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1967-06-07 第55回国会 衆議院 文教委員会 第13号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十二年六月七日(水曜日)     午前十時三十一分開議  出席委員    委員長 床次 徳二君    理事 久保田藤麿君 理事 坂田 道太君    理事 中村庸一郎君 理事 西岡 武夫君    理事 八木 徹雄君 理事 小林 信一君    理事 長谷川正三君 理事 鈴木  一君       稻葉  修君    菊池 義郎君       久野 忠治君    河野 洋平君       葉梨 信行君    広川シズエ君      三ツ林弥太郎君    渡辺  肇君       唐橋  東君    川村 継義君       齋藤 正男君    三木 喜夫君       山崎 始男君    有島 重武君       山田 太郎君  出席国務大臣         文 部 大 臣 剱木 亨弘君  出席政府委員         文部大臣官房長 岩間英太郎君         文部省初等中等         教育局長    齋藤  正君  委員外出席者         参  考  人         (広島県立大竹         高等学校教諭) 唐川喜久夫君         参  考  人         (東京都立石神         井聾学校教諭) 吉本 哲夫君         参  考  人         (明治学院東村         山高等学校校         長)      佐藤 泰生君         専  門  員 田中  彰君     ――――――――――――― 六月三日  公立高等学校設置適正配置び教職員定数  の標準等に関する法律の一部改正に関する請願  (枝村要作紹介)(第一〇八四号)  同(田邊誠紹介)(第一〇八五号)  同(山口鶴男紹介)(第一〇八六号)  同(上村千一郎紹介)(第一〇九五号)  同(小川平二郎紹介)(第一〇九六号)  同(小澤太郎紹介)(第一〇九七号)  同(大野市郎紹介)(第一〇九八号)  同(加藤六月紹介)(第一〇九九号)  同(鍛冶良作紹介)(第一一〇〇号)  同(倉成正紹介)(第一一〇一号)  同(佐藤孝行紹介)(第一一〇二号)  同(笹山茂太郎紹介)(第一一〇三号)  同(篠田弘作紹介)(第一一〇四号)  同(瀬戸山三男紹介)(第一一〇五号)  同(田中正巳紹介)(第一一〇六号)  同(田中龍夫紹介)(第一一〇七号)  同(地崎宇三郎紹介)(第一一〇八号)  同(中川一郎紹介)(第一一〇九号)  同(保利茂紹介)(第一一一〇号)  同(本名武紹介)(第一一一一号)  同(松浦周太郎紹介)(第一一一二号)  同(山田耻目君紹介)(第一一一三号)  同(箕輪登紹介)(第一一一四号)  同(藤波孝生紹介)(第一一三九号)  同(受田新吉紹介)(第一一四六号)  同(小平忠紹介)(第一一四七号)  同(坂村吉正紹介)(第一一五六号)  同(斉藤正男紹介)(第一二二一号)  同(粟山ひで紹介)(第一二五〇号)  心臓病子供の病、虚弱児学校学級増設に関  する請願荒木萬壽夫紹介)(第一一二〇  号)  同(佐野憲治紹介)(第一一二一号)  同(畑和紹介)(第一一九七号)  同(愛知揆一君紹介)(第一二二二号)  在日朝鮮人民族教育保障に関する請願(角屋  堅次郎紹介)(第一一五八号)  同(福岡義登紹介)(第一一八七号)  各種学校制度確立に関する請願外四件(菅野和  太郎紹介)(第一一六一号)  同(神門至馬夫君紹介)(第一二四八号)  複式学級解消等に関する請願田村良平君紹  介)(第一一七四号)  同(仮谷忠男君外一名紹介)(第一一九六号)  義務教育における毛筆習字必修に関する請願(  加藤清二紹介)(第一一八八号)  同(大坪保雄紹介)(第一二四六号)  学校教育法改悪反対等に関する請願神近市  子君紹介)(第一一八九号)  旧長崎医科大学原爆犠牲学徒靖国神社合祀に  関する請願西岡武夫紹介)(第一二一六  号)  公立特殊教育学校の非義務学年学級編制及  び教職員定数に関する法律制定に関する請願(  川村継義紹介)(第一二四七号)  公立義務教育学校学級編制及び教職員定数  の標準に関する法律の一部改正に関する請願(  橋本龍太郎紹介)(第一二四九号)  戦傷病者の子女の育英資金等に関する請願(粟  山ひで紹介)(第一二六七号) は本委員会に付託された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  公立高等学校設置適正配置び教職員定数  の標準等に関する法律の一部を改正する法律案  (内閣提出第八九号)      ――――◇―――――
  2. 床次徳二

    床次委員長 これより会議を開きます。  内閣提出公立高等学校設置適正配置び教職員定数標準等に関する法律の一部を改正する法律案を議題といたします。  本日は、参考人として広島県立大竹高等学校教諭唐川喜久夫君、東京都立石神井ろう学校教諭吉本哲夫君、明治学院東村山高等高校校長佐藤泰生君、以上三名の方々に御出席を願っております。  この際、委員会を代表して一言ごあいさつを申し上げます。  参考人方々には御多用中のところ御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。何とぞ、本案について忌憚のない御意見をお述べくださるようお願いいたします。  なお、議事の都合上、まず御意見をお一人約十五分程度で順次お述べをいただき、その後委員からの質疑にお答えをお願いいたしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。  それでは、順次御意見をお述べいただきます。まず、唐川参考人
  3. 唐川喜久夫

    唐川参考人 私は、ただいま御紹介いただきましたように、広島県立大竹高等学校教諭唐川でございます。このたび改正されようとしておる公立高等学校標準法をめぐり、現場の一教師立場から若干の意見を申し述べる機会を得ましたことを光栄に存じます。  まず、今回改正されようとしておりますこの旧法は、昭和三十六年度のベビーブームの波が高等学校に押し寄せてきたときに、従来の文部省設置基準であります甲号乙号のままに放置するならば、国の財政的裏づけが明確でないため、県によっては、最も重視されるべき後期中等教育の一翼をになっておりますわれわれ高等学校教職員定数の問題や、学級編制基準等に大きな格差が出てまいります。このことによって高等学校教育水準の低下をするのを防ぐ趣旨で、国が財政負担をする最低限の保障として、教育界方面期待を受けて誕生したものであります。  私たち現場教師は、それまで各県まちまちであったことによる矛盾、不合理感、こういうものを、この法律をつくることで、国の前向きの施策によってようやく前進をはかれるものとの強い期待感の中から、この旧法を受け入れてきたわけでございます。しかし、これが教育現場に実際に導入されたとき、急増対策の当面の施策一つとしてつくり出されたものとはいえ、次のような多くの問題点を持っていることを私たちは身を時って知りました。  すなわち、旧法時代は一学級当たり生徒数は、普通科等では五十名と法できめてあります。しかしながら、その一割に相当する、すなわち五名を加えました五十五名というすし詰め附則で認めていたわけです。すなわち、この体格的にも非常に大きな五十五名の生徒を、小学校生徒を収容する教室と全く同じ六十六平方メートル、これは二十坪になるわけですが、この小学校生徒を収容する教室と同じ教室の中に、あの大きな生徒を五十五名も詰め込む。しかも男女共学が原則でございますから、男女込みに五十五名を詰め込んで授業を現在まで進めてきておるというのが実情でございます。したがって、教卓の前にぴたりと生徒の机がつきますし、机と机との間は四十センチ、一尺少々くらいしか開いておりません。その机の両方へ生徒のかばんをかけますから、この机と机との間はさらに狭くなり、教師として最も重要な仕事一つである机間巡視による生徒指導は、ほとんど不可能という状況でここ数カ年を推移してまいりました。また、生徒黒板を見る視野の角度が非常に広くなりますから、黒板が光って字が見えないままに三カ年間の高校生活を終えたという生徒が約三〇%もいるという事実が、本県高校白書の中で明らかにされております。しかも、そうした詰め込み教育を一方ではしておきながら、教師を配当する基準は、逆に実員から一制を差し引いたものを想定して、割引した数字をもとにする教職員定数の算定という内容のものであります。しかし、私たち生徒とともに歯を食いしばって、数年後は安定期に入るのだから、そのときを楽しみにしてお互いに創意くふうを積み、がまんをし続けて今日に至りました。  かくして昭和四十一年度より生徒減少期に入り、国会政府をはじめとする教育関係者の御努力で、昭和四十一年度に一部旧法の手直しの措置がなされ、生徒減少状況に応じて五十名または五十三名へと学級編制基準改善がなされました。いよいよ抜本的法改正だと伝えられる今次法案が誕生をし、苦しかった過去数カ年のすし詰め時代を思い、これからは急減期に入るのだから、いよいよ高校教育水準を高めるための学級編制基準をはじめとする一連の諸施策が打ち出されるものと期待し、胸ふくらまぜて今次新法内容の出現を待ち受けたものであります。  現在の高校教師は、本県の場合、一週二十二、三時間も、相当高度な専門教科授業を担当しております。さらに、そのほかに精神的動揺期を迎えておる生徒たちめホームルーム担任仕事進学就職指導放課後におけるクラブ活動等、戦前の中等学校教師時代には想像もなし得なかったような種々多様な教育実践を担当しております。たとえて申しますと、親にも言えないような生徒悩み、これを事前に察知をしまして、生徒との話し合いの中で一人一人のとうとい命を救ったという経験を持つ高校教師は、私の身辺にもたくさんおります。しかし、このような生活指導前進は、ただ教壇からの講義のみでは絶対に得られないのです。たとえば、それはクラブ活動とか、あるいは日曜日の生徒と一緒に遠征をいたします対外試合とか、あるいは放課後特別教育活動等人格人格との接触の積み上げの中で、初めて生徒たちは親にも諮れない悩みを私たちの胸の中に飛び込んできて打ち明けたり、いろいろな相談を持ちかけてくれるものであります。このように一人一人の生徒個性を見詰めて、そこから無限可能性を引き出し、行き届いた教育実践するためには、どうしても一学級当たり生徒数減少教員一人当たり平均受け持ち授業時数減少、それは従来十五時間が良心的に授業できる限度だと考えていますが、これが必要であると思います。いよいよこの減少時期に入り、この方向が打ち出され、いままで果たそうとして果たされなかった教育実践上の矛盾を、この際一気に前進させ、子供たちとともに、真に次代の国を背負う後期中等教育の重大な間に位置しておる高校教育を、質的にも量的にも確立し得るものとの理想に胸ふくらませ、今次法案内容を待ち受けていたものであります。しかし、その後、本年二月から四月と今次法案内容が徐々に明確になってくるにつれ、多くの疑問点と不安が起こってくることをどうすることもできません。いままで述べてきましたように、高校現場で日々の教べんをとっている者の目に映る、今次法案をめぐる心配点を申し述べれば次のとおりだと考えます。  まず第一に、何といっても、教育前進の根本につながる学級編制基準をめぐる問題点であります。新法では、普通科等では四十五名、職業科は四十名、職業科旧法時代の据え置きでございます。という点であります。しかも普通科等においては、経過措置を含めて今後五ないし七年後に初めて四十五名になるという内容のものであります。同じ後期中等教育を分担している中学校の場合には、この学級編制基準は、昭和四十三年度には四十五名になるわけでございます。しかも実際の授業学級編制平均三十名以下、これが全国状況になっておると思います。このときに、ただひとり高等学校のみが、それよりもおくれること三ないし五年目にやっと基準が四十五名に到達するという点は、われわれ現場教職員としてどうしても理解できないし、また、最も心配しているところの一つであります。私たちは、前に述べましたように、最も困難な青年期生徒たちを預かる者の立場として、どうしても一学級当たり普通科等四十名、職業科三十名、これを指向していただきたいと心から要請してやみません。  第二には、これも前に述べましたように、ほんとうに一人一人の生徒を見詰め、生徒との魂の触合れいの中から教育を創造していくためには、教師週当たり平均授業時数も、旧法の想定は十八時間のようでございますが、これより引き下げて、十五時間以下にぜひしていただきたいと考えます。議員の先生方には、高等学校教員の一週当たり授業時数十八時間でも少な過ぎるのではないか、たった十八時間くらいしか授業をしないのか、これをさらに引き下げて、十五時間にしてほしいという私たちの要望は理解できないと思われるかもしれませんが、もし皆さま方の身内の中に高等学校現場教職員の方がおられましたら、私が本日言っていることがうそであるかほんとうであるかを、ぜひ直接その人に尋ねてみていただきたいと思うわけであります。現在の二十二ないし三時間、これは法では十八時間というふうにきまっておるわけでありますが、進学指導就職指導その他による増加授業等で、法できめられた時間を四ないし五時間上回っておるのが全国状況だと思います。したがって、二十二、三時間に現在なっておるわけですが、このことは一日当たり四時間の授業をするということになるわけです。一日四時間の授業はどれくらいの労働量になるか、ぜひ御理解いただきたいと思います。ほんとうに疲れ切って、声もかすれ、くたくたになるという状況であります。さらに、一時間の授業には最低二時間の予習を必要としますので、これだけでも優に一週四十四時間の勤務時間をオーバーしてしまうわけです。さらに、この受け持ち授業のほかに、ホームルーム生活指導クラブ活動対外試合進学就職指導等、数多くの教壇外仕事が待ち受けています。  でも教員には夏休み等があるではないかと言われるかもしれませんが、昨今の夏休暇は、生徒との接触を深めるための合宿訓練をはじめとし、特別教育活動、諸講習会県教委の主催する名称研修会等のスケジュールがびっしり詰まり、夏休みはかえって多忙だというのが偽らざる私たちの実感でございます。四十日間をみっちり自由な立場専門の勉強に励んで、肉体的にも精神的にも張り切って九月一日を迎えるという過去の状況とはほど遠く、夏休み中の諸行事の消化に精も根も使い切って、逆に疲れたからだで九月一日を迎えるというナンセンス的傾向も出ております。  第三点は、小規模校の問題が依然として改善されていないことであります。かりに百二十名の定時制分校を例にとりますと、今回改善されたという定数法で計算しても、教職員定数はわずかに九名という数字が出てまいります。これではとうてい生徒希望を満たす教育過程を組み、その中で授業を進めることは不可能であります。例を理科にとってみます。理科教科がたくさん分かれます。したがって、大学で化学を専攻した人に生物を担当しろとか、逆に生物を専攻した人に物理を担当しろとかいう、およそいかに矛盾しているか理解していただけると考えます。若干の改善はなされていますが、小規模分校等では、設備の面でも相当な教育的マイナスを受けておる生徒たちであるから、せめても教師を十分に配当して生徒希望にこたえられる形の教育課程を組んで、一人一人の個性を見詰めた教育をしなければならないと考えます。私たち希望としては、小規模校最低十四名程度教職員定数が必要であると考えております。しかも小規模分校は、一般僻地が多いわけです。僻地勤務で苦労しておる教職員に、本校では専門教科を一ないし二担当すればいいものを、分校に行ったとたんに非専門教科を四ないし五も、さっき申し上げたように担当せざるを得なくなるという、生徒教師の両面へマイナス要素を持ち込むものとして、最も心配しておるところの一つであります。  第四点は、新法第二十二条の非常勤講師の特例に関する問題であります。この点は、旧法時代精神を踏襲しようとしているもののようですが、旧法の持つ一つの大きな問題点として、過去数カ年間にわたって議論をし尽くされたところであります。すなわち、私たち高等学校教育特殊性から、たとえば小規模分校等で、前述のとおりに教育課程編成上の観点から、常勤の一人並みの授業時間数が出てこない場合の一つ措置としての非常勤講師必要性を全く認めないという主張はとりません。しかし、これはあくまで異例の措置例外規定としての意味を持つべきで、非常勤講師を一人雇えば、常勤講師一人がそのことによって減っていくのだというふうな二十二条の定数配置上の規則を、本法そのものの中に規定することは問題であると指摘せざるを得ません。しかも大学の新卒業者常勤として採用しないで、非常勤として一カ年単位の契約で採用する。給与は、もちろん初任給よりはるかに低い給与になるというようなことは、高校教育を質的に高める観点からも問題点として指摘せざるを得ません。しかも常勤と同じ勤務をさせるに至っては、当然常勤職員として採用すべきだと考えます。自治省から県にくる交付金の中には、単価の低い非常勤を採用しても常勤と全く同じ交付金がきておる点等をあわせ考え、本法の中にこのように明記して非常勤を奨励するかのごとき措置は、高校教育を円満に発展させるという教育的見地からも問題点のみを持っておるものとして、ぜひ再検討していただきたいものと強く訴えるものであります。  最後は、第九条四号の問題であります。これは教頭定時制主事生徒指導に携わる者等受け持ち授業時間数との関連による定数上の特別の配属であると思われます。私たちは、教頭等担当授業一般教員より現実に若干減少している事実は認めます。しかし、生徒指導等を担当する教員が、このたび置かれようとしておるこのカウンセラーというものだと思いますが、かりに千人の規模学校、こういう大規模学校に一人配当されたとしても、はたして生徒指導が具体的にどう前進するのか、期待することはできません。一人一人の生徒悩み無限に広がる内容を持っております。したがって、とても教壇に立たない一人のカウンセラーに多くを期待することは無理だと考えます。したがって、これは、あくまで実際に生徒を担当しておるホームルーム主任を中心にした全職教員受け持ち授業呼数平均して減少さしていく方向の中でのみ具体的に解決され得る問題点であることを指摘し、危惧の念を深めざるを得ません。教頭主事等も別ワクという形の中で処理するのではなく、全体の受け持ち授業時間数を減少するという底上げの中から解決点を見出していくべきであると考えます。しかるに、今次法改正案によれば、四百五人までの小規模校には一人の教頭等の別ワクも得られないという結果になります。そうでなくても、さきに述べましたように困難な小規模校であるのに、教頭等による一、二名の別ワク増もなされない小規模校には、さらにしわ寄せが加えられておる点等問題点として指摘せざるを得ません。  さらに、附則の第二、第三項の問題であります。この二点は、せっかく本法学級編制基準を四十五名とし、それに見合う教職員定数改善を指向しながらも、この二つの附則によれば、毎年政令で本法内容を規制されるというもののようでありますが、しかもその内容が全然わからない点であります。ただ、第三からうかがえることは、四十六年三月三十一日の時点で四十五名の学級編制基準が完成され、それによる教職員定数の確保がなされること、さらに、それに至る四カ年間はある一定の別の基準による上限――最高限度になる上限制限が二重に行なわれるのではないかという危惧が、現場教師の中でいま最も心配されているところであります。せっかく四十五名を指向するという考え方から出発したものであるなら、あくまでもその基本的考え方に立って高校教育を確立するという立場から定数を確保し、最も困難なこの時期の生徒たち教育を担当しておる教職員に、希望と勇気と意欲をわかしていただけるような配慮のあらんことを心からお願いをし、以上諸点の観点から、現場教職員を代表しての意見にかえさせていただきます。
  4. 床次徳二

    床次委員長 次に、古本参考人にお願いいたします。
  5. 吉本哲夫

    吉本参考人 私は、障害児教育に携わる一人として、今回国会に上程されたいわゆる標準定数法の審議に深い関心を持っております。それは、この定数法障害児教育とその未来に大きなかかわり合いを持っているからであります。  特殊教育学校は、盲学校ろう学校と、知恵おくれの子供が学習する精神薄弱学校、肢体不自由の子供が学習する肢体不自由学校、病弱、虚弱児が学習する病虚弱学校を総称する養護学校をいっておりますが、四十一年度の文部省統計による就学率は、たとえば、いいほうでは、ろうの六五・四%、悪いほうでは精神薄強児の一四・三%であり、高水準を世界に誇っている日本の義務教育就学率から見れば、まことに低い就学率であるといわなければなりません。しかも、養護学校義務設置とはなっていても、地方自治体に設置を義務づけていないために、全国的にはいまだに養護学校設置していない県があると聞いております。  憲法第二十六条は、すべての国民は教育を受ける権利があると明記していますが、障害児の現状は、この憲法規定からも差別されております。障害児に対してこの規定を正しく当てはめるためには、すべての障害児教育を受ける権利を保証するために、学校をふやし、障害児教育に見合う教職員を増員し、予算をふやす必要があります。ところが、現行の定数法には、義務教育学年である小、中学部定数だけが明確化されているだけで、幼稚部高等部定数は放置されたままで今日に及んでいます。  それぞれの子供にどのような障害があったとしても、人間として生きる権利、働く権利はあります。現代社会では、教育を受ける権利を認めないということは、生きる権利、働く権利を奪うことを意味していますし、障害児教育というものは、この権利を保証することが基本にならなければならないと考えています。昨年六月、障害児を持つ母親が障害児を道連れにして琵琶湖に入水自殺を遂げました。これは警察官の家族でありましたが、学校厚生施設へ行っても自分の子供を受け入れてくれず、結局はみずからの命を断つ以外にその道を見つけ出すことができなかったのです。また、山口県の木村浩子さんは、左足以外には日常生活の役に立たないほどの重症で、三十歳の現在では、左足を唯一の表現方法としてすぐれた歌人であり、あるいは俳画家として国の内外に知られていますが、その口叙伝によれば、学校に行けなかったくやしさ、世間の差別に生きる望みを失い、自殺をはかったと書かれていますが、もし正常な学校教育を受けることができれば、もっとすぐれた力を引き出すことができたに違いないと考えています。  私は、障害者とその家族が、虚無と絶望によって生きる力を失っていくのではなく、生きていてよかったといえるようにするためには、教育の力ははかり知れない大きなものがあると考えます。そのためには、障害者や父母の要求にこたえることのできる一貫した教育を行なう必要があり、教職員を大幅に増員する必要があります。障害をできるだけ早く発見し、発見できたら、その日から医療、教育を施すことの効用はすでに各方面で証明されており、東京でも、ろう学校では三歳児教育の面で成果をあげております。このようなほんの数例から考えても、特殊教育学校学級編制教職員定数は、幼稚部、小学部、中学部高等部等を一貫した独立法とすべきであります。  以上のような障害児教育の現状から今回の政府案を見るとき、多くの疑問を持たざるを得ませんが、そのおもな戸だけを幾つか明らかにしてみたいと思います。  まず、第十四条では学級定数を十名を標準としております。このことは、学校の実情から見て当然の処置をされたものとして肯定できます。しかし、重複障害児対策を重視する上からも、重複障害児学級の学級編制については特別に考慮してほしいと思います。  次に、第十七条の一号にある教員算出方式でありますが、政府案では生徒数を五で除す方式をとっておりますが、生徒募集定員をきめて学級編制を考えている高校定数の方式をそのまま盲ろう養護学校に適用させることはできません。生徒数が足りないからといって再募集して、そしておまえは盲児になれ、おまえはろう児になれというわけにはまいりません。義務教育学校では、学級数に一定の率を乗じて教員定数を算出していますが、盲ろう養護学校ではこの方式が最も妥当なものであります。  次に、十七条の二号にかかわっている専門教育学科でありますが、現行の専門学科は、たとえば盲学校の理療科は、あん在科、はり科、きゅう科のコースがあり、被服科は、紳士服科、子供服科、和裁科、印刷科は、植字、写真植字、活版などのコースに分かれていますが、このようなコースの指導新法では不可能に近いものとなります。  また、十七条三号の後段にある肢体不自由学校の機能訓練士については、東京では、その重要性から、すでに四校に合計二十四名が配置されていますが、政府案では合計四名となっており、二十名も減ることになり、現在でも不足していると父母や訓練士から訴えられているのに、定数法が制定されることによって、かえって教育が後退するということになっては、どうしても納得することができないところであります。  また、盲ろう養護学校教育に必要な独自なものが十七条に明記されていないのは、障害児教育の現状を無視されているといわざるを得ません。たとえば、寄宿舎に勤務する男子教諭の問題でありますが――文部省では舎監と呼んでいるようでありますが、職名で舎監の「監」というものをつけているのは警視総監と舎監ぐらいなものと思います。この教諭につきましては、学校教育法施行規則七十三条の四に明記されているにもかかわらず今回の定数法にはうたってありませんし、ろう学校肢体不自由学校で必要な言語訓練、職能訓練の教諭、盲学校でどうしても必要な点字印刷のできる司書教諭などについても明記されていません。そのほか、学校教育法施行規則七十三条の二に規定してある「特殊の教科を担任するため、必要な数の教員を置かなければならない。」ものが不足しています。  十八条の養護教諭につきましては、障害の質からいって、肢体不自由学校と病弱、虚弱の学校には二名配置が妥当であります。  寮母につきましては、寄宿舎教育障害児教育の中で重要な位置を占めていることを考えれば、舎生数を六で除した数を寮母数とするのではなく、勤務条件を勘案した数にしていただきたいと思います。現在、文部省では、三日に一泊をたてまえとして都道府県を指導しておりますが、産休明けの寮母は三日に一日は宿泊しなければならず、そのために自分の子供を手元に置くことができないで、一年か二年よそに預けるという、全く非人間的な処置がとられている例が多くあります。寮母は、その性格から明らかに教育職であるし、労働基準法八条十二号であるべきですが、文部省は、労働基準法上は八条十三号の医療職を適用するように地方自治体を指導しています。身分、待遇改善の要求が全国的に強くなっていることも考え、勤務条件の改善の上からも定数の抜本的改正が特に必要になっています。  事務職員につきましては、一般事務のほかに就学奨励費担当の職員と寄宿舎の専任事務職員を明確にする必要があります。  最後に、その他の職員として必要なものを幾つか申し上げます。  東京都では本年度より肢体不自由学校四校に二十八名の介助職員を配置しましたが、そのことによって、たとえば光明養護学校では、これまで約三百五十名の児童生徒に三分の一以上の百三十名の父母が付き添い、あるいは送り迎えをしていました。そして父母に大きな負担をかけていましたが、わずかではありますが、この負担が軽くなったと父母は喜んでいます。そればかりではなく、これまで母親依存の生活態度から、何でも自分でやろうとする積極性が見え始め、母親が自分の子供だけの関係でしか見なかったものが、学級としての集団の中で見詰めることができるようになるなど、はかり知れない大きな成果をあげています。また、介助職員配置は、母親の労働権を保証する基礎になるなど、広い範囲によい影響を与えています。肢体不自由学校のPTA連合会で出しておる一学級一名の介助職員を置いてくださいという要求は、必然であるといわなければなりません。なお、この職員配置に当たっては、当時、都議会議員であった自民党所属の広川シズエ先生が積極的な役割りを果たされたということを聞いております。この介助職員は、他の養護学校をはじめ、盲ろう学校にどうしても必要な職員でありますので、今回の定数法に挿入すべきものであると考えます。そのほか、学校寄宿舎には、栄養士、バスの添乗員、整備員、運転手、炊事員等が不備となっていますので、この面での考慮も必要であります。  以上、障害児教育に携わる者として、現状と疑問点を申し上げましたが、障害児教育は、小、中、高に準ずるという考え方ではなく、そのものとしては独立して考えるべきであり、したがって、定数法についても、総合的な法律が必要であるということを強く希望いたします。
  6. 床次徳二

