係補助いたしましたものが五件ございます。  なお、社会教育局でやっております関係団体補助のほかに、ユネスコ国内委員会所掌事項といたしまして、ユネスコ関係で国際的なつながりのあります青少年交流関係事業にも、例年数件程度補助事業が上がっております。四十一年度ユネスコ関係では大体十五件、一件当たりの金額は小そうございますけれども、その程度交流事業というものが上がっております。これらの点、各部局にまたがりますけれども青少年が自主的に、青少年団体間の国際的な交流事業というものに、できるだけ努力を傾けていきたいと私ども考えております。  四十二年度予算の配分につきましては、これまた幾つかの団体のそういう事業もございますので、できるだけ早くその実施計画を勘案しながら援助できる額を内定していきたい、このように考えております。
  9. 川崎秀二

    川崎(秀)分科員 八月には、やはり出発しなければならぬ関係もありますから、できる限り五月の中旬なら中旬をめどにしてやっていただきたいと思いますが、そういう成算はありますか。
  10. 木田宏

    木田政府委員 それぞれの団体事業計画に合わして、十分間に合うように考えてみたいと思います。
  11. 川崎秀二

    川崎(秀)分科員 体育局長がちょうど来られたが、これは非常に円滑にかつ順調に発展している日独青少年交歓ですから質問はありませんが、実は四、五日前にドイツ大使館のほうから、五月十五日にはブラント外務大臣が来られて、三木外務大臣との問に政治経済文化の各般にわたる取りきめをしなければならぬ——もとより政治経済が重点でしょうけれども、その際に、文化のほうでは日独青少年交歓が成功しておるので、いままでも恒久的事業であれをやっておったのだが、取りかわし文の中に明記したいという非公式の話がありました。とりあえず外務省とは連絡しておるのですが、これもひとつ体育局のほうへも御連絡をいただいて、万全を期していただきたいと思います。
  12. 赤石清悦

    赤石政府委員 承知いたしました。
  13. 川崎秀二

    川崎(秀)分科員 こういう交流が盛んになりますにつれまして、多少注文しておきたいのは、代々木青少年総合センターです。あれが最近ユニバーシアード大会等を控えまして、中に会館を建設する、食堂を建てる、相当やっております。私は、いろいろな関係で二週間に一ぺんぐらいは行くものですから見ておるわけですが、あれは入り口が非常にお粗末です。去年も警告したのですが、まだどうも、入っていってどっちへ行けば宿舎のほうに行けるのか、それから入り口も、あそこは相当スピードをかけて自動車が通る。だが、入るのに入り口というものが、何べんも行っている者にはわかるけれども一般にはわからないのです。あれを何とか整備することはできないか。たとえば、へいなどを整備して、そこへ総合センターだということを明記しないと通り過ごす場合も多いし、それから反対側自動車に衝突する可能性もあるので、いまから私は警告をしつつお願いをするわけですけれども、これはあなたの所管だな。
  14. 赤石清悦

    赤石政府委員 当初から全体の様子が少し十分でないという御指摘をいただいております。これは私どもも聞いておりましたが、何ぶん出発当初から十分な予算的配慮がございませんものですから、いたし方なく今日まで推移してまいりました。幸い、本年ユニバーシアード大会を催すにあたりまして、若干そのほうの予算を計上させていただきましたので、十分御趣旨を休しましていま計画中でございます。なお、実施その他につきまして、いずれ御指導を伺いまして善処をさせていただきたいと思います。
  15. 川崎秀二

    川崎(秀)分科員 今度は総理府に伺いますが、青年の船というものが建造されるわけですね。非常にいい構想であったわけです。われわれも、去年の予算委員会でも、国会では一番早く言いだし、そのあとでユースホステルの会長が佐藤総理に直接お願いをして、それが世論興起の契機となったのですが、私は青年の船をやることには賛成なんです。断然やらなければならぬ。けれども、これは地域によっては、ヨーロッパなどへ青年の船で三百人でも五百人でも乗せていくといろいろな心配があるわけです。一つは、長期にわたって、六カ月も七カ月も——往復相当時間がかかるし、向こうでも一カ月やそこらは見なければならぬということになれば、大体三カ月以上はかかると思う。そうすると、費用もたいへんであるし、それだけのひまを青年がとれるか。ことに学生はとれないと思うから、結局あれは地方勤労青年ということになるのでしょうが、地方勤労青年も、だんだん大学へ入学する率が多くなったから、二十五、六歳をこえるわけです。ですから、青壮年的なものでなければ、ヨーロッパなどへ派遣する場合うまくいかぬことになりはしないか。来年の一月には東南アジア派遣するわけですね。そういう点で、青年の船の新しい建造には非常に問題があります。新しく建造して、そのメンテナンス相当金がかかる。それで効果は十分でないというようなこともあって、やはり試験的にはまず東南アジアからやってみる。こういう問題で相当通海部労働政務次官などに言わせますと、将来三百人ならいいけれども、五百人以上乗せると、ときには統制がとれなくなる。海部君は洋上はんらんということをおそれておるのですが、それは青少年を引率してみて、一番まとまりのいいのが十八人、あるいは多くて三十六人、それは一チャーター機ですね。そういう点の議論がうんと出ておると思うのですが、あなたはどう思いますか。
  16. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 青年の船の派遣地域でございますが、御指摘のように、四十二年度におきましては東南アジア地区を予定しております。将来ヨーロッパにこの船を出すかどうかということでございますが、私のほうは、これはできれば出したいというふうに考えております。しかし、川崎先生の御指摘のように、かなり長期にわたっておりますから、いろいろ問題もあろうかと思います。そこで、この古年の船は明年度トライアルというふうに考えておりますが、将来恒常的に運航するという段階になりました場合に、毎回ヨーロッパに行くかどうかという点につきましては、これはいろいろ問題点があろうかと思います。しかし、将来ヨーロッパにやらないんだ、こういうことはただいまちょっと申し上げかねるわけでございます。  それから、団の統制のことについてでありますが、確かに御指摘のような問題がございまして、数百名の青年を、しかも、長時間にわたって船の中で生活をさせるということにつきましては、いろいろ問題があると思います。私どもの来年度計画として考えております点は、団員が三百六十名でございますが、これを二十名くらいの班にこまかく分けまして、十六班つくりまして、各班に強力な班長、助手といったようなものを配置いたしまして、全体の指導に遺憾なきを期していきたいというふうに考えております。
  17. 川崎秀二

    川崎(秀)分科員 そこで問題点は、こういうスピード時代だ。それから、長い月日をかけて青年を実地に洋上教育をする、ヨーロッパアメリカを見させて研究する、それも一つの方策とは思うのですが、とにかく飛行機がだんだん音速から超音速、きょうのソ連の一番機で来た人に聞くと、二年後には超音速でやるというのですが、アメリカも四年くらい、アメリカのほうは超音速をやったときにはえらいジャイアント飛行機、ジャンボというのですか、四百六十人くらい乗れる、そういうものを将来チャーターするということになると、存外飛行機のほうが安くて、そして有効な見学もできるということになるので、これらもあわせて、ひとつお考えおきを願いたい。私は別に答弁を求めません。  そういうところに、いま日本外国青少年交流の問題も差しかかってきておる。青年の船ということは、われわれの夢であったのですが、それの使用方法相当考えなければならぬ。メンテナンスに七億も八億もかかるということになれば相当なことですから、これは「さくら丸」の改装ということを一つトライアルとして、新造船がいいかどうかも十分検討する必要があるというふうに思います。しかし、これは機会がいろいろありますから……。  文部大臣に、日独の場合もそうですが、世界青少年交流というものを行なっておる、行く場合には、航空機に対する補助——滞在費ドイツ側が持つわけですから、これはいまは三分の一国庫負担という形なんですけれども大蔵省も最近相当理解を示されて、この間財務当局にも会ってわけを言ったら、個人負担はもう少し下げていきたいんだ、そして優秀な者をなるべくよけいやる、いま十七、八万円というと、やはり中産階級相当上のほうの連中でなければ行けない。これは石川課長なんかも非常に心配してくれておるわけで、もう少し切り下げていけば相当幅広い青少年が、しかも、優秀な者が行けるのではないか。十年前は金持ちでなければ行けなかった。いまでも中産階級の上くらいのところでないと、なかなか子供に十七、八万円を出す親もないわけですから、そういう点で補助率の引き上げということを考えてもらいたいと思いますが、どうですか。
  18. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 ごもっともでございまして、青少年海外渡航させる場合に、幅の広い選び方をしないと、一部に限られるということは、その意味からいいましてかえって公平を欠くと思います。私もできるだけ努力いたします。
  19. 川崎秀二

    川崎(秀)分科員 これは少し大きい話ですが、文部大臣、それから青少年局長、実は、去年のウィーンの大会などから、日本国際青少年交流に関連しての地位について、評価が非常に高くなっておる。スポーツも高くなったが、青少年交流では、さらに高くなっておるわけです。これは青少年団体関係者の非常な努力政府の支援によるものだと思うのですが、ヨーロッパ地域は国境がないようなものですから、そこでヨーロッパではEEC中心国であるベルギー、あそこに本部がありますけれども、そこに五、六年前からヨーロッパ青少年センターというものができておるわけです。われわれは、このアジアの低開発国、今後アジア各国とは、外資の関係もあり、交流は非常に困難であるけれども、この壁を徐々に突破して、アジアユースセンターというものは当然日本に相談した後につくられていいので、それは将来アジア文化のおくれておる国々の青年を引き上げていく意味においても大きな役割りを演ずるのではないか、そういう構想をひとつ持ってもらいたい。その意味で、代々木センターをだんだん質的にも外見的にも充実していきたいというのが私の考えです。あれをアジアユースセンターにし、最後には、世界青少年交流センターというものにしたい。やればできます。そういう夢を青年に与えてやったらどうですか。私は、先ほど言ったように、日本が伸びる目標は貿易青年だというふうに思っておるので、これも急にびっくりしても困るけれども、提案したいと思うのですが、どうですか。
  20. 木田宏

    木田政府委員 先ほど御説明申し上げましたように、青年海外交流につきましては、いろいろな形でのものが行なわれておりますが、私自身、これからの方向として考えておりますことは、個々の青年が広く海外を見てくるということも、もとより大切なことでございますけれども、いろいろな青年学生団体が、団体として相互に提携できるという方向をもっと積極的に考えてみたい、このように思っております。そして、どうしても先ほど川崎委員指摘のように、相互主義でそれぞれの国の団体間の協力提携ということを考えました場合に、いままで、どちらかと申しますと、日本青年がいろいろなグループをつくりまして外に出て行くということのほうはかなり行なわれておりますけれども、諸外国青年日本青年のいろいろなグループ受け入れるという活動につきましては、いろいろな諸条件がある。特に日本生活環境が諸外国と異なっておる。そのような点もございまして、受け入れ関係団体が非常な苦労を払っておられるところでございます。この点は、いま先生が御指摘のありましたような大きな構想のことも念頭に入れながら、私どもは、日本青年の諸団体が諸外国青年日本受け入れられるような体制を考えていくべきではないかというふうに考えております。先ほど大臣からも冒頭に答弁がございましたように、せっかくいま総理府青少年審議会国際交流関係の御審議をいただいております。文部省関係も、先ほど申し上げましたように、いろいろな関係部局でいろいろな団体交流援助をしておりますけれども、その際、私どもといたしましては、受け入れをどうするか、そうしてほんとに交流ということにつながるような方向に持っていきたいものだ、このように考えておるところでございます。
  21. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 ヨーロッパEEC関係、国情の関係から申しまして、青少年相互交歓というのは非常にやりやすいと思います。日本地理的条件その他諸外国の状況から申しまして、相互交歓というような問題はなかなかむずかしい問題があると思います。しかし、東南アジアにおきまして日本指導的な役割りをやりまして、特に経済援助というようなことをやかましくいわれておるわけですが、同時に、文化的、教育的な面からも東南アジア後進国に対しまする援助と申しますか、開発は必要であろう、そういう意味から申しましても、教育的にはある程度交流をもうすでにやっておるわけでございますが、青少年交歓とか、そういうことによりましてアジア諸国の文化を上げるという意味におきまして、川崎委員の御提案は非常に将来のことをお考えと思いますが、また、これがさしあたり直ちに実現するとは思いませんけれども、私どもも十分考えて、日本の使命と申しますか、ということもそこにあると思いますので、研究してみたいと思います。  補助率の引き上げは、先ほどちょっと申し上げましたが、十分引き上げるように努力いたします。
  22. 川崎秀二

    川崎(秀)分科員 いま社会教育局長答弁、私も非常に希望しておったことです。実は日本側は、行くものばかりで、なかなか受け入れるということをやっておらないですよ。受け入れをやるだけの団体がいままでなかったわけです。また、財政的にも困っておるし、無理だったと思うのです。この間ドイツから来たときに、十分受け入れをしましただけでなしに、これはオリンピックのときにもばらばらに行なわれておりましたが、一つの新機軸として民泊というものを東京都内でやってみたのです。これは三木外務大臣や前の最高検の花井さんのうちに泊めてもらったのもあります。しかし、そういう有名人あるいはえらい人というんじゃなしに、中流家庭、本所の薬屋さんのうちや、吉祥寺の小間物店で、ドイツ語はわからないけれども、ぜひドイツ青少年を泊めたいというのもあって、それが非常に成果をあげておるわけですから、そういうことを組織する、オーガナイズすることができれば非常にうまくいくんじゃないか。受け入れは最も大切であって、日本の躍進する現状を外国青年に見てもらうということに、これから先はウエートを置いた政策を進めていくべきだと思うわけです。  弊害のほうを若干申し上げておきまして、文部大臣としてどう対処するかということでございますが、これは個人で行く場合もあるし、団体で行く場合もある。団体で行って、パリのシャンゼリゼあたりを夕方ゆかたを着て歩いておる女の子が相当いるのです。去年私は見かけて驚いた。どこの大学だといったら某大学、こういうことをされては困る。ゆかたというのは、ヨーロッパじゃどうですかね、寝巻きも同じですからね、相当考えなきゃならぬ。それから、個人の場合でいうと、アメリカでも日本青少年が行って非常に問題を起こしておるのは、この前自民党の政調会でも指摘をされて、いろいろ対策なんかも協議されておりました。いま一番うまくいくのは、シベリア経由でストックホルムに行くと、あそこは労働人口が少なくて非常に給与の高い国なので、さら洗いをすると月に八万円から九万円くらいになる。それで三月くらいかせいでヨーロッパをぐるぐる回る。昨年はストックホルムだけで五百何人おったそうで、ストライキを起こして大使が音を上げておった。スウェーデン側も、最初は非常に手不足だからよかったのですが、だんだん日本学生ばかりで、それがしまいには争議を起こしてすわり込むというようなことで、非常な問題があったのです。こういうような傾向に対して何か手はないものかと思います。これは外務省ともよく相談されて対処されなければならぬと思いますが、何か知恵はありませんか。
  23. 木田宏

    木田政府委員 海外渡航が自由にできるという現状でございますので、事前に一人一人についてチェックするということはとり得ないところでございますが、一般的な課題として、やはり国際的な、広い世界へ出て行きます場合の素養、教養というものを、端的に言いますと、国際理解についての認識を学生青年諸君の間に広めていくということを考えなければならないと思います。また、グループで行きます場合には、川崎委員も御関係のところでお骨折りいただいておりますように、それぞれの団体がかなり事前にグループとしてのトレーニング、オリエンテーションをして出かけて行く。一般学生アメリカへ勉強に行く、ヨーロッパに勉強に行きます場合の出方につきましても、すでに御指摘のありましたように、いろいろトラブルがあることはございますが、やはり個人が自由に出かけて行くということにつきましては、これは相互受け入れ側、あるいはこちらの側の大学関係あるいは高校関係の素養としてトレーニングを重ねていく以外にはなかろうかと思います。私のほうといたしましては、その意味におきましても、青年のこれからの国際交流がやはりいいグループによるグループとしての交歓、そして事前の訓練なり教養で団体としての行動の規律を高めるという方向に伸びていくということによりまして、個々人で行った場合の無責任な行動が少しでも少なくなるということを期待していきたい、かように考えておる次第でございます。
  24. 川崎秀二

    川崎(秀)分科員 これについては、また近い機会に何か私も考えを出しまして御相談申し上げたいと思います。  それから、ひとつ警告を申し上げておきたいのは、とにかく、この海外旅行熱を利用して、妙な団体もぼちぼちできかけてきているようであります。これは文部省のほうからもちょっと御連絡があって私も調べてみましたが、そういうようなのはひとつ厳に注意してもらいたいと思います。  それから、ユニバーシアードの問題は決着がついたわけですが、あれはむしろ組織委員会の内部がああいう問題でごたごたしたことはぐあいが悪いと思って、一昨日は、内部でも私どもかなり奔走して、とにかく開催ということにきめたわけですけれども文部省はき然としてひとつ指導していただきたい。組織委員会が自主的に動くのだけれども、ここまできて返上とかというようなことのないように、それにはやっぱり東欧圏もソ連圏も参加できるような雰囲気を醸成しつつやっていただきたい、こういうように思っております。これについての文部大臣のお考えを聞くことと、いま一つ、立ったついでですから簡単に申しますと、ユニバーシアードでは、それこそ学生オリンピックにふさわしい何か行事を盛るべきだと私は思っておるわけです。まだ組織委員会で話が出ていませんが、学生の都内パレードというものも一つあるのじゃないか。大学の運動部の学生諸君によってなごやかなパレードをひとつ案出してみたらどうか。それから開会式の火も、原子炉から火を取って、従来のからを破ろうというようなことを言っておった。ああいうものをやって新機軸を出して、学生の素朴な、しかしオリンピック大会とは非常に違った味を出していくということに指導してもらいたいと思います。
  25. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 ユニバーシアードがああいう形でちょっと問題がございましたけれども、いよいよ決行することがきまりまして、私も非常に喜んでおります。これに対しましては、文部省としてはできるだけの予算的な措置も講じて、ぜひ学生スポーツとしての成果をおさめるように念願をいたして、できるだけのことはいたしたいと思います。  なお、プログラムの編成その他につきましては、組織委員会でいろいろ御相談があると思いますが、その御相談に文部次官も入っておるわけでありますから、十分中に入りまして、いろいろなことをして学生スポーツ大会として非常に意義あることに終わらしたい、それに対しては文部省もできるだけ協力をしたいというふうに思います。
  26. 赤石清悦

    赤石政府委員 私、先生の御質問のいろいろな学生らしい行事のすべてをまだ整理しておりませんので、いま気がついたことだけ申し上げます。  火は、一応組織委員会のほうで、たしか予定しておるようでございますが、ただ最終決定まではまだ至っておらないはずでございます。  それから、御指摘のように、学生のオリンピックという色彩を盛り上げるために、日本全国すべての大学から代表二名が開会式に参加し、そして歓迎パレードをする、これははっきりきまっておるようでございます。その他そうした学生らしい行事をやるべく、いま関係の委員会で審議中のはずでございます。
  27. 川崎秀二

    川崎(秀)分科員 その歓迎パレードをやれというのはもともと私の案ですが、ここのところちょっと一、二回休んだものですから……。そういうことにきまればけっこうです。  それから予算委員会が二十八日に終わるかどうかは知りませんが、いよいよ二十九日が天皇誕生日で連休になりますね。連休に入るにあたって、非常に冬山の遭難の危険があることが昨日も出ておりましたが、文部大臣は、この席上を通じてぜひ警告をしてもらいたい。文部大臣がはっきり警告することによって、何人か人間が助かると私は思っておる。去年も、国会スポーツ議員連盟で緊急総会を開きまして、それでやったら、とにかく前年に比して三分の一というような数字になった。ことしは雪が非常に残っておってあぶないですから、文部大臣からぜひ警告をしていただきたい。
  28. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 この問題、連休に入るにあたって文部省も非常に心配なものですから、二十日付で局長名入りで全国に通牒を発したわけでございます。特にいま申されますとおりに、最近まで天候が非常に異常天候でございまして、雪の関係その他非常に危険であると思います。この際、この連休中におきまして遭難事故があとを断つように、大臣としても強く警告をいたしたいと思います。
  29. 川崎秀二

    川崎(秀)分科員 私立大学の経営難あるいは私立大学の危機ということについては、もう何べんも世の中の関心の的となって、対策も練られ、昨年の対策から見れば、施設寄付に対して免税するというようなことも出まして、非常に前進したわけであります。しかし、まだまだ足りない。同席の山中委員などは、党は違いますけれども非常に御熱心でありますから、いずれ機会があればそのことについて御質問があると思います。私は、ただ私立学校助成法というものを将来つくりたいというので盛んに関係君が運動しておりますが、この間の調査会の答申は尊重されて、その助成法についても十分検討されるものかどうか、それだけ伺って、私の質問を終わります。
  30. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 四十二年度予算は、調査会の中間答申に基づく予算的な措置をいたしたわけでございますが、基本的な問題は、この六月末日をもって本答申が出ることになって、調査会も非常に勉強していただいておるようでございます。この調査会の結論が出ますれば、四十三年度予算問題になりますし、また、これに対して助成法と申しますか、そういったような法律の立法をいたしますことは絶対必要になると存じますので、その方向に向かって検討を続けていくつもりでございます。
  31. 北澤直吉

