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門司委員 条例自身が
違憲でないということで、ただ取り扱いの面において
違憲になる危険があるということが往々にして問題の焦点になっておるのでありますが、その場合に、
警察がこれを地方の自治体に勧告することができるかどうかということであります。私は、この問題は非常にややこしい問題が内部的に伏在しておると思う。
条例で定めることはできるが、しかしこれの実施にあたっての問題は、自治省の手を離れて、
公安委員会という独立した
一つの行政機構でこれの運営あるいは取り締まりが行なわれることになっておる。しかもその下にありますものは、御
承知のように今日は都道府県
警察というようなものがたてまえになっておる。したがって、今日の
警察制度の中で
公安委員会が
警察行政における
一つの大きな責任を持っておりますが、しかし組織の
内容としては、一応たてまえは都道府県
警察であって、これは独立した
一つの機関と見ることができる。
警察法自身に、そういうところに非常に大きないろいろな問題が私はあろうかと思う。昔の、二十九年以後の自治
警察と国家
警察と画然と分けた中で、こういう問題については
公安委員会の意思に従ってというような明確な線が、いま
警察法改正以来あまりはっきりしておらない。そこで問題になってまいりますのは、地方の都道府県や市町村が
条例をこしらえる、この
条例には別に
政府から何も
異議はない、したがってこれはもちろん
合憲であるということで取り扱いがされておる。しかし個々の
内容にわたって、その時限においてあるいは今度のような処置をとらなければならないということは、具体的に起ころうとする問題に対する、ほんとうの
意味における末梢的な
一つの現象に対する取り扱いであって、この法律あるいはこの
条例自身の問題と離れているような気が私はするのです。
条例が
違憲でないというならば、
条例のとおりに
デモを許されてちっとも差しつかえない。ところがその中で
デモは許されない。この問題は、ただ単に今度の問題だけでありませんで、
デモ規制自身についてもう少し掘り下げて
考える必要がありはしないかと私は思う。
公共の
福祉だといわれておりますが、
公共の
福祉のものさしは一体どこにあるかという問題。そうしていま聞いてみますると、二十五の府県と三十五の市といいますから、全体では四十六都道府県で、そうすると、まだ府県の中でも残りが二十一になりますか、二十一はこういう
条例を必要としないという
判断をしておる。それから市に至りましては五百六、七十ありましょうから、その中の三十幾つということになりますと、ごく低い率しかこれを必要としておらない。したがってこの問題は、社会の構成の中で全体の問題として
論議する問題であるかどうかということにすら、私は疑いを持っておる、したがって、こういう
条例が必要であるかないか、
デモ規制というものが必要であるかどうかということである。その点について
大臣はどうお
考えになりますか。私はこの点は掘り下げて検討する必要があると実は
考えているのでありますが、同じ自治体であって、必要としないという自治体がある。それが、何でもかでもやらなければならないという自治体がある。さらに進んで、
政府の
行政権を
発動して、
司法権との間に問題をかもすようなことまでして押えなければならないという、三つの
段階に今日あるかということについては、私はいささか疑問を持つのです。一体どうだろうかということで、これについて
大臣はどうお
考えになりますか。単に
公共の
福祉、
公共の
福祉というけれ
ども、
公共の
福祉のあるところとないところとあるというのは、私は実際はおかしいと思うのですがね。
したがって、この
デモ規制——私はきょう次の
会議がありますので、長くおられませんから、はしょって一緒に申し上げておきますが、この種の問題のあります場所というのは、多く過去においていろいろな問題があった場所であるということが私は
一つあろうかと思います。どうも
デモをかってにやられちゃ困るから、
違憲でないというのなら、この辺でひとつ規制をしておこうかという、きわめて身がってなものの
考え方、国民の持っておる基本的な自由である、固有の権利である表現の自由というようなことが非常に大きく阻害されるというような形をとってきた。こういう問題が普遍的に行なわれないで、ばらばらに行なわれておるところに私は問題があるのじゃないかと思う。したがって、これについて自治
大臣はどういうようにお
考えになるか。私は大体この
デモ規制なんという法律は要らないのじゃないか、この
条例自身がおかしいのじゃないかと思う。お互いが信頼し合い、お互いが納得のいくような行動をお互いにしていくということが望ましい
態度であって、最初から、お前たちはあばれる、だからだめだということになりますると、不穏なという
ことばを使うほうがよろしいか、あばれるという
ことばを使ったほうがよろしいかどうかと思いますが、あるいはそういう
警察側の
考えておるような行為をしようと
考えていなくても、君たちはそういうことをやるのだと定義づけられるところに私は問題がありはしないかと
考える。この辺はこの規制法の問題についての大きな
一つの
問題点になろうかと思います。
こういう議論をいたしておりますと非常に長くなりますので、もとに戻りますが、あるところとないところとあるということについて、自治省側あるいは
警察側はどういうようにお
考えになっておるか、必然的に生まれたものとお
考えになっておるのか、あるいはなくてもよろしいものとお
考えになっておるのか、その辺をひとつこの際明確にしておいていただきたいと思います。