    床次委員長 次に、佐藤参考人にお願いいたします。
  7. 佐藤泰生

    佐藤参考人 私は、私立高等学校につとめる者でございますが、私立高等学校の側からお話を申し上げることも、諸先生の御参考になるかと思いまして参りました。  いま世界の各国は、自国の将来を決定する青少年の教育に、ほんとうに競争でくふう、努力をこらしております。言うならば、まさに世界は教育戦争の時代であると申しても過言でないと思います。このときに当たって、わが国でも、青少年の教育、なかんずく後期中等教育を担当する高等学校定数法の一部を改定する法律案を提案なさったということは、私国民の一人として、また高等学校教育に携わる者としてたいへんうれしく思う次第でございます。  高等学校教育は、十五歳から十八歳の一番人間形成上むずかしい時期の教育でございまして、非常に重要な意味を持っております。したがって、この法案の改定にも、慎重かつ積極的な措置希望いたしたいと思うのでございます。  そこで、いただきました法案の要綱のところでございますが、三つのことを提案されております。それは、一クラスの生徒の数の問題、第二には、教師定数を算出する基準の問題、第三は、いま御報告のありました盲ろう養護学校高等部の問題でございますが、これを一読させていただきまして、二、三私の意見を申し上げてみます。  第一に、この法律案は、三十六年に出ました定数法の普通科と商業科と家庭科においては、一クラス五十人だったのを四十五人にする、そういうふうになっておりますが、私は、この五十人を思い切って四十人にするのが適当であると思うのでございます。それはなぜかといいますと、この実際の教育上の経験に基づきまして、五十人から五人減らすことは、五十人から十人減らして四十人にすることとの比較において、後者のほうが非常な、二倍といわず、もっと三倍も四倍も教育上効果があがる、すなわち、この点をお考えになって、五十人を四十人にするのが適当ではないかと思います。それから定時制の課程にあっては、現行を四十人に改めるということでございますが、これも、先ほど公立の先生がおっしゃったように、これを三十数名にするほうが適当ではないかと思います。  それから、教師の問題でございますが、カウンセラーを置く場合には、カウンセラーほんとうカウンセラーを置かれた意味を発揮するためには、生徒五百人に一人くらいが限度ではないか、そういうふうに思います。  それから、勤労青少年のための教育が、わが国の盲点といいましょうか、弱いところでございまして、このためにこの法案では通信教育の拡充が述べられております。けっこうだと思うのですが、ここで私は、勤労青少年のための教育の機関として、定時制あり、通信教育の充実あり、それから青年学級という問題がありますが、これはこの法案とどういう関係があるか、ちょっとお尋ねしたいのでございます。  それから、この法案の実施を、特に教師定数標準改善については、原則として五カ年ないし事情によっては七カ年の年次計画で行なう、こうなっておりますけれども、この五カ年ないし七カ年というのは少し長過ぎるんじゃないかと感ぜられます。すなわち、高等学校進学生徒はどんどん減ってくるんですから、まず高等学校は三年間がワンラウンドでございますから、ここのところをあまり五年とか七年とかいっておりますと、現実のほうが先にいってしまって、法律があとから追っかけていくということになって、この立法の趣旨にそぐわないという点が出てくるのじゃないかと思うのでございます。そこでこれを、私見としては、三カ年、そして特別の場合は五カ年というふうにしたらさらにけっこうじゃないかと思うのです。  以上が、私の今度のこの法律案に対する意見でございますが、私は明治学院東村高等学校につとめておるんですが、これは教員定数とか、あるいはクラス数については特殊なしかたをしておりますので、少し参考になるかと思ってまいりましたのですが、その資料の「学校要覧」を見ていただきますと――これは昨年の資料でございまして、ことしはまだ印刷中でございますので、昨年のを持ってきました。  この明治学院東村高等学校は、現在生徒数が四百四十四名でございます。それから、二年ほど前から中学を併設いたしまして、中学がいま一年、二年とございますが、中学が百十六名でございます。全体として五百六十名ほどの小さな学校でございますが、一クラスの数を生徒二十六名ないし二十八名に押えてございます。たとえて言うならば、高一が百六十名ございますけれども、これを二十七名四クラス、二十六名二クラスの六クラス持っております。高二は百三十五名おりますが、二十七名の五クラス。高三は百四十九名おりますが、これを三十名のクラス四クラスと、あと二十九名を一クラス持っておるというような、非常に少数クラス制をとっております。それから英語を重視しまして、英語の時間には、この少人数のクラスの生徒をさらに二つに分けまして、十三名ないし十四名を一クラスとして、同時に英語の教師が一人ずつついて英語を勉強するのでございます。それから第三には、ある程度の能力別クラス編制ということもいたしております。それから、これはおそらく日本に例がないと思うのですけれども、第四には、入学をなさるときに、の結果あまり成績がすぐれない人で、しかも、ぜひこの明治学院東村高等学校に学びたいという人たちには、本人と父兄と私どもと相談しまして、高等学校は四年かかってもよろしゅうございますかということをお話し合いをしまして、そこでよろしいとなれば、入学していただきます。これが予約四年制といいまして、あらかじめ四年かかってもやむを得ないということを約束する、しかし、このクラスに入ったからとて、必ずしも四年かかるわけではなくて、一学期の末にもう一度試験をしまして、ああ、この分ならば三年コースでいけるなと判断した場合には、予約四年制でお入りになった生徒さんでも、そのまま三年コースへ進めるわけであります。どうしてもだめだという場合には、二学期から中学復習コースを編成しまして、中学の復習をして、力をつけて来年は高一へいくというような方法をとっております。  教師の数でございますが、教師は専任が三十七名、それから非常勤講師が現在十五名ですから、教師一人について生徒が十二名くらいというわけでございます。そして教師の持ち時間のリミットと申しましょうか、十七時間でやっております。  以上のようで、たいへんぜいたくなやり方をしておりますので、月謝を少し高くしないとできませんので、月謝は八千円でございます。これはこういうふうなことをやっておるので、八千円必ずしも高くない。たとえば、五十人、六十人の詰も込みの私立へ行きまして、そうして家庭教師に週二回来ていただくとしますと、その学校へ四千円くらいの月謝で行っておりましたとして、家庭教師の方に週二回ほど来ていただくと、現在六千円くらいかかるのじゃないかと思います。食事をつけて五千円ないし六千円、そうすると、とどのつまり一万円くらい月にかかる。私どもの学校では、八千円をいただいて、しかも少数に分けて二十六名ないし二十八名のクラスに二人の受け持ちがつく、そういうようなこと、あるいは英語の分級授業、そういうようなことで、八千円ではあるけれども、それだけで家庭教師も要らぬような教育をしたい、こういうようなことをもくろんでおるわけでございます。幾らかこういう学校もあるということを御参考までに申し上げた次第でございます。  どうも、現在、非常に高等学校のカリキュラムといいますか、授業内容がむずかしゅうございまして、大体都立でも三、四〇%の生徒がこれについていけるのであって、あと六〇%くらいは何かわからない、不消化のままに卒業していくんじゃないかといわれておるこの時代に、クラス数をうんと制限して小さくして、そうして実力をつけようというのが、この学校を開いた武藤富男院長のアイデアなんであります。  私の学校の報告は以上でありますが、あと一言、二言申し述べさせていただきたいのです。それは、後期中等教育は、東京都の場合に、公立の高等学校、都立の高等学校が四、私立高等学校が六――私立が二百五十九校ありまして、三十七万人ほどこれを教育しております。四十年五月一日。そういうようなわけで、後期中等学校教育を、私立もその六割ないし半分をともにになっておるということを御認識くださいまして、私立高等学校の社会的、教育的役割りをひとつ御認識いただきたいと思うのでございます。そして、国立、公立、私立を含めて、高等学校対策として重点を指向していただきたい、そう思うのでございます。  なかんずく、生徒数はこれから四十六年に向かって毎年どんどん減ってまいります。四十二年の高校入学者数は全国で百三十七万、来年が推定百三十一万、再来年が百二十五万、昭和四十五年には全国で百二十二万と、どんどん減ってまいります。こういうような時期に、この私立学校教育もまた公の教育の一環であり、憲法二十六条の教育権の社会的要求にこたえているということを諸先生におかれましてもお覚えくださいまして、国や地方公共団体が、私立高等学校にもその育成助長、補助というようなことをお考えくださるようにお願いを申し上げる次第でございます。  東京都の場合に、都立高等学校生徒一人に対して、これは二年ほど前の統計ですが、年間五万一千四百四十四円の補助を出しておる勘定になります。それから、私立の高等学校生徒一人に対しては、年間、需用費としましてことしで三千八百円いただけるようになりました。そこにたいへんな差がございますけれども、私ども私立関係のものは、日本私立中学高等学校連合会とか、全私学連合会などによって、何とかして国からも私立学校の助成の法制化といいましょうか、これをお願いしていくという運動が続けられることと思うのでございます。  これを要するに、国家の将来を決定する教育にはもっと投資しなければならぬと思います。投資ということばは不適当でございますけれども、とにかく教育へもっと金を使わなければならぬじゃないかと思うんです。国家もまた個人も、この教育へ出し惜しみをしてはならない、日本が将来世界の有力な国として立つために、ぜひ教育への金を惜しまず使いたいものでございます。どうも教育は、その結果が抽象的でございまして、具体的にじきにあらわれるものではなく、また、その成果があらわれるのに五年、十年かかりますので、どうも出し惜しみといいましょうか、費用を惜しみがちでございますけれども、ほんとうに国家百年の計を思うときに、この教育に大いに予算を、あるいは個人的にも教育費を出していくべきであると私は存ずる次第でございます。  以上でございます。
  8. 床次徳二

    床次委員長 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。
  9. 床次徳二

    床次委員長 次に、参考人に対する質疑をお願いいたします。齋藤正男君。
  10. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 参考人の三先生方のうちで、特に唐川先生に伺いたいと思うわけでありますけれども、現場教師立場から、以下、私が数点をお尋ねいたしますので、お答えいただけたらと思います。  まず第一は、高校多様化ということが盛んにいわれておりますし、今度の法律改正でも問題になっているところであります。先生も御承知のように、高等学校設置基準によりますれば、その第二章、学科というところに規定がございまして、普通教育専門教育に分ける、普通教育を主とする学科は、普通科とする、専門教育を主とする学科は、左のとおりだということで、農業に関する学科、水産に関する学科、工業に関する学科等々、たくさん規定をされております。ところが、最近私は当委員会において当局の見解をただした中で、多様化のはしりといいましょうか、あらわれとして、衛生看護科というようなものが出てきたというお話がありましたし、なお、今後複雑多岐な職業教育課程において学科が予想されるというように聞いておるわけでありますけれども、たとえば工業に関する学科は、現在の基準によりますれば、機械科、造船科、電気科、電気通信科、工業化学科、紡織科、色染科、土木科、建築科、採鉱科、や金科、金属工業科、木材工芸科、金属工芸科、さらに窯業科といったようなことが規定をされておりますが、これらをさらに多様にするということになってまいりますと、たとえば機械科を細分をするとか、あるいは電気科を細分をするとかというようなことが予想されるわけでありますけれども、現場教師立場からこうした高校の学科の多様化についてどういうようにお考えになっているのか、まず伺いたいと思います。
  11. 唐川喜久夫

    唐川参考人 ただいまの点につきましては、私たちはこう考えております。  いま指摘されたように機械科をさらに細分化をしていく、いま以上に細分化をしていくということにすれば、ちょっと考えますと、日本の産業に、卒業して就職する場合に非常に都合がいいように考えられるわけです。しかし、御承知のように、現在の工業なり産業なりの飛躍的な拡充というものがオートメーション化でございます。したがって、ちょっと見た月には、たとえば製靴科なら製靴科というものを高等学校の中につくって、そしてそれでくつをつくる技術、手縫いの技術を持って出ても、たとえて申しますと、化学合成ぐつその他がどんどんいま出てきておるのは、これは完全なオートメーションでございますから、機械が全部仕事をする。問題は、その機械をどう操作するかという、そこのところの教育を十分やっておくことがむしろ必要である、こういうふうに考えるわけです。したがって、さらに小さく細分していくという形は、ちょっと見た目には役に立つようですが、大きな観点あるいは日本の全産業の観点等から考えてみた場合に、そういう方向をとるべきではない。さっき定数法の関係で若干の考え方を述べましたように、基礎学科の質を高めていくという形、専門教育と基礎学科とのバランスというものをさらに検討していくというような形こそ望ましいので、小さく小さく分けていくという考え方は問題があるのではないか、こういうふうに思っております。  以上です。
  12. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 そうすると、現場教師立場からは、いたずらに多様化という傾向で、時代の要求にのみこたえていくというようなことは少し早計ではないか、慎重に配慮する必要があるというように受け取って差しつかえございませんか。
  13. 唐川喜久夫

    唐川参考人 そういうふうに考えております。
  14. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 次に、先ほど小規模校の問題でちょっと発言をされましたけれども、ちょっと聞き落としたような点もありますので、もう一度お答え願いたいと思うのですが、あなたは広島県ですね。その広島県の場合、たとえば小規模校の単位として全生徒で百二十名というような学校があるやに聞いたのですが、実際これは独立校としてあるのか、分校としてあるのか、あるいは定時制としての全校生徒が百二十名ということなのか、そこのところをちょっと伺いたいのです。
  15. 唐川喜久夫

    唐川参考人 これは、さっき申し上げましたのは定時制の分校の場合を例にとったわけでございます。
  16. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 定時制の分校ですね。それでも一つの単位としての授業が行なわれ、学校の形態を整えているということで、先ほどのお話では最低十四名を必要とする。しかし、実際には現行がどのくらいであって、それから法改正が行なわれてどのくらいになるのかという点について、ちょっと触れてくれませんか。
  17. 唐川喜久夫

    唐川参考人 詳しく計算してみなければ――若干違うかと思いますけれども、現行は約七名くらいだと思います。それが今度の法改正で九名になる。百二十名いることになりますと、大体定時制の場合、四学級編制ないし五学級というようなところだと思います。この授業をやっていくためには、やはりもとの七はもちろん不足でございますし、今度の九でも不足する。さっき申し上げましたように、高等学校の場合は全教科の担当でございますから、しかも相当高度の内容を担当しますから、どうしても十四名は必要だ、こういうふうに私たちは長年の経験その他から強く考えておるわけであります。
  18. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 そういたしますと、先ほどもお話が出ましたけれども、専門でない先生が学科を担任しなければならないということで、生物と化学の関係、物理と生物との関係等々のお話が開陳されたわけであります。その場合、管理面から、たとえば分校でありましても分校長がおるでありましょうし、本校の校長もおりますけれども、免許法との関係については現場ではどういうように配慮され、そしてまた、一教師はその免許法との関係から毎日の授業をどのようにお考えになっておるのか。免許法との関連で、非専門科目を教えなければならない教師立場といったようなものを、法制的にどういうようにお考えになっているのか、伺いたいと思います。
  19. 唐川喜久夫

    唐川参考人 この点は、免許法の中で例外規定として、無免許教科の担任の規則というような形で一年ぎめで申請をして、県の教育委員会の許可を得て担当するという形をとるわけです。ところが、高等学校の場合に、二教科ぐらいは大学で専攻してまいりますけれども、そのほか四つも五つもということになりますと、これはたいへんな労力を必要としても、なおかつ教育内容は不十分であるという結果になってまいります。  法制的な面では、いま申し上げましたような例外規定でいきますけれども、これは望ましいことではない。特にさっきもちょっと触れましたように、僻地が多いわけでありますから、やむを得ぬ措置として、やはり人事その他のむずかしさから、若い人あるいは大学を出た人が配当になるというケースが、いいことではないと思いますけれども、現実に多いわけです。そうすると、大学を出てすぐでございますから、なかなかまだ練れてない、経験が不足しておるというような人が無免許教科の担任の申請をする。申請すれば許可するような形になっておるようでありますから、そういう形の中で、経験も浅く、まだ練れていない人が四つも五つもやっていくということですから、本人もたいへんな苦労をしますし、生徒教育内容の面も、非常に大きな問題点を持っておるという、ふうに指摘せざるを得ません。
  20. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 小規模校のことはわかりました。  次に、養護教諭について、全日制につきましてはこれは必置である。今回四百五名以上の定時制について一名ということになるのではないかと思うのですけれども、この養護教諭が、定時制の場合、なお四百五名以下で必置されない、必ず置くという制度からはずれるという場合も、先ほどの百二十名というような例もありますし、これは分校でありますけれども、一体この養護教諭を置くことのできる定時制の学校といったようなものが、広島県の場合、定時制何校のうち何校が該当するかというような点について、少し計数的になりますからあるいはおわかりにならないかと思いますけれども、もしわかったらお教え願いたい。
  21. 唐川喜久夫

    唐川参考人 定時制関係の養護教諭につきましては、旧法の中には全然なかったわけで、これはたいへん私たちとして困っておったわけです。特に勤労青少年、定時制の夜間の場合には勤労青少年でありますから、昼は一応工場なり会社なりの労働者として働いて、そして晩飯を食うか食わずかで学校へ飛んできて、それから授業を受ける。あるいは工場の中でたいへんな労働をしておるから、からだも疲労しておるし、あるいは工場でけがをしておるかもわからないというような子供を受け持っておる夜間の学校に、保健をつかさどる専門の養護教諭が一人もいない。これは非常な問題で私たちも苦労しておったのですが、このたびやっと四百五名というような形で日の目を見た。この点については非常にありがたいと思っておりますが、本県の場合、四百五名以上の定時制の夜間の規模といったら、ちょっとはっきり覚えませんけれども、一校ぐらいを除いては、ないと思います。したがって、このことによって、さっき申し上げましたような観点に立つ養護教諭が依然として配当されない、こういうような問題が残っております。
  22. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 次に、カウンセラーの問題について伺いたいと思うのですけれども、佐藤参考人もこの問題に触れておるわけであります。先生の説によりますれば、千人以上の学校に一人のカウンセラーを置いても、まあ置かないよりはましであろうが、たいした効果はない。佐藤先生もまた、せめて五百人に一人のカウンセラーがあればというようなお話であったように思うわけであります。したがって、この場合、千人以上ということになりますと大規模学校に置かれて、中小の規模学校にはカウンセラーは置かない、こういうことになっていくと思うのでありますけれども、しかし、先生のお説によりますれば、そういう特殊な役職の先先を千人以上の学校に一名配当するよりも、ホームルーム・ティーチャーが日常、長い接触の中からカウンセリングするほうが効果的だという説でもあったように思うのですが、かりに千名以上の学校に一人のカウンセラーを置く場合と、カウンセラーなしで一人の一般教員を増配する場合、こういう場合を考えたときに、カウンセラー一人のほうが教育的だ、いやそれよりも一般教員一人を配当したほうが実際的だというような比較は簡単にはできないと思いますけれども、千人以上の規模学校カウンセラー一人を置くというこの態度に対する先生の見解をもう一度伺いたい。
  23. 唐川喜久夫

    唐川参考人 これはいろいろ議論が分かれてくるところだと思いますが、私たち、日々子供接触しておる立場から申しますと、たとえばここヘカウンセラー室をつくる、そこヘカウンセラーの人がぐっとすわっておる。よく会社、工場等でありますけれども、その運用と、どういう人を得るかということについては、たいへんむずかしい問題が出てくると思います。特に非常に動揺期の生徒たちでございますから、カウンセラー室へどんどんと入ってきて、そこでカウンセリングが行なわれるかどうか。本県等でも、無理をして過去そういうことをやったことがあるわけですが、うまくいかないわけなんです。また、そこへどんどん生徒が入り出したら、千人に一人ではとてもできないわけです。だから、やはり私たちが考えておりますのは、さっき底上げということばを使いましたが、一人当たり教員の受け持ち時間数を少しでも減していくという方向の中で、子供に面と向かって話し合う機会の、その時間を少しでも長くしていく。あるいは校外指導ホームルーム活動、対外遠征の汽車の中で向かい合っておる中で、生徒はぽつりぽつり自分の、たとえば異性間の悩み等を語り出してくるわけですから、やはりどちらをとるかというふうに質問されますと、私たち現場教師としたら、むしろ一般教職員の受け持ち時間数を減すような角度での教員のほうに振り向けていただきたい。そのほうが、いままでの経験からも、より効果的であるというふうに指摘せざるを得ません。
  24. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 了解。
  25. 床次徳二

    床次委員長 鈴木一君。
  26. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 佐藤先生にお伺いいたしますが、われわれの理想としましても、教室の数を多くしていく、また同時に先生の数を多くし、生徒の数を減らしていくということが、教育の効果をあげる点では非常にいいとは思っておりますが、その教育の効果というもの――先ほど先生も、そう簡単に教育の効果はあらわれない、抽象的であるというお話でありましたが、たとえば生徒学校に来るについて非常に張り切って来るとか、あるいは、おそらく東村山高校の生徒の場合は、どちらかというとエリートじゃない、そのままにしておかれると置いてきぼりを食ってしまうような生徒が多いと思うのですが、そういう人たちの三年間の教育の効果として、上級学校進学率というような点で相当の効果があがっておるか、そういう点について伺っておきたいと思います。
  27. 佐藤泰生