  32. 猪俣浩三

    猪俣分科員 私の具体的な質問に移る前提といたしまして、根本方針について文部大臣に伺いたいと思いますが、それは、わが国の教員養成の機関についてであります。  これは専門家である皆さんにいろいろ申し上げるまでもないのでありますが、根本は、ドイツの有名な教育学者であり、哲学者であるシュプランガーの「教員養成論」、これは非常に古い木でありますけれども、しかし、これは教員養成論の聖典とされておって、日本教育大学協会でも翻訳されて出ておる本であります。彼の結論は、学術専門学科教員の養成には総合大学が適当であるけれども国民学校教員の養成には総合大学は不適当であって、そのためには特別な組織を持つ養成大学が必要であるというのであります。日本においても、過去において教員養成機関として師範学校というものがあったわけであります。私も、実はその師範学校の卒業生でありますが、それはいろいろ長短があったと思います。けれども、教員としての魂、教育魂と申しますか、そういう背骨が一本通った教員が相当養成されたことは事実だと思う。そこで、今日、小中学校の教員は非常に不足しておると思います。あと、例をあげますけれども、ほとんど正式な教育機関じゃないところから出てくる先生が、非常に多くなっている。そして総合大学の教育学部というものがその養成に当たっておるような状態でありますが、将来、小中学の義務教育の教員というのは重大な使命を持っているものでありますから、こういう教員を養成する特別な養成大学というようなものをつくる御方針があるのかないのか、それをひとつ承りたい。
  33. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 教員養成のやり方つにきましては、日本としまして歴史的に非常な変遷をいたしまして論議されてまいったところでございます。御承知のように、師範学校制度がだんだん移行しまして、特に終戦直後におきまして師範学校のあり方、教員養成のあり方についていろいろ論議が行なわれ、その結論として、師範学校特有のやり方でなしに、いわゆる一般教養を高めていくべきだというような議論が相当強く出て、終戦後学芸大学とか学芸学部とかいう名称を持ちましたのは、そのあらわれであったと思います。ところが、いま申されましたように、それではほんとうの魂の入った教員はできぬじゃないかというので、教員養成についてははっきり教員養成とうたった大学によってやるべきだという論議から、中教審の答申もございまして、文部省としましては、これを教育大学、総合大学の中にございますと教育学部ということで、だんだん変えてまいっておるのでございますが、独立の教育大学というものに全部してしまうかどうかという問題につきましては、いまにわかに結論は出せませんけれども、しかし、総合大学の中におきましても、教員養成の学部は他の学部と相当性格が違うものでございますので、一つ大学の学部になっておりましても、その教育のあり方というものは、普通の総合大学の学部と違ったようなあり方でいくということに現在もなっておると思いますが、これを単独の大学に全部してしまうという状態にまでは、まだ現在の段階では考えておりません。
  34. 猪俣浩三

    猪俣分科員 これは欧米の教員養成機関を見ましても、ほとんど、たとえば西ドイツにおきましても、あるいはイギリスにおきましても、フランスにおきましても、アメリカにおきましても、教員養成の特別機関がみなできておるという実情でありますが、日本のいまおっしゃった総合大学の中の教育学部というものが、一体そういうふうに、いまあなたのおっしゃったような教育魂を吹き込むような学校になっているかどうか。もちろん昔の師範学校のように、忠君愛国論を中心として軍国主義的な教育をするような教員を養成せられちゃたまったものじゃありませんが、しかし、骨の師範学校出でも、そういう人物ばかりが出ておりません。いま、社会党の議員の中には師範学校出の人が相当いるわけであります。ですから、文部省さえしっかりしておれば、そういう師範学校の弊害というものは除去できると思うわけでありまして、私どもはやはり、何か自分の郷愁かもしれませんが、昔の師範学校というものは、先生としての魂の非常にしっかりしたものが相当出ておったというふうに思われるのであります。これは文部省としてもひとつだんだん御検討願っておくことにいたします。  次に、私がお尋ねいたしたいことは、これは古い話でありますが、昭和三十二年四月二十三日の第二十六回国会の衆議院の本会議で全会一致で通りましたる教員養成機関の改善と充実並びに理数科教育及び自然科学研究の振興に関する決議、これは厚生大臣になられたことのある坂田道太君そのほか超党派で四十二名の人が提出いたしまして、全会一致で衆議院を通過したものであります。もう古いことでありますので、一応私がその坂田君の提案理由の一部を読んでみまするならば、こういう趣旨になっておる。「大学設立当時、画一的に一県一校を建前としたために、かえって教員需給のバランスを失い、教育の機会均等を失したところも生じてきたことであります。もともと、教員養成の大学は、大学としての高いレベルを維持することの必要なことももちろんでありますが、同時に、児童と同じ歴史と環境のもとに育った教員が、次の世代を背負う生徒、児童とまた同じ環境のもとで教え導いていくところに、大きな意義があると存ずるものであります。」ここに大きな拍手が起こっておる。「このように、いわば地域性を持ったところに一般大学と異なった教員養成大学の特徴があると考えられるのであります。また、時代の進運につれ、臨時的二年制の課程も漸次四年制の課程に切りかえて、教育内容の充実改善をはかり、もって将来の教員たるべき資質の向上と、その教職としての重大なる使命の自覚とを促すことも喫緊のこととなったのでございます。従って、政府は、従来の行きがかりにとらわれることなく、教員養成大学の使命にかんがみ、必要に応じては、その地域における伝統と実情を勘案し、教員の需給のバランスを考慮して四年課程の拡充をはかる等、教育の機会均等を失するおそれなきための適宜の措置を講ずべきものと考えるのであります。」これが提案理由の説明になっておりまして、これに対しまして、当時の灘尾文部大臣はこう答弁している。「ただいま御決議になりました諸項目は、いずれもわが国の教育が今日当面いたしております重要な問題でございますので、政府におきましても目下種々検討を加えておるところでございます。満場一致の御決議に対しましては、われわれは、さらに一段の熱意をもってこれが調査研究を加え、御決議の御趣旨の達成のために最善の努力をいたす所存でございます。」こういうふうな答弁をなさっておるのであります。これは現在でもさような趣旨でございますかどうか、文部大臣から伺いたいわけであります。
  35. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 終戦直後におきまして、いまの新制大学を旧制度から新制度に移行しますときに、私もその事務に当たったわけでございますが、あの当時の事情から申しまして、一県一大学というのを立てましたのは、財政上その他の状況によりましてやむを得なかったと存じます。しかし、今日に及びまして、このやったことがはたしてよかったかどうかということについては、相当これは批判のある問題だと思います。特に教員養成機関というものは、非常な特別の存在でございまして、それを一括して総合大学の中に抱き合わせ大学と申しますか、性格の異なるものを一つ大学につくり上げたという問題につきましては、私自身も非常に今日振り返りまして批判的に考えておるわけでございます。  それで、今日地域的に教員養成の学校を持つという問題についての考え方は、現在におきましては、一府県においては一教員養成機関があるわけでございますが、なお歴史的に、一つの県の中でも幾つかの教員養成の機関があった状況におきまして、これを今日一つ地域一つの教員養成の機関に県を統合してしまうかどうか、こういう問題が今日直面した問題の一つでございます。学校当局のほうから申しますと、だんだん教育の内容なり養成の質的向上をはかる意味におきまして、大学当局は非常に統合ということは希望いたしておる場合が多いのでございますが、しかし、大学の成立過程及び地域的な感情、国民感情と申しますか、またもしくは、いま申されましたように地域的な教員養成のあり方、これらにかんがみまして、私は、にわかにこれを強制的に一本にしてしまうというわけにはいかないので、これにはやはり相当な時間と、また、もし調整ができて一本になるという場合は別でございますが、そうでなければ、急にこれを一本にしてしまうというわけにはいかないとただいま考えておる次第でございます。
  36. 猪俣浩三

    猪俣分科員 剱木さんは長らく文部省においでになったのでよく実情はおわかりのことと存じますけれども、いま私が読み上げました三十二年の衆議院の全会一致の決議が出ました原因は、結局、新潟県の衆参両院議員超党派的に一致いたしまして、文部省と交渉をいたしまして、そうしていま大臣がおっしゃったように、大学当局は全部これを新潟に統合するという根本方針を堅持しているが、これでは地方の実情に沿わないということで文部省に交渉し、文部省もそれを認めたのでありますが、大学自治の尊重という点から、これはひとつ国会で決議してもらいたいというようなことから、これも超党派で、いま読みましたような坂田道太君の提案理由の説明のような説明があり、文部大臣も了承されてきたのであります。ところが、新潟県の実情を見ますと、どうもこの決議が何の意味もなしておらない。私は、国会におきまして、しかも衆議院におきまする全会一致の決議というものが、まるでほごみたいにされておるということは、民主政治の今日においては、はなはだ奇怪なることだと思うわけであります。これでは国会の権威も何もあったものじゃないと思うのであります。ただ、いま文部大臣の御方針だとすると、今度の文部省予算について、はなはだ疑問があるわけです。それは、いま新潟大学に一大総合大学をつくるということになって、設備費、敷地買収費その他七、八億円の予算が計上されておる。そこで、ひとつ具体的にお尋ねいたしたいことは、場所は新潟市の五十嵐浜という地区で、ここに六万坪の敷地を四億円余で買収した。そこに全部大学を統合するというようなことを、新潟大学の評議員会では決定しているようであります。そこでお尋ねいたしますけれども、この五十嵐浜に六万坪の土地を買って、そうしてここに施設費を三億円余認めている。買収費までが四億円。そうすると、ここに全部新潟大学関係の校舎を移す意思であるのかどうか。たとえば現在新潟旧市内の旭町にあります医学部、歯学部及びその付属病院、こういうものを全部ここに移す御予定であるのかどうか、そういう意味においてこういう予算をとられたのかどうか、これは適当な政府委員に御答弁願いたいと思います。
  37. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 新潟大学当局のほうで、大学たる形態とか、最近におきまして各学部間の研究の重複とかいった問題もございまして、大学当局はできるだけ早い機会に統合したいという強い要望を文部省に持ってまいっておることは事実でございます。しかし、文部省としましては、いま申されましたように、新潟にございます医学部及び歯学部につきましては、現地におきまして改築計画を立てまして、病院その他大体六割方の完成を見ておりまして、今後その完成を続けていくつもりでございます。また、長岡におきます工学部及び高田におきます教育学部、これらは、先ほども申しましたように歴史的な、また地域的ないろいろの問題がございますので、これらを全部早急に文部省は統合しようという考え方はしていないわけでございますが、ただ、五十嵐浜におきまして新しい敷地を購入し建設計画をいたしておりますのは、各学部にまたがっております教養部、これは御承知のように新潟高等学校のあと地で教養をやっておるのでございますが、その当時約六百名ぐらいの学生に対します施設でございまして、非常に狭隘で不十分でございますので、この教養部だけは一つところに集めまして、そして教育をすることが適当だと考えます。これは合併統合の問題とは切り離して、教養部の建設をやろうということを決意したわけでございます。
  38. 猪俣浩三

    猪俣分科員 医学部や歯学部あるいは長岡の工学部は統合するためではないのであるが、教養学部だけは統合するという御意思のようであります。そうすると、高田にあります教養学部もここへ統合するという御意思でありますか。
  39. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 現在新制大学で一番私どもの悩みは、教養部の問題でございます。これが各学部が点々としております場合に、その地点で教養部を別個に持ちますことは、教員の問題から学生の訓育とか、そういった問題から申しまして不合理な点が多いものですから、教養部は——教養学部でございません、教養部でございますが、これだけはできるだけまとめてやりたいという大体の方針でございますから、これは工学部も教育学部も全部、教養の課程につきましては、ところにまとめてやる方針にいたしておるわけでございます。
  40. 猪俣浩三

    猪俣分科員 そうすると、いま高田には二年制の教養部しかないわけでありますが、高田のこの教養部というものは全部新潟に統合されることになると解釈してよろしゅうございますか。
  41. 天城勲

    ○天城政府委員 先生よく新潟のことを御存じなので、くだくだ申しませんが、教育学部、現在新潟と長岡と高田で行なっておりますが、そのうち長岡と高田では、たとえば長岡には家庭科、それから高田には音楽、美術、保健体育の課程、それからそのほか特別教科教員養成課程がございます。  いま大臣が申し上げましたように、新潟大学医学部から工学部、農学部いろいろ含めまして、教養課程を教養部という形でこれを呼んでおりますので、その教養部を一カ所にまとめたいというのが現在の考え方でございます。長岡とか高田、あるいはその他の地域の学部をどうするかということは、なお問題がございますので、慎重にいろいろ検討いたしたいと考えておりまして、現在の段階は、教養部の問題だけを考えております。
  42. 猪俣浩三

    猪俣分科員 実は新潟には、上越、中越、下越とあるのでありますが、上越地方のほとんど、これは全部といっていい住民の最も不安なことは、義務教育に従事する教員の不足なんであります。ことに山間僻地が多いために、他府県から来たような人たちはとどまっていてくれない。これは文部省でも御検討になっていると思うのでありますが、数字がたくさん出ております。いま最も必要といたしておりますのは、小中学の義務教育の教員なんです。この養成を地域でやりたいというのが上越地方の住民全部の熱願であることは、文部省もよく御存じだろうと思うのであります。いま、音楽その他体育とか専門のあれがあるようなお話ですが、そういうものよりも、小中学の教員の養成、それが住民の熱望なんです。  ところが、ざっくばらんに申しまして、上越地方の疑いは、いま数億の予算を組んで五十嵐浜に総合大学をつくるということは、これは新潟旧市内にありまする医学部、歯学部、あるいは長岡の工学部なんというのは、これは永久建築であって移せるものじゃない。結局、高田にありまするものを五十嵐浜へ持っていく目的で、かような総合大学案を進めているのだということが、上越住民の重大な疑いであります。いまお聞きすれば、文部省の方針もそのようであります。そうしますと、上越地方にとっては、これは大きな打撃であります。なぜかと申しますと、一時、高等学校を出て二年で教員の資格を与えられたことがあります。その当時、高田に二年制の大学の分校があったわけであります。その場合、当時には相当の入学者があった。ところが、それがなくなりまして、今度四年課程ということになりまして、あと二年は新潟へ移らねばならぬということに相なりましてから、上越地方に入学者が激減してしまった。これは無理もないのです。距離を見てごらんなさい。高田と新潟、この距離は、東京へ来たほうが早い、便利なわけです。そういうふうな非常に地形的にも特殊なところでありますから、生徒が、新潟大学の高田分校へ入るよりも東京へ出てきてしまう。東京のほうはアルバイトもあるし、かえって楽だということになります。たとえば、高田から新潟まで参りますには、キロメートルとして、距離が百四十三キロメートルあるのです。ところが、隣県の富山を経て金沢へ行き、金沢から福井まで行きましても、キロメートルにすれば百三十六・五キロメートルです。だから、高田から新潟へ行くよりも、富山から福井まで行ったほうが、三県を通過したほうが距離が短いくらいなことになる。こういう非常に地形的な立場があるわけでありますから、新潟へ行かなければ教員の免状が取れないというような実情であれば、上越地方の人間は入る者がなくなってしまうわけです。これが上越地方の非常に心配しているところでありまして、たとえば、現に新潟大学の教育学部の入学者は、四十一年で、小学校の部で、上越地方は二十二名、ところが新潟地方からは九十三名、県外から百十五名、中学校の部は、上越地方からは九名、下越のほうは三十三名で、県外が五十四名になっておる。四十二年度になりますと、上越地方からの入学者は十七名、下越が七十九名で、県外から百四十二名入ってきている。これは小学校の部です。中学校の部になりますと、上越地方は十三名、下越が二十九名で、県外からは六十一名、こういう状態に相なっておりまするから、上越地方から小学校、中学校の義務教育教員となるべく教育学部へ入る人間というものは激減してしまっている。そういたしますと、やはり自分の出身郷里ならばいろいろの情実、縁故関係もありまするし、便利もありまして、上越地方の出身者は、上越地方の教員として骨を埋めるというものも相当あるわけであります。ところが、四十二年度に小半校の教育学部へ入った者は十七人しかいないで、県外から百四十二人も入ってしまっている。こういう県外から来た連中は、上越地方になんか永住しませんよ。しかも、山間僻地の土地なんというものはどうもこうもならぬ状態です。これは新潟県全体のことでありますけれども、小学校において正式の教諭というもの——これは昭和三十九年の統計ですが、正式の教諭は二百十名で、あと、講師と称するものと助教諭と称するものが六百名近くある。正式教員の資格者は三分の一しかない。これは新潟県全体でです。いま上越地方のものが出ておりませんけれども文部省で統計されておったら出してもらいたい。これじゃ、かつて衆議院で全会一致で決議いたしました義務教育機関の充実なんというものは、およそかけ離れた結果になってきている。それなのに、なおこの新潟大学高田分校の二年制までも新潟に持っていってしまう。これは入学者はゼロになりますよ。それに対して、一体文部省はどういう処置をなさるのか、それをひとつ承りたいのです。
  43. 天城勲

    ○天城政府委員 新潟県は、地形的にもたいへん大きな県で、いろいろな条件を持っておるわけでございまして、県としましても、教育行政をやる上の困難性があることも承知いたしております。県の教育委員会におきましても、教職員の人事行政につきましては、その点を十分考えて、教員の配置の適正にいろいろ努力されておるわけでございます。数字的にというお話でございますので、私たちも新潟県の状況を数字で申し上げますと、いま資格ある教員が三分の一しかいないというお話がございましたけれども、私たち正確に教諭、助教諭あるいは講師等の比率で見てまいりますと、新潟県全体といたしましては、小学校で教諭は九四・二%……。
  44. 猪俣浩三

    猪俣分科員 それはいつですか。
  45. 天城勲

    ○天城政府委員 四十一年五月一日の指定統計による調査でございますが、小学校で九四・二%、中学校では九七・七%という率でございまして、新潟県が特にひどいという状況ではないと思っております。特に御指摘の県内の状況を見まして、県もいろいろ努力された結果だと思いますが、上越、中越、下越と通常いわれている地域につきましても、むしろ数字的には、中越のほうがちょっと悪いくらいで、上越、下越も極端に悪いという状況ではむしろないと考えております。したがいまして、いろいろ困難な事情はあろうかと思っておりますけれども、県の教員の人事行政につきましては、それぞれの県の事情がございますが、新潟県も新潟県なりに非常に御努力されているというようなことでございまして、特に上越だけのひどい状況ではないというように承知いてしております。
  46. 猪俣浩三

    猪俣分科員 私は詳しくわからぬのですが、教諭というのと講師というのと助教諭というのは、これはみな正式なものなんですか。どういう違いがあるのです。教諭と講師というのはどういう違いがあるのですか。
  47. 天城勲

    ○天城政府委員 いま免許制度の上から申しますと、教員の養成は、大学の四年課程を終わりまして一定の教職課程を済ませた者に、小、中学校の一級の教諭の免許状が授与されます。それから二年制の課程で同じような教職課程を終えた者が二級の教諭でございます。したがって、助教諭というのは、高等学校を卒業した者に対して与えられる免許状でございます。
  48. 猪俣浩三

    猪俣分科員 私が言うのは、やはり一級の教諭と称する者の数が非常に少ない。これは私が読みました昭和三十九年のは、新潟県の学事課で調査した報告に基づいて言ったんです。教諭と称する者が二百十名で、講師と称する者が百六名で、助教諭と称する者が四百二十八名になっている。九〇何%と称するのは、これをみんな正式な教員だということになればそうなるかもしれませんが、要するに、一級教諭、四年制の課程を出た者というのははなはだ少ない。新潟県全体として少ない。上越地方はまだ出ておりませんが、とにかく、そういう意味において、四年制の教員養成機関が必要だという論拠からこういう統計を引用したわけであります。  なお、私は一時間だと思っておったら、そうではなく三十分のようでありますので、はしょってなお質問いたします。  そこで、もう一つお尋ねいたしますのは、高田に教諭を養成する専門の大学をつくりたいというのが上越地方の一致の念願でございますが、これに対して文部省はどうお考えになっておりますか。
  49. 天城勲

    ○天城政府委員 先ほど冒頭に大臣から御答弁申し上げましたように、新潟大学自身といたしましては、関係学部の力を合わせてりっぱな総合大学をつくりたいという考えがあるものですから、当面すぐ実現できるとは考えておらないのでございますが、将来の方向として、新潟大学を一本にしたいという気持ちは持っております。しかし、先ほど申したように、学校につきましてはいろいろな歴史的な事情や地域との関係もございますので、この実現の方向について、いろいろなまた別な条件もあるように承知いたしております。したがいまして、新潟大学全体の方向、あるいは高田の問題につきましては、われわれはなお慎重に検討していきたいと考えております。
  50. 猪俣浩三