    佐藤参考人 お答えいたします。  私どもの学校は、昭和三十八年に開かれた学校で、第二回目の卒業生をことし三月出したのでございます。いま御指摘のあったように、エリートを集めておる学校ではございませんで、むしろ普通、それから普通以下の、いわゆる東村山に行けば能力に応じて教育してもらえるというような、そういう希望と、東村山に救いを求め、救いを見出して来ておられる少数の方がいるわけです。そういう学校でございまして、したがって、いまのところ進学率は、一回、二回を見まして、第一回が卒業したときにふるいませんでした。それで、その一回目が浪人をしまして、第二回卒業生と一緒になって受験しました。ここでかなり――かなりといってもまだ私から見ると非常に不十分でございますけれども、国立あるいは有名私立大学、そういうほうへぼつぼつ進出していくようになりました。  それからもう一つ、少数にする一番よい点は、目が行き届きますので、サボったり、遅刻、欠席、それから非行、これがなかなか生徒の側からいきますとできないということでございますね。そして非常に丁寧に家庭との連絡もできますので、そういう点では効果がある、そう思っております。あのむずかしい時代に非行に走る、率といいましょうか、数が少なくて食いとめることができる、そういうふうに存じております。
  28. 床次徳二

    床次委員長 唐橋東君。
  29. 唐橋東

    ○唐橋委員 唐川先生に一点、佐藤先生に一点、古本先生に数点、お伺いしたいと思うわけでございます。  唐川先生にお伺いする一点は、先ほどもお話の中にありました非常勤講師の問題でございますが、もう少し実態を御説明願いたいと思うわけでございます。といいますのは、あくまでも非常勤ですから、大体週十八時間を基準と私たち考えていますが、十八時間の基準以上の受け持ちをしておる非常勤講師というような実態がどの程度であるかということをまず一つと、それから非常勤講師と普通の教諭で待遇の違いが出てくると思うわけでございますが、しかも同一の資格でありながら、いまのような教諭、非常勤の差だけで待遇の違いが出てくる、こういう実態があると思うのです。それともう一つは、やはりいまの有資格者であって、いまのようなやむを得ないという状態の中で非常勤講師に無理に置かれておるわけでございますが、その場合の、やはり先住方の気持ちの持ち方や、あるいは非常勤講師なるがゆえに生徒から軽く見られるといいますか、そういうようないろいろ具体的な教育上の弊害がもし多少おありでしたら、お伺いしたいと思います。
  30. 唐川喜久夫

    唐川参考人 非常勤講師の問題でございますが、これは定数法によって、たとえば一つ高等学校教員の数が五十名、こういうふうにきまってきた中に、非常勤を五名雇えばそれを含んでよろしい、こういうことになる点に問題があると言っておるわけです。さっきちょっと言いましたように、非常勤というものが全然要らないとは言いません、高等学校という教育は非常に専門化しておりますから。それから分校小規模校等の場合。だけれども、法できめられておるAという高等学校に五十名教員が要るのだというワクの中を、極端に言ったら、あの二十二条があれば、五十名を全部非常勤で置いてもいけないという規則はないわけです。省令のような形の本法の中に書いてありますから。だから、各県で安く上げようと思いますと、五十名のうちの非常勤の占める割合をどんどんふやしていけば、安上がりになってくるわけです。教育の効果とか質の面からいけば、私たちはその点は問題である。したがって、定数法という法律教員定数最低基準をきめておるのですから、それは常勤で全部置いて、そのほかに、どうしても高校教育のそういう特殊な面から必要な分については非常勤をその上に別ワクで持っていく、プラスアルファという形で持っていくというふうにするのが最も望ましい姿である、こういうように私たち現場教師としては考えておるわけです。  十八時間以上受け持っておる非常勤がおるのかどうかという質問なんですが、これは全県下の、Aという学校非常勤が五時間やっておる者がおるとか、六時間やっておるとか、七時間やっておる、Bという学校に七時間がおる、十時間がおる、それを全部足しまして十八で割って、その人数がかりに三百人と出ますね。三百人を、広島県の公立高等学校教員定数法で算定される定数がかりに三千人なら三千人と出ますと、それからポンと差し引くという計算になりますから、現場で十八時間受け持っておるか、あるいはそれ以上受け持っているかという実態は、いろいろまちまちの形になっておるわけです。  それから、待遇の違いにつきましては、いま指摘されましたように同一資格、さっきも触れましたように、大学を新卒の形で出ておりながら初任給の安い非常勤として採用をされる、しかもこれは一年単位の雇用でございますから身分が安定をしないようなことから、いま指摘されましたような-生徒は非常に敏感でございますから、あの先生は非常勤の先生だそうだ、勤務は同じようにしておられても非常勤、臨時雇いだそうだ、あの先生にホームルームを持ってもらいたくないというようなことが父兄から出てみたり、いろいろな問題、弊害が教育的に出てまいるというふうに考えます。
  31. 唐橋東

    ○唐橋委員 佐藤さんにお伺いしたいのですが、先ほどの御説明で、五人減らすよりは十人減らしたほうが教育効果が三倍、四倍、たった五人のところで出てくるのだ、こういうようなことを、しかも手がけていらっしゃる佐藤さんのほうからのお話なんですが、確かに私たちも予想としてはそういうことを考えられるのですが、実際先生の経験の中で、具体的な事例等がもしおありでしたらお伺いしたいと思います。
  32. 佐藤泰生

    佐藤参考人 それは経験、半ば直感的といいましょうか、そういうので、具体的にどうということはございませんけれども、私の感じでは、六十名から五十名に十名ダウンさせるよりも、五十名から四十名に十名ダウンさせる場合の効果は非常に大きいと思います。それから五十名からそれを四十五名にするよりも、思い切って四十名にするというほうが効果は非常に大きいと思います。それは、一クラス四十名というところは、五十名のときよりも、クラスの管理運営、それからテストをやったような場合、それから平素の学習のドリルというようなことで、ずいぶんそこに効果の差が出てくると思うのです。諸外国でも、おそらく四十名をこえるクラスというのはないと思います。大体三十五名くらいです。ですから、四十五名になさるならば、思い切って四十名にしたほうがいいのじゃないかというのが、私の現場からの経験を通しての主張です。
  33. 唐橋東

    ○唐橋委員 吉本先生にお伺いいたしますが、経済上の問題ですからあるいは失礼かと存じますが、盲学校ろう学校には必ず寄宿舎がございます。私たちは、寄宿舎に入っておりますと非常に父兄負担が大きくなると思うのでございますけれども、この父兄負担の現状とでもいいましょうか、普通の義務教育よりは、父兄のほうも、多少金がかかってもしかたがないのだ、こんなような考え方の中でいろいろ寄宿舎の問題、あるいは学校経営全体の問題で、父兄負担の状態をもしつかんでいらっしゃるならばお伺いしたいと思うのです。
  34. 吉本哲夫

    吉本参考人 特殊といいますか、障害児学校では、非常に父母負担が大きいということははっきり申し上げられます。それは学校経費の中では、特別に障害を克服し、あるいは障害を補うための教育ができるような予算化ではないと私は考えております。そのために父母が負担する額は、たとえば入会金を千円取ったり、あるいは一口百円だけれども三口以上PTA会費を払ってくれ、あるいは昨年度の調査によりますと、PTA会費の平均が一人当たり七百円であったり、そういう状態が生まれております。でありますから、寄宿舎の場合についても、たとえば文部省は寄宿舎の費用として需用費については出されておりますけれども、その額がここ七、八年来増額がされていない。しかもその増額されていない額すらも学校の費用の中へ組み入れられてしまって、寄宿舎の独自の費用として出されたものが少なくなっている。このことは、特殊教育学校一般的な費用が少ないことから学校でそういう措置をとっているようですが、父母負担もそれで当然多くなり、寄宿舎では寄宿舎運営費という名をもって、東京の場合多いところで千円、少ないところでも数百円という費用を取っているのが現状、だと思います。
  35. 唐橋東

    ○唐橋委員 いまお話を聞きますと、何か寄宿舎にきた金が学校経費の中に使われて、寄宿舎のほうには非常に薄くなっているというような点がうかがわれるのでございますが、そういう点についての問題はあとでいろいろ文部省側にお聞きしたいと思うのですが、実際どうですか。寄宿舎の場合に、月生徒一人どのくらい計算されるのですか、と同時にまた、一日のまかない費というものは、これだけのまかない費をもって使っているというように、基準の中で行なわれておりますか。
  36. 吉本哲夫

    吉本参考人 寄宿舎のまかない費につきましては、東京の場合を申し上げますと現在一日百三十五円ですか、これは都立の高等学校である秋川高校よりも低い額で計算されているようです。そういうことと、畳、障子の張りかえが生徒の負担の中でやられている場合もあります。そういうことで、私費なのか公費なのかはっきりしない。まるで自分のうちに住んでいるような負担をさせられています。
  37. 唐橋東

    ○唐橋委員 実際入っておると一カ月どのくらいかかるのですか。おわかりですか。
  38. 吉本哲夫

    吉本参考人 それは学校によって、その運営によっていろいろ違いますし、一がいに申し上げることはできないわけですけれども、まかない費と運営費というものを分けて考えていけば、運営費のほうは先ほど申し上げたようなかっこう、それからまかない費は東京都あるいは文部省で額がきまっておりますので、その額を、生活の程度によっては就学奨励費で支給される間、父母が負担している。あるいは経済的に豊か――ちっとも豊かではありませんけれども、毎月支払っている。それが先ほど申し上げました一日百三十五円の一カ月分という形で出ております。
  39. 唐橋東

    ○唐橋委員 一日百三十五円というのは、小、中、高、やはり差がなければならないと思うのですが、差はあるのですかどうですか。
  40. 吉本哲夫

    吉本参考人 私の聞いたところによりますと、一律に出されておるように聞いております。
  41. 唐橋東

    ○唐橋委員 別な問題に移りまして、いままでは設置が非常におくれてきたわけでございますが、先ほどのお話の中にも、設置基準がないために各校で大きな格差があるというお話が出ていたように承知いたしますが、このような特殊教育障害児教育に対して、設置基準というものを、現場教師としては早く文部省として示していただきたいというような希望を当然持っておると思うのですが、それらの点の事情、もし現場からの様子をお話し願えますればと思います。設置基準ほんとうに要求しているかどうかということなんです。
  42. 吉本哲夫

    吉本参考人 私は都立の石神井ろう学校勤務しておりますが、本年度体育館を建てるということで予算化されたわけです。ところが、私のところは高等学校でありますので、高等学校生徒基本的に体育館を使用する際の坪数というのは一定の限度がある。その計算を体育の教師が出したところ、東京都で出された予算坪数の倍くらいになっている。それで、結局のところ、うちの学校は建てることができなかったということがあったわけです。これはやはり設置基準等がはっきりしていないと、障害児教育でいいかげんな体育館が建てられていくという心配があると思います。
  43. 唐橋東

    ○唐橋委員 いまの出されている新しい法案、もしこれが実施になったとした場合に、学級数は非常にふえるのですが、同時に、先生方の受け持ち時間数も非常にふえると思うのでございますが、新法によってそういう推定をなされてありますか。もしなされてあるとすれば、ふえる状態等を、現場の方からお話をお聞きしたいと思います。
  44. 吉本哲夫

    吉本参考人 東京都の場合、高等学校の通常考えられている持ち時間数は十八時間であると考えていますが、私の学校も、大体平均持ち時間数は十八時間になっているわけです。ところが、この新法でいきますと、非常に学級数がふえていく。現在十一学級の私の学校が、十四条の解釈上の問題は若干ありますが、二十三学級になる。二十三学級になって、教師が二十六名から三十四名になる。それを計算していきますと、大体二十三ないし二十四時間の持ち時間になる。非常に教師がふえるようですけれども、持ち時間も逆に急増しているということに、私どもの計算ではなっているわけです。
  45. 唐橋東

    ○唐橋委員 それではもう少し。ちょっとこれは具体的なことで、あるいはここにおいでになって資料等がないので失礼かと思いますが、専門教科の中で、あんまマッサージ指圧師、はり師、きゅう師、これの専門養成のあれの場合に、法令を見てみますと、三千二百九十時間というのが法令上基準になっているようでございます。文部、厚生省令によりまして。そうしますと、これを二人の専門教師でやっていく、こういうことになると、何か消化できないように私たちはいま計算しておるのですが、このような点で二人ということにいまの新法の中で行なわれた場合に、この規定されておる時間数というものの消化が容易にできますかどうか。そんなことを、もし計算されているとすればお話し願いたいのです。
  46. 吉本哲夫

    吉本参考人 全国的に見て、盲学校教師の中には、普通科の教師よりも理療科の教師のほうが多いというのが一般的なわけです。といたしますと、内容は先ほど質問の中にもありましたが、理療科といってもはり、きゅう、あんまという内容がある。そこで、そのそれぞれの教育をやっていかなければならない場合、当然教師の多いのはあたりまえだと思うのです。その普通科よりも多い理療科の教師が今回二名になっていくとすれば、これはどうにもやっていけないというのが現状です。これでは理療科の教育はやっていけない。一人十八時間持ったとしても三十六時間しか持てない。大体はり、きゅう、あんまマッサージ師の国家試験を受ける資格として、三年間で百単位の単位をとらなくてはいけないのが、これでは全くできないと思います。
  47. 床次徳二

    床次委員長 唐橋先生、あとあなたのほかにも質問がありますから……。
  48. 唐橋東

    ○唐橋委員 もう二、三です。このごろ機能訓練について非常に重視され、また充実してきておると思うのですが、現場におりまして、この機能訓練の重要性、あるいはこの機能訓練の状態というような点で、どうしてもこういう点がこの法案上から見た場合に要求したいというような点がございましたら、ひとつお願いしたいと思います。
  49. 吉本哲夫

    吉本参考人 機能訓練士の問題では、たとえば父母が集まって学級会あるいはPTAの総会等を開きますときに、必ずこの機能訓練の問題が出てくる。父母の側から言えば、あるいは障害児の側から言えば当然のことです。自分の機能を回復し、あるいは歩く、そうして働くことができる、そういう方向に向かってやるという点は、当然の要求であると考えるわけです。で、日常的なことにつきましては、これはごらんになったほうが説明するよりもわかりやすいわけですけれども、立つこと一つでも、これは基礎的な知識がないと指導できない。ただ立っていればいい、あるいは歩かせればいいという問題ではないわけです。これはやはり麻痺の部位とかあるいは障害の部位によって、指導のしかたもおのずから違ってくるし、しかも個人的に違うのでありますから、一人一人やらなくてはいけないという内容になっております。ですから、今度の定数法では一人ということになっておりますが、これでは現在よりももっともっと後退して、機械的に数学の教師が機能訓練をやる、理科教師が機能訓練をやるというような、非常に子供を無視した内容になっていくのではないかと考えられます。
  50. 唐橋東

    ○唐橋委員 実習助手の件なんですが、たとえば盲学校の場合も、ろう学校の場合も、肢体不自由児の場合もそうですが、普通の高等学校ですと、理科という普通教科の中に実習助手があるわけです。いまの学校では、実習助手がこの法案には出ておりません。あの普通教科理科の場合に、これらの障害児方々ですから、どうしても実習助手は私たちは特に必要だと思うのですが、そういう点で現場で非常な不便を感じたとか、こういう点でいままで非常にほしいんだというような実情がございましたらひとつ……。
  51. 吉本哲夫

    吉本参考人 これは私たちは、日常の教育の中で、子供指導上非常に危険を感じているものが幾つもあります。たとえば盲学校理科の実験をやるとき、あるいは解剖をやるとき、そういうようなときに、もし危険な薬品を視力障害子供たちが化合をする場合には、これはたいへんなことになる。そのためにはどうしても助手がいて、その補助をしていく必要がある。肢体不自由児の学校について言っても、機能が麻痺している部門がある中で家庭科をやっていくときに、針をこんなに高く上げたり、あるいは予想しないところに手を持っていく場合がある。そういうときに実習助手がいないということは、非常に危険を感じるわけです。
  52. 唐橋東

    ○唐橋委員 舎監の問題でございますが、舎監の先生方は教諭をもって充てるということになって、先生方がやっていらっしゃると思うのですが、普通の勤務時間外ですね。舎監になったがゆえに、何か学校の編成上、授業時間数を減らすというようなことで舎監を振り当てておるのですか、それともやはり舎監というものは普通の勤務の状態の中で、特にその舎監の任務というのが加わっておるのですか。教諭をもって充てるということになっておりますので、その点を現場ではどのように消化されているのですか、実情をちょっとお話し願いたいと思います。
  53. 吉本哲夫

    吉本参考人 舎監は、通常の学校での勤務を終えたあと器宿舎に行き、勤務をしていくわけです。その保証については、全国的にほとんどされていないのが現状であるわけです。ですから、八時間勤務を終え、寄宿舎に行って寄宿舎の生活指導をし、さらに夜間に及んでは突発的な事故に対する処置も起こり得る。そうすると、舎監をやった翌日の教師は頭がふらふらする、休みたいというようなことを言っております。これは当然のことだと思うのです。昼間つとめて夜働いて、そしてあくる日また働くというような状態が繰り返されていけば、からだは摩滅してしまうと思います。
  54. 唐橋東

    ○唐橋委員 舎監の仕事内容等になってくるでしょうが、やはり夜相当いつまでも起きていて生徒を見回りするとか、そのほか今度夜警の方とか警備の方とか、そういうような現場の寄宿舎の夜間の状態というものはどんなふうに運営しているのですか。
  55. 吉本哲夫

    吉本参考人 寄宿舎は、東京都の場合は学校外に建てられている傾向にあるわけです。そういう中で警備員は置かれておりません。そして婦人の寮母がいるようになって、宿泊させられているわけですけれども、そういう中で、私たちは男子の寄宿舎の教諭が要るというふうに考えていますが、学校によっては寄宿舎に男子の舎監がいない、あるいは舎監がぐあいが悪くなったときはだれもいない、寮母だけだというようなこともあります。非常に危険な状態も起こり得ると思います。
  56. 床次徳二

    床次委員長 大体時間がきましたから……。
  57. 唐橋東

    ○唐橋委員 こういう寄害舎の問題は、舎監の一つの大きな心配は火災とか病気だと思うのです。特にこういう生徒さんの夜間の病気というような場合は相当気をつけなければならないと思うのですが、そういう場合のお医者さん関係との連絡とか、あるいは寄宿舎にずっと看護婦さんを置くというようなことは当然必要だと思うのですが、そういう衛生管理の面はどうなんですか。
  58. 吉本哲夫

    吉本参考人 足立区にあります足立のろう学校では、まわりに医者がいないということで、夜、急病人が出た場合には一一〇番で呼ぶ以外に方法がない。非常に危険な状態があるわけです。そういう点で、看護婦が置かれていないあるいは医者が配置されていなという点では、東京でも久留米あるいはもう一つ学校で病気で死亡事故が起きているわけです。
  59. 唐橋東

    ○唐橋委員 以上です。
  60. 床次徳二

    床次委員長 関連質問の申し出がありますが、あとの予定がありますので、簡潔にお願いしたいのです。三木喜夫君。
  61. 三木喜夫

    ○三木(喜)委員 四つほどお聞きしたい。  まず、この前の法律案ですが、公立高等学校設置適正配置及び規模並びに学級編成及び教職員定数標準について国の方針を三十六年にきめたときに、私は当時ずいぶん文部大臣に質問いたしました。そのとき心配いたしましたのは、府県の努力によってこの定数より上回った定数をとっておるところに対しましては、前の法律案策定のときにはそれはおろさないように努力をする、こういうようなことがあったわけであります。事実そういう努力もされ、実態としても、たとえば工業学校の実習助手が多くとられておるようなところは、漸次減らしていくような方法がとられたようであります。しかし、いまお話を聞いておりますと一つ気がかりなことがあるわけです。府県の努力によって定数が上回っておるようなところは、この法律案によって上下を押えておる、こういうような感じがするのです。そういうお話が唐川さんのほうからいまあったように思うのです。したがいまして、その点についてどういうように-押えるような傾向が出ておるか、あるいはそう思われるか、その点についてお聞きいたしておきたいと思います。
  62. 唐川喜久夫

    唐川参考人 附則の2、3に関連する政令の内容ですから、私たちわからないわけですが、ことしの段階で、新法がこうなればこうなるらしいんだということでいろいろ陳情その他でお願いに行ったときに、交付税の関係その他でどうも押えられるんではないか。これは交付税と関係してまいりますから、県の場合にはその点やはり非常な影響が出てくるというふうにいままでも感じましたし、それから、いま指摘されました実習助手等の問題につきましても、前の法ができたときにたしか付帯条件をつけていただいたように記憶しているわけです。これは最低基準なんだから、これを県の努力でどんどん上回らすべきだという指導文部省等からしていただいていると思うのですけれども、県のほうはやはり交付税との関係があって、金がくれば、これが最低でなくて最高になるという傾向は、小学校、中学校義務教育法のときにも出てまいりましたし、それと同じような形が出て、実は本県の場合にもずいぶん実習助手等でも少なくせよという抑制がかけられまして、非常に苦労した経験もあります。新法のいまの附則の政令の内容については、私たちはわかりません。
  63. 三木喜夫

    ○三木(喜)委員 この前の法律案におきましても、いま参考人からお話がありましたように、付帯条件をずいぶんたくさん、七つつけたのです。この法律寒べくるときには、知らぬ顔をしてここにすわっておられます坂田さんも、前の法律案には非常に努力をされて、悪くならぬよう努力されたのであります。しかしながら、高等学校の心ある人は、これはほんとうに悪法だというように当時指摘しておりました。したがって、今回もこういうような付帯条件がつけられるようだったら、私は困ると思うのです。そこで私、前回もそうでありますが、今回のこの法律案の大臣のこれに対するところの必要感といいますか、そういう立場で述べておられるところを見ますと、適正配置をやる……。
  64. 床次徳二

    床次委員長 参考人に対する御質問なら、質疑としてお願いいたしたいと思います。
  65. 三木喜夫

    ○三木(喜)委員 教職員定数標準に関する法律、こういう立場で……。
  66. 床次徳二

    床次委員長 時間の関係もありますから……。
  67. 三木喜夫

    ○三木(喜)委員 そういうことが主体であって、さきがた参考人が言われました、高等学校教育というものが国としては非常に重要な立場を持っておる、これが国の将来をになうところの重大な、青少年を育成する立場でこの法律案改正するのだという考え方に、私たちは非常に希薄なような感じがするのです。いま明治学院のほうから来てくださっている参考人の方がこの点にくしくも触れられた。そこで私は、この法律案を見られてそういう気魄を感じられるか、あるいは単なる数字合わせだというように思っておられるか、その辺を佐藤さんにお聞きしたいと思います。
  68. 佐藤泰生

    佐藤参考人 ちょっとむずかしいお尋ねでありまして、私はここへ無色で臨んでおりますので、こうやって不十分とはいいながらそういう努力を現段階においてなされていろということはまことにとうといことだと、そういうふうにお答えしたいと思います。
  69. 三木喜夫

    ○三木(喜)委員 最後に、時間をせいておられますからお聞きしたいことは、ここに要請書がまいっております。きのう東京都の特殊子校の教職員組合の機能訓練士部会から要請書を持って来られておるわけであります。聞くところによりますと、これを持って回られた代議士の諸君の中では、会ってくださった方もありますし、全然見向きもしなかった人もあるそうであります。いわれる要点は、この法律案が通りますと、東京にある養護学校の光明、江戸川、北、小平、四つのいわゆる東京都立肢体不自由児養護学校においては、いま唐橋君が質問しておりました機能訓練士というのが八名から一名になる、こういうようなことを私たちに訴えておられたのですが、いま参考人として来ていただいておる方も、こういうところから来ていただいておるのじゃないかと思うのです。事実この法律案によってそういう状況になるということになると、これは私はたいへんなことだと思う。機能訓練士というものは非常に重要な役割りをしておると思うのです。実習助手にしても、寮母にしても、機能訓練士にしても、何でもないような立場でありますけれども、直接児童に日常、痛いところに、苦しいところに、聞きたいところに触れるところの人々であります。こういう人々から不満が出るというのは、私はこの法律案の持っている大きな欠陥だと思うのです。これを代議士が無視したとは思いません。忙しくてお会いできなかったのだと思います。さらにまた、この法律案もそこに気がつかなかったのか、あるいはもっとそれを救助する方法があるのかもしれません。まだもっと検討しなければわかりませんけれども、八名の人が一人になってしまうということでは、とても機能訓練をやることは私はできないと思う。私もいままで、この肢体不自由児の子供の機能訓練をやっておられるのを実際自分でさわってみた。足は冷たくて硬直してしまっている。そういうようなのを八名を一人にしてしまって、それでどうしてやっていくか、こういう非常に危惧の念を持っております。なお、そういう人々こそ、その子供たちやあるいは生徒人格に影響するところの立場をとっておられる人だから、私は、そういう人の言い分というものは大事にしなければならぬという観点を持っておるわけです。しかしながら、そういうことが実際にこの法律案から出てくるかどうか、ひとつ吉本さんにお聞きをしておきたい。
  70. 吉本哲夫