    猪俣分科員 どうもわかったようなわからぬような答弁ですが、いま言ったのは、いろいろな距離の関係、それから入学者の関係、ことにこの衆議院の決議から、その地域的、伝統的、歴史的な環境を重視して、教育というものはそれと結びついた環境のもとに教員養成をしなければならぬというふうな結果から見ますると、御存じのように、上越地方というものは、伝統的な高田師範というものがあそこにありまして、七十年の歴史を持っているわけであります。そういう意味におきまして、あそこに教員養成大学をつくって、そして上越地方の教員の不足を満たしてやるということが、衆議院の決議にも沿うゆえんでありますし、また、教育を非常に重んじております上越地方の民心のためにもいいことじゃないかと思いますので、そういう方向文部省が積極的に踏み出していただきたいと思うのですが、文部大臣の意向をお聞きいたします。
  51. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 終戦後におきまして、一つの県に師範学校が二つ以上あったのもございますが、この処置には、いま申された高田と新潟との関係のような関係がずっとございました。ところが現在におきましては、新潟とそれから北海道を除きましては大体この問題は解決いたしまして、統合の方向に持ってまいりました。極端な例を申しますと、北海道におきましては、統合という問題はやはりお説のような理由でなかなかできないと思います。そこで新潟につきましては、地理的環境から申しまして北海道のような実情で、統合ということが困難であるかどうかということは、今後十分やはり研究していかなけれらばなぬと思います。でございますから、私のほうといたしましては、高田の教育学部をいま直ちに新潟に統合してしまうという考え方は持っていないのでございまして、そういうような問題、あるいは地域によります新潟県全体としての調整意見と申しますか、意見が一致いたしました方向に向かって私どもとしては処置してまいりたい。でございますから、はっきりと統合いたすとか、あるいはいたさないという決定はまだできないような状況にあるのが現状でございます。
  52. 猪俣浩三

    猪俣分科員 なお、最後に一点確かめまして、私は後日の質問に譲りたいと思うのですが、五十嵐浜に敷地を六万坪持ったということについて、世上いろいろの実はうわさがあるのでありますが、五十嵐浜を選定した経過を承りたい。なぜなら、この五十嵐浜というのは海岸からすぐわきで、全く潮風の激しいところであるのみならず、地盤沈下する。これは北陸農事試験場で検査してもらったのですが、昭和三十四年から昭和四十一年までの間に毎年九ないし十二センチメートル地盤沈下している。これが十年たちますと、一メートルかの地盤沈下になります。五十年もたつというと、敷地の一部は海底となる可能性が出てくる。そういう場所に何がゆえに一体敷地を選定せられたか。その敷地選定についての経過及びそういうことについて文部省は十分検査なされたのであるか、最後に承りたいと思います。
  53. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 私もそういう問題につきまして承りましたので、いろいろの面から調査をいたしてみました。五十嵐浜に決定いたしましたのは、この新潟の周辺地区におきまして相当たくさんな地域を予定地といたしまして比軽検討し、われわれのほうで十分調べました結果、五十嵐浜が適地であるという結論でやったようでございます。  それから、いま申されました地盤沈下の問題でございますが、これはやはり新潟を一帯としまして地盤沈下の傾向がありましたことは事実でございますが、これにつきましては、例の沈下防止のための規制をいたしてまいりますれば、これは新潟市内と同様にだんだん沈下は減ってまいる可能性は十分あると思いますし、また、海岸線の問題でございますが、これらの技術的な問題も十分科学的に調査をいたしまして、だいじょぶだという結論が出たので、そういうあれを買収したという結果になっております。
  54. 猪俣浩三

    猪俣分科員 最後に、これは妙な黒い霧のうわさもありますために、だれの所有地がどこへ移って、それが最後にだれが買ったのであるか、その経過をちょっと説明してください。
  55. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 こまかいことは会計課長から説明させます。
  56. 井内慶次郎

    ○井内政府委員 新潟大学五十嵐地区の土地購入につきましては、昭和四十年度予算額一億で購入いたしておりますが、この四十一年度に購入をいたしました土地は、二十八名の地主を対象といたしました。したがいまして、二十八名を相手といたしまするので、地主が財団法人新潟市開発公社を選任いたしまして、契約の締結及び代金受領について新潟市開発公社に委任状を提出し、同公社を地主全員の代理人といたしまして、新潟大学、これは契約担当官は事務局長でございますが、これと契約を締結いたしまして支払いを了したわけでございます。  なお、国立大学の土地の取得につきましては、四万平方メートル以下の坪数の場合、面積の場合は、学長と財務局長と協議をさせまして、協議が整いますと取得するという形に相なっておることをつけ加えておきます。
  57. 猪俣浩三

    猪俣分科員 いろいろまだ私お尋ねしたいことがありますが、時間がまいりましたので、これで打ち切ります。
  58. 北澤直吉

    北澤主査 有島重武君。
  59. 有島重武

    有島分科員 私は、文教関係予算審議の根拠となりますべき問題、また、少し大きく申しますと、国政運営上、一度は考えておかねばならないと思われますきわめて基本的な事柄につきまして、本日は二、三質問いたしたいと思います。  今期国会の冒頭に、内閣総理大臣の施政方針演説の中で佐藤総理は、「われわれ日本国民はすでに戦後の目標を達成し、いまや新たな歴史の創造に取り組む時期にまいりました。国家と民族の発展の基礎は、人にあります。」と述べられました。新しい時代をつくっていくべき人の育成につきましては、私ども国民すべてに課せられた重大な課題でありますが、とりわけて、文部当局がその主たる責任を負わなければならない、これは当然だと思います。これにつきまして、先般第一回文教委員会の席上、文部大臣所信として剱木文相より、「文教のことは、申すまでもなく、国政の基本であり、国家興隆の源泉であります。」との御発言がございました。私は、両大臣よりこのように、新しい時代の出発点に立つわが国の歴史的な立場と、これをささえるべき文教の重要性に対する御確信のほどを伺いまして、きん然意を強ういたしますと同時に、反面、いささか危惧の念をも感ぜざるを得ないのであります。と申しますのは、国政の基本たる文教政策のさらに基礎となるべき教育理念、または教育の目的観について、現在その理解があまりにもまちまちではないか、あいまいではないか。教育基本法第一条には、「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」と定められておりますけれども昭和二十二年本法制定当時には、ほぼ自明のこととして了解されておったかもしれませんこれらの条文も、いま新しい歴史の創造に取り組む大切な現時点に立って、いま一度吟味し再検討を加えるべきではないか、そう思うわけであります。  そこで文部大臣、また内閣法制局の方に質問いたしたいのであります。第一番目は、この基本法第一条の中には、「人格の完成をめざし、」とございますが、この点について、人格の完成とは一体どういうふうに解釈をするのか。二番目には、「真理と正義を愛し、」とございますが、この点について。第三番目には、「個人の価値をたつとび、」とございますけれども個人の価値、これはどういう判定の基準があるのか、その御見解を承っておきたいと思うわけであります。こうした問題は論議が分かれるところでありまして、一義的に、こうであれときめることはなかなかむずかしいことであるとは思いますけれども、ここでは文部大臣としての現在の御心境なり御確信なりでけっこうであります。また法制局からは、なるべく客観的に、わかりやすい解説をしていただきたいと思います。
  60. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 教育基本法によりまして、基本法のこれをどういうふうに解釈をすべきかというような解説書みたいなものが、教育基本法を制定いたしました二十二年でございますか、一応文部省から出しております。ただ、いわゆるこういう基本法の基本的な態度といたしましては、私どもは、その法律の解釈を公権的に一つの道に規制してしまうということは、一面避くべき点だと思います。ですから、いろいろな字句の解釈その他につきましては、いろいろな立場でいろいろ解釈をいたさるべきことがあり得ると思うのでございます。しかし、教育基本法の制定の趣旨といたしましては、終戦後におきまして、日本の教育界に対して一つの教育の指針を与えるという意味合いにおいて制定されたことは事実でございまして、この解釈につきまして、私どもが解釈いたしますことを強制するという意味合いでなしに、この解説書にも若いてありますように、その立法の精神から申しまして、私どもはこれにつきまして一応の解釈をいたしておるわけでございます。その解説書を見ますと、「人格の完成とは、個人の価値と尊厳との認識に基き、人間の具えるあらゆる能力を、できる限り、しかも調和的に発展せしめることであると考える。」こういう言い回し方をしているわけです。これ自体が、また一面申しますと、この解釈がまた要るようなことになるわけでございますが、私は率直に申しまして、いま申されました三項目、たとえば真理と正義という問題を申しましても、やはり人のおのおのの立場によりまして、あるいは世界観によりまして、多少の相違があると思います。ただ、私どもは、あくまで現代は民主主義国家と申しますか、議会主義国家のもとにおりますので、憲法の精神に基づいた正義感というものはおのずから社会通念上存存するものである。だから、そういったような意味合いにおきましてこれを解釈するということ自体が、その世界観の立場におきましてわれわれこれを考えるべきであって、この字句の解釈をいたしますと、いま申し上げましたように、解釈のほうがまたむずかしいというような問題も起こりますし、いろいろあるかと存じます。そういう意味で、いまの憲法下におきます社会通念上通常考えられ得る人格の完成とか、真理とかいうことを考えてみたらいいのじゃないかと思っております。
  61. 有島重武

    有島分科員 ただいまの御答弁でございますけれども文部大臣の現在の御心境でけっこうでございます。文部大臣の持っていらっしゃる社会通念なりあるいは世界観なり、そういったことについて、やはり子弟といたしましても、また子弟を持つ保護者といたしましても、また教員といたしましても、知りたいと思っていると思うわけであります。率直にひとつお答えいただきたいと思います。
  62. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 やはり人格の完成と申しましても、国家や社会を離れた個人というものは考えられません。結局、国家及び社会への義務とか責任を軽視するのでなくして、教育は平和的な国家及び平和的な社会の形成者としての個人、自分の心身を健康な日本国民として育成していく、これが教育の目的だと考えております。
  63. 有島重武

    有島分科員 いまのお答えは条文のあとのほうをずっとおっしゃっただけでありまして、人格の完成という問題について、まず文部大臣としてはどのようにお考えになっていらっしゃるか、それから真理と正義を愛するということについてどのように思っていらっしゃるか、それを率直に言っていただきたいわけであります。
  64. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 やはり個人の持ちまする人間の尊重というものの認識の上に立ちまして、この人間としての尊厳をより高く完成していくということが人格の完成だ、これはそういうようなことばで申し上げるよりほかに手はないのじゃないかと思います。
  65. 有島重武

    有島分科員 真理と正義を愛するということにつきまして、たとえば、真理と申しましてもこれはいろいろな真理があるわけでありまして、真理を愛するということはたいへんむずかしい。これはちょっと私、非常にわからないわけなんです。それから、正義と申しましても、これは先日も文部大臣と日教組が会うとか会わないとかいう問題がございましたが、それで、文部当局の考えておられる正義と、それから日教組で考えておる正義と、これは多少食い違いがあるのではないか。食い違いがはっきりすれば、これはまた話ができるんじゃないか、そう思う。どちらもあいまいになっておるのじゃないかと思うわけであります。ここではまず、文部大臣のほうから、私としてはこれが正義であると思っておる、これが真理であると思っているというようなことがあってもいいのじゃないか、そう思うわけであります。
  66. 齋藤正

    ○齋藤(正)政府委員 先生の御質問の全部にお答えすることはできないかもしれませんけれども、学校教育の中でどう考えておるかという点に限って、いまの御質問の点にお答え申し上げたいと思います。  学校教育全体の中で、特に、いま先生の御質問のような一種の徳性に関することが集中的にあらわれるのは、道徳教育の分野だろうと思います。そこで、いま人格の問題に関連いたしましては、結局人間としての誇りを持って自分で考え、自分で決断し、そして実行し、その責任をみずからとっていくということが、私は中心だろうと思う。その場合に、単に自分の人格を重んずるだけではなくて、すべての人の人格を尊敬して、自他の徳性がともに生かされるようにする、そういうようにつとめることが大切である。言いかえますれば、人格とは、人はその根本においてお互いに自由であり、平等であるという自覚から生まれるものである、こういうことが、人格に関連しては道徳教育の一つの指標になっております。  それから第二の御質問の、常に真理を愛しという点でございますが、これにつきましては、真理を愛し、理想に向かって進む誠実、積極的な生活態度を築いていくという観点で道徳教育は進めらるべきものだ。人間は、現実の中にあって、良心を失わないで真理の追求と理想実現の努力を続けていくということを通して成長していくものであるということを理解いたしまして、誠実、積極的な生活態度を築く、こういう目標を掲げております。  それから正義の問題は、これは基本法で言っておりますのと道徳教育で言っておりますのは、必ずしも一致するかどうか、要するに、範囲が一致するかどうかわかりませんけれども、こういう一面におきまして、社会的な、あるいは国家の一員としての問題と、それからもう一つは、およそ人間としての正邪善悪の判断、あるいはそういう判断とともに、おのずからそういうものを信条として、悪を憎み善を好むというようなところに進化していくということが、やはり教育の追求であろうと思います。
  67. 有島重武

    有島分科員 あまり意を尽くしませんけれども、ここでは論議はこの辺にとどめまして、法制局のほうからお願いいたします。
  68. 関道雄

    ○関政府委員 教育基本法、特にその第一条は、形は法律の形をとっておりますが、実は法律の形をとって教育の理念なり目的なりというものを明らかにしたものであるというふうに理解されますので、必ずしもそこに書いてある人格とか、あるいは真理、正義というようなことが、法律的な、概念的な解釈によって明らかにされるものであるとは思わないわけでございますが、お尋ねでございますので申し上げますと、これは法律の第一条の趣旨全体の私の理解を申し上げることになって、必ずしもお尋ねの人格の完成、真理と正義を愛する、あるいは個人の価値というものの内容の説明にはならないかもしれませんが、人格の完成というのは、御承知のとおり、憲法の主としますところの民主主義の基本、個人というものの内容を完全に充実をさせるという意味考えられます。真理と正義を愛するということは、この教育基本法において何が真理であるか、何が正義であるかということを示さずして「真理と正義を愛し」といっている趣旨は、いまいろいろとお話がありましたように、これが真理であり、正義であるということに従わせるというようなことでなくて、みずからそのことを探究し、それに忠実であるということを教育の目的とする、こういう人間をつくることを教育の目的とする。また「個人の価値をたつとび」ということは、結局個人の人格というものの相互の尊重なくして民主政治というものは成り立たないという、そういう基本に根ざすものである、こういうふうに考えます。
  69. 有島重武

    有島分科員 これもあまりよく了解し切れないわけでありますけれども、一点、真理というのは認識の対象でありまして、愛するとかきらうということは少しおかしいのではないか、そういうふうに思います。それから、ただいま、自分で考え、自分で実行し、自分で責任をとるというお話がございましたけれども、それをひとつやっていただきたかったわけであります。この問題につきまして、文部大臣文部大臣でこのように考える、その点については自分で責任をとる、自分でこのように実行する、そういう態度をみずから示していただきたい、そういうように思うわけであります。それでなお、さまざまな解釈のしかたがあってよろしいわけであると思う、それが民主主義であると思います。ここでやはり文部当風の統一見解も示されておったようでありますが、古今の諸説もあると思います。権威ある諸説もあると思います。それから現在の教職員の中でも、いろいろな見解があると思います。それから教育を受ける児童、生徒、学生の見解というものも、それなりに一応はあると思いますし、父兄、保護者たちの、何が人格の完成か、何が真理だ、何が正義だ、こうした問題についての一つの見解があると思います。そして、この四者の見解が必ずしも一様でない。具体例を並べますとわかりやすいと思いますが、ここでは省略いたしまして、こうしたことが、それぞれの立場がはっきりするということが大切なんではないか、そう思うわけであります。理解が一様でないからけしからぬ、そういうわけにもまいらないと思います。そしていま申されましたように、おのおのの立場をそれぞれ理解し、尊重した上でもって協調していかなければならぬ。あるいはさらに深く、さらに広い見解をもってこれらの種々の考え方を包容して、生かしていかなければならないわけだと思います。  そこで、提案でございますけれども、当局の権威ある見解をまとめられると同時に、現場の教職員、まだ青少年側及び保護者、この四者それぞれの立場からアンケートをおとりになって、科学的な調査をしていただいたらいかがなものだろうか、こういうような基礎的な調査なしには、これを土台といたしましていろいろな文教政策が起こるわけでありますから、そういった一切の真理が砂上の楼閣になるんではないか、そう思うわけでありますが、いかがでございましょうか。これは文部大臣から……。
  70. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 ただいまの御説、私も全く同感で、ごもっともだと思います。そこで文部省といたしましては、昭和四十二年度総理府におきまして世論調査をいたすことになっておりますが、その世論調査におきまして、実はその対象は一応——いま申されました教職員とかいろいろございましたが、私どもの希望といたしましては、青少年の教育に役立つために、そういう問題につきまして青少年考え方はどうであろうかという実態をまず調べてみる。たとえば、青少年の描きます理想像であるとか、倫理観、あるいは職業観とか世界観、そういったものをずっと八項目に分けまして、そうして世論調査にあわせまして、まずとりあえず青少年の現在の考え方につきまして実態調査をしてみたい。それで、御承知のように教職員とか壮年層、そういうことも最後に必要だと思いますが、さしあたりこの四十二年度は、青少年の教育に資するために、青少年のその実態を調査してみたい、これを四十二年度実施する予定でおります。
  71. 有島重武

    有島分科員 四十二年度につきましては、それじゃすでに御決定を見たようでありますので、さらに来年度におきましては、各層にわたりまして調査を徹底していただきたい、こういうふうに提案をするわけであります。
  72. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 ぜひそういうようにやります。
  73. 有島重武

    有島分科員 次に、先般、当予算委員会の総括質問の際の応答の中で、佐藤総理が、この日本社会の主体となるべき風格ある人間の育成の具体的なビジョンといたしまして、中央教育審議会の「期待される人間像」に言及されました。ただいま私の手元にございますのは四十一年九月十一日付の審議会報告でございますけれども、これは最終案とみなしてよろしいものか、さらに検討の余地があるものか、もし検討の余地がありますならば、どの点に不満があるのか、その点を承っておきたいと思います。
  74. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 「期待される人間像」は、中教審におきまして後期中等教育の問題を取り上げましたときに、一応「期待される人間像」という人間育成の上の目標と申しますか、そういったものを研究いたしまして、こういうものを出されたわけでございます。しかし、これはあくまで教育上の参考資料として出されたのでございまして、この内容につきましては、このとおり取り上げられるかどうかということも、またいろいろ問題があると思いますが、中教審としましては、一応これは参考資料として最終案として出したのでございまして、おそらく中教審自体でこれを再検討しまして再提出するとかいう考え方は、現在ないと思います。なぜなら、これは一応の参考資料という意味で出したのでございますから、参考になる人はこれを参考にしてくれという意味合いで、そう強くこれを中教審が、このようにすべきだという意味の答申ではないように私聞いております。
  75. 有島重武

    有島分科員 ただいま参考資料である、ほとんど最終的な参考資料であるというお話でございますけれども文部大臣としては、これにほぼ同感していらっしゃると思ってよろしいでしょうか。
  76. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 私自身は、非常にいい参考になると思っております。
  77. 有島重武

    有島分科員 この「期待される人間像」を一読いたしまして、おおむねりっぱな文章であると存ずるわけでありますけれども、ただ、ここで第二部の第一章第五項にございます語句につきまして、これをどのように理解しているのか、いささか困惑を感じておりますので、御見解を承っておきたいと存じます。短い文章でございますから、ここで一度読ませていただきます。五項目「畏敬の念をもつこと 以上に述べてきたさまざまなことに対し、その根底に人間として重要な一つのことがある。それは生命の根源に対して畏敬の念をもつことである。人数愛とか人間愛とかいわれるものもそれに基づくものである。  すべての宗教的情操は、生命の根源に対する畏敬の念に由来する。われわれはみずから自己の生命をうんだのではない。われわれの生命の根源には父母の生命があり、民族の生命があり、人類の生命がある。ここにいう生命とは、もとより単に肉体的な生命だけをさすのではない。われわれには精神的な生命がある。このような生命の根源すなわち聖なるものに対する畏敬の念が真の宗教的情操であり、人間の尊厳と愛もそれに基づき、深い感謝の念もそこからわき、真の幸福もそれに基づく。  しかもそのことは、われわれに天地を通じて、貫する道があることを自覚させ、われわれに人間としての使命を悟らせる。その使命により、われわれは真に自主独立の気魄をもつことができるのである。」こういう文章でございますけれども、この中で生命の根源とあります。これにつきまして、一つには、人類愛とか人間愛とかいわれるもの、二番目には、すべての宗教的情操、三に、人間の尊厳と愛、四には、深い感謝の念、五に、真の幸福、六が、天地を通じて一貫する道があることを自覚する、七は、人間としての使命、八には、真の自主独立の気魄、こうした人間として最も大切な徳性はみなこの生命の根源を畏敬する念に基づく、そういうお話でございまして、この庄命の根源というのはよほど大事なものである。この生命の根源がはっきりいたしませんと、答にございますさまざまな人間の諸徳性はその基盤を失ってしまう。したがいまして、この人間像、これを出発点なり終着点として発しまするあらゆる文教政策の努力も、すべてはっきりしない、宙に浮いた活動になってしまうことになるのではないか。そこで、生命の根源とは一体何か、これを承っておきたいと存じます。
  78. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 これは中教審が「期待される人間像」といたしまして、中教審自体の考え方で答申をしたものであると存じます。したがいまして、この内容の解釈は、私どもがいろいろ定義づけるとかいうものではないと思いますが、しかし、いま私どもの感じといたしましては、ここではいわゆる人間の宗教的情操の根源、根拠と申しますか、そういうものが人間の中に一つの基本的なものとして存在するのだ。これにこの人間が敬虔な念をもって、これにいわゆる宗教的情操というものがわれわれの幸福とかいろいろな問題の根底になっておるというような意味を、これはここで言ったのじゃないかと私思います。しかし、この点につきましては、実は私どもよりも——こういうことはどうでございましょうか、御批判等につきましては、むしろ先生のほうにお教えをいただきたいというような感じで、これは中教審が書いたのでございますから、私としては概括的に、人間は自分の生活上の基本として宗教的情操というものが非常に大切であるということを、ここで言及しておるのではないかと考えております。
  79. 有島重武