    吉本参考人 いまおっしゃったとおりだと思うのです。これは、からだが麻痺しているとか、能訓練の必要のある子供は、たとえば右を向いたら右だけしか向けない子供を左へどうして向けさせるかという、そういう発達を保障する教育の一環として非常に重要なわけであります。そこで、PTA連合会で、一学級一名、東京都で合計百六名を配置してくださいという要求を出したばかりなのです。父母がいかにこのことを重視しているか。このことは、ほんとうに歩かせることの喜び、歩くことの喜び、手をあげてものをとることの喜びをこの機能訓練の中で訓練していく、そしてそれが生きることへの確信になっていくという重要な内容でありますから、この法律案で肢体不自由児学校に一名というようなことでは、これは全くお話にならないのではないかと思います。
  71. 三木喜夫

    ○三木(喜)委員 委員長のお話でありますから、大体これでおかしていただきたいと思います。
  72. 床次徳二

  73. 山田太郎

    山田(太)委員 時間の関係で簡単に質問させていただきますが、三人の先生方にお伺いしたいことは、いま三木委員からもお話がありましたが、現在の改正法が非常に不足であり、また不満である、それは十分よくわかりますし、私の意見でございます。ただ、その上に心配なことは、この現在の改正法の案がもし実施された場合、いま三木委員が言われたことのほかに、これが実施されたために現状よりももっと悪くなる、そういう点がまだほかにあればこれはたいへんなことですから、その点を教えていただきたいと思いますが、どうでしょうか。三人の方にお伺いしたいと思いますが、まず唐川先生はどうですか。いまは上限をきめられるという点をお話しになりましたが、そのほかにもありませんか。
  74. 唐川喜久夫

    唐川参考人 さっきいろいろ問題点を六つほど述べましたことを、具体的に、どういう場合があってどうかということは、いま資料その他がありませんから……。
  75. 山田太郎

    山田(太)委員 では、あとで教えてください。  吉本先生、どうですか。
  76. 吉本哲夫

    吉本参考人 端的に申し上げますと、文京盲学校では現行の教師配置よりも十名の減になります。それから時間講師の問題ですけれども、私の石神井ろう学校では、総時間数五百数十時間の中で約一割の時間講師が来ております。そういう現実が今度の新法の中でなくなっていく、あるいはそれが含まれていくということになりますと、ただでさえあの特殊教育学校の少ない教師が、さらにそういう方向に食われていってしまう。正常な学校運営ができないということです。
  77. 山田太郎

    山田(太)委員 かえって悪くなるわけですね。
  78. 佐藤泰生

    佐藤参考人 この法案について二、三の点が要点になっておるのですが、このうちの第一、第二は私のわかるところでございますので、いろいろ意見を準備してまいりました。第三点は私はよくわかりませんので、何も資料もないし、お答えもできない状態でございますが、ただ私はキリスト者として思うことは、私の知っている人でもずいぶんそういう気の毒な人たちの施設に働いておりますが、その労働条件といいますか、まことに気の毒な状態でございます。したがって、国家でも法律的にそれを保護するということを、公立、私立を問わず重々考えていただきたい、そういうふうに思います。
  79. 山田太郎

    山田(太)委員 もう一点だけお願いします。  佐藤先生にお願いいたしますが、現在先生のところでは、最高二十八名とおっしゃったと思いますが、目が行き届く点とあるいは生徒の側からいえば欠席なりあるいは早期退校ですか、そういうことがなくなるという点と、もう一つ進学率の問題でお話がありましたが、そのほかにデータの面だとか、あるいはそういう数字的には出ないけれども、こういう面で非常にプラスになる、すなわち学級編制が少ないということはプラスになるという点があれば教えていただきたいということと、もう一つはマイナス面ですね、いまのたとえば四十五名とかあるいは四十名と比較して、それを三十名なりあるいは二十五名にした場合、マイナスの面もあるという御意見もあったら、諸外国の例等もあればあわせて教えていただきたいと思います。
  80. 佐藤泰生

    佐藤参考人 少数にした場合のよい点は大体申し上げたとおりでございますが、マイナスの面といたしましては、あまりにクラスの数を少なくしてしまいますと、そこに覇気といいましょうか、クラスの活気というものが少しなくなるのではないかということが一つ。それから、それに対して受け持ちが、組担任が二名もついております。正副担任がついておりますので、ややもすれば過保護、過指導といいますか、男子でございますから、もう少しある程度ある面においては突っぱねたほうがいいんじゃないかというような面も出てくるんじゃないかと思いますが、大体プラスの面が圧倒的に多いと思います。
  81. 山田太郎

    山田(太)委員 もう一つだけ。先生は教えられて、両方の経験をお持ちでしょうかどうでしょうか。
  82. 佐藤泰生

    佐藤参考人 まず、教えた場合、私臨時に英語などをやっておりますが、非常にドリルが行き届くわけですね。一時間に一回しか当たらないところが三回くらい当たっていますから、そういうようなこと。それから、目が届いて、居眠りをしておる子などはじきにそれの処置とか、いろいろな面において――答案を直すというのはたいへんな作業なんでございますけれども、それが普通の二分の一で済む。したがって、その答案に対して綿密なる講評や採点を施すことができるとか、そういうこと。それから指導面でございますが、指導は各組の教師がかわるがわる順次に時を定めて面接をしておりますが、その個人面接も数が少ないと回りが早いことでございますね。そういうようなことでございます。いろんな面でプラスの面は多いと思うのですが、ややもすれば少し活気がなくなるんじゃないかということは、まずマイナスの面です。
  83. 山田太郎

    山田(太)委員 先生のところは第二回目の卒業とおっしゃったのですね。  先生もお聞き及びと思いますが、自由学園といいますか、あれは自由が丘でございましたか、田園調布でございましたか、非常に少数の学級編制教育をやっていらっしゃった、現在あるかどうか知りませんが、あったように記憾しておりますが、二、三十年も前のことです。その方たち教育の結果というものは、現在すでに長年たっているわけですから出ているわけですね。
  84. 佐藤泰生

    佐藤参考人 羽仁もと子先生の……。
  85. 山田太郎

    山田(太)委員 その教育効果と言うと語弊がありますが、その方たちと、いわゆる普通の学級編制教育された方々と十分なる比較対照はできないでしょうけれども、その効果というものがあれば教えていただきたい。
  86. 佐藤泰生

    佐藤参考人 これはなかなかむずかしいことでして、その生徒の素質及びその学校教育の根本方針にもよることで、なかなか比較対照はむずかしいのではないかと思います。本人の素質及び努力によって、どこにおっても大いに自分の能力を伸ばすことのできる子もおりますし、また少数でしぼってやったほうがその子が伸びる場合もあるし、いろいろあると思いますので、比較対照はむずかしいと思います。
  87. 山田太郎

    山田(太)委員 比較対照はできないわけですか。
  88. 佐藤泰生

    佐藤参考人 比校対照はむずかしいのではないかと思います。
  89. 山田太郎

    山田(太)委員 ケース・バイ・ケース……。
  90. 佐藤泰生

    佐藤参考人 よい悪いという結論も……。
  91. 床次徳二

    床次委員長 簡潔にお願いいたします。あと質問者もおりますから。
  92. 山田太郎

    山田(太)委員 比較対照ができないとなりますと、学級編制が少ないということは、ただ目が行き届くとかあるいは進学率がよくなるとか、欠席が少ないというだけの範疇でしかいいと言えないのでしょうか。
  93. 佐藤泰生

    佐藤参考人 詰論的に申しますと、学習指導生活指導がたいへん行き届くということでございます。それはおそらく違うと思います。五十人よりも四十人、あるいは三十人のほうが、教育面の二つの面、学習指導生活指導の面がよく行き届くということでございます。
  94. 山田太郎

    山田(太)委員 以上で終わります。
  95. 床次徳二

    床次委員長 先ほどの質疑に対して唐川参考人から答弁を追加いたします。
  96. 唐川喜久夫

    唐川参考人 いま山田先生の申されました、もし実施された場合云々でございますが、最初申し上げました附則の二項、三項のところがこのまま施行になりますと、私たちの解釈では二重制限、頭押えが五カ年間つくのではないかという観点から、せっかく本法のほうで問題はあるけれども前向きの問題が打ち出されているのを、附則のところで、政令でそれを五カ年間頭を押えておるという点は、最も五カ年間影響するわけで、前の場合にも五カ年間の附則がついておりましてたいへん高等学校現場を頭押えをしたことがありまして、それと同じような、あるいはそれ以上の情勢が出てまいりますので、この点は問題点であるというふうに申し上げておきます。
  97. 床次徳二

    床次委員長 小林信一君。
  98. 小林信一

    ○小林委員 時間がありませんから要点だけお聞きしたいのですが、まず唐川先生にお伺いいたします。  この法案が出された意図を考えますと、大体ピークが過ぎた、ピークのために確保した先生というものがある、そうすると、生徒数が減るということと先生を確保した問題とで、自然に一学級の生徒数を少なくしていくことができるのではないかというきわめて消極的な学級編制なり、あるいは先生の定数を確保するというふうなようにも受け取れるわけです。そこで、最近の進学率の問題ですが、三十六年のときに全国的な調査を文部省から出してもらったときには、広島県あたりは瀬戸内海沿岸の工業地帯を持っておる関係で、中学校からすぐ就職することができて、わりあい進学率が少なかったのですが、かえって工業地帯を持たない山間僻地の府県等に進学率が高い傾向があったのですが、広島県の進学の実態、あるいは全国的な趨勢というふうなものがおわかりになっておれば、そういう点をひとつお教え願いたいと思います。
  99. 唐川喜久夫

    唐川参考人 進学率の問題は、全国的には高いところ、低いところ、その理由はいろいろあると思うのです。父兄の教育に対するいろいろな問題、社会的な問題なりあるいは私学の分布状況の問題なり、いろいろあると思いますが、そういういろいろな条件から高いところ、低いところ、いろいろあります。広島県の場合、東京に次ぐ高い進学率という状況に立ち至っております。  それから指摘されましたように、ピーク時の教職員を維持していくことで、そして生徒が減っていけば、必然的に一学級当たり生徒数がヨーロッパ並みに改善されていくという消極的な内容を持っておるのではないかという点につきましては、私たちもどうもそうじゃないかというような気がしてなりません。もっと後期中等教育を拡充強化していくという立場から、前向きな施策を打ち出していただきたいと思います。そのあらわれが、さっきも指摘しました附則の二項、三項のところに、五カ年間にわたって、内容がはっきりしませんけれども、頭を押えているという形が出ておるという点が、端的に物語っているというように考えます。
  100. 小林信一

    ○小林委員 五年ないし七年でこの法律にきめてあるものを実施するというふうなところにも、これからの進学率を見てやろうというふうなところがあると思うし、また、政令で定めるというふうなところが非常に多いのです。そういうところに私どもは法案の意図というものを考えたわけですが、現場先生方にもそういう点が考えられておるとすれば、われわれはこれを政府にもっと追及していかなければならないと思うわけです。それにつきましてなおお伺いしたいのですが、一応その御意見を承って終わらしていただきます。  吉本先生にお伺いしたい点は、私はいままでいろいろ特殊教育に携わっておる人たち意見を聞いているのですが、きょう出されております法案内容からは、現場の要請あるいは現在の実情というふうなものをあまり考えなくて、いままでのものを踏襲して何とか特殊教育の問題をのがれようというようなものを私は感ずるわけなんです。そういう点から、私の聞いております。あるいは見ておりますものを申し上げて先生の御意見を承りたいのですが、第一番は、先ほどお話がありました機能訓練の問題ですが、この機能訓練が、いわゆる文部省の管轄に属する先生方がする場合と、厚生省関係が掌握してやる場所とあると思うのです。この点につきましてまずお伺いしたいと思います。
  101. 吉本哲夫

    吉本参考人 東京の場合でも、療育園と学校とが併置されているようなところがあります。療育園で治療したり、学校で治療しているというような状態は現実にあります。
  102. 小林信一

    ○小林委員 そういう場合に、やはり厚生省関係でその問題を扱うと同時に、これには教育も施さなければならないのですから、学校の先生もこれに配置させる。たいがいそういう場合には分校のような形式をとるのですが、これがほんとう学校経営の面でも、あるいはそういう障害児の機能訓練あるいは教育、こういうふうなものが一括統一をされておらなくて、成果があがっておらないというようなことを私どもは聞くのですが、そういうことをお聞きになったことはございませんか。
  103. 吉本哲夫

    吉本参考人 やっぱり機能訓練が、ただ単に機能を回復するための治療であってはならない、これはやはり教育をやっていく上で機能を回復していくという指導がどうしても必要になってくる、そういう意味で機能訓練は基本的には学校でやっていくべきではないかと考えております。療育園で治療をやっていく場合でも、私たちは、教育的な観点をはっきり打ち出した中で訓練をやっていかなくてはいけないのではないかと思います。
  104. 小林信一

    ○小林委員 この問題は、やはり私はこの祭、こういう法案改定のときにもつと文部省の責任というものを明確にして、お互いの領域を争うとかあるいは責任のがれをするとかいう問題を解決するように、積極的に特殊教育に対する問題を考えていかなければならぬと思っておるのですが、先生の御意見を承りまして、大体私どもが考えておったように思います。  それから次には、就学の問題ですが、私はこういうことを聞いております。せっかく施設を持っており、先生も確保しておる、ところがなかなか就学が、これは先ほどお話がありましたように経費の問題もある、あるいは肢体不自由の人たちに対する社会的な慣習があって、そういう者は教育しなくてもいいのだというふうな消極的な父母の考えから、なかなか就学されない。ところが、せっかく施設もあり、教員も確保しておる、だから就学を十分にせよ、そういう点を教師の責任で県等が督励をするようなことが多いように私は見受けます。そうすると、先生は、これは先生の責任ではないのですが、全県下を歩いて、そうして就学しておらない人たちをさがし出してはその父兄を説得して就学させるというふうな、そういうものを私どもは見るのですが、そういうことはお聞きになっておりましょうか。
  105. 吉本哲夫

    吉本参考人 そのとおりであります。やっぱり特殊学級あるいは障害児学校に入れることによって、いろんな点で差別が出てくる。たとえば家族の結婚問題とかあるいは就職に影響するとか、そういうことが家族全体にわたって影響してくることが、就学率を悪くしている一つの原因だと思うのです。もう一つは、広報活動が非常に足りない。そういうことで教師がそういう負担もさせられて年度末になると、山を越え野を越えさがして歩いていくという現実はたくさんあります。
  106. 小林信一

    ○小林委員 そういう場合には、職員の編成という中に就学を督励する、あるいは啓蒙するというような面も、教育とはあるいは性質が違うかもしれませんけれども、いまの段階ではそういう点が必要であって、そういうための要員とかあるいはそういうための定員、こういうふうなものを私は確保する必要があると思うのですが、そこまではお考えになっておりませんか。
  107. 吉本哲夫

    吉本参考人 就学を督励する問題あるいは進路をきめる問題については、これは障害児学校にはどうしても必要なものであると考えます。このことは、先ほど就学の問題ではお話があったのですけれども、進路の問題でも、労働基準局ですか、そういうところとは連絡をとってもなお就職のできない子供にとっては、教師が足を棒にして仕事をさがして歩く。しかし、それでも二、三カ月すると学校に戻ってくる。それじゃ一体だれがそれを援助するかということになると、どうしても教師しかできないわけです。そういう点で、そういう専門教師がどうしても必要になります。
  108. 小林信一

    ○小林委員 その点も、職員の編成というような問題でもって既存の問題、既成の問題だけにわれわれがこだわっておられないという点も、私はやはりいま先生がおっしゃった点もお聞きしようと思ったのですが、それは先ほど先生の、障害児を持つ父母というような題目の中でその実情というものをお話しになったのですが、私は実は三十六年のときに、小田急の梅ケ丘駅から行った光明学園ですか、そこへ何回か視察に行き、父母の要望も聞いて、この問題をこの前の法案のときに参考にしたことがあるのです。そのときに、両方の手首のない子供があったのですが、その子供が実にノートも、満足な手を持っておる人なんかよりもよほどりっぱなものを書いておるし、また、勉強する意欲というものが十分あったように私は見受けたのですよ。時間がかかって申しわけないのですが、ところが、おかあさんの話を聞きましたら、手首がないから学校の行き帰りに悪童がこの子供をつかまえて、鉛筆のようなものをほうり投げて、この鉛筆を、棒を拾ったら通してやる、これは実に悲しいことなんですが、その子供はよく耐えて、手首のない手でもってその棒を拾って、そうして通してもらった。だから何回か親も子も就学を断念しようと思ったのだけれども、きょうまでがんばってきたという事実を私は聞いておったのですが、たまたま先日私の県で、やはりその学校を出て、そしてある大学を卒業して学校の先生の免許状をもらったのですよ。ところが、どこへ行っても、これは小児麻痺にかかっておるのですから、多少の言語障害もあり、からだも不自由なものですから、採用してくれないのです。私はその子供にいまの子供の話をしたら、その子供は私の一年上のクラスである。しかし、ああいうしっかりした人間だから、いまどういう立場で社会人として働いておるかというようなことを聞いたら、残念ながらあの子供も、しまいにはぐれてしまった。こういう問題を考え、私にその話をされた、大学を出て教員の免許状までとったけれども、多少の言語障害があるために採用されないというような点から、皆さんが扱っておられるこの生徒たちの将来というものは、学校を卒業したら責任がないのではなくて、相当めんどうを見てやらなければ、その教育の成果というものはあがってこないと私は思うのです。  もう一つ申し上げれば、これは盲人ですが、盲学校を出て、しかも高等科を出て、やはり就職する道はあんまさんですよ。ところが、この人たちが要望するものは、いまあんまさんをするについても、自分たちが独立して仕事をすることができない、だから、そういう人たちを集めて事業的に経営をする者に一切託さなければならぬ、そうすると、働いてきた相当なものを嘱託料とか手数料とか、いろんなものでもって取られてしまって、自分たちの手に入るものはわずかである、だから、盲人センターのようなものを国がつくってくれて、そしてそういう中でせっかく勉強し、一つの人間的な希望を持って生きていくことをわれわれは考えてほしいということを言われたことがあるのです。これは文部省仕事ではないかもしれぬけれども、しかし、だれがそういう気持ちを買ってやるかといえば、私は、その人たちがそこまでになる間指導に当たった先生方というものが、何らかの形でもって考えてやらなければ、いまのような問題はたくさん出てくるのではないかと思うのです。したがって、私は、この新しい法案がつくられるについて、そういう点も考えてまいりたいと思っておったのですが、いま先生からお話がありましたので、もう御答弁はいただきません。  次の問題は、この特殊教育に関する先生方は、こういう意見を私どもに話されております。というのは、教育行政の中に孤立してしまう。われわれがもっと社会性を持ち、人間性を持っていくためには、一般教職員と常に交流されるようにしなければならぬけれども、特殊な教育というところに置かれてしまえば、来る人は来ない、自分たちもせっかく特殊な教育に携わったという経験があるからここに沈滞する。そうすると、もっと子供たち希望、夢というようなものをつくっていかせなければならぬのに、どうも沈滞する。実際私も聞いて、交流するということは困難だと思うのですが、その交流する形というものが行政の中で行なわれるようにしなければならぬと思うのですが、こういう点について、何かお考えになったことはありますか。
  109. 吉本哲夫

    吉本参考人 教職員の異動の問題については、非常に異動しにくいという現実は全くそのとおりです。また、一方では、教師が小、中、高等学校へ転勤を希望することは、教師や校長にとってみれば、かわりがだれになるのか、だれが来てくれるのかという問題が含まれているのです。現に八王子の盲学校では、現在までもまだ定員が満たされていない。そのほか数校現在あるのです。そういう状態が続くので、どうしても校長としてもこれを出したがらない。東京都の全体の異動の中でも、普通小、中、高等学校へ入りにくいというのが現実として存在していますので、その交流の問題は強く私たちも訴えているということです。
  110. 小林信一

    ○小林委員 そういう場合に、いまのように、さっきの後期中等教育の多様化じゃないのですが、もっと特殊教育の社会性というようなものを考えて、そしていろいろな分野というものをもっと多くして成果をあげるように努力していく中に、私は、いろいろな職務内容というものが出てきて、交流というものが考えられていくと思うのですが、その点も、できるならば先生からこういうふうにして交流してほしい、その交流をするためにはこういうふうな法案措置がほしいというようなことを聞きたかったのですが、大体御意思はわかりましたので、以上で終わらしていただきたいと思います。
  111. 床次徳二

    床次委員長 参考人方々には、たいへんお忙しいところ長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。  この際、暫時休憩することとし、午後二時より再開いたします。    午後零時五十八分休憩      ――――◇―――――    午後二時十五分開議
  112. 床次徳二

    床次委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  内閣提出公立高等学校設置適正配置び教職員定数標準等に関する法律の一部を改正する法律案に対する質疑を続行いたします。  質疑の通告がありますので、これを許します。唐橋東君。
  113. 唐橋東

    ○唐橋委員 主として特殊学校の問題について質問いたしますが、その中で一つだけ非常勤講師についての問題をお伺いしたいわけでございます。  端的に申しまして、非常勤という場合に、週何日とか、あるいは週の時間では何時間ぐらい――常勤と違う非常勤でございますので、規則上はなくても、常識的に見た場合に、非常勤というのは、週十八時間ならば、その半分ならば半分という勤務時間程度でなければならないと思うのですが、まず非常勤の位置づけを、ひとつ時間的な日数的なものをお伺いしたいと思います。
  114. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 非常勤職員につきましては、いま御質問にあったように、時間数そのものをどういうふうに法律的に考えるかということはございません。むしろ実態なり慣行なりということだろうと思います。  東京都の例を見ますと、大体非常勤の一人平均にいたしまして、週十時間程度ということになっております。それに対しまして常勤数は、現行の条例、規則等をもってすれば、四十四時間というように勤務すべきものというのが、これが専任の職員でございます。
  115. 唐橋東

    ○唐橋委員 そうしますと、一応の目安時間というものがわかりましたが、常勤の職員と同じ勤務状態の者は、やはり非常勤と言えませんね。
  116. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 勤務時間が常勤職員と同じであれば、それは非常勤として任用するのは適当ではないことであります。しかし、いま議論になっておりますのは、主として授業時間という教員特有の問題を議論しておりますから、そこに若干議論が分かれるのであります。先生の授業時間というものは、勤務時間のすべてではございません。御承知のように、高等学校でいいますれば、授業時間としては十八時間以下でございます。しかし、勤務時間としては、通常の職員と同じように、現行の条例等のきめておるところは四十四時間勤務すべきもの、こういうふうになっております。
  117. 唐橋東

    ○唐橋委員 具体的な例ですが、高等学校の場合、正式に教員の採用試験をする、そして採用された者の全員が一年間は非常勤、こういうような状態、あるいはその半数は非常勤にして、そして一年後に、また今度常勤に入れる、こういうような状態のものが行なわれておるわけですが、局長、その点そういう実態をつかんでいますか。
  118. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 正式の教諭として任用する場合に、一年間は非常勤でなければならぬというようなことは、これは任用方法として適当ではないと思います。それはむしろ現行の地公法の常勤職員であっても試験任用期間ということでありますから、これは非常勤とは違うと思います。
  119. 唐橋東

    ○唐橋委員 そうしますと、採用試験を受けて採用された、そしてやはり普通の採用者と同じように必ず勤務校に行く、いってみれば、普通の教師と何ら変わりない時間配当を受け、いま御返答があったような勤務条件の中で行なわれている。全く他の教員と全然変わらない勤務を与えられておる、こういう状態であれば、もう局長としてはそれはやめさせなければならないわけですか、その点ひとつ明確にお答え願いたい。
  120. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 常勤の職員として任用するというたてまえで採用しておいて、そして勤務の実態として常勤職員と全く同じ勤務時間その他の勤務条件をしいでおる者を非常勤として処遇することは、これは不適当なことだと思います。
  121. 唐橋東

    ○唐橋委員 非常に明確になってきたのですが、その場合、いまの趣旨に基づく全国的な調査をおやりになれば、いまの趣旨に反する教員が非常に多数出てくるということを私は予想するのでございますが、いまのような方針を文部省が持っていて、そして、それが各都道府県教育委員会に徹底しないがゆえの、いま申しましたような状態は放置しておけないと思うのです。それに対して、いま申されたような趣旨を徹底する方策をひとつとっていただきたいと思うのですが、それに対してはどうお考えになりますか。
  122. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 私は、すべての教諭を非常勤で一年雇って、そして非常勤を条件として常勤に直すというようなことは全国的な趨勢だとは現状を判断しておりませんけれども、もし必ず非常勤をやらせるということが条件ならば、それはそういう任用方法は不適当でありましょうから、機会を見て適切な指導をいたしたい、かように考えております。
  123. 唐橋東

    ○唐橋委員 大臣にお伺いしますが、現実に私の資料等もありますが、いろいろ各県によっては多少の相違はございますが、やはり新採用をした場合に非常勤という講師にしておいて、そして一年間、いま申しましたように教諭と変わらざる、常勤と変わらざる任務、一切の教育活動がそのとおりなんです。学校に入ってみると、いろいろの職務もあれば、あるいはまた宿直もある、すべての勤務条件が同じに置かれておる状態がございますので、そういう点、実態は非常にでこぼこがあるということでございますが、でこぼこがあるとするならば、なおこれは直しておかなければならない問題なので、これに対する速急な対策というものをはっきりと大臣からお伺いしたい。
  124. 剱木亨弘

    ○剱木国務大臣 私、想像いたしますのに、だんだん高等学校生徒減少の過程にございますので、おそらくまた地方といたしましては、今度私ども定数改正をやったのでございますが、定数改正のやり方のいかんによりましては、相当現職の教員の犠牲者を出さなければならぬというような先の不安見越しというものがあって、いま申されますような形とは別に、これはある程度非常勤というものをもって、その不安に対しまして対応する形を一応府県としてとっておったのではなかろうかと思います。しかし、今度定数表が変わりまして、生徒減少によりまする教員の整理という必要はなくなった今日でございますし、また、そういう心がまえはもう必要でなくなったわけでございます。ですから、一般にもし非常勤というものでそういう形をとっておったとすれば、非常勤は漸次漸減をいたすべきものだと思うわけでございます。  ただ、それは非常勤の場合でございますが、いま申されましたように、正規に採用いたすべきものを、採用試験をしておいて非常勤ということを条件にやるということは、これは任用の形としては、全く局長の答弁いたしましたとおり不適当であると思いますので、こういう問題につきましては、私といたしましても善処したいつもりでございます。
  125. 唐橋東

    ○唐橋委員 なおあとでこの件についてはもう少し確めたいのでございますが、交付税としては、やはり一人は一人になる、こういう財源的措置がありながら、いま大臣が言われたように、何か将来過員になるのじゃないかという心配の上に立って非常勤の身分にしておいた。それが、今度心配が解消するからというような点がわかれば、漸次解消されるだろう、また解消させたい、こういうことでございますけれども、財源的措置ができておる。そして、それはいま私が申し上げましたような状態でいきますと、相当財源の差ができてきておるわけですが、非常勤講師で採用する場合と、それから正式な教諭として採用する場合の差というものは、都道府県のいわば余裕的な財源というような常識的な考え方かもしれませんが、出てくる、こういう状態まであって、非常勤講師を放置しておいたというのが、現在までの私の指摘するところでございますけれども、非常勤の講師とそして一般の普通の教諭との待遇の差は、これはどんなように行なわれているのですか。
  126. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 専任の教諭等につきましては、国立学校の先生でありますところの教育職俸給表、高等学校で申しますれば(二)を適用して、それを基準としながら都道府県が給与条例で定めるということでございます。非常勤職員につきましては、これはそれぞれ県の条例できめるいうことでございまして、専任の職員と違いまして国の基準というものが及ぶわけではございません。
  127. 唐橋東

    ○唐橋委員 私の調査した資料を見てみましても、教諭として採用された者は月額二万四千八百円、非常勤講師としても、さっき申し上げましたように、採用手続は同じなんです。同じためだと思いますけれども、やはり二万四千八百円、ただし期末勤勉手当、そういうものは支給しない、こういうような点の差があるわけでございますが、こういう点で、ほんとうに同じく採用されながらも非常な差ができているという教育上の問題は別としても、こういうような財源的措置を与えておきながら、現実もまた月額の差はない、こういうのを、将来過員になることが不安であるために非常勤職員にしてあるのだ、こういうような状態を生ぜしめていたのは、やはりいまの問題になっておる、私が指摘している二十二条の問題であると思うのですが、こういうワク外の教員非常勤ワク内に見るという点、こういう点が二十二条の条文としての性格であり、したがって、多少なりとも不安があれば、今度はこれに該当させるというようなことで、非常勤の講師を奨励する基本になっておるわけでございます。したがって、そういう点について、今度財源的な措置も、あるいはこの法案が成立して、大臣がいま申されたように、不安がなくなってくるならば、これは当然非常勤のもとに返って、非常勤職員ワク外に見るべきであるということを私ははっきり指摘したいのでございますが、それに対しては、大臣はどうお考えになりますか。
  128. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 現行法も改正法案も同じでございますけれども、法律のたてまえは、常勤職員について、府県内の総数を計算して、それを標準に置くというのが法律の意味であります。もう一つは、実際の効果として、その標準に基づく財源措置を国としてするということであります。でございますから、財源措置なりについては、いま先生のおっしゃったような問題が行なわれておる。なぜ二十二条の規定があるかと申しますと、これはそういう専任の教諭でおくという府県の標準法律であるのに対し、実態といたしまして、非常勤を必要とする場合があるわけでございますから、その標準にかかわらず、非常勤をもってある割合で代置することも標準に違反しないという意味で、これは必要なことだと思います。これがないと困るわけでございます。しかし、それによって自治体に対する財源措置は、ひとつもその規定があることによって減るものではありません。そういう規定があろうとなかろうと、同じでございます。  ただ、御質問の意味は、さっき大臣が申されましたように、この規定というより、非常勤講師そのものの任命が真に非常勤講師の必要な限度を越えまして、将来の過員対策として用いられるというようなことがありはしないかという実態上の問題でありますけれども、それは、大臣が先ほどお答えいたしましたように、従来、急増というものが進んでおりまして、減になることはわかっておる、そうすると、現行法では都道府県内の定数を減らさなければいかぬということを予想いたしまして、その安全弁として、あるいはそれを活用し、真に必要なるもの以外に活用するという事態もあったかもしれません。ところが、今回の法律は、全体的に見まして、定数改善というものと、それから高等学校生徒減というものをにらみ合わせながら、経過的に措置していくということでございますから、従来の急増期間の中で、将来に対する不安というようなものは起こってこない。したがいまして、非常勤規定自体をもって、そういうふうに必要以上に非常勤職員をもって代置するという心配は現在よりはなくなってくるのではないか、こういうふうに考えるわけでございます。しかし、この規定は必要でございまして、これは全部専任でかかえなければならぬということ自体は、私は、高等学校教育の、実態から見て、教育の実態にも合わないし、人事行政上も不適当であると考えます。
  129. 唐橋東

    ○唐橋委員 二十二条の規定は、財源的に措置する性格のものだから必要だ、しかし、それと、いま指摘した非常勤の身分の取り扱いは別なんだ、したがって、心配がなくなったならば、いままでのような予算の措置は当然やめさせなければならない、こういう趣旨と理解するわけですが、だとすれば、この非常勤講師の質問で最後に一つだめ押しをしておきたいのでございますが、その趣旨をほんとうにはっきりして、やはり非常勤講師の身分の問題というような形で、各地にいま不安定のままずっと継続的に問題になってきておりますが、この非常勤講師の身分の解消の具体的な方針をひとつ出していただかなければならないと思うのですが、最後のだめ押しに、この非常勤講師の身分解消の具体的な方針をひとつ明白にしていただきたい。
  130. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 非常勤講師に関するこの規定が、別に財源措置に対して不利に扱われるものでないことは、都道府県の担当者はよく知っております。ただ、実際上の運用におきまして、必要な限度を越えて非常勤の職員を活用するという実態につきましては、もしそれが過度に行なわれているということでありますれば、私どもも、担当者に対して適切な指導を機会を見ていたしたい、かように考えます。
  131. 唐橋東

    ○唐橋委員 何か方針だけはわかるのです。非常勤の講師そのものの必要性というのは、高等学校教育にはこれは必要だということは私ははっきりわかります。ですが、いま申しましたような過度の非常勤講師の採用というのは、いま議論の中で明白になってきたのですから、それに対して、それならば当面どう手を打つのだということが、一つには明確にならないと、どうしても私は理解できないのです。了承できないのですが、いままで議論したような普通の非常勤講師でなくて、過度の非常勤講師の取り扱いを、こういうふうにして解消しますということを、もう少し責任ある御答弁を願いたいのです。
  132. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 私どもは、人事関係の担当者について、年数回いろいろな問題について指導し、また、その機会をつかまえまして実態も聴取いたしました。いま先生が御指摘になっていることは、任命権者としては当然考えるべきことではございますけれども、しかし、その点について、どんな経緯で過度にこの制度を乱用して、そもそも専任としての実態のあるものを、給与その他について非常勤の処遇をしているというような実態をよく聞きまして、そして、それについては、担当者に対して改善をするように指導をしてまいりたい、かように考えております。
  133. 唐橋東

    ○唐橋委員 非常勤講師についてはこれだけにいたしまして、障害児教育の問題に質問を移したいのであります。  第一には、大臣に、率直に基本的な考え方をお伺いしたいと思うのです。といいますのは、先ほど参考人からもいろいろ意見が出たと思うのですが、相対的に見てこれは非常におくれていた、これだけは事実としていなめないものだと思うわけでございます。そのおくれた原因には、身心障害とか、そういう人たちに対しては、戦前の考え方ならば、時の為政者のお恵み的なもの、あるいはお金持ちの何か慈善事業、あるいは特殊な人の行為、こういうようなものだけにたよられていたものが、新しい憲法によってはっきりと位置づけされた。しかし、それがやはり位置づけしただけであって、現実はそこに憲法精神が行なわれていなかったということをやはり指摘しなければならないと思うのです。御承知のように、憲法の二十六条には、「能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」とあり、それを受けた教育本法の第三条には、「教育を受ける機会を与えられなければならない」という義務づけが今度明確にされているにかかわらず、実際機会が与えられていなかったということだけは明らかだと思うわけでございます。  先ほど文部省からいただいた資料をちょっと見ても、各種の精神薄弱者の就学率あるいは肢体不自由者の就学率、病弱者・身体虚弱者の就学率、特に病弱者・身体虚弱者の就学率というものは二・七%、こういう状態の最低数字を示しておりますし、養護学校の計が一二・一%、こういう状態を示しておるわけでございます。このことは、やはりさっき参考人意見にもございましたが、他の面の義務教育就学率が非常にいいんだ、大学の数は非常に多くなった、あるいは高等学校就学率はもう八〇%台になったといって、いわば明るい面のものだけは強く主張され、あるいはまた取り上げられてきたけれども、一番金のかかる、そして最も長期的な、長い期間を要するこの種の問題については、世論は相当出てきておりますけれども、まだまだ立ちおくれているということだけははっきりしておるわけでございますが、今後それに対して、大臣としてどのような基本的な考え方あるいは今後の方針をお持ちか、ひとつ明確にしていただきたい。
  134. 剱木亨弘

    ○剱木国務大臣 終戦後私どもは六・三制をやってまいったのでございますが、六・三制を完成するということも、日本のあの状況から申しまして非常に困難な事業であったと思います。しかし、国民的な努力によりまして、いまようやく六・三制は完成の域にほぼ達したと思いますが、いわゆるその六・三制完成という事業をなし遂げることに急であったためもあったと思いますが、いま先生のおっしゃるとおり、わが国におきまして、心身障害者に対します教育はずっとおくれておったということだけは否定できない事実だと思います。しかし、これは私の全くの言い過ぎかもしれませんけれども、私はしばしばこういうことを言っております。義務教育というものは、いわゆる片一方に教育を受ける権利があると申しますが、国において義務教育相当年齢の者を教育する義務がある、その義務教育の観念は、義務というのは国が背負うべき義務だ、私はこういう考え方を持っております。いわゆる人間尊重の意味から申しましても、教育の機会均等という意味から申しましても、私は、いまや、教育面におきます最重点として、この心身障害者を対象とする教育というものの振興をやっていかなければならぬと思います。でございますので、いま申されましたように、心身障害児と申しましても、いろいろ程度といいますか、教育を受けるにふさわしい状態であるか、あるいはまた、厚生省等でやっております社会施設の対象となるか、いろいろな問題があろうと思いますし、またそれは、心身障害者として特殊の教育をやるべき種類のものと、あるいは一般の学童、生徒と一緒に教育すべき状態であるか、いろいろこの問題につきましては基本的に研究をしなければならぬ面があると思います。  そこで私どもは、まずこの特殊教育につきまして、四十二年度の予算では相当前向きの、きめのこまかいと申しますか、われわれとしては注意深い施策をやってまいったのでございますが、しかし、基本的にはやはりこの現状をはっきりと把握することが一番必要ではなかろうか。そこで、そういう実態をぜひひとつ四十二年度中に調査をいたしますと同時に、また、それらに対します対象的な教育とか、発生原因でございますとかいろいろな問題をあわせまして、これはやはりどうしても国家的に総合的な一つの総合研究機関が要るのではなかろうか、これに対するいわゆる総合研究機関の設置という面に向かいましても、ひとつ今年度から準備を進めてまいりたい。これは真剣に、心身障害児に対します対策を、私といたしましては、やはり教育の大きな課題といたしまして、私自身の課題として取り上げてまいりたい、こう決意をいたしておるわけでございます。
  135. 唐橋東

    ○唐橋委員 最重点として――しかも、私もあとから指摘したかったのですが、厚生省と文部省の関連というものが非常にないというような点も指摘したかったのでございますが、いま総合機関を設けるという基本方針については賛成の意を表しますが、再重点として取り上げていくというこの中で、いままでどうしても手につかなかった点の一、二を指摘しまして、それに対する所見をお伺いしたいのでございますが、御承知のように、盲ろう学校義務設置に着手されて、ほとんど完成しました。しかし、それに対して、養護学校は同じ立場にありながらまだ義務設置規定がないし、それが進められていないという具体的事実に対しては今後どのような考え方で進まれますか。
  136. 剱木亨弘

    ○剱木国務大臣 養護学校について義務設置の問題でございますが、結論として申しますれば、文部省といたしましては、現に実際上未設置県が相当ございますので、義務設置にする前に事実上養護学校全国の各府県に設置されるようにまずやってまいりたい、こういうことから、三十九年度から計画を立てまして、四十六年までに養護学校を必ず全部の県に置くという方針を持ちまして、計画的に養護学校の建設を援助してまいる計画を立てまして、四十二年度におきましては全国で十六の養護学校を建設するという予定で、大体当初の計画どおりにただいま進行いたしつつあります。そうして、これが全国にいよいよ義務制としてするよりも、事実上において義務制と同じような設置状況になりましてから、いろいろまた一応それを立てまして、その上で養護学校内容とか基準とか、いろいろな問題にまで入ってまいりたい。いまのところは、全国の各府県に養護学校を建ててない県がないように、それに重点を置きまして努力をいたしておるわけでございます。
  137. 唐橋東

    ○唐橋委員 そのような方針で進められていると思うのでありますが、いままでとってきた中で財源的な処置、しかもその財源的な処置で、今後またあとからの質問で問題になりますが、そういう点で明確にしておきたいと思いますが、地方交付税の積算単価なんですが、三十五年から四十一年までは光熱費、通信運搬費、備品費燃料費等も全然上げてなかった、こんなように私は記憶しておるわけです。ことしになって相当上げる計算をされておるということは承知しておりますか、三十五年からの物価指数でございますから、ことし上げたとしても、まだまだその差は大ではないか。このことはあとからも議論いたしますが、学校の父兄負担へのしわ寄せということになってくる最大の原因になると思うのでありますが、ことし上げられた単価で、相当大幅に上げたといっても、現実これだけの中において間に合うかどうか、三十五年以降の上げですから、そういう点についてはどんなようにお考えになっておるかを、まず財政問題の基本としてお伺いしておきたい。
  138. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 養護学校につきましては、御承知のように、設置計画に基づきまして、定員、施設、設備、この問題につきましては、国庫負担金ないし補助金という形で措置いたしますから、直ちに地方財政がその裏金として計画的に措置されます。  先生の御質問は、むしろそれ以外の現実の運営費の問題だろうと思いますが、この点につきましては、実は本年度、ただいまお話のありましたように、たとえば、養護学校の宿舎の関係の光熱、水道等の運営費については倍額近くにいたしました。私どもは、現実の決算額との比較を見ます一と、本年度の財源措置は決して薄いものではないというふうに判断をしております。ただ、だんだん同じ状態の宿舎なり学校にありましても改善をしてまいりますから、その水準が実際の活動から見て年々豊富になってまいりますから、財政的な措置も年を追ってさらに改善していきたいと思いますけれども、本年の交付税の措置をもってしては、父兄負担によるこういう運営費について、公費で持つべきものについて父兄に転嫁しなければならぬというふうには私は考えておりません。この点は、また父兄負担のところでお答えいたしたいと思います。
  139. 唐橋東

    ○唐橋委員 もう少しこの点は検討したいので、交付税の積算単価は、あとで資料として出していただきたいと思います。  もう一つ、財政面につきまして理解のできないのは、地方財政法二十七条の三に、御承知のように、都道府県立高等学校の施設の建設事業費については、直接負担と間接負担とを問わず、住民に転嫁してはならない、こういう条文があり、二十七条の四では、政令で定めるというような点で、施行令十六条の三、読むのを省略いたしますが、小学校、中学校の建物の維持、修繕に要する経費いうことで、二十七条の三、四に関連してこれをずっと見てみますと、この特殊学校が抜けているわけなんです。そのために、現場においては、父兄負担していいんだというような解釈が行なわれておるという、そこがまた父兄負担が増大する法的な根拠になっておると思うのです。この抜けている点については法の不備だと私は思うのですが、これに対しては、どのような考え方、あるいは今後の――当然これはすぐに処置しなければならないと思いますが、これに対する考え方をお伺いしたい。
  140. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 地方財政法の二十七条の三あるいは二十七条の四、これはあるときは、高校急増というような時期に際しまして、高等学校の建設が地元負担という形で父兄に転嫁されやすい、あるいは義務教育における給与だとか、建物の維持管理についての負担転嫁を禁止するという、そのときそのときの事情によって改正されたものでございますが、盲ろう学校養護学校について、いま明文上には直接規定していないから、あるいは許容しているのじゃないかというようなことでございますが、そういう意味ではなくて、そもそも当然公費で持つべきものについては、地方財政上も一般的に割り当て寄付というようなものを禁止しておる趣旨から見ましても、また、特殊教育という性質から見ましても、これは法律規定にあるなしにかかわらずそういうようなものを僻けるべきであるということは当然でございます。また、実態として見ましても、私どもが地方教育費を調査いたしてみました場合にも、公費で持つべき性質の金額というものを、決算額を洗ってみた場合に、特殊教育で私費負担というものが他の学校に比して多いということではございません。むしろ、小、中学校あるいは高等学校に比較してみますれば低いのでございます。また、四十年度の決算の調査を見ましても、公費で持つべき趣旨の費用に対しまして、公費以外のものから出ておるのが〇・六九%という数字が出ております。これも全部PTA負担ではなくて、部分的ではございますが、特殊教育については、わりあいに一般の浄財の喜捨というものが入ってくる機会がございますから、この〇・六九%というものは、全部PTA負担ではないと思いますけれども、実態といたしましても、特殊教育は明文の規定がないから、こういうように多く寄付を求められるという実態にはないと私は思います。しかし、残っております以上は、特殊教育のようなものは、一面において就学奨励費の給付を行ないまして、これは私費で持つべきものについても援助していくという体制をとりながら、あわせて、公費の分は地方財政等の財源につきまして改善をはかっていき、運営費等にかかる私費負担というものを絶無ならしめるように、われわれとしては今後とも指導を強めてまいりたいと考えております。
  141. 唐橋東

    ○唐橋委員 実情として、こういうものが入っていなくてもそう負担になっていないという局長の答弁でございますが、やはり法に入っていないと、どうしてもそういう必要性が出てくれば、特殊学校については負担していいのだ、こういう点が往々にして出てくるわけなんですよ。ですから私は、これは法的な一つの不備として指摘したいわけなんですが、そういう点について、今年度の最大重点というように考えているならば、いま大臣が言われたような方針であるならば、やはり法律は、全部そういう点に十分なる配慮をして、そしてそのような弊あるいはそのような事例が出ないように措置すべきだと思うのですが、これについては、大臣どうお考えですか。
  142. 剱木亨弘

    ○剱木国務大臣 これは局長が説明いたしましたように、この規定昭和三十八年でございますか、入れられたときに、ちょうどたまたま地方の高等学校の学生の急増期でございまして、どんどん府県が高等学校を住民から要望されまして、そして、それの代償として、地元負担とか父兄負担とかいうものを要望した、そのいわゆる公費を転嫁する形を、急増に対して避けるためにこの条文が挿入されたのが理由であったと思います。  しかし、申されましたとおりに、私ども、特殊教育について、もちろん父兄負担とかいうようなことを予測していなかったのでございますけれども、実際上の法律としては、むしろそこに欠陥があったと思います。この点につきましては、地方税法の関係でございますので、私ども十分検討いたしまして、そういうことのないように処置をするように検討してみたいと思います。
  143. 唐橋東

    ○唐橋委員 先ほど、本年度はこのような障害児に対する実態の調査をする、徹底的な大規模な調査をする、こういう方針を出されましたが、その一中で、こういう階層といっては悪いのですが、現実は、これに該当する児童、生徒は貧困の家庭が非常に多いということは、統計が示しているだろうと思います。したがって、先ほど参考人からもございましたが、こういうような実態調査の場合には、この施設あるいは学校、そういうものに入った場合の父兄負担の実態というようなものまでよく調査をする計画になっておるかどうか、これも一つお伺いしたい。
  144. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 この調査は、主として取り扱いでいえば鑑別に関する問題を主にしてやりますので、これは調査の技術上の関係でいろいろな項目をやりますと、そこのところに不備が起こりますので、そこに集中をいたします。しかし、これはいまの調査でなくとも、われわれは、その結果等がある程度出てまいりますれば、むしろわれわれの業務調査としてでもそういう点を確かめることは、今後の特殊教育を推進していく上に重要な要素でありますから、別途そういう問題はそれと並行して検討してみたいと思います。
  145. 唐橋東