    有島分科員 この解釈につきましては、論が分かれると思うのであります。そして、それぞれの確信もあると思いますし、実際どうしたら生命の根源を畏敬することになるのか、そういう方法論も、これは教育の立場としては非常に大切なことになってくるのではないか、そういうふうに思うわけであります。それで、多少その方法論において違いがございましても——方法が同じであれば、その効能なり帰結が同じになる、それもよろしい場合があり得ましょう。ここでは方法論はさておきまして、いまのお答えを伺っておりましても、非常に循環論法的なあいまいな話におちいっていくようであります。こうしたことは、不明確であっても、主観的であってもかまわないのだ、あまり深く考えないことにして、ともかく、そう思っておけということに万一なりますと、悪意の人が自分の立場を守るために、こうした言語を振り回して人を惑わすような、非常に危険なことになる場合も考えられるわけであります。こうしてこの答申の一番かなめとなっております根源のあたりでもってあいまいになってしまいますと、実際問題といたしまして、一個人の心の中の問題にいたしましても、支離滅裂になるおそれがあるわけであります。それで平常は常識ある人としてふるまうことができても、環境の急激な変化や事態の逼迫にあっては、自分自身も修めることができなくなってしまうおそれがある。こういうのは、畏敬のしかたが足りないのか、それとも、どんなに畏敬しようとしても、初めから生命の根源そのものがはっきりしないと、いざというときには畏敬しようにも畏敬のしようがないのではないか。国家の文教政策ともあろうものが、こんなあいまいな生命の根源をもととするようでは、個人はもちろん、国民も、人数も、心から納得させることができないのではないか。したがいまして、青少年の不良化も、家庭内の不和、あつれきも、国内の労使の対立や、さらに暴力や戦争等の大問題も、全く解決できない無力なことになるのではないか。そういうわけで、これにつきましてもはっきりした見解を、それぞれの立場からでもけっこうでございますけれども、これを明らかにしなければならぬのではないかと思うのでございますが、いかがでございましょう。
  80. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 私は、学問的な意味から申しますと全く無能力でございまして、これは率直に私自身が認めざるを得ないと思います。ただ、家庭の人間と人間との間のお互い自身の理解でありますとか、いま申されましたように対立とか、暴力とか、家庭の不和とか、こういったようなものの根源には、そこにやはり宗教的な情操といいますか、そういうものがあることによって、むしろそういうお互い同士の対立感情とか、家庭の不和だとか、労働争議だとか、戦争であるとか、そういったようなものもむしろ逆に招来しないために、こういうものが有効であるということをここで言いあらわそうとしておるのではないか、私はそう解釈いたしております。
  81. 有島重武

    有島分科員 そうすると、いまの文部大臣の御見解によりますと、こうした生命の根源でございますか、そういったような見解が対立するためにかえってあつれきが起きる場合が多いのではないか、かえってそれじゃ、あいまいにしておいたほうがいいんじゃないかというようなことにちょっと聞かれますけれども、そうじゃないでしょうね。私がここでもって申し上げておりますのは、そうしたことについては、これはすでに争いがいろいろ起こっているわけであります。それは解決し切れない問題がたくさんあるわけであります。それを根本的に解決していく上に、それぞれの人生観の根拠になっているそうした問題についてそれを明らかにしていく、おのおのの立場を明らかにしていく、それが大切ではないか。先ほどと同じ趣旨でございますけれども、時間がまいりましたので終わりますが、第一番に、教育基本法第一条のあの三点の問題について、また、ただいまの「期待される人間像」の中のこの一点につきまして、これらにつきましては、一部はすでに今年度よりその調査が始まるそうでありますが、政府当局、教育者、教育を受ける側の青少年、保護者、おのおののアンケートをもとにいたしました科学的な報告を提出してもらいたい。私ども公明党といたしましては、かねてより、根本理念のない、あるいはあいまいな主観的な発想をもとにした教育では真の人間形成はほとんど不可能ではないか、特に形式だけを取り入れて、その内容、その根拠となるべき必然性を深く検討しない民主主義教育は、多くの点で欠陥弊害を伴うのではないか、そういうふうに考えておるわけでございます。大切な次の時代をになう青少年が、それぞれに人生の目的観を確立し、おのおのその個性、能力を発揮して、個人の幸福と家庭の繁栄を築き、社会の発展、世界の平和に寄与していくためには、教育施設の問題、教育技術の問題も当然重要ではございますが、それにもまして、さらに広く普遍的な道理の上に立って、さらに深く人間性に根ざした、万人を納得せしめるに足るだけの基礎理念を明らかにしていかなければならない。そう考えておるわけであります。  本日は、与えられました時間が短いので、詳しい論議の展開はできませんでしたが、重要と思われます二、三の問題を提起いたしまして今後の討論の示唆といたしまして、今後また機会を得まして、政府当局の調査の結果を伺いたい。  以上をもって私の質問を終わります。
  82. 北澤直吉

    北澤主査 午後一時十分より再開することとし、暫時休憩いたします。    午後零時二十二分休憩      ————◇—————    午後二時十二分開議
  83. 北澤直吉

    北澤主査 休憩前に引き続き会議を開きます。  文部省所管について質疑を続行いたします。大原 亨君。
  84. 大原亨

    ○大原分科員 第一の質問は、インターン制度の問題であります。三月十二日から始まった医師国家試験のボイコットの問題があったわけですが、受験資格者と実際に受験した人との人数は何人ですか。
  85. 天城勲

    ○天城政府委員 本年の三月医学部卒業者の総数は三千百四十六名でございます。これに対しまして国家試験の志願をいたした者が千七十九名でございます。実際に受験いたしました者が四百四名。したがいまして、志願者に対する受験率は、全部の大学を通じまして三七・四%というのが実績でございます。
  86. 大原亨

    ○大原分科員 志願をした人が千七十九名で、実際に受けたのが四百四名、三七・四%というのは、四百四名がそれに当たるのですか。
  87. 天城勲

    ○天城政府委員 志願者に対する受験者の率でございます。
  88. 大原亨

    ○大原分科員 これは三千百四十六名が卒業生で、受けたのが四百四名、それが三七・四%。文部省局長は算数がわからないのですか。わしみたいなものだってわかるのに……。
  89. 天城勲

    ○天城政府委員 私、ことばが足りなかったのかもしれませんが、志願者に対します受験者総数の比率で、千七十九に対して四百四で三七・四%。千名に対して四百人が四〇でございますから、千七十九人ですから三七%くらいになると思います。
  90. 大原亨

    ○大原分科員 では三千百四十六名の中で、四百四名しか受けてない、こういうことですね。
  91. 天城勲

    ○天城政府委員 資格者と申しますか、医学部を卒業したものに対しては、それくらいしか受けてないそうであります。四百四名しか受けないそうであります。
  92. 大原亨

    ○大原分科員 あとの受けなかった人は今後どういうふうになっていくのですか。文部省としてはどのようなお考えなのですか。
  93. 天城勲

    ○天城政府委員 これは、受験のほうは厚生省の仕事でございますが、九月に本年度に受けなかった者に対する試験の用意を進められておると承っております。毎年春と同時に秋にもう一回いたしますから、本年も九月ごろ受験の機会を与えられるものと思います。
  94. 大原亨

    ○大原分科員 学校の教育は文部省でやって、医者の国家試験のほうは厚生省、こういうことになるわけですが、しかし、九月に受ける見通しがあるのですか。
  95. 若松栄一

    ○若松政府委員 九月に見通しがあるかどうかということは、現在のところまだよくわかりませんが、四月の時点においては、大部分の学生、インターン生は九月には受けるという風潮が著しかったわけであります。しかし最近、御承知のように、京都等でまた新たな会合を持ちまして、九月も拒否するというような動きが出ていることも確かでございます。
  96. 大原亨

    ○大原分科員 そういうことで、受ける風潮とかいろんなことに期待するのもいいですが、問題があるのは、インターンの制度をめぐって問題があるのは事実ですから、その問題をどう解決するかということが政治の問題としては大きいと思うのです、ですから、そこでお尋ねするのですが、厚生省あるいは文部省のほうと、そういう受験するほうの受験生の側において、どういう意見の対立があるのですか。どういう点が最終的に意見の対立として残っておりますか。
  97. 天城勲

    ○天城政府委員 このインターン生及び国家試験の受験拒否についての学生側の意見は非常に複雑でございますけれども一つは、現在のインターン制度に対する批判もございますので、そのインターン制度の上に乗っておる国家試験そのものに対しての意見が一番中心だと思います。これにつきましては、端的に申しますと、現行インターン制度はやめろという意見が非常に強いわけでございます。そのほか、いろんな大学医学教育の問題とか他の要素がからまっておりますけれども、この問題をめぐっては現行インターン制度に対する廃止ということが非常に強い意向でございます。
  98. 大原亨

    ○大原分科員 文部省あるいは厚生省は、インターン制度は廃止する、そういう方針を、方針としては決定いたしておるのではないのですか。
  99. 若松栄一

    ○若松政府委員 厚生省といたしましては、インターン問題の主管省でございますので、私どものほうで最終的な決定をするわけでございますが、この問題は、単にインターンだけでなく、非常に広範な問題に関連いたしておりますので、御承知のように、大学医学部卒業後における教育研修に関する懇談会を、文部省、厚生省両省の共同でいまやっておりまして、その意見によりまして最終的な態度を固めたいという段階でございます。すでにこれも御承知のように、去る三月三日に懇談会から中間的な意見が出てまいりまして、現行インターン制度は廃止すべきである。なお、単にこれを廃止するだけでは困るので、それにかわって将来医学生が臨床研修を十分にやれるような体制を確立するということを目標として、それが整った上で現行のインターンを廃止するという態度になっております。この基本的な態度はいまでも変わりないわけでございます。
  100. 大原亨

    ○大原分科員 インターン制度を廃止するということについては、これは文部省も厚生省も意見は一致しておるのですね。それから、それにかわるべき臨床研修の制度を設ける。それにかわるべき臨床の研修制度というのは何ですか。
  101. 若松栄一

    ○若松政府委員 医師という職業は、大学の医学部を卒業しただけではまだ臨床技術としては十分でございません。これはある意味では、ほかのいかなる学科にも共通かと思いますけれども、特に医師という職業は、患者を直接診察し、しかも独立してこれを扱うという場面が多々ございますので、そういう意味から、医師は他の職業に比較しても、特にそういう臨床の実技を習熟してから独立の業を営むのが適当である、こういう考えでございますので、何とかして医学部卒業後においても適切な臨床研修が実施できるような環境上の整備、あるいはいろんな条件、あるいは修練を行なう側の人たちに対する配慮というようなものを総合的に確立していかなければならない。そういう意味で、臨床研修に必要な体制を充実するということを申しているわけでございまして、そのためには、たとえば臨床研修を行なう施設といたしまして、大学病院であるとか、あるいは大学病院に準ずるほどの高度の医療内容指導能力のある病院等を参加させまして、現在のいわゆるインターン病院というようなものをもう少し整備充実してまいりたいというのが、臨床研修制度の確立という考え方でございます。
  102. 大原亨

    ○大原分科員 従来、大学病院一本やりの無給医局員を背景とする、そういうもとにおける雑役的な仕事について非常な不満を持っているわけですが、そうではなしに、実際研修できるようなそういう場を広げていく、こういうことで、大学病院以外に、大きな病院、一般病院を研修の場にする、こういうお話ですが、その中身、内容は、具体的にどのくらい進んでいるのですか。
  103. 若松栄一

    ○若松政府委員 現在インターン修練病院というものをどの程度のものにするかということについては、なお懇談会においてもきわめて大ざっぱな筋はきめてございますけれども、これを将来病院の選定のための基準、たとえばベッド数はどのくらいで、どのくらいの設備があり、また、指導医の能力がどの程度に評価されるかというような具体的な基準については、将来これに関する審議会というようなものを活用して具体的な基準をきめ、また、審議会にはかってその選考をやるというふうに考えておりますが、具体的な条件等については、まだ詳細には検討いたしておりません。
  104. 大原亨

    ○大原分科員 いつを目標にその内容をきめるのですか。つまり、インターン制度はどこから見たって——これはアメリカから輸入したんだけれども、本場のアメリカではその指導医の体制もできておるし、あるいは大体において生活の保障もあるし、研究できるだけの条件がある。日本においては、アルバイトその他をやる、あるいは雑役等をやって、それでも生活できないで、ただ働きをしておって、しかも、それが済んでもどうなるかわからぬ、こういうふうな非常にたくさんな問題をかかえておるわけですが、そういう中で、インターン制度が悪いということはもうはっきりしておる。日本では、インターン制度を廃止すべしということは、文部、厚生両省とも全部一致をいたしておるのに、臨床研修が重要であるということだけを抽象的にいっておいて、どういう場において、あるいはどういう方法で臨床研修をやるのだ、こういう中身も一緒に対策ができていないということは、文部省も厚生省もきわめて怠慢ではないかと私は思う。今日の医療制度の大きな問題は、やはり医学教育、あるいは研究体制、いろいろな問題が私は基礎にあると思うけれども、そういう点はきわめて怠慢ではないかと思う。いつ一体これをつくるのか。もう少し研修の場を広げて、臨床研修に値するような場所において、そういう訓練の受けられるような場を具体的にいつ設けるのか、こういうことについて、いまのような時点においてもう少し具体的な答弁をひとつしてもらいたい。
  105. 若松栄一

    ○若松政府委員 先ほども申し上げました例の医学教育に関する懇談会が非常に熱心に、かつひんぱんに会合してこの問題を検討いたしております。現在のところ、できるだけ早く、まずインターン制度を廃止するというような公式な手続が本国会にでもとれるように、その準備をまず第一にやり、その後に、今度は新しい研修の場を確立するということをやるわけでございますが、この研修の場である、私どもはこれをかりに教育病院、大学付属病院のほかに教育病院ということばを使っておりますが、教育病院というものをどの程度のものにするか、教育病院という考え方はほとんど確立しておりますけれども、これの選考基準等については、まだそこまで作業が進んでいないということでございまして、具体的な基準等はその意味で申し上げられない。しかしこれは、少なくとも四十三年度には発足できるように、それまでには衆議会等でもいろいろな指定のための基準をつくり、また、その選考も行ない、また、それに必要な各種の環境、条件等の整備等のことをはかっていきたい。そのためには、四十三年度において必要な予算措置等も講じなければなりませんので、実施はおそらく四十三年度になるのではないか。その間に各般の準備を進めて体制を完備しなければならないというふうに考えております。
  106. 大原亨

    ○大原分科員 昭和四十三年から教育病院の制度を確立していく、そういう考えでいま準備を進めておるという話ですが、教育病院ということになりますと、文部省は、教育病院については内容的にどういう関係があって、どういうお考えを持っておられるか、方針を持っておられるか。
  107. 天城勲

    ○天城政府委員 ただいまの医学教育の懇談会は厚生省、文部省一緒の共同の委員会でございますので、私たちも一緒に議論しておるわけでございますけれども、教育病院の構想は、医師の研修の場として、大学病院だけでなくして、水準の高い病院がもっと使われるべきだということについては、私たちも同じ意見でございます。ただ、それと大学での研修との関係をどうするかということは、考え方としてはいろいろな方法考えられるのでございまして、実は教育体系という問題と、それから医師という立場での臨床研修という問題をどういうように関係づけるかということが、目下懇談会においてもかなりこまかいところにまでわたって議論されておる状況でございますが、基本的には、大学病院以外にそういう病院ができることは私たちもけっこうだと、こう考えております。
  108. 大原亨

    ○大原分科員 その教育病院なるものの中には文部大臣が任命した教授もいるわけですか。
  109. 天城勲

    ○天城政府委員 教授というのは大学の教官でございますし、大学の付属病院の教官でございますが、いま考えられておる教育病院の教官が大学の教授にすぐなるということは、私たちはまだ考えておりません。ただ、実質的に臨床研修をするだけの施設ないしは条件指導力のある病院というふうに考えております。
  110. 大原亨

    ○大原分科員 ついでに文部省に聞くのですが、全くすっきりしない議論ばかりです。大学院という制度がありますね。医学部の大学院、博士課程、そういう大学院についてはどういうお考えなんですか。文部省大学院、臨床のほうのインターンは厚生省の関係ではないか。厚生省の分野だろうと思う。しかしながら、大学院とそれからインターンと無給医局員と、こういうものが大学病院を中心としてきわめて非近代的な——最も先進的な科学の分野であるべきであるのに、非常に非近代的な社会を構築している。こういうところに、私は、青年学生の諸君が、この問題について、イデオロギーを越えて大きな問題にしている理由があると思うのです。その問題をこの際すっきりと解決するということが、今日医療制度、医療保険の抜本改正の大きな問題になる。皆保険下において制度の問題が大きな問題になる。その基礎には、私は医学教育、私立学校の医学教育を含めての医学教育の問題があると思うのです。この問題を含めて、きわめて明快な解決の方向を示すということが、今日の医療保障、医療保険や医療制度の問題についてきわめて重要な問題であると思う。そういう点で、大学院については、いま議論されておることについて将来改革する方法があるのかどうか、こういう点について伺いたい。
  111. 天城勲

    ○天城政府委員 医学部を卒業後の教育並びに研修の問題につきましては、御指摘のとおり大学院の問題、それから医局における研修の問題、従来はインターンの問題もありましたが、この点が必ずしも明瞭ではないということは、まさに御指摘のとおりでございます。したがいまして、今後の大学院における臨床研修の問題を考えます場合には、どうしても大学院との関係を明らかにしていかなければならないと思っておりまして、懇談会におきましても、絶えず大学院との関係、教育体系との関係、これを含めて議論いたしておるわけでございます。非常に問題がからみ合っておりますので、しかも現存ある意味では白熱的な議論の最中でございますので、結論的に申し上げられない段階なのでございますけれども、御指摘のような問題は十分意識して議論を尽くしたい、こう考えております。
  112. 大原亨

    ○大原分科員 大学院、つまり基礎医学の研究や学者の養成といいますか、専門家の養成、こういう問題が一つと、臨床の部門において、やはり大学において六年間、これは非常に長いのですが、習った学問の基礎の上に、臨床経験を積みながら、そして臨床の面における将来の展望をどうするかという問題がまた一つあるわけです。その関係をどうつけていくかということを、文部省と厚生省が有機的に十分連携、ディスカッションして整理をしなければ、この問題はとうてい解決できないのではないかと私は思うのです。全くこれは責任のなすり合いというようなことであってはならぬと私は思うのです。各団体その他に対して遠慮会釈は要らない。そういう積極的な提案をして、そしていろんな議論を聞きながらこれを整理していくことが必要だと思うわけです。  そこで、教育病院についてですが、厚生省側は、教育病院という以上は、それを指導する人、指導官を教授にするか、あるいは、厚生省が任命するか、責任を持ってやるのか、あるいは、それに対する生活保障的な裏づけをするのか、こういう問題等があると思うのですが、そういう点については早く——国会においても議論が熟していないので、四十三年からやるというふうに言われましたが、これはなかなかできないのではないか。もう少し教育病院についてそういう責任を持った指導体制をつくってやる、それから、研究できる条件を、そういう学生と一人前の医者のあいのこみたいな、そういう中間的な存在でいろいろ議論になっているわけだが、そういう人たちに対して研修の場の条件をつくってやる指導体制と、そして研究できる体制をつくってやる、こういう点についてどういう考えを持っておるのか、もう少し具体的に考え方を明らかにしていただきたい。
  113. 若松栄一