    ○唐橋委員 ちょっと小さいような問題ですが、やはりこれも現場において私が関係した事例の中の法的欠陥の事例でございますので、お聞きしたいのでございますが、日本育英会の貸与を受けていた者が寮母、保母になった場合に、保母のほうは免除規定があるのに、寮母のほうは免除規定がないということで、同じ学校を出て、偶然でしょうけれども、片方は寮母になった、片方は保母になった。そうすると、育英会の免除が、保母のほうにあって、寮母にはない、こういうのが実際出てきているわけですが、これなども何か差別されているのだ、こういうような点が具体的に出てきたのですが、これをひとつ解決していく方法というようなものをお伺いしたい。私も法的には多少研究してみました。やはりそのとおりなんです。
  146. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 御指摘の中に、一つは、育英会の貸し付け金の返還の免除に関することで、精薄関係の、いわゆる厚生省関係の施設の指導員または保母につきましては返還免除の規定があるけれども、寮母についてはないということ、それともう一つは、それが任用資格を定めてあることと、定めてないことについてどういう関係を生ずるか、二つの問題になろうと思います。  任用資格の問題は、実は、寮母については定めがあり、それから児童福祉法に基づく福祉施設の保母につきましては定めがあるということでございますが、任用資格を議論する場合の実益は、待遇をよくしていくということがいま一つの手段としてもございますが、待遇の面だけにつきましては、実は御承知のように、各号を問わず、寮母は高等学校の俸給表を適用し、さらに調整額が、本年度は八%に上げましたけれども、つけ加わっておりますから、待遇上、給与上の処遇だけでいえば、別に劣ってはおりません。しかし、任用資格を定めないことが、いまの育英会の規定等との関係で、やはり正直なところ議論になります。  それでございますから、この問題は、従来から任用資格を、人を得るために形式的に法制上の指貫をとることがいいかどうかということで現在まできておりますけれども、寮母の採用者を見ますと、高学歴者もだんだん入ってくる傾向がありますので、実は私ども、寮母の問題のみならず、学校教育法の系統に定められております学校内の各職種につきまして、全般的にいま洗って、どういう地位を法制上与えるべきかということの検討を実は開始しておりますから、その中でこの寮母の問題もあわせて考える、そして、その任用資格を法制上立てるほうがいいかどうかも検討してみまして、そして、なお育英会の貸し付け金の免除の点につきましても、積極的な方向で検討を進めてまいりたい、かように考えております。
  147. 唐橋東

    ○唐橋委員 丁寧な御答弁なので、趣旨は一応了解できるのですが、ぴんとこないのですよ。の任用資格は、いろいろ切り離して見ても、いま申されましたように、事情は私はわかりますが、寮母はやはり教育の職なんですね。これは学校教育法施行規則にありますけれども、そうすると、いま寮母というのはやはり短大卒やそういう方々が非常に多く入ってきているのです。そうすれば、やはりいまのように、何か育英会の返還免除規定に除外されておるというような点がやはり一つの法的欠陥だと思うのですよ。だから、全体的な中において速急に解決したい、こういうことなんですけれども、そういう具体的事例は具体的事例として何らかの措置として私はやはり解決できると思うのです。全体を洗い出すまで待っていろということは、やはりしなくてもいいと思うのですが、これはどうなんですか。
  148. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 育英会の問題を全般の検討と切り離してでも、この保母同様に――私どもとしては、現在だんだん高学歴者というものも占めてまいりまして、たとえば、現在で申しますれば、全部のうち短大卒が二〇%を占めるというような状況になってまいりましたので、これはよく関係のところと相談をして、前向きに検討してまいりたい、かように考えております。
  149. 唐橋東

    ○唐橋委員 それでは質問を次に移しまして、設置基準の問題なんですが、高等学校設置基準が二十三年一月ですか、大学設置基準が三十一年の十月、幼稚園の設置基準が三十一年十二月、あとから出てきました高等専門学校設置基準が三十六年八月、こういうふうに設置基準というものが出されて、そうして内容の整備をこの設置基準に合わせながら十分にやっていく、こういう中で、いま問題になっております盲学校ろう学校養護学校、こういうのは、高等部にかかる学級編制及び教職員定数については従来学級編制だけだったのだ、こういうことで、今度は標準を少し進めよう、こういうことなんですが、この設置基準は、私は、いま申し上げたような他の学校よりも、特殊学校については、心理的にも医学的に見ても、これこそ先に設ける必要があるのではないか、それがあと回しにされている、こういうことがどうも理解できないのですが、このあと回しにしているということの原因は何ですか。
  150. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 設置基準法律的な意味の効果と申しますのは、学校を認可する場合に実際一番働くわけでございます。それを学校教育法規定に基づいて、政令で設けるということになっておりますが、その中心的な内容というものは、定員と施設、それから教材、教具というのがおもな点でございます。この三点は、たとえば小学校、中学校もございませんけれども、むしろ内容といたしましては、法律自体で水準を維持するために相当カバーしているというようなことはございます。たとえば小、中学校で申しますれば、校舎のほうは施設の補助基準、あるいは定数定数、それから教材、教具につきましては、今回近く教材の基準を設定いたしますが、大体実質は確保されるわけでございます。今回、特殊教育小学校につきましても、従来の法律的な措置と、それから今回教材の基準を定めますことによって、実質的な内容というものは出てまいるわけでございます。しかし、これは公立等に対する財源措置の関係が主になりまして、私学をどういうふうに認可するかという規定までは及びません。そういう問題がございます。  そこで、この問題は、実は特殊教育学校というものは、たとえば養護学校につきましても数が少なく、そして、それを進めていく方向というものはあまり一定の型にしないで進めていくほうがいいという段階等もありまして、まだ設置基準を検討するという段階になっておりませんけれども、先ほど大臣が申されましたように、この辺で、特殊教育の全分野についても、展開のしかたということを、学識経験者を集めて調査研究会を開く、そして普通教育との限界、あるいは特殊教育の各分野の国としての展開のしかた、そういうようなものを今年度から始めることになっておりますから、そういうものの研究の成果も合わせながら設置基準の問題も検討してまいりたい、かように考えております。
  151. 唐橋東

    ○唐橋委員 私から申し上げると、いまあとから言われたように、そういう重要性があるからこそ、やはりこれは投げておいてもできない。やはり文部省自体が重点的なものとして取り上げて、医学的にもあるいは心理的にも、あるいは肢体不自由児ならば、さっき参考人から広川委員の名前が出まして、光明養護学校に半月ほど前に偶然行く機会があったのですが、そこには父兄が自動車で送ってきておる、しかし自家用自動車の置き場所がない、そういうような具体的なものは、やはりいま局長が申されたようないろいろな観点から、国自体がやらなければならないのでありまして、しかもそれは、高等学校の場合に甲表、乙表といわれるように、ある程度理想というようなものであってもこれは当然だと思うのですよ。そういう多少理想的なものであっても、またありたいと思うのです。そういう基準というものを先に出しておくことこそが、さっき大臣が言われたような、最もこれを重く見て今後の進展を考えるとするならば、これこそ早く私は検討に入り、設置すべきだと思うのですが、これに対しては、前向きの姿勢でやっていこう、検討していこうということだけなのですか。もう少し積極的にこの設置基準についての考え方を大臣にはっきりお伺いしたいのです。
  152. 剱木亨弘

    ○剱木国務大臣 私も先ほどの方針のところで申し上げましたけれども、第一段階のいまの特殊教育につきましては、とにかく各県で養護学校設置してもらうということが、非常に急務を要するという段階でございまして、そこでいままで各種の法律定数表とかその他で、実質的には設置基準に関するものを定めてまいりましたけれども、ただ、あまり理想の設置基準を定めまして、いまからできにくい府県にできさせるということについて多少でも障害になるということも考えて、いままで設置基準というものをきめられなかったのではないかと私は想像いたします。  それで、おっしゃいますように、これに対しまして、十分前向きにわれわれ検討してまいりたい、できるだけ理想的な形におきましても、一つ基準というものを考えていきたいと考えております。
  153. 唐橋東

    ○唐橋委員 よく一段、二段ということで、甲号表とか乙号表とかいうことでこういう問題は取り扱われやすいのです。ですから、一つの理想的なもの、あるいは第二段としてこれだけは必要なもの、こういうような分け方の中で当然これは早く設置していただきたいと思うのでございますが、前向きの姿勢で取り組むというので、その点は了解いたします。  次の質問に入りまして、先ほど参考人からも八人が一人になるという問題等も出ましたが、特殊学校関係で教職員定数を私調べてみますと、先生方がずいぶん減ってくるのですよ。ですから、私がずっと減ってくるところを申しますと、そういう点について、唐橋の調査は少し違っているぞ、こういうことならば、ひとつ文部省の資料をはっきりと出していただきたいのです。今度出された法案で実施していきますと、教員数の減るところは、岩手、群馬、埼玉、平塚、長野、高田、滋賀、和歌山、鳥取、岡山、佐賀、長崎、福井、八王子、こういうような状態になっており、さらに、現状はこれに講師を加えて運営しておるわけです。講師も含めて算定してみますと、さらに今度減ってくるところがあるのです。講師を加えて出た減員数と、それに対して今度新法で算定される数と試算してみますと、減ってくる学校名が、宮城、栃木、名古屋、岐阜、大阪市、神戸、島根、福岡、柳川、熊本、宮崎、鹿児島、このようなところで、いまの非常に前向きのような説明や、私たちの受け取り方だったのですが、現実検討していきますと、いまの教職員定数よりもぐっと下がってくるのが、いま申し上げたところなのです。これに対して、文部省は実態としてどのようにつかんでおいでになるのか、ひとつ御説明願いたい。
  154. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 今回の改正によりまして、現在の全国的な財政措置が三千四十五人に対しまして四千四百二十八人でございますから、千三百八十三人財源措置としては増になっております。それから府県ごとに見ましても、実は、いまおあげになりました各府県を全部承知いたしておりませんけれども、たとえば岩手をおあげになりましたけれども、岩手の場合に現在の定数が、たとえば教員だけで申し上げますれば、四十三人の財政措置に対しまして教員標準法は七十五人でございますから、教員について三十二人、実習助手が現行の法制の四人に対して二十八人ですから、実習助手は実に二十四人の増、教員助手を合わせましても五十六人の増、これを五カ年計画に割りましても十人ずつの増になるわけでございまして、各府県が、総数として実員との差を考えましても、決して減になるのではなくして、相当の増になる、二五%くらいに総体としては増になると私は思うのであります。おそらく、計算の場合に皆さんが間違われるのは、本科、別科の問題というようなものが、高等部高等部だけで計算しておいて、本科、別科は全然財源措置がないものとして計算される危険性がありますが、そうしますと、それは大幅に狂ってくるわけです。本科、別科と申しますのは、これは高等学校も同じでございますけれども、その実数に基づきまして、高等学校標準法と同じ算式を使って交付税上の措置をするわけでございますから、そこに一つ問題がある。それから、実数との関係では、これはこまかに見なければわかりませんけれども、現状は、どこが高等部であり、どこが小、中学部であるかというような、定員上の操作と実態を仕分けていくのが非常にむずかしい、そこで比較表が非常に混乱をするということでありますが、私は、実態といたしましても、かりに本科、別科の要素というものをひっくるめて考えましても、先般裁にお答えいたしましたように、八百九十一人の実数をあれしても増になるということを言っておるのでありまして、今回の法案によって切り下げになるというのが、どうも私どもにはわからないところであります。
  155. 唐橋東

    ○唐橋委員 たいへんにふえるというお話なんです。それでは、そのような一応計算されたのを、私のほうでも検討したいと思いますので、至急出していただきたいと思います。  先生方の数はそれといたしまして、今度教職員の持ち時間数ですが、これについては、やはり私のほうの資料で見てみますと、ずいぶんふえてくるという考え方なんです。概念的に申し上げましても、今度学級がふえますから、生徒の数が御承知のような状態になりますので、それに伴って先生がふえればいいのですが、その率は、やはりいまも私たちが心配したような、いま資料で申し上げましたような状態でありますので、二十二時間ないし二十八時間というような時間数も出てくるのじゃないか、こんなような点が非常に心配なわけなんです。特に特殊教育というのは、御承知のように、非常に骨の折れる仕事であり、時間数の増加ということは、教育効果をあげる最大の障害になると思いますので、時間数に対してはどう考えておいでになるか、この点ひとつ御説明願いたい。
  156. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 時間数と申しますのは、授業時数の問題というふうに限定して考えてみます。と申しますのは、特殊学級は、おそらく授業時数だけでなくて、勤務時間中にいろいろな世話というものも、先生といえども、してもらわなければならぬというのが前提にございますから。授業時数で申し上げますれば、高等学校と同じように十八時間で計算して割り当てておりますけれども、私は、実質は十五時間だろう、大体これが授業時数標準というふうに考えております。これは、一日十八時間あるいは十二時間、十六時間と、いろいろ各段階に当てはめてみましたけれども、二十二時間というようなことが平均的に出てくるということは、私どもは一つも予想しておりません。  それからもう一つの御質問は、学級のほうが一挙にいくから、定数は経過的にいくから、それによって急に労働負担になるのだというのが組合側の主張でございますけれども、これは四十一年の指定統計によりましても、盲学校は実質一学級が九人、ろう学校が九・二人、養護学校が十二・二人、実態がすでに十人という標準になっておりますから、われわれはこの際に改善したほうがいいという判断においてやったのであります。かりに個々の学校をとってみますれば、なるほど、この標準を一挙に実施した場合に学級数がふえるということを考えられますけれども、このたびの高等部教員定数標準というものは、従来の定数より大幅に改善されているわけでございますから、その点はほとんど労働強化になるというような問題ではないので、もし、かりに特定の学校について起こったにしても、われわれの考えておりますのは、府県単位の財源措置としていかに増強するかということでございますから、府県が、実情において個々の学校にどう送るかという問題は、私は別個の問題だろうと思う。したがいまして、今回の定数で時間数がふえるとかいうようなことは、どうも私どもには理解できないのであります。
  157. 唐橋東

    ○唐橋委員 私もやはり理解できないように思います。具体的一例を出してみますと、専門教育を主とする学科というか、その専門教育に対する学科のとらえ方ですね。これはあんまマッサージ指圧師、はり師、きゅう師というようなものが理療科としてあるわけでありますが、それを一学科と見る、それに対して二人、こういうふうな状態になりますと――私、先ほど参考人にちょっと聞いてみたのですが、文部、厚生省令の第二号にある内容専門科目の時間数を見てみますと、三千二百九十時間になるわけです。それを本科、別科――専攻科は本科を出てからになるのですが、そういう時間数に当てはめてみると、これは全くむずかしいのじゃないかという計策が私としては出てきて、先ほど非常に問題になった、八人の機能訓練士が一人になるというような問題等もからみながら、この二人でどういうようにしていまの専門科目の単位数を配分するだろうか、こういう具体的な線が出てくる。局長は、非常に先生方がふえるから楽になるんだと言うのですが、私は、現場では非常に苦しくなる面が出てくるということを考えるのです。いまの学校ならば、百単位ですか、それを本科、別科の場合の時間数というものを振り出してみて、それに対して教師が二人だから、これでできるのだ、こういうような一つの模式的な配置を出していただかないと、これはどうしても理解できないのです。ですから、多少御説明いただいて、あとでその配当を出してみてください。
  158. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 資料の点は承知いたしましたが、これは斉藤先生にもお答えしたのでございますけれども、たとえば盲学校の理療科の場合に、二人で専門学科をやるということを前提として二人の計算をしているのではないのでありまして、既存教員の配当とあわせてみて、先般御説明したのは、六学級六十人ということを想定いたしました場合に、新定数法で十四人になる、その十四人の受け持ち時間を、国語、社会、数学というような普通教科と、それから介護、生理、病理、衛生あるいは治療一般、あるいは医学史、法規、実習というようなものを詰めますと、これが五十六単位になる、合わせて百二単位になる。その場合に、先生の配当としてはおそらく七人・七人ということに一応なるだろうということを申したのであって、二人で全教科をやれということではありません。  それからもう一つは、参考人の申されたのは、この学科の内容が複雑になればこの程度で足らぬではないかとおっしゃいますが、それはもしも同じいまの学科、基礎学科でございましても、それが非常に幾つかのコースに分かれて、一つのもの一で独立してやったほうがいいということになれば、その学科を分けますれば自動的に財源措置はその学科に応じて出てくるわけでございますから、その点も一つあるわけでございます。非常に大きな学科、いろいろな多様なものを集めて複合学科を一学科としておけば、なるほど計算が一学科としていくから間に合うだろう。それは学科を分けて名称を付するように県ですれば、そこに応ずる計算というものが出てきてこれはまかなえるわけでございます。  それからもう一つは、厚生省の関係を言われましたけれども、これはあんま、はり、きゅう、マッサージの全免許状をとるということは、これは教育課程としては高等部の三年だけの問題ではございませんで、それは専攻科を含んでの五年間に履修すべき内容ということになりますから、これもまた、高等部だけの教科課程で引き直して見ることは実態として合わないと思うのでございます。
  159. 唐橋東

    ○唐橋委員 ですから、いまの本科、別科が三年、二年、本科の上に専攻科が二年、こういうのがあるのですが、そういう点も含めながら、先ほど参考人からありましたように、現場では非常に心配しておるわけです。私どもも、本科、別科、専攻科、それに先ほど申し上げました理容科や被服科、こういうようになった場合に、それならば先生の数と一つの配当ですか、そういうものが具体的に出ていないので、いまのように非常に心配になるのですから、ひとつ模式的に組んで、こうなるんだということを資料として出してみてください、私のほうも検討してみますから。  質問はその次に入りますが、肢体不自由児に対する機能訓練ということが非常に問題になりまして、その機能訓練という場合に、一番最初にお聞きしたいのは、学習指導要領に、体育機能訓練を教科として特別な技能を有する教職員がこれを指導する、こう書かれているわけですね。そうすれば、特別な技能を有する教職員というのがどういう資格のものをさすのかということを、私はまずお聞きしたいわけです。
  160. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 機能訓練士といわれて先ほど来問題になっているのは、通称の問題でございまして、機能訓練の実態をやる人ということで、必ずしもここでいう教職員の職として加算を考えたものとイコールではございません。これは、実は学習指導要領を定めます場合に、肢体不自由児の学校につきましては純然たる国語の先生というような、機能訓練を教えるということではなくて、体育と、それから中学校でやらなければならない保健体育と機能訓練を合わせた教科ということを想定いたしまして、そこに教職員の免許状を与えて配置しようという考え方が出て、そして実は、この問題はまた小、中学部について免許法を改正しなければこれは実現いたしませんが、高等部の問題は省令段階で実施できまずから、これは現在省内で検討中でございます。そういうこと等がありますから、それを予定いたしまして、従来財源措置になったものを教職の中で一名加算をするということがこの趣旨であります。  それからもう一つは、資格問題として、現行の他の施設につきまして理学療法士、作業療法士というものとどういう関係になるかという点でありますが、現在検討されております案は、理学療法士及び作業療法士法に基づくところの資格をとった者を、この教科の基礎としてこの教科を担当させる教員にしたらどうかということで、現在省令の検討を行なっておるわけでございます。
  161. 唐橋東

    ○唐橋委員 理学療法士、作業療法士についてちょっと調べてみますと、高校卒で三年の専門教育を受けた、こういう人が国家試験を受けて機能訓練士という形になる、こういう資格者が、いま御答弁いただいたように機能訓練士として従事しなければならないというふうに理解していたのですが、現実を見てみますと、実際にこの機能訓練の仕事に当たっている人は、身分的に見ても非常にまちまちなんです。たとえば、ちょっと調べたのを見てみますと、東京都は実習助手、神戸は技能部の吏員であり技術部の職員、福島は養護教諭であって非常勤講師、岡山は他教科との兼任技師がやっており、山梨は看護婦、北海道では寮母、愛知は講師と医師が担当しておる。こういうことで、先ほど議論があったように、非常に重要な部面でありながらまだ手がついていない。しかし手がついたところは、先ほどの八人が今度一人になるのではないか、このような心配が現実に出てきておる、こういうことになっておるのでございますが、いまの機能訓練の実情の中で、機能訓練士を今度どういうように充足していくかということが当面の課題となっておると思いますが、それについてお答え願います。
  162. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 機能訓練を実際上担当されておる職員の態様が区々であるというのは、そのとおりでございます。大体われわれが今回免許法の措置をとり、法律上加算をするというような配置をしておるのが、資料は古うございますけれども、高等部について十七人ございました。これは資料が古いので、その後若干増加しておると思います。  それから、実習助手その他の定員の具体的運用として機能訓練をやられておるのが、先ほどお話がありましたように、東京都その他あるわけでございます。そこで、今回一人、定員を教職についてその部分を加算したから全部首になる、あるいは財源措置が不十分だというのは当たらないのでありまして、これは特殊学校特殊教育について、先ほど申しましたように全体としてもふえるし、それから実習助手ということに限ってみましても、全国で言いますれば百八十一人が五百九十六人になって、三倍以上に実習助手の定員をふやすわけでありまして、現在の措置と比べましてそれを府県内で配分された場合にどういうふうに活用するかというようなことは、これはことに機能訓練のような部分というものは態様がさまざまである。先ほど御質問がありましたように、ベッドサイド・スクールで学校が伸びておるような場合と療養施設と切り離れておるような場合とでは、非常に違うのであります。これらの問題は実はこれから検討すべき問題でありまして、われわれとしては、そういう各種のものが総数として現在置かれておる実員なり旧来の財政措置から見て、都道府県単位にとってみても、全国にとってみても、改善をされるということに着目しておるわけでございますから、教員を新たに一人加えたからそれでほかの者が首になるというのは、これは当たらない。むしろ肢体不自由関係の職員構成を将来どういうふうに変えていくかというようなことは、これはこれからの課題だろうと思います。その辺は、他の盲ろう等のように伝統的に固まってきたものよりは、養護学校の関係というのは、私はかなりむずかしい問題があろうと思います。いまそういう職種を全部判断することは、私は困難だろうというふうに考えるわけでありますが、定数上の措置、予算上の措置としては私は午前中に伺っておりまして、それが切り捨てになるのだということは、どうしても私自身には理解できないところであります。
  163. 唐橋東

    ○唐橋委員 切り捨てになるということは理解できないと言うのですが、私は、どうしてもまた切り捨てになり得るのじゃないかというこの不安も去らないわけなんですが、その予算措置と切り離して機能訓練士の採用について、これはいままで、いま申し上げたように非常にばらばらでございます。しかもこの重要なものについて今後どういうように対処するかという点でお伺いしたいわけですが、リハビリテーションの国家試験に合格した、こういうことであるならば、当然短大卒以上ですから教諭の資格がある。もちろんそれは教科課程というのは加味しなければならないと思うのですが、そういう場合に、いまのようにばらばらでなしに、はっきりと教諭資格で採用しなければならない、こう考えておるのですが、採用の一つの方針といいますか、条件といいますか、そういうのをひとつお伺いしておきたい。
  164. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 いま機能訓練を担当いたしておる者を、先ほど申しましたように、教員定数をもってやっているところも若干あるし、それから非常に多く言われておりますのは、多くは、機能訓練を担当する実習助手として配置されておる者が全国で現在七十六人ございます。これらの方は、今回予定しております一人ずつ配置する者は教員としての身分をとり得る程度の者を加算するということでございまして、実習助手の定員というものを活用して、あるいはその他の職員定員数を活用して具体的にどう配置するのがいいかということは、それぞれ都道府県が、都道府県の置かれている学校の進みぐあいの実態をもって判断すればいいわけであります。たとえば施設併設校というものは、実は実習助手なしで、これは医療機関で全部持っておるというようなところが三十八校ありますけれども、それはそれでいいわけでございます。ただその上に、そういうものを全体として見るべき教諭たる身分の者を、この際でありますから、肢体不自由の学校については一名加算しておくほうがいいというのがこの定数法の趣旨でございます。
  165. 唐橋東

    ○唐橋委員 その趣旨とちょっと離れた質問をしたわけですよ。というのは、今度はいまの法案で、財政措置内容、こういうこととちょっと切り離して、現在の機能訓練士がこのようなばらばらの状態で採用され、しかも教育上の訓練ですが、重要な作業に従事しておる。これはひとつ統一して向上しなければならない。そういうこととするならば、機能訓練士の身分というものも採用時から、あるいは採用後から、あるいはいまのこのばらばらになっておる人たちほんとうの機能訓練士としての資格を付与していく、こういうような行政面の問題の質問をしたわけでございまして、今後この機能訓練士に取り組む、いま申し上げましたような点についての方針をお尋ねしたわけです。
  166. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 われわれが検討すべき課題としては二つございまして、教科として新たに新設いたしました体育、機能訓練関係の教諭というものをどうするかということと、もう一つ先生の御質問になっているように、実質上そういう教科の先生ということでなくても、機能訓練を実施すべき職員の任用資格、将来の方向を向上させるために、専一の制度をとっていくかということをどう検討するかという御質問だろうと思いますが、この点は、先ほど申しましたように併設した施設というものに依存できないで、学校独自でやらなければならないような学校については、理学療法士や作業療法士という、法律に基づく資格というものを導入して持ってくるかどうか、その辺のところはなお今後の検討課題だろうと思います。ただ、いまの実態と申しますのを、一挙に任用資格を引き上げてやるということもまた現実にそぐわない。また、そうするだけの必要が全部についてあるのかどうかということも、私は問題だろうと思います。この点は、私どもとしてはもう少し検討をしてまいりたい、かように考えております。
  167. 唐橋東

    ○唐橋委員 どうもぴんとこないのです。機能訓練というものの学校の中における位置づけ、性というものが、私は非常に重要だと考えており、片っ方、あなたのほうでは体育の訓練ということで医療的なものはそう含まないんだ、こういうような考え方のズレから出てきているのかとも考えますが、この養護学校における機能訓練に対する重要性とか位置づけというものをもう一度お聞きしないと、何か質問のピントが合わないのです。
  168. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 養護学校の場合は、盲ろうと違いまして、一種の施設併設というような実態が相当出てくるわけです。今度拡充すればまた出てくる。また、学校固有で全部医療施設をまかなうということがいいかどうか、この辺は研究課題でございます。それで、その肢体不自由のものにつきましても施設併設の場合にはどうか、あるいは独立校の場合はどうか、併設される場合であっても、およそ機能訓練でどの部分を学校で持ち、どの部分を医療機関にゆだねるか、その辺のところは相当研究してまいりませんと、いまの段階でどっちかにぴしっときめることは、私はまだ早いんじゃないかというふうに考えます。しかし、現状は、東京都など相当必要があって、相当の職員を配置されておるわけでありますから、それは言われるように切り捨てるのではなくて、それを十分に活用されてしかるべきことである。しかも活用する場合の定員の全体として、特殊教育について別に悪くなるわけではないわけです。それは十分にそれをまかなうだけの全体としての定員なり財政措置はあるものだから、それはしばらく推移を見て、そして基本的な問題については私は検討してまいりたい、こういうふうに申し上げているわけであります。
  169. 唐橋東

    ○唐橋委員 今後の問題だ、これを重視して十分対策を立てたい、こういうように理解をして、この点については質問を終わりたいのですが、やはり質問していても、私が考えておる機能訓練等の状態と、局長の答える機能訓練等の状態には、実態のとらえ方が非常に違うんじゃないか、こういうような点もありますので、これは委員長のほうで、あとで理事の方と十分御審議いただいて、ひとつ適当な日町に学校の実態調査をやっていただくように御手配を特にこれはお願いしておきます。
  170. 床次徳二

    床次委員長 ただいまの御意見につきましては、追って理事会において相談いたします。
  171. 唐橋東

    ○唐橋委員 それでは、舎監の任務について、数についてお伺いしたいのですが、「舎監は教諭をもって、これに充てる。」こういうことで、さっきも参考人が申されましたように、他の教諭と同じだけの勤務時間数の中で舎監を兼ねておるということになりますと、いろいろな問題があり、特に私がこの前一番最初の質問で、現場教師がすぐに寮の舎監になるということについては、教育的な弊害がないかという点も指摘してあるわけでございますが、舎監というのを維持した場合に当然いろいろな問題が出てくる。まず第一に、さっきも議論があったように超過勤務の問題が一つ出てくると思うのですが、これについてはどんなお考えですか。
  172. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 現在の実態は、数名の舎監を置いて交代であるいは宿直の形でとるところもあるし、むしろ宿直しない形でとっておるところもあるようでございますが、現在は、国立学校の場合には宿直手当を支給しておりますが、地方の実態を見ますと、舎監手当というものを支給しているところが相当ございます。この問題につきましては、実はわれわれも、この特殊教育学校その他の学校で寄宿舎を持っておるところにつきましての舎監の給与の問題につきまして検討をいたしておりまして、私どもとしては、むしろ舎監手当という形のものが支給されるほうがいいという考え方を持っておりまして、この点は、給与改善の際には私どもは人事院にも要望をいたすことになっております。
  173. 唐橋東

    ○唐橋委員 超勤の問題を舎監手出で解消していこう、こういうことですが、これはいろいろ議論のあるということですから省略して、舎監は職種なんですか。ということは、職種であるとするならば定数を見なければならないと思うのですが、定数を見ていないのは舎監だけなんです。舎監は職種なんですか。
  174. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 たとえば職業指導主事だとか助教諭だとか、いろいろな学校の運営の実態に即する職名というものを持っております。それはすべて、その分について専任の定員を見るということではないわけでございます。先ほど申しましたように、特殊教育学校におけるたとえば舎監というような職務で夜行くというようなことは、普通の宿日直の問題とは別個の問題だと私は思います。あるいはその特殊教育学校に特有に、教育として付随する可能性のあることだと思います。普通の宿日直の問題というのは、教育の場を離れたときの校舎の保守というようなものでいま議論になっておるわけでございますが、性質といたしまして特殊教育の場合には、舎監のみならず、先ほども申しましたように、いろいろ授業以外の形で教育の場になるということもあり得ることでございます。でございますから、私どもは、今回定数改善いたします際には、全体としての教諭の定数を増すということによって、その学校全体の運営がいろいろな職を行なう場合にも有利なようにできるということを考えまして、教諭につきましても、現行法でまいりますれば定数上は千八百二十四人でございますが、これを二千八百九十二人というふうに改善をして、そして全体としてのゆとりを持たせるという考え方に立ったわけでございます。
  175. 唐橋東

    ○唐橋委員 考え方はわかるのですが、私のお聞きするのは、やはり学校教育法施行規則にありますように、「校長の監督を受け、寄宿舎の管理及び寄宿舎における児童等の教育に当る。」というはっきりした任務を与えられておるのが、それが舎監だと思うわけです。そうすれば、何か兼務の仕事であって当然付随してくる仕事だ、こういう考え方が舎監なのか、それともやはり舎監というのは一つの職種と見て、はっきりと任務を確立しておかなければならない仕事なのか。この点は、舎監の任務の位置づけとして非常に大切だと思うのです。いままでやはり一つの付随した仕事だというふうに考えられているから、舎監という任務があっても職種に考えていないというのですが、これは私から言えば、はっきりした職種というものの仕事が現実にあるのだから、その中でやはりこれは明確にすべきだと思うので、職種ですか、職種でないのですかと聞いているわけなんです。どうなんですか。
  176. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 私は、舎監は舎監固有のものにするよりは、やはり教諭が兼ねるというほうがいいと思います。そして教諭が兼ねるということでございますから、しかも一人ではなくて、おそらく通常の場合には五人とか、規模にもよりますけれども、複数で兼ねておって、一人がつきっきりということでなくて、順次その授業外の生活の指導なり何なりに対して機会をつくるというほうがいいと思いますので、そういう考え方で私どもは個々に割らないで、全体としての教員定数を増すという方向に考えたわけでございます。
  177. 唐橋東

    ○唐橋委員 ひとつ明確に答えていただきたい、結論だけでいいですから。舎監の性格はわかったのですよ。職種なんですかと聞いておるのです。
  178. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 私は職種という御質問の意味がわからないものですから、どうも……。
  179. 唐橋東

    ○唐橋委員 職種の意味がおわかりにならないということですが、学校教育法やその他に、次のものをもってするというふうに、教諭、助教諭あるいは講師、寮母、実習助手、みんな出てきておりますね。そういうのと同等のものとして舎監があるのかということです。
  180. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 その意味では、校長、教諭、助教諭と並列した意味では、舎監というものは独立しておりません。
  181. 唐橋東

    ○唐橋委員 そうしますと、いまの答弁の中で、この兼務という形になるわけですね。七十三条の四にある「舎監及び療母を置かなければならない。」という場合に、舎監はすべて兼務だ、教諭の一つ仕事の一部なんだ、こういう解釈なんですね。
  182. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 教諭だけでは当然にできないから、教諭にその校長なり何なりが舎監として命じることによって舎監の任務を行なわせるということであって、それは、ほかの学校内の組織上のいろいろな名称のものはほかにもある、それと同じようだということを申し上げたいと思います。
  183. 唐橋東

    ○唐橋委員 この点については相当重要な問題で、あとで検討します。  いまの御答弁の中で教諭が兼ねたほうがいい、こういうことであったのですが、実際の生徒立場からいえば、昼間非常に先生にしかられた。それで寄宿舎に帰れば、ホームなんです。家庭なんです。帰ってみたとたんに、また、そのしかられた先生に監督を受ける。ですから、寄宿舎は寄宿舎としてやはり一つのホームを持ったような、寮母なら寮母というような形にする。あるいは寄宿舎専門の舎監なら舎監という、うちの父親にかわる、こういうたてまえを寄宿舎にとらなければならない、私はこう考えているのですが、いまの中においては教諭をもって充てる、こういうことになっているわけです。この考え方よりもう少し私が申し上げたような考え方のほうが教育的だと思うのですが、こういう点について検討する御意思はありませんか。
  184. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 それは先生のように、どっちがいいかというようなことについては、あり得ることだと思います。家庭と同じような意味の長を置いたほうがいい――寮母は主として寄宿舎における世話、おかあさんがわりでございますから、そういうもののほかに、男についても何か長になるようなものを置いたほうがいいという一つの御意見もあろうかと思いますが、そういうことが全部いいかどうかというのについても、また私は疑問が起こるので、これは将来の検討の課題にさしていただきたいと思います。
  185. 唐橋東

    ○唐橋委員 校長の監督の中というワクの中で考えていまの議論はしているのですがね。実際、普通の中学校の寄宿舎やその他と違いまして、特殊学校の器宿舎というのは非常に長い年月入っておりますし、そして、土曜日だからうちに帰るんだ、こういうような実態ではないと思うのです。だから、やはり普通の樹宿舎と多少変わった基準というもの、あるいは考え方というもの、したがって、部屋の編成その他も、各種の障害等を勘案しながら編成しなければならない。だから、これに対する舎監というようなものは、やはりそれだけの専門的な知識を持った者を、さっき申し上げました職種というような考え方の中に確立しなければ、いまの特殊教育の完成にならない。普通の小、中学校の寄宿舎と同じような考え方では、この特殊学校の寄宿舎というものは成り立たぬ。こんなような考え方の上にさっき申し上げたのでございますが、やはり普通の高等学校と同じような寄宿というような考え方の中で事を処していっていいのかということが私は疑問なんですよ。特殊学校の寄宿舎に対する考え方をちょっとお伺いしたい。
  186. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 特殊学級の種類によりましても、その辺のことは違うと思います。たとえばめくらなんかでありますと、どっちかというと普通学校と寄宿舎というような感じが非常に強い。しかし、精薄でありますとか、からだのほうの非常な障害者とか、虚弱者とかいうことになりますと、これは盲学校と少し違うような面もあります。この場合に、特殊教育の本来の姿で、家庭と学校というものを分けずに本来考えていいのか、それとも家庭から出て特殊学校という教育の場というものを包摂するのがいいのかという、考え方は私はいろいろにあり得ると思いまして、その点は私はどっちがどうだということをいまの段階でお返事するだけの材料もないのでありまして、必ずしも家庭と学校というものをすべての特殊教育について分担するような考え方をとるのがいいかということは、若干疑問の点があるという意味で申し上げたのでございまして、この点は、いま申されました寄宿舎の運営のあり方、それからその基準等々の問題とあわせて今後の課題として検討してまいりたいと思います。
  187. 唐橋東

    ○唐橋委員 やはり特殊学校、特に肢体不自由児なり盲ろう学校というのは数が少ないし、非常に広範囲から集まって、宙宿舎というものが学校以上の、毎日の生活の瞬間の中においても当然出てくる重要な場所だ。繰り返すようですが、の中学校の寄宿舎というようなものとは全く本質的に違う。こういうような点は十分検討しなければならないし、それに対する設置基準というようなものは、全く医学的にもあるいは心理的にも検討したものをやらなければならない。いまは、普通の小、中学校の寄宿舎と同じように、ただ帰って休ませればいいのだ、あとその生活の世話を見てやればいいのだ、こういうことで特殊学校の寄宿舎というものは成り立ち得ない、こういうような考え方を持っておるわけでございますので、そんなことでひとつこの寄宿舎の設置基準というものも十分速急に検討していただきたいということを、私は特に要望として申し上げておきたいと思うのでございます。  最後に、寮母の件についてちょっとお伺いしたいのですが、寮母の現状を見てますと、さっきもちょっと話が出ましたが、短大卒やその他の人たちが非常に多く入ってきておるわけでございます。もちろんそれが教育だという、さっき申し上げました学校教育法の施行細則の中に任務が規定されておるのでございますが、それに対する採用の条件とか、あるいはさっきも参考人から出ましたように、それの勤務というものが、従来のまま世話役いうようなもので、従来の慣習より一歩も出ない。任務だけは明文化されても、一歩も出ない。こんなようなことはやはり取り残されておる部分だと、こう思うのでございますが、この寮母に対する一つ基本的な考え方、特に先ほども問題になりました超過勤務というような問題についてはどのように処置していこうとするのか、お伺いしたい。
  188. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 寮母の処遇の問題につきましては、先ほど申しましたように、給与上はまず他の類似の職種から見まして、教育職といたしまして決して劣らない程度には出しております。短大卒でありますれば短大卒によりまして、俸給表が初任給でいいますれば二万幾ら、それから高校卒でありますれば、同じく教育職の俸給表を適用いたしまして一万五千幾らということでございますから、保母等のことを考えましても決して劣るという段階にはなっておりませんけれども、この処遇の問題については、私は全般といたしまして改善のために努力すべきものだと思います。  それから第二の御質問は、夜間勤務に対する問題だと思いますが、現在宿日直ということで処理されております。この点の労働基準法等の関係の女子の深夜業との関係につきましては、先ほど参考人によりますれば、十二号を適用すべきものを十三号だと、こう申しましたけれども、十三号として深夜業の適用除外になっております。これはやはり夜の勤務というものは必要でございますから、寮母の性質としては夜間勤務していただく。ただ、それが現在の宿日直の交代としての形でずっといいか、それとも別の夜間勤務に対する考え方を導入していくかということは、私は今後の課題だと思いますが、現在は交代制による非番を設ける等の措置、早番、おそ番、非番、宿直というようなことを繰り返して、宿日直で給与上の措置をしておるというのが実態でございます。
  189. 唐橋東

    ○唐橋委員 一つの問題は、さっき申し上げたような寄宿舎の性格ということを私は考えておるわけでございます。そういう考え方の中に立ちますと、寮母というのは寮のママさんだという性格でなしに、やはり一つ教育の任務を持つ、こうするならば、待遇でも三等級なら三等級の格づけだけで、十年やろうが十五年やろうがこれはまあ同じなんだ、こういうような状態は解決しなければならない。こういうような基本的な身分の問題もあるわけでございます。したがって、今後短大卒なら短大卒、あるいは新大卒なら新大卒の人たちが喜んで寮母になる、なれば将来はそれだけの待遇も身分も出てくるという体系をつくらなければならない、こう考えておるわけでございますが、それに対する局長のお考えはどうですか。
  190. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 むしろ現在は、単に寄宿舎の雑事をするんじゃなくて、教育と世話に当たるんだという意味で教育俸給表を適用しているわけでございますから、教育職であるということは給与上は解決しているわけでございます。  それからもう一つは、教育と申しましても寮母の仕事というのは昼間における授業のようなものではないのでありまして、やはりこれはおかあさんにかわって、家庭教育と同じように世話もあるし、教育的機能も及ぼすという意味で教育及び世話と書いてあることであって、必ずしも教諭が普通の授業における教育をつかさどるという意味で書いてないと私は思うのです。その意味ではむしろ家庭としての世話と教育を兼ねるものだという任務に置くほうが私はいいと思いますし、また、それであっても俸給上の処遇としては教育職として位置づけられておりますから、形としては整っておる。ただ、実質上の待遇改善というものを今後どういうふうに考えていくかという課題だろうと思います。
  191. 唐橋東

    ○唐橋委員 これが最後になると思うのですが、御答弁願ってそれでいいのですよ。それでいいのですが、若い者が寮母になった、こういう場合に、いまのように教育職だという一つの自覚の中に入ってきたならば、何か頭打ちだけの、いわゆる格づけというものでなしに、五年、十年のそういう重い任の中において働いた場合には、その頭打ちの給与体系というものをやはり打開しておいて、そうして進ませていこうということがいまの任務に相応する施策ではないのか、こういうことをお聞きしているわけです。
  192. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 御質問は、長期にこの道にささげた方が、この三等級の俸給表でずっと号俸の段階を追っていくだけでなくて、長期の勤務者に対して別の処遇のしかたがあるんじゃないかという意味だろうと思いますが、それらの問題については検討してまいりたいと存じます。
  193. 唐橋東

    ○唐橋委員 以上です。
  194. 床次徳二

    床次委員長 鈴木一君。
  195. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 先般来いろいろな角度から同僚議員の質口があったわけでございますので、なるべく繰り返しを逝けてお尋ねしたいと思いますが、いま唐橋委員からのお尋ねに対してあるいはお答えがあったのかもしれませんが、実は私たちこの法案内容を審議している過程におきまして、日教組の方々から陳情があったわけでございます。われわれ、何も日教組の言うことを全部聞こうとは思っていませんけれども、いいところはやはりいいところとして取り上げなければならぬと思っておりますが、その中の特殊学校の中に、たとえば一例をあげますと文京盲学校の場合、今度の制度が実施されると先生の数が十人減ってしまうのだ、こういうことが強く陳情されたわけでございます。これはたいへんなことだと思ったのでございまするが、しかし、あまりにも多くの先生の数が減ってしまうというようなことは、何か調査の間違いではないかというふうな感じもいたしたわけでございます。あるいはまた、一つ学校の例をとればこういうふうな推定もできるのかもしれませんが、こうした特殊な学校でございますから、運営の面でこういう問題は解消できるのではないかというような疑問も持ったわけでございますが、そういう点について、ひとつ端的にお答え願えれば幸いだと思います。
  196. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 このたびの定数改定の標準というのは、学校ごとの規模をどう定めるということではなくて、府県別の定数標準を定め、その標準を一応目安に置きながら府県で条例定数を定める、こういうことでございまして、少なくとも標準規模につきましては、これは財政上の措置をするというのがたてまえでございます。その配分という観点から個々の学校を洗ってみますと、ある学校は現在の交付税に比較しましても比較的多くいっており、ある学校は少なくいっているという実態、これはむしろ府県の考え方の問題でございます。ただいま具体的にお話しのありました東京で申しますと文京盲学校、これはわりあいに定数の多い学校でございまして、実員よりも十人というのは誤りでございまして、おそらく五人くらいの減になるというのが正確でございましょう。また、東京八王子盲学校が三人減、こう書いてありますが、これは二人増の誤りでございます。個々の学校はそういうふうに若干の増減はありましても、たとえばいまここに例を出しているのは東京と埼玉でございますけれども、東京の場合に、現在の交付税措置に比較いたしまして百五十九人の増、実員に比較いたしましても、東京は非常に実員が多いにもかかわらず七十九人の増ということになっておる。埼玉の場合は、交付税措置で三十二人増、実員で二十四人増ということでございますから、個々の学校の事態というものが一々この法律によって改悪になるんだということは当たらないのであります。それは各府県の人事の配置の問題であり、それから特殊教育のような分野は、それぞれ同じ学校といいましてもいろいろ違い方はあるだろうと思いますから、その意味では私は全般に定数改善になるというふうに考えておるわけでございます。
  197. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 これは文部省にお願いしておきますが、私たちのところに来ましたときの話ですが、陳情に来られた方々文部省にも寄った、いろいろこういう話をしたが全然受け付けない、十分な説明をやらなかったというような不満を漏らしておったわけでございますが、こういうような問題は事務的な問題であって、イデオロギーとかそういうふうな問題は何ら関係のないことでもありますし、陳情に行かれたらよくその蒙を開く、算定の基礎が間違っておったら間違っておるじゃないかというふうに教えていただけば、われわれもあまりびっくりしないで済むわけでございますから、その点をひとつ要望しておきます。  運営の面で、全体の面からすれば、こうした陳情は心配に値しないということなんですね。
  198. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 今回の法律によって改善になることでございまして、減が起こるということはございません。
  199. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 いまの問題は一応その程度にしておきます。  今度の定数によって全日制が五十人から四十五人、定時制が五十人から四十八、こういうふうな変わり方をするわけでありますが、一応理想的な姿ではないかもしれませんし、また、高等学校設置基準からしましても四十名以下となっておるわけでありますから、もの足りない点もあると思います。また、きょう参考人に来られた方々は全日制の場合は四十名以下にすべきだ、期せずしてそういう意見もございましたし、また私立の高校でありますが東村山高校あたりでは、三十人以下で一学級を編制しておるわけでございます。やはりあらゆる面から教育の効果を考えましても、人数は少ないほうがいいと私は思います。しかし、財政関係その他のいろいろの複雑な事情もありまして、今回この程度改正になったと思いますが、将来の方向としてはどういうふうなことを考えておられるのか、将来の展望をお聞かせ願いたいと思います。
  200. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 学級規模という観点から議論をいたしますれば、先ほど、ある程度下げたほうがいい、しかし、下げるにもまた若干の限度があるというような御意見がございましたけれども、私どもは、この法律が所期しておりますものは主として地方の財政に対する援助、それが主たる目的でありますから、その場合に、今回一万六千名なら一万六千名というその定員をとるのについて、それをどういうふうな形で与えたほうがいいかという場合に、私は学級編制のほうを切り詰めるよりは、むしろ考え方として教職員の厚みを増して、そして同じ比率であるならば、生徒と先生の比率が同じ比率になるのならば、そういう措置のほうがよかろうという判断にいたしたのでございます。学級編制そのものをどういうふうに考えるかといえば、また別の考えもあるかもしれませんけれども、今回は、学級編制は五十人を四十五人にして、むしろ教員の厚みのほうに多くさくという考え方をとったわけでございます。将来、世の中の進み方に従いまして学級編制基準というものは、単に定数だけの問題ではございませんで、教室の問題その他ございますから、今後も検討してまいりたい、かように考えております。
  201. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 将来の方向としては、教師の厚みの問題等は問題としても、一学級の編制が四十名以下ということが望ましいと思うかどうかということをお聞きしたわけであります。
  202. 剱木亨弘