    ○若松政府委員 教育病院という考え方は、これは諸外国にもあることでございまして、欧米先進国等におきましても、日本のように大学の付属病院を持っておりますところと、大学自体は付属病院を持っていないで、大学はいわゆる学部だけであって、そして臨床研修はそれと関連した病院でこれをやるというような制度を持っているところがございます。日本は幸いに、大学はすべて付属病院を持っておりまして、学生あるいはその卒業生の研修の場として非常に重要な役目を果たしておりますけれども、さらに、卒業後の臨床研修におきましては、大学病院だけでは現在は手狭になってきております。したがって、そういう意味で、大学と、さらにそのほかに大学以外の病院で資質の高い病院を、卒業後の医師の研修の場にするという考え方が出ておるわけでございまして、現在、大学付属病院は自動的にインターンの修練病院でございますが、そのほかに厚生大臣が指定しておりますインターン修練病院が三百二十六ございます。しかし、現在の状況から見まして、現在のインターン病院は必ずしも資質が十分であるとは思われませんので、今後はさらにこのインターン病院を建設いたしまして、これを教育病院という形にいたしたい。したがって、従来のインターン修練病院よりもさらに資質の高いものになるはずでございます。その際に、この指導者というものは、現在の大学の職員というわけではございませんので、必ずしも資質が十分であるかどうか保しがたい点がございます。そういう意味で、今度の厳選される教育病院におきましては、審議会等である程度の教育指導スタッフの資格審査といいますか、選考をやる、そういうことで指導者の資質を向上するということを考えております。これを、場合によっては、できるだけ大学等の優秀なスタッフに応援していただくために、人事の交流、あるいは、できれば非常勤の講師とかいう形で、実質的に大学との連携も強めてまいりたいと思っております。また、その教育病院における修練のためには、どうしてもある程度の診療要員だけでまかなうことは適当でございません。もちろん診療しながら指導していくわけでございますが、そういう意味で、指導のために相当の経費もかかると思います。また、指導を受ける研修生がいろいろな指導を受け、あるいは修練を積み、あるいは研究をしていくための諸雑費もかかるわけでございますので、そのような教育病院における諸経費の補充的な意味で、国庫もこれには相当援助をしていかなければなるまい。現在もインターン病院に対してある程度援助をいたしておりますが、そういう援助もさらに強めていきたいというふうに考えております。
  114. 大原亨

    ○大原分科員 いまお話があったのですが、医療機関の封建的な領土支配というふうなことがよく評論家の中で言われる。その中枢が大学病院である。大学病院には全国で八千数百人の無給医局員がおるが、きわめて無権利な状況で、言うなれば、一方的なボス支配を受けながら、ほんとうに国民に奉仕するような医学の研究をするのではなしに、何か非常に封建的な前近代的な空気の中でやるということに対するふんまんがそういうふうな問題となっておるわけです。ですから、医学博士の制度、あるいは専門医の制度、あるいは大学の教育と、国家試験を通ってからの医師としての臨床修練、研修との関係、これらは明確に分けて、そうして分化すべきものは分化をして近代化していかなければ、日本の医学の進歩が国民に対して恩恵が及ぶような、そういう納得できるような進歩的な形にはならぬというふうに私は思うのです。  そういう面においては、うやむやなかっこうで、また、へっぴり腰でやっておったら、いつまでたっても解決しない。そこで、解決すべき方法として、政府が出すべきものについては出す。たとえば司法修習生の話がいつも出るのですが、とにかく司法試験を通った者は、弁護士になる者であっても、あるいは司法官になる者であっても、相当な国家の援護で全く別個の研修体系をとっており、学校教育とは別個の体系をとっておる。そういうことにおいて初めて皆保険下の医師の社会的な責任というものも漸次明らかになってくるのであって、そういう問題は、金を出し惜しんでとやかくしてはならぬと思う。そういう点については——主計局見えていますね。大蔵省は大体どういう考えでやっておるか。インターン制度について、この問題の解決についてはどういう考えでやっておられるのか。あなたは大蔵大臣ではないけれども、ひとつ抱負のあるところを聞かせてもらいたい。
  115. 小幡琢也

    ○小幡説明員 実は私、文部省担当の主計官でございまして、厚生省のインターンの関係は、私の担当外でございますが、文部官の関係におきましては、実は大学におきます医療教育研修の問題につきまして、四十二年度、無給医局員につきましてこれをもうちょっとすっきりしたかっこうに一歩踏み出したい、そういった文部省の御要求もございましたので、とりあえず指導体制を強化するという意味におきまして、講師を百名増員いたしますとともに、実際に研究生の身分を有する者が診療に従事いたします場合には、新しく診療協力謝金というものを出そうということで、いろいろ態様区々でございますので、上半期は十分実態調査をいたしまして、下半期以降そういった協力謝金を支出できるようにしたい、こういうふうに予算に計上いたしておる次第でございます。
  116. 大原亨

    ○大原分科員 それでは最後に、文部大臣、これは文部省と厚生省が協力されて、言うなれば、文部省の制度の中に非常に強力な影響のある大学病院を中心とした教育体系があるわけですが、それが文部省でかかえきれないような、そういう実情になっておるわけです。したがって、私は、分化すべきものは分化をし、そうしてあくまで近代的な形においてこの問題を処理していくということがきわめて必要だと思う。したがって、厚生大臣とよく連携をとられて、この点については、要求すべき予算は早目に、そういう構想を示しながら十分国会等においても議論ができるようなかっこうで本年度を過ごしていかないと、とても来年はどたんばにおいてこの問題は解決できない。この問題は、やはり医療保険制度の抜本改正の問題につながる基本的な問題だと思うのです。したがって、そういう点について、私は文部大臣に積極的にこれに取り組んでもらうように要望しながら、あなたの御所見をひとつ聞かしていただきたい。
  117. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 この問題につきましては、実は私二つの問題に分けて考えなければいけないのじゃないかと思います。その一つは、差し迫りましたインターンの問題、これを早く解決しませんと、厚生省のほうで行ないます九月の国家試験にも非常に差しつかえができる。そこで、懇談会のほうで非常な努力をしていただいておりますが、できるだけ早くこの結論を出しまして、九月に間に合うような厚生省のほうの措置をお願いしたいと思っております。その際におきまして、この医療研修の問題につきましては、厚生省のほうで教育病院という御構想もございますが、しかし、実質的には大学病院でこれを引き受けなければならぬ場合が相当大きいと思いますので、この結論が出ましたならば、その医療研修をお引き受けするに足るような大学病院のほうの、大学側のほうの内容と申しますか、その充実につきましては、四十三年度予算にぜひ計上するということで、その結論が早く出るのを待っておるのでございます。  これはインターンに関連する問題でございますが、医学教育そのものにつきましては、先生おっしゃいますとおりに、これは現在の段階におきましては、大学病院及び無給医局員、その他今度研修生の問題もございますし、今後どういう形をもっていくかというような問題は、基本的に早急に考えなければならない。特に、現在のわが国の医学教育の非常に大きな欠陥となっておりますのは、何と申しましても学位の問題だと思います。学位の問題が医局員の発生いたします一つの大きな原因となっております。この大学病院との関連におきまして、これは何とか基本的にかつ早急に考え直す、そして日本の医療教育のあり方につきまして根本的に再検討するときが来ておる。これはさしあたりインターンの問題と切り離しまして、この根本問題にも早急に取り組まなければならぬ、こう考えております。
  118. 大原亨

    ○大原分科員 主計官に聞きたいのですが、大学病院の独立採算ということを考えておるのかどうか。大学病院の独立採算ということは、営利本位に経営して、できるだけ収入をあげろということになる。今後の無給医局員の研究体制を考えたならば、国が相当の金を出す覚悟をしなければ、指導体制なんてできやしない。それはもちろん普通の病院とは違いますけれども、無給医局員を動員して、独立採算にハッパをかけるというふうな結果になれば、また悪循環であります。臨床研究をしようと思ったって、雑役がありますからできないということになります。でありますから、独立採算については、私は、そうではなしに、大学病院は独自の任務を果たすために、必要な経費については当然出すのだ、その経費の支出については、分析して、これを積極的に出すのだというたてまえがないと、この問題の解決なんかできやせぬと思う。私は、この問題に関連してたくさん申し上げたいことがあるが、営利本位だけでこれをやるのではなくて、一つの教育機関なんですから、教育機関としては国はやはり大きな支出をするという点を考えないと、これは一文惜しみのなんとかになる、こういうことになると思うのですね。ひとつ大蔵省のそういう点についての考えをはっきりしてもらいたい。
  119. 小幡琢也

    ○小幡説明員 三十九年度に国立学校の特別会計が設立されたわけでございますが、国立学校の連営を弾力的に行なう、それから経理を明確にする、そういった見地でございまして、別に独立採算に徹するということではございません。したがいまして、病院につきましても、独立採算というよりは、むしろ国といたしまして相当額の繰り入れをいたしております。四十二年度予質におきましては、三百三十四億の歳出に対しまして、病院収入は二百四十七億、かように相なっておるわけでございます。
  120. 大原亨

    ○大原分科員 時間がまいりましたので終わります。
  121. 山中吾郎

    ○山中(吾)分科員 次の質問者がまだ来ないようですから関連で伺いたいと思います。  いま医学インターンの問題について、医学教育の問題を大原委員からお話しがあったんですが、これは厚生行政の問題としてでなくて、文部省の教育行政の問題において解決しなければ解決しないと、そう私は根本的に思っておるわけです。現在六カ年の医科大学がある。これを戦争前の日本の医科大学教育と比較して、戦前の医学教育という方向に向かって何か解決の道がないのか。戦前は六カ年の中で臨床も含んで卒業と同時に医師の免許を与えて出発してきておる。ただし、おそらく戦後の場合については、二カ年の教養コースがあるので、その分だけがはみ出て、インターンのあとで免許という制度ができておると思うのです。そこで、六三制全体の検討の前に、医科大学だけは前期二カ年のコースと、残りの四カ年の専門コースというものの区別をなくして、一本にして、同時に臨床も、卒業までに、六カ年の中で臨床も行なって免許を与える。ただし、その後にもちろん臨床が必要であるけれども、そういう当面の問題として、根本問題というのではなくて、当面の問題として、文部大臣が決意をして、これを一応やってみるというお考えはないでしょうか。
  122. 天城勲

    ○天城政府委員 おっしゃるとおり、医学教育だけ現在の大学制度の中で独特な制度をとっております。しかし、同時に、大学の持っております全体の教育のやり方として、一般教育の必要性をその中に織り込んでおるわけでございますが、ほかよりも結果が二年ばかり長いものですから、二年、四年というものを全体として医学教育に最も適した方向に改善することにつきましては、いろいろな意見が現に医中部の教官の中からも出ておりまして、現状が一番いいのだということには必ずしもなっておりません。したがいまして、これは制度の問題、だけではございませんで、実は医学教育の内容についても議論が出ておりまして、特にこのインターンをめぐっての問題は、結局医学教育のあり方というところまで現在発展しておるのでございます。いまおっしゃった一般教育をどうするかということだけでなくて、これを含めまして新しい医学教育の問題をどうしても考えなければならぬ時点に来ておるとわれわれは考えております。
  123. 山中吾郎

    ○山中(吾)分科員 質問者が来られたので、これで終わりますが、これは文部省の全責任で解決すべきであると私は思っておるのです。厚生省は、受けて、あとで医者としての必要な行政を行なっていくわけですから、したがって、大学教育の中で医学教育だけをとにかく切り離して出発をするという行き方をしないと解決する道はない。インターン廃止はすでに決定しておるのですから、それを前提として、医学教育をどうするかということを切り離してやるべきじゃないか。高等学校と医科大学をくっつけて、最初から医学希望の者という行き方もあるのじゃないかと思うのです。大学専攻の前に教養課程を高める手もあると思うのですが、当面の問題として、医科大学における教育というものを、恒久対策は別にして、何かもう少しその点はできるのじゃないか。現行制度の上で、六カ年の大学教育の中でできるのではないかと思うのですが、その辺は少し拙速ということになっても困ると思うのですけれども、来年の予算編成までには、文部省としての教育として具体的な案を明確に出されることを切望いたします。  終わります。
  124. 北澤直吉

  125. 帆足計

    帆足分科員 剱木文部大臣には、郷党の先輩として日ごろ敬意を表しておりますが、私は外務委員に所属しておりますものですから、日ごろお目にかかる機会もないのですが、きょうは忌憚のない意見を申し上げますので、十分に御参考にしていただければしあわせでございます。順序不同でございますが、時間が限られておりますから、逐次申し上げます。  学生の世話をするという仕事は、日本の未来をつくる仕事でございますから、最も重要な課題でございます。私は、本来ならば、文部大臣になられる方には、教育学並びに哲学または人生経験についても相当の体系的な理論が必要であろうと思いますが、戦前の文部省といえば、勉強した警察みたいなものでありまして、非常に程度の低いものでございました。まだその伝統が抜けませんで、勉強といえば暗記、歴史や地理学を暗記物と考えている生徒が多い状況です。戦後、教科書の大改革によりましてよほど直りましたけれども、教授方法というもののおくれていること、驚くべきほどのものでございます。また、外国語教育などにおきましては、大学を出てもタイムズ一つ読めず、外人の接待一つできない、非常な致命的欠陥が依然としてあると思います。  日教組などにおきましても、先生先生に値する生活及び生活環境を合理的に要求することは私は必要だと思いますが、同時に、教師としての教養を高める、教授方法の改革等が必要であろうと思います。生活の改善には勇敢に団結し、そして戦う教員の諸君が、勉強においてはいろいろ雑務に追われて、必ずしも十分でない一面もあるように思いますし、それを指導する文部省も、結局役人でございますから、過去の戦前の文部省の伝統も残っておりまして、まだまだ大改革の必要があると思っております。スイスやデンマークの歴史などで御承知のように、またアメリカ歴史でもそうですが、その国の大きな民主革命では、常に教育の改革が中核になっておるのであります。それは現在の中国でもそうでありますし、ソ連でも初代の文部大臣のルナチャルスキーがいかにいい業績を残したかということも、各位の御承知のとおりでございます。  また、子供の教育には、私は心理学とそれから医学及び予防医学、この三つの初歩知識がどうしても必要であると思いますが、結核の陽性転化のときの対策ですら十分教えられていない教師の諸君も多いし、寝小便対策一つにしましても、現代の医学及び心理学の進歩についてほとんど御存じない校長さんが多い。また、文部省当局の指導的役人諸君も大同小異であろうと思います。私は、高等学校のときに喀血しました。そのときは体操の時間です。クローバーの茂っているアカシアの木陰で空気浴でもして、そしてしばらく休むほうが健康にはいいのですが、帆足君頼むから鉄棒に下がって三回だけ懸垂をしてくれ、三回しなければどうしても点をあげられない、こういう形式主義で三回懸垂させられまして、その晩また喀血しました。当時の体操の教師は、これを軍曹と呼びました。軍曹が体操の教師をしていました。こういう国柄でありまして、最近の体操など、よほど進歩したと思いますけれども、体操の教師はもとより、他の教師も医学及び心理学の初歩の専門の知識が必要であるということを痛感します。心理学は従来文学のうちに入っておりまして、心理学、論理学、ほとんど実生活に役に立つような教育を私どもは受けておりません。したがいまして、この点については、いま限られた三十分の時間内ですから御注意を促しておきたいと思います。一括して大臣から、その注意はもっともであったか、もっともでなかったか、肯綮に値することか、ひとつ後ほどお答え願いたいと思います。  それと連関いたしまして、校医との関係ですが、校医はすぐれたお医者さん二人くらいお選びになって、一人はそういう医療実務をやる、もう一人は重要な相談相手になれるような、それは無給でもやってくださる方がおると思いますが、そして単に子供のからだを見るだけでなくて、諸先生を集めて医学の講習をするということが必要である。  先日、天野貞祐氏の、あれはもう何年前のことでしたか、文芸春秋で、お子さまをなくした涙の記録を読みました。一高三千の健児を引き受けていたカント哲学者の天野さんが、紀元節の日ごとに、雲に聳ゆる高千穂に最敬礼をしておったということ、そして、この教育勅語を読んで子供たちに十分間水ばなをたれさせていたということと、なんじの意志の確立が同時に万人の意志の確立と一致するように行動せよと教えたカント哲学とはたして一致するやいなや。これだけでも「世にもふしぎな物語」でありますが、わが子の陽性転化の結核理論すら知らず、ついに奔馬性結核でむすこさんがやられた。私はこの記録を見まして、一人の高砂族のような町蛮人がカント哲学の上っつらをちょっとかじって、そして一高三千の健児をその肩にまかしていたとするならば、親としてこれはおそるべき人間である。それは人食い人種に子供たちをまかしていたのかな、医学上の見地からいえば、そう思わざるを得ませんでした。わが国の政治及び教育のアンバランスというものは、およそこの天野先生に象徴されておるのでありまして、朝はカント哲学、「昼は雲に聳ゆる高千穂の」、夜は「芸者ワルツ」、こういうアンバランスは至るところに、われわれの世界にも見られるのでありまして、夕べには「インターナショナル」、夜は「トンコ節」というような風景は、革新勢力の中にも見られる通弊でございます。  したがいまして、私は、教育における民主革命というものは、もっと根を深く掘り下げる必要があることを痛感しております。この前、人間形成について御努力なさった作文などを見ましても、まことに軽薄であって、あれはやはり高砂族の夢物語であるまいか。というのは深さがない。これは日本的プラグマチズムと申しますか、教育勅語はその最たるもので、アメリカのデューイの学説が偉大なプラグマチズムとするならば、教育勅語は最も卑俗なプラグマチズムである。どこといって攻撃するところはないけれども、人類の進歩において何ら益するところなし。  ちょっと話が横道にそれたかの感もありますけれども、案外私の申し上げることばの中に相当の真実があることを、まずおくみとりください。議員というものは必ずしも犬殺し、豚殺しの徒輩でないということを御了察願いたいのでございます。われわれも「考える葦」でありまして、いろいろ考えております。ただ残念ながら時間がありませんから、文部省の各位にお目にかかって適切な助言を申し上げ、適切な皆さんからの御意見を拝聴する機会が乏しいことを、外務委員として残念に思っておる次第でございます。  さて、取り急ぎお尋ねしたいことは、奨学資金のことです。ことし少し金額をふやしていただいたそうですが、これは還流資金ですから、私はもっとふやしていただきたいと思います。それで幾らふやしたかということと、還流がその後円滑にいっているか。非常に家族が多過ぎて困っている人及び失業している人、これだけは特別届けを出して奨学資金の返還を延期してもらう、そして、その他からは税金と同じような取り口で取ってもいいし、もっと簡便にして峻厳な方法で取って、それを後進への還流資金に使うべきである、こう思います。進歩陣営というものは、いつでも権利だけ主張して義務を果たさない傾向があると皆さんがお考えになっていたならば、それは一部の弊風に対する保守、進歩を問わず、日本的民主主義に対する欠陥をついたものでありまして、われわれ社会党は、やはり義務を守るということは必要であるということを多くの同僚諸君も痛感いたしておるのでございます。したがいまして、そのようにお運びを願いたい。  それから第二に、学生食堂、学生健康保険の問題ですが、私は、学生食堂はもう少し安くて栄養のあるものを学生諸君が食べられる制度にして、学校が直営しない場合は、そういう食堂には低利の長期補助金を政府が出し、建設資金も出して、また長期、不動産銀行でも何でもけっこうですから、もう少し間接に資金的に助ける必要があると思う。建物ももっとよくし、清潔にしてもらいたい。私ども学生時代に一番困ったのは、栄養不良で困ったことです。  それから健康保険制度については、親が入っておれば子供はその家族として恩恵に浴しますが、親が入ってない場合、また入っておっても、学生は全額免除になっておりません。私は、学生の健康について全責任を負えないような校長さんは、真に校長たる資格はないと思っております。私は十九のときにフットボールの選手で喀血して長い間苦しみました。学校はひとつもそれに対して相談相手にもならない。当時は薬もなかったせいですけれども、喀血して校医のところへ行きましたら、頓服を飲ましてくれました。何かと思ったらかぜ薬でありました。これが当時の校医の水準でした。また、かりに名医をかかえても、校長さんに一文の金があるわけではなく、校長は小言だけ言いますけれども、しかし、資金を持っておりませんから、病気の学生を助けるすべもない。したがいまして、学生健康保険のことは、ひとつもうぼつぼつ研究に着手願いたいと思います。大体学生をアルバイトをさせるような状況に置くならば、学生層としての大数法則は一種のアナーキスト的傾向を帯びることは必然でありまして、そうでなかったらふしぎでございます。したがいまして、現在の全学連、学生運動の多少アナーキズム的騒ぎ、不安定さは、文部省学生をかくあらしめておる学生のアルバイト的、ニコヨン的不安の心理的表現でありまして、その原因は、むしろ学校当局にあると思うのです。したがいまして、学生時代にはおおむね社会党左派または共産党系が多く、就職口がきまれば社会党中間、就職口がきまって、やがて主任になれば社会党やや穏健派、係長になれば民社党左派、やがて課長になればまず自民党、これがおおむねの鉄則でございまして、心理学を少し御研究になればわかることでございます。また、日教組の人たちがある不安定な徴候を示しておりますのも、あの給料では——昔は巡査と教員といわれましたが、相当の教養を必要とする学校の先住に今日のような待遇で、それから雑務が多くて、その反映として、教員職君はおおむね世の中産階級に当たるものが、中産階級の下層、下層階級の中くらいから上くらいの状況に置かれておりますことの反映と思えば、剱木文部大臣の気持ちもおのずからそこにいって、ああ、なるほど問題の点はそこにあったか、それでは日教組を敵とするというようなあほうなことはやめよう、子供たちは自民党であれ社会党であれ同じ教室で先生のごやっかいになっておる、その先生の組合を敵として戦わねばならぬなどということがどこにあるということは、社会科学の入門と心理学の入門を御勉強になれば、あすから剱木文部大臣の心境はおのずから変化を来たすのではあるまいか。  大体質問時間三十分と言われましたが、質問ということばがおかしい。なぜ私どもがあなたに質問せねばならぬのでしょう。私たちは、いつあなたたちの学校に入ったのでしょう。私は十万の市民を代表するその代表として皆さんに問いただし、こちらから説教し、そして要求するのが国会議員の任務であって、何もお役人諸公のために私が聞かねばならぬ、質問して教えをこわなければならぬ理由はありません。もちろん、剱木さんは郷党の先輩で、私が平素尊敬しておりますからこれは例外であります。どちらかといえば、なんじが問いただす時間は三十分であるぞ、こう主査は言うべきで、主査の重大な失言である。質問時間三十分、何をこしゃくなことを言うか——それはユーモアと御理解くださいまして……。  その次、身体障害者の数及び精神薄弱児の数は何名くらいおるか、それは剱木文部大臣にお尋ねしたい。おそらく正確な数字は御記憶になっていないでしょう。まことに残念なことであります。そして、この人たちに対する主管官庁はいずれ厚生省、その厚生省をいじめておるのは大蔵省ですから、きのう大蔵省に対しまして十分な警告を発しまして、厚生省の良心的な方々が仕事をしやすい環境をつくるべく御協力申し上げましたが、しかし、文部省が、わしは知らぬぞと言うてはならぬと思うのです。この身体障害者の子供たちは、私はときどき自分で目をつぶってみるのですが、目をつぶって一時間がまんしておってごらんなさい。それがどんなにつらいことか。見えても生きがたきこの世の中に、見えない子に生まれたとしたら、文部大臣どんな気持ちでしょう。ましてや、サリドマイドの子などといって、アザラシほどの手もない子であるとしたならば、どんな気持ちでしょう。その子たちのために予算をとるように努力し、その子たちを教育する特殊機関に教育費をふやせと叫ぶのは、あなたの使命であると思います。いかに大蔵省の諸君が質屋のように因業であろうとも、まず、そういう予算を先に取って、そして大資本やその他のことはあと回しにしたらいいと思います。山一証券をいつ救うかなどということはちょっと待ってくれ、身体障害児を救ったあとで君らのことを考える、グラマン、ロッキードの十台や二十台、どうせ落っこちるのですから、あんなものはいまでは何も役に立ちません。あれはいまの近代兵器であれば大体二十五秒で全部墜落ということになっています。墜落候補のなにを、契約違反金を払ってでもあんなものは売り払って、そしてサリドマイドの子供や身体障害児に回すべきだと思うのです。そこで身体障害児の数、学校へ行っている、または収容されている率、収容されてない率がどのくらいあるか、その数字をやがて大臣がお答えになれば、新聞社各位は驚くでしょう。お答えにならずに、専門員がお答えになれば大臣が驚かれるでしょう。実は私は、この数字を聞いて腰を抜かさんばかりに驚いている者の一人であります。  一括して申し上げますが、入学金の問題です。三等重役になりましても、子供が慶応か早稲田か慈恵を受験して、不幸にしてボーダーラインで試験に合格して、少し余分に寄付金をよこせと言われたならば、おやじは憂うつで、意思が強固ですから首つりまではいたしませんけれども、せっかく美濃部さんの青い東京の空もドブネズミ色に見えるような思いがいたします。まさに四月です。したがいまして、私学への寄付金はこれを免税にするということは、かねて多くの人が主張しています。それから私学振興を、官学に入ったと同様にするために、大奮発していただかなければならぬ、この結末はどうなっているか。  それから、同じ関連事項は一括して質問します。こういう質問のしかたは私どもにとって不利であり、ものごとの印象を希薄にするおそれがありますけれども、何ぶんにも時間がありませんから……。  子供の事故死の数は全国で何人か、東京で何人か。交通犠牲者の数は全国で何人か、東京で何人か。文部省にお答えを願いたい。そしてこれに対して文部省は、厚生省、建設省にどういう要求をされておるか。驚くなかれ、この数字を見て腰を抜かさんばかりに驚くでしょう。四月に入学した子供たち、ランドセルを背負って学校へ行った子供たちが、一半期では五割、二学期で三割、三学期にやや少なくて二割が交通犠牲者の割合です。そして子供の死亡率は、肺炎と疫痢が退治できましたあとでは、驚くなかれ五歳から九歳までの子供は死亡率が四〇%をこえています。これでは、どちらかといえば、医者なんというものは要らないのです。事故から子供をどうして守るかということが厚生省と文部省の仕事でなければならない。その仕事をなぜ今日まで怠っておったのか。それは統計だけでわかるのです。そしてその事故の場所はどこであるかという統計、対策はどうすればいいかというきわめて初歩的物理学的答弁、これは直ちに出る結論です。こういうことを考えずに、人間形成のへぼ作文をつくっておった。これは一体どういう心境なのか。これもまた高砂族なのか、タスマニアの土人なのか、私は理解しがたいと思います。そこでこの御答弁を願いたい。  子供の遊園地、東京で六〇%の子供は遊園地がありません。私の子供は近所のマンションにやっと住みましたが、踏切を越えて遊びに行くのがたいへんです。学校を開放しましたが、学校は遠いのです。そこで学校を開放していただいて、やはり児童指導員を置いていただく。多少の経費はかかりますが、国と都や府で分けて分担すればいいでしょう。とにかく肥満児童がふえたこともその一つの原因と言えますか、子供用の遊び場がないとは。地方ではまだ遊び場、あき地があるのです。しかし、東京はほとんどございません。特に東京、大阪の対策を急いでいただきたい。それからあき地を持っている地主さんには、あいている間だけ、わずかの賃料でできればその間提供していただいて、地代値上げ、地価値上がりの罪滅ぼしになりますから、そういういろいろな方法を講じていただきたい。第一範疇の質問はそれだけで、御答弁は二分くらいで願いたい。あとはテレビと映画、それからオペラとバレエ、この二つについて質問したいのです。  特にオペラとバレエをなぜ言うかといいますと、このエレガントな芸術は、みそ汁を飲み、たくあんをかじりながら、オペラとバレエをやっておる。しかも、その子たちが世界的水準になって、今度モスクワの人民宮殿に行きまして「まりも」というバレエを見て驚きました。その人気の高いこと、すぐれていること。これは創作バレエですね。それから藤原義江さんのような人を出したということは、とにもかくにも尊敬すべきことです。藤原義江氏、山田耕搾氏、北原白秋氏のコンビこそは、日本の民謡における最高のものだと思う。「この道」を文部省が奨励するようにすれば、「芸君ワルツ」などでうつつを抜かさぬでも、また浪花節で元大蔵大臣が勇名をはせるという、健康ではあるが、あまり文化的に高くないことをやらずに済んだと思う。それについても話がありますから、私の質問の時間を残して御答弁願いたい。
  126. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 帆足先生の御質問、多種にわたっておりますが、時間の関係もございましょうから、できるだけ簡単にお答え申し上げます。  厚生省なり文部省のあり方というものに対する御批判、十分忠告としてお伺いいたしておきます。  医学関係知識、そういう教師を持たなければいかぬではないか、これはごもっともな話でありまして、いま教員養成の課程におきまして、できるだけ健康管理の問題につきましてやっておりますが、しかし、これは現在の段階ではまだ不十分だと思います。こういう点につきましては、将来の養成課程におきまして相当考慮してまいりたいと思います。  それから育英会の奨学金につきましては、相当金額を増してまいりました。それから近時返還の状況はきわめて上昇の過程をたどりまして、一時は非常に返還が少なかったのでございますが、おそらく四十二年度は九〇%に近く返還率がなってまいると思います。一〇〇%の返還というのは困難でございますので、この程度相当返還がよくなってきたということをお考えいただいてけっこうだと思います。  それから、学生食堂に対しまして、低利資金で学生食堂をもっとよくやったらいいではないか、これはごもっともでありますが、現段階におきましては、まだそこまで私学等に対する低利資金の貸し付けということはやっていないのでございますが、これは研究させていただきます。  それから学生の健康保険でございますが、これもまだ実施をいたしておりません。これは学生の前のいろいろな問題点が多々あると思いますので、にわかにこれが実施できろとは考えられませんけれども、また研究もいたしてまいっておるのでございますが、学生の保険の問題につきましては十分考慮してまいりたい。またアルバイトとかそういった問題についてでございましたが、学徒援護の問題等につきましても、一そうの力を入れてまいりたいと思います。  それから、教員待遇の日教組との問題でございますが、いま巷間伝えられるところによりますと、会う会わぬの問題は別といたしまして、私は、日教組と対立的な気持でおるつもりはございません。特に教員の待遇改善につきましては、文部省としての本格的な仕事の一つでございますから、できる限りのことは日教組なり教師に対していたしてまいる所存でございますし、現に四十二年度予算におきましても、できる限りのことは考慮してまいるつもりでございます。  それから身体障害者の数でございますが、これは私のほうの調査が間違いかわかりませんが、盲ろうあ等まで入れますと約九十三万余でございます。出現率でございますね、子供ですが。それでこれの中で学校教育の対象にいたしております、たとえば特殊学校でございますとか、養護学校あるいは盲ろうあ学校、これが約十二万でございます。約十三・七%程度の就学率であります。しかし、この身体障害者の教育につきましては、現在まで六三制の完全実施ということで非常におくれておったことは事実でございまして、今後、教育の機会均等という面から申しましても、ぜひ特殊学校の教育を伸ばしまして、できるだけの人を学校教育の対象に入れていきたい、この念願で今後とも施策を進めてまいりたいと思っております。  それから私学の入学の寄付金の問題でございますが、これは私どもも、うわさその他によって、ないとは否定はできません。ただ、やはりこれは私学の財政上の問題がございまして、ただいま私学に対します抜本的対策を立てて、その私学の財政的基礎を十分与えてやるということがまず先決であろうかと思います。六月に臨時私立学校振興方策調査会の答申が出ますので、それに基づきまして、ぜひひとつ四十三年度中にはその抜本的な私学対策を講じてまいりたい、ただいまその心がまえでおるわけであります。  それから交通事故でございますが、交通事故の数は全国で死者が千九百七人、角傷者が七万七千八百六十二人ございますが、東京では年間で百二十六名の死者、負傷者が一万五百十九名でございます。これは全国から申しますと死亡者の率は、大体東京は人口が全人口の一割と考えまして、一割に満たない数でございますが、負傷者ははるかに一割をこえて、頂傷者のほうが多うございます。大体東京だけで一万人以上の死傷者を出しておるというのが現状でございます。これに対しまして、私どものほうから申しますと、二つの対策が考えられると思います。第一は、そういう交通に対しまする安全施設と申しますか、施設面からくるものと、それから交通に対しまする学童その他の通学その他に対しまする交通規制の問題。もう一つは、学校自体に対しまするところの学校教育の安全教育の問題であろうと思います。これはただいま政府に交通対策本部を設けまして、その中に学童園児等に対しまする交通安全対策の専門委員会を開きまして、建設省その他各関係省と案を立てまして、その中で強く要望し、特に歩道橋等の建設につきましてはやっております。それは努力いたしておるところでございます。
  127. 帆足計

    帆足分科員 見識ある同僚議員諸君のお許しを得まして、もうちょっとだけお許しを願います。  いま非常に御懇切な御答弁を伺いましたが、いわば切れば血の出るような重要な問題、ほとんど全部すべての政策が立ちおくれであったという一言以外にない。これは文部大臣を責めるのではありません。そういう政治日本がなっておる。その宿命を私はただ嘆くのみでありまして、と言ったところで野党たるわれわれは多数であるわけでもありませんから、あえて責任ある皆さんにお願いするわけですが、これはいずれも切れば血の出るような問題です。それで疫痢と肺炎がなくなったというのに、よちよち歩きの子供の死亡率が、おんもに出るようになるとたちまちにして、これはきのう厚生省からもらった資料ですが、事故死が四二%こういう数字を見て心を痛めぬ人があるでしょうか。これは程度がひど過ぎると思うのです。私が昭和六年東大を出たとき鉄は二百万、きのうの新聞にも出ておりましたが、朝鮮、台湾、満州をなくして日本の鉄は五千八百万トン、まさにフランスの三倍に近づいております。五千八百万トンの鉄をつくりながら、陸橋の三百や四百つくることは、割りばしの三百や四百つくることとたいして違わない、朝めし前の仕事です。それが東京ではほとんど行なわれず、去年の暮れ、野党から攻勢を受けて、魔の七環道路に三十七の陸橋ができた。去年三百八十何名の交通死傷者のあったところが、ことしの三月は死者ゼロ、けが人はごくわずか、かすり傷ほどのもの、その事実を見て警視庁は驚いたのですけれども、これくらいのことに気がつかないような頭脳でもって、はたして日教組をいいとか悪いとか言う資格があるかどうか。私は、こういう大事なことをどんどんすれば、すべて人心がおさまると思うのです。でございますから、親愛なる大臣におかれましては、きょう私が指摘した各項目につきまして、まことに心を注いで緊急対策をしていただきたいということを切にお願いするわけです。そしてわれわれが注意を促さなければ、死んだ子供はもう叫ばないのですから、死んだ子供に口がないとすれば、生きているわれわれがこうして声を大にして、そして外務委員をしておりながら文部の分科会に出てきて、他の同僚の委員の方々と相協力して、そして行政官庁の皆さんの御奮起を促したい、こういう趣旨でございますから、とくと皆さん御記憶を願いたいと思います。大部分のことは、まだそこまでいっておりません、研究しております、私はこのくらいのことは、もうほんとに一〇〇%といかなくても、八〇%は断固として追加予算でやりましょうぐらいのお気持ちでいていただきたいのでございます。  ついでにお願いしますが、盲ろうの諸君で大学に入りたいという子供たちがおります。これはモスクワの例ですが、そういうときは、上の学校へ行ったら五人学友がつくという学友制度、それが助けて、みな上にはいれるようになっております。それから身体障害者奨学資金は優先的にやるようにしていただきたい、たぶんそうなっていると思いますが。  それから小児医学につきましては、児童医学全書というものができておって、せめて一つの学校に五冊か、各先生は一冊持っておるくらいにしてもらいたいと思うのです。医学に対する無知というものは驚くべきもので、もう鉄のカーテンより無知のカーテンのほうがかたいでしょう。鉄のカーテンをおそれる感覚があったら、無学のカーテンをおそれてください。それで、いまの子供の医学全書を備えることぐらいはまず実行してもらいたい。それから定期的に校医の講習会を一年に二回くらいはやって、そして真剣に児童医学、児童心理学のことを御勉強願いたい。  話題を変えまして、もうごくわずかです、あとのスケジュールは尊重いたさねばなりません。  テレビと映画につきましては、実はもう二回、前国会、前々国会に質問しました。ついに思い余って愛知さんと郵政大臣立ち合いの上にまで私は質問しました。テレビがコマーシャルになっている国は日本アメリカだけと聞いております。ヨーロッパに行きましたが、テレビは大体NHKと一つ文化放送、教育放送というようなもので、そして国会の委員会の超党派的指導のもとにあります。大体午後三時ごろから始まります、それがほんとうだと思うのです。ところがわが国の場合は、もう文部省もへったくそもない、文部大臣のことなど念頭にない、へいちゃらです。そしてどういうことをやっているかというと、悲劇ハムレットのまさにオフェリアが失恋の歌を歌おうとする瞬間、大脳生理学者の言によると、そのときナイヤガラの瀑布ぐらいの勢いでわれわれの脳電子が流れているのです。その瞬間にインスタントラーメンと、こうくるわけです。最近の大脳生理学の教えるところによりますと、それによって不良少年ができる、頭の中に断層ができる。さらにはなはだしいのは「ぐぐっと元気」、こうくるわけです。それは何かと思うとビタミンの広告です。イギリスのビタミンの広告を見ますと、普通のときはビタミンを飲まなくてけっこうです、野菜、食料にあります、欠除して飲むときには医者の指導を受けてください、多量に飲み過ぎると骨がもろくなったり、いろいろ併発症状を起こします、こう書いてあります。これがほんとうの広告というものでしょう。それが「ぐぐっと元気」とは何ぞや、しかも、それが徳川家康のまつ最中にぐぐっと元気、徳川家康ならまだたいしたことありませんけれども、悲劇ハムレットの最中にインスタントラーメンとは何ぞや。そこで私は、せめて百歩譲って、演劇の最中には下のほうに花王石鹸、花王石鹸、花王石鹸と字が流れる程度にして——別に花王石鹸から広告料をもらっておりませんが、字が流れる程度にして、幕の合い間に多少啓蒙的効果のある広告を入れる、そういうふうになってもらいたいと言いましたら、郵政大臣並びに文部大臣口をそろえて、それは当然だから次までに実行します、そして直接の権能はないけれども審議会に忠告を発してします、二度約束してもう二年たちました。一体国会というところは茶番劇の場所でしょうか、それもちょっと剱木文部大臣に聞いておきたい、茶番劇の場所というなら私はすぐ退場します。そこで私は、さらに愛知文部大臣にこう言いました。これで聞かないならば、だれかが犠牲にならなければならぬ。だとすれば、私が愛知きんの家に早朝く行って、そしてテレビをたたきこわす、そして帆足計がついに軽犯罪法を犯した、かの文化地帯から出ている代議士までがついに頭にきて暴行を働いて軽犯罪法にひっかかったとなれば、さすがの新聞記者諸君も、それは気の毒だということで、私も執行猶予になり、世の視聴を集め、そしてテレビも、それじゃ、まじめに考えよう、というのは、テレビ及び新聞というのは広告料で生きておりますから、広告については、やはりさすがの社会の木鐸といわれるわが最も尊敬する新聞記者諸君もテレビ関係者諸君もあまり強くないと思うのです。弱いと言うと失礼にあたりますから、まあ人類共通の弱さを持っておる、こういう表現で、そこでこれはやはり文部大臣が勇断を持って幕間に広告、そしてその最中に入れるときはせめて百歩譲歩して字だけにして、そして演劇の最中に「ぐぐっと元気」なんということは言わさぬように、これはひとつ確約していただかなければ、もうどうしても議員として軽犯罪法に訴えざるを得ないという、そういう思い詰めた、五十男が思い詰めたときはこわいのです、それは八百屋お七くらいのものじゃありません。私が家へ帰って疲れを休めようとして、スイッチをひねるといつもこれなんです。もうとてもがまんできません。もうがまんの限度を越えました。さすがのうちの奥さんも、まあしかたがないわ、きょう剱木さんに言うて聞かなかったら、あなた言い出したらやめぬ方だからおやりなさい、やらなければ病気になるでしょう、わがいとしき妻がそう言ってくれるのですから、これは冗談でありません。わざと天下の視聴を集めるために私はこういう形容詞を使っただけでありますから、文部大臣、郵政大臣と相談して善処することを約束してください。私はヨーロッパに行って今度驚きました。ヨーロッパの一国としてこういう国はありません。この悪習はアメリカから来た何とかシロヒトリのたぐいと同じでございましょう。  それからもう一つは、インターンと無給医局員のことは厚生省に聞きますから、厚生省はひとつ今度は準備をしておいてください。現代の奴隷物語を許しておいて何の教育の権威ぞや。実は私の長男もいよいよ来年からインターンです。子を思う親の心というものはまた格別でございまして、これは普遍妥当の心理と結びついている以上、いよいよもって——これはただで子供を使い、しかも、それがインターンで、どうしても足らぬから、みなアルバイトしているのです。それはアナーキストアルバイトです。救急病院なんかの現状はどうなのかはいずれ厚生省に聞きますが、ついに医局員からチフスの犯罪者が出ましたね。あれのもとは、これから起こっているんです。したがいましてインターン、研究生、医務局員に対する近代奴隷制、残酷物語、アナーキズム、全学連以上のアナーキズムを文部省と厚生省でおやめ願いたい。正当な、研究生にふさわしい待遇と環境を与えるように予算をとっていただきたい。  それから第三は、オペラとバレエについてでございます。私は、オペラやバレエが、先ほど申しましたようにたくあんを食べ、おみおつけを飲んでいる民族が、よくぞ藤原義江さんのような人を育てた、これは世界に誇るべきことだと思うのです。しかも民族芸術といえば、いまごろ古いドジョウすくいでもありますまい。私はその点は進歩陣営の評論家に少し自己批判を促したいと思っておりますが、ドジョウすくいや三番叟では、いつまでも青年はついてきません。やはり日本民族の伝統的民謡と近代的な音楽を結びつけて、それをより高きものにした北原白秋、山田耕筰、藤原義江のコンビは、私は尊敬すべきものであって、なぜ藤原さんに文化勲章を——まだたぶん与えていないと思いますが、世にもふしぎな物語りと思っております。「からたちの花」や「城ケ島の雨」は、これは不朽のものです。これは「荒城の月」と同じように不朽のものです。そのオペラの発声法の問題や用語の問題もありまして、ほんとうに国民のものになっておりません。これを国民のものにするのにはどうすればいいか、ヨーロッパではオペラを年に二回聞いたならば犯罪は発生しないとまでいわれているのです。人の心に潤いができ、人間が人間であることを一番痛感して、そのために犯罪が減るといわれている。オペラも、春秋二度見ないと人の心も枯れるといわれております。日本でオペラといえば、伝統として残っておるのはただミュージカルの形で沖繩で残っております。これは注目すべき現象です。しかし、とにもかくにも日本のオペラ、特に創作オペラ、それからバレエ、これは奨励さるべきものであると思います。子供たちにいつまでも小学校で、かりにドジョウすくいと佐渡の「おけさ」を教えようとしても、確かに「おけさ」は名曲です。しかし、子供が「黒田節」などを歌う風景は、悪くはありませんけれども、端唄、長唄を小学校の子供のときから——私も道学者でありませんから、どうせ卒業してどこかでうろ覚えに聞いて、夜は必ず歌うのであるから、表向きから教えたほうがよくはないかとも思います。しかし、やはりそれでいくならば、あるいは田中角榮さんの浪花節でいくならば、健康にはいいです。しかし、これは音楽の領域に入りません。健康で大衆的な、これはスポーツでもありませんが、声のスポーツだ、健康にいいんです。しかし、音楽は健康を養うものでなくて、原則としてやはり大脳を養い、情操を養うものです。音楽を教え、音階をわきまえることは、日本の重工業、特に精密機械工業に絶対になくてはならぬ。もし「蛍の光」の音譜がなかったならば、日本の重工業は発達しなかったのです。ですから、近代機械工業と音楽というものは密接な関係がある。そのことにも文部大臣は思いをいたされまして——敏捷な身のこなしというのはバレエと非常に関係があります。音楽は絶対に近代機械工業になくてはならぬものです。したがいまして、創作バレエを奨励するために予算が少しふえたと聞きますから、御同慶の至りですが、幾らふえたか。聞くところによりますと、英国では一億円ないし一億二千万円ですか、十二億円ですか、私一けた間違えたかもしれませんが、一億円以上の補助金が英国ですら出ておると聞いております。日本で幾ら出しておるか。それならば現在のオペラの二期会、それから藤原歌劇団に出していることに私は賛成です。しかし、そのほかにも創作舞踊で苦労している劇団、たとえば星島二郎氏が会長をしている国民オペラ協会等がありますから、それらもお調べくださって、あれは今度成功しましたのは、徳川時代のキリシタンの奥さんの——五十になりますとどうもど忘れしまして、キリシタン大名の奥方の有名な、文部省の方知っておりましょうが、そのオペラ。それから能をオペラ化したものなどは相当注目されております。やはりそういうまじめな努力に対してもひとつ御研究のほどを、私はどこのどれにどれだけというようなほめ方はすべきじゃないからあえて申しませんけれども、創作オペラ、バレエについて補助があるとするならば、もう少しそういうことをたんねんに御調査になってお心とめを願いたい。同時に、その金額も年々もう少し、英国並みくらいに増加していただきたい。  以上のことをお願いいたします。時間が超過いたしまして、まことに……。
  128. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 ただいまのことについてお答えしますが、テレビ映画のコマーシャルの問題でございますが、御指摘になったことは私どもも十分そのとおりだと思いますけれども先生が厚生大臣文部大臣と話して、それはもっともだから、すぐそう直すと言われたことについて、私はどういうことでそういうことが言えるかと思うのです。現在、まあ郵政大臣でも、テレビ等の番組の編成その他内容につきましては、何ら改定の権限がない現状でございます。ただ、私のほうが文部省としてできますのは、やはりテレビ・ラジオ等の放送につきまして、できるだけひとつ教育的な考慮をしてほしいという申し入れをいたしておるのでございまして、御承知のように昨年——まだ今年は政府のほうで出しておりませんが、昨年放送法を国会に出します場合、文教関係といたしましては相当強くこの点の教育的考慮をいたしてもらうことを要望してまいったところでございます。私どもも、やはりたくさんの青少年その他に影響があるものでございますから、いわゆる言論の自由と申しましても、それらの青少年その他への相当の影響を考えて放送番組等を編成してほしいと思います。  それからインターンの問題は厚生省の問題でございますが、先ほどもこの分科会で話がございました。インターンの問題につきましては目下それの廃止に向かいまして、ただ、そのインターンにかわるべき医療研修制度の問題等も関連いたしておりまして、医療教育懇談会の早期の結論を待ちまして、この問題を厚生省と十分相談をして実施いたす予定でございます。  それからオペラの問題でございますが、たぶん芸術団体の今年度補助金額は一億二千二百万円だったと思います。それで、オペラ関係につきましても、芸術団体に対しましては十分考慮します。創作オペラの団体に対しましても、実際予算が通りました後におきましては相当考慮いたして配分いたしたいと思います。
  129. 帆足計