    ○剱木国務大臣 一応、学級編制標準で四十名以下ということを打ち出しておるのでございますが、もちろん四十名以下になるのは理想であろうかと思います。しかし、一学級の定員を何名にすべきが一番合理的であり、理想的であるかという研究は、いろいろなされておるようでございますけれども、まだ学問的にも明確な結論が出ていないと思います。私存じておりますのは、教育研究所でございますか、あそこでやりましたのが、四十四名とかいうのが出ておるのでございますが、しかし私は、実際問題としては、教える内容によりまして学級編制のいわゆる仕組みというのが違うのじゃないか。ですから、今度の定数表でございましても、教師の厚みを増しますと同じに、たとえば専門的な産業教育とか工業とか農業とかになりますと、学級は四十名でございましても、実際の教育の場におきましては小さな班別に分かれまして、それに先生がついて教えていくということで、学級編制を四十名というふうに限るという考え方でなしに、むしろ教えるときに、その専門的な場合に先生が何名の生徒を把握することが適当であるか、こういうことからまいりますと、実際は先生の分担いたしております生徒数がどのようになっておるかということが、大体のそういう学校教育の場における基準で、一学級が幾らというよりも、一人の先生が何名持っておるかということで、私は一つ基準的なものが考えられるのじゃないか。そういう面から申しますと、高等学校におきましては、今度は大体一人が、平均いたしますと日本では十八名くらいになっておると思います。これはアメリカが二十一名くらいでありますか、各国の例と比べてみますと、いまの定数表でいきました場合に、私は世界的に申しまして、日本の高等学校教育は決して劣っておるとは考えておらないのでございまして、相当なところまでこの定数表でこぎつけておるということだけは、言えるのではないかと思っております。しかし、これで満足というわけじゃございませんので、将来も十分研究して、適正な学級基準というものを考えてまいりたいと思います。
  203. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 あるいは的はずれの質問になるかもしれませんが、われわれ質問する場合は、自分はこうだというふうに思って相手方の意見を聞いて、こっちに引っぱり込もうとする質問をする場合もあるわけでありますが、私、よくわからないから、これはほんとうに質問するわけでありまするが、高等学校設置基準昭和二十三年一月二十七日ですか、この第七条は、そうすると、どういうふうに解釈したらいいのですか。
  204. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 七条に書いてありますように、「四十人以下とする。」ということは書いてございますから、これはやはり教育的に考えた上で四十人以内ということが適当であろうという考え方をとったことは事実でございます。しかし、特別の事情があるときはこの数をこえることができるというようなことを書いてあるわけでございます。今回の法律は、目的が、繰り返しになりますけれども、財源措置ということの主たる効果をねらうものでございますから、その際の措置としては、私どもは、一挙にこの省令の四十人ということよりは、片方のほうは四十五に押えておいて、教職員の組織、厚みというものを考えるほうがよかろう。それで実際の高等学校の実態を見ますと、標準をどう置きましても、都道府県によりまして非常に前後に振れるものであります。この実態は、むしろ標準ということを掲げておいて、府県の実態にまかせたほうが、高等学校入学者のためにも、また現実に学校を管理する上からもいいのではないか、そうきつく縛らないほうがいいのじゃないかという考え方もあるわけでございます。現在の省令の四十人ということも、教育的にいえばこれは一つ考え方だということを示しておるのであります。
  205. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 よくわからないのですが、「特別の事由があるときは、この数をこえることができる。」ということで、いままできたわけですね。いままでの経過は、どういう特別の事由があってされたのか。要するに、その地方自治体の財源という金の問題からきたものか、あるいはこれは昭和二十三年で終戦間もなくですから、四十名ぐらいがよかろうということで簡単に出してはみたが、その後、四十五名でも五十名でもたいした悪影響はないというふうに考えが変わったものか、もう少し詳しく御説明願いたいと思います。これは基本に関する問題ですから……。
  206. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 七条に理想的なものを掲げ、二十九条にその一学級の五十人というようなことも掲げておりますから、その両者を合わせれば現実的に四十一五名というようなことも、また一つの現在の時点における標準たり得るであろうというふうに考えるわけでございますが、そのただし書きは、これはやはり財政事情、施設の事情というようなものが主たるものであるというふうに育むのが自然だろうと思います。ただ、私どもはこの基準を見ました場合に、七条だけではなくて、先ほど大臣が言われましたように、この高校基準全体を見た場合に、今回の措置というものはその趣旨を達しているというふうに考えるのであります。と申しますのは、学級編制こそ四十五人でございますけれども、これは教員の数に合わせますならば、標準規模の各段階の学校にはこの高校設置基準と同数の教員を配置するか、あるいは若干上面るものもあるということでございますから、個々のところを見ますと違っておりますけれども、全体として私どもは、この設置基準の趣旨を実現しているというふうに考えるわけでございます。
  207. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 なくなった大野伴睦さんが喜ぶような、足して二で割ったような話があったわけでありますが、われわれ野党の立場で、政府委員としては根掘り葉掘りいろいろなことを聞かれてうるさいと思うかもしれませんが、しかし、日本の教育をよくしたいという意欲については、与党の力にも決して劣るものではないと私は思っております。ですから、一緒になって、四十名なら四十名というものがいいということは、現場教師の諸君もきょうここで、だれも頼んだわけでもありませんけれども、三人とも同様のことを言っておるわけですから、ここで文部省のほうも、そういう足して二で割ったような話でなくて、これがいいんだ、しかし、なかなか財政上むずかしいのだ、こういうふうにはっきり言っていただければ、何も野党は与党をいじめるばかりが能ではなくて、予算の獲得のときでも、積極的にわれわれもわれわれなりにバックアップのしかたがあると思うのですね。  先ほども、教育に対する投資は惜しむなという参考人意見もあったわけでございます。私、自分で農業もやっておりますが、農業関係の国の補助や何か、ずいぶんでたらめなのがあります。構造改善とかさまざまな仕事は、薫るで神社仏閣にひとしいようなりっぱな畜舎を建てて、三年たつと牛も豚もいない。しかもみんな借金つけてしまって、やった人がどこへ行ったかわからないというようなことがたくさんあるのですよ。しかし、これはやり方もまずいし、政府施策にもまずい点がありますし、また、受ける農民にも考えなければならぬところが多々あると私は思います。この原因は一方的なものじゃないのです。しかし、教育に対する投資というものは、設備その他一〇〇%生きてくると思うのですね。ですから、担当の局長さんなり大臣がもう少しそういう点は自信を持って、四十名がいいんだ、しかし、なかなか国の財政あるいは府県の財政の都合上できないのだというふうにはっきり言ってもらえれば、私ども今後非常に行動がしやすいと思うのですが、もう一回重ねてお伺いします。
  208. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 私の考えを率直に申しますれば、小、中学校の学級の規模をきめるということと、それから高等学校の学級の規模をきめるということは、私はやや態度を異にしていいのではないかと思います。と申しますのは、高等学校教育は、先ほど大臣が申されましたように、職業その他の専門学科になりますと、クラス単位の動きというよりはクラスを分割した動き、そのほうを着目する要素が非常に多いわけでございます。でございますから、極端に申しますと、私個人の意見としては、学級の標準というようなことを高等学校に、小、中学校と同じ意味で持ってくるかどうかということについての疑問を私は持っておるわけです。むしろそれに対応すべき教職員というものの掛買、その例証というものの基準を定めるということが私はむしろ中心になって、府県の政策によりまして、少数の学級でやって教員をわりあいに薄くまくか、学級の規模を大きくして教職員の厚みを増すというような活動をするか、それはかなりその府県の考え方、あるいは府県内によっても学校の種類によってやっていい、理論としては流動性のあることではないか、私はそういうふうに学級規模については考えております。
  209. 剱木亨弘

    ○剱木国務大臣 いまの大体基本的な考え方は、私がさっき言ったとおり、局長もそう答えたんでございますが、しかし、学級の規模はやはり四十名以下のほうが理想的だということは、これは基準に書かれてあるとおりだと思います。現段階におきましては、終戦後の主として財政的な理由でございますが、五十名という学級規模でやってまいったのでございまして、今回、生徒の急減というのに対処いたしまして教師の教を減らさないように、いわゆる現在の財政規模にそう大きな影響を及ぼさないで学級編制をできるだけ下げていこうということで、五カ年計画で四十五名というところまで下げるという努力をしてまいったのでございます。それは、小、中学校高等学校のあり方は、私も局長と全く同じような考え方を持っておりますけれども、しかし、生徒数が少なくなるほうにいくべきだということは理想でございまして、この定数表は、その方向に向かっての努力のあらわれとして出ておるのでございます。将来、日本も国力がだんだん伸びていくべきでございますし、だんだん理想の形にまで段階的には努力してまいらなければならぬ。しかし、現段階におきましては、この定数表の四十五人のところでこれをまず一応達成をしたい、その上でまた、その後の国力その他の関係を考えまして、今後の向上といいますか、教育の向上に向かって努力を払ってまいりたい、かように考えております。
  210. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 大臣のお話ならば大体理解できます。いまは理想ではないが、前よりはベターである、しかし、さらに理想に近づきたい、こういうことでしょう。間違いありませんね。――それなら理解できます。まあこの問題は、時間もありませんので、この程度にしたいと思います。  次に、中央教育審議会の「後期中等教育の拡充整備」というこの答申に基づいて、高校教育の多様化というものが取り上げられてこの法律の中にも出てきておるわけでありますが、多様化というものが一体どういう内容のものなのか、何によってこういう多様化が求められておるのか、そういう基本的な問題について大臣からお伺いしたいと思います。
  211. 剱木亨弘

    ○剱木国務大臣 これは主として、いままで高等学校で、いろいろ学科内容等が分かれておったわけでございます。特に産業教育の工、農、水産と分かれておったわけでございますが、近代の産業なり社会の状況から申しますと、だんだんその範囲が、いままでどおりを踏襲しておってはなかなかマッチしない面が相当出てきつつあると思います。そういう意味におきまして、社会の要請にマッチしてまいりますためには、いままでの高等学校の学科内容でいいかどうかということを検討してみなければならぬときがきておると思います。そういう意味で産業教育審議会、それから理科教育審議会にいま諮問しておるわけでございますが、新たな学科内容を持つものを高等学校に置かなければならぬかどうか、いまなお研究しておるわけでございます。さしあたり私ども考えておりますのは、たとえば看護科なんかは新しい要請によって高等学校一つの学科としてできてまいっておりますが、今後は、たとえばいまの社会の要請として純粋に数学とか、そういったような基礎的なものとかいうようなものを、あるいは学科として置かなければならぬじゃないか。こういうのは、はっきりと予定はいたしておりませんけれども、いろいろ高等学校の学科内容について多様化をはからなければならないときがまいっておるというのが中教審の答申であろうと思います。その線に沿いましてただいま検討を進めておるというのが現状でございます。
  212. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 この多様化の内容についていまお答えがあったわけでありますが、私たちこれは少し行き過ぎた感じ方かもしれませんけれども、現在の経済の高度成長と申しますか、技術革新と申しますか、そういうものが相当多くの若年の労働力を必要としておる。そういう人たちを手っとり早く訓練して、そして役立てようというふうな多様化の傾向もなきにしもあらずというような感じを受けるわけであります。  たとえば、毎日新聞が連載しておりました「再編成下の高校」の中には富山県あたりの例が出ておりますけれども、あまりそういうものに振り回され過ぎて、基礎的な勉強ができずに、多様化に便乗してインスタントな職人というものがつくられていく傾向が出てきはしないか。たとえばいまの衛生看護科の場合でも、ガンとかそういうふうな研究のために、県立病院なら県立病院が相当拡張された、どうしても看護婦さんが足りない、そこで医師会あたりが知事に頼み込んで、そういう者を養成してくれぬかというようなことで、簡単に、そのときそのときの要請に応じて、むしろ教育というよりも、現在の各種学校がやっておるような方向に持っていかれる可能性なきにしもあらずというふうな感じを私は受けるわけでありますが、そういう点については相当注意しなければららないし、もし専門的な分野についての知識が必要とするならば、少なくとも三年間は、職業課程の学校であっても、それに必要な基礎というものを十分やって、そして専修科とか専科という制度もございますから、一年なら一年間そういう専門的な教育を受けるというふうにすべきであって、現在の高校の中で急激に時代の要請にこたえるために多様化を進めていくということは、何となく教育というものからはずれると同時に、人間形成といわれる教育からはずれるようなうらみがあるのではないかというふうなことが心配になりますので、その点をお尋ねしたいと思います。
  213. 剱木亨弘

    ○剱木国務大臣 全くその心配は同感でございます。ただ、たとえば看護科についてみましても、看護科は決して看護婦の養成というだけを目的としないで、いわゆる家庭婦人として必要な看護に関する知識を与える。ですから、基本的には婦人としての基礎的な教育高等学校教育でやっていって、その上に看護の知識を与えていくということをねらっておるのでございまして、高等学校教育で多様化をいたしましても、そればかりの職人的な教育をやったのでは本来の馬等学校の趣旨に反すると存じますので、今後多様化をいたしましても、その基本的なものを高等学校本来の教育を忘れないような形において推進してまいらなければならぬと考えておるわけでございます。
  214. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 いまの大臣のお答えを聞いて、一応安心はしたわけでございます。簡単に政令で定めるというふうになっておりますが、剱木さんみたいな文教行政に明るい方が大臣をやっているうちはいいのです。私たちもここ四年間文教委員をずっとやっておりましたが、もうすでに大臣四人目なんですね。やっとわかったと思うと、かわってしまうし、所信表明を聞いただけでかわってしまった大臣もあるということで、まことにたよりのない面もございます。やはり文教行政のような国家百年の計――だれも百年の計は立たないのですが、少なくとも中期的な展望に立って、その期間だけは大臣に就任していてもらわなければならぬというふうに私たち思います。したがって、文部省というふうな制度はやめて、教育庁のようなものでもできて、会計検査院みたいな形で、そこの長官は六年なら六年間はつとめるというふうに、ほんとうの制度上も教育の中立性が望ましいとさえ、この四年間の体験で思っておるわけでありますが、あまり文教行政に明るくない大臣が来て、いま言ったような形で、地元の要請にこたえて、ああやってくれ、こうやってくれというと、簡単に政令が出てきてしまうということはないとは思いますけれども、そういう点、非常にわれわれは心配するところでございます。どうかひとつ、そんなようなこと、かないように、この問題については慎重にお扱いを願いたいと思います。  これは、私も実情を調査はしておりませんけれども、新聞あるいは書物によって見たのでございますが、たとえば冨山県なんかの場合は、中学三年間の成績で、おまえはもう大学進学コースはむずかしいからこっちの職業専門の高校へ行けというふうなことで、誘導されているような面が非常にあるわけですね。そこで、隣の石川県のほうへ県を越えて入学してその難をのがれたというような生徒を私はじかに会って聞いておるわけでありますけれども、普通高校は少数のエリートだけ養成する、あとはインスタントの職人を職業学校でつくる、そして技術革新の時代に対応していくというような傾向が現にやっぱりあるのですね。こういう点について、文部省としても、監督官庁、上級機関として十分御調査のことだと思いますけれども、御所見がありましたらお伺いしたいと思います。
  215. 齋藤正

    齋藤(正)政府委員 職業科と普通科の割合が、全国でいいますと、この十年間六対四で普通科でありますが、富山県は逆の数値になって、職業科と普通科の比率が逆に四対六か、あるいはそれより比率が普通科が少ないぐらいのところだと思います。そういうようなことで、普通科に対する問題というものが、県自体としても検討の材料になっておるのが現在の実況でございます。  ただ、先ほど大臣も申されましたように、多様化だからすべて細分化するということではなくて、広い領域をやる者もあるし、それから、人によりましては、わりあいに狭い分野をやる者もある、しかし、その場合であっても、高等学校教育としての普通教育というものは欠くことができないというのが、これは中教審の答申もそうでございますし、われわれが進めておる方向もそうでございますので、決して職人、徒弟教育ということに堕するようなことがないように注意してまいりたいと思います。
  216. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 よくわかりました。  いまのこの問題とは直接の関連はないのでございまするが、この際、大臣にお伺いしたいと思うのであります。  中教審のこの答申でも、後期中等教育の中で各種学校の地位というものを非常に高く評価し、これを育成するような答申が出ておると思いますけれども、職業教育を分担する機関としては、私は各種学校の果たしている役割りも非常に大きいと思います。しかし、今度の国会には、この各種学校を格づけすると申しますか、権威づけるというような法案をわれわれは期待しておったわけでありますが、いまだに提出がないというのはどういうわけなのか、その点もこの際あわせてお伺いしたいと思います。
  217. 剱木亨弘

    ○剱木国務大臣 学校教育法改正で、各種学校の格づけと申しますか、制度創設につきましては、各種学校全般の非常な御要望があると私どもは確信いたしております。これに関連しまして、御存じのように、各種学校制度をつくりますと、当然に、ただいま各種学校として認可されております外国人学校の問題を解決しなければなりませんので、あわせて外国人学校の制度の創設を私どもは考えまして、文部省の原案といたしまして提出する準備を進めておるのでございます。これは先般、その中の一部分の商船高専の部分だけはこの国立学校設置法で一部国会修正になりまして取り除いたわけでございますが、残りの部分につきましては、なお私どもといたしましては提案の希望を捨てないで今日おるのでございますが、ただ、これは私どもも党人でございますので、政党関係におきまして、国会対策の関係等でだんだん遅延をいたしておると思います。しかし、国会の会期もだいぶ迫ってまいりましたので、早急にこの解決をいたしたいと、いませっかく努力いたしておる最中でございます。
  218. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 要するに、外国人学校の問題なので法案の提出がおくれている、こういうふうに理解するものでありますけれども、これは私の素朴な見解かもしれませんけれども、外国人学校というものが各種学校の中に含まれておるということ自体が、非常に奇異に感ずるわけであります。日本国の教育本法に基づいて、あるいはまた憲法に基づいていろんな学校があるわけであります。それを規定しているのが学校教育法だと思いますけれども、日本の教育とは関係のない外国人学校というものが、日本の法律、日本の学校規定する学校教育法の中に含まれていること自体がそもそも間違いであって、最初はやむを得ずそういう便法をとったのかと思いますけれども、実際、これはさい然と区別すべきものではないかというふうに感じます。ですから、これは私も各種学校の経営者の一人として感ずることでありますが、この際、外国人学校の問題は、これは全く別の法律をつくられて、それと各種学校とは分離して、そうして国会にお出しになったほうが、問題の解決がしやすいのではないか。日本で約八千ある各種学校が、外国人学校のために待望久しい法改正ができないということは、まことに私はばかげたことだと思うのです。ですから、分離してお出しになれば、剱木さんもそう国会対策など心配しなくても済むのではないかと思いますが、要するに、私の基本的な発想は、外国人学校と各種学校は別なのだ、だから別に扱え、こういうことなんです。その点はいかがでしょうか。
  219. 剱木亨弘

    ○剱木国務大臣 実は、この外国人学校が現在各種学校で認可しております姿自体が、日本の学校制度としては異常なものであって、私は法理的にも正しいものとは考えません。ですから、日本の各種学校に外国人の学校はなりようがないものが、歴史的な荷物と申しますかでこういう状況になっておるのでございまして、そういう意味におきまして、各種学校の創設と同時に、私どもといたしましては、もしそれだけをやりますれば、いま現実にありますところの外国人学校というものを、いわば教育ワクの外に出してしまうという形になりまして、現実にこの教育事業をやっております外国人学校というものが全く無籍者というような関係になることは、われわれとして国際親善の意味から忍びない。そこで、この各種学校を創設すると同時に、やはり外国人学校も何とか法的なワクの中に入れようというのが、われわれの気持ちであったわけです。  ところが、私どもの気持ちとは全然相反する一つの反対運動がなされております。私どものところにたくさん――先生方のところにも参ると思いますが、その反対理由は、いわゆる民族教育を圧迫するということがこの主たる反対理由になっておるようです。私どもは、民族教育を認めて、外国人学校という制度を創設しよう、ですから、反対は全く理由なき反対だと私どもは確信をいたしております。  でございますので、私どもは、いかに反対が遜りましても、やはり外国人のために、これはこの際私どもがそのほこりをかぶってもそれをすべきが、私どもの、むしろ大きな意味において国際親善になり、いわゆる外国人のためになると考えて今日までやってきたわけです。ところが今日、鈴木先生のような御意見も相当ございます。私も存じておりますが、またそのために各種学校制度の創設を取りやめるということも、これはまことに申しわけないことだと思います。でございますから、私は早急にこの問題の解決に努力しようと思って、せっかくいま苦心をいたしておるところでございますから、その点は御推察を願いたいと存じます。
  220. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 いま大臣もおっしゃいましたように、全く別のものだ、それを経過的に一緒にしておることが間違いだ、こういうお話であったわけでありますが、やはり間違いは間違いとして、はっきりしたほうがいいと思うのです。山へ登って道に迷ったら、やはりもとへ戻ったほうが遭難しないんですよ。ですから、間違ったものをくっつけているからいけないのですから、離して、別に外人学校規定する法律をつくられ、そうして、大臣も、決して圧迫するのではなくて、民族教育を保護するのだということを言われておるわけでありますから、その趣旨を十分その法案に盛られて国会に提出される。しかし、特殊な政治問題として発展しておりますから、そう簡単には通らないかもしれませんけれども、しかし、通らなければ、それは継続審議にするとか、あくまでもこの国会の審議を通じて問題を解明していくということによって、一国会で結論が出なければ次の国会に持っていく、それでもなおかつ不安な点があるならば、修正するとか、あるいは附帯決議をつけるとか、そういう形で外国人学校は処理すべきであって、これをあくまでも各種学校と一緒にしておるところに問題の解決ができないゆえんがあると思います。  それは、大臣の苦心はわかりますけれども、もともと、出発が間違っておると私は思うのです。ですから、あやまちはあくまでも正して、別々のものとしてお出しになれば、日本の各種学校に対しても非常な満足を与えるのではないか。また、それが日本の職業教育に対して積極的な貢献をなさしめるゆえんではないかというふうに考えていますので、重ねてその点をお尋ねいたします。
  221. 剱木亨弘

    ○剱木国務大臣 これは鈴木委員のおことばでございますが、私、そういうふうに申し上げたつもりはないのでございまして、これは各種学校をやるために、当然にあとの外国人の学校をどうするかという説が出てまいったのでございまして、全く無関係とは考えられないのでございますし、私自身の当初からの考え方といたしましては、これは私どもとしては、国会に出していただいて、そうして国会の場において、国会の御意思によりましてそれを修正するとか、いわゆる国会の審議を通じまして、一ぺん国会の審議の場にのせていただきたいというのが、私の当初からの考え方でございました。だが、現段階におきまして、私もそのとおり押し切るということをいまここで断言するというわけではございませんけれども、その処置につきましては、せっかくいま苦慮しておるところでございますから、もうしばらくひとつ決定をお許し願いたいと思います。
  222. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 私も御苦心をしている点はわかります。ですけれども、何回も繰り返すようでありますが、これは別のものを一緒にするから間違いなんです。各種学校の中に外国人学校が入るのが、私はどうしても納得がいかないのです。だれに聞いてみても納得がいきません。ただ、過去においてそういうふうにやってきておったからそうなんだ、こういうことなんですね。ですから、あくまでも別扱いをし――私らは何も外国人学校法案を出すなとは言っておりません。ただしかし、反日教育をやっておるとか、日本の現在の政治に対して批判的な行動をするとか、言論をなすとか、そういうふうなことはわれわれも困ると思うし、また、陳情に来る向こうの人たちも、実際そんなことはやっていませんということをはっきり言っておるわけですね。ですから、何らかここに誤解があるのか、あるいは、われわれの気がつかない別の政治的な意図があってごたごたするのか、私もよくわかりません。むしろ、これは審議を通じて明らかにしたほうがいいと思います。しかし、そのほうの、審議に手間どって、せっかくここまできている各種学校、しかも共産党でさえ――共産党でさえというと、はなはだ失礼ですが、共産党の諸君でも、各種学校賛成だと言っておるのですよ。それならこっちを片づけて、盆も正月も一緒にやるのではなくて、お盆はお盆でやって、正月は正月でやられたら、何もそんなに大臣が苦慮されなくてもいいと思うのですが、どうしてそういうようにこだわるのか私はわかりません。何かわれわれの耳に入らないところで政治的に問題があるのですか。たとえば、韓国側としては、日本におる朝鮮人はなるべく日本に同化させたい、したがって、ここで民族教育なんかやられては困るというようなことに自民党はこたえようとしておるのか。それならこれはまた別問題ですが、あくまでも純粋に法的に考えていくならば、全然別個のものですから、別々に片づけるのが私は正しいと思うし、それこそ、最も抜本的な解決方策だと思うのですが、どうして大臣はそれにこだわるのですか。
  223. 剱木亨弘

    ○剱木国務大臣 この問題は、鈴木委員の御意見としましては十分承りまして善処したいと思いますので、きょうのところはひとつお許し願いたいと思います。
  224. 鈴木一

    ○鈴木(一)委員 それでは、ちょうど五時になりましたから、いずれこの問題は保留しまして、私の質問を終わります。
  225. 床次徳二

    床次委員長 次回は、明後九日、金曜日、午前十時より理事会、午前十時三十分より委員会を開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後五時三分散会