    帆足分科員 ただいまのオペラのことは「ガラシャ夫人」でした。一つの例として御記憶願います。  それから、もうこれは締めくくりだけです。盲ろう身体障害者の上級大学入学への便宜をはかっていただきたい。実は、このことについては詳細に伺いたいのですけれども、強く、それを御調査の上、不幸な子供たちの向学心を助けてやってください。ぜひともお願いいたします。先日盲人学生大会がありまして、私も与党の方も参りました。みなほんとうに胸を打たれました。ほんとうに助けてやっていただきたいのです。それにはソ連の制度も調べてやってください。これだけはソ連に対してほんとうに頭の下がるような制度があります。  それから、ただいまの「ぐぐっと元気」というのと例のインスタントラーメンですが、これはもうがまんができません。したがって、力がないといって——色男金と力はなかりけりといいますが、文部大臣はそれほど色男でもありませんから、ほんとうにやろうと思って真剣に警告を発すればやれるのです。それでやらなければ、私どもも出席さしていただいて、それを監督する委員及び各テレビの編成局長、社長をここへ招喚しまして、そうして徹底的に反省を促したいと思います。恥を知るべきだと思うんです。これは新聞社のほうも言いにくいと思うんです、確かに。これはさっき申し上げましたように人類共通の悩みで言いにくいのですから、これはやはり議会が言わなくちゃならぬと思うのです。その前に文部大臣が集めて、そうして帆足議員その他各議員から非常に熱心なる誠意あふるる警告があった、このままでいくと軽犯罪法が国会中内おいて起こりそうだ、うちのラジオもあぶないぞ、こういうことで、ひとつ注意を促していただきたいと思うんです。  それから、ただいまのオペラの件につきましては、これは特に御研究願いたい。創作オペラという以上、やはり創作という、多少技能に劣るところがあっても、創作への努力——外国ものの飜訳だけやっている、それも創作の一種ですけれども、そういう未知の世界を探究している人たちにもう少し着目してください。それから「ガラシャ夫人」にとどまらず、橘バレエの「飛鳥物語」、「まりも」などがあのオペラ世界一のモスクワで最高の人気を博したということなども、やはり注目に値することであろうと私は思います。  スケジュールがありますから、残念でありますが、以上申し上げましたことは、まず常識的に申し上げてもいずれも残酷物語でありまして、このままの状況が続けば与党及び現在の政府の恥となることでございまして、これは与党、野党を問わず、国民の恥でございますから、別に野党の人間が言ったというふうにおとりにならずに、善良な国会議員が熱心に注意を促した、こういうふうにおとりくださって、実現に移していただくことを切に要望する次第でございます。
  130. 北澤直吉

  131. 玉置一徳

    玉置分科員 時間の関係もございますので、私は文化財の保護並びに学校給食、こういう点にしぼって御質問申し上げたいのでありますが、その初めに昭和四十二年度宇宙空間観測計画というやつがあるわけです。科学衛星及びロケット観測経費についての昭和四十二年度概算要求額は四十七億九千万円、前年度に比べまして二十億九千万円の増額であります。その他に七億六千万円の施設費がございます。合計五十五億五千万円となっております。いまやわが国の、大げさな言い方をいたしますと、宇宙観測のロケットの発進とそれから原子力の開発、なお非核武装の条約というものが非常に問題になっておるおりからでありますので、ごく簡単にこの問題について文部大臣から所見を承っておきたいと思います。  先般の内之浦の打ち上げの失敗は、非常に国民の士気と申しますか、期待を裏切ったのでありますが、これだけの予算を計上されて、大体文部大臣としてはいつごろ打ち上げられる予測をされておるのか。また先般の失敗にかんがみて、その根拠は一体どうなのか。
  132. 天城勲

    ○天城政府委員 いまのロケットの今後の計面に関連いたしますが、御存じのとおり、東大のロケットによる宇宙観測の問題などで、一つ人工科学衛星の打ち上げという問題がございます。その前提として現在ラムダロケットの打ち上げの実験を重ねているわけでございますが、ラムダによる打ち上げが三回、残念ながら失敗に終わっております。なお、これの上に初めて、ミュー型ロケットによる本格的な人工衛星、科学衛星の打ち上げということになるわけでございます。これらいままでやってまいりました研究上の幾つかの、俗にいわれておる失敗の問題につきましては、現在東大の宇宙研におきまして綿密に検討を加えておりますし、専門的な点でございますので、私詳しいことをまだ報告できないわけでございます。  今後の問題につきましては、四十一年度計画しましたラムダの打ち上げのいままでの反省の問題がいろいろ入ってきますので、それらの結果によりまして具体的にきめられると思っております。当初の予定でまいりますと、四十二年度にラムダクラスのロケットを三発打ち上げる。これらの時期につきましては、残念ながら過去の実験が成功いたしませんので、多少の変動があるのじゃないかと思っておりますが、先ほど申し上げたような形で現在検討中でございます。
  133. 玉置一徳

    玉置分科員 その失敗の原因の探究が大体どのくらいの時期がかかって、それがわからない限り、次の発射ができ得ないのかどうか、発射のいろいろな研究ができ得ないのか。
  134. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 大体失敗いたしましたのは、第三段目に点火しなかったわけでございますが、いままでは三段目までりっぱに点火してまいったんでございますから、第三段目に点火しなかったこの原因は、やはり何か整備の関係があったと思います。でございますから、その三段目、四段目になりますと、今度は相当自信を持ってやっておったようでございます。ですから、この原因の探究はもちろんしなければなりませんけれども、三段目に点火しなかったというのは——三段目はいままで点火してやってきたんでございますから、今後の打ち上げにつきましては、そう大した支障はない。ただ、瞬間的には多少のズレがあるかもしれませんけれども、大体予定のとおり打ち上げるようになると思います。
  135. 玉置一徳

    玉置分科員 私が心配いたしますのは、お金の要ることでありますので、必要だけの金は当然要るわけでありますが、予算が二十億九千万円の増額になって、五十五億五千万円になっておるけれども、はたしてこれを今年度予算内で消化しうるのかどうかということと関連して、大体いつごろにその検討が終わるのか。終わってから、次の発進その他の準備にどのくらいの日数がかかるのか。そこではじめてこの予算の消化ということができ得るんじゃないだろうかということ。この五十五億五千万円は、つまりいまの検討をしてから主として発進に要るのか、そういう研究に要るのか、そういう問題について局長の御答弁をいただきたい。
  136. 天城勲

    ○天城政府委員 いまの予算でございますけれども、これは宇宙航空研究所の研究費の増額でございまして、基礎的な研究や開発研究、いろいろな経費が入っておりますので、これは予定に従って研究を続けますので、そういう意味での使い残しというようなことは懸念いたしておりません。ただ打ち上げの条件あるいは時期等によって若干のズレがあろうかということを申し上げただけでございまして、現在の段階において申し上げられることは、予定の計画によって予定の予算を執行するということでございます。
  137. 井内慶次郎

    ○井内政府委員 答弁を補足させていただきます。  いま玉置先生の申されました金額でございますが、これは概算要求といたしまして当初予定いたしておりました金額でございまして、ただいま御審議をいただいております四十二年度予算といたしましては、歳出予算額三十四億二千百四十二万円、そのほかに国庫債務負担行為といたしまして五億二千九百九十万円で、トータルいたしますと約四十億というのが現在の予算でございますので、その点補足いたしておきます。
  138. 玉置一徳

    玉置分科員 いま大臣が、三段目までは前はできたのだから、やがて近い時期にと、こうお話しになりましたが、非常に技術的にむずかしい問題でありますので、こういうことを質問することもどうかと思うのですが、所管大臣としては大体いつごろそれが打ち上げられるものと推測されておいでになりますか。
  139. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 数日前から宇宙研の高木所長ともいろいろ話をしているのでございますが、高木所長の話では、七月にはぜひ打ち上げたい、こう申しております。
  140. 玉置一徳

    玉置分科員 これに関連いたしまして、ロケット研究の一元化の要請が、今度の失敗にかんがみてなお国民的な一つの世論になってくると思うのですが、ロケット研究の一元化というあり方が、文部大臣としてこれを達成することに都合がいいとお考えになるのか、いまのままでおやりになったほうがいいとお考えなのか。
  141. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 このロケット打ち上げにつきまして、その一元化というような話になりますれば、ぜひそれは私も賛成してやりたいと思っております。ただ、東大におきますロケットの研究は、これはあくまで科学研究の——もちろん開発研究も関連いたしますけれども大学の当然行ないます学術基礎研究でございまして、特に将来ロケットの研究なり、打ち上げが一元化いたしましても、この研究者の養成ということは当然大学の受け持つ分担でございますから、もちろん大ききとか規模につきましては、東大の宇宙研で行ないますこの共同研究は一定の限界があると思いますけれども、研究者の養成という面から申しますと、これは当然にやらなければならぬ問題でございまして、新しいロケット研究なり打ち上げの一元化という問題は、私ども考えておりますのは、たとえば実用衛星、これにつきましては、郵政省でございますとか、あるいは運輸省でございますとか、気象庁でございますとか、その他のものがばらばらにこの打ち上げ計画をやるのは、これは非常な問題でございますので、できるだけそういったようなものは一つに一元化してやっていくべきだろう、これは関係各省とも十分相談をして推し進めてまいりたい、こう思っております。
  142. 玉置一徳

    玉置分科員 私はロケットの一元化の問題につきまして、いま大臣からお話もありましたが、試験実射をしながら研究を続けていくわけでありますので、世間で常識的に考えるような一元化ということはいろいろむずかしい問題があるのではないか、養成も、その研究の積み重ねの土に養成されていくのではないか、こう思いますので、私はかえって文部大臣としてはいままでの所管事項の大学の宇宙研のあり方を自信を持ってやっていただいていいのではないかという感じもするわけです。  そこで、これに関連しまして、巷間、糸川博士が辞退されたことが大学の研究に支障があるのじゃないかということを、しろうと向きに心配される向きがあるわけですが、どういうものでありましょうか。
  143. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 私自身は、実はこれは率直に申しますと、糸川さんがああいう関係でおやめになりましたが、私は、むしろ学者の良識に従いますれば、過去におきまするいろいろなうわさとかそういうものは一切——もちろん自分でも反省しなければならぬと思いますが、自分の全力を注いで研究の完成に没頭すべきだという考え方を持っておりましたが、これは大学自体で辞表を出されてやめました。しかし、あとの問題でございますが、糸川教授がお去りになりましても、あとに若い相当の研究者がたくさん続いておりますので、今後のロケット研究については何らの支障はないということを承っております。
  144. 玉置一徳

    玉置分科員 若い研究者がたくさんおいでになりましても、こういった大学の研究所のリーダーと申しますか、それを総合して指導していくという者はなかなか得がたいやに私たちは考えておるわけでありますので、あとあと支障のないような、ひとつ十分な御検討をお願いをしたいと思うのです。  そこで、ついでで恐縮ですが、いまのところでお話なすったと思いますが、東大の宇宙研の、会計検査院に指摘された決算経理と申しますか、金銭経理の決算のずさんなところは一体どうだったので、今後はどういうようにそれを措置されていくようにせられておるかどうか、この際簡単に伺っておきたい。
  145. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 会計検査院に指摘されましたこれは注意事項でございますが、批難事項というわけではなかったと思います。このロケットの製作につきまして、これは開発しつつ研究していき、研究しつつつくっていくという過程がございますので、これを発注しまして、その成果を購入するという普通の状況とはだいぶ違いますので、困難な点があったと思います。そこで発注と、それから支払い、その金額の決定とか、そういう点について指摘されたような不備な点があったことは事実でございます。しかし、これは、やはり検査院からも注意を受けまして、その発注の方式を改めまして、それからなお、経理関係につきましても、非常に弱体でございましたので、これにつきましては、あるいは人員を増加するとか、そういう経理関係の不備を補いまして、今後はああいったような問題の起こらないように——もちろんこの契約のやり方の不十分な点はありましたけれども、経理の内容につきまして、不正とかそういう問題は絶対になかったということを私確信をいたしております。
  146. 玉置一徳

    玉置分科員 いまのお話のように、会計検査院の指摘しているのも同じことだと思うのですが、大学の研究所の会計経理というのは非常にむずかしいと思うのですね。そういう点では、やはり事前によく指導されまして、こういう指摘を受けないような措置が十分とられていかなければならないんじゃないか、こう思いますので、ひとつその点適切な御指導お願いしたいと思うのです。  そこで、給食のほうに入ります。学童給食の必要なことはとっくに叫ばれて、今日まで文部省もその普及に努力されたわけでありまして、小学校で完全給食が現在において八三・一%、その他ミルク補助給食まで入れますと、九五・三%まで普及できたことは現実であります。そこで、学童給食が教育並びに児童の保健というものに非常に効果があることは、これはもう十分知られていることでありますけれども、ここまで普及してまいりますと、一番大事なことは、学童給食の父兄負担の軽減だろうと思うのです。  そこでお伺い申し上げたいのですが、一番初めにパンの小麦粉であります。アメリカから給食を受けておった。その次に、日本政府から補助を渡した。そのアメリカの給食を受けたときは、小麦粉としては結局何%の補助率だったか。初めごろ、補助率は、日本政府アメリカの打ち切られたときにどういうような補助、何%ぐらいになる補助をしておったか。現在は一体幾らほどの補助か、局長からひとつお答えをいただきたい。
  147. 赤石清悦

    赤石政府委員 アメリカからもらっておった場合は御承知のようにゼロでございますが、それを打ち切られまして、それにかわるものとして日本政府が小麦粉の補助を行なおうとしたその一番最初の年度におきましては、五割に相当する補助を出しておりました。
  148. 玉置一徳

    玉置分科員 何年度ですか。
  149. 赤石清悦

    赤石政府委員 昭和三十一年度でございます。
  150. 玉置一徳

    玉置分科員 アメリカのときは全額ですね。
  151. 赤石清悦

    赤石政府委員 はい。
  152. 玉置一徳

    玉置分科員 現在は。
  153. 赤石清悦

    赤石政府委員 現在は、大体二割程度でございます。
  154. 玉置一徳

    玉置分科員 物価がだんだん上がってまいります。しかも、それは初めは全額補助と同じだった。それから五割補助が初めにされた。それが現在に至ってはわずかに二割の補助にしか相当しない。私が聞いておるのには、こういった非常に微細な補助になってくるから、大蔵省はこれを削ろうという気持ちすらある。こういうことになってまいりますと、父兄負担の軽減という点から考えて、牛乳の給食まで相当程度補助をやり出しているときに、全く前向きの努力が払われてない、こういうように思うのです。だから、小麦粉の補助打ち切りはもちろんのこと、最初に戻って五割補助になるような努力を、やはり文部省当局としてはひとつ思い切って大蔵省に要請しなければいかぬのじゃないか、こう思うのですが、大臣どうですか。
  155. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 実は率直に申しまして、私も今度の予算で父兄負担の軽減ということを私の主たる重点政策にいたしたわけでございますが、学校給食につきましては、実は残念ながらそれがむしろ御承知のように、なま牛乳につきましても、これの値上げがあるかもしれません状況でございますし、それから、脱脂粉乳につきましては、最近、安く手に入っておりましたアメリカからの輸入がとだえまして、ニュージーランド、オーストラリアその他から非常に高い脱脂粉乳を購入しなければならぬ、こういうことから申しまして、いまも大体五割の線でやるべきものが、単価を上げませんので、だんだんパーセンテージが下ってきた。この意味におきまして、非常に学校給食につきまして父兄負担の軽減ということが実現できなかったことは、私、率直にこれは申しわけなかったと思います。ただ、この学校給食のやり方等につきまして、たとえば共同購入をいたしますとか、あるいは新聞でもごらんいただいたと思いますが、コールドチェーンと申しますか、そういうようなことを学校給食に取り入れまして、できるだけ流通機構等の関係で学校給食の父兄負担を軽減していこう。そこで私自身は、いま保健体育審議会に学校給食の基本的なあり方ということを実は諮問をいたしております。その学校給食の父兄との関係におきまして、負担区分と申しますか、これについても審議会におきまして一つの結論を出していただきたい。それが出ますと、私どもはそれを努力目標にいたしまして、早急にこの線に向かってやりたい。結論といたしましては、ことしは非常に不十分でございましたが、なお今後、十分その問題について努力してまいりたいと思っております。
  156. 玉置一徳

    玉置分科員 最初の出が五割補助でありましたが、主食及びおもなる副食につきましては五割補助というものが一つの線であって、物価が値上がりしてまいりますと、それにつれて補助率を上げていくという形でないと、物価は上がってくるわ、補助はそこまでいかないものですから、父兄負担が非常に大きくなっていく。いまもお話しの審議会で検討中らしゅうございますが、外国の例等も見まして、やはり一つの基準をおつくりいただいたら、いまのお話のような共同購入その他の努力をされた分は、そのくふうされた分だけは父兄に戻るような形で、補助率のほうでは、やはり  一定の補助率を賢持していくというような一つ努力目標をつくっていただきたい、こう思うのです。牛乳の点につきましても、いまお話のとおりでございます。  そこで、これに関連いたしまして、もう一つは、新聞の報道によりますと、学校給食用のパンを白パンから黒パンに切りかえる、こういうようなお話があって、従来、ともすれば、白パンのほうが上等なんだ、玄米よりも白米のほうが上等だという思想の抜け切れないわれわれとしては、何か粗雑な扱いをするのではないかという感じを父兄もお持ちになっている点もあると思うのですが、白パンから黒パンに切りかえるについての理由が納得できるように御説明していただきたい。
  157. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 新聞でもごらんのとおり、私もその問題につきましてはよく調査いたしたのでございますが、現に、実際上、嗜好の面から申しまして、子供たちがどう考えるか実験的にやっておるようでございます。ただ、新聞に黒パンと書いてありましたので、きょうは現物を持たせてまいったのでございますが、自パンと黒パンとの比較をしていただきますと、そうたいした違いはございません。ただ、私はこれを聞いて驚いたのでございますが、この漂白いたしますのは、もうほとんどいずれの国も漂白は禁止しておる。日本だけはまだ漂白パンを食べさせておる。これは漂白剤の人体に及ぼす影響等もありまして、ですから……。   〔政府委員、玉置委員に実物を示す〕
  158. 玉置一徳

    玉置分科員 漂白剤を使ってないというだけで、白黒という意味ではないのですね。いわゆる玄米、白米という考え方とは違うわけですね。そうすると、黒パンと白パンと栄養的にはどちらがいいのでしょう。
  159. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 それはもちろん黒パンのほうが、漂白しないほうがよろしゅうございます。
  160. 玉置一徳

    玉置分科員 そうすると、嗜好的には何か試験しているということがありますか。
  161. 赤石清悦

    赤石政府委員 若干この点については標白しないほうが栄養的にもいいし、一般の子供にも受けるであろう、こう確信を持っておるのでございますが、やはり一部の学校その他関係方面では若干議論がございますので、現在私どもにも資料がございますが、さらにそれを第三者にも納得してもらうべく、食糧庁ともいろいろ提携をいたしまして、現にいま全国的に学校の子供に食べてもらって実験中でございます。それによって政府の態度を早急に結論を出したい、こういうふうに考えております。
  162. 玉置一徳

    玉置分科員 価格は、父兄負担の軽減には若干なりますか。
  163. 赤石清悦

    赤石政府委員 ほとんど現実の値段としては、差異はございません。
  164. 玉置一徳

    玉置分科員 主食であるパン、牛乳は、いまのお話のとおりでありますが、バター、チーズ、豚——この間、豚コレラで余りましたから、学校給食にどうだというようなことで、えらい迷惑な話だったと思うのですが、そこで問題は、この牛乳の需要の拡大というような日本の農業政策から、ちょうど学校給食がうまくいったわけでありますが、日本の牛肉、豚肉等に対する需要が、食生活上どんどん急カーブで上がってまいりますのに、飼料その他の関係で牛を飼っておるのが横ばいであることは御存じのとおりであります。いろいろな問題がございますが、農林省の屋上にも、この間質問をむしておいたのですが、豚を食うのはよい子とか何か大きなスローガンというのですか、宣伝文等が立っておりました。この間は豚問題のときですから、あれだけはひとつベールをかけておきなさいということを農林省に言っておいたのですが、このことは必要だったと思うのです。それで価格の操作に使われるのは困りますけれども、安定した、しかも低廉な価格で豚がずっと給食に使われるということになって、しかも、それは農林省のほうでありましょうけれども、牛乳と同じような補助を出せるということになれば、需要の拡大、したがって生産の増大というような一つの大きなめどがついて、日本の食糧政策上からも非常に望ましいと思うのです。ある程度はそういう安定した供給で、しかもそれが安く長期にわたって入るようなことになれば望ましいと思いますが、どうですか。
  165. 赤石清悦

    赤石政府委員 豚肉の問題でございますが、確かに先ごろの豚肉の場合、豚肉が多少過剰ぎみでございまして、できれば学校給食方面でこれが使えないものであろうかといったような非公式な意向があったやに聞いております。もちろんこれは正式に農林省から申し入れはなかったわけでございます。従来、私ども文部省の立場といたしましては、その前に先生御承知のように、現在国から補助金の対象のありますのは、基本物資であります小麦粉と、それからミルク、なま乳、それから一部は外国から買ってまいります脱脂粉乳でございます。したがって、おかずにつきましては補助がないのでございます。したがって、牛肉にはもちろん補助はございません。したがって、また同時に、直ちに豚肉に、いかなる政策上のあれにせよ、補助対象とかいうことは、これはいまのところないと思っております。  学校の現場におきまして豚肉を使うかどうかという問題は、御承知のように、文部省は指令一本でこれを使え、使うなということになっていませんので、もっぱら教育委員会もしくは現場の学校におまかせしておるわけでございます。もちろん、このような学校が交渉してきめる場合の参考資料として、文部省なり学校給食会が適当な資料を流すことはございますけれども、指令はいたしておりません。したがって、文部省としては、さような事情については、もちろん検討いたさなければなりませんが、ややもすると、経済的な傾向にのみこの学校給食の物資が追われてまいりますと、たとえば、前にバターの問題でございますが、バターが少し過剰ぎみになった。ぜひ使ってくれという、ところが一般にバターが品不足になりますと直ちに学校給食から引き上げるということで、ただいま御指摘のように供給が安定するというめどが立たない限り、そういうことを方針として取入れるということはなかなか困難であるという過去の事例がございます。同時にまた、豚肉の先ごろの問題が直ちに学校給食で解決されたというふうなことは、出だしとしては必ずしもりっぱなもの、望ましいものではないのじゃないかということで、もし申し入れがあった場合は、もちろん文部省としてはいろんな立場から検討したい、こういうことでございました。ただ、農林省から、さような文部省の方針がわかったと思うわけでございますが、正式の申し入れはございませんでしたが、ただ将来の問題として、やはり経済の安定、いろんな観点から学校給食も成り立ち、方々うまくいくということでございますれば、学校給食の場においてさようなものを取り入れるということについては十分検討に値する事柄ではないか、こう考えております。
  166. 玉置一徳

    玉置分科員 御説明のとおりでありますけれども、学校給食では主食、副食というような大きな、われわれの言う御飯というような食卓とちょっと意味が違ってくると思うのです。だから主食でも副食でもいい、父兄負担の軽減に資せるものだったら御検討いただいていいのじゃないか、こう思います。  そこで、もう一つ忘れましたが、この俗に黒パン、白パンですか、これを学童だけじゃなくて、経済企画庁の生活局等とタイアップされまして、一般にもこれのほうが栄養的にいいんですよということで市販され、試売というんですか、試食してもらうような機会もおつくりいただいたほうがいいんじゃないか、こう思う。  そこで、時間が大体まいりましたが、ひとつちょっと超過さしていただきまして、簡単に文化財の問題につきまして触れておきたいと思うのです。  文化財の問題は、ここ近年住宅開発その他の、新幹線もございましょうが、都市周辺の開発に伴いまして、埋蔵文化財の乱掘が非常に問題になっております。結局はこれは買い取りというところへ持っていかざるを得ないと思うんです。国庫補助は現在二分の一でありますが、こう急激に開発されてまいります現状において、地方自治体が国庫補助二分の一だけでそれを買い取るということは非常に困難じゃないか、こう思います。というのは、開発が急激に、同時になってまいりまして、昔からの一つのペースでずっときているものじゃございません。予算の増額も見たわけで、一億五千万円から三億円に、約倍に伸びたわけでありますけれども一つは、地方団体がこのままでは、二分の一補助だけではほんとうはしんどい、苦しいのだ。そこであとの二分の一は、どこかで基金制度をつくりまして、あるいは起債を充当していただいて、その利子補給だけでも考える制度をひとつ検討願えぬかということが一つ。それからもう一つは、予算を組んでいただきましても、買収が相手方のある交渉でありますので、その年度できちっと買い切れるということが非常にむずかしいという問題が多いんじゃないだろうか。こういう意味で、私は基金制度を設けて、とりあえずその基金制度で十年年賦なら十年年賦で一応買い上げまして、十年年賦で地方と国が先ほど申し上げたような措置をしていくということも望ましいんじゃないか、あるいは実際問題として実際に適合するんじゃないだろうか、こういうふうに思うのですが、どういうようにお考えになりますか。
  167. 村山松雄

    ○村山政府委員 埋蔵文化財の保存の問題につきましては、現在の法規によりますと、埋蔵文化財のままでは公有化による買い上げ補助ということはやっておりませんので、埋蔵文化財を調査しまして、これが史跡として価値あるものと判断されて指定した場合、さらにこれが史跡と必ずしも直接関係のない個人の所有にかかっておって、そのままでは史跡としての保存に問題があると思われるような場合に、補助によりまして公有化をはかっておるわけであります。  そこで補助率の問題でありますが、これは二分の一補助を原則としておりますが、これが県や大きい市でなくて、非常に貧弱な市や町である場合には、事情に応じて二分の一をこえる補助率も現実の問題としては配慮いたしております。それからまた御指摘のように、買い上げの問題でございますので、財源を確保しただけでは必ずしも十分でありませんので、地主との折衝、特に単価の問題とかあるいは先祖伝来の土地を手放すとか、そういう感情上の問題でありますとか、いろいろ問題がからみまして、買い上げの交渉は必ずしも円滑にいくとは限りませんので、大体のところ土地の買い上げは年次計画によりまして根気よく折衝をして、財源とにらみ合わしてやっていくというようなやり方をとっております。  そこでお示しの、さらに進んで、これに対して基金制を設けるかどうかということは、事務的にはまだ未検討の課題でございまして、将来の問題として研究いたしたいと思います。
  168. 玉置一徳

    玉置分科員 私がちょっと言い忘れましたのですが、国の指定のものでありますから、それはおっしゃるとおりでありますが、そこで逆に、それならば名所史跡に指定された所有権の制限に対しては、あれは一体どういうようにお考えになりますか。
  169. 村山松雄

    ○村山政府委員 文化財保護法によりまして指定をされた場合には、所有権の一部が、何といいますか、公用負担といいますか、現状変更の規制等を受けるわけでありますが、これに対しての直接の補償ということは従来はやっておりませんでしたし、国土開発が急テンポにならない時代は一応それでも済んでおったわけでありますが、最近のような開発が急テンポになってまいりますと、規制をしただけでは所有者にも公平の原則からいって気の毒な場合があり得るわけでありまして、そのような場合に対応して、最近国庫補助による公有化というのを進めてまいったわけであります。この問題は、開発が急テンポ化するにつれてますます深刻な問題になりますが、率直に申しまして、現在指定しております史跡もしくは名所というものは全国に相当数散在し、面積も相当に上っておりまして、その中で民有地を全部積極的に買い上げるというわけにもまいりませんので、所有者が指定によって制限を受けながら所有していくことが気の毒であるという事情のあるものについて、地元公共団体が買い上げて保存したいという計画を立てるものについて、まあこれは立てるのを傍観しておるわけではありませんで、文化財保護委員会といたしましても、場合によって積極的に奨励し、あるいは協議に応じてやっておるわけでありますが、公共団体によって買い上げて保存するという考え方のまと去りましたものにつきまして、でき得る限り予算を確保して買い上げ保存の措置を講じておるというのが実情でございます。
  170. 玉置一徳

    玉置分科員 この買い上げ保存のほうはわかるのですが、買い上げ保存じゃなくて、現状変更を認めないのだから、住宅地その他、隣のたんぼの価格にすれば半額くらいになるのです。そういうものに対して、たとえば固定資産税の免除をするとか、軽減をするとか、何か所有権を制限した分についての控除的な、被害を埋める何かがなければ、指定のしっぱなしではちょっと気の毒じゃないだろうか。まあ最後は買い上げるというところにいくわけですが、買い上げるのは全般としては微々たるものです。そういうことに対してどうお考えになりますか。
  171. 村山松雄

    ○村山政府委員 御指摘のように、文化財保護法では指定による所有者の負担に対して直接補償するとか、あるいはそういう場合所有者の請求によって義務的に買い上げるとか、そういう規定はないわけであります。そこで自主的に負担をかけたまま所有をさせておくことが気の毒であるというような場合に買い上げをはかってきたわけであります。最近の立法例としては、たとえば古都保存法のような法律には、補償あるいは申し出による積極的な買い上げというような規定も盛られております。文化財保護法にそういう規定がないわけでありますが、これが法令のバランス上どうかというような立法論はあろうかと思いますけれども、現状では文化財保護法の規定に従いまして、それを補充するような意味で、地元あるいは所有者と話し合いによってできるだけ保存の目的も達し、所有者も著しい迷惑をかけないというような方法でやっております。  それから蛇足でございますが、この指定地は一切の現状変更ができないというぐあいに受け取られる向きもございます。大げさにいうと、指定地になると一木一草刈り取れない、そういうことで放置するのはどうかというような御批判もあるわけでありますけれども、そういう窮屈な運用は実際問題としてしておりません。指定物件の性格によって、たとえば旧お城のあとなどは比較的そのたたずまいもはっきりしておりますので、やや厳重な規制をしておりますけれども、かなり広範な地域を指定しておる名勝、たとえば京都の嵐山ですとか、広島県の厳島ですとか、ああいうかなり広い地域を指定している名勝地区につきましては、現状変更の問題もこれをあまり窮屈にやりますと、現実にその地域に居住しておる住民の生活が非常に窮屈になるという実情も勘案いたしまして、たとえば家屋の改築であるとか、あるいは若干の建て増しとか、模様がえとか、そういうものにつきましては、実情に応じて現状変更の許可をいたしております。ただ、無制限に許可いたしますと名勝の価値を損じますので、たとえば屋根がわらの色をじみな色にしていただくとか、あるいは高さもむやみに高いものを建てないとか、あるいはかっこうも奇抜なものを建てないで、名勝地にふさわしい設計をしていただくとか、そういう指導を国及び都道府県の教育委員会を通じて所有者側に対して行ないまして、相談によって話のまとまりましたものは現状変更の許可をするというぐあいにいたしまして、実際住民の生活にも極端な支障がないようには配慮しておるつもりでございます。
  172. 玉置一徳

    玉置分科員 立法論としては、いまのお話のように急激にこういうものがやられますから、私は近畿圏それから都市圏保存地域というのですか、それがどんどん開発されるものですから、自然の景観そのものを何とかして残したいという思想が出てきて当然だと思います。そういうところとこれとは別個の問題でありますけれども一般の私権は私権で、必要とあれば私は公のために、ある地域を限って、しかも問題を限って指定することは、制限することはいいんじゃなかろうか。そういうような点からも、それに対するやはり何らかの対応措置をこれから考究していかなければいかぬじゃないだろうかということを申し上げておるわけです。  そこで山陽新幹線、中国縦貫道路あるいは大規模な団地造成等が、——私はこの間住宅地の供給の問題を相談したのですが、ここ十年間で五千万坪も東京の周辺に宅地として要るわけです。そういうようなことになれば、猛烈な開発が進められるわけですから、そこにあります埋蔵文化財その他の調査は、ことし調査費はだいぶ伸びておりますが、決してこれで十分でないのではないだろうかというような感じもいたします。あまりにも開発が急激になりますから、人口の都市集中が多過ぎるというような点も考えまして、なお一そうの御努力お願いをしておきたいと思うのです。  そこで最後に無形文化財ですが、無形文化財の伝承責任というものを文化財保護法はきめておるわけであります。そこで無形文化財が伝承責任をきめられるということは、五十六条の六で、「委員会は、重要無形文化財の保存のため必要があると認めるときは、重要無形文化財について自ら記録の作成、伝承者の養成その他その保存のため適当な措置を行い、又は保持者若しくは地方公共団体その他その保存に当ることを適当と認める者に対し、その保存に要する経費の一部を補助することができる。」こうなっております。私は、国が無形文化財、いわゆる人間国宝に指定して、そしてその伝承の責任を全うしろということを言う限りは、その費用の一部と書いてあるのは、国並びに地方自治体等を通じて十分なものをしろよということだと私は思うのです。でないと、伝承責任のほうも一部と書かざるを得ないと思うのです。そこで、ことし若干ふやしていただきました。文部大臣にも御苦労いただいたわけですが、私はこういう比較をするのです。文化勲章に対し、文化功労賞というものがあります。あれは一つの栄誉を付与しておるわけです。その栄誉に対して年金がつくわけであります。こちらは、あなたは無形文化財ですぞ、日本の国の固有の文化を永遠に伝承せなければならない責任を有するほんとうの国宝ですぞという指定をしているわけですから、こちらのは伝承するだけの生活責任は持ってあげなければいかぬのじゃないか。平均しての金額でいきますから、三十五万円とかあるいは百万だというようなことが行なわれるわけですが、これが三年前に補助費として年金めいたものをこしらえていただいた。そのときに文化功労賞は五十万円だったのです。二年前にそれが百万円に追加されたわけです。増加されたわけです。そういう意味では、この無形文化財の伝承責任のほうに重きを置くべきじゃないだろうか。片っ方の栄誉のほうの功労に対する年金と比較して、この特別助成金はあまりにも少ないという感じがするのですが、しかしながら、こちらにも生活にお困りになっている人が少ないのだといえば、それはそれで、そのかわり困っている方に対しては十分しているのだということが言えればそれでいいと思います。しかしながら、文化功労者のほうでも、これはそんな生活にお困りになっている方はほとんどないのですから、大臣、この額で十分とお思いになられるかどうか。
  173. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 私も実際、無形文化財が、ことしはわずかに一人当たり五万円ぐらいしか増額になりませんでした、申しわけないと存じております。この額で十分とは決して考えておりませんので、将来に向かいまして、文化功労者年金までにいくかどうか、なかなかむずかしいと思いますが、相当程度まではぜひ上げていきたいと思います。
  174. 玉置一徳

    玉置分科員 無形文化財じゃなくて重要文化財につきましても、青蓮門院その他の問題があります。あるいは火災予防が十分ではない。やりだしたらきりがないのではないかと思いますけれども、法律に明記しておるように、日本歴史的な文化財を後世に残していくのだという意味では、私は思い切った力を入れるべきじゃないか。これも先ほど申しましたような何かの基金で買い取ってあげておいて、国がそのうちからというような形でないと、——しかもその基金は民間からもお願いをしてもいいのじゃないだろうか。私は一時そういうことを提唱したこともあるのです。そういう奇篤な方も相当あると思うのです。でないと、このような予算の、かなり伸びはしておりますけれども、青蓮門院その他の例を見ましても、とても十分だとは言い得ないのではないか。こちらにそれだけの相当な財源を持っておってこそ、かなりきびしいことが言えるのじゃないだろうか。そうでない限り、きびしい指導ということは非常に言いにくいのではないか。しかもそれは国だけの責任でもなくて、先ほど申しますようないろいろな特殊な方々の御寄付を仰いで大きな財団基金をつくっていいのじゃないか、こう思うのですが、こういう点につきましてどうお考えになりますか。
  175. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 これは文化財保護委員会のほうにおいてお考えになることではございますけれども、基金制度の構想は私も非常におもしろいと思います。まあ文化財委のほうで御研究にはなると思いますが、私のほうも、文化財のほうでそういうなにがありますれば、できるだけ協力してまいりたいと思います。
  176. 玉置一徳

    玉置分科員 終わります。
  177. 北澤直吉

    北澤主査 明後二十四日は午前十時より開会し、午前は文部省所管、午後は厚生省所管について質疑を行なうことといたします。  本日は、これにて散会いたします。    午後三時四十一分